さて、今回の二重国籍の問題で、争点の一つになっているのが、二重国籍で国会議員になれるのかということだろう。報道を見る限りでは、可能なようだ。前例として元ペルー大統領のフジモリ氏が国政選挙に立候補した際に、認められたことがあるという。
このことの是非を語るだけの知識はないが、日本のマスコミであまり大きく取り上げられておらず、この件に関して自らの考えを述べる人が少ないのも不満である。成人後も二つの国籍を持ち続けるのは法律で禁止されているというのだから、公職に就くのも禁止されていると考えるのが普通であろう。それが、なぜ禁止されていないのか、今後禁止するべきなのかというのは、スキャンダルをただのスキャンダルに終わらせずに、建設的に活用するためにも、この機会に議論されてしかるべきだと思うのだが、そんな意見はほとんど見られない。
オーストラリアで二重国籍だったのが発覚して、議員が辞職し議員報酬の返還を求められているというニュースを報道しているところもあった。あの国この辺は白豪主義の時代から厳しいのだよ。知人の大学の先生が、昔オーストラリアで大学教授に就任したときに、オーストラリアの国籍の取得と、日本国籍からの離脱を求められたと言っていたし。個人的には、この議員の件については、禁止しているのなら立候補のときに確認しろよと思っただけである。
それはともかく、このオーストラリアの件をどう評価するのかという部分が見えてこない。報道したマスコミは、日本もそうあるべきだと考え、無視した側は、二重国籍の国会議員を認めてもいいと考えているのかもしれないが、それなら互いにそう主張して、かみ合った議論をしてほしい。無視した側は、自分たちの主張に都合が悪いから無視したという可能性もあるわけだけど。
与党、野党で、それぞれこの件について試案みたいなものを作ったことはあるらしいが、そこからは一歩も先に進まなかったという。正直な話、どこぞの大学の認可がどうこういう話よりも、はるかに重要で、日本の将来にかかわる問題であろう。グローバル化なんてのが果てしなく進んでいる現代において、二重国籍を有する人たちの数が増えることはあっても減ることはあるまい。
もう一つの問題が、批判にさらされている野党の党首が、二重国籍状態にあったことを知っていたのかどうかという点だけど、見苦しい言い訳だよね。
この人は、八十年代半ばの法律の改正で、母親が日本人で父親が外国人という場合にも、日本国籍が与えられることになり、その手続きをしたことを、「帰化」とか「日本国籍取得」とか言っていたらしいが、この時点では、十代後半で未成年だったらしいので、どちらの国籍を選ぶのか選択は迫られなかったはずである。しかし、過剰に親切な日本の役所のことだから、二十歳を過ぎたら二年以内に国籍の選択の手続きをしなければならないことを説明し念を押したものと思われる。
そう考えると、知らなかったとか、勘違いしていたとかいうのは、到底信じられない。繰り返すが二重国籍状態を放置していたことを批判する気は全くない。意図的に無視していたのならいたで、それにふさわしい行動をとるべきなのだ。無視していたのには何らかの主張が、それが消極的なものであったにしても、あったはずなのだから、国会議員に立候補した時点で、二重国籍のことを問題にして、将来に向けて日本が二重国籍を認めるべきなのか、禁止し続けるべきなのかの議論を巻き起こすべきだったのだ。それをしないのなら、二重国籍の人がわざわざ発覚するリスクを冒してまで、立候補する意味はない。
個人的には、二重国籍を合法にするにしても、何らかの制限はあったほうがいいと思う。例えば選挙権は認めるけれども被選挙権は認めないとか。考えてみれば、二つの国の国籍を持っていて、両方の国で被選挙権を有しているとすれば、理論上は同時に二つの国で国会議員になれるのである。同時にではないにしても、ある国の首相をやめた後に別の国で首相をやれたりするわけである。それはさすがに問題があるだろう。
被選挙権なんて選挙に出て政治家になろうなんて考える奇特な人たち以外には、不要なものなのである。多少の制限があったところで問題はあるまい。政治家や官僚なんぞになろうという人は、要は国の体制の中に入ろうという人たちなのだから、政治家としての特権を求めるなら二重国籍の特権を捨てろというのは、無茶な話でもあるまい。それに、そうしないと、国籍を一つしか持たない人たちに対して不公平である。片や、二つの国のどちらに住んでいても、選挙権、被選挙権を行使でき、片やどちらもひとつの国でしか行使できないということになるのだから。
仮に、世界中でどこに移住しても、選挙権、被選挙権を含めてその国の国民と同じ権利を持てるような世界にするというのであれば、話は別である。昔の未来SFによくあった地球連合だか連邦だか、そんな世界統一国家みたいなものになるわけだから、国籍そのものの意味が、現在の本籍地と大差ないものになってしまう。そうすれば二重国籍もくそもなくなってしまうわけである。
しかし、現実には、主権者=国民=国籍を有するものであるという国民国家の枠組みが維持されているわけで、地球国家みたいなものは影も形もない。おそらく、二重国籍の問題は、このグローバル化が進んでいく世界で、国家の枠組みをどうするのかという問題と結びついている。そこをちゃんと考えないままに議論を進めても、場当たり的な妥協、もしくは水掛け論に終わってしまう。現在のEUの問題も、そこに端を発している部分がある。EUが国民国家的な枠組みを、なし崩しにしようとする政策に、反発の声が高まっているのだと考えていい。
とまれ、もう少し続く。
7月22日22時。
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