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あの人 の、自伝です。 古本屋 の棚で、何となく手に取って、何となく読み始めて、スラスラ読み終えて、
「 で、つづきは?」 でした。なんで、 つづきは? なのかというと、この作品は イギリス ですから パブリック・スクール ですが、まあ、今の 日本 でいえば 高等学校 を卒業したところまでのお話しなんですよね。
レプトン校最後の年、母に尋ねられた。「卒業したら、オックスフォードかケンブリッジか、どっちに行きたい?」当時は学費さえ払えばこの二大名門校どちらにも容易にはいれた。 「どっちも行きたくない」と私は答えた。「卒業したら社会に出て、アフリカとか中国とか、遠く離れた素晴らしい場所に行かせてくれる会社で働きたい。」(P216) やっぱり、
えらい! ですよね(笑)。 まあ、ホントは
アホか? かもしれませんけど(笑)。 ダール は、 レプトン校 という 名門パブリック・スクール に通っていて、次には、 オクスフォード とか、 ケンブリッジ とかいう、 世界的名門大学 に進学することが可能だったようですが、 就職 して アフリカ に行くというところでこの 自伝 は終わるんです。 1933年 のことですから、色んな事が今とは違いますが、ここまで、アホ馬鹿中学生・高校生の日々を夢中になって読んできた読者としては、
で、それから、どうなってん? と、なりますでしょ、やっぱり(笑)。 だから
「で、つづきは、どこに書いてるの?」 なわけです。
自伝というのは人が自らの人生について書く本のことだが、通常、そこにはありとあらゆる退屈な事柄がこまごまと目一杯つめられている。 これはそういう自伝ではない。自分自身の歴史を書くつもりなど私には毛頭ない。ただ、若き学校時代とその直後の日々には忘れがたい出来事が次々と起きた。 どれも重大な出来事ではない。それでも、そのひとつひとつがその後も決して忘れることができない強烈なインパクトを私に残した。あれから五十年から六十年経った今もその記憶が深く刻まれている。 だから、改めて記憶を探るまでもなかった。意識の表面からただ掬い取って書き留めるだけでよかった。 その中には滑稽なものもある。苦痛に満ちたものもある。不愉快なものも、だから今でも鮮明に覚えているのだろう。ともあれ、すべて実際にあったことである。 R・D 巻頭 、 目次 の次に書かれている まえがき です。実に、率直で、書き手の力量を予感させる文章ですが、読めばわかりますが、この まえがき に
「ウソ」はありません(笑)。
実際、私が セント・ピーターズ校 に在学していた四年間のあいだ、予習時間に手を挙げた生徒を見たのは二回しかない。その最初の一回はこんな具合だった。 教師 なんだ? 生徒 お願いします、先生、トイレに行かせてください。 教師 駄目だ。どうして始まる前に行っておかない? 生徒 でも、先生…‥お願いです‥‥始まる前には行きたくなかったんです‥‥そのときにはわからなかったんです…‥ 教師 それは誰が悪いんだね?さあ、勉強を続けなさい! 生徒 でも‥‥ああ、先生‥‥もう我慢できません! 教師 もう一度口を利いたら罰だからな。 言うまでもなく、その不運な生徒はズボンを濡らし、それがまたそのあと二階へ行って寮母にこってり搾られる原因になる。(P144~145) セント・ピーターズ校 というのは、 パブリック・スクール に入る前の 全寮制の中学校 のようなものらしいですが、 十代の前半の子どもたちの学校 です。で、 この本 の記述内容の半分以上が、 その学校の思い出 です。 先生や寮母 の振舞いも、 生徒 の対応も、ひどいとか、可哀想とか、いう以前に、
「スゴイ!」 ですね。 読む人の年齢によっても、様々な感想が生まれると思いますが、ボクは、 ロアルド・ダール という作家がただものではないということを初めて知りました。 自分の成育歴というか、自らが成長した学校とその時代の描き方というのでしょうか、思い出を笑い噺のように語り続けるのですが、そこにあふれる、
ユーモアを支える哀しみの深さ は、尋常ではありませんね。実に 「面白い!」本 でしたね。
「で、それから、どうしたの?」 はい、ただ今、続編 「単独飛行」(早川書房) 、鋭意探索中です(笑)。
追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で 楽天ID をお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
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