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2019年02月05日

チェコスロバキア2(二月三日)



『日国』の「チェコスロバキア」の記述でもう一つ気になるのが、「三九年にチェコがナチスドイツに併合されたが」という部分である。一般にこのときのナチスドイツによるチェコスロバキア第二共和国の解体については、チェコ側は「保護領」になり、スロバキア側は、ナチスの庇護の下で独立したといわれることが多い。
 スロバキアについては書かれていないので置くとして、このチェコの保護領化を「併合」という言葉で表していいものなのだろうか。チェコスロバキアの歴史で、併合という言葉をよく使うのは、1938年のミュンヘン協定によって決められた、ズデーテン地方の、チェコ側から見れば割譲、ドイツ側から見れば併合である。このとき、ズデーテン地方は完全にドイツの一部として、行政機構なども統一されたのだろうか。

 さて、併合という言葉から真っ先に連想される歴史的な事件は、「日韓併合」である。すでに日本の保護国(被保護国とも)になっていた朝鮮半島を併合して日本の領土にしたという事件なのだが、併合された朝鮮半島が保護領と呼ばれていたかどうかはわからない。総督府が置かれて行政を管轄していたのは、ボヘミア・モラビア保護領と同じだが、朝鮮の総督府自体は、保護国時代にすでに置かれたものではなかったか。と書いておいて念のために調べてみたら、総督府がおかれたのは日本が朝鮮半島を併合したあとのことで、それまでは、統監府という統治機関がおかれていたらしい。伊藤博文は総督ではなく、統監だったというわけだ。
 日本統治時代の朝鮮半島や台湾については、植民地だったと言われることもあるが、本国から遠く離れた欧米諸国の植民地とは地理の面でも趣を異にしているし、欧米流の本国と植民地を完全に切り離した統治とは違って、最終的な日本への同化を目指していたことを考えると、その良し悪しはおくとしても、一方的に搾取されたアジア、アフリカの欧米植民地と一緒にするのは乱暴というものであろう。

 チェコの保護領時代も完全にドイツと一体化されたというわけではないが、だからといって植民地と呼ばれるような立場でもなかった。そう考えると日本統治下の朝鮮半島、台湾との類似性が意外と高いことに気づく。となれば、問題となるのは保護領である。チェコの歴史を語る際には所与のものであるかのように迷いなく使用しているけれども、保護領というのが何なのか真面目に考えたことはない。
 ということで、ジャパンナレッジで検索してみると、意外なことに国語辞典で保護領を立項しているものはなく、百科事典でも『日本百科全書』にはなく、『世界大百科事典』にしかなかった。他に保護領を見出し語として立てているのは外国語系の辞書が三冊あるだけだった。その『世界大百科事典』の記述を一部省略しつつ引用する。


植民的保護領ともいう。(中略)保護領は,概してその後,植民国に併合された。(中略)保護領は,なんらの国際的地位をももたない点で,半主権国としての被保護国(保護国・被保護国)とは異なる。(中略)保護領の性格は国際法的というより国内法的(憲法的)であるから,たとえばケニア保護領が植民地としてイギリスに併合されたとき,その変更は,国際法上,問題とならなかった。
"保護領", 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 これからわかるのは保護領という言葉が、大抵は植民地化の過程で登場し、最初に保護領にした上で、植民地にするという手続きが取られた例があるということと、保護領は保護国とは違うということだろうか。しかし、和英辞典によると保護国も保護領も「a protectorate」と訳されるようなのだ。
 そうすると、保護領という言葉が、第二次世界大戦中のチェコの領域に対して使われたのは、保護国と違って国際的な地位も、半主権も持たず、植民地でもなく、かといって本国と完全に一体化していたわけでもないという微妙な状態を表すために選ばれた言葉だと考えるのがいいのだろうか。何気なく使ってきたが、改めて考えてみると正しいのか不安になってしまう。
 では、台湾や朝鮮半島はと考えると、『世界大百科事典』の植民地的保護領という意味ではなく、ボヘミア・モラビア保護領とあり方が似ている(本当に似ているかどうかは要検討だけど)という観点から、植民地というよりは保護領と言うのが適切なような気もしてくる。この辺の用語は使う人の政治的な立場によっても変わりそうだけど。

 ちなみに、チェコ語で保護領は「protektorát」、併合は「anexe」である。もちろん国家の行為である「併合」と、行為の結果である「保護領」とを同じレベルで比較することはできないし、この手の歴史用語の選択には民族のプライドというのもかかわっているのはわかっているので、これから何らかの結論を出すつもりはない。
 なんてことを考えていたら、以下の記述を見つけた。


1939年3月にドイツはチェコ地方全体を保護領として併合し、スロバキアはドイツの保護国として独立した。
"チェコスロバキア", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-05)



 結局、これが一番穏当な解決方法ということになるのかな。辞書にしても事典にしても解説を書くのは大変そうである。どうにもこうにもしょうもない落ちで終わってしまった。
2019年2月3日24時25分。










posted by olomou?an at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2019年02月04日

チェコスロバキア(二月二日)



 この前書いた「チェコスロバキア」の用例を探す話で、用例の古さとともに気になったのが、あのページに引用されていた『日国』こと、『日本国語大辞典』の「チェコスロバキア」の説明である。たいして長いものではないし、ジャパンナレッジの引用元挿入機能も使ってみたいので全文引用する。

第一次世界大戦後の一九一八年、チェコとスロバキアが合併しオーストリア‐ハンガリー帝国から独立して建設された共和国。三九年にチェコがナチスドイツに併合されたが第二次世界大戦末期にソ連軍により解放され、四八年に社会主義共和国となる。九三年、チェコ共和国とスロバキア共和国に分離。
"チェコスロバキア", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 先ず気になるのが、冒頭の「チェコとスロバキアが合併し」という部分である。これでは二つの国が一つになったようなイメージを持ってしまう。その後の記述を考えれば二つの独立国が一つになったのではないことは明らかなので、ここに使われた「合併」という言葉が引っかかるようだ。ということで、「合併」を『日国』で引いてみる。

(2)二つ以上の町と町、国と国などが、一つになって、新しい町や市、国などをつくること。
"がっ‐ぺい【合併】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 適用できそうなのはこの二番目の意味なのだが、「国と国など」の「など」の部分に、チェコという地域とスロバキアという地域が含まれると解釈するのだろうか。町と町が合併して市になるのは、行政単位としてのレベルがひとつ上がると考えればいいから、それほど違和感はないのだけど、国の中の地域、特に行政区画ではない地名の場合に合併と言うのか。
 例えば、「四国と九州が合併して日本から独立した」というのは、どうだろうか。まだ、「福岡県と大分県が合併して日本から独立した」のほうが違和感が小さい。これは県なら、県知事、県庁という行政の主体が存在するから、その二つ主体の決定で一つになったと考えられるのに対して、九州、四国の場合には、地域として一くくりにはなっているけれども、全体を管轄する行政の主体が存在しないので、合弁の主体がはっきりしない。これがしっくり来ない原因なのだろう。

 では、チェコとスロバキアの場合はどうだろうか。現在のチェコの領域は、歴史的にはボヘミア(チェヒ)、モラビア、シレジア(一部のみ)の三つの部分から成り立っている。オーストリア=ハンガリー時代には、オーストリア側の一部のチェコ人居住地域として三つの地域を一まとまりに扱うことも多かったのではないかと思う。プラハに現在のチェコの領域を管轄する役所があったはずだし(このへんちょっとあいまい)。
 スロバキアのほうは、ハンガリー側の一部として、「上部ハンガリー」と呼ばれていたという話もあるのだが、行政単位として成立していたのかどうかは知らない。オスマントルコに攻められていた時期には、ハンガリーの首都が現在ブラチスラバに移されたこともあるし、「上部ハンガリー」というのは、ドナウ川が東流する部分より北の地域を指す言葉として使われていたのではないかと推測する。

 仮に、チェコ側とスロバキア側に行政機構があったとしても、チェコスロバキアの場合には、その行政機構の決定で一つになったのではなく、それに反抗するいわば独立派が手を握って一つの国にすることを決めたのだから、合併という言葉は使いにくい。それにチェコスロバキアの独立自体が、独立を目指す組織が何年にもわたって国内で独立運動を続けていたというようなものではない。むしろ国外でのマサリク大統領やチェコスロバキア軍団の活動のおかげで、第一次世界大戦の連合国側として認められたことが独立につながったといったほうがいい。そこに合併できるような実態があったのかどうか。

 こんなことを書いたからといって『日国』の記述を批判するつもりはない。辞書にはそれぞれ得意分野と苦手分野があるモノだし、外国の地名なんて『日国』にとって一番弱い部分だろう。そもそも辞書に事典的な記述を求めるのも無理な話である。それに、チェコとスロバキアが分離してそれぞれ独立国となった現在から見れば、チェコとスロバキアが合併してという記述に違和感を持つ人も少ないのかもしれない。
 ということで、他の辞書はどう説明しているか確認してみる。同じくジャパンナレッジに入っている『デジタル大辞泉』にも『日国』とほぼ同様の以下の記述がある。

チェコとスロバキアが合併して、1918年にオーストリアハンガリー帝国から独立し、建設された共和国
" チェコスロバキア【Czechoslovakia】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-03)



 ちなみに百科事典には、「チェコとスロバキアが合併して」という記述はないが、『日本大百科全書』の総論の部分では、「第一次世界大戦後、両国は独立国チェコスロバキアを形成」("チェコスロバキア", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-03))と、これも今日の二つの独立国の存在を前提にした記述がなされている。
 こうなると、チェコスロバキアが分離する以前の記述を見て見たいものである。辞書がデジタル化されて検索などが便利になったのはいいのだけど、過去の版の記述を見られるような機能はついていないからなあ。

 もう一つの気になる点については稿を改める。
2019年2月2日22時55分。










posted by olomou?an at 06:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2019年02月03日

hontoからメールが来て本を買った(二月一日)



 ホントからきたキャンペーンの案内でも、クーポンの案内でもないメールは、ポイントの有効期限が切れるというものだった。ホントで本を買うと、購入額の1パーセントかそこらのポイントがつくことは知っていたし、ちょっと使ったこともあるような気もするのだが、有効期限はもっと長いものだと思っていた。確認したら、獲得した日から一年間だった。
 お知らせによれば現時点で550ポイントぐらいあるうち、250ポイントぐらいが一月末で有効期限が切れるという。ポイントなんて、なくなったらなくなったでかまわないのだけど、こういう案内が、一回だけでなく何回か来ると、放置するのも申し訳ないような気になってしまう。ということでポイントを使って、本を買うことにした。紙の本を買うと送料にもならないので、今回は電子書籍一択である。

 特に読みたい本があって本を買うわけではないので、できるだけポイントでまかなえる範囲のものを探すことにした。最初に思いついたのが、我が読書のSFの時代の礎を築いた高千穂遙の作品である。朝日ソノラマが倒産した後、ソノラマ文庫の『クラッシャー・ジョウ』シリーズがハヤカワ文庫に移って、新作も出ているのは知っていたから、それをまず候補に挙げたのである。自転車モノを呼んでみたいという気持ちがあったことも否定できないけど。
 しかし、二つの理由で高千穂遙の本は買わなかった。一つ目は微妙な価格で、ポイントを使うと、残りが200円とか、300円になるものが多かったこと。たかだかこれだけのためにクレジットカードを使うのもなあというのが、カードの利用に慣れていない人間の感じることである。もう一つは、ここの本につけられていた読者のコメントを読んでしまったことである。この手のコメントは、買おうと決める理由にはならなくても、買うのをやめる理由にはなるのである。








 ここでもうあきらめようかとも思ったのだが、期間限定の割引価格で買える本があることに気付いた。大体半額になっていて、親本が文庫本のやつならポイントだけで買えそうである。あまり食指の動かない本の中に高橋克彦の本を発見した。高橋克彦といえば、森雅裕が『画狂人ラプソディ』を大幅に書き換えることになった(と本人が書いている)原因となった乱歩賞受賞作『写楽殺人事件』でデビューした作家である。
 この因縁(高橋克彦にしてみればいい迷惑だろうけど)を知ってから、読んでみたら、森雅裕とはまた違った面で面白く、他の作品にも手を伸ばしたことがある。『写楽殺人事件』は『画狂人ラプソディ』よりはるかに売れて、はるかに有名な作品だろうけど、こういう関係がなかったら読んだかどうか疑問である。ということで、昔買って日本を出るときに古本屋に売っぱらった『写楽殺人事件』を探すことにした。

 既読の本だけど、もう二十年以上も読んでいないし、内容も完璧には覚えていないし、半額だし、ポイントで買うんだしと、いくつも買ってもいい理由を探してから、購入に踏み切った。これが紙の本屋でのことだったら、ほとんど即決で買っているはずである。棚から抜いて本の装丁を確認しながらぱらぱらめくっているうちに買うことに決めてしまう。既読の本であってももう一度読み直したい問い理由があればそれで十分である。ただし、これは日本語の本に限ってのことで、チェコ語の本の場合には、読みたい以前に、自分に読めるかというのも考えなければいけないから時間がかかる。読めそうにないけど買うということもなくはないけど。





 久しぶりの『写楽殺人事件』、久しぶりにコンピューター上で読書を楽しむことができた。これで閲覧ソフトがもう少し本を思わせるつくりだったらよかったのに。それはともかく問題が一つ。『写楽殺人事件』は、高橋克彦のいわゆる浮世絵三部作の最初の作品なのである。だからあと二冊浮世絵をテーマにした推理小説が存在する。しかも最後の三作目では浮世絵探偵とも言うべき塔馬が登場するのだけど、この人を探偵役にした推理小説が何作かあって、その中には浮世絵がらみのものも存在するのである。そして、かつて日本を出る前に、そのほとんどは読んだことがあるのである。はてさて、買うべきか、買わざるべきか、それが問題である。
2019年2月1日23時。









posted by olomou?an at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係

2019年02月02日

hontoからメールが来た(一月卅一日)








 電子書籍よりは紙の本を買うために、仕方なく登録したホントであるが、頻繁にメールが届く。その大半は電子書籍の割引キャンペーンや割引クーポンのお知らせで、登録したばかりのころは、こまめに確認してクーポンをもらう手続き(ログインしてボタン押すだけだけど)を取っていたのだが、キャンペーンやクーポンの対象になる本に、さしてほしいと思えるものがなかったこともあって、最近は特に確認もしないまま抹消してしまうことが多かった。

 何がいけないって、クーポンの有効期間が短すぎるのと本の見せ方に魅力がなさすぎるのがいけない。普段から出版されている本の確認をしてこれ次に買おうとか考えている人なら、短い期間でも有効に役立てられるのだろうけど、いや、昔日本にいたころは、毎日何軒も本屋に足を運んで、次に買う本の候補を探していたのだが、ネット上の本屋は、本屋としての魅力に欠けるのでそんなことをする気にはなれない。誰か本当に本屋にいるような気分になれる書店をネット上に開設してくれないものだろうか。
 書店の本棚のように背表紙が著者名順に並んでいて(出版社別、ジャンル別と組み合わせてもいい)、本を引き出すと表紙が見られる。そして文庫やノベルズ版だったら裏表紙のあらすじや袖の部分の著者略歴、著者の本一覧、普通の書籍でも目次、奥付まで見られるようになっているとうれしい。贅沢を言えば、巻末の解説や著者あとがきなんかまで読みたいのだけど、最近の電子書籍は、親本にあったあとがきや解説をカットしてしまっているものが多いようなので、ないものねだりになってしまう。奥付のあとのページ数合わせの目録なんかもないからなあ。

 出版社は、販売店かも知れんけど、一般の読者が本を選ぶときに果たしている解説やあとがき、目録の重要性を軽視しすぎではないだろうか。多くの書籍の販売サイトでは、読者の投稿した評価やコメントが上がっているが、あれは自分が読んだ本のものを読むから面白いのであって、読書傾向もわからないような人のコメントをもとに本を買おうなんて思う人いるのかね。
 解説も、ときにおタイコのことがあるけど、解説者が本気でその本に感動しているときの解説は、一味も二味も違うものである。業界によっては仲間ボメ解説があったり、何でもかんでもほめる解説書きがいたりもするけど、そんなのはいくつか読んでいるうちにわかるようになる。著者の作品一覧や巻末の目録だって、つまらない本の場合にはあまり意味を持たないけど、本を読んで感動した場合には、これらの中から次の本を選ぶことも多いのだ。本屋に買いに行ったらなかったなんてこともままあったけどさ。

 そう考えると、電子書籍自体にも問題がありそうだ。ホントの専用リーダーソフトも、本っぽい体裁にはなっているけど、わざわざのどの部分を作ったりしてさ、横長の画面全体に表示されるので、版型が絵本かと言いたくなるようなものになっているし、正直PDFで一ページずつ表示していくやり方のほうが読みやすい。つまりはソニーのリーダーで読みたいということなのだが、ホントの本がリーダーで読めるのかどうかわからないし、読めたとしても機械の登録なんかしたくない。
 電子書籍も、「書籍」と名乗っているのだから、本当に紙の書籍を読んでいるのと同じような読書体験ができることを目指せばいいのに、開発者だけが便利だと考えている余計な機能を詰め込むから、本を読んでいる気がしなくなるのである。読書に熱中しているときに、多少わからない言葉が出てきたからって辞書なんか引くもんか。リーダーにもついているけど、読んでいる最中にわからない言葉があったら辞書が引ける機能は、一度も使ったことがない。たまに操作を失敗して辞書を引きそうになって邪魔だと思うくらいである。それに本を読んでいる最中に辞書を引くなら、そこらに転がっている紙の辞書を引いたほうがマシである。

 それで、ホントでは登録直後にいくつか試したのを除いては、電子書籍は購入してこなかった。それがホントからメールが来て云々というのが、本題になるはずだったのだけど、電子書籍の悪口になってしまった。本題についてはまた次回である。たいした内容のメールじゃないんだけどね。
2019年1月31日22時55分。




仲間だというのなら同じような体裁にしてほしいものである。












posted by olomou?an at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係

2019年02月01日

落穂ひろい(正月卅日)



 ここ最近、あれこれ書いているうちに、書く予定だったことを忘れてしまうことが何度かあった。忘れたことだけで一本になるほどの分量はないので、いくつかまとめて一つの記事にしておく。

 一つ目は鉄道関係のことを書いているときに忘れてしまったことである。
 きっかけとなった雑誌の記事では、電車のチケットの販売について、レギオジェットは、すでに広く使われていたスチューデント・エージェンシーのバスの販売サイトで鉄道のチケットを販売したのが、成功につながったというようなことが書かれていた。チェコに住んでいて、チェコ人と同じような電車の切符の買い方をする人間としては、首をかしげざるをえなかった。

 電車の切符を買うのに、最初からレギオジェットやチェコ鉄道のページに行く人はそんなにいない。最初からこの会社を使うと決めている人でも、大抵は時間を確認するために、「 idos 」という検索サイトを使う。これは電車やバスはもちろん、市内交通(バス、トラム、地下鉄)や、飛行機の接続まで検索できるという優れもので、一番上の欄の矢印を押すと、検索する交通機関を選ぶことができる。電車だけ、バスだけでの検索もできるが、飛行機以外をすべて組み合わせた検索も可能である。
 鉄道とバスの場合、表示された検索結果のそれぞれの便のところに「kup!」と書かれた黄色いボタンが出てくる。自分が使いたい便のボタンを押すと、個々の会社のチケット販売ページに飛ぶようになっている。だから、このサイトで検索できるようになっていれば、販売サイトが既知のものではなかったとしてもそれほど大きな問題はなかったはずである。仮に「kup!」のボタンがなかったとしても、このページでどの会社の電車、バスを使うのかを決めてから、それぞれの会社のページに行くことになるから大差はない。

 数年前までは、ネット上で買い物をするのに抵抗があったので、この「idos」で時間と、運行会社を確かめてから、駅に行ってチケットを買うなんてこともしていた。チェコ鉄道しか走っていない区間を移動するときでさえ、ここで検索するのは、それぞれの会社のサイトよりも手軽に検索できるのと、電車、バスの到着時間に続いて、市内交通のバスやトラムの出発時間も検索できるからである。他の国にもこんな検索サイトあるんじゃないかなあ。


 以下の二つは、本当に短いのだけど、二つ目はペトラ・クビトバーの全豪オープン後のコメントを紹介するのを忘れていた。準優勝した後のインタビューの中で、自分の左手はもう二度と元のような完全な状態には戻らないというようなことを語っていた。そんな大怪我からわずか半年で復帰し、後遺症を抱えながら全豪準優勝までたどり着いたのだから、その努力には頭が下がる。現在はロシアのペテルブルクで開催中の去年優勝した大会に出場しているが、オーストラリアとは気温の差が50度もあるらしいから大変そうである。去年は全豪は一週目で姿を消したから適応も楽だったのだろうけど。
 そのクビトバー、二月の二回目の週末に行なわれるフェドカップの出場を辞退した。全豪の結果が出る前から、チームの監督のパーラと話し合って決めていたらしい。休息が必要な状態なのだろうし、シャファージョバーが完全に引退し、ストリーツォバーが代表を引退したからには、クビトバー、プリーシュコバーに続く選手に経験を積ませる必要がある。去年の決勝はアメリカがメンバーを落としてきたので、勝てたけど何かぐだぐだの試合が多かったし。候補のシニアコバーには、ルーマニアのハレプとの対戦で次につながる負けを期待しておこう。


 最後は、ハンドボールのお話というよりは、以前取り上げたキリスト教の異端派のハバーニの話である。ハンドボールの世界選手権の中継を見ていたら、多分デンマークとノルウェーの決勝だったと思うのだけど、アナウンサーが「ハバーニ」という言葉を使っていた。ノルウェーのセンターの選手たちを指していたのかな。それはわかったのだけど、突然のことで、なぜにこんなところにこんな言葉が出てくるのかわからなかった。
 それでハバーニについて自分が書いたものを読み直していたら、消える前の記事に雑誌に出ていた現在のチェコ語で「ハバーニ」の使われ方を書いたことを思い出し、それが極端に背の高い人を指すのに使われるということも芋づる式に思い出したのだった。今までも耳にしたことはあったのかもしれないが、ハバーニについて知らなかったので耳に残らなかったのだろう。「ルサーク」といい、「ハバーニ」といい、チェコ語を使って生活をしたり、仕事をしたりする上では何の役にも立たない知識だけど、自分のチェコ語が深まり、幅が広がったような気分になれるのである。
2019年1月30日23時20分。










posted by olomou?an at 06:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ

2019年01月31日

チェッコスロヴァキア(正月廿九日)



 1990年代まで外務省が使用していたチェコの公式表記が、チェコではなく、「チェッコ」であることを知っている人は少なくないだろう。現在では外務省でも、チェコの日本大使館でもほぼ完全に「チェコ」を使用しているようだが、2000年代の初めまでは、要所要所で「チェッコ」を見かけたような記憶がある。
 もちろんこの「チェッコ」という表記は、かつての「チェッコスロヴァキア」の前半部分が単独で使われるようになったものだが、「チェッコスロヴァキア」の表記の起源は、第一次世界大戦後に所謂ベルサイユ体制が確立し、チェコスロバキア第一共和国が独立した時期にさかのぼる。オーストリア・ハンガリーから独立したチェコスロバキアと日本の国交が樹立された1920年に定められた表記が「チェッコスロヴァキア」だったのである。当時は漢字表記あったらしいけど、どんな漢字だったか忘れてしまった。今の中国語の漢字表記とはまったく違うということしか言えない。
 今日の話は、以上のチェコスロバキアの国名表記に関する知識を前提に始まる。

 さて久しぶりに ジャパンナレッジ のページを見ていたら、「日国友の会」というのの存在に気づいた。「今すぐ用例探しの旅に出よう!」なんてことが書いてあるから、『日本国語大辞典』に収録されている用例についてあれこれ書かれた記事があるのかと思ったら、一般の辞書好き(多分)の人が、『日国』に挙げられているのよりも古い用例を探し出した場合に報告するというページだった。用例がないものについてはできるだけ古いものを報告するのかな。
 その報告された用例で最近公開されたものの中に「チェコスロバキア」があったので、つい覗いてしまった。それがこの ページ 。1921年2月18日付けの「法律新聞」の記事に「チェックスロバック公使館」という用例があって、これが形は違うけれどもチェコスロバキアの初出例ではないかというのだが、これは怪しい。絶対にもっと古い例があるはずである。

 昔、まだ東京で仕事をしていた頃に、神田の古本市で古いマサリク大統領の伝記を発見したことがある。著者はマサリク大統領が、チェコスロバキア軍団の帰国に際して日本を経由できるように交渉に赴いた際に、警備を担当した警察官だったかな。とにかくマサリク訪日の際に近く接した日本人がその気高さにほだされて、本というよりは小冊子だったけど、伝記を書いてしまったということが序文に書かれていた。
 その伝記は、第一次世界大戦が終わってチェコスロバキアが独立したからこそ上梓されたものであろうから、今手元にないので出版年は確認できないのだけど、恐らく独立後すぐの1919年か、日本との国交が樹立された1920年だったのではないかと推測できる。そして当然、伝記中には「チェッコスロバキア」であるにしろ、「チェックスロバック」であるにしろ、何らかのチェコスロバキアという国を示す言葉が使用されているはずである。

 ということで、国会図書館の デジタルコレクション でマサリク大統領の古い伝記を探してみた。「マサリク」で検索しても伝記だけでなく、1921年より古いものも出てこなかった。昔はカタカナ表記に際して無駄に「ツ」を入れていたことを思い出して、今度は「マサリック」で検索したら、伝記そのものは出てこなかったが、『 ヴェルサイユ講和会議列国代表の各名士 』という本が引っかかった。
 題名からわかるように、ベルサイユ会議(パリ講和会議)で重要な役割を果たした人物についての本なのだが、チェコスロバキア代表として取り上げられているのが、マサリク大統領なのである。153ページから「チエツクスロヴアク・マサリツク博士」と題されたマサリク大統領の略伝が掲載されている。この「チエツクスロヴアク」が独立したチェコスロバキアを指しているのは言うまでもない。この本は橋口西彦氏の編集で、一橋閣から1919年4月25日に刊行されている。

 では「チェッコスロバキア」の方はと言うと、同じ1919年の11月に外務省が発行したベルサイユ条約の翻訳と、条約の概要をまとめたものの中に出てきた。「 同盟及聯合国ト独逸国トノ平和条約並議定書 : 附・波蘭国ニ関スル条約 」と「 同盟及聯合国ト独逸国トノ平和条約並議定書概要 」の二つなのだが、前者の82ページに「「チェッコ、スロヴァキア」國」という表記が見える。この本では固有の地名に鍵カッコを付けるというルールを用いているようで、国名も鍵カッコに入っているのである。これが、間に読点が入っているとはいえ、日本の外務省で「チェッコスロヴァキア」、後に「チェッコ」という表記を使っていた起源ということになるだろうか。
 もちろん、シベリア出兵の口実となったチェコスロバキア軍団の存在を考えれば、1918年の時点で外務省内で「チェッコスロヴァキア」という表記がなされていた可能性はあるが、その場合国を指すと考えていいのか微妙である。とりあえずの結論としては「チェッコスロヴァキア」という表記は第一次世界大戦の講和会議を経て1919年にチェコスロバキアの国名表記として決定されたということにしておく。

 問題は、この用例の報告をするかどうかなのだけど、このためだけに「日国友の会」の会員になるのもなあ。ということで、誰か代わりにやらない? 自分の名前でやっちゃっていいよ。
2019年1月29日23時35分。















posted by olomou?an at 07:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2019年01月30日

ハンドボール男子世界選手権2019閉幕2(正月廿八日)



 二次グループの結果、準決勝はデンマーク−フランス、ドイツ−ノルウェーの対戦となった。会場は、ケルン(思わずチェコ語風にコリーンとか書きそうになってしまった)からドイツ国内を移動してハンブルクである。金曜日に行われたこの試合、どちらもチェコテレビで放送されることになっていたから、テレビの前にかじりつきたかったのだけど……。久しぶりのお酒の誘惑に負けて、飲みに行ってしまった。
 デンマークとフランスの試合は、デンマークが勝つと予想したけど、フランスはしぶといチームだから終盤まで大接戦になるのではないかと期待していた。それだけに見られないのが残念だったのだけど、ふたを開けてみたらデンマークが前半からフランスを圧倒して、圧勝とか完勝という言葉が似合う試合だったようだ。フランスも世代交代期に入ったのかなあ。

 ドイツ−ノルウェーの試合は、ノルウェーの勝ち抜けを予想。ドイツは悪いチームではないし、地元の観客の後押し(ちょっとだけ審判も)を受けているけれども、テレビで見る限りチームを支える大黒柱的な選手が欠けているような印象を受けた。手詰まりになったときに、一人で状況を変えてくれるような、昔のチェコ代表のイーハとか、デンマークのハンセンとか、そんな選手がいないので状況が悪化したときに、立て直すのに時間がかかることが多かった。
 ノルウェーも、チームとしてはドイツに似ていると言えば、似ているけど、センターのサゴセンが大黒柱になりつつある。今大会はサイドのヨンダールも絶好調だったから、中途半端なドイツが勝てるとは思えなかったのだけど、予想通り負けた。さすがにこのレベルになると、審判も開催国よりの笛は吹けなかっただろうしね。多少のドイツよりの笛では勝てなかっただろう。

 土曜日からは会場をデンマークのヘルニンクに移して順位決定戦である。決勝が首都のコペンハーゲンで行われないのは、チェコテレビのアナウンサーによれば、ヘルニンクではデンマーク代表が負けたことがないからだという。一次グループのコペンハーゲン会場をスウェーデンに譲ったのも、ヘルニンクなら負けないという「神話」があるからなのだろう。

 チェコテレビでも、ウェブ上でも放送されなかった7位決定戦は、スペインとエジプトの対戦。ここは順当にスペインの勝ち。前半は健闘したエジプトはヨーロッパ以外では最上位ということになる。5位決定戦はスウェーデンとクロアチアの試合。スウェーデンやっぱり強いわ。言っても詮無きことながらノルウェー戦での落ち込みがなかったらと思ってしまう。ノルウェーも十分以上にいいチームで準優勝に値するチームではあったけどさ。

 日曜日は2時半という早い時間帯から三位決定戦。スキー、バイアスロン、フィギュアスケートなどなど大会が目白押しで、テレビの放送プログラムに入りきらなかったためウェブ上での中継となった。ドイツとフランスは一次グループでも対戦しており、そのときは予想に反してフランスがぐだぐだで、ドイツにリードを許し最後の最後に同点に追いついて引き分けたのだった。この試合にベテランのカラバチッチが出ていなかった(と思う)から、今大会は欠場しているのだろうと思っていたら、三位決定戦には出場していた。
 途中経過はおくとして、試合終盤はフランスが1点、2点リードしてドイツが追いかける展開が続いたのだけど、最後の最後にカラバチッチが大仕事をやってのけた。残り1分でドイツが同点に追いつき、残り15秒ぐらいでフランスの攻撃が失敗に終わってドイツがボールを獲得した。これでゴールが決まればドイツの勝ちだったのだけど、土壇場を任せられる選手のいない悲しさ、まだ時間はあったのに速攻から無理にポストに通そうとしたボールを奪われたのだ、残り5秒。そこからカウンターを食らって、最後はそれまであまりいいところのなかったカラバチッチに9メートルからのシュートを決められてお仕舞。審判が念のためにビデオでゴールの時間を確認したけど、残り1秒だったらしい。
 カラバチッチは怪我で状態が上がらず、あまり活躍できなかったらしいが、頼りになる存在なのである。最後の瞬間まで出場させた監督の采配が素晴らしかったと言っていいのかな。ああいうこれですべてが決まるという瞬間に落ち着いてシュートを打てるのは、やはり経験に裏打ちされた実力というものであろうか。

 決勝は、デンマークの圧勝ということでいいだろう。一次グループでの対戦よりも大差がついたし、最後はノルウェーボールだったのに、残り5秒ぐらいには、ノルウェーの選手たちが、デンマークの選手たちに祝福の握手を始めていたからなあ。細かい点数などの結果は こちら をご覧頂きたい。
 次の大会は、どこで行なわれるか知らないが、サゴセンが経験を積んで大黒柱に育ちそうだから、優勝候補の筆頭はノルウェーかなあ。デンマークのハンセンはまだ現役だろうけど、スウェーデンのアンデルソン、フランスのカラバチッチというそれぞれ一時代を築いた選手たちは引退しているだろうし。ここにイーハの名前が挙げられないのが悲しすぎる。

 見ることができた試合の中で一番面白かったのは、二次グループのスウェーデン−デンマークの試合かな。実力のあるチームが正面からぶつかり合って、デンマークが力でねじ伏せたという感じの試合だった。やっぱ、見て面白いのは北欧のハンドボールだわ。フランスも面白いけど。バルカンやアジアのハンドボールは……。その中でも日本は悪くはないのだけど、決定力がなあ。
 それはともかく、一月にして今年のハンドボール界の最大のイベントが終わってしまった……。今年の12月の女子の世界選手権や、オリンピックで、朝鮮似非合同チームという愚行が繰り返されないことを改めて願っておく。
2019年1月28日23時18分。










2019年01月29日

ハンドボール男子世界選手権2019閉幕1(正月廿七日)



 2019年の世界選手権は、デンマークのヘルニンクで三位決定戦と決勝が行われ、二週間以上にわたった大会の幕を閉じた。優勝したのは意外なことにこれが初優勝となるデンマーク。準決勝では前回優勝チームのフランスを、決勝ではノルウェーを圧倒しての優勝だった。ミケル・ハンセンすごいわ。とまれ、前回希望を込めて書いた予想の答え合わせをしておこう。

 二次グループのI組からフランスとドイツが準決勝に進出したのは、予想通り。意外だったのは、二次グループ開始前には勝ち点4で首位にいたクロアチアがグループ2試合目で準決勝進出の望みを絶たれたことである。最大の原因はブラジルとの試合で負けたことだが、この試合のクロアチアはまさに自滅という言葉にふさわしかった。ブラジルが素晴らしいハンドボールを見せたことを否定する気はないが、クロアチアが普通に試合をしていれば、引き分けはあっても負けることはなかっただろう。
 2016年のリオ・オリンピックを前に、ハンドボールではルールの改正が行われ、ゴール・キーパーもフィールドプレーヤーと同様に自由に交替できるようになった。現在では、退場者を出したときに、攻撃の人数を減らさないことを目的として、キーパーを引っ込めるチームが多いのだが、クロアチアはブラジルとの試合で、退場者がいないときにもキーパーを引っ込めて、7人で攻撃するという攻撃スタイルをとっていた。そしてそれが最大の敗因になった。

 この7人攻撃は、うまく使うことができると、手詰まりになった攻撃を活性化することができる。確か去年のチェコのハンドボールリーグのプレーオフで、カルビナーが劣勢を予想されながら優勝したのは、7人攻撃を有効に活用したからだったはずだ。とにかく、どのタイミングでベンチ側のサイドの選手がキーパーと交代するために戻るかというのをきっちり決めておかないと、リオ・オリンピックのときのように、退場者もいないのに無人のゴールに超ロングシュートが決まるという、応援している側からしてもぐったりするようなシーンが連発することになる。
 この試合では、クロアチアの7人攻撃が、ブラジルの堅いディフェンスにほぼ完全に抑え込まれ、無駄な失点を繰り返すことになった。どう見ても決まりごとが徹底されておらず、7人攻撃の悪い面、スペースがなくなってディフェンスに引っかかりやすくなるというのが出ていたのに、かたくなに7人攻撃を続けて、前半のうちに大きなリードを許すことになった。後半に入って何度も追い上げたものの同点に追いつくことはなかった。なんだかんだで退場時のものも含めて10点近く無人のゴールに決められたんじゃなかったかな。7人攻撃失敗で喫した失点を除けば、クロアチアが僅差で勝っていたはずの試合なのである。

 勝てば望みのつながるドイツとの試合では、ブラジルとの試合よりはずっとマシな戦いを繰り広げていたけど、後半も終盤の大事な場面で、審判にドイツよりの判定を下されて、そこから立ち直れずにそのまま負けてしまった。あのプレーが、正当に判定されていたら、まだまだ試合の結果はわからんというところだったのだけど、開催国のドイツに準決勝までは行ってほしいというハンドボール連盟の都合が審判に重圧としてのしかかっていたのかな。あの判定以外は極めてまともな判定を下していただけに、残念な判定だった。ただここでどんな判定が出ていても、ドイツが準決勝に進出できないことはなかっただろうとは思う。

 準決勝進出を早々に決めていたフランスが、二次グループ最終戦でクロアチアに負けて、連勝を止められたせいで、大健闘のブラジルは勝ち点4でグループ5位に終わった。まとめておくと1位ドイツ、2位フランス、3位クロアチア、4位スペイン、5位ブラジル、6位アイスランドである。

 グループ?Uのほうは、デンマークとノルウェーが準決勝に進んだ。こちらも同じ一次グループからの進出である。期待していたスウェーデンにとっては、ノルウェーとの直接対決で負けたのが痛すぎた。解説者の話によると、一次グループで攻撃の組み立て役をやっていたセンターの選手が負傷で出場できなくなったことが、選手たち、とくにセンターの選手たちのプレーに影響を与えていたらしく、自信なさげなプレーに終始していた。超ベテランのキム・アンデルソンがこの大会向けに復帰してたんだけどね。
 スウェーデンは、デンマークとの試合では、ノルウェーとの試合での姿が嘘のように、躍動していて、後半に力尽きるまでは互角の勝負を演じていたから、ノルウェーとの試合に負けていなかったら、決勝に進出していただろう。残念なことである。とはいえ、今回のデンマークに勝てたとも思えないから、こちらの希望を込めた予想は、どっちにしても外れだったのだけどね。チェコ系のパリチカも最後は控えキーパーになっていたし。

 グループ内の最終順位は、1位デンマーク、2位ノルウェー、3位スウェーデン、4位エジプト、5位ハンガリー、6位チュニジアである。アフリカ頑張ってるなあ。

 というところで、長くなったのでもう一回。
2019年1月28日21時30分。













2019年01月28日

全豪オープン雑感(正月廿六日)



 全豪オープンが終わった。正確にはまだ日曜日の男子シングルスの決勝が残っているけれども、チェコ的には、今日の女子シングルスの決勝で終了である。大会開始前の時点の予想からすると、チェコの選手たちは、大活躍、大健闘と言えるのだけど、せっかくあそこまで行ったのだから、女子シングルス決勝でチェコ人対決が見たかった。

 その決勝で、クビトバーがプリーシュコバーを破って優勝というのが、チェコ的には最高のストーリーだったのだけど、二人とも大坂選手に接戦の末負けてしまった。二人とも全豪ではこれまでで最高の結果を残したことになるのだけど、こんなチャンスは二度とないんじゃないかと思うと、残念でならない。
 安定して好成績は残すけれども爆発力に欠けてグランドスラムでは優勝経験のないプリーシュコバーと、好調なときには無敵を思わせるけど安定感に欠けてウィンブルドンでしか勝ったことのないクビトバーがそろって、準決勝に進出するなんて大会前には想像もつかなかったし、今後も難しいだろう。もう全仏決勝経験者のシャファージョバーは、すでに引退を決めているし、プリーシュコバーの後に続くべき若手たちは上位進出にはまだまだ時間がかかりそうだし。

 チェコのテニスにとって残念だったこととしては、今年の全豪で引退する予定だったシャファージョバーが怪我の状態が上がらず欠場を余儀なくされたことも挙げられる。このまま引退というのはさびしすぎるから、どこかの大会で引退ということになるのだろうか。シングルスは予選から勝ちあがらなければならないことを考えると、主催者推薦で出場できそうなプラハでの大会ということになるのかなあ。
 確かそのシャファージョバーと組んでダブルスに出るはずだったストリーツォバーが、別のチェコ人選手ボンドロウショバーと組んで準決勝まで進出したのはいい意味で驚きだったけど、女子ダブルスの第一シードだったシニアコバーとクレイチーコバーのペアが、準々決勝で負けたのは残念だった。奇しくもシングルスと同じで、この二つのチェコ人ペアは同じペアに負けたらしい。ちなみに、クレイチーコバーはあまり注目されない混合ダブルスでアメリカ人選手と組んで優勝している。

 男子シングルスでも、昨年後半は怪我でほとんど大会に出場すらできていなかったベルディフが、ナダルにぶつかるまでは順調に勝ち上がった。もともと下位選手には強いけど上位選手にはなかなか勝てない選手だったから、ナダルに勝てるとは思ってもいなかったけど、これで完全ではなくても復活と言ってよさそうである。男子に関しては問題は未だにベルディフがチェコで一番の選手であり続けているところなんだけど。

 問題といえば、日本のメディアで、日本の大坂選手の決勝の対戦相手だったからか、クビトバーに関する記事をかなり見かけた。今更大怪我からの復帰なんてのを記事にするなよと思わなかったとは言わない。事件からほぼ半年で復帰して2017年の全仏に出場した時点で記事にしなかったのだろうか。日本のスポーツマスコミなんて、日本人選手のかかわらないことに関してはほとんど興味も持たないから仕方がないのかなあ。
 看過できないのは、クビトバーが2016年末に負った負傷について、不正確な情報を垂れ流すメディアが多いことだ。事件は電気かガスの検針を装ってマンションに押し入った男によって起されたのだが、これを「暴漢」という言葉で表現している記事があった。ナイフ持って金銭目当てに押し入ったのだから、乱暴者ではあるのだろうけど、「暴漢に襲われた」というと、金目当ての強盗ではなくて、政治的な目的か、単なる鬱憤晴らしの暴力行為のような印象を受けてしまう。
 それから、怪我に関しても、「左腕を切られた」「左手を刺された」とか、ひどいのになると「左手首を切られた」って自殺じゃないんだから。正しくは、というのも変な話だが、左手に切りつけられて、ナイフを持って襲い掛かられてとっさに左手でかばったのではないかということだったかな、指を切られたのである。辛うじてつながっているという状態の指もあって、復帰は難しいのではないかという憶測も流れた。

 犯人は、プロスチェヨフの警察の威信をかけた捜査もあって、見つけるのは難しいのではないかという予想に反して、一年以上経ってから逮捕された。裁判が始まっているのだけど、容疑者は否認していて、事件が起こった時間帯は仕事をしていたと証言する証人もいるらしい。クビトバーも裁判で証言を求められるのかな。裁判がクビトバーの成績に悪い影響を及ぼさないことを祈るのみである。
2019年1月27日23時。




男子シングルスの表彰式にレンドルが登場したらしい。ということはチェコの全豪が土曜日で終わったというのは間違いだったということか。









2019年01月27日

チェコ鉄道事情最終回(正月廿五日)



 レギオジェットが、チェコ鉄道の正規運賃の半額ぐらいの安い席から、時期によっては1等と同じぐらいの席までという幅で運賃を設定しているのに対して、レオ・エクスプレスのほうは、全体的に高いというイメージがあった。一番高いプレミアムなんて、プラハ−オロモウツで1000コルナを越えることがあるのである。一度使ったことのあるビジネスでもあのときは400コルナを越えていたから、一番下のエコノミーでも安くて200コルナぐらいだろうと考えていたら、時間帯によっては100コルナほどのものがあった。その便でもプレミアムは600コルナ以上だったからその差は大きい。
 料金の差の分、サービスに差があるのかどうかは知らないが、売り切れになっていることがままあるのは、レオ・エクスプレスのプレミアムのサービスに満足して、この値段でも繰り返し利用する客がいるからであろう。席数が少ないから、早い者勝ち状態になっているのかもしれない。

 このレギオジェットとレオエクスプレスの参入は、チェコ鉄道との乗客の奪い合いの側面がなかったとは言わないが、少なくともプラハ−オロモウツ間においては、相乗効果で鉄道の利用客自体が増えているために、チェコ鉄道の利用客も増加したのではないかと考えている。その証拠としては、プラハ−オロモウツ間を走るチェコ鉄道の特急、急行の数が、私鉄参入以前と比べて増えていることを挙げておこう。
 以前は、夕方以降の便はほとんどなく、プラハに夕方飛行機で到着した場合に、オロモウツまで戻って来られるかどうか心配になることも多かったのだが、午後7時以降でも、寝台の夜行列車を除いて8本走っている。これなら飛行機でプラハの空港に入るのにあまり時間を気にしなくてもよさそうだ。オロモウツ到着が12時過ぎになる便はできれば使いたくないけど、あるのは安心である。日本にいた頃は、終電で帰宅が1時過ぎなんてよくあることだったけど、チェコに来てからは考えられないことである。

 とまれ、簡単にまとめておくと、プラハからオロモウツを経てオストラバなどに向かう路線に関しては、チェコ鉄道と私鉄二社との競争がいい方向に向かっている。限られた乗客を奪い合うというよりはそれぞれの特性を生かして、ひたすら安さを求める客層から贅沢を求める客層まで、鉄道の利用客を増やしているという印象である。
 オロモウツから、もしくはオロモウツまでの利用であればあまり関係はないのだが、さらに遠くに向かう人たちにとっては、電車始発、終点の設定も重要になる。以前もチェコ鉄道のプラハ発の急行はいくつかの町を終点にしていたが、レギオジェットの参入以来、プラハ発の終点となる駅が増えている。その結果、直通で行ける場所が増えて、利便性が向上した。一度は採算が取れないとして廃止されたものが復活したりもしているようだ。これも利用客が増えて採算性が高まったおかげであろう。

 競争といえば、チェコ鉄道が気になる動きを見せている。最初に気づいたのは、プラハとブルノを結ぶ便についてなのだが、レイル・ジェットという名前がつけられた電車が走るようになっていた。それは、「ガラーン」や「グスタフ・マーラー」のような個々の特急につけられた名前ではなく、ペンドリーノのような特急のカテゴリーの名称のようで、時刻表や駅の掲示板に表示される電車番号も「rj」で始まる。最初に見たときにはチェコ鉄道の電車ではなくレギオジェットのものかと思ったのだが、レギオの電車番号は「RJ」と大文字で始まるのである。
 もう一つは、地方都市と地方都市を結ぶ急行に新しく導入された車両に書かれた名前である。地方によっていろいろあるのだが、すべて「レギオ」+動物の名前となっている。レギオ・シャーク、レギオ・パンサー、レギオ・エレファントなどなど。「レギオ」が地方という意味の「レギオン」から取られているのは明らかだけれども、レイル・ジェットと合わせて考えると、チェコ鉄道のレギオジェット対策じゃないかという気がしてくる。レギオ・ジェットとチェコ鉄道がつながっているような印象を与えようとしているとかいうのは考えすぎだろうか。そのうち、レギオ・ライオンとか、ライオン・エクスプレスなんて、レオ・エクスプレス対策っぽい名前の電車も走るかもしれない。

 このシリーズのきっかけとなった記事に出ていたチェコ鉄道のコメントで値下げ競争の激化を懸念していたのは、私鉄と同居する路線においてではなく、運行に補助金の出る地方の路線の運行権の入札についてではないかという気もする。これは鉄道だけではなく、バスに関しても行なわれていて、簡単に言えば助成金を請求する額が一番低い会社が選ばれるのだが、採算の取れない額で入札する業者があるらしいのだ。先日もどこかの地方で落札して運行を開始しておきながら、バス会社が現在の助成金の額では採算が取れないとか言い出したというニュースが流れた。チェコ鉄道では採算割れするような額での入札はできないだろうし……。

 長く書いているうちに、当初の目的がわからなくなってしまって、迷走してしまった感があるけれども、これでお仕舞い。書こうと思っていたことは他にもあるのだけど忘れてしまった。
2019年1月26日23時。









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