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「あれ、これって、ポン・ジュノの新作?」 「パラサイト 半地下の家族」 で アカデミー賞作品賞・監督賞 をとったのが、確か、 2019年 だったと思うのですが、 韓国 出身の監督、 ポン・ジュノ が 6年 ぶりに、なんと、 ワーナー で撮ってました。 で、見たのが ポン・ジュノ監督 の 「ミッキー17」 です。 エドワード・アシュトン という人の 「ミッキー7」(ハヤカワ文庫) という SF小説 が原作のようですが、人類が遠い惑星に移住することが可能になった未来社会を舞台に描いた ブラック・サスペンス・コメディ という触れ込みでした。 一個の 生命全体 、だから、単なる 肉体的なクローン技術 だけでなく、 意識 とか、 記憶 とかの再生が可能になった未来社会という設定で、次の日には再生できるのだから、 「死」の恐怖 もご和算にできて、
人間そのものさえも、もはや、エクスペンダブル=使い捨てに利用できる という考え方が可能な世界を描いているというわけです。 というわけで、出だしからして衝撃的でした。 氷の谷底 で目覚めた ミッキー君 の顔を覆っている氷の泥もすごいのですが、彼を助けに来たのかと思った ティモ君 がいうセリフが
「火炎放射器は無事か?ああ、ロープが短くて、お前を助けるのは無理。死ぬの馴れてるだろ。じゃあな。」 ですからね。 で、見終えて
「いいじゃん、この映画!」 と思った理由は、 三つ です。 一つ は徹底した 現代アメリカ批判 ですね。 監督 の ポン・ジュノ はインタビューとかでは
「この作品はラブ・ストーリーであって、社会批判をしているわけではない。」 としらを切っているようですが、 レーガン、ブッシュ、 そして トランプ と続く、巨大資本優先と労働者蔑視、宗教と政治の野合によって平気で戦争を肯定し、戦地での市民や子どもの死をやむなしとする正義観、まあ、あれこれ思い浮かぶ アメリカ社会のダブル・スタンダードぶり が、植民計画の マーシャル司令官 とその 妻ドロシー や、科学者たちの振舞いの愚かさによって、徹底的に暴かれていて、ちょっと、爽快ですね。感じるのは 外部からの視線 ですね。 で、もう 一つ は、 「死ぬことには馴れている」 はずの 使い捨てミッキー君 に、 命の一回性 を取り戻させるのが、 クリーパー と名づけられた 氷の惑星 の 先住動物との出会い というところですね。駆除、殺戮の対象であった、先住動物に対して、若い科学者が 翻訳機 を発明することによって、出会いが成立し、今、 アメリカ社会 が失いつつある コモン・グッド 、良識を生み出すシーンは感動的ですね。まあ、ほとんど怪獣にしか見えないのですが、
風の谷のナウシカのオーム との出会い をおもいだしましたね(笑)。 で、最後の 一つ は 命 、あるいは 生きるとは何か を問いかける筋立てですね。ミッキー17とミッキー18という、所謂、 クローン的同一人格 を、別個体として、同時に存在させるというスリリングな展開でしたが、使い捨てとしての クローン人格 については カズオ・イシグロ の 「私を離さないで」(ハヤカワ文庫) が浮かんできましたし、また、昨夏、 芥川賞 をとった 朝比奈秋 の 「サンショウウオの四十九日」(新潮社) の 結合双生児 のような、 同一個体の中の二つの人格 の問題も浮かぶのですが、どちらのパターンとも違うところが面白かったですね。 で、 映画 では ミッキー18 が、エ クスペンダブル=使い捨て とは真逆とも思える 自己犠牲 とでもいうべき 主体的な「死」 を選ぶところにドラマティックなオチを用意していて、ハッとさせられました。 クローン の 献身 という意味では、 カズオ・イシグロ の上記の作品に通底する要素はあるのですが、 同一人格の別個体 というところに、かえって
「個」として存在の意味 を問いかけられた気がしました。 まあ、出だし、呑気なSFスペクタクル映画を予想していましたが、さすが、 ポン・ジュノ監督 ですね、あれこれ考えさせてくれる面白さ満載でした。 拍手!
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