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二日ばかり後、内大臣は再び大宮邸を訪問なさいました。最愛の子息が度々訪問なさいますので、大宮はたいそう満足で、嬉しくお思いになります。尼そぎにした額髪の手入れをなさり、改まった小袿をお召しになって、我が子ながら内大臣はこちらが気恥かしくなるほどご立派なご様子でいらっしゃいますので、物を隔てて対面なさいます。ところが今日の内大臣は御機嫌が悪く、「私がこちらに伺いますのはひどく体裁が悪く、女房たちがどのように見るやらと思いますと、すっかり気が引けてしまうのでございます。はかばかしい身ではございませんが、私がこの世に生きている限りは、母宮にいつもお目通りさせていただき、ご無沙汰のないようにと心がけて参りました。それなのに不心得な姫の事で母宮をお恨み申すような事が出来いたしまして、母宮のご本心を伺いたく、こうして参上したのでございます。母宮をお恨みしてはならぬと一方では思い直すのでございますが、やはりこの気持ちを抑え難く存じまして」と、涙を押し拭って仰せになりますので、大宮はお化粧なさったお顔の色がさっと変わり、驚きのために御目も大きく見開かれてしまいました。「それは一体どういうことでございましょう。今さらこの年の老人によそよそしくなさって、私を恨めしいとお思いになるなんて」と仰せになりますので、さすがに内大臣も母・大宮がお気の毒になるのですが、お気持ちが納まりません。「確かに頼もしき母・大宮のお元に幼い姫をお預け申したままで、父である私が養育することはありませんでした。それも先ずは、身近にいる弘徽殿女御の宮仕えが思うようにならないことに心を砕いておりましたためで、いくら何でもお預け申した姫を、母宮が一人前にしてくださるだろうと頼みにしていたのでございます。それが思いがけない事になってしまいまして、ひどく残念なのでございます。まことに若君は天下に並ぶ者のない有識者ではいらっしゃるが、いとこ同士での縁組は人聞きも悪く、世間的にも軽薄な様でございます。このような縁組は身分の低い者の間でさえ軽々しいとされておりますし、若君の御ためにもまことによろしくない縁組と存じます。
October 28, 2012
内大臣はお帰りになったふりをしてこっそり女にお逢いなさったのですが、その女の部屋からそっとお出でなさる途中で、老女房たちのひそひそ話がお耳にはいりました。内大臣は不審にお思いになり御耳を留めていらっしゃると、何とご自分の噂話ではありませんか。「賢がっていらっしゃるけれども、やはり親馬鹿ですわね」「そのうちびっくりなさるような事が起こりましょうに」「『親より外に子を知る者はない』と言いますけれど、あれは嘘のようですわね」と言いながら、お互いにつつき合っています。内大臣は『何と浅ましい。二人の仲が心配ではあったが、まだ幼いからとすっかり油断しておった。うーむ、世の中は思い通りにならぬものだ』と、今までの二人の様子をつぶさに思い返しながら、静かに大宮邸をお立ち出でになりました。前駆の者の先払いの声が厳めしいので、女房たちは、「おや、内大臣殿は、今ごろお帰りなのかしらん」「今までどこに隠れていらしたのでしょう」「年甲斐もなく、まだ浮気をしていらっしゃるなんて」と互いに言い合うのでした。内緒話をしていた老女房たちは、「先ほどたいそうよい香りと共に衣擦れの音が聞こえましたが、あれは若君ではなかったのでしょうか」「おや、たいへん。内大臣殿は聞し召したかしら」「気難しいご性分でいらっしゃるから、どうしましょう」と、困っていました。内大臣は帰りの道すがら、『二人の仲について、ひどく不本意で不似合いだとは思わないが、珍しくもないいとこという間柄だ。それを世間の人もきっと噂するであろうな。源氏の大臣が弘徽殿女御を圧倒なさるので我慢ならず、この姫を東宮に差し上げたなら、ひょっとして勝てるかも知れぬと思ったのだが。もしあの蔭口が本当なら、何とも残念だ』とお思いになります。内大臣と源氏の大臣との御仲は昔も今もたいそう好くていらっしゃるのですが、このように権勢となると、互いに競い、挑んでいらっしゃった昔の名残をお思い出しになってつくづく情けなく、まんじりともせずに夜をお明かしになります。女房たちが、「大宮も、お二方のそういった気配はお分かりのはずですのに」「可愛くてたまらない御孫たちでいらっしゃるのですもの。好きなようにさせていらしたのでしょう」と、噂するのをお思い出しになると、いまいましくてたまりません。内大臣は少し勝気ではっきりしたご性分ですので、御心を鎮め難いのです。
October 27, 2012
内大臣は和琴をお引き寄せになり、古風な律の調子を華やかな今風にお弾きになります。名手でいらっしゃるだけにたいそう面白いのです。琴の音に誘われるように御前の木の葉がほろほろと散り、老女房たちがあちらこちらの御几帳の後で聴き惚れています。内大臣は「風の力 蓋しすくなし」と誦じ給いて、「我が琴の音に感じてではないが、不思議にもの哀れな夕べだね。そなたももっとお弾きなさらぬか」と、姫君の弾く秋風楽に合せて唱歌なさる声がたいそう面白いのです。大宮は孫の若君、姫君、そして御子息の内大臣に対しても、たいそう愛おしくお思いでいらっしゃいます。折も折、感興を添えようとするように若君がやって参りました。「こちらへ」とて、姫君とは几帳をへだてて入れたてまつります。「このごろは対面もめったにかないませんな。どうしてこんなにご学問に打ちこまれるのでしょう。父・源氏の大臣も『学才が身分以上に優れるのはよろしくない』とおっしゃっておいでのはず。このようにお仕向けになるには理由があってのことと存じてはいますが、こうして学問のために籠っているのが、気の毒でならないのです」と申し上げます。そして、「時々は御学問以外の事をしてごらんなさい。笛の音にも昔の賢人の教えがあるものですよ」と、笛をたてまつります。若君はたいそう若々しく可愛らしい音色に吹きたてて面白いのです。それで御琴、琵琶、筝をしばし止め、内大臣が控えめに拍子をお取りになって「萩が花ずり」などをお唄いになります。「源氏の大殿(おおいとの)も、こうした気楽な管弦の御遊びをなすって、多忙なご政務から離れて寛いでいらっしゃる。ほんにこのつまらない世を、好きな事をして過ごしたいものです」と、仰せになってお酒をお召し上がりになるうち暗くなりましたので、灯火を持って参ります。皆でお湯漬けやくだものなどをお召し上がりになります。姫君は、内大臣があちらのお居間にお移しになりました。『春宮に差し上げたい』と考えておいでですので、若君から無理にお離しになり、姫君のお弾きになる御琴の音さえお耳に入れまいと、今ではひたすら遠ざけていらっしゃいます。姫君の近くにお仕えする大宮付きの老女房たちは、「そのうち、お気の毒な事件が起こらなければよろしいけれど」と、囁き合うのでした。
October 26, 2012
「女は気立てが良くてこそ、世に用いられるものでございますね」と、明石の女君のことを仰せになります。「弘徽殿女御を『並々にではなく、また何事も人には劣らぬほど』に育てたつもりではございますが、斎宮の女御という思いがけない人に負かされてしまった宿縁に、世の中というものは思いの及ばぬものと存じまして。せめてこの姫君だけでも、何とかして私の思い通りに出世させてみたいものでございます。もうすぐ春宮の御元服がございますから、『春宮妃に』と密かに決めておりましたが、幸運な方が産んだ后候補者が、また追いついて参りました。明石の姫が入内なさる時には、冷泉帝の御代にもまして、競いあう姫がいそうもありませんな」とため息をおつきになりますので、大宮、「どうしてそのようなことがございましょう。『我が家系から、后の位に立つ人が出ないはずがない』と、故・太政大臣が仰せになって、弘徽殿女御の入内にもご自身が奔走なさったのですよ。ご存命でいらしたなら、源氏の大臣に負けることもなかったでしょう」など、女御の御事についてだけは、源氏の大臣をお恨み申し上げるのです。姫君はたいそうあどけなく可憐で、筝の御琴をお弾きになる時の御髪の下がり具合や額髪の生え際などが、高貴なご身分にふさわしくしっとりと上品なのです。父・内大臣がじっと見つめますと恥らって少し横をお向きになる面ざしが可愛らしく、絃を押しつける時の手つきは、まるで上手に作られたお人形のようで、大宮も限りなく可愛くお思いなのでした。姫は掻き合わせなどを少しお弾きになって、御琴をあちらに押しやってしまいました。
October 25, 2012
あちらこちらでの昇進の饗宴も終わり、公的な行事の準備もなく落ち着いたころ、時雨が降り注ぎ荻の上風もただならぬ夕暮れに、内大臣が大宮邸をご訪問なさいました。姫君をお呼び申されて筝の御琴などをお弾かせになります。大宮は万事につけて楽器の名手でいらっしゃいますので、御孫の姫君にも伝授なさったのでした。「琵琶というものは、女が弾奏するには可愛げがないように見えるけれども、音色はいかにも上品でうつくしいものですな。今では琵琶の奏法を正統に継承する人がほとんどいなくなってしまいました。何某の親王、くれの源氏......」と数え給いて、「女の中では、太政大臣が大井の山里に隠していらっしゃる女君こそ、たいそうな名手と聞きました。延喜の帝の奏法を正統に伝える名人の子孫ではございますけれども、長年明石の田舎者として暮らしてきた人ですから、どうして上手く弾けるのでしょうか。源氏の大臣がその人を格別に優れた奏者だとお話しになる折がございます。他の芸事と違って音楽の才能はやはり他の人々と合奏しあい、あれこれの楽器と調べ合わせましてこそ上達するものでございますが、一人で弾いて名手になったというのは、いかにも珍しいことでございますな」など仰せになって、大宮に琵琶をお勧め申し上げます。大宮は、「柱をさすことさえ心もとのうございますのに」と仰せになるのですが、おもしろくお弾きになります。そして、「明石の女君は幸運なだけでなく、やはり不思議なほど心がけの立派な人だったのでしょうね。今まで源氏の大臣がお持ちでなかった姫を、その人がお生み申し上げたのですもの。その姫を身分の低いままにしておかず、高貴なご身分の紫の女君にお任せしたその母君の心がけは、申し分のない人と聞きましたよ」と、内大臣にお話しなさいます。
October 24, 2012
内大臣には弘徽殿女御の他にもう一人娘がおわしました。このおん娘の母君は皇族の血筋でいらっしゃいますので、高貴なことでは弘徽殿女御に劣ることはないのですが、その母君が今は按察大納言の北の方となりまして、当面大納言との子どもの数が多くなりましたので、内大臣は『その子らと一緒にして按察大納言に娘を譲るのは筋違いであろう』とお思いになって、実母からお離しになり、祖母の大宮にお預けになったのでした。内大臣は、弘徽殿女御に比べてずっと軽んじていらしたのですが、人柄や見目形などがたいそううつくしい姫君でいらっしゃいました。源氏の大臣の若君は、祖母の大宮のおん元でこの姫君と共にお育ちになりましたが、姫君の父・内大臣が、「いとこ同士とはいえ、女は男に打ち解けるものではない」と、十歳を過ぎたころからお部屋を別々にしてしまいました。若君は幼心に恋しい気持ちがなきにしもあらずで、ちょっとした花紅葉につけても、お人形遊びのご機嫌取りにも睦まじくいつも一緒で、お互いに気心がよく分かっていらっしゃいましたので、姫君も恥ずかしがって隠れるということがありませんでした。お世話する乳母や女房たちも「十歳を過ぎたからといって、心配なことなどございませんわ。幼い同士でいらっしゃるのですもの」「今までずっとご一緒にお育ちになった仲でいらっしゃいますのに」「急に引き離すなんて、どうしてこんなにばつの悪い思いをおさせになるのでしょうね」と言いあいます。姫君こそ子どもらしく無心におわすのですが、若君はあんなにたわいない幼いお年ごろと見えて、大胆にもどのような御仲でいらしたのでしょうか。お居間も別々で思うように逢えず、落ち着かなく思っているようなのです。未熟な筆跡ながら、生い先が楽しみなふうにお書き交わしになる御文の数々には、子ども心の不用心から他人の目に触れる折がありますので、姫君方の女房たちの中には、お二方の恋心を何となく知れる者もあったのですが、誰に何と申し上げることができましょう。見て見ぬふりをしていたのでございます。
October 23, 2012
先週末のこと。店を閉めて家に帰り、ほっとして服を着替えていると、留守電ボタンが点滅している事に気が付いた。母方のE子叔母からで、母のすぐ下の妹(私の叔母)の訃報だった。「お通夜は身内のものだけということで、今日の夜6時半からです」時計を見るともう7時だ。寝室に駆け上がって喪服をとり勢いよく下りてきたが、バッグとアクセサリーを忘れてしまった。さらに黒いストッキングを忘れて三度駆け上がり、下りてくると猫が「お腹すいた」と、足にからみつく。ほとんど裸で猫に餌をやり、喪服を着てみると何とウエストがぴちぴちではないか!最後に喪服を着たのは7年前。奇しくも7年前のあの夜は、今夜亡くなった叔母の娘、私の従妹のお通夜だったっけ。それはともかく、時間がない。母に、「M子おばちゃん、亡くなったんだってよ。私、代表して行って来るけど、香典袋ある?お香典、*万円でいいかな?」と訊くと「2000円でいいんじゃない」ときた。人間も90年以上生きていると、時代をワープするようだ。金額はともかく、香典袋が見当たらない。家人に、「ねえ、一枚しかないんだけど、この一枚に二家族分入れたらだめかな?」と訊くのだから、『この母にしてこの娘あり』だ。きつめの喪服に身を納めながらPCで斎場の電話番号を確認し、ナビ設定してともかく出かけた。香典袋は途中のコンビニで買った。斎場では儀式がすでに終わり、伯父や叔母たちが祭壇の前の椅子に並んで、こっち向いて座っている。私がのぞくと「おいで、おいで」と手招きする。私「E子おばちゃん、お電話いただいたのに連絡しないですみません」E子叔母「お仕事で忙しいんでしょ。よく来てくれたわね」E子叔母夫「おお、来たか。元気か?」私「はい、お蔭さまで」従兄A「あれ、久しぶりだね。どうしてるの。え?店やってる?何の店?」私「薬局に決まってるでしょー」従兄B「ほんと?!」従弟C「どこで?家で?」私「も~うるさいな~。写真撮ったらじっくり話し相手になってあげるからっ。」数え年90歳という叔母の通夜ともなれば、集まる兄弟姉妹もレッキとした後期高齢者であり、甥や姪もそれなりの年令になっているので、まるで老人会のようだ。普段はまったく音信不通なのだが、こういうふうに集まると、一瞬とはいえ年齢を忘れて懐かしい気持ちになるのが親戚というものだ。写真撮影が終わると、後遺症で言語障害のあるM子おばちゃんが、「お母さん、元気?」と、この場に来られない母を気遣ってくれる。喪主である従兄と挨拶を交わしながら、人の流れのままに出口に向かい、クルマに乗って帰ってきた。「おんや、ずいぶん早かったね」と家人に言われて、ハッタと気付いた。お通夜で仏前に手を合わせるのを、すっかり忘れていたのだ。全く私のすることときたら・・・。 あらためて、叔母上のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
October 22, 2012
さて、立后の儀がありそうな時分ですので源氏の大臣は、「帝の母宮・藤壺の宮も『お世話役に』と立后を私にお頼みなされましたので、ぜひ斎宮の女御を中宮に」と、故・藤壺の宮のご遺志に託して主張なさいます。とはいえ、藤壺の宮に引き続き『源氏』の出身者が中宮の地位にお就きになることを、世間の人が承認いたしません。『最初に入内なさった弘徽殿の女御を差し置くのは、いかがなものか』と、斎宮女御方、弘徽殿女御方それぞれに好意をお寄せになる人たちは『どうなることやら』と、ひそかに気を揉んでいます。兵部卿の宮と申し上げる紫の女君の父宮は式部卿の宮となり、まして今では帝の御伯父宮でいらっしゃいますので、帝からのご信任は厚く、御娘は以前からの希望通りに入内なさいました。それで斎宮の女御と同様に、王女御としてお仕え申していらっしゃいます。「同じ皇族出身の女御でいらっしゃるなら、帝の御母宮の姪でいらっしゃる王女御こそふさわしいではありませんか」「故・藤壺中宮のかわりの御後見でしたら、式部卿の宮の王女御がお似合いと存じますわ」と、王女御方の女房たちはそれぞれに競争するのですが、やはり梅壺の、斎宮の女御が中宮にお立ちになりました。母・六条御息所の不運より斎宮の女御の幸運が優れていたことを、世間の人は驚き申し上げます。源氏の大臣は太政大臣に昇進なさいまして、右大将が内大臣におなりなさいました。内大臣が政務を執り行うべく、お譲り申し上げたのです。内大臣のお人柄はたいそう真面目で形式を重んじ、心遣いなどにもそつがありません。学問においては、韻塞ぎでは負けてしまいますが、公事に優れていらっしゃいます。多くの夫人たちに御子たちが十余人おいでで、それぞれがしだいに成人していらっしゃるにつけても次々に立身出世なさり、どなたもみな劣らず栄えているご一族でいらっしゃいます。
October 21, 2012
入学試験をお受けになる日には、上達部の御車が数知れず寮門に集まりました。まるですべての上達部が集まったように見えるほど大勢の人にかしずかれ、美しい衣装をお召しになって寮門をくぐり給える若君のご様子は、ほんに貧乏学生の仲間入りなどできそうにないほど上品で可愛らしいのでした。例の博士たちのように、みすぼらしい者たちの末席に列するのを『辛い』とお思いになるのは尤もなことなのです。ここでもまた大声で叱りつける儒者たちがいて不愉快なのですが、若君は臆することなく問題をすべてお読みになりました。昔が思い起こされるほど大学の栄えるころですので、上達部、殿上人、それ以下の子弟までもが我も我もと学問の道を志して集まりましたので、ますます学才のある有能な人物が多くなりました。若君は文人擬生という事から始め、すべてすんなりと合格しておしまいになりましたので、師の大内記も弟子の若君もひたすら熱心に勉強にお励みになります。源氏の大臣も頻繁に詩文をお作りになりますので、博士や才能ある人たちは得意になっていました。学問だけではなくすべて何事につけても、その道に才能のある人が用いられる世の中でした。
October 20, 2012
若君はじっと東院に籠っていらして、気の晴れぬままに、『父上はひどい仕打ちをなさる。こんなに苦しい勉強をしなくても高い位にのぼり、世に用いられる人はたくさんあるというのに』と、源氏の大臣を恨めしくお思いになるのですが、お人柄が真面目で浮ついたところがおありにならないので、勉学の苦労をたいそうよく耐え忍び、『何とかしてしかるべき漢籍を早く読み終え、朝廷に出仕もし、出世もしよう』と努力なさいましたので、たった四・五カ月のうちに百三十巻もある史書などという書物を読了なさったのでした。今は大学寮の試験を受けさせようと、まず父・源氏の大臣の御前にて試験をおさせになります。伯父君でいらっしゃる右大将、左大弁、式部大輔(たいふ)、左中弁に、御師の大内記をお召になり、史記の難しい巻々や寮試験で文章博士がくり返し問いそうな箇所を引き出して、一通り読ませてごらんになるのですが、どの箇所もすらすらとよどみなく、よく理解してお読みになる様子は不審なところがありません。あきれるほど珍しいこととして人々は感嘆し、「やはり天賦の才であることよ」と、誰もがみな涙を落とし給うのです。まして伯父君の右大将は、「もし太政大臣がご存命でいらしたなら、どんなにお喜びであったことか」とおっしゃって、お泣きになります。源氏の大臣も堪える事がおできにならず、「子が成長していくにつれ、親は耄碌していくものだと申しますが、今まで私は『見苦しい』と他人事のように存じておりました。私はまだそれほどの年令ではございませんが、それが世のならいというものなのでございましょう」と仰せになって、涙を押し拭っていらっしゃいます。その様子を見る大内記は内心『嬉しく面目あり』と思うのでした。右大将が盃をお勧めになりますので、たいそう酔いしれたその顔つきは、ひどく痩せて見えました。大内記は大変な偏屈者で、学才のわりには世間で用いられず、人付き合いも悪く貧乏であったのですが、源氏の大臣が『見どころのある人物』とお認めになって特にお召し寄せになったのでした。それで大内記は身に余るほどのご恩顧を賜ったのです。この若君のおかげで生まれ変わったようになったことを思いますと、まして若君が出世なさるこれから先は、並ぶ人なき世評を得ることでございましょう。
October 19, 2012
儀式が終わって退出する博士や才人たちをお召しになり、またまた漢詩をお作らせになります。詩文に嗜みのある上達部や殿上人も、みなお引き留めになります。博士たちは四韻、それ以外の人々は源氏の大臣も、絶句をお作りになります。文章博士がおもしろい題を選んでたてまつります。夜の短い頃ですので、夜が明けてしまってから詩を読みあげます。左中弁が読み上げの講師役を奉仕申しあげます。この人は顔立ちがたいそううつくしく、重々しい声使いで神々しく読み上げる様子がたいそう面白いのです。他の博士たちと違い、格別世評の高い博士です。高貴な家柄にお生まれになり、世の栄華に戯れておいでになれるご身分の若君が、窓の蛍や枝の雪で刻苦勉励なさる御志がいかにすばらしいかを、故事になぞらえて作り集めた漢詩は、句ごとに興味深く『本場の唐土にも伝えたいほどの出来栄え』と、世間でもてはやし、大評判になるほどでした。源氏の大臣の作品のすばらしさはいうまでもありません。修辞はもとより、父親としての深い愛情が行間に溢れていますので、列席者はみな涙を落として誦んじ騒ぐのですが、女の私が知り得ない漢詩のことを語り伝えると『小癪なことを』と非難されますので、書かないことにいたしました。字(あざな)をつける儀式に引き続き、入学の礼ということをおさせになります。二条院の東院に御曹司を造り、有能な師をお付けになってまめまめしく学問をおさせになります。入学後は大宮の御もとに、容易には参上なさいません。大宮は、母を亡くした若君を夜となく昼となく慈しみて、いつまでも子ども扱いしていらっしゃいましたので、大殿では十分な学習がおできになるまいとて、二条院の静かなお部屋に籠らせなさったのです。それで一月に三度だけ、大宮のもとに参上することをお許しになりました。
October 18, 2012
若い君達は、借り衣装でしゃちこばった博士たちの滑稽さに堪え切れず、笑いだしてしまいました。実は、失笑などしないように、それなりの年令の落ち着いた者ばかりを選び出して酌などもおさせになったのですが、いつもとは勝手が違う儒家風の酒宴です。右大将や民部卿などは危なっかしい手付きで杯をお取りになりますので、博士たちがびっくりするほど厳しく指摘してこき下ろします。「相伴役の方々は、はなはだ無作法でいらっしゃる」「私のように著名な儒者を知らずして朝廷にお仕え申すとは、はなはだ愚かである」などと言いますので、相伴役の人々はみな我慢できずに笑いました。するとまたそれを指摘して、「騒々しい」「静かになされい。はなはだ無作法でござる」「座をお立ち退きいただこう」など、脅したように言いますのもたいそう可笑しいのです。見馴れない人々は『珍しくて面白い』と思い、儒学の道から出世なさった上達部などはしたり顔にほほ笑みを浮かべて、「こうした学問の道をお好みになる源氏の大臣のご意向はすばらしい」と、限りなくお褒め申し上げるのでした。博士たちは、少しでも話すとそれを制します。無作法だと言っては咎めます。夜になると口やかましく騒ぎ立てる博士たちの顔は、明るい灯火の光に反って浮き立ち、滑稽にも、みすぼらしくも、恥ずかしげにもさまざまに見え、ほんに並の人相とは違っているのでした。源氏の大臣は、「私はひどく不真面目で行儀が悪いから、きっと叱られてしまうだろうね」と仰せになって、御簾の中に隠れてお式をご覧になりました。座席数が限られていますので、席に着きかねて帰って行く大学の学生(がくしょう)たちがいることをお聞きになると、釣殿のあたりにお召し留めになって引出物をおやりになるのでした。
October 17, 2012
そう申し上げますと、大宮はため息をおつきになって、「ほんにここまで深くお考えになってのことでございましたか。そうとは知らず、右大将なども『六位とは、あまりにひどい』と首をひねっておりました。若君も幼心にたいそう口惜しいようでございます。大将や左衛門督の子どもなど見下しておりました者たちが、皆それぞれ位が上がって一人前になっているというのに、自分は六位の浅葱色の袍であることを『ひどく辛い』と思っているようでございまして、それが可哀想で」と申し上げます。源氏の大臣はお笑いになって、「一人前に私を恨んでいるのですな。何と思慮のない若輩者でございましょう」と、可愛くお思いになります。「学問などして、少しは物の分別がつくようにでもなりましたら、自ずと分かることでございましょう」と大宮にお話申し上げます。入学に際して字を作る儀式は、二条院の東の院でなさいます。貴族の子弟が大学へ進学することは稀ですので、上達部、殿上人たちが我も我もと参集なさって、従五位下の文章博士たちでさえ、反って気後れがするほどなのです。「私の子であっても遠慮せず、法式の例に従い厳格に実施せよ」との仰せがありましたので、博士たちは無理に冷静を装い、身に着かない借り衣装の不格好な姿で恥かしげもなく、面もち、声使いももっともらしく振舞います。並んで座に着く作法から始まり、君達には何から何まで初めて見る事ばかりなのでした。
October 16, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 大宮がご対面なすってお問い詰めになりますので、源氏の大臣は、「まだ幼いうちから強いて大人扱いすることもございませんが、私に思うところがございまして、ここ二・三年は学問の道に専心させようと存じます。学問を積んだならば、朝廷にお仕えする時にきっと一人前の人物にもなりましょう。私自身は幼少より内裏で成長いたしましたので、世の中の有様を知ることなく、夜昼父・桐壺院の御前に伺候いたしまして、わずかに漢籍なども学びましたが、畏れ多くも院の御手よりご伝授いただいた学問の道でも、広い教養を身につけなければ、漢学を学ぶにしても、琴や笛の調べでも力が不十分で至らぬことが多うございました。つまらぬ親に子が勝るためしは世に稀であると申します。まして子々孫々と伝わる先々を思いますと、ひどく気掛かりに存じまして決心したのでございます。 名門の子弟として生まれた者は思い通りに昇進いたしますので、心驕りするのが世のならいとなり、学問に身を苦しめる必要などないと思われましょう。遊興ばかりを好みながら思い通りの官職・位階に就いたなら、時勢に従う世間の人が、内心では鼻であしらいながらも、機嫌を取りつつ追従するうちは何とか一人前に思われて重々しいようではありましょうが、時が移り頼りにしていた親・兄弟などに先立たれて家勢が衰退いたしますと、人に軽んじられ侮られて、拠り所を失うものでございます。やはり学問を拠り所としてこそ、世に必要とされる能力が身に着くものでございましょう。当面は心もとないようにお思いになるでしょうが、将来は国の重鎮となるべき心得を学ぶならば、私亡き後も心配ないと存じまして学問をさせるのでございます。今は頼りない存在ではございますが、こうして大切に教育いたしましたならば、身分の劣る貧乏学生だとして嘲笑する人は、よもやあるまいと存じます」
October 14, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 桃園の宮邸にお仕えする女房たちは、身分の上下にかかわらず皆源氏の大臣に心を寄せていますので、朝顔の姫宮にとっては気が許せない思いでいらっしゃいます。源氏の大臣は、誠意を尽くし、ご情愛の深さをお見せして、姫宮のお気持ちが和らぐ折を待ち続けていらっしゃるのですが、姫宮の御心にそむくような強引なことをなさろうとはお思いにならないようです。★さて大殿の女君腹にお生まれの若君が御元服なさるとて、その準備をなさいます。儀式は御自邸の『二条院で』とお思いになるのですが、今までご愛育なすった祖母の大宮が『晴れの儀式を見たい』とお思いになるお気持ちも尤もですので、やはり三条の大宮邸で執り行います。大納言兼右大将殿となられた頭中将をはじめとして、御伯父はみな上達部という高貴なご身分の方々で、帝からのご信頼も篤くていらっしゃいますので、三条邸でのお支度に我も我もと奉仕なさいます。一族の他にも世の中が大騒ぎして準備に取り掛かる勢いです。 源氏の大臣は若君を『四位の位に』とお思いでしたし、世間の人々もそう思っていたのですが、『まだ幼い年令というのに、思い通りになる世の中だからといってそんなに高い位につけるのは、ありふれたことだ』とお思いになってお取り止めになりましたので、六位の浅葱色の袍で還り殿上なさいます。祖母の大宮がひどくご不快にお思いあそばされたのは尤もな事で、たいそうお気の毒なのでした。
October 13, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 女五の宮の御方にも朝顔の姫宮へと同じように、折々につけて御文を差し上げますので、しみじみと感じ入って、「この君は、昨日今日まで子どもとばかり思っていましたがいつの間にか大人びて、こうして私を気遣ってくださいます。いともうつくしいご容姿に、こうした気配りの心まで加わって、ほんに人より勝って優しくご成長なされたものです」と、まるで子どもを褒めるようにおっしゃるので、若い女房たちは笑います。女五の宮が朝顔の姫宮に対面なさる折にはいつも、「源氏の大臣が、たいそうねんごろに御文をくださるようですのに、あなたはどうして決心なさらないのでしょう。今に始まったご執心でもありますまいに、何をお迷いでいらっしゃるのかしらん。故・父宮も、源氏の大臣が左大臣家の婿となられた時には、見ていられぬほどの落胆ぶりでいらっしゃいましたよ。『私が婿君にと思い立ったのに、朝顔の姫宮が頑固に拒絶なさった』とおっしゃりながら、よく悔しがっていらしたものです。左大臣家の姫君がお亡くなりなさった時は、三の宮のお悲しみがお気の毒と思って、特に姫の婿にとお口添えもしませんでしたが、今は左大臣もお亡くなりになったのですから、亡き父宮の思召し通りあなたさまが北の方となられても悪くはないと思うのですよ。昔と同じように熱心に御文をくださるのは、ご夫婦となられるべき宿縁があるからだと、私は思っているのです」と、ひどく老人めいた話しぶりで申し上げますのを、朝顔の姫宮は不愉快にお思いになり、「叔母宮の仰せのように、私は故・父宮にも強情者と思われながらこれまで生きて参りました。父宮がお亡くなりになったからといって、今さら世間の思惑通り夫婦になるというのは、強情者の私にとって不似合いなことでございましょう」と申し上げるご様子は、こちらが恥かしくなるほど毅然としていらっしゃいますので、これ以上お勧め申すことがおできにならないのです。
October 12, 2012
年が改まり、藤壺の宮の一周忌も過ぎました。喪服の色も改まり、衣更えの季節ということもあって華やかなのですが、それにもまして賀茂の祭りの頃になると空の気色が気持よく、朝顔の姫宮は亡き父・桃園式部卿の宮を偲び、所在なくお庭を眺めていらっしゃいます。御前の桂の下風がゆかしいにつけても、若い女房たちは姫宮が斎院でいらした頃のことを思い出していますと、ちょうど折よく源氏の大殿(おおいとの)より、「今年の御禊の日は、のどかにお過ごしかと存じますが」と御消息文が届きました。そして、「御禊の今日は、かけきやは 川瀬の波もたちかへり 君が御禊の ふぢのやつれを(あなたさまが賀茂の斎院となられたときは、父宮が薨去なすって喪に服すことなど、思いもかけないことでございました)」と、紫の紙に、恋文ではなく普通の書状のように書いて、藤の花につけてあります。折も折でしたので、朝顔の姫宮はお返事をなさいます。「ふぢ衣 着しは昨日と思ふまに 今日はみそぎの 瀬にかはる世を(父宮の薨去で喪服を着ましたのは昨日とばかり思っておりましたが、今日はもう除服のみそぎをする日になってしまいました。時の移り変わりは、速いものでございます)はかなく」とだけ書いてありますのを、いつものようにじっと見ていらっしゃいます。除服の際にも女房の宣旨のもとに『朝顔の姫宮のおん為に』と、置き所のないほどたくさんの御衣装をお贈りになります。朝顔の姫宮は「まるで深い関係があるようで、何だかとてもみっともないわ」とおっしゃるのですが、『気を引くような懸想文などがこの御衣装に添えられてあったなら、何とかしてお召料をお返しもしようけれど、今までも表向きのお見舞いとしてはいつも差し上げてきたのですもの。真面目な御文に対して、どういう口実でお返ししたらいいのかしら』と、宣旨は困っているようなのです。
October 11, 2012
朝顔の巻では紫の上が朝顔の姫宮の存在に、嫉妬や危機感、不安感を覚える心理が描かれる。明石の上にもそのような感情を抱くが、明石は受領の娘で身分が低いから正妻にはなり得ない。しかも源氏は明石の姫の養育を紫の上に託しているので、まずまず安泰といえよう。ところが朝顔の姫宮は、紫の上と同じ皇族出身だ。紫の上は「(源氏が)朝顔の姫宮に御心移りしたら、私はどんなにみじめな思いをすることか」と嘆いている。紫の上は今のところ朝顔の姫宮と明石の上以外にそういったあからさまな感情を見せていないが「嫉妬心」としては、源氏と冬の月を眺めながら、藤壺中宮、朝顔の斎院、明石の上、花散里といった女性への評価をしている中で、さりげなく「朧月夜の尚侍の君」について源氏に鎌かけている。「尚侍のかみこそは らうらうしく、故々しき方は 人に勝り給へれ。あさはかなるすぢなど、もて離れ給へりける 人の御心を。あやしくもありけることゞもかな」(朧月夜の尚侍の君こそは何事にも巧みで、奥ゆかしい点では他の女君に勝っておいででございましょう。軽率なお振舞いなどおありでない御方ですのに、不思議なことが数々おありでしたのね)朧月夜の尚侍の君は明るく快活でかわいらしいけれども、奥ゆかしいとはいえず、むしろ「あさはかなる筋」のある大胆な女性であることを読者は知っている。彼女との恋愛沙汰が原因で夫が流離するハメに陥ったのだから、一人残された紫の上がここで『恨み事の一つも言ってやれ』と私は思うのだが、続く源氏の「さかし(その通り)」というひと言で、嫌味も吹き飛んでしまう。その上須磨流謫の原因は自分にないばかりか、私は他人よりずっと思慮深い人間(人よりは、こよなき静けさと思ひしだに)とまで言ってのけるのだから、読者は「あらら~」と呆れてしまうのだ。藤壺についても、「いと気遠くもてなし給ひて、くはしき御有様を見ならしたてまつりしことは なかりしかど」(私とは遠く隔てを置いていらしたので、はっきりお姿を拝見したことはありませんでしたが)と、真っ赤な嘘をついている。物語の登場人物たちと読者とでは知るところが違ってきたのだが、これは作者が読み手を強く意識してきたからではないかと私には思える。
October 10, 2012
すると月半ばになって、一人の親切な男性から丁寧なお返事をいただいた。彼によると私の解釈「いじらしい」は「深読みのしすぎ」で、「はたから見て美しい親子像に見えた」という意味でいいのではないか、というものだった。確かに、紫の上にとって明石の姫は継娘になるのだし、「継子いじめ」については「蓬生」でも明確に描かれているから、ここでは「本当の母娘のように仲のよい姿」として捉えるのが妥当なのかもしれない、と私も思うようになった。そう考えると、私の「いじらしい」はまさに深読みであって、苦笑せざるを得ないのだが、「厭な感じ」について、非常に興味深いご意見を頂戴した。つまり「出るはずのない乳を含ませるのが『戯れ』」なのであって、これが、「女性の秘奥の部分に触れる」からではないか、というものだった。私は「乳の出ない乳首を含ませる」という行動とともに「戯れ」という言葉にもひっかかりを感じたのだが、それを明白に説明できなかったのだ。何ともいえない(生理的に)厭な感覚といったらいいだろうか。大胆に言わせてもらえるなら、女性である紫式部がここで「戯れ」という言葉を使うだろうか、と疑問に感じたのだ。性に関するデリケートなシーンについてはほのめかしてあるにもかかわらず、時として現代の私たちがドキッとするようなあからさまな表現や言語が出てくることもしばしばあって、どう訳したらいいものか方向を失った未熟な私は、そのたびに交差点の真ん中で立ち往生することになる。そうして深読みしてしまうのかもしれない。
October 9, 2012
先月初め「源氏物語を原文で楽しむ」というコミュニティに、一つのトピを立ててみた。 -------------★--------------はじめてトピを立てさせていただきます。 現代語訳をしながら源氏物語を読んで、ぼちぼちとブログに上げています。 只今「薄雲」の巻ですが、紫の上が明石の姫を愛おしげに懐に抱いて 「御乳をくゝめ給ひつゝ、たはぶれ」るところがあります。 原文: 何事とも聞き分かで されありき給ふ人を 上は「うつくし」と見給へば、 をちかた人のめざましきも こよなく思し許されにたり。 「いかに思ひおこすらん。我にて、いみじう恋しかりぬべきさまを」 と、うちまもりつゝ ふところに入れて うつくしげなる御乳を くゝめ給ひつゝ 戯れゐ給へる御さま 見どころ多かり。 拙訳: 明石の姫君はこのような事など知る由もなく、無邪気にはしゃぎまわって いらっしゃいますので、紫の上は姫可愛さに、あちらの女君への不愉快なお気持ちも すっかり消えてしまうのでした。 『あちらではきっと姫を心配していることでしょうね。もし私だったなら、 ひどく恋しく思うでしょうに』 と、姫君を見つめながら懐に入れて、可愛らしい御乳を口に含ませて戯れていらっしゃるご様子は、いじらしいのです。 原文で紫の上の「御さま」について「見どころ多かり」と表現されていますが、私には捉えどころがなく何とでも解釈できる、この「見どころ多かり」を、どのように訳したらいいものかと思案しております。 私は「御子のない紫の上」が、「戯れに自分の小さな乳首を姫のお口に含ませようとしている様子」がピンとこないというか、はっきり言うと「ちょっと厭だな~」といった感覚になるのです。 それで「御子のない」ことを第一に考えて、あえて「いじらしい」としてみましたが、 「きゃっきゃと戯れている感じかもな~?」と思ったり......。 ちなみに谷崎源氏では「あでやかさ」、与謝野源氏では「外から見ても美しい場面であった」、田辺源氏では「まるで、絵のように美しい母子にみえた」と訳されています(瀬戸内源氏は読んでないので分かりません)。 御子のない紫の上が、自分の小さな乳首を姫のお口に含ませようと戯れている「御さま」(姿・様子)をどのように捉えるか、だと思うのですが、 皆さまならどのように解釈なさるでしょうか。 ぜひご意見をいただきたく存じます。 よろしくお願いいたします。-------------★---------------
October 8, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード お部屋にお入りになって、故・藤壺の宮の御事を思いながらお寝みになりますと、夢ともなく宮の面影をほのかに拝見しました。藤壺の宮はひどくお恨みのご様子で、「私との事を『人には漏らすまい』とおっしゃったのに、辛い秘密があらわになってしまい、恥ずかしく苦しい思いをしております。それにつけても、あなたさまを恨めしく存じます」と仰せになります。『お返事を』とお思いになるうち何かに襲われるような気持ちがして、紫の女君が「まあ、どうなさいましたの」とおっしゃる声に、目が覚めてしまいました。あっという間の出来事がひどく残念で、お胸も騒ぐのですが、抑えてみても涙まで流れるのでした。今もひどくお袖をお濡らしになるのです。紫の女君はどうした事かとお思いになるのですが、源氏の大臣は身じろぎもせずに臥していらっしゃるのでした。「とけて寝ぬ 寝ざめさびしき冬の夜に むすぼゝれつる 夢のみじかさ(物思いのために安眠できなかった冬の夜の寝ざめに見た夢。その夢での逢瀬は、何と短く儚いことでしょう)」その短い逢瀬のために反って物足りなく悲しくお思いになって、朝早く起き給いて、藤壺中宮の追善供養とはお明かしにならず、あちらこちらの寺に誦経をお命じになります。藤壺中宮がお夢の中で『苦しい思いをおさせになる』とお恨みでいらっしゃるにつけても、『さぞお苦しみのことであろう。生前から死後の罪を軽くなさろうと仏道修行をしていらしたのに、この秘事ひとつのために成仏がおできにならぬのであろう』と、お考えになってみますとひどく悲しくて、『知る人もない冥界におわすであろう藤壺中宮をお救い申すためにはどんな事でもしたい。できる事なら地獄にまで尋ねて行き、身代わりになって罪をお受けしたいものだ』と、ぼんやりとお思いになるのです。とはいえ『もしも藤壺の宮のおんために特別の御供養をなさるとしたら、人が取り沙汰するであろう。帝もお気付きになるかもしれぬ』とお考えになって、藤壺中宮の極楽往生のために、一心不乱に阿弥陀仏を念じていらっしゃるのです。願わくは、ご自分も中宮と同じ蓮の上にと、「なき人を したふ心にまかせても かげ見ぬ水の 瀬にやまどはむ(この世に亡き藤壺中宮を慕う我が心に任せてあの世に行ったとしても、あの御方の御姿も見えない。私はきっと、三途の川瀬で迷ってしまうことだろう)」とお思いになるのも、辛い未練というものでございましょうか。
October 7, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 「人の数にも入らぬとあなたが見下げていらっしゃる大井の明石の君こそ、低い身分にしてはできた人で、ものの情趣を心得てはいるのですが、何分受領の娘ですから、他の女人と同列というわけにはまいりません。その気位の高い様子を、私は無視しているのです。しかし、どうしようもない身分の女人というものを、私はまだ見たことがありませんね。とはいえ人並みすぐれた女人というのもなかなかいないものですな。その中に、東の院に所在なくしておいでの花散里の君こそ、変わることなくいつも可愛らしいご性質でいらっしゃる。変わらぬ態度というものは得難いものだが、そういった面でよくできたお人としてお世話するようになってから、ずっと遠慮勝ちで慎ましく暮らしていらっしゃるのです。今ではお互いに離れることができそうになく、しみじみと愛おしく思っているのですよ」など、昔や今の御物語をして夜が更けていきます。月はますます澄みわたり、お庭はしんと静かで風情があるのです。紫の女君、「こほりとぢ 石間の水は行きなやみ 空すむ月の 影ぞながるる(庭石の間を流れる鑓水の流れは凍りついて滞るけれど、空に住む澄んだ月の明かりだけは西の空に流れていきますのね)」と、身を外に乗り出していらっしゃいます。少し頭が傾いていらっしゃるあたりが、似るものがないほどうつくしいのです。髪の様子や面ざしが、忘れ難く恋こがれていらっしゃる藤壺の宮の面影にふと重なってうつくしく、朝顔の姫宮に対する御心も薄れるのでしょうか。折しもお池に鴛鴦(おしどり)が鳴きましたので、源氏の大臣、「かきつめて 昔恋しき雪もよに あはれを添ふる 鴛鴦(おし)のうき寝か(恋しい昔の事があれこれとかき集めたように思い出される雪の夜に、哀れを誘うように鴛鴦が鳴いている。鴛鴦も憂き寝をしているのであろうか)」
October 6, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 「お庭に雪の山を作る遊びは古くからありましたが、先年、藤壺中宮が御前のお庭に作られた時は、面白い趣向を工夫なさったものです。お隠れあそばされたことが残念でなりません。私とは遠く隔てを置いていらしたので、はっきりお姿を拝見したことはありませんでしたが、内裏にいらした間は私を安心できる相手とお思いでいらっしゃいました。私も中宮を頼みに思い申し上げて、折に触れてどのような事でもご相談申したものですが、表立って才気ばしったところもお見せにならなかったけれど、頼りになり、ちょっとしたことにも趣あるように工夫をお見せになる御方でいらっしゃいました。あのような御方は、もうこの世にはいらっしゃらないでしょうね。優しくゆったりしていらしたが、並々ならず奥ゆかしいところがおありだった。あなたは藤壺中宮の姪でいらっしゃるから、さすがによく似ておいでだが、少し厄介なところがあって、きかぬ気の多い点が困りものですね。前の斎院・朝顔の姫宮のご気性は、藤壺中宮とはまた様子が違うように拝見しています。私がもの寂しい折、特に用事がなくても互いに気心が通じ合い、しかし気を使わずにはいられない御方としては、今や朝顔の姫宮お一人だけとなってしまいました」と仰せになります。紫の女君は、「朧月夜の尚侍の君こそは何事にも巧みで、奥ゆかしい点では他の女君に勝っておいででございましょう。軽率なお振舞いなどおありでない御方ですのに、不思議なことが数々おありでしたのね」と仰せになりますので、「まさしく。朧月夜の尚侍の君は、優美で見目麗しい女君の例として、やはり一番に挙げるべきでしょうね。そう思いますと、お気の毒で悔しく思う事が多いのです。まして浮気で好色な男が昔を思い出すとき、年令とともに悔やむことも多くなりましょう。他の男よりずっと落ち着きのある人間と思っていた私でさえこうなのですから」と仰せになって、尚侍の君の御身の上話をなさるにつけても、少しは涙を落とし給うのでした。
October 5, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード「私が斎院の姫君に御文を差し上げるのを、邪推なさっていらっしゃるでしょうか。それは全く見当違いな事ですよ。いつかきっと、ご自分でそれがお分かりになるでしょう。朝顔の姫宮は斎院時代からこの上なく遠慮深い御方でいらして、私など寄せつけもなさらぬご性分でいらっしゃいます。まあ、もの寂しい折々に御文を差し上げる事はあるけれど、あちらでも所在なくしておいでの折には、たまにお返事をくださる程度で、本気の恋ではないのですよ。わざわざお話しするほどの事でもありませんから、あなたはご心配なさいますな」と、一日中紫の女君をお慰め申し上げるのです。雪がたいそう降り積もった上に、今も降り続き、雪に覆われた松と竹の恰好が風情あるように見える夕暮れで、源氏の大臣の御姿も光が増したように見えます。「四季折々につけて人の心を惹きつける花や紅葉の盛りよりも、冬の夜の冷たく澄んだ月に雪の光が調和した空の景色こそ、華やかな色合いはないものの不思議に身に深く感じて、この世以外のことまで思いが馳せられ、面白さも哀れさも残る所なく感じる時なのです。殺風景で面白味がないと昔の人が言ったのは、何とも心浅い感想ですね」と、御簾を巻上げさせなさいます。月が隈なく差し出て辺り一面が白一色です。雪の重みで枝の下がった前栽の姿が痛々しく、鑓水は凍って流れがつかえ、池の水もぞっとするほど凍り付いたお庭に童女たちを下して、雪まろばしをおさせになります。可愛らしい姿や頭の恰好が月明かりに映えて、大柄で物馴れた童女たちは、様々な色の袙を無造作に着て、帯をしどけなく結んだ宿直姿が上品な上に、袙からこぼれるほど長い黒髪の末がお庭の白さにいっそうくっきりと引き立っています。小さな童女たちは子どもらしく、喜んで走り回っては扇などを落としてしまうのですが、それにも気付かず打ち解けた表情をしているのが可愛らしいのです。皆『少しでも大きく丸めよう』と欲張るのですが、なかなか転がすことができず難儀しているようです。片方では別の童女たちが東の簀子に出て、じれったそうに笑っています。
October 4, 2012
[源氏物語] ブログ村キーワード 源氏の大臣は、お腹立ちというわけではないのですが、朝顔の姫宮のあまりにもそっけないご様子がいまいましく、このまま負けて引っ込むのが口惜しくお思いになります。またそれはそれとして、今ではご自身のお人柄に対する世評も格別で申し分なく、物事の道理を深く弁えて、酸いも甘いもお聞きわけになり、昔よりずっと経験豊かになったとお思いになりますと、今さらこのおん年での色恋沙汰は『世間の非難となろう』とお思いになりながら、一方では、『この恋が空しく終わるならば、ますます人の物笑いとなろう。どうしたものか』と迷い、宿直ばかりなさって二条院にはお帰りにならず、留守を重ねていらっしゃいます。紫の女君は本気で辛く思っていらっしゃいますので、じっと堪えてはいらしても、自然に涙がこぼれます。源氏の大臣はそれをご覧になって、「妙にいつもと違うご様子でいらっしゃるが、どうなさったのでしょう」と、愛おしげに女君の御髪をかきやっていらっしゃるご様子は、絵に描きたいほど睦まじいご夫婦仲なのです。「藤壺の宮がお隠れあそばされてからは、帝が寂しそうにばかりしていらっしゃるので、お気の毒に拝見しておりました。それに太政大臣も死去なさって、私の他に政務を執る人もないので多忙なのです。今まで二条院へ帰らなかったことを不審にお思いになるのは無理もありませんが、今ではあなたも気を大きく持って、ゆったりと構えていらっしゃい。大人になられたとはいえ、まだ子どもっぽいところがおありで思慮が浅く、私の気持ちもお分かりにならぬお振舞いをなさるが、それが何とも可愛らしいのですよ」など言い繕って、涙でもつれたおん額髪を調えておあげになるのですが、ますますそっぽを向いてお返事もなさいません。「ずいぶん子どもっぽく聞きわけなくていらっしゃるご性質は、一体誰がお教えになったのでしょうね」と紫の女君に仰せになる一方で、御心の内では、『明日をも知らぬ世だというのに、朝顔の姫宮からあんなにまで恨まれるとは。ああ、情けない』と、お庭を眺めていらっしゃいます。
October 3, 2012

高校時代、生物部の部活で作成したサンショウウオ(幼生)の顕微鏡写真。本命はカエルの受精卵だったのだが、地学の先生が採取して持ってきてくれたので、手順どおりホルマリンで固定してパラフィン埋没、ミクロトームで切片にし、パラフィンを除いて、ハイデンハインの鉄明礬ヘマトキシリン(化学の先生が調整してくださった)で染色してみたら、とてもきれいにできたのだ。これは写真が趣味だった物理の先生が、顕微鏡写真に撮ってくれたもの。写真の劣化で見えなくなってしまったが、右側には眼杯とレンズがあって、脊索もはっきり出た会心の作だった。球形の受精卵は切片にしたとき、希望する断面が出るかどうかがわからないので、高校生にとっては難しかったと思う。当時の私は高校二年生。授業の合間や放課後はもちろん、春休みから夏休みまですべてたった一人で、受精卵の永久プレパラート作成作業に熱中してすごした。一番苦しかったのは、ミクロトームの歯の切れ味が悪く、きれいな切片ができなかったこと。そんな時は校舎の屋上に出て、風に吹かれながらよく泣いた。顧問の先生は私に指導なさることはなかったが、そんな私を見ていてくださったのだと思う。私の知らぬ間に、歯の研磨を業者に頼んでいてくださった。しかも二度や三度ではない。パラフィンの溶剤として、プロパノールやブタノールを湯水のように使ったが、試薬類の使用はとても自由だった。私はこのミッションスクールで、自分の好きな活動を好きなように、自由にできただけでなく、自分でやり始めた事への責任感、黙々と続ける忍耐力、やり遂げた時の喜びを、同時に育み教わったと、支えてくださった先生方への感謝とともに、しみじみ思い出す。
October 2, 2012
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