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「個人」と「世界」の関係 ということになるか。個人と世界を、対立、葛藤するものとしてではなく、重なり合うものとして見る視点というか。個人の公共性と世界の個人性とでもいうか。

「ブレイン・コンピュータ・インターフェイス」 母親 はそう言った。 「運動皮質に電極とチップが埋め込まれてる」 母親は続けた。
「あんたはサイボーグってわけ」 父親 の話によれば、 アンディ はどうやら プロトタイプのアーム を装着していて、周囲もそれがちゃんと動くか注目しているらしい。
「医者は抗生物質を投与し、たまった膿を抜いた。その夜、熱に浮かされながら、アンディは自分の腕がハイウェイだという夢を見た。目覚めたときもその感覚は残っていた」
「今、アンディは道路になりたがっていた。というか、彼の右腕がなりたがっていた。アンディがたじたじとするくらい、猛烈になりたがっている。アンディの内側と外側から、言葉にならない憧れが同時に湧き上がってくる。いや、それだけじゃない。腕はただ道路になりたいのではなかった。自分が道路だと知っていた。具体的に言うと、コロラド州東部にある、二車線で長さ九十七キロの一筋に伸びるアスファルト道だ。山までずっと見通せる道だが、山にたどり着けなくても満足している。両側に家畜脱出防止溝(キャトルガード)があり、有刺鉄線のフェンスがあり、草地が広がっている。 アンディ は退院する。が、右腕が道路であることは変わらない。
アンディはコロラドには行ったことがなかった。サスカチュワン州(引用者注:カナダの州)から出たことはなく、カリガリーやウィニペグすら出かけたことがない。山を見たこともない。遠くの山々の輪郭や、顔だけ白い牛の耳についているタグの番号を口で説明できるということが、白昼夢を見ているのではないという証になった。アンディはアンディであり、道路でもあった」
「別のトラックが何台か、雪の降るコロラドのハイウェイをゆっくり走っていて、そのハイウェイはケーブルと電極によって、彼の脳からなぜか心(ハート)に達した人工の経路によって、アンディにくっついている。アンディは凍てついた自宅のドライブウェイに横たわり、両腕を脇につけて、トラックがガタゴトと次々に通り過ぎるのを感じた」 腕は、気温やら、空気中の汚染物質の濃度やらも アンディ に伝えてくる。
「アンディの場所――農場とハイウェイの両方に、雪解けは遅れて訪れた。にぎやかな春がくれば楽になるかと思っていたが、それどころか、ますます引き裂かれた気分になった」 友人の一人は、アームのチップはリサイクルされたものかもとか、新しいスマートロード(車を自動で走らせてくれる道路)用だったのかも、と言うが、真相はわからない。
「おれはここにいて、ここにいないとアンディは思った。あるいは腕が思ったのかもしれない。アンディは故郷を愛しているんだと腕に伝えようとした。そう口にしながらも、今いる場所――サスカチュワンとコロラドの両方に完全に所属したいと願っていた。こんなのはまともな考えじゃない。二つの場所で同時に暮らせるやつなどいやしない。それはジレンマだった。」 その後、腕がどうなったかは、ここでは触れない。興味のある方は図書館等で書物に当たっていただきたい。さして「劇的」な展開ではなく、しごく「現実的」な終わり方をするとだけ言っておく。
I am not your rolling wheels 和訳など不要だろうが、一応、下に。
I am the highway
T am not your carpet ride
I am the sky
I am not your blowing wind
I am the lightning
I am not your autumn moon
I am the night
私はあなたの転がる車輪ではない 「魔法の絨毯」 はふつう 「magic carpet ride」 と表現するようだが、ここでもほぼ同意だと思われる。
私はハイウェイだ
私はあなたの絨毯の乗り物(魔法の絨毯)ではない
私は空だ
私はあなたの吹く風ではない
私は稲妻だ
私はあなたの秋の月ではない
私は夜だ
追記
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