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ぶらりと両手を垂(さ)げた儘、圭さんがどこからか帰って来る。 いかがでしょう、ボクが面白がったことが何だったか気づかれたでしょうか。引用文は作品の冒頭 175ページ から、 180ページ の、一部省略しましたが、引き写しです。
「何処へ行ったね」
「一寸、町を歩行いて来た」
「何か観るものがあるかい」
「寺が一軒あつた」
「夫から」
「銀杏の樹が一本、門前にあつた」
「夫から」
「銀杏の樹から本堂迄󠄀、一丁半許り、石が敷き詰めてあつた。非常に細長い寺だつた。」「這入つて見たかい」
「やめて来た」
「其外に何もないかね」
「別段何もないな。一体、寺と云ふものは大概の村にはあるね、君」
「さうさ、人間の死ぬ所には必ずある筈ぢやないか」
「成程さうだね」と圭さん、首を捻る。圭さんは時々妙な事に感心する。
(中略)
かあんかあんと鉄を打つ音が静かな村へ響き渡る。癇ばしった上に何だか心細い。
「まだ馬の沓を打つている。何だか寒いね、君」と圭さんは白い浴衣の下で堅くなる。碌さんも同じく白地の単衣の襟をかき合わせて、だらしのない膝頭を行儀よく揃へる。やがて圭さんが云ふ。
「僕の小供の時住んでた町の真中に、一軒の豆腐屋があってね」
「豆腐屋があつて?」
「豆腐屋があつて、其豆腐屋の角から一丁計り爪先上がりに上がると寒磐寺と云ふ御寺があつてね」
「寒磐寺と云ふ御寺がある?」
「ある。今でもあるだらう。門前から見ると只大竹藪ばかり見えて、本堂も庫裏もない様だ。其御寺で毎朝四時頃になると、誰だか鉦を敲く」
「誰だか鉦を敲くつて、坊主が敲くんだらう」
「坊主だか何だか分からない。只竹の中でかんかんと幽かに敲くのさ。冬の朝なんぞ、霜が強く降つて、布団のなかで世の中の寒さを一二寸の厚さに遮ぎつて聞いてゐると、竹藪のなかから、かんかん響いてくる。誰が敲くのだか分からない。僕は寺の前を通る度に、長い石甃と、倒れかかった山門と、山門を埋め尽くす程な大竹藪を見るのだが、一度も山門のなかを覗いた事がない。只竹藪のなかで敲く鉦の音丈を聞いては、夜具の裏で海老のようになるのさ。」
「海老の様になる?」
「うん。海老の様になつて、口のうちで,かんかん、かんかんと云ふのさ」
「妙だね」
「すると、門前の豆腐屋が屹度起きて、雨戸を明ける。ぎっぎっと豆を臼で挽く音がする。さあさあと豆腐の水を易へる音がする。」
「君の家は全体どこにある訳だね」
「僕のうちは、つまり、そんな音が聞こえる所にあるのさ」
「だから、何処にある訳だね」
「すぐ傍差」
「豆腐屋の向か、隣かい」
「なに二階さ」「へえへえ。そいつは・・・・・」と碌さんは驚いた。
「僕は豆腐屋の子だよ」(P180)
漱石の言文一致はどうなっているのか? という興味が、まあ、久しぶりに初期の作品を読むということもあって、浮かんでいたわけですが、この小説は、ご覧の様に、ほぼ、99%、会話文なのです。ですから、まあ、 言文一致がどうの という興味は空振りですね。というのは、 言文一致 の要諦は 「地の文」 、あるいは、 「客観描写」 の文の口語化なわけですからね。
言文一致って、漱石とか関係あるの? とお考えの方もあるでしょうが、明治といえば、もう一人の大物、 森鴎外 が 「言文一致」小説 を初めて書いたのは、実は、 明治40年 なのですね。この年に スバル という雑誌に発表した 「半日」 という作品が、 鴎外 にとって 初めての言文一致小説 だったという事実もある訳で、 明治39年 の 漱石 がどんな気分で書いていたのだろうという興味が、まったくの見当違いというわけではない気もします。
この会話文、面白いと思いませんか? 実は、この会話は 九州の阿蘇山 の山麓の村の 田舎宿 で、 「圭さん」 という豆腐屋のせがれと 「碌さん」 という、なんとなく学のありそうな青年が、 村の鍛冶屋 の馬の蹄鉄を打つ 槌音 を聞きながら、 東京のお寺 の 鉦の音 を思い出して、どうでもいいような会話を延々と続けるのですが、その、二人の、だらけた部屋でのシーンが浮かんできませんかね。問題は、聞こえている音と、頭の中の音の重なり合いなのですが、ああ、それと、そこに重なっていく二人の声、それぞれの音が、その場のイメージを喚起していきませんかね?
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