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「目次」 ちなみに 夏目房之介 は 漱石の孫でマンガ家 です。 早坂暁 は 「夢千代日記」の脚本家、光岡明、立松和平 は 作家 、 出口保夫 は早稲田の先生で 漱石研究者 、 関川夏央 は、うーん、何といえばいいのでしょう、まあ、 評論家 ですね。
「はじめに」 半藤一利 「漱石と旅」
「青春の彷徨」“塩原金之介と夏目漱石” 夏目房之介
〝熱狂の五十四日〟『坊ちゃん』と子規との松山 早坂暁
〝『草枕』の旅『二百十日』の饒舌、九州の漱石〟 光岡明
〝霧の中のロンドン、スコットランドの安息〟 出口保夫
〝『吾輩は猫である』の三題噺〟 半藤一利
〝足尾から『抗夫』を幻視する〟 立松和平
〝漱石の二十世紀『三四郎』と明治四十一年の東京〟 関川夏央
「おっ!これは!」 と面白く読んだ一節があるので、とりあえず、それを紹介しておきますね。
小説 「坊っちゃん」 のおれが松山を去るくだりはこうなっている。 なんか、長々しく引用しましたが、ボクが面白く思ったのは、引用部の結論部分ですね。
「其夜おれと山嵐は此不浄な地を離れた。船が岸を去れば去る程いい心持ちがした。」 ひどいもんだ。松山は “不浄の地” になっている。 「坊っちゃん」 は松山中学の生徒や、松山の人間への軽蔑と嘲笑に満ちていて、松山育ちで松山中学卒業の私には正直言ってすこぶる気分が悪い。(P39)
中略
松山人は “坊ちゃん団子” や “坊っちゃん文学賞” をつくって喜んでいると、さらに陰では物笑いの種にされているようだ。確かに松山は東京から見れば田舎で退屈で、偏狭かもしれないが、ここまでの悪態は、むしろ尋常ではない気がする。待てよ、と私は考える。 「坊っちゃん」 の中で中学校のある町に触れて、
「二十五万石の城下町だって高の知れたものだ。こんな所に住んで御城下だ抔と威張っている人間は可哀想なものだ・・・・」とあるが、松山は十五万石だ。 子規 の句
「春や昔十五万石の城下哉」 も知っているはずの 漱石 が間違えるはずもない。
宿直事件の時、中学生に向かっておれは啖呵を切っている。
「是でも元は旗本だ。土百姓とは生まれからして違ふんだ」 どうやら 「坊っちゃん」 は四国近辺の中学校を舞台に借り、、“なもし”の方言を借用して、祖国の江戸を占領した薩長藩閥政府を冷笑悪罵している小説らしいのだ。おれと組んで戦う山嵐は、ちゃんと“会津っぽ”としている。“会津っぽ”は最後まで薩長軍と戦った佐幕派である。うらなりも下宿の萩野も、善人側は零落士族で、松山藩も徳川の親藩で佐幕派だった。
伊藤整 は 「もし近代の日本文学で典型的な日本人を描いた作品」 を一つ挙げるならば、として「坊っちゃん」を挙げているが、 漱石は戦後の敗戦国の子 として、占領軍の欧化による帝国づくりに猛烈に反撥して 「坊っちゃん」 を書いたようだ。(P40~P41)
「戦後の敗戦国の子として、占領軍の欧化による帝国づくりに猛烈に反撥し」 というところです。もちろん戦争は 戊辰戦争 、占領軍は 明治の新政府 ですが、 漱石 こと 夏目金之助 が、明治の新教育制度の エリート中のエリートだった ことは常識です。 イギリス への 国費留学 、で、 ヨーロッパの近代文化との出会い の結果に生まれた 「私の個人主義」 というような 漱石理解の文脈 では、どうしても見落としてしまうのが、ここで、 早坂暁 が指摘している、その 漱石 の、もう一つ 内側にある「社会観」 ですよね。 1967年、慶応三年 生まれの 夏目金之助くん は 明治と同い年 なのですが、 明治の東京の少年 でありながら、 江戸の町のガキ でもあったというわけですね。
追記
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