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はじめに というわけで、 二〇二〇年 の春から、二人の子供を連れた、アラフォーの社会学者の移住生活の報告の始まりです。 モッチン には日本での仕事があるようなので、子連れの母親の単身移住です。彼女は 「オーラルヒストリー」 の研究者ですが、本書は彼女自身による 「オーラル・ライフ・ヒストリー」 、聞き語りではなく、一人がたりの物語です。
二〇二〇年の二月から、私はヘルシンキで仕事をすることになった。
そもそものきっかけは、二〇一八年に初めて、フィンランドはユヴァスキュラという街に、夏の間滞在したことだった。キラキラした太陽の光と湖と森が気に入って、もし何かまたご縁があったらここに住みたいと思った。
それから一年くらいして、ヘルシンキにある、とある職場が新人を募集していた。だめでもともと、と思って書類を送ったら面接に招かれてしまった。そして―面接のときに「結果は二週間から一ヵ月の間にお知らせします」と言われたのに、一ヵ月半たっても音沙汰がなかったので不採用だろうと思っていたのだが―二か月くらいして採用通知が来た。
私は結婚していて、子供が二人いる。採用通知が来たとき、上の子(ユキ)は六歳、下の子(クマ)は二歳。連れ合い(モッチン)は日本で仕事をしていて、そこそこのキャリアがある。
家族をどうするつもりなんだ、私。
かなりびくびくしながらモッチンに「採用されちゃったみたい」と言ったら、すかさず「すごいじゃん!おめでとう!」と言ってくれた。彼にはほかの選択肢はなかったかもしれないが、そういわれて初めて、少しうれしくなった。(P005)
目次 こんな目次で、二人の子供の保育園暮らしから始まり、オネーチャンの ユキちゃん の小学校入学までの1年間の暮らしが語られています。
1 未知の旅へ―ヘルシンキ到着
2 VIP待遇―非常事態宣言下の生活と保育園
3 畑の真ん中―保育園での教育・その1
4 技術の問題―保育園での教育・その2
5 母親をする―子育て支援と母性
6 「いい学校」―小学校の入学手続き
7 チャイコフスキーと博物館―日本とフィンランドの戦争認識
8 ロシア人―移民・移住とフィンランド
それから、「ぐんたい」について子どもに話したくなかったのは、もう一つ理由があった。私は小学生のとき、埼玉県にある丸木美術館に行って、帰り道に吐いた。母曰く、そのときに私は、美術館にあった「からす」という絵を見て、あの死体の中に私がいる、と言ったらしい。長崎の原爆で殺され、差別ゆえに埋葬すらされなかった朝鮮人の死体を、カラスがつつく絵だ。 朝鮮の名前を持つ親しい同級生に 「日本と韓国が戦争になったら、お前はどちらにつくのか」 と、何の疑いもなく尋ねる「日本」の中学生がいる。2000年を超えたころからのこの国の子どもたちの生活の場面として、考えてみれば異様ともいえる 「思い出」 が語られています。
中学生あたりから、何度か「日本と韓国が戦争になったら、お前はどちらにつくのか」という質問されるたびに、口では「どっちでしょうねー」と言いつつ、心の中では「私がどうしたらいいかオロオロしている間に、お前みたいなやつが私を殺しに来るだろうから、私がその質問の答えを考える必要はない」と思っていた。
そういう感情に、あの潰れるような恐怖心に、何歳になってからなら耐えられるのだろう。耐えられるときなんて来るのだろうか。気づかないふりをできるようになるだけではないのか。そんな物事に、なるべくなら触れずにいる方がいいのではないのか。この子たちと「ぐんたい」との出会いを、なるべくあとにできないか。 (「チャイコフスキーと博物館」P201~P202)
そういうためらいは、ユキとクマを連れてハラボジに会いに行ったときに、緑ヶ丘保育園に子どもを通わせていた古い友人に会ったときに、普天間に住む知人の本を読んだときに、宮古島で子育てをする知人と親しくなるにつれて、壊された。彼女たちには、ためらう余裕なんて与えられていない。彼女たちの子どもたちは、あの美しい海を、あんなに反対した人々がいるのに埋め立て、保育園の上にペリコプターの部品を落下させ、オスプレイの音で彼らを脅かし、基地を作ろうとする「ぐんたい」とそれを支える行政に、いつ出会えばいいかなんて選べない。 さて、ぼくは、どうするのか? 徘徊老人 などと、あたかも世捨て人ででもあるかのように、こうしてアホ・ブログを更新して暮らしていますが、 「恐怖心と怒りに出会わなければならない状態をも、私はあの人たちに押し付けて」 いないか。考えないわけにいかない鋭さで彼女の言葉が突き刺さりました。
私がためらうことができるのは、私が彼女たちに基地を押し付けているからだ。押し付けているのは基地だけではない。恐怖心と怒りに出会わなければならない状態をも、私はあの人たちに押し付けている。あの人たちは、私たちのせいで、選べない。
それなら、自分たちが誰かに「ぐんたい」を押しつけている状態にあることや、その状態を変えようとすることも、可能なかぎり教えればいい。
そういうわけで、私は二年ほど前には、ユキの質問することにはなるべく答えるようにし、私のしたいことや行きたいところに彼女がついてきたいのなら、それを止めないことにした。 (P202)
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