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「 少しは片づけなさい!」 まあ、口に出して言うと拗ねるのがわかっているので、黙っている チッチキ夫人 ですが、時々その目を盗み見しながら、一向に片付けようとしない毎日です(笑)。
肩だか肱だかが当たって落ちてくる本を、そのまま足元に積むものですから、ますます 古本棚の細道
になってしまうのですが、落ちてきたのでしかたなくしゃがみこんで手に取ったのが アラン
の 「定義集」(岩波文庫)
でした。
「これって、便利かも?」 そう思って、電車のお供にすることになったのですが、なかなか便利です。 「定義集」 と銘うってあるのですが、すぐには、まあ時間がたってもですが、 ワカラナイ ところが面白いんですね。若いころは、それが面倒だったのですが。
ESPÈRANCE 希望 ね、この哲学者の話で 「神」 が出てくるのは、まあ、そういうものなのですが、 「狙っている」 という言い回しがわかりませんよね。
希望はよりよき未来にたいする信仰のようなもの(したがって。一種の意志的な信念)であって、そこから正義と善意が生まれるだろう。たとえば、人は戦争の終結を望む。証拠なしに、なぜなら、それを欲しているから、なぜなら、それを欲しなければならないから。希望は、希望が生まれる前に信仰を想定し、希望のあとから慈愛が生まれることを想定しているのがよくわかる。希望の本来の対象は、具体的な問題を解決することにある。たとえば、だれもはそれなりのお金を持てること、誰もが仕事を楽しめること、多くの病気が癒されること、あるいは耐えられるようになること、子どもたちがもっとよく養われ、もっとよく育てられること、とりわけこれらすべての問題が、また他の同じような問題も、もしわれわれが本当にそれを欲するなら解決されるということ。したがって、希望の本当の狙いは、欲すれば事はかならず実現するということだ。もし自然とその諸力が神格化されるとしたら、これは最初、よく見られることだが、希望は神自身を狙ったものであろう。ただ、慈愛はより純粋な神、人間により近い神を狙っている。そして純粋の信仰はさらにもっとすぐれた神を狙っている。
OPTIMISME 楽観主義 まあ、ほとんど何も解決されないまま、電車は目的地に着くのですが、 「人間嫌いであることは虚偽である」 という 「美しい推測」 という、勝手な歪曲(いやそうでもないか)を、頭のどこかに残して、映画館の座席に腰かけたりするわけです。
それによって自然的な悲観主義を退けるような意志的判断。オプティミスムはしばしば、苦しみ、病気、死によって打ち負かされる。しかし、悲観主義が人間についての判断において勝っていると信じようとするその瞬間に、オプティミスムは勝利を収める。なぜなら、人はつねにその同胞を、自分がそれを欲するならば、少なくともわれわれに依存することにおいて理解し救うことができるから。当然のこととして、人は最悪の現象でさえ悪く解釈はしないだろう。そしてそこに善をもとめるだろう。よく考えると、この好意は正義にほかならない。より正確に言えば、この好意を求めることは、人間嫌いであることは虚偽である、という推測のなかでももっとも美しい推測によれば、正義にほかならない。
「これは、わるくないな。」 まあ、そういうわけでぼくの肩さげの鞄には、最近、この本がはいっています。感じたり、考えたりすることって、生のままでできるわけじゃないということを気づかせてくれますね。
「やっぱり、アランはえらい!」
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