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無常こそわが友 いかがでしょうか。こういう方です。震災から10年の歳月が経ちました。確かに 潮時だった という実感は残っていますが、 「大騒ぎした甲斐もある」 方向への変化は、かけらもないというのが事実でしょうね。 コロナの騒ぎ に関しても、おそらく、無反省となし崩しが大手を振っていくに違いないでしょう。
このたびの東北大震災について考えを述べるように、いくつかの新聞・雑誌から注文を受けたが、全部お断りした。というのは、私の感想を公表すれば、多くの人びとが苦しんでいるのに何ということを言うかと、大方の憤激を買いそうな性質のものだったからである。私は世論という場に自分が登場するのもいやなのであった。
このほど、その書きにくいことを書いておくのは、場所が少数の読者が読んで下さるにすぎぬ私の著書だからである。この範囲なら妄言も許されるだろう。
私は大震災に対するメディアおよび人々の反応ぶりが大変意外だった。なぜこんなに大騒ぎするのか理解しかねた。これが大変な災害であり、社会の全力を挙げて対応すべき事態であるのは当然としても、幕末以来の国難であるとか、日本は立ち直れるのだろうかとか、それに類する意見がいっせいに溢れ出したのには、奇異の念を通り越してあきれた。三陸というのは明治年間にも大津波が来て、今回と同様何万という人が死んだところである。関東大震災では十万以上の死者が出た。首都中枢が壊滅したのである。それでも日本が滅びるなど言い出す者はいなかった。
第一、六十数年前には、日本の主要都市は空襲で焼け野原になり、何十万という人びとが焼き殺されたではないか。焼跡には親を失った浮浪児たちがたむろし、人びとは飢えていた。このたびの被害者が家を失って、「着のみ着のままです」と訴えているのをテレビで見た。お気の毒である。だが私は、少年の日大連から引き揚げてきたとき、まさに着のみ着のままだった。帰国してみると、あてにしていた親戚は焼け出されてお寺に仮住まいしていた。その六畳一間に私たち親子四人が転がりこんだ。合計七人が六畳一間で暮らしたのである。むろん、こんなことは私たち一家だけのことではなかった。今回のような原発事故の問題はなかっただって?日本の二ヵ所で核爆弾が炸裂したのを忘れたのか。
それでも日本はもうダメだ、立ち直るのには五十年かかるなんて言うものはいなかった。一九四七年、私が熊本に引き揚げてみたら、街の中心部は焼跡にバラックが立ち並んでいるというのに、映画館は満員で、街には「リンゴの唄」が流れていた。相変わらず車を乗り廻し、デパートの駅弁大会といえば真っ先に駆け付けるのに、放射能がこわいからといって、何の根拠もなく米のトギ汁を服用させて、子どもに下痢させるなど、現代人はどうしてこんなに危機に弱くなったのか。いや、東北三県の人びとはよく苦難に耐えて、パニックを起こしていない。パニックを起こしているにはメディアである。災害を受けなかった人びとである。
この地球上に人間が生きてきた。そして今も生きているというのはどういうことなのか、この際思い出しておこう。火山は爆発するし、地震は起こるし、台風は襲来するし、疫病ははやる。そもそも人間は地獄の釜の蓋の上で、ずっと踊って来たのだ。人類史は即災害史であって、無常は自分の隣人だと、ついこのあいだまで人びとは承知していた。だからこそ、生は生きるにあたいし、輝かしかった。人類史上、どれだけの人数が非業の死を遂げねばならなかったことか。今回の災害ごときで動顚して、ご先祖様に顔向けできると思うか。人類の記憶を失って、人工的世界の現在にのみ安住してきたからこそ、この世の終わりのように騒ぎ立てねばならぬのだ。
このたびの災害で日本人の生きかたが変わるのではないかという意見もよく耳にする。よい方へ変わってくれれば結構な話だ。だけど、大津波が気から価値観が変わったというのも変な話ではなかろうか。われわれは戦争と革命の二〇世紀を通じて、何度人工の大津波を経験してきたことか。アウシュビッツ然り、ヒロシマ、ナガサキ然り、収容所列島然り、ポルポトの文化革命然り。私は戦火と迫害に追われて、わずかにコップとスプーンを懐に流浪するのが、自分の運命であるのを忘れたことはない。実際には安穏な暮らしを続けながら、夢の底でもそれを忘れたことはない。日本人、いや人類の生きかた在りかたを変えねばならにのは昨日今日始まった話ではないのだ。原発が人間によって制御不可能な技術であることも、経済成長と過剰消費にどっぷり浸かった生活が永続きしないのも、四〇年五〇年前からわかっていた話だ。
もちろん、誤りを改むるに憚ることなかれというし、津波であろうが原発事故であろうが、何がきっかけなっても構わないけれど、歳月が経てばまた忘れるんじゃないか。何か大事件が起これば大騒動し、時がたてばけろりと忘れるというのは、どうも私たちの習性らしいのだ。何があっても騒がず、一喜一憂せず、長期的なスパンで沈着に物事を受けとめ考えてゆく、そういう民でありたいものだ、私たちは。ただ、今回の災害によって世の中が変わると感じた人びとは、案外的を射ているのかもしれない。つまり、潮時が来ていたのだ。そう受けとれば、大騒ぎした甲斐もある。しかし、万事は今後にかかっている。本当に世の中、変わりますかな。(P9~P12)
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