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「翻訳と魔法のあいだ」 という 副題 も誘惑的です。
この本も、若い方たちにおススメ!です(笑)。 著者 の 奈倉 有里(ナグラ ユリ)さん の プロフィール はこんな感じです。
1982年東京都生まれ。でね、 「同志少女よ、敵を撃て」(早川書房) で 直木賞 を取った 逢坂冬馬 という人の お姉さん です(笑)。
ロシア文学研究者、翻訳者、ロシア国立ゴーリキー文学大学。
著書『夕暮れに夜明けの歌を』(イースト・プレス・紫式部文学賞)『アレクサンドル・ブローク 詩学と生涯』(未知谷・サントリー学芸賞)
訳書『亜鉛の少年たち』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、岩波書店、日本翻訳家協会賞・翻訳特別賞受賞)『赤い十字』(サーシャ・フィリペンコ著、集英社)ほか多数 。
「オッ!?」 と感じたのは、たとえば、 第2章「文化の選びかた」 に書かれてるこんな文章を読んだからです。
たとえば、東京都教育委員会が2008年から配布している「日本の伝統・文化理解教育の推進」という資料がある。それによると「異文化を理解し大切にしようとする心は、自国の文化理解が基盤になって、はぐくまれるもの」らしい、なんとも不可解な説明だ。 ここで、 奈倉さん が
「不可解!」 とおっしゃっている理由、
ピン!ときますか? ボクにジャストミートしたのはそこなのですが、続けて引用しますね。
「異文化」の対義語がどうして「自文化」でも「自分の文化」でもなく「自国の文化」なのか。この「国」という概念はどこからなんのために出てきたのか。こうした箇所に根拠なく暗黙の了解のように侵入してくる概念には、およそなんらかの支配的で扇動的な思惑がある。(P56) 40年間 公立学校の教員をしてきましたが、これをいった人に出合ったことはありませんね。この文章を読みながら
ヨッシャ! でしたね(笑)。
「いかなる文化も単一ではない。雑種的(ハイブリッド)かつ異種混淆的(ヘテロジーニアス)で、異様なまでに差異化されて、一枚岩ではない」を、引用して、こう展開します。
つまり「文化」とはいろいろなものの混合物で、「異」だとかその逆に「純粋な」などという形容詞をつけるのは、撞着語法(つじつまのあわない単語の組みあわせ)なのだ。にもかかわらず「純粋」や「異」が主張されている場合、話者が意識的にせよ無意識的にせよ何かしらの「枠組み」を強めようとして、その枠組みの線引きに固執するためにそうした表現を用いている可能性が高い。文化というものはそもそも、自国/他国(異国)という線引きになじまない。そうした固執ぬきに文化を学ぶなら、教育委員会がいうような「日本人としてのアイデンティティの確立」につながり得ない。(P58) で、結論はこうです。
文化を学ぶということはむしろ反対に「○○人としてのアイデンティティ」をほぐし、解消し、もっと広い地平に踏み出すことなのだ。(P58) ね、いいでしょ。
ヨッシャ! ですね。
国とかと切り離して考えること から始めませんか。
追記
ところで、このブログをご覧いただいた皆様で 楽天ID
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