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2019年07月31日
THE THIRD STORY純一と絵梨 <26大阪の家>
大阪の家
大阪の隆の家でも子供が二人生まれていた。このころになって、隆に議員秘書になる話が出てきた。美奈子叔母さんの実家は代々衆議院議員を出している家だった。美奈子叔母さんの兄という人も衆議院議員だったが子供がなかった。跡継ぎを探しているときに隆がその話に乗ったらしい。
叔父は特に反対はしなかったが美奈子叔母さんが猛反対した。叔母さんは、そういう家の苦労をよく知っていて、隆には同じ苦労はしてほしくないと何度も言っていた。それでも隆は止まらなかった。血筋は争えないのだ。美奈子叔母さんは不本意かもしれなかったが、まぎれもなく叔母さんのDNAだった。
そうなると、田原興産を見るものがなくなる。隆の子供が大きくなるまで、聡一叔父が頑張るしかないようだ。
最近はなんとなく、聡一叔父は彼の兄、つまり僕の父に頼りがちだ。気が弱くなっていた。一人息子が浅井家の家業を継ぐことになって少し気落ちしたらしい。美奈子叔母さんも「何のために、田原の嫁さんになったんやろ。」と口癖のように言った。
続く
大阪の隆の家でも子供が二人生まれていた。このころになって、隆に議員秘書になる話が出てきた。美奈子叔母さんの実家は代々衆議院議員を出している家だった。美奈子叔母さんの兄という人も衆議院議員だったが子供がなかった。跡継ぎを探しているときに隆がその話に乗ったらしい。
叔父は特に反対はしなかったが美奈子叔母さんが猛反対した。叔母さんは、そういう家の苦労をよく知っていて、隆には同じ苦労はしてほしくないと何度も言っていた。それでも隆は止まらなかった。血筋は争えないのだ。美奈子叔母さんは不本意かもしれなかったが、まぎれもなく叔母さんのDNAだった。
そうなると、田原興産を見るものがなくなる。隆の子供が大きくなるまで、聡一叔父が頑張るしかないようだ。
最近はなんとなく、聡一叔父は彼の兄、つまり僕の父に頼りがちだ。気が弱くなっていた。一人息子が浅井家の家業を継ぐことになって少し気落ちしたらしい。美奈子叔母さんも「何のために、田原の嫁さんになったんやろ。」と口癖のように言った。
続く
2019年07月30日
家族の木 THE THIRD STORY純一と絵梨 <25 墓参>
墓参
梨央が歩けるようになったころ、絵梨が僕の実母の墓参りをしたいといった。
「母親になって初めて純の本当のお母様のことが気になってきたの。どんなに心残りだっただろうと思うと本当に胸が痛むの。自分だけで育てようと思って生んだ息子を残して逝くのは本当につらかったと思うのよ。今まで私たち自分のことに夢中になって、お母様のことがお留守になってたのよ。うちのママには内緒で叔父さんに聞いてみてよ。私たちは、お母様のお墓にお参りした方がいい。子供たちを見せて喜んでもらわなくちゃいけないよ。」と言ってくれた。
実の母のことは、僕が無理やり自分に目隠しをしていたことだった。今になって絵梨からその話が出たのはうれしかった。そうだ、その人にもこの二人の子供たちを見せてあげなければいけないと思った。
絵梨から実母の墓参りの話が出た翌日、大阪の叔父、僕の実父に母の墓の場所を教えてほしいと電話した。叔父は、くれぐれも東京の両親に内緒にするように念を押して墓の場所を教えてくれた。
意外にも墓所は東京だった。両親に内緒にするには都合がよかった。子供たちには買い物の帰りみたいにさりげなく墓参りをした。僕はこの墓参で初めて実の母の名前を知った。僕の母の名前は風羽田香織といった。珍しい名前だった。
なんとなく、その墓はさびれているだろうという予感を持って行った。しかし、きちんと手入れされていた。その家の人が落ち着いた暮らしをしているのが分かる墓だった。来てよかったと思った。
僕の母はかわいそうな人だった。でも、きちんと墓を手入れしている人がいる。僕の母は自分の家族に忘れられているわけではないのだ。それが分かっただけでもうれしかった。
その夜は絵梨と二人で一杯やった。絵梨は滅多に飲まなかったが、その夜はワインの乾杯に付き合ってくれた。二人で静かに「お母さん乾杯!」といった。その瞬間に涙があふれてきた。
僕は実母の墓参りの話が出てから一カ月ぐらい妙に緊張していた。それが、今日きれいに手入れされた母の墓にお参りして緊張の糸が切れてしまったようだ。孤独な寂しい人と思っていたが、ちゃんと見守ってくれる人がいた。心から感謝した。
「純、これからもお参りしよう。きっと、お母さんの身内の人も気が付くと思うよ。合わなくても純のお母さんの血筋の人と絆ができるんだよ。私のお姑さんだよ。きっと美人だったに違いないよ。大阪の叔父さんが愛していた人だもん。」といった。僕は、ただただ泣いていた。
続く
梨央が歩けるようになったころ、絵梨が僕の実母の墓参りをしたいといった。
「母親になって初めて純の本当のお母様のことが気になってきたの。どんなに心残りだっただろうと思うと本当に胸が痛むの。自分だけで育てようと思って生んだ息子を残して逝くのは本当につらかったと思うのよ。今まで私たち自分のことに夢中になって、お母様のことがお留守になってたのよ。うちのママには内緒で叔父さんに聞いてみてよ。私たちは、お母様のお墓にお参りした方がいい。子供たちを見せて喜んでもらわなくちゃいけないよ。」と言ってくれた。
実の母のことは、僕が無理やり自分に目隠しをしていたことだった。今になって絵梨からその話が出たのはうれしかった。そうだ、その人にもこの二人の子供たちを見せてあげなければいけないと思った。
絵梨から実母の墓参りの話が出た翌日、大阪の叔父、僕の実父に母の墓の場所を教えてほしいと電話した。叔父は、くれぐれも東京の両親に内緒にするように念を押して墓の場所を教えてくれた。
意外にも墓所は東京だった。両親に内緒にするには都合がよかった。子供たちには買い物の帰りみたいにさりげなく墓参りをした。僕はこの墓参で初めて実の母の名前を知った。僕の母の名前は風羽田香織といった。珍しい名前だった。
なんとなく、その墓はさびれているだろうという予感を持って行った。しかし、きちんと手入れされていた。その家の人が落ち着いた暮らしをしているのが分かる墓だった。来てよかったと思った。
僕の母はかわいそうな人だった。でも、きちんと墓を手入れしている人がいる。僕の母は自分の家族に忘れられているわけではないのだ。それが分かっただけでもうれしかった。
その夜は絵梨と二人で一杯やった。絵梨は滅多に飲まなかったが、その夜はワインの乾杯に付き合ってくれた。二人で静かに「お母さん乾杯!」といった。その瞬間に涙があふれてきた。
僕は実母の墓参りの話が出てから一カ月ぐらい妙に緊張していた。それが、今日きれいに手入れされた母の墓にお参りして緊張の糸が切れてしまったようだ。孤独な寂しい人と思っていたが、ちゃんと見守ってくれる人がいた。心から感謝した。
「純、これからもお参りしよう。きっと、お母さんの身内の人も気が付くと思うよ。合わなくても純のお母さんの血筋の人と絆ができるんだよ。私のお姑さんだよ。きっと美人だったに違いないよ。大阪の叔父さんが愛していた人だもん。」といった。僕は、ただただ泣いていた。
続く
2019年07月29日
家族の木 THE THIRD STORY純一と絵梨 <24 出産>
出産
絵梨は、あの痛々しい時からは予想もつかないたくましい妊婦だった。安定期に入るころには、すっかり自信をもって「この子は大丈夫。絶対元気に生まれる。」と言い切っていた。近所のスーパーぐらいは自分で行ったし食事の支度も困らないようだった。
むしろ食欲が止まらなくて困っていた。絵梨のたくましいお尻を見たら、幸せってこんな感じかな?と実感した。そのころになると、もう色恋抜きの気持ちになっていた。
母から会社に絵梨が入院したと電話がかかってきた。僕も父も慌てて病院へ直行した。母もそわそわしていた。でも、看護師や助産師は特に慌てる風もなかった。「今晩一晩くらいはかかりますよ。」といわれて僕も父も拍子抜けした。
母だけが病院に残って僕と父は居酒屋で食事をしながら呑気にビールを飲んでいた。その時、母から電話がかかった。緊急帝王切開になったらしい。焦りに焦って病院に駆け付けたが、すでに手術室に入った後だった。
子供の心音に異常が出たので緊急手術になったのだ。僕は恐怖のあまりに病院の椅子に座り込んでしまった。父も母も沈んだ表情で無言だった。母は祈り始めていた。僕はあの仏像を持ってきたらよかったと思った。あの仏像を思いながら祈った。
結果はあっけなかった。手術は15分ほどで終わって子供の泣き声が廊下中に響き渡った。父も母も僕も、笑っていいのか悪いのかわからなかった。絵梨は絵梨は無事か?と心配だった。
病室から出てきた看護師は無表情だった。「すみません。母親は無事ですか?」父が聞いた。看護師は不思議そうな顔をして「ええ。」と答えた。何を大層に騒いでいるんだという顔だった。
両親も僕もほぼ嗚咽状態だった。僕たちのドラマチックな反応に看護師は困惑していた。
絵梨が病室に戻ってきた。ニコニコ顔だった。看護師に「ご主人は手をきれいに洗ってお待ちください。]といわれた。僕も両親も手を洗った。
初めて子供を抱かせてもらったとき、その子は僕の腕の中で小さな手をもごもごさせていた。特に可愛いとは思わなかった。なにか壊れ物を持たされたような気がした。残念なことに手を洗って待機していた両親は赤ん坊を抱かせてはもらえなかった。
病院を離れて家に着くころには、また赤ん坊に会いたくてしょうがなくなった。翌日も会社の帰りに病院に行った。抱いているときには何か、よくわからない生物を抱いているようなのだが、家に着くころには、また会いたくてしょうがなくなっていた。
翌日も翌日も、抱いているときには、子供を抱いているという実感がないのに、病院を離れると、すぐに会いたくてしょうがなくなった。
退院後は、僕たちの寝室には寝かせずに、空いていた部屋に絵梨と赤ん坊が寝た。夜中の授乳があるので、その方が都合がいいということだった。お七夜には母が名前を刻んだスプーンを用意してくれた。
名前は梨沙。特に決まりがあるわけではないが、田原の娘は代々梨という字を使った名前が続いている。
一週間もすると、リビングに置いたベビーベッドに寝かせるようになった。僕は梨沙のベビーベッドから離れられなくなった。常にそばにくっついていた。母子が僕とは別の部屋に寝ていることが不満になった。梨沙のベビーベッドを僕たちの寝室に持ち込んだ。
不思議なことに絵梨の体が回復するにしたがって僕の聖人君子は衰弱していった。代わりに、恐ろしく多くの煩悩を抱えた俗人がよみがえってきた。その次の妊娠でも同じだった。僕の聖人君子は絵梨の体調と相関して元気になったり衰弱したりした。
そして、二人目の梨央が1歳に成ったころには聖人君子は完全に消滅した。僕は、従来の俗人に戻っていた。が、同時に父性も身について少しはましな人間になっていた。
続く
絵梨は、あの痛々しい時からは予想もつかないたくましい妊婦だった。安定期に入るころには、すっかり自信をもって「この子は大丈夫。絶対元気に生まれる。」と言い切っていた。近所のスーパーぐらいは自分で行ったし食事の支度も困らないようだった。
むしろ食欲が止まらなくて困っていた。絵梨のたくましいお尻を見たら、幸せってこんな感じかな?と実感した。そのころになると、もう色恋抜きの気持ちになっていた。
母から会社に絵梨が入院したと電話がかかってきた。僕も父も慌てて病院へ直行した。母もそわそわしていた。でも、看護師や助産師は特に慌てる風もなかった。「今晩一晩くらいはかかりますよ。」といわれて僕も父も拍子抜けした。
母だけが病院に残って僕と父は居酒屋で食事をしながら呑気にビールを飲んでいた。その時、母から電話がかかった。緊急帝王切開になったらしい。焦りに焦って病院に駆け付けたが、すでに手術室に入った後だった。
子供の心音に異常が出たので緊急手術になったのだ。僕は恐怖のあまりに病院の椅子に座り込んでしまった。父も母も沈んだ表情で無言だった。母は祈り始めていた。僕はあの仏像を持ってきたらよかったと思った。あの仏像を思いながら祈った。
結果はあっけなかった。手術は15分ほどで終わって子供の泣き声が廊下中に響き渡った。父も母も僕も、笑っていいのか悪いのかわからなかった。絵梨は絵梨は無事か?と心配だった。
病室から出てきた看護師は無表情だった。「すみません。母親は無事ですか?」父が聞いた。看護師は不思議そうな顔をして「ええ。」と答えた。何を大層に騒いでいるんだという顔だった。
両親も僕もほぼ嗚咽状態だった。僕たちのドラマチックな反応に看護師は困惑していた。
絵梨が病室に戻ってきた。ニコニコ顔だった。看護師に「ご主人は手をきれいに洗ってお待ちください。]といわれた。僕も両親も手を洗った。
初めて子供を抱かせてもらったとき、その子は僕の腕の中で小さな手をもごもごさせていた。特に可愛いとは思わなかった。なにか壊れ物を持たされたような気がした。残念なことに手を洗って待機していた両親は赤ん坊を抱かせてはもらえなかった。
病院を離れて家に着くころには、また赤ん坊に会いたくてしょうがなくなった。翌日も会社の帰りに病院に行った。抱いているときには何か、よくわからない生物を抱いているようなのだが、家に着くころには、また会いたくてしょうがなくなっていた。
翌日も翌日も、抱いているときには、子供を抱いているという実感がないのに、病院を離れると、すぐに会いたくてしょうがなくなった。
退院後は、僕たちの寝室には寝かせずに、空いていた部屋に絵梨と赤ん坊が寝た。夜中の授乳があるので、その方が都合がいいということだった。お七夜には母が名前を刻んだスプーンを用意してくれた。
名前は梨沙。特に決まりがあるわけではないが、田原の娘は代々梨という字を使った名前が続いている。
一週間もすると、リビングに置いたベビーベッドに寝かせるようになった。僕は梨沙のベビーベッドから離れられなくなった。常にそばにくっついていた。母子が僕とは別の部屋に寝ていることが不満になった。梨沙のベビーベッドを僕たちの寝室に持ち込んだ。
不思議なことに絵梨の体が回復するにしたがって僕の聖人君子は衰弱していった。代わりに、恐ろしく多くの煩悩を抱えた俗人がよみがえってきた。その次の妊娠でも同じだった。僕の聖人君子は絵梨の体調と相関して元気になったり衰弱したりした。
そして、二人目の梨央が1歳に成ったころには聖人君子は完全に消滅した。僕は、従来の俗人に戻っていた。が、同時に父性も身について少しはましな人間になっていた。
続く
2019年07月28日
THE THIRD STORY純一と絵梨 <23 腑に落ちない話>
腑に落ちない話
絵梨の妊娠の喜びで家族が湧きたつ日々の中で大阪の祖母が狭心症で倒れた。叔父が電話をかけてきた。そして美奈子叔母さんに、「絵梨ちゃんと真梨さんは来たらだめよ。」ととめられた。
「自分のために絵梨ちゃんが無理するのん、おばあちゃん悲しまはるから。おばあちゃん悲しませんといて。そっちで、ひい孫の顔みれるようにって祈ってあげて。」と念を押された。父と僕が急いで駆けつけたが意識は戻らなかった。そのまま、帰らぬ人となった。
祖母は絵梨の妊娠を知った日には喜んで自分で電話をかけてきた。僕に「軽率なことせんように。パパになるんやから。」といった。ごく普通に「わかってるよ。心配性だなあ。」と言って電話を切った。
祖母の49日を済ませてお手伝いさんの宮本さんは、榊島の有料老人ホームに引っ越していった。そのホームは、東京の祖父が建設したもので、小規模だが設備が行き届いた高級施設だった。祖母はは宮本さんに割と大きな金額の預金を遺していた。
祖母が亡くなってしばらくして、父から長谷川が亡くなった話を聞いた。自死か事故かはわからないが、ひき逃げにあって犯人がまだ見つかっていない。小樽から刑事が来たということだった。もちろん絵梨には内緒の話だ。
絵梨が妊娠してから僕は命というものを大切に思うようになっていた。長谷川を恨んではいたが、以前のように殺してやるというような物騒な発想は無くなっていた。それよりは、長谷川が絵梨に危害を加えないかを心配していた。長谷川の死のニュースを聞いて僕はひそかに胸をなでおろしていた。
父は長谷川が亡くなった話をした時に少し含みのある言い方をした。「いろんな人から恨みを買っていたらしい。誰かが思い詰めたかもしれんな。」といった。そうかも知れない。と思った。
ふっと、宮本さんはこの話を知っているだろうかと思った。施設に電話してみると、宮本さんは少し老けたような気がしたが元気にしていた。長谷川のことは今初めて知ったと言った。
施設長に宮本さんの健康状態を気にかけてくれるように頼んだ。その時、施設長は「あの人は元気なもんですよ。つい1か月前にも九州旅行に行かれましたよ。」といった。九州とはまた意外な場所だと思った。なにか腑に落ちない感じがした。
続く
絵梨の妊娠の喜びで家族が湧きたつ日々の中で大阪の祖母が狭心症で倒れた。叔父が電話をかけてきた。そして美奈子叔母さんに、「絵梨ちゃんと真梨さんは来たらだめよ。」ととめられた。
「自分のために絵梨ちゃんが無理するのん、おばあちゃん悲しまはるから。おばあちゃん悲しませんといて。そっちで、ひい孫の顔みれるようにって祈ってあげて。」と念を押された。父と僕が急いで駆けつけたが意識は戻らなかった。そのまま、帰らぬ人となった。
祖母は絵梨の妊娠を知った日には喜んで自分で電話をかけてきた。僕に「軽率なことせんように。パパになるんやから。」といった。ごく普通に「わかってるよ。心配性だなあ。」と言って電話を切った。
祖母の49日を済ませてお手伝いさんの宮本さんは、榊島の有料老人ホームに引っ越していった。そのホームは、東京の祖父が建設したもので、小規模だが設備が行き届いた高級施設だった。祖母はは宮本さんに割と大きな金額の預金を遺していた。
祖母が亡くなってしばらくして、父から長谷川が亡くなった話を聞いた。自死か事故かはわからないが、ひき逃げにあって犯人がまだ見つかっていない。小樽から刑事が来たということだった。もちろん絵梨には内緒の話だ。
絵梨が妊娠してから僕は命というものを大切に思うようになっていた。長谷川を恨んではいたが、以前のように殺してやるというような物騒な発想は無くなっていた。それよりは、長谷川が絵梨に危害を加えないかを心配していた。長谷川の死のニュースを聞いて僕はひそかに胸をなでおろしていた。
父は長谷川が亡くなった話をした時に少し含みのある言い方をした。「いろんな人から恨みを買っていたらしい。誰かが思い詰めたかもしれんな。」といった。そうかも知れない。と思った。
ふっと、宮本さんはこの話を知っているだろうかと思った。施設に電話してみると、宮本さんは少し老けたような気がしたが元気にしていた。長谷川のことは今初めて知ったと言った。
施設長に宮本さんの健康状態を気にかけてくれるように頼んだ。その時、施設長は「あの人は元気なもんですよ。つい1か月前にも九州旅行に行かれましたよ。」といった。九州とはまた意外な場所だと思った。なにか腑に落ちない感じがした。
続く
2019年07月27日
THE THIRD STORY純一と絵梨 <22 受胎告知>
受胎告知
最近、絵梨が少し痩せてきた。父に慎むように叱られた。こんな時、僕の立場はややこしい。普通、義父が婿にそんなこというか? 父親が息子の嫁が少しやせたことに気付くか? 僕の父は、母よりもおせっかいなのかもしれない。過干渉だと思った。ただ、絵梨自身は幸福そうだった。
その、幸福そうな絵梨が、その日は朝起きるのが遅くなった。ふと見ればうたた寝をしている。朝食を作るのもやっとだった。父が言うようにやりすぎてしまったのだろうか?と反省した。「疲れてる?今日はゆっくり休めばいいよ。洗濯、僕が帰ってからやるから。夕飯はなんかとろう。」と言って出勤した。
その日、会社から帰ると絵梨はソファに座ったまま「お帰りなさい。」といった。本当に体調が悪いのだと思って心配になった。が絵梨はにこにこしていた。ソファからおいでおいでをする。僕は腹が減っていた。ちょっとイライラした声で「なんだよ。」と絵梨に近づいた。
絵梨が立ち上がらないので、絵梨の隣にどさっと座った。その時、絵梨がしなだれかかってきて僕の手を自分の胸に抱いた。疲れて帰ってきていきなりは無理だと焦った。絵梨が小さな声で、「受胎告知です。私たち夫婦は天から授かりものをしました。」といった。
ジュタイコクチ?なんだそれ?脳内変換に時間がかかった。やっと漢字変換ができたが、あまり実感がなかった。絵梨が「おめでとう。あなたはパパになりました。」といった。「ほんと?」というと「今日病院に行ったの、3カ月だって。」といった。
よくテレビドラマでやっている感動的な場面が現実に僕に起こった。こんな時、ドラマのように喜んで飛び上がるのかと思ったが、そんな風にはならなかった。絵梨の前では喜んでみたものの、それほどの感慨は湧かなかった。その日は、近所の蕎麦屋から出前してもらった。僕の子供の門出は地味な食事から始まった。
本当に感動が押し寄せてきたのは絵梨が風呂から出てきた時だった。絵梨の体をバスタオルで拭いてバスローブを着せて髪を乾かした。その間、僕は聖人君子のようにふるまった。しばらくは、きつく抱きしめてはいけない。無茶なことをさせてはいけないと思った。
喜びが込み上げてきた。このお腹の中に子供がいるんだ。子供ができたんだ。子供が生まれるんだよ。と何度も心の中でつぶやいた。いや、声に出していたかもしれない。絵梨が、クスクス笑った。僕は、実家に電話しようとしたが絵梨はしばらく二人だけの秘密にしようといった。僕は、だらしなくにやにやした。
その週の週末には両親を夕飯に招待した。絵梨は食事の支度をしかけたが、僕はイタリア料理屋のテイクアウトを提案した。最近評判になっている店だった。その料理を見て、父は一瞬つまらなそうな顔をした。僕は「絵梨は料理するっていったんだけど、僕が止めたんだ。」と絵梨の代わりに言い訳をした。
父は心配顔になり、母はすぐ具合はどうかと尋ねた。絵梨が、ちょっとむかつく程度だと答えると「いつ分かったの?」と聞いた。母はいかにも物知り顔でわざと父にわかりづらく話した。父もやっと事態を察したようだった。途端に笑顔がこぼれて、「おめでとう。大事にしないとな。」といった。
その日から、僕たちは絵梨のお腹の子供を守るためだけに動いた。母は毎日僕達の家に来て家事一切を引き受けた。絵梨も慎重に生活した。一日に何度か庭周りを散歩したが外出は控えた。少し、神経質かとも思ったが、何としても無事に出産したいという強い決心だった。
僕は相変わらず聖人君子だった。絵梨の検診に付き添って心音を聞かせてもらった。小さな小さな米粒のような影が映っているだけなのに、ドクドクドクっと心音が聞こえた。生きているんだと実感した。
こんなに短期間で人生が一変することがあるのだと思うと感慨深かった。あの時、叔父夫婦がうちへ縁談を持ってこなかったら、僕らは、この幸福をつかむことがなかったのかもしれない。
あんなに悩んだ恋愛も結婚してみれば、ごく平凡な夫婦だ。あの長い10年間は何だったのだろうと不思議になった。
続く
最近、絵梨が少し痩せてきた。父に慎むように叱られた。こんな時、僕の立場はややこしい。普通、義父が婿にそんなこというか? 父親が息子の嫁が少しやせたことに気付くか? 僕の父は、母よりもおせっかいなのかもしれない。過干渉だと思った。ただ、絵梨自身は幸福そうだった。
その、幸福そうな絵梨が、その日は朝起きるのが遅くなった。ふと見ればうたた寝をしている。朝食を作るのもやっとだった。父が言うようにやりすぎてしまったのだろうか?と反省した。「疲れてる?今日はゆっくり休めばいいよ。洗濯、僕が帰ってからやるから。夕飯はなんかとろう。」と言って出勤した。
その日、会社から帰ると絵梨はソファに座ったまま「お帰りなさい。」といった。本当に体調が悪いのだと思って心配になった。が絵梨はにこにこしていた。ソファからおいでおいでをする。僕は腹が減っていた。ちょっとイライラした声で「なんだよ。」と絵梨に近づいた。
絵梨が立ち上がらないので、絵梨の隣にどさっと座った。その時、絵梨がしなだれかかってきて僕の手を自分の胸に抱いた。疲れて帰ってきていきなりは無理だと焦った。絵梨が小さな声で、「受胎告知です。私たち夫婦は天から授かりものをしました。」といった。
ジュタイコクチ?なんだそれ?脳内変換に時間がかかった。やっと漢字変換ができたが、あまり実感がなかった。絵梨が「おめでとう。あなたはパパになりました。」といった。「ほんと?」というと「今日病院に行ったの、3カ月だって。」といった。
よくテレビドラマでやっている感動的な場面が現実に僕に起こった。こんな時、ドラマのように喜んで飛び上がるのかと思ったが、そんな風にはならなかった。絵梨の前では喜んでみたものの、それほどの感慨は湧かなかった。その日は、近所の蕎麦屋から出前してもらった。僕の子供の門出は地味な食事から始まった。
本当に感動が押し寄せてきたのは絵梨が風呂から出てきた時だった。絵梨の体をバスタオルで拭いてバスローブを着せて髪を乾かした。その間、僕は聖人君子のようにふるまった。しばらくは、きつく抱きしめてはいけない。無茶なことをさせてはいけないと思った。
喜びが込み上げてきた。このお腹の中に子供がいるんだ。子供ができたんだ。子供が生まれるんだよ。と何度も心の中でつぶやいた。いや、声に出していたかもしれない。絵梨が、クスクス笑った。僕は、実家に電話しようとしたが絵梨はしばらく二人だけの秘密にしようといった。僕は、だらしなくにやにやした。
その週の週末には両親を夕飯に招待した。絵梨は食事の支度をしかけたが、僕はイタリア料理屋のテイクアウトを提案した。最近評判になっている店だった。その料理を見て、父は一瞬つまらなそうな顔をした。僕は「絵梨は料理するっていったんだけど、僕が止めたんだ。」と絵梨の代わりに言い訳をした。
父は心配顔になり、母はすぐ具合はどうかと尋ねた。絵梨が、ちょっとむかつく程度だと答えると「いつ分かったの?」と聞いた。母はいかにも物知り顔でわざと父にわかりづらく話した。父もやっと事態を察したようだった。途端に笑顔がこぼれて、「おめでとう。大事にしないとな。」といった。
その日から、僕たちは絵梨のお腹の子供を守るためだけに動いた。母は毎日僕達の家に来て家事一切を引き受けた。絵梨も慎重に生活した。一日に何度か庭周りを散歩したが外出は控えた。少し、神経質かとも思ったが、何としても無事に出産したいという強い決心だった。
僕は相変わらず聖人君子だった。絵梨の検診に付き添って心音を聞かせてもらった。小さな小さな米粒のような影が映っているだけなのに、ドクドクドクっと心音が聞こえた。生きているんだと実感した。
こんなに短期間で人生が一変することがあるのだと思うと感慨深かった。あの時、叔父夫婦がうちへ縁談を持ってこなかったら、僕らは、この幸福をつかむことがなかったのかもしれない。
あんなに悩んだ恋愛も結婚してみれば、ごく平凡な夫婦だ。あの長い10年間は何だったのだろうと不思議になった。
続く
2019年07月26日
家族の木 THE THIRD STORY純一と絵梨 <21 最後の夜>
最後の夜
翌日からいろいろな観光地を回った。あの鬱陶しい気分はどこかへ飛んでしまった。両親には三日おきに電話した。僕たちは、修学旅行に来た中学生のようにはしゃいでいた。
絵梨の頬はピンク色に輝いていた。
ハネムーンの最後の夜「純、この二週間は私は本当に幸福な妻だったわ。でも、この後はあなたの好きな道に進んでほしい。私は十分に幸福だから心配いらない。誰からも祝福される恋をしてほしいの。」といった。
最初の夜のことが尾を引いていた。絵梨は嘘が下手だった。もし、今僕が離れたら絵梨は生きてはいられないはずだ。あんなに、親戚中巻き込んで結婚にこぎつけた二人がそんなに簡単に別れられるはずはなかった。少なくても僕は、つまらない友人の言葉に惑わされる絵梨に腹がったった。
「つまらないこと言うな。そりゃ、初めて外国人の女の子とあけっぴろげな恋をしたさ。その子が好きだったよ。だけど、それでも絵梨の不幸を聞いたら放っておけなかったんだ。その子を置いてさっさと日本へ帰っちゃったんだよ。だから、あんな風に嫌味をくらったんだよ。それが今の僕なんだよ。こんなこと説明しなきゃわからない?その子もあの男と幸福になるさ。それとも、青春の思い出も作っちゃいけなかった?」
「ごめん、なんかモヤモヤして笑えないの、腹が立つのよ。」
「知らないの?それをジェラシーっていううんだよ。これから、そのジェラシーを溶かしてあげるよ。」
帰国してから、実家の会社に平社員として入社した。僕がわりと一生懸命働いたので、他の社員とも仲良くなれた。穏やかな日々が続いた。
僕は会社関係や友人に絵梨のことを話すときには、「家内」とよんだ。そういう、ちょっとおじさん臭い言い方が気に入っていた。その言葉を言うときに、自分の口元がちょっとニヤけるのがわかった。
親しい友人は絵梨が姉だということを知っていて一瞬ぎょっとした。僕は、実父が誰だとは言わなかったが、自分が養子だったこと、養子と実子の結婚は法的に問題がないことを丁寧に説明した。友人たちは僕の説明を聞いてほっとした顔をする。めんどうだったが理解して欲しかった。
続く
翌日からいろいろな観光地を回った。あの鬱陶しい気分はどこかへ飛んでしまった。両親には三日おきに電話した。僕たちは、修学旅行に来た中学生のようにはしゃいでいた。
絵梨の頬はピンク色に輝いていた。
ハネムーンの最後の夜「純、この二週間は私は本当に幸福な妻だったわ。でも、この後はあなたの好きな道に進んでほしい。私は十分に幸福だから心配いらない。誰からも祝福される恋をしてほしいの。」といった。
最初の夜のことが尾を引いていた。絵梨は嘘が下手だった。もし、今僕が離れたら絵梨は生きてはいられないはずだ。あんなに、親戚中巻き込んで結婚にこぎつけた二人がそんなに簡単に別れられるはずはなかった。少なくても僕は、つまらない友人の言葉に惑わされる絵梨に腹がったった。
「つまらないこと言うな。そりゃ、初めて外国人の女の子とあけっぴろげな恋をしたさ。その子が好きだったよ。だけど、それでも絵梨の不幸を聞いたら放っておけなかったんだ。その子を置いてさっさと日本へ帰っちゃったんだよ。だから、あんな風に嫌味をくらったんだよ。それが今の僕なんだよ。こんなこと説明しなきゃわからない?その子もあの男と幸福になるさ。それとも、青春の思い出も作っちゃいけなかった?」
「ごめん、なんかモヤモヤして笑えないの、腹が立つのよ。」
「知らないの?それをジェラシーっていううんだよ。これから、そのジェラシーを溶かしてあげるよ。」
帰国してから、実家の会社に平社員として入社した。僕がわりと一生懸命働いたので、他の社員とも仲良くなれた。穏やかな日々が続いた。
僕は会社関係や友人に絵梨のことを話すときには、「家内」とよんだ。そういう、ちょっとおじさん臭い言い方が気に入っていた。その言葉を言うときに、自分の口元がちょっとニヤけるのがわかった。
親しい友人は絵梨が姉だということを知っていて一瞬ぎょっとした。僕は、実父が誰だとは言わなかったが、自分が養子だったこと、養子と実子の結婚は法的に問題がないことを丁寧に説明した。友人たちは僕の説明を聞いてほっとした顔をする。めんどうだったが理解して欲しかった。
続く