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2018年08月08日

十日目其の二、あるいは読むべきチェコ文学〈LŠSS2018〉(八月三日)




 本人の推測では、サマースクールに申し込んだときに、生年月日の登録を求められたのだが、その登録の順番が、なぜか月、日、年の順番になっていて、それを基に月と日を入れ替える間違いをしたんじゃないかということだった。普通はチェコでは日、月、年の順番で表記するし、月、日の順番になる場合には、年が一番最初に来るはずじゃないか。何で月、日、年なんて普通じゃない順番にしたんだろうと首をひねっていたけど、これって英語で使う順番だったりするのだろうか。仮に今のサマースクールが、かつてのカオスだったサマースクールに劣る点があるとすれば、過度に英語に気を使っているところである。みんなチェコ語を勉強しに来るのだから、住所表記やら年月日の表記やらはチェコ風で押し通せばいいものをと思ってしまう。
 その後、授業が終わるまでに正しい証明書をもらえなかったのは確かだが、午後のオロモウツ散策に参加するといっていたし、もう一週間はサマースクールの宿舎に滞在するとも言っていたから、時間は十分にある。でも、こういう抜けたところがあると、昔のサマースクールを思い出して懐かしくなる。今の方が運営が洗練されて効率がいいのは確かだけど、昔のふたを開けてみないとわからない混沌とした運営も、プシェクバペニーだらけでそれなりに楽しかったのだ。腹を立てることもあったけど、それも含めてサマースクールの思い出である。

 それから、これも休み時間だっただろうか。イタリアのジョバンナに最後のテストについて聞かれた。口答試験はなさそうだと知ったジョバンナが、「それは嬉しい。私は喋るの下手だから」とか言い出した。待て待てである。リュバも言っていたけれども、ジョバンナのチェコ語は丁寧できれいなチェコ語である。我々長らくチェコに住んでいる人間やスラブ系の人が時に早口で喋って、正しくないチェコ語を使ってしまったり、母語の表現を使ってしまったりするのと違って、常に文法的な正しさを意識したチェコ語で、考えながら喋るからゆっくりになってしまうことはあっても、変な表現で理解できないということはない。
 思わずかつてのサマースクールの同級生アレッサンドロ——こいつも長くオロモウツに住んでいたから喋るのは喋るけど文法的な正確さをどこかに置き忘れてしまうことがあった——と比較して、今まで会ったイタリア人の中で一番上手できれいなチェコ語で喋ってるじゃないかと言ってしまった。プリマで料理番組をやっていたイタリア人も、長くチェコに住んでいるから我々と同じで喋り捲るけど文法的な正確さには欠けたからなあ。そもそも、サマースクールでイタリア人が一番上のクラスに入ること自体が珍しいし、ジョバンナのチェコ語の綺麗さは、いい意味でプシェクバペニーだったんだよなあ。

 ということで、今年のサマースクールの前半は、クラスも先生も含めていい意味でのプシェクバペニーが多かったとこの日のことをまとめようとして、もう一つ午後の講義があったことを思い出した。午後はオロモウツ歴史散歩に行くか、チェコの文学に関する講義に行くか、ちょっと悩んだのだが、散歩するには暑すぎる天気と、ちょっとアルコールを入れてしまったのとで、講義に出るほうを選んだ。オロモウツのことはよく知っているけれども、文学の知識はあいまいなところがあるし。

 この講義で特によかったのは、個々の文学者の名前や作品、その内容よりも、その時代の文学的な雰囲気について話してくれたところだ。チェコの近代文学が1895年に幕を開けて、それからたいていは二十年単位で移り変わっていくという指摘もあったし、ミュンヘン協定とその後のナチスによる保護領化の後、突如として歴史小説が流行したというのは、日本の歴史小説、時代小説の流行の波と重ねてみると面白そうだと思った。ただ、歴史の中に現代の問題を解く答えを探そうとして書かれたであろうチェコの歴史小説の中で、一番読むべきものは誰のどの作品かという話にならなかったのが残念である。最後に質問するつもりだったのだけど、ワインのせいでど忘れしてしまった。
 先生の意図したことかどうかはわからないが、何とか主義かんとか主義というのを超えたところで、チェコの現代文学というのは常に二つの相反する感情、文学的雰囲気の間を揺れ動いていたのではないかという印象を持った。不安と喜び、絶望と希望、楽観と悲観、どこの文学でも同じだといわれればその通りなのかもしれないが、歴史の波に翻弄され続けてきたチェコ民族が生み出した文学では、そういう点がよその国以上に如実に現れているのではないか。
 この先生、文学の中でも詩を中心に扱っているのだろうか。詩人の名前がしばしば取り上げられたし、60分のうちの15分ぐらいを、現代チェコで最も売れている詩人クルコフスキーの話に費やした。このアナーキストっぽい詩人の詩もなかなか強烈で面白くはあったのだけど、ヤーラ・ツィムルマンについて触れられなかったのがものすごく残念だった。講義の内容紹介には書いてあったのに……。ツィムルマンの存在、もしくは非存在を、チェコ文学の中にどう位置づけるかには結構期待していたのだけどなあ。

 全体としてみればこの講義にも十分満足だったし、いくつものプシェクバペニーでサマースクールに出ることにしたのは正解だったという確信とともに二週目の週末を迎えるのであった。
2018年8月6日23時55分。












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