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「どうして今ここで、こんな話しをしているのだろう‥」友達へのアドバイスをしているのだが電話を切ってから、ふと、疑問を感じたその友達とは、長い付き合いであるだからといって、頻繁に会っているわけでもなく何年かたって、忘れた頃に連絡がくることもあるでも、会っていない間のブランクを埋める必要もなく即座に必要な話しに、入っていけるのだ今、色々な問題をかかえているところのようで何か突破口は無いかと、電話をしてきたのだ私はカウンセラー関係の本を、何冊か読んでいたのでその本からのアドバイスと、今習っているヒプノ関係で実践したほうがいい行動をアドバイスした何故今このタイミングで、向こうに問題が起こっていて何故今私が、解決の道を話しているのだろうかこれが半年前だったら彼女の身に起こってきた問題への適切なアドバイスは、出来なかっただろうと思うそう‥ 聞いてあげることはできても解決策が幾つか有ったとしてもより適切なものではないだろうと思う一つ一つが、絶妙なタイミングで起こってくる「どの時点から仕組まれているの?」 と言いたくなってくるでも考えようによっては、流れに任せておけば私に問題が起こってきても、必ずそこには解決の道が有る‥ということになる必ずそのタイミングで、別の人との出会いが待っているだろう勿論出合いは本かもしれないし、インスピレーションかもしれないでも分かっていることは解決への道を、絶妙なタイミングで指し示してくれるだろうということであるレイキの臼井先生の言葉‥ 「心配すな」 であるこの宇宙のからくりを (法則) 沢山の人に伝えていかなければ‥また新たに、心が引き締まる思いである
2010年11月30日
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今回、ヒプノの中級の勉強に行って先生から、私の自信に繋がる話しを伺うことができたそれは初級でご一緒した人からの、フィードバックであった私がセラピスト役になって、彼女に行なった暗示があるのだがその暗示を、受け入れた行動をしているというのだどうしてそういう行動をするのか、理由は分からないが何故かその通りの行動をして、良い結果が出ているらしいヒプノを勉強した当事者だというのに良い結果が出たことが、信じられないという かく言う私も、「へぇ~、私の暗示がねぇ‥」最初に先生から聞いた時の、私のリアクションであるヒプノは、潜在意識に訴えるものであり本人が望まないものは、暗示として受け取らないだから、本人が望んでやっていることであるでも、あの暗示で? あのたった一回の暗示で?暗示をかけた私自身も、半信半疑であるヒプノの素晴らしさは、面談の時の本人の気づきにあるそれを感じているから、勉強しているだから暗示に対しては、私自身が期待していないところがあるそれで自分のリアクションも、感動しないものになってしまったでも、どうやら暗示は素晴らしいもののようであるな~んて、今頃? ‥だよねぇこれって、レイキが自分で感じられない人が人にヒーリングしたら、感謝されたというようなもの?実践の積み重ねで、理解できていくものかもしれない人の役に立てるって、気持ちがいいよね私の自信にも繋がったし、嬉しい報告を受けることができた彼女は今回、中級には進まなかったけどヒプノの良さが分かったわけだから、きっとまた会える事だろう会える日を楽しみにしている
2010年11月29日
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夫婦の代理戦争を子供がしている、‥今読んでいる本の内容である最近カウンセリングに関係する本を、何冊も読んでいるヒプノを勉強しだして、こちらのほうに意識がいっているのだ以前、心理学の勉強をした時、これは占い師と対峙する内容で私がこちらの世界にくるのは、難しいと考えていただから一通りは勉強したものの、それを生かす方向には動かなかったそれがヒプノを勉強して、カウンセリングの道に興味を持ったのであるそれは従来のカウンセリング方法と、違っていたからだ原因から入るカウンセリングではなく、未来を見据えたものだった原因は? というと、原因の特定は必要としないものである結果の前には必ず原因が有る、という考え方できた私にとってもこれは、新鮮な考え方であった何か家族に問題が発生すると (例えば登校拒否の子供)家族が、誰に原因が有るのかと犯人探しになってしまうそして、その原因が自分ではないかとそれぞれが、自分を責めたり、或いは相手を責めたりと結局何の解決も無いまま、悪循環を繰り返してしまうのだ原因の特定は必要としないただ、解決すればいいのだから‥ というものである米国の高名な家族療法家、S・ミニューチンの文献に次のような記述がある 夫婦の葛藤を母親が父親と娘との葛藤に変化させることによって 夫婦は葛藤を迂回させる。 子どもを通して夫婦間の話し合いをすることは、夫婦のサブシステムが いかにも調和しているかのような錯覚を起こさせる。 夫婦は自分たちの問題を子育ての問題へと迂回させ 子どもの逸脱行動を強化する。 こうした両親の迂回は、子どもを攻撃する形をとったり 子どもを病気で弱いものと見て、保護するために結合したりする子どもは両親の喧嘩を仲裁する為に、病気になったりするのだ病気になれば両親も、喧嘩している場合ではなくなるだから子どもは、健康になれないのだ健康になったら両親が喧嘩して、もしかしたら離婚するかもしれない病気で居ることが、子どもにとって必要不可欠な事態となってしまっているだから家族ぐるみで、問題に取り組まなければならない子どもの病気が、必ずしも子どもだけの問題でないという事例である
2010年11月26日
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テレビの 「ナニコレ珍百景」 で見たのだが秋田県の投稿者で、「しゃべるガードレール」というものだったガードレールがしゃべる? しかも喋るのは夜中である勿論、受信機もスピーカーも付いていないそのガードレールが有る場所に、昼間行くと近くに、ラジオの電波塔があるどうやらこのガードレールは、ラジオの電波を拾っているらしい良く聞いてみると、AMラジオの電波を拾っているようだでも何で? 受信する道具が何にも無くても拾っちゃうの?解説によると、AMラジオは電波を強弱して送信するようだ電波の強さを変化させながら、放送しているというその為に、電波が空気を振動させてその結果、木の葉や金網から音が出ることもあるらしい夜に受信するのは電波の種類が少なくて、受信しやすい為だという昼間は携帯電話とか、無数の電波が飛び交っているので受信が難しいようである木の葉が、電波を拾うということ‥私達の体も、電波を拾ってしまうよねよく言われるのが、電子レンジの電磁波‥携帯電話も、当然電波を拾っているし‥ テレビもパソコンも‥本当に電波が無ければ、生活できないみんな見えないものなのに、信じている同じ見えない、エネルギー見えないものだけど、レイキエネルギーは信じられるのかまぁ、私の場合考える余地が無いレイキエネルギーの存在感が、有りすぎるからだ質量として理解させられているからねぇ‥表裏一体、全ては必要であり不要である必要である限りは、不要な部分も認めていこう
2010年11月25日
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泊まっていった彼女を、バス停まで送っていって私は近くの喫茶店へ入った午後から、別の人が来るのでこのままここで、お出迎えをすることにしたのだ午後からの彼女は、私と話しがしたそうだったので「ヒプノの練習に付き合ってくれる?」 と言ったら喜んで来てくれたのだ私はこの彼女で、復活をした (早っ!)滅茶苦茶落ち込んでいたのが、うそのようだった彼女には、暗示文がしっかりと入っていったしかも、彼女自身面白い体験をしたのだ私は暗示が終わり、催眠から目覚めさせる言葉を話し始めたゆっくりと催眠から戻ってきてもらう、段階を踏んだ言葉であるにも関わらず、彼女は目をパチクリと大きく開いてしまい一気に現実の世界に、戻ってきてしまったのだこれには私もびっくりした「私、寝ちゃった? いやだ~別のことをしていた~」何? 何? 何事?? ‥私にはさっぱり分からないどうも話しを聞くと、暗示を聞いている途中で自然に聞こえなくなり、(だから本人曰く、寝たのか?‥と)それに代わって、姿形も分からないものと話しをしたというのだすると途中で、私の 「ゆっくりと目覚めていきましょう~」 という言葉が耳に入ってきて、私の言葉を聞いていない自分にびっくりして一気に現実世界へ、戻ってきてしまったのだう~む、それはきっと、ガイド? 守護霊? ハイヤーセルフ?お話ししたのねぇ‥ 羨ましい~でも、どんな姿をしていたのか? どんな話しをしたのか?全然覚えていないらしい ‥チョッと残念☆でも、上出来だと思ったヘミシンクでこの状況を作り出すのが、どんなに大変か‥左脳人間は、ここに苦労するのだでも彼女は、そういうことに慣れていないものだから相当びっくりして、目がまん丸になっていた面白い~ もっとヒプノを勉強しよ~っと!確か午前中は落ち込んでいたはずなのに、午後には復活単純な私だ (ーー;)
2010年11月24日
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エドガー・ケイシーに一緒に行って、泊まっていった友人が居る何というかなぁ~、私は彼女の意見を聞くのが好きだ私は、左脳的な発想になりがちだが右脳的な発想をする彼女の意見は、非常に参考になる性格的にも違いがあって、思わぬ意見を聞けることがある私はこれと思うことができると、とことんやってしまうので突き進み過ぎて、周りが見えなくなってしまうでも、彼女は遊び心を持っているので私のしている事に、色々な視点で意見を言ってくれるのだなので私は、軌道修正しながら前進することができる時々はあまりの意見の違いに、いらない感情が働いたりするがそれでも不思議と、両方から歩み寄る関係なのだ彼女にも、ヒプノの被験者をやってもらったのだがこれが私を落ち込ませる原因となったそれでお互いに、何が悪かったのか原因を探ったのだが仲が良過ぎて、甘えが出てしまったという結論になった私は二人の間に、きちんとした一線が引けなかったのだセラピストという役割の、私が居なかった彼女も、クライアントに徹することができなかったと言った 結局私は、落ち込んでしまったのだが‥ 彼女を被験者にするのは 私がもっと、自信を付けてからにしようと思ったのだ ‥今はまだ、荷が重過ぎる関係であるだけど、彼女が言った「ヒプノって、面白いね~ 頑張ってセラピストになってね」まぁ、彼女へ完璧にできるようになったらその時は私も、ヒプノセラピストと堂々と名乗っているだろう
2010年11月23日
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エドガー・ケイシーの勉強も、2年が過ぎた隔月の奇数月に、光田会長にお越しいただきお話しを聞く機会を頂いている神の探究1の第12課、テーマは 「愛」 であったどの視点で、愛というものを見ているかによっても違ってくる最初から完成された愛をもって、生まれてくる人は居ない愛は、生きていく中で鍛錬して、自分のものにしていくのであるお話しは、愛をテーマにしているのだが「神の探究1」 が終わることで、この本全体のテーマを強調されたそれは、「自己を主(神)の内に捨てる」 ということであるこれが出来ていないと、神の探究2へ進めない‥ ええっ!?先生! 言い切らないで~ まだまだ途上の人間なんだから‥そう思ったのは、私だけでは無かったと思う怒り、悲しみ、不安、恐怖‥ 自己を捨てきれていないものだから色々な感情が、心の中を行き来しているでも、ここは道場だと‥ この場へ同胞と共に集い自己の成長の為に、少しずつでも前進していくここに集う者達は、色々なものを背負ってやってきている葛藤しながらも、前進する力を貰いにやってくるのだ光田先生は言う‥ 順風満帆な人生はバケーションになってしまい、魂の成長が無い それは、だたの息抜きの人生である 魂の成長の為には、目の前に起こる難解な事(辛い事)を 人生を高める材料として受け入れ、神が持ってきた事として 取り組んでいく どんな嫌な人でも、神が祝福して創った人なのだから 憎しみで関わってはいけない先生の身に起こった体験を聞くと、人を許すとはこういう事なのかと感心すると同時に、私にはまだまだ時間をかけて取り組まなければならない課題だと、考えさせられてしまうでも、お手本になる人が居るのは、有り難いことである私も先生のように、素晴らしい体験談が話せるようにならなければ‥それって‥いっ、いつになることだろうか? (^_^;)
2010年11月22日
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ゲートウェイのCDのウェブ5の#3は、直感の開拓である左脳人間としては、ここで直感を鍛えたいと考えるナレーションの中に「私が、直感的存在であることを体験し信頼するのを邪魔する、心の障害を探して下さい」というくだりがあるその後に続く言葉が「直感的存在としてのあなたを知り信頼する妨げとなる、固定観念を探して下さい」 と続いていく要は、固定観念を探し出して解放するか、上へ遠ざけるようにという指示である固定観念‥ といっても、すぐにはピンとこない何かガイドが言ってくるのかと待っていても、来ることは少ないだからそういう場合は、こちらからどんどん質問をしていく例えば、今の私が関心を持っていることは健康である質問としては、私にとって健康に関することで心の障害になるもの、或いは固定観念は何なのか‥と、問い掛けていくのだ自問自答でいい「健康を得る為には、何が障害となっているの?」「健康になる為に、外さなければならない固定観念は何?」その場で答えが得られなくても、現実世界で貰えることも多いだから、質問しっぱなしでも良いと思っているでも、質問はどんどん具体的にしていくこと運動に関して、もしかしたら私には出来ないと固定した考えをもってしまっていることかなぁ‥ とか食事の内容で、体に悪いと勝手に思い込んでいることがもしかしたら、あるんじゃないかなぁ‥ とかね!そうするとね、閃くことがあるんだよ「解決の答えはクライアントの中にある」 ヒプノの精神なんだよねぇ‥ 問題解決は、自分が知っているという事だ 実感してみると、違う人生が開けてくるよ! (^^)
2010年11月19日
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先日、15分早く家を出たのでバス停をいつもより手前で降りて、歩くことにしたいつもと違う道を歩くと、色々な発見がある道路を曲がると公園が見えてきて、その向こう側には小学校の校庭が見えている子供達の高らかな声が、あちこちから聞こえてくる授業が始まる前の、解放されたひとときのようだそこを横目に歩いていくのだが、街中は信号が多くて困るでもその時間を、本を読むのに当てるのだから信号で止まっても、それはそれで楽しい本の内容が分からなく、ならないかって?まぁね、同じところをもう一度読む羽目になったりするがそんなことは、一向に気にならない基本的に、本を読むことが好きなのだでも歩きたいし、違う風景も楽しみたいというとても欲張りな欲求を持っている私‥なので、こんなスタイルで楽しんでいるのだ歩き出すと、すぐに暖かくなってきたのでコートを脱いで、手に持ちながら歩く益々荷物が多くなって、本を読むのに四苦八苦する「ヘミシンクを聴きながらだと、もっと楽しいだろうになぁ~」なんて、もっと荷物が増えることを考える久しぶりに、柳橋中央市場の横を通る昼過ぎにここを通っても、もうみんな閉っているのだが朝は活気があって面白い色々な臭いが、鼻についてくる主に、魚を捌いた臭いのような気がするでもいつもと違う街の臭いは、結構悪くない気がするあちこちで魚を捌いているものだから道路上至る所で水を流していて、足元が滑りやすくて危なっかしい足元に目線を落としながら、ゆっくりとその場を離れていく会社は、もう目と鼻の先である今は良い季節だから、少しでも歩く距離を伸ばしたいこういう日を、増やしていこうと思っている
2010年11月18日
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私は普通の事務員だから、1日の仕事の段取が大雑把にだが、前日から決められる1年の仕事の運び方から、1ヶ月の仕事の運び方とそれぞれに決めて、自分のやりたいようにやっていく同僚の、連携プレイが必要な仕事であったなら自分1人では、好き勝手が出来ないのだがそんな規制も無いものだから、思うように事が運べるのだだから時々、営業の人達に左右されてしまうと自分の理想から外れてしまうので、チョッと悲しいたいして時間を取らない仕事なら、全然問題にならないのだがかなりの時間を割かなければならなくなるとどこに入れ込もうかと、思案する遅くなってはいけないし、だからといって大量の時間を先に使うと、自分の仕事が回らなくなってしまうさぁ、どうする ‥と、自問自答してから仕事を始める昨日の話しにも通じるのだが私は計画して実行するタイプなので、そこに別の要素が入ってくると違和感を感じてしまうのだ勿論仕事であって、単なる普通のサラリーマンなのだから自分の違和感に耳を傾けることなど、している場合ではないこういうところにも、捕らわれの気持ちが出来てしまっている自分もっと、気楽に ‥だったよねぇ~と、自分に言い聞かせる人間って、結構捕らわれの気持ちを持っている生活の全てを、人と比べることなどできないものだから他の人と行動を共にしたり、考え方を話し合ったりすると全く人と違っていて、びっくりすることも有るのだ色々な考え方や行動から、解放されなければならないのだが現実は、何をどう解放するかということすら分かっていないものであるだから、体に歪みがくる頭が重い、肩が凝る、お腹が痛い、便秘だ下痢だ~と体に不調を感じてしまう潜在意識の領域は、とてつもなく大きいと思う仕事一つを取っても、決めてしまっている自分のやり方がある訳で日常の枠組みを、もう一度検証してみる必要があるように思うまぁ、こう考えること自体が問題とも言えるが考えなければ、潜在意識に振り回されるだけとも言えるのだやはり解放されつつも、しっかりとした生き方がしたいものである
2010年11月17日
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私の中で、いつも確約や安定を欲しがったりしているこの行為は裏を返せば、不確定や不安定を恐れている事になる未来というものが、誰にも決まっていないのだからそこに確定や安定を求めること自体が、間違いなのだと思うでも、安心していたいのだ安心して、心穏やかに過ごしたいと考えているのだだからついつい、安定のある言葉や行動を求めてしまう‥悪い癖である本来は、今がどうなのかを問題にすべきである過去でも未来でもない、‥今現在が大事なのである計画をたてるのが好きだということは場合によっては、未来の確定や安定を望むことに捕らわれてしまう行為でもある自分の計画に無い、物事がおきてくると起こってきた事に対して、臨機応変に対処できなくなる可能性が強いだって、1年後の自分がどうなっているか分からないのだから今から全部のお膳立てをすることは、無理な相談である「こんなこともあるよなぁ~」 とか、「こうゆうことも有るんだねぇ~」という隙間が、計画の中には必要であるそれが無いと、疲れてしまうのだもっと気楽に、もっとのびのびと生きていきたいガイドの導きを信じていても、どうも気負いすぎてしまうところがある「自分1人が生きているわけじゃないのにねぇ‥」 と自戒の独り言沢山の目に見えるサポートと、目に見えないサポートが居る自分1人に対して、無数の援助の手が差し出されていることを忘れてはいけないチョッと深呼吸をして、「ありがとう」 とつぶやいてみた良い波動を出すことが、良い波動を引き寄せることに繋がるからだ今の気持ちをそのまま横において、もう一度 「ありがとう」 と言葉にしてみる、‥すると不思議に心が軽くなるありがとうという言葉は、マジック? 魔法? おまじない?言葉は本当に、言霊だと思う
2010年11月16日
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先週の、「ためしてガッテン」 の番組ではテーマがコンニャクだった昔、良くこの番組を見ていたがいつの間にか、見るのを止めてしまっていた何かがあって止めたのではなく、自然に止めていた、という感じそれがふと目について、今回見てみたのだがやっぱり良い情報をくれるので、今後も見ていきたいと思ったコンニャク‥ というと「体の内臓のお掃除屋さん」 というイメージを持っているそれはゲストの人達も同様で、内臓に残っている食べカスを体の外へ排除してくれるのが、コンニャクだと思っていた基本的に間違っていないのだが、イメージが違っていたコンニャク自体が、食べカスを自分の中に取り込んで自分と一緒に体の外へ出していく‥ というイメージに違いがあったコンニャクになる前は、グルコマンナンというものでグルコマンナンは水溶性だから、水に溶けてネバネバ状態になりそれが色々なものを取り込んで、内臓の掃除をしてくれるのであるでも、コンニャクになってしまうと不溶性に変わってしまい全く溶けない物質になってしまうのだ胃酸のように強い酸にも打ち勝って形を保ったままに、腸のほうにまで行ってしまうのだ「えっ? じゃぁコンニャク自体には取り込めないじゃん内臓の掃除をしてくれるんじゃないの?」 という疑問唯一、一つだけ有る効果というのが、「押し出し」 である形の変わらないコンニャクが邪魔だから、出しちゃおう~という発想らしい結果的には、便秘改善効果があるようであるやはり、「コンニャクは便秘に良い」 と昔から言われている事には間違いがなかったこの中で、一番勉強になったのがコンニャクを5秒で柔らかくする方法であるどうするかというと、叩くのであるまな板に向かって、コンニャクを叩きつけるだけであるたった5秒するだけで、何センチと伸びるそうすることで柔らかくなって、歯ごたえや味の染み方に大きな違いが出来てくるのであるそれと煮過ぎは硬くなるだけで、決して味が染みることにならないフォークで穴を開けたり、包丁で切り込みを入れる事の方が重要である‥それを聞いていたはずなのに今朝コンニャクを使った時に、5秒叩くのを忘れてしまった今まで、習慣化されていないものを、行動に移す為にはしっかりとした意識を持たなければならないと、改めて感じた朝だった
2010年11月15日
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昨日、泊まりに来た人が居たのだが大変申し訳ないことをしてしまった ‥と言っても不可抗力だったのだが (-.-)風呂にお湯を入れようとしたら、勝手に電源が切れてしまうのだ9月の終わりに、実家の給湯器が駄目になったのを思い出すその時も、風呂が使えなかったのでマンションのほうに来て、風呂を使ったのだが‥その時には、きちんと動いていたというのに 今度はマンションのほうの風呂が、動かなくなってしまった10月上旬に直して、まだ1ヶ月である不幸は重なるというが、故障も重なるのか?だけど1ヶ月だけでも、故障する日がズレていてくれて良かった~不幸中の幸い? だよねぇ~季節的に、今は有り難い この故障が、真夏や真冬だったら最悪である金銭的には重なって大変だけどもっと最悪になる場合もあるわけだから、やっぱり感謝だなぁ~ただ、そんな時に泊まりに来た人は最悪で本当に、申し訳ないことをしてしまったしかも、ヒプノの練習台にさせられるしきっと、「今日は厄日かぁ?」 と思ったことだろうどんなことでもだが、新しい発見があって面白いヒプノを知って、友達の新しい一面を見ることができるこういう生き方もあるのか!? という驚きの連続である考え方、受け取り方、‥人それぞれで、様々であるヒプノの面談勉強をしている最中だというのにどうしても、突っ込みたくなることが何回もあってついつい中断して、相手の考え方に突っ込んでしまうまだ練習中ゆえに、許してって感じで面談の本筋から、堂々と外れていく有り様であるだから面談が、中々前に進まない 友達だから余計に、本題からどんどん遠のいていってしまうのだ緊張感が全く見られない、練習時間だった最後には風呂にも入れず‥ 可哀想な私の友達まぁ、これに懲りずに、また遊びにきてくれることだろうヒプノが随分気に入ったようで また実験台 (基、練習台) に、なってくれることだろうそれにしても給湯器を、直さなくっちゃ~
2010年11月12日
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ここのところ、体調を崩してしまったのでずーっと、チャクラヒーリングのCDを聞いていた知り合いに、「鬼のかくらんか?」 としっかり言われてしまった今回の風邪は、体力的なものでは無いんだよねぇ‥今のところ、随分楽をしているので原因は、精神的なものである ‥しかも原因は分かっているまぁ、だからというわけでもないけれど、非常に早い回復であるもう声だけだから、風邪というわけでもない状態だ11月末からの忙しさで、体調を崩したとしたらどうしようか~ なんて、今から考えてどうするんだっ!さて、F21からエスカレーターに乗ってF27へ‥でもその寸前、気持ちが変わって乗るのを止めた別にここで、いいじゃん~ F21散策でいいんじゃないの?というわけで、三途の川は渡らないことにしたといっても、目的が有るわけでなく‥行くあても無くぶらぶらしていると、目の前にでかい木の門が見えてきたその門は開いていて、そこから中を見ると朱色の大きな建物があり、そばにはドラが置いてあったその建物は、日本というより中国っぽかった「誰の建物なんだろう‥」 誰かがイメージで建てたものだろうと思うのだが‥ しかし、大きな建物だなぁ~その割りには閑散としていて、人通りがなかった建物自体新しいのに、誰も管理していないようだ「寺子屋?」 急に頭に浮かんできた言葉だが、嘘でしょ!?まさかね、こんな大きな寺子屋が有るわけがない「お前の狭い知識だ」 と、頭の中に言葉が入ってくるまぁ、確かに、社会科の点数は、下から数えたほうが早かったからね学生時代の手抜き勉強が 今になってこんなに自分を苦しめることになろうとは、全く予想していなかったこんな建物が、何処かの時代に有ったんだろうねぇ~そんな感じで戻ってきたが、なんだか社会見学をしてきたみたいであるでも寺子屋という言葉が、妙に頭に残っている先日テレビで見た、「寺子屋」 という題が頭の片隅に、残っていたからなのかもしれないでも、私が会社を辞めてから行なう、色々なワークやセミナーそれらをもしかしたら、暗示している言葉かもしれないと ふと、考えさせられたのだった
2010年11月11日
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テレビで、寺子屋という番組があるのだがそこでは、色々な人の講演をテレビ中継で行なっているこの間は、竹下和男さんという人の講演会だった1年前に、神奈川県の某中学校の校長先生を退職された人のようだ本を出されていて、『 始めませんか「弁当の日」 』という題である子供だけで作る弁当の日を、2001年に提案して実行した人である聞いていて、泣いたねぇ~ 泣けました弁当を自分で作るのは、小学校5、6年生と決まっていて家庭科の授業でしっかりと教え、後半10月から毎月1回作るというもの買出しから始まって、調理はもとより弁当箱詰めをして片付けまでする親はそれを、一切手伝ってはいけないというものだった親はそれを聞いて、弁当を1日だけでも作らなくてもいいと喜ぶところが、ところがである‥ここから、この弁当の日を提案した竹下さんの思いが実っていく子供は、最初は自分で作ったといって弁当を持っていくでも実際は、お母さんが作った卵焼きを切って弁当箱に詰めただけだったりするそれでも自分でやった (卵焼きを切った) ことには違いがないそう言いつつ、他の人はどうだろうかと不安を隠しているその中で他の人が、失敗談を話し始めた研いだ米を、勢い余って流してしまったと‥すると卵焼きを切って弁当箱に詰めただけの子が、内心、慌てだすのだ○○さんは、自分で米を研いだのだ‥、と。次の月の弁当の日は、買出しからきちんと行なったそして今度こそ、全部自分が作ったとみんなに見せるそうすると今度は、もっと素晴らしいお弁当を持ってくる子が出てくるそれを見て悔しい思いをした子が、家に帰って親にお願いする来月は、今回より素晴らしいお弁当を持っていきたいのでもっと、色々な料理を教えて欲しい‥、と。今度は親が、たら~りと汗を流し料理本を片手に勉強を始め、子供に一生懸命教えることになるまだまだ素敵な話しは続き、そして悲しい話しも聞くことになる毎日5百円玉を握らせて、一回も弁当を作って貰えなかった子供の話し親は、こう言う‥「こうして学校に行けるのも、5百円で弁当が買えるのも私が働いているからだ」 子供は悲しそうに言う‥では、何故私を生んだの? 一生に一度も弁当を作ってくれないのならどうして私は生まれてきたの?愛を受けなかった子供が、大人になって行く愛を知らない大人が自分の子供を、どうやって愛していくのだろうか悲しいことである子供が弁当を作ることによって、多くのことを学んでいく弁当から、家族ぐるみの勉強にまで発展していくのだ親の背中を見て、子供は育っていくということをもう一度、考えてみてもいいのではないだろうか?
2010年11月10日
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先日父が、町内の老人会で尾張温泉に行ってきたようだ年に2、3回有るのだが、父は申し込んだ事を忘れてしまっていた10月の終わり頃、尾張温泉にかかる費用を集めにきた丁度その時に私は家に居たので、お金を払ったのだがふと、集めに来た人に「尾張温泉は、いつ行くのですか?」 と尋ねてみたのだそれで何となく日にちを覚えていたのだが‥この時私が聞かなかったら、父が尾張温泉に行くことはなかった確か‥ その回覧が来た時に父がメモ用紙に、日程などを書き写していたのを見たのだそのメモ自体を無くしてしまったようで父の頭から尾張温泉のことは、すっかり抜け落ちてしまっているこれは認知症なのか、歳を取っていくということなのか‥とはいえ、私も携帯電話のカレンダーが無ければ同じことをしてしまっていると思うマークを付けていても、「あれっ? 何の日だっけ?」と思うこともしばしばで、内容を確認して納得する事もある商売絡みなら、忘れていけないことだろうけれど業者に来て貰う場合などは、忘れてしまうことが多い来て頂くわけだから、忘れてしまうなどとやっぱり有ってはいけないことである父親に、メモだけでなくカレンダーへも書くように言った忘れていってしまうなら、対策をとることを考えていけばいいみんな、歳をとっていくのだから‥思考すること‥ 行動すること‥ 好奇心を持つこと‥好きなことをすること‥ 交友関係を広げること‥歳を止める方法は、幾つかあるはずである自分にあったやり方を、考えていきたいと思っている
2010年11月09日
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休みの日に、倉庫の鍵が無くなっていて探しまわった弟と共通で使っているので、私か弟のどちらかである結果として、私が犯人だったのだがよく弟がポケットに入れたままのことが多いので今回もそうだろうと思っていたまぁ、今回は私のほうが頻繁に使ったので私が犯人の可能性が、強かったのは確かである結局、どこから出てきたかというと、カバンの中だったカバンの中の家の鍵を入れておく所に、一緒に入れていたのだこれは、探した結果から見つかったわけではない実は、夜中に一度起きてしまい、その時ふと頭に浮かんだことが「カバンの中」 ということだったのだ私は、「えっ? 何が??」 と浮かんだことに対して話している夜中に起きてしまったものだから、半分寝ぼけている時計を見ると、夜中の2時半になっていた「変な時間に起きてしまったなぁ~」 と思ってヘミシンクのCDをかけて、ボーっとしていたのだが‥あれっ? 何か頭に浮かんだけど‥ 確か、カバンの中??カバンの中って、‥もしかしたら倉庫の鍵のことかも?慌てて、カバンの中を探したところ有った、有った、鍵が出てきましたよ~ なんてことはない、犯人は私じゃぁないか!いやぁ~疑ってしまった弟に、朝になったら謝らないと‥でも、鍵が出てきて良かったぁ~いつもこんなことには、ならないのだけどなんで私は、カバンに入れてしまったのだろうか?弟は、「僕はズボンのポケットに入れて、忘れてしまうけどズボンのポケットでなければ、カバンという可能性があるんだね」と言って、笑ってくれたカバンを持たない弟にとっては、全く考えられない可能性のようだというか、私にとっても会社の無い土日に会社へ持っていくカバンの中に入れる事は、考えられない行動であるさて、落ち着いて考えてみると私は鍵の場所を教えて貰うために、夜中に起きたようである夢で教えられても、私は全部忘れてしまうそれが良く分かっているからこその、ガイドの配慮のようだったあの後、全然眠くならないので、朝まで本を読んで過ごした朝はチョッと寝不足になってしまったが、教えて貰った事に感謝である
2010年11月08日
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ヒプノは、表面意識と潜在意識の間を緩ませて潜在意識へ、新しい意識を送り込むものである潜在意識に、どんなものを蓄えてきているのかは本人しか、分からないはずであるだが、その本人も分からなかったりするそしてそれに気がつくと、面白いと感じるのだ占いは、ある程度相手のふところに飛び込むのだがヒプノは、更にもう一歩踏み込んでいく占いは、こちらから提案していくのに対してヒプノは本人が気づいて、自分で修正していくのであるセラピストは、そのお手伝いをするだけである解決の答えは、自分が持っている自分の潜在意識が、どうすればいいのかを知っているのである私達はお手伝いをするだけで、そこに介入するものではないこういうところが、占い師としての自分と相反するのだが‥占いが、積極的な解決への道を探っていくのに対してヒプノは本人も知らない本人の力を、最大に引き出していく事である本人も知らないものだから時としては、凄いお宝が見つかるかもしれない逆に、ネガティブな感情が、山盛り見つかるかもしれないのだだが見つかったのなら、しめたものであるそれを表面化して吐き出してしまえば、本人もすっきりする理由も分からないが、胸の奥がモヤモヤする‥ というのは押し込めてしまった、過去の記憶だろうと思うその過去の記憶が、今の自分の行動や思考を制限してしまい何とも不自由な現在の自分を、創り上げているわけである解放されるべきは、自分である愛されて幸せになるべきは、自分自身である瞑想をして、潜在意識の自分に問い掛けてみては、如何だろうか?
2010年11月05日
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先日の日曜日に、占いの先生をお呼びして年に一回の、勉強会及び懇親会をした1年に一度なので、何とか出たいと思うのだがさすがに母のことがあった3年間は、出る事ができなかった去年、久しぶりに出たのだが集まる人が少なくなっていて、寂しい感じだった今年も去年同様で、良く顔を見かけるメンバーだったこんな感じで、今後は顔合わせをしていくのだろう去年は、懇親会が終わったらそのまま先生と地下鉄に乗って帰っていってしまったが今年は、先生以外のメンバーのほうに残ってみんなとお茶をして、色々お話しをすることにしたでも‥ なんだろう‥ 全然話しが繋がらない勿論、占いの話しは繋がるのだが、魂の話しにはならないのだ先生はさすがに、占いの話しと同様に魂に関係する話しへと、繋がっていくのだが彼女達とは、占いの話し以上にはなっていかないのだレイキ仲間や、ヘミシンク仲間 そして、ヒプノ仲間やエドガー・ケイシーの仲間達色々な人の顔が、次々に思い出されてしまい急に恋しくなって、寂しさを感じてしまった占いの仲間達の、輪の中にいるというのに私のいる空間だけが、別の空間のようだったまるで、その空間だけが切り取られたように私は違う次元に居るような、そんな錯覚を感じてしまったのだ「この人達は、生まれてきて死ぬまでの人生だけを見据えている輪廻転生という概念や、地球人以上の考え方にはならないのだ」寂しい思いをしたここは、私の居るところではない取り残されたような気持ちで、彼女達の笑い声を聞いていた会社に行けば、当然この彼女達と同じ人達が居るだから、そこに寂しさを感じる必要はないのだが‥多分、占いのように、精神世界に携わっている人達にはもっと視野を広げて欲しいと、感じているから寂しくなったのだと思う人それぞれ歩む道があるから、仕方がないのだと思う私は私の道を行こう! ‥仲間と共に
2010年11月04日
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上司が変わると、判断材料も変わってくる前の上司は細やかだったので、こちらにも色々要求してきた仕事は増えるが、私の見落としを拾ってくれるし早い対応をとられたので、大きなミスには繋がらない今の上司は、間逆の性格であるなので、見落としが無いか確認をするクセをつけているでも、自由に仕事をさせてくれるものだからのびのびとして、自分のペースで仕事ができるから有難い性格には、長所と短所があるわけで上司が変わるということは、こちらの対応を変えるだけである仕事がやりにくくなったなぁ~、と思うのはこちらの気持ちが、切り替わっていないだけなのだ上司の長所に感謝して、短所をカバーするのが部下であるとはいえ、頭の片隅には、「前の上司だったら‥」 という思いがどうしても出てきてしまうだろうそれは、自分の仕事が増えて面倒だから‥ かもしれないでも、今の上司の良いところを感謝する気持ちを全面に出せば相手の欠点を、カバーできるように思う上司の長所を、言葉にするか書き出してみるといい人間の記憶は、どうしても悪いものに焦点が合い易い良いことの記憶よりも、悪いことの記憶のほうが残り易いからだそれを、切り替えていく作業をしてみよう長所を書き出すと、感謝の気持ちが強くなるすると、短所がそんなに気にならなくなってくるのだ場合によってはその作業時間を、随分必要とする上司かもしれないが根気良く、やってみるといいそうすることが、一番長い時間お世話になる職場を有意義に使うことが出来るのだから‥心の安定は、自分で作ろう目の前に起こってくる事象は、全て必然なのだから
2010年11月03日
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思うのだけど‥ 右脳の人っていいなぁ~私のレイキヒーリングで、色々な現象を見る事が出来るんだから‥私自身は、ヒーリングをされるのが好きでないからそのセイでも、あるのかもしれないけれど‥ヒーリングを受けて、光を見たというようなことは起こらないまだ、レイキを知ったばかりの時自己ヒーリングで、色々な現象が起きたことはあったマスターになる日に光のシャワーを浴びたことも、くっきりと覚えているでも‥ 右脳の人は、全然違うんだよねぇ~土曜日に来た人も、「空が紫色だった、綺麗だった~」な~んて、言うんだよぉ~「2、3人の人が居たんだけど、あの人達は誰だったんだろう?」う~む、それはもしかしたら、守護霊? ガイド?ヘミシンクをしても、なかなか会えないというのに簡単に私のレイキヒーリングで会わないでよぉ~ 羨ましい~「手のひらが、夢の中で、目一杯離れていたのに現実では、違ったんだよねぇ、‥何故だろう?」彼女の両手はいつの間にか、親指と人差し指で輪を作っていてまるで、仏教で瞑想をする時のような格好だった 彼女曰く、その手がガーゼで包まれて心地良かったようであるこういうことを、レイキヒーリングで体感するというのはどういうことだろうか?私と彼女に、共通した何かがあってそれが、色々な現象を起こしているのだろうか?以前、私のヒーリングで宇宙へ行った人がいたこの時も羨ましくて、内心 「こん畜生!」 なんて思ったものだ私が宇宙ということを認識した頃だったそうすると私の認識度に合わせて、私の脳内? 潜在意識? からヒーリングを受ける側が、拾ってきているのかもしれない今年は、仏教の勉強もしたし奈良に行って、初めて色々の仏像をこの目で見てきたそれまでの私はというと、カトリックやプロテスタントの教会でキリスト像やマリア像を、見たぐらいであるだから私のほうの認識不足も、問題なんだろうと思う私自身が視野を広げることが、この先もっと必要なことになると感じた右脳の人は、レイキのエネルギーに乗せて様々な情報を、受け取ることができるのだと思う今度は、右脳人間で生まれてこよっかな~いやいや、違うじゃん! もう宇宙に帰るんだった不足部分は、ヘルパーでもガイドでもして地球には戻らない道を、心の底から望んでいる
2010年11月02日
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隣りに住んでいた親戚のおじさんが、先週亡くなった7月の終わり頃から、とても一人にはしておけない状態になりその人の子供達のところに、連絡を取った子供達が、一人暮らしの父親を引き取りにきてそのまま、病院に連れていった胃癌の為、胃をかなり切除しているので1日の食事を、5回に分けて取らなければならなかったところが、1日2回位しか食事が出来ていない栄養が、取れるはずがないのだ子供に迷惑をかけたくないのと、自分の自由が欲しいという理由でなかなか一人暮らしを、手放さなかった子供達も心配で、代わる代わる訪れていたのだがいつ、何があるか分からない私と弟も、極力顔を出したり、車で買い物に連れていったりしたが7月末には、もう一人で置いておくのは無理と判断して電話をかけたわけであるそれから、たった3ヶ月‥ あっという間の葬儀である我慢しすぎていたのか、病院に入ると早いのか‥こんなに早く亡くなるなって、思ってもいなかった葬儀は、家族葬であった親族だけに見守られて、旅立っていった今、こういう家族葬が多くなっているようである告別式の時、おじさんの魂を第7チャクラで感じたそれは、家に戻ってきても2、3度感じ取ったのでおじさんの魂が、長い間住んだ場所を訪れたのだろうと思うまだ暫くの間魂は、隣りの家にいることだろう急いで向こうの世界に行くこともないのだからもう少し、ゆっくりしていけばいい旅立ち‥ 全ての人間が、いつかは旅立つ私も悔いの無い人生を生き抜いて、旅立ちたいと思う
2010年11月01日
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