PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
季節の移りゆく空は 韓国 の人々に 国民詩人 として知られている 尹東柱 の 「空と風と星と詩」(書肆侃侃房) という詩集が 「日韓対訳詩選集」 として 2025年2月16日 に出版されたようで、 市民図書館 の新入荷の棚で見つけて借り出して読みました。
いま 秋たけなわです。
わたしはなんの憂愁(うれい)もなく
秋の星々をひとつ残らずかぞえられそうです。
胸に ひとつ ふたつ
と 刻まれる星を
今すべてかぞえきれないのは
すぐに朝がくるからで、
明日の夜が残っているからで、
まだわたしの青春が終わっていないからです。
星ひとつに 追憶と
星ひとつに 愛と
星ひとつに 寂しさと
星ひとつに 憧れと
星ひとつに 詩と
星ひとつに 母さん、母さん、
母さん、わたしは星ひとつに美しい言葉をひとつずつ唱えてみます。小学校のとき机を並べた児らの名と、偑(ペエ)、鏡(キョン)、玉(オク)、こんな異国の少女(おとめ)たちの名と、すでにみどり児の母となった少女(おとめ)たちの名と、貧しい隣人たちの名と、鳩、子犬、兎、らば、鹿、フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ、こういう詩人の名を呼んでみます。
これらの人たちはあまりに遠くにいます。
星がはるか遠いように、
母さん、
そしてあなたは遠い北間島(プッカンド)におられます。
わたしはなにやら恋しくて
この夥しい星明りがそそぐ丘の上に
わたしの名を書いてみて、
土でおおってしまいました。
夜を明かして鳴く虫は
恥ずかしい名を悲しんでいるのです。
しかし冬が過ぎわたしの星にも春がくれば
墓の上に緑の芝草が萌えでるように
わたしの名がうずめられた丘の上にも
誇らしく草が生い繁るでしょう。
(P34)
序詩 このページで始まり、90ページに渡る詩集の中で心に残ったのが、最初に載せた 「星を数える夜」 です。
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風にふきさらされる。1941.11.20
ひと握りの灰になった東柱兄の遺骨が帰ってきた時、私たちは龍井から二百里離れた豆満江沿いの韓国の土地にある上三杉駅まで迎えに行った。そこで遺骨は父の胸から私が受け取って抱き、長い長い豆満江、橋を歩いて渡った。2月末のとても寒く曇った日、豆満江の橋はどうしてそれほど長く見えたのか……皆黙々とそれぞれの欝憤をこらえながら一言も発しなかった。それは東柱兄にとって、愛した故国との最後の別れを告げる橋だった。 これが 1945年 のことだったのか、それよりずっと後のことだったのか、それは、この文章ではわからないのですが 「ひと握りの灰」 になった 詩人の遺稿 を収集することもまた大変なことだったろうと思います。
尹一柱「尹東柱の生涯」(「ナラサラン」第23集・尹東柱特集号、1976年)
尹東柱[ユンドンジュ]
1917年12月30日、旧満洲の北間島(現・中国延辺朝鮮族自治州)生まれ。1941年ソウルの延禧専門学校(現在の延世大学校)を卒業。1942年日本に留学。東京の立教大学を経て、京都の同志社大学在学中の1943年に治安維持法違反(独立運動)の容疑で捕えられ、懲役2年を宣告される。福岡刑務所に収監され1945年2月16日に獄死した。1948年遺族と友人たちにより、尹東柱が遺した詩集『空と風と星と詩』が出版された
追記
ところで、このブログをご覧いただいた皆様で 楽天ID
をお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
週刊 読書案内 アデライダ・ガルシア=… 2025.08.21 コメント(1)
週刊 読書案内 マルコ・バルツァーノ「… 2025.05.07 コメント(2)
週刊 読書案内 奈倉有里「ことばの白地… 2025.04.04 コメント(1)