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カトマンドゥ市内の水くみ場 古いブログを楽天ブログに移している最中だ。あと数回お付き合い頂きたい。 長かった自粛要請もやっと緩和される。東京都は、12日午前0時に「東京アラート」を解除し、緩和の段階を「ステップ3」に進めた。今月19日からは接待を伴う飲食店やライブハウスも営業を再開できるそうだ。これで全面的に解除されることになるが、本当に大丈夫だろうか。 他県をまたぐ人の移動も6月19日以降は解禁される。しかし、海外渡航はまだ暫く無理のようだ。 それにしても正月の食べ過ぎに、コロナの影響でジョギングもやめていたので運動不足で4キロほど体重が増えた。来週からは梅雨の合間をみて軽いジョギングから始めて、近場の山に出掛けるつもりだ。 2013年4月15日月曜日 ーブータンの旅程と予算ー パスポート 40ページ増やした 楽天銀行カード 自分の口座から旅先で現地の金を引き出す 本日 23:55発エアアジアEチケット 私のパスポートは10年間有効だが、入出国のスタンプやVISAを貼るページがいっぱいになってしまい、空白ページを40ページ足した。1冊につき1回だけ増やすことができ、料金は2500円だった。 今回の旅程と予算は 4月15日 羽田→クアラルンプール 4月16日 乗継でカトマンズ 4月18日~22日 ブータン 4月24日~29日 マナスル・トレッキング 5月4日~6日 アンコルワット 5月7日~9日 バンコク市内、水上マーケット、アユタヤ 5月10日 バンコク→クアラルンプール 乗継で羽田 ☆二人分 航空券代 羽田→クアラルンプール 32300円 クアラルンプール→カトマンドゥ17989円 カトマンドゥ→バンコク 21120円 バンコク→クアラルンプール→羽田 29450円 *今回は、前列の座席を指定した。 ブータンツアー代 169,506円 ホテル代 29,008円 合計 (ここまで支払い済み) 299,373円 この他に、マナスルトレッキング代とアンコルワット見学代が約5万円は必要なので、トータルで35万円ほどになる。一人当たり17.5万円。 「某旅行社」の4月28日出発の『ブータン8日間ツアー』代金は38万円+燃油サーチャージ代3万円でトータル42万円(一人分)だ。 我々は42日間の予定で、ブータンツアー、ヒマラヤでトレッキングして、アンコルワット見学、さらにバンコクの見どころを観光して17.5万円ほどの予算だ。他には食事代と酒代が必要だ。 今回は、先輩に前列の座席を確保しろと言われたので、それぞれ3000~4000円の追加料金を払い前列の座席を指定した。これで飛行機の中ではゆったりと出来る。もちろん、料金は先輩持ちだ。 ブログの更新は、ネパールもブータンも電気事情は良くないので、毎日更新出来ないと思う。 2013年4月18日木曜日 ーネワール族の古都ー 座席指定したので 足が伸ばせてらくちん エアアジアに乗込む客 機内でカップラーメン 180円 カトマンドゥ市内から20キロ ネワール族の古都『バクタプル』 ラメシュワール寺院 ダルバール広場 水を汲む女性たち お祭り 太鼓と鐘を鳴らしながら行進 皆さん同じ服装だ 太鼓と笛を吹いて賑やかだ 神様にお祈り ニャタポラ寺院 ニャタポラ寺院と祭りに参加している人たち 先輩Sさんと記念写真 お祭りの山車 飛行機は羽田を23時50分定刻に出発。座席は4000円プラスしただけあって足を伸ばすことが出来、ゆったりと過ごせた。 ネパールは今回で12回目になる。毎回訪れるごとに空気が悪くなっているようだ。車も多いがここ数年でバイクが急激に増えている。ここ、カトマンズは盆地になっているので悪い空気がたまりやすい。マスクをしている人も多い。私も、土埃と排気ガスで喉がいがらっぽい。もちろん、鼻の穴は真っ黒だ。 カトマンズの見所は何回も見学しているので、市内から20Km離れた、ネワール族の古都『バクタプル』に行って来た。街全体がユネスコの世界遺産に登録されている。全体的には赤茶けた建物が多い。ダルバール広場から寺院が並んでいる細い道を歩けば両側にお土産物屋が多い。路地では小さい子供達が元気に遊んでいる。ゆっくり歩くと人々の生活風景が垣間見られて楽しい。 明日は、幸せナンバーワンの国、ブータンに向かう。 2013年4月19日金曜日 ーブータンの首都ティンプーー 昨日 夕食を食べたタメル・ハウス 高級ネパール料理店 ブータン航空 カトマンズからブターンは1時間のフライト 朝飯はサンドイッチ 当然ビールを飲みました ブータン国際空港に無事到着 手ブレ 銀行で両替 入り口を入ると左が銀行 右が郵便局 ホテルで昼飯 鶏肉のスープ ぱさぱさなご飯 野菜のチーズ煮と牛肉とポテト煮 辛い!辛い! 緑の野菜は唐辛子でした 外人用で、これでも辛くないそうだが 我々には辛い! お茶を飲んでいるブータンの女性 真ん中の女性が持っているのは ペットボトル 飲み口が下になっている 写真を撮ったら恥ずかしそうに笑っていた 女性の服装は「キラ」という お土産屋 お土産を売る店がずらりと並んでいる こんな感じの建物がブータンなんですね ブータンの男性の服装は「ゴ」という ブータンの若者 ブータンの庶民の居酒屋でワインを飲む 優雅に車をさばくお巡りさん 本当に優雅です いいですね! ホテルの玄関前から見た街並み 白馬スキー場のリゾートホテルが立ち並んでいるようだ 街中はゴミも落ちていません 空気も綺麗です 朝8時50分に飛行機は飛びだった。5分もすると朝食のサンドイッチと飲物のサービスがあり、私は当然ビールを頼む。 左側の席が取れればヒマラヤの山々が見れるのだが、今回は残念、カトマンズに戻るときに頑張ってヒマラヤが見える席を確保するつもりだ。 パロ空港は有視界飛行らしく、夜間は飛ばない。谷間をすり抜けて下降するので、外人さんは少し不安そうな顔をして窓側を見続けていた。50分のフライトでブータン・パロ国際空港にあっけなく到着。拍子抜けした感じだ。 空港でガイドが迎えに来ていたのだが、英語ガイドだ。カトマンズの旅行会社には日本語ガイドを希望していたのだが、ブータンは全体的に日本語ガイドが少ないらしい。 パロ空港は海抜1200メートル、ホテルのあるブータンの首都は海抜3150メートルある。ホテルに荷物を置いて、ティンプーの街を散策する。ティンプ交差点に信号がなくお巡りさんが交通整理をしている。なんとも優雅です。
2020.06.13
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2013年3月21日木曜日 ー憎くき蚊めー ホーパケオ寺院 適当に歩いていて見つけた ホーパケオ寺院 ホーパケオ寺院 なかなか立派な寺です ホーパケオ寺院 迎賓館 歩行者用の信号は青にならない 車優先の信号 車の信号が青になったら 人も横断する でも すぐ横を車が通る 偶然見つけた店 お粥がめちゃくちゃうまい お粥を食べた店のメニュー ホットコーヒー4000キープ(48円) アイスコーヒー10000キープ(120円) ここのお粥は絶品でした 市場のすぐの店 市場を歩いていると楽しい 川魚を醗酵させてた物 焼いたり 煮たりする カオニャー(もち米を蒸した物)とこれらを おかずにして食べる 賑やかな通り 東京たいやき 売れているんですかね 晩飯 生春巻き これを注文するのに従業員に気を使いました 汁なし麺 甘めのたれを絡めて食べる おいしく食べました 店内もお客で混雑 持ち帰りも出来る 人気店のようだ 首都ビエンチャンでも停電は当たり前のようだ。ホテルで寝ている時に突然停電になる、暑いのも困るが、蚊に刺されるのも辛い。扇風機が回っている間は蚊も私の肌には止まれない。停電になるといつの間にか刺されている。まぁ、憎たらしいと言ったらありゃしない。刺されまいと、無理して暑いのを我慢して毛布に包まれば頭を刺される。蚊の好きな場所は足の踝から下、隠すと手を刺しに来る。指など刺されたら痒くて痒くてたまらない。手のひらを刺されると、頭にくるくらい痒い。皆さんも経験はありませんか、あの、痒さ。 蚊の次は、レラストランや食堂で注文するまで張り付いて離れない従業員の話。これも、勘弁してほしい。性格が優しく出来ている竹ちゃん、急いで注文してあげなければと焦って、よく考えないで注文してしまう事がある。注文してからよくよくメニューを見ると、あぁ、こっちを頼めばよかったと後悔する。日本の料理店でも色々と考えて注文するのに、知らない国ではなおさらだ。メニューには英語も併記されていて、知らない料理だと色々と想像するのだが、でもよく分からない。従業員は私の顔を見て早くしてよ!と冷たい目で見ている、はい、はい、分かりましたよ、ビールとこの料理と指さして注文完了。知らない国で当てずっぽうに頼むのもいい。どんな料理なのか、出てくるまで分からないのも面白い。もちろん、言葉が通じるのなら、最初にビールを注文して、料理は後で注文する、と言っておくのが一番だ。 明日はクアラルンプールに向かう。 2013年3月21日木曜日 ー明日はいよいよ帰国日ー エアアジアの航空券 スーパーのレジ用紙と同じだ ビエンチャン空港内 なんと 夢庵がラオスの空港にありました ざるそば 20000 キープ(240円) 思ったよりも高くない のり巻き お稲荷さん 240円 世界の夢庵です ギネスビール うまいね! クアラルンプールのホテルの近くの居酒屋 つまみはありません 私より5歳年上の67歳 言葉は分からないが なんとなく打解けた 漢方酒一杯(150円)ご馳走になる 焼きそば 上にポークが載っている 黄色い中華麺 見た目はしつこそうだが あっさりした味だった 今回宿泊する バックパッカーズ 以前 Oさんと部屋を見て設備も揃っていないので宿泊しなかったホテル 1350円の安ホテル 本日は、クアラルンプールで1泊して、明日は、いよいよ帰国の日だ。42日間は長いようで、あっという間に過ぎた。正直、もう少し旅を続けたい気持ちもあるが、どこかで、区切りをつけなければ永遠の旅人、寅さんになってしまう。 ちょうど帰る頃には、桜が見ごろのようで嬉しい。生まれが青森なので、雪深い季節が12月~3まで続いた後の、春はとても待ちどうしかった記憶がある。 雪の無い地方の方から見ると「だから何だ」というかも知れないが、 長い雪が続いて いる雪国の人々、私も小さいながらも春を待ちわびていた。 観桜会の日には、ご馳走を持って家族、親戚一同集って賑やかに、楽しく1日過ごすのだ。なんだか、昔の1コマ1コマが目に浮かんでくる。 明日、帰国する。3月22日は昨年ユーラシア大陸横断に出発した日だ。 2013年3月23日土曜日 ー無事帰国ー 「エアアジア」は14時45分定刻にクアラルンプールを飛立つ。飛行機は偏西風に乗り、羽田には45分早い22時15分の到着。これだったら、自宅到着は午前0時を回ることはないと微笑んだが、パスポートコントロールがすごい混雑で、入国スタンプをもらうのに50分かかった。中国からの帰国便が1時間遅れて、クアラルンプール便と一緒の時間なったのが原因のようだ。 それでも、自宅には午前0時30分に帰れた。 2013年3月25日月曜日 ー東南アジア6ヶ国の旅で使ったお金ー 「東南アジア6ヶ国の旅ー42日間」で使ったお金を計算した。 2013年2月9日~3月22日 航空券 63,005 円 交通費 27,520円 食事代 38,730円 ホテル代 39,720円 その他 10,445 円 合計 179,420円 計算上は、表のような数字だが、実際に持っていたお金とアジアの国で自分の口座から引落した金額の合計は190,000円。その差10,580円、1日当たりにすれば252円、おそらく食事の時に飲んだビール代と、町を歩いている時に飲んだコーヒー・ジュース代、それとコンビニで買った飲料水など が少なく計算されていたようだ。 旅費の半分近くを交通費(航空券・列車・バス)47%が占めている。今回は、航空券全てを『エアアジア』で手配した。もし、既存の航空会社で手配したならば、航空券代だけで17万円は下らなかったと思う。 62歳になるいい男が、ホテル代を値切り、さらにバイクタクシーの男と値段交渉で1ドル、2ドルを値切るなど、けち臭い旅をしたメモ書きを、今回も、たくさんの方にご覧いただきまして有難うございました。 次回は、『ブータンの旅』(4月15日~5月10日)をブログに掲載したいと考えていますが、ブータンもネパールもトレッキングスタイルの旅になるので、ブログを更新出来るか自信がありません。
2020.06.12
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ラオスのバスには亀裂が入っていて雨が車内に入ってくる 2013年3月17日日曜日 ー真っ赤な嘘だったー 朝6時 ホテルの5階の部屋からの眺め ベトナム国境のイミグレーション ラオス国境 手際の悪いラオスのイミグレーション 昼飯 ラオスの国境からすぐの食堂 テーブルの上にハエ取り紙 フエからサワナンケート行きバスチケット 竹ちゃんは20ドルで手配したが 270000ドン(約15ドル) ホテルは5ドル上乗せしていた ラオス国境近く まだ青いバナナ 夕食は立教大と国学院大の学生2名と一緒にラオビールを飲む 国学院大学2年生のO君と760円の部屋に泊まる 1人380円 今旅最安値 ただ寝るだけ 扇風機 ホットシャーは使える これで十分だ wifiの電波が弱く、苦労して更新する。上手く更新できないかも知れない。 サワンナケートまで6時間、午後の2時には着く、とホテルの男は言い切った。それは真っ赤な嘘だった。昨日、ホテルのフロントでサワンナケート行きのバスチケットを予約した。言い値は25ドル、2~3割りは手数料が上乗せされているのが普通だ。高いと言うと、22ドルになったが、まだ高いので町中の旅行会社で安いチケットを探すからと言うと、安いバスは冷房も効かない、時間もかかるので、内緒で20ドルにするから、誰にも言うな。そんなもんだろうと思い20ドルで了解した。それでも結果的には5ドル高かった。 朝7時出発のバスは、なんと、4時間遅い夜の6時少し過ぎてサワンナケートに到着する。休憩はあったものの11時間のバス移動だ。 今回もなんか知らないがやたらに疲れた。ベトナム出国も、ラオス入国も係官がまるでやる気がないものだから、時間ばっかりかかる。おまけに、団体客の添乗員がバスポートを40~50通を事務所の入り口から入り、係りの前にお金(賄賂)と一緒に置く、そうすると並んでいる外国人なんかは、全然無視して団体客のパスポートを処理するのだ。ベトナムもラオスもイミグレーションの係官は腐ている。いくら頭にきてもどうにもならない。 本日のホテルは、バスで一緒になった国学院大の学生O君と一緒の部屋に泊まる。一部屋60000キープ(760円)、一人当たり380円、今回の旅最安値のホテルだ。ちなみに、O君は25ドルでバスチケットを買わされていた。話すると悔しがっていたが、これも勉強だ。 2013年3月17日日曜日 ー寂れた町サワンナケートー 一部屋を二人で泊まれば宿泊代は二分の一 サワンナケートのバスステーション バスが発着する間は営業する食堂 朝飯を食べました 左が国学院生のO君 立教大のI君 トクトクに三人で乗る O君 カトリック教会 本日は日曜日 ミサが行われていた ラオスは仏教国 それでもカトリック信者はいる フランス植民地時代の建物 時代を感じます メコン川 対岸はタイ メコンの魚 塩焼き おいしそうだ メコン川側の屋台 ご飯を入れるかご 今回の旅も、シンさんに3回も【繭の里】で記事にして頂いた。有難うございました。 【繭の里】 2013年3月15日 (金) No1905 竹ちゃんの東南アジア旅行を追う(クリックして下さい) わが友竹ちゃんが、東南アジア6カ国旅行に旅立ったのが2月9日である。この欄でも何度か取り上げているが、今日ヴェトナムのフエに入るらしい。先日も仲間と話し合ったのだが、彼の旅行は、羨望とともにわが仲間内の格好の話題である。(つづく) 上の〔竹ちゃんの東南アジアを追う〕をクリックして下さい。上手くいかない場合は、【繭の里】アクセスしてご覧下さい。 サワンナケートは何もない町。サワンナケートは、ビエンチャンに次いで第2の都市、8万人くらいの小さな町だ。タイ-ラオス-ベトナムを結ぶ交通の要衝で、最近タイのムクダハンと友好橋が、日本のODAで建設され、陸路、タイと繋がったので、船で行き来する人はいなくなった。町一番の繁華街も寂れて昔の面影はない。 本日は、昨日知り合った学生2人と教会を見学して、メコン川を眺めたら、あとは見る所がない。それにしてもラオスは暑い、35度以上ある。 明日は、ビエンチャンに向かう。 2013年3月19日火曜日 ーバス車内に雨が降るー 写真が貼り付いていない。 ビエンチャン行きのバスは7時30分ジャストに出発。バスはサワンナケートの街中をゆっくり、ゆっくりと走行しながら客を拾っていく。1時間も走り、大きな町のバス発着所に到着すると、物売りがバス目掛けて駆けてくる。炭焼きした鶏、とうもろこし、飲物、お菓子、果物をバスの乗客に熱心に売り込む。 ここのバス発着所でバスは満席だ。席に座れない乗客はスチール椅子に座る。 9時少し過ぎに雨が降り出したので、急いで窓を閉める。これで、雨が車内に入り込むことはない。それは甘かった。雨が強くなり、私の座っている上から雨水が流れ出してきた。ここはアジア、運転手や助手に文句言ってもはじまらない。出来るだけ濡れない様に窓際から離れたが、亀裂の隙間からどんどん雨水が流れて来る。カーテンに雨水を吸わせて、出来るだけ濡れないように頑張ったが、窓際に近い右半分はずぶ濡れだ。もちろん私だけが被害をこうむったわけではない。でも、皆さん慣れているのか、濡れても平気なんだ。 30分もすると雨も上がり、再び陽が射し、生暖かい風で衣類はすぐに乾く。 このバスは、相当にオンボロだ。車内は汚く、色々な部品は壊れているし、窓の脇には亀裂が走ってる。スピードを出して走ると車体が震えて、全てのパーツがバラバラになりそうだ。道路も悪く、時々ジャンプして地面に叩きつけられた時には、腰もそうだが胃袋に響く。ビエンチャン到着時にはヘロヘロだ。 今回も11時間のバス移動。もう長距離バスには乗りたくない。 2013年3月19日火曜日 ー(新)バス車内に雨が降るー 昨日の写真を貼り付けた。 竹細工の店 右が国学院大O君 メコンに沈む夕日 三人で食べた夕食 右が立教大のI君 朝飯 サワンナケートからビエンチャン行きバス 相当古い ボロボロの車体 サワンナケートのバスチケット売り場 バスが停まると物売りが 駆け出してくる スチールの椅子 なんか のんびりしています 私が座った窓際 亀裂が走っている いつ外れてしまうか分からない 途中のバス発着所 薬になる木と葉 何の骨だか分かりません 薬になるんだと思う この亀裂から雨水が流れ出した もち米を蒸したもの 餅そっくり 味は甘い この椅子に10時間 ご苦労様です すれ違った故障したバス バス車内 満席状態でビエンチャンまで10時間 本日のホテル シングル40000キープ(480円) 夕食 メコンの魚を食べる 味は鯛そっくり 2013年3月20日水曜日 ービエンチャン市内を散策ー ベットがあるだけの部屋 トイレ シャワーは共同 1泊480円 ドミトリーよりはいい タートダム ドラえもん ビエンチャンでもで人気です てっちゃんねっと 日本が建てた パソコンを習う学校 パートゥーサイ パリの凱旋門をモデルに建てられた戦没者記念塔 パートゥーサイ内の天井 パートゥーサイ 私が見ただけでも10台以上ありまた ここ日本? 都バス バス発着所 ここからタイに行く国際バスもある 宿泊しているホテルの付近 ホテルの1階はBAR メコン川沿いの屋台 皆さん学生 一緒に夕日を眺めながらビールを飲む メコンに沈む夕日 写真はうまくありません 本当は実に綺麗なんです メコン川 今は乾季 水量が少ない 電灯に集る蛾 ビエンチャンは5回目の訪問。特に観光する所ろはないが、時間があるので、パトゥーサイ とワット・シーサケートに行ってみることにした。パトゥーサイはパリの凱旋門をモデルに建てられた戦没者記念塔。 ワト・シーサケート は、ビエンチャンの繁華街からからほんの少し行ったところにある寺院。 次にタラート・サオに行く。ビエンチャン最大のマーケットで、みやげ物、日用品、食料品、服飾、宝石、電化製品など、あらゆるものが所狭しと並べられている。場内をぶらぶら歩いて観ているだけでも、ビエンチャン市民の生活の一端が見えて楽しい所だ。 昨日もそうだが、ラオスの首都ビエンチャンにしても停電が2回ほどあった。今日は、21時45分から 22時50分まで停電。ブログ更新中だったが、wifiも停電のために繋がらない。それに、部屋の中は蒸し風呂状態で、暑くてどうしょうもなかった。 wifiの電波が弱く、昨日は写真が貼り付いていなかった。それに、wifiの速度が極端に遅いので、ブログ更新にえらく時間を使った。
2020.06.11
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アオザイの可愛い女性たちと記念撮影 旅をしていると一緒に写真を撮ってもいいですかとよく言われる そのついでに私のスマートフォンで一枚撮ってもらうのだ 2013年3月14日木曜日 ー涙が出そうな昼飯ー レンガに彫刻して、はめ込んだのではなく 建物を建てたあとに彫刻を施している ミーソン遺跡群 ミーソン遺跡群 雨風による風化が進んでいる ミーソン遺跡群 ミーソン遺跡群は遺跡公園として整備されている 8世紀ころに建設された建物 ミーソン遺跡群 建物を建てたあとに彫刻を施している 女性だけ男性のシンボルに触れた 子宝に恵まれると ガイドが説明 ツアー参加者 大爆笑 ミーソン遺跡群 建物の窓 ミーソン遺跡群 草に覆われている 自然の風化などで傷んでいる ミーソン遺跡群 爆撃で頭がない 左が英語ガイド まだ風化せず形がくっきりのこる彫られ たダンスをしている像 ダンスをしている像 腕が8本 足の指は数えられないくらい彫られている 不発弾を処理したもの これでは遺跡は壊れますよね ユネスコの基金で修復作業している ツアー代金に含まれていた昼食 涙が出るほどまずかった ご飯の上に申し訳なさそうに しなびた野菜が載っている 入場券 10万ドン(500円) ホテルの前に8時過ぎにミーソン行きのバスが来た。てっきり、ミーソン遺跡の入り口まで行って各人が勝手に見学するものだと思っていた。それがなんと、英語ガイド付きのツアーだった。45名ほど乗込んでいるが、日本人は私1人だ。言葉を心配したが、ベトナム人ガイドの英語は、はっきりとした発音でゆっくりと区切って話してくれるので私にも半分くらいは理解出来た。やれやれた゛。 帰りは船でホイアンに戻る。写真でも解ってもらえると思うが、全然食欲のわかない昼飯だった。はっきり言ってまずい、ご飯がまずい、おかずといえるのか疑問なしなびた野菜の炒め物、涙が出そうになる。それでも、我慢して半分は食べた。 この旅で初めてご飯を残す。 ★上手くミーソン遺跡について説明できないので、ガイドの説明とインターネットで調べた内容を作文した。 チャンパ王国の聖地ミーソン遺跡はユネスコの世界遺産に登録されている。ミーソンは2世紀末から17世紀にかけてベトナム中部から南部にかけて栄えたチャンパ王朝の建造物。ミーソン聖域は、4世紀後半に、シヴァ神を祀る堂を建てたことに始まる。レンガづくりの寺院・神殿はセメントンなどの接着剤は使わずに築かれた。レンガの塔が草むらのあちこち建っている。 文化的にはヒンドゥー教を主体に仏教や土着信仰が入り混ざった独特の文化をつくりあげた。ベトナム戦争で、ミーソンに多くの兵士が隠れたために、何回か爆撃を受け、貴重な建築群が所々崩壊した。それでも、貴重な建築や煉瓦に彫られた像がいまも多数現存している。 明日はフエに向かう。 2013年3月15日金曜日 ーバイクタクシーとの駆け引きー フランスパンサンドを買い 隣の豆乳屋で低い椅子に座り朝飯 ここの店には竹ゃんみたいな人しか来ません ホイアンからフエのバス 寝台バスだ 途中のバスステーション 身が厚いスルメ すぐ側は海 3人部屋 クーラー 扇風機 温水シャワー付だ 15ドルを12ドルに値切る 広いトイレ兼シャワー室 王宮 高さ6.6m 全長2.2キロメートルの城壁に囲まれ 外は濠がめぐらせれている 当時の大砲 王宮 王宮 黄色い屋根が太和殿 城壁 城壁と濠 遅い昼飯 海鮮麺 モヤシとパクチーをたくさん入れて食べる ホイアンからフエへ向かうバスは、青々とした稲が絨毯のような田圃の中を走り、峠を越え、海岸線沿いを走る。それを何回か繰り返して、4時間でフエに到着。ここでも、バイクタクシーの男がバスに群がる。 本日、バイクタクシーの男と大体次のような会話になった。 (バ:バイクタクシーの男 竹:竹ちゃん) バ: どこに行いく ホテルは 竹: 10ドルくらいのホテルをしっているか バ: もちろん知っている 問題ない 竹:- ホテルまでバイク代はいくら バ: 6万ドン(300円) 竹: 高い 、ホテルまで何キロある バ: ベリー遠い 竹: だから何キロあるんだ バ: 3キロ 竹: 2万ドンだ バ: それはないよ(そのような顔をする) 3万ドン 竹: あんた、俺を連れて行ったらホテルからキックバック貰えるんだろう バ: ん‥‥、 しょうがない 分かった 以上のような簡単なアジア英語で何とかなる。そして、ホテルに着いて、部屋を見せてもらい、値段交渉しなければならない事態になったら、バイクタクシーの男にここのホテルは10ドルと言われてつれて来られた。と言うと大体の場合安くしてもらえる。これは奥の手です。 2013年3月15日金曜日 ーグエン朝王宮ー 牛門 王宮の正門 黄色の瓦屋根 太和殿 重要な儀式が行われた アオザイの美女に囲まれて 王宮内部 太和殿 太和殿の中 見学している人の奥に皇帝の椅子がある 写真撮影禁止でした 椅子に近づいて撮影しようとしたら係りに注意された 王宮 王宮 王宮 楼内 王宮の中は広い 王宮 中庭 城壁と濠 王宮 東南門 ベトナム戦争当時の戦車などが野原に展示されている 東南門 フォン川ほとりの喫茶店 とても涼しかった フォン川 川幅250メートルはある これは問題ですよ 昼休みに 小学生相手にお菓子なんか売っている 学校では注意しないんですかね 市場 魚売りの女性 牛門をくぐり、王宮内に入る。王宮の周りは4つの川が取り囲んで自然の濠となっている。城郭は6.6メートルの高さ、全長 2.2キロメートルの城壁に囲まれている。1802年にグエン朝のザーロン帝がベトナム全土を統一し、フエを首都として、城郭都市の建設に着手した。ザーロン帝がベトナムを統一したのはフランスの援助も小さくなかった。その影響もあり城郭の構造はヨーロッパの築城方法を採用している。さらに、古くから中国に脅かされてきた事実があり、中国文化を受け入れることで独立を守ってきた。太和殿は、中国清の紫禁城をまねて規模は大きくないが建築された。第2代のミンマン帝の時代には「紫禁城」と改名されている。1933年に世界遺産に登録された。 王宮内のほとんどの建物がベトナム戦争中の1968年に破壊されて、牛門、太和殿などを残すのみとなった。今現在、少しずつ修復作業が進んでいる。 見学した感想は、全体としてほとんどが中国、中国風だった。 明日は、ラオスのサワンナケートに移動する。
2020.06.10
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16世紀に築かれた来遠橋(日本橋) 2013年3月12日火曜日 ー世界遺産の街ホイアンー 朝6時35分 コーヒーを飲む 朝が早いので客は少ない 低い木の椅子 私は何時間も座れません ケツが痛くなる ホイアン行きバス ローカルバスだ 天秤棒をかついで野菜を売り歩く女性も乗っている バイクも運びます ホイアンに着いて 朝飯 名前はわかりません 昔の家がそのまま残っている ホイアンと海を結ぶトゥボン川 ホイアン旧市街 日本橋に祀られる犬 の神様 雷神が祭られている 航海の安全を祈願した 16世紀に築かれた来遠橋(日本橋) 日本人街と中国人街を結ぶ橋だった ホイアンの旧家 中国様式のお寺 昔の町並み 日本橋は屋根は中国風 中は木造 橋の中央 雷神が祀られている 遠い異国から来た人達から 来遠橋として親しまれた 川の右側に日本人が住んでいた 廣肇会館 華僑の集会所 廣肇会館の内庭 中国商人の家 朝7時のホイアン行きのローカルバスに乗込む。ツーリストバスと違ってローカル色豊かなバスだ。これから、天秤棒をかついで売り歩く女性が乗っていたり、バイクも堂々と乗っかっている。何回か停車する、すると人間も乗り降りするのだが、荷物も大量に積み込まれる。外の景色もそうだが、次々にバスの中が変わるので飽きることがない。 ホイアン市内から離れたバス停で降ろされる。早速来ましたね、バスめがけてバイクタクシーの男達が群がる。その1人に10ドル程度のホテルを知っているか聞くと、ノープログラムというのでついて行く。1軒目は20ドルなのでパス、次のホテルを15ドルから13ドルに値切って2泊することにする。 ホテルの受付で次のように予約した。明日のミーソン遺跡までの往復交通費14ドル、14日のフエまでのバス代12ドル、ホテル代26ドルを足すと、合計で52ドルなのに46ドルだというので、そのまま払った。私は小心者に出来ているのだろうか、受付を通るたびに何かいわれはしないかと、ドキドキだ。 ホイアンはかつて国際的な貿易港として栄えた。17世紀には日本の貿易商も行き来して、日本人街がつくられた。ホイアンは歴史的建造物が立ち並び、1999年に街並み自体が世界遺産に登録された。 日本人街と川を隔てた中国人街との間に、流通と友好のために日本の商人が橋を架けたのが日本橋だ。17世紀といえば、徳川幕府の頃ですよね。そんな頃に、ベトナムに日本人街が‥、なかなか想像できませんね。 2013年3月13日水曜日 ー世界遺産の街ホイアンー 18世紀ころの 中国商人の家 中国商人の家内部の祭壇 重厚な建物内部 中国商人の家 喫茶店になっている 歴史を感じさせるタイルが敷き詰められている ホイアンの街並み バナナを売っている女性 福建会館 福建会館 福建会館 福建会館 福建会館内部 祭壇が安置されている クアン・コン寺の龍をモチーフにした扉 クアン・コン寺 ホイアン市場の屋根を修復している ホイアンの市場 トゥボン川 ホテルの隣の居酒屋 私もビール1本飲みました 昼飯 鶏のスープで炊いたご飯に チキンとポークに野菜がたくさんのっている 旅もあと10日間になった。計画では、ビエンチャンからバンコクに出て列車かバスでクアラルンプールに南下する予定だったが、時間が足りないので、『エアアジア』でビエンチャン⇒クアラルンプールの航空券を3月21日で予約した。 今後の予定は、14日・15日はフエ、16日・17日 はラオスのサバナケット、18~ 20日はビエンチャン、21日はビエンチャン⇒クアラルンプール、22日クアラルンプ ール⇒羽田、42日間の旅は終わる。 2013年3月13日水曜日 ー夜の古都ホイアンー 夜の散歩がてら、ホイアンの旧市街に行ってみた。三脚も何もないので上手く写っていないが、少しでもホイアンの夜の町の様子をつかんでもらえたら有難い。写真説明は全部はしていません。 2泊するホテル 左隣が居酒屋 日本橋 昔からの漢方屋さん 夜の街の様子 あまりきれいでない店だがが 麺はおいしい 麺は稲庭風 腰がありおいしく食べました スープもあっさり味 私好みでした 4.2%のビール 2本飲んでも あまり酔いません
2020.06.09
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2013年3月11日月曜日 ー自分の汗臭さにむせるー 15時間が2時間遅れて 17時間かけてやっとダナンに到着 疲れました 朝飯 途中の駅で買った もち米を蒸している 赤飯みたいでとてもおいしい 朝10時に食堂車でビールを飲む 隣のおじさんにご馳走になりました 朝ごはんの車内販売 エプロンしている女性に 写真を撮るなと怒られる ダナン駅 昼飯 小魚の佃煮とビーフの佃煮風 ベトナムで初めて飲むビールです ダナンのビール あとでわかった とりあえず洗濯 自分でも汗臭いのがわかるので 全部洗濯する クーラーに扇風機 冷蔵庫付き もちろん暖かいシャワーも使える 部屋も掃除が行き届いている こぎれいなトイレ兼シャワー室 熟睡することなく朝を向かえる。列車は田圃の中をただひた走る。昨日から列車は2時間に3回の割合で途中駅に停車する。停車する町はそれなりに大きな町だ。乗り降りする人は誰もが大きな荷物を抱えている。なんだか、この列車は、昔の上野と青森を結ぶ急行列車に似ていると、ふっと思った。なんか懐かしい匂いがした‥。 近くにいる74歳のおじさんに、ビールは好きかと聞かれるので、大好きですと答えたら、一緒に食堂車に行こうと誘われる。おじさんは流暢な英語を話す。日本はすばらしい国だ、国民は皆頭がいい、と褒めてもらい、さらにビール代までは払ってもらう。 ダナンの町は皆目見当がつかない。駅前にたむろしているバイクタクシーに20万ドン(950円)くらいのホテルに案内できるか聞くと、大丈夫だというのでついて行く。当たりもあれば外れもあるのが普通だが、玄関を見ただけで当たりと直感する。部屋を見せてもらい、料金を聞くと25万ドン(1250円)だ。2泊するので40万ドンにして、というと22万ドン(1050円)にしてくれる。設備もそれなりで快適なホテルに宿泊できる。 朝、列車のトイレに行って手を洗いズボンからハンカチを出したら、汗臭いのでむせた。よく考えたら2日間洗わずに使っていた。シャワーを浴びながら半ズボンからバック、パンツ、靴下、半袖シャツと全て足で踏んで洗濯する。 2013年3月12日火曜日 ーベトナム風居酒屋ー ハン・マーケット 豆腐 厚揚げが売られている ハン・マーケット内部 コーヒーを飲む 氷と濃い目のコーヒー 35円ほど なんとも 涼しげな樹木ではありませんか ハン川 左が建設中の建物 ダナンも建築ラッシュのようだ 街のフォーの店 ダナン大聖堂 ピンクのダナン大聖堂 イワシの煮付け 厚揚げとポークの煮付け これで100円だ 昼飯を食べた店 ベトナムの居酒屋 こんな感じで飲んでいます ツマミはタニシとパイナップル パイナップルはビールにとてもよくあう こんな酒屋大好きです タニシの差し入れがあった ビールにパイナップルは抜群にうまい トイレ 用を足すと水が流れる 水洗トイレだ 地元の人だけが飲む店 どこの国にも居酒屋はあります 東南アジアの町を歩いていると「おはよう、バイク」、「こんにちは、バイク」と頻繁にバイクタクシーの男に声掛けられる。中には、後ろからバイクで近づき「バイク」と一言いうやつもいる。うるさくて街も歩けない。 ホテルから2、3分歩けば街一番の「ハン・マーケット」だ。ホーチミンのベンタイン市場に比べると規模は大きくない。それでも、日用品は何でも揃っているようだ。当然、街の台所だけあって鮮魚に新鮮な野菜がたくさん並べられている。 川幅の広い「ハン川」にぶつかる。 ハン川と並行に走る通り沿いには、高級ホテルや、外人さんが好みそうなレストラン、カフェが 並ぶ。 遠くにピンク色が美しい教会が見えてくる。街の中に忽然と現れる感じで、街と の違和感が感じられない訳でもないが、なんか新鮮な感覚だ。あとで調べると「ダナン大聖堂」でフランス植民地時代の1923年に建てられたカトリック教会だった。 夜は、昨日顔を出したベトナム風居酒屋に行く。1人の男に日本のコインがあったら譲ってくれと頼まれていた。5円と10円をあげたら、ピンポン玉くらいのタニシを差し入れされる。ここはベトナム人オンリーの店で外国人は入ってこないので、皆さんに注目される。1人のバイクタクシーの男が、お互い片言の英語だが、私が話した内容を周りの人に聞かせると、皆さん私の顔を見てなんか解らないがニコニコしてくれる。たわいもない話に大笑いしながら飲む酒は、実に愉快で楽しいね。 明日はホイアンに向かう。
2020.06.08
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カエルがきれいに皮をはがされて売られている なんだか、筋肉マンみたいだ 2013年3月8日金曜日 ーホーチミンに到着ー 肉まん 朝飯です バス 河を渡る 渡し舟の中で虫の佃煮を売っていました 何人か買い求めていました 間抜けな顔していますが 虫を食べているところです 虫売りのおばさんに味見させてもらいました ベトナムの国境 バスを降りて手続きする ホーチミン市内 バイクが多い ベンタイン市場 ここは観光客が多いので商品は高い ベンタイン市場の周り 私の行きつけの店です なす焼き イカのトマト煮 モツ刺し ご飯 スープ なかなかの繁盛店で何を食べてもおいしい ベトナムの333ビール 食べたいものを指さすだけでOK その数30種類以上のおかずがある いつも込み合っている ベンタイン市場前 バスは2時間近く走るとフェリーに乗込む。たかだか7分足らずの乗船だが、物 売りがたくさんいる。頭に虫の佃煮が入ったかごを載せた女性がいる。珍しいので写真を撮らせてもらった。私に買わないかといっているが、首を横に振る。そうするとつまんでみろというので蜂を食べた。さらに、写真では解りにくいと思うがイナゴを食べた。味は両方とも油で炒って醤油?、砂糖などで味付けしているようだ。日本でも伊那谷地方などでお土産に売っているものとほとんど同じだね。 ホーチミンの安宿が集まるファングーラオ通りにやって来た。世界のバックパッカーが集まるだけあって、小洒落たレストランや旅行会社が狭い地域に集中している。本日の宿は、1階が旅行会社で2階から上が客室になっているホテルに宿泊する。早速、ダナンまでの交通手段を旅行会社に聞いた。一番早いのは飛行機で1時間と少し、次に鉄道で15時間、バスは28時間もかかるようだ。バスに28時間、考えただけでうんざりだ。飛行機は値段が高いので鉄道で行くことにする。9日の21時出発の切符を手配した。 晩飯はホーチミンに来たら必ず顔を出す食堂に行く。作り置きのおかずが30種類以上が並んでいる。どれもおいしそうなので、選ぶのに迷ってしまう。地元の家族がバイクで食べに来るだけあって、どの料理も当たり外れがない。それに安いのだ。 写真の料理とビール2本飲んで540円だ。旅は私にとってダイエットになるのだが、マレーシアからベトナムまで何を食べてもおいしく、体重は少し増えているかもしれない。 2013年3月9日土曜日 ー道路を渡るのは命がけー ホーチミン像 後ろが人民委員会 サイゴン教会 サイゴン教会内部 中央郵便局 サイゴン教会 中央郵便局内部 上に同じ 市民劇場前で 皆さん卒業証書?を手に持っている サイゴン川 ホテル・マ ジャステック ベトナム戦争の取材で開高健が泊まったホテル ドンコイ通り 高級店が並ぶ 切り絵 すごく細かい模様です ドンコイ通りの オメガ専門店 日本円で17~35万円の値札が付いていました本物なんでしょうね? 市民劇場 ATMはたくさん見かけます 町の両替屋よりも自分のお金を引き出すほうが断然お得です 昼飯 ベンタイン市場で フォーを食べたお店のお母さん 信号がない所を 勇気を出して渡ります ゆっくり、ゆっくり渡ります 東南アジアの道路を渡るのは命がけです デタム通りの目印のBAR バッファローが目立ちます 30年くらいも前になるが、バンコクで東京行きのバングラデッシュ航空の1年オープンチケットを買ったことがある。メリットは、たしか12000バーツ(35000円)と格安だったのと、バンコクから成田に行き、半券は成田からバンコクに戻るチケットで、1年以内ならいつでも予約さいすればOKなのだ。日本はGWや夏休み、年末の航空券は馬鹿高くなるが、バンコク発券の航空券は繁忙期、閑散期に左右されないので、格安だった。随分とお世話になったが、成田空港の使用料金が高いのかどうかわからないが、バングラデッシュ航空は日本に乗り入れしなくなった。 次に利用したのがベトナム航空で、バンコク⇔成田間は行きも帰りもホーチミンで乗り継いだ。でも、東京からバンコクに行く時に、ホーチミンでストップオーバー(ホーチミンで何泊かする)出来るおまけがあった。そう言う訳でホーチミンには7回以上訪問している。市内の主だった所だったら地図なしで歩けるほどだ。 オメガの話で、私の聞き間違いがあったようだ。プノンペンの市場でオメガをメイ ドイン・カンボジア、と聞いたらうんと答えたのでそう思っていたが、ベンタイン市場でロレックスを見て、どこで作った時計か聞くと、中国がほとんどで韓国からも20%くらい入っているとの話だ。中国の偽時計をスーパーコピーといっていた。ロレックスは80ドル、韓国物は50ドルの定価だ。カンボジアで買ったオメガも中国か韓国の物だろう。カンボジア人は、そんな悪いことはしませんよね。でも、解って偽物を売ているんだから同じか。 東南アジアで車やバイクが引切りなしに行き来している道路を横断するのには勇気がいる。車もバイクも遠慮なく飛ばしてくる合間合間をぬって、ゆっくり、ゆっくりと 進んでいく。けして引き返さない、走らない、止まらないのがコツだ。 それでも前後10~20cmのところをビュンビュンとバイクや車が走り抜けて行く時なんかは、生きた心地がしない。まさに命がけですよ。 昨日、地球の歩き方「東南アジア」をなくした。ブックオフで105円で買った97~99年版で、内容は別として町の地図が必要だった。ラオスの町の地図は大体頭にあるが、ダナン・ホイアン・フエは団体旅行で1回行ったきりで、町の地図は全然わからない。 明日は夜行列車でダナンに向かう。 2013年3月11日月曜日 ーその態度が気に入らないー 朝飯 フランスパンにハムやポークにたくさんの野菜が挟まっている ホテルから近い町中の市場 カエル 上のカエルがきれいに皮をはがされました なんだか、筋肉マンみたいだ 今回2泊したホテル 1階は旅行会社 2階から上がホテルになっている チョロン市場 ベンタンイ市場よりも庶民的な市場 値段も2~3割安いようだ チョロン市場内 たくさんの店が商いしている 帽子専門街 女性に人気のスイーツ 挑戦してみました 缶詰のミックス果物とかち割り氷 これからの夏にお勧め 簡単に作れる 子供には絶対に喜ばれると思う 夏の飲み物 食べ物にいいと思います どうですかこの積載オーバーのバイク 発泡スチロールの弁当箱 晩飯 イカのカレー 魚の煮付け アオザイの女性が改札している むさ苦しい男よりよっぽど気が利いている ホーチミンからハノイ行き夜行列車 遅い朝飯を食べて、気ままに歩いていると小さな市に出くわす。きれいに皮をはがされたカエルが行儀よく並んでいる。なんか、人間の筋肉マンに見えませんか。でも、から揚げは鶏肉よりもサッパリしておいしんです。なかなか見る機会がありませんので、カメラを構えてしまいました。 一旦ホテルに戻り、チェックアウトして、チョロン市場に行く。観光客がたくさん訪 れるベンタイン市場より、庶民的で値段も2割程度安いと思う。ただ、観光客がお土産にする品物は少ない。私は昨年の暮れ、剣先するめの大きいやつを10枚買い求めた。身が厚くてやわらかく、正月の酒のつまみに最高でした。 深夜列車に乗り込むためにホームを歩いていると、女性車掌に声かけられ、切符を見せろというので、渡すと見たとたんに「寝台の客じゃない」、「座席指定の客か」、「この貧乏人」が、という態度で犬でも追い払うように、あっち、あっちと指示される。外人さんは全員が寝台とは限らないでしょう、その態度が気に入らないね、頭にきたね、120%頭にきた,。お前は中国人か!と毒づいてやった。まぁ日本語ですが。さらに、暗がりでにらんでやったが全然効き目なしだ。
2020.06.07
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東奥日報電子版「あおしゅと!青森人in首都圏」に記事が載っている。 青森の友達から最近連絡があり、「竹内康一 日本縦断」とYahooで検索した。 記事は『東奥日報夕刊(3月17日)』の内容がそのまま電子版になっている。私は3月17日から一週間ほど検索したのだが、記事を見つける事が出来なかったが、友達から知らがあったのでアクセスした。 記事の最後に、「次は北半球一周。中央アジアから未踏の北欧を経て北米へ」と書かれているが、要するに日本を出発して地球を一周する、世界一周の事を話したのだ。 まだ何も具体的な計画はないが、コロナで今年旅行できない分、来年は2年分旅するつもりでいる。区切りの良い70歳になる記念旅行のつもりだ。 ◎電子版の記事をそのままコピーした。 小さいころの夢実現/67歳で徒歩日本縦断/竹内康一さん(平内出身) 2020年3月17日更新 日本列島をほぼ徒歩で2600キロ以上旅し、宗谷岬に到達した竹内さん(本人提供) ギャラリーへ 60代に入ってなお、世界と日本を歩き回る。平内町出身の竹内康一さん(68)=板橋区=は定年退職後、ユーラシア大陸横断や南米ヒッチハイク旅行などに次々挑戦。昨年は鹿児島県最南端の佐多岬から北海道最北端の宗谷岬まで、陸路のほぼ全行程を歩くというチャレンジに成功した。 元々登山が趣味。「若いころは米国の6千メートル級の山にも登った」。退職後は時間もでき、「中央アジアから南欧までユーラシア大陸を横断した」という。 2018年、アルゼンチンやチリを約3カ月かけヒッチハイクなどで旅した。欧州からの旅人に「日本にも歩く所は多いだろう。母国を歩くべきだ」と言われた。「小さいころに日本縦断成功の話などを聞き、挑戦を夢見ていた」と竹内さん。欧州からの旅人の言葉で、夢実現を決意した。 自転車やバイクでの列島縦断は少なくない。徒歩の場合でも宿泊施設を利用する人が多かった。70歳目前での徒歩と野宿の踏破は例がないと思った。「孫たちなど家族に計画を話して自ら退路を断った。行くのをやめたり、途中リタイアしたら恥ずかしいでしょ」 佐多岬で第一歩を踏み出したのが昨年3月19日。四国を経て和歌山県で本州上陸。都内の自宅まで歩いて一息つき、再び北へ。5月23日に三戸町から青森県に入り、平内町の実家で英気を養ってから青森市まで歩き6月2日にフェリーで函館市へ。北海道を縦断し、6月22日午前11時15分、ゴールの宗谷岬に立った。佐多岬からの移動距離は2600キロ超、84日の旅だった。宗谷岬近くの住人が「その年で徒歩と野宿で日本縦断とは。聞いたことがない」と称賛してくれたという。 「宮崎県では野宿予定の駅前で警官に職務質問された。この時は風邪気味で、住民が教えてくれた格安の温泉施設に泊まった」。野宿しなかったのはこの晩だけだった。「差し入れをもらったり、野宿場所の情報を得たり。出会った人々の厚意に支えられた」 旅は桜前線の北上と同じ時節だった。「各地の花見の光景で心が沸き立った。途中で前線に追い抜かれたが、青葉の美しさも目にしみた」。これまでさまざまな国を旅したが、「日本には緑が多く、美しい国」とあらためて思った。 日本縦断後、10月にはベトナム、ラオス、タイを、今年1月にはインドネシアを訪ねた。どれも経費を極力かけない放浪旅。詳細を自身のブログ「竹ちゃんの旅日記」に記している。 「シニアとか年寄りとか言われるけれど挑戦すればできるということ」と竹内さん。「次は北半球一周。中央アジアから未踏の北欧を経て北米へ」。夢は地球を駆け巡る。 ◇ <たけうち・こういち 1951年平内町生まれ。東京都板橋区在住。青森北高校第1期卒業生。高卒後に上京し出版社に勤務。19歳の時に都内の山岳会の会員となり国内外で登山。ネパールトレッキングは14回に上る。2012年に定年退職し、ユーラシア大陸横断の旅へ。その後も毎年、3カ月程度の海外渡航など放浪の旅を続けている>
2020.06.06
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トゥール・スレーン博物館 拷問され殺された人たちの頭蓋骨 2013年3月5日火曜日 ーアジア旅は何でもありー ドライブインで昼飯 鶏とキノコのスープ 酸味が利いて食欲をそそう ドライブインでは外人さんは食事しません 衛生的なことだと思う シェムリアップからプノンペン行きバス なかなか快適な6時間のドライブだった 冷房送風口 ビニールで塞いでしまいました プノンペン セントラルマーケット ルビーなどの宝石を扱う店がたくさん並んでいる これが宝石なのかただのガラスなのか全然わかりません ただの石にしか見えません マーケットの周りは野菜や果物、魚を売っている 市場があれば必ず屋台があり 安く食べられます セントラルマーケットはプノンペン市街の中心にある 生ビール 注文したらビッチャーで出てくる 大瓶2.5本分ある だんだん生ぬるくなるので氷を入れて飲む 海鮮サラダ イカ、エビ、小魚など ヌクマム(魚醤油)で和えた一品 ビヤホール 会社帰りのサラリーマンなのか 何組も楽しそうに飲んでいます 朝7時30分発のプノンペン行きバスは定刻に出発する。バスの中は朝からギンギンに冷やされている。冷房の 吹き出し口が壊れているので冷風を止める事が出来ない。しばらく我慢したが、寒い、寒気がする。羽織るものも持っていない、このまま我慢するか‥、どうするか、竹ちゃん考えました送風口を塞いでしまえばいいと、さて何で塞ぐか、バックの中を探すとビニール袋があった。早速塞いでみる、見事に冷風をシャットアウトだ。隣の外人さんニヤリ、右手で左腕をさすりながら、「グッドアイダィア」と親指を立てる。外人さんも我慢していたんだね。それだったら外人さん、あんたもなんか考えてよ‥、と思ったがまぁいいか。 東南アジアの旅は、その場その場に合わせて臨機応変に対応するしかないんですね。我慢していたら損ですよ、送風口が壊れても相手が悪いんですから。アジア旅は何でもありです。 2013年3月6日水曜日 ー狂気の沙汰とは思えないー 何もない部屋 尋問室だ!拷問室! 拷問に使われた器具などもそのまま残っている 一棟の全教室におびただしい数の犠牲者の写真 犠牲になった人の頭蓋骨の写真 言葉もありません 教室を独房に改造 畳半分しかない ここで鎖につながれ監禁された 教室を各独房に区切った ケースに頭蓋骨 左の絵は当時 どの様に拷問したかわかる このような絵がたくさん展示されている 東南アジアはどこも車が歩道に乗り上げている 人は車道を歩くことになる 氷いっぱいのアイスコーヒー 飲み終わったら 左のお茶を入れて飲む シジミの塩漬け 一つつまんでみました シジミの醤油漬けと同じです ただ、この炎天下ですから‥ 巨大クモの佃煮 下にも色々な昆虫の佃煮 コオロギ(バッタ)の佃煮 セントラル・マーケット内の屋台 缶ビールと麺(春雨) 2ドル 昨日はシングル部屋の空きがなく15ドルの部屋に泊まった 本日はシングルに移る 鍵を渡された 23にしか見えない 23の部屋は鍵がかかっていないので、あけると 中にカップルが寝ているではありませんか アイ・アム・ソーリー それにしても無用心ですね 鍵は28でした。 トゥール・スレーン博物館は市街地のど真ん中にある。前は学校だった建物をポル・ポト政権は監獄として使った。 過去の残る監獄は、写真が無言で語り、あまりにも悲惨すぎて多くを語ることは、私には出来ない。 30数年前、日本はバブル経済によって絶頂期を迎えようとしている頃に、我々の知らない世界で公然と行われていた悲惨な事実なんだ。独裁社会の恐ろしさ、悲惨さ‥、人間はこんなにも残酷になれるものなのか? 恐ろしい! 人々は全て残虐な方法で殺されていった。その数約2万人、子供も2千人含まれているそうだ。狂気の沙汰とは思えない。 2013年3月7日木曜日 ーオメガを買うー 町の両替屋 隣国のお金は大体両替できる 9時のセントラルマーケット 右の警備員は新聞を読んでいますね 宝石と時計を売ってる メイドインカンボジアのオメガ 40ドルを18ドルで買った 金属ベルトを詰めてもらっているところ ワット・プノン寺院 ワット・プノン寺院 ライオン・トラの口に豚肉を食べさせている 参道入り口には頭が七つの蛇 トンレサップ川 左奥にカンボジア日本友好橋 トンレサップ川を見下ろせるレストランで一休み 18ドルのオメガ トクトク 後ろに「白い恋人」の看板 寺院 名前? 王宮 本日は休み 国立博物館入り口 カメラは持ち込み禁止 路上で蜂蜜を売っていた ソリア・ショッピングセンターのなか ここのショッピングセンターでもメイドインカンボジアの腕時計を売っていた ロレックスで50ドル 値切れば半額で買えると思う ショッピングセンターの中の食堂 ワット・プノン寺院に行く途中セントラル・マーケットに立ち寄った。やはり、警備員は緊張感がない。新聞を読んでいたりお茶を飲んで世間話に花を咲かせいている。それでも、警備員がいるのだからそれなりの宝石類なんだろうか‥。 ケースを覗くとロレックスやオメガが目に留まる、オメガは40ドルと言っている。 別に買うつもりもなかったので、15ドルと言ったら20ドルになった。15ドルでは1ド ルも儲けがないので18ドルがラストプライスと言っている。なんだか分からないうちに、結局18ドルで買う羽目になった。見た目は本物だ、よく出来ている。 ソリア・ショッピングセンターの腕時計売り場で、同じようなロレックスが50ドルで 売っている。結構まっとうなショッピングセンターでも堂々とメイドインカンボジア のロレックスやオメガが売られている。 話は変わる、昨年末にホーチミンに行って聞いた話だが、グッチやルイヴィトンを扱う専門店が偽物を扱って摘発されたそうだ。皆さんも専門店だからといって騙されないようにしましょうね。海外、特に東南アジアで有名ブランド商品が安いとばかりに買いあさる人がいますが‥、一番は買わないことです。私は有名ブランド商品にはまったく興味がありませんので、騙される心配はありません。今回みたいに偽物だとわかって買うことはありますが。 着る物でもブランド商品は私には必要ない。東南アジアを旅するのなら、ユニク ロの汗速乾性に優れた素材のシャツが最適だと思うんですが、値段も安価なのがいい。ユニクロ専属のモデルに雇ってくれませんかね‥。 7日はホーチミンに向かう。
2020.06.05
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アンコールワット 2013年3月3日日曜日 ー当てが外れるー シェムリアップの繁華街 路上に作り置き料理がある 指さしすれば食べられます 不衛生といったら何も食べられません 朝飯兼昼飯 麺はインスタントだ でも、スープがおいしい 市場 お土産がたくさん並んでいます 川の魚、貝 少し海の魚も売られている 皆さん真剣な目で魚を選んで買っています ちくわ、はんぺん、練り物を揚げた物、さつま揚げにそっくりです 果物屋さん 女性に人気のスイーツ 香料屋さん 腸づめにしているハム 薄く切ってフライパンで炒るとビールのつまみに最高です バイクタクシー カンボジアの生ビール ピーマンとポーク炒め ひき肉のオムレツ風 生ビール3本 合計380円 ひき肉と色々な野菜が炒めてあります ポークとピーマン炒め 街を歩くときの目印にしました タイのバンコクセンターで、wifiに1日繋げると535バーツ(1650円)もする。馬鹿馬鹿しいのでブログを更新しなかった。 今日は、夕方の4時過ぎからアンコール遺跡に出かけるつもりだ。なぜなら、16時30分以降は無料で入場出来るとの情報をキャッチしたからだ。 朝はゆっくり起きて、ブログを更新して、遅い朝飯兼昼飯に出かける。 外は35度以上ありそうで、太陽の陽射しが肌を刺す。とても長時間歩いていられない。ホテルのフロントに16時にバイクタクシーを予約して昼寝する。 16時少し前に玄関に行くとバイクタクシーが待っている。5ドルでアンコール遺跡の行ける所まで行ってほしいというと、現在は、入り口付近にも入れないらしい。フロントも知らなかったようだ。当てが外れた‥。 前にもアンコール遺跡は見学しているので今回はパスしようかとも考えたが、せっかくここまで来てアンコール遺跡を見学しないのはもったいない、明日の8時から見学することにして、バイクタクシーを予約する。 2013年3月4日月曜日 ーアンコール・ワットー 8時出発 小雨が降っている 朝方雷をともなう激しい雨が降った アンコール・ワットに行く途中の参道 カメラ片手にお坊さんも見学に来ています アンコール・ワットの手前 名前は分かりません アンコールワット 緻密なレリーフ 回廊 中の壁にはレリーフ 緻密で豪華絢爛なレリーフ 圧巻です 悪魔軍と神々の戦い 七年前は木製の階段がなかった 石の階段で滑って死んだ人もいる 悪魔軍と神々の戦い アンコール・ワット内部の仏様 崩れ落ちた仏像などを展示している 荘重な建物でいて美しい ★詳しいガイドブックもありませんし、専門家でもでありませんので写真の説明は十分でありません。 旅に出て初めての雨が夜中に雷をともない激しく降った。出発時には小雨になる。道路に水を撒いたように土埃がない。空気も昨日とは全然違うようだ。 『アンコール・ワット』は、12世紀に建立された。シヴァ神と並ぶヒンドゥー教の最 高神ヴィシュヌ神にささげられた寺院。寺院を囲む濠と参道、3つの回廊、中心部の5基の塔からなり、周囲5.4キロメートルの環濠がめぐらされている。悪魔軍と神々の戦いを描いたレリーフは200mもあり見ごたえ十分だ。 昨日帰国したOさん、エアアジアは羽田到着が23時なので、山の手線は別として池袋からの西武線に間に合うか心配していたが、30分早く到着したので無事自宅に帰れたとのメールが届いた。 2013年3月4日月曜日 ーアンコール・トムー 悪魔軍と神々の戦い アンコール・ワット レリーフ前で アンコール・ワットをバックに1枚 アンコール・ワット アンコール・トム 四面仏 上に同じ アンコール・トム内部の仏像 アンコール・トム 壁にも見事なレリーフ バイヨン寺院の上からの参道 見事な彫り物です タ・プローム 自然の力はすごい 建物に木の根がしっかりと張っている 建物を飲み込んでいるようだ タ・プローム内部の仏様 時の流れを感じます 『アンコール・トム』は、12世紀末頃に建てられた周囲12キロメートルの環濠、高さ8mの外壁、5つの城門を備えた都城。内部に仏教寺院が建立されている。50以上の塔 があり、すべてに観世音菩薩の四面仏が彫られている。菩薩の顔に囲まれると壮観で、なんとなく信心深い気持ちにさせられるのが不思議だ。 『タ・プローム』は、12世紀中期にジャヤヴァルマン7世が母を弔うために建立された。現在も発見された当時のまま残っている。カジュマルの木が建物にしっかりと根を張っている。目の前に立つと、永い時の流れを感じずにはいられない。 明日はプノンペンに向かう。
2020.06.04
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カンボジアの国境 2013年3月2日土曜日 ーバンコクに到着ー マンダレー国際空港 搭乗券はペラペラな紙だ エアアジア 空港からファランポーン駅まで 座席は木 運賃を支払わずに乗車しました 何回も宿泊したバンコクセンターホテル 部屋の中はきれいに改装されている 前はどこかくたびれていましたが 見違えるようです 私の行きつけの食堂 魚がとてもおいしい チャイナータウンの中華料理店 ここの料理は少し高めだが味は最高です くらげの酢の物、海鮮焼きそば、えびと野菜炒め 夕方から屋台が出来て 大勢の人です 昔 何回か安時計を買った店 今でも挨拶する仲です バンコクセンターホテル正面 元気の出る薬用酒 部屋飲み ホテルから空港までの距離は40キロ少し離れている。交通手段はタクシーしかない。昨日、ホテルに予約していたので、係りの人が20分前に部屋に向かいに来る。運ちゃんはボリュームいっぱいに音楽をかけて、ぶっ飛ばす。1時間のところを,20分も早く空港に到着。 マンダレーを定刻に出発、旧ドムアン国際空港に15時到着。何回も利用した国際空港だ。本来ならタクシーで市内を目指すのだが、鉄道を使ってみた。昔の事を思い出しながら鉄道駅に向かっていると、列車が入 ってきた。急ぎ飛び乗りファランポーン駅まで乗車。当然切符は買っていない。車掌が来るものとばっかり思っていたが、終点まで車掌は来ない。10バーツ(30円)払わずにすんだ。 Oさんが、終点近くなってから、ホテル代を出すから「バンコクセンターホテル」に泊まろうと言い出す。ネットで予約出来るサイトでは4900円ほどだ。飛び込みで行ったら7~8000円すると思ったが、フロントに行くと1800バーツ(5400円)で泊まれてしまった。 夕飯は、勝手を知っているチャイナータウンに出かけ、一軒目は、魚の蒸し焼きを食べさす店だ。色々な魚が並んでいる中からカサゴに似た魚を注文する。これにタイの代表的なビールシンハーを飲む。たまりませんね! 次に中華料理店『和成豊魚翅』に行く。日本の三分の一ほどで本格中華料理が食べられる店。フカヒレは小で500バーツする。大人数で行ったときにしか頼めない。別にフカヒレやアワビ料理を食べなくとも飲茶やチャーハンなども一流の味です。写真の料理はどれもおいしく食べました。ちなみにビール3本と料理で840バーツ(2500円ほど)。 2013年3月2日土曜日 ーバンコク市内でのんびりするー シーロム駅側 おなじみの看板がたくさん見れる 伊勢丹の6階に紀伊国屋書店が入っている 青森りんごが並んでいます 値段は一個600円します 市バスでファランポーン駅に帰る Oさんと約20日間一緒に旅した 私よりも10歳年上ですが元気そのものです エビとイカ焼きにムール貝?を蒸したもの 時間が早いので客は少ない 7時過ぎには大混雑になる かれこれ、バンコクには20回以上来ているので、特に行くところもないが、紀伊国屋書店が入っている伊勢丹に行くことにする。 途中でシーロム駅で乗り換えたので、外の様子が少し見える。シーロムはタイのビジネス界の中心地。この界隈に日本企業の支店も多く、日本語の看板がズラリと並ぶ。夜になると露店がひしめき合い、ゴーゴー バーの客引きが多くなり喧騒なところだ。皆さんも1回は雑誌や映像で見た方もおられると思うが、店の中にはステージがあり、その上で水着姿やノーブラ・ノー〇〇の女の子がダンスをしている所で、お客はコーラやビールを飲みながら可愛い女の子のダンスを眺めることが出来る所だそうだ。ここの通りは別名『タニヤ通り』も言われている。竹ちゃんずいぶん詳しいと思われては困りますので、念のために出入りした事はありませんから。 私のホームグランドはチャイナータウン、活気と喧噪に満ちて独特の雰囲気が好きだからだ。 明日は、Oさんはバンコク~クアラルンプール~羽田で日本に帰国する。私は、朝の5時55分の鈍行でカンボジアを目指す。 2013年3月2日土曜日 ー12時間の大移動ー ァランポーンからアランヤプラテート行き鈍行列車 朝の5時35分の駅構内 まだ暗い 結構込み合っていた 通勤時間なんだろう 木製のベンチ ケツが痛く、シビレ出した カンボジアの国境 ビザ代20ドル プラス100バーツの賄賂を要求されるが 当然断りましたが別に問題なし バイクタクシー、後ろが4人がけになってる 東南アジアは色々な乗物がある 夕食 停電 カンボジアも電気事情は良くないようだ カンボジアのアンコルビールを飲む 広い部屋です扇風機、ホットシャワー付きで10ドル 3泊する ホットシャワーにトイレ なかなかきれいです 朝、5時55分の鈍行列車でカンボジアを目指す。木製のベンチで、冷房はもちろんありません。窓を全開にし、朝の内は涼しい、だんだん生暖かい風を浴びながらの長時間乗車はケツが痛くなり、それを通り越して痺れてくるではありませんか、6時間のちょっとした苦行でした。 アラヤンプラテートには30分遅れの12時15分に到着。すぐに乗合バスで国境に向かう。 タイの出国手続きに40分、カンボジアのビザと入国に1時間かかる。係りの男に100バーツの賄賂をよこせと言われるが、何回も断った。最後に男はあきらめてパスポートを渡してくれる。シェムリアップ行きのバスに乗込んだのが14時40分、到着が18時少し前。ここからさらに、バイクタクシーと交渉してホテルに向かう。たかだか3ドルを1ドルに値切る。 目星をつけたタケオG.Hに無事宿泊できる。とりあえず、カンボジアのお金が必要だ、ホテルでタイのお金1200バーツを両替する。32ドルになるようだ、1ドルが4000リエルなので128000リエルになるはずが、ホテルの男は100000リエルしか渡してくれない。文句を言うともう一度計算して、28000リエルを渡してくれる。油断も隙もあったもんでない。 本日から一人旅が始まった。
2020.06.03
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「サンダムニ・パヤー」 境内には1774の小仏塔が並ぶ 小高い山には「マンダレーヒル」 2013年2月25日月曜日 ー寺院・仏塔を見て回るー 朝食 コーヒーが本物だ、やはりうまいですね 今まですべてインスタントコーヒーだった クドードォ・パヤーの石版に 刻まれた経典 小仏塔の中に石版が納められている 半端な数ではない729もある 壮観です 花を売る少女 顔のタナカがかわいい 世界最大の経典 昨年7月生まれの 私の孫娘に似ている サンダムニ・パヤーからマンダレーヒルを望む 境内には1774の小仏塔が林立している 中には仏典が納められている 35歳のサイカーの男 チャウットーヂー・パヤーの大理石の仏像 肌が艶かしいので有名です チャウットーヂー・パヤー マンダレーヒルの仏像 マンダレーヒルの中間に日本人慰霊碑がある 花をあげ線香焚いた ウズラの仏塔 皆さん熱心にお祈りしています マンダレーヒルの頂上 モザイクの装飾がきらびやかです 装飾が本当にきらびやか マンダレーヒルの上から撮る 標高236m wifi速度がそこそこなので、何とか昨日までの出来事を更新することが出来た。 本日は、昨日予約したサイカーに乗りマンダレーの仏塔を見て回る。『クドードォ・パヤー』は、仏陀が悟りを開いてから死ぬまでの説教をまとめた経典を刻んだ石版が小仏塔の中に729納められている。その規模は世界最大だ。空の青と木々の緑に白の仏塔が眩しい。 『サンダムニ・パヤー』の境内にも1774の小仏塔が林立し、中に仏典を刻んだ石版が納められている。こんなに数多い小仏塔は圧巻だ。 『マンダレーヒル』は標高236mにある。丘全体が寺院となっている。入り口を入ると両脇にお土産屋が並び、日本の門前前に良く似ている。日本そうだが、参道に並ぶお土産屋の衣類などは垢抜けない、ミャンマーも誰が着るのか不思議なデザインのシャツやドレスなどが陳列されている。 第二次世界大戦で亡くなられた方々の慰碑に花を供え線香を焚く。ここ数ヶ月は誰も慰霊碑を訪れた様子は見られない。ここの墓守は評判がよろしくない。日本人が来ると目ざとく墓の周りを掃除したり、線香を持ってきて、後から金を要求するようだ。われわれは、途中で花を買求めたが、最後にお金を30円払えばよさそうだ。墓守が慰霊碑の回りを掃きだした。さらに線香を焚いてわれわれに渡してくれる。先ほどの花屋で30円と言われたので、花代にローソクに線香代、掃除代で30円を渡す、不服のような顔をするが無視して立ち去る。30円は安いです、でもね‥。 見学を11時15分に切上げて、昼飯にビールを飲んで昼寝だ。 2013年2月26日火曜日 ー金箔工房をビジネスで訪れるー ビヤホールでこの一杯がうまい! 鶏手羽 魚のミンチを揚げたもの ポテト シュエナンドー僧院 建物全体に彫刻が施されている 精緻な装飾が施され 見事です 正面 本当に見事な彫刻です アップで撮りました 見事な彫刻が見応えがあります 旧王宮 再現されたものです らせん階段で上がる監視塔 旧王宮内部 美しく再現されている 二人で記念撮影 城壁 門の上の建物はかなり古いので趣があります 外壁はそのまま残っている 一辺が3キロ、高さ8メートル 外堀に写っている門 金箔工場 すべて手作業だ 重労働だ ホテルの前で客待ちしている、サイカーの男に声かけられる。とりあえず、建物の外壁や内側に見事な彫刻が施されている『シュエナンドー僧院』まで乗せてもらったが、帰りのこともあるので『旧王宮』と『金箔工房』に行ってもらうことにする。もちろん、ホテルまで戻る料金を入れて80000チャット(800円)だ。ただ、昨日のサ イカーの男と比べるとパワーがない。同じ35歳なのに、走るスピードが全然違う、ノー・パワーな男だ。こちが、かわいそうになり、slowly More slowlyと声をかけるしまつだ。 『シュエナンドー僧院』は、建物全体が精緻な彫刻で覆われている。彫刻の芸術作品だ。 『旧王宮』は、正方形の敷地で一辺が3キロ、とてつもなく広い。残念なことに、1885年にイギリスが占領し、財宝のほとんどを奪い、ロンドンの美術館に展示している。また、1942年には日本軍に占領され、その後英印連合軍と戦闘になり、王宮は焼失してしまった。当時のまま残っているのは、城壁だけ。今現在は、美しく再現された壮麗な旧王宮を見ることが出来る。 これで、マンダレーの見所はほとんど見学したことになる。 『金箔工房』は、落ちないゴールドロックの真下でひらめいた、今後のビジネスのために訪れてみた。(2/17 受験生の代わりに祈ります)作業は重労働で、竹の皮を3年間水に漬けて、柔らかくして乾燥させ、金粉を包み、ハンマーで何回も叩いて、金箔にする。3センチ四方の金箔10枚で7000チャット(700円)。これを仕入れて金箔の裏に『〇〇合格祈願』と書いたものをゴールドロックに貼れば、合格間違えなしだ! だんだん、やる気になってきました‥。 また、どうしようもないひらめきだとtakakoさんに怒られるかな‥。 2013年2月27日水曜日 ーミャンマー最後の日ー 上が氷、溶けて冷たい水になる 氷水を売っている いろいろな商売があるもんですね 朝の旧王宮 排気ガスでよどんでいる 空気が相当悪い マンダレーの駅 列車は荷物を運ぶのがほとんどだ 色々な荷物 駅の側の麺屋さん スープがおいしそうでした 果物は中国産が多い 特にりんご 猫もミャンマー風です のんびりしています 昼飯 ブロッコリー炒め 鶏肉と野菜のサラダ これでビール3本飲みました 床屋さん 長期の旅行では必ず散髪する 100円 かなり短くしてもらいました どうですか、いい男ではありませんか ミャンマー最後の日は、遅い朝食を食べて、街をぶらぶらする。東南アジアはどこも、市場は大変な喧騒だ。ここ、マンダレーは中国に近いので中国人が多い。ホテルやレストランは中国人の経営が非常に多い。中国から色々な物資が流れ込んでいる。果物は中国産が特に目立つ。街中を歩いて立派な家は大体中国人・インド人の家だ。ミャンマー政府の官僚たちは中国政府や企業から賄賂や献金をもらって贅沢な暮らしをしていると、サイカーの男は言っていた。一般の市民は中国人は大嫌いだと言っていた。 ともあれ、明日はバンコクに飛ぶ。大雑把にミャンマー旅費は、ホテル代約18000円(13ドル×14泊)、食事代と交通費に仏塔見学代約29000円で、トータル47000円だ。これに、航空券54000円を足すと約10万円、2週間旅して格安だとは思いませんか。
2020.06.02
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若い尼さんがが托鉢しています 朝から晩まで一日中托鉢している 2013年2月24日日曜日 ー本日はのんびりと過ごすー コブのある牛 エーヤワーディー河 乾季で水量も川幅もない 写真では分かりませんが 船のバッテリーの充電のために家に運んでいる 相当の重量だ 首が強い 見事なバランスだ 豚さんも何かのんびりしているようだ 三人の女の子 頭に野菜などを載せて売り歩いている ミャンマーの古い家 日本の昔の駄菓子屋風だ 鶏肉にハエがいっぱいだ 黒いのがハエ そんなこと誰も気にしまません 壷や瓶の焼き物 乗合トラックバス 30人は乗っている 我々が4泊したホテル(一部屋1300円) ホテルから10分足らずで、エーヤワディー河に行くことが出来る。写真では分からないが、相当の川幅のある河だが、今は乾季で半分ほどが砂地となっている。ここから船でマンダレーに行くことも出来る。 河に近づくと船からバッテリーを外して、頭の上に持ち上げた。そうとな重量だと思うが軽々と頭に載せて歩き始める。全然バランスを崩さないですたすた歩くのだ。見ていて惚れ惚れしてしまいました。 本日は、市場見学や町をぶらついてのんびりと過ごす。 2013年2月24日日曜日 ーバガンの仏教建築物見学ー 本日は、馬車でオールドバガンを回る シュエズィーゴォン・パヤー シュエズィーゴォン・パヤ シュエズィーゴォン・パヤ 名前は分かりませんが、赤茶けた仏塔 ティーローミィンロー寺院 傘の王寺院 仏像 仏像 仏像 優しい顔です 仏塔の周りは作物が植えられている 仏教遺跡と人間の営みが一体化 大小さまざまな仏塔が林立する スラマニ寺院 記念に一枚 仏塔が並ぶバガンの平原 見応えがある 白の仏塔 ミャンマーは毎日30~32度ある。ただ、日陰に入り風があれば涼しい。湿気がないのがいい。7~10度の東京の家族や友達に申し訳ないが、この時期の東南アジアは、乾季で暑さもきつくなく過ごしやすい。 本日は優雅に馬車を半日チャーターして、オールドバガンの遺跡を見て回る。約40キロへホーメートルのエリアに、大小さまざまな仏塔や寺院が林立している。今現在残っているのは、11~13世紀の建造物だ。 ミャンマー最大の見所で、貴重な仏教遺跡が見ることが出来る。広い平原に数千ともいわれる仏教建築物が点在している。写真でもわかってもらえると思うが、平原に立ち仏教建築物を眺めると、神秘的で幻想的な気持ちが湧き上がってくるのが不思議だ。 2013年2月25日月曜日 ーマンダレーに到着ー 昼食 ミャンマーの代表「モヒンガー」米麺 辛い 道端の水道もない掘っ立て小屋で食べました味は悪くなかった マンダレーのホテル エアコン、ホットシャワー、トイレ、朝飯付き30ドル(二人分) 清潔な部屋です それなりの設備は完備 ホットシャワーが使えます マンダレーの中心 時計台 尼さん 中学生から高校生くらい 店の前で托鉢している尼さん 店の人はお金を渡していた 遅い昼飯 インド料理 カレーにチャパティ 夕食 飯がうまい 日本の炊き方だ 本日は、バガンからマンダレーまで6時間かけて移動だ。今回は生活道路を走るので、20~30分おきにそれなりの町を通過する。小さな市場やバイクタクシーの男たちがたむろしている様子がうかがえる。ミャンマーでは携帯電話は10人に1人の割りあいで、バスで通過する町の道路端に貸し 電話屋を何件も見ることが出来る。でも、あと数年もすれば相当の数の携帯電話が普及するのではないだろうか。 マンダレーの市内からバスステーションは10キロ以上離れているので、ホテルまで行ってくれるタクシーを探す。運ちゃんの言い値は800 円、それを600円にしたが、それでもやや高いと思ったが、知らない土地で荷物もあり宿探しに時間を取られるのも消耗なのでタクシーで行くことにする。私1人だったら絶対に乗合バスで行きますが。 ホテルは、それなりの設備が揃いきれいに掃除されているので4泊することにする。 とりあえず、ATMでミャンマーのお金を引き出さなければならない、ホテルの人に聞きATMを探す。しかし、VISAカードや国際カードに対応しているATMはなかなか見つからない。40分も人に聞き探すが見つからない。 喉も渇きビールでも飲んで考えようと入った店にATMを聞くと、サイカー(自転車の横に2人乗りの座席を取り付けている)の男をわれわれの前に連れてきた。そこそこの英語を話すので、ATMまでの道を聞く。親切に教えてくれたので好感を持ち、ATMまで連れて行ってもらうことにする。ついでなのでそのままホテルまで送ってもらう。 さらに、明日の観光も半日800円で頼むことにする。サイカーの男は得をしました。人には親切にすれば良い事があるということですね。
2020.06.01
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ミャンマーの人たちはタナカを顔に塗って 日焼け止めしている 2013年2月23日土曜日 ー新手の詐欺かー チャイプーン・パヤーの仏像 高さ30mの太い柱4面に座仏が造られている 寝仏の足の裏 モザイク装飾が見事だ シュエモードー・パヤーの 過去の地震で崩れ落ちた先端部分 バゴー最大の見所 第二次世界大戦で亡くなった 日本人の慰霊碑 バゴーの市場 市場で色々な豆を売っている 川魚の干し物 バゴーの市場 活気があります いろいろな色の野菜が売られている お父さんに無理言って、ズボンの内側に隠し袋を作ってもらっているところ 食堂の調理場 燃料はまき ★wifi事情が悪く、なかなか更新できませんでした。今日、マンダレーのホテルから更新できました。しかし、wifiの速度が遅くて時間がかかります。 暑くならない午前中にバイクタクシーでバゴーの仏塔を見てまわる。「チャイプーン・パヤー」は、高さ30mの太い柱4面に座仏が造られている。建立は1476年。次にバゴーで有名な全長55mの「シュエターリャウン寝仏」は、寝仏の足裏や枕のモザイク装飾が見事だ。続いて、バゴーの最大な見所「シュエモードー・パヤー」は、仏陀の遺髪2本を納めている。最初の塔は23 m、その後何度も改築されて1385年に84m、1796年には91mと高くなったが、1912年、1917年、1931年に立続けに地震の被害を受けて塔が崩れ落ちてしまった。今現在の塔は、1954年に建立され114mの高さになった。 昨日、ATMでお金を引出しのさい、引出し金額明細書が出て突然停電だ、現金が出てこない。連絡用の電話も係りの人も いない、あせった。機械を叩いてみたり、さすったり、なだめたり、馬鹿・間抜けと機械に怒ってみても全然反応してくれない。これは外国人をだます新手の詐欺かと思ってしまった。明日、銀行が開いてから文句を言ってやろうと考えていたら、ガードマンが現れて、停電なので少し待て、再チャレンジしろと言っている。 引出し金額明細書を見せると、ノープロブレム(問題ない)といっているが、約1万円を損するのではないかと心配になる。停電も解消され、10万チャット(1万円)を引出す、やれやれだ。ミャンマーは電気事情がかなり悪く、日中も夜中も何回も停電する。 2013年2月24日日曜日 ー門前の小僧習わぬ経を読むー 三輪バイクで高速道路のバス停まで行く 三輪バイク 日本の中古トラックは乗合バスになり活躍しています 三輪バイクから撮る 朝の通勤風景 ドライブインで昼飯 魚カレー ポークカレー がんばろう! 日本 ドライブインの噛みタバコを売る女性 噛みタバコ 台湾のビンロー覚醒剤? 興奮剤 噛むと痺れるそうです 夕飯 豆腐刺身80円 日本の豆腐と変わりません 豆腐と野菜の和え物 朝7時30分に三輪バイクに乗り、のどかな山村風景の中を走り、約1時間でバガン行きバス停に到着。高速道路がヤンゴンらマンダレーまで開通しているので、ヤンゴンから2時間ほどの途中のバス停だ。バス停といっても何もない、道端で、5歳くらいの女の子と母親が水とゆで卵を並べているだけだ。すぐ側で、若者がタイ製造のホンダの新車バイクを解体している。話を聞くと、部品とりで、故障したバイクの修理に使うとの話だ。いろいろな商売があるんですね。 高速道路を走る日本の中古バスは時速100~120キロのスピードで、周りに何もない森の中、高原、丘陵をひたすら走り続ける。バスには「がんばろう日本」と書かれている。それを指さしてミャンマーの人に「ファイト ジャパン」といったらうなずいてくれた。あんまり意味ないか‥。 16時少し過ぎにバガンの町に到着。さっそく、バイクタクシーや馬車の男に40000チャット(400円)でホテルまで行くと勧誘される。冗談じゃない、歩いて1キロもない距離だ。無視して歩いて目指すホテルまで行く。部屋は広く朝食付き、水シャワーとトイレが付いて25ドル。 ここのホテルのスタッフの1人は日本語を流暢に話す。日本語をどこで習ったかと訊ねると、「門前の小僧習わぬ経を読む」ですと返ってきた。朝は、「早起きは三文の徳」などと色々なことわざも知っている。全部独学で、宿泊する日本人と話して覚えたのだ。門前の小僧と言われても今の若い人はピーンときますかね?恐れ入りました。 2013年2月24日日曜日 ーポッパ山の寺院に行くー ビルマのフルコース 大きい皿はカレー5品 小さい皿副菜12品 ご飯にスープ 腹いっぱいで半分も食べられませんでした とても全部食べられません 乗合トラックバス 20名以上と屋根にたくさんの荷物 この女性から途中でイチゴをもらう ポッパ山 山頂の仏塔内部 山頂からの眺め サルがたくさんいました 宗派が違うんでしょうか‥踊り、太鼓や笛が大きな音を出していて騒々しい 忽然とそびえるタウン・カラッ 昼飯 米麺にゴマやひき肉に甘いたれを 絡めて食べる 大変おいしく頂きました ちなみに30円 安い! 市場は名前の分からない川魚がたくさんいた 空き缶捨てません 色々と工夫して生活に 役立たせます 昨日の夕食はすごかった。初めから解って注文した訳ではない、写真のように大小の皿にカレーや副菜が並ぶ。ミャンマー料理の店に入ってメニューを見て、3種類のカレーを注文しようと係りの女性に、言葉がわからないがどんな料理かと聞いていると、男が現れて何か言って引上げた。少し すると次から次と料理が運ばれてくる。いまさら、注文していないと言ってもしょうがないので、大して高くもないと思い食べ始める。ご飯に少しずつカレーと副菜を乗せて食べる、味は悪くないのだが一向に減らない。おそらく残したカレーは捨てないで鍋に戻すのかな‥、カレーも副菜も火を通せば日持ちするものばかりだ。ビール3本と料理で1200円、あまりの安さにビックリだ。 本日は、乗合バスで2時間かけてナッ神が宿る伝説の山、ポッパ山に行って来た。 乗合バスの乗客は我々2名を含めた外人5名に地元の人18名ほど乗っている。さらに果物や野菜などが屋根の上に積まれている。地元の人と『旅の指さし会話帳』で話をしながら進む。途中で60歳の女性がとうもろこしを買い、私にくれる。ありがたく頂戴した。帰りは、姉妹にイチゴを頂く。 旅先では、どんな場合でも私は断りませんし、せっかく頂いたのですから、喜んでおいしく食べる。それは相手への感謝の気持なんです。 ポッパ山には、古くパガン王朝の時代よりミャンマーの土着宗教である ナッ信仰の聖地とされてきた。標高737mの高さに寺院がある。頂に神々しくそびえ立っている。ここは1年中さわやかな気候で、花、鳥、蝶などの観察が楽しめるところだそうだ。
2020.05.31
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ゴルデンロック 2013年2月18日月曜日 ー茶葉と納豆を食べるー バスの乗客相手の物売り ミャンマーのバスは日本の中古車がたくさん走っている 西武バスや滋賀交通など まるで日本国内の感覚です マンダレービル 赤ラベルはアルコール度数7% ブールは5%でマイルド 本日のホテルのあるキンプンの町並み 夕食 茶葉を漬けたものがスープに入っている 少しすっぱいがあっさりとした味だ (左上)大豆?を醗酵させたもの、納豆の油いため 食堂の従業員 左の子はやり手だ 強引に店に引張られる 顔にタナカをつけている 本日は、3時間30分でキンプンの町に到着する。ここからさらに2時間進めば、落ちそうで落ちない大岩が見られる。朝食付きで30ドルのホテルに決めて、さっそく昼飯に出かける。魚カレーにマトンカレー、鳥カレーの小皿を注文するとご飯にスープが出てくる。ご飯はおいしくない、やはり日本の米は最高だとつくづく思う。 ここまでのミャンマーの印象は、皆さん物静かで、大声で話している人はいないので、食堂でも町を歩いていても騒々しいことはない。車のクラクションもほとんど聞くことはない。ミャンマーの面積は日本の1.8倍、人口は6500万人、85%は仏教徒だ。まだ数日しか経っていないが、ミャンマーの人々は心穏やかな人が多いように見受けられた。 夕食に入った店では、珍しいものをサービスしてくれた。茶葉を漬込んで醗酵させ、その葉をスープにしたのと、おそらく大豆だと思うが、ねばねばはないが日本の納豆そっくりな食べ物が出てきた。本で読んだことがある食べ物で、ようするに保存食。大豆を蒸して、醗酵させ、料理の調味料などとして使われる。今回出されたものは、納豆を油で炒ったものだった。ビールのつまみには最高です! 2013年2月18日月曜日 ー受験生の代わりに祈りますー 政府運営のトラックバス 横に6人、縦に7列 1人250円の運賃だ まーあ、すごいと言うしかありませんね このトラックバスで40分の上り 九十九折 日光のいろは坂みたいだ クッションなんてありません 4人でかつぐ人力かごで上を目指します 乗っかっている人、本当に楽なんですかね? なんかつらそうに見えますよね 足裏の幅だけ進みます ゴルデンロック でも不思議ですね 落ちそうで落ちない大岩 少し押せば転がり落ちそうです 押してみましたが、ビクともしませんでした 記念に1枚 お年寄り、足腰の弱い人には助かります 昼飯 魚カレー、たけのこ炒め 鳥カレー 道路に面してスピーカーで何か言っている 大きなタライにお金を入れてもらっている 貧しい村の人たちが寄付を募っているのかも? 町から離れた所に立つ家 政府運営のトラックバスに、横に6人、縦に7列の42人、さらにトラックの後ろに6名が立ち総勢48人が乗っている。進むにつれて九十九折の上りになり、身体が左右に大きく揺れたり、縦にジャンプしながらぐんぐんと上っていく。人を乗せているというよりも荷物や、豚や鶏でも運ぶように詰め込まれた人間が、文句も言わずにおとなしく耐えている。よくもこんなトラックバス を考えたものだと感心してしまう。ちなみにトラックは日本の中古だけあって馬力があり、エンストすることがなく40分で上りきった。日本で廃車にされてもミャンマーでは息を吹き返して活躍しているのだ。涙ぐましいですね。 トラックバスを降りて15分も歩けば、ゴルデンロックの真下だ。近くで見ると今にも転がり落ちそうだ。でも、けして転がり落ちることはありません。 そこで、ひらめきました。私だったらここに受験の神様だといって一儲けしちゃいますけどね‥。受験生の代わりに金箔を貼って祈って、1万円で請けよいます。絶対に落ちることないんですから、安いもんです。先着100名限定で来年から商売にするぞ!! 話を戻して、皆さん大岩に金箔を貼り付けて、熱心に祈っているのが印象的だ。参道にはお土産屋が並び、日本の二昔前の垢抜けない衣類や粗雑な子供の玩具が並んでいる。店の男に声をかけられて、振り返ると山羊(野生のカモシカ?)の首が私をにらんでいる。男は、黒い何かの乾燥した物を買えといっている。言葉は理解できないが、山羊の内臓を干したもので、日本だったら熊の胆嚢だ。おそらく薬の効用があるのだろう。もちろん、買ったりはしていません。 2013年2月21日木曜日 ー wifi繋がりませんー 現在、バガンにいます。こちらの電気事情が最悪でブログ更新できません。 停電は日に4~6回あり、そのつどwifiも切れてしまいます。繋がったかと思うと次の画面に切り替るまでチョー遅くブログ更新どころでありません。 メールチェックも出来ませんので、ブログにコメントいただいている方や、直接メールいただいている方には大変申し訳ありませんが、wifi事情が改善されましたら返事します。 23日にマンダレーに移動します。
2020.05.30
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寝仏 2013年2月15日金曜日 ー憧れのミャンマーに降立つー 搭乗手続きは、自動航空券発券機でしなければならない 慣れないので時間がかかる 空港から市内に向かう 日本の中古車が目立つ 乗合トラックバス すごい混雑だ 朝飯 三種類のカレーを食べる スープと生野菜が付く 生ビール 一杯60円 冷えていてウマイ! 本屋通り 新刊本の店も数件ある 古本は外で売られている 日本の神田神保町みたいだ wifiの繋がるところがなくて、本日やっとブログを更新しました。これからも、ブログ更新がなくとも心配しないで下さい。出来るだけwifiが繋がるところを見つけて更新します。 2時間のフライトで、ヤンゴン国際航空に8時15分に到着。日本との時差は-2時間30分。 通勤ラッシュの影響だろうか、途中何箇所かで渋滞に巻き込まれて、市内まで30分のところ、1時間以上かかる。トラックバスに詰められるだけ詰められた人たちが乗っている。何台も市内を目指して走っている。乗用車もバスもトラックも中古の日本車が目立つ。国際興業の赤羽と書かれたま まの黄色のタクシーが客を乗せて走っている。ミャンマーなのか、東京都内なのかよく分からなくなる。 昼飯は、魚カレー、ウインナーカレーに酸味の利いた野菜炒めの三種類のおかずに、ご飯とスープに生の玉ねぎが付いて、勘定をすると550円とべらぼうに安い。そうだ、コーヒー代も入っているんだ。 夕飯は、生ビール6ハイ飲んで(私が4ハイ)、フライドポテト、米の細麺と海鮮炒め物、豚の耳の炒め物を食べて勘定は950円だ。生ビールは60円、黒生ビールは65円と少し高い。マレーシアでは大瓶550円と高かったが、ミャンマーは酒飲みには天国ではありませんか‥。 2013年2月15日金曜日 ーヤンゴン市内散策ー 露天市場 えびの干し物 煮干? ヤンゴン川の魚たち なまずが結構多かった 唐辛子 肉屋さん 新鮮です 酒屋さん 洋酒のビンにミャンマーのウイスキーが入っている ボータタウン・バヤーの仏塔 タナカをぬっている男の子 日焼けクリーム 仏様 スーレー・バヤー 米の細めん チキンと臓物が入っている あっさり味でいくらでも食べられる おいしい寿司 すし屋の店内 にぎりセット 250円 そこそこの味です てんぷらセット 200円 車えび2本と野菜 町のモツ屋さん くしに刺して熱い汁に入れて食べていた ビールがあれば挑戦したのに? 夕方 たくさんの人で混雑している 食べ物の屋台 衣料品を売る屋台 小麦粉と野菜と小魚のお好み焼き スーレー・バヤー 朝8時から『ボータタウン・パヤー』に出かける。2500年以上前に、8人の僧がインドから仏陀の遺品を持帰り安置した。その仏塔は第二次世界大戦の爆撃を受け崩れ落ちた。改修工事の最中に宝物が発見され、そのなかに仏陀の遺髪や聖歯と思われるものも含まれていた。仏塔は金ぴかでまぶしい。ミャンマーでは生まれた曜日が大事で、私は水曜日生まれなので牙像だ。仏塔の周りに月曜から日曜日までの神様がいて、自分の神様に熱心に祈っている。 『スーレー・パヤー』太陽の光を浴びて、金色に輝いている。ここにも、仏陀の遺髪が納められている。ヤンゴン市内の中心にあるので、朝の出勤前や仕事帰り、買い物の途中に気軽に立ち寄り、お祈りをする。誕生曜日の守護神に熱心に水をかけ、花を供え、ローソクや線香を立て熱心にお祈りしている。ミャンマーの人々にとって仏教がいかに大切で、生活に溶け込んでいるかがよくわかる。 晩飯は、おいしい寿司に出かけた。日本のびっくり寿司で修行した仲間で始めた店だ。残念なことにアルコール類は置いていない。寿司には酒、酒がない寿司は食えるかと念じたら通じました。店のオーナーが酒屋からビールを買ってきましょうか、といってくれるので、すぐにお願いした。当然買いに行った女性には1000チャート(100円)のチップを渡した。 2013年2月18日月曜日 ーミャンマー1番の見所ー 寝仏 どうですか、なんとも優雅ではありませんか こんな顔の人見たことありませんか? 目がパッチリ まつ毛がカールしています 昼飯 米の細麺 あんかけ風 上にゴマと豚のひき肉 味は甘辛 まばゆい黄金の仏塔 皆さん熱心に祈っている 大きな鐘 国内外から参拝に来るのが分かりますね 境内 仏様 光輝いている 電気で光っている 仏様の前で食事しています 記念に1枚撮りました wifiの電波が弱くて、ブログ更新に時間がかかりいらいらしました。 朝8時にホテルを出て、寝仏が祀られている『チャウッターヂー・パヤー』に行く。全長70メートル、高さ17メートの巨大な寝仏が優美な表情で出迎えてくれる。目がパッチリとまつ毛が長くカールして現代的な顔をしていると思いませんか? 次に、ミャンマー最大の聖地『シュエダゴォン・パヤー』に行く。仏塔は参道から金色に輝き、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせている。その聖なる力に誘われて、国内外から毎日大勢の人々がお参りにやってくる。 ここの仏塔は、今から2500年以上もさかのぼる。ここにも仏陀の遺髪が8本納められている。ひんしゅくを買うことを覚悟して言っちゃいますが、仏塔のあるところに必ず仏陀の遺髪が納められていますが、そんなに仏陀の髪の毛はふさふさだったですかね? すみません、馬鹿な話で‥。 日曜日なのかもしれないが、広い境内のあちこちで弁当を食べている家族を見ることが出来る。ミャンマーの人々に仏教がいかに浸透して生活に溶け込んでいるかがよくわかりました。
2020.05.29
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2013年2月12日火曜日 ークアラ・ルンプールに移動ー マラッカからクアラ・ルンプール行きバス 横3列でゆったりとしている マラッカのバスターミナル クアラ・ルンプールのチャイナタウンの古い建物 ブラジルビール 飲み慣れていないビールの味だ 少し苦味がある それでもビールはうまいね! 値段が安ければ言うこと無いんですがね マレーシアは大瓶600円する 中華料理店で正月料理を食べる 豚肉と野菜いっぱいの薬膳料理みたいだ 豚肉がやわらかくとてもおいしい 夜の屋台 夜市 屋台がたくさん出ている 人もたくさん とても混雑して喧騒だ 毎日が夜店なんだそうだ なんとも楽しいではありませんか 一晩眠ると夜中飛行の疲れが取れて、今朝は快調だ。朝飯はタイ風の細麺を食べる。スープが辛くて身体がシャキとする。 昨日の同宿だった年配の話、66歳で脳梗塞で2回倒れても旅をしているのにはたまげた。言葉が言語障害の影響で聞きづらいが、言っていることは70%位は理解できる。60歳で家業を息子に譲り、寒い冬は東南アジアで6ヶ月間過ごすそうだ。寒いのが病気に良くないので、暖かな東南アジアは金もかからず過ごせるので毎年の行事になっているようだ。ここ、マラッカには今日で2週間泊まっている。一泊650円のベットがあるだけの狭い部屋だ。それでも1缶270円する缶ビール2~3本は飲むそうだ。1日1500円で1月45000円程度でロングステイ出来ちゃんですね。でも、退屈そうでしたよ。 話し始めたら止まらない、いつまでも話されるので、適当に話を切り上げるのに苦労しました。 本日のホテルは、1軒目は広めのダブルベットの部屋だったが、男同士で1つのベットは慣れていないので、慣れていたら気持ちが悪いですよね。 私は、そっちの気はありませんから、念のために。2件目のホテルは窓がないが、ベットが2つ、トイレとシャワー付の部屋で、それなりにきれいなので宿泊することにする。ちなみに、1軒目は1700円。宿泊するホテルは3000円、いずれも2人分の料金。 初めて「トラベラーズロッジ」で会ったのが「トクさん」だった。トクさんは2018年1月にペナン島で脳出血で倒れて帰らない人となった。彼とはそれから何回も旅先で会い、食事をしたり酒を飲んだり一緒に旅をした。 ★トクさんのHPを何回も私のブログで紹介しましたが、昨年から削除されているのでアクセスは出来ませんのでご了承下さい。 2013年2月12日火曜日 ークアラ・ルンプール散策ー 中国寺院 上のうずまきは線香 天井から吊るされている線香 何時間持つんですかね 朝早くから皆さんお祈りしています ヒンドゥー寺院 派手派手です 朝飯 ご飯に自分でおかずを載せる これで150円 9時でたくさんの人が食事しています 朝飯なんでしょうね スルタン・アブドゥル・サマド・ビル Oさん若いですね、私の10歳上 昨年のインドの時は55キロ、今は61キロ 日本に帰るときには何キロになっているんでしょうね 昼飯に黒ビールとワンタン麺 私は黒ビールが大好きです 中国人3世 マレーシアのカップル 同じテーブルになった、中国人3世のおじさん、マレーシアのカップルと、片言の英語と筆談で会話して仲良くなる。なかなか羽振りのよさそうな中国のおじさんに、黒ビールをご馳走になる。 電車の中でも、マレーシアの若い女性に親切にしてもらったり、道を歩いていると挨拶されたりして、とても感じがいい。マレーシア人に好感を持ってしまいました。特に若い女性にです‥。 本日は、空港で夜を明かして6時55分フライトだ。キツイのも今日まで、ミャンマーに入ったら同じホテルに2~4泊しながら次に移動するので、身体は楽になるはずだ。
2020.05.28
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2013年2月8日金曜日 ー旅の荷物は3.2キロー ノートPCと電源プラグA・C・BF の三種類 今回のザック 荷物を入れて量ってみると3..2キロ 今までの東南アジアの旅は、2キロ弱の荷物で10日~2週間くらい旅してきた。今回は、パソコンを入れて3.2キロ、42日間の荷物としては軽い、これなら楽勝だ。 今回の持物は、パスポート、航空券(Eチケット)、お金(700ドル、日本円3万円)、国際キャッシュカード、ビザ用写真、パソコン一式、カメラ、短パン、パンツ2枚、半袖シャツ2枚、靴下2足、洗面具(歯磨きセット、ひげそり、タオル)、筆記用具、その他に家から空港までの服装、足りないものは現地調達だ。 2013年2月9日土曜日 ー「東南アジア六カ国の旅」の予算ー ジーンズの内側に隠し貴重品入れ パスポート、カード、お金を入れる 数年前に神保町の古本祭りで300円で買い求めた これでコミュニケーションばっちりだね! 本日は、関東在住の青森県平内町出身者が40名集まる『東京平内町ふるさと会』の総会・懇親会が、『ホテルグランドヒル市ヶ谷』で開催される日だ。この会の事務局を仰せつかっているので、総会の準備もそうだが、司会進行も私の仕事だ。当然二次会も予定されているので、途中から抜けられ ないと思う。なるべく早く帰宅して、荷物をチェックして池袋でOさんと20時30分に待合せて、羽田に向かう。出発は23:55分だ。 前回の『ユーラシア横断』で使ったお金は、予算100万円に対して73.8万円だった。帳簿上26.2万円残金がある。ただ、昨年の10月に出版業界の仲間6名と大連旅行で5万円ほど使った。それと、12月26日~29日にホーチミンに行ってきた。こちらは、私の所属している山岳会のS先輩が飛行機代とホテル代を気前よくポンと出してくれたので1万円位しか使っていない。それでも、20万円は残っている計算だ。 話は先の事になるが、4/15~5/10の期間、山岳会のS先輩とブータンツアーとネパールでトレッキングして、さらにアンコルワットを見学する計画がある。もちろん、『エアアジア』で羽田⇒クアラルンプール⇒カトマンズ⇒バンコク⇒クアラルンプール⇒羽田の航空券を87,000円で手配した。ブータンツアーは、カトマンズの旅行会社に四泊五日で169,000円で手配した。トータルで256,000円だ。 日本の某旅行会社に、ブータンツアー9日間を依頼すると、基本料金35万円+燃油サーチャージ代4万円で40万円近くする。この旅行もS先輩が私の旅行代金の6割負担してくれる。それでなければ、行けませんよね。話を戻して、大雑把な42日間の予算は次の通りだ。 航空券代(すでに購入済み) 56,285円 ホテル代1日1,000円×41日間=41000円 食事代1日1,000円×42日間=42,000円 交通費1日1,000円×42日間=42,000円 トータル=181,285円 計算では、18万円そこそこで行って帰ってこれそうだが、果たしてどうなりますやら…。 2013年2月11日月曜日 ーマラッカの町を散策ー 空港からバスで移動してエアアジアに乗込む 既存航空会社の飛行機は83cm、エアアジアは78cm 座席は狭いがそんなに気にならない エアアジアでは機内安全説明は乗務員が説明するんですね 朝飯 マカロニスープ、ジャコのだしが効いている 鶏肉とひき肉がやわらかくてうまい サンチャンゴ砦 1511年に造られた大砲 オランダとの戦いに備えた 派手派手な客を乗せる自転車の乗り物 大きな樹木に圧倒される セント・ポール教会 今回一緒のOさん チャイナタウン 正月のために店は閉まっている 教会 マラッカ川のクルーズ また、旅が始まりました 夕食 鶏肉と牛肉のぶっ掛けご飯 これで150円 ホテルで16%のビールを飲むキツイ イスラムの国なので缶ビール270円もする 2/10 交通費700円 ホテル1320 円 食事1650円 その他90円 今回、初めて『エアアジア』を利用した。座席は前も横も狭く出来ている。 横に3、3、3の9人が座る。既存の航空会社の飛行機は、2、4、2で8人が座るのだが1人多い。数えはしなかったが縦もぎりぎり詰めて、1人でも多く乗せようとしているのが見え見栄だ。それにトイレの数が少ないのだ、機内食を出さないから人間もトイレに行く回数が少なくてすむという計算か‥。 空港から2時間30分でマラッカに到着。ムラカ(マラッカ)15世紀初頭に築かれた港町。季節風を利用して東西の貿易船が訪れ、シルクロードに匹敵する海上の道として発展した。世に知れたマラッカ海峡である。16世紀初めにポルトガルを始めオランダ、イギリスなどの侵略を受け、数世紀にわたり支配された。町は、当時の面影を残した町並みを見ることが出来る。なかなか情緒があり気に入りました。 今回は、元会社のOさんと一緒にミャンマーを旅する。
2020.05.27
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昨日、やっと「アベノマスク」が届いた。 真ん中がアベノマスク、左が手作りのひとまり大きいマスク、右は耳掛けの部分を取り外せるマスク。これもアマゾンでゴムと一緒に買い求め手作りした。それにしても「アベノマスク」は小さいね。 2013年2月4日月曜日 ユーラシア大陸横断旅行から4ヵ月しか経っていないのに、また、旅の虫が騒いだのだ。今回は、以前から訪れたかった「ミャンマー」に行く。 ★旅のルートは、下記の通り。 マレーシア(クアラルンプール、マラッカ) ミャンマー(ヤンゴン、バゴー、インレー湖、バガン、マンダレー) タイ(バンコク、スコータイ) カンボジア(アンコールワット、プノンペン) ベトナム(ホーチミン、ホイアン、ダナン、フエ) ラオス(サワンナケート、ビエンチャン) 行き当たりばったりの旅なので、計画通りには行かない。それが楽しいのだが‥。行きと帰りは決まっている。 42日間(2/9~3/22)の予定。 2013年2月5日火曜日 ーパスポートの余白が無いー 2005年発行のパスポートは、あと見開きで1頁しか残っていないカンボジアでビザを取れば、余白は無くなる帰ったら40頁増やす ミャンマーに入国するには、ビザ(入国推薦証)が必要だ。個人旅行は何から何まで自分でしなければならない。北品川にあるミャンマー連邦共和国大使館で1月17日に申請して、23日に受取った。申請日も受取った日にも、旅行者や会社関係の人で混雑していた。日本とミャンマーを結ぶ直行便が昨年の10 月に12年ぶりに復活したのも影響しているのかもしれない。 新聞やテレビのニュースによれば、民主化によって欧米の制裁が緩和され、各国の企業の関係者が次々とミャンマー入りしているようだ。もちろん、日本も乗り遅れまいと視察団の訪問が相次いでいる。麻生副総理も先月訪問している。これからは、タイやベトナムに代わってミャンマーに企業が続々と進出すると予想される。もちろん、ミャンマー側も企業を誘致している。 本当なら数年前に訪れたかったのだが‥。 2013年2月6日水曜日 ーバックパッカーの強い味方エアアジア航空ー クアラルンプールからヤンゴンEチケット マンダレーからバンコクEチケット 羽田からクアラルンプールの往復Eチケット 旅費で航空券の高い安いは重要だ。物価の安い東南アジアで2000 円もあれば、ビール2本飲めて、3食食べられて、さらに1泊出来てしまう。 金はないが暇がある竹ちゃん、何とか安く旅は出来ないかと、目を皿にして調べると、貧乏旅行者の強い味方、LCC(ローコストキャリア・格安航空会社)にたどり着いた。航空券はインターネットでしか買うことが出来ない。少し前までは『エアアジア』のホームページは英語だったのが、最近は日本語に対応している。なによりも運賃が安く、すべての路線が片道で買うことが出来る。これはすごい事で、日本で購入する航空券は、往復航空券がほとんどで、安いチケットは期間が短く設定されてい る。下手して片道チケットを買うと往復チケットと同程度の値段になったりする。 格安航空会社の航空券は、預け荷物も8キロを超えると有料になり、座席指定、食事も有料だ。しかし、おにぎりや飲物は機内に持ち込みが出来るようだ。なんだか、日本の高速バスに乗り込むノリだね! 私が、ビザの手配と航空券の手配を終えてから、元会社のOさんと一杯飲んだ席で、今回の旅の計画を話をしたら、Oさんもエアアジアのホームページから航空券を買った。今回は、Oさんとはミャンマーの旅を2週間ほど一緒に行動して、Oさんはバンコクからクアラルンプール経由で羽田に帰 る予定だ。 2013年2月7日木曜日 ーバカは年を取らないー エアアジアのホームページ 昨日、覗いてみると羽田⇒クアラルンプール33000円 私は、1/11に購入 20000円だった エアアジアのチケット購入画面 クレジットカード決済だけ 名前、住所、電話、パスポート番号などを間違えないで入力する ビザ用の写真は昔に撮影したものだ 本来6カ月以内だが バカは年を取らないと言うではありませんか(笑) 格安航空会社の航空券価格は、日々変わる。安くなる事はなくフライトが近づくにつれて少しずつ高くなるようだ。私が、1月11日に購入した羽田⇒クアラルンプールは20,420円が、2月6日には33,000円で62%も高い。 今回は、『エアアジア』を利用して東南アジア6ヶ国を旅する。 2/9 羽田⇒クアラルンプール (20,420円) 2/13 クアラルンプール⇒ヤンゴン (7,388円) 2/27 マンダレー⇒バンコク (8,057円) 3/22 クアラルンプール⇒羽田 (20,420円) 合計で56,285円、全て燃油サーチャージ込の値段だ。 他の航空会社で格安航空券を調べてみると『チャイナエアライン』で、成田⇒台北⇒ヤンゴン往復は、基本料金86,300円+空港税3,680円+燃油サーチャージ23,600円+旅行会社の手数料1,050円、トータルで114,630円で『エアアジア』の2倍以上する。直行便を飛ばしていANA(全日空)は、265,000円もする。まーぁ、こんな高いんじゃ貧乏旅行者は利用できないよね。たとえば、『エアアジア』で成田⇔沖縄往復6,960円で行けちゃう。皆さんも一度、覗いてみて下さい。価格破壊だね!今まで何と高い金払って飛行機に乗ったかと思いますよ…。
2020.05.26
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スイス・アルプスは何時間眺めても飽きる事はなかった 旅には、「三つの楽しみがある」と言われている。 旅をする前の計画や準備 旅の途中そのもの 旅の思い出、記憶 この3つ、確かに私が8年前の「ユーラシア大陸横断」旅はそうだった。 前のBlogger(ブロガー)から楽天ブログに移す作業をして、写真を一枚一枚ダウンロードして貼り付けていると、昨日の出来事のように一コマ一コマが蘇ってきた。 不思議と辛い思い出はない。その土地の人との触れ合い、親切にされた事は数知れない。扉だけで中の様子がうかがえないが、勘を働かして入ったBAR(居酒屋)で片言の英語とボディランゲージでも仲間に入れてもらい、楽しく飲んだことが昨日のようだ。 計画と準備は大雑把で、成行きまかせで6ヶ月間、失業保険100万円以内で賄うつもりで出発した旅だった。 運の良い事に米ドルが1ドル80円そこそこ、ユーロも1ユーロ100円ほどで、円安だった。今の為替で2割ほど安く旅が出来たのだ。 節約思考といえば聞こえが良いが、ケチな性分なので、バスはローカルバス、列車は2等、船も2等、何回も夜行バスを利用して一泊代を浮かす旅だった。極め付はスイスでひと月のテント生活をし、すべて自炊で旅費を節約もした。ヨーロッパではシングル部屋は高いのでドミトリー(相部屋)に宿泊。慣れれば楽しい、ブラジャーとパンツ姿で寝ている女性がいたりして目の保養にもなった。 ブログを読み返してみて誤字脱字に意味不明な文書で恥ずかしいが手直ししなかった。下手なブログでも、8年も経ってからでも楽しめた。今現在、新型コロナウイルスで旅に出掛けられない自分にとって、旅の記録が記憶を蘇らせてくれたのだ。 Blogger(ブロガー)から「楽天ブログ」に移す記事が残っているのでもう少しお付き合い頂きたい。 次回は、2013年2月から旅した『東南アジア六ヶ国の旅』を掲載したい。
2020.05.25
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2012年9月25日火曜日 ーユーラシア横断まとめ最終回ー 今回で、「竹ちゃんのユーラシア横断」ブログは最後になります。最後までブログを見ていただきまして有難うございました。お陰様で、旅のメモのつもりで始めたブログが、結構多くの人に見てもらえてありがたく思っています。ブログは、下手な写真や文章なので見てもらえないと思っていたのですが、毎回100~200位のアクセスがあり、私自身驚いています。 旅は所詮遊び、でも、こんなに面白い遊びはありません。旅は病み付きになります。まだまだ、訪れてみたい国はあります。特に、アンデス山脈からパタゴニアには憧れている…。 《女性の綺麗な国》なんと言ってもアルメニアだ、ただし、年配の女性は太っている。皆が皆「美人」というわけではないのだが、「綺麗」な女性は本当に息を呑むほど綺麗だ。周りの国の血が混じっていない昔からのアルメニア人は最近は少なくなってきているようだ。 《嫌になったこと事》中国のシャングリラの女性の経営する旅行会社、泉ピン子似の彼女にはほどほど参った。カトマンズへのフライトで、成都から直接フライトがあるのに、彼女は勉強不足で昆明しかないと吐かして、違うといっても逆ギレされて500元(6500円)のキャンセル料を支払う。 《良かったこと》数知れず、今回の旅では、行く土地の人達に親切にしてもらった。道を聞くと、次の目的地までの移動手段も丁寧に教えてもらった。ラオスではヒッチハイクまで出来てしまった。 《ドミトリー事情》安く宿泊出来るのが魅力。ほとんど20~30歳代の若者が泊まるユースホステル。60歳以上のおじさんが泊まると、嫌な顔をされないが、えーぃ、その年齢でドミトリーに泊まるんだ…、素敵、と尊敬の目で見られることもあった。色々あって本当にドミトリーは面白い、ブラジャーとパンティで寝ている女の子もいた。洗濯したブラジャーやパンティは自分のベットの周りに干している。結構派手々々な下着におじさんタジタジ。マドリードのドミトリーで、女性の干したパンティが上のベットから落ちて、私のパソコン に乗っていた。ブログでは書かなかったが、ローマのドミトリーでは、Hをしているカップルがいた。 私のパソコンに女性のパンツが落ちてきた 《安宿の見つけ方》アジアでは、シングルで300~700円程度で泊まれるホテルを見付ける事はそんなに難しくはない。ヨーロッパで、3000円以下のホテルを探すのは結構大変だった。最初に5~7000円程度で泊まれそうなホテルに行き、値段を聞きいて3000円以下だったら儲けもの、そうでない場合はホテルの人に安宿を教えてもらう。私の真っ黒な顔、小汚いザックに服装から判断してもらって、それなりのホテルを教えてもらうことが出来た。次のホテルも値段が合わなければ、また次のホテルを教えもらう。それの繰り返しだ。 《居酒屋》今回訪れた国では、高級レストランには入らなかった。その代わり、地元の人が利用する居酒屋を探して積極的に入った。入って行くと、皆さんに、なんでこの店に来たの、という顔をされるが、2~3杯ビール・ワインを飲む頃には、隣の人と言葉は分からないが打ち解けている。ヤバそうな路地裏のBARでも『のんべい』は世界共通だ。 《旅の言葉》片言の英語で通した。それと、手振り身振りのジェスチャーにスマイル、そして上手な絵(?)で何とかなった。ホテルの受付の人は十中八九、ザックを背負ったおじさんを見れば、あー、泊に来たんだなと思ってもらえる。そこで「ワンナイト」、「スリーナイト」と言えば、満室(full)でない限りベットは確保される。 簡単な英語で通じるので困らなかった。 《インターネット・WIFI》中国はグーグルを規制しているので、ブログは更新できなかった。WIFIは無料でつながる国が多かったが、ホテルによっては電波の強弱があり、ブログ更新時に切れてしまうこともあった。ドミトリーのあるユースホステルは快適にブログ更新できた。 《旅のお金》今回は、楽天銀行に預金したお金を、現地のお金で引き出した。これは便利だった。それと、ヨーロッパはクレジットカードが普及しているので、現金なしでも旅は可能だ。 6ヵ月間有難うございました
2020.05.24
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2012年9月17日月曜日 ー無事に帰国しましたー リスボンからイスタンブール行きトルコ航空TK1760 リスボンからイスタンブール行きトルコ航空TK1760 トルコ航空機 搭乗前 タラップから リスボンからイスタンブール行の機内食 イスタンブールの街中 懐かしい、トルコチャイ 安物の絨毯とは比べ物にならない 細かく織り込まれた絨毯 高級絨毯屋 本当に素晴らしい絨毯だ グランドバザール グランドバザール イスタンブール再訪、懐かしくて、しばらく見とれてしまった イスタンブールはケバブだ 酒を飲ます事は出来なくなってしまった 酒屋の親父、寂しそうだ 16日11時15分 無事帰国 トルコ航空TK50 14日は、リスボンからイスタンブールまで、トルコ航空で4時間のフライト。イスタンブールに到着したのは22時、パスポートコントロールを出て市内に着いたのは23分30分、3ヶ月前に宿泊したドミトリーに宿泊しようとしてホテルに行くが、満室だ。30分探してトルコの人しか泊まらないと思われるベットがあるだけの部屋を確保、今まで宿泊したホテルの中で最低クラスだ。15日は、グランドバザールで少しばかりお土産を買い求め、6月中旬に宿泊したイスタンブールのホテルから近い酒屋の立飲み屋に向かう。どうも様子が違う、親父さんよそよそしい、立飲みしている人が誰もいない。親父さんにビールを注文すると、首を横に振る、店では飲ませられなくなったんだ、と言ってる。何があったか知らないが、周りの飲食店や酒屋から横やりが入って飲ませられなくなったのではないかと、私は想像したのだが…。それにしても、親父さん寂しそうなのが気になった。せっかく、ここで知り合った人達にもう一度イスタンブールに来て立飲み屋に立ち寄るからと言って別れたので、会えなくてガックリ残念だ。 現地時間17時40分、日本時間23分40分のフライトで日本に向かう。機内では映画「三丁目の夕日」などを観ながら11時間過ごす。飛行機の乗客は9割以上が日本人、それもほとんどが団体さんだ。 16日、11時15分に成田空港に約6カ月か月ぶりに降り立つ。病気も怪我もする事なく、無事に帰国する事が出来た。 ○ブログは、あと数回更新する予定だ。 2012年9月18日火曜日 ー6ヵ月間で使ったお金73.8万円ー 6ヶ月目(8/22~9/16) 26日間 6ヵ月間(3/22~9/16) 179日間 交通費 食事代 ホテル代 その他 合計 5ヵ月間合計 200693 126050 180549 58508 565800 6ヵ月目合計 81510 40260 48915 1620 172305 6ヵ月間合計 282203 166310 229464 60128 738105 1日当たり 1577 929 1282 336 4123 6ヵ月間旅して、使ったお金は73.8万円。1日当たり4123円、日本のビジネスホテル代よりも安い金額だ。やはり、宿泊代が節約できたのが大きかった。今回の旅で初めてドミトリーに泊まった。宿泊している人は、60歳過ぎの人は見かけず、20~30歳代までの若者がほとんどだった。食事代に関しては、ほとんど毎日ビールを1~2本とワインを飲んで929円。おそらく、朝飯代は120円程度、昼は250円、夕飯が560円くらいの割合だったと思う。 2012年9月20日木曜日 ー竹ちゃんのユーラシア横断のまとめー 日本とポルトガルの時差は、8時間あるので夜の10時に寝ても、ポルトガルは午後の2時、身体がポルトガル時間に慣れてしまっているので、昼寝程度しか寝れない。困るのは、眠気が昼前にやってくる事だ。今日も11時から3時間ほど眠る。まだ当分続きそうだ。 6ヵ月間にも及ぶ長旅を無事に乗り切って帰ることが出来た。今は、ホッとしている。旅に出る動機は、沢木耕太郎「深夜特急」、小田実「なんでも見てやろう」、貧乏作家・下川裕治「12万円で世界を歩く」他を読み、一度は旅してみたいと夢見ていた。実際には57歳の頃から会社勤めを辞めた記念に、長旅に出ようと密かに考えるようになった。 沢木耕太郎の「深夜特急」ルート沿いに旅をする事にして、色々と調べていくとパキスタン、イラン、アフガニスタンは紛争地域なので近づかない方が懸命だと判断した。その御蔭で、アルメニアとグルジアに立ち寄れたことは不幸中の幸いだった。 もう一度訪れたい国は、と聞かれたら、アルメニア、グルジア、トルコ、スイスと答えたい。アルメニアとグルジアは観光客慣れしていないので、旅行者に親切で、外国人に危害を加える事件もなく、安心して旅行出来た。それと、アルメニアの若い女性は本当に綺麗だ。宿泊代と食事代はヨーロッパの半額以下。 スイスの物価は、ヨーロッパの中でかなり高い、たとえば、ドミトリーで一泊4000円はする。キャンプ場でテント生活出来れば、夏の軽井沢で避暑生活するよりも快適で、経済的に過ごすことが可能、なんといっても、4000メートル級の山々を眺めながらハイキングが出来るのが素晴らしい。 具体的に、7月末から3週間スイスでテント生活するとして、成田からチュリーヒ間の飛行機代13万円、キャンプ場代2.1万円(18×1200円)、食事代3万円・闇鍋とワイン飲み放題(1日1500円)、スイス国内の鉄道と登山鉄道代4万円、予備3万円、トータルで約25万円、どうですか、今から毎月1.5万とボーナス3.5万の積立して、来年か再来年に一緒にスイスに行きませんか。 2012年9月23日日曜日 ーユーラシア横断まとめー ポルトガルのポルトのホテルで一緒になった油井さんからメールが届いた。旅先で何人かの方とアドレスを交換した。その後の旅の様子などを知ることが出来るのは楽しい。 油井さんのメールに次のように書かれていた。「對比地さんが、先日バルセロナで置き引きに遭って、お金もパスポートもカメラもパソコンもなくしてしまったんですって(T_T) でも体が無事で何よりでしたよね!」 私も今回の旅で何人かの人に騙された話は聞いたが、置き引きにあった話は初めてだ。それにしても、悪い奴がいるもんですね! 《二度と行きたくない国》 14ヵ国を訪問したが、嫌いになった国はない。ただ、トルコを境にアジアとヨーロッパに大きく分けると、私はやはりアジアを旅するのが好きだ。インドには騙す人もいるようだが、概してアジアの人たちは、フレンドリーで親切な人が多いように思う。 アジアに比べると、街も市場もヨーロッパは綺麗すぎる。アジアの市場では、肉の切り口にハエが真っ黒について、肉なのか何なのか分からない状態で不衛生極まりないのだが、売り手と買い手を見ているだけでも楽しくなってしまう。アジアの市場のほうが陳列されている品数が桁違いに多い。山菜も含めた野菜類、生きた犬、鶏、サル、豚などの肉類、さらにはヘビや蝙蝠などの爬虫類、どうやって料理して食べるのか分からない昆虫類など何でも揃う。当然、市場の中には屋台が何店もあり、大概の物は料理してもらえる。 ヨーロッパの市場は品数が少なく、精肉などはケースの中に入っているので衛生的だが、私には旨そうに見えなかった。 《病気》 インドのデリーで下痢をしたが、そのほかの国では病気らしい病気はしていない。インドには22日間滞在、毎日35度以上で、身体が徐々に疲れて最後のデリーで一気に疲れが下痢として現れたものと思う。 《食べ物の美味しい国》 高級レストランにはほとんど入っていない。屋台や居酒屋(BAR・バル)で、土地の人と同じものを食べた。それぞれの国で何でも食べられたし、それなりにどの料理も旨かた。私はどっちかというと、素材にあまり手を加えないで食べるのが好きで、ゴテゴテした料理は得意でない。海に近い町で、ムール貝の塩茹で一杯やるのは最高だった! 《食べ物の美味しくない国》 美味い不味いは別にして、その土地々々の皆さんが食べている食べ物に、大いに興味があるし、食べてみたいと思う一人なので、なるべく食べることにしている。人間が口に入れるものは何でも食べられるはずだ。ただの味音痴なのかもしれませんね。 《酒類》 ビールとワインはどこの国でも安価に手に入り、それなりに美味しく飲めた。アルメニアは200円程度のワインでも実に美味しかった。スイスではキャンプ場で知り合った日本人のクライマー達と毎晩190円ほどの安ワインを飲んだが、やはり、その場所の雰囲気で美味しくも不味くもなるもので、笑ったり騒いだりして飲む酒は美味しかった。スペインやポルトガルの地元の人たちが集まるBARは、ビール(小瓶)100円、ワイン一杯50円程度、それに一品チーズであったりサラミなどのツマミが付く店が多い。もちろん、簡単な食事も食べられる。
2020.05.23
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2012年9月13日木曜日 ー6ヶ月間も履くとスニーカーはボロボロだー 昨日 ポートワインを2本飲み干した 今回の旅の最後2日間過ごすホテル シャワー付き、トイレはなし こざっぱりしたホテルです 2000円のホテルにしてはパホーマンスがある ボンバル侯爵の広場 ボンバル侯爵の広場 パホーマンスをしてお金を稼ぐ ただ恵んでもらうよりも好感がもてますね 6カ月間履いたスニーカー 靴底が剥がれている こんなスニーカーでスイスのハイキングが出来たものだ また、ここまでよく頑張ってくれました ネパールで80円で買ったビーチサンダル 裏はツルツル 今晩の夕食 タラの料理 オリーブオイルは全然気にならない さすが、リスボンの有名店 ウイスキー、ワイン他の酒が陳列されている 有名店だけあって、日本人の団体が2組入っていた カニ、エビ、貝の盛り合わせを注文していた ホテルの近くのBARでワインを飲む 一杯50円 本日は、歩いて10分ほどのホテルに移動した。20ユーロのシングル、ホテルは古いが掃除が行き届いている。こざっぱりとした居心地がよさそうなホテルだ。洗濯をして、街に繰り出すが、暑くてすぐにヘロヘロになる。夕飯は、ホテルで教えてもらった、魚を食わすレストランに行ってきた。店に入ると日本人の団体さん15名ほどが、賑やかに食事をしている最中だ。通訳のガイドに色々と聞きながら、貝、カニ、エビの盛合せ他、結構値段がする料理を次から次えと注文している。私は、タラ料理一品とワインを注文する。これが、当たりで今まで食べたタラ料理とは別物で、大変美味しかった。タラを焼いてからニンニクを効かし、オリーブオイルで炒めた料理だ。 話は変わるが、6ヶ月間も履くとスニーカーはボロボロだ。よくもここまで、頑張ってくれたものだ。スニーカーとビーチサンダルに感謝、感謝だ。 2012年9月14日金曜日 ー6ヶ月間の旅は瞬く間に過ぎたー コーヒにパンを浸て食べるのがヨーロッパ式? 魚を見るとホットします 結構大きな市場なんですが、半分は休業ているようだ 新鮮な野菜が並んでいました 野菜、果物屋が多い市場だ 豚さんも、お客さんを呼び込んでいるようですね タイ、タラが多いように見えた 日本の真鱈に比べると随分と細い 本日の昼飯 アジのフライ 頭ごと食べました これが結構旨かったんです 昼からワインを飲むといい気持ちになります 子供のオモチャ 組み合わせて見事な虎になりました 路上のフラメンコ なかなか迫力満点でした 晩飯 すずき? 焼魚 やはり魚は旨い 昨日のレストラン 推薦は何かと言ったら 出てきた魚 ここのレストランは有名店だ 値段も手頃だ オレンジを絞る機械 ホテルに帰り、ビールを飲みに行ったら 突き出しで太刀魚が出てきた 二日も通うと良い事がありますね 太刀魚の揚げたヤツ 魚はなんでも旨い 結局、小瓶ビール2本飲む 本日は、リスボン市内の市場に行ってきた。やはり、鮮魚の種類が豊富で、焼魚、煮魚、刺身などで料理して食べたら、さぞ旨いだろうなーあ…、とつくづく思ってしまった。市場を出て、お土産を探しながら街中をブラブラ歩く。軽くて、かさばらなくて、気の利いたお土産品はなかなか見つけられない。明日は、イスタンブールに1泊して16日の午前中の10時40分には成田に着く予定だ。前のブログにも書いたように、イスタンブールの酒屋の立飲みで仲良くなった人たちに会えるのが楽しみだ。 旅に出るまでは、6ヶ月間もの長い旅は本当に出来るのだろうかと、正直なところ少し心配していたが、過ぎてみるとあっという間の6ヶ月間だった。これからのブログ更新だが、明日、ザックと一緒にパソコンも預けてしまうので、16日以降になる。本日まで、下手な写真と下手な文章でメモしたブログをご覧いただだきありがとうございました。あと数回、旅の総費用や総括的な事をメモるつもりです。
2020.05.22
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2012年9月10日月曜日 ーヨーロッパ最西端の街リスボンに到着ー コインブラの居酒屋で イワシフライと豚の耳(沖縄ではミミガー、と言ったと思う) ナザレの市場 ナザレの市場 右は太刀魚 どうですか、美味しそうなアジ干物 ナザレの町 海水浴の客でいっぱいだ ナザレの宿、20ユーロの割には小奇麗だ トイレとシャワー付き ポルトのドミトリーで一緒になったフランスのカップルなかなか気持ちのいい二人だが、どこでもチュッ、チュッとキスばっかりしている 今日偶然にもリスボン行きのバスで再会する 三人で昼飯を食べる 市電 コメルシオ広場 コメルシオ広場からタージョ川 ホテル付近のビル絵が描かれている 遊び心があっていいと思うね 朝、小雨の降る中10分ほど歩き、本日の目的地ナザレ行きのバスに乗車する。日本では長距離バスを女性が運転するのを見た事がないが、スペインでもポルトガルでも普通に女性が運転している。慎重で無理した運転をしないので、かえって安心感がある。2時間足らずでナザレに到着すると、ホテルのプラカードを持ったおばちゃん連中に囲まれる。「ビューテフルルーム」「ベリーナイスビュー」「チープホテル」など次から次えとテンポよく言えるものだ。20ユーロの部屋があるかと聞いたら、ついてこいというので騙されたつもりで、あとをついて行く、ホテルというよりも4部屋を宿泊ように貸している一般の家だ。確かに、部屋は綺麗だ、海が見えるといっても狭い路地からやっと海が見えるだけだ。宿まで来る途中で、この町は海水浴目的で来る人たちのリゾート地のようだ、2泊するつもりだったが1泊だけにする。町を散策するも、見所がない。海辺に近いというだけで、来てみたが当てが外れたようだ。エビやカニ、魚焼きなど美味しそうだが、リゾート地値段で馬鹿らしいので、炭火で焼いた鶏とワインを注文して昼食兼夕食にする。 ナザレは海水浴客で混雑もいいところなので、1日早くリスボンに来てしまった。14日のフライトまで5日間滞在する。リスボンが、今回の長旅の終点の街になる。明日は天気が良ければ、ヨーロッパの最西端のロカ岬に行く予定だ。最後の最後まで、ドミトリーではあまりにも貧乏臭いので、ここに2~3日泊まって別なホテルでシングルに泊まる予定だ。でも、wifiが繋がるのはユースホステルが一番なのだ。 2012年9月11日火曜日 ーユーラシア大陸の最西端に立つー バスがロカ岬に近づいてきた ロカ岬の灯台 車窓から ユーラシア大陸の地の涯てロカ岬 大西洋 薄雲が綺麗です 紺碧の海 本当に綺麗でした 寄せ書きのTシャツを着て記念撮影 指が写ってしまいました 後ろからも撮ってもらいました 石碑には、「ここに地終わり 海始まる」と 書かれているそうだ 自分で自分を撮りました 説明なし 灯台をバックに 後ろも撮るようにお願いした どうです、綺麗な海ですね 同じような写真ですみません 右上は地平線 とりあえず、ビールで乾杯 本日の昼飯 BARで立ち飲み 9時過ぎに列車とバスを乗継いで、ユーラシア大陸の西の涯て、ロカ岬に行って来た。ユーラシア大陸を目指す旅人の憧れの到達地点だ。正確ではないが、日本からポルトガルまで直線で11000km、おそらく、今回の私のルートはロカ岬までは20000km以上あると思う。色々な乗り物を乗り継いで、約6ヶ月間もの長い時間がかかったが、ついに辿り着く事が出来た。ロカ岬に立てば、晴れ男の竹ちゃんに相応しい天気のお陰もあって、景観はバツグンで海に吸い込まれるような紺碧の海、そして、キラキラと光り輝いていて、神聖すら感じられた。今回の旅の出発にあたって、元会社の同僚たちに寄せ書きしもらったTシャツになり、何人かの外国の人にシャッターを押してもらった。外人さんは、何を書いてあるのか分からないので、全然恥ずかしくない。 2012年9月12日水曜日 ー酒だったらなんでも飲めしまう自分が嫌になるー ロシオ広場 ロシオ広場 ロシオ広場 昨日、乗った鉄道 ロシオ駅 フィゲイラ広場 フィゲイラ広場 フィゲイラ広場 フィゲイラ広場 カテドルと電車 可愛らしい電車 教会名前は? フリーマーケット 色々なガラクタから新品まで売っている 結構大規模なフリーマーケット 人が住んでいないビル 昼飯 セットメニューを注文 タラの料理 タラとキノコ・オムレツ風 美味しい料理でした ワイン1/2を飲んで590円 ただ、ワイン代が勘定書きになし もうけた 夕方 ビールを注文すると塩ゆでした 豆が出てきた ビール1本1ユーロ 後ろの人はワインと豆で楽しそうにお話していた ポルトガルのポルトの人にポートワインをご馳走になる 熊みたいな男、でもいい奴です フリーマーケット ロシオ駅 本日は、リスボンの街をあてもなく歩く。ポルトもリスボンも坂が多い。少しでも道を間違えると上ったり、下ったりで疲れる。適当に歩いていると、フリーマーケットに出くわした。素人さんが店を出しているので、値段は安そうだが、気に入ったものは見つけられなかった。昨日、ホテルで同宿のポルトの男性に、ポートワインをご馳走になる。今日は、私が1本買ってきた。甘いが、酒に意地汚い竹ちゃんはグイグイと飲み、瞬く間に1本を飲み干す。なんだかんだ言っても、酒だったらなんでも飲めてしまう自分が嫌になる…。(#^.^#)
2020.05.21
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2012年9月4日火曜日 ーポートワインの町ポルトにやって来たー 昼飯 ポークをこんがり焼いてある ポルト ホテルの付近 ホテルの付近 すみません、ポルトに着いたばっかりで 地図もないので建物の名前は分かりません ホテルの付近 ポルト駅構内 駅の構内 絵付けのタイル 教会 タイルの絵が見事です 名前は明日、探してみます ポルト市内の路地 ポートワイン 甘さが勝っている それでも2杯飲みました 夕食 アジの塩焼き ジュネーブの寿司屋で手に入れた醤油を 少しかけてみました、美味い? 本日は、バスで4時間かけてポルトガル第2の都市、ポルトにやって来た。ポルトの名産品は、皆さんご存知のポートワイン、世界的に有名だ。楽しみにして来た。とりあえず、昼飯にポークをベーコン風に焼いた料理にビールとポートワインを飲んでみた。確かに、口当たりが良く、やや甘めだが喉にスート入っていく。 《ポートワインをヤーフーで検索したら、次のように書かれていた》ポートワインは発酵の途中でアルコール度数77度のブランデーを加えて発酵を止めるのが特徴で、この製法によって独特の甘みとコクが生まれ、ワインの保存性を高める。明日は、ワイナリーに行って試飲して1本買ってみるつもりだ。 2012年9月5日水曜日 ーポートワインは甘すぎるー 市場で新鮮なイワシ、当然刺身で食べられる 果物屋さん 白ぶどうひと房買った120円 甘くてとても美味しかった 朝飯 ハムとチーズ(溶けている)サンドイッチにミルクコーヒー こんな高級車が路上に駐車されている トリンダーデ教会 市庁舎 ドロー川 ドン・ルイス1世橋からのドロー川 メッサ・セニョーラ・ド・ビラール修道院 要塞あと カテドラル カテドラル内部 サン・ベント駅(右》と付近 昼飯 豚の骨の部分を煮込んだ料理 豆と野菜などが一緒に煮込まれていて とても美味しかった 夕飯 サラダ、鶏焼き、イワシフライ ポートワイン、地ワインを飲む 夕飯 ドミトリーで同宿の對比地さん(右)と油井さんの三人で食べる 地ワインの赤 ヨーロッパに入って最安値のドミトリーに宿泊している。シングルが満室なので、ドミトリーになった。部屋はとても綺麗でこざっぱりしている。 ワイナリーに行った時間が良くなかったようで、見学できなかった。昼少し前にワイナリーに行き、見学を申し込んだが2時15分しかなく、2時間以上待つのは嫌なので、近場のBARでビールを飲んで引返した。同宿になった神戸の油井さんの話によれば、ポルトガル語の説明付きのに参加したのだが、説明は機関銃の様に一方的に喋りまくるのだそうだ。試飲は白・赤ワイン一杯づつ出来て4ユーロ。そのように話を聞いていたので、何が何でもワイナリーで見学したいとは思っていなかった。ポートワインは食前酒か食後に飲むワインだ。昨日、夕飯を食べたBARのオーナーにポートワインを注文したら栓を抜いて時間が経っているので、美味しくないので、明日には美味しいポートワインを仕入れて置くからと言われていたので、楽しみに出かけた。本日は、同宿の神戸の油井さん、群馬の對比地さんと一緒に食事することになった。最初にポートワインを飲む、やはり甘い。中学の時に赤玉ポートワインを飲んだことがある。今でも市販されているのだろうか、甘い酒だという記憶がある…。すぐに地ワインに切り替える。油井さんは9日間のポルトガル旅行、對比地さんはポルトガルからアジアを目指して5ヶ月間の旅をするそうだ。3人で旅の話に花が咲き、適当に酔がまわり、すこぶる楽しい夕食だった。 2012年9月6日木曜日 ー見学はどうでもいい、試飲が目的だー クレリゴス教会 街のどこからでも見ることができる クレリゴス教会 坂の途中からクレリゴス教会を見る CALEMワイナリー ワインを熟成している樽 試飲した赤と白ワイン 試飲している他のグループ 1960年もの22800円 1988年もの4470円安くはない 昨年もの790円 ワイナリーの玄関 ワイナリーの近くのBARでポートワインを飲む チーズのサンドイッチとポートワイン 教会内部の金泥細工 路地裏 ポルサ宮 1834年まで証券取引所として使われていた 14世紀に建てられた サン・フランシスコ教会 サン・フランシスコ教会 サン・ベント駅付近からのクレリゴス教会 やはり、せっかくポルトに来たのだから、ワイナリーを見学することにした。11時前に受付で手続きする。15分待ちで英語ガイドによる見学がスタート、ほとんど理解出来なかった。まーあ見学はどうでもいい、ワインの試飲が目的なのだ。15分の見学が終わり、10年熟成の白と赤のポートワインを試飲したが、やはり甘。ちなみに見学料450円。1本買い求めようと考えたが、甘すぎて1日で飲みきれるはずがないので諦めた。明日はコインブラに向かう。 2012年9月8日土曜日 ーおっぱいがはみ出しそうな女性、美人局かー wifiの電波が弱く、写真貼り付けできない。 9/6 今日はひどい目にあった。全くの私の勘違い、サンティアゴからバスでポルトに到着したバスステションが、当然、コインブラに行くバスがあるものだと思って、今日の朝15分歩いて行った。窓口で出発場所が違うことを教えられ、街の案内で手に入れた地図にボールペンでコインブラ行きのバスステーションの場所をチェクしてもらった。それに従って地下鉄に乗って行った。到着して周りを見てもバスステーションらしき建物がない、メトロの職員に聞いたら、手前の駅で降りて歩いて行かなければならないらしい。系列の違うバス会社の職員に間違った場所を教えられたようだ。地下鉄に乗るのもしゃくなので4キロ弱歩いて、やっとコインブラ行きのバスステーションに到着。朝から疲れた。ちなみに、泊まっていたホテルから10分足らずのポルト駅の裏だった。はじめからホテルに聞けばよかった。大失敗だ。 コインブラに着いてホテルを探さがすが、地図も持っていないので適当に繁華街目指して歩く。頼りは、ポルトのホテルで同宿した神戸の女性が持っていた「地球の歩き方」でホテルの名前だけ3件メモしておいた。いい加減疲れた頃に人が大勢いる広場に着く。メモを見せてBARの人に聞くが分からないという。辺りをキョロキョロしていると、40歳代の女性が英語で「キャナイヘルプユー」と声をかけてくれた。メモしたホテルを探していることを話すると、近くのお土げ屋さんに聞いてくれて、ホテルの前まで案内してくれた。内心、騙されるのではないかと疑ってかかったのだが、そんなこともなくただただ親切にホテルを探してくれたのだ。疑ったりして申し訳なかった。と言うのもスペイもポルトガルもそうだが、女性は自分の胸を強調しすぎるように思う。ほとんど、おっぱいがはみ出しそうな服装なのだ。 それに皆さん巨乳ときている。ホテルまで案内してくれた女性も大きなおっぱいがはみ出しそうなので、美人局ではないかと疑ったのだ。 7日 早朝から激しい雷と雨だ。それでも9時頃には雨が止んだが、外は雲に覆われ、結構涼しい。朝飯はミルクコーヒーとパン。地元の人も朝は、コーヒーとパンだけの簡単な食事で済ましている。昨日の二の舞は嫌なので、明日のナザレ行きのバスチケットを買い求て、適当に街を散策する。ポルトガル国民の宗教はカトリックが98%なんだそうだ。街のあちこちに教会が建っているのもうなずける。 明日は、ナザレに向かう。
2020.05.20
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エレクレス灯台で ローマ時代の灯台 今でも現役で灯し続ける 2012年9月1日土曜日 ートイレのドアを壊すー 今回も、写真なし。 今朝は寒いので目が覚めた。スペイン北部の海岸は、メキシコ湾流の影響を受けて、夏涼しく冬暖かい海洋性気候。確かに、朝方は15度前後、日中も25度ほど、ほとんどスイスのキャンプ場と変わらない。9時30分発のバスでア・コルーニャに向かう。1時間も走ると右側に大西洋が見えてきた。次々に風景が変わるので飽きることはない。トイレに行きたくなったので、トイレのドアを開けようとしたら、バスが大きく揺れ、身体ごとドアに体当たり、ドアが壊れたというか、外れてしまった。慌てて元の位置に押し込んだが、元の状態にはならない。それでもオシッコはしたいので、ドアを手で抑えて用を足した。何食わぬ顔でドアを閉めて(単にはめ込んだだけ)席に戻る。数分するとバッタンと大きな音がし た。ドアが外れた音だ。心の中で、「壊したのは俺ではないよ」、と言ったものの、犯人はお前だ、と言われるのではないかとハラハラだ。それでも、女性2名、男性1名が外れたドアを立てかけて、皆さん結構用をたしていた。罰が当たったのか、手頃なホテルを探し当てるまで3時間費やした。と言っても、途中でビールを飲みムール貝を食べた。それにしても、バスステーション付近はホテルが少ない。 おそらく海岸沿いにはたくさんリゾートホテルがあるんだと思う。 2012年9月2日日曜日 ースペイン最後の訪問地サンティアゴー 違う方法で写真を貼り付けた。時間がかかったが、なんとか写真掲載出来てホットしている。サンティアゴ現在の時刻は夜中の12時22分。 8/29 ヒホンの港 8/29 ヒホンの海水浴場 11時の気温22度 8/29 地白ワイン 口当たりがいいがアルコール度数16度、一本飲んでいい気分になりました 8/29 ながらみ 量が半端でありません 上のワインとで6ユーロ 29日 夕飯 ソーセージ 8/29 腸に肉や玉ねぎ、ニンニク、その他色々な野菜、肉が詰められている パンと一緒に食べるととても美味しい ヒホンのホテルから見たライトアップされた建物 8/30 ア・コルーニャのBARでムール貝を食べる ア・コルーニャのホテル一泊2000円、トイレとシャワーは部屋には付かない エレクレス灯台 ローマ時代の灯台 今でも現役で灯し続ける すごい顔で撮れています 8/31 ア・コルーニャ市内の教会、名前は分かりません ア・コルーニャのスペイン広場 8/31 昼飯 大きなアジ焼き 8/31 ア・コルーニャのBARでいわしのフライを食べる 9世紀に建造された教会 明日の朝ミサに出かけるつもりだ 9/1・2 二日宿泊するホテル 小奇麗、トイレとシャワー付き 一泊3500円 サンティアゴ巡礼の最終目的地、サンティアゴ・デ・コンポステーラにやって来た。スペイン語でサンティアゴは聖ヤコブのこと、デ・コンポステーラは「星の降る原野」を意味する。聖ヤコブはキリスト12使徒の一人。聖ヤコブの墓が発見されたのは813年、その後、この地に聖ヤコブを祀る聖堂が建築され、ヨーロッパ各地から巡礼者が訪れるようになった。それが、サンティアゴ巡礼だ。今回私も、100~200kmを歩きたいと思っていたが、スイスでのキャンプ生活が長くなり今回は諦めた。 2012年9月3日月曜日 ーほっぺとほっぺを合わせるのは初めての経験だー テルの朝食 宿泊費に含まれている サンティアゴ・デ・コンポステーラ教会 教会のすぐ隣の五つ星ホテル 旧王立病院を改築したホテル 教会のといめんの市庁舎 記念撮影 地下礼拝堂の聖ヤコブの棺 栄光の門の聖ヤコブ像 修復途中で暗くて、よく撮れていない キンターナ広場 「免罪の門」くぐれば犯した罪が許される という言い伝えがある 私には小さい罪、大きい罪がたくさんあので、是非、くぐりたかった普段は閉ざされ、聖ヤコブの日である 7月25日が日曜に当たる「聖なる年」にのみ開放される サンティアゴ教会の裏 ホタテの貝が地面に埋め込まれている 昔の巡礼者は、ホタテ貝をお皿代わりに、 食べ物を恵んでもらったことから、必需品・ホタテ貝が巡礼者のシンボルになったと言われている サンティアゴ教会のミサが始まる 参列者は1000人を超えている 天井から吊るされた巨大な香炉から香煙を 振りまいている 上に同じ 近づいて撮影した 香煙が立ち込めている 香炉が下ろされるところ ミサが終わり、外に出た人たち 何百キロ歩いて来た人、自転車でやって来た人たちが、ただただ、教会を眺めているのが印象的だ すごい人です この絵で、魚料理はOK、何でも食べられる それにしても下手な絵ですね 本日の夕飯 サーモンをオリーブ油で煮込んである トマトがベースの味 この料理も下手な絵を見せて注文した 12時からミサに出かけた。15分前に入ったので立ったまま、1時間のミサに参列。初めに巡礼者のゴールの発表があり、巡礼者の出身国別に神父が話す。本日は、日本人の巡礼者はいなかったようだ。聖体(キリストの体の実体して、小さな丸いお菓子)を食する儀式では、目の前に神父たちが来 て、私の口にお菓子を入れてくれた。少し緊張した。賛美歌の合唱では、女性の澄み切った声が印象的で、参列者もハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ…と大きな声で合唱する、どんどん気分が盛り上がってきた。教会内部が「ハレルヤ!」の大合唱で響きわたる。すごいインパクトだ。私は、感激、感動した。何だか知らないが、身体の奥から震えがきた。そのうちに隣の人から握手を求められた、何人もの人と握手した。さらに、女性からほっぺとほっぺを合わせる挨拶をされた、初めての経験だ。ミサの最後に天井から大香炉が吊り下げられ、大きく振り子のように何回も振れ、香煙を振りまく。全員総立ちで見守る。大香炉が下ろされると、またも、割れんばかりの大きな拍手がこだまする。今日は、思い出深い、スペイン最後の日になった。 シンさんの推薦だけあって、本当に厳かなミサに大感激、大興奮、大感動した。 明日は、最後の訪問国ポルトガルのポルトに向かう。
2020.05.19
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2012年8月28日火曜日 ー市場内の小さなBARは暖かい人の集まりだー マヨール広場近くの市場、一番賑わう場所 ほとんど観光客目当ての飲食店だらけ エビ、カニ、タコなど美味しそうだが、いい値段している まだ、11時前、これから観光客でいっぱいになる 市場の中央も両脇も観光客目当ての飲食店 マドリード市内にはたくさんの広場がある サン・フランシスコ・エル・グランデ教会 入口の扉 彫刻が見事です 教会内部 教会内部 2日前の気前のいいお兄さん 黒い服の女性がBARの女将さん 間口が狭い ほとんど地元の人 マドリード4泊目のホテルは、今朝まで泊まっているホテルに紹介してもらった。10時前にチェクインして街を散策する。マドリードの見所はほとんど見てしまっているので、王宮広場前の喫茶店で時間を潰し、2日前に行った市場内の小さなBARに顔を出す。店の娘さん、私の顔を見るなりkoichiと言って、ビールの小瓶を差出してくれる。2日前の気前のいいお兄さんもいて、2人で小瓶のビール16本飲む。 言葉はスペイン語と日本語で分かったような分からないような会話だが、店の女将さん娘さんが加わり、笑い転げている。実に楽しい時間だった。 明日は、ヒホンに向かう。ヒホンに2日、ラ・コルーニャに2日、シンさんご推薦のサンディアゴ・デ・コンボステーラに9月1・2日(土日)と宿泊して、いよいよ最後の訪問国ポルトガルに向かう予定だ。 2012年8月29日水曜日 ースペイン北部の港町ヒホンに到着ー 本日は、バスで6時間30分かけてスペイン北部の港町ヒホン(Gijon)に移動。バスは3列席でゆったりとして、座り心地が抜群。1時間おきにジュースやコーヒーのサービスがあり、さらに昼にはサラミとソーセージのサンドイッチと暖かい飲み物付きだ。至れり尽くせりだが、その分しっかりと運賃に上乗せされているはずだ。マドリードのホテルで、地図を見ながら次の移動先を探していると、北部の海に近い町ヒホンに興味をそそわれて来てみた。私が地図で想像したい以上に大きな街で、ホテルを探すのに苦労させられる。高級ホテルはあるのだが、3000円以下のホテルを見つけるのに1時間以上かかった。探し当てたホテルは、トイレ、シャワーは付かない部屋で、2800円のところ、2泊する条件で2500円に割引してもう。今日だけが寒いのか知らないが、午後4時の気温は26度、夜、外でビールを飲んでいると肌寒い。スイスでテント生活していた時と同じように、涼しく快適に過ごせるか…。 wifiの電波が弱く、写真を貼り付けることが出来ない。 2012年9月1日土曜日 ー生まれて初めての大西洋ー googleのブロガーにアクセスしようとすると、認証確認のために携帯電話番号を入力しろだの、アカウントにアクセスしろだとか、いちいちうるさい。そのうちに写真が掲載できなくなった。当分、写真を貼り付けることは出来ないと思う。 ホテルのオーナーはスペイン語以外の外国語はダメだ。何を聞いても噛み合わない。明日のア・コルーニャ行きのバスチケットを手配しなければならない。街の地図も情報もない、街を散策しながら昨日到着したバスステーションを探すがなかなか見つからない。同じような建物が多く、何回もグルグル回る。自分のカンは頼りない事を痛感させられる。もれでも、犬も歩けば…なんだかで適当に歩いているといつの間にかバスステーションに辿り着く。無事、バスチケットを手配出来て、ヤレヤレだ。海岸沿いに歩いて行くと、波が穏やかな海が見渡せる。はるかに地平線が霞んで見える、生まれて初めての大西洋だ。しばらく大西洋を眺める。11時の気温が22度、それでも泳いでいる人たちが大勢いるのにはビックだ。 2012年9月1日土曜日 ートイレのドアを壊すー 今回も、写真なし。 今朝は寒いので目が覚めた。スペイン北部の海岸は、メキシコ湾流の影響を受けて、夏涼しく冬暖かい海洋性気候。確かに、朝方は15度前後、日中も25度ほど、ほとんどスイスのキャンプ場と変わらない。9時30分発のバスでア・コルーニャに向かう。1時間も走ると右側に大西洋が見えてきた。次々に風景が変わるので飽きることはない。トイレに行きたくなったので、トイレのドアを開けようとしたら、バスが大きく揺れ、身体ごとドアに体当たり、ドアが壊れたというか、外れてしまった。慌てて元の位置に押し込んだが、元の状態にはならない。それでもオシッコはしたいので、ドアを手で抑えて用を足した。何食わぬ顔でドアを閉めて(単にはめ込んだだけ)席に戻る。数分するとバッタンと大きな音がし た。ドアが外れた音だ。心の中で、「壊したのは俺ではないよ」、と言ったものの、犯人はお前だ、と言われるのではないかとハラハラだ。それでも、女性2名、男性1名が外れたドアを立てかけて、皆さん結構用をたしていた。罰が当たったのか、手頃なホテルを探し当てるまで3時間費やした。と言っても、途中でビールを飲みムール貝を食べた。それにしても、バスステーション付近はホテルが少ない。 おそらく海岸沿いにはたくさんリゾートホテルがあるんだと思う。
2020.05.18
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2012年8月25日土曜日 ーエスカルゴ料理の味は、イマイチだー バレンシアから2時間 途中のバスターミナル 途中で休憩 ビールは冷えていて美味い! エスカルゴ料理 結構たくさんのカタツムリだ 白いのがゆで卵 それにソーセージ マドリード ソルの繁華街を一本入った路地 日の丸も見えます 地下鉄ソル駅前 地下鉄ソル駅前 結構たくさんの人が買い物を楽しんでいる 空中に浮いている 仕掛けは下の絨毯、厚い鉄板に手で持っている棒がつながっていると見た 地下鉄ソル駅前 首のない女性 ただお金を貰うのではなく 奇抜なアイデアで稼ぐ、恐れ入りました 地下鉄ソル駅まえ 町の「へそ」です ここのホテルはwifiがばっちり繋がる パソコンは5ヶ月間盗まれたり、壊れたりしません あと少し頑張ってほしい 今日は、マドリードまで4時間20分のバス旅。マドリードは地下鉄が網の目のように張り巡らされているので何処が何処だかさっぱりわからない。インフォメーションで目的の駅までの行き方を聞き、なんとか目星を付けたホテルに辿り着いたが、生憎部屋は満室、近くのホテルを紹介してもらい、ひと駅歩く。結局1時間以上歩いた。朝も昼も食べていないので、ホテルの近くのレストランに入り、エスカルゴ(カタツムリ)とビールを注文する。もちろんフランスパン付きだ。ゆで卵とソーセージと一緒に煮込んでいる料理で、肝心な味は、カタツムリのみは歯ごたえがない、チェンマイやラオスで食べたタニシのほうが歯ごたえがあり、味にインパクトがあり断然美味いと思った。それでも残さず食べて腹一杯になり、ホテルに7時に戻りシャワーを浴び、ブログ更新して9時30分に寝る。 ホテルは6人部屋のドミトリー、女性3人、男性2名うるさく騒ぐ人はいないようだ。マドリードには4泊するつもりだが、ここのホテルには3泊しか泊まれない。4日目に別なホテルを探さなければならない。 2012年8月26日日曜日 ーパソコンの上に女性のパンティー マドリード自治政府庁 国立劇場 アルムデーナ大聖堂 王宮 18世紀に完成、1931年まで歴代国王が住んでいた王宮 王宮 上院? スペイン広場 記念写真のスポット スペイン広場 街の至る所に教会がある マヨール広場 フェリペ三世の騎馬像 マヨール広場 イワシのフライ 鶏の煮込み スープはパンで吸い取り綺麗に食べる なかなかいい男で、3本もビールをもらう 竹ちゃん嬉しそうな顔をしていますね 市場巡りはたまりません パエリャ 今度、旅行するときは、「世界の市場巡りの旅」にしたいと思っています 日本で飲んでいるノリです なかなかの芸達者と見た 6人部屋のドミトリー パンティ落とした上の女性、気づいてよ! こんなことアリ… ちなみに、彼女は23歳前後、プロポーション抜群な綺麗な女性です 夜中に、酩酊した同宿の女性に睡眠妨害される。もう明け方の4時、大きな声、バカ笑いで目が覚める。男と部屋の前で騒ぎ立てている。当然、ほかの部屋の男から、「今何時だと思っているんだ!」と注意され、一旦静かになったのだが、女性が部屋に入ってくるなり、部屋中は酒臭い空気に包まれる。バックから荷物を出し入れする音、トイレに何回も入り、ゲロ吐きまくる。歳の頃25歳前後の女性、酩酊しているので手に負えない。やっと静かになったのは5時だ。同宿の5人は顔を見合わせて苦笑 いするしかない。 10時過ぎから王宮とスペイン広場、マヨール広場を中心に見どころを回ってきた。途中で小さな市場を見つけ、昼飯にした。写真の男性に話しかけられ、ビールを3本もご馳走になる。店の女将さんと娘さんも気さくな人で、日本で飲んでいるような錯覚に陥る。ツマミにイワシフライ、鶏の煮込み、パエリャ、ソーセージを食べて6ユーロ(600円)、ご馳走になった以外にビール2本とアルコール度数の高い酒を一杯飲んでの値段だ。私には、遺跡や美術館を巡る旅は似合わない、今度、旅するときには、世界の市場で飲み食いする旅が出来たら最高ですね! 4時少し過ぎに帰るとパソコンの上に女性のパンティが乗っているではないか…?ベットの上の女性が上から落としたのだ。昨日、彼女はブラジャーとパンティ姿で寝ていた。ドミトリーは色々な事が起きて面白い(#^.^#) 2012年8月27日月曜日 ー現代美術作品は難しすぎるー マヨール広場の「ノミの市」 古銭、古い切手が中心 古いバル ローマ法王も来た事がある マドリード市役所職員 説明役 サン・フランシスコ教会 ゴアの若い頃の作品 日曜日 ミサが行われていた サン・フランシスコ・エル・グランデ教会 市役所職員、オススメの教会 ツアーを終えて マヨール広場 大阪のカップルと市の職員 昼飯 ビール一杯 220円 ソフィア王妃芸術センター アントニ・タピエス『灰色という素材の重ね合わせ』 上に同じ ピカソの若い頃の作品 ピカソの作品 ダリの作品 ダリの『窓際の少女』 ピカソの若い頃のデッサン バルで可愛ですね バルで夕食 大ジョッキー2杯とパエリャ 立ち飲みで2ハイも飲むと疲れてくる 11時から、日本語のツアーに参加してきた。マドリード市役所主催の「古きマドリード散歩道」と題されたツアーで、マヨール広場、アルムデーナ大聖堂や古い街並みを案内してくれるものだ。参加者は大阪の若いカップルと私の3人。マドリードの歴史に詳しい市役所の人が、日本語ガイドに話しして、それを日本語ガイドが我々に説明してくれながら歩く。何も知らないで歩くのと違って、街の歴史などを聞きながら歩くのは一味も違う。2時間のコースで2.8ユーロ、3人の参加者に市役所の職員と日本語ガイド付きだ、赤字も赤字だ…と思う。13時に解散して、ビールを一杯飲んで、20世紀の現代美術を集めた「ソフィア王妃芸術センター」と、「ブラド美術館」でフラ・アンジェリコ『受胎告知』、マンテーニャ『聖母被昇天』、ゴヤの初期の作品を鑑賞てきた。どの絵画が誰の作品か小さな説明書の名前を確認するのに結構疲れた。2館とも写真撮影は禁止、ソフィア王妃芸術センターでは数枚撮ったが、係りの人に注意されすぐにカメラをバックに仕舞う。2館ともピカソ、グレゴ、ゴヤ、ムリーリョなどのスペインを代表する巨匠の作品を集めた美術館だ。どの絵を見ても心に響くものがあったが、現代美術の絵だけは、私には難しすぎて理解に苦しむ作品が多かった。
2020.05.17
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2012年8月23日木曜日 ーパエリャはあなたのために作りましたー 朝の街の様子 新鮮なイワシ、イカなどなど 醤油とワサビがあればこの場で食べたい! 新鮮で美味しそうなエビ 美味そうですね! 市場内のバル(ちょと飲み食いする店) いい値段がするから 、私は入りません 10時からの朝飯 イカフライとビール 突き出しにオリーブとピーナッツ たまらんですね! 市場中央入口 クワルトの門 なかなかいかしたホテル 噴水と後ろが教会 噴水 後ろがホテル 教会内部 教会内部の天井 カテドラルとミゲレテの塔 ミギレテの塔とカテドラル この大きさのパエリャは私のために料理した? 大きい皿にパエリャをよそってもらいました ホテルの部屋でスペインワイン 夕食は部屋でワインとサラミ、モモ、洋梨で済ませまた 8時半過ぎに市場に行ってみた。バルセロナの市場は半分以上が観光客目当ての商品構成だったが、バレンシアの市場は市民の台所という風情だ。買い物かごを持った主婦、お店の仕入れに来ている人達で喧騒な雰囲気だ。どれも新鮮でそのまま醤油とワサビで食べたい魚介類が目の前に並んでいる。さすが港町だ。朝飯は市場の場外の食堂に入り、イカのフライとビールを注文する。このイカフライが美味しいので、店のオヤジさんに親指を立てて合図するととても喜んで、テーブルまで来てくれてスペイン語で話しかけてくれが理解できない、それでも「日本人か」、「魚は好きか」「美味しいか」は、手振りとジェスチャーで理解できた。気分良くして24日のマドリード行きのバスチケットを買い求め、市内観光を少しして再び朝の店に行く、オヤジさんはとてもニコニコして、何が食べたいかと聞いてくるので、バレンシアはパエリャが有名なのでバエリャと答えたら、40分待てば作ってくれると言ってくれる。市場の周りを散策して時間を潰して店に行くと、大きな鍋に白身魚、エビ、イカ、タコ、ムール貝、キノコ入りの見事なパエリャが出来上がっていた。オヤジさんは、あなたのために作りましたので全部食べてください、と言ってる。なかなか言えるセリフではありませんよね…。大きな皿によそってもらい一口、海の味が口いっぱいに広がりとても美味しい!さすがに全部は食べきれるわけがない、一度おかわりしてギブアップだ。さて、値段だがビール小瓶2本とパエリャで7ユーロ(700円)!、べらぼうに安い!いつもこの値段なんだろうか…。 2012年8月24日金曜日 ー5ヶ月間で使ったお金ー バレンシア支庁舎 洒落ていますね バレンシア駅 闘牛場 ジャパンウィーク2012 街の至る所にありました デモ行進 陶器博物館 物館 正面入口 サン・マルティン教会 ラ・ロンハ 15世紀に建てられた交易所 バレンシア経済を支える役割を果たしていた かつては絹製品が取引された建物 ラ・ロンハ内部 柱が見事です 天井の彫刻が見事 ラ・ロンハ 素敵な透かし彫りが美しい 10時からビール ムール貝にビール 朝からいい気分だ サカトス・フワネス教会 サカトス・フワネス教会 彫刻が素晴らしい! 鶏肉のパエリャ 美味かった! 本当にいいオヤジさんです 昔、よく通った 根津の九ちゃんの旦那を思い出しました 本日も、昨日パエリャを食べた店に行ってきた。昨日の帰り際に、明日の2時頃に来れば美味しいパエリャを作って待っているから、と言われていたからだ。今日は、鶏肉と豆、インゲン、キノコ入りのパエリャで比較的あっさり味だ。昨日の、「あなたのために作りました」(手振り身振りで、私はそのように理解した)の殺し文句は、私への社交辞令だったことが判明、私が店に入りパエリャを食べていると次から次えと客が入ってきて、全員パエリャを注文している。観光客は私一人、全員地元の人、安くて美味しいので瞬く間にパエリャの大鍋は食べ尽くされていく。 5ヶ月間で使ったお金を計算した。 ※5ヶ月目(7/22~8/21) 31日間 交通費 食事代 ホテル代 その他 合計 4ヶ月間合計 144393 89390 129249 56723 419755 5ヶ月目合計 56300 36660 51300 1785 146045 5ヶ月間合計 200693 126050 180549 58508 565800 5ヶ月間(153日)の出費は、56.6万円で1日当たり3698円、交通費を差引すれば2386円だ。1日当たりホテル代1180円、食事代823円、宿泊して1日にビール1~2本とワイン1本飲んでの計算だ。特別に節約した覚えはない。あとひと月弱、1日当たり5000円以内でいけそうなので、帰りの航空券代61000円を入れても70万円後半で収まりそうだ。
2020.05.16
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2012年8月20日月曜日 ー4ヶ月間で使ったお金ー シウタデリャ公園 凱旋門 凱旋門 教会 名前? 市内の交差点前 カテドラル 13世紀から15世紀にかけて 150年の歳月をかけて建設された ゴシック様式が見事 内部 今日は日曜日 内部 教会まえの彫刻 高さ92メートルのふたつの鐘塔 壮麗な建築物 カテドラル こちらは小さな教会名前は? 内部 鯖焼きとビール ジャウマ広場 鏡に映った自分の顔 昨日、80日ぶりに散髪しました 床屋さんを探すのに1時間かかった でも、スッキリしました 路地裏 なんとも味があります スケッチしたものを販売している お土げ屋さん 王の広場 コロンブスが新大陸を発見して、イサベル女王に謁見するときに上がった階段 地中海の湿った空気の影響でバルセロナは蒸し暑い。午前中は21日のバレンシア行きのバスチケットを買い求め、市内観光したのだが汗が滝のように流れ、町の水道を探して水分補給したものの、水では喉の渇きはおさまらない。路地裏の食堂に入り、鯖焼きを注文してビールを飲んだら観光はどうでもよくなり、3時過ぎにホテルに帰り昼寝だ。4ヶ月間で使ったお金を計算してみた。4ヶ月目はヨーロッパに入てから1日平均5000円で、ホテル代が2000円、食事代が1720円とアジアの2倍以上だ。でもこの出費は予定の範疇だ。5ヶ月目は、スイ スでテント生活をしたので、キャンプ場代平均で1400円、食事代1200円ほど、交通費を入れても5000円以内で収まっているはずだ。私が当初目論んだ6ヶ月間の旅費、70~80万円以内には収まる計算だが…。 ※4ヶ月目は6/22~7/21 (31日間) 交通費 食事代 ホテル代 その他 合計 3ヶ月間合計 116748 51648 68109 31075 267580 4ヶ月目合計 27645 37742 61140 25648 152175 4ヶ月間合計 144393 89390 129249 56723 419755 2012年8月21日火曜日 ー魚介類の煮付けを食べるー 6人部屋のドミトリー 昨日の夕食 手のひらを合わせたほどの鶏肉 ソースが美味い キノコと玉ねぎが旨みを引き出している コロンブスの塔 色々なパフォーマンスで 観光客を喜ばしている こちらも暑いのにご苦労様です 街のいたる所に水場がある当然飲めます、 胃腸の弱い方は飲まない方がいいと思う カタルーニャ音楽堂 彫刻が見事です 本日の昼飯 ケバブとビール 野菜たくさんで、便秘には最高 市場の果物売り場 観光客目当ての果物のセット1~3ユーロ 香辛料を売っている 乾燥松茸1キロ80ユーロ 高いか安いかわかりません 魚市場 時間が遅かったので数件だけ営業していた 日本でも見かける魚がたくさんありました 色鮮やかな 野菜と果物を売る店 市場の中の屋台 魚中心に食べさす、 値段を見たらそれなりに高い 左のベットには20歳そこそこの女性 16時に部屋に戻るとこの有様 彼女は外室中、だらしない 魚の煮付け風 カキ、あさり、イカ、エビ、脂がのった白身魚 味付けは、いろいろな調味料がミックスされているが醤油が効いている 私が日本人だと分かっての味付けだ 嬉しいではありませんか 本当に美味しくいただきました フィリピンからバルセロナに来て17年になるお店のご夫婦 大変良くして貰いまいした コロンブスの塔から港まで歩き、全長1.5kmあるバルセロナの目抜き通りを散策して、『カタルーニャ音楽堂』に立ち寄った。1908年に建設され、現在世界遺産に登録されている。外壁は赤レンガをベースに、カラフルなモザイクで飾られ、カタルーニャの守護聖人サン・ジョルディの派手な彫刻が印象的だ。昼飯を市場の屋台で食べてみたいと思い、市場に入ってみたが観光客の多さに辟易して写真だけ撮って退散する。目抜き通りを一本も二本も入った下町で、地元の人しか利用しない食堂で、ケバブとビールを注文して昼飯にする。ここの店は近所のお年寄りも通う店のようで、老夫婦と高齢な男女が昼から楽しそうにビールを飲みながら語り合っている。何とも微笑ましい、私まで和やかな雰囲気に包まれる。値段は観光客相手の店の三分の一ほどだ。 夕飯は、2日通った店に「魚介類の煮込み」を昨日注文しているので、楽しみに出かけた。メニューにはないので身振り手振りで説明したらどうにか理解してもらい、特別に料理てくれることになったのだ。本当に通じているか心配したが、大皿に正真正銘の「魚介類の煮込み』がデーンと出てきました。汁がないのはイマイチだが、ダシが効いた白身の魚、貝、エビ、イカがとても美味しく、たまりまんね…。食べ終えて値段がべらぼうに安いのにはビックリ! 鍋だけの値段は800円だ。一昨日、散髪し た床屋さんはパキスタン人、今日の昼飯はイラン人の店、夕飯はフィリピン人の店、バルセロナの路地裏を歩き、自然に安い店を探す臭覚が身に付いているようだ。困ったものだ(#^.^#) 2012年8月22日水曜日 ーSorry, I am tiredー 本日の昼飯 ビールとソーセージのサンドイッチ 夜中まで話し声、笑い声がしたのでたまらず注意した。昨日は『魚介類の煮込み』を美味しく食べてホテルに帰り、気分よくブログ更新して10時30分にベットに横になった。10分もすると同宿の男1人と女3人が帰ってきて、話はするわ笑うわで寝ていられない。それでも12時少し前まで我慢に我慢をしていが、たまらずにムックと起きて腕時計を指して、「sorry, I am tired」と言った。すぐに消灯され静かになり眠ることができた。ドミトリーは料金が安いが同宿の人に気を使うので結構疲れる。 本日はバレンシアまで4時間のバスの旅。車窓からはぶどう畑が出発から到着まで途切れることがなかった。バレンシアはバルセロナに比べると極端に観光客が少ない。街もバルセロナに比べると落ち着いているというか活気がないように感じられる。ここに3泊するのでゆっくりと街を見て歩くつもりだ。
2020.05.15
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2012年8月19日日曜日 ースイスアルプスを飽きるほど見られて大満足ー グリンデルワルトのお祭り 昔の衣装で町を歩く モンブラン グランドジョラス北壁 モンブランをバックに グランドジョラスをバックに グランドジョラス北壁 迫力満点 ツェルマット方面 真ん中の右に小さくマッターホルン ミディ3842メートからの眺望 素晴らしいの一言 ジーパンにスニーカー、いかにも素人と見られ、ツェルマットでは外人さんに標識のあった所で、真っすぐはアップダウンがキツいので、左を行くようにと注意を受ける。スニーカーの底はツルツル 高山植物と4000メートル級の山 なーんか決まっていませんね? せっかくバックがいいのに こんな感じで、天気が良ければ最高のハイキングになる 高山植物と蝶々 名前がはっきりしません ドリユ北壁 ドリュ(右)と氷河 黄色い高山植物とドリュ シャモニーでは天気に恵まれて、ヨーロッパ大陸最高峰のモンブラン、グランド・ジョラス、ドリューが見られて大感激、大満足だ。今回は6ヶ月かけてユーラシアを横断するのが目的なので登山用具は何も持ってきていない。スイスアルプスも一般ルートなら私でも登れる4000メートル級の山はあると判断した。それには昔覚えたアイゼン山行や簡単な岩登りの技術が必要で、本当に登るつもりなら何ヶ月かかけて訓練するしかない。次回スイスを訪れる時には4000mのピークを幾つか踏みたいものだ…。 キャンプ場で知り合った人達と毎晩夕飯ならぬ宴会があり、毎日退屈することない。晩飯はツナと野菜を適当に入れた炊き込みご飯で、美味しくするにはツナ缶のオイルも全部入れて炊き込むのがコツだ。それと鍋物、残り物の野菜と肉かソーセージを入れてコンソメ味にしたポトフは寒い山でのご馳走だ。 2012年8月19日日曜日 ー合計30泊31日のテント生活を終えるー 17日、ビールとサンドイッチにコーヒー付きで850円の昼飯 左が坂さん フランスパンにチーズとハムが挟んである 大宴会の準備中 裸が入江さん キノコとピーマン、玉ねぎの炒め物 鳥のもも肉が入ったポトフ ジュネーブ市内 サン・ピエール大聖堂 上に同じ 国際宗教改革博物館 ジュネーブ市内の路地裏 サン・ジェルマン教会 ジュネーブ市内 レマン湖 昼 ビールにチャーハン 握り寿司26スイスフランにビール4フラン 特別美味しいわけではないが、5ヶ月ぶりだ 寝台列車の中 バルセロナに着き、バルでビールを飲む ここは立ち飲みスタイル ここ数日は私と岸田君が買出しした材料で4人分の料理を作って食べたので、坂さん、持田さん、入江さんの3人が買い揃えたビールとワイン、鶏一羽を焼いた物(店で買った)と鳥のもも肉入りポトフに、鮭缶を入れた炊き込みご飯の豪華版の夕食となった。調子にのり話し込んでいたら23時近くに隣のテントの外人さんに注意され、素直に誤りシュラフに潜り込むと1分も経たないうちに爆睡だ。 合計30泊31日のテント生活を終え、18日は7時45分発のバスでジュネーブに行き、23時05分発の寝台列車でバルセロナに向かう。ジュネーブには国連のヨーロッパ本部や国際赤十字などの国際機関が集結している。硬そうなイメージがあったのだが…、駅の左手の路地にはケバい女性が昼から立ちんぼしているのを発見、労働不足を補うために地中海諸国からの出稼ぎ労働者が多いので、そちらの需要があるのだろう。 これからは毎日ブログを更新する予定だ。
2020.05.14
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マッターホルン 2012年8月7日火曜日 ー8/2-6 7日に待望のマッータホルンを眺めるー お米をもらったので炊き込みご飯にしました キャンプ場 ツェルマットの街並み ツェルマットホテルのお迎え ポップコーン ビールのつまみ 待望のマッターホルン やっとwifiにつながりました。 8/1~3インターラーケンのキャンプ場。4日からツェルマットのキャンプ場にやって来た。2日は激しい雨。ツェルマットも天気が良くなく、マッターホルンはまだ顔を出してくれない。イタリアから湧き上がる 雲が周期的に雷と激しい雨を降らせる。とても肌寒い。7日から天気は回復するようなので、マッターホルンを眺めに行く予定だ。7日は朝から快晴、8時出発して待望のマッターホルンを眺めることが出来た。次回はスイスアルプスの写真をたくさん掲載する予定です。 2012年8月9日木曜日 ー安ワインで毎日大宴会ー 焚き火の準備 宴会が始まる 火は何ともいえない温かみがあります マッターホルン マッターホルン 見る角度によっていろいろに変化する 4000m級の山々 ブライトホルン 登り2時間らしい アイゼンとピッケルがあれば私でも登れると思う ブライトホルン 左からマッターホルン、タンブランシュ、 オーパーガーベル 記念撮影 バイスホルン ブライトホルン モンテローザ(左) リスカム(右) 迫力満点のマッターホルン 昨日、大宴会になりました お父さんオランダ人 お母さんがタイ人 本当に可愛お嬢さん 7日はロートホルン・パラダイスの展望台に行きマッターホルン(4478m)、ブライトホルン(4164m)、リスカム(4527m)、モンテ・ローザ(4634m)を間近に見ることが出来た。やはり、天を刺す矢尻のようなマッターホルンは圧巻だ。 8日はヨーロッパ最高地点(3883m)にある展望台に行き、フランスからオーストリアまで360度の大パノラマを楽しんできた。山の名前は全部は分からないが、ツェルマットには4000mを超える峰が 29も集中している。マッターホルンは今まで500人以上もの命を奪った。しかし、今ではガイドを雇えば、体力とアイゼン山行経験者は頂上に立つことが可能になったようだ。ここのキャンプ場で知り合った坂さんは1400スイスフランを支払い11日に登頂する予定だ。日本円で13万円…、うーん高いよね? ここのキャンプ場には入れ替わり立ち替わり5~7名の日本人がいる。それに韓国の人、オランダの人たちを交えて、雨の日以外は毎日宴会だ。好評なのは鍋料理で、キノコ、人参、ネギ、ジャガイモにソーセージを入れ、コンソメと塩、醤油で味付けしたものだが、これが泣かせる味でとても美味い! ビール500ミリ缶が1.6フラン、ワイン1リットが1.95フランなので、ビールは1本にして安ワインを飲んで宴会は大盛り上りだ。 2012年8月12日日曜日 ースイスでは食材を買い求めすべて自炊ー 定番になったポップコーン 昨日の夕食 炊き込みご飯とそうめん スイスで毎晩一本飲んでいる 170円のワイン(1リットル) 日本の夏はそうめん、しかしスイスは朝晩は10度以下 それでも美味し! モンテローザ(左) リスカム 氷河 ブライトホルン 美しい氷河 マッターホルン ツイナールロートホルン(左) バイスホルン(右) 軽いハイキング4000メートル級の山々が眺望できる、素晴らしいところです ブライトホルンと氷河 実に美しい マッターホルンと登山電車 マッターホルンと登山電車 逆さマッターホルン こんな素晴らしい景色が見られるんです 日本の皆さんと雑談 宴会 キャンプ場 教会とマッターホルン 妙高高原とツェルマットは姉妹都市 ツェルマットの町中からマッターホルンが見られる 1865年7月14日にウィンパーと山岳ガイドのミシェルが初登頂の偉業を成し遂げた 昨日は、スイス随一といわれる展望台ゴルナーグラートに登ってきた。モンテローザ、マッターホルン、リスカムなどの4000メートル級の名峰を一望出来、ゴルナー氷河の表情豊かな造形美が眼下に広がり、飽きることがない。ただ、難をいえば人が多すぎる。ハイキングコースには日本の団体さん、世界各国からやって来たハイカーでいっぱいだ。 スイスは物価が高くレストランには1回も入っていない。一品料理で20~30スイスフラン、それにビールにワインを飲めば軽く60フランはかかる。『チーズフォンデュ』2~5種類のチーズを白ワインで溶かして、パンに浸して食べる料理だ。昔、日本で食べたことがあるが美味しいとは思わなかった。(負け惜しみ) テント生活してからはスーパーで食材を買い求すべて自炊だ。1日にビール2本とワイン(1ℓ)1本を飲んで1000円以内で収まっている。 明日はシャモニーに向かう。この先は、シャモニーに5日、スペインに8月末までいてポルトガルに進む。 旅も残りひと月と数日となった。
2020.05.13
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アイガーをバックに 2012年7月27日金曜日 ー7/24.25.26 アイガーを眺められて最高だー 24日の買出した野菜とハム、パン、ジャム、ビールとワイン キャンプ場からアイガー 右が北壁になる フィンステルアールホルン山 25日登山鉄道で3454mのユングフラウの 下まで行ってきました 素晴らしい眺めです アイガー アイガーをバックに 4000メートル級の山 クライネシャイデック駅から ユングフラウ山をバックに 高山植物が見頃デス 色々な高山植物が咲き乱れていた アイガー北壁(左)メンヒ山(右) ユングフラウ山 昼飯 ビールとパン(チーズ)桃、トマト 天気に恵まれて最高のハイキングを楽しんでいます。さすが本場、スイスアルプスはハイキングコースが整備されていてとても歩きやすく、アイガー、メンヒ、ユングフラウがすぐ手の届く距離に迫力満点で迫ってきます。私にも登れそうに思えるのですが…。やはり無理か! 日本の旅行会社の稼ぎ時、スイスに入ったら日本のツアー客が群れをなしてハイキングコースを歩いているのに出くわします。でも、70歳以上のお年寄りには少しキツイようで中にはヨタヨタしながら歩いている人もいますね。私も含めて、日本人のハイキングの服装はダサい。遠くからでも日本人とすぐわかります。 28日までアイガーを眺めて、インターラーケンで3日ほどいる予定です。 2012年7月30日月曜日 ー7/27.28.29 雨のテント生活もそれなりにいいものだー 説明なし、ただ写真を見てください 行動食 ヨーグルトとアメ フィルストからの眺望 バッハアルプゼー湖 アイガー やはりスイスですね テント こんな感じで生活しています アイガー 綺麗な華麗な高山植物が咲き乱れていた 労山の池田さん(右)勝野さんこ 雨の合間の雲の隙間から山を照らしている こんな素敵な山を見れる、スイスは最高ですね 27日はグリンデルワルトの人気のフィルスト展望台から、アイガーを左に眺めながら、湖を通り、お花畑の中を約4時間歩いた。高山植物が咲き乱れるコースを歩く約4時間のハイキング、4000m山々が眺望出来て快適で素晴らしかった。28日と29日は曇り雨、ほとんどテントの中で過ごした。スパゲティをうどん風に味付けして食べたり、安ワインを飲んだりしながら文庫本を読み、それなりに楽しんでいる。スパゲティに昆布茶を入れて食べるのは初めてだがなかなかの味だ。それと、カップスープの素で味付けして食べるのも結構いける。ここで知り合った日本勤労者山岳会の池田さん、勝野さんが帰国するのでわけてもらった。どんなことしても、竹ちゃんは何でも食べられるということですね…。 二人とは一緒に夕飯を三日間共にした。マナスル登頂ほかエベレストの8000mの経験者で、私などは足元にも及ばない山歴の持主だ。
2020.05.12
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ユングフラウ山4158m 2012年7月22日日曜日 ーインターラーケンにいますー 写真なしです。 イタリアからスイスに入るには、マジョーレ湖をCaterinaからStresaに横切って、電車に乗継ぐのが効率的のようだ。ただ、バス便が悪く11時50分しかない。キャンプ場の女性に話をすると、車で港まで無料で送ってくれる事になった。歩けば6キロはある、大助かりだ。フェリー乗場は、エスカレーターで下まで降りて教会の中を通り、断崖絶壁の所にある。15分ほどでStresaに到着。ここから、Verbania、Domodssola、Brigと乗継いで、Brig駅で300スイスフラン引出して、Interlakenに向かう。車窓からは目にも鮮やかな緑のジュータンが雨に洗われて一際美しく見える。生憎の天気だが、スイスに来れた高揚感で気にもならない。駅から7~8分の川沿にあるキャンプ場で手続きを済ませ、小雨の中テントを設営して、買出しに行く、しかし、マーケットは17時で閉店。また悪いことに、明日は日曜日でほとんどの店はやっていない。当然マーケットも閉店だ。通りすがりの女性に何処か食料品が買える店がないかと尋ねると、駅の小さなマーケットを教えてもらう。ビールとワイン、サラミ、ソーセージ、パンなど買う。イタリアの2~3倍の定価だ。夕食はキャンプ場に設けられている食堂で、パスタとサラミ、ハ ム、チーズをつまみに缶ビール2本とワインを飲む。周りの人達は質素な夕食で、やはりパスタとパンとコーヒーだけの家族もいる。食事を済ませテントに入るが、小雨が降り続いている。 2012年7月24日火曜日 ーユングフラウ山を眺望ー 21日 ここからフェリーに乗船 教会の中を通ると船着場がある 前と後ろにザック 結構きつい インターラーケンについて買出し26ユーロ 三日分の食料 後はビールとワインを買い足す テントの中 インターラーケンの町の綺麗な教会 インターラーケンの町並み 22日の夕食 スパゲティ、キュウリ、トマト、チーズ、サラミ、ソーセージ キャンプ場の食堂で 自動タイマーで撮影 23日の朝飯 23日の朝、朝日が差して気持ちがいい ユングフラウ山4158m(左) 上に同じ いい山ですね インターラーケンは、西のトゥーン湖と東のブリエンツ湖の間にある美しい町。昔からアイガーやユングフラウに登る人の基地でもある。インターラーケンには、西と東に二つの駅が有り、グリンデルワルトに向かう登山列車が出るのは(東)オスト駅。 朝方は小雨がぱらついていたが、午後からは青空も顔を出し半袖で丁度いい。ユングフラウの眺めは雲に隠れて見ること出来ない。町をブラブラ歩くと、観光拠点になっているだけあって、高級ホテルや高級時計専門店が軒を連ねている。ホテル前は洒落たレストランになっていて、皆さん美味しそうな料理を食べている前を、スーパーで買ったトマトとキュウリの袋を持って通りすぎる。(少し恥ずかしいような気持ちで通り過ぎました…)今晩は、スパゲティとサラミ、ソーセージ、チーズにトマトとキュウリを肴に缶ビール2本とワインを飲む。 朝から快晴。朝飯を食べ終えて、早速、ユングフラウ山がよく眺望できそうな公園まで出かける。山の谷間から真白な山が見えてきた。稜線が実に美しく、峻嶺な壁の美しさにも何か品がある『ユングフラウ山』をしばらく眺め続けた。明日、グリンデルワルトに行けば、もっと間近にアイガー北壁やメンヒ山、ユングフラウ山が見ることが出来るはずだ。明日からが楽しみだ。 明日は、グリンデルワルトに向かう。ここから登山電車で35分くらい。ここよりも500メートル高い、1000メートルを少し越した所にある。 行ってみないと分からないが、wifiが繋がるかどうか…、ブログ更新出来ないかもしれない。 2012年7月24日火曜日 ー7/19の写真貼り付けました 若かったら鼻血ブーですねー キャンプ場の近くには買い物する所が、一店しかないろくなものがないので 昼に買出しに往復10キロ歩いたイタリアは車社会、バスも1日に数本徒歩旅行者には辛い、買い出しの途中でビールを一杯 買い出しの途中で、マジョーレ湖を眺める 本日、買出しした品物桃、トマト、キュウリ、ソーセージ、オレンジジュースと梨のジュース、コーヒー、締めて7.3ユーロ どうですか、美味しそうなトマトではありませんか、実際に美味しくいただきました 80円 パスタをゆでているところ 袋の半分、今日と明日で消化しなければならないので無理して、多いとは思ったが、実際に多かった でも、パスタはキャンプでは腹の足しにはなるし、簡単に料理出来るのがいい 今晩の夕食 パスタにトマトソース実に合いますね 半分食べて、腹一杯、でも残さず食べました マジョーレ湖は、山中湖に似ていて、湖の周りは別荘やリゾートマンションが建て込んでいる。イタリアの裕福な人達の避暑地だ。夏は、イタリア人は長い休暇に入る。日本のように5日とか10日の休みではない、1ヶ月からそれ以上の休みで、家族や友達同士で旅行したり、人それぞれに楽しんでいるようだ。ここのキャンプ場にも、キャンピングカーや自家用車にテントを積み込んで、長期滞在に来ている。皆さん、湖で泳ぐので水着姿で歩いている。中には目のやり場に困るほどの、セクシーなビキニ姿で、私のテントの前を通って行く。若かったら鼻血ブーですね! 今日の朝の失敗談を一つ、シャワーを浴びようとシャワー室に行った。入口には0.60ユーロと書かれていたので、小銭を持ってシャワー室に入る。シャワーは5分間しか使えないので、先にお金を入れてしまったらその分無駄になる思い、スッポンポになってから、お金を入れようとしても入っていかない。裸のままで外に出て、誰かに聞く事も出来ず、脱いだ物を再び着て、フロントに行った。何の事はない、シャワー専用のチップでないと使えないのだ。先にお金を入れて、着替えている間がモッタイナイと思ったのが良くなかった。やはり、せこい事してはいけませんね。 北イタリアで1週間から10日間過ごそうと考えたが、キャンプ場は湖水地方にしか無く、私みたい貧乏たらしいテント生活者は場違いのようだ。それに、皆さん夜遅くまで騒々しいので、イタリアも終わりにして、スイスに入ろうかと、地図とにらめっこしている。
2020.05.10
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2012年7月17日火曜日 ーミラノに到着したー ドゥオーモ正面 午後、4過ぎにミラノに到着。宿を探すが3000円以下のホテルはなかなか見つからない。駅からだんだん離れて、17~20分くらの場所にあるホテルをどうにか確保する。トイレとシャワーは部屋にはない、料金は2500円。部屋はそこそこの広さで掃除が行き届いている。早速、ホテルの人にキャン プ道具を買える店を尋ねたら、一生懸命になり探してくれる。教えてもらった店は地下鉄で7駅ほどだ。部屋にザックを放り投げ、その店に向かった。店内は広く、アウトドア商品の品揃えは豊富で安い。テントとマット、ガスコンロと替えガス、食器を買った。ただ、重量は4キロ弱なのだが、かさばるので、私のザックからはみ出してしまう。 そうかと言って、ザックには余分な物は入っていないので、捨てる物はない。明日は、ミラノ市内観光を早めに切り上げて、キャンプ道具と格闘だ。 2012年7月18日水曜日 ー明日からキャンプ生活ー トイレとシャワーは無いが、小奇麗な部屋だ テントやマットどうすればザックに収まるわけ ドゥオーモ正門 写真を撮ってもらったがドゥオーモ全体は写っていない ドゥオーモ正面 ドゥオーモ広場 この写真も私が中心、ドゥオーモが撮れていな 以下したはドゥオーモ内部 ドゥオーモ内部 荘厳な雰囲気だ やっと、ドゥオーモ全体と私が撮れました 日本料理屋さん、握り寿司とビール飲んで28ユーロ やっと、パッキングができました ※ドゥオーモとはイタリアの街を代表する教会堂の事。 本日は、ゴシック建築の最高傑作のドゥオーモを中心に見学する。1386年に着工されてから500年後の1887年に完成。大聖堂の正面は壮麗な装飾で飾られ、小塔は135本、ものすごい数の彫刻は、繊細なレース細工のようだ。聖堂内部は、ステンドグラスから差し込む光を受けて荘厳で神秘的な雰囲気が漂っている。ドゥオーモ広場には、鳩の餌「とうもろこし」を有無も言わせずに観光客の手のひらに渡し、5ユーロをだまし取っている輩がたくさんいた。知らない人から何か渡されたりしても「ノーサンキュー」と言って断るしかないのだが、敵も去る者、結構しつこいのだ。これから、イタリア旅行する方は十分注意してほしい。キャンプ用品を買い、ザックにパッキンしてみたが収まらない。写真のように大きいザックは背中に、小さいザックは前に持つしかない。 明日は、マジョーレ湖Lavenoに行き、テント場を探す。 これからは、wifiが繋がったらブログ更新する予定だ。3~5日間更新されなくとも心配ご無用に。 北イタリアに1週間程度テント生活して、『アイガー北壁』が眺望できるグリンデルワルト、『マッターホルン山』が目の前に迫るツェルマット、『モンブラン山』『グランドジョラス山』が眺望できるシャモニーに進む予定だ。8月20日頃までヨーロッパアルプスの名山と対面したいと思っている。 2012年7月20日金曜日 ー若かったら鼻血ブーですねー ※wifiの電波が弱く、写真が貼りつけ出来ませんでした。 マジョーレ湖は、山中湖に似ていて、湖の周りは別荘やリゾートマンションが建て込んでいる。イタリアの裕福な人達の避暑地だ。夏は、イタリア人は長い休暇に入る。日本のように5日とか10日の休みではない、1ヶ月からそれ以上の休みで、家族や友達同士で旅行したり、人それぞれに楽しんでいるようだ。ここのキャンプ場にも、キャンピングカーや自家用車にテントを積み込んで、長期滞在に来ている。皆さん、湖で泳ぐので水着姿で歩いている。中には目のやり場に困るほどの、セクシーなビキニ姿で、私のテントの前を通って行く。若かったら鼻血ブーですね! 今日の朝の失敗談を一つ、シャワーを浴びようとシャワー室に行った。入口には0.60ユーロと書かれていたので、小銭を持ってシャワー室に入る。シャワーは5分間しか使えないので、先にお金を入れてしまったらその分無駄になる思い、スッポンポになってから、お金を入れようとしても入っていかない。裸のままで外に出て、誰かに聞く事も出来ず、脱いだ物を再び着て、フロントに行った。何の事はない、シャワー専用のチップでないと使えないのだ。先にお金を入れて、着替えている間がモッタイナイと思ったのが良くなかった。やはり、せこい事してはいけませんね。 北イタリアで1週間から10日間過ごそうと考えたが、キャンプ場は湖水地方にしか無く、私みたい貧乏たらしいテント生活者は場違いのようだ。それに、皆さん夜遅くまで騒々しいので、イタリアも終わりにして、スイスに入ろうかと、地図とにらめっこしている。 2012年7月20日金曜日 ー写真あり キャンプ場はハイシーズン料金ー 急遽買い求めた左のザックにはテントが入っている どうにかこうにかテントを設営できました マジョーレ湖からスイスの山? 二日分の食料を買出し ワイン、パン、パスタ、チーズ、ハム 残念ながら野菜買えず 明日、野菜を買う予定 テント場はほとんど満杯状態料金1日20ユーロ、高い3日で50ユーロにしてもらう 西日を浴びているテント場 写真が貼り付いていませんでした ミラノから終点のLaveno駅で下車して、売店でテント場が記載されている地図を買い求める。一番近いテント場は8キロ程のようだ。バスで行けるか聞くと、11時発のバスがあるとの事だ。到着して、ガッカリ、地図が古く目指したキャンプ場は廃業している。犬を散歩させている女性に聞くと、3キロ先にキャンプ場があると教えてくれる。バスを待つよりは歩いたほうがいいと思い、ザックを背中に背負い、サブザックを前に抱え、汗びっしょりになりながら歩き通す。キャンプ場は、私の小さなテントでも、20ユーロ、イタリアは夏休み真っ最中で、ハイシーズン料金が適用されている。私のテントは、小さく場所をとらないので安くして、と頼んだら3日間で50ユーロになった。それでも高いが、誰にも気兼ねしないで寝たり起きたり、食事が出来るのがなによりだ。ここに3泊する予定だ。
2020.05.09
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2012年7月15日日曜日 ー3ヶ月間で使ったお金ー 三泊したフィレンツェのホテル 24人部屋のドミトリー 修学旅行の宿状態ですね 私は乗っていません ユーロスター・イタリア 途中のピサで途中下車 斜塔を見学 本当に傾いています これでは、傾きが分かりませんよね アルメニアで会った関西の63歳の男性に撮ってもらった 彼は、アルメニア・グルジアを2週間かけて旅して、一旦帰り、イタリア旅行に来ている、それにしても偶然ですよね 私が、支えましょう ドゥオーモと後ろが洗礼堂 結構、傾いていますね ドゥオーモと左が洗礼堂 ピサの町で ピサの市内、真ん中が駅 ピサの路地 ピサの駅ホームから ジェノヴァ市内 ジェノヴァ市内 ジェノヴァ市内 ジェノヴァ市内 今晩の夕飯 カルパッチョとステーキ 今日は豪勢に、ビール入れて12ユーロ 本日は、途中下車して斜塔を見学した。本当によく倒れないものですね。感心しきりだ。ジェノヴァのホテルはどこも高く、1軒目は6500円、2軒目が5000円、3軒目が3500円、5軒目でトイレとシャワーは付かないが、2500円のホテルを探し当てて、2泊する。1軒目で次の安いホテルを教えてもらい、椅子取りゲーム方式で、次から次えと探し歩くのだ。それも、旅だと思わないとやっていられないよね。 ○3ヶ月間で使ったお金は以下の通り 5/22~6/21 31日間 交通費 18091円 食事代 19029円 ホテル代 32325円 その他 8429円 合計 77634円 3ヶ月間合計 交通費 116748円 食事代 51648円 ホテル代 68109円 その他 31075円 合計 267580円 3ヶ月目は、31日間あり、単純平均は2504円。交通費を差し引くと1日当たり1921円、ホテル代がヨーロッパに近づくと高くなる中、それなりに頑張った数字だと思っている。ほとんど、学生さん並みか、それ以下で旅行していると言っても通じるのではないだろうか。4ヶ月目からは1日平均3500~4000円は使っているようだ。ともあれ、当初、見込んだ予算以内で旅はできそうだ。 2012年7月16日月曜日 ー犬も歩けば遺跡にあたるー ホテルは6階 上から見た階段、吸い込まれそうになります 建物の6階がホテルになっている セキュリティが確りしている マッテオッテ広場 マッテオッテ広場からアカデミア宮殿 マッテオッテ広場 マッテオッテ広場からドゥカーレ宮殿 ドゥカーレ宮殿内部 私の大好きな青カビのチーズ 杖一本で空中に浮かんでいる サン・ロレンツォ教会 博物館の建物 上に同じ オート三輪車 ジェノヴァは港町 コロンブスの像 ジェノヴァには二つ駅がある 国際列車が発着するプリンチべ駅 馬が引ひく馬車 保存状態がいい 教会 名前は? 教会内部 ジェノヴァの街並み 本日は日曜日、すべての店が閉まっている イタリアは、日本のおよそ75%の面積しかない。しかし、全世界の文化財の4割を持っている国で、観光が外貨稼ぎの上位を占めている観光立国、『犬も歩けば遺跡ににあたる』状態なのだ。 古代遺跡や荘厳で豪華な教会、美術館の絵画・彫刻群などの見学も正直言って、飽きてきた。これは、私に教養がないという証明にもなりますね…。 明日は、ミラノに入り観光はそこそこにして、これから先のスイスでのキャンプ生活に必要な装備を調達しなければならない。ミラノのどの辺にキャンプ用品店があるのかも知らない。すべて、ミラノに入ってから情報を仕入れる。装備が揃い次第、北イタリアでキャンプ生活をしながら、スイスに入っていく予定だ。
2020.05.08
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2012年7月13日金曜日 ー観光はどうでもいいー ローマ門 集合住宅の呼び鈴、ここの人が毎日磨いているようだピカピカ 今日の朝通りかかったら磨いていた ピッティ広場とピッティ宮 街の様子 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 後ろが中央駅 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会と広場 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 中央市場 魚やさんの前でビールとムール貝(無料) 一杯飲んだら観光はどうでも良くなってしまった フィレンツェの庶民の台所 肉屋さん 市場の中、簡単な食事と飲み物が嬉しいですね 豊富な品数のワイン メディチ家の礼拝堂 メディチ家の庇護のもと、多くの芸術家が育ち、ルネッサンス時代にたくさんの作品を残した ドゥオーモ ビール1本130円 ホテルの入口 観光の途中で、市場を見つけてしまった。正直言って、教会や遺跡よりも市場巡りの方が断然楽しい。ましてや、ここフィレンツェは観光客が多過ぎる。早く、スイスの山麓に逃げ込みたい心境だ。 市場に入り、魚屋のお兄ちゃんに声かけられて、ムール貝を食べた。軽くレモンを絞り、立て続けに3個頂く、まぁー何と言いましょうか、肉料理もイタリア料理も、ムール貝には勝てませんね。店の奥にビール缶を見つけて、譲ってもらい、ムール貝を食べビールを飲む。店のお兄ちゃんは、ム ール貝を大きな皿に山盛りにして、食べろ食べろとい言うので、遠慮しながらたくさん食べた。後は、観光はどうでもよくなってしまい、ホテルの近くでビールを飲み、3時過ぎにシャワーを浴びて昼寝だ。 2012年7月14日土曜日 ーイタリアに入ってから便秘だー サント・スピリト教会 外見は素朴だが、内部は厳かな雰囲気だ! 内部は重厚な感じが伝わってくる サント・スピリト教会内部 サント・スピリト教会 ドゥオーモ・クーポラの上まで上がるために 列んでいる観光客、45分待ち 街頭バイオリン弾き ドゥオーモ天井『最後の審判』が描かれている 日本だったら、三途の川? クーポラの464段の階段を上がってきました 鐘楼と街並み 上に同じ ドゥオーモ内部のステンドグラス 大規模な騎馬肖像画 いいですね、ステンドグラス ドゥオーモ内部天井『最後の審判』が描かれている圧巻だ 大規模な騎馬像画 大規模な騎馬像画 ドゥオーモはフィレンツェ共和国の宗教の中心 白、ピンク、グリーンの大理石の 幾何学模様で飾られ美しい大聖堂 洗礼堂 『天国の扉』 イタリアに入ってから便秘だ。朝トイレでお尻の穴が裂けるのではないかと思うほど、硬いのだ。原因は野菜不足だ。(決め付けてしまっているが大丈夫…) そこで、今日の朝は牛乳を1ℓ一気に飲んだ。効果てきめんで、ドゥオーモを見学している最中に、お腹がゴロゴロしだして、近くのトイレに駆け込んだ。二三日分の用を足してスッキリだ。旅で下痢もいけないが、便秘も困る。 フィレンツェの美術館はどこも40分~1時間待ちだ。それに、全部の美術館の話ではないが、お目当ての絵画や彫刻ほど、貸出がされているのだ。それと、人の頭越しに小さくしか鑑賞できないのなら、日本に帰って美術書でゆっくり鑑賞したほうがいいと思い、美術館には入館しないことにした。本当はもったいない話なんですがね…。 明日は、ジェノヴァに向かう。
2020.05.07
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2012年7月11日水曜日 ー旅は、頭も柔軟で体力のあるうちにー 前は、見れなかったのですが、 写真をクリックすれば、写真が拡大します ヴァティカン宮殿(博物館)内 中学・高校の教科書に出てきた絵画も随分ありますが、如何せん忘れてしまっています。分かるもののみ説明 『音楽を奏でる天使達』 右が『キリストの変容』 右が『フォリーニョのマリア』 『アポロ像』 この混雑ですが行儀よく並んで見学しました 天井・横の壁にすべて絵が描かれています 圧巻でした 『アテネの学童』 出口専用のらせん階段 『最後の審判』の写真撮ったのですが手ブレがひどくて掲載できませんでした。 ローマの見所はほとんど見学した。本日は、洗濯して、明日のフィレンツェ行きの列車のチケットを買い求、あとはのんびりと過ごす。ローマだけではないが、遺跡の見学は結構疲れる。ただ歩くだけならいいのだが、登ったり下ったり、それなりの体力は必要だ。体力自慢の竹ちゃんが疲れるのだから、相当きつい遺跡見学なのだ。ツアー旅行なら、遺跡のすぐ側までバスが横付けされるが、自力旅行の場合は、そうはいかない。やはり、旅は、頭も柔軟で体力のあるうちに実行するに限る。 takaさんのコメントで、そうだ、『ローマの休日』の舞台になった『真実の口』に行っていない事に気づき、午後から行ってきた。手を入れてみたが、抜けなくなることはなかった。嘘つきでないことが、これで証明されたわけですね…。写真は次回。 明日は、フィレンツェに向かう。 2012年7月12日木曜日 ー「花の都」フィレンツェにやって来たー フォルトゥーナの神殿 嘘つきでない事が証明されました サンタ・マリア・イン・コスメディン教会 『真実の口』のある教会 サンタ・マリア・イン・コスメディン教会内部 7/10の昼飯 ホテルの中 ビール・ワイン、パンにチーズ とハム フィレンツェ、ヴェッキオ橋 ウェッキオ宮殿 ウェッキオ宮殿 街中で 花の聖母教会『ドゥオーモ』 花の聖母教会『ドゥオーモ』 裏路地 メディチ家礼拝堂 秋の新モデル、パンツが細いですね メリーゴーランド、小さいですがこの街に マッチしていますね 路面にモナリザの顔を描いている アルノ川 なんとも絵になりますね 「花の都」フィレンツェにやって来た。それにしても、イタリア鉄道は出発ホームなど、簡単に変更されてしまう。日本では考えられない事が平気で起きてしまう。出発ホーム2番線で待っていたのだが、出発15分前にあまりに遅いので、掲示板を見ると、違うホームが記載されている。慌てで出発ホームに向かうが、500mも先のホームであせった。フィレンツェに駅に着いて、ホテルを探すが5件目でやっと確保できた。明日からゆっくり見学するつもりだ。フィレンツェは歴史があり、見応え充分の街のようで、明日からが楽しみだ。
2020.05.06
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2012年7月8日日曜日 ーローマ市内を歩くー サンタンジェロ城 サンタンジェロ城 サン・ピエトロ寺院 サン・ピエトロ寺院 パンテオン 古代ローマの神殿 パンテオン 古代ローマの神殿 パンテオン内部 パンテオン内部 パンテオン内部 ナヴォーナ広場 ナヴォーナ広場 ナヴォーナ広場 古代神殿跡 トレヴィの泉 トレヴィの泉 トレヴィの泉 本格的な観光は明日からにして、とりあえず歩いて街の様子をつかむことにする。まずは、バスで『ヴァティカン』に向かう。カトリックの総本山、『サン・ピエトロ寺院』前には、たくさんの観光客の長い行列ができていた。次に『サンタンジェロ城』を見学し、ホテルの方向に帰りながら、画家ラファエッロが眠る『パンテオン』からバロックの巨匠ベルニーニが手がけた噴水がある『ナヴォーナ広場』、海馬の彫刻が施された、ローマで最も優雅な噴水で有名な『トレヴィの泉』を見学してホテルに戻る。どこもかしこも大勢の観光客でゆっくりと見学する事は出来なかった。本日は、10キロは歩いた、ピーチサンダルでは、足の裏が痛くて参った。 2012年7月9日月曜日 ー A ローマの一大名所コロッセオー ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂 サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会 ティトウスの凱旋門 ティトウスの凱旋門 マクセンテイウスのバジリカ ロムルスの神殿 紀元前180年当時の皿 紀元前180年当時の皿 紀元前180年当時の壺 綺麗ですね 元老院 シーザーが「ブルータス、お前もか!」と叫んで殺された建物 セヴェルスの凱旋門 庭園 名前わかりません ファルネジアーニ庭園 コンスタンティヌスの凱旋門 コンスタンティヌスの凱旋門 コロッセオ コロッセオ内部 コロッセオ内部 コロッセオ内部の柱の一部 ドミトリーは格安で宿泊出来るのだが、宿泊客に問題があるホテルも多い。夜中まで大声で話したり仲間同士で騒いだりしているホテルもある。昨日、同宿の若い女性の話、私が夕飯を終えて9時すぎに部屋に戻ると、部屋の中は香水の匂いが充満している。派手派手なドレスに着替えて女性2人は9時半に出かけた。帰りは夜中の4時少し前だ。私が、朝7時に目が覚めて、目に入ってきたのは、2人の寝相の悪さだ、ケツ丸出しでパンティが丸見え。私のほうが恥ずかしくなってしまう。 ローマに来たら絶対に見たかったのは、円形闘技場『コロッセオ』とヴァティカン市国の『サン・ピエトロ寺院』の二つだ。本日は、紀元前80年に完成した円形闘技場コロッセオを中心に見学した。コロッセオでは「殺せー、お」(ダジャレ)と猛獣と拳闘士、拳闘士同士が凄惨な戦いが見世物に された。『フォロ・ロマーノ』は、古代ローマの民主政治の中心だった。神殿や元老院、凱旋門など数多く見ることが出来る。これだけの規模で残されていることに驚かされる。 2012年7月9日月曜日 ーB ローマの一大名所コロッセオー コロッセオ コロッセオ サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂内部 礼拝堂 柱は、古代ローマの神殿から運ばれた物 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は4世紀に建築された。内部の礼拝堂はルネッサンス後期のもの、それ以外にも古いものが残されている教会。 2012年7月10日火曜日 ーサン・ピエトロ寺院ー 荘厳な サン・ピエトロ寺院内 以下すべて サン・ピエトロ寺院 分かるところは説明付き マデルノの作主祭壇 古い時代の絵がたくさんあります ミケランジェロ作ピエタ 聖ロンジーノのブロンズ像 死の扉 聖なる扉 本日は、ヴァティカンに行ってきた。総面積44ヘクタール人口1000人足らずの小さな国だ。しかし、世界のカトリックの総本山として、礼拝に訪れる信者はあとを絶たない。『サン・ピエトロ寺院』には、歴代の教皇が葬られている。内部は荘厳で息を呑む程の美しさだ。 『ヴァティカン博物館』は、歴代の教皇による収集品が、古代ギリシア美術から始まり、各時代の価値の高いものばかり集めた世界有数の美術・博物館だ。チケットを買うまで長蛇の列、見学も行儀よく並んで進まなければ見れない状態だ。ベルトコンベアに乗って前に進む感じで作品を鑑賞したという感じだった。 今回は、サン・ピエトロ寺院内部の写真を貼り付けた。次回は、ヴァティカン博物館の写真を貼り付けます。
2020.05.05
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2012年7月6日金曜日 ーナポリは素晴らしいの一言だー ボヴィオ広場 ヌオーヴォ城 ムニチーピオ広場 ナポリ湾 海水浴しているが沢山いた 名前はわかりません、門の後ろはナポリ湾 卵城 卵城内部 大砲が備えられている 卵城内部 卵城内部、当時の扉 サンタ・ルチア湾と卵城 王宮 サン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会 王宮正面入口 王宮の左側の街並み ウンベルト1世のガッレリア ウンベルト1世のガッレリア入口 ウンベルト1世のガッレリア内部 写真が変に貼り付いてしまいました ヌオーヴォ城 11時に本日から2泊するホテルにチェクインして、街を散策する。街並みはとても垢抜けしていて歴史を感じる。しばらく歩くとヌオーヴォ城に着く。1284年に建てられた城で、シチリア王国を統治していたフランスのアンジユー家の居城だ。中には入らずに撮影して、サンタ・ルチア湾に突き出したような城に行く、ノルマン王によって建てられた12世紀の卵城だ。その後は、王宮やサン・フランチェコフ・ディ・パオラ教会のあるプレビシート広場に行ってみた。言葉はなし、写真では分かりずらいかも知れないが素晴らしいの一言だ。ウンベルト1世のガッレリアは一瞬息を止めるほどの美しさだった。少し路地に入れば、町の人たちが普通に暮らし、生活感溢れ、活気がある風景に出会える。晩飯は、ホテルの人に聞いたピザ屋さんに行った。シンプルなトマトとサラミのピザを注文、焼上がりの生地はコンガリと焼かれていてとても美味しい。ピザ1枚が半径40センチもあり、食べきれないかと思ったが、美味しかったので残さず食べきった。ここの店でタコの茹でたのが一皿9ユーロしていた。魚関係は高い、3~5日起きにしか食べないことにしている。ホテルに帰る前にスーパーに寄ってワイン1本とチーズにサラミを買い込んだ。大阪からの留学生・男と福島の女性を誘ってワインを飲む。3ユーロ(300円)のワインだとはとても思われない美味しさだ。ワインの味音痴の私でも、日本だったら1500円以上するワインに匹敵する美味しさだと思ってしまった。それはそうだ よね、日本までの輸送コストがかかっているのだから、イタリアで300円だとすると4~6倍の値段で販売しなければ元が取れない計算になるか。 2012年7月6日金曜日 ーピザは確かに美味い!ー 昨日食べたピザも美味しかったが、今日のピザは本当に美味しかった カブアーノ門 名前はわかりませんが、こんな感じのモノがたくさんある 路地 前方が教会 国立考古学博物館 ここからは説明なし アレクサンドロス大王とペルシアの ダレイオスの戦闘場面 たくさんのエロチックな彫刻がありました 壁一面に絵画 精緻な彫り物の壺 本日は、国立考古学博物館を中心に見学する。博物館まで行く途中に多くの教会があり、見学しながら行く。教会の建物は、写真のように堂々として壮麗な建築物が多い。国立考古学博物館には、ギリシア・ローマ時代の美術品が数多く展示されている。詳しいガイドブックを持っていないので、説明は出来ないので、写真で想像を働かして欲しい。ただ、18歳お断り?のコーナーが有り、こちらは説明なくとも解ってもらえるはずだ。たくさん写真を撮ろうとしたが、混み合っていて数枚しか撮ることが出来ず、残念! インドのカジラホーの再現かと思ったのだが…。 今晩は、同宿の和歌山県新宮市のKさんとピザを食べに行った。Kさんは料理人でイタリアの味を勉強しに来ている。肩に刺青があり、一見怖そうだが、明日のローマ行き列車のチケット買うのに付き合ってくれたり、なかなかいい男なのだ。彼が、勤めていたレストランのイタリア人にも勧めら れた「ザ・ミケーレ」に行ってきた。店の前には長蛇の列、観光客もいるが地元の人が多い。ピザは2種類のみ、マルゲリータとマリナーラだけ。マルゲリータはトマト、チーズ、バジリコがのったナポリの代表ピザ、マリナーラはトマト、ニンニク、オレガノのピザ。味は、確かに美味い。生地が厚くなく、見た目は大きなピサなのだが、軽く食べる事が出来た。創業140年の伝統の味をかたくなに守っている、老舗中の老舗。 明日はローマに向かう。 2012年7月6日金曜日 ーピザは確かに美味い!ー 国立考古学博物館 路地裏の骨董屋さん 古本屋さん サンタ・キアーラ教会 インマコラータの尖塔 お土げ屋さん パンに下のハム等を挟んでもらう ザ・ミケーレ入口前 和歌山新宮市のKさん 私は、日本にいる時にはほとんどピザ、ハンバーグの類は食べないのだが、本場のピザを食べて正直、驚いた。本当に美味しいのだ( ゚v^ ) 今まで日本で食べたピザとは全く違い、生地は小麦の香りが香ばしくもちもち、トマトソースは味が濃厚で、いくらでも食べられそうになる。太陽がギンギンに浴びたトマトや野菜など、その土地の風土に合った食べ物は格別なのだと思うね。 2012年7月8日日曜日 ー夕食に韓国料理を食べるー ナポリの石畳の路地 雰囲気があっていいですね 路地裏の魚屋さん 路地裏の果物・野菜屋さん 美味しそうな魚が並んでいました 魚やさんが結構あるのですが、意外と魚を 食べさす店が少ないように思う ナポリ~ローマ行き列車 水を買い込んで乗車 夕飯 韓国料理、やはりコメとキムチは美味しかった ローマ行きの列車は途中駅で40分停り、乗客全員次の列車に乗り換えるハプニング付きだだった。イタリア鉄道は普通に列車が遅れたり、大幅減便やストライキによる間引き運転が日常茶飯事の出来事のようだ。結局、12時33発、15時20分到着予定が2時間30分遅れの17時55分にローマ到着。ホテルを探すが2件とも満室、3件目で確保、本日と明日が3950円、3~5日が3750円のホテル、当然ドミトリーで朝飯は付かない。晩飯は、途中で道を聞いた韓国料理店に入った。ここの女将さんがとても親切に道を教えてくれたので、お礼のつもりで入ったが、安くない、焼肉定食1500円+ビール400円の出費。
2020.05.04
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2012年6月30日土曜日 ー6/29 B 国立考古学博物館ー wifi遅くて、遅くてやっと間に合いました 博物館・写真だけ マックで昼飯 市場の様子 2012年7月4日水曜日 ーナポリにいますー wifiが繋がるところがなくてブログ更新できませんでした。昨日はフェリーでギリシャのパトナからイタリアのバリに向かいました。船の中で一緒になった30歳の千葉県野田市の藤本君と一緒に61歳の誕生日を祝いました。ワイン4本も飲んでしまいました。免税店でワイン1本3.2ユーロ、ポテトチップス 3.5ユーロ、どんな値段設定なのか良く分かりませんね。 ギリシャはアテネを見れば十分という気になり、イタリアに向かいました。先ほどナポリに到着して ブロク更新しています。今日は写真なしです。ナポリは着いたばかりですが、なかなか良さそうな街だと直感しています。 2012年7月4日水曜日 ー 7/1 ミケーネ遺跡見学ー 本日のホテル 一泊1750円のホテル 夕飯 サラダとパン、ビール 地酒とチーズ 地酒の値段はその場で決めた一杯100円 結構アルコール度数が高い、酒というよりもワインだ ミケーネ遺跡 天井まで石が組まれている 黒い部分は、当時煮炊きした煙でいぶされたあと 上の写真の入口 ミケーネ遺跡 正面入口 頂上の王宮跡からマルゴス平野を見渡す 要塞は断崖絶壁の上に建てるものなんですね 今まで見てきた要塞もすべて断崖絶壁に建っていた 住居跡 住居跡 ミケーネ博物館で出土した焼き物 「黄金のマスク」本物はアテネ国立考古学博物館にある ミケーネ遺跡を見学して一息入れているところ ミケーネの町 オレンジ栽培が盛んな町 季節がいいのか、結構綺麗な花が咲いていた バスの運転手にミケーネまで3キロ手前で降ろしてもらう。とりあえずマーケットに入り、ミケーネの行き方を聞く、歩いて25分ほどで到着出来そうだ。ビールを飲んで一息入れて歩き出す。温度計は34度ほどだ、しかし湿気がなくカラッとしているのでさほど汗もかかない。10分も歩くとミケーネの町が見えてきた。今日の宿を探さなければならない。私のカンでは町中よりも離れた宿の方が宿泊費が安いことが多いので、町の入口のレストラン兼roomsと書いている店に入り、ビールを注文して、一晩いくらと聞いてみたら25ユーロと返事が返ってきた。部屋を見せてもらうと、広いシングルの部屋でトイレとシャワーに扇風機付きだ。1泊25ユーロを図々しくも2泊で35ユーロにしてもらう。 翌日は、ミケーネの遺跡を見学する。紀元前16~12世紀に栄えたミケーネは「黄金に富むミケーネ」とうたわれ、最盛期には東地中海一帯を支配下においたほどだ。「黄金のマスク」や線文字Bが描かれた粘土板などが出土されている。王宮跡があった丘の上からは、天気もよくアルゴス平野を見渡すことが出来た。
2020.05.03
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トルコ・イスタンブールからスイスまで 2012年6月28日木曜日 ー立ち飲み屋の皆さんと 無理やり別れの挨拶ー 地下宮殿 大きな貯水池 写真では暗くてわからないか? 4~6世紀に造られた 宮殿の奥にメトゥーサの顔がある 見た者をたちどころに石にするという伝説がある ピーマンにライスが入っている 国鉄スィルケシ駅構内 なかなか洒落ています 大きな間口ではない 国鉄スィルケシ駅 6日間通った立飲み屋(真ん中) 右がケバブ屋さん、安くて美味かった 路面電車が走ると歩道は狭い 立ち飲み屋から撮影 27日朝飯 5ユーロ(500円) 27日から3泊するホテルの食堂 27昼飯 ピーマンの中はライス ホテルから歩いてすぐ 明日見学する 上に同じ ホテルを出ると遺跡だらけ wifiが繋がらないので、レストランでビールを 飲みながらブログ更新 19時間かけてアテネに11時過ぎに到着、さすがに疲れた。部屋は14時チェックイン、それまでホテルの周りを散歩して時間をつぶす。部屋に入り、シャワーを浴びながら洗濯をして、夕方まで眠る。 イスタンブールの立ち飲み屋では、常連さん達から3本もビールの差し入れがあった。結局5本飲んで、9月14日の夜にイスタンブールに立ち寄るからと言って、無理やりに別れの挨拶をして路面電車に乗る。それにしても皆さん心の暖かな人たちだった。トルコはこんなにも素敵な街だとは思ってもいなかった。今度機会があったら、もっとゆっくりした日程で旅行したい、と本当に思っている。 2012年6月29日金曜日 ー6/28 A アクロポリスの丘ー イロド・アティコス音楽堂 パルテノン神殿の手前の階段 パルテノン神殿 以上写真だけ アタロスの柱廊、遺跡の中で唯一完全に 復元された建物 博物館になっている 私のパソコンのバッテリーは1時間20分位しか持ちませんので、説明は無しです。 写真ABに分けてお届けします。それにしても大勢の観光客だ。遺跡を見ているのか、人を見に来ているのかわからない状態だった。年間500万人以上の観光客が訪れるのだからしょうがないか。 一人で歩いていると、仕事で来ているという二人のイタリア人の男に声かけられた。一緒に酒でも飲もうと言われたが、どう見ても仕事で来ている人に見えなかったので、途中まで歩いて、適当なことを言って、さっと離れた。もう一人は、写真を撮ってくれと言うので一枚撮ってやった。そうすると、私の歩く方に一緒について来て、英語で話しかけてくる。こいつも怪しいので、適当に話していたら、急に怒り出して、アホ、バカ、スケベと言って離れていった。こいつもやはりイタリアからの観光客だと言っていた。こいつとは三回も別な場所で会うことになった。 2012年6月29日金曜日 ー6/28 B アクロポリスの丘ー アタロスの柱廊 古代アゴラ 市場跡 買い物に来た男たちが政治の話をしたり、ソクラテスや プラトンの弁舌に耳を傾けた場所でもあった ヘファイストス神殿 遅い昼飯? ビールとポテト ディオニス劇場 イロド・アティコス音楽堂 晩飯 ビールとチキンのピタ 2012年6月30日土曜日 ー6/29 A 国立考古学博物館ー ドミトリー 皆さんこんな格好で寝ています ゼウス神殿 後ろがアクロポリスの丘 街のスタンド 街の様子 国立考古学博物館 展示物 本日は、ゼウス神殿を見学する。紀元前4世紀に建立された建物、柱が数本青空に真直に建っている。少し上を見れば、防衛のために建てられた要塞アクロポリスの丘だ。次に、街を散歩しながら国立考古学博物まで40分ほど歩いて行く。やはり、街中は観光客相手のお土産屋やレストランが目立つ。今現在ギリシアでは、暴動が起きているとかで、観光客は少ないそうだ。ただ、街を歩いていて騒ぎがあるようには全然感じられない。アテネ市民の台所を賄う市場を見つけた。野菜、肉、魚、香辛料などの匂いをかぐとホッとするね。話を戻して、国立考古学博物館にはギリシア国内各地の重要な出土品が収められている。アクロポリスの丘をはじめ各地で発掘されたレリーフや彫像が、時代別にジャンル別に展示されている。『黄金のマスク』古典期のブロンズ像『馬に乗る少年』など見応え充分なのだが、如何せん勉強不足で、紀元前200~500年の彫像やレリーフを前にしても、あー凄い? 素晴らしい! だけではどうしょうもないよね…。 明日は、ミケーネに向かう。 パソコンのバッテリーが無くなりつつある。写真Bはこの次になるかもしれない。
2020.05.02
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昨日、コメントがありました。リゾート地でバイトしながら生活する人たちに情報を発信しているリゾバ生活(クリックして下さい)を紹介します。興味のある方は覗いて下さい。 2012年6月24日日曜日 ー酒飲みは万国共通だー グランドバザール入口 小さな店が所狭しと並んでいる 中東一の規模 屋根付き市場 買い物客も観光客もたくさんいる なかなか味のある建物だ 客引きにほとんど声掛けられなかった 見る人は分かるんですね、買い物する人か、冷やかしなのか スュレイマニエ・ジャーミィ敷地内墓所 スュレイマニエ・ジャーミィの建物は、 写真に収まらない規模だ スュレイマニエ・ジャーミィの中庭 内部の装飾が美しい 観光客も信者 の人もくつろいだ雰囲気とても穏やかな内部 荘厳の造り 天井は絨毯模様のモチーフ 人が多くなくてゆっくり見学できた 光が差し込むステンドグラスが美しい すぐ側の建物 名前は? 路地からのスュレイマニエ・ジャーミィ ギリシアのアテネまでのバスチケットを買い、グランドバザールに足を向ける。朝早くから賭けゲームに熱中する男達、チャイを楽しむようにゆっくりと飲む人達がいる、この街にはよく似合う光景だ。グランドバザールは大規模すぎて、どこに何があるのかさっぱり分からない。私は買い物目的で来ているわけではないので、どこに何があろうが関心がない。それを見透かしてか、客引きに声もかけられない、さすが、相手はプロだ。 スュレイマニエ・ジャーミィは、1557年に完成した。トルコ最高の技術を駆使して造られただけあって、建物の外見も内部も素晴らしかった。 今日も立飲み屋に行った。ここの店は曜日に関係なく常連さんが顔を出す店のようだ。3日間ほとんど同じ顔ぶれだ。私が行くと仲良くなった3人に握手を求められる。トルコ語、英語と日本語のわけのわからない会話だが、不思議と話が合う。酒飲みは万国共通だ。 2012年6月25日月曜日 ー観光船に乗ってみましたー 昨日の立飲み屋で、エフェスビールとチーズ ビール(500ミリ)1本162円 夕飯、ケバブをパンに挟んで86円 ボスポラス海峡の定期便に乗船 片道1時間40分、往復乗船 ドルマバフチェ宮殿 ドルマバフチェ宮殿 ドルマバフチェ宮殿 ボスポラス大橋 ジグザクに寄りながら行く定期便 斜面にへばりつくように家が建っている 途中の港 港には船がたくさん停泊していた オスマン朝時代(1390年)の城壁跡 城壁跡からマルマラ海を眺望する 終点のアナドル・カヴァウは 観光客相手のレストランだらけ ほとんどがシーフードを食べさす 海水浴の人達 裸の男性に声かけられて、食事とジュースをご馳走になる 裸の男性は洋裁店を経営ている すごく親切な家族達だった 海上からのイェニ・ジャーミィ 堂々とした建物だ 黒海近くまで行く観光船に乗ってみた。海峡のあちこちの町に寄りながら1時40分かけてアナドル・カヴァウまで行く。デッキに立てば潮風がとても気持ちいい。しばらく進むと大きな歓声が聞こえたので振り返ると、われわれの観光船を誘導しているかのようにイルカの群れが船と並走しているではないか。海上から見る景色は素晴らしく、時間が経つのが早くあっという間に終点だ。とりあえず、城壁跡まで登ってみた。10分も歩けばたどり着けると思っていたが、倍の時間がかかった。しかし、上からの景色は素晴らしく、汗もすぅっと引いていく。 城壁跡を見学してから、海水浴をブラブラ歩いていると、写真の裸の男性に話しかけられ、食事、ジュース等をご馳走になる。今日は日曜日なので、家族、親戚の人たちと海水浴に来ている。串に刺した羊の焼き肉を、パンに野菜と一緒に挟んで食べる。スイカやさくらんぼ、バナナ等もいただく。ジュースやチャイは3杯もご馳走になる。本当に親切で暖かい家族だ。私には何も出来ないが、せめてものお礼にと写真をメールで送る約束をした。 2012年6月26日火曜日 ーチャイを飲ます店かと思ったらー 昼飯 ヒラウにピクルス イスタンブール大学 ヴァレンス水道局 378年に完成した水道橋 上に同じ 教会のすぐ側の静かな下町 出窓が当時の面影を残している 今にも崩れそうな家でも人が住んでいた ゼイレック・ジャミィ 12世紀に建立された修道院 現在は修復作業中 ここは世界遺産 映画のロケの舞台 昼飯をご馳走になる サンドイッチと紅茶 古い建物の中を撮影に使うために作業中 上に同じ 教会前の普通の下町風景 こんなにもたくさん釣った人もいました 珍しいですね女性の釣り師 今晩のおかずを確保に来ているの? 橋のたもとの魚屋さん 水泳をしている子供たち ガラタ橋からトプカプ宮殿 スュレイマニエ・ジャーミィ 遠くからでも 威圧感を感じる建物だ 今日は、378年に完成したヴァレンス橋を見に行ってきた。市内から遠い森から、地下宮殿に注がれていたらしいたらしく、昔から水問題は深刻だったんですね。それにしても、橋を組んで高いところから低いところに水を流す方法は当時から考えられていた…。昔の人はすごかった。 次に、ゼイレック・ジャーミィ行く。残念だが修復作業中、1960年から修復工事が始まり、50年も経っても完了していない。どんな修復工事をしているんですかね? 12世紀に建立された聖パンクトララトール修道院として知られている、ビザンツ帝国時代の修道院としては世界で最も古い。世界遺産だ。修道院の周りは下町になっている。散歩の途中で、チャイを飲ます店を見つけた、と思ったら映画のセットだった。写真の男性が手招きするので行ってみたらチャイを飲ましてくれる。さらに、サンドイッチを2個も頂く。古い石造りの建物内部を案内してもらった。天井から日が差して、なかなか雰囲気がある。トルコ語で色々と説明されたが、ほとんど理解できなかった。すみません、図々しくもチャイやサンドイッチまで振舞ってもらい有難うございました、とジェスチャーと英語と日本語でお礼の言葉を言ったのだが、はたして分かってもらったのだろうか…。 明日は、バスで16時間かけてアテネに向かう。
2020.05.01
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2012年6月21日木曜日 ーYou berry youngー キュルテュル公園 コナック広場 イズミル湾 昼飯 ミディエ・ドルマス ムール貝のピラウ詰め ビラウはピラフのこと バザールの中 魚屋さん 酢漬けの野菜 要するにピクルスだ さくらんぼ 1キロ129円 パン屋さん ギブス 介護用歩行器等扱っている 非常に分かりやすい 夕飯 鯛のフライ 白身でなんともいえない味でした 手で食べたほうが食べやすい イスラムの国ではアルコールは飲めない 新聞紙で包み 静かにビールを飲む それでも通りがけの人は嫌な顔をする 魚を食べているとテーブルの下でおねだり 飛行機の中のサービスではありません バスの中、夜行バスなのに色々サービスがあった 同じバスで一緒の男性48歳 私のほうが後輩だと思われた バスはフェリーでイスタンブールの市内へ 朝早めに起きてブログ更新しようとしても、写真が掲載で出来ない。wifiの電波が途切れ途切れになり写真が上手く貼り付かないのだ。夜行バスの出発まで、公園を散歩したり、イズミル湾やバザールに立ち寄ったりして時間をつぶす。ホテルに夕食前に一旦帰り、写真なしのブログ更新をし て、3日連続で魚の唐揚げを食べさす店に入る。3日も通うと、店の人たちの愛想がすこぶる良い。 私は、小さい時から父親の影響で、魚は骨しか残さず綺麗に食べている。ここの店でも、言葉は分からないが、魚の食べ方を褒めている様子が伝わってくる。悪い気はしない。 夜行バスは定刻の21時に出発した。発車と同時にアイスクリームが配られ、水やジュースは20分おきにサービスされ、至れり尽くせりだ。バスが25分の休憩の時に、写真の男性から声をかけられ、チャイをご馳走になる。男性は、仕事で2回ほど日本行ったことがあるそうだ。しばらく色々な話 をした、そのうちに年齢の話になり、男性は私のことを後輩だと思っていたようだ…。さかんにyou berry youngを繰り返していた。定刻にバスはイスタンブールに到着。バスターミナルから2回乗り継いて、トプカプ宮殿近くのホテルに辿り着く。ここも、ネットで調べたホテルで、ドミトリーで朝飯付き20リラ(860円)だ。 2012年6月22日金曜日 ー憧れのガラタ橋ー トプカプ宮殿の前の建物 今日は中には入らない、凄い混雑、明日じっくりと見学するつもりだ 送迎門 凄い混雑 スルタンアフメット・ジャーミィ 6本のミナーレなんですが4本しか見えません ブルーのモスク 上の中庭 上に同じ 高い天井 紋様が美しい 記念撮影 アヤソフィヤ博物館 明日入館する ガラタ橋 ボスポラス海峡 ガラタ橋からイェニ・ジャーミィ モスク イスタンブール名物サバサンド ボスポラス海峡をバックに ここまで無事にたどり着きました 国鉄スィルケシ駅 なかなか味がある 本日から5泊するホテル 6人部屋 ドアのそばにシャワーとトイレ 昨日は、過剰なバスのサービスで睡眠を妨げられた。宿にチェクインしてシャワーを浴び、朝飯を食べる。パンとジャム、トマトとキュウリ、、チーズ、オリーブオイル漬け、ゆで卵、チャイとネスカフェのバイキング、朝は、これで十分だ。11時頃まで眠り、トプカプ宮殿に出かけるも、ひどい混みようなので入場を諦めて、明日早い時間に仕切り直しだ。トプカプ宮殿からすぐのスルタンアフメット・ジャーミィを見学する。6本のミナーレを持つイスラム寺院は世界でも珍しいそうだ。写真では6本確認できていない、明日もう一度撮影する。イスタンブールに着いたら楽しみにしていたのはガラタ橋だ、サバサンドを食べたいからではなく、アジアとヨーロッパを結ぶ橋としてロマンを感じ、憧れていた。実際は、ボスポラス大橋とファーティフ・スルタン・メフメット大橋が東西文明を結ぶ橋だが、ガラタ橋の方が人間くさいというか、生活に密着しているというか、海で隔てられた地区にガラタ橋近辺から船が頻繁に行き来しているのだ。私は、なんか知らないが、昔からアジアとヨーロッパを結ぶ 橋は、ガラタ橋ときめていたのだ。 2012年6月23日土曜日 ーa トプカプ宮殿は素晴らしい!ー トラムヴァイ(路面電車) 昨日の夕食 ミートボール 串に刺したら、鳥のつくねだ 昨日、立飲み屋を見つけました 酒類はすべて原価 嬉しいではありませんか トプカプ送迎門 うまや うまやからハレム・宦官を撮影 ハレム 宦官 の廊下宦官の多くはエジプトから差し出された黒人で、女性部屋の警備が仕事だった ハレム 官房の部屋入口 ハレム 宦官 の部屋天井 ハレム部屋内部天井 ハレム・宦官の部屋 宦官の部屋入口 宦官の入口 ハレム 手前が宦官、奥がスルタンの好みの女性がいたそうだ 幸福の門 謁見の間 上に同じ 上に同じ トプカプ宮殿は、400年間の間政治や文化の中心の立役者、オスマン朝の支配者の居城。さすが、目のつけ所が素晴らしい、3方を海に囲まれた小高い丘の上に宮殿は建っている。東西の交易の大事な場所をにらむように建てられている。この間、1度も侵略を受けていないので膨大な秘宝が略奪される事なく残った。建築物も素晴らしいが、ダイヤモンドや重さ3キロの世界最大のエメラルドも見応えある。 残念なことに秘宝類は撮影禁止だ。 ブログに写真掲載枚数が制限あるらしく。20枚ほどしか掲載できないので、3回に分けて掲載する。 2012年6月23日土曜日 ー b トプカプ宮殿を中心に、写真だけー トプカプ宮殿から金角湾・マルマラ海・ポスポラス海峡、三方の海を眺められる重要な場所に建っている 上のテラスから バーダッド・キョシュキュ ラマザン月に1日の断食終え、食事をするところ 左の金色の建物がイフタリエ この建物で食事をした バーダッド・キョシュキュ バーダッド・キョシュキュ 図書館 第2庭園 送迎門裏 うまやからハレム 当時の彫刻 槍等の武器 アヤソフィア スルタンアフメット二世の墓 スルタンアフメット三世の墓 上の天井 アヤソフィアの警備員にカメラを 見せてくれと言われて、ついでに撮ってもらう スルタンアフメット・ジャーミィ確かに ミナーレが6本ありました 2012年6月23日土曜日 ー c アヤソフィアを中心に、写真だけー アヤソフィア博物館前 入口を入ってすぐ 入口を入ってすぐ、重厚な建物という雰囲気が漂ってる 天井も素晴らしい ピザンツ建築の最高傑作と評されている。西暦325年にアヤソフィアとなる教会の建設が始まり360年に完成。ギリシア正教の大本山だったが、後にイスラーム寺院となる。 天井も素晴らしい 大ドーム ただただ見とれてしまい、圧倒される 言葉なしですね、ここから下は説明なし 酒屋が立飲み屋をしている 今日も通いました 結構繁盛している ここの常連客と仲良くなりツマミなどをもらう
2020.04.30
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2012年6月17日日曜日 ー60過ぎたオヤジのやる事ー 昼飯 豆のスープとパン アンタルヤからフェティエの中型バス 途中で昼飯休憩 車窓から雪渓の残る山 1700メートル級の山 フェティエの海水浴場 ヨットハーバー 5人部屋のドミトリー 今日も私一人で独占 部屋は綺麗に掃除されていて気持ちがいい 部屋からエーゲ海が臨める ホテルの中庭 着いてすぐにビールで乾杯 ヨットハーバー たくさんの船が停泊している ヨットハーバーのすぐ横 まだシーズンではない ガラガラ エーゲ海を眺めている? 銅像 朝8時少し前に、カッパドキアから早朝に到着した名古屋の姉妹が部屋に入ってくる。私は起きがけでパンツ一丁、別に恥ずかしいとも思っていないし、別段気にもしない。ドミトリーでは普通にありえる事だ。私は、以前に同じドミトリーでパンティだけの女性を見ている。相手も気にしていないし、こちらもあーそんなんだ、と言う感じだった。中には、部屋に洗濯した派手派手な下着を干している女性だっていた。いちいち気にしていたら、男女一緒のドミトリーになんか泊まっていられない。そういう神経でなければ格安の旅は出来ないのかもしれない。でも、60過ぎたオヤジがやる事…、少し恥ずかしい気持ちもないわけではない。 名古屋の姉妹と朝飯を食べ終えて、私は、バスで4時間かけてリゾート都市のフェティエにやって来た。目的は、海水浴ではない。ここからバスで1時間の所にある、リキヤ遺跡を見学するためだ。 本日から2泊する宿も、5人部屋のドミトリーに私1人だ。部屋にはトイレとシャワーが付いている。アンタルヤは3泊とも1人、ここのホテルも2泊とも1人になりそうだ。本当にラッキー! 2012年6月18日月曜日 ー昨日は飲みすぎましたー リキヤ都市の入口 上に同じ 円形劇場の入口 結構綺麗に残っている観客席 家型墳墓 柱に紋様が見れる 凄いですね、紀元前3~4の劇場ですよ 当時の様子が彫刻されている ○ここから下の写真は説明なし、じっくりと見てください クサントスの町 戦争にまつわる銅像 両脇の二人は大砲の玉を持っている バスを乗り継いて、クサントスの遺跡にやって来た。ここは世界遺産に登録されている。大規模なリキヤの都市遺跡だ。紀元前450年頃に火災があり、ほとんど消失してしまった。町は繁栄していて、宗教の中心地として存在していたようだ。円形劇場や家型墳墓が当時のままに残っている。 ホテルに戻ると大きなザックがある。本日は、私一人で部屋を独占出来ないようだ。夕方7時頃にザックの主が帰ってきた。ドイツの34歳の男で、1ℓボトルのコニャックを飲んでいる。一緒に飲もうと誘ってくれるので、お言葉に甘えて飲ませてもらった。ツマミもなにも無いので、私が買出しに行き、ビールと適当なツマミを買ってきた。酒を飲みながら今までの旅の話をした。特にネパールのトレッキングの話に花が咲き、二人で2/3には飲んだ。今日の朝は二日酔いでブログの更新だ。 本日は、イズミルに向かう。 2012年6月19日火曜日 ー過剰なサービスはいらないから、安くしてよー イズミル行きバスチケット オトガル バスターミナル 果物売りの少年 バスマーネ駅 魚を揚げている 靴磨き屋 イズミルの街並み 夕食 イワシのフライ うまかった! 6時間のバス旅は快適だった。20分おきに水やジュースのサービスがある。紅茶やコーヒーのサービスもあり、お菓子、キャンディ、アイスクリームも配っられた。その分40リラ(1720円)の料金に上乗せされているのだ。過剰なサービスはいらないから、料金を安くしてよ、と言いたい。ネットで調べたホテルに到着、30リラを25リラに値切り2泊する。イズミルはトルコ第3の都市で、エーゲ海地方で最大の貿易都市でもある。散歩の途中で魚を揚げている店を見つけた。イワシ、アジ、小鯛、どれも美味そうだ。頭から全部食べられるイワシを注文する。サラダとパンが付いて4リラ(172円)、観光客相手のフェティエから比べると半額以下。レモンを絞り、一口パクリ、新鮮で骨離れがいい、うーん美味い! 美味い! ホテルに戻りブログを更新しようとしたが、部屋でwifiが繋がらないので、1階のフロントでブログを更新していると、従業員が覗き込んで色々と質問してくる。パソコンはいくらだ、給料いくらだ、家族は何人だ、次から次えと質問されるので、ブログの更新どころではない。 2012年6月20日 ーイズミル市内散策 写真なしー 写真、貼付け出来ません。イスタンブールで写真掲載します。 昨日は、とんだ邪魔が入りブログ更新出来なかった。朝、1階のフロントでwifiに繋げるも電波が弱く、写真の貼り付けがうまくいかず、時間がかかった。朝飯にトマトスープを注文すると、サラダとパンが付いて、4リラ(172円)だ。トマトの酸味が食欲を誘いパンもサラダも完食。街の散策の前にバス会社に立ち寄り、明日のイスタンブール行きのチケットを買う。次にローマ時代の市場跡の古代アゴラに行く。遺跡群は塀で覆われていないので、入場券を買わずに外から見学する。支柱が数本並び、石片がゴロゴロ転がっている。発掘された彫刻群は考古学博物館に展示されている。そ れでも、今でも発掘作業中で、発掘された見事な彫刻もいくつか見ることが出来た。(ズームで撮った) 海に向かって歩くと、バザールがあり、アメ横を何十倍も大きくした規模で驚いた。ファションや雑貨、食料品、貴金属まで何でも揃っていて値段も安い。買い物好きにはたまらない場所のよ うだ。 明日は、21時発の夜行バスでイスタンブールに向かう。 2012年6月21日木曜日 ーイズミル市内散策 写真ー ホテルの人 顔は怖いが、いい奴、33歳 会うたびにチャイやコーヒーをご馳走になる OTELはHOTEL 朝飯を食べている所から撮影 朝飯 トマト味のスープとサラダ 元気にやっています 昔の市場跡 古代アゴラ 門 名前はわかりません 28店舗があった 支柱が十数本並んでいる 彫刻群 石棺 紀元前178年の彫刻 発掘作業が続けられている バザール 衣類が多い コナック広場 時計台 彫刻が見事 桟橋 ここから近郊へ船が出ている イスタンブールに20日6時50分に到着。
2020.04.29
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2012年6月12日火曜日 ー私は、日本人の評価を下げているー 夕食 ビール代だけでチーズとオリーブ、パンがサービス 三日ビールだけで、夕食 3日間ビールだけで、夕食 チーズとパン ホテルの3回のレストランから この人がいい人で、ビールだけの注文でも 色々とサービスしてくれた 昨日、行けなかった、パシャバー 3つのキノコ岩で有名 バスと歩きで観光しました これが、3つのキノコ岩 記念撮影 空は真っ青 顔は黒くなりました 3つのキノコ岩 下まで降りて撮影 本当に不思議ですよね ここの奇岩にも昔は人が住んでいた 住居跡 アヴァノスの川にアヒルが餌を求めて集まってきた 吊り橋とモスク 川の周りにはたくさんのお茶さん 街で見かけた銅像 アヴァノスは陶芸の町 おみやげ屋さん 色鮮やかな焼き物 色彩豊かな焼き物 昼はケバブ このオヤジさんに写真を撮るよう催促された 昨日、行けなかった3つの岩で有名なパシャバーに行ってきた。観光バスが何台も駐車している。観光客もたくさんいる。その中でも韓国の観光客が多いのには、正直いって驚いた。東南アジアで、いや、世界でも韓国の経済発展が著しく、国が豊かになったという事なんだろうと思う。どこに行っても、必ず韓国の観光客に会うが、日本人には数えるしかお目にかかっていない。しかし、観光客として嫌われているのは中国がダントツ、2番目に韓国だ。私が日本人という事もあって、遠慮していると思っていたが、ネパールやインドのホテルの人も、レストランの従業員も口を揃えて、嫌 いだと言っているので間違いないようだ。ただ、日本人は、はっきりと物を言わない、よく言えばおとなしい、金払いがいいとう事で、評価はいいのだと思う。でも、日本の若者は結構、言いたいことを行っていますが、中年以上の英語が得意でない人は、海外ではいいカモと見られているフシがある。私は、結構値切ったりしているので、日本人の評価を下げているのかもしれない。 21時30分発の夜行バスで、アンタルヤに向かう。 2012年6月14日木曜日 ー生まれて初めての地中海を臨むー 昨日、夜行バスに乗車する前、 ライトアップされていて綺麗だった ホテルのすぐ側のカラアリオウル公園 手入れがなされていて、とても綺麗な公園 公園で見つけた、地中海を向いている フドゥルルック塔 大砲も備えた城塞 アンタルヤ湾 本日のホテル、4人部屋のドミトリー、25トルコリラ(1100円)朝飯付き 本日分の朝飯付かない、それでも、ちゃっかりと朝飯をいただきました カレイチ地区の時計台、この地区は旧市街地、ホテルやペンションが集中している 街並み 洒落たお土産屋さん ベタ凪 潮の香りがします 観光船 朝、6時40分にアンタルヤに到着。ここのバスターミナルは大きくて、目的のカレイチ行きのバスを探すのに結構苦労した。知らない土地で、バスに乗り目的地に着くまでは不安だ。運転手にカレイチと言って乗り込んだのはいいのだが、どこで降りればいいかの分からない。地図もガイドブックも持っていない、ネットで調べた情報頼り、ユチュカプラル駅から3、500メートル海に向かう、それと住所を調べただけだ。乗客に駅名を言ったら、二つ手前で降りなければならなかったようだ。まぁ~、朝も早い事だし、大した距離ではないだろう。近くのお茶屋さんに入り、チャイを飲みホテルの住所を見せたら、海沿いに歩けば10分程で行けるようだ。カラアリオウル公園の朝はとても気持ちがいい。ジョギングをしている人、備え付けの器具を使い足腰の筋肉を鍛えている人、柔軟性を保つためにストレッチをしている人、朝早くから大勢いる。歩くこと4、5分、生まれて初めて地中海を臨む。 真っ青な空、朝の太陽の光にきらめく地中海の景観に、しばし見とれてしまった。 2012年6月15日金曜日 ー血圧は大丈夫なのー ホテルから2分 ケスィッキ・ミナーレ かなり古い、中には入れない 夕食 トマト味スープ レバーとトマト和え レバーは揚げてある 4人部屋のドミトリー 私一人 ハドリアヌス門 彫刻が施された三のアーチの門 130年にローマのハドリアヌス皇が この町を統治した記念に建造された カレイチの町並み すぐ側をトラムヴァイ(市電)が走る トルコ絨毯屋 客引きに、金を持っていないと思われ声もかけられない イブハーネ公園 美しい尖塔のイヴリ・ミナーレ 左が時計台 町の中心地 フドゥルルック塔の大砲 ここのホテルの奥さんは、千葉県松戸市出身の方だった。今日の朝まで知らなくって、掃除をしたり後片付けをしている女性に話しかけたら、ここの女将で、旦那さんが日本で働いている時に知り合い、結婚してアンタルヤに一緒に来て住んでいるんだそうだ。見た感じ、肝っ玉母さんという感じの女性だ。 話は変わって、トルコの食べ物について、全部を食べているわけでないので、間違いがあったら許して欲しい。どんな料理を注文しても必ずパンがつく。外は固く、中はモチモチでとても美味しい。食欲のない時にスープを注文して、スープにパンをひたして食べる。羊の胃袋のスープは酸味が効いて、こってり風味でなかなかうまい。他にもトマト味、ヨーグルトと野菜スープも美味しい。トルコ料理と言えばケバブ、ヒツジ肉か鶏肉がほとんど。ヒツジは臭いが嫌だという人でも、臭みがなく柔らくクセがなくてうまい。煮込み料理の鶏肉とトマト、インゲンと豆、キノコとトマト煮込み等、種類豊富で安くてうまい。トルコ風ビザは、生地が舟形をしている。私が食べた、サラミと卵、野菜とチーズのピザは絶品だった。ただ、私には量が多過ぎる。魚料理はトラブゾンで食べたきりだ。メニューを見ても魚料理は高い。トルコ滞在中には、トルコの庶民料理店を探して食べるつもりだ。それにしても、トルコの人達は味音痴ではないだろうか、料理が運ばれてくるとすぐに塩やコショウを相当量ふりかける。血圧は大丈夫なの…、と思ってしまう。 2012年6月16日土曜日 ーへんな閃きでもしたら大変ですからー ハドリアヌス門 ヨットハーバー ビーチ ヨットハーバー ここから観光船が出航する ビーチ 綺麗な海水 昼飯 オーソドックなピラウ(松の実が入ったバターライス) ピクルスとアイラン(ヨーグルトの飲み物) 180円 夕飯 羊の胃袋スープ 鶏手羽の煮込み サラダ チャイ12リラ 516円 満足顔 羊の胃袋スープ ニンニク味 酸っぱみがある こってりとしたスープ 料理を指差すれば食べられる 夕方7時過ぎにパレードしていた 民族衣装でパレード 食事を終えて、ホテルでビールを飲む ここ2日は33度、インドに比べれば10度も低く、木陰に入ればそこそこ涼しいのだが、でも暑い。今日1日の行動は、朝、シャワーを浴び朝飯にして、10時過ぎから海岸まで行く。水は透き通り、岩や白い砂が手に取るように見えた。海の彼方には、山々が連なって見え、なんとも絵になる風景だ。しばらく海を眺めたが、今日は何も閃かなかった、と言うよりも閃いても、すぐに違うことを考えて、気を散らした。また、へんな閃きでもしたら大変ですから…。(#^.^#) 昼飯は、松の実が入ったバターライス(上に鶏肉)とピクルス、シンプルな飯だが、飽きがこない、また食べたくなるライスだ。夕食は、2回目になるが羊の胃袋スープ、さらに鶏手羽の煮込みとサラダを注文した。羊の胃袋は鶏の腸みたいで、それ自体味があるわけではないが、ニンニクとバター、コショウ、塩、その他は分からないが濃厚なこってりとしたスープだ。これにパンだけでも十分オカズになる。夕飯を終えて町を散歩していると、遠くからブラスバンド(古いか)の演奏が聞こえてきた。だんだん近づいてきて、写真のような民族衣装を着た人たちのパレードだ。ホテルに帰り、ビールを飲み、一息ついて、シャワーを浴び、ブログの更新。 明日は、フェティエに向かう
2020.04.28
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キノコ岩 奇岩、不思議ですね 2012年6月11日月曜日 ー私の小さな頭では想像も出来ないー 蜂の巣、迷路ですね、私一人だったら帰れなかったかも? この様な部屋が無数にある 食料を貯蔵する部屋 小麦を挽く石臼 この大きな石で入口を塞ぐ 地下30メートルから上までの通気孔、写真の上の真ん中に窪みが、手と足をかけて、掃除したらしい 上は炊事場 よく分かりませんよね 長崎のFさんと一緒に、1人でガイド付きの旅行とは、それにしても羨ましいですね 石の扉 右の穴を塞ぐ 観光客用お土産屋 HISのツアー 一人で車チャーター、日本語ガイド付き ガイドのお礼にチャイを私がご馳走した ギョレメから20分のネヴェヒルの街 街角の売店 結構大きな街 公園で昼飯 パンとヨーグルトの飲み物 上野の西郷隆盛に似ていませんか 本日は、ギョレメからバスを2回乗り継いで、25キロ郊外にあるカイマクルの地下都市を見学にいってきた。入場券を買い求、入口から少し入った所で、長崎のFさんの日本語ガイドAさんが、私に話しかけてきて、ガイドするから一緒に回りましょうと、有難いことを言ってくれる。私の顔に何か囁くような事が書かれているかのように、不思議と、その場その場で良い方向にことは運ぶ。(自画自賛) ここからは、ガイドの説明を要約する。カイマクル地下都市は1960年に偶然発見され、今現在も全体の構造は把握されていない。いつ頃からつくられたのかも不明だ。ただ、紀元前400年頃の資料には都市の存在が記録されている。8~9層もの多階式になって、部屋がアリの巣のごとく無数にある。地下1階では家畜も飼育され、炊事場、倉庫、トイレ、教会などもあり、酒好きもいたようで、ワインを作り貯蔵までしていた。隈なく通気口が完備さ、過ごし易い部屋だったようだ。アラブ諸国の攻撃に備え、完璧な防御システムが施され、敵が進入したときの対策として、矢を射る小窓や、煮えたぎった油を上からぶちまける穴も設置してある。日本でも、戦の時に同じように熱湯を ぶちまけていた時代があった。敵が去るまで貯蔵食料で飢えを凌ぎながら、半年から1年も地下の暗闇の中に立て篭り、ひたすら敵が諦めて過ぎ去るのを待った。なんとも辛抱強い人たちの集団だったんだろうか。この地方だけで30もの地下都市があり、10万人が収容可能と推定されている。 普段は地上で生活し、敵が侵入した時に地下に避難したと考えられている。それにしても、日が差さない地下で、衛生的な問題や病人の手当、汚物等をどのように処理したのか…。地震や水害の対策、何千人もの重さに耐えるための構造設計は…、ガイドさんに質問してみようかと考えたが、図々しい奴だと思われたら嫌なので聞かなかった。地下都市の生活の疑問は残り…、私の小さな頭では想像も出来ない世界だったんだろう…と思う。日本に帰ったら調べる事にする。 2012年6月12日火曜日 ー人の話は疑ってかかれー キノコ岩 岩が崩れて、住居跡が見れる 赤茶けた氷河の様に見える 私だけかもしれない なんとも不思議な奇岩ですね 昔、こんな山奥で暮らしていた人が居たんですね 穴に見えるのは、住居跡 今日も快晴 天に向かって伸びるキノコ これが白かったら、氷河か崩れている様に見える 山全体が赤茶けた尖った岩で覆われている 四角く見えるのは、昔の住居跡 何十分も座って、眺めました 飽きることはなかった 赤茶けた屋根はチャウシン村 本当に不思議ですよね 車道にはビール缶やビンがたくさん捨てられている 人前で飲めない分、車の中で飲んで捨てているのか? イスラム教の人も酒好きはいるんです 昼飯 パンとヨーグルトの飲み物 、ここ数日の定番 明日のバスチケット 今日は、ちょっとした不注意から5キロ余分に歩いてしまった。ギョレメからバスでチャウシンに行く途中で、左側にキノコ状の奇岩が見えてきた、てっきりそれがチャウシン村だと勘違いして、よりによって韓国の若い女性2人も巻き添えにしてしまった。私に、チャウシン村はどちらですか、と聞くので左の道を指さした。私が歩く方向に2人も付いてくる。1キロくらい歩いて、どうも様子が違う、畑で作業している男性に尋ねると、チャウシン村は道路の反対だった。韓国の2人に平謝りだ。これで、韓国の女性は、人の話は疑ってかかれ、と、いい勉強になったはずだ。見学を終え、次に3本のキノコ岩で有名なバシャバーまで、歩いて行く事にしたのはいいのだが、途中で右折するする所が分からず、道路は車は通るが、歩いている人はいないので、道を聞くにも聞けずに、2キロ先まで歩いてしまった。仕方がないので引き返していると、親切な男性が運転する車が止まって乗せてくれる。何処まで行くのか聞かれたので、疲れてもいたので宿の近くのギョレメと答えてしまった。ホテルに帰りビールを飲んで昼寝だ。 明日は、21時30分発の夜行バスでアンタルヤに向かう。 カッパドキアから先のルートは、エーゲ海沿いに、アンタルヤ、フェティエ、セルチュク、イスタンブールと進む予定。このルートはヨーロッパからの観光客が多く、物価も高そうだが、エーゲ海を見てみたいので行ってみる。
2020.04.27
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2012年6月8日金曜日 ー旅に出て最も高いホテルー バス移動16時間 でも快適なバスでそこそこ寝れた テレビ付き トルコ語だけ、私は画面を眺めているだけ 途中で降りる人がいても、乗り込んでくる人もいるので、終点30分前までは満席 この人に、トルコ紅茶2杯とクラーカーをご馳走になる 結構色々な人に、果物などをご馳走になった はじめは海岸沿い、後は1200~2000メートルの山を走る 焼き物の町、宣伝ですね、目立ちます 車窓から奇岩 明日からの見学が楽しみだ ギョレメの街 すぐ後ろに奇岩 ギョレメのメインストリート 宿のすぐ側 宿について、バイキングの朝飯を無料でいただく 味のある部屋です 1泊2400円 初めにこの部屋を見て、次にドミトリーを見たら900円の違いだが、ここは奮発して4泊する トイレ、シャワー室、浴槽もある 街の通りから奇岩が見れる お茶屋さん、お年寄りがトランプや サイコロで賭けゲームをしている 昨日の、痩せる話、不評で、いつもコメント頂いているtakaさに、最低と言われてしまいました。暇があるとロクな事を考えないと、反省しています。これからの旅は、全く初体験の国ばかり、緊張もするだろうし、色々な所を訪れる予定なので、くだらない閃もわかないと思います。 昨日、トラブゾン17時30分発、ネヴシェヒルに10時15分到着。30分の休憩が3回と、トイレ休憩が4回あった。写真のように超高級バスで、意外と良く寝れたので、夕方でも眠くならない。宿は、ミニバスに乗り換えて20分の所にある、カッパドキアの中心地ギョレメに着く。早速、インターネットで調べた宿に向かう。初めに写真の部屋に案内され、次にドミトリーを見るが、ネパールやインドで節約した分を英気を養うために、ここは奮発して2400円の部屋にした。もちろん朝飯付きだ。でも、ギョレメは観光客が多いのだろうか、トルコ紅茶1杯か゜2リラ(86円)する。トラブゾンでは0.5~1リラだった。夕食は、肉の煮込み料理で8.5リラ、ほとんど最低料金で、メニューを見ると15~40リラ、その上の高い料理もある。これから、ギリシア、イタリアと進めば、もっともっと高くなるんだろうなぁー。 2012年6月10日日曜日 ー旅に出て初めて4028円の出費ー 朝食 昼の分までしっかり食べました ウチヒサル城手前 人が住んでいる 本当に素晴らしい景色だ ウチヒサル城 あの山、富士山ですよね アジアス山 歩いていると色々な花に巡り会える 本当に不思議な景観です 奇岩とアジアス山 子供にカメラを渡したら、勝手に写真撮ってお金を要求するが、一銭もあげなかった 崩れかかっているので近づけない 岩が崩れて、洞窟内の住居跡が見られる 暗闇教会内部、赤色で何か書き込まれている 上に同じ、ここで撮影禁止を言われる 暗闇教会跡 崩れかかっているので近づけない 単純なデザイン ここは撮影OK 上に同じ 天井 何百年も光が差し込まない、カランルク暗闇教会 隠れて撮りました なんだか分かりません キャンプ場があったんだ、テント生活すればよかった? 見学を終えて4時ころ、ビールを注文する時に、チーズを少し頂戴といったら、こんなにもたくさん頂いた、料金はビール代だけ 旅に出て、航空運賃は別で、1日で4028円を使ったのは初めてだ。ホテルと野外博物館の入場料で3000円なので仕方ない。 カッパドキアはツアーに参加すれば、1~2日で観光することが出来る。私は、3日に分けて公共バスと自分の足を使って回ることにする。1日目は、バスでウチヒサル城に行ってきた。ここは「尖った砦」と言われている。砦の周りは住居が密集していて、いや、混在していてとても雰囲気のある所だ。ここからの眺めは文句なく素晴らしい。目が点に、富士山に瓜二つのアジアス山、どう見ても富士山だ。少し角度を変えれば、カッパドキアの地形が、まるで模型のような景色に見え、地球の自然の力に圧倒される。ここからは、歩きでギョレメ・パノラマに立ち寄って、パンとオレンジュースで昼飯にして、ギョレメ野外博物館へ往復歩きで行ってきた。4世紀前後からキリスト教の修道士が岩に洞窟を掘って住み着き、外敵からの危険を避けながら、信仰を守り続けた。岩窟教会が30以上あると言われている。洞窟内部には、十字架をモチーフにした単純なデザインから聖書のエピソードが細かに表されたフレスコ画が残る。なかでも特に保存状態がよいのがカランルク暗闇教会。 キリスト像や受胎告知、洗礼、最後の晩餐などの鮮やかな色合いで見ることが出来た。残念な事に撮影禁止。言われる前に数枚撮影したが暗くて良く撮れていない。今日は8キロ以上歩いた。 明日は、地下都市を見学に行く。
2020.04.26
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2012年6月6日水曜日 ー図々しい女ー グルジアとトルコの国境付近 ブルーの黒海は綺麗です グルジアの国境の町サルピ サルピで朝飯 ジャガイモが中に入ってるパンと紅茶 トルコ側パスポートコントロール 日本人の私は並ばずに、優先的に手続き出来た バスの車窓から なんとも穏やかな黒海です 昼飯 小アジのオイル焼き サラダ コーラ 久々の魚 やはり美味いですね! これにビールがあれば最高なんですが? メディア広場 メディア広場 中央に立つ銅像 銅像の脇 酒屋さんを見つけ、飲みました、やはりビールは美味いね! 3種類のピサ゜ 野菜、チーズ、牛 コメントただいている方に、今後はコメントに返信して公開しますので、コメントの数字のところをクリックして下さい。 バトゥミから乗合バスに乗り20分でトルコ国境の町サルピに到着。グルジアの出国とトルコの入国手続きを終え、ホパ行きのバスを探すが、乗合タクシーしかなく、1台30グルジアリラ(1500円)だ。5人乗れば1人6リラ、客は私とグルジアの若い女性、女は先を急いでいるようで、彼女が6リラ、私に24リラ払ってくれと言ってくるが、私は別に急ぐ旅でもないので申し出を断った。せめて、10リラと20リラならまだ話が分かるが、なんとも図々しい女だ。待つこと20分、荷物をたくさん抱えた夫婦を入れて4人、1人7.5リラで話がまとまりホパまで行き、トラブゾン行きのバスに乗り換える。バスの右の車窓からは、波もなく穏やかな黒海が見える。また、左には残雪の山々が連なり、信州の山のようだ。4時間のバスの旅を終え、トラブゾンに到着。目的の宿はすぐに見つかり、ザックを置き昼飯に出かける。小アジのオイル焼きとサラダを食べたが、ビールの代わりにコーラでは味が半減だ。トルコはイスラムの国なのでアルコールは飲めない。それでも街には酒屋があり、普通に買う事が出来る。 夕食は、『スリコの家』で一緒だったYさんと、トルコ通のMさんとピザを食べに行った。本来、脂っこい物、こってりとした物は苦手だが、ここのビザの生地がこんがりと焼けていてとても美味しかった。 2012年6月7日木曜日 ー2カ月間で使ったお金ー ホテルの談話室 広々としている 昔の電話 今の携帯電話から想像できませんね ホテル隣のスーパー 朝、トルコ紅茶を飲む 街中にはモスクがたくさんある 市場の野菜、果物売り場 品物は豊富だ 魚市場の中の魚屋さん お茶とジュースをご馳走になる 結構、買い物客が途切れない店だった 魚屋さん推薦の店で、遅い昼飯兼夕飯、日本のイボダイ、脂がのっていて、とても美味しくいただきました 魚を食べられて、嬉しそうですね トラブゾンは特に見所はないので、洗濯して街を散歩する。街を歩いていると地元の人に声をかけられたり、さくらんぼを貰ったり、お茶をご馳走になったり、言葉は分からないが、友好的に話しかけてくれている事が良く分かる。写真の魚屋さんでは、紅茶とジュースをご馳走になり、魚の美味い店を教えてくれ、わざわざ店まで案内してくれた。ともかく皆さん親切だ。 ※ 3月22日~ 5月21日(61日間) a交通費 b食事代 cホテル代 dその他 e 合計 1ヶ月目 a 58776 b 20248 c 17806 d 12848 e 109678 2ヶ月目 a 39881 b 12371 c 18278 d 9738 e 80268 トータル a 98657 b 32619 c 36084 d 22586 e 189946 さて、旅に出て2カ月半、上の数字は2カ月間(61日間)で使ったお金だ。トータル189946円で、1日当たり3113円になった。交通費(飛行機代が約7万円含む)を差引すると宿泊代、食事代、博物館の入場料も含めて1日当たり1496円だ。ネパールは格安で過ごせたし、インドで腹を壊した事もあ り、食事代が安く抑えられた。トルコを出るまでは1700円位(交通費は別)でやっていけそうなで、3カ月間のトータル、交通費を入れても30万円以内で収まりそうだ。 これからの予定は、トルコに6月20日頃までいて、ギリシアとイタリアが各15日間、スイスには7月20日頃から8月15日頃までいて、スペインとポルトガルが各15日の予定で、日本に帰るのは9月16日、インターネットで調べ、片道61000円のトルコ航空の券を予約した。途中でキャンセルしても一銭も戻ってこない。何が何でもポルトガルまではってでも辿り着く覚悟だ。 2012年6月7日木曜日 ー私は黒海を眺めて考えたー 朝飯 トルコ紅茶とパン 町の惣菜屋さん どれも美味しそう 黒海を眺めていたら、ひらめきました 昼飯兼夕食 ケバブ ライス・焼きトマト・ヨーグルト・にんじん・赤キャベツ・サラダ菜 腹一杯になりました 街の様子 紅茶屋さんか街の様子 17時30分発のカッパドキア行き夜行バスの時間まで、街を散歩したり黒海を眺めたりして時間をつぶす。ただ黒海を眺めていた訳でない、インドで体重が減った事について考えていたら、究極のダイエット法をついに発見したのだ。このブログを見て頂いている方へ、感謝の気持ちを込めて特別に教えちゃいます。方法は至極簡単、インドに最低2週間旅するだけ。ツアーの旅ではダメ、個人旅行で1日1200円で暮らす。安宿に泊まり、3食食べ、飲み物を買ってトータルで1200円で過ごす。たったこれだけで、3~5キロ痩せらる。どうしても、一人旅に自信がない方は、バンブー・トラベル( 竹travel)特別企画『インド・究極のダイエット20日間の旅』にご参加ください。旅費15万円(遺跡等の入場料含む)、参加者には5日ごとに6000円を渡す。バンブー・トラベルは、東京からインドの往復航空券の手配、インド国内移動の手配。また、現地に着いてから激安ホテルの見つけ方、値段交渉についてアドバイス。これだけでも価値がありますよ…。この旅で10日経っても、1キロも痩せない方には、取っておきの方法を用意、ガンガー(ガンジス川)で沐浴して、歯を磨きガンガーの水で口をゆすぎ、一口二口を飲んでもらう。これで確実に腹を壊す、念には念を入れて、氷入りマンゴジュース、ラッスィー(ヨーグルトに水道水と氷を入れてかき混ぜた飲み物)を飲んでもらう。それでも、体重が1キロも減らなかった参加者には、全額返金。どなたか、申し込みしてみませか? こんなことばかり、ブログで書き込んでいたら呆れられて、2度と見てもらえないかもしれませんね?
2020.04.25
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2012年6月3日日曜日 ースリコの家でご馳走づくめー トビリシ~クタイシ行きの車窓から、ラベンダーの紫、黄色、濃い緑、薄い緑、空の青さ、コントラスト見事です 途中、休憩した所で ダヴィド・アグマシェネベリ広場 クタイシ駅からバスで20分 ダヴィド・アグマシェネベリ広場 メスヒシュヴァリ記念劇場 夕食前 バファローの角 これにワインを入れて飲む 置く事ができない 注がれたら飲み干すしかない、何回も乾杯、乾杯 食べきれない料理だ 日本二人 ポーランドの夫婦二人 半分は残った ワイン、コニャック、地酒すべて自家製 おかげでベロベロ、翌日は二日酔い 10時30分発のバスで、トビリシからグルジア第2の都市クタイシに到着。インターネットとで調べた『スリコの家』に着くと、直ぐにワインと地酒を振舞われる。夕食は奥さんの手料理が並び、ワイン、チャチャ(地酒)、コニャックを休み無く注がれ、ベロベロ状態で翌日は二日酔いだ。 2012年6月4日月曜日 ーどこか酒のない国な~いー ゲラティ修道院 ゲラティ修道院 ゲラティ修道院の内部 真ん中がマリア 地元の小学生 修道院の鐘 絵になりますね ポーランドの夫婦と一緒に 断崖に建つモツァメタ修道院 モツァメタ修道院の内部 モツァメタ修道院の鐘 結婚式 バザールの入口 遅い昼飯 冷えたビールとシシャモに似ている魚 本当に美味いですね! ジョッキー2杯すぐに飲み干す ライスとキノコ ミートソースをかけて食べる メディコ料理上手 賑やかな夕食 何回も何回も乾杯、乾杯 スリコとメディコ シカゴの青年 私はベロベロ スリコは本当に強い ボーランドの夫婦と一緒に、ゲラッテ修道院とモツァメタ修道院に行ってきた。両方とも世界遺産に登録されている。ゲラッテ修道院まではバスで行き、その後は歩きでモツァメタ修道院を往復した。 計算すると7.5キロ歩いたことになる。高原の中を歩いているようでとても気持ちが良かった。 インターネットは本当に便利だ。クタイシの地図も何も持っていなくとも、ネットで色々な事が調べられる。「スリコの家」はネットで、ワインと地酒が飲み放題、料理も美味しく、腹一杯食わしてくれると書かれていた。私は、酒が飲み放題に釣られた! 確かに、料理は美味い、酒は全て自家製、ワイン、チャチャ(地酒60度)、コニャックは飲み放題だ。 ご主人スリコは、何回も乾杯の音頭をとり、その度に飲み干さなければならない。奥さんメディコは、食べろ食べろと言って、何回も私の皿に料理をてんこ盛りしてくれる。腹はパンパン、ベロンベロンに酔っ払い、次の朝は頭が痛くて、完全な二日酔い。朝は朝でワインを注がれ、3杯で勘弁してもらった。どこか酒のない国な~い、と思っても飲めてしまうのが意地汚いところだ。 2012年6月4日月曜日 ーアイ・ラブユーグルジア・アルメニアー バグラテイ修道院 今の私の気持ちを表している アルメニアも一緒の気持ちです 宿から30分の所にあるバグラテイ修道院に行ってきた。しかし、修復工事中で周りを一周しただけだった。工事中にも関わらず大型バス2台と普通車か7~8台駐車、観光客がやはり私と同じように一周していた。今日は、私一人だけの宿泊の予定だったが、夜中10時すぎ2人、それから30分して 3人が到着した。私は、6時30分頃から夕食にして、ワイン、地酒、コニャックを頂き、8時30分にはベットに入るなり爆睡。それでも5人の大声、バカ笑いで目が覚める。 明日は、トルコとの国境の町、黒海に面したバトゥミに向かう。 2012年6月5日火曜日 ー竹ちゃんバトゥミで食堂の親父になるー 朝飯 ヒンカリ サラダ パン チーズ ヨーグルト ワイン 地酒 コーヒー バトゥミ市内 ホテル? 港町 船 ヨットが停泊している 本日の宿 綺麗です、でも2000円は少し高い 昼飯 牛肉とても柔らかい 美味い! 店のオーナー女性と客 女性と一緒にならないかと言われる お似合いに見えませんか 今日も朝からワインとチャチャ(地酒)を飲み、朝飯を腹いっぱいご馳走になる。別れ際、小瓶に詰めたチャチャをお土産にもらう。スリコの家では、本当に心のこもったもてなしを受けた。ネットで皆さん絶賛しているだけあって、宿泊した人は誰でも嘘偽りのない真心のこもった宿だと納得するはずだ。私は1日目で虜になり、3日間アルコール漬けになった。 本日は、10時出発のバスで、パトゥミにやって来た。黒海に面したトルコとの国境の街。トルコの国境まで20分ほどだが、ここで1泊する事にした。それにしても宿は2000円と高目だ。昼飯と夕飯に入った店で、地元の男性と片言の英語とグルジア語で話をしていると、写真の女性47歳、ここの店のオーナーで、今現在独り者なので、旅をやめて一緒になれ、と言ってくる。なかなかセクシーな女性、竹ちゃんグルジア・パトゥミで食堂の親父になる…、も悪くないなと一瞬気持ちが動いたが…。 明日は、トルコに入国してトラブゾンに向かう。
2020.04.24
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