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未来はこれからまだ何年も続くのかもしれないし、ほんの数年しか続かないのかもしれない。いずれにせよ、たったいまからリヒャルトはもう、毎朝大学に出勤するために時間どおり起きる必要はない。これからは、ただ時間があるばかりだ。旅行する時間、と言う人もいる。本を読む時間。プルースト、ドストエフスキー。音楽を聴く時間。時間があることに慣れるのにどれくらいかかるかはわからない。いずれにせよ、リヒャルトの頭はこれまでどおり働いている。この頭を使って、これからなにをすればいい?(P7) こんな冒頭で始まります。大学教授の職を定年退職した リヒャルト という老人が主人公でした。ほぼ、彼の一人語りと言っていいのですが、 「リヒャルトは」 となっていますから、まあ、本人自身というわけではなさそうです。
若い女性教師と大人の生徒たちは、文字を読む練習をしている。それから単語よむ練習をする。アルファベット順に、Auge (目)、Buch(本)、Daumen(親指)、Cで始まる単語はあまりないので飛ばす。「目」と「親指」のときには、二重母音についても話す。「アウ(au)」「オイ(eu)」「アイ(ei)」そして「アイ(ei)」から長母音「イー(ie)」の説明に移る。「ここ(ヒイーーア)」と発音しながら、長い母音を発音する際に口から漏れるすべての空気に手を添える。 ヒマな リヒャルト がヒマつぶしのために覗いたアフリカからの難民のためのドイツ語教室のシーンですが、小説の題 「行く、行った、行ってしまった」 は、初級ドイツ語を学ぶこの教室での動詞の時制変化の例からきているようです。
授業中、部屋のドアは開けっぱなしだ.。ときどき生徒が遅れて入ってくることもあれば、授業を受けていた生徒が荷物をまとめて、授業の真っ最中だというのに、謝りながら出ていくこともある。最後の三十分、若い女性教師は、すでに中級以上の生徒のために助動詞habenと seinを使って練習問題をさせる。私はいく(イッヒ・ゲーエ)、と教師は言うと、腕を振って右から左へ数歩歩いてみせ、それから肩越しに後ろ、つまり過去を指してこう言う。昨日(ゲスターン)私は行った(イッヒ・ビン・ゲカンゲン)。
それからこう言う。ある方向への動きを意味する動詞の過去形を作るには、たいていの場合、助動詞seinを使います。活用は、私は~した(イッヒ・ビン)、彼は~した(エア・ビン)、などですね。私は行った(イッヒ・ビン・ゲガンゲン)、私は飛んだ(イッヒ・ビン・ゲフローゲン)、私は泳いだ(イッヒ・ビン・ゲシュヴォメン)。教師はまた腕を振ってもとの場所に戻り、「飛ぶ」を表すために両腕を広げ、ホワイトボードの前を泳いでみせる。
俺はすごい(イッヒ・ビン・ズーバー)、と突然アポロンが言う、ハイハイ、と教師が言う。確かにあなたはすごいですよ、でもいまは過去形の練習をしてるの。(P8)
「我々は目に見える存在になる」 その言葉が、 1990年 、 「一晩のうちに突然別の国の市民」 になった リヒャルト自身 の経験を想起させ、 「壁」 がよみがえってきます。
ここに新たな「壁」が作られている。 「壁」とは何か?
たったいまから本来ここにいてはならないことになった男たちのために、ベルリン州政府がなおも支払い続けるのはドイツ語講座の授業料だけだ。男たちはほぼ五か月前、老人ホームに受け入れられたときにドイツ語を学び始めた。難民の青年が、 「アブロキュイェ、アブラボ」 という歌を 静かに歌っています。
行く(ゲーエン)、行った(ギング)、行ってしまった(ゲカンゲン)。
四か月前、彼らはシュパンダウ地区に引っ越し、その後、ここの申請の審査や面会などで何度も授業に出そびれ、そのたびにまた最初からやり直した。
行く(ゲーエン)、行った(ギング)、行ってしまった(ゲカンゲン)。
一か月ほど前、彼らの友人たちが施設の屋根に上ったとき、彼らはドイツ語の授業に出る代わりに、ドラム缶の焚火を囲んで立ち、屋根に目を向け続けた、その後、またしてもほぼすべてを忘れてしまったために、もう一度最初からやり直した。
行く(ゲーエン)、行った(ギング)、行ってしまった(ゲカンゲン)。
いまや、さまざまな寝場所から、いまも週に二回、語学校に行ってドイツ語を学び直している者はごくわずかだ。
行く(ゲーエン)、行った(ギング)、行ってしまった(ゲカンゲン)。 (P328)
母よ、ああ、母よ、あなたの息子は 小説の終盤、 プラカードの言葉にうながされて出会ったアフリカの友人たちのことが老教授によって思索されています。
恐ろしい旅をした。
異国の岸へ流れ着いた。
あたりは暗闇。
孤独の中で私がなにを耐え忍ぶか
誰も知らない。
使命を果たせないのは恥。
どうしてこのまま帰れよう?
敗残者の名を受け継ぐ子などなし。
それならいっそ死んだほうがまし、
永遠に恥をさらすより。
我らが先祖の霊よ、
我らが先祖の神々よ、
異郷にいる我らが兄弟を見守り給え。
彼に幸せな帰郷を恵み給え。
ヨーロッパに暮らす者なら皆、彼らの嘆きを知っている。
ジェニー・エルペンベック(Jenny Erpenbeck)
1967年 ベルリン(当時は 東ベルリン )生まれ。1985年に高校を卒業後、二年間の製本職人の見習いを経て、舞台の小道具係や衣装係として働く。1988年から90年にかけて、フンボルト大学で演劇学を学ぶ。1990年からはハンス・アイスラー音楽院でオペラの演出を学び、1994年以降、舞台監督としてオペラの演出を手がける。1999年、 『年老いた子どもの話』(河出書房新社) で小説家としてデビュー。代表作にHeimsuchung(2008年)、Aller Tage Abend(2012年)などがある。
2015年 に発表した本書はベストセラーとなり、翌年 トーマス・マン賞 を受賞。これまでに12の言語に翻訳されている。
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