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2019年09月20日

マラソン(九月十八日)




 それが面白い見ごたえのあるレースになったらしいのは、日本人選手だけの出場で、ペースメーカがいなかったのと、勝負優先のオリンピックの予選だったのとで、有力選手たちが自分で最初から最後までレースを組み立てなければならなかったからだろう。このマラソンに関する記事を読むたびに、見たかったなあと思ってしまう。日本時間の午前9時のスタートで、こちらでは午前2時ということになるから、さすがに起きていられなかった。ネットで中継されるかどうかも不明だったし。
 来年のオリンピックでは、スタート時間がさらに早くなるし、チェコテレビでも放送するだろうから、見ようと思えば見られる。見られるのだけど、またチェコと日本を応援しながら見るにはつまらないレースになりそうだからなあ。チェコの選手で、ザートペクみたいな選手が出てくると、また話は違うのだけど、現在チェコの陸上界がヨーロッパ、世界の舞台である程度戦えるのは中距離まででしかない。

 とまれ、今回のMGCだったけ? マラソンが実現したのは、東京オリンピックのための特例ということらしい。実にもったいない話である。せっかくこんな先例ができたのだから、毎年、今年のレースと同じ条件で開催して、オリンピックだけでなく、世界選手権なんかの代表を選ぶのに使えばいいのに。マラソンの日本選手権とでも名付けて、賞金も準備して、他の大会はこのレースの出場権を獲得するためのものとして位置付ければ、そのうちオリンピックに次ぐ格式の大会にならないだろうか。
 冬場のペースメーカーのついたマラソンで、記録を狙い、出した記録をもとに、「日本選手権」への出場権を得て、日本選手権ではタイムよりも勝負を競うというサイクルが出来上がれば、長期的な強化にもつながると思うのだけど。絶対的な走力を図るには、記録が大事になるし、大きな大会で勝負するためには、最初から最後まで自力でレースを組み立てる能力が必要になってくるはずだ。

 現役時代、早稲田、SBで陸連から過剰なまでの優遇を受け続けてきた瀬古氏には、是非とも実現させてもらいたいものである。東京オリンピックのための特別レースを一回実現しただけで、ここまで称賛されるのは、80年代の九州に育ったマラソンファンとしては納得がいかない。宮崎の旭化成を筆頭に、福岡の九電工、安川電機、準九州の山口のカネボウなど、地道に強化を続けて成果を挙げていたチームや選手たちの活躍をよそに、瀬古氏を筆頭に東京のチームや選手が優遇されていた(素人のファンにはそう見えた)恨みは深いのである。
 それに昔は、レースによっては、最初から独走したり、割と早い時点でスパートかけたりする選手がいたのに、最近はほとんど皆、ペースメーカーの後ろの有力選手について行くだけというレース運びをするのは、勝ってなおセコいと言われていた瀬古式の走り方の影響じゃないのか。イカンガーの後ろに最後までへばりついて、ゴール前の直線でスパートかけて勝つのが陸連によって過度に評価されたのがよくなかったんじゃないのかなんてことを考えてしまう。

 例の駅伝のせいでマラソンの強化が進まないというのも、残念ながら廃止されてしまった九州一周駅伝を活用して選手を育てていた九州、山口のチームのやり方を根拠もなく批判しているようでむかついた。そんなこんな陸連の九州に対する不当な扱いの象徴が瀬古氏なのだから、多少のことで見直す気にはなれない。褒めているマスコミも同じ穴のムジナだしさ。
 マスコミといえば、日本の報道にはマラソン選手に対する敬意が欠けている。その意味で言えば瀬古氏も犠牲者といえなくもないのだろうけどね。今回のMGCの盛り上がりを、マスコミを利用してあおるだけあおって、この大会の継続につなげるぐらいの芸は見せてほしいところである。

 チェコでは、チェコのマラソンの復権を目指して、ザートペクも支援して90年代半ばからプラハでマラソンが行なわれるようになったが、チェコスロバキアで一番古いマラソンというと、1924年に始まったコシツェのマラソンである。昔コシツェに行ったときに、優勝者の一覧の中に、日本の宗兄弟のどちらかの名前を発見して驚くとともに嬉しくなったことがある。たしか1970年代の後半のことだと思うのだが、昔の日本選手も意外と国外のマラソンに出場していたのである。
 残念なのは、プラハのマラソンもコシツェのも、チェコ、スロバキアのマラソンの強化にはつながっていないことである。日本選手とチェコ、スロバキアの選手が優勝争いとかなるとオリンピックのマラソンを見る気も高まるのだけどねえ。
2019年9月18日24時。









タグ: 日本 マラソン
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