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またしても、 半藤一利の歴史探偵本
です。 1981年
から 1986年
にかけて、 「プレジデント」
という、いわゆるビジネス誌に掲載されていた原稿を、 半藤一利
の死後、 PHP新書
として単行本化した本で、実は 2023年12月の新刊
です。 半藤一利「昭和史の明暗」(PHP新書)
です。 「この年になって、ついに「プレジデント」かよ?」 と、我ながら驚きますが、まあ、読みやすいし、何といっても、あの 「日本の一番長い日」 の 著者半藤一利 が、 2・26 から、 8・15 に至る、激動の昭和史について、どんなふうな書きかたをしていたのか、ちょっと、確かめたい気分で読みましたが、面白かったですね。
昭和一一年二月二十六日午前五時 、 決起部隊一四八三人 はそれぞれの襲撃目標に殺到した。重機関銃、軽機関銃、小銃、拳銃、それに10万発を超す弾薬をもち、外套着用、背嚢と防毒面を携帯した完全武装である。(P15)
宮中 に事件の第一報が入ったのは、 午前五時半過ぎ 、 鈴木侍従長夫人たか からのものであった。「今、多数の軍人が襲撃し侍従長は拳銃で狙撃され重態」という。 これが始まりですね。
続いて 斎藤内大臣邸 からも悲報が。当直の 甘露寺受長(かんろじおさなが)侍従 はしばらくわが耳を疑った。多数の軍人、拳銃、狙撃と、きれぎれの言葉を口の中で繰り返しつつ事の重大性に気づいた。
軍隊が天皇側近を襲撃しているということではないか。殊によれば、宮城内にも乱入してこないでもない。
天皇 はまだ床についている時刻だが、 侍従 は、一刻も早く奏上せねばならないと、寝室に伺った。差支えない、緊急の用務ならここで聞く、との 天皇 の返事を得て、 侍従 は二本の電話の一部始終を報告した。
天皇 は静かに聞いていたが、 「とうとうやったか。自分の不徳の致すところだ」 とつぶやいて、しばし無言で立っていた。 その目に光るものがあった ことを、 甘露寺侍従 は認めている。やがて気を取り直したように 天皇 は尋ねた。
「そして 暴徒 は、その後どの方面に向かったかわからないか、まだほかにも襲撃された者はないか」
侍従 はハッとした。 “暴徒” と確かに 天皇 は言った。正規の日本軍隊ではない。 甘露寺 の頭には、この 暴徒 という言葉が強く刻み込まれたという。(P18~P19)
本庄 「彼ら行動部隊の将校の行為は、陛下の軍隊を勝手に動かしたものであり、統帥権を甚だしく犯したもので、もとより許すことのできぬものでありますが、その精神におきましては、君国を思う至情に出たもので、必ずしも咎むべきではないと思うのであります。」 何が、どうおもしろいのかということですが、ボクには、 天皇 が 「大日本帝国」 の 「王様」 であったことが、如実に露出していて、腹を立てている 人間 であることがよくわかる、まあ、いちいち説明しませんが、と感じるところですね。
天皇 「私の股肱の老臣を殺戮したのである。このような凶暴な将校など、その精神においても、どうして許すべきものがあろうか。」
天皇 「私が最も信頼していた老臣を倒すのは、真綿にて、私の首を絞めるにもひとしい行為である。」
本庄 「老臣殺傷はもとより最悪の行為でありましょう。仮に誤解してこのようなことをしたのだとしましても、彼ら将校としては、こうすることが国家のためになるとの、考えに基づくものでありますから・・・」
天皇 「それはただ私利私欲がないというだけのことではないか」
「歴史の時間に、数行で済まされた、あれは何だったんだ?」 という不可解でしかなかった 事件の現場 で聞こえてくる 孤独な王様の肉声 は、なんだか、新たな関心を引き起こしますね。
肉声の迫力 というのでしょうか。そのあたりが 半藤一利の持ち味 なのでしょうね。なんか、勘違いして煽られる雰囲気が無きにしもあらずですが、なかなか面白いですよ。
目次
Ⅰ 揺るがなかった意思:昭和天皇と二・二六事件
Ⅱ 名誉と覚悟と責任と:昭和陸軍と阿南惟幾
Ⅲ 人事の悲劇:日本海軍と堀悌吉
Ⅳ 在りし日の栄光の結末:連合艦隊と参謀・神重徳
Ⅴ 国破れて「駆逐艦」あり:太平洋戦争と「雪風」
追記
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