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[源氏物語] ブログ村キーワード二条院の南殿の桜をご覧になっても、花の宴での事などをお思い出しになります。「今年ばかりは(墨染に咲け)」と独り言を仰せになって、人に気付かれぬよう御念誦堂にこもり、一日中泣いていらっしゃいます。夕日がはなやかに射して山際の木々の梢がくっきりと見えるところに、雲が薄くたなびいて薄墨色をしていますのを、悲しみのために何事も御目に入らぬころなのですが、ひどくもの哀れにお思いになります。「入り日さす 峰にたなびく薄雲は もの思ふ袖に 色やまがへる(西日の射す峰にたなびく薄雲までも、悲しみに暮れ、涙で濡れた私の喪服の袖と同じ色をしているのだね)」と仰せになっても、聴く人のいない御念誦堂ですから言う甲斐もありません。四十九日のご法要も過ぎて一段落しますと、帝は何となく心細くお思いあそばされて、この度の藤壺の宮のご病気平癒のご祈祷に出て来た七十歳ほどの僧都を、今では常に内裏に伺候させていらっしゃいます。自分の後生のために山に籠っていたこの僧は、故・藤壺の宮の母后の御世から代々の帝后の祈祷僧としてお仕えし、故・藤壺の宮もたいそう親しく大切にあそばされ、朝廷からの信任も厚く荘厳な御勅願を多く立てて執り行う優れた聖でした。藤壺の宮のご法事もすんだ今は、帝の護持僧として奉仕するよう源氏の大臣もお勧めになりますので、「老齢の今では夜居のお勤めがひどく辛いのでございまするが、ありがたい仰せ言でございますし、御恩返しになりますなら」と、勤めていました。ある静かな夜明け前、近くに人がいず宿直の者も退出した折に、老人めいた咳払いなどしては世の中の出来事などを奏上なさるついでに、「実はたいそう申し上げにくいことがございます。逆に拙僧の罪にもなろうかと憚られるのでございまするが、この事を帝に申し上げないならば拙僧の罪は重く、天の照覧も恐ろしく存ぜられます。私の心一つに納めたまま命果てましたならば、何の益にもならぬばかりか、仏も拙僧を『卑怯者』と思召すかと存じまして」と奏上しかけて、それ以上なかなか言い出さないのです。
August 31, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 「無力な身とはいえ、帝を精一杯お世話申そうと考えてはおりまするが、太政大臣がお隠れなさいましてから世の中が気忙しく思われますのに、あなたさまがまたこのようなご病状でいらっしゃいますれば、心が乱れて私の命も残り少ないような心地がいたします」と申し上げるうち、ともし火が消え入るように静かにお隠れあそばされました。源氏の大臣は言いようのない悲しみに、お嘆きになります。貴いご身分と申し上げる御方々の中には、権勢を笠に着て人の迷惑になることもしがちなのですが、藤壺の宮は世の人のためにあまねくご慈愛深くいらっしゃいましたので、そのようなことはいささかもなく、人が奉仕することでも世の苦しみとなりそうなことは、お差し止めになる御方でいらっしゃいました。人の勧めのままに荘厳で立派な施物をなさる人は昔からいくらでもあったのですが、そのような派手なことはなさらず、ただ以前からご所有でいらした宝物、年ごとにお受けになる年官、年爵、御封の中からまことに心の深い殊勝な供養をしていらしたので、物の分別のつかぬ山伏などまでが死を惜しみ申し上げるのでした。葬儀に際しても世の中には泣き声が響き渡り、悲しく思わぬ人はありません。殿上人はみな同じく黒一色の喪服に身をやつして、華やかさのない寂しい晩春なのです。
August 30, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 源氏の大臣(おとど)は、公のお立場においても太政大臣や藤壺の宮のように高貴な方々ばかりが続けざまにお亡くなりになろうとすることが悲しく、人知れず思い嘆いていらっしゃいます。藤壺の宮への密かな愛惜はもちろんですが、ご病気恢復へのご祈祷にはあらゆる事をなさいます。今まで諦めていらした恋慕の思いを申し上げずじまいになってしまうことがたいそう辛く、ご病床近くの几帳に寄り、女房たちに宮のご容態をお訪ねになります。宮に親しい女房だけがお傍にお仕えして、こまやかにご病状を申し上げます。「この月ごろはご気分がお悪くていらしたのに、仏道のお勤めを片時も怠りなくなさったお疲れが積もりに積もって、いよいよひどく衰弱なさいました。このごろでは口当たりの良いみかんさえお口になさらず、もう恢復の見込みもおぼつかなくなってしまいました」と、泣いたり嘆いたりします。「故・桐壺院のご遺言どおりに、帝のおん後見をお勤めくださるご厚意は、多年身に沁みてありがたく存じて参りました。その私の並々ならぬ感謝の気持を、いつかはお伝え申そうと気長に構えておりましたことを、しみじみと申しわけなく残念に思っておりまする」と、宮が取り次ぎの女房にかすかに仰せになる声も、几帳の外にほのかに聞こえてきます。源氏の大臣はお返事も申し上げずに激しくお泣きになります。『こんなに泣くほど私は心弱いのか』と、人目を考えて自制なさるのですが、昔からお慕いしてきた藤壺の宮のお命を引き留めることもかなわず、ただただ悲しくお思いになるのです。
August 29, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 藤壺入道の宮は、三十七歳でいらっしゃいます。されどたいそうお若く、うつくしい盛りでおわすご様子に、帝は「残念で悲しい」とご覧あそばされます。「お慎みになるべき厄年でいらっしゃいますのに、ご気分がすぐれないままお過ごしになったことに加えて、精進や祈祷などを熱心におやりにならなかった事をひどく悲しく存じます」と、帝は後悔あそばされるのでした。帝はつい近頃になってようやく母宮のご病気にお気づきになり、さまざまな加持祈祷をおさせになっていらっしゃいます。今まではいつものご病気かとばかり油断していましたので、源氏の大臣も深く悲しんでいらっしゃいます。限りがありますので、帝はほどなく内裏にご帰還あそばすのですが、悲しいことが多いのでした。藤壺の宮はたいそう苦しくて、はかばかしく物も仰せになれません。御心内では、『先帝の四の宮として后腹に生まれ、国母となり中宮として世に並ぶ人もない栄誉を得たけれど、源氏の大臣との秘密という苦しみも常に胸の中にあって、何事につけても人にまさる人生だったわ』と思い知られるのでした。帝の御夢の中にもこの秘密をお知らせ申さないことがさすがに心配で、この事だけは死んでもお胸のなかで解けがたく、この世に執念として残りそうな心地がなさるのでした。
August 28, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード そのころ、源氏の大臣の舅君でいらっしゃる太政大臣が薨去しました。世の重鎮でいらした方ですので、帝におかれましてもお嘆きあそばします。朱雀帝の御世に、一時左大臣を辞任して隠居なさいましたが、この時も天下の騒ぎとなりました。ましてお亡くなりになった今では悲しく思う人が多いのです。源氏の大臣もひどく残念にお思いです。今までは、全ての政務を太政大臣にお譲り申し上げたので暇もあったのですが、これからはそうはいかず、心細くも多忙にもお思いになってため息をついていらっしゃいます。冷泉の帝は、御年十四歳に比してはこの上もなく大人らしくご成人なされましたので、天下の政についても気掛かりにお思い申し上げることはないのですが、太政大臣亡き後はご自分の他に帝の御後見を務める方もありませんので、『誰かに帝の御後見を譲って、静かに仏道修行をしたいものだ』と、残念にお思いになります。追善供養などでも、太政大臣の子息や孫たち以上にこまやかに弔問しお世話なさるのでした。その年は疫病のはやりや天変地異で世の中が騒がしく、朝廷では神仏のお告げがしきりに起こります。天空でも日食、月食、彗星あるいは異様な雲が出現するという凶兆が見られて、世の人が不吉に思う事が多く、天文博士や陰陽寮の頭が朝廷に奏上する勘文(かもん)の中にも、怪しく異常な事などが混じっていました。しかし源氏の大臣だけはこの凶兆について、御心の内で思い当たることがおありなのです。さて、藤壺の入道の宮は正月からご病床にあって、三月にはひどく重くおなりでしたので、お見舞いに帝の行幸があります。帝が父・桐壺院に死別申し上げあそばしたころはたいそう幼くて、物事を深くお感じになれなかったのですが、この度はひどくご心痛のご様子ですので、母・入道の宮もたいそう悲しくお思いになります。「厄年の今年は、きっと死を逃れられないと存じておりましたが、さして気分の悪いこともございませんでしたので、命に限りがあると悟りきった様子をいたしますのも、世間の人には『嫌味で仰々しい』と思われましょうから遠慮して、死後のための供養なども格別にはいたしませんでした。そのうち参内いたしまして、帝と心のどかに昔のお話しも申し上げたいと存じながら、気分の好い折が少うございますので、鬱々としたまま月日が過ぎてしまいました」と、たいそう弱々しく帝にお話し申し上げます。
August 26, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 束の間の逢瀬でいつも心残りに思っていらっしゃるからでしょうか、今日も気忙しくお帰りになるのが心苦しくて、「夢のわたりの浮橋か(世の中は 夢の渡りの浮橋か うち渡りつゝ ものをこそ思へ)」と、逢瀬の儚さにため息をついていらっしゃいます。筝の琴を引き寄せて、いつぞや明石での夜に聞いた琴の音も思い出されますので、明石の女君には琵琶をお勧めになります。すると女君は源氏の大臣の琴に合わせて、少し掻き鳴らします。大臣は、『この人は、どうしてこうもすばらしい技量を身に付けたのであろう』と、お思いになります。幼い姫君のおん事など、こまやかにお話しになってお過ごしになります。大井は都から離れた場所ではあるのですが、こうしてお宿りなさる折々がありますので、ちょっとしたくだものや強飯だけはお召し上がりになる時もあります。紫の女君には嵯峨野の御堂と桂の院などにおいでになるふうに口実を作っていらして、明石の女君にひどくご執心というわけでもないのですが、そうかといってまるで素っ気ない扱いはなさらぬ点では、格別のご寵愛と見えるのです。明石の女君も源氏の大臣のご寵愛のほどが分かりますので、出過ぎたことや思いあがった態度は決して見せません。また、ひどく遠慮がちな態度を取って、源氏の大臣のご意向にそむくことがありませんので、たいそう安心していられるのでした。高貴な女君の所では、ここでのように打ち解けて気をお許しになる事はなく、どことなく近づき難い態度でいらっしゃることを明石の女君は聞いていましたので、『源氏の大臣のお邸に参ったなら、反ってひどく見馴れて見くびられる事があるかもしれない。たまにこうしてわざわざお出でくださることこそ、私にとって精いっぱいのご寵愛という気がするわ』と、思っているようなのです。明石に残った父・入道は、別れ際にあれほど強がりを言ったものでしたが、源氏の大臣のご意向や様子を知りたがって、都に使者を通わせていました。その報告の中には、胸がつぶれるような悲しい事もあり、また晴れがましく嬉しく思う事もたくさんあるのでした。
August 25, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード明石の姫君はあどけなく源氏の大臣の御指貫の裾にまつわりついて後を追い、簾の外にも出てしまわれそうですので立ち止り、たいそう愛おしくお思いになります。姫君を宥めて「明日、帰りこん」と、催馬楽を口ずさみながらお発ち出でになります。紫の女君が渡殿の戸口に中将の君をお遣りになって、「舟とむる をちかた人のなくはこそ 明日かへり来む せなと待ち見め(舟を引き留めるような、遠くのあの方がいらっしゃらないなら、背の君も『明日、帰り来ん』でしょうけれど。さて、どうなのでございましょう)」とお歌を詠みかけました。それがひどく物馴れた感じでしたので、源氏の大臣はにっこりなさって、「行きてみて あすもさね来む中なかに をちかた人は 心おくとも(大井に行ってみて、明日にも本当にあなたさまのもとへ帰って参りましょう。あちらの方が気を悪くしたとしても、ですよ)」姫君はこのような事など知る由もなく無邪気にはしゃぎまわっていらっしゃいますので、紫の上は姫可愛さに、あちらの女君への不愉快なお気持ちもすっかり消えてしまうのでした。『あちらではきっと姫を心配していることでしょうね。もし私だったなら、ひどく恋しく思うでしょうに』と、姫君を見つめながら懐に入れて、可愛らしい御乳を口に含ませて戯れていらっしゃるご様子は、いじらしいのです。御前にお仕えする女房たちは、「どうして上には御子がお生まれにならないのかしら」「同じ御子なら、こちらの御子として生まれたらよろしいのに」「ああ、思い通りにはならない世の中ですわね」と、互いに話し合うのでした。大井の邸ではたいそうのどかに、不如意もなく、奥ゆかしい様子で暮らしています。家の有様も都とは違っていて珍しく、明石の女君の容姿や物腰などは、逢うたびに高貴な女人に見劣りしないことが実感され、理想的な女君へと成熟していきます。『この人が何の取柄もない並の情人なら、私のような高貴な身分の男との関係も、世の中にはなくもないと軽く思われもしよう。世にも珍しい偏屈者の父・入道の評判こそ困りものだが、この女君の人柄は、これはこれで十分というものだ』とお思いになります。
August 24, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード年が改まりました。うららかな空に何の憂いもないお暮らしぶりは新年に相応しくたいそうめでたく、美しく磨き上げられた二条院には、人々が年賀のご挨拶にやって参ります。七日には、昇進した年配の人々が車を引き並べて、お礼に参じました。若い人々も、何となく晴れやかです。身分の低い人々も、心の内では不満に思うこともあるのでしょうが、上辺は誇らかに見える御代なのでした。二条院の東の対にお住いでいらっしゃる花散里の御方も、申し分のないお暮らしぶりです。お傍にお仕えする女房や童たちにも、礼儀正しく心配りして過ごしていらっしゃいますので、大井とは異なり近いという利点は格別で、源氏の大臣がお暇な折などには、ひょいとお越しになることもおありです。夜お泊りになるためにわざわざお見えになることはありませんが、ただ花散里の御方のご性質がおっとりと鷹揚でいらして、『私はこの程度の宿縁に生まれついた身の上なのだわ』と諦めておいでです。嫉妬することもなく、珍しいまでに安心のできる穏やかな方でいらっしゃいますので、源氏の大臣からの折々の暮らし向きのご配慮なども、西の対にいらっしゃる紫の女君に劣らぬもてなしぶりで、決して軽んじることがありません。女房たちも紫の女君に対するのと同じようにお仕えして、別当たちも仕事を怠ることがありませんので、反って乱れる所がなくきちんと整い、感じの良いご様子なのでした。大井の、明石の女君のつれづれな暮らしぶりに対しても、いつも気にかけていらっしゃいます。公私ともに忙しい時期が過ぎたころ、大井にお渡りになろうとして、いつもより念入りに身支度をなさいます。桜襲のおん直衣の下に、みごとな色合いの袙を重ね着し、香をたきしめた装束をお召しになって紫の女君にお出掛けのご挨拶をなさる様子は、隈なき夕日に照り輝くばかりうつくしく、女君は穏やかならぬ思いでお見送りなさいます。
August 23, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード御袴着の準備は特に仰々しくもなさらないのですが、やはり儀式としては格別な雰囲気なのです。お部屋の調度品などの飾り付けが小さいので、お人形遊びのような感じがして可愛らしく見えます。お祝に参じた客人(まろうど)たちも多いのですが、普段の客も多いので特に目立つこともありません。ただ、襷に引き結った姫君の胸のあたりが格別可愛らしく見えるのでした。大井の明石の女君は姫が恋しくて、軽率に二条院にお渡ししてしまったことを嘆いていました。二条院の養女にと言い出した尼君もひどく涙もろくなっていましたが、姫君があちらで大切にかしづかれていらっしゃる事を聞くと嬉しいのでした。このように満ち足りた境遇にいらっしゃる姫君に、こちらからどのような品をお贈りすることができようと遠慮して、乳母を始めとして姫君付きの女房たちに、見事な色合いの正月用の衣装を、大急ぎでお贈り申し上げました。源氏の大臣は『私の訪問を待ち遠しく思っているであろうし、姫君がいなくなった事を恨めしく思ってもいるであろう』とお思いになると不憫ですので、年の内にこっそり大井にお渡りになりました。大井はひどく寂しい住いである上に、明け暮れ大切に可愛がってきた姫君さえいなくなったことを思いますと明石の女君がひどく可哀想で、ひっきりなしに御文をお遣わしになります。紫の女君も、今では特に不満を申し上げることもありません。可愛らしい姫君に免じてお咎めなさらないのでございましょう。
August 22, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 暗くなってから二条院にお着きになりました。御車を寄せますととても華やかで、大井の古邸とはまるで様子が違っています。田舎者の女房たちは気後れして『気詰まりな思いで仕えることになるのかしら』と思うのですが、寝殿の西面を特に設えて、姫君のために小さな御調度品などを可愛らしいふうに調えさせていらっしゃるのでした。乳母の局には、寝殿から西の対に通じる渡殿の北側にあたる部屋を用意させていらっしゃいました。幼い姫君は道中の御車の中で眠ってしまいましたが、抱きおろされても泣いたりなさいません。紫の女君のお部屋でお菓子などをお召しあがりになるうち、あたりを見回し母君を求めて、可愛らしいふうにべそをかいていらっしゃいますので、乳母をお召し出でになりあやしたり紛らわしたりしてさしあげます。源氏の大臣は、『姫君のいなくなった大井の山里の所在なさは、いかばかりか』と可哀想にお思いなのですが、明け暮れ紫の女君が姫君を思いのまま大切に養育なさるのをご覧になって、なにもかも満足していらっしゃるのでしょう。されど『母として理想的なこの紫の女君に御子が生まれないとは、何と皮肉なことであろうか』と口惜しくお思いになります。姫君は、馴れた女房を求めてしばし泣いていらっしゃいましたが、もともと素直で人懐こい性質ですので、紫の上にたいそうよく馴れ親しむようにおなりで、紫の上も『とても可愛らしいものを手に入れた』とお思いになるのでした。それで他の事はせずに、姫君を抱いたりお遊び相手になったりしますので、自然に乳母も紫の上に近くお仕えし馴れ親しむようになりました。また乳の出る高貴な身分の人を乳母としてさらにお加えになります。
August 21, 2012
ある学術専門の古書店で、私が邦訳した中医学書が4500円で売られていた。 もともとこの書物は私自身の勉強のために訳したものだが、1999年に私家版として(部数は忘れたが)何百冊かを作り、臨床冊子を通じて希望者に無料で配布したものだ。 費用は生命保険の一時金だったか、あるいは満期金を使ったが、製薬メーカーや各地の勉強会が買ってくれたし、お礼として商品券や図書券、土地の名産品などを送ってくださった同業の先生方がいらして感激したことを覚えている。 その後ネットのフォーラムで話題になり増刷したが、古書店で売りに出ていたのはこの二刷目のオンデマンド印刷のもののようだから、4500円という高値には驚いた。 当時私は意識的に「初学者」を対象とした訳をしなかった。いちいち親切に解説して注釈をいれていたらページ数が多くなって費用が嵩むし、著者である陳潮祖先生の意図からも離れてしまう。中医学理論を理解し、中医学用語で実践している、中級以上の実力者のための訳をした。だから誰でも理解できる内容ではない。 B5版に上下左右2センチの余白をとり、9フォントで40文字x40行という切り詰めた157ページ。 今では私の手元に1冊しか残っていない。 誰が古書店に売りつけたか知らないが、無料で贈った書物に付けられた「4500円」をどう捉えたらいいものやら・・・。 ちょっと笑いたいようなくすぐったい気持ちになっている。
August 20, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 可愛らしい恰好でお前に座っていらっしゃる姫君をご覧になると、『このような姫を授かるのだから、この女君とはよくよく深い宿縁なのだな』とお思いになります。この春から伸ばし始めた御髪が肩のあたりまでになり、ゆらゆらとみごとで、ふっくらした頬、目元のほんのりとにおい立つようなうつくしさなど、言いようもありません。この愛らしい姫を手離して、遠くから思いを馳せる『親の心の闇』を思いますとひどく気の毒で、夜が明けるまで繰り返し説得なさいます。「どうして悲しいことがございましょう。私のような低い身分の娘を、大切に養育してくださるのでございますもの」と申し上げながらも、堪え切れず泣く気配があわれなのです。姫君は無邪気に早く御車に乗りたがっていらっしゃいます。車を寄せてあるところへ母君自らが抱いて出ていらっしゃいました。たいそう可愛らしい声で、「お乗りなしゃい」と母君の袖を引くのがひどく悲しくて「末遠き 二葉の松にひきわかれ いつか木高き かげを見るべき(生い先遠い幼い姫と引き別れて、いつになったら成長した御姿を見ることができるのでございましょう)」と、最後まで言い切れずひどく泣きますので、源氏の大臣は『どんなに悲しかろう。可哀想に』とお思いになって、「生ひそめし 根も深ければ武隈の 松に小松の 千代をならべん(私たちに姫が生まれたという因縁も深いのだから、二人でこの姫の将来を大事に見守ろうではありませんか)その日まで気を長くお待ちなさい」とお慰めになります。いつかは一緒に住めるとは思うものの、明石の女君はとても堪えることができないのでした。乳母と少将という上品な感じの女房だけが、御守りの御剣や厄除け人形のような物を持って車に乗ります。お供の者の車には姿形の良い若い女房や童を乗せて、姫の見送りに遣ります。道すがら大井に留まる明石の女君の苦悩を思うと、源氏の大臣は『罪つくりなことをした。どのような報いを受けることか』とお思いになります。
August 19, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 雪や霰の降る日が多く心細さが増して、『私はどうしてこんなに悩み事が多いのかしら』とため息をついて、いつもより丁寧に姫君の髪を撫で、身なりを調えているのでした。空が暗くなって雪が降り積もった朝、来し方行く末のことを思い続けながら、いつもはお部屋の奥に居て縁近くになど出てこないのですが、端近なところで庭の氷などを眺めています。なよやかな白い衣をたくさん着て思いに耽る様子、頭の恰好、後ろ姿などは、高貴な御方とはこのようでいらっしゃるかと女房たちも見るのです。 落ちる涙を掻き払い、「姫君がいなくなった後、このような日はどんなに心細く思うかしら」と弱々しくため息をついて、「雪ふかみ 深山の道ははれずとも 猶ふみかへよ 跡たえずして(雪深く深山の道は晴れなくても、その雪深い道を踏み分けて、絶えずたよりはくださいね)」と仰せになると、乳母は泣いて、「雪まなき 吉野の山をたづねても 心のかよふ あとたえめやは(雪の晴れ間のない吉野の深山を探しても、あなたさまに御消息をいたしましょう)と言って慰めます。この雪が少しとけた頃、源氏の大臣がおいでになりました。いつもは心待ちにしているのですが、姫君のことを思いますと胸がつぶれるようで、自分のしたこととはいえ後悔するのです。『私の心ひとつにかかっているのでしょうね。私が嫌と申し上げれば、源氏の大臣も無理にはなさらぬはず。心にもない事をしたとは思うけれど、今さらお断りするのは軽率というもの』と、無理に思い直します。
August 18, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 思慮深い人に相談しても陰陽師などに占わせても、「やはり源氏の大臣のおん元へお移りなされたほうが、姫君のご運勢は好くなるでしょう」とばかり言いますので、姫を手離すまいとする気持が次第に揺らぐのでした。おとどもそのようにお考えでしたが、明石の女君のお気持ちを思いますと気の毒ですので、無理にとは仰せにならず、ひと言だけ「おん袴着のことは、どうなさいますか」と御消息をお遣りになりました。お返事には、「何事につけ不甲斐ない身の私のもとにお引き留め申しましては、ほんに姫君のご将来もお気の毒のように思われます。されど田舎者ゆえ、二条院に参りましても物笑いの種になろうかと存じまして」と申し上げますので、ひどく可哀想にお思いになります。源氏の大臣は転居の日を陰陽師に占わせ、しかるべき用意をこっそりとお命じになります。明石の女君は、いとし子を手離す事はひどく辛いのですが、『姫君の御ために好いと思う事だけをしよう』と堪えています。それでも、「乳母ともお別れなのですね。明け暮れの物思わしさも所在なさも、互いに親しく話し合って慰めてきましたのに、姫君ばかりか乳母までもが二条院に行ってしまったならば、どんなに悲しく寂しいことでしょう」と、明石の女君が泣きます。乳母も、「そういう宿縁なのでございましょうか。思いがけずお仕え申すことになりましてから、あなたさまのご親切が忘れ難く恋しく思われますので、これからもご縁が絶えることは決してないと存じます。いつかはきっとまたご一緒にと頼みに思っておりますが、しばらくの間にせよ思いがけない所でお仕えいたしますのが心配でございます」と、泣きながら過ごすうち、十二月になりました。
August 17, 2012
ほんに明石の女君もかつては「どの女君に落ち着かれることやら」と、人の噂にそれとなく耳にしていた源氏の君の浮気心もすっかりお静まりになったのですから、紫の女君とは浅い宿世ではいらっしゃらないようですし『女君のお人柄も並々ならず優れていらっしゃるからこそ』と想像しますと、『人数にも入らぬわが身が、紫の女君と肩を並べるようにして二条院に移り住んだなら、呆れた女とお思いになりはしないだろうか。私の身分は変わらぬとしても、将来ある姫君のおん身の上にとっては、何事も紫の女君の御心次第だとしたら、仰せの通りもの心つかぬうちにあちらへお譲り申し上げようか』と思うのです。しかしまた『姫を手離してはどんなに気掛かりで、この先何を慰めとしてどのように暮らしたらいいものやら。それにめったにお出でにならない源氏の大臣も、この先ますますお越しが遠のくであろう』などさまざまに思い乱れ、わが身の不運を痛いほど思い知るのです。すると、思慮深い母の尼君が、「くよくよしてはいけませんよ。姫君を手離すのは胸の痛む辛いことではありましょうが、あなたは母親として、姫にとって一番好いと思うことだけをお考えなさい。源氏の大臣もいい加減なお考えで仰せなのではありますまい。あなたは信頼して姫君をお渡しなさいませ。帝の御子であっても母方の素生によって、それぞれ身分の違いがおありになるようですよ。源氏の大臣が世に二人とていないご立派さでありながら臣下でいらっしゃるのは、母君・桐壺更衣の父、故・大納言の家柄が、大臣よりも一階級低いためなのでしょう。まして私たちのような普通の者は比べることもできませぬ。親王や大臣の姫君の御子といっても、さし当たって貧しく無力な家に生まれた子女は世間から低く見られ、父親からの愛情も平等には受けられないものです。ましてあなたは、親王や大臣の娘でもなければ北の方でもないのですから、生まれた姫が相手にされなくて当たり前なのですよ。身分相応に、父親にもひとかどに大切にされた人こそ、将来他人からも軽く見られずにすむものなのです。御袴着の儀式に私たちが心を尽したとしても、このような深山隠れではどのような映えがありましょう。ですからあなたはただ源氏の大臣にお任せ申し上げて、あちらがご養育なさる様子を見ていらっしゃい」と、言い聞かせます。
August 16, 2012
先週の半ばから盆休みをとり、家人と私の親友である饗応夫人を乗せてオロロンラインを北上し、苫前温泉に一泊してきた。昼食には饗応夫人の奢りで新鮮な海鮮料理を食し、増毛の国稀酒造ではシャーベットのような酒粕アイスを味わい、道の駅「にしん番屋」では、去年買っておいしかったそば用の鰊をどっさり買い込んだ。海辺のホテルは、去年はツインの洋室だったが、今年は3人一室の和室にしたところ、港が一望できる広く大きなベランダのある部屋だった。しかも珍しいロフトつき。饗応夫人が私たちに気を使って「ロフトに寝る」と言ったが、夜中にトイレに起きること必定なので、梯子状の階段から転げ落ちては大変と3人川の字になって寝た。海の見える露天風呂には二回も入ったし、沈む夕日がまぶしいレストランで海鮮料理にワインを傾け、布団に横になって暮れ行く空を眺めながらおしゃべりして、贅沢な一日を過ごした。翌朝はホテルの駐車場で海産物の直売が始まり、出発前に新鮮な甘エビ、糠鰊、イカの一夜干しなどを格安で買ってニッコニコ、しかも昨日に引き続き良い天気で、海岸線を走るのが気持よかった。トロトロ走るクルマをゴイゴイと追い越して助手席の饗応夫人をひやひやさせたが、タブレットで遊んでいた後部座席の家人は、毎度のことなので知らん顔。海岸線から離れて高速道路に向かい、緑のまぶしい道をスイスイ走っていると、藪の中から赤い旗を持った黒い男がいきなり飛び出して来た。来る途中何度か工事のために足止めされたが、こんなふうに突然行く手を阻まれることはなかった。日に焼けたその男は、なぜか警察官の制服を着ている。私たちは訳が分からなかった。クルマを止められ、窓を叩かれて、林道の中の「おあつらえ向きな空き地」に誘導されてやっと、スピード違反だったことが分かった。指定速度50キロの道を69キロで走っていたという。1点減点、12000円の罰金。減点は何カ月かたてば元に戻るし、罰金は惜しいが払えばそれで終わる。何より悔しいのは、ゴールド免許に戻れなくなったことだ。しかも免許の切り替えまで、あと半年ちょっとだったのに!何年前だったか、黄色から赤信に変わる交差点を無理やり渡ったことがある。その時右折待ちの対向車にパトカーがいたのだが、それを知らずに前のクルマにくっついて走ってしまったのだ。それでゴールドだった免許証が青色になってしまった。この時は確信犯だったから観念したが、今回のスピード違反は全くの不意打ちだったので無性に悔しかった。青色免許がさらに5年続くかと思うと、自業自得とはいえ残念でたまらない。警察車両で取り調べを受けている私を尻目に、クルマがスイスイ通り過ぎていく。「人の不幸は蜜の味なんだろうな......」と恨めしく眺めていると、突然ビービーと警告音が鳴って、また警察官が飛び出して行った。つかまったのは、男性が運転する白い乗用車だった。私は警察車両から飛び降り、好奇心満々で測定器に走り寄って覗きこんだ。あわてた警察官は手で覆って数字を隠したが、「74キロ」と出ていたから24キロオーバーだ。家人によると20キロ超過では違反金も倍になるという。それを聞いて、ちょっと気が軽くなった。「人の不幸は蜜の味」とは、本当だね。あっはっは。
August 14, 2012
冬になるにつれ大井川のほとりの邸は心細さがつのり、頼りなく不安な気持ちのまま毎日を過ごしています。源氏の大臣も、「これ以上ここで過ごすわけにはいくまい。二条院の東院へ移る決心をなさい」とお勧めになるのですが、あちらへ行って冷たいお仕打ちを受け、辛い思いをしたからといって「いかに言いてか(泣く事もできないわ)」と、決心がつきません。「私には思うところがあるのだから、姫君をいつまでも大井に留め置くのはもったいないのです。対の人が以前から姫君の噂を聞いて逢いたがっていますから、しばらく預けて、袴着の儀式なども盛大に行いたいと思うのですよ」と、真剣にお話しになります。明石の女君は、いつかはそうなる事と覚悟していたのですが、胸のつぶれる思いがしました。『養女として貴い身分になったとしても、身分の低い生母のことを人が漏れ聞いたならば、きっとお困りになるのでございましょう』と思うと、姫君を手放し難いのです。それは道理ではあるのですが、「『継子扱いされて辛い思いをするのでは』とお疑いになってはいけませんよ。あなたより年上ですが可愛い子もなくて寂しく思っていますので、あまりお歳の違わない前の斎宮女御さえ、自分の養女になさったほどです。ましてこのように幼く可愛らしい姫君ではありませんか。ほんとうに子ども好きな人なのですよ」と、紫の女君が理想的な母親であることをお話しになります。
August 13, 2012
夜は内裏で宿直(とのい)するべきところを、なかなか解けない女君の御機嫌を取るために、夜が更けてから宮中より退出なさいました。するとそこへ大井からのお返事がありましたので、隠すことがおできにならず、そのまま御文をご覧になります。特に不都合な内容でもありませんので、紫の女君に、「このような文は、破ってお捨てなさい。女人からの文など、今では不似合いな年令になってしまいましたのに」と仰せになって御脇息に寄りかかっていらっしゃるのですが、お心内ではたいそう可哀想に、恋しくお思いになって、灯火をぼんやり眺めて黙りこんでいらっしゃいます。紫の女君は文をご覧にならぬ様子ですので、「無理に見ぬふりをなさるあなたのその眼差しが、どうも厄介なのですよ」と、ほほ笑んでいらっしゃる源氏の大臣の柔和な美しさは、お部屋に溢れるほどです。 女君の傍にお寄りになって、「実は大井で可愛らしい姫を見たのです。我が子として生まれたからには、前世からの因縁が浅くはないように思えるのですが、そうかといって身分の低い母親の子を我が子として一人前に養育するのも憚り多く、どうしたものかと苦慮しておりました。どうか私の立場でお考えくださって、どうしたらいいか決めてくださいまし。ここに引きとって、あなたが養育してくださらないでしょうか。もう三歳になっております。可愛らしい姫を見捨てることはできず、『袴着の儀式もこちらで』と思っております。あなたがそれを無礼だとお思いにならなければ、袴の紐を結んでやってはくれませぬか」と申し上げます。「あなたさまはいつも私の思いを誤解なさいますのね。そのような思いやりのなさに、強いて気付かないふりをしていただけでございますわ。でも私はきっと、幼い姫君のお気に召すことと存じます。どんなに可愛らしく御育ちになられたことか」と、少しほほ笑んでいらっしゃるのでした。紫の女君は、理屈抜きで稚児をお可愛がりになる心の持ち主でいらっしゃいますので、ここへ引き取って抱いて育てたいとお思いになります。源氏の大臣は『どんなものであろう。こちらは良いとしても、あちらでは寂しかろう』と迷っていらっしゃいます。大井にお出でになることもなかなか困難で、嵯峨野の御堂のお念仏の機会に、月に二度ほどの御契りでいらっしゃいます。彦星と織姫の逢瀬よりはましというものでしょうけれど、明石の女君が『これ以上は望まない』と思ってはみても、やはり物思いせぬことはないのでした。
August 8, 2012
それぞれ身分に応じた禄の品々を肩にかけ霧の間に立ち混じる風景は、まるで前栽の花かと見紛うほどの色合いでたいそうみごとです。近衛府の名高い舎人や東歌の巧みな者たちが従っていますので、帰路は賑やかです。神楽歌の「その駒」などを謡いますので、禄として脱ぎ与えた御衣の色が秋の紅葉のようです。賑やかに帰京なさる様子が、大井まで聞こえます。明石の女君はその音に、名残り惜しくもの寂しく、庭を眺めていらっしゃいます。源氏の大臣も明石の女君に『御文さえもあげずに別れて来た』と、気にかけていらっしゃるのでした。二条院にお着きになって、紫の女君に山里でのことをお話し申し上げます。「二、三日とお話ししましたのに長逗留になってしまい、心苦しく思っております。あの好き者たちが桂の里に訪ねてきて、ひどく私を引き留めますので致し方なく帰りが遅くなってしまいました。今朝はたいそう気分が悪い」と、お休みになってしまいました。いつものように紫の女君の御機嫌はよろしくないように見えるのですが、気付かぬふりをして、「あなたとは比べ物にならぬほどの身分ですのに、あえて比べるのはよろしくないことですよ。あなたは『私は私』と気位を高くお持ちなさい」と、言い聞かせていらっしゃいます。その日は暮れかかる時分に参内なさるのですが、横を向いて大急ぎで何か書いていらっしゃるのは、大井への御文なのでしょうか。傍目にも心を籠めて書いていらっしゃるように見えます。源氏の大臣が声をひそめて遣者をおやりになりますのを、女房たちは非難申し上げます。
August 7, 2012
桂の院には御遣いへの禄の用意がありませんでしたので、大井に「仰々しくない程度の禄物があるか」と遣いを立てました。大井ではとりあえず衣櫃二荷を差し上げました。勅使である蔵人の弁は帝へのご報告のため早急に宮中に戻りますので、その中から禄として女房の装束を賜ります。「ひさかたの ひかりに近き名のみして あさゆふ霧も 晴れぬ山里(月の光に近いという「桂」は名ばかりでございまして、朝夕霧の晴れる間もない山里でございます)」源氏の大臣のご返歌は、行幸をお待ち申し上げるお気持ちをお詠みになったのでございましょう。「中に生ひたる(久方の 中に生ひたる里なれば 光をのみぞ 頼むべらなる/古今集)」と、古歌を誦んじていらっしゃるうち、かの淡路島をお思い出しになって、躬恒が『月が近く見えるのは、場所柄のせいなのか』と不思議に思った、という歌についてお話しになりますので、感動して酔い泣きする人もあるようなのです。「めぐり来て 手に取るばかりさやけきや 淡路の島の あはと見し月(都に戻ることができて、こうして手が届きそうなほどはっきり見える今夜の月は、淡路島の対岸で遥かに見た月と同じものなのであろうか)」 頭中将、「うき雲に しばしまがひし月かげの すみはつる世ぞ のどけかるべき(浮き雲に覆われてしばしは月の光も隠れていましたが、再び澄み渡った今夜の月のように、今では辛い思いも消えはてて、きっと穏やかなことでございましょう)」すこし年をとっている左大弁は、故・桐壺院のおん時にはおそば近くにお仕えしたので、故・院を思い出して、「雲の上の すみかを捨てゝ夜半の月 いづれの谷に 影かくしけむ(雲の上の住処を捨てて、桐壺院はいづれの谷にいらっしゃるのであろうか)」など、それぞれ心に思うことを詠んだ歌がたくさんあるのですが、面倒ですので。 源氏の大臣が打ち解けてなさるお話しも少し乱れて面白く、いつまでも御姿を見、お話しを聞いていたいほどですので、『斧の柄も朽ちる』というものですが「今日こそは帰京せねばなるまい」と、急いでお帰りになります。
August 6, 2012
桂の院では急な接待に大騒ぎです。鵜飼いする者たちをお召しになりますと、須磨や明石での漁師たちの声々をお思い出しになります。はやぶさ狩で嵯峨野に野宿した公達は、申しわけ程度に小鳥を荻の枝などに付けて土産として参じました。お盃が何度も回って、桂川のあたりを逍遥するのも危ういのですが、酔いに紛れながら過ごしていらっしゃいます。おのおの絶句などを作り、月がはなやかに射し出でる時分には管弦のお遊びが始まって、たいそう賑やかなのです。弾き物は琵琶と和琴だけで、笛には巧みな者ばかりを集めて、秋の季節にぴったりの調子で吹きますと、川風が調子を合わせるのがおもしろいのです。その上、月が高くさしあがりました。楽の音が澄みわたって響く夜更けごろ、桂の院に殿上人が四、五人ほど連れだってやって来ました。帝のお傍にお仕えしていた者たちでしたが、内裏で管弦のお遊びがあった折に、帝から、「今日は六日間のおん物忌があける日だから、きっと参内なさるであろうと思っていましたが。どうしたのでしょうか」との仰せがございました。それで、こちらにお泊りでいらっしゃることを聞し召した帝からの御消息を伝えに参じたのです。お遣いは、蔵人の弁なのでした。「月のすむ 川のをちなる里なれば 桂のかげは のどけかるらむ(月の澄んでいる桂川の向こう側にある里ならば、月の光はやわらかなのでしょうね)うらやましく」とありましたので、源氏の大臣はかしこまってお聞きになります。帝の御前でのお遊びよりも、ここはやはり場所柄寂しい感じが加わった楽の音に感動して、さらに酔いが増すのでした。
August 5, 2012
ところで源氏の君の失脚によって官位を失ったあの右近の将監も蔵人に復官し、靫負の尉となり今年は従五位下に叙せられました。以前とはちがって得意げに御佩刀取りとして源氏の大臣のお傍にやってきます。ふと明石で知り合った女房を見つけて、「過去のことを忘れたわけではございませぬが、畏れ多いので遠慮しておりました。明石の浦風を思わせる大井の暁にも、ご挨拶を申し上げる手立てさえなくて」と思わせぶりに言いますので女房は、「大井は明石にも劣らぬほど寂しい所ですから、昔の友がいないかと思っておりましたが、明石でのことを覚えておいでのあなたさまがいらっしゃるなら、こんなに頼もしいことはございませんわ」と言います。靫負の尉は『何と呆れた事を言う。私だって恋しい気持ちが無きにしもあらずだったが』と興ざめな気持ちになるのですが「そのうちあらためて」と、澄ました様子でお供に加わります。源氏の大臣が重々しく御車までお歩きになる間、前駆の者が大声で先払いをし、御車の後方には頭中将と兵衛督をお乗せになります。「つまらぬ隠れ家をすっかり知れてしまうとは残念だね」と、ひどく辛がっていらっしゃいます。頭中将たちは、「昨夜の月夜にお供ができず残念でしたので、今朝は朝霧を分けて参上いたしました。山の紅葉はまだ早うございました。野辺の草花の色こそ今が盛りでございましょう。某の朝臣が、はやぶさの狩をして遅れてしまいましたが、どうなったことやら」と言います。「今日はもう少し桂殿で過ごすことにしよう」と道を変えて、そちらへお出でになりました。
August 4, 2012
翌日は帰京の日ですので少し朝寝坊なさって、そのまま大井を出立なさいます。源氏の大臣がお帰りになるというので、桂の院にはお迎えの人々がたくさん集まっていましたが、大井にも殿上人があまた参りました。源氏の大臣はお召し替えなどなさって、「こうたくさんの人が集まると、都合の悪いものだね。こんなふうに大騒ぎをするような隠れ家でもあるまいに」と、外の騒がしさに気を取られていらっしゃいます。ゆっくり別れを惜しむこともなくこのまま帰ってしまうのは心苦しいので、お迎えの人々の目をさりげなく紛らわして戸口に立ち止っていらっしゃると、乳母が姫君を抱いて出て来ました。その可愛らしい様子に思わず撫で給いて、「『逢えないと辛いだろう』と思うのは、甘い考えだった。どうしたらいいだろう。大井は都から、遠いからね」と仰せになります。乳母は、「都から遥かに遠い明石で過ごした今までの年月よりも、これからの姫君のご養育がはっきりしませんことの方が、ずっと心配でございます」と申し上げます。姫君はお帰りになろうとする源氏の大臣をお慕いして、抱かれようと手を差し出しますので、その場にひざまずいて、「私は不思議なほど物思いの絶えぬ身ですね。姫君としばしの別れでもこんなに辛いとは。母君はどちらにいらっしゃる。どうして姫と一緒に別れを惜しんでくださらないのだ。そうしてこそ元気も出ましょうに」と仰せになります。乳母は笑って明石の女君に「大臣がお待ちでいらっしゃいます」と申し上げます。明石の女君はなまじっか男君にお逢いしたので反って思い悩んで、臥したまま動こうとしません。源氏の大臣は『ずいぶんお高くとまっているものだ』とお思いになります。女房たちも困っていますので女君は渋々いざり出てきました。几帳に半分ほど隠れた横顔はたいそう優雅で、ものやわらかな雰囲気は内親王に匹敵するほどです。源氏の大臣は几帳の帷子を引きのけて、優しくお慰めになります。お発ち出でになろうとして振り返ってご覧になると、あれほど動こうとしなかった女君が戸口まで出てお見送り申し上げています。源氏の大臣は申し分のないほどおうつくしい盛りのご容姿でいらっしゃいます。すらりと背が高くていらっしゃいましたが、今ではその上背に釣り合うほど貫禄がおつきになりました。『このように均整のとれた御姿でこそ重々しくご立派なのだわ』と、御指貫の裾までが優美で魅力がこぼれ出るほどと感じるのは、明石の女君の贔屓目というものでございましょう。
August 3, 2012
源氏の大臣は嵯峨野の御堂においでになり、毎月十四、十五、三十日に行われる普賢講、阿弥陀、釈迦の称名念仏はもとより、それに加えて行われるべき仏事を定めてお置きになります。御堂の飾り、仏の御具などをしかるべき者たちにお命じになり、月の明るい時分に大井にお帰りになります。ちょうど明石で源氏の君が琴をお弾きになった別れの日の月夜のようですので、この折を逃さず明石の女君はかの御琴を御前に差し出しました。源氏の大臣は何となく物悲しく、堪え切れずに琴を掻き鳴らしなさいます。するとまだ、琴の調子は明石の頃と変わっていませんので、昔に戻ったような心地がなさいます。「契りしに 変らぬことのしらべにて 絶えぬ心の ほどは知りきや(あなたと約束した時と変わらぬこの琴のしらべと同じように、いつも変わらずあなたの事を思う深い私の気持ちを、あなたは知っていましたか)」明石の女君、「変はらじと 契りしことをたのみにて 松のひびきに 音を添へしかな(「心変わりはしない」とお約束してくださったあなたさまのお言葉を、頼みとしておりました。松風の響きに、泣く音を添えながら)」と、お歌を交わすお二方がお似合いなのは、明石の女君にとって身に余る光栄というものでございましょう。女君の顔立ちや姿は歳とともにうつくしく整い、とても見捨てることなどおできにならず、また幼い姫君は可愛らしくて、いつまでも見ていたいほどです。『どうしたものか。隠し子のようにして育てるのは可哀想だし不本意だ。いっそ二条院に移して思う存分大切に養育するならば、後々入内させるにしても世評から免れることができよう』とお思いになるのですが、一方では明石の女君の心中を察すると気の毒で、言い出すことがおできにならず、涙ぐんで見ていらっしゃいます。姫君は幼心に少しはにかんでいましたが、しだいに打ち解けてお話ししたり笑ったりしてまつわりついていらっしゃいます。顔がつやつやとしてうつくしく、可愛らしいのです。姫君を抱いていらっしゃる源氏の大臣のご様子はいかにも愛おしげで、『姫君の運命は格別』と思えるのでした。
August 2, 2012
「捨てたはずの浮き世に、今あらためて立ち戻りました私の心中を、あなたさまがお察しくださいましたので、長生きをしてきた甲斐があったと思い知られたことでございます」と、尼君は泣いて、「明石のような荒磯で、幼い姫をご養育申し上げますことをおいたわしく思っておりましたが、こうして都へお迎えくださった今は頼もしいご将来と祝福申し上げます。何分にも素生の賤しい母親でございますゆえ、それが将来の支障とならねばよろしいがと、何やかや私には心配が尽きないのでございます」など申し上げる尼君の気配が上品なのです。この大井の邸に住んでいらしたという尼君の祖父・中務の親王の御事を話題にしていらっしゃると、修繕していた鑓水の音が、まるで恋しい昔を思い出させるように聞こえてきます。尼君、「住み馴れし 人はかへりてたどれども 清水ぞ宿の あるじがほなる(かつて住み馴れた私がここへ戻って参りましたのに、あれこれと迷っている有様でございます。けれど鑓水だけは音をたてて流れて、まるでこの邸の主のようでございますね)」王孫でありながら、さりげなく控えめに言う尼君の様子を『優雅で、賢い人だ』とお聞きになります。「いさら井は 早くのことも忘れじを もとのあるじや 面がはりせる(鑓水の流れは昔の主人を忘れたのではなく、出家なさって尼に姿をかえていらっしゃるせいではございますまいか)悲しいことですが」と、じっと考え込んでお立ちになるお姿やお顔の色艶は、尼君には『今まで見たこともないほどうつくしい』と思われるのです。
August 1, 2012
朝、店の留守電に伝言が入っていた。「K子、A(道東地方の地名)の母さんだよ。こんにちは。暑くてね。大変ね。からだがこわいから、気をつけてね。頑張ってね。みなさん、元気でおるかい?お盆にね、遊びにおいでねー。どうもありがとう」と言って、切れた。 私の母は、この「母さん」のようなあたたかい言い方はしないな、と思った。 それは私も同じだ。私と母だけかもしれないが、仕事を持つ母親にとって盆と正月の休みはたまった家事をこなす好い機会でもあり、息抜きでもあるから、自分の事で精いっぱい。人を招じてもてなすという「心のゆとり」がないのだ。ところがこの「母さん」は、嫁いだと思われる娘の帰省を促し、鶴首で待っている。 ちょっとうらやましい間違い電話だった。*「からだがこわい」は、「疲れる」「しんどい」という意味の北海道弁。
August 1, 2012
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