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「今、この時」
が 「今、この時」
に書かれている小説、そういうことがありうるのだろうか。やっぱりそれはあり得ないというものなのだが、そうはいっても、そう書こうとしている作品が面白い。 「これ、いいよ。」 そんなふうに紹介したい。ところがこれがムズカシイ。ぼくが好きな小説はすこし変なのかもしれない。そんなふうに思うことがある。 柴崎友香「ショートカット」(河出文庫) もそんな一冊。
《今日の仕事が終ったらすぐに、由史くんに電話しようと思っていた。由史くんは仕事中かもしれないけれど、それでもどうしても話したかった。おなじ場所にいるだけでなにも言わなくてもわかることが、電話の向こうとこっちで別々の景色を見ながらいくらしゃべってもきっと伝わらないって、決定的にわかり始めていた。だけど、そのことを、電話をかけて、確かめたかった。電話の向こうの由史くんに伝えたかった。》 『やさしさ』
《「なんで、今日、こんなとこまで来たんやろ」和佳ちゃんは声を落とさないで言ったけれど、なかちゃんは聞こえないのか聞こえていないふりをしているのか、その言葉には反応しなかった。角度の高い太陽のせいで小さくなっている影を引き連れて、相変わらず周りの建物や空を見回しながら歩いていた。足元を見ると、自分の影もとても短かった。
「なんかさ、後から考えたら筋が通ってないのに、その場ではわかったような気になって返事してしまうことって和佳ちゃんもある?そんな感じ?」「うーん」》 『パーティー』
《「なんか、意外。和佳ちゃんはそういうとこはさらっとした感じかと思ってた。」「なんで?どこが?だって、わたし、好きな人とめっちゃ遠くの知らへん場所で暮らすって決めてるねんもん。好きな人についていって見知らぬ遠くの街で暮らすっていうのこそ、女の子の醍醐味やん」わたしより三つ年上の和佳ちゃんは、中学生の女の子みたいに、その夢になんの疑いも持っていない眼で語った。「そうかな?大変そうやん。知らへんとこなんかいったら」「大変やけど、愛があれば苦労もできる。それが愛」「遠くって、どのぐらい遠く?」 この本のなかには 『ショートカット』、『やさしさ』、『パーティー』、『ポラロイド』 という四つの短編小説が入っている。それぞれ別の話なのだけれど、一つめの引用で「由史くん」に電話しようとしている女性と二つめと三つめの引用で「和佳ちゃん」と話している人は、登場人物としての名前は違うようなんだけど、どうも同一人物ではないかという感じの小説群。
船が出る、一応港と呼べる場所なのに、どこを見渡しても行き止まりに見えた。近くの工場から、鉄を削る音やとても重くて固いものがぶつかり合うような音が重なって響いてくる。空は、だんだんと雲のほうが多くなっていた。
「とりあえず、日本やったらあかん。希望は太平洋を越えたくって、近くても東南アジア」「じゃあ、外国の人と結婚すんの?」》 『パーティー』
就職して東京に行ってしまった彼を思う 『ショートカット』
、その彼と別れそうになっている 『やさしさ』
、彼と別れた 『パーティー』
、新しい彼と出会う 『ポラロイド』
という連作。
気いったところを探して引用しはじめてみたけれど、ドンドン書き写してしまいそうになってしまう。この案内をここまで読んできた人は「どこがおもしろいねン?」きっとそう思っているだろうと思う。
こんな言い方をするともっと意味不明になってしまいそうだが、今、ここにたしかにあって、みんなには見えない本当のことにとらわれてしまうとか、仲の良い友達と一緒にいるのに、自分が一人ぼっちだと感じるような経験をしたことはないだろうか。一緒にいる人は、きっと変な気がする。この小説はそんな気分をとてもうまく書いている。この人の小説を読んでいると、そんな気分の中に主人公と一緒にワープしていくスリリングなリアリティがとても心地よい。
例えば一つめの引用で「由史くん」に電話をかけたいと切実に思っている彼女はこの時、友達と電車の先頭車両に乗っていて考えている。
《一人しかいないのに進行方向を指差して確認している運転手にも、それ(前方の風景)は同じように見えているはずで、不安にならないのか不思議に思った。進む先が見えていないのに、どうしてちゃんと進めるんやろうって。目の前の線路が見えているだけで、ただ昨日も乗っていたからだいたいのことがわかるだけやのに。》 ただ、電車が、今、走っている事を不安に思う。
《発車のベルが世界を分ける。ドアが閉まって、わたし達は空気と一緒に運ばれる。移動していることを感じないまま》 この瞬間に世界から引きちぎられるように遠ざかっている自分を見つけてしまう。電話をかけて確かめられることは、引きちぎられて、今、ここにいることではないのだろうか。
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