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2020年09月20日
ユリウス・フチーク(九月十七日)
作品とはいっても特筆されるべきは、第二次世界大戦中にゲシュタポに逮捕され収監された刑務所の中で書いたとされる『Reportá? psaná na oprátce』(1945)ぐらいで、日本語への翻訳もこの作品が中心となる。『Reportá? psaná na oprátce』を翻訳しているのは以下の三人。
?@栗栖継訳『嵐は樹をつくる : 死の前の言葉』(学芸社、1952)
この作品は1962年に、筑摩書房が刊行していた『世界ノンフィクション全集』の第25巻に「絞首台からのレポート」として収録される。その際に、他の雑多な文章も収録されたのか割愛されたのかは不明。この巻にはナチス・ドイツに対する抵抗を描いた作品が収められているようである。こちらの著者名は「フゥチーク」。気持ちはわからなくはないけれども、「フゥ」なんて日本語の表記体系にはない。
その後1977年には、『絞首台からのレポート』と題して岩波文庫に収められた。作者名の表記がようやく「フチーク」に落ち着いた。この岩波文庫版は現在でも手に入らなくはないようだ。岩波は再販制を利用せずに、買いきりで書店に卸すから、版元に商品がなくても、品揃えのいい書店ならかなり掘り出し物が手に入る。この本が掘り出し物になるかどうかはともかく、古い岩波文庫を手に入れるためには、古本屋だけではなく新刊本屋も回らなければならない。性格の悪い出版社である。
?A木葉蓮子訳『絞首台からの報告』(須田書店、1953)
栗栖訳の翌年に刊行されたこの本については詳しいことはわからない。作者名は最初の栗栖訳と同様「フーチク」。訳者の木葉蓮子は、翌年もひとつフチークの作品を翻訳出版するがそれについては後述。
?B秋山正夫訳『愛の証言 : 絞首台からのレポート』(青木書店、1957)
国会図書館で確認できる最古の秋山訳がこれ。「愛の証言」というのが本題で「絞首台からのレポート」は副題扱いになっているようにも読める。作者名はこれも「フーチク」。1964年には同じ出版社から『絞首台からのレポート』と題して文庫化されている。出版社の青木書店は、マルクス主義を標榜する左翼系の出版社で、学生運動の華やかなりし頃には文庫も手がけていたらしい。
さて、前回紹介した浦井康夫氏の「日本でのチェコ文学翻訳の歴史」(入手は こちら から)には、英語からの翻訳である秋山訳はすでに1949年に刊行されているようなことが書かれている。国会図書館では発見できなかったので、「 CiNii 」を使って大学図書館の蔵書を検索してみた。
フチークの作品は発見できなかったが、秋山正夫の著作として、『絞首台からの叫び : 革命家フーチクの生涯』(正旗社、1949)というのが出てきた。題名からフチークの作品の翻訳であることは間違いなさそうだが、それに伝記をつけたことで、全体としては秋山の著作ということにされてのだろうか。これが、フチークの初訳で、第二次世界大戦後初めて日本で出版されたチェコ文学の翻訳単行本ということになる。
フチークは、1930年代にジャーナリストとして活動していた時代にソ連を訪問してレポート記事を書いている。それをまとめたのが、『V zemi, kde zítra ji? znamená v?era』(1932)で、木葉蓮子訳が存在する。
・木葉蓮子訳『わが明日、昨日となれる国』(須田書店、1954)
これも詳細は不明で、作者名は「フーチク」。
ビロード革命後、フチークの評価は、共産党のシンボル作家だったという過去から、ある意味地に落ちた。ドルダが晩年に「プラハの春」を弾圧したソ連軍に反抗したことで失脚したのとは違い、すでになくなっていたフチークは、反抗のしようもなく、最後まで共産党の象徴であり続けた。その反動で、実はゲシュタポと組んでいたんだとか、真偽の定かでないことを言われていたらしい。ただ最近は再評価が進んでいるようである。
『絞首台からのレポート』は栗栖訳の岩波文庫版を買って読んだはずだけれども、正直あまり印象が残っていない。同じレポートならムニャチコの『遅れたレポート』のほうが、個人的には評価が高い。