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秋田にプロ野球が来るのは、通常は年にセパの2カード、4試合ぐらいだ。今年はフレッシュオールスターも来たので当たり年。パの方は、今日、楽天VS西武が開催されたものの、5回降雨コールド2対2の引き分けだった。 で、セリーグは、ヤクルトVSDeNAが8月11日に開催される。この始球式が、なんと、あの壇蜜。テレビCMでも「故郷、秋田のために一肌脱がしていただきます。どんな風に脱ぐのかはお楽しみ」とかいうのが流れちゃっている。なんでも、壇蜜様は、横手市で生まれたそうだが、すぐに東京方面に引っ越したそうで、ほとんど、秋田には住んではいないそうな。ここで、オジサンが怒るのかというと、そんなワケがない。いいじゃないか、故郷とか、そんなことはどーでもいい。なにしろ、あなた、壇蜜なのだから。その、怪しげな郷土意識利用もオジサンは許す。怪しげな秋田出身を持ち出して始球式に担ぎ出した製作者、いや、あっぱれ。もう、「じぇじぇじぇー」と喜んでしまう。 まぁ、「あまちゃん」も見たことはないし、試合にも行くつもりはないのだが、この企画は秋田県にしては「いいんでないかい」と思う。
2013.07.31
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購入してから20年以上になるのに、失くすことも無く、壊れることも無く、まだ使っている傘がある。いろんな条件が重なったとはいえ、これは奇跡的なことではないだろうか。 ところが、先日、とうとう壊れた。選炭の尖がり部分が、金属疲労でポキリと折れたのだ。だからといって傘の機能というか役目はまだまだ果たしている。これからは、家置きの傘として、まだまだ頑張ってもらおうと思う。 そこで、傘を買わなけりゃと思うのだが、どうしたらいいものやらわからない。折りたたみ傘をクルマに常備するのがいいものやら、ビニール傘で十分なのか、なんとも判断が着きかねるのだ。どーでもいいような悩みではあるが、これ、どうしましょう。
2013.07.30
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演目は次のとおり。一席目 立川こはる 転失気二席目 柳家一琴 もう半分三席目 立川こはる 風呂敷四席目 柳家一琴 夢見の八兵衛 こはるは、3回目だが今までは独演会だったので、目いっぱい長い噺を熱演してくれたが、今回は、一琴師匠の胸を借りるということで、短めの二席だった。それでも青森のファンには十分にインパクトを残したのではないかと、私は思う。 一琴師匠は初見。「もう半分」は古今亭今輔のCDで聴いたことがあったが、なんとも暗くおどろおどろしい怪談噺を見事に演ってくれた。これだけでもお得なのに、「夢見の八兵衛」は全くの初見。手ぬぐいの使い方だけでも一見の価値あり。こんな実力者がいたことを知り、その師匠がこんな噺を演ってくれるのも地方寄席ならではないか。席亭にただただ感謝します。
2013.07.29
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今日は、すっかり恒例のシネマディクト寄席。これで10回は来ているだろう。いつものとおり、昼過ぎに家を出て「青森まちなかパーキング」に駐車して、「まちなか温泉」でゆっくり汗を流し、6時に入場するのだが、今回はちょいと事情が違った。前日は秋田市で同窓会があって、そこのホテルから出発。しかも、新車の軽自動車では初の県外、高速、遠出と、いろいろ新たな条件が重なったが、無事終了。演目については、明日詳しく書きたいと思うが、これは中身が濃かったし、いや、満喫させてもらいました。 青森・秋田限定の立川こはるストーカーとしては、もう、満足で、初めてのお客さん、どーです、とか言いたい気分。柳家一琴師匠は、本当に失礼なのだが、いや、存じ上げませんでした。ちょっと、凄かった。初見の二席目は、うれしかった。 ただ、お客さんの入りが50名そこそこだったのは、残念というより、つくづくもったいなかった。こはるさんはストーカーなので行きますが、一琴師匠にも必ず行かなくてはと思った私です。
2013.07.28
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初めての給油をしたが、あっけないほど少ししか入らない。軽なので、しょうがないのだが、どれだけ走るのか不安だ。高速を走ってみた、といっても一車線高速なので、本当のところはわからないが、まぁ、なんとか他のクルマに迷惑をかけない程度には走れた。しかし、そこは軽なので、おのずとおとなしい走りになった。年齢相応ということでこれも良しとしよう。明日は本格的な高速を走るので燃費の方もちゃんとしたところがわかりそうだ。 カーナビは、やはり進化しているようで、つかいではいい。時刻が見やすくなったり、到着予想時間がかなり正確になった。「ここを右に曲がります」とかのアナウンスのタイミングも確実に良くなっている。7年もたてば当たり前のことなのだろうが、すごいものだ。
2013.07.27
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かなり忙しい週だった。クルマは替えたし、飲み方はあるし、落語はあるしということで、大変だった。 実は明日というか今日になったが、秋田市で同窓会があり、翌日は青森で落語。来週も仕事のイベントや飲み方が続く。ここのネタには困らないのだが、書き込みの時間が無い。 で、気が付くと、7月が終わり、お盆に突入し、子供たちが帰ってくる。嫌いじゃないけど、これは忙しい。それでも、夏バテのかけらもないのだから、どうしたものか。
2013.07.26
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今日は、久々の飲み方。それも、お隣の能代市で。職場の関係者の集まりである。 最近は、仕事関係の飲み方がでは、自分より年上がほとんどいない。これは、なかなか苦しいことだ。昔は、最初から最後までいるのが当たり前で、記憶が無いくせに翌日の集金をやっていた。しかし、今では、どの辺でその場を去ればいいかを考えてしまう。 訳の分からぬほど泥酔した上司が3次会、4次会まで残っているのは、部下にとっては、辛いしはた迷惑なことだった。だからこそ、上司でいるしかなくなった場合、自分がいくら楽しく飲んでいても、帰るべきだと思う。だが、このタイミングが、また、難しい。酔いの具合との相談もあるし、別に、面白くないから席を立ったのではない、というのも示しておきたい。 だが、まぁ、残った若手にとっては、そんなのは、どーでもいいことで、あれ?アレはいついなくなった?とかで、こちらが気を使っているなんぞ、気にもしていない。私の年齢になったら、お前らにもわかるかもしれない。と、だけ愚痴って、今日は寝よう。
2013.07.25
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ちょっと前までは考えられないぐらい、秋田で落語会が開かれる。私にとっては、この上なくうれしいことだ。これも、大館のHさんをはじめとした、「秋田で落語を」という思いで地道に頑張ってくれている席亭の方々のおかげである。今や、確実に寄席のある都会よりも、充実した落語ライブが、秋田県に居て観賞できるのだ。自称、秋田県で一番落語ライブに通っている男である私にとっては、この上ない喜びである。 自分が、ほとんど独り身のような気軽な状態なので、時間さえ合えば、何処へでも行ける。さして聴きたいとは思わなくても、席亭の皆さんに感謝したいという気持ちから行ってしまう。だが、めったにというか、ほとんど友人や知人を誘うことはない。女房も彼女もいないし、子供たちも家を出ているので、自分のチケットしか買わない。で、落語が好な友人、知人を誘うしかないのだが、それもほんの数人で、無理強いはできない。現に、このブログでも、落語ライブがテーマの時は、読む気がしないとの声も聞こえてきた。そういうこともあり、「こんなのがありますよ」と声をかけるだけ。 それが、昨日のブログに、うれしいコメントをいただいた。いやいや、こちらこそ、ありがとうございます。
2013.07.24
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実は、この落語会、秋田県北部男女共同参画センターの平成25年度女性チャレンジ事業という少々お堅い企画。しかし、無料で話題の二つ目の噺が聴けるとあれば、休みをいただいてかけつけた。 最初は、「私らしく輝く」~落語に生きる女子の挑戦~ と題しての講演。 講演といっても、そこは落語家さん、いつもの高座から長い枕のような語りだったが、これは、めったに聴けない、こはる一代記の序章ということで面白かった。こはるの立場から見た、大師匠の談志、師匠の談春、そして女流から見た若手落語家など、新鮮で面白かった。 その後、ここはいかにもお役所的なのだが、意見交換会。客は50人ほどだったが、そのほとんどが年配のご婦人だったので、質問ややりとりも、私には、ちょっとものたりなかった。働き盛りの若い女性がいたならと悔やんだのは、私の個人的希望でしかないか。 最後に続けて二席。「真田小僧」と「不動坊」。師匠直伝ということで、二つ目の実力者の面目躍如というところだ。こころなしか、以前より声が枯れていたようで味が出てきたか。女流だというのを忘れてしまう一瞬もあり、これは楽しみ。ちょっとお得な気分だ。
2013.07.23
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燃費と維持費が安いというのが軽にした最大の理由なのだが、今の軽自動車には、もれなくというほどアイドリングストップという機能が付いてくる。ようするに、停車するとエンジンが停止するのだ。アイドリングストップ導入の始めは、バスだったように思う。そのバスに初めて乗った時には、たしか仙台だったか、停止と始動の繰り返しがなんとも不安で、大丈夫か、これはとか思った気がする。で、これが本当に省エネになるのか、こんなのは普及しないだろうと勝手に決めていたのだが、自分のクルマで体験してみると、やっぱり進歩していると実感した。まず、停止・始動のノッキング感がほとんど無くスムーズ。いやおうなしに省エネ運転を実践している気分には浸れるし、急発進ができないので、そこそこおとなしい運転になる。 高速走行時なんかは、この機能を解除することもできるので、この週末にはちょっと遠出して、その辺を試してみようと思う。
2013.07.22
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老後は軽でも十分ということで、買ったN-BOXだが、ちょっと遠乗りをしてみた。そんなに狭さは感じないが、やはり馬力は少々劣る。これはしょうがない。それにしても、たかが7年で、クルマもずいぶん変わるものだ。まず、キーがカギではない。なんのことかと思われるかもしれないが、スマートキーとかいうのは、どうも馴染めない。便利なことは便利なのだろうが、エンジンをかける時に、「キーを回す」という表現が無くなるのは何とも寂しい。しかし、すでに「ギアチェンジ」というのも死語になっているのだからしょうがないことなのか。 もう一つ驚いたのは、スペアタイヤが無くなっていたことだ。なんでも、「パンク修理応急処置キット」とかいうのが入っていて、パンクの時にはそれを使うんだそうだ。パンクした時に、使いこなせるかというと、ずいぶん不安だ。 望んだわけではないが、巡り合わせで、ようやく時代に着いていっているという、妙な体験をしてしまっている。それが実感だ。
2013.07.21
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久々に大きな買い物をした。今日はN-BOXの納車日。軽に乗るのは久しぶりだが、10年以上前とは、かなり状況が違う。ETCはともかく、ナビとオーディオは格段の進歩だ。使いこなすには、かなりの勉強が必要なようだ。 で、モビリオとはお別れだった。彼の行く末は、今後の整備工場でのメンテナ結果しだいだという。なんとか、もう少しでも走り続けて欲しいと祈るだけだ。また繰り返しになるが、やたら酷使したのに、ほとんど洗車すらしてやらず、出鱈目な扱いをしてしまった。今度のクルマは、今は終のクルマと思ってはいるので、反省の上、なんとか大事に乗りたい。 モビリオ様、2006年9月末日から2013年7月20日まで、ご苦労様、ありがとうございました。
2013.07.20
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今年もプロ野球のオールスター戦が始まった。交流戦があるようになってから、昔のように興味がわかない。実際、面白くない。なにせ、お祭りで真剣勝負ではないのだから当たり前だ。これを、あと2回もやるというのだ。いらないなぁ。なんか、震災前は3戦を減らすはずだったが、震災復興の一環として被災地で開催するとかで、そのままになったような気がするのだが、なら、被災地で1戦だけにした方が価値観が上がるのではないか。だいたい、時期が悪い。交流戦の後、お疲れ休みがあって、ちょこっとペナントレースに戻り前半戦終了、で、またオールスターのお祭り休み。これはどうも、中だるみの二段重ねみたいで、どーにもなじめない。どうせなら、前半戦終了後、オールスター戦、次に交流戦、そして新たな気持ちで後半戦というのがスッキリすると思うのだが。 ジュニアオールスターは3戦やってもいいが、オールスターは1戦だけにした方がいいと思うのだが。。
2013.07.19
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ホンダ車には愛着がある。最初にシビック、次がクイント、次がちょっと浮気してダイハツのシャェード、そしてステップワゴン、モビリオと乗り継いできた。女房が乗っていたライフやシティのホンダの軽にも乗っていた。ホンダは、なかなか生意気なメーカーではあるが、昔はトヨタ、日産に向かっていく気概が好きだった。「ウチは、技術では負けないよ」というようなプライドが好きだった。いや、今も、それに魅かれている。 人によっては、車格とかステータスに拘る人もいるし、走りがどーのとか言うドライバーもいるが、そこのところはほとんど拘りが無い。で、次は軽自動車にした。今、人気だというN-BOXだ。ステップワゴン、モビリオ、N-BOXと色は黒で箱型2ボックスで、一回りづつ小さくなっていく。 今度こそ、もうちょっとクルマを労わり、かわいがらなくてはならないと、今は思っているのだが、だらしない性格なのでどうなるものか。まぁ、そんな時は、このモビリオの末路を思い出して、もう少し大事に乗らなければ、と、今は思うのだが。
2013.07.18
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言い訳になるが、我が家には車庫が無い。したがって、歴代のクルマはすべて野ざらし状態。洗車する気も起らない。案の定、2年前ぐらいから、雪融け後に足回りやドアの下の方にサビが出てきた。やたら高速を走ったということもあると思うのだが、こうなったらガタが来るのは早かった。子供たちが家を出た後は、たまに母が乗るだけとあって、履き替えの靴が何足も乗せたままの走る下駄箱状態だった。走行距離と痛んだ外観から、もはや下取りは望めず、車検さえも危ういような有様である。すべて、私のだらしなさのためで、もっとちゃんとメンテナンスなんかをやっていれば、あと2年は乗れたのにと思うと残念だ。深く反省して、モビリオの冥福を祈りたい。すまなかった!
2013.07.17
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クルマを買い替えることになった。今乗っているモビリオは、2006年9月に購入、7年弱で218000キロ以上を走った。どうせなら、222222キロで終わりたかったが、車検が迫っており、そうもいかなくなった。 このモビリオには本当に愛着がある。まず、初めてナビとETCを付けた。これは、ちょっと考えられないぐらいに便利なものだった。ナビについては、何回も書いているが、走った歴史が保存される、今でも手放したくはないメカだった。家を出た息子や娘のアパートや、買い物先など、今後二度と行くことはないだろう場所にも行った。フェリーにも2回乗り、母を載せて夕張にも行った。ナビの記録と一緒に記憶さえなくなってしまうような気がして悲しいのだ。思いがけぬ長距離通勤と単身赴任でETCも、自分でも驚くほど使った。だったら、もう少し労わって、丁寧に乗っていればと、今更ながら悔やむのだ。
2013.07.16
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何の変哲もない夕張の風景を描き続けた夕張画伯 畠山哲雄。この偉業を埋もれさせたくはないと思いここに書いてきた。今、夕張市に、夕張の最盛期の写真や記録が、どれぐらい残っているだろうか。私たちが住んでいた炭鉱住宅の街並みの写真は、どのくらい残っているのだろうか。廃校校舎はもとより、その歴史さえ保存できていない夕張市であるから、風景の絵画を保存しているだけでも、それは評価しなければならない。 畠山画伯も、晩年には、夕張の様変わりを目の当たりにして、なおさら使命感に駆られたのではないかとは思うが、若い時からそれを描き続けたことには、何か畏敬の念を感じてしまう。凡人の私には、画伯が何かの天啓を受けてこの偉業を成し遂げたように思えてならないのだ。 今の夕張市や夕張市民にとって、過去の街並みや風景が、そんなに大事かというとそではないことは私もわかる。だが、過去の夕張の住民が、画伯の絵を目にして、そこに昔の夕張を感じた時の喜びと感動を、その可能性をなんとか残しておきたい。立派な美術館ではなくとも、画伯の作品や昔の夕張を偲べる場所を儲けてはもらえぬものだろうか。 はなはだ不確かで中途半端ではあったが、夕張画伯 畠山哲雄の業績を称え、より多くの人が画伯の作品を目にすることを祈って、一応、このテーマをしめたいと思う。
2013.07.15
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秋田駅の裏に「秋田拠点センターALVE(アルヴェ)」という、かなり立派な建物が有り、そこの連休企画で開催された落語会。ネットで申し込み、当選すれば無料ということで、さっそく申込み、今回は見事当選ということで行ってきた。演目は、次のとおり。1席目 演題不明:落語会などの裏話2席目 竹の水仙3席目 演題不明:医者のがん告知の新作噺 200人以上の客席はほぼ満杯。やはり、秋田市の方が多いのだろうが、あきた寄席、愛喬会、ABS特選とも、微妙に客層が違うような気がする。よくお会いする知った顔もちらほらだが、なんとなく、そこはかとなく、アカデミックな雰囲気。 勢朝師匠は、なかなか達者なのだが、私のわがままを言わせてもらえば、一杯飲みながら、本音を聴けたら、もっと面白い、というタイプではないか。堪能いたしました。
2013.07.14
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早いもので、三若師匠が秋田住みます芸人として秋田に来てから2年と1カ月だという。この情熱ひとり会も9回目、都合で2回ほど来れなかったが。演目は次のとおり。1席目 カルシウム不足夫婦2席目 ドメスティック マスオさん3席目 饅頭こわい 1、2席は新作で、1席目は最初に聴いた師匠の新作で、私はお気に入り。聴けて良かった。今回のゲストは、ABSラジオの番組「桂三若の大好きあきたの海」から、海関係者の3人の男性と、八重樫葵アナ。八重樫アナは、天然なのにノープランで笑わせてくれた。これは、これで、困ったもんだが、面白かった。次は、記念の10回目ということで、11月10日に決まったようだ。師匠の秋田の落語に対する貢献度には頭が下がる。行きますとも。
2013.07.13
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書き漏らしてしまったが、夕張画伯 畠山哲雄氏は、1984年に夕張市市政功労者表彰を受賞している。そして2001年には夕張市美術館で追悼展が開催されている。夕張市も画伯の業績を認めているのだが、皮肉にもその夕張市美術館はもうない。 画伯の絵は、たとえば「夕鹿の湯(旧ユーパロの湯)」など、夕張市内の縁の施設で観賞できる。また、1978年に限定発行された、画集「絵のある夕張」やポストカード画集「畠山哲雄の水彩画」第1~5集も発売されてはいたが、現在については定かではない。 私と同じ頃、夕張に住んでいた方には、是非とも画伯の作品を鑑賞していただきたい。
2013.07.12
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畠山哲雄氏はその後も、黙々と夕張を描き続けた。人口は減り続け、画友も夕張を去っていった。あえて書かせていただけば、けっして経済的に余裕があったわはないだろうが、家族の協力を得て夕張を描き続けた。夕張から炭鉱が無くなっても、炭住が消え去っても描き続けた。そして平成11年(1999年)最後まで筆を止めることなく6月18日、逝った。まさに「夕張画伯」の名にふさわしい最期だったと思う。 道展をはじめ、数々の絵画展に入賞し、昭和49年には夕張文化協会賞を受賞しているが、氏が一番うれしかったのは、夕張市美術館に300点以上の作品が展示されていたことではなかったろうか。2006年には夕張市が財政破綻、美術館も閉鎖がうわさされたが、なんとか移転存続していた。しかし、昨年、2012年に積雪のため崩壊し、現在は解体され、展示・収蔵されていた作品は市役所に移されたという。残念ながら、今の夕張市には、美術などの文化を守る財源は無いということだろう。
2013.07.11
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昭和46年(1971年)Yちゃんのおじさん、こと畠山哲雄氏は、合理化により北炭を解雇された。親子二代にわたり会社に貢献した職員をリストラする。それほど北炭は、炭鉱産業は、夕張は斜陽化の坂を転げ落ちていた。山の斜面に所狭しと建てられていた炭鉱住宅は、便の悪い上の方から住む人がいなくなり、全てがマンモス校だった小・中・高の学校はみるみる生徒が減り、合併や廃校がすすんでいった。そんな、人口流失が続く夕張だったが、それでも、畠山氏は他に職を探し得て、夕張の景色を描くことを止めなかった。 その頃高校二年生だった私は、夕張や親の勤務先である北炭の衰退を目の当たりにしながら、能天気に青春を謳歌していた。自分のことでいっぱいで、親のことすらちゃんと考えることもできないのだから、妹の親友の家のことなど考えもしなかった。 話はちょっと外れるが、私が大学の三年生だった昭和53年に、私の父も北炭をリストラされている。毎日のように通っていた学生街の喫茶店のピンクの公衆電話で、その知らせを母から聞いた時、私は泣いていた。自分でも訳が分からにままに、電話口で大泣きしていた。あれほど実直に勤務していた父の無念を、どこかでわかっていたからなのだろうと、今は思う。 そして、今さらながら、ここまで夕張を愛し、その風景を描き残してくれたYちゃんのおじさんに感謝し、深く敬服する。
2013.07.09
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私が小学校2年生の昭和37年だったと思う。我が家は旭台という高台から、福住一区に引っ越した。引っ越し先は当時は最先端だったブロック住宅。そのすぐ上の住宅にターちゃん一家が住んでいた。そしてそのもう一つ上の住宅に畠山哲雄氏の一家が住んでいた。畠山家の一人娘のYさんと、私の3歳下の妹が仲良しで、毎日のようにどちらかの家で遊んでいた。二人は幼稚園時代から今に至る親友ということだ。だから、私にとっては、畠山画伯ではなく、Yちゃんのおじさんだった。 Yちゃんのおじさんは、休みの日には路上の片隅に陣取り、沢向かいの社宅やズリ山なんかの油絵を描いていた。珍しかったので、「おじさん、それ宿題?」とか「でっかい絵具だね」とか、話しかけては政策の邪魔をしていた。画伯は、静かにやさしく、そんなガキの相手をしてくれた。 そこには小学校卒業までしか住んでいなかったが、今思ってみると夕張にとって偉大な業績をのこした画伯の制作現場を目の当たりにしていたのである。ひょっとすると、あの時画伯が描いていた作品が、50年の時を経て私の元に届けていただけたと思うと、それだけで感慨深いものがあるのだ。
2013.07.08
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畠山家が長男の職員登用で引っ越した社光の沢向かいの職員住宅は、多分、福住一区だと思われる。なにせ、私は生まれてもいない時期のことで、しかも、その頃の夕張市は、炭鉱景気で、そこらじゅうの山の斜面に段々畑のように住宅を建てまくり、それでも足りなくて新たな土地を開発したりと、今からは考えられないような活況だった。だから、本当のところは良くわからない。 畠山氏は、職員となってからも地道な創作活動を続けており、昭和22年には道展に初出展し入選を果たして、以後毎年のように入選している。さらに昭和30年には日展に入選と、画家としては申し分のない実績を積み重ねていた。さらに、個人的な活動ばかりではなく、地域や職場での絵画に関する活動を続けていた。同じ年には最愛の父を炭鉱事故で亡くすという不幸もあったが、その描くテーマは、一貫して夕張のなんの変哲もない風景だった。
2013.07.07
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畠山氏は、中学卒業の若干15歳で父の勤める北炭(北海道炭鉱汽船株式会社)に坑員として就職した。大家族の長男として、進学をあきらめての決断だったと思う。氏の凄いところは、過酷な炭鉱勤務をこなしながらも絵を描き続けたことだ。絵を愛する先輩や仲間たちと活発に活動していたという。 さらに驚くべきことには、就職からわずか5年目(昭和21年)に坑員から職員に登用されていることだ。北炭では、従業員を坑員と職員に明確に区別しており、坑員から職員になることは、かなりの大出世だった。まず、職員になるためには鉱山技術員養成所で学ばなければならなかったし、そこで学ぶメンバーに選ばれることさえ大難関だったはずだ。なにしろ、坑員と職員は、居住区、住宅、銭湯も別であり、給料日とその受け取り方も区別されていた。したがって、畠山家は、沢向かいの職員住宅へと移り住むことになる。この時の父上や畠山一家の喜びは計り知れないものだったのではないだろうか。
2013.07.06
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畠山哲雄氏は、大正15年(1926年)、夕張市の斜坑(後に社光)で坑内夫の父と選炭工場で働く母との間に、6人兄弟の長男として生まれた。私の父と同じ年齢だったと、今更ながらわかった。社光は私が小学校卒業まで住んでいた福住1区の沢を挟んで真正面の地域である。当時は、山という山の斜面に所狭しと棟割長屋の炭鉱住宅が建てられていた。 小学校5年生の時に、担任の先生が「つくし会」という図画クラブをやっていて、そこに入会し、絵に強い関心を持ち、全国的な絵画コンテストに入賞してその才能の片鱗をみせた。この「つくし会」には、小学校時代の私も入会していた。だから、畠山氏は私と同じ夕張市立第二小学校かその前身の小学校出身なのだと思われる。少なくとも、「つくし会」は第二小学校がなくなる昭和50年代まで存続していたのではないかと思う。 ほんの書き出しの段階で、一方的ではあるが、畠山画伯とは、いろいろ縁があると感じてしまうのだが、この後、もっと別の形で画伯と知り合うことになろうとは思ってもいなかった。
2013.07.05
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私は美術というか絵画に対しての知識はまったくない。したがって、美術館にも興味が無く、巨匠の名前と作品だって人並み以下しかわからない。無論、良い絵画、高価な絵画の判別など出来るわけもない。そんな私が絵画やその作者について語る資格が無いことは十分にわかっているのだが、こと、畠山哲雄画伯については、何かを書いておかなくてはならないと以前から思っていた。 畠山哲雄画伯は、「炭鉱(ヤマ)の画家」とか「郷土の画家」と呼ばれて称賛されてきたが、私にとっては「夕張画伯」である。その作品は、ほぼほとんどが夕張の何の変哲もない風景である。しかし、その絵は私の様な夕張育ちの心に沁みこむ。その絵が、今は無い炭鉱住宅の風景だからというのではなく、今も変わらぬ山並みやズリ山の絵でさえ、育ったころの夕張の匂いがしてきてせつなくなるのだ。 今後、「夕張学 創刊号」 源藤隆一氏の「炭鉱の画家 畠山哲雄の足跡」という記事を引用させていただき、私の身勝手な想いを書いていきたい。
2013.07.04
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パンダのシンシンは、それにしても人騒がせだ。というよりも、マスコミが騒ぎ過ぎで、彼女としてもいい迷惑だろう。インタビューを受けた地元商店街の方々も、なんとなく面目ない思いをしていそうで気の毒ではある。 それに比べてすごいのが、安藤美姫さんだ。失礼ながら一時はパンダ並の人気を誇りながら秘密裏に妊娠どころか出産までこなし、しかも「父親はだーれだ」というのは、これはなかなかスゴイ!今、参議院にでも出ればトップ当選間違いなしだ。 それにしてもだ、ひょっとしたら「恥ずかしいので、ほっといてもらいたい」と思っているかもしれないパンダの妊娠を、あまりに先走って報道するのは、これはいかがなもんだろうか。そして、「父親はナイショですが、実は、子供産みましたけど、また選手やります」というのを、ただ驚いたという論調であまりにも大々的に報道するマスコミというのも、なんだか信用できない。ま、それを、腹いっぱい面白がっている私なのだが。
2013.07.03
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私にとって初めてのカーナビだったこともあり、これには本当に世話になった。初めて首都高に乗ったし、フェリーで夕張にも行った。子供たちが新しく暮らす知らない土地にも、迷うことなく行けた。そして、オーディオ機能も長距離通勤ではなくてはならないものだった。だから、カーナビに残してあるマークや履歴やCDデータをなんとか残したかった。クルマの中のマイコンピュータが私の位置づけだった。 しかし、メーカーは、カーナビをオプションの一つとしてしか考えていなかった。一般のカーユーザーも、ほぼそう考えているようで、私は完全に少数派だった。このメーカーの対応には理由がある。まず、カーナビがいまだに進化を続けていることだ。記録媒体だけでも、CD、DVD、ハード、ミニディスクと代わってきている。さらに、メーカー標準装備に遜色ない別売りがあり、今ではスマートフォンでもナビは可能だ。だから、カーナビはクルマの一(イチ)オプションに過ぎず、これに重きを置いてクルマを購入しようとする私の様な客はごくごく少数派だとわかっているのだ。
2013.07.02
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クルマを買い替えることになった。これについては、後からくどくど書くつもりだが、で、とにかく、カーナビも替えなくてはならない。当時(2006年)の純正カーナビ特別仕様モビリオのカーナビは、もちろん当時の最先端。ハードディスクに100枚以上のCD録音が可能で、よく聞く曲のベスト50を選んでくれるというおまけつき。だから、借りたCDを、どんどん入れてあった。長距離通勤が長かったこともあり、落語のCDも30枚近く入っている。これが、惜しいので、なんとか、ハードを移し替えられないかと、いろいろやってみた。最後には、新車に、この古いカーナビを移して欲しいと懇願したのだが、どこでも誰でも、「そんな、馬鹿なことはできない」とか「絶対無理」とのお答え。諦めるしかなかった。
2013.07.01
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