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李鳳宇とわたしがはじめて会ったのは一九八九年のことだった。彼は設立したばかりの映画配給会社を妹さんと二人でやりくりしていて、わたしにパンフレットの原稿を依頼に来た。死ぬならパリで死にたいですねえと、彼は別れ際にいった。それも、若いころの津川雅彦に似た顔で、さりげなくいった。なんてキザな野郎だというのが、わたしの第一印象である。 で、とか何とかいいながらウマが合ったのでしょうね、 一九五三年生まれの映画研究者・批評家 と、 一九六〇年生まれ で、駆け出しの 映画プロデューサー だった二人が、こうして出会った初対面から10年後の 一九九八年 、それぞれの 「青春」時代 について、一方が遅れてきた全共闘世代の高校時代を、もう一方は、日本人が知らない在日の高校生のワイルドな日常を語り合うことになります。
それから七年があっという間に経過した。李鳳宇は「シュリ」や「JSA」といったフィルムを次々と配給し、日本で韓国映画が大ブレイクするきっかけを作った。わたしは東アジアの大衆映画の研究に没頭し、その合間にTVで韓国文化についての連続番組に出演したり、二度目のソウルで長期滞在を果たした。 一人 は、 井筒和幸 の 「パッチギ」 をプロデュースし、 「韓流」ブーム を演出したと評判だったプロデューサであり、もう、 一人 は、当時、書きに書きつづけていた、人気の 映画批評家 でした。
ウソを言うな! と批判された前科があるくらいですから、まあ、当然(?)おもしろわけですが、 李鳳宇 の高校時代から、大学時代、特に今回読み直していて、たとえば 1979年の朴正熙暗殺事件 あたりの回想には、興味惹かれましたね。
時間は過ぎ去る。人間は年をとってゆくが、少しも利口にならない。 いつも同じことをして一喜一憂したり同じ失敗をして自分がいやになったかと思うと、また気を取り直して新しいことに向かったりする。 うまいこと言いますねえ(笑)
追記
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