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「Rakuten UN-LIMIT」のsimカードが2日前に配送された。 早速スマートフォンに挿して使ってみた。 4月22日からはau回線で使えるデータ容量が2GBから5GBに増量された。 自宅で使う分には楽天基地局エリア内なので使い放題の恩恵を受けられる。 楽天では2021年3月までに自前基地局の設置を全国に広げることを示唆している。 サービスエリア外ではパートナーであるKDDI(au)の回線を使うことになり、当初は2GB/1ヶ月まで。2GBを使い切ってしまうと、低速の128kbpsで我慢するか、データ容量を追加することも可能だが、1GBあたり500円かかってしまうのがネックだった。しかし、キャンペーンで300万人に1年間無料と大々的に宣伝したが思うように契約者が増えなかったようで、「2GBから5GB」に増やし、au回線の通信制限がかかった場合の通信速度が「128kpbsから1Mbps」へと10倍程度速くなるプランにしたのだ。これで2980円、他社と比較して半額近いのだ。こんな大盤振る舞いして楽天さん大丈夫かと心配してしまう。 私が最も魅力を感じたのは、我が家にはwi-fiの環境がないのでテザリングが使え、いくら使っても無料だったことだ。 それと海外旅行でsimカードを挿し換える必要がない。国ごとにsimカードを買い求めて挿し換えしなくてもいいのだ。 海外では5GBではなく2GB、使い切ったあとは128kpbsの通信速度になる。それでも私の場合は構わない。なぜなら宿泊する宿にはほとんど無料でwi-fiが使えるからだ。 wi-fiが使えない所で、多少時間がかかっても我慢すればいいのだ。
2020.04.23
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2012年5月30日水曜日 ー香港の学生に夕飯をご馳走になるー 朝9時20分、ほとんど定刻にトビリシ到着 今日から3泊する宿 8人部屋のドミトリー 風呂場もトイレも清潔 宿の近く ヨーロッパ風です マクドナルド コジャレている グルジアも銅像が多い この様な建物がたくさんある グルジア名物 昼飯にヒンカリ (大きな餃子)とビール 450円 マクドナルドのコーヒー150円 ここに香港の学生3人と一緒に泊まる 香港の学生が予約している宿に、私も便乗して宿泊することにする。トビリシ駅から地下鉄で二つ目の駅で下車。地図を頼りに探し歩くが、反対方向に行ったり横道にそれたりで、目的の宿を見つけるまでに40分かかった。それでも、ドミトリーは清潔で快適な宿のようで、一安心だ。早速、宿の 近辺を歩く。私が心配した、外国人旅行者へ危害を加えるような街でもなさそうだ、と直感する。 それでも、夜は8時以降は出歩かない、人通りの少ないところは避ける。最低の事は守るつもりだ。アルメニアの街並みはヨーロッパ風だった、ここグルジアの首都トビリシもヨーロッパを漂わせる街並みだ。夕飯は、香港の学生が買出しした食材で、スパゲティとジャガイモのスープ、野菜のバターいため風煮物(キノコ、キャベツ、玉ねぎ、ベーコン、ブロッコリー、ベーコン)をご馳走になった。食材の一部を支払うと言っても、聞き入れと貰えなかったので、私はビール代を支払うことにした。料理は、正直言って美味しくなかった。私が料理した方がはるかに美味い物を作れる。でも嬉しいではありませんか、私の分まで食材を買い求め、ご馳走してくれるなど、普通できませんよね。 香港の学生にアッパレ! 2012年5月31日木曜日 ー食べれば太る、食べなければ痩せるー 香港の学生 闇鍋みたいですね 昨日ご馳走になった 野菜のバターいため風煮物 国会前の銅像 ダヴィスプレバ広場 後ろの建物が支庁舎 少し通りを入ればこの様な街並みです ナリカラ城塞跡(上) メテヒ(聖母)教会 グルジア文字で書いてあるので 名前はわかりません スィオニ大聖堂 ノラシェン教会(18世紀の建物) カシュヴェティ教会 トビリシ・マリオットホテル オペラ・バレエ劇場 補修工事中 ルスタヴェリ劇場 右がマリオットホテル 本日は、トビリシ市内を歩いて見学する。市内は一日もあれば十分見て回れる。アルメニアの人は本当に太っている人が多かった。特に中年女性は、梨型の体型でお尻の周りは私の4、5倍はありそうな人が結構いました。昔の小錦状態の女性が歩いていると思って頂ければ、想像がつくと思う。それに比べるとグルジアでは、太っている人は極端に少ない。ここ、トビリシ市内を歩いていると、お年寄りの物もらいが多い。子供を抱っこしてお金をせびる若い女性もいる。また、子供が私の前に急に現れて、マネーをくれと言ってくる。アルメニアでは一人として物乞い物をしている人はいなかった。それだけ食べるのに困っている人がグルジアには多いのではないかと思う。食べなければ痩せる、食べれば太る、典型的な例ですね…。 今日も夕食を学生さんにお呼ばれされる。二日続けてご馳走になったら日本人の恥、私は私で、グルジア名物「ヒンカリ」の冷凍物と、さくらんぼを買ってきた。ヒンカリは大きめの餃子みたいな物だ。料理は簡単、熱湯に入れて水餃子にする。スープも飲めて学生さんも喜んでくれた。正直な話、昨日の料理はひどかった。二日続けて食べたくなかったので、ヒンカりは大成功だった。 2012年6月1日金曜日 ー夜景を見て23時に宿に戻るー 昨日の晩飯 グルジア名物ヒンカリとビール 野菜とソーセージ炒め サムタヴロ教会入口 サムタヴロ教会内部 サムタブロ教会をバックに 香港の女性 バンコクの女性と私 ヘブリスツィヘ要塞跡 上の写真付近 トビリシから40分 高原に花が咲き乱れている スヴティ・ツホヴェリ大聖堂 スヴティ・ツホヴェリ大聖堂 内部 スヴティ・ツホヴェリ大聖堂 内部 スヴティ・ツホヴェリ大聖堂 内部 スヴティ・ツホヴェリ大聖堂 三時半に宿に戻り ビール中瓶1本60円 宿の三階から 石畳の坂になっている 夜飯 左はバンコクの女性 右は香港の女性 4人で食事しました 牛のひき肉 チーズ キノコ ポテトの4種類のヒンカり ライトアップされた宿のそば おもだった建てものはライトアップされている 本日は、市内から40分ほどのムツヘタに行ってきた。メンバー4人、香港の女性が帰国して、入れ替わりにバンコクの女性がドミトリーの仲間になった。その4人で出かけた。やはり、若い人とハイキング気分で歩くのは楽しい。3人は英語ペラペラ、私は2割程度しか理解できなかったが、皆さん私に気を使って話してくれるので助かった。ムツヘタは、紀元前3世紀から5世紀にかけて古代イベリア王国の都だった。4世紀にイベリア王がキリスト教を国教としてから、グルジア正教の総本山となる。城壁が囲むスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂はユネスコの世界遺産に登録されている。夕食は、グルジア名物の「ヒンカリ」を食べた。大きめの餃子みたいで、中身が牛のひき肉、ポテト、チーズ、キノコの4種類を注文した。私は4個食べたらお腹が膨れてしまった。ヒンカリの中身は何十種類もあるらしい。食べ終えて、香港の2人と夜景を見に行ってきた。帰りはなんと11時少し前だったが、何事もなく帰れた。おまけは、夜景を見るために山の頂まで行き、展望台にいた6人の男性らと意気投合して、宿まで車で送ってもらった。悪い奴でなくて、本当によかった。夜景の写真は次回。 明日は、クタイシに向かう。 2012年6月1日金曜日 ー悪い奴はひと握りー 国会前 支庁舎 スィオニ大聖堂 22時、カトリック信者大勢いた 香港の女性とツーショット コルガサ広場から撮影 ナリカラ城塞跡の途中から見た、右がメテヒ(聖母)教会 ナリカラ城塞跡頂上から、 トビリシ市内 右の男、体格がいい、絡まれたら大変だと思ったが、車で宿の前まで送ってくれた 旅行に出て初めて20時以降街を歩いた。香港の二人に誘われて、トビリシ市内のライトアップされた建物、さらに20分かけてナリカラ城塞跡の上まで登り、トビリシ市内の夜景を一望出来て大満足。ナリカラ城塞跡の上まで登る途中では、アベックが何組もいて、抱き合ってキスしているカップルもいる、夜のデートコースになっているようだ。頂上の展望台に6人組の男性がいて、酒盛りをしている。その脇で写真を撮っていると、グルジア語で話しかけてくる。絡まれたら嫌だな、と思っていたがフレンドリーな連中で、本当によかった。20分くらい夜景を見て、彼らに別れの挨拶をして帰ることにする。我々が坂を降りている途中で、彼らの車が止まり、送っていくから車に乗れと言って、仲間の4人を下ろして我々を乗せて宿まで送ってくれた。私は、グルジアは怖い所という先入観があった。若者のよる外国人旅行者を狙った犯罪が多発している、という情報にとらわれすぎていたのかもしれない。そうだよね、考えてみれば、どこの国でも悪い奴はほんのひと握り、それ以外の大勢の人は普通の人達だよね。今、グルジアは朝の8時33分、日本より5時間前の時差。
2020.04.23
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2012年5月27日日曜日 ー2日に1回は髪の毛をシャンプーー 白と赤で560円ほど 美味いワインです グリゴリャンの家のおじいちゃん 朝飯 牛肉入りスープとパン トマト味でとても美味しかった ガルニ神殿付近 軽井沢の初夏の気候 ガルニ神殿 ガルニ神殿のそばにある教会跡 (7~9世紀) 地元の観光客 子供の課外授業か 写真で見ると少し痩せたかな、でもアルメニアの水が私に合っているみたいで、食欲旺盛です 良い奴なんだが、少しストーカー気味 その話は明日 イェレヴァンの宿、「グリゴリャンの家」のお爺ちゃん、そして家族の方は皆さん優しい人達だ。ただ難を言えば、トイレは共同、シャワーは無い。気候も寒からず暑からずなので、汗をかかないので身体は汚れない(?)それでも2日に1回は庭の水道で、家族の皆さんに笑われながら、髪の毛をシ ャンプーし、身体全体を冷たい水で拭き、清潔さを保っている。その為に髪の毛を洗い易いようにと短くしたのが大正解だ。 本日もバスを乗り継ぎ、市内から25キロ郊外のガルニ神殿に行ってきた。昨日もそうだが、言葉は分からない中、色々な人に聞き、親切に教えてもらっての移動は、実に有難い。ガルニ神殿は、アルメニアに残る唯一のヘレニズム建築で紀元前1~5世紀に建てられた。しかし、地震の被害を受け、1960~70年に大規模な改修がなされ今に至っている。ユーラシア大陸横断は、ネパールのルンビニ、インドのブッタ・ガヤから始まった仏教、ヒンドゥー教の旅から、今度はキリスト教会の古い建物を巡る旅になった。それもそれで面白い。 2012年5月28日月曜日 ーとんだストーカーー アルメニア人大虐殺博物館 綺麗にアララト山が見れました 死の恐怖に怯える親子 360度市内を見渡せる モニュメント 犠牲者追悼の火は消えることない 凄いですね、生きた鶏を買い求める女性 手づかみですよ 日本の女性軍真似できますか ギョイ・メスジド(青のモスク) 古本屋さん 日曜日のバザー 店数300ほど ガラクタにしか見えないが 古いジュータンを売っている 石仏さん、takaさん、コメント有難うございます。インドからアルメニアに入国して、こんなにも食事、気候が違うとは思ってもいませんでした。ぐっすり眠り、美味しい食事とワインは薬ですね。散髪して男前になった…、昔から男前だと思っていましたが(#^.^#) 私が宿泊している宿は、近くの市場で働く人も下宿している。私の部屋の隣のアポメン君20歳、父親と二人で間借りしている。父親は毎朝仕事に出かけるが、アポメン君は失業状態だ。いい奴なんだが、朝、私が起きるのを窓越しに見ていて、コーヒーを沸かしてくれる。それはそれで結構なこと だが、私1人でwifiの繋がる喫茶店に行くのにもついて来る。言葉はアルメニア語以外は話さない。 私がインターネットをしている時には、前に座り私をじっと見つめている。女性に見つめられるのなら別に構わないが、男に下目使いで見つめられたら気持ちが悪い…。なんとか振り払って、私一人で行動しようと思ってもついて来る。とんだストーカーだ。へんに怒って悪さでもされたらたまらないので、我慢している。 本日は、アルメニア人大虐殺の犠牲者を追悼したモニュメントに行ってきた。市バスは一律100ルマ(20円)は格安だ。第一次世界大戦の際、オスマン帝国軍がロシア軍と対峙した。その時にキリスト教徒のアルメニア人の反乱を警戒したオスマン帝国側は、シリア方面に強制移住させ、100万 人に及ぶ人々を虐殺した。歴史的にアルメニア人は解体したと言われている。 明日は、寝台列車でグルジアの首都トビリシに向かう 2012年5月29日火曜日 ーストーカー悲しげな顔ー 街の至る所にある水飲み場 この水は飲んでも腹を壊さない 給水車 時代物です タンクの横の赤いのはガス ガスで走るんです イェレヴァン最後の夕食 鶏肉入りスープ ビール、ワイン、コニャックを飲む 国際列車 イェレヴァンからトビリシ 写真が暗いですね、性格は明るいんですが 寝台列車の中 香港の学生三人と仲良くなる 今日の朝も、アポメン君がコーヒーを入れて、私の部屋にやって来る。彼が話しかけてくるが、理解できない、ジェスチャーと時計を指さし、何か言っている。どうやら私の今日の行動を聞いているようだ。冗談じゃない。今日も付きまとわれたらたまったもんじゃない。私もジェスチャーと時計を指さして、一人で街を歩くんだ、と何回も説明する。彼は理解したようで悲しげな顔をする。コーヒーをササッと飲んで急ぎ部屋を出る。外に出て振り返り、付いて来ないのを確認して、ホッとする。今日はイェレヴァン最後なので、夕食はレバーの炭火焼、鶏肉が入ったスープをツマミにジョッキーでビール二杯、ワインをグラスで4、5杯、最後にコニャックで締める。これで今晩はぐっすりと眠り、朝はグルジアの首都トビリシだ。車中でも缶ビール2本飲み、本当にぐっすりと眠れました。 ただ、心配事は外国人旅行者を狙った犯罪が多いらしい事だ。『旅行人』(1996年版)窃盗はもとより強盗、恐喝、若者はナイフを持ち歩いているので注意しするようにと書いてある。最近インターネットで調べても同じような事が書かれている。明日はトビリシに着いたら、明るいうちに街を歩いて自分で確かめるつもりだ。
2020.04.22
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アルメニア、グルジア(ジョージア)、トルコ 2012年5月24日木曜日 ー貴方はアルメニアには入国できませんー 21日の夕食 私はカツ丼 M君はオクラ丼 空港で計ったら7.4キロ 私のザックの重さ 4時出発が 7時に 空港で仮眠 機内食 ビールは有料 飲まなかった アエラフロート航空 モスクワからエレバンの飛行機の中 ワイン一本170円 塩が効いたハム 本日から5泊する宿 600円 インド国際空港のチェックインカウンターで、貴方はアルメニアのビザが無いし、帰りのチケットも持っていないのでアルメニアには入国できないと、言われ一瞬焦った。私はアルメニア空港でビザが取れる事をインターネットで調べていたので、係りの人に説明する。相手は何回も電話して、確認しているようだ。待つこと1時間、やっとOKが出た。その間待った私の身にもなってよ…、もしもダメだったらトルコに直接入国するか、真剣に考えたのだから、本当にドキドキだった。出発が3時間30分遅れ、さらにモスクワでは4時間の待ち時間、本来なら14時到着が21時になった。ビザ取得と入国手続きを済ませ、タクシーで宿に22時少し前に到着。宿にザックを置き、何をさておいてもワインとツマミを買いに行く。ワイン1本が170円、考えられない値段だ。塩味が効いたハムとサラミをツマミにワイン1本空にして、重い掛け布団を掛けて11時に就寝。 2012年5月24日木曜日 ーアルメニアが好きになりそうだー エレバンの台所 市場 チーズの種類が豊富です 肉屋さん とても清潔 朝飯 パンに肉と野菜を挟んで食べる トマトジュースとコーヒー 教会 街の至る所に銅像がある 洒落たピッザ屋さん 官公庁の建物 官公庁の建物 違う角度から 美女に囲まれて 街のお茶屋さん ビールではありません ジュース屋さん 屋根の上はガス ガスで走る車 初めて見ました 宿泊出来る普通の民家 宿の子供 昼飯にビールとトマト、キュウリ アルメニアが好きになりそうだ。インドの半端でない暑さ、物売り、リキシャーのしつこい誘い、物貰い等、ここアルメニアの人は外国人に声をかけてくる事はない。季節は日本の5月上旬の気候、日中は26度位にはなるが、夜は気温が下がり、厚布団で丁度いい、ぐっすりと眠れる。街は石造りの建物が多く、ヨーロッパの街を歩いているようだ。(まだ一回としてヨーロッパに行ったことがないのに…)ワインの安さにはビックリ、もちろん高級ワインもあるが、私は、ワインの味は正直分からない、高くても安くてもほとんど区別がつかない程のワインの味音痴なのだ。200〜300円程度で充分だ。 2012年5月25日金曜日 ーアルメニアを旅行するなら 今がチャンスー ワインにキュウリの漬物 三日通った大衆食堂 街で見かけた映画館 オペラ・バレエ劇場 ソヴィエト・アルメニア成立50周年記念モニュメント 上の写真の頂上から マテナダラン(古文書館) 5世紀のアルメニア文字の発明から今に至る、膨大な量の古文書類 これらの古い古文書が展示されている 古文書館の前 2時に見学を終え、ビールを飲む 肉屋さんの前で 今晩の晩飯 レバーの炭火焼 アルメニアは、どこの国か分かりますか?分からないのが普通ですよね。国土の大半が山岳地帯か高原の山国。夏は30度くらで過ごしやすいが、冬が長い。コーカサス諸国の一つで、アゼルバイジャン、イラン、グルジア、トルコとの国境に接している国。アルメニア共和国の首都エレバンから、ノアの箱舟が流れ着いた山、アララト山が綺麗に見ることが出来きる。アルメニアは301年に、世界初のキリスト教を国教に定めた国。確かに素敵な教会がたくさんある。この国は観光客慣れしていないので、ボッタクリ、騙す輩はいない。安心して街を歩ける。また、街の至る所に水飲み場があり、飲んでも腹を壊すことは無い。中国やインドの人は、ゴミをどこでも平気で捨て、ツバや痰をあたり構わず吐くが、アルメニアの人はそのような事はない、文化の違いんだろうか…。街はとて綺麗で、外国人にとても親切だ。観光旅行するなら今がチャンスだ! 2012年5月26日土曜日 ーザリガニをつまみにワインを飲むー 街から綺麗に聖山アララト山を望む コニャック工場 エチミアジン大聖堂 手前の教会 本当に多い、銅像 アルメニア教会の総本山、エチミアジン大聖堂 エチミアジン大聖堂をバックに記念写真 エチミアジン大聖堂 脇の時計台 角度をかえて 記念撮影 今度は私が大きく写っている ホテルマリオット 一泊200ドル以上 市内の聖グリゴル・ルサヴャリチ聖堂 こちらの教会は2001年建立 ザリガニをつまみにビールとワインを飲む これは、最高ですね! パソコンのメモリーが一杯になり、パソコンが遅くて困っている。助け舟を頂いたので、明日は試してみるつもりだが、ブログ更新が出来なくなるかも知れない。パソコン初心者には辛い作業だ。 アルメニア教会の総本山、エチミアジン大聖堂に行ってきた。大聖堂のドームと鐘楼は17世紀のものだが、構造は7世紀から変わっていない。キリストの脇腹を刺した槍やノアの箱舟の破片が教会に秘蔵されている事でも有名だ。 2時には宿の近くまで戻り、ザリガニをつまみにビールとワインを飲む。ザリガニの卵が珍味でワインが進み困ってしまった。夜は、豚肉の炭火焼を玉葱や香草と一緒にナンに包んで食べる。こちらも、ビールとワインに実に良くマッチする。インドで痩せた分を、アルメニアの3日で取り戻せたようだ…。
2020.04.21
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2012年5月16日水曜日 ー詐欺師に声かけられるー 昨日、ダブルベッドをセパレーツにして二人で寝る 朝食 ジャムトーストとミルクティ 50ルピー(80円) また、タプルベットに戻して6泊する ニューデリー駅 駅構内 路上の自転車屋さん パンク修理 街を歩いて見つけた洋菓子、インドの お菓子を扱っている店 どれも美味しそう! 上の写真の店で、豆から作った 揚げパンを食べました 30円 マサーラー屋さん ホテルから10分の所、名前は分かりません 昨日は、K大の学生 H君とシェアして700ルピーだった部屋を、450ルピー(720円)にディスカントしてもらい、さらに6泊することにした。実は、朝のうちに2軒ほどホテルを見てきた。2軒とも400ルピー以下にはならないし、部屋も設備もこちらのホテルのほうが断然いい。 ニューデリー駅の前で、詐欺師(確信あり)に切符を見せてくれと言われた。あっ、こいつは詐欺師だな!私は心得たもので、駅の様子を見に来ただけだと話、一切無視した。昨日、H君と一緒に旅行会社に行った。私は、アルメニア行航空券の代金支払い。H君はアーグラー行き列車の指定券を受け取りに行った。そこの旅行会社の方が、駅構内で切符を見せろという事は絶対に有りえないので、無視して列車に乗るよう注意していた。 バラーナスの宿で、T大工学部の学生が、デリーの空港に夜中到着して、詐欺師のカモにされた話を聞いた。彼曰く、詐欺師に何処に行く、と言われたのでホテルの名前を言ったら、そのホテルは廃業したとか、泊まれないとか言って、詐欺師の旅行会社に連れて行かれた。詐欺師はホテルに電話して、ホテルは泊まれないと言っているので、お前も電話で確かめろと言われ電話を渡された。確かに電話では泊まれないと言っている。これは、初めから組まれた演技で、詐欺師の仲間に電話したのだ。ぼろいホテルに連れて行かれ、1万円支払い、さらに4万円のツアーを組まされた。怖くなり、また、危害ても加えられたら大変だと思って、仕方なく了解したそうだ。この手のサギは、日常茶飯事に起きている。結構騙される人が多く後を絶たない。私だって何人かに囲まれたら、怖くなってなんでも言う事を聞いてしまうかもしれませんね…。 2012年5月16日水曜日 ー俺はメトロで行くんだ!馬鹿!ー 地下鉄 丁度列車が到着 ど派手な寺院 立派な建物 イスラム教徒寺院 ラール・キラー外壁と門 入場するのに、厳しいチックがある 赤砂岩 美しいラーホール門 土産物屋が並ぶアーケード 時間が早いので開店していない 2番目の門 この王座にシャー・ジャハーが座り、 民衆の陳情を聞いた ディーワーネ・アーム内部 民衆の陳情所から撮影 ディーワネ・カース ディーワネ・カースの内部 細かい細工が施されている ディーワーネ・カース ディーワーネ・カースの内部 柱に美しい花 ディーワーネ・アーム 一般謁見の間 ジャマー・マスジェトの門 ジャマー・マスジットの外壁 暑くならないうちに、ムガル帝国の赤い砦「ラール・キラー」に行ってきた。ホテルでオート三輪車の値段を聞くと、100ルピー(160円)位と教えてくれた。正直メトロ(地下鉄)はスリが多いので乗りたくなかったが、8ルピー(16円)の安さにひかれ乗ってみた。私は、八の字眉毛だ…その眉毛を精一杯、縦に立てるだけ立て、隙を見せなかったのが幸いしてか、スリも手を出せなかったようだ。 メトロに乗るためには、ニュー・デリー駅を通らなければならない。またも、昨日とは違う詐欺師(確信あり)に、「何処に行くの」と声かけられた。ラール・キラーに行くと言ったら、ツーリストオフィスに行こう、と誘ってきた。冗談じゃない、なぜ、お前と一緒に行かなければならないだ!(英語と日本語で言ってやった) 詐欺師は、グットプランがあるからオフィスに行こうとしつこい。俺はメトロで行くんだ!(ここは英語)、馬鹿!(日本語)と言って素早く立ち去った。 ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンは、アーグラーからデリーに都を移した。1639-48年に建設された「ラール・キラー」は、レンガ色の赤砂岩を積み上げ頑強な城壁で、総延長2kmに達する。また、「レッド・フォート」の別名を持つ。 下の写真2枚は、ジャマー・マスジット、インド最大規模のモスク。私は外から写真だけ撮って、中には入らなかった。 2012年5月18日金曜日 ー漢字変換できないー ホテルの前から 朝はパンとミルクティー 世界からパックパーカーが集まる Gパンを洗濯 土埃がなかなか取れない パソコンのIMEシステムが機能しなくなり、「ひらがな」と「カタカナ」しか入力出来なくなった。yahooで調べ、いろいろ試したが上手くいかない。先ほど、yahooで見つけた「日本語入力システム」をダウンロードして、なんとか漢字変換できるようになった。おまけに、写真管理システム「ピカサ」もデスクトップから消えてしまった。昨日(16日)は、朝から頭が重くホテルの周り100メートル位しか歩いていない。前の晩シャワーを浴び、そのままパンツ一丁で寝たのが良くなかったようだ。 2012年5月19日土曜日 ーひどい下痢の時はシャワーの如くー 知らないで上の建物を撮った、写真を撮り終えて、人だかりは失業者への食事の配給と分かった 何気なく撮った二日前の写真、チャパティを配っている人に「写真を撮るな」と注意された。食事にありつくために行列する失業者達(だと思う)。インドは、皆さんの方が詳しいと思うが、人口11億人を超え、失業者は40、50%とも言われている。また、カースト制度でも特に問題にされているのが、不可触民(指定カースト)で、社会の底辺で生き、死体の処理、ゴミの後片、クソの処理、ありとあらえる汚い仕事をしている。車に轢かれて死んでも、運転者は罪にならないらしい。人間扱えされな い、ひどい制度だ。 参った、参ったパソコンの不具合で一つが解決したと思ったら、また次の問題が発生し、修復するのに結構な時間を使った。元会社のEさんがいれば、相談もできるし、不具合を即座に直してもらえたのに…。 おまけに、午後から腹の調子が良くない。どうも、露天のマンゴジュース2杯飲んだのがいけなかったようだ。冷たくてとても美味しかった。でも、亀にマンゴを絞ったのと氷が入っていた。別の屋台でラッスィー(ヨーグルトに砂糖と水と氷を加えてかき混ぜたもの)まで飲んだ。デリーも相当に暑い、身体が疲れているので無茶をしなければよかった。ひどい下痢の時はシャワーの如く、水便が勢いよく出る。まだ、軽いほうだ。昼は、バナナ2本、夜はバナナ3本とビスケットで済ませた。明日には治まって欲しい。 2012年5月20日日曜日 ーチビりの竹ちゃんー 十六世紀半ばに建立 プラーナー・キラー門 城壁は4、500メートルはありそうだ 美しい石積みの城壁 プラーナー・キラー門の真後 退屈そうな移動販売の男 十六世紀半ばに建てられた図書館前で 崩れかかっている 当時の姿を偲ばせる 動物園のゴミ箱 インド門のすぐ隣 インド門は、インド兵士の慰霊碑 記念撮影 オムライス 米も日本のと遜色なし 日本で食べている味と同じだ、美味い! 腹の調子を考えて半部は残した 朝飯 トーストとチャイ ホテルの前、夕方は人、人 朝の7時半から行動開始。下痢も治まりホットしている。チョト汚い話で申し訳ないが、下痢気味で、オナラが出そうな時、そのままオナラをするか、我慢するかどうしょうかと、皆さん、迷った事は有りませんか? たまに間違えてオナラのつもりがウンチをチビル。ここだけの話ですが、私にはその経験があるんです。でも、これは内緒ですよ…。「チビりの竹ちゃん」と言われたら恥ずかしいですから…。(#^.^#) 「プラーナー・キラー」は、十六世紀半ばに建立された石積みの城壁。アーグラー、ラール・キラーよりも古い都城。インド門には観光客がワンサカいました。第一世界大戦で戦士した兵士の慰霊碑。 2012年5月21日月曜日 ー「食堂もり川」夢の中ー 街の野菜やさん 今が旬 マンゴ1キロ80円くらい 郵便ポスト ここに投函すれば日本に着くかな 私はオクラ丼 Mくんはオムライス 甲府のMくん 本日は、インド空港に23時に到着するつもりです。22日の朝4時出発、モスクワからアルメニアに向かいます。 昨日は、ろくな物を食べていない。腹の調子を考えて、朝はバナナ2本、昼もバナナとビスケット、夕飯はオムライス半分(茶碗で一杯)だ。やはり腹は空く。夜中に『食堂もり川』(東大正門前)で仲間と 美味しい肴をつまみに飲んでいる夢を見た。この店は会社時代、ほとんど毎日昼飯を食べた。夜は仲間と一杯ひっかけた。大変お世話になった。なにが良いって、日替定食、海鮮丼、煮魚あこう鯛、ハンバーグ、カレー、キノコ洋風和え、うどんセット(小マグロ丼・小シラス丼)と、日本食から洋食のメニューが豊富で、何を食べても美味しく、値段が安いことだ。それと、私が行くと別に小鉢がサービスで付いてくる。(これは皆さんには内緒…)次から次えと夢の中に飲み屋が出てきた。『祇園』(本郷三丁目)の、筍の煮物、ハモは梅肉を付けて食べる、これは夏の食べ物だね。ついでに、春日町の『遠州屋』焼き鳥屋さん、一本一本の串がボリュームあり、美味しく、安い。その他にも赤羽の店も夢に出てきたが、キリがないのでここまで。夢の中でヨダレが出て困ったぞ…。/(-_-)\ 刺身、焼き魚、食べた~い! 本日の夕食は、人のいい甲府のMくんと、アーグラー以来7日ぶりに夕飯を食べた。
2020.04.20
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2012年5月11日金曜日 ーカジュラーホー東群・南群寺院ー パルシュヴァナータ寺院外壁 パルシュヴァナータ寺院前で 寺院前の彫刻 寺院一面精緻な彫り物 圧倒される 暑すぎるので水浴び のどかですね 寺院の前で記念撮影 これらの彫刻が外壁一面に見られる 博物館の中で撮影 こちらも博物館の中で撮影 何とも言われない顔の表情 ヒンドゥー教の彫刻 このビールはアルコール6% 美味い! ナス丸ごとカレー 3日続けて食べました 山梨のM君と一緒に夕食 バラーナスで一緒だった、山梨のM君と東群・南群のヒンドゥー寺院を自転車で回った。 こちらの寺院は、西群と違ってエロチックな彫刻は期待できない。目を皿のようにして探したが(それは嘘で、普通に見て回りました)、二カ所しか見つけられなかった。写真はその一枚で、10~11世紀半ばの貴重な彫刻という事で鑑賞願いたい。歴史好き、遺跡に興味がある方には、何時間、何日あっても見飽きることはないと思う。それだけ素晴らしい遺跡、彫刻だった。 明日は、タージ・マハルの街、アーグラーに向かう。 2012年5月12日土曜日 ー日中走る寝台列車は快適だー カジュラーホー駅 全部で18台連なっている 本日の朝飯 ビスケット チャッイ・紅茶 列車で一緒になったインドの女の子 オートリキシャ 夕方のタージ・マハール 今晩の夕食 卵カレーとチャパティ 80円 本日から3泊するホテル 日中に走る、エアコンが効いた寝台列車は快適だった。車窓からの風景に飽きたら、 寝台で寝ればいい、これが何とも贅沢に思えた。朝9時出発で、アーグラーには30分 遅れの18時に到着。列車を降りるとオート三輪車の猛烈な誘いだ。80ルピーでタージ・マハールの正面玄関近くの宿まで行く。3件目で本日から3泊する宿を見つけた。 インドの旅も先が見えてきた。HISインド支店にメールして、アルメニア行航空券について尋ねた。HISの担当も知らないようで、エアフランスでパリ経由130000円の航空券を知らせてきた。私の情報では、アエロフロートロシア航空がデリー~モスクワ~アルメニアに飛んでいるはずだ。早速、折り返しアエロフロートロシア航空か、飛行機は飛べばどこの航空会社でも構わないので、格安航空券を再度探してくれるよう頼んだ。HISから、たしかに、アエロフロートロシア航空もございましたと返事があり、21日が一番格安で、25000ルピー、38000円だと知らせてきた。これで何とかアルメニアに入り、グルジアを通りトルコに行けることになった。 2012年5月13日日曜日 ータージ・マハル世界一豪華な墓ー タージ・マハル入口前で 左右対称 均整の取れた見事な白亜のドーム 記念撮影 写真を撮っていたら 皆に撮れ撮れ言われて ドームの中も豪華 外壁も見事です 4本のミナレットの一本 タージ・マハルをバックに記念撮影 赤砂岩のアグーラー城 アグーラー城 外堀 昼飯 マクワウリ(青森しか通じないか) タージ・マハルは、巨大な墓だった。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、王妃ムムターズ・マハルのためにムガル帝国の国力を傾けて、16世紀半ばに建設された巨大な墓。世界各地から貴重な石を取り寄せ、また職人も集められ、22年の歳月と、天文学的費用をかけて1653年に完成した。まさに、世界一豪華な墓だ。入場料は外国人、750ルピー1200円、インドの人は、 10ルピー 16円と、あまりの開きにインド人(外国人)もビックリ! 写真やテレビで見るよりも、やはり現地に来て現物を見学すると、建物の規模、豪華・華麗さが、現実味を帯び、蘇るというか…、ただただ圧倒される。 2012年5月14日月曜日 ーエロチック彫刻に釘づけー タージ・マハル南門 大変な混雑だ 昨日食事した店 オムライスが美味しかった 今は観光客がいないので、誘いが凄い アイスクリーム屋さん インドは牛も豚も道路を堂々と歩いている 昨日入場した東門 タージ・マハルの外壁 結構厳重に 警官が警護している 餃子の皮に似た物にジャガイモや豆を詰めて揚げる くたびれた野菜が並んでいる 下町のチャイ屋 マンゴラッスィー (ヨーグルトに水を加えたもの) シンさんのブログ【繭の里】(5/12)で、「竹ちゃんのユーラシア横断」を話題にしてくれた。シンさんは、地図まで買求め、私がどの辺を旅しているのか、地図上で確認してくれている。本当に有難い。また、シンさんが、私と突然ドッキングする旅に出るかもしれない、と書いている。もしも、本当にそんな事が実現出来たら、嬉しくて、嬉しくて、泣いちゃうかもしれませんね…。 今後のルートは、5月21日にアルメニアに入国し、グルジアを経由してトルコに6月10日頃に入る予定。さらに、ギリシャ、イタリア、スイスには7月下旬に入り、フランス、スペインには8月中旬までに入りたい。母の三回忌の法要があるので、ポルトガルから9月15日頃に帰国予定だ。 3月から始めたブログが、アクセス回数がいつの間にか7000を超えた。ここ最近では、5/9の「エロチックな彫刻で有名な、ヒンドゥー寺院」へのアクセス数が際立って高い。それだけ、ミトゥナ像(男女交合像)の彫刻の素晴らしさに皆さん、釘づけになった様ですね…。 2012年5月15日火曜日 ーむっつりの方ばっかりー 途中で昼飯 ぼろいバス 5時間バスの旅 宿の周り 本日のホテル ホテルの二階から 本日は、バスで約5時間かけてアーグラーからデリーに移動。目指したホテルはシングルが満室。たまたま、K大のH君もいたので二人で相談して、別のホテルに二人でシェアして一泊することにした。ホテルの近くの「シゲルトラベル」に行って、アルメニア行の航空券の値段を聞いてみた。最安値が22日で22500ルピー(35000円)、HISより6000円安い、その場で予約した。出発待ちでデリーに7泊することになる。H君は明日、アグラーに向かうので、私はこの近辺でシングルを探す。 コメント有難うございます。 いなちゃんへ、2回のコメント有難うございます。コメントに返信しているのですが、受信されていませんよね?私の操作が悪いのか、如何してなのか分かりませ。済みません。 石仏さん、今度機会がありましたら、私でよければ息子さんと一緒に旅をしてもいいですよ。ただし、忍耐、体力、知力(?)を使い、修行僧の旅ですが…。 takaさんのコメントから、「竹ちゃん、やっぱり私だけじゃなかったですね♡♡♡皆さんはコメントも寄せずニンマリと穴が空くほどエロチック彫刻を見ているんですよっ!!いわば、むっつりな方ばっかりですねm(__)m」 本当、私もそう思いますね!
2020.04.19
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2012年5月8日火曜日 ーガンガーからガートを見るー 朝早くから沐浴する人 沐浴する人、身体を洗う人 水は濁って汚いが、聖なる河、ガンガー この人は本当に熱心に祈っていた 古い建物が、とてもガンガーに合っている こちらも古い建物 ダシャーシュワメード・ガート 一番混み合っている ボートから 食堂の前で 女性は旦那さんと世界一周中 山梨のM君とカレーを食べる ここの店は本当に美味くて、安い、二人で361円、私のおごり バナーラスの駅 一人でボートに乗るのは料金が高くつくので、台湾のKさんと山梨のMさんと3人でボートに乗り、ガンガーから岸辺を見学した。日の出は5時30分、太陽が顔を出すタイミングには遅すぎたが、オレンジ色に染まる朝は美しい…。日の出に何回もお祈りする人、その横では石鹸を泡立て身体を洗う人、洗濯する人、朝早くから大勢の人だ。ボートは進み、火葬場のすぐ近くに横付される。煙と異臭が鼻を突き、軽い吐き気がした。キャンプファイヤーで薪を燃すように組み、その上に死体を置き、燃やし、遺灰はガンガーに流される。火葬時間は3時間。薪代は300ルピー(480円)。24時間火葬はつづき、火は消えることはない。ちなみに、人生を充分経験していない子供と出家遊行者は火葬されずに、身体に重石をくくりつけ川底に沈められる。火葬場は写真撮影は禁止されている。 明日は、エロチックな彫刻で有名なカジュラーホー行く。 2012年5月9日水曜日 ーノーパワーですからー バナーラスからの寝台列車 通路に2段ベット 手前に3段ベットが2列の6人部屋 ここに私一人 竹ちゃん刑務所に収監される 自分で自分を撮りました ここで水を買ったら、エロチック写真集を買えと言われた 沐浴池から見た西群の寺院 カジュラーホー 静かな町、村 本日から3泊するホテル 小奇麗です 考古学博物館 西群寺院 明日見学する 街を散歩して見つけた 名前も分かりません お土産屋の上に寺院 入口が分からなかった 寝台列車はガラガラ、人がいないと荷物が心配でよく寝れなかった。カジュラーホーに朝5時到着予定が、2時間遅れた。世界一周旅行中の夫婦とオート三輪車でホテルに向かう。外見も部屋の中も小奇麗、一泊300ルピーは仕方ないと思いながらも、値切り3泊で800ルピーにしてもらう。朝飯を先ほどの夫婦と食べ、私は11日のアグラーまでの列車の指定券を買いに行く。途中で喉が渇き、コーラを買うために店に立ち寄った。初めは決まり文句で、何処から来た、カジュラーホーには何泊する、一人旅か、等々聞かれる。そのうちにエロチック(男女交合)写真集を私に買わないかと、言ってくる。私はこの手の誘いには、特に東南アジアのポン引きに「社長・社長-いい女の子を紹介する」と言われた時には、自分の股間を指さして、「ノー・パワー」と言う。今回も、写真集を買わせようとした 男に、ノー・パワーと言ったら、ゲラゲラ笑いだして、周りの男どもに「ノー・パワー」の話をしながら、一人受けている。外野から、インドは一晩三回は普通だ…。と抜かしやがる…。 勝手にしろ!! 2012年5月10日木曜日 ーエロチックな彫刻で有名な、ヒンドゥー寺院ー レークサイドホテル 小奇麗です 蚊もいません ラクシュマナ寺院 外壁一面に精緻な彫刻 芸術ですから カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院 韓国の観光客多かった 超有名 官能的なミトゥナ像(男女交合像) 下がミトゥナ像 上の名前は分かりません 抱擁する男女 11世紀初頭建立 デーヴィー・ジャグダンベ寺院 最もエロチックな彫刻で知られている 朝7時半から見学 インドの地方からの観光客と記念写真 町のお茶屋さんでチャイを一杯飲む シンさん、私まだケツの毛まで抜かれる事なく無事に旅しています。しかし、物売りのしつこさには、へきえきしてしまいます。 カジュラーホーの寺院群は、10世紀初頭から11世紀半ばに建立されたヒンドゥー寺院。暑くなる前に、カジュラーホーの西群寺院を見学する。ここは世界遺産で、エロチックな彫刻で有名だ。私が見学した感想は、ミトゥナ像(男女交合像)は、大胆で大らかで、官能的で、エロチシズムを醸し出しているように見えた。私は、あくまでも芸術として精緻な彫刻を見て回った。(ほんとかなぁ…と言う声が聞こえてきそうだが…) 夕飯は、世界一周旅行中の小樽出身の旦那さんと、札幌出身の奥さんと3人で、ナスが丸ごと入っているカレーを食べた。これが辛くもなく、コクがあり何とも美味しいカレーなのだ。カレーの具は肉と言う方は、是非食べてほしい。本当に美味い! 本日の気温は45度。それにしてもインドは暑い。毎日40~45度の気温には、脳味噌も 半熟玉子状態で、思考が麻痺しかけている。腹の調子が悪かったのは一回だけだ。カレーの香辛料マサーラーが頭皮に効かず、腸を刺激して軽い下痢気味になるが、次の日にはスッキリと治まる。
2020.04.18
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2012年5月4日金曜日 ーHelp meー マハーボディー寺院 正面入り口左 仏像 正面入り口右 仏像 本堂に置かれた黄金の仏像 ここでもたくさんの人がお経を唱えている 菩提樹 ブッタに悟りを開いた所 一心にお経を唱えている 放心状態でただただ祈っている 大塔の壁面の仏像 寺院を清掃する人たち 朝飯を食べている 犬も涼しいところで居眠り 朝から腹の調子が悪い。昨日、屋台のジュース屋で飲んだレモンジュースが良くなかったようだ。レモン百パーセントではなく水も加えられていた。 昼にマンゴ一個、夕方に小さなバナナ三本食べただけ、大分落ち着いてきた。 明日は、バナーラスまで7時間バスに乗らなければならない、下痢している場合でない。 今年は旅行中のため、お盆は田舎の墓参りが出来ない。二回目になるがマハーボディー寺院に行き、T家・M家、親戚の亡くなられた方々の供養のつもりで『黄金の仏像』のすぐ前に座り五分間黙とうした。 昨日話をした若い坊さんに呼び止められ、自分は22歳で二年間勉強するのだと言っている。とても貧乏で勉強する本が買えないので、私に助けてくれと言う。昨日もそうだが、呼び止められた場所は露店のお茶屋で若い男とふざけ合っていた。勉強に身が入らない、この~、生臭坊主、何を言っているんだ…。私は少し声を大きく一言、NO! 昨日はwifiが繋がらなくて更新できなかった。今、バナーラスから更新。 2012年5月5日土曜日 ークーラーは私に合わないー ブッタ・ガヤーのホテル 荷台に何人も乗り込んでいる 車内は大変な込みよう インドに髪の毛が薄い人がいました 途中のバス・ステーション 私の隣のお母さんと子ども 昨日、マンゴとバナナ以外は食べなかったのが幸いして、腹の調子は戻った。 本日は、バナーラスまで10時間のバスの旅。もしも下痢だったら、映画『シコふんじゃた』竹中直人と同じで脂汗どころではなかった。 ツーリスト・バスは運行していないのでローカルバスでの移動、何回も停まり乗客はもとより、生活必需品を荷台に積込み、何十分も停車。7時間が10時間かかった。 練馬の新婚さんと一緒のバスになった。嫁さんは妊娠していると旦那が教えてくれる。私はビックリして、なんで新婚旅行がインド! それも旅行会社に手配しての旅行ではなく、成田~コルカタ往復のチケット以外は行き当りばったり、まるで私の旅と同じではないか…、恐れ入りました。 本日から3泊するホテルは300ルピー(480円)、殺風景な部屋にベットと天井に扇風機、トイレとシャワー付き。クーラーは私に合わないようだ、ブッタ・ガヤーの宿はクーラーつきの部屋にしたが、扁桃腺が痛くなり、鼻水が出て困った。これから先の宿は扇風機で通すつもりだ。 2012年5月6日日曜日 ー母なる大河、ガンガーー ガンガーに朝日が昇る 朝日に向かって船は進む 朝早くからガンガーで洗濯 沐浴すると人達 ガンガーのガートで ガートの壁に書かれた絵 後ろはヒンドゥー寺院 スクール・リキシャー 可愛ですね ガンガーで獲れた魚をさばいている 寺院 名前は分からない 小腹が空いたので 揚げ物、中にジャガイモ・豆などが入っている 沐浴を終えて家路に帰るところ 人も牛も沐浴 朝5時から、母なる大河、ガンジス河を見物に出かけた。こちらではガンジス河をガンガーと呼んでいる。ガンガーの岸辺には84ものガートが連なっている。ガートとは岸辺から階段になって河水に没している堤のこと。全部のガートで沐浴している訳ではない、大きなガートの下で沐浴している。ガートに座りガンガーの向こうに太陽が昇るのを眺めた。素晴らしい景色だ!ガンガーには、あちこちから巡礼の人々が集まり、聖河に静かに浸っている。年老いた父親だろうか、息子が背負い、静かにガンガーに入っていく。感動的なシーンにしばし見とれてしまった。 中には家族・友達同士でわいわい騒いでいるようにしか見えないグループもいた。 不謹慎かもしれないが、私の眼には海水浴に来て騒いでいる…、という感じにしか映らなかった。 2012年5月7日月曜日 ー手の込んだ詐欺?ー 本日は日曜日 大勢の人が沐浴している ガンガーで一番人が多い場所 日本語ペラペラ 台湾のKさん 昼飯 インスタントラーメン 美味しくない 生姜焼き定食 それなりの味 ここ3日間はビールを飲んでいない。高級な店に入ればビールを置いている所もあるが、私が行く店は安食堂なので置いていない。不思議と飲みたくならない。一つの理由は、インドビールはアルコール8%で私には美味しく感じられないことだ。その甲斐あって、1日当たり1,000円以内で済んでいる。本日は火葬場で知り合った台湾のKさん、甲府の22歳のMさんと一緒に夕飯に行った。何度も書くが、一人で食べるよりも数段美味しい。Mさん、コルカタで親切なインド人と知り合い、ホームステイを勧められ、コルカタから8時間かけて、何もない村に1週間泊まり十万円ちかく支払った、そうな…。宿泊した家は土壁、家族と同じ食事。さらに、ホームステイを勧めたインド人の奥さんは日本人、若い医者もいてホームステイを勧めたようだ。私は大きな声では言えないが、私なら二万以内で請け負ってあげる。Mさん曰く、2か月分の旅費を使ったので、1年の旅を2か月切り上げるようだ。手の込んだ詐欺だと私は思っているが、Mさんは人がいいのだろう、親切なインド人で騙されたとは思わない。と言っている。Mさん、いい経験をした…、少し高い授業料と思って、旅を続けてほしい。
2020.04.17
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2012年5月1日火曜日 ーバスを6回乗継でバトナー到着ー なんでも運ぶジープ 乗客は16名 途中の街 こんなトラックとギリギリですれ違う ジープ前に運転手を入れて4人 後ろに13名 今日は疲れた。朝から6回もローカルバスを乗り継ぎ、零時20分にパトナーに着いた。それから宿探し、初めに行ったホテルは1300ルピー(2000円)と言われたので次の宿を探す。時間が時間だけにどの宿もシャッターは降ろされている。仕方がないのでリキシャーが連れて行ってくれたホテルに飛び込む。シャワーを浴びるが、一回のシャンプーでは髪の毛の汚れは取れない。さらにシャツとパンツ、靴下は何回洗っても土埃は取れない。寝たのは1時20分過ぎ、熱帯夜もさることながら蚊が何匹もいて刺され放題だった。 2012年5月1日火曜日 ーパトナーからブッタ・ガヤーに向かうー 朝飯 マンゴジュース パンの中に辛いジャガイモが入っている パトナー 物凄い数のオートリキャー まだ現役です 馬のリキシャー しぼりたてのジュースを飲ませます 私も喉の渇きに勝てず、不衛生覚悟で飲んでます パトナー駅前 歩行者天国? 雑誌・本の露店販売 写真を撮れ撮れとせがまれて キュウリ 皮をむき縦に四つに切る のどの渇きにいい バスの中 上の写真の移動販売版 50人の乗客の8割は買い求めていた、私もその一人 サトウキビジュース ガヤーの街中 ブッタ像? ガヤーからブッタ・ガヤー行バス ホテルのアサカーさんとビール3本飲む 昨日は6回バスを乗り継ぎ深夜にパトナー到着。それでも慣れとは恐ろしいもので7時には目が覚めた。シャワーを浴び街に出て、ATMを探してお金を引き出す。 昨日はジュースを飲みたいところを我慢し、ペットボトルの水を買い、宿代を払ったら財布には34ルピー( 54円)しか残らなかった、インドでは基本的にアルコールは飲めない。それでも飲みたい、ビールが飲みたいと念じれば何とかなってしまうところが、竹ちゃんだ…。初日にして宿の人に酒屋を教えてもらい3本買い、飲みました。やはりビールは美味いね! ここブッタ・ガヤーには4泊する。ホテルはエアコン付。 2012年5月2日水曜日 ー寄付はいくらでもいいですー 宿の近くのレストラン 日本の女性が注文た 親子丼 似ても似つかない、ただのお粥 ブッタが覚りを開く前に苦行した山、前正覚山 カジョマルの巨木を守る人 セーナー村 学校の小学生 マハーボディー寺院 記念撮影 顔が真っ黒 ブッタが座した場所 大塔の周りには壁面に仏像 マハーボディー寺院 モダンな建物に見える 奥は黄金の仏像 菩提樹の下でたくさんの人が祈っている 馬のリキシャー 大仏さん 日本寺 日本寺 座禅中 バイクの後ろが荷台 27人乗っていた ライトアップされたマハーボディー寺院 ブッタ・ガヤーはブッタが覚りを得た所、仏教徒には最高の聖地。ブッタが苦行した山、前正覚山を見に行ってきた。途中の大樹の半端でない幹の大きさには圧倒された。また誰からも金銭的な援助がないのに大樹を守る村人には頭が下がる思いだった。 途中、貧しい村の学校を訪れた。先生が授業そっちのけで、私に寄付を要求してきた。初めはいくらでもお願いしたい、と言ったのが100 ドル、200ドル、扇風機がないので扇風機を買えるお金が欲しいと言っている。冗談ではない、金額の多い少ないではないだろう、いくらでも寄付してほしいと言っているのに、金額の額を指定するのはおかしいではないか…。20ドル寄付して、嫌な気持ちになった。 2012年5月2日水曜日 ーブッタ・ガヤー市場ー レモンを売ってる男 いい顔していますね 美味しそうなお菓子 市場の食堂 揚げ物 女性が好みそうな商品を並べている ブッタ・ガヤーからバスで1時間の所にあるガヤー駅 バナーラスまでの切符買えず 駅構内 丸い団子を揚げている ガヤーの街で見かけたイスラムのドーム? シンさんのコメントについて、マハーボディー寺院の若い坊さんに聞いてみました。 インドは、ヒンドゥー教80%、イスラム教10%、その他10%で仏教は1%弱との答え でした。その他の宗教名聞き取れませんでした。下手な英会話で聞き間違いがあるかもしれませんが…。 本日は、ガヤー駅までバスで1時間かけてバナーラスまでの切符を買うために行ってきた。結果はすべて満席、旅行会社が買い占めているようだ。切符代+αで販売し荒稼ぎしている。地元の人に旅行会社を教えてもらったが、バスが有るではないか…、ばかばかしくて行く気になれなかった。 昔、旅行した人は「ベナレス」と言っていた。 Benaresの日本語読みで、こちらでは通じない。独立後正式名はVaranasiバナーラス。コルカタも前はコルカッタと言っていた。
2020.04.16
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2012年4月25日水曜日 ーこの時期はスッキリと山は見れないー 朝五時半 ホテルの屋上 ポーターが寝ている 夜中は結構寒いのに… 木の木蔭で一休み 涼しい ペワ湖で獲れた魚を食べさせる店 朝六時 山の名前は分からないが、六千メートル級 朝飯 パンとミルクティー 朝5時半に起きる。朝早くでないとマチャプチャレ(6993m)が霞んで見れない。 すぐに屋上に上がり、山々を眺望するが、この時期は朝から霞んでいる。 大気汚染の影響も多分にあると思う。4階の踊り場ではポーターが寝ている。 今日の朝からトレッキングに出かけるのだろうか、ホテルの部屋には寝せてもらえない。ガイド料は30ドル、ポーターは30キロもの荷物を背負って20ドル。 ポーターの夢は、キッチンボーイに昇格し、さらに英語を覚えてトレッキングガイドになり、小さな旅行会社を立ち上げること。カトマンズの宿で教わった。 2012年4月26日木曜日 ー今日もすっきりと山を眺望できずー ペワ湖 サッカーをている大人 下手くそだ ペワ湖 静かな所です 仏教曼荼羅を描いている 街の至る所 一休みする場所 涼しい グラスも冷えている ビールもよく冷えて美味い 晩飯 サラダ パンとポテトが付いている 食べきれない 美味しそうに食べ 飲んでいます( 前の晩) 朝飯 パンとミルクティー ネパールはビールが高いと前書いた。ペワ湖周辺のレストランはどこも300ルピー(300円)、それでも丹念に探すと、190円で飲ますレストランがあるではありませんか!グラスもよく冷やしてあり、もちろんビールの冷え具合は申し分ない。ただ料理の量が多く、いつも三分の一は残す。 本日は、カトマンズ~ポカラまでのバスで隣り合わせになったFさんと一緒に食事をした。一人で食事するのと違って何を食べても美味しい。二品頼んで二人で十分の量だった。Fさんは30歳を少し超えているなかなかの好青年、8年ぶりの海外旅行。 2012年4月26日木曜日 ーマチャプチャレが霞んで見えたー 写真の腕が悪いのもあるが 霞んで見える 左がマチャプチャレ 右がアンナプルナ アンナプルナ ポカラから11月から2月はよく見える 水汲み場所 随分と遠くから来ている 上は高級ホテル お客を船?を手でロープを引いて岸に寄せる 朝飯 35円 散歩で見上げたアンナプルナ 小学校 始まり10時? 過ぎても登校する子供たち 結婚式 笛、太鼓を鳴り響かせ行進 朝の5時に屋上に上がる。昨日よりは山々が幾分よく眺望できる。7時にはホテルを出て散歩。4時間近く歩いた、途中でお茶にしたり、小学校をのぞくと子供たちが興味ありげに私の顔を伺っていたり、飽きることがない。 2012年4月26日木曜日 ー私はポカラで考えたー チベットの人 手作りのお土産を売っている ペワ湖畔 なかなかいい感じの店 ワンちゃんが客引きしている ペワ湖 はたくさんのボート ネパール各地から訪れた人? 小さな島に向かう ここの店は水を冷やしてあるので買い求めた マンゴジュース35円 水20円 ネパールでは禿げがいな…? いつも気になっていた。暇なのでさっそくポカラの街を現地調査、3時間歩いた。子供から30代の男性は皆さん頭は黒々だ。4、50代も禿ていない。その上の人はネパール帽子を頭にチョコンと乗せていて少し分かりずらいが、髪の毛の生え際からヅラでないことが分かる。やはり禿げていないのだ。日本ではテレビが液晶画面になり、ハッキリとヅ ラと分かるタレントが意外に多い…。 さて、3時間歩いて4、500人の頭を観察した結果、一人として禿げていない。髪が薄いと家に縛り付けられて外に出してもらえない法律でもあるのだろうか?なにか特別の理由があるはずだ?まず考えたのは食べ物、ネパール・インドはカレーを主食にしている。その調味料マサーラーが頭皮を刺激し、育毛効果がえられる…。あくまでも私の考えだ。 大きな声で言えないが、薄毛でお困りの方、頭に直接、何種類ものマサーラーをブ レンドしてふりかけてモミモミしてみたらどうだろうか…。(くだらな話で申し訳ない)ちなみにマサーラーは植物の葉・実・種・根・茎から作られる香辛料で何百種類もある。 明日はブッタの誕生の地ルンビニーに向かう。 2012年4月28日土曜日 ーネパール妻ー ホテルの奥さん Fさんと日本食を食べる 私はショウガ焼き Fさんはとんかつ 皆さんに、そんなに何回もネパールに行くのは現地妻でもいるの。と、よく聞かれます。はーい、そうなんです。子供も大きくなり教育費や生活費を渡すためにネパールに来ているんです。年間24万円を現地妻に渡しているんです。と、冗談で答えています。 2012年4月28日土曜日 ーブッタの道は遠いー バイラワに向かうローカルバス いかにもローカルですね 途中で右のバスが故障 ツルハシ、スコップで道路を広げているところ 結構大変な作業だった バスを乗換えてルンビニー行バス 当然地元の人ばかり やはりローカルバスは一筋縄ではいかなかった。途中で対向車が故障して立往生、皆さん一生懸命道路を広げ、何とか出発できたのが2時間30分後、朝7時に出発して、ルンビニーに4時に到着できるはずが19時になってしまった。それでも、ルンビニー行きのバスの中では若者に席をゆずってもらい、いいこともあるものだ。と、思っていたら、隣席の若い奴が何か言って私の水のボトルを取り、水を飲む、ムッカとしにらんでやった。 本日も600円の快適な宿に荷を置くことが出来た。 2012年4月28日土曜日 ーブッタ生誕の地、暑さでフラフラー 入口 リキシャーが待ち構えている 菩提樹の下で世界各国の坊さんが祈っていた マーヤー聖堂 ブッタの生まれた所 土曜日は学校が休み 子供たちが祈っている マーヤー聖堂の中 ブッタはこの奥で生まれた 菩提樹でお祈りしている すぐ後ろはブッタが産湯に使った池 小奇麗なホテル 500円 40度 温風をかきまぜている扇風機 温水24時間OK 「私はポカラで考えた」禿の話に、コメント有難うございました。シンさん、インドから直接日本に帰えるなら、たくさんお土産にしたいですね…。 takaさん、そんなに会社には髪の毛が薄い人が多いですか、一儲けしますか! 今日は暑かった。40度は越していた。朝8時に出て4時間歩いてヘトヘトになった。 遺跡の中は休むところも売店もない、水を持って行かなかったので喉は渇き、炎天下で脱水状態でふらふらしながら見学した。 菩提樹の下では東南アジアから来た僧侶が熱心に祈っていた。私も、何か不思議な気持ちになり、行列の最後に並びブッタ(仏様)に深々とお祈りした。 明日はパトナーに向かう。
2020.04.15
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2012年4月20日金曜日 ーパタンのダルバー広場に裏口入学ー パタンに行く途中で見つけた寺院? 黄金テンプルの前え いかにも古そうな建築物 ダルバール広場 ダルバール広場 西洋人の観光客が目立った 裏道から撮影 左にたくさんの観光客と巡回員がいる チケット売り場のすぐ前から撮影 中に入らなくともこれで十分 カトマンズに強盗が現れる? 昨日、いつもの居酒屋で飲んでいた。そこに私と同年代のKさんが現れ、一緒のテーブルに座り、いろいろな話をした。Kさんが古都パタンに行った話になり、話を聞いていると500ルピー(500円)の入場料を払わずに済んだようだ。彼曰く、何も知らないでいつの間にかパタンのダルバール広場に入れてしまったらしい。私はロキシーで頭が回らないが、突然ひらめいた…。そうか、そんな手があったか、たしかに裏から入ってしまえば、500ルピー払わずに済むな…、明日はその手で行こう。 早速、本日、実行した。片道1時間20分、往復約3時間を排気ガス、土埃の中歩いた。鼻くそが真っ黒になるのは嫌なので、30円のマスクを買った。さすがマスクの効果は抜群だった! 今回の作戦は、見事大成功だった。ゲートが見えてきたので30m手前を左折して、 裏道を通りダルバート広場に出た。やはり周りの観光客は胸に黄色いワンペンを付 けている。これは入場料500ルピー払った証拠になる。前来た時もチェクしている係員がいた。見つからないように急いで写真を撮り、物陰に隠れ様子を伺っていた。案の定係員が巡回しているではないか、いそぎ喫茶店入り、30分ほどダルバート広場を眺めて、先ほどの裏道を帰る。少しスリルがあり面白かった…。 パタンはカトマンズ盆地で一番古い町、かつては首都だった。昔から工芸で知られる街で、古い建物に彫刻、装飾が見られた。 影の声:なんで金があるのにそんなことするの? せこい話ですみません。 2012年4月21日土曜日 ー本日は正攻法でー 本日の朝飯 コーヒー トースト 目玉焼き ジャガイモ 焼きトマト 焼きバナナ 人参のサラダ これで200円 だ! 洗濯物 草原にそのまま干す 街のいたる所、見られる 寺院の入り口前 木の根っこが祠に載っている 水場 長蛇の人 シヴァ寺院 シヴァ・パールヴァティー寺院 クマリの館 「ハヌマン・ドカ」 旧王宮 木の窓枠 細かな細工・彫刻 破壊神シヴァの化身 カトマンズ・ダルバール広場 ハサミを研いでいる 右の男性が手でヒモを回転させる カトマンズ最後の日。市内で最も観光客が訪れる「旧王宮」に行ってきた。 本日は裏口入学でなく、正面から正々堂々と入場した。でも750ルピーは高いよね…。一番最初に訪れたときは入場料はなかった。資源も工業もない国なので、観光資源に頼るしか仕方ないか…。 「ダルバール」とはネワール語で「宮廷」の意味。17~18世紀のカトマンズ王国の中心地。建物には、美しい彫刻が細部にまで施されている。 《ここからは、ネットの抜粋》 クマリの館は家柄が良く聖性があり、血の汚れのない美しい少女が、生き神クマリとして選ばれ、両親のもとより引き離され、このクマリの館で女神クマリの化身として、人々の願望成就の祈願などを行っている。 明日はポカらに向かう。 2012年4月23日月曜日 ー値切りに値切ったホテルー 朝七時出発のポカラ行きバス 途中の昼飯で停まった所 野菜・果物・川魚 本日から五泊するホテル 立派です ここを私一人で専用 8ドルの部屋 だれか泊まりに来て 朝6時起床。カトマンズを7時に出て、14時15分にポカラ到着。2日前に予約したホテルに直行する。どうせ8ドルのホテルだからと期待していなかった。ところがどっこい、どうしてどうして立派な高そうなロビーではないか…。 2日前に、カトマンズで宿泊していたすぐ近くの旅行代理店で、ポカラ行きのバス チケットを買った。その際に、勧められたホテルだ。宿泊代は12ドルと言われたが、 食事込で10ドルだったらOKだよと答えた。相手は、いかに素晴らしいホテルであるか力説する。それでも私は、10ドルで朝飯込だと言い張る。さすがに相手は困った 顔をする。そこで私は、朝飯はいくらだと聞いた。すると3ドルと答えたので、すかさず朝飯なしで7ドルと言った。パンフレットを私に見せて、なんとか納得させようと相手も必死だ。私も必死だったが、最後は8ドルで話は決まった。 ポカラのホテルは8ドルで泊まれる宿ではないと納得し、カトマンズの旅行会社に悪 いことをしたと、少し反省した…。 でも、了解したのだから儲けが全然ないことはないよね…。 2012年4月23日月曜日 ーひと月で使ったお金ー 1カ月が経過したので経費を計算した。 6カ月間の予算を下記のように見積もっていた。 アジア 90日×2000円=18万円 ヨーロッパ 90日×5000円=45万円 交通費 25万+12万(ポルトガル→成田航空券) トータル 100万円 3/22 ~4/21 31日間で使ったお金 交通費 58776円 (成都からカトマンズの航空券37000円が含まれている) ホテル代 17806円 食事代 20248円 その他 12848円 (コーヒー、ジュース類、水、入場料など) 合計 109678円 単純に一日当たり3538円、交通費を差引いた金額が50902円になり、一日当たり 1642円となった。宿泊して、食べて飲んで、博物館・寺院の入場料を支払っての金額だ。自画自賛ではないが、よくも貧乏に耐えて、頑張っているではないか…。 しかし、けして無理してケチケチな旅行をしている訳でない。必要ないお金は使わ ないだけだ。もちろんつけ忘れもあると思うが、1万円もはつけ忘れていないと思う。 初めから名所旧跡への入場料を予算に入れていなかった。一回一回はたいした金額にならないが、積もればそれなりの金額になる。今後も全然素通りとはいかないだろう。
2020.04.14
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中国ーネパールーインド 2012年4月15日日曜日 ー第二の故郷ネパールー カトマンズの居酒屋で 早速、地元の安飲み屋で、ビール2本とネパールのつまみで乾杯…。美味い! ネパール到着 ローカルバスでタメルに向かう 中国国際航空 窓からエベレストのパノラマ 機内食 ビール2本とワインを飲む 飛行機の窓からは山、山、山 機内は半分の乗客 成都空港のお土産屋 さすがパンダの故郷 パンダだらけ 3件目で見つけた、6ドルの安宿に7日泊する予定 中国の激しい人達から離れてネパールに到着。なんとも穏やかな民族か…。 顔も日本人に良く似ていて、愛嬌があり、私は好きだ! 2012年4月17日火曜日 ー久々に生姜焼き定食を食べるー ホテルから3分の所 野菜の商い チベット仏教 街の中に小さいのが建っている 人びとが米などをお供えするので、ハトがいっぱい 古い建築物 古い建物の周りには、朝市 右の建物も古い、7時なのに大勢の人、人 朝の参拝、 すごい人だ、それだけ信仰深い 生姜焼き定食 なかなかの味 330円 6ドルの部屋 今のところ腹も壊さず元気にやっている。身体だけが丈夫、という事なんでしようね…。 ネパール訪問は11回目になる。ヒマラヤ、アンナプルナ、マナスル、ランタン谷、ジョムソン街道で、すべてトレッキングでの訪問だった。今回はカトマンズとポカラでのんびりと過ごす予定だ。 ネパールは以外に物価が高い。地元の人たちと一緒の食事をすれば安くあげられるが、ネパールの一般的な食事ダルバート(カレー)は、味噌汁みたいなカレー、それに少しの漬物で、地元の人は丼ぶり飯3杯は軽く食べている。ダルバートは100円以下だと思う。ネパールではビールが300円する。ラオス、中国では100円ほどだった。ネパールの焼酎ロキシーがビール瓶一本で100円で飲める。ネパールではロキシーを飲むことが多くなりそうだ。 カトマンズには4、5件、日本料理を食べさせる店がある。昨日は、『ふる里』で生姜焼き定食を食べた。突出しが付き、味もそこそこで久々に日本の食べ物にありつき、涙が出た…。 2012年4月18日水曜日 ー行きつけの居酒屋ー 洗濯代100円 6点 カトマンズに入って毎晩通っている地元の居酒屋 ビール230円 中は薄暗い ネパールを代表するお土産屋 カトマンズでの1日の行動。朝7時起床。市場を見に行くのが日課となっている。 9時頃に近くの店でコーヒーとパンの朝食。それから街を歩くのだが、1時間もすると飽きてしまう。部屋に戻り一休み。昼飯はほとんど食べない。 カトマンズは1日中停電と言ってもいいくらいだ。朝の暗いうちと夕食時間帯にかろ うじて通電している。困るのは、wifiも停電で繋がらなくなることだ。 3時ごろに散歩に出かける。ただただ裏道、裏道と入っていく、表通りには見られない庶民の生活が伺えて新鮮な気持ちになる。 今日も写真の店に入り、ビールとモモ(日本の餃子)で夕食にする。さらにロキシーを注文し、水牛の乾燥肉を水で戻し、柔らかくして、スパーシーに味付けした一品は ロキシーに最高だ! 9時には部屋に戻り、ロウソクの明かりでシャワーを浴びる。パンツに石鹸をなすりつけ、身体を洗う。パンツと半袖シャツは毎日洗う。今までの旅でも着替え2枚もあれば十分だ。 2012年4月19日木曜日 ー路上の床屋さんでひげを剃るー 私もひげを剃ってもらった 50円 スワヤンプナート寺院 カトマンズ市内を一望 記念写真 上が撮れていない 入場料 200ルピー(200円) 古い神様 いいですね! 寺院最高の神様を祀っている所 お経をあげているところ 五体投地 両手・両膝・額を地面に伏す 王道を堂々と牛が通る 本日の朝飯どころ パンとミルクテーで50円 朝8時にホテルを出て、歩きでスワヤンプナートに行くことにした。途中、中学生が スクールバスを待っている店で、パンとチャッ(ミルクテイー)で朝飯にする。 食事を終えて道路を歩くと、車・バイク・トラック等々が排気ガスをまき散らして、次々と通り過ぎていく、半端な排気ガスはでない。それと土埃が空中にまい、のどは痛くなり、鼻の穴は真っ黒になる。鼻くそをほじれば真っ黒な鼻くそだ! スワヤンプナート寺院はネパール最古の仏教寺院。階段がきつく上まで上るのに休み休みで、20分かかった。途中で何も知らないで通過しようとしたら、呼び止められて200ルピーを払わされた。 昼近くに帰り、上の写真の路上床屋さんでひげを剃ってもらった。通り過ぎる外人さん、地元の人にチラチラと見られ、少し恥ずかしかった。事の発端は、ホテルの人に ひげ剃りはいくらと聞いたら、80ルピーと教えられた。向かいの床屋に入り、値段を尋ねると250ルピーと言ってくる。即に店を出ると、追いかけてきて150ルピーでいいと言っているが、一切妥協しないで店を後にして、路上床屋に行った。 2012年4月20日金曜日 ー紅茶屋のイケメンと二年ぶりの再会ー 二年前に紅茶を買った店 私を憶えていてくれた パシュパナート 火葬場 白い布で覆われ これから荼毘にふされる 高貴な方の墓 廟 目玉寺院 ボダナート 市バスの中から撮る カトマンズも排気ガスで空気は最悪 今日も歩いて、ネパール最大のヒンドゥー寺院に行ってきた。ヒンドゥー教徒以外の異教徒は入れない。どこの国でも死者をおくるときは、嘆き悲しむ、ここでも火葬する前、離れていても泣き声がハッキリと聞こえてきた。焼かれた死体は、淀んだ川に流される。 さらに30分歩いて、ボダナート(目玉寺院)まで行ってきた。ここは、チベット人が住んでいる所。外壁にはびっしりとマニ車、チベット仏教の寺院では、右回りに参拝するのが正しい。マニ車も右回転だ。帰りは疲れたのでバスを2度乗換えてタメルに戻った。 一番上の写真のプスカラ君と2年ぶりの再会。私の顔を見るとすぐに、分かってもらっえた。嬉しいではありませんか…。 さらに、チャッ(ミルクティー)までご馳走になり、カトマンズにいる間は毎日チャッをご馳走するから遊びに来いと言ってくれる。泣かせますね!
2020.04.13
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今後は国別に地図を貼りつけます。 タイーラオス 中国 2012年4月10日火曜日 ー今日はさんざんな目に合う運命かー 8人のドミトリー 今回泊まった宿 宿の庭で、若者が私のためにスイカを買ってくれた 二日酔いには最高 綺麗に見えるが、臭い寝台バス 余裕があるように見えるが、臭さで参っている 今日の朝は、昨日の焼酎が完全に残っている。頭は痛い、胸はムカムカする。 それでも水分を補給しなければならないと思い、重い身体を引きずって、ジュースを 買に出かけた。桃とミカンジュースを買い、桃のジュースを一気に飲で、またベットに横になった。30分もすると吐き気が最高潮になり、急ぎトイレに駆け込むと同時に大量に吐いてしまった。水で口をすすぎ、またベットに横になった。またも20分もすると吐きけがしてまた吐いた。都合3回吐いた。若者にコーヒーでも飲みにいかないかと誘われたが、断り庭の椅子でぐったりして時間を過ごした。 2時ごろに若者が、私を心配してスイカを買ってきてくれた。このスイカは本当に美味しかった!二日酔いには、スイカの水分がたまらなく身体にいいという事を知った。それと、若者たちの親切さには、感謝! 感謝だ! 悪いことは重なるもので、二日酔いでまだ頭が痛いのを我慢して、成都からカトマンズ行きの航空券を探しに出かけた。目星を付けた女性が経営している旅行社に行き話をした。 泉ピン子似の女性に、紙に書いて成都からカトマンズ行きと説明した。なんだかんだで1時間は待った。どうやら昆明経由で2710元と言っている。安いと思い了解した。また1時間待たされて、貰ったチケットは昆明からカトマンズ行きの航空券だ。違うといっても逆切れされて、ただただわめき散らし大声で怒り出す。こっちが怒りたい! 先ほど、私が書いた成都からラサの紙を見せても、泉ピン子は形相が変わり、ますます大声でわめき散らす。キャンセル料が200元かかると言っている。冗談じゃない、と日本語で猛烈に抗議するも、どうにもこうにもならない。 最後は、『お前にくれてやる』とばかりに机に200元を投げつけてやった。二日酔いで胸はムカムカ、さらに泉ピン子にはむかづいた…。 今日はさんざんの目に合う運命のようだ。さらに臭い寝台バスに吐き気を模様した! 2012年4月12日木曜日 ー成都市内散策ー 成都駅 広い、大きい、人もたくさん、何万人もいる? チべット街 警官が銃を持ち 厳重警戒 元気です 武候祠博物館前 諸葛亮の説明書き 清朝時代の街並みを再現した錦里 錦里 観光客がいっぱい 晩飯 飯の上に3品 グラスがないので、 漬物と一緒の器でビールを飲む 成都は古くは三国時代にさかのぼり、この当時活躍した劉備(リュウビ)、諸葛亮(ショカツリョウ)は、特に有名ですね。(私でも分かるんですから…)武候祠博物館では、当時の書き物が展示されていて、素晴らしい字で飽きることなく、見学できた。本当に素晴らしかった。 錦里は中国の各地から訪れた観光客で溢れていた。特に感動もなかった。 成都駅前は、これから昆明や地方に向かう人、人、人、ざっと数千人以上はいた。 2012年4月13日金曜日 ー本日も成都をふらつくー 宿泊した472円の宿 6人部屋のドミトリー 成都駅近くの問屋街 朝飯 おかず3品 ここのに足を踏み入れたら、守衛さんが直ぐに飛んきた 年輩の中国人がお茶を飲みながら雑談 中には賭けトランプしている人もいる 上の写真を違う角度から撮った 小学生が野外活動を終えて、解散前の先生の一言 飲んでいる時が幸せだ! 満面の笑顔 あれほど頭にきたシャングリラでの航空券騒動。有るではありませんか、成都からカトマンズ行の航空券、街の旅行会社でいとも簡単に買えてしまった。思い出すだけでも腹立しいではありませんか、あの泉ピン子、結局なにも航空券の事を知らなかっただけだ。 航空券を買えたので、気持ちよく路上の屋台で晩飯、それにしても嬉しそうな顔で飲んでいますね…。東京でもこんな顔で飲んでいるのかな? 2012年4月14日土曜日 ー老舗でマーボー豆腐を食べるー 朝、食べたお粥・辛い漬物 お粥は美味しい 成都の繁華街 昼飯汁麺 高菜の漬物 酸っぱいが私には美味い! 少し甘いものが欲しかったので 鍋がマーボー豆腐 辛い、山椒で口の中はピリピリ 同宿の若者二人と 動物の内臓料理 私の口には合った 辛いのと山椒でピリピリしている顔 ナマコ料理 ナマコは小指ほどしかない 成都の超有名店 老舗の老舗 マーボー豆腐を食べた感想は、私の家の近くの「吉祥軒」のほうが美味い。本場の麻婆豆腐は激辛で口の中が痺れた。 成都に来たからには、本場のマーボー豆腐を食べたいと考えていた。一人で困るのは、レストランや格式高い店に入れば、一品の量が多くて何品も注文できないことだ。同宿の二人と私とで話がまとまり、老舗のマーボー豆腐を食べに行った。全部で3品、マーボー豆腐、動物の内臓料理、それとナマコ料理、ナマコは子供のちんぽこほどだ。それを三人で切り分けて食べた。写真ではそれなりの大きさに見える。ナマコの味よりも、ソースがトマト味で美味しかった。マーボー豆腐は激辛、山椒が半端でないピリピリ、ビリビリと喉を刺激して、何を食べても同じ味がした。正直、美味しいとは思わなかった。私の家の近くの「吉祥軒」のほうが美味しいと思った。 翌日の朝5時頃、2段ベットの上から何かが落ちる音で目が覚めた。さらに小便をしている音がする。私は30時分後にトイレに行ったら、男がトイレのタイルで寝ている。私は用を足さなければならないので、無理やり泥酔の男を起こした。部屋の中は大騒ぎ、写真の右のOさんのベットめがけて、泥酔男が小便をかけたのだ。どんなに酔っぱらたって人が寝ているベットめがけて小便するか!その後の結末は、6時に成都空港に向かったので分からない。ドミトリーに泊まった5人は全員日本人、泥酔男はいい恥さらしだ! 私もシャングリラの事があるので大きなことは言えないが…。
2020.04.12
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2012年4月4日水曜日 ー景洪にやって来たー 景洪バスターミナル 玩具みたいなバイクタクシー 景洪の朝市 朝からたくさんの人、人 朝食 豆乳と蒸しパンで2元(26円) 地方に向かバス 途中の昼飯場所 ネパールの電気事情が悪く、ブログを更新している時にいきなり停電になり、wifiが切れてしまうことが多く、なかなかブログを更新出来ない。 昨日の宿を逃げるように出て、景洪(ジェンホン)から8時出発のバスで昆明を目指す。 東南アジアは、何処も朝早くから市場がオープンしていて大勢の人で喧騒としている。私も中国に習い、豆乳と蒸しパンを買い求め朝飯にする。決して美味くはないが腹の足しにはなる。 本日の宿まで、たっぷりと40分は歩いた。軽いザックといえども結構こたえた。その甲斐あって素晴らしい宿にありつけた。 2012年4月5 日木曜日 ー昆明の街を散策ー 汁なし麺 少し辛いが朝飯には結構いけた このスープが泣かせる味で、気に入った 店の外で朝の朝礼 一人一人、大声で気合入れていた 洒落た屋外のレストラン なかなか雰囲気のあるユースホステル 昆明駅前で 昆明駅のチケット売り場 昼飯に太麺を食べる 薄味で京風麺、美味かった! ユースホステルのドミトリー 綺麗、清潔 40元のフルコース 大きな丼に何種類もの肉が入っている 食べきれずに半分以上は残した 中国の甘いブランデーもどき 部屋飲み 朝7時から街に出て、昆明の街を散策する。まずは朝飯。汁なし麺と鶏の内臓スープを注文する。麺はごく普通の味。スープは薄味、すっきりとした味で、また注文したくなるスープだ。(翌日も食べた)食べ終えて先に進むと、店の前で朝礼、一人一人が大きな声で気合を入れている。一日の始まりの日課なんだろうが、私だったら恥ずかしくて店を辞めてしまうだろう…。 さすが中国、昆明駅はとてつもなく大きい。本で読んだのとは違い、皆さん行儀よく並んで切符を買い求めていた。 夕方は、お店の人気メニューを注文、小皿に焼き魚、肉の佃煮風、おしんこ等々7種類がテーブルに並ぶ、さらに大きな丼ぶりに熱々の麺、それに生肉6種類を入れ、肉の色が変わったら食べるのだが、腹一杯、胸一杯で半分以上残した。ちなみに料理は40元,日本円で540円。 2012年4月6 日金曜日 ー苦労して列車のチケットを手に入れるー 攀枝花 (バンジンハン)から成都行きチケット 苦労して手に入れた 朝飯に汁麺 激辛だが美味しかった 求人欄 月に600~1200元 日本円で8千円から1万6千円 市場では生きたアヒル ヒヨコ 久々に飲むアイスコーヒー 昼飯 高菜の漬物が載っている 攀枝花駅構内 寝台列車 発車まじか お湯が入っているポット さすが中国ですね 76歳のお父さん 車内で書道の手ほどきを受ける 結構快適に過ごせた 臭いバスは、途中故障して3時間遅れて攀枝花(バンジンハン)に到着。早速、切符売り場に直行。紙に攀枝花から成都、2等寝台&1等座席と書き窓口に差し出すと、すぐに言葉もなく突き返された。中国の人は切符を手に入れているのにおかしいではないか!また書き換えて窓口に差し出すと、何やら列車の番号を書けと言っているようだ。掲示板を見るがよく分からない。しかし16時まで満席のようだ。17時発の列車番号を書き窓口に差し出すと、今度は発券された。何か大仕事をやり終えた充実感がこみ上げてくるではないか…。 列車が発車すると、乗客はお湯を求めて次から次と給湯室に向かう。カップ麺にお湯を注ぐ人、お茶葉が入ったボトルにお湯を注ぐ人たちが絶えない。 これも中国だ! 2012年4月7日土曜日 ー 貧乏旅行しているSさんに話を聞くー 朝食べた汁麺 可愛らしいバイクタクシー 昼は豪華に石鍋焼ごはん定食 具だくさんでとても美味しかった 宿で一緒になったSさんの貧乏話に笑い転げた。写真を掲載出来ないのは残念だが、 Sさんは30歳のフリーターで、年に何回かは中国中心に旅行している。中国の甘いも 辛いも知り尽くしている彼の話によれば、2元(24円)の水は買わない、食堂の飯は10元以上は使わない。メニューで一番安いやつを注文して、まずくても、辛くても残すことはしない。ホテルも安ければ安いほどよくて、布団が臭くても、マスクをして我慢した話など、初めは可笑しくても笑わなかったが、次の話を聞いて、腹が痛くなるほど笑った。彼曰く、寝台バスでの出来事、バスの中は臭く、自分の頭の上に後ろの人の足があり、半端でない靴下の蒸れた臭い、頭を左右上下に動かして逃げるも、敵もさるもの臭い足が、逃れた方に追いかけてくる。何とも気の毒な話ではありませんか…。 2012年4月8 日日曜日 ー隣の席の人に昼飯をご馳走になるー 市内バスを乗り継ぎ シャングリラ行のバスステーション 地震観測研究所に勤めている 中国人は全員、身分証を持参している 写真はうまそうに見えるが、美味しくない 途中のドライブイン シャングリラに近づくと少数民族の人が目立ってくる 昆明からシャングリラに向かうバス 私の隣に座った男性は、初めから最後まで親切にしてくれた。バスが発車するとすぐにパンやお菓子をくれた。極め付きは昼食代を払ってくれたことだ、見ず知らずの日本人の60男になんでこんなにまで親切にしてくれるのか…。 バスは朝9時出発で、14時間後の夜中の11時の予定だ。車窓からは家族総出でニンニ クの刈りいれ、一生懸命働いている様子がうかがえる。少し進むと、昼の食事タイムのようだ、10数人が車座になって美味しそうに食べている。中国料理にはニンニクが欠かせない、これだけ一生懸命働いているのだから、きっと高収入に違いない。 香格里拉(シャングリラ)到着は10時半、外は真っ暗闇だ。空を見上げると満天の星、日本で見るよりも数が多く、光り輝いでいる。宿さ探し、明るいほうに進み地図を見て、見当を付けて歩き出す。二人の人に道を聞き10分で目的の宿に11時到着。手続きを終え、部屋に入る前にビールを飲む。 2012年4月8日木曜日 ーシャングリラは寒いー 朝飯 辛い煮込みうどん風 チベットパン 市場 ジャガイモ ここでは主食になる 白い山盛りは、ヤクのチーズ 少し食べた、酸っぱい味がした 少数民族の人 チベット人が経営している店 石畳みの道をバイクタクシーが行く チベット人が住む場所に建っている 朝7時、外は冷たいみぞれ交じりの雨。ダウンジャケットを着ても寒い。昼少し前に雨も上がり、街に出る。シャングリラは標高3276メートルの街で、山に囲まれている。真新しいホテルが何件も建っている。それだけ観光客が多く訪れるということか…。街を歩くと少数民族の女性が目立って多い。チベットの年老いた男どもは、軒下に4、5人のグループで座って雑談している。写真を撮らせてくれと頼んだが、きつく断られた。 2012年4月9日月曜日 ー焼酎を飲んで前後不覚になるー 市場 売り手も買い手も少数民族の人 豚の顔 寒いのでハエはいない 生きた鶏 干しマツタケ 安い、このまま日本に帰るのなら 5キロは買いたかった 帽子が違う 違う少数民族 男の子は小便している 朝飯 ヨーグルト 蒸しパン ゆで卵 これで4元 貴重品入れを頼んだミシン屋さん 100円の貴重品入れ 宿で一緒の中国の若者 鍋を食べる この焼酎は2度と飲まないと決めた 48度 シャングリラは、半端でない量のマツタケが獲れるようだ。市場でも街の店でも、干しマツタケが山のように積まれ、売られている。 この干しマツタケを食べる機会に恵まれた。同宿の中国の若者二人と鍋を食べに行って、干しマツタケを鍋に大量にぶち込んでたらふく食べた。日本のマツタケと違って香がほとんどしなかったのは残念だった。焼酎に酔って香を感じなかったのかもしれない。 調子こいで焼酎を乾杯、乾杯と、一気飲みした。これが後から効いてどうやって宿に 帰ったか分からない。おそらく宿までふらふらしながら、若者に面倒を見てもらって 宿に帰ったに違いない…。 翌日は大変な目に合う。
2020.04.11
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2012年3月28日水曜日 ーサワンナケートに移動ー 朝飯 もち米を蒸したもの 鶏のつくねニンニクがきいている バスチケット 40000キープは440円 バスが停まるとすぐに、物売りが バスの荷台にバイク 通路に米袋 晩飯 汁そば美味しくない! 本日は、パクセーからサワンナケートまでバスで移動。ツーリストバスなら4時間、 ローカルバスは7時間かかった。途中、いろいろな生活用品を積み込みこんでは停まり、精米所で米30キロ袋を50積込んだ。乗客よりも、荷物のほうが多く、なんでも運ぶ、なくてはならない生活に密着したバスといえる。サワンナケートで宿を探すが、目星をつけていた2軒とも廃業していた。私の持っていた、地球の歩き方『東南アジア』編(98年版)の街の地図をコピーしてきた。やはり、山でもそうだが地図は新しいに物に限る。本日も宿さがしに30分費やした。ラオスのホテルでは、wifiが使えるが、電波が弱く、途中で切れてしまう。また初めからやり直す事も数回あった。 今も、電波が弱い、切れないうちに本日は終了。 2012年3月28日水曜日 ーメコンを挟み対岸はタイー ホテルで朝飯 部屋は綺麗、これで550円 水洗トイレ、トイレットペーパー付 街の中心に立つ聖テレサ教会 フランス植民地時代のコロニアル風建物、 今は手入れされず朽ちるのを待っているのか… メコンで獲れた魚の塩焼き、対岸はタイのムクダハン 小学校の校庭 氷一杯のコーヒー すぐに飲まない、二時間かけて飲むらしい 本日の夕食 野菜炒めライス、美味かった! フランスパンにハムや野菜を挟む、結構イケル 本日は、サワンナケートの街を歩く。歩くといっても、街の中心に立つ聖テレサ教会から、周りを4、50分も歩けば一通り散策できてしまう。川幅200mはあるだろうか、メコンの対岸はタイのムクダハン。さらに、ここからは、ベトナムとも国際道路で繋がっている。 街には、コロニアル風な建物も随所に見られるが、どの建物も保存状態が悪く当時の面影を偲ぶには少し無理があるようだ…。 明日は早く、ラオスの首都ビエンチャンに向かう。 2012年3月29日木曜日 ーバスの運ちゃんに昼飯をご馳走になるー 真ん中のバスがビエンチャン行 ゆで卵と思ったら、孵化寸前! ただの木の切れ端にしか見えないが、漢方薬 バスの運ちゃんに昼飯をごちそうになる、左は助手 もち米を蒸かしたもの、川魚の煮物、辛い味噌、果物 ビエンチャンのメコン河付近、太いも痩せもエクササイズ 痩せるために、一生懸命エクササイズ 本日は、ローカルバスでビエンチャンに移動。速いバスは8時間、私の乗ったバスは10時間30分かかった。それでも途中、バスの運ちゃんに昼飯をごちそうになる幸運にめぐり会えた。私の性格がそうさせるのか、何か私に魅力があるのか、結構、良い目に会う機会が多い。 朝飯にと、ゆで卵を買ったつもりが、孵化寸前の卵だった。今までも何回か食べているが、朝から食べたことはない。味は、鶏のレバーとゆで卵を一緒に食べていると言えば分ってもらえる、と思う。 2012年3月30日金曜日 ー夕日を眺めながらビールを飲むはずがー パトゥーサイ パトゥーサイの天井にモザイクが彫りこまれている 10前にはここで、夕日を見ながらビールが飲めたが今は 堤防が築かれている 一部屋5人のドミトリー 言葉もいらない 指させば食べられる ラオスの首都ビエンチャン。10年前になると思うが、街の中に信号がなかった、と記憶していた。現在は、車やバイクが多く、排気ガスが凄いことになっている。 それと、メコンに沈む夕日を眺めながら、ビールが飲めると期待ていたのだが、堤防が出来て、あの美しかった夕日が見れない。明日は、80もの寺があるルアンパバーンに向かう。 2012年4月1日日曜日 ーラオスの味は、二度辛いー 昨日、ブログの更新を終えて、魚を食べた 朝、ビエンチャンの街中は、綺麗に清掃されている ビエンチャンからルアンパパーン360キロを、11 時間、時速34キロ バスが停まると、すぐに物売りのおばさん ドライブインで昼飯 私は、ビエンチャンで仕入れた、卵と野菜のフランスパン これがとても美味しかった! 2日間、ドミトリーの5人部屋に宿泊。当たり前だが、全員男、寝ている姿は全員パンツ一丁(私も)で、うつぶせ寝、エビ寝、大の字に寝ている男さまざまだ。ドミトリーも慣れればそれなりに快適だ! 写真の魚を食べた。アジに似た魚のから揚げと、白身魚の身をほぐしたもを激辛で味付けした一品。意外とイケル。ただし、食べた時には口が激辛で、火が出る思いだった。翌日は用を足した後に、お尻も激辛で往生した。 本日は、ビエンチャンからルアンパバーン360キロを、11時間かけて移動した。 時速34キロそこそこだ。ラオスは山国、山のすそ野を左に右に、幾度も繰り返し走行するので距離は稼げない。 7時20分にルアンパバーンに到着。とりあえず、安宿のあるナイトマーケット付近までトクトクで行く。小奇麗な宿はすぐに見つかった。 2012年4月1日日曜日 ー10日間で使ったお金ー 10日間が過ぎたので、いくら使ったか計算した。 交通費 7005円 食費代 5540円 ホテル代 7410円 入場料 650円 その他 3470円 (水、ジュース、バナナ、つまみ他) 合計 24075円 残金 975925円 以上、1日にすると2400円だが、交通費を除くと1700円ほどだ。 食事をして、そこそこのホテルに泊まり1日1700円は悪くない。 食事代が少ないのは、バス移動のときに、朝飯と昼飯代で、200円以下で済ませているのが大きい。ほとんど、赤飯(もち米を蒸かしたもの)と干し肉、鶏のつくねだが、2食分としては十分だった。 もちろん、1日にビール2.5本は飲んでいる。1本が110円と安く、下手なジュースよりよほどいい。きつい酒は、ラオスの『ラオ・ラオ』、パクセーで一本買求めたが、ただきつい米焼酎で3分の1は捨てた。1日にビール2.5本は飲んでいるいるが、日本にいるときよりは、アルコールの量は減っている。 2012年4月2日月曜日 ールアンパバーン散策ー 市場で買求めた、左がタケノコと人参の煮物、真中が焼き魚、右がタニシのピリ辛炒め 上の料理で、ビール2本の夕食 托鉢をする僧侶 施しをする人は、椅子に座っている人もいる 若い僧侶、フランスパンを買う プーシーから見た、ルアンパバーンの市内 ブーシー頂上から、右にメコン、左がルアンハバーンの市内 プーシーの仏塔 市場 タケノコ 魚を漬け込んだ、魚汁 ムササビ? 干し物 虫の成虫、生か、炒って食べる ちなみに、一粒口に入れた、生臭い味 セミ 炒って食べる タンパク質抜群 蜂蜜 いかにも美味しそうだ! メコンで獲れた魚、ハエが沢山たかっていた カエルの姿焼き 快適なホテル トイレも水洗 鏡に自分が写っている ナイトバザール メコン川で、身体を洗う女性 でも、写真では分からないか ナイトバザール 蛇の酒 5時30分に起床。外はひんやりと涼しい。朝もやの中から僧侶が現れ、人々はひざま ずき、ご飯やおかずを次々と僧侶の鉢に入れていく。13名の僧侶の行列が過ぎ去ると、今度は17名の行列が近づいてくる。それらの僧侶の鉢にも施しはされる。毎日繰り返されるルアンパバーン早朝の光景だ。人々は信心深いと、この施しを見て納得する。涼しいうちにプーシーに上がった。山頂にはタート・チョムシンという仏塔が建っている。眺めはよく、前方にはメコンと王宮博物館、後ろにはルアンパバーンの街並みが手に取るように見渡せる。街には80もの寺院が建ち、街の人より僧侶が多いといわれている。さしずめ日本の京都といった風情がある街だ。庶民の市場を見て回った。カエルの姿焼き、セミか蜂の生きているやつ、ネズミの燻製、蛇の燻製、コウモリの干し物等々、どうやって料理するのか分からないゲテモノ(こちらでは普通か…)のオンパレードではないか…。 明日は、中国に近い町ウドムサイに向かう。 2012年4月3日火曜日 ー中国に入国ー 景洪の中華 量があり半分は残した 運転手の後ろにタンクがあり、ガソリンを入れているところ ラオスと中国の国境 景洪に向かう途中の道端で、ウリを買い水分補給する 車の乗客はほとんど買い求めていた 景洪まで乗ったバス、乗客の9割は中国人、うるさくて汚い、唾は吐く チケット売り場の女性は、中国化していてとても感じが悪い。中国の国境を過ぎた街、モーハンまでのチケットを頼んだのに、無い、と一言。仕方がないので、朝8時のバスで中国の国境を目指す。 バスの乗客の9割は中国人、たばこは吸う、唾は吐く、携帯電話では大声で怒鳴っている。 途中で、バスの運ちゃんに景洪まで行くバスだと教えられる。それだったらこのまま乗って景洪まで行くことにする。ラオスと中国の出入国はいたって簡単に済ませることが出来た。 15時に景洪のバスターミナルに到着。ここに立ち寄る予定はなく、地図も何もない。おもちゃみたいなバイクタクシーに乗り、おばさん運ちゃんに任せ宿に行く。 宿に荷を置き、夕飯に出かける。中華屋さんに入り、適当に二品頼む、これが量があり、半分は残す。 外も暗くなり、宿に帰ると途中、派手な服装、厚化粧のおねいさんに声を掛けられる。一人二人ではない。宿の夜は人の出入りが激しく、男と女の声が深夜まで聞こえ、なかなか寝ることがで出来ない。 二泊する予定を一日で切り上げ、翌日は昆明に向かうことになる。
2020.04.10
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タイのフォアランポン駅対面の食堂でビールを飲む 2012年3月22日木曜日 ーいよいよ出発ですー 3時起床。半身浴30分。家を5時に出発。 ブログはできる限り更新します。下手な文章は、たくさんの写真で補うつもりです。 どんな旅になるやら見当がつきませんが、行ってまいります。 2012年3月24日土曜日 ーラオスのパクセーにいますー バンコクのフォアランポンー駅前の食堂 食堂の隣の「ステーションホテル」名前は立派 安宿550円 ラオスの電気事情が悪く時間がないので、元気でやっていることだけ伝えます。 2012年3月24日土曜日 ー昨日の続きー 成田発、台北経由でバンコクに17 時到着。空港からバスと地下鉄を乗り継いで ファランポーン駅に19時15分にたどり着く。空港からは乗合バス(大型バン)に乗ると、空港で仕事を終えた若い女性が12人、 男は私ともう一人で、私の両脇はもちろん女性、しばらく走ると左の女性が居眠り して、私にピッタリと寄りかかってきた。化粧はきついが悪い気はしない。7~8分し たら彼女の携帯が鳴り、彼女は素早く離れた。もう少し寄りかかっていてもよかっ たのに、残念! ともあれ旅は無事に始まった。 2012年3月25日日曜日 ー親切なおじいちゃんー バンコクからウボン・ラーチャタニー行きバス バス代に含まれている昼食 車中で配られたパンとコーラー、下にミネラルウォーター バンコクからウボン・ラーチャターニーまで列車で行きたかったが、あいにく満席。 仕方がないのでファランポーン駅から北バス・ターミナルに向かう。市バスは1時間乗って18バーツ(50円)、クーラーもギンギンに効いている。これで採算は取れるのだろうか。発車までの待ち時間に細麺を食べて朝飯にする。バスに乗り込むと私の隣は、腰の曲がった75歳位に見えるおじいちゃんが座っている。バスが出発すると何やら話しかけてくるが、タイ語で私にはチンプンカンプンでさっぱり理解できない。そのうちに後ろを指さし、トイレが付いていると教えてくれているようだ。私も後ろを振り返りトイレがあることを知る。また、おじいちゃんはバスチケットを出して、切取り線の下の部分は昼食券だと、食べる真似をして教えてくれる。昼少し前にバスはドライブインに止まる。おじいちゃんは私を手招きして、昼食券のチャーハンを指さして教えてくれる。さらに、私が迷子にならないように、バスの前で私が乗り込むのを確認して、にこにこしてくれる。おじいちゃんと別れるときに、タイ語で知っている「コップン・カップ」(有難う)と言うと、嬉しそうに手を握ってきた。 バスを降りると周りは真っ暗で、方向が分からない。タクシーの運ちゃんに街までいくらか聞くと、200バーツと吹っかけてきた。相場は70バーツ、こんな奴には、ただただ無視。屋台のオカマのおねいさんに、この近くのホテルを教えてもらう。歩くこと10分、なかなか立派なホテルで、値段が400バーツちょと高い。しかし、安宿がある街までタクシーで100バーツが相場だとホテルのオーナーは言う。どっちみち明日のバス乗り場は、先ほど降りた場所から出発だ。街までの往復200バーツを計算に入れると、200バーツのホテルに泊まったと思えばいい。部屋は冷房、ホットシャワー、バスタオルまでついている。 2012年3月25日日曜日 ーラオス・パクセーー 豚まん、卵まん ビールはよく冷えていて美味い! バスの中で頂いたスパイシーな果物 手はラオスの女性です 朝飯 鶏の蒸し物 モチ米 昨日のホテル 右はミラー 必要ないよね! ラオス~パクセーのバスチケットを買い求め、昨日のオカマのおねいちゃんの店に入り朝飯にする。昨日は夜だったから顔も気にしていなかったが、朝見るとお化けで、相撲取りが化粧しているみたいだ。食事をしていると、おねいちゃんが時々こちらを見てにこっとしてくれる。もち米を吐きそうになるのを我慢して飲み込む。 もち米は日本のおこわ、赤飯みたいでとても美味い。ごま塩でもあれば、おかずなしでも十分いける。 バスはタイとラオスの国境で停まり、全員降りて出国と入国の手続きをする。手続きを終え、再びラオスの道路をひた走る。私の隣りはラオスのかわいらしい若い女性、手続きの合間に買い求めた、果物をスパイシーな味に和えた物を私に勧めてくれる。言葉が分かればもっと楽しい時間を過ごせたのに…残念。 パクセーの街は、優に30度を越えいる。荷物を背負って20分は歩いた。汗だくで目的の宿に到着する。 何をおいてもビールだ! 2012年3月25日日曜日 ーパクセーの市場見学ー ダーオファン市場 種類豊富な野菜 フランス植民地時代の名残り フランスパン メコンで獲れた魚 小魚を何カ月も漬け込んだ魚汁 くさやの臭いがした メコンに架かる橋 日本のお金で出来た 外見は綺麗 寺院内はゴミだらけ 街の散策も暑さに勝てずホテルでビールを飲む パクセーはラオスの南部に位置して、タイ~ラオス間唯一つの陸路で国境を越せる街、また、交易の街としてもにぎわっている。 朝8時に市場に出かける。市場は大きく広く、なんでも揃っている。見て歩くだけで楽しくなってくる。野菜や果物の種類は多く、どれも美味しそうだ。メコンの魚も大小あり、どれも新鮮だ。くさやの臭いがするので、ポリバケツの中をのぞくと、小魚がとけてドロドロな液体になっている。これも料理の調味料なんだろう。 市場からメコン川を見に行く。川幅は500mはありそうだ。このメコン川で獲れた魚が、先ほどの市場で売り買いされるのだ。冷蔵庫もそんなに普及していないラオスの家庭では、朝獲った魚を食べ、また翌日は新鮮な野菜や魚を食べる。なんとも羨ましいではないか…。 お寺を見に行くと、外から見るのとは大違いで、境内はゴミだらけ、本堂もゴミの山、ラオスの人々は信心深いと聞いていたが、この荒れようはどうしたことだろうか…。 今日も30度は超えている。暑くて歩いていられない。ホテルに帰り、ビールを飲んで昼寝だ! 2012年3月26日月曜日 ーこんなにも美味しい汁麺は食べたことがないー 野球の玉くらいの鉄の玉3個持ち、遠くの玉に当てるゲーム 今まで一番の汁麺、これは本当に美味い! 汁麺の美味しさに感激したので、25日の午後の事を少し。 上の写真は、年配の男たちが夢中になって、自分の玉を投げて相手の玉をはじき出すゲーム。見ていると青シャツのお父さんが私に投げてみろと、自分の玉3個を貸してくれる。玉は鉄で出来ていてずっしりと重い、見様見真似で投げてみたが、かすりもしなかった。 下の写真は、東南アジアでも、こんなに美味い汁麺は食べたことがない。スープはあっさりしているが、コクがありうまみがある。上に載っている鶏は焼いてから何時間もかけて煮込んだと見えて肉離れがいい、とても柔らかく口にとけるようだ。もちろん明日も食べに行くつもりだ! 2012年3月27日火曜日 ーヒッチハイクで宿に戻るー 朝飯 フランスパン、ハムや野菜それにヌクマムをかける 乗り合いバス 朝7時30分、まだ4人 まだまだ、これからさらに数10名乗り込む ワット・プーの参道 石畳み 修復中の遺跡 遺跡と化石 修復途中の遺跡 ワット・プーの中央祠堂 遺跡の窓? 28キロ無料で乗せてくれた、若いお兄さん 本日も食べました。本当に美味い! 昨日、ホテルの人にワット・プー見学に行きたいと言うと、即座に車チャーターで、 アメリカドルで50ドルと言ってきた。 ローカルバスで行くと言ったら、乗り合いバスは朝のうちだけで、午後にはパクセー に戻る手段がない、と言っているが…。まあ何とかなるだろう! 本日は、予定通りローカルバスで行くことにする。朝7時30分にバス乗り場に着くと、すでに外人さんが3名乗車している。その後から、地元の人たちが買求めた野菜や魚、生きた鶏、次から次と荷台に担ぎ上げられる。結局、出発したのは2時間後。 乗車している人は30人、人に負けないくらいの荷物も積み込まれている。車はパンパ ンで積載オーバーどころでない。 出発から1時間は、身動きできない、尻は痛くなる、我慢の時間だった。 その先は、乗客も荷物も減り、身体を動かすことが出来てほっとした。 ワット・プーは、11世紀頃に建築されたヒンドゥー寺院の遺跡。ガイドブックを持っていないので詳しいことは書けないが、見学した感想は、遺跡は全体的に崩れて、草 に覆われ、山の上から全体を見れば、それなりの規模の遺跡群に見えた。現在、修復作業が進められているが、数十年では修復完了とはいかないようだ。 見学を終えて。昼飯を食べ終えて。さてどうやってパクセーに戻るか?店のおやじに 乗合バスはあるか聞くと、やはり朝だけのようだ。さてさて、困った! 30分もすると小型の乗り合いバスが来た。パクセーの手前までなら行くというので、 とりあえず乗車して終点まで行くことにした。まだ、ここからパクセーまで28キロあ るようだ。近くの店で牛乳をもらって、パクセーまでのバスはあるか尋ねると、やはりパクセー行きのバスはない。残された手段は、ヒッチハイクしかない。それにしても車が通る回数が少ない、10分に5台くらい。炎天下の中、手を挙げて車を停めようとするが、なかなか停車してくれない。大体が荷台にもたくさんの人が乗っているので、乗せる余裕がないようだ。10分、20分、 30 分、1 時間と経過するが停まってくれない。ペットボトルの水はお湯になり、私は汗だくだ。それでも粘った甲斐があり1時間30分後に、一台のトラックに拾われた。助かった…! 40分後に無事に、パクセーの街に帰ることができた。別れ際に、3万キープ(330円)を渡そうとしたが、頑なに受取らなかった。見ず知らずの日本人に親切にしてくれて有難う!
2020.04.09
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2012年3月17日土曜日 ー旅のお金ーお金の持って行き方ー 今までの旅は東南アジアが中心で、航空運賃を除いて2~3万円もあれば足りた。 お金の持って行き方で悩んだことはない。 今回の旅費100万円を、全て懐に入れて持ち歩くことは危険すぎる。 現代は、カード持参のバックパーカーが主流になっている。今回は、アメリカドル500$と日本円5万円をザックの底に隠し持つ。他に2枚のカードを持って行く。 1枚は楽天銀行の国際キャッシュカードで、日本で預けたお金を、訪れた国々で 現地のお金で引き出す。金利はかからないが、引き落としに1回、200円程度かかる。もう1枚はクレジットカードで、航空券や値の張る物を購入するときに使う。もちろん、別々に管理する事は言うまでもない。 2012年3月18日日曜日 ーザックの中身ー 長旅は重い荷物はつらい。ザックの中身は必要最小限にして、実際に持って行く荷物は、国内旅行2~3日分しかない。足りないものがあれば現地調達で賄う。 [実際の持物] ザックは25リットル パスポート、写真(ビザ用)6枚、現金(日本円5万円 アメリカ$500) カード2枚(国際キャッシュカード、クレジットカード) 国際カード用60万円、クレジット用40万円 *以上を盗まれたり、無くしない限り、旅は続けられる。 パソコン、カメラ、充電器、プラグA・C(差込口が国によって違う) 電子辞書 ペンライト、着替え2日分(パンツ、Tシャツ、靴下) 長短ズボン各1、長短シャツ各1、ダウンジャケット、洗面具(歯ブラシ、歯磨き粉、ひげそり、石けん) つめ切り、タオル1、手ぬぐい1 主要都市の地図コピー 2012年3月19日月曜日 ーフランスの女に気を付けてー 象牙のお守り 寄書の手ぬぐい 池袋で中学校時代の関東在住の仲間8名が、壮行会を開いてくれた。 有難いことに旅から無事に帰りますようにと、願いがこもった象牙のお守りを頂戴した。寄書には、「フランスの女に気を付けて」と、書いてくれた友達もいたが、そっちのほうは心配無用だ…。 2012年3月20日火曜日 ー貴重品入れー Gパンの内側に貴重品入れ パスポートを盗まれたり、無くしたら旅は続けられない。 いくら対策を講じようが、盗まれるときは盗まれる。気休めにすぎないかもしれないが…。 2012年3月21日水曜日 ー出発1日前ー 今日は、定年退職してからハローワークに通って最後の失業の認定を受ける日だ。 これで晴れて、明日は「ユーラシア大陸横断」に出発できる。 失業保険受給日数150日×6700円=100万円、これが今回の旅費になる。
2020.04.08
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壮行会でTシャツに寄書きしてもらった 東奥日報夕刊(3月17日)を見た友達から「ユーラシア大陸横断」のブログは読みづらいといわれたのもそうだが、前々から「Bloggerー竹ちゃんのユーラシア大陸横断」から「楽天ブログ」に移したいと考えていた。今年は長期の海外旅行を断念したので実行する事にした。 定年退職してユーラシア大陸横断したブログを「楽天ブログ」に、5日〜7日分を少し手直しして全編掲載する事にした。 2012年3月6日火曜日 ーいよいよ出発が迫ってきたー まだ準備らしい準備はしていないが、おおよそ次のルートを通る予定。 タイ⇒ラオス⇒中国⇒ネパール⇒インド⇒パキスタン⇒トルコ ここまで3ヶ月 ギリシア⇒イタリア⇒スイス⇒フランス⇒スペイン⇒ポルトガル ここまで3ヶ月 パキスタンのビザ取得が難しいので、アルメニア、グルジアに行くかどうか思案している。 次回はもう少し詳しくルートをお知らせしたい。 2012年3月7日水曜日 ーユーラシア横断ルートを少し詳しくー 出発は3月22日、帰国はポルトガルから9月中旬の予定。 トルコまでのルート、この通り訪れられるかどうかは現地に行ってからの情況判断。 アルメニア、グルジアについては書籍も少なく、旅行人「シルクロード 中央ユーラシアの国々」くらいしかなく情報の入手が難しい。 タイ (ウボンラチャタニーから陸路でラオスのパクセ)バンコク一泊、翌日にはラオス入国 ラオス (パクセ、ビエンチャン、ルアンパパン、モーハンから雲南) ラオス国内は南から北部を目指して中国に入国 中国 (雲南、ラサ、エベレストBC5200m、チベットを越えてネパール)雲南からラサ、チョモランマBCに立寄り、5220mの最高地点を通過する。ラサ~ネパール5~7日間のヒマラヤの屋根を走破する。ネパール (カトマンズ、ポカラからインド) インド (バナーラス、カジュラーホー、デリー 飛行機でイェレヴァン) ガンジス川の沐浴、10―12世紀の寺院群の見学 アルメニア (イェレヴァン 陸路でトビリシ)空港でビザ取得可能 情報少ない。 グルジア (トビリシ、陸路でトルコ) ビザ必要ない 情報少ない。トルコ (イスタンブール、アンカラ 地中海・エーゲ海)見どころ一杯、エーゲ海を船でギリシア ここまで90~110日間の予定。 2012年3月8日木曜日 ーユーラシア横断ルート少し詳しくー ギリシアからポルトガルまでのルート。 ヨーロッパはアジアに比べると3~4倍物価が高そうだ。 そこで、スイスのツェルマットとグリンデルワルト、フランスのシャモニーでキャンプ生活をする予定だ。 アジアの宿は1000円以下、3食+ビールで1000円くらいでしょうか。ヨーロッパでは ドミトリー(大部屋、4-8名一室)で2000~3500円、シングルで5000円はする。 それに3食+ワイン+ビール2000円で収まれば良いほうだ。 トータルでテント生活などして1日5000円で抑えたい。 訪れたい街はたくさんあるが、日程の都合で急ぎ足の旅になりそうだ。 ギリシア (アテネ、パトラから船でバーリ ) イタリア (ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ドロミテ) スイス グリンデルワルト(アイガー北壁) ツェルマット(マッターホルン) フランス シャモニー(モンブラン) スペイン (バルセロナ、ピレネー山脈、サンティアゴ) ポルトガル (ポルト、リスボン、) リスボンから9月中旬帰国予定 2012年3月9日金曜日 ー旅費は6カ月間100万円?ー 旅先で、いくら節約に節約を重ねても、それなりにお金は使う。 宿泊代はピンからキリで、アジアは300円~1000円で泊まることが可能、ヨーロッパに入れば、ドミトリーで1500円~3000円が相場で、シングルは4-5000円は覚悟しなければならない。 今回は、反則技を使って、スイスで3週間のキャンプ生活をする。少しでも宿泊代を浮かす作戦だ。 食事代はレストランに入らず、屋台や地元の食堂で食べれば、アジアで3食1000円から1500円でやっていける。もちろんビール2本は飲む。現地の焼酎も飲む。 ヨーロッパの各国では、3割増しくらいで食事代を賄うつもりだ。 アジアを90日×2000円=18万円、ヨーロッパは90日×5000円=45万円。交通費は列車・バス代25万円、 ポルトガルから成田の飛行機代12万円で、トータル100万円の予算だ。 2012年3月10日土曜日 ーくすりとガイドブック類は持たないー 荷物は必要最小限にして、足りないものは現地で買い足す。これが基本だ。 国内の2泊3日の旅行も、6カ月の長期海外旅行でも、持っていく荷物はほとんど変わらない。試にリュックに荷物を詰めて、量ってみると、パソコンと充電器が増えて6.5キロほどだ。リュック本体の重さが1.5キロあるので、実際に持って行く荷物は5キロだ。 旅に出れば、荷物を持って宿探し、バスに乗り、街から街へと移動することになるので、荷物は軽いほうがいい。 今までもそうだが、薬とガイドブック類は持たない。子供のころから腹が痛ければ歯磨き粉を舐めれば痛みは治まった。今でも大して変わらない。仁丹でもあれば万能薬だ。 ガイドブックに関しては、街の様子が分かる地図があれば用が足りる。宿探し、市場や安食堂を見つけることが出来れば十分だ。あえて、かさばり、重いガイドブックは持つ必要がない。 2012年3月11日日曜日 ー海外旅行保険はバラ掛けー 今まで、2週間程度の旅では海外旅行保険に加入したことがない。海外旅行保険6か月間有効のパック(傷害死亡、疾病死亡、個人賠償、携行品、治療・救援)は、必要のない保障も含まれている。それに13~15万円と高額だ。実際に、旅先で保険が必要になることは少ない。大した荷物は持って行かないので携行品保険はいらない。現地で高価な品物を壊すこともまずないので、個人賠償保険もいらない。 今回も、一切保険に加入しないとも考えたが、現地で入院した場合は高額な支払いになるケースもあるので、治療・救援費用300万円だけの保険を検討することにした。それでも保険代は4万円はする。 2012年3月12日月曜日 ーユーラシア大陸黄疸ー 有難いことに先週は、火曜日から6日連続で書店、出版社、友達、親戚、山の仲間に 壮行会を開い頂いた。 私は酒飲みなので、集まった皆さんよりもたくさん飲ましてもらった。翌日は、二日酔いでも、夕方になるとまた飲めてしまうところが、意地汚いところだ。 これでは「ユーラシア大陸黄疸」ではないか! 2012年3月13日火曜日 ー旅の言葉ー 空港で、「旅の目的は」と聞かれ、「アルバイト」と答えた若者がいたとか…、笑い話のようだが、私も似たようなものだ。 旅先で不安は「言葉」で、宿を探す、切符の手配など、すべて自分で解決しなければならない。 バックパーカーが泊まる宿や、大きな駅では間違いなく英語が通じるが、恥ずかしい話、私はまるでダメなのだ。そこで片言の単語とジェスチャーで一生懸命に話をする。そうすれば何とかなるものだ。 タイでもインドでも田舎に行けば、英語は全く通じない。その時は、ジェスチャーが意思疎通の道具になる。 ヨーロッパの各国でも、あいさつ程度の単語を少し覚え、あとはジェスチャーで乗り切るつもりだ。 2012年3月14日水曜日 ーラサに入れないー 年明けに発生した『チベット人3人が焼身自殺』のニュースを気にかけていた。 中国政府に抗議するチベット僧の焼身自殺が相次いているので外国人がチベットから締め出されているからだ。 3月に入れば解除され、ラサには楽勝で入れると考えていたが、予断を許さない事態になったようだ。 ラサに入れないとすれば、ルートを引き直さなければならない。 2012年3月15日木曜日 ー成都からカトマンズ間は飛行機でー とりあえず、ラオスから雲南までは予定通り進む予定。 今回の旅のメーン・イベントは、ラサからチベットを走破し、ヒマラヤの山々をまじかに仰ぎ見ることだった。 ラサには是が非でも入りたいものだ。 2012年3月16日金曜日 ー寄書きのTシャツー これ着て街歩ける? 昨日、本郷の「もり川」で元会社の仲間、先輩、広告代理店の方々に、壮行会を開いていただいた。 写真は、皆さんの寄せ書き、これを着て街を歩いたらバカウケすること間違いないが、 恥ずかしくて、着れないよね!せっかくだからロカ岬で記念写真を撮るぞ!
2020.04.07
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3/19 3月3日に楽天モバイルが正式サービスの詳細を発表した。4月8日スタートで、300万人については1年間無料、月額料金は「2980円」の1プラン、というシンプルな料金設定だ。 最初は、すぐに300万人に達するのではないかと思っていたが、2日前に家の近くのジョーシンの楽天モバイルショップを覗いてみたら、下記の広告が目に留まった。 多くのお客様からご要望を受け、本日3/12より他社から乗り換え(MNP)の方、ならびに「楽天モバイル」(ドコモ回線・au回線)から移行の方の「Rakuten UN-LIMIT」先行申込の受付も開始いたしました。 私はピンときましたね、申込みが予定よりも少ないから急遽広告しているのだと。 私が惹かれたのは、海外から楽天アプリを使って通話すれば料金がかからないし、データ容量2GB/月が使える。使い切った場合はチャージ出来て1GBが500円。海外ではwi-fiにつながるホテルが多いので私の場合はチャージする必要はないと思う。 今まで海外の空港でsimカードを買い求めていたが必要なくなる。 「プラン料金1年間無料キャンペーン」対象者には、事務手数料3300円相当のポイントが還元される。 1年間無料で使って嫌になったらキャンセルしても違約金がいらない。 三木谷社長が「衝撃的な価格」と太鼓判を押した月額2980円の料金プランだが、誰かが「落胆モバイル」とつぶやている。楽天はNTTドコモやKDDI、ソフトバンクのように基地局が少ないので、楽天回線エリヤから外れると2GBはすぐに使いきってしまう。大都市圏なら楽天回線エリア内なので恩恵を受けられるが、それ以外の地域では2GBを使い切ってチャージすればするほどに高額になってしまう…ので「落胆モバイル」と揶揄されるのだ。 私は幸いにも東京に住んでいるので2980円で使うことが出来そうだ。 あと一年もすれば楽天回線エリヤも増えるはずだ。それまで待つか、1年間無料で試してみるのも良いと思って、キャンペーンに申込みした。
2020.03.19
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3/18 東奥日報夕刊3月17日の記事 昨年の『日本縦断ー徒歩・野宿旅』の事が青森県の「東奥日報」に掲載された。 気恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。さすがだ、新聞記事の反応は凄いものだ。友達や親戚から電話やメールをたくさん頂いた。 70歳近い男が良く頑張って2,600kmもの距離を宿にも泊まらず野宿しなが84日間も歩き通せたもだと私ながら思っている。 若い頃は山登りもした。フルマラソンも3時間35分で完走した事もある。足には自信があったが、佐多岬から宗谷岬まで本当に歩けるかどう正直わからなかった。完歩出来たのは、天気に恵まれた事だと思っている。3月の中旬に出発し、梅雨時には東北地方を通過し北海道に入る計画を立てたのが幸いした。 今思えば公園や海水浴場、車の往来の多い道路脇で野宿したのも楽しかった。夕飯が買えなくて魚肉ソーセージと漬物に焼酎だけの日も何回かあった。それも楽しい思い出だ。 今年は北欧から中欧に行く予定だったが、コロナウイルスには勝てないので断念するしかない。 来年は70歳になる記念に『世界一周』を計画したい。漠然とだがロサンゼルスからニューヨーク、ニューヨークからヨーロッパの国で航空券の安い国に入国して、北欧と中欧を抜けてモロッコ、エジプトを旅したいと考えている。時期は5月から7月いっぱいまで。
2020.03.19
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2月24日 東奥日報の電子版に上記の様に掲載された 東奥日報電子版は有料と無料があり、紙媒体の記事内容が詳しく読めるのが有料版。 私は無料版を購読している。 購読するには手続きが必要で「読者くらぶ」に入会すれば、ウェブ東奥の青森県関係の記事が無料で読む事が出来る。 詳しくは東奥ウェブ読者くらぶ(クリックして下さい) 平内町の皆様も24日の東奥日報の朝刊の記事と写真を見て友達や親戚の方が写っているのをご覧頂いたと思います。 昨年も総会・懇親会の様子を記事にして頂きました。田舎の友達、親戚から電話をもらい、反響の大きさに驚いたと、会員の方が言っていました。
2020.02.25
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2020年2月23日 【先ずはお詫び】スマートフォンの操作を誤り、写真モードをステッカーにしてしまい、何人かの方の顔に模様が入ってしまいました。どうしても消す事が出来ませんでした。申し訳ございません。 今年参加して下さった皆さんで記念撮影 今清文会長挨拶 船橋茂久町長挨拶 倉内精一議会議長挨拶 八重樫理事の会計報告 総会の様子 皆さん真剣に資料に目を通している 懇親会の様子 今年もソプラノ歌手の阿部さと子さんの美声が響きわたる 令和最初の「東京平内町ふるさと会」の総会・懇親会が、2月23日に「ホテルグランドヒル市ケ谷」に40名が参集して開催された。 昨日は関東地方で春一番が吹いたが、本日は打って変わり穏やかな日和のなか総会は進行された。 昨年12 月に中国武漢に端を発した新型コロナウイルス感染症は急激な勢いで感染者数が増加し、海外にも広がっている。その影響で開催が危ぶまれたが、何のそのウイルスにも負けないし、ばい菌も寄せ付けない平内町の関東在住者40名が集ったのだ。 今年も平町から船橋茂久町長、倉内精一議会議長、船橋健人副議長、東奥日報社の遠山仁様が参加して下さいました。 堅苦しい総会を無事に終えて、皆さんの楽しみは懇親会だ。友達や親戚に会って近況報告や昔の話に花を咲かせて、笑い声があちこちのテーブルから聞こえてくる。今日ばかりは「平内弁」で語り合っても何もめぐさく(恥ずかしい)もない、誰一人として難しい顔をしている人はいない。和やかな雰囲気で懇親会は瞬く間に2時間が過ぎてしまった。 今年も平内町から「ホタテ貝柱」に「ホタテのマヨネーズ缶」の提供があり、出席者に配られた。 名残惜しいが、エンドレスで懇親会をする訳には行かない。来年も全員元気で集まることを約束して閉会となった。 当然、飲み足りない人、もっと話したい人が二次会に流れた。さらに三次会に流れた会員もいた。なぜ竹内が知っているのか?私も三次会まで付き合ったからだ。
2020.02.24
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2/11 インドネシア観光スポット ボロブドゥール遺跡 S山さんの今回の目的は釣りだった 大物は釣れなかったので彼は物足りな顔だ 台北は食べ物が美味い! 夜市で食べた臭豆腐は臭いが美味い! 酒の肴に最高だ! バリ島のウブド王宮で舞踊を鑑賞 ロロ・ジョングラン寺院 町中を歩けば 地元の人と撮影もした ジカルタの最後の夜は カラオケ居酒屋でママさんと踊る 成田から台北LCCで始まり バンコクから成田も 5回も飛行機を乗り継いたがすべてLLC(格安航空会社)だった 旅の最後はタイすき鍋で〆た 今回は、成田〜台北〜バリ島、ロンボク島〜スラバヤ、ジャカルタ〜バンコク、バンコク〜成田と5回も飛行機を乗り継いた。すべて格安航空会社(LLC)の飛行機だった。飛行機代は49,000円。 宿泊は1,000円から2,500円のホテルを「Trip.com」で宿泊の前日にネットで予約して目的地に着いてから、グーグルマップでホテルまで行けたのがよかった。ネットで予約しなければ行き当たりばったりで探す事になる。ホテル代32,000円。 食事は、ビール代が高かったのが痛かった。インドネシアはイスラムの国、飲酒の習慣は無いので、ビールを置いている店を探すのに苦労した。食事代40,000円。 交通費はタクシーに1時間30分乗っても3,800円と安かった。交通費13,000円。 博物館やボロブドゥール遺跡見学料などで4,000円。 一人当たりトータル 138,000円。実際に私が支払った金額はもっと少ない。私の仕事は飛行機やホテルの手配とガイド(?)、お金に関してはS山さんに多く負担頂いた。
2020.02.12
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2/10 帰りの飛行機の中 乗務員も乗客もほぼ全員マスクをしている フォアランポンー駅から空港まで乗車した列車 朝4時40分に起きて、シャワーを浴びてホテルで朝食を済ませて、7時出発の列車に乗り込む。 我々が乗り込んだ隣に高速鉄道の工事が進んでいるのが分かる。 当初は、日本と中国が協力してチェンマイとノンカイに高速鉄道を走らせる計画だった。が、 バンコク〜チェンマイ間は広大な平野に農地、荒れ地が点在し、大きな街はない。チェンマイの人口は約13万人に過ぎず、LLC(格安航空会社)がバンコクからチェンマイまでバス代並の運賃で観光客を運ぶ。採算が取れない?その他の事情で昨年、タイ政府と日本政府の間でいろいろと検討してきたようだが断念したもようと伝えられた。 中国が提唱する経済圏構想「一帯一路」を拡大の一環として、バンコクからナコンラチャシマ、ラオスを抜けて中国の国境の町ノンカイまで結び、中国の輸出を促進する計画だ。 バンコクでは高速鉄道だけではなく、高架鉄道をはじめ、数々の新線が計画されている。フアランポーン駅は老朽化しているうえ、都心にあるため、対応ができないという。そこで、新しい巨大駅舎・バンスー駅を建設している。 以上、ネット情報を要約した。 飛行機の中は、コロナウイルスの影響で乗客も乗務員もほぼ全員マスクをしている。 早起きのためか離陸も分からず寝ていた。さらに昼にビールを飲んだら眠くなり、あっという間に成田空港に降り立った。
2020.02.11
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2/9 旅の最後はタイすき鍋で〆た ホテルの朝食 品数がある フォアランポンー駅で無料の散髪が行われていた スマートフォンにレンズをセッテングして広角レンズになる スーパーで魚をさばいているのだが 下手くそだ MBKの食堂で昼飯を食べる 私がバンコクに来たら必ず訪れるタイすき鍋店 地元の人が食べに来る店なのに 外国人の団体さんが添乗員に連れられて4組もやって来た 今まで一度も無かったことだ フォアランポンー駅から5分の立地に建つホテル 我々が宿泊しているホテルだ 本日は、MBK(マーブンクロンセンター)に出かけた。1985年にオープンしたバンコクの老舗中の老舗ショッピングモール。 お土産にグルメが楽しめる。衣料、雑貨やスマートフォン、ファッション、貴金属、ほぼすべてのものが揃う大型ショッピングモールで東急百貨店が併設している。フードコートも充実しているし、映画館やボーリング場まである。特にスマートフォンを買い求める地元の人や観光客で混雑している。中古のスマートフォンショップも数多く店を構えている。館内を歩いていると日本語があちこちから聞こえてくる。日本人の観光客がたくさん訪れるショッピングモールなのだ。我々も少しお土産を買い求め、フードコートで昼飯を食べて、14時にはホテルに戻りビールを飲んで昼寝。 夜は旅の最後の夕食に地元の人が通うタイすき鍋を食べに行った。 私は一人で何回も訪れているのだが、添乗員に連れられて外国人観光客が4組も入って来た。大した食事をする訳でもなく、地元の食堂を体験するツアーのようだ。我々の食べている土鍋のタイすき鍋をチラチラと興味深い目で眺める人もいた。 明日は、7時の列車で空港に向かい帰国する。
2020.02.10
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2/8 バンコク・チャイナタウンで夕食 観光客が少ない 中国からの観光客が激減している チャイナタウンで果物を買い食いしている観光客 フォアランポンー駅(バンコク中央駅) 朝、コタ駅からマンガライ駅まで乗車した車内 床掃除をしている 車窓からの独立記念塔 マンガライ駅で空港までの乗車券を買う マンガライ駅から空港まで乗車した快速列車 快速列車からの風景 ジャカルタのスカルノハッタ国際空港 エアアジア ジャカルタからバンコクまで3時間30分のフライト 5,800円はやはり安い 機内食有料 ビールの販売は無い インドネシはイスラム教(ムスリム) アルコールは飲めない 飛行機でも徹底している 本日のジャカルタからバンコクまでのフライト時刻は13時50分なのでゆっくりと起きて、ホテルの朝食をたべる。 9時半過ぎにホテルを出てコタ駅まで約12分ほど歩いて行く。 空港までコタ駅からダイレクトに行けないので、とりあえずマンガライ駅まで行く。 キップも空港まで通しで買えない。たいへん面倒だ。 マンガライ駅で降りて空港行きのホームで一回改札を出て、駅建物の2階で空港行きのキップを買わなければならない。 改札窓口はなく、券売機が5台設置されていてキップを買うシステムで、現金では買えない。すべてカード決済なのだ。カードを持たない乗客がいて、怒る客もいるはずだ。そのために、乗客の怒りを鎮めるために自動券売機には綺麗なインドネシア美人を配置しているのかもしれないね。 インドネシア最大の空港「スカルノハッタ国際空港」からジャカルタの市街地までは約35km。ジャカルタは世界でも有数の交通渋滞都市。通常なら30~60分の所要時間が通勤時間帯は2~3時間になることもあるそうだ。確実に空港まで行くには列車が必要なのだ。 バンコクには予定到着時刻より20分早い17時10分に降り立った。 フォアランポンー駅行きの列車は20時までないのでタクシーでホテルに向う。 列車だと20バーツ(60円)ほどだが、タクシーは高速代プラス運賃で340バーツ(1,200円)だった。 一人だった絶対に泊まらない「バンコクセンターホテル」に2泊する。ちなみに朝食付き、2日で2,980バーツ(10,500円)。 このホテルは40年前からネパールに会社の仲間とトレキングに出かける度に利用した。当時はツインルームで1,500円だった。建物は相当古いが、上手く化粧させて部屋もリフォームされ古さは感じられない。 ここのホテルは中国の団体客が多いのだが、新型コロナウイルスの影響で激減している。本日はほとんどが日本人観光客だ。 さて困った事に2月8日は マカブーチ(万仏節)で禁酒日・アルコール販売禁止に当たってしまった。 セブンイレブンでは酒コーナーに貼紙で販売中止をしらせていた。 チャイナタウンの観光客に人気の屋台でもビールが飲めない。 でも、ゆるいタイ人の事だから飲ます店はあるはずだ。探すとやはりビールを飲ます店があったのだ。しかし、タイ産のウイスキーは探す事は出来なかった。
2020.02.09
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2/7 ジャカルタのチャイナタウンの食堂で ママさんと踊る チャイナタウンでも酒を飲ます店は少ない それでも呑み助の竹ちゃん探し当てた 1番上の写真が千代田線 2番が武蔵野線 私にはさっぱり分からないが 孫に写真を送ったら返事がきたので分かった コタ駅からマンガライ駅まで乗車したのは武蔵野線を走っていた列車だったようだ 今日は朝ゆっくり起きてホテルの朝食を食べて、明日の空港までの電車を調べてマンガライ駅まで行って来た。 安く、時間に遅れずに空港まで行くには電車を使うのが最も経済的だし正確だ。 今現在、スカルノハッタ国際空港に行くには、タクシー、エアポートバス、電車を乗り継いて行く方法がある。 我々は経済的な電車で行く予定なので、予習としてコタ駅からマンガライ駅まで行って来た。我々が乗車したのは、千代田線を走っていた列車だった。 日本の中古バスはラオスやミャンマーで何回も見かけたし、実際に乗車もした。また、中古自動車、トラックも走っていた。バスは「京都駅行き」「○○高校スクールバス」などそのまま行き先を変えずに走っているのを見かけた。 アジアでは日本車に対する信仰は高く高品質な中古車が好まれている。アジア地域だけでなく新興国やロシアなどでも日本の高品質な中古車が好まれているし輸出も盛んだ。もちろん日本の中古電車も東南アジアでは絶大な人気で、かつて日本国内で使用された車両はインドネシアへ譲渡されている。これまで主に、ジャカルタの鉄道会社にJRや東急、東京メトロの車両形式が譲渡されているそうだ。アジアで日本の電車に乗るのは不思議な感じがしないでもないが、インドネシアを走っている中古電車は手入れが良いのか古びれた車両には見えなかった。手入れが良く、管理がしっかりしているのだろう。全部が有料譲渡でないにしても、これだけ大事に扱ってくれているのなら、譲渡した甲斐があるというものだ。 夜は昨日に食事した中華料理居酒屋に出かけた。ビールが飲める店だったからだ。夜の6時、チャイナタウンに住む4人の客とママさんがカラオケで盛り上がっていた。我々のために次々と日本の歌を有線でリクエストして流してくれる。ママさんは日本歌詞も知っていて歌っている。 催促されたわけでもないが、どこでも直ぐに打ち解ける竹ちゃん、吉幾三「酒よ」を熱唱する。割れんばかりの大拍手だ! 最後のインドネシア・ジャカルタの夜は更けていく!
2020.02.08
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2/6 独立記念塔(モナス) 夜行列車は4時30分にジャカルタのコタ駅に到着した 8時間30分の夜行列車の旅の疲れはない ウトウトだが寝れたからだ ジャカルタ・コタ駅構内 朝5時 本日から2泊するFIVEHOTEL 独立記念塔の中は博物館になっている 独立までの歴史が絵で語られている ファタヒラ広場 東インド会社時代の建築物が残る 海洋博物館の建物はオランダの香辛料の保管場所・倉庫だった 重厚な建物だ 1本の大木から造られた舟は40mはある オランダ商人と香辛料の取引相談 日本軍は1942年 石油や資源確保の為にオランダ領東インド(現インドネシア)に侵攻して占領した 日本軍政下で日本式の学校教育を始めたとされる 当時のポスター オランダ領東インドを攻略する蘭印作戦を指揮した今村均陸軍大将 夕食は黒ビールが飲めた コクがあり旨い! コタ駅から歩いて12分で本日から2泊する「FIVEHOTEL」に到着。部屋に入れるのは14時からだ。 ここのホテルは、大型ショッピングモールの8階にある。最初はビールも食料品も買えると喜んだが、ぬか喜びだった。ラジオデパート、工作機械が揃う、床面積の大きいビルに小規模店舗がびっしり詰まっている。ステレオからセンサー、ケーブル、カラコーン等、電気製品に関するものは何でも揃えられる。 部屋に入れるのは14時からなので、荷物を預けて独立記念塔に出かける事にする。歩くには4kmは辛いのでバスで行くつもりで、ここのビルの警備員に訊ねると「ジャパン」「おしん」と言われる。笑うしかない。インドネシアで1983年〜84 年にかけて放送され、絶大な人気を誇った「おしん 」。いまでも当時の感動が心に残っているのだろう。
2020.02.07
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2/5 ボロブドゥール遺跡 回廊壁画 学生さんがたくさん見学に訪れている ボロブドゥール入口の食べ物屋さん お母さん65歳 我々は図々しくも無料でザックを預けた ジョグジャカルタ駅 ジョグジャカルタ市内の様子 ジョグジャカルタ市内の様子 ジョグジャカルタから夜行列車でジャカルタに向かう 今回で2回目になるボロブドゥール遺跡見学だ。ボロブドゥール寺院は、8世紀後半から9世紀前半にかけて建立された世界最大級の仏教遺跡。 メラピ山の大噴火により1000年間もの間、火山灰に埋もれていた。1814年イギリスのラッフルズ提督らに発見され発掘調査と修復が開始される。世界文化遺産に登録されている。 寺院はピラミッド状で仏教の曼荼羅を表現したと言われ、壁面を飾る美しいレリーフが精緻で見応えがある。壁画一つ一つに物語があるが、私には詳しい事は分からないが当時の様子が少しはわかる気がする。ジャングルの中にそびえ立つその姿は、神秘的な空気に満たされていて圧巻の迫力だ! 5年前に訪れた「ボロブドゥール遺跡見学」(クリックして下さい)
2020.02.06
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2/4 ロロ・ジョングラン寺院 写真はS山さんの撮影 プランバナン寺院 ソロ・バラバン駅 子どもたちは遠足か! インドネシアを走る特急列車 我々はプランバナン駅まで乗車した快速列車 定刻に出発して定刻に到着した 本日のホテル 5年前に一人で宿泊した 5年前のブログ(クリックして下さい) ここのホテルの従業員(私の左) 顔を合わせるなり前に泊まった人だと覚えていた 散髪しているところ カットだけで1万ルピア(80円) ホテルの目の前 15時ごろ突然突風 看板が道路に飛ばされ 車は立ち往生 突風のあとは激しい雨が降る 晩飯 何とかビールを仕入れてもらい晩酌出来た 散髪して頭がすきっきりした 食堂の女将さん インドネシア美人! 今朝は、7時前にホテルを出てベチャで駅に向かう。プランバナン行きのきっぷを買い、コンビニでカップ麺とヨーグルトで朝飯にする。日本の喫茶店の様なパンとコーヒーを出す店とか、ホットドッグ店、アイスクリーム店などがあるが、駅構内にはローカルな食堂も「ナシチャンプル」を売っているおばさんはいない。 コンビニ置かれているカップ麺は日清食品のインスタント麺と辛い物を苦手にしないお国柄なので、韓国激辛麺、タイのトムヤムラーメンなどが陳列棚に並んでいる。 それと日本のオニギリが置かれていたし、買い求めている人を実際に見かけた。 列車はソロを9時定刻に出発。30分前に乗車した時には5割程度の乗客だったのが、出発時には立っている人もいた。途中から乗車した人で超満員、日本の朝の通勤ラッシュなみだ。 宿は5年前に泊まったホテル。レセプションの男性が私の顔を見るなり、前も泊まった事がある顔だ言われた。確かに私にも見覚えがある。彼は凄い記憶力だ。 私は1905年5月にプランバナン遺跡を見学しているので、S山さん一人で見学してもらった。私の当時のブログを貼り付けた。プランバナン遺跡を見学(クリックして下さい) 私は散髪に出かけた。散髪の前に値段を訊くと、日本円で80円、外国人だからといってボラない良心的な店だ。 散髪を終えて、ビールに地酒を探すが見つからない。やはり、モスクの近くではアルコールを探す事は出来なかった。 仕方ないので、ホテルの食堂で6万ルピア(480円)のビールを2本注文して夕食にした。もう少し地酒かウイスキーが欲しいところだが我慢する。まぁ、肝臓に良いと納得するしかない。 【ウィキペディア】をコピペ 寺院群のうち中心的存在であるプラバナン寺院は古マタラム王国のバリトゥン王(在位898年~910年)による建立と言われる。古マタラムの王宮もこのあたりにあったと考えられているが、伝染病が流行り10世紀ごろ遷都した。のちの1549年の地震で遺跡のほとんどが崩壊した。しばらく忘れ去られていたが、1937年から遺産の修復作業が行われている。プランバナン寺院群はヒンドゥー教の遺跡としてはインドネシア最大級で、仏教遺跡のボロブドゥール寺院遺跡群と共にジャワの建築の最高作の一つとされる。
2020.02.05
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2/4 番外編 私のブログは旅に出ている間だけ更新している。ここ数年はブログ更新がない時でも200〜250のアクセスがある。旅に出ている時には300〜400ほどのアクセスがある。 どうした事か、昨日2月3日にブログのアクセス数が788にもなった。 アクセス数が多い事は喜ばしいが、下手な事も書けない。といっても学がある訳でもないので気の利いた文章は無理だし、ありのままを書くしかない。 そのつもりでブログをご覧頂きたい。
2020.02.04
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2/3 マンクヌガラン王宮に 王宮の歴史を学びに来た高校生 私の左後ろが先生 帰りに部屋でレクチャーを受けている生徒に手を振り挨拶をすると 皆さん一同に手を振り返してくれる 先生苦笑いしていた! マンクヌガラン王宮 骨董市場 見る人が見れば宝物 必要にしない人にはガラクだ 昼飯は中華料理 やっとビールにありつけた カスナナン王宮 市場の様子 食料品はなんでも売っている S山さん インドネシアのSIMカードを入れてもらった 3.5Gでインターネットが一週間使える 17,500ルピア(150円) 路地を歩いていると写真を撮ってくれと頼まれて記念に一枚 晩飯 ビールを置いている食堂を見つけて ビールありの夕食だ ビール2本で10万ルピア ツマミが4万ルピア 私は東南アジアで使えるSIMカードをアマゾンて買い求めた 8日間 データ SIMカード AISアジア16カ国で使える SIM 2GB 8日間 4G・3Gデータ通信使い放題だいで860円 2日から使いだした ソロの街はそれほど見る所はないが、市場や「マンクヌガラ王宮」や「カスナン王宮」を見学して、市場などを巡った。 ソロはインドネシア・ジャワ島中部に位置してる。18世紀にこの地に栄えたマラタム王国の首都が置かれていた。ジャワ島中南部のジョグ・ジャカルタと並ぶジャワ島の古都。マラタム王国の王家は後に分裂してしまったため、ソロには「カスナナン王宮」と「マンクヌガラン王宮」という2つの王宮があった。それぞれがソロの観光スポットだ。 ソロまで来たら、バスで2時間かかるが、スクー寺院を見学するべきだが、私は5年前に訪れているのでS山さんには申し訳ないがパスした。 2015.05.07に旅したブログエロチックなスクー寺院(クリックして下さい) 話は逸れるが海外でSIMカードを使う方法を簡単に説明したい。 海外ではスマホを機内モードにする事で高額請求の心配はなくなる。 現地のSIMカードを挿せばいいのだが、「難しそう…」という理由で、海外旅行中に費用の高いWi-Fiをレンタルしたり、データローミングで高い通信費を払ったりするのはお金を捨てるに等しい。 まず、SIMフリーのスマートフォンが無いと話にならないが、あれば、海外に降り立ったらSIMカードを扱っている店に行き、スマートフォンを係に手渡して7日間でも10日間でも自分が滞在する日にちを知らせる。あとはLINEやメールチェックだけなら2Gで大丈夫だ。ユーチューブやゲームなどをする人は5Gでも10Gにすればいい。Gが大きいほど高くなる。 要するにスマートフォンを係の人に渡せばなんとかネットにつなげてくれる。 ただ面倒なのは、2Gを使い切った時にはコンビニやSIMを扱っている店でチージするのだが、これも定員の方に教えてもらえる。当然、店員さんは日本語は理解しないので、現地語に設定する必要があるので、「設定」⇒「Language」⇒「現地語」この設定方法は覚えるしかない。この逆も設定出来る様にしておきたい。 もう一つ、アマゾンで海外で使えるSIMカード買い求める事だ。 私が買い求めた写真のSIMカードは便利だ。16ヶ国で使える。説明書付きなので、それに沿って設定すればいい。 翻訳機にもなり、マップも見られ調べものもお手の物だ。スマートフォンを持って海外旅行、何とも便利な世の中になったものだ!
2020.02.04
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2/2 ソロのバスステーションから ベチャに乗りホテルに行く 街の様子 前に人を乗せて後ろでペタルをこぐベチャは庶民の足だ ソロの街の様子 日曜日なのか人は少ない 商店も多くが閉まっている 活気が感じられない ロンボク空港 ロンボク空港 LION航空機(格安航空会社)が多い 我々もLION航空でスラバヤに向う 私が食べたカレー風おじや 激辛だ! スラバヤからソロまでのバスチケットには昼飯が付いていた 料理が分からないでいると 写真右のメガネの女性が助け舟を出しくれた 片言の英語でもなんとかなる 台北でもバリ島でも何か分からない事を訊くと親切に教えてくれるので助かる 本日から2泊するホテル 今朝は5時に起きる。シャワーを浴び旅の荷物を整理して、6時に朝食を食べて、ロンボク空港に向かう。 ここは国際空港、ウイスキーを探すが、イスラムの国なので置いていない。国際線と国内線の搭乗口は別なので、当然といえば当然だ。 飛行機は8時35分定刻に飛び立った。インドネシアはジャカルタとバリ島では1時間の時差があり、スラバヤ空港到着時刻は8時30分、5分時間が戻った、不思議な感じがする。 スラバヤからソロまでの移動手段はバスか電車だ。電車にするつもりで、タクシー乗り場で調べると駅まで15万ルピアだ。だが、必ず市内に向う公共バスがあるはずだ。空港にタムロするタクシーの運ちゃんを振り切って、バスを探す。バス案内があったので訊ねると、空港からは市内のバスステーションまでしか行かないので、駅に行くには乗り換えが必要だ。時間も無駄だし、運賃も余分にかかる。ちなみにバス運賃は25,000ルピア。そのままバスステーションで乗換えればソロまで行けるはずだと、竹ちゃんはひらめいたのだ。正解だった。15分後にバスはソロに向かって出発した。 車窓からは田んぼで手植えしているが見える。日本では機械で苗を植え機械で刈り取るので久々に見ることが出来て懐かしい。 ソロのバスステーションには16時に到着。 直ぐにタクシーの運ちゃんのが群がってくるが、目星をつけた宿まで3kなのでベチャにする。5万ルピアを4万ルピアに値切って乗った。 ★1万ルピアは約80円 さて、日曜日のせいもあるがレストランも街の商店も閉まっている所が多いし、人通りも少ない。 ビールが飲めて食事をする所を探すが見つからない。小1時間探したが駄目だった。 1日の仕事が終わってやはり一杯やりたい。残念、本日はアルコールなしだ。
2020.02.03
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2/1 今日は竹ちゃん調子が良い ロンボク島には小さな島がたくさんある 今日チャーターした舟は渡し船 日本語学校で日本語を学んでいる22歳の若者 我々を車で1時間かけてここまで連れてきてくれた 2月に試験があり 合格すれば日本で3年か「外国人技能実習制度」の実習生として広島の牡蠣工場に行く予定だ 釣りのポイントに向う 大物は釣れなかったがまずまずの釣果 船から周りの様子 水は綺麗なのでダイバーやスノーケリングをしている人がたくさんいる 昼飯 海水浴やダイバーが潜る島にはレストランがある 観光客値段で高い! 夕方5時に港に戻って来た 宿の奥さんに釣った魚を煮付けにしてもらった 毎日バケツをひっくり返したみたいな激しい雨が降る 本日も船をチャーターして釣に出かけた。 宿を9時近くに出発したので、船が出る港には10時過ぎに到着。 宿の奥さんが釣りの出来る船の手配をしてくれた。舟は島と島を行き来する渡し船で、ダイバーが潜っている場所では、ダイバーに釣り針を引っ掛けるので釣りは出来ない。 1時間くらい釣りをするが釣果無し。 空が暗くなって来たので、急ぎ小島に船をつけて、昼飯タイムにする。レストランに入ったら激しい雨が降り出した。舟は屋根付きだが、この激しい雨ではビショ濡れになるところだった。 ロンボク島1日目も宿で、急に空が真っ暗になり突風と激しい雨が降った。 毎晩、強い風が吹き、たたきつけるような激しい雨に見舞われる。インドネシアの雨季を実感する。 明日はスラバヤに飛んで、列車やバスで移動してボロブドゥールを見学してジャカルタを目指す。
2020.02.02
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1/31 レッサ ホームステイ(Ressa Homestay) の日本人の奥さん レッサホームステイ(クリックして下さい)日本人の奥さんと、インドネシア人の旦那さんが経営している、とても温かい宿です。一泊1,000円ほどで泊まれる 今回は釣り船の手配を親切に手配してもらった 直接yahooメールで予約出来る 相談事にも親切にアドバイスしてもらえる 眉毛?ハの字の可愛いネコにも会えますよ! 釣り船をチャーターして釣りをした 大物は釣れなかったが そこここの釣果だ 昼食 リゾートホテルが並ぶエリアなので街中の食堂の5倍はした でも少しは水着姿のスタイルの良い女性がいたので目の保養になった S山さんが釣った魚をさばく カワハギの刺し身に唐揚げ 鮮度が良いので旨い! 晩飯はカニ、貝蒸し イカの串焼き 宿の奥さんと小学生の息子さん 昨日、宿の奥さんがあちこちに電話で釣り船の手配をしてくれて、S山さんの希望にあった船が見つかった。普段はダイバーを案内する船で、今日は空きがあったのでお願い出来た。 インドネシア・ロンボク島には乾季と雨季の二つがあり、 5~9月が乾季で10〜4月が雨季だ。雨季で観光客は少ないのは少ないが、ロンボク島で2018年3月に地震が発生して観光客が激減し、更に追い打ちをかけるように2019年7月と8月にも大きな地震が複数回あり、観光客も何人か亡くなっている。その影響もあリ訪れる人は少ないそうだ。 S山さんがさばいたカワハギの刺し身は、コリコリしてとても美味い。奥さんに唐揚げしてもらった魚も美味い。 釣った魚で一杯やるのは贅沢だ。釣り船代を考えたら、買ったほうが良いに決まっているが、自分たちで釣った魚を食べる醍醐味には代えがたい。
2020.02.01
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1/30 海鮮バーベキューで働く女性に写真を一緒に撮ってほしいと言われたので記念に一枚 ホテルのオーナー ホテルの朝飯 ロンボク島に向かう高速フェリー ロンボク島に向かうフェリーは 2つの島で停泊した 乗り降りする観光客で一杯だ 宿で出前を頼んで昼食にする 炒飯に鶏の揚げ物 海鮮バーベキュー屋で魚を焼いてもらいテークアウトする 晩飯は羊肉と鶏肉の焼鳥 ビールにヤシ酒と焼酎(米) 宿のネコ 眉毛がハの字になっている ここの子供がイタズラでマジックで書いたのかと思ったが 生まれつきだそうだ 昨日、宿のオーナー(女性)にロンボク島の宿の住所と地図を見せて、宿から船着場までのバス、フェリー、ロンボク島の船着場から宿までのバスを手配したつもりだったが、ロンボク島で下船したがその先のバスは手配出来ていなかったのだ。全て込みで25万ルピアとばっかり思っていた。 しかし、ロンボク島の宿で事情を話すとバスと高速船で25万ルピアは悪い値段ではないそうだし、宿までのタクシー代15万ルピアも妥当な値段との事だ。高速船でなくフェリーだと夕方の6時頃宿に到着する。なりよりも早く宿に到着出来たので結果オーライだ。 バリ島の東隣、高速船で2時間弱、飛行機なら30分弱でロンボク島に来れる。今現在観光開発が急ピッチで進んでいるそうだ。ビーチから美しい滝が点在するロンボク島に観光客がたくさん訪れている。確かにうなずける、高速船が途中2つの島に入港すると観光客であふれていた。 島の大きさは、種子島より少し大きい。インドネシアで3番目に高いリンジャニ山やアグン山があり登山も出来る。やはり、サーフィンやビーチで海水浴が魅力だと思う。活火山があるので温泉も楽しめる。興味をそそる観光スポットが目白押しだ。 明日は天気が良ければ釣りだ。
2020.01.31
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1/29 初めは庭の広場で舞踊を鑑賞 20分もすると激しい雨が降る 一旦中止される ウブド王宮で伝統舞踊ショーを鑑賞 女性の細やかな手の動きが美しい バリ文化ならではの舞踊は必見だ! クタからウブドまでタクシーで 1時間15分の移動 41万ルピア(3,700円) ホテルの部屋からの中庭 プールもある ダブルベッド 広いので二人で寝るしかない バスタブ付きだ 街を歩けばバリ独特な建築物に会える ウブド王宮内部 ウブドのマーケット 民芸品を買い求める観光客 昼飯 サテ(焼鳥)焼き魚にビール ウブドの見所は古代寺院、壮大な王宮、緑豊かな丘陵や棚田などの散策などだが、「ウブド王宮の舞踊鑑賞」に的を絞り、舞踊鑑賞までの時間は市場や街中をぶらぶらする。お土産を扱う市場は観光客で大変な混雑だ。 19時30分から舞踊が始まったが、20分もすると激しい雨が降り中断され、野外から屋根付の建物に移って再開された。 この舞踊は本来、19世紀に王宮での儀式のために踊られていた。きらびやかな伝統衣装を身にまとった女性たちが、楽器に合わせて踊る様子は圧巻で、特に目の動きと細やかな手の動きが特徴的だ。 【ウィキペディア】を要約する ウブド(Ubud)は、インドネシア共和国バリ州ギャニャール県ウブド郡の村。ウブド郡の中心であり、ガムラン音楽、バリ舞踊、バリ絵画など、芸術の村として知られ、観光の盛んな村である。地名の由来は薬草(現地語でウバド:Ubad)が訛ったものと言われている。 一般に、ウブドというと、ウブド郡に含まれる近隣の村を含めて指すことが多い。すなわち、東隣のプリアタン村、南隣のマス村、西隣のサヤン村、さらにその北隣のクデワタン村である。また、少し離れた北には棚田で有名なテガララン郡テガラランもあり、それら観光の中心地となっている。 村の中心部はウブド村寺院とその向かいのマーケットの付近であり、その間を東西に伸びるラヤ・ウブド通りと南にまっすぐのびるモンキーフォレスト通りが中心街。モンキーフォレスト通りを突き当たったところにモンキーフォレストと呼ばれる、自然保護区があり、多くの猿が生息している。 ウブドはバリらしさがあふれる街で、文化的スポットの宝庫。世界的に著名な職人やコレクターが仕事のために訪れる。ウブドは特にその傾向が顕著で、伝統的な建築物が守られ、バリ独特の文化を外国人に向けて発信している。
2020.01.30
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1/28 マニラ空港からバリ島に向う飛行機の中 ほとんどの人がマスクをしている ラッキーな事に3人座れる席に私だけ 横になって寝れた あとの席は満席状態だ マニラ空港で遅い昼食を食べる 当然 ビールを飲む 空港内の食事は高くて美味しくない 台北空港で 本日のホテルのレセプション クタはバリ最大の観光地 世界中からサーファーが集まる その中で4,000円そこそこのホテルは設備もよく コストパフォーマンスが良い 遅い晩飯(深夜食事) 朝のホテルの様子 プールもある 本日は5時起き、龍山寺駅から台北駅まで行き空港行きの電車に乗り継ぐ。乗り継ぐのに20分も歩く。台北駅の地下街は規模が半端ない。あらゆる方面に行き来するMRT(都市鉄道)が集まり、乗り継ぐのに距離がある。 台北市内から空港までは快速で35分。航空券は自動機で発券して、朝飯を食べたのだが、S山さんはスパイシーなうどん、私は海鮮汁とご飯、これがとんでもない不味さで、お湯に辛味のタレを入れただけで味もない。食べて損した。 マニラ空港までは3時間、乗り継ぎ時間6時間ある。マニラ市内まで行って帰るだけになるので空港内で過ごす。 次にバリ島に降り立ったのは0時30分。予約したホテルまでタクシーしかない。バリ島の白タクはボッタクリ運ちゃんで有名なので、タクシー案内で行き先を言って値段を決めてから乗り込んだ。 ホテルに荷を置き、食事に出かけたが深夜のなかレストランを探しをしたが、街の様子も分からないので、コンビニでビールにツマミにカップ麺を買い、部屋で食べる。
2020.01.29
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1/27 高くて美味いのは当たり前だが 手頃な値段で美味い物に巡り会ったときには 心底嬉しい 「盛園」の小籠包は台北の有名店よりも安くて旨いのだ S山さんも目を真ん丸にするほどの料理だったようだ 龍山寺 中国の春節でお参りの人で一杯だ 龍山寺前で記念に一枚 ホテルの朝飯 結構な品数だ 「華西街観光夜市」龍山寺から近い夜市 まだ昼前なので賑わっていないが 夕方から 観光客でごった返す 「盛園」を知ったのは十何年も前になる。台北の「ジュンク堂書店」に研修旅行に訪れた際に、ジュンク堂でバイトをしていた女性のお母さんが店長をしていた店が「盛園」で、紹介してもらいお任せで頼んだ料理が半端なく美味しくて、ビールに酒を飲んでも一人1000円そこそこの値段に驚いたものだ。その当時は地元の人しか訪れない店だったのが、ガイドブックにも掲載されるようになってから日本人観光客が増えているようだ。今日も何組かの日本人客が料理に舌鼓を打っていた。 夜の「華西街観光夜市」 晩飯は鴨鍋 S山さんと一緒の旅行は 贅沢な食事になるので 体重増加になる
2020.01.28
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1/26 美味い食物を目当てに台湾を訪れる観光客も多いが、「臭豆腐」を好んで食べている人は見かけない。字面からしても「臭い豆腐」いかにも臭そうだ。歩いていて突然異臭・ウンコ臭い・アンモニア臭を感じて、見回すと臭豆腐の屋台があるのだ。でも、地元の人は皆さん美味しそうに食べている。 確かに観光客で混んでいる「士林夜市」「華西街観光夜市」では隅っこに隠れるように営業していた気がする。こここの夜市は規模が小さいが4〜5店もの「臭豆腐」店があり、地元の人で賑わっていた。 台北のリー ハン ホテル (立瀚會館)に荷物を置いて、地元の人で賑わう「寧夏路夜市」(ニンシャー・イエスー)へと繰り出した。ここの夜市は観光客が少なく、海鮮料理を食べさす屋台が多い。規模は小さいが地元の人で大変な混雑だ。 牡蠣を小麦粉と卵でとじてある、もんじゃ焼き風。長蛇の列、人気店のようだ。 魯肉飯(豚の脂身のそぼろ飯)に魚のつみれ汁。安くて旨い! 夜市で食べ歩きのコツは、2〜3人で一品を注文して何品か食べ歩くのがいい。
2020.01.27
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1/25 昨年に山岳会の先輩S山さんからインドネシアに行こうと誘われた。彼はインドネシアは初めてだし目的は釣りだ。私は釣りはどうでもいいのだが、毎年正月過ぎには東南アジアに避寒の旅に二週間ほど出かけているので話に乗った。私はインドネシアは2回目だが、バリ島の隣の「ロンボク島」は初めてだ。 ネットで「ロンボク島で釣り」と検索したら、日本から釣り好きが訪れる島だと紹介されていた。大物が釣れるそうだ。 今回は、1/26〜2/10までの16日間の日程で、成田⇒台北⇒バリ島〜ロンボク島⇒スラバヤ〜ジョグジャカルタ〜ボロブドゥール〜ジャカルタ⇒バンコク⇒成田と格安航空券を予約した。(⇒の区間は飛行機) ちなみに航空券は48,000円ほどだ。 ザックに荷物を詰めて計量したら4kgだ。 持物は、パスポート、航空券、クレジットカード、現金(日本円・ドル・タイ・バーツ)、洗面具、パンツ2、靴下2、長袖シャツ1、半袖2、短パン2、スマートフォン、充電器、これだけで16日間旅する。 もちろん、家を出る時はダウンジャケットにジーパンで、ダウンジャケットの下にはTシャツとランニング用の長袖を着る。 下着類は毎日シャワーの時に洗えばいいので2日分もあれば十分だ。 今回はマスクを5枚持って行く。中国の武漢を中心に新型のコロナウイルスによる肺炎が相次いでいるので、人混みの多い所ではマスクする。中国は春節で何億も人が移動する。特に飛行機の中は要注意だ。 明日の夕方には台北に到着する。屋台の「臭豆腐」で一杯やるのが楽しみだ。
2020.01.25
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10/24 ラオス・ルアパアパーン 早朝の托鉢の様子 24日早朝の機内から雲海を望む バンコク駅フォアランポーで無料の散髪をしてもらった キャッシュカードが飲み込まれた アユタヤで遺跡巡り 今回は宿代を浮かすためにドミトリーに宿泊した 500円〜700円 ラオスの焼酎(120円)と生ハム(50円) タイ国軍の車で駅まで送ってもらう ベトナム・サパの街 少数民族の女性 バンコクを24時出発したLCC航空のエアアジア、機内放送が出発から3時間30分ほどで流れ、あまりの大音量で目が覚める。 電灯が点され、ネットで朝食を注文した人に配られている。それから30分もすると機内販売が始まった。免税販売だがカタログを見る限り高く、欲しい物が無さそうだが何人かの乗客は買い求めている。よく分からないが、機内でしか買えない物があるのだろう。 成田空港には定刻の8時に到着した。 腹が空いていたので、コンビニでおにぎり2個と缶ビールを買い求めて、指定券のいらない特急列車に乗り込む。 今回の3カ国で掛かったお金は83,000円ほどだった。 大雑把に 飛行機代23,000円 宿泊代 18,000円 バス代他12,000円 食事代 20,000円 格安に旅をするためには、航空券と宿泊代をいかに安くするかだ。 飛行機の座席と座席の幅が狭いと言う人もいるが、一昔まえの飛行機に比べたら現在のLCCの座席は広いほうだ。機内食も水も有料だが、割り切ってビールでも水でも食事でも買い求めればいい。 ホテルについても、幸いにも私は隣にイビキの凄い人がいても眠れるので、ベットとトイレがあれば安宿で構わない。ドミトリーは日本の山小屋(現在は違うが)に比べれば快適なのだ。 今年は、6ヶ月間も旅をした。私のブログを観てくれれば、お金をかけずに旅している事がわかって頂けると思う。 今回もたくさんの方々に下手なブログをご覧頂き有難うございました。 次回は未定ですが、北欧を旅したいと思っています。(来年の3月から4か月?) 今年の旅は下記の通り、 1月『ミャンマー最南端からヤンゴンを目指す旅も(クリックして下さい) 日本縦断ー徒歩と野宿旅(クリックして下さい)
2019.10.25
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10/23 バンコク最後の夜は ここの店でタイスキ鍋を食べる この彼女も古くからいる 何年も前に探したした店 海鮮料理が美味い 私はここではタイスキ鍋しか食べた事がない ビール2本飲んで380バーツ(1300円) 遅い昼飯 牛肉と青菜炒め バンコク中央駅 フォアランポー駅前 これから地方に向う列車を待つ人たち 右側が現在のタイのラマ10世・ワチラロンコン国王 左がラマ5 世 バンコクセンターホテルのドアーマンのスカムさん 30年も前からの知り合い チョット寄って挨拶をした 地下鉄のフォアランポー駅 ひと月の旅も今晩で最後となる。ここ数年はバンコク最後の締めに、タイスキ鍋を食べている。 タイスキ鍋を食べる2015年(クリックして下さい)には、写真の女性に具材をすべて一回に鍋にぶち込まれた苦い経験がある。 タイスキ鍋を食べる2016年(クリックして下さい)は、勉強したというか前年の反省をいかして、十分に鍋を堪能した。 今回は、先手を打って彼女に前のブログの写真を見せた。ニコニコ顔でタイ語で話かけられるが理解出来ない。そばにいた従業員に何か言われている。からかわれたのだろうゲラゲラ笑っている。さすがに鍋にいっぺんに具材は放り込まないが、スープが減ると注ぎ足したり、ビールはもう要らないかと、いろいろと世話を焼いてくれる。 4年、5年前には気の利かない女性だと思っていたが、写真の効果なんだろう愛想が良かった。 日本の蒸気機関車? フォアランポー駅に到着した 私が座っている前に座った 僧侶 エアアジアカウンター 混雑している バンコク23時55分発、成田空港8時到着予定だ。
2019.10.24
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10/22 MBKセンター ショッピングモール スマートフォン売場 朝飯 ご飯に青菜炒め、鶏臓物煮35バーツ(130円) 赤いのが赤唐辛子、激辛だが旨かった! MBKまでバスで向う 冷房無し8バーツ 冷房有りが14バーツ 走っている時は風が入るので良いが、渋滞時には車内は暑い MBKは買物客で大変な混雑だ 昼飯はかた焼きそばとビール 衛生的とは言えない路地裏の屋台 ドリアン300バーツ(1,100円)安い果物ではない チャイナタウンの超人気店の屋台 地元の人も 海外の旅行者も海鮮焼きを食べている タイスキ鍋の「テキサス」ここも有名店だ 今晩は貝炒め、カブの煮物で晩酌した タイの屋台はアルコールは持込みOKだ ただしビールだめ MBKのスマートフォン売り場を歩いていると、インド系の店員に『チョウ スーパー ニセモノ』と言って、最新iPhone 11を見せられる。定価は27,700バーツ(10万円)だが、電卓で6,500バーツと打ち込んだ。暇なので手に取り日本語に設定していじっていると、5,000バーツと下げてくる。機種には問題無さそうだが、初めから買う気がない。『サンキー』と言って立ち去ろうとすると、電卓に3,500バーツと打ち込んだのだ。何と12,500円だ、買う気があるなら値切って1万円で買う事が出来るだろう。店員は『シャチヨサン ヤスイヨ』『ヤスイヨ』と言っているが、頭と手を横に振り立去る。 MBKセンターまたはマーブンクロンセンターは、タイのバンコクの巨大ショッピングモールとして1985年開業した。地上8階建、売場面積89000平方メートルあり当時はアジア最大のショッピングモールだった。 “安い”ことで人気のショッピングスポットで、グルメやお土産店が約2500店はもあり、いつも観光客で混雑している。ただし、スマートフォンは偽物も多いので、MBKの直営店で買う事だ。
2019.10.23
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10/21 フォアランポー駅構内で無料で散髪してもらう 駅構内のホームで無料の散髪店 チャイナタウンには歴史を感じさせる建物がたくさんある フォアランポー駅構内 フォアランポー駅から繁華街にバスで向う 繁華街にある伊勢丹 紀伊國屋書店 東京でもよく見かける有名店が伊勢丹には入っている ここ数年日本の飲食店は増えているようだ 伊勢丹で買った 昼飯は果物 夜のチャイナタウン 食事目的の観光客が大勢繰り出している フカヒレ 小2,000バーツから大7,000バーツ 6,500円〜24,000円 これは大人数で食べる 1人で注文する時には300バーツ(1,000円)で食べられる ここの店は何を食べても美味しい! 私一人では入りませんが 友達と何回か食べた事がある なまこ 伊勢海老 こんがり焼けた北京ダック 『和成豊』バンコクに来られたらぜひ食べて下さい チャイナタウンの様子 ツバメの巣 蟹 おばけシャコ 子豚? どれも美味そうだ 今晩の晩酌 チャイナタウンから一本裏通り おかず3品とビール 450円 ホテルの前の屋台で焼きそばを食べる 140円 タダ、無料にはめっぽう弱い。フォアランポー駅で写真を撮っていると、30人もの人が散髪している。近づいて写真撮影をしていると、ジェシチャーで髪を切る仕草をする女性から声をかけられた。それも無料だと言う。これも国際交流、ともあれ何事も経験だ。私を散髪してくれた女性は元小学校の先生で、散髪を習ってボランティア活動している。日本の1,000円散髪よりも丁寧な仕事をしてくれた。日本だったら10分足らずで終了するが倍もの時間をかけて散髪してくれた。
2019.10.22
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10/20 昼のチャイナタウン 本日もシーク教寺院でタダ飯を食べる チャパティ ほうれん草カレー ひよこ豆カレー ヨーグルト 大根こ漬物 シーク教寺院の周辺はインド街 本日から3泊する6人ドミトリー 3泊で1,660円 昼飯兼晩飯 鶏肉に人参、大根、トウモロコシを煮込んだスープ チャイナタウンの様子 本日は、ネットで予約したホテルに移動する。ホテルはチャイナタウンにあるので、ホテルから歩き、途中にシーク教寺院で無料の食事を食べた。 チャイナタウンは、観光客の定番の観光スポット。一昔前にはこの界隈はバックパッカーが宿泊に利用した安宿『ジェライホテル』(閉館)があり、中国語の看板が並ぶ町並みが日本人に好かれたのだ。パワフルな華人たちに圧倒され、人でごった返す市場など見て回れば飽きる事はない。何よりも飯が美味い! 中華料理店が多いので、本場の料理を食べられる。私は食べませんがフカヒレ料理なども日本の五分の一ほどで食べられるのもチャイナタウンの魅力と言える。安くてうまいローカルな食堂は病みつきになる。 今回宿泊する周りには立ちんぼがいる。女性たちが白昼堂々と売春を持ち掛けて来るのだ。50歳、60歳、それ以上でとてもその気にならないルックスと中年太りの女性たちだ。 ここには、そんな猥雑さもある。 私の名誉のためにも言っておきますが、今まで経験した事はありませんので。 相馬さん40号室前のロッカーはそのまま残っていますよ。安心して下さい。
2019.10.21
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10/19 無料カレー チャパティ ご飯にカレーを少しかけた 白いのはご飯にミルクで煮てある甘い 大根ピリから漬物 豆カレー バンコク郊外にあるシーク教寺院入口 一階エントランスエリア 履物預け所 3階の大広間 頭に黄色い巻物をしている 皿を受け取り 好きなだけ盛りつける 座ってカレーを頂く 水とミルクティー置場 係の女性が注いで くれる シーク教寺院通りの市場 インド人が多い リスに餌をやっている 民主記念塔 立派な寺院 今年の1月にPCゲストハウスで一緒になった人と、シーク教寺院の無料カレーを食べに行った。うろ覚えだがグーグルマップで調べて、シーク教寺院に行き本場のインドカレーを食べて来た。 宗教や人種に関係なく毎朝8時~10:30(日曜8:30 ~11時まで食べられる。 何とかグーグルマップで目的のシーク教寺院にたどり着く。 1階エントランスエリアの靴預けコーナーで靴を預け番号札をもらう。朝食を食べるには頭に巻物をして、3階に上がると大きな広間に配膳台があってそこでお皿を受け取って、自分で好きなだけ盛って座って食べる。メニューは豆カレーに米が入ったミルクのデザートにピリ辛の大根の漬け物、ご飯とチャパティ、飲み物は水、チャイ(ミルクティー)。 カレーは全く辛くないのにスパイスによるコクが出て美味かった。さすが本場のカレーだ! 水とチャイは係りの女性が注ぎに来てくれる。 食事を終えてチャイを飲んでいると、隣の人が私の皿を片付けてくれた。周りを見ているとあちこちで他の食べ終わった人のお皿を一緒に片付けている。 皆さんとても親切で食事も美味しく、タイで本場のベジタリアンインドカレーが食べられるシーク教寺院は、異文化を知る事が出来るので、機会があったら是非経験してほしい。 ネットで調べた事を要約すると、シーク教とは、ヒンズーから派生した宗教の一つ。ヒンズー教とイスラム神秘主義とを習合視し、偶像崇拝を禁止、唯一永遠なる神の信仰を説き、階級・人種差別を認めない。インドではヒンドゥー教徒に比べて少数派だが、富裕層が多く社会的に活躍する人が多い。ターバン着用が戒律上の義務で、インド陸軍の軍装では軍帽に代わる「制式ターバン」が定められている。またイギリスでは、オートバイ運転時、ヘルメットを免除されているそうだ。
2019.10.20
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10/18 アユタヤからバンコクまでの列車で一緒になった母娘 右側が母親 シューズの一部が剥がれたので 修理してもらった 朝早いのに次から次と客が来る 渡し船でアユタヤ駅に向う 列車は35分遅れてアユタヤ駅に到着した 私にジュースやお菓子を勧めてくれたが 遠慮した バンコクの中央駅 フォアランポー駅 駅前の屋台でビールと鶏飯を食べる カオサンまで4Kmほど歩いた 途中の寺院 昼のカオサン通り まだ賑わっていない 2泊するゲストハウス 相当くたびれたゲストハウスだ 今年の1月にも泊まった トクさんのブログで知ったゲストハウスだ 宿代は150バーツ(530円) トイレは手動ウォシュレット 水をお尻にかけて洗う ゲストハウスの壁にトクさんの写真が今も飾られている 亡くなって1年以上経っている 昼と打って変わって夜のカオサン通りは一変する 世界各国からの観光客で溢れている 部屋飲み ホテルで朝飯を食べて、デポジットの200バーツを受取り、アユタヤ駅に向う。 時間も9時過ぎなので渡し船は私一人の貸し切り状態だ。5バーツで得した気持ちだ。 ホームと列車の乗り口は、日本と違って高低差があるので、子供や体の不自由な方は苦労して乗車しなければならない。 私は進行方向の窓際に座ったら、母娘3人が後からやって来た。とても良い母娘で、片言の英語でアユタヤからバンコクまで話をした。私はユーチューブで富士山、京都、舞妓さん、ニセコアンヌプリのスキー場などを見せてあげた。3人とも目を輝かせて見詰めていた。 昼にフォアランポー駅前の行き付けの屋台で鶏飯を食べたが、飯が美味しくない。米が不味いのだ。それでもビールで流し込み完食はした。片言の日本語が出来る料理人はいない。辞めたのかは分からないが、ビール大瓶85バーツもした。今年の1月は65バーツだったのに、20バーツも値上げしている。 帰りも寄ってみて、前の料理人がいるか確かめたい。 日本人もよく宿泊する「PCゲストハウス」、本日は日本人客はいない。日本が寒くなる12月〜2月には塾年バックパッカーが宿泊するはずだ。 トクさん(クリックして下さい)
2019.10.19
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10/17 ワット・プララーム 像に乗って遺跡巡り なかなか絵になりますね 像は水を飲んでいる 寺院名はわからない ワット・プラ・シーサンペット ウィハーン・プラ・モンコン・ボービット ワット・プララーム ワット・マハータート 傾いている塔もある ワット・マハータート 6ケ所の遺跡を見学した 何回も見学しているので外から見学して写真撮影した ホテルの朝飯 コーヒーとトーストにバナナ 昼飯に汁麺 鶏の臓物がたくさん入っている 遺跡エリアは川を上手く利用したお堀になっている 高校の前に屋台が並んでいる バイクは学生のバイクだ 市場の様子 昔の話になるが 日本人を見ると「アジノモト」「トモダチ「ホンダ」とよく言われたものだ 市場の奥でゲームをしている 微笑ましい 『プラクルアン』 仏像や高僧などをかたどったタイのお守り ペンダントとして肌身はなさず首から下げている 高いものは何百万円する物もあるそうだ 街を歩いてたら リス発見 ホテルでスペイン、ドイツ、イギリスの若者とビールを飲んで国際交流 気さくな若者たちだ 彼らも節約旅だ ビールはセブンイレブンで購入 アユタヤの気候は1年を通して日差しが強く気温は30℃を超えて、高温多湿だ。 日差しを避けて歩いていても、肌にまとわりつく生暖かい空気がサウナ風呂状態で汗だくになる。本日は35℃あった。 【ウィキペディア】を要約する アユタヤ王朝(1351年 - 1767年)は現タイの中部アユタヤを中心に展開したタイ族による王朝。 中国とインド、ヨーロッパ方面を結ぶ中間に位置する地の利を生かし、貿易が国の富として重要であった。独占的な貿易が行われた。主に中国への米の輸出で国力を付けたほか、日本、琉球などの東アジア国家、東南アジア島嶼部、アラブ・ペルシア方面や西洋と活発に貿易を行い、莫大な富を蓄えた。この富を背景にアユタヤでは当時繁栄していたクメール文化を吸収しつつ、中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの文化の影響を受けた独自の華やかな文化が開花した。 明日は列車でバンコクに行き、カオサンの安宿に2泊しする。
2019.10.18
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10/16 ATMの機械にカードが飲み込まれてしまった! 早朝のアユタヤ駅前で 托鉢僧が若者から喜捨を受けている 早朝のアユタヤ駅前の様子 アユタヤ駅から遺跡エリアには渡し船で渡る 遺跡エリアの船着場で釣りをしている 大物が釣れている 船着場からすぐの市場 ナマズの頭を叩いて気絶させている いろいろな惣菜 ビニール袋に入れてテークアウトする 焼きトウモロコシ 美味そうだ! アユタヤーの遺跡を走るトゥクトゥクは昔懐かしいミゼット型だ アユタヤは少し歩けば遺跡だらけだ 散歩するだけで遺跡を見学出来る 本日から2泊するホテル 6人部屋のドミトリー 一泊750円 朝飯付 14世紀半ばに建国され、ビルマ軍の侵攻によって滅びるまで417年間も興隆を極めたアユタヤ王朝の遺跡の町にやって来た。 アユタヤは私の好きな町で、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた仏教遺跡がたくさん残っている。 アユタヤ駅から遺跡エリアへは、100mほど行った所に流れている川を渡る必要がある。渡し船はひっきりなしに行き来していて、待ち時間はわずかだ。渡し賃も20円もしない。 さて、本日は困った事が起きた。何十年も海外旅行して初めてATMの機械にカードが飲み込まれてしまった。書籍や人伝えには聞いた事があるが、まさか私が経験するとは思ってもいなかった。ATMの機械にカードを入れて、お金は引き出され、明細書も出てきたのだが、カードの先が少し出かかっているが、戻らない。30秒もすると機械に飲み込まれてしまった。幸いにもセブンイレブンの入口の機械だったので、店員さんに事情を話したら、ATM機械の会社に電話してくれた。 しかし、私は電話を代わったが英語だ。自慢ではないが話せない。初めは何を言っているのか解らない。 『*^%$#@!%$$*$#%&^#@!』英語が早すぎる。 「アイキャンノット イングリッシュ」「プリーズ スローリスローリ」 『*&^$@&アナタハ カードカイシヤニ コンタクト プリーズ%%#!**&@』 『$@^&^$&ユーカードヲ ストップ&^%』 辛うじて単語を拾い聞きし、何とか理解出来た。言葉が出来ないとは苦労する。 それでも、貴方は日本のカード会社に電話して、カードの停止手続きをしろと指示されたのだ。 スマホでSkypeを使ってMasterCard会社に電話して、事情を話しカードを停止して、新たに発行してもらう手続きをした。慣れない事でドット疲れが出た。 後でネットで調べたら、機械に飲み込まれたカードは粉砕されようになっているそうだ。これで一安心だ。 いずれにしても、すぐにカード会社に連絡する事が大切だね。
2019.10.17
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