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雨が壺を濡らしている。壺は、庫裡のすみにころがっている。 昭和23年 ごろ、京都の西陣の町寺での逸話から書き起こされているエッセイですが、産経新聞の記者として、その町寺あたりが担当だった 若き日の司馬遼太郎 と 「薩摩焼」 との出会いのシーンです。
「朝鮮ではないか」
と、U氏は縁から降りて、壺をおこそうとした、が、起きなかった。てのひら二枚ほどの破片が、濡れた地面にかぶさっていたにすぎない。
「 この陶片はおそらく 薩摩焼 のなかでも 苗代(なえしろ)川の窯(かま) であろう。苗代川なればこそあたしは 朝鮮 と見まごうたし、まちごうても恥ではない、苗代川の尊さは、あの村には古朝鮮人が徳川期にも生きていたし、いまもなお生きている」といった。 司馬遼太郎 と戸数七十軒ばかりの 苗代川 、今では 美山 という新しい村名がついている 薩摩焼 の朝鮮人集落との出会いのエピソードです。
二十年経った。
私はその日、鹿児島の宿にいた。
予約している飛行機の出発時間までに四時間のゆとりがあり、その時間内に、どこかこの県下の、それもできれば薩摩の古い風土を感じさせる町か村を一カ所見たいとおもい、町で買った地図をひろげてみた。薩摩半島が南にのびて錦江湾を囲んでいる。その半島の錦江湾海岸に鹿児島市があり、目を西へ横切らせて東シナ海に出ると、そこに漁港串木野があり、その串木野の手前の丘陵地帯あたりを地図で眺めているうちに、なんと 「苗代川」 という地名が小さく印刷されいるのを発見した。声をあげたいほどの驚きをおぼえた。地名なのか。
司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」は、日本を語りながら韓国を語り、日韓の歴史に託して日本人とは何かを論じた達意の文章として読者の記憶に残り続けることだろう。 ちなみに、 書名の由来 にですが、本書の中に 天明の頃の医者、橘南谿 という人物が 「東遊記」 という旅行記の中に記している 苗代川 を訪れた逸事が紹介されています。
伊勢の橘は、「これらの者に母国どおりの暮らしをさせ、年貢を免じ、士礼をもって待遇している薩摩藩というのは、なんと心の広いことをするものだろう」と感じいっている、一方で、橘南谿はひとりの住人に尋ねている。 いかがでしょう。まあ、ボクは映画の宿題が一つ終わったということで、とりあえずホッとしています(笑)
日本に来られて何代になりますか。
「すでに五代目になります。」
それでは、ふるさとの朝鮮を思い出されることもございませんでしょう。
「そうではありません。人の心というものは不思議なものです。故郷のことを忘れてしまうことはできません。折りにふれて夢のなかにも故郷は出てきます。また、昼に窯場で仕事をしているときでも故郷をいとしく思うのです。」
この一老人は、 「故郷忘じがたしとは誰人の言い置きけることにや」 と述べて語りを終えたという。橘南谿はよほどこの言葉が印象に残ったのだろう。きちんと旅行記に記録してくれたのである。
追記
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