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姉とわたしは床に座り込んで、ふたりで遊んでいたのだから、あの人がやってくると聞いたのは、一九三二年か三三年だったのだろう。わたしたちの曾祖母ミリセント・マクティアのことだ。曾祖母は、このあたりに住む親類の家一軒一軒を訪ねる予定で、このときの訪問は後にもよく話題にのぼった。曾祖母はミシガンに住んでいて、腕利きの助産婦だった。オハイオ訪問は、みんなが待ち望んでいたことだった。というのもわたしたちの曾祖母は賢い人で、疑いもなく一族郎党の立派な要と見なされていたからだった。部屋に入ってきた途端、これまでに経験したことがないことが起き、曾祖母の威厳は本物だとわかった ― だれも何も言わないのに、男たちはみなすぐに立ち上がったのだ。 本書は トニ・モリスン の ハーバード大学 での講演集ですが、そのひとつめの講演 「奴隷制度ののロマンス化」 はこんなふうに語りはじめられます。
親類をひととおり訪ね終わった後、曾祖母はとうとうわが家の居間へ入ってきた。背が高く背筋はぴんと伸び、必要とは思えなかったが、杖に寄りかかりながら、わたしの母親に挨拶した。それから、遊んでいたのか、または床に座っていただけの姉とわたしを見て顔を曇らせると、杖でわたしたちを指しながら、こう言った。「この子たち、異物が混入しているね」。母親は猛烈に抗議したが、時すでに遅し、破壊行為はなされてしまった。
曾祖母は漆黒の肌の持ち主で、母親には曾祖母の言葉の意味がはっきり分かっていた。母親の子供のわたしたちの血は汚れていて、純潔ではないと。
(「奴隷制度のロマンス化」冒頭)
科学的人種主義者の目的の一つは、「よそ者」を定義することによって自分自身を定義すること。さらに「他者化されたもの」として分類された差異に対して、何ら不真面目を感じることもなく、自己の差異化を維持(享受さえ)することである。 最初に引用した、 「この子たち、異物が混入しているね」 という彼女の曾祖母の発言が内包している意識、単に、みずから 「白人」 だと考える人たちによる 「有色人種」 に対する 「差別」 を越えた、いわば普遍的な 「差別」 に対する トニ・モリスン の 「視座」 として 「他者化」 という概念が据えられています。
(中略)
いかにしてわたしたちは人種差別主義者や性差別主義者になるのか?生まれながらの人種差別主義者はいない。胎児のときから性差別主義的傾向があるわけでもない。講義や教育ではなく、前例によって私たちは「他者化」を学ぶのである。
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