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むなしく過ぎる年月に添えてひどく寂しく不安なことばかりが多いので、前の斎宮にお仕えする女房たちもしだいに離散していきます。六条御息所のお邸は下京の京極あたりですので人気もまばらで、東山の山寺で撞く入相の鐘の寂しさに、涙がちにお過ごしでいらっしゃいます。御息所は常に斎宮のお傍でいつもご一緒に過ごしていらっしゃいました。伊勢の斎宮にお立ちになった時にも、本来は親が同行して下向するという先例などないにもかかわらず、斎宮のわがままから母・御息所を無理にお誘い申し上げたのですが、死出の旅路においてはご一緒できませんでしたので、涙の乾く暇のないほど思い嘆いていらっしゃいます。お傍にお仕えする女房たちに恋の橋渡しを頼む男たちには、身分の高い者や賤しい者などあまたありました。けれども源氏の大臣が乳母たちにさえ「無断で自分勝手な事をしないように」と、親のように立派な事を仰せになりますので、乳母たちはひどく気恥かしく「つまらぬ失敗をして、お耳に入れぬように」と言い思いつつ、ちょっとした懸想めいた便宜もはかったりしないのです。院におかれましても、いつぞや伊勢に下り給いし折に、大極殿で荘厳に行われたお別れの儀式で、ゆゆしいほどうつくしく見え給いし斎宮の御顔を忘れ難く、お思い続けていらっしゃいますので、「斎宮も私のところに参上なさり、斎院など私の御はらからの宮々と同じように、心おきなくお暮らしなさるように」と、故・御息所にも申しなされたのです。けれども御息所は、『院には重々しい御身分の女御・更衣が仕えていらっしゃる。娘を入内させても、きちんとしたおん後見がなくては……』と、内心そうお思いになりながら、『お上はご病弱でおいであそばされるのも不安だわ。死別ということになったら、斎宮に物思いを加えるようなもの』と、入内をためらっておいででした。院におかせられましては、再度熱心な入内所望の仰せがあったのでした。
April 29, 2012
源氏の君はたいそうこまごまと配慮なさり誠実にお話し申し上げて、しかるべき折には前の斎宮邸に参上なさいます。「恐縮ではございますが、私を亡き御息所の御代わりとして親しくしてくださいますなら本望でございます」など申し上げるのですが、前の斎宮はむやみに恥ずかしがり、引っ込み思案でいらっしゃいますので、かすかにでもお声をお聞かせするなど、とんでもない事とお思いなのです。お傍の女房たちはやきもきして、内気すぎるご性質を嘆きあうのでした。女別当、内侍などの中には、前の斎宮と同じように皇族の血筋につらなる者がいて、優れた女房が多いのです。『前の斎宮を女御として入内させるとしても、他の女人には引けを取らぬはず。どうにかして御姿を拝見したいものだ』こんなふうにお思いになるとは、安心して身をゆだねる事のできる親心と言えるのでしょうか。ご自分の御心もどう変わるか我ながら定めることができませんので、『前の斎宮を入内させる』といったお考えを人に話したりなさいません。源氏の君は御息所のご法事なども特別入念におさせになりますので、前の斎宮にお仕えする人々は喜びあうのでした。
April 28, 2012
源氏の君はしみじみと故・御息所を偲びながら熱心に精進潔斎をなさり、御簾を下して勤行をおさせになります。前の斎宮にも常にご訪問なさいます。前の斎宮は悲しみが鎮まるにつれて、ご自分からお返事をなさるようになりました。気が引けるのですが、御乳母などに代筆させるのは「失礼ですよ」と宥められてのことでした。雪やみぞれが降って荒れた日には、『どんなに寂しく、悲しみに沈んでいらっしゃることだろう』と、御使いをたてまつります。「この空模様を、どのようにご覧になっていらっしゃるかと存じまして、降り乱れ ひまなき空に亡き人の 天翔けるらむ 宿ぞかなしき(雪やみぞれが降り乱れているこの空で、あなたさまの母・御息所の魂が天翔けていらっしゃると思いますと、私は悲しく存じます)」空色のくすんだ紙にお書きになりました。お若い前の斎宮のお目に留まるようにと心を籠めてお書きになりましたので、仕上がりは目もくらむほどです。前の斎宮は、ひどくお返事を書き難くお思いでしたが女房たちの誰もかれもが「代筆でお返事なさるなんて、よろしくありませんわ」とお責め申し上げますので、香を焚きしめた鈍色の紙に、墨つきなどを紛らわせて、「消えがてに ふるぞかなしきかきくらし わが身それとも 思ほえぬ世に(雪やみぞれのようにこの世から消えることもできないわが身を悲しく思います。涙にかきくらして、我が身さえも分からぬ世ですのに)」と、遠慮がちに書かれた様子がたいそうおっとりしています。御筆跡はすぐれてはいないものの、可憐で品の良い感じとご覧になります。伊勢にお下りなさった頃からずっとお気にかけていらしたのですが、『今では私の一存でどうなりと言い寄ることができるのだ』とお思いになる半面、いつもの御癖でそのお考えを翻し、『いやいや、それはお気の毒というものだ。故・御息所がひどく心配していらしたのは道理だが、私が前の斎宮を情人とすることを世間の人も推察しようから、その予想を裏切り色恋抜きでお世話申そう。そして、帝がもう少し分別のつく年令になられたら、入内させたてまつろう。私には子がなくて張り合いがないから、かしづき種にしよう』とお考えになります。
April 27, 2012
「御遺言を承る者の一人にお加えくださったのも、しみじみとかたじけなく存じます。故・桐壺院の御子たちはあまたいらっしゃるが、兄弟として親しく交流してくれる人はほとんどおりません。故・院は斎宮をご自分の御子たちと同様にお世話していらしたのですから、私もさようにお力になりましょう。一人前の年令になりましたが、未だにお世話するような子もなく寂しいものですから」などお話しなさって、二条院にお帰りになりました。その後は今までより少しは熱心にお見舞い申し上げるのでしたが、七日八日ほど後に御息所はお亡くなりになりました。源氏の君は張り合いを失ったようなお気持ちで、世の中もたいそう儚くお感じになって参内もなさらず、ご葬儀の事などあれやこれやと指示なさいます。六条邸には、源氏の君の外に頼りとなるべき人がいらっしゃらないのです。年老いた斎宮寮の役人で、斎宮にお仕えし慣れた者がかろうじて段取りをしているのでした。源氏の君ご自身も弔問にいらして、斎宮の宮を御慰問なさいます。斎宮は、「今はすっかり取り乱しておりまして」と、女別当を通じてお返事申し上げます。「私から御息所にお話し申し上げたことや、御息所からの御遺言などもございますので、今となっては私をあなたさまに近い者とお思いくだされば嬉しく存じます」源氏の君は人々をお召し出でになり、執り行うべき事のあれこれを仰せつけになります。その御姿はたいそう頼もしく、ここ数年来の御息所への冷淡なお気持ちを取り消すように見えます。葬儀は荘厳で、二条院の人々を数え切れないほど奉仕させるのでした。
April 26, 2012
外は暗くなり、内は灯火のほのかな明かりで透けて見えますので、『もしや斎宮のお姿が見えるかもしれない』とお思いになって、そっと御几帳の隙間から覗いてご覧になりますと、薄暗い火影にたいそう上品な尼そぎの御髪の御息所が、脇息に寄り添っていらっしゃいます。たいそううつくしく、絵に描きたいほどの様子でいらっしゃるのです。御帳台の東側に添い臥していらっしゃるのは、斎宮なのでしょうか。御几帳が無造作に引きのけられた隙間から目を凝らしてご覧になると、頬杖をついて悲しそうに沈んでいらっしゃいます。一瞬でしたがたいそううつくしいとご覧になります。御髪が肩にこぼれかかる様子、頭の格好、雰囲気が上品で気高く、それでいて親しみやすく可愛らしいご様子がはっきり見てとれますので、もっと見たいと思いになるのですが、「御息所があれほどまでに心配なさり『恋愛相手にはなさいますな』とおっしゃるのだから」と、お思い直しになります。「たいそう苦しくなってまいりました。見苦しいところをお目にかけますのは畏れ多うございますから、どうぞお引き取りくださいませ」とおっしゃって、女房に助けられながら横におなりになります。「私の見舞いの甲斐があって多少なりともご気分がよろしくなれば嬉しいのですが、苦しさが増すとは、何ともお気の毒なことをいたしました。ご気分はいかがでございましょう」源氏の君が御几帳の中を覗こうとなさる気配ですので、「ほんに、恐ろしいほどにひどく痩せ衰えております。病いの苦しみの最後というこのような時においでくださるとは、ほんとうにあなたさまとは宿縁が深いのでございましょう。私の思いを少しなりともお話しさせていただきましたので、たとえ私が死んだとしましても頼もしゅう存じております」と、お傍の女房に伝言をおさせになります。
April 25, 2012
源氏の君は、「あなたさまからの仰せがなくとも、お見捨て申す事はございません。ましてこのようなご依頼をお受けしましたからには、私の心の及ぶ限り、どのような事にも御世話申し上げましょう。かくなる上は斎宮の御将来について、ご心配なさいますな」などお慰めになります。御息所は、「何とありがたい御志でございましょう。ほんに将来を頼むべき人があったとしても、女親と死別した娘というものは、ひどくあわれなものでございましょう。まして父もなく母親をも失う斎宮を、情人のようにお扱いになるならば、妬みや嫉みといったどうにもならぬ辛さを味わい、他の女人からも憎まれるのではないかと、それが心配なのでございます。私の取り越し苦労ではございましょうが、どうか御心にかけて世間並みの浮気な恋愛相手にはお思いくださいますな。私自身の不幸な体験を振り返りましても、女は思いがけず男によって物思いを受けるものでございますから、斎宮だけは何とかしてそのような苦しみから守りたいと思うのでございます」と申し上げますので、源氏の君は『可愛げのないことを言うものだな』とお思いになるのですが、「近頃は何事につけても分別がつきましたのに、まだ昔のような好き心が残っているようにおっしゃるのは不本意というものです。まあ、そのうちお分かりになるでしょう」と仰せになります。
April 24, 2012
帰京なさってからも、六条の古いお邸をたいそうよく修理させましたので、御息所は優雅に住んでいらっしゃいました。御息所の洗練された風雅なお暮らしぶりは昔と変わりありません。もの寂しさは感じられるものの、上品な女房が多くお仕えし、風流な女主人のいらっしゃる六条邸には好き者たちが自然に集まりますので、それを気晴らしに過ごしていらしたのです。ところがにわかに重くお患いになられて、たいそう心細くお思いになられたからでしょうか、長年仏を遠ざけて伊勢にいらしたことをたいそう恐ろしくお思いになり、出家なさったのでした。源氏の大臣はそれをお聞きになり、心にかけるような色恋沙汰ではないのですが、やはりそれなりのお話し相手と思っていらっしゃいましたので、尼になってしまわれたことが残念で、驚きながらお邸においでになりました。御息所には、飽くことなくしみじみとした御慰問を申し上げます。ご病床に近い御枕上に御座所を設けます。御息所は脇息に覆いかぶさり、簾越しにもひどく衰弱していらっしゃるご様子が窺えます。源氏の君は、『絶えることのない私の真心を、見届けていただけないのではあるまいか』と残念で、ひどくお泣きになります。御息所も、源氏の君がこうまでご自分のことを心にかけていてくださったことを、しみじみと嬉しくお思いになって、斎宮のおん事をお話し申し上げます。「私の死後、娘の斎宮がよるべのない身としてお残りになりましょう。どうか折に触れて気にかけてやってくださいませ。あなたさまの外にはお世話を頼む人もなく、世にまたとなくお気の毒なおん身の上なのでございます。甲斐なき身ながら、こうして私が生き長らえておりますのも、斎宮がもう少し分別がおつきになるまで御世話をしたいと思うからなのでございます」と仰せになり、息絶え絶えにお泣きになります。
April 22, 2012
帰京への道々は遊覧を楽しみ管弦のお遊びなどで賑やかなのですが、御心の中ではやはり明石の女君の事を気に掛けていらっしゃいます。難波の遊び女どもが集まって参りますので、身分の高い上達部と申しましても若くて色好みの方々は、みな目をお留めになるようです。されど源氏の君は、『いやいや、面白いことも恋愛事も、みな相手の女によるであろう。普通の色恋沙汰でさえ少しでも軽薄な女ならば、心を惹かれることなどないものなのに』とお思いになるのですが、遊女どもは得意になって媚を売っていますので源氏の君は疎ましくお感じになるのでした。明石の女君は、源氏の君をやり過ごした翌日がちょうど日柄もよかったので、住吉に御幣をたてまつります。身分相応な祈願などをしてとりあえずお礼を果たしました。けれども思いがけず源氏の君の一行に出会ってしまったものですから、反って物思いが加わり、明け暮れ賤しい身分の我が身を思い嘆いています。『もう都にお着きになるころかしら』と思うころ、御使いがありました。御文には『近いうちに都に迎えたい』旨が書いてあります。たいそう頼もしげに京に迎えたいと仰せなのですが、女君は、『どうしましょう。明石を離れ都に迎えられたとしてもこの身分では、どっちつかずの心細い思いをするのではないかしら』と、思い煩うのです。父・入道もいざ娘・母子を手放すとなればひどく気がかりで、さりとて明石に埋もれたままというわけにもいかず、長年の心配よりも反って心労が絶えないのです。明石の女君は何事にも気が引けて、決心し難いと御返事申し上げます。★そういえばあの伊勢の斎宮も御代替わりによって交替なさいましたので、母・六条御息所も都にお帰りになりました。その後は今までと変わらず、何事につけても世にありがたいほどのご配慮を尽していらっしゃるのですが、御息所は『昔でさえ冷淡でいらした方ですもの、今さら未練は残すまい』と断念していらっしゃいますので、特に源氏の君がご訪問なさることはありません。源氏の君も、無理に御息所の御心をこちらにお向けなさったとしても、我が心ながら先々のことまでは知り難く、さらにあちらこちらへのお忍び歩きなども今では高いご身分ゆえに窮屈にお思いになって、無理な逢瀬もなさいません。とはいえ、斎宮には『どんなにうつくしく成長なさったであろう』と、好奇心がそそられるのでした。
April 21, 2012
源氏の君が、明石の女君の舟がこの参詣の騒ぎに気圧されて行ってしまったことをお耳になさり、『それは知らなかった』と、哀れにお思いになります。明石の女君との出会いも『住吉の神のお導きのお蔭』と、おろそかに思ってはいらっしゃらないので、『ちょっとした消息文だけでも書いて、心をなぐさめてあげよう。住吉に来合わせながら逢えなかったなら、反って辛く思っているであろうから』とお思いになります。参詣を終えて住吉をお立ちになり、あちらこちらと十分に見物なさいます。難波には七つの瀬にものものしく御祓いを行わせます。堀江のあたりをご覧になって「今はた同じ難波なる」と、思わず知らず明石の女君への『身を尽くしても逢わんとぞ思う』お気持を誦んじていらっしゃいますと、御車近くに従っていた惟光が承ったのでしょうか、御車をお留めになったところで、懐に入れていた柄の短い筆などをたてまつります。源氏の君は『よく気が利く』とお思いになって、たとう紙に、「みをつくし 恋ふるしるしにこゝまでも めぐり逢ひける えにしは深しな(我が身を尽くすほどあなたを恋い慕っております。その証拠に、ここ住吉に来てまでもあなたとめぐり会えたではありませんか。私たちの縁はそれほど深いのですね)」と書いて惟光にお遣りになりますと、事情を知る下人に持たせてあちらへやりました。源氏の君の一行が駒を並べて行き過ぎ給うにつけても、明石の女君の心は動揺して涙するばかりなのですが、源氏の君からの御文がたいそう思いやり深くありがたく、また涙してしまうのでした。お返事には、「数ならで 難波の事もかひなきに などみをつくし 思ひそめけむ(人数に入らぬほどの身でありながら、どうしてあなたさまに身を尽くすほどの想いをかけてしまったのでございましょう)」と書いて、御祓いに用いる白木綿につけて、源氏の君に差し上げます。しだいに日が暮れて行き、夕潮が満ちてきて、入江の鶴も声を惜しまずに鳴くほどしみじみとした折だからでしょうか、人目もかまわず逢いたいとさえお思いになります。「露けさの むかしに似たる旅ごろも 田蓑の島の 名にはかくれず(今の私が着ているのは、須磨や明石で流離っていた昔と同じ旅衣。田蓑の島の蓑にも隠れずに涙に濡れている私は、やはり昔と同じなのです)
April 20, 2012
摂津の国守が源氏の君のもとへ挨拶に参上します。おもてなしは、普段の大臣のご参詣よりも豪勢に鄭重に執り行うのでございましょう。明石の女君はひどくみじめで、『きらびやかな源氏の君の一行に立ち混じり、数ならぬ私がいささかの奉納をしたからといって、住吉の神がご照覧くださりお認めくださるはずもあるまい。とはいえこのまま明石に帰るのも中途半端というもの。今日は難波に舟を止めて、御祓いだけでもしましょう』と、難波に舟を向けました。源氏の君はそんな事など夢にもご存知ありませんでした。一晩中音楽、舞楽、饗宴などの神事をおさせになります。神がお喜びになりそうな事をすべてし尽くして、今までのご祈願以上に珍しいほどまで願ほどきをなさって、管弦のお遊びで賑わしく夜をお明かしになります。惟光のように須磨や明石に御供した人は、心の内で神のご加護をしみじみとありがたく思います。奥からお出ましになった源氏の君に近寄って、こう申し上げます。「住吉の 松こそものはかなしけれ 神世のことを かけて思へば(住吉の松を見ますと、悲しい思いがいたします。須磨や明石での苦労を思い出しますので)」源氏の君は『ほんに』とお思いになって、「荒かりし 浪のまよひに住吉の 神をばかけて わすれやはする(須磨で海の嵐に遇った時も、住吉の神のお蔭で助けられた。私はその霊験を決して忘れることはないであろう)」と仰せになるご様子も、たいそうご立派なのです。
April 19, 2012
深緑色の中にまるで花紅葉を散らしたように、濃い色薄い色と様々な色の袍を着た人々が数知れずいます。六位の人の中でも蔵人は青色がはっきりと見えます。「思えば辛し賀茂の瑞垣」と賀茂の社をうらんだ伊予の介の子・右近の丞も今は靫負に昇進し、物々しい随人を従えた蔵人なのです。良清も同じ衛門の佐となり、仰々しい緋色の袍を着てひと際晴々とした姿はたいそう見事なのです。そこにいるのはみなかつて明石で見知った人々なのですが、当時とは比べ物にならぬほどはなやかで、何の憂いもない様子をしています。その中でも特に若い上達部、殿上人が我も我もと互いに競争し、馬の鞍まで飾りを調え磨きたてている様子などは、明石の田舎者にとって結構な見ものなのです。はるか彼方に源氏の君の御車が見えるのですが、見ると反って辛いので恋しい御方の御姿もよう拝見できません。御車には河原の大臣・源融の例を真似て童随人を賜りましたので、たいそう可愛らしい装束に、髪をみづらに結っています。裾を濃い紫に染めた元結いも優雅で、背丈も姿もうつくしい者ばかりが十人います。その様子は特にすばらしく今風に見えるのです。大殿腹にお生まれの若君を限りなく大切にお世話申し上げ、供人が馬にお乗せ申します。その馬に付き添う童の衣装はみな作り揃えてあって、他の衣装とは様子を変えて分けてありました。それをはるかに眺める明石の女君には、同じ御子でありながら我が娘が悲運に思えて、ますます住吉の御社の方向を拝むのでした。
April 18, 2012
その秋、源氏の君は住吉詣でをなさいます。住吉の神に立てた願が成就しましたので、盛大なお礼参りをなさいます。世の中は大騒ぎして、上達部や殿上人が我も我もとお仕え申し上げます。あの明石の女君は毎年決まって住吉詣でをなさるのですが、去年と今年は懐妊出産のためできなかったので、そのお詫びを兼ねての参詣を思い立ちました。明石からは舟で出かけます。住吉の岸に舟を着けると、海岸には参詣なさる方の一行が大騒ぎしているのが見えました。立派な奉納品を次々に運び出し、楽人や神前に奉納する十頭の馬、それに装束を調えた容貌のすぐれた舞人などもいます。「誰が参詣に見えたのか」と問いますと、「源氏の内大臣殿が御願ほどきのお礼に参詣なさるのだ。それを知らぬとは、呆れたものだ」と、賤しい身分の者までが得意になって、心地よげに嗤うのです。明石の女君は、『何と浅ましい。この日でなくとも参詣の日は他にいくらでもあるのに、よりによって同じ日になるなんて』と、なまじ立派な御様子を遠くから拝見するにつけても、我が身の程を口惜しく思うのです。『こんな下賤の者まで源氏の君にお仕えすることを名誉に思っているのに、私は姫を生んだという宿世の身でありながら、いつもいつも逢いたいと思い申し上げていて、住吉御参詣の日さえも分からず同じ日にやって来るなんて。前世ではどんなに罪深い身であったのでしょう』と思い続けるとひどく惨めで悲しく、密かに涙するのでした。
April 15, 2012
出家なさった藤壺中宮は御位をお改めになるべきではありませんので、退位なされた天皇に準じて御封をお賜りになります。女院付きの官吏たちが任命されますので、藤壺女院は今までよりも凛としてご立派で、仏前でのお勤めや功徳を積むことに精を出していらっしゃいます。今までは弘徽殿大后に遠慮なさって宮中へのお出入りもままならず、帝となられた我が子にお会いできない嘆きに気の晴れぬ思いでいらしたのですが、今ではそれも思いのままで本当に結構なご様子ですので、弘徽殿の大后は『世の中は無情なものね』と、お嘆きでいらっしゃいます。源氏の大臣は事あるごとに大后が気恥かしいほど立派にお世話申し上げますので、弘徽殿大后にとっては反ってきまりが悪く、世間の人々はあれこれ噂しあうのでした。紫の女君の父宮・兵部卿の宮の御子たちも、源氏の君が退去していらっしゃる頃は冷淡で、ただ弘徽殿大后方の御機嫌ばかりを伺っていらしたことを不愉快にお思いでしたので、以前と同じように親しくはなさいません。源氏の君は世の中の人には分け隔てなく結構なご配慮をなさるのですが、兵部卿の宮一族に対しては反って冷淡な仕打ちをも時にはなさいますので、藤壺の女院は兄宮がお気の毒で、残念なこととみたてまつるのでした。世の政は半分に分けて、太政大臣と源氏の大臣が意のままに執り行います。頭中将でいらした権中納言の御娘は、その年の八月に女御として入内なさいます。祖父でいらっしゃる太政大臣はじっとしていられずせっせとお世話しますので、儀式などは実にご立派なのです。兵部卿の宮も中の姫君を帝に差し上げるため大切に養育していらっしゃるとの評判が高いのですが、源氏の大臣は気にもお掛けにならないふうなのでした。どうなさるのでございましょう。
April 14, 2012
かような折のついでにも、あの太宰の五節をお忘れになれず『また見たいものだな』とお思いになるのですが、それはたいそう難しく、人目を忍んでお逢いになることもできません。五節の女は源氏の君への物思いが絶えません。親である太宰の大貮はあれこれ思案して娘を縁付かせようとするのですが、娘のほうは源氏の君との結婚以外考えてもいないのでした。源氏の君は、『気の置けない御殿を造って、五節のような女を集めて住まわせたいものだ。思いのままに可愛がることのできる姫君でもできたならば、その姫の後見にでも』とお思いになります。二条院の東の院は、本院である二条院よりも見ごたえのある今風の造りになっているのですが、風流のわかる受領などを選んで、それぞれに割り当てて工事をおさせになります。源氏の君は朧月夜の尚侍の君をいまだに諦めることがおできにならず、性懲りもなくもとのように好意をお寄せになるのですが、朧月夜の君は懲りていらっしゃいますので昔のようにお相手をなさいません。源氏の君にとっては帰京後のご身分のほうがかえって不自由で、物足りなくお思いになります。帝は御譲位後朱雀院となられてから伸び伸びなさったようなお気持ちで、季節毎に風流な管弦のお遊びなどを楽しんでいらっしゃいます。お傍にお仕えする女御や更衣はみな在位中と同じなのです。中でも春宮の御母女御だけは、以前は特別なご寵愛もなく、朧月夜の君の存在に霞みがちでいらしたのですが、春宮としてお立ちになったご幸運のために、朱雀院のお傍を離れて春宮に付き添っていらっしゃいます。源氏の大臣の御宿直所は、昔の淑景舎です。春宮が梨壺におわしますので、近隣という贔屓目で何事もお話し合いになり、春宮の御後見もしてさしあげます。
April 12, 2012
五月雨で所在のないころ、公私ともにお暇でいらっしゃいますので、ふとお思い出しになられて花散里のお邸にお渡りになりました。明け暮れにつけ何事も源氏の君からのお世話を頼みとしていらっしゃいますので、思わせぶりに恨んだり拗ねたりなさらないので源氏の君にとっては気楽なのです。須磨や明石に退去していらした間に、邸はますます荒れ果てて、不気味な有様になっています。麗景殿女御の君におん物語をなさって、西の妻戸の花散里のところへは夜が更けてからお立ち寄りになりました。月がほのかに射しこんで、たいそう優美な源氏の君のお振舞いも限りなくうつくしく拝見します。花散里の女君はひどく気がひけるのですが、端近くでお庭を眺めて寛いでいらっしゃるご様子は、たいそう感じが好いのです。ちょうど水鶏(くいな)が近い所で鳴きましたので、花散里の女君、「くひなだに おどろかさずばいかにして 荒れたる宿に 月を入れまし(水鶏でも鳴いて私に知らせてくれなかったなら、どうしてこのように荒れ果てた邸に、月光のようなあなた様を迎え入れることができたでしょう)」と、たいそう優しく小声でおっしゃるにつけても『どの女君もそれぞれに好いところがあって、見捨てられぬ世の中だな。こんなふうに控えめに言われると、反って心が痛む』とお思いになります。「おしなべて たゝく水鶏におどろかば うはの空なる 月もこそ入れ(水鶏の声を聞いたからといって戸を開けたりすると、とんでもない浮気者が入ってくるかもしれませんよ)気がかりですね」と口先では申し上げるのですが、花散里の君には浮気な御心などないのです。ここ数年源氏の君のご帰京をお待ち申してこられた点でも、さらに疎かにお思いではないのでした。都をお離れになる折に「悲観して、空を眺めなさいますな」と仰せになった事もお話しになり、「どうして私は『こんなに悲しいことは又とあるまい』と、ひどく物思いに沈んだのでございましょう。私のような憂き身では、嘆かしさは同じことでございますのに」と仰せになるのも、鷹揚で可愛らしいのです。源氏の君はいつものように、どこから出るお言葉なのでしょうか尽きる事無く、やさしくお話しになり、花散里の君をお慰めなさいます。
April 11, 2012
源氏の君へのお返事には、「数ならぬ み島がくれに鳴く鶴(たづ)を けふもいかにと 問ふ人ぞなき(数ならぬ我が身に隠れるように暮らしております姫でございます。今日も五十日の祝いに訪う人さえございませぬ)何事につけ物思いで心が晴れませぬ私に、こうしてたまさかにいただく慰めのお言葉にすがって長らえておりますが、この命もいつまで続く事かと心細く、後顧の憂いのない方法がございますれば」と、熱心に訴えます。源氏の君は何度も読み返し、お返事をご覧になりながら「可哀想に」と独り言をおっしゃって、長いため息をおつきになります。紫の女君はその様子を横目でご覧になり、「私を除け者になさるのね」と、そっと独りごちてお庭を眺めていらっしゃいますので、「そんなにまで勘ぐっていらっしゃるのですか。『可哀想に』と言ったのは、この文を見て思っただけの事なのですよ。明石の様子など昔の事を思い出しての独りごとですのに、あなたはそれもお聞き過ごしにならないのですね」とお恨みになって、御文の上包みだけをお見せになります。筆跡などにはたいそう趣があり、高貴な身分の人でも及ばないほどですので『やはり、それなりの女人なのだわ』とお思いになります。こうして紫の女君の御機嫌をお取りになっていらっしゃる間に、麗景殿女御や花散里といった方々へのご訪問も途絶えてしまいましたのは、何ともお気の毒なことでございます。朝廷でのご公務も忙しく、内大臣という窮屈な御身分ですので、軽々しいお忍び歩きも憚られるのですが、花散里の女君たちから新たな御消息文がない間は、源氏の君も心を落ち着けていらっしゃるのでございましょう。
April 8, 2012
明石入道はいつものように喜び泣きしていました。『生きた甲斐があった』と泣くのも、入道にとっては「道理なこと」と見えます。明石でも五十日の祝いには所狭しとばかりに祝賀を用意していたのですが、源氏の君からの御使者がなければ、それも「闇夜の錦」のように見映えしなかったことでしょう。源氏の君がお遣わしになった乳母も、明石の女君が心に沁みるほど理想的な人でしたので、日々の慰めの話し相手として過ごしました。この乳母に引けを取らぬ身分の女房たちも、入道が都から迎え取って明石の女君に仕えさせていたのですが、みなひどく落ちぶれて都には住めず、人里離れた場所に住処を求めていたところを入道に拾われ、そのまま明石に住みついている者たちばかりでした。それに比べてこの乳母は格別鷹揚で気品がありました。興味をそそられる都での話や、源氏の大臣の日々のご様子、世にかしずかれていらっしゃること、帝からのご信頼のほどについてなど、女のお喋りが限りなく話し続けますので、明石の女君は『なるほど、源氏の君が御心をかけてくださるような姫を生んだ自分も、なかなか大したものなのだわ』と次第に思うようになるのでした。源氏の君からの御文も二人で一緒に見ます。乳母は心の内で『ああ、こんなふうに思いもよらない幸運な宿世というものもあるのね。それに引き換え、辛い人生なのは我が身の上だわ』としみじみ思うのですが、源氏の君から「乳母はどうしていますか」など、ねんごろにお尋ねくださるので、もったいなくて辛さも慰められるのでした。
April 7, 2012
『五月五日は、姫の五十日の祝いにあたるな』と、源氏の君は密かに日数を数え給いて『見たい、逢いたい』と切にお思いになります。『都に在るならばどんなにか立派に祝ってやれるものを、よりによって明石のような田舎で、かわいそうな境遇に生まれたことよ』と、お思いになります。もし生まれたのが男君であったなら、こうまで御心にかけることはなさらなかったでしょうけれど、姫となれば将来は后となるかも知れませんので、畏れ多くも気の毒にも思えて、ご自身の流謫もこの姫君ご誕生のためだったのだと思われるのでした。明石へは「必ずその日に着くように」と、御使者をお出しになります。使者は五日に明石に到着しました。源氏の君からの祝いの品々は見た事もないほど立派で、日用の品まで揃えてありました。御文には、「海松や 時ぞともなき蔭にゐて 何のあやめも いかゞわくらむ(時の定めもなく、岩陰に生える海藻のようにくらしているあなたですから、姫の五十日の祝いといってもたいした事はできないと思いまして)私は心が身体から抜け出て、明石へ行ってしまいそうなほど気にかけています。離ればなれのままではとてもいられませんから、どうか上京を決心なすってください。心配な事など一つもありませんよ」と書いてあります。
April 6, 2012
「これほどまで明石の人を気使い見舞うのは、私の思う所があるからなのです。されど今その仔細を申し上げると、あなたが誤解なさるようですから」とおっしゃって、「人柄が好ましく思えたのも、きっと場所柄のせいで珍しかったのでしょうね」など、お話しなさいます。もの哀しかった夕べの塩焼く煙や明石の君の返歌など、すべてではありませんがその夜の明石の君の容姿や琴の音など、御心にしみたふうに仰せになるにつけても、紫の君は『これ以上の悲しみがあるまいと思うほど私は嘆き悲しんでいたのに、お戯れにでも他の女に気を移していらしたなんて』とお思い続けになって『いいえ。私は、私だわ』とそっぽをお向きになり「思い通りに行かない、悲しい世の中ですわね」と独り言のようにため息をおつきになります。「おもふどち なびく方にはあらずとも われぞ煙に先立ちなまし(明石の御方とあなたさまと、思い合っていらっしゃるお二方とは別の方向でもかまいませぬ。私こそ先に死んで煙となってしまいたいわ)」「おや、何と嫌な事をおっしゃる。たれにより 世をうみ山に行きめぐり たえぬ涙に 浮き沈む身ぞ(一体どなたのために憂き世で海や山にさすらい、絶えまのない涙に浮き沈みする私とお思いなのでしょう。みなあなたのためではありませんか)ほんにどうしたら私の真心をお見せできるのでしょう。でもそれまで私の命があるものでしょうか。ちょっとした事でも女に恨まれまいと思いますのも、ひたすらあなたを思えばこそなのですよ」と仰せになります。筝の事を引き寄せて調子を合わせ、少しばかりお弾きになって紫の君にもお勧めなさるのですが、明石の君がお上手だったとお聞きになったせいで癪に障るのでしょうか、手をお触れにもなりません。紫の女君はもともとたいそうおっとりとして可愛らしく柔和でいらっしゃるのですが、さすがに執念深いところがお付きになり、焼きもちをお焼きになるご様子は反って愛敬があるのです。女君がむきになってお怒りになるご様子を、源氏の君は『おもしろくて可愛らしい』とお思いになります。
April 5, 2012
明石の女君も、源氏の君と別れてから物思いにばかり沈み、身体も衰弱するようで生きる気力も失っていたのですが、このようなご配慮をいただいたので少しは気持が慰められます。頭をもたげて、御使者にもできる限りの贈り物をします。「早く帰りますので」と、使者は帰京を急ぎもてなしを渋りますので、女君は心に思うことなどを御文に少し書きました。「ひとりして なづるは袖の程なきに おほふばかりの 蔭をしぞ待つ(私一人でこの子を育てますにはあまりに非力でございます。覆うばかりに大きなあなたさまのお力を、私はお待ち申しております)」 源氏の君は、不思議なほど小さな姫のことが気掛かりでいらして、見たい、逢いたいとお思いになります。とはいえ紫の女君には、今までのいきさつをお話ししてはいらっしゃいませんので『小耳にはさむことでもあったら困る』とお思いになり、「実はかくかくしかじかのことがあるのです。それにしても妙に皮肉なものではありませんか。私が『このひとにこそ子がほしい』と思うあなたにはなかなか子ができなくて、思わぬ所に生まれるとは実に残念なことです。しかも女の子ですから、将来が望めなくてつまらない。その子をこちらでお世話せずとも構わないのですが、そう思い切って捨て置くこともできないと存じまして。いずれその子を呼び寄せて、あなたにお目にかけましょう。私をお憎みにならないでくださいね」と申し上げますと、紫の女君はお顔を赤らめて、「不思議な事に、いつも嫉妬といった事でご注意を受ける私の心根こそ、我ながら情けない気持ちになりますわ。『嫉妬』など、いつ私が習うのでございましょう」とあてこすりなさいますので、源氏の君はにっこりなさって、「ほらほら、そうやってお恨みになる。『嫉妬』は誰が教えたのか知りませんが、あなたのその態度は心外ですね。私が考えてもいないことに気をまわして、嫉妬していらっしゃるように見えますよ。それを思うと私は悲しいのです」と仰って、果ては涙ぐんでいらっしゃいます。須磨や明石に流浪していた年月、いつも恋しいとお思いだった御心内や、折々の御文のやりとりなどをお思い出しになりますと、他の事などはすべてその時々の慰み事にすぎないとお思いになってしまうのでした。
April 4, 2012
乳母となった宣旨の娘は、洛中を牛車で出て行きました。源氏の君は腹心の者を従者としてお遣わしになります。乳母には、「決して明石の女君の事を口外せぬように」と口固めなさって、明石にお遣りになります。御守り刀をはじめしかるべき品々を、所せましとばかり大量にお持たせになり、乳母にもありがたいほどの細やかな御心付けを十分になさいます。『明石では入道が姫を大切に養育しているであろう』とお思いになりますと嬉しく、自然に微笑まれ給うことが多いのです。あのような田舎住いを哀れにも心苦しくもお思いになるにつけ、ひたすらこの姫のことが気掛かりに思われますのも、前世からの因縁が深いからなのでございましょう。御文にも、「姫君を疎かにお扱いなさいませぬよう」と、何度も明石の女君へ注意なさいます。「いつしかも 袖うちかけむをとめ子が 世をへて撫づる 岩のおひさき(いつになったら私は愛しい我が子をこの腕に抱けるのでしょうか。無限の可能性をもった我が娘を)」乳母は、津の国までは舟で、それより先は馬に乗って大急ぎでやって来ました。待ち構えていた明石入道は大喜びで、限りなく喜びます。都の方角に向かって手を合わせ、もったいないお心持ちにますます姫を大切に思われ、責任の重さに恐怖すら感じるのです。小さな姫は忌々しいほどうつくしくいらして、世にも珍しいほどですので、乳母は、『畏れ多い源氏の君のお考えで姫君を大切にご養育申し上げようとなさるのは、ほんに尤もなことでしたわ』と見たてまつり、今までの不安も吹き飛んで、何ともお可愛らしく思えて大切にお仕えします。
April 3, 2012
源氏の君はもののついでに紛れて、こっそりと宣旨の娘に逢いにいらっしゃいます。宣旨の娘は『乳母として明石に参上いたしますとは申し上げたものの、どうしたものか』と途方に暮れていましたので、源氏の君ご自身のご訪問の畏れ多さに不安が吹き飛び、「仰せのとおりにお仕えいたしましょう」と申し上げます。ちょうど出立によろしいお日柄でしたので急がせなさいます。「明石へ下ってくれなどと常識はずれで酷な事を申すようだが、これは私の思う所があっての事なのだ。私が須磨や明石という田舎暮らしの侘しさを味わった事を思って、そなたもしばし我慢しておくれ」など、事の経緯を詳しくお話しになります。宣旨の娘は、内裏で帝にお仕えしたこともありましたので、源氏の君が見給う機会があったのですが、今ではひどく落ちぶれていました。家の様子は言いようもないほど荒れ果てています。さすがにもと公卿だけあって大邸宅なのですが、茂った樹木が気味悪く『こんな不気味な所に、どうやって暮らしていたのだろう』と思われるほどです。娘は若々しく可愛らしい様子をしていますので、源氏の君はそのままお帰りになれず、「乳母として明石に遣るのは勿体ないような気持ちになりますね。どうしましょう」と、お戯れを仰せになります。娘は『ほんに同じ事なら源氏の君のお傍近くで親しくお仕えできれば、我が身の憂さも慰む事だろうに』と見たてまつります。「かねてより 隔てぬ中とならはねど 別れは惜しき ものにぞありける(以前から親しい仲というわけではなかったけれど、別れとは名残り惜しいものですね)そなたの後を追いかけて行こうか」と仰せになります。「うちつけの 別れを惜しむかごとにて おもはん方に 慕ひやはせぬ(私との別れにかこつけておっしゃるのではなく、お慕いしている方の所へ、あなたさまがおいでになればよろしいではございませぬか)」宣旨の娘が笑いながら、もの馴れた様子で申し上げるのを『なかなか言うではないか』とお思いになります。
April 1, 2012
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