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哲学者の 内山節
の著作集を気が向くままに読み散らしています。今回の「著作集」は 第8巻
、 1989年
から、ほぼ二年間にわたって 信濃毎日新聞
に連載された文章がまとめられた 「戦後思想の旅から」
という評論がメインです。ほかに 「日本の伝統的な自然観について」
と 「合理的思想の動揺」
という短めのエッセイも収められています。
戦後の日本の労働の思想は、時代ごとに三つのキーワードを持っていたのだと私は思う。敗戦から1950年代までは、搾取という言葉が労働を考える上での一番重要な役割を果たしていた。労働者は資本家に搾取されているという表現は、生活の困窮からの脱出を願う労働者たちの気持ちを説明する表現でもあったのだと私は思う。 内山節 の観点によれば、1950年代は経済学用語の 「搾取」 という言葉でとらえられた、労働概念が、 「疎外」 という哲学の言葉にはっきり変わるのが1970年代。1980年を過ぎると 「疲れ」 という感覚用語で語られるようになるということですが、1980年代に働き始めた人間には、 「搾取」 も 「疎外」 も、実際には、何の解決にも至らないまま、ただ、ただ、 「疲れ」 が蔓延していくのが労働現場というわけだったことを思い浮かんできます。今から40数年前の記憶です。
それが1960年代に入ると、搾取という言葉よりも労働の疎外という言葉の方が大きな役割を果たすようになった。ルフランや中岡を嘆かせたように、技術革新がすすむにつれて、労働者には自分の労働が何かをつくりだしているという感覚が薄れてきていた。自分の労働は機械に使われているだけなのではないか、企業の利潤を高めるために使われているだけではないのか、というような問いかけがどこからともなくひろがってくる。
しかしそれで終わったわけではなかったのだと私は思う。というのは1980年代に入ると、疲れという言葉が私たちを支配しはじめるからである。現代の労働が生み出す疲れ、ここにはよく言われるように日本の労働者の労働時間が長いということもあるだろう。だがそれだけではないはずだ。別に労働時間が長くなったわけでも、ノルマがきつくなったわけでも、機械化がすすんだわけでもないような職場でも、そこで働いている人々は強く疲れを感じるようになったのだから。
( 「戦後思想の旅から 第4章 新しい思想を求めて」)
註:中岡哲郎「技術史」:ジョルジュ・ルフラン「労働社会学」
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