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4/10 リマ時間22時55分 搭乗手続きまで8時間ある 一眠りするしかない どんな仕掛けになっているのか 杖一本で宙に浮いている リマのチャイナタウン どこの国にもチャイナタウンはある 中央市場の様子 マヨール広場からリマ大聖堂 マヨール広場から政府宮殿 歩き疲れたので 一休みしてビールを飲む 11時少し前から繁華街に出かけ、チャイナタウンと中央市場を見学した。 本日はリマ空港で一晩明かして、11日の朝7時のフライトでメキシコシティ空港に向かう。 さらに乗り継いで成田空港なのだが、10時間の待合せがある。 メキシコシティ空港は12日の深夜の1時出発で、成田空港には13日の6時20分到着予定だ。 飛行時間は5時間プラス13 時間のトータル18時間、待合せ時間が10時間で成田到着まで28時間だ。 やはり南米は遠いと実感させられ、気楽に何回も訪れる事は出来ない。 次のブログ更新は13 日になると思う。
2018.04.11
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4/9 「お宿櫻子」の朝飯 宿泊代35ソル(1100円)で朝飯付き 感心させられるのは 1番上の朝飯は基本の食事だ ただ泊まり客の要望を聞いてくれる 歯の矯正でリマの歯医者に通っている女性にはお粥 卵や肉アレルギー体質の男性にも対応した朝飯だ ここまで手間をかけた事は普通はしない 大型スーパーMetro 空港でお土産を買うと高いので Metroで買物した Metro付近の町の様子 今晩一晩で日本に帰る事になる。明日は、空港で寝て11日の朝7時出発だ。 宿からバスで7分ほどで行ける大型スーパーMetroに行ってきた。 目的はペルー産のチョコレートとコーヒーを買うためだ。空港で買うよりは2〜3割は安く買えるからだ。 帰りのバスで松葉杖の男性が隣に座り、バス料金を払ってくれと頼まれたので運転手に支払い、釣銭を受取っている間に、竹ちゃんが降りるべきバス停を過ぎてしまっていた。 初めは何を話し掛けられたのかも理解できなかった。男性がお金を大事そうに小さなビニール袋から出したので、初めてバス代の支払いだなと分かったのだ。 支払いを済ませ席に腰掛けていると、いつの間にか降りるべきバス停は過ぎて、大分先まで来てしまった。 引き返さなければならないので、道路の反対に渡り、運転手にバス停の「チャカリヤ」に停まるか訊いて乗込んだのだが、途中で左折するので降りて歩けば直ぐだと言っている。 竹ちゃんは何回もバスに乗っているので歩けば15分ほどかかる事を知っている。 ほんのチョットした親切が、宿に着いた時には汗だくだ。 晩酌 Metroでブロッコリー トマト チーズにサラミの切落しを買い ビールとワインで晩飯兼晩酌
2018.04.10
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4/8 ペルーの独立運動に大きな功績を残した サン・マルティン将軍の騎馬像が立つ サン・マルティン広場 ペルーで最も古いカテドラル サン・フランシスコ教会・修道院 大統領府 サント・ドミンゴ教会・修道院 アルマス広場 ラ・メルセー教会 スペイン・バロックの外観 精緻な木彫りの聖職者席などが見どころだ 格式を感じる最高裁判所 この先はラ・ウニオン通り メインストリート ーーウイキペディアからコピペーー リマ(スペイン語: Lima)は、ペルー共和国の首都並びに政治、文化、金融、ショウギ、工業の中心地である。人工約800万人で同共和国最大。南米有数の世界都市であり、2016 年の近郊を含む都市圏人口は1,095万人であり、世界第29位である。チャラと呼ばれる海岸砂漠地帯に位置する。市街地は、植民地時代に建てられた建物が多く残るリマ・セントロ地区(1988年、ユネスコの世界遺産に登録)、それより海岸側の新市街(サン・イシドロ地区・ミラフローレス地区など三輪モトタクシー乗入れ禁止の端整で裕福な地域)、それらの新旧市街地を取り巻く複数の人口密集地域(第二次世界大戦後に発展)、以上の三つに分類できる。リマは1535年にインカ帝国を征服したスペイン人のコンキスタドール、フランシスコ・ピサロによって築かれた。リマの名前の由来は市内を流れるリマック川(rio Rimacが訛ったもの)に由来すると言われているが、当初の名前は"La Ciudad de los Reyes"(諸王の街)であった。 本日は、旧市街(セントロ)を散策した。 歴史的建造物がユネスコの世界遺産に登録されている。 見応えある建築物が歩ける範囲に集中しているので助かる。 今日は日曜日で、教会では日曜礼拝が行われている。ちらっと覗いてみたが、熱心なクリスチャンが真剣な眼差しで祈りを捧げている姿に圧倒されて、写真を数枚撮ってすぐに退散した。 リマは植民地時代の建造物と文化が色濃く残り、また、近代建築物が建ち並びお互い融合する事なく、古い伝統を守る心と新しい物を取り入れようとするパワーを強く感じる街だ。 晩飯・晩飯はソーセージとトマト ビール2本
2018.04.09
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4/7 ペンション八幡の玄関 掃除が行き届いていて 気持ち良く過ごせた マルマス広場をバックに 進む La Retamaの道を50m進む 両脇はお土産屋 旅行会社が並んでいる 突き当りを右折して すぐに左折(下の写真) 少し上りになり 旅行会社がある 旅行会社から 緩い上り 70mでペンション八幡に着く ごく一般的な事柄が書かれている 今どき20ソル(700円)は安すぎる この貼り紙にも 至極当然の事柄が書かれている 竹ちゃんは、3月30日〜4月4日まで「ペンション八幡」に宿泊した。4月1日はマチュピチュ村に1泊したのでトータル5日間宿泊した。 最初は「地球の歩き方」でペンション八幡を知り、宿泊の候補にしていた。さらにネットで「クスコの日本人宿」と検索したら、最悪の宿としてネットに書かれているのを見て、宿泊をためらったのだが、結果として宿泊して大変良かったのだ。 従業員はスペイン語しか話さないので、意思疎通が上手くいかない事もあるが、洗濯して庭に干して外出中に雨が降り、帰ったら洗濯物を取り込んでくれていた。 貼り紙に色々と注意事項が書かれているが、最低守らなければならない事柄だ。 少しきつい書き方になっている部分もあるが、ドミトリーに宿泊する為の決まり事だ。 部屋は掃除が行き届いていて、とても気持ち良く過ごせた。ベッドも枕も、布団もシーツも清潔で、部屋は窓を開ければ風通しが良くダニや南京虫が発生する環境ではない。 アロマス広場から歩いて10分ほどで、宿に着く。最初は平坦な道で、少し傾斜の坂道を5分歩けば宿に到着だ。 道はやや狭いが治安が悪い事もなく、何ら問題なく歩ける。 ネットの書込で「夜は凶暴な野良犬だらけ」とあるが、マチュピチュからバスで22時に帰った時には、犬一匹もいなかったし、宿の近くにいる犬は野良犬ではなく飼われている犬だそうだ。 深夜・早朝に歩くのはどこの国でも危険が潜んでいるので出歩かない事だ。 あえて一言言わせてもらった。 クスコの宿で最安値の宿「ペンション八幡」は、竹ちゃんおすすめの宿だ。 リマの日本人宿「お宿櫻子」も良い宿だ。 お宿櫻子 ご主人が経営するプール サウナ 共同スペース 部屋に2ベッド 朝飯付き 晩酌はトマトとキュウリの塩もみ プール お宿櫻子は市内からやや離れているが、居心地の良い宿だ。奥さんが日本人で、ペルーの事なら何でも相談出来る。 本日は洗濯してノンビリと過ごした。
2018.04.08
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4/6 生まれて初めてのメイドカフェで 韓国の焼酎ジンロを飲む メイドカフェの入口 ビビンバを食べる お宿櫻子で一緒になった若者たちと 今晩はメイドカフェに行って来た クスコからリマまで22時間かけて お宿櫻子に戻って来た 早速ビールを飲む 日本のアニメキャラクターが並んでいる スーパーでビールを買い 宿に戻った 夜行バスは22時間かかってクスコからリマに到着した。 これが本当の最後の夜行バス、すっかリ夜行バスに慣れた体になってしまい、十分とは言わないが、そこそこに眠れるようになった。 約3ヶ月ぶりに「お宿櫻子」に戻って来てその足で、若者に混ざって、リマのアキバへ行った来た。生まれて初めての経験だ。 日本を代表するさまざまなアニメキャラクターを扱う店が、ビルの中に何店舗も構えている。 ここリマでも日本のアニメは若者たちを中心に絶大な人気を誇っているようだ。 アニメやコスプレを楽しむオタクなフェスティバルが頻繁に開催されているそうだ。 ペルーのアニメファンにとって、最高の聖地として知られるのが、セントロ・コメルシアル・アレナレスで、ここではペルー最新のアニメ情報やグッズを入手することができるので大変な賑わいだ。 この歳になってメイドカフェに行くとは夢にも思わなかった。 竹ちゃんと一緒に写っている女の子は、実に日本のアニメに詳しい。 今現在日本の出版業界は厳しい状況下にあるが、アニメ関係を出版しているごく一部の大手出版社は、世界を相手に商売しているので好成績だと聞く。 それにしてもデレットした締りのない顔で、写っている竹ちゃんの写真を孫には見せたくなかったのだが、成り行き状仕方なく貼り付けた。
2018.04.07
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4/4 12角の石 カミソリの刃1枚すら通さないという石材建築 サント・ドミンゴ教会・修道院 サン・フランシスコ教会・修道院 後の女性に散髪してもらった 安い5ソル(150円) 市場の中の食堂で 魚フライを食べた スープ付で5ソル(150円) ラ・メルセー教会・修道院 噴水からカテドラル 噴水からラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会 朝、旅行会社に行き明日のリマ行きバスチケットを手配するつもりでいたが、午前中出発の便はなく、17時発でリマに翌日の15時着だという。値段もカマで180ソル(5800円)、その下のクラスで130ソル(4200円)だ。 他の旅行会社も当ったが似たりよったりで、当然旅行会社の儲けもプラスされているはずだ。 それなら直接バスステーションに行ってチケットを手配する事にした。 やはり少しの労力で、カマで140ソル(4500円)、セミカマで80 ソル(2600円)と約50ソル(1600円)安い。 3列の1人掛シートは満席なので、4列席の窓側を予約した。セミカマの80 ソル(2600円)だ。リマには6日の10時到着予定だ。 夜行バス(22時間)での大移動もこれで最後になる。 バスステーションから戻り散髪をして、市場の食堂で遅い昼飯を食べて、クスコの町を散歩した。 シンさんちの《繭の里通信》2 4/4の記事「竹ちゃん、マチュピチュに」 友達のシンさんが、竹ちゃんの旅の足跡を地図帳に日付を書き込んでくれている。 彼のブログで下記の様に書かれている。 ー彼のブログでいいのは、その時々に食べたものを写真に撮って、ブログに載せていることだ。その写真を見る限り、あまり食欲をそそるような食べ物はなかったのではないかな。ー 竹ちゃんも下記様にコメントした。 今回もまた、記事にして頂き有難うございます。 シンさんの机にある地図帳は、私がユーラシア大陸横断の時に買い求めたものですね。 その地図帳に私の足跡を書き込んで下さった訳ですね。確かに私も知らない地名ですから探すのに苦労されたと思います。 写真で貼り付けた料理は確かに美味しそうではないですね。市場とか路上での食事なので盛付けもレストランとは違いますので、美味しく見えないと思います。如何せん節約旅行ですから…。 帰りましたら是非一杯やりましょう。 竹ちゃんのブログではリンク貼れないので、「シンさんちの《繭の里通信》2」と検索し下さい。
2018.04.05
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4/3 サン・ペドロ市場の食堂で 牛タン煮込定食を食べる スープにジュース付 13ソル(420円) ボリュームがあり ポテトとスープを半分残した サン・ペドロ市場 住民の中央市場 お店のおばさん達が威勢よく呼び込みをしている 活気にあふれている 豚の頭まるごと 牛の頭まるごと売っている 観光客も利用するので アルパカの毛で編んだセーター、マフラー 民芸品などを売っている 果物 野菜売場 チーズ売場 牛やヤギのチーズ 試食したが塩辛い 市場の食堂は何店もあり 選ぶのに苦労する 麺にスープだけなら3ソル(90円)で食べられる 高くても15ソル(450円) 腹一杯になる アルマス広場から7〜8分の場所にサン・ペドロ市場がある。 周りは教会が多く観光スポットになっているので、一日中観光客で賑わっている。 市場は規模が大きくたくさんの店が集まっている。さらに、市場を取り巻くように露店が無数といっていいくらい出ている。 とりわけ食べ物、飲み物のコーナーはどこの店も混んでいる。レストランの半分以下で食べられるので、地元以外の外国人も目立つ。竹ちゃんはレストランには入っていませんが、メニューを見ているので半分以下と言っているんですよ。 豚や牛の頭まるごと買って帰る人は、どの様に料理するのか見てみたいものだ。 沖縄では、豚の「鳴き声」以外は何でも食べると聞いた事がある。 耳は千切りにした「ミミガー」酢味噌で食べたり、春雨と和えたりした料理も美味しい。顔の皮を千切りにした「チラガー」こちらも野菜と炒めた料理も美味しい。ミミガーは軟骨部分がコリコリ、チラガーはもっちりとした食感でどちらも泡盛に合う。 脳味噌は天ぷらで食べた記憶があるが味は思い出せない。 脇道にそれた、市場では魚は見つけられなかったが、それ以外の物は何でも売っている。 市場歩きは楽しい! 町の様子
2018.04.04
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4/2 マチュピチュからワイナピチュをバックに1枚 技術者の居住区で 建物は風通しが良く窓からの眺めも良かった 一枚岩の階段 当時の石造技術の高さが見て取れる 水汲み場 石で出来た水路 相当高い技術を要したと思われる 段々畑 急斜面の山崩れを防ぐ目的もあった 畑ではジャガイモ、トウモロコシ、コカの葉などが生産され 通年食べられるように乾燥させて保管した コンドルの神殿 羽ばたくコンドルを連想される大きな建造物 儀式に使われたというコンドルの石 写真は10枚が限度、一回保存して貼り付けられるが順番が狂うので、途中に文字を入れた。 段々畑の脇に並ぶコルカ(貯蔵庫) 野菜だけでなく 乾燥リャマ肉なども貯蔵された ほかに農具や土器なども保管した 建物内部を復元した ワイナラ(準備室)ワイナピチュへ登る前の準備室として使われていた ヤナンティン山の石を裏から撮影 下の写真とそっくりだ 石の幅は約7m60cm 一枚の岩が加工されている インカの人びとにとって山は神であり 祈りを捧げる意味があった ヤナンティン山を模している 水力発電所からのヤナンティン山 マチュピチュはヤナンティン山の後に隠れている なんとも巧妙な都市を作り上げたものだ マチュピチュ見学を終え 10km線路の脇を歩き 水力発電所に戻って来た ビールで乾杯する 神秘的な空中都市、マチュピチュ遺跡。 雑誌や旅行会社のパンフレット、テレビなどで取り上げられているので、誰もが「一度は行ってみたい!」と思ったことがあると思う。 マチュピチュはインカ帝国時代の石造りの町で、人里離れた山奥の山奥に、断崖と尖った山々に囲まれ、さらに小高い尾根にあった事から、スペイン軍の破壊から免れた。 当時の技術では不可能としか思えない精密で堅牢な神殿や石畳をどうやって作ったのか、水路も日時計にしても高い技術を持っていないと出来ない。その様な人びとがなぜ文字を持たなかったのだろうか。その謎は未だ解明されないままだ。 その様な事を少し考えながら、遺跡見学をした。 ガイド付でないので見落とした箇所もあるが、約4時間ほど見学した。 如何せん帰りのバス時刻が15時と決まっているので、少し急ぎ足だった。 これで今回の旅の主だった所は訪れたので、竹ちゃん流には120%満足だ。 朝もやに包まれたマチュピチュ市街地 遺跡は断崖絶壁に建っている 最大級の巨石を使った建物 下の真中の3つの細い石は大きな石と石を組むため 細い石を噛ませて強度を高めている 見事な段々畑 3の窓の神殿 窓は太陽の昇る東側を向いている
2018.04.03
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4/1 最初は雲がかかっていたが 30分ほど待つと 突然、石造りの都市が現れた 「空中都市」と呼ばれるマチュピチュだ 後ろの霧に覆われた山がワイナピチュ マチュピチュで飼っているリャマが出迎えてくれた 見張り小屋 ここから眼下にマチュピチュ全景が眺められる まさに上の写真だ 加工された石は葬儀の石 平な部分に捧げ物を置いたという 市街地の入口 市街地に入ると 石造りの部屋がある 訪問者の休憩所や宿泊に使われていた 石切場 マチュピチュの建築に使われた石が切り出された場所 部屋は窓があり風通しが良かったはずだ 見張り小屋の下には 斜面を巧みに利用した段々畑が広がっている 自撮りで1枚 ーウイキペディアからー マチュ・ピチュ(英語:Machu Picchu、ケチュア:Machu Pikchu、スペイン語:Machu Picchu) は、15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にある。 当時、インカ帝国の 首都はクスコで、標高3,400mに位置する。標高2,430mのマチュ・ピチュから、さらに約千メートル高い場所にその首都があった。現在のクスコはペルー有数の都市でその市街地は世界遺産・文化遺産である。(1983年に登録された) なお、インカ帝国は1533年にスペイン人による征服により滅亡したが、アンデス文明は文字を持たないため、マチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか、首都クスコとの関係・役割分担など、その理由はまだ明確にわかっていない。 今朝は4時10分に起きて、洗面とトイレを済ませ4時30分にホテルを出た。 マチュピチュ駅前からマチュピチュ遺跡入口まで行くバスを待つ人がすでに200人が並んでいる。 竹ちゃんは事前に専用バスのチケットを買っていないので、バスチケット売場で並んだ。5時に発売開始、買い求めたのは5時20分、急ぎ専用バス乗場の列に並んだ。竹ちゃんの前には先程より増えて400人はいる。 専用バスは5時30分から運行され、15台目くらいに乗る事が出来た。 遺跡入口に到着したのは7時少し前、周りは霧なのか雲なのか視界がきかない。 午後の3時発のクスコ行きのバスに乗らなければならないので、とりあえず入場した。 見張り小屋まで登っているうちに、雲の上が明るくなったので、雲が切れるのを待つ事にした。 見張り小屋の前には、たくさんの人が雲の切れるのを待って座り込んでいる。 20分、30分と時間が経つと薄日がさしてきた。あともう少しだと思った時に、突然マチュピチュの都市が姿を表したのだ。 周りからは拍手がおこり、一斉にカメラのシャッター音が聞こえた。 写真や映像では何回も繰り返し観ていたが、実際実物を目の前にしたら身震いがし、興奮した。
2018.04.02
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3/31 日本なら線路を歩いたら大変な事になるが 何ら注意される事はない 鉄橋の右側を歩く あるき始める前に 名前と国籍を書いた 列車が来ると さすがに線路の上は歩けない 停車している横を歩く人達 列車が通過した 歩く人を目当てに 線路の両側には水や食物を販売している 2時間10分でマチュピチュ駅に着いた 駅前はアルマス広場になったいる アルマス広場の夜の様子 朝の7時50分にミニバンは出発した。 途中3回トイレタイムで停車して、7時間で水力発電所に到着。 15時から線路に沿って歩くが、線路に敷かれた石が歩きにくい。 進行方向から汽笛を鳴らして列車が来ると、線路を歩いていた人はサッと線路脇に降りて列車の通過を待つ。日本では絶対にあり得ない事だ。 何だかんだあったが2時間15分でマチュピチュ駅に到着した。 スパゲッティにサラダ、野菜スープ 上手に騙された感じだ、ミニバンは13時30分にレストランに停車し、流れ作業のように全員皿をもらった。当然バス代に昼飯代は含まれていると思い食べたのだが、別料金だと言って徴収に来たのだ。 半分以上の人は無料だと思って食べているので文句を言っている。 確かめないで食べてしまったのが悪いのか、後味の悪い昼飯だった。 不味い昼飯が15ソル(470円)だ。
2018.04.01
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3/30 スペイン式町造りは マルマス広場を配置しする事から始まった インカ第9代バチャクティ皇帝の噴水 カテドラル 1550年から建設が始まり 100年後に完成した ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会 マルマス広場 民族衣装をまとった女性 アルパカと一緒に写真を撮らせ お金を稼いでいる 町の様子 ペンション八幡 大変清潔な宿だ 心ないネットの書込で 泊まり客は減少しているようだ 昨日は遅くにクスコに着いたのでバスステーションのすぐ近くに宿泊した。 今朝はマルマス広場まで2.3kmを歩き、ペンション八幡にザックを置き、マチュピチュ見学の手配をした。 一番楽な方法は、クスコから電車を使いマチュピチュ駅まで行き、専用バスでマチュピチュ遺跡入口まで行くのだが、ペルーレイルは3種あって、高い列車は往復でUS$780、安くても往復でUS$200はする。 竹ちゃんはそんな高い列車を使わず、クスコからバスと徒歩で行く方法をネットで調べた。列車の運賃と比べて格段に安い上、同日中にマチュピチュ村まで辿りつけるので、最近は若者達には定番となっている。 何せ70ソル(2250円)と超格安だ。 そのルートは、クスコからミニバンで朝の8時に出発、約7時間で水力発電所に到着する。そこから約10km、3時間のトレッキングだ。マチュピチュ村までは線路に沿った一本道を歩くだけなのだ。 マチュピチュ村に1泊して、翌日は朝一番で約1.5時間急坂を登り、マチュピチュ遺跡を見学して、同じルートを逆行して水力発電所駅まで歩き、ミニバンでクスコへ戻る。ミニバンは2時30分出発なので、マチュピチュ遺跡入口までは専用バスを使うかもしれない。US$12余分にかかるがそれでも格安に行けるのだ。 ペンション八幡のご自宅に招かれた クスコに住む2人の方と一緒に お酒をご馳走になる 顔は撮らなかった 最後にカレーを食べて満腹だ
2018.03.31
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3/29 朝8時のラ・パスのバスステーション 1時間30分ほどで ボリビアの国境に着いた 出国手続きで並んでいる長蛇の列 1時間30分でやっと出国スタンプを捺してもらう バケツをひっくり返えして 魚が路上にまかれている 橋を隔て右がボリビア 左がペルー 橋の上で果物やパン、ジュースなどを売っている ペルー側で 三輪タクシー 何とも可愛いタクシーではありませんか 鶏肉弁当 バス代に含まれているが チッとも美味しくない プーノの町 ティティカカ湖 ティティカカ湖 偶然に女性が写真に写ったくれた 山はなだらかで 牧草地には牛、馬、羊が草を食べている のどかな風景だ 朝の8時30分定刻にバスはペルーのクスコに向かって発車した。 丁度ラッシュ時間帯で町を抜けるのに随分とかかった。 1時間30分ほどでボリビアの国境に到着したが、イミグレーションの前は長蛇の列で、出国スタンプを捺してもらうまで1時間30分もかかってしまった。さらに、ペルー入国も30分かかった。 バスはティティカカ湖畔の町プーノをバスは走っている。湖面はさざ波がきらめき、帆を張った船が漁をしている。 ティティカカ湖は琵琶湖の約12倍もの面積がある。水温は低いが魚類は多く生息していて、トゥルチャ(マス)は湖畔住民の生活の糧となっているそうだ。 車窓からはたおやかな山々が続き、牧草地では馬や牛、羊が草を食んでいる様子が伺える。 クスコまで10〜12時間とバスチケット売場で言われたが、国境での出国と入国で2時間も時間を費やしてしまったので、遅れは致し方ないが、23時少し前の到着は宿探しに苦労する。 バスステーションから繁華街まで出て、宿探しは気が滅入る。 それでも日本人宿「ペンシオン八幡」に宿泊するつもりで、タクシー乗場に行くとおばさんに20ソル(740円)声をかけられる。タクシー乗場から直ぐのホテルで見た感じ悪そうではないので、一晩泊まる事にした。 早速ワインとクラッカーを買い、本日のブログを書きながら寂しくワインを飲む。 ベッドだけの殺風景な部屋だ 今晩の晩飯はワインとクラッカー
2018.03.30
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3/28 ゴンドラ 住宅の真上を通過する 山の傾斜に家が密集している カッパドキアの奇岩に少し似ている山 道路の真中に公園があり 市民の憩いの場所になっている 石畳の坂道 手前の赤い建物が国立芸術博物館 そしてカテドラル 奥が大統領官邸 サント・ドミンゴ教会 朝の10時にホステルを出て、小高い丘を目指す。ラ・パスの町を一望するのと、雪をかぶった山々を眺めるためだ。 40分間歩くとゴンドラの乗場前に来たので、試しに乗ってみた。 2014年に都市型ロープウェイが新たな交通手段としてラ・パスの町に登場した。 世界で最も高い場所にあり、長さも最長を誇っている。 町の住宅街を通過している様は、映画の未来都市を連想させる。 3路線あり、運賃は1路線3Bs(45円)で市民の足として利用されている。 ゴンドラからの眺めで、ラ・パスがすり鉢状である事がよく分かった。 山の斜面にビッシリと日干しレンガ造りの家が建っている。 高級住宅地は低い地域に建っている。上に行けば行くほど粗末な家(掘っ立て小屋)が建っているそうだ。ゴンドラからは確認出来なかった。 小高い丘から、雪をかぶったイリマニ山(6402m)の霊峰と、アンデスの4000m の山々が望めるのだが、生憎雲に隠れて眺められなかった。 余談になるが、ボトシ山(6088m)に登れるツアーがラ・パスの町で手配できる。 約1週間のツアーで、トレーニングを受けて山に慣れてからアタックする。 割と簡単に6000mの山に登れるので、人気があるそうだ。 明日はクスコに向う。 前の記事で夜行バスと書いたが、8時30分発で夕方の5時前には到着する。 路上の飯屋さんで 魚入りスープ 白身のアッサリとした魚 ジャガイモが入っていた 10Bs(150円) コーヒーも路上で飲んだ(3Bs 45円) 夜のサン・フラシスコ寺院 周りに食物の屋台が並んでいる 人が1番入っている店で 牛肉と豚を油で揚げた物を注文した 皿からは見出しそな量だ
2018.03.29
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3/27 ラパスの町はすり鉢状だ ラパスのバスステーション 2泊するホステル ドミトリーで4人部屋 3人はイスラエルの若い女性 カテドラル 国会議事堂 喉が渇いたのでスイカを食べる 町の様子 ペルーのクスコ行き 3月29日出発のバスチケットを手配した ラ・パスは標高3650mにある世界最高所にある首都。憲法上はボリビアの首都はスクレだが、1900年に行政機関が移ってからラ・パスが事実上の首都となっている。 町は大きなすり鉢状になっている。 標高が高いうえに坂が多いので、市内歩きには息が切れる。 2日間宿泊するホステルは、ネットで調べた宿ではない。 最初に調べた安宿を探したが見つからず、感で安そうだと思って入ったホステルだ。 1泊50Bs(750円)。 4人部屋のドミトリーはいいのだが、イスラエルの若い女性3人と同部屋だ。 イスラエルは懲兵制度があり、終えるとネパールとか物価の安い国で羽目を外す若者がいるのだ。 もし、女性3人が夜中に帰ってきて、騒がれたらたまらない。 ここのホステルはイスラエル人御用達の宿ではないかと思う、レセプションの本棚にはイスラエルの本がズラリと並んでいる。 4階にキッチンがあるというので、行ってみたらビリヤード場とBARがある。 確かに屋上の隅っこに畳半畳ほどのスペースに小さな洗い場とガスコンロはあったが、酒が入ったイスラエル人の若者の前で、とても料理して食べる勇気を持ち合わせていない。 夕方激しい雨が降る 坂になっているので 上からの雨水がゴミを流している。
2018.03.28
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3/26 市場の食堂で 前の親子も 竹ちゃんと同じ物を食べている 牛肉骨付きに野菜が入ったトマト味のスープ 町の様子 蒸気機関車などが道路の真中に置かれている お土産屋 どこも同じ様な品揃えだ ここの一角に ウユニ塩湖ツアー会社が何件も並んでいる 今日は夜行バスまでノンビリと過ごす。 この先、ラパス〜クスコ間16 時間、 クスコ〜リマ間24時間と夜行バスをトータルで3回乗り継いてリマに向うつもりだ。 最後にマチュピチュを観光すれば、三ヶ月間の旅は終わりだ。 今晩の9時発の夜行バスでラ・パスに向う。10時間の移動だ。
2018.03.27
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3/25 市場で朝飯 鶏肉にジャガイモとライスが入ったスープ 12Bs(180円) 日曜日の教会ミサの様子 名前も理由も分からないが 草の一種をかざしている 教会に入る前に買い求められていた竹みたいな草? 町には東西南北に時計台がある 昨日までは出店はなかった 日曜日市場なのかな 遅い昼飯 日本の吉野家風 牛飯 5Bs(75円) ウユニ塩湖の「鏡張り」と「サンセット」を同時に見られたので日にちに余裕が出来た。 中には4日間タイミングを見計らって滞在したのに、「鏡張り」は見られたが、「サンセット」は見れなかった人もいる。その逆の人もいる。これも運だね。 今日も市場の食堂に行き朝飯を食べる。お粥風鶏肉入りスープを注文した。 鶏肉とジャガイモにお米に似た物が入ったコンソメスープ風味で、味は悪くない。 市場を出ると何人かの人が草を編んだ物を持って教会に向うので、一緒に付いて行く。 今日は日曜日、旅行に出てから日にちは把握しているが、曜日は直ぐに出て来ない。バスチケットを買う時は日にちで、曜日は必要ないで忘れてしまう。 教会には入りきれないほどの人が詰め掛けていて、右手に草を掲げて振りミサに参加している。 いつもの日曜日と同じなのか分からないが、皆さん真剣な眼差しで讃美歌を歌っている。 キリスト教徒でもない竹ちゃんは3枚ほど写真を撮って後にした。 シンさんのブログから写真を拝借 3月24日の飲み会。毎年2〜3回仲間が集まって飲み会をしている。 今回は竹ちゃんは残念ながら欠席だ。 なぜ写真を貼り付けたかと言うと、テーブルに並んだ料理が美味しそうだったからだ。たくあんの糠漬け、シシャモの唐揚げ、煮物など今一番食べたい物ばかりだ。 なになに、最後は大桶一杯の寿司だって! 写真をみて喉ゴックンだ、食べたい〜よ。 《シンさんのブログで次の様にかかれている。》 手作りの家庭料理だった。ごぼうとコンニャクの煮物、ししゃもの唐揚げ、手作りのチャーシュー、カルパッチョ、沢庵などだ。最後は、大桶一杯の寿司までご馳走になった。 詳しくは、シンさんちの《繭の里通信》2でご覧下さい。
2018.03.26
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3/24 朝飯 牛肉とトマト、玉ねぎやほかの野菜が入ったスープ 市場の食堂で食べる 12Bs(180円) 外国人は市場内の食堂をほとんど利用していない 竹ちゃんは美味しくて安いのでよく利用する 竹ちゃんのテーブルにいた警官 食事後写真を撮ったらにらまれた 市場の様子 《昨日のウユニ塩湖ツアーの写真から》 列車の墓場 休憩場所でアルパカが現れた ウユニ塩湖を進むほかのランドクルーザー 塩湖の中にポツンと建っている ホテルの中でドライバーが用意した昼飯を食べる 昨日の昼飯代は ツアー代金に含まれている ホテルの前には各国の国旗がはためいていた ホテルのショプの入口からの塩湖 近い将来ウユニ塩湖は見れなくなるのか?規模を縮小した範囲しか立寄れなくなる可能性があるそうだ。 ウユニ塩湖に水が張ってる場所が少なくなり、無理に水の張った場所まで移動するので、塩湖の上にタイヤの跡とか足跡が付いたりして、塩に土が混ざって茶色くなって、昔ほど綺麗でなくなって来ているそうだ。美観が損なわれると、地元では問題視されている。 更に世界最大のリチウム埋蔵量を誇ると推測されている場所として注目を集めている。なんと世界の50%ものリチウムが埋まっているそうだ。 今現在リチウムの需要が上がり高騰している。これからますますリチウムは、各国から争奪戦は激しくなる予想される。 観光資源としての「ウユニ塩湖」、ボリビア国の経済事情から外貨を稼ぎたい思惑があり、いずれにしても入場制限が近い将来予想されるらしい。 こんな美しい景色は将来見れなくなるかもしれない…。
2018.03.25
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3/23 塩湖全体に水が溜まり 鏡のように映すことから「鏡張り」と言う トリック写真 湖水に映し出された様子 ツアー仲間6人皆さん子供の様にはしゃいで楽しかった 一番左が竹ちゃん 一生に一度見ておきたい絶景、ウユニ塩湖ツアーに参加した。 日本人4人にオランダのカップルがランドクルーザーに乗り、最初は列車の墓場を訪れた。 ウユニからチリへ、塩や鉱物を運んだ蒸気機関車や貨物列車がそのまま廃棄され、何両も並んでいる。何とも不気味だった。 ウユニ塩湖は標高約3700mにあり、塩湖の大きさは約100km×約250kmあり、面積は12,000km平方キロメートル、約20億トンもの膨大な塩がある。四国の約半分の広大な面積が塩の固まりだ。 写真だけでは、北海道の雪景色にしか見えないが、白いのはすべて塩で、周囲を見渡すと視界の届く限り真っ白だった。 約20万年前の遙か昔、海底が隆起してできたというアンデス山脈は、海水が陸に閉じ込められてしまったのだ。 ツアーの最大のメインは、鏡張りの景色で塩湖に水が10〜20センチほど溜まった時に水面が鏡の様になり、上の写真の様に我々が水面に映し出されるのだ。 6名はドライバーの指示どおりポーズをとり写真を撮ってもらった。 最後にウユニ塩湖の夕焼けは本当に美しかった。 写真では伝えきれないほどの絶景を味わった。こんな素晴らしい景色が地球にあるのかと、地球の偉大さを改めて実感したツアーだった。
2018.03.24
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3/22 湖などで取れた魚 魚の塩焼き 持ち込んだワインで晩酌 脂がのっていて美味しく 食べ応えがありました 25Bs(370円) 朝飯 エンパナーダ トウモロコシ粉の生地にひき肉や玉ねぎなどの具材を詰めて揚げたもの 45円 ウユニ行きバスステーションに行く途中で車中から撮った市場の様子 ウユニに向う車窓から アルパカが草を食んでいる 車窓から サボテンが黄色い花を咲かせていた 写真では分からない 荒涼した山中に 日干しレンガ(つち)を積重ねて建てた家が見える 本日から4泊する宿 ホットシャワーとトイレは共同 1泊60Bs(900円) 8時に宿を出て、朝食にエンパナーダを食べて、ウユニ行きが発車するバスステーションに向う。乗継が良く9時半出発だ。 車窓からは赤茶けた山が連なり、草原になっている所ではアルパカや牛、馬が草を食んでいる。 ポトシからウユニまでは200kmくらいの距離なのに4時間30分かかって到着だ。 直線距離は少なく、カーブが多いのでスピードを出せないのが原因だ。 本日から4泊する宿はネットで調べた安価なホテルだ。ドミトリーには空きがなく個室で、ベッドとテレビに小さなテーブルがあるだけだ。 ウユニに来た理由はただ一つ、ウユニ塩湖を訪れるためだ。 ウユニは近郊で採れる塩や鉱物を、チリやアルゼンチンへ輸出する貿易の拠点となって出来た町。 世界中からたくさんの観光客が集まり、レストランは賑わっている。 また、ウユニ塩湖ツアーを扱う会社が約80も集中している。 竹ちゃんは明日の1日ツアーを申込んだ。 ツアー会社は「Hodaka Mountain Expedition」にした。 穂高とは全然関係ないが、なぜか日本人利用が多い会社だそうだ。ツアー代金200Bs(3000円)。 天気が良くても風が強いと「鏡張り」が見られない。 「鏡張り」とは、雨季に湖の塩が固まって表面に水がうっすらとたまり、鏡のようになる現象の事だ。 明日の10時30分出発で22時に帰って来るツアーだ。4WDで6〜7名が乗車して平均標高4800mを走る。 明日は天気は良さそうだが、あとは風が吹かなければいいのだが…。 ウユニの町の様子
2018.03.23
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3/21 地ビール 地酒は探せなかったので 地ビールの黒を飲む やや甘い ピケ・マチョ 牛肉とソーセージ 玉ねぎ、ピーマン、ジャガイモなどの野菜を細切りにして 辛めのソースで和えてある ボリビアの国民食 50Bs(750円) カテドラルがライトアップされていて 昼とは違う雰囲気のあるカテドラルを見られた ライトアップではないが 明るく浮かび上がているラ・コンパニーア・デ・ヘススの塔 結果的に地酒は探せなかったし、地元の人しか行かない飲み屋も見つからなかった。 酒屋は1店あったが、ビールにワイン、ウィスキーはあったが地酒は置いていない。 確かにある程度高そうなレストランにはビールとワインは置いてあるが、ファーストフード店にはアルコール類はない。 屋台でも肉焼き、ソーセージ焼きはあるがアルコールは置いていない。 ポトシには酒飲みがいないのだろうか?けしてそんな事はないはずだ。 サンタクルスではアルコールを出す店はいくらでも目にした。 ポトシの酒屋のビールは大瓶で11Bs(165円)、サンタクルスのレストランの値段と同じかそれ以上なのだ。 ポトシは随分とサンタクロスから離れているし、高地なので輸送費が上乗せされているかもしれないね。はっきりとした理由は知らないが高いのだ。 だからポトシの人達はごく一部の人を除いて飲まないのかも知れない。 大の大人が牛肉ステーキを食べながらコーラやジュースでは、味が半減してしまいそうな気がするが、慣れなんでしょうね。 竹ちゃんには絶対にあり得ないパターだね。 屋台の様子 アルコールは置いていない 上の写真を撮ろうしたら撮るなと怒られたので急ぎシャッターを切ったら手ブレだ
2018.03.22
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3/21 高校生の女の子4人に写真を一緒に撮って欲しいと頼まれた 竹ちゃんもついでにスマートフォンで1枚撮ってもらった サンタ・テレサ聖堂・修道院 17世紀の面影をそのまま残す修道院 ラ・コンパニーア・デ・ヘススの塔 1707年に建てられた 旧国立造幣局 カテドラル1572年に建てられた 1800年に修復されている カテドラルの前は広場になっている サンタ・モニカ教会 教会の前で混雑している出店がある ケースの中の揚げパンみたいな物 中身はひき肉、すりつぶしたジャガモ、人参、ゆで卵半分 ビニール袋に入れてもらい キャベツ、玉ねぎのみじん切りをタップリ載せて スパイシーなたれをかけて食べたが 美味しかった! これが安い1.5Bs(20円) 「地球の歩き方」から抜粋ーー ポトシは鉱山の町で、1545年にポトシ山に大金脈が発見された。16世紀半ばにスペイン人が押しかけ銀を採掘したが、スペイン人の関心は銀で採掘が尽きると立ち去っいた。 しかし20世紀初頭になり、再び鉱山の地下資源が見直され、現在は活気のある町になっている。 町歩きには半日もあれば十分回れる。 石畳の狭い道路を車が多く行き来しているので排気ガスで咳込む事もある。 それと野犬が多く注意しないと、犬のウンコを踏む事になる。 信号は広い道路にはあるが、狭い四つ角など要所々々にポリスが立ち交通整理をしている。 大きな町ではないが7〜10分も歩けば教会の前にいつの間にか立っている。大小合わせて11もの教会がある。 町を歩いていると石畳や狭い道路がラサを思い出させられた。どこか高地の町は似ているのか、共通点がある様に思う。 明日はウユニに向う。
2018.03.22
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3/20 晩飯はボリビアのワインと ビーフステーキ 昼飯 市場の中の食堂 自撮りしていたら 竹ちゃんの右の食堂の女性が写真を撮ってくれた 食べているのは小麦粉に肉、ニンニク、玉ねぎなどが入っている ライスとサラダが付いて5Bs(75円) 狭い所に 何件も食堂がある 市場の様子 安心して下さい 南スイミングスクールの車現役で走っていますよ 宿泊している宿 間口は狭いが 中庭もあるし中規模の地元の人用宿 年配の女性 髪を二本に結 帽子をかぶり スカート姿 可愛いですね! 宿に10時に入り3時間ほど寝た。 腹が空いているのでメルカド(市場)に出かけた。市場内には必ず食堂があるので何か食べられる。 学生、勤め人、買い物客がたくさん狭い通路にプラスチックの椅子や細長い椅子に座り食事している。ご飯物やパスタを煮込んだ物など食堂によって違うメニュだ。 人が支払っているのを見ていると値段も5〜10Bs(75〜150円)と安い。 宿に帰りシャワーを浴びながら下着を洗濯し、ベッドに横になりながら今後の予定を考えていたらいつの間にか寝てしまい、目が覚めたのが19時少し前だ。 腹は空いていないので、地元の居酒屋を探しに出かけた。 グーグル翻訳で、地元の居酒屋は「パプ ローカル」、パプはども違うし、地元の酒は「ビノ ローカル」で、スペイン語で酒はビノ(ワイン)なので、何人もの人に尋ねてもレストランしかし教えてもらえない。 写真の店はアルコールを置いていないが、棚にビールらしきボトルがあったので入って確かめたらジュースのボトルだった。 主人に地元の酒が飲める店を尋ねると、主人が買って来るのでここで飲めと言うのでお願いした。 腹は空いていないが、何か注文しないといけないので、サラダとビーフステーキを注文したつもりが、ライスとポテトフライまで付いていてライスとポテトフライは半分以上残した。勘定は50Bs(750円)。 パラグアイもボリビアもホテル代と食事代は安い国だ。それとバス代も安い。 本来なら高地ではアルコールは飲んではいけないのだが、竹ちゃんは標高5000mくらいまでなら高山病の心配はないので、明日はワインでなく地酒を探すつもりだ。
2018.03.21
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3/20 サンタクロスの町で昼飯を食べる ビーフステーキとビールで30Bs(450円) こっちの国では昼飯をガッチリ食べるのが習慣だ スクレまで乗車した深夜バス 13時間30分の移動だ スクレには泊まらず ポトシ行きのバスに乗り継ぎ 3時間で到着 スクレのバスステーション 朝7時前のスクレの町 ポリスの町 赤茶けた山にレンガ家が建っている 2泊する宿 50Bs(750円) 最初は外人お断りと言われたが ねばって宿泊OKになった ポトシ最安値のホテル ホットシャワーとトイレは共同 サンタクロスのバスステーションで、スクレ行きのバスチケットを買い求めた。 50Bsと印字されたチケットなのに、100Bsを差出すと釣りをよこさない。男はセミカマなので100Bsだと言うが、チケットにはTOTAL50Bsと印字されている。 スマートフォンの翻訳でやり取りしてもらちが明かないので、男の写真を撮る真似をすると、渋々50Bsを返してよこした。 あとで男の写真を別な人に見せれば、ヤバイ事になると思って返してよこしたのだ。 ちなみにカマというのは、バスのランクのことで、カマ(一等級)セミカマ(二等級)で、カマはポルトガル語で「ベッド」の意味、180度リクライニングが出来る快適な座席シートのことだ。 サンタクロスから14時間でスクレに朝の6時到着。バスを降りると「ポトシ、ポトシ」とバスの呼込みがあったので、その場でチケットを買い求めた。 ポトシは4090mの標高の町なので、高山病の順応するに丁度いいと考えてスクレには泊まらずポトシを目指した。 ウユニ塩湖ツアーは平均4800mの高地を進むので念のためポトシで高山病の順応を兼ねて2泊する。 ポトシまでは3時間で、サンタクロスから17時間のバス移動で少し疲れた。
2018.03.21
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3/18 日本だったらとっくに廃車です 右前のタイヤの部品が壊れた いろいろな部品を代用しようとするが合わない 晩飯 鶏肉弁当 18日の昼飯 ビーフ弁当 水筒にワインを入れてあるので ワインを飲みながらビーフを食べる 今回の旅で 最低ランクのバスだった これでも国際線を走るバスなのだ まる一日走るバス 前の人がリクライニングすれば後ろの人は狭い パラグアイとボリビアの国境のイミグレーション ポリスに撮ってもらった S山さんにボリビア国境で写真撮影禁止で 見つかると機材没収される言われていたが ポリスにスマートフォンで撮影してくれと言うと 気軽に撮影してくれた 荷物検査しているところ 左がパラグアイ 右がボリビア ポリスが見ている所で撮影したが 何も言われなかった 23時過ぎてからの晩飯 本日のホテル 部屋にはベッドだけ トイレとシャワーは共同 1泊40ボリビアーノ(630円) ボリビア行きのバスが入線した時には、え〜、このバスにまる一日乗り続けるのかと正直思った。 どう見てもポンコツで、日本だったらとっくに廃車です。 4列席でリクライニングは出来るが、前の人がめいいっぱい倒すと狭苦しい。 トイレは付いていないし、冷房装置もない。 これがまさか国際線を走るバスだとは思いもしなかった。 私の前の席は横綱級の女性、リクライニングをめいいっぱい倒しているので、自分も席をリクライニングするしかない。 トイレタイムの時に、通路に出るが一苦労だ。 食事の時には狭く、寝た状態では食べ物が喉を通らないし、姿勢を良くして食べると前の席が邪魔くさい。 車内は蒸し暑いのに窓を開けている人はすくない。前の横綱も風がまともに顔に当たるので、数センチしかし開けていない。 竹ちゃんは汗だくだ、時々窓を大きく開けるが、横綱は閉めてしまう。そのやり取りを何回か繰り返した。 蒸暑い車内でも、何だかんだいっても寝れるもんだ。 翌朝の10時にパラグアイとボリビアの国境に到着。 バスから降りて、自分のザックを一列に並べて荷物検査、最初はパラグアイ側で、荷物検査が終わるとイミグレーションにいって出国手続きを済ませる。 すぐ隣のボリビアのイミグレーションで入国書類審査を受けて、荷物検査用の書類に記入して荷物検査だ。 お互いの国の荷物検査担当が見ている前で、荷物検査をするなら、共同作業で荷物検査した方が効率良さそうに思うのだが…。そうは出来ない事情があるんだろうね。 バスはサンタクロスまで150km手前で急停車した。 前輪の右前のタイヤが進行方向から90度傾いる。部品が壊れたようだ。 バスに積まれた古いネジや部品を探して、取付けようとするが、合う部品が見つからないようだ。 1時間経った頃には乗客の何人かはヒッチハイクでサンタクロスに向う。 ネパールでもラオスでも何回も見て来た事だが、バスに取付けられたネジを探し出すのだ。それでも見つからず、ガードレールのネジを取り外した。長いネジを切って調整して取付けたのだ。 そんなんで大丈夫なの?バスの重さに耐えられるの? 心配をよそに、その後バスは何事も無かったように、普通に走り修理のロス約2時間あったが、26時間30分でサンタクロスに無事到着した。 23時から宿探し、タクシーのドライバーにこの近くの安宿を尋ねると、5分も歩けば数件あると教えてくれた。 3件目で上の写真の宿に泊まる事にした。 ボリビアのお金を引出し、ビールと食事を済まして、宿で水シャワーを浴び、ベッドに横になると直ぐに眠ってしまった。
2018.03.19
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3/16 昼飯 スーパーマーケットの2階にあるレストランで 鶏肉カレーを食べる 13000G(260円) スーパーマーケット 町の様子 スーパーマーケットの店内と レジ 砂肝 たまご6こ入り ニンニク キュウリ ワイン 今晩の夕食用だ 朝8時に起きて、パンとコーヒーで朝食を食べる。「らぱちょ」は朝食付で40000G(800円)。 洗濯をして、明日からのルートを調べたりしてノンビリと過ごした。 明日のアスンシオンからボリビアのサンタクルスまでバス移動は、順調にいって24時間、ネットで調べると36時間だとか、40時間かかった旅人もいる。 一番の原因は悪路で、雨季の時は30時間以上かかるようだが、今は乾季なので何とかまる一日で到着してくれる事を祈るだけだ。 後は検問が何箇所もあり、荷物検査が厳しいようだ。麻薬の持込みを厳重に調べているのだそうだ。 ただし、日本人のパスポートは世界で一番強い最強のパスポートなので、ザックを開けてまで調べる事はない、と書かれている。 確かに、日本人はほとんどすべての国に入国出来るが、中国や韓国の旅人は入国出来ない国もあり、出来ても書類審査が厳しいと、何回も羨ましがられた。 明日は20時にアスンシオンを出発する。 ブログ更新は20日になると思う。
2018.03.17
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3/15 日本人宿のらぱちょの可愛い1歳半のワンちゃんが出迎えてくれた 甘えん坊なワンちゃんだ イグアス居住地からアスンシオンへまでのバス 朝飯にエンパナーダ ひき肉、ハム、チーズなどが入っている 途中のバスステーションの様子 朝8時に「ペンション園田」を出て幹線道路でバスを待っていると、数分でアスンシオン行きのバスに乗車出来た。 車内はガラガラでどこの席に座ってもOKだと言われたので、ザックを置ける一番後ろの席にした。 20分もすると朝飯に、スペインとポルトガルが発祥だというエンパナーダが配られた。パイ生地風のパンの中に、ひき肉と玉ねぎにチーズなどが入っている。 6日ぶりに「らぱちょ」に帰って来たら、1歳半のワンちゃんが愛想よく出迎えてくれる。とても甘えん坊な可愛いワンちゃんなのだ。 旅に出て2ヶ月になる。 これからの予定は、ボリビアのサンタ・クルスに向かい、ウユニ塩湖、ラパス、クスコ、マチャプチュ、リマと進む。 これからが観光のハイライトで、日本からのツアーには必ず組込まれる定番コース。 ツアーなら飛行機を使い1週間程度で回るコースだが、バスで観光するのには早くて2週間、ゆっくりと余裕をみて一ヶ月かかる。 さて、2ヶ月でどれくらいお金を使ったのか詳しく計算していないが、宿代はテント泊30日、空港での仮眠と深夜バスで15日間、ホテル泊は15日だったので約5万円、食事代は1日約800円で5万円、移動費が以外と掛って約7万円、観光地での入場料2万円ほどで、合計約19万円。 アルゼンチンはバス代が高く、ホテルも食材もチリに比べれる2〜3割増しだった。 これからの観光地は高い入場料が必要で、当初予定した40万円の予算はオーバーしそうだ。
2018.03.16
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3/14 イグアス居住地へ入植した記念板 開墾当時の様子が描かれている 大鳥居 朝8時前に 鳥居の周りを掃除している高校生 町中にはいろいろな看板が立ている 農協が経営するスーパーマーケット 上が大豆畑 下がトウモロコシ畑 どちらも何百ヘクタールもある 農協のスーパーマーケットには、日本の食材が並びそれを買い求める人も、日本語で会話している。 何回も言うようだが、田舎のスーパーマーケットと何ら変わらないのだ。 道路は碁盤の目になっていて、道幅も大型バスがすれ違うには十分すぎるほど広い。 町中ではほとんど人に会わないが、スーパーマーケットの店内や診療所の前に診察を待つ人がたくさんいる。 ここもクルマ社会で歩く人はいないのだ。 町のあちこちに看板が立っていて、日本の田舎を歩いているみたいだ。 散歩の途中で家の庭では、日本の方が木工作業中で、奥さんが庭の花や木に水をまいている、何とものどかな様子が心地良い。 園田さんに大豆畑とトウモロコシ畑を案内してもらった。 北海道のジャガイモ畑も広いと思ったが、ここはスケールが違いすぎて、大豆畑とトウモロコシ畑に立って見渡したら、何キロも先までも大豆畑だと言われる。桁が違う広さだ。 明日は、アスンシオンに戻り2泊してボリビアに向かう予定だ。
2018.03.15
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3/13 イグアス居住地に関する 移住史料館 ラバチョの木 硬く水に沈む木 ジャングルを切り拓き 開墾して大豆やトウモロコシを収穫するまでに 大変な苦労があった 移住の歴史 ブラジルに花嫁として渡った女性たち 今晩は泊客全員で焼肉パーティ 移民については本で読んだ事くらいしかなく、ジャングルを切り拓き開墾して、荒地に一から手を入れて大豆やトウモロコシを収穫出来るまでの格闘は並ならぬ苦労の連続だったそうだ。 日本は第2次世界大戦後、引き揚げ者・復員軍人など650万人以上の余剰人口を抱え、さらに炭鉱の閉山で職を失った人達の対策として海外移住を進める時代に入ったのだ。 現在のパラグアイに在住する日本人移住者数は約7000〜8000人。 パラグアで収穫される大豆の全生産高の7%は日系農家で生産され、輸出総額の約40%を占め、世界でも第4位の輸出国になっているという。 パラグアイに住む日本人は、当初は農業専従の移住が中心だったが、現在は商業、工業、金融業など幅広い分野で活躍し、日系人市長や市会議員も輩出しているそうだ。 園田さんの説明を聞いて少しは理解を深める事が出来た。 実際はもっともっと大変な事のほうが多かったと思うし、それを少しでも知れただけでも良かった。 イグアス居住地は本当に落ち着く場所で、古き良き時代の日本がそのまま残っている気がした。 また、「ペンション園田」のご夫婦の人柄が、田舎に帰ってきたようなホットする雰囲気があり、長居したくなる日本人宿なのだ。
2018.03.14
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3/12 イグアスの滝をバックに記念写真 アライグマ 違うアライグマに昼飯を奪われた 高さ15メートルほど 下を見て悲鳴をあげている女性もいた このバスでブラジルに不法入国した 朝の5時半に起きて、ブラジルとアルゼンチンにまたがる「イグアスの滝」を見学して来た。 ブラジルのイグアス国立公園までは、宿からバスでシウダー・デル・エステまで行き、パラナ川を隔ててすぐ隣にあるブラジルの町フォス・ド・イグアスに行き、さらにバスに乗り換えて4時間かけて到着する。 文書にすれば簡単に行けたように思えるかもしれないが、初めての国でのバスを使っての移動は、場所もわからないしチケット売り場も、降りる場所も分からないのでそれなりに苦労しているのだ。 パラグアイからブラジルに入る場合、本来ならビザが必要だが、イグアスの滝観光だけならビザが必要ない。 南米を代表する圧倒的なスケールのイグアスの滝。南米観光ツアーの定番でマチュピチュやウユニ塩湖などと並び一生に一度は見たい南米の絶景としてあまりにも有名だ。 日本のいろいろな魅力ある滝を見ているが、水量、滝の大きさ、何十メートルもの高さから流れ落ちる水はスケールが半端でない。ただ唸って見ているだけだった。 この滝はユネスコ世界遺産に登録されており、世界最大の滝。 イグアスとは、この辺りに住む先住民で、グアラニ族の言葉で〈大いなる水〉という意味だそうだ。 世界三大瀑布のひとつで、カナダのナイアガラの滝、アフリカのジンバブエにあるヴィクトリアの滝と比べて圧倒的に水量があるそうだ。 アライグマがたくさんいて、ビニールに入れた昼飯のサンドイッチを奪われてしまった。アライグマの写真を撮っていたら別のアライグマにビニール袋を破られてしまった。見事な連係プレーに免じてくれてやった。
2018.03.13
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3/11 イタイブダム 全長8km 高かさ185m 1975年に着工 完成は1991年 晩飯は納豆と生たまご 2ヶ月ぶりに食べました 昼飯 牛肉焼き 牛肉カレーサラダ シャウダー・デラ・エステの街 日曜日で店は閉めているので 閑散としていた 朝7時30分に宿を出て、パラナ川上流にある世界一巨大なイタイブダムを見に行って来た。 イタイプダム見学の初めは、映像でイタイプダムの紹介が15分あった。 大型バスに乗り込んで迫力ある放水の様子を展望台から眺めた。ダム湖は放水の迫力満点な放水に比べると壮大ながら水面は穏やかだった。 最大発電量12600メガワットと、水力発電としては世界最大級の規模だ。 巨大なタービンが20基並び、パラグアイとブラジルが電力の使用権を半分ずつ持つが、パラグアイは1基の半分で使用電力が賄えるため、残りをブラジルに輸出している。 晩飯は納豆と生たまごを食べた。イグアス居住地で出来た大豆を使った納豆は、豆の味がしっかりとしていて、日本で食べる北海道産、丹羽の黒豆や○○産で作った高級納豆(滅多に食べませんが)と遜色ないし、子供の頃食べた国産豆を使用した納豆の味がした。 昨日は具無しカレーも美味かった。2ヶ月ぶりに食べた生たまごと納豆ご飯泣かせます。
2018.03.12
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3/10 晩飯 若者に具無しカレーと 豆腐の味噌汁をご馳走になる 竹ちゃんはビール2本とワインを差し入れした ペンション園田で夕食を食べているところ ペンション園田のご主人と宿泊の女性 女性2人は今晩アルゼンチンに移動した ペンション園田の庭の木から 収穫した果物 釈迦フルーツ 親切な男性 車にスマートフォンを置き忘れたが ペンション園田まで届けてくれた アスンシオンからバスで6時間30分でイグアス移住地にやって来た。 目的は二つ、ここの地にやって来た人々の入植当初の事を知りたいのと、ブラジルの世界遺産になっているイグアスの滝へビザ無しで観光出来るとの情報があったからだ。 バスの車掌にイグアス居住地のある41km地点で降ろしてくれと頼んでおいたのだが、10km先の30km地点で降ろされた。 「ペンション園田」は近いと思っていたので、雑貨屋で尋ねてみたら10kmも先に来ていることが分かった。 側にいた男性が車で送ったくれたので助かったが、ポケットに入れてあったはずのスマートフォンを車に置き忘れてしまった。 しまったと思ったが、予備にもう一台持っているので心配していなかったし、淡い気持ちで先程の男性が届けてくれるだろうとも思っていた。 ペンション園田のご主人は話好きで、一方的に話すのを聞いていた。 40分もした頃に先程の車の男性が現れて、スマートフォンを届けてくれたのだ。 気持として車のガソリン代として200000G(4000円)を手渡した。 知らんぷりされても仕方ないところだったが、何とも親切な男性だった。 ここ「イグアス居住区」と呼ばれる日系人からなる町は、1961年頃から移民の受け入れを開始し、現在も多くの日系パラグアイ人がここイグアス居住区に住んでいるそうだ。 詳しいことは明日、園田さんの案内で資料館を訪れてから報告したい。
2018.03.11
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3/9 旧鉄道駅を利用した鉄道博物館 ウルグアージャ広場 メルカド(市場)小さな商店が集まった市場 規模は半端でない 川や湖で捕れた魚は少なかった 上に続く 食品だけでなく 衣類 スマートフォン 家具 何でも売っている もちろん食事も出来る 昼飯 小豆のスープ 人参と小豆をクリームで煮込んである ビールを飲んで 27000G(540円) 街の様子 牛肉を炭火で焼いていた 美味しそうな匂いが漂っていた まさか、パラグアイに来るとは思ってもいなかったので予備知識ゼロだ。 アスンシオンの街を歩いてみて、ヨーロッパを思わせるような街並みで、正直思っていたパラグアイはまだまだ発展途上国だというイメージしかしなかったので以外だった。(勉強不足だよね!) 確かに街の河側にはスラム街があるが、日中は治安が保たれているようだ。 歩きながらスマートフォンをいじっていた日本の女性が取られた事もあり、バスでスリに遭った人もいたから注意するようにと、ラバッチョのウエノさんに言われていたが、観光客が多い所にはポリスがいて、危険は感じられなかった。 今日の昼も昨日の店で、小豆と野菜のスープを注文した。 クリームで煮込んであって濃厚な味わいだったのでビールを注文して、スープの味を楽しんだ。久々にゆっくりとした昼飯だった。 アルゼンチンから比べると宿代もバス代も食事代も半分以下だ。
2018.03.10
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3/8 霊廟 修復中で全体の建物は見れなかった 初代大統領カルロス・アントニオ・ロペス 息子 戦争の英雄が祀られている 大統領官邸 立派な宮殿だ パラグアイはアルゼンチン、ブラジル、ボリビアの3カ国に囲まれた内陸国 首都はアスンシオン 歴史を感じるカテドラル 英雄広場 市民の憩いの場所 遅い昼飯 鶏肉煮(スープ) 小さめの鶏一羽分丸ごとだ トマト味で酸味が効いていて 美味しく頂きました 15000G(300円) 昼時で勤め人が次から次え入ってくる 安いのと味が良いのだ 街の様子 19時間のバス移動の疲れもあって、昨日はビールとワインを飲んで晩酌したら、21時にベッドに横になると数分で寝てしまった。 朝に隣のベッドの日本人に寝付きがいいですねと言われてしまった。 自慢ではないが、家でも孫に1、2、3と数えたらもう寝ていると言われるくらい、寝付きにいいのだ。 ここの日本人宿「らぱちょ」は、ベッド数3と4のドミトリーのみで定員7名なので、シャワーもトイレも混まないのがいい。 大人数が宿泊する宿は、話し声が大きかったり夜遅くまで騒ぐ若者がいるが、それも無いので気に入っている。 宿の朝飯を食べて、バスでアスンシオンの街に出かけた。 英雄広場で下車して、霊廟を目指したが修復中で中は見学出来ないし、建物全体を塀で囲っているので写真も撮れない。 街もこじんまりして1時間も回れば十分だ。 昼時に勤め人が次から次えと入る店があったので立寄った。 メニューは7品、スペイン語の手書きで書かれたメニューだけで写真も何もないので、人が食べている料理を見て美味しそうな物を指差して注文するしかない。 ざっと見渡したところ、ステーキやスープにマンジョッカ芋(ブラジルの主食)を食べている人が多い。 スープも魚と鶏肉があり、鶏肉スープを注文した。 鶏肉の頭と足以外を煮込んだスープ、トマト味で酸味が効いていてとても食べやすかった。 勤め人が来る繁盛店だけあって、安いし美味かった。 【ウイキペディアから】 アスンシオン市は、パラグアイ共和国の首都。郊外の都市とともに、人口200万人を超すアスンシオン都市圏を形成する。名前は「聖母の被昇天」に由来する。アメリカ合衆国の首都のワシントンD.C.などと同じく、アスンシオンはパラグアイのどの州にも属さない特別区になっている。高度は約53m。
2018.03.09
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3/7 パラグアイに向かう道路は 真っ直ぐな直線道路が多い アルゼンチンからパラグアイ行きのバスステーション ここは国際線ターミナル専用だ アルゼンチンからパラグアイに向かう道路の両脇に広がる広大な牧草地は パタゴニアの土地とは全然違っていて 緑が多い アルゼンチン国境とパラグアイ国境 出国と入国は隣り合わさ 簡単で時間の短縮になる パラグアイのポリスのチェックは余分だと思ったが 簡単に済んだのでよしとしょう 1時間早く到着 19時間乗ったバス 本日の宿は日本人宿 千葉県出身のウエノさんが経営する(元バックパッカー・30歳後半?)「ラバチョ」4万G・グワラニ(800円) プエノスアイレスのバスステーションは国際線ターミナルとは建物は同じだが、荷物検査などしているので、気持ち国際線だと思わせる所はあるが、ほとんど変わりはない。 私の席は2階の最前列、隣の女性は愛想も可愛げも無い40歳くらいの、相撲の栃ノ心を崩した顔に似ている。 鼻の下の髭が濃い、鼻毛までは分からなかったが、マニュキュアは派手なピンクだ。 栃ノ心のほうがよほど可愛げがある、自分の座席の前に大きな荷物を置いて、窓際の席に私が通るのに平気な顔をして退かそうともしない。 さらに、スマートフォンを充電するための差込み口をどこか聞いても返答なしだ。 今までのバスでは上のクーラーの冷風口近くにあったのだが分からない。 数分もすると栃ノ心崩れの顔の女が、座席の下の充電口にコンセントを差し込んだのだ。 あんなに身振り手振りで聞いたのに、知らん〜顔して、なんで教えてくれないの! 写真を撮ってブログに掲載したかったが、張り手が炸裂しそうでやめにした。 何やかんやありましたが、パラグアイの首都アスンシオンに19時間かけてやって来た。 宿は千葉県出身の元バックパッカーの夫婦が経営する宿に3泊する。 ラバッチョは「菜の花」日本食レストランも営業している 「菜の花」から焼肉定食を注文して ビールを飲みながら晩酌
2018.03.08
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3/6 コロン劇場 イタリヤのスカラ座に次ぐ第二の大きさで、フランス・パリのオペラ座と合わせて世界三大劇場とされている 連邦政府庁舎 朝飯 コーヒーとクロワッサンにハムとチーズが挟んである 35ペソ(160円) 店内のトイレに入るのに鍵が必要だった 腹が下っていたなら間に合わないではないか 小規模のデモ隊かな 今日も国会議事堂前にやって来た 重厚な建物だ 街の様子 昨日の晩に冷えたビールを飲む 1リットル便で400円 夜の7時30分発の深夜バス時間まで、街歩きをして時間をつぶした。 ここ二日間でほとんど見て歩いたので、繰り返しになるが気の向くままに歩いた。 街歩きで気付いた事がある、女性達のほとんどがザックを前に掛けて歩いている。 引ったくりに遭わない予防策なんでしょうね。 ユウマ君にバスのリクライニングを水平に倒したら後ろの人はどうなるの?、とコメントされていたのを思い出した。 座席と座席の間は足が伸ばせるくらい広いし、リクライニングで水平といっても、後ろに30度以上は倒れないようになっている。 しかし、トイレに行く時なんかは狭く窮屈な姿勢で通るので辛い。 何回も深夜バスに乗っているので慣れたし、なるべく通路側の席をリクエストしている。 エビータの顔が描かれたビル 昨日、深夜バスで18時間の移動と書き込んだが、計算間違え20時間かかるようだ。
2018.03.07
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3/5 国会議事堂 大理石をふんだんに使用した建物 文化センター劇場 レサーマ公園 青い玉ねぎ形のドームが印象的なロシア教会 市場 肉屋と野菜、果物屋はあったが 魚屋は見つからなかった 市場内にはレストランも並列されている 街の様子 昨日、太ももの裏側が張っていたが、無理して市内を歩き回ったのが良かったのか、今日はほとんど気にならなくなった。 本日も歩きで市内を観光した。 月曜日なので街は多くのサラリーマンや勤め人が行き交っていた。 昨日は閉まっていた商店街もデパートもオープンしているので、買い物客で賑わっている。 街の観光の要所々々にはポリスがいて安心して街歩きが出来る。 裏を返せばそれだけ治安が良くないので、観光客が多い所でポリスが目を光らせているのだ。 明日は当初予定に無かった、パラグアイに行く事にした。 パラグアイを旅して来た日本人の誰もが、何もないが素朴でノンビリと過ごせるし、物価もチリやアルゼンチンの半分以下だと教えてくれた。 南米の中でもパラグアイは有数の親日国で日系移民が7000〜8000人いるそうだ。 明日も深夜バスでパラグアイの首都アスンシオンに向かう。 18時間のバス移動だが、2泊3日のバス移動に比べたら大した事はない。
2018.03.06
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3/4 サン・マルティン広場に立つ イギリスから寄贈された英国塔 レティーロ駅 プエノスアイレスの中央駅 サン・マルティン将軍の騎馬像 街なかでタンゴを踊り 見物人から 見物料として少額なお金をもらっている 大聖堂(カテドラル・メトロポリターナ)18世紀中頃から建設が開始され 1827年に完成した 教会内は広く 厳粛な空気が漂う 5月広場にある大統領府 広場は現在修復中 間口が狭いが 中に入ると古い建物がいい雰囲気を醸し出している どの部屋もエアコンはない 室内も古びれているが 手入れが行き届いている 450ペソ(2250円) 朝起きたら右足の太腿の裏がパンパンに張ってトイレで便器に座る時に難儀した。 昨日は7時間以上もザックを背負いホテルを探した影響で、肩がザックの重みで痛いし、太腿が張って思うように歩けないのだ。 チリ国境からアルゼンチン国境まで23km歩いた時よりも、昨日の歩きは効いた。やはり歳なんですね! ただ寝転がっていても筋肉の張りは良くならないので、初めはソロリソロりと歩いて、街の主だった見所を観光した。 日曜日はほとんどの店もレストランも定休日で街中は静かだ。 行き交う観光客と観光スポットで会うくらいで、一般市民は少ない。 ブエノスアイレス市は4紀半からヨーロッパからの移民が築いた町で、〈南米のパリ〉と呼ばれる大都市。人口290万人。 観光客が足を運ぶのは、私が歩いた地区にある「カテドラル・メトロポリターナ」周辺に限られているので歩いて回れる。 晩飯に中華のバイキングを450グラム食べた 100グラム14.5ペソ(75円)
2018.03.05
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3/3 バスを運転するドライバーが現れない wi -wiがつながるリオ・ガジェゴのレストランで ビールを飲みながらブログを更新する チリのバスステーションには 野犬が出入りして 乗客の食べ残しを待っている バスは3列で 一人ひとりの座席が広い リクライニングもほとんど水平近くまで倒す事が出来るので よく眠れた 深夜に15分停車したバスステーションの様子 途中のバスステーションから乗客が乗る様子 フランスパンにチーズとサラミを挟んで乗車した 朝はジュースかコーヒー 夕方は水筒にワインを入れてあるので ワインを飲みながらパンを食べた リオ・ガジェゴスを定刻に出発したバスは、バスステーションを一周するとバスステーションの隅に停車した。 20分経過してから乗客はざわめく、乗務員が何かスペイン語で説明している。 英語の分かる乗客がいないので、グーグルの翻訳で尋ねたら、ドライバーが時間になっても来ないので、何時に出発出来るか分からないと説明している。 1時間も経過するとバスから荷物を下ろして、帰る乗客も何人かいた。 竹ちゃんはトレレウでバスを乗り換えしなければならない。それも乗り換え時間35分しかない。 当然間に合わない、問いただすと「セイムバス」同じバスなので「ノープロブレム」問題ないと言っているが心配だ。 乗客達の何人かもプエノスアイレスまで行くと言っているので、多分大丈夫だろう。 代替のドライバーが来たのは、定刻時間の1時間50分後だ。 乗客が拍手喝采、口笛を吹くものがいて大騒ぎだ。 バスは遅れを1分も取り戻す事なく、ブエノスアイレス到着は3月3日の9時50分。2泊3日の3250kmの大移動は終わった。 宿探しには今まで経験した事がないほど苦労した。 安宿も7〜8000円程度のホテルまで満室なのだ。 ホテルのレセプションによると、3月3日は「謝肉祭」で予約で一杯、満室なのだそうだ。 ホテルの前に呼び鈴があり押すと会話出来る、空き室あるか聞くと「フル」満室と無機質な応えにガックリした。 「地球の歩き方」に載っている5000円以下のホテルを当たったがすべて満室。 それ以外にも探したので相当の数のホテルを訪ねた。 メトロにも乗って広範囲に探したが、見つからない。 バスステーションに戻り夜を明かす事も考えて、とりあえず喉が渇いているので生ビールを飲んで、スマートフォンに入れたホテルを探していると、繁華街に室内は古びれているが、部屋は広いと記載されたホテルがあるので、ダメもとで行く事にした。 何時間も宿探しで疲れているのでタクシーで向かった。 もう夜の9時近い、恐る恐る尋ねるとキャンセルがあったので運良く宿泊出来る事が出来た。1泊2500円。 どっと疲れが出たが、ビールとワインを買い出し、シャワーの前に缶ビール1本飲んだ。熱いシャワーを浴びながら洗濯し、乾かしながらビールとワインを飲んだら眠気がしてベットに横になるとそのまま熟睡だ。
2018.03.04
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3/1 今日はチリとアルゼンチン国境を出国2回・入国2回 都合4回越えた アルゼンチン側からフェーリでチリ側に渡る ウシュアイアのレストランの生簀にタラバガニが泳いでいた 朝3時40分起きて、顔を洗いトレを済ませてバス停まで行く。ウシュアイアは野犬が少なかったので、ほとんど吠えられる事なく無事に着いた。 バスはウシュアイアからリオ・ガジェゴスまで10時間30分のバス旅だった。 さらに到着すると同時にアルゼンチンの首都プエノスアイレスまでのバスチケットを買い求めた。 本日3月1日20時出発で、トレレウに明日の朝に到着して、さらに昼の便でプエノスアイレスまで一気に行く事にした。 プエノスアイレスには3月3日の朝8時到着予定だ。2泊3日で3250kmの大移動だ。 昨日の夜、ビールを買いに行った店が玉城さんの店だった。 あまり詳しい事も聞くのも何だったので 沖縄県出身で77歳 6歳の娘の写真を見せてくれた エィ〜と声が出てしまった ビックリだ ついでに竹ちゃんも南米最南端のウシュアイアを指差して1枚 御年77歳のとても元気のある人だった。 話を聞くと若い頃からバイクで日本一周やシベリヤやヨーロッパも走破したそうだ。 たまたまホンダのバイクが自分をウシュアイアに連れて来てくれたと話すが、若い頃は相当の冒険家だったようだ。 植村直己氏も玉城さんの家に2度ほど寝泊まりして、南極に出掛けたと話す。 40年もウシュアイアで暮らしていて、蟹加工会社で働いたり、様々な仕事をして今の家を自分で建てたそうだ。 玉城さんの店で買い求めたビールを飲みながら話を聞いた。 時計を見ると23時を過ぎているので、明日の4時起きを伝えてホステルに帰った。 玉城さんもっと話をしたかったようだった。
2018.03.02
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2/28 ビークル水道水ツアーの写真だけ 遊覧船はウシュアイアを後に スピードを上げて進む 途中の灯台 遊覧船から山は低いが 氷河が見える それだけ南緯の低い地域なのだと実感する オスアザラシしに人間が近づくと 襲われるそうだ 可愛い歩き方で 皆の笑いを取っていた 9時就航で15時30分に寄港した 最南端の博物館 入館したが 見所なしだった 最南端の刑務所 本日もよく晴れてくれた。 見所ではことごとく天気に恵まれた。 ウシュアイアの見所を1日回った。 明日は5時出発のバスでリオ・ガジェゴスに向かう。 さらにバスの乗継が良ければ、アルゼンチンの首都プエノス・アイレスまで一気に行きたと思っている。
2018.03.01
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2/28 すぐ近場で マゼランペンギンが群れている アザラシ 悠然と構えていた 人に慣れているのか 知らん顔だ 海鵜も羽を休めているのか 間もなく遊覧船は就航する 朝のウシュアイアの遊覧船乗り場 今日は、ビーグル水道ツアーに参加した。南米の最南端にある海峡で、アルゼンチンとチリに属し、全長240kmの狭い海峡で、広いところで幅約10km 、狭い所ではわずか幅1kmしかない。 遊覧船は定刻9時に就航した。 ツアー会社はいくつもあり、ツアーのチケットは当日でも買える。 大型遊覧船は、多数乗船するので写真を撮るのに苦労するので、30人乗りの遊覧船にした。料金は1700ペソ(8500円) 南極大陸に近いこの航路には、アザラシ島と呼ばれる小島があり、ペンギンやオタリア(アザラシ)が多数生息していた。 最初に何百羽の海鵜にアザラシがすぐ目の前で、船にも人にも驚いた様子も見せない。 驚いたのは竹ちゃんだ、オスアザラシは3メートルはあり怖い顔をしている。何せ何頭ものメスを守るのだから、ヤワな男では務まらないのだ。吠え方も様になっていて、威嚇するように腹から吐き出すような声だ。 このツアーには驚きの光景の連続が待ち受けていた。 続いてペンギンの繁殖地に向かった。 夥しい数のペンギンが、我々を歓迎してくれているようで、はしゃいでいる様に見えた。 下手な解説よりも写真を見て頂きたい。 【ウィキペディアから】 ウシュアイアは、アルゼンチン南端、フエゴ島に位置する都市。同国ティエラ・デル・フエゴ州の州都である。2014年現在の人口は約70,000人。ウシュアイアは南緯54度48分 西経68度18分に位置し、世界最南端の都市であるとされている。市はビーグル水道に面している。後背地の山が海に迫る地形であるため、市街地はビーグル水道に沿って発展している。 ビーグル水道に棲む海鳥やペンギン、この地域特有のシーウルフ(Seawolf)という魚を観察するツアーもある。
2018.03.01
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2/27 アルゼンチンのバスステーションで麻薬犬が待ち構えていた 今日からとりあえず2泊するホステル ドミトリー(6人部屋)1泊400アルゼンチンペソ(2000円)もする 朝8時30分に定刻に出発したバスは 途中でフェーリでアルゼンチンを目指す フェーリでベルギーの男性が声を掛けてきた 四国の48ヶ所を2年かけて巡礼したそうだ 四国は素晴らしい 自然が美しかったと褒めまくっていた 今年の6月には熊野古道を歩くそうだ 大変な日本びいきな64歳のベルギー人だ チリの国境イミグレーション アルゼンチン側国境イミグレーション フェーリに乗船したのは20分ほど 風が冷たかった バスは8時30分定刻に出発した。大型バスには50人ほどが乗車している。 出発して30分もするとパンケーキとコーヒー(紅茶も選択出来る)が配られた。 車窓は代わり映えしない荒涼とした風景が続く。 3時間も走りフェーリに乗り、さらに2時間走りチリ国境イミグレーションで出国手続きをうけた。 簡単な出国手続きだった、出るもの追わず入るもの厳しくか。 アルゼンチン国境イミグレーションも簡単でパスポートを提出したらポンと入国印を捺してくれたし、荷物も調べない。 リオ・グランデで大型バスからマイクロバスに乗り換える時に、荷物をバスから降ろして並べたら、麻薬犬が荷物を嗅ぎ分けている。 幸いにも我々のバスの乗客には麻薬・コカインを隠し持っている持っている者はいなかった。 ウシュアイア到着は19時30分、11時間のバス移動だった。 街は霧雨で気温10度程度、街中にはキャンプ場がないので、安宿を探すがユースホステルで米ドル25ドル、3件目で400アルゼンチンペソ(2000円)のホステルに決めた。 29日間もテント生活したのだから、もう十分という気持ちもある。 昨日は暖房の効いたホステルで快適な一夜を過ごせたので、雨の寒い中でテント生活をする気が起きなくなってきた。 ここウシュアイアでテントを捨てて身軽になり、旅を続ける事にする。 お金の計算はしていないが、40日間(2月24日まで)は予算以内で旅をしている。 テント生活なので宿代は1日500円ほどか、食事も1日500円くらいで交通費が約25000円、入山料や入場料で15000円、トータルで9万円ほどだ。 そんなに切り詰めなくとも40万円以内で旅は終えられると思う。 パタゴニア南端はホテルも食料品も高い、ホテルに関しては夏の3〜4ヶ月間しか稼げないのだから仕方ない。 野菜などは輸送代がかかるので、割高になるのも仕方ない。 ウシュアイアではツアーで観光して、なるべく早く北に向けて進みたい。 具体的にはアルゼンチンの首都プエノスアイレス、サンティアゴからウユニ塩湖、マチュピチュを見学してリマと進んで行く予定だ。
2018.02.28
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2/26 マゼランの銅像 16世紀はじめ スペイン王の命令で世界周航を試みたポルトガル人の航海者 町の中心にある教会 目が悪いので一瞬ペンギンかと思ったが海鵜(ウミウ)だった 町の様子 ヨーロッパの町並みのようですね 上の写真とは違う教会 津波が来た時の 避難場所の案内 その避難場所から町を一望する 何組の恋人たちが鍵をかけたのでしょうかね 津波避難誘導案内を見て思い出した事がある。 1960年にチリで発生した地震で、日本から見て地球の真裏近くで起きた地震による津波が太平洋・三陸海岸沿いに到達して甚大な被害をもたらした。 小学5年生だった当時、津波襲来のニュースが繰り返し放送された記憶を思い出した。 もう一つは、2001年に発覚した横領事件で、皆さんは覚えていますか? 青森県住宅供給公社の元経理担当者千田被告が約14億5000万円を横領し、チリ人・妻アニータに貢いだ事件だ。若い人は覚えていないでしょうね? アニータはチリにプール付きの豪邸を建てて、そこで親戚達の面倒を見たり、貧しい人達に寄付をしたりしていたようだ。 ほとんどのチリ人はアニータを悪く言う人はいないそうだ。 騙された(?)千田被告が一方的に貢いだ事件だったのかもしれない。 事件が報じられた当時余りにも巨額過ぎてビックリ仰天した覚えがある。 ウシュアイア行きのバスを運行している会社は3社あり、それぞれの会社から週に2〜3便ある。合わせて1日に1〜2便ある事になっている。 今の時期は便も少ないが、訪れる人が多く席を確保するのが難しい。 明日は南米最南端の町ウシュアイアに向かう。 ※私の仲間のシンさんのブログに「Takeちゃんは今どこに」のタイトルで書き込んでくれている。 リンク貼れないので、下記で検索して覗いて下さい。 シンさんちの《繭の里通信》2
2018.02.27
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2/25 本日から2泊するホステル 今まで泊まったドミトリーの中でも最高ランクだ 共同のキッチンは凄く綺麗だ とりあえずワインで乾杯! 町の中心にある観光案内所 町の様子 可愛らしい列車 町が垢抜けている 教会の前で歌っていた プエルトナタレスからウシュアイアに一気に行きたかったが、満席で途中のプンタアレーナスにやって来た。 ここからウシュアイア行きのバスは朝の8時30分だが、明日も明後日も満席だ。 2月27日のバスチケットを買い求めて、本日のテント場探しするも、町中には営業している所はない。 道行く何人かに尋ねて、手頃なホステルを訪ねる。 1軒目は18000ベソ(3300円)、次に訪れたのは本日から 2泊するホステルだ。 12000ペソ(2160円)を2泊するからといって値段交渉の結果10000ペソ( 1800円)にしてもらう。 6人分のベットがある部屋で、誰も泊まり客はいないので竹ちゃんが一人で専有出来そうだ。 ひと月ぶりにベットで寝れる。 【ウィキペディアから】 プンタ・アレーナスは南緯53度にあり、南アメリカ大陸最南端の都市。人口10万人以上を有する都市としては世界の最南端である。なお同市は「世界最南端の都市」を名乗っているが、同市の200km以上南東、フエゴ島のビーグル水道沿いにアルゼンチン領の都市・ウスアイア(人口約65,000人)があり、そのさらに南にも小規模な村や集落がいくつかあるという。 マゼラン海峡の中間部、ブルンスウィック半島の根元に位置する港町。大陸側に位置し、海峡を挟んで東側には隣国アルゼンチンと領有を半分に分ける島・フエゴ島がある。この地域の中心都市であり、近年ではフライトによる南極観光ツアーの出発地としても知られる。 プンタ・アレーナスは、スペイン語で「砂の岬」という意味。人口は約13万人(2012年現在)。降水量は毎月30mm前後と少なく、6月から9月にかけて雪が降る。最高気温は12月から1月に14度C、6月から7月に4度Cと変化が小さい。ただし、年間を通じ風が強く最大時速130kmに達する。
2018.02.26
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2/24 晩飯は牛肉ステーキ 牛肉は1800ベソ(330円)と安い 遅い昼飯 ガーリックスパゲッティ 町の様子 チリでよく利用しているスーパーマーケット バスステーション 明日のウシュアイア行きのバスチケットは満席 右足の親指の先が切れた 最初はサンダルで何かに当たり 小さな傷だった それがチリ国境からアルゼンチン国境まで歩いた時に大きく傷口が開き 靴下が真っ赤に染まっていた フィッツ・ロイ山でさらに開いた 昨日はだましだまし歩いたが痛い 今日の朝は6時に起きられなかった。 パイネ国立公園行きのバスは7時30分出発、その後もあるが着いてから2〜3時間程度しかハイキング出来ない。 深夜小雨がぱらつき寒かった。空はどんよりとして、パイネ山方向は厚い雲が垂れ込めている。 本日はトレッキングは諦めて9時過ぎまで寝た。 朝はコーヒー一杯飲んで、明日のウシュアイア行きのバスチケットを手配するためにバスステーションに行くが満席だ。 とりあえずウシュアイア手前のプンタ・アレーナスまでのバスチケットを買い求めた。 いつも粗末な食事しか食べていないので、今日は昼にフライパンにオイルを少したらしてニンニクを炒めて、茹でたスパゲッティを入れて炒めて塩と胡椒て味付けて、トマトを入れて炒めて完成。 シンプルだが飽きがこないスパゲッティはお気に入りだ。 夕食は牛肉ステーキにしてみた。こんな簡単な料理は気が引けるが、作り方はビニール袋に牛肉とワインを入れて1時間ほどほったらかして、フライパンにオイル(他人の残り)をたらしてニンニクを炒めて牛肉を焼くだけだ。味付けは塩と胡椒だけだ。 付け合せに玉ねぎとトマトを炒めた物を添えた。 足の親指の先がジュクジュクして歩いていると痛い。 どこで痛めたかは定かではないが、薬も塗らず化膿していないのでそのままにしている。 何だかんだと理由を付けてパイネ国立公園の4泊のトレッキングを諦めたのだ。 昨日の好天に恵まれて、パイネ山の素晴らしい眺望を堪能したのだから、これで良しとしよう。
2018.02.25
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2/23 パイネ・グランデ山 パイネ国立公園の最高峰3050メートル 万年雪を頂き 東側にフランセス氷河が流れる 初登頂は1957年にイタリア隊が成功した トーレス・デル・パイネ峰 印象的な3本の岩峰 トーレスとは「タワー」、塔のこと 約1200万年前に地下から隆起した花崗岩の岩で これを覆っていた白亜紀の推積岩が氷河などに侵食されて 取り除かれて今の姿になった 本当に晴れてくれて良かった パイネ国立公園は年間降雨、降雪 平均気温6.5度 1年中ほとんど強風が吹く厳しい気候のもとにある パイネ国立公園入口 ここで入場料を支払う ツアーの途中で 滝に虹がかかっている グレイ氷河 右の白く見えるのが氷河 写真撮影場所から8kmはありそうだ ミロドンの洞窟 竹ちゃんと一緒に写っているのがミロドンの復元像 1万年前に絶滅した動物 体長3メートル以上あったと推定されている 朝7時40分から20時まで、昼食1時間休んだだけでパイネ国立公園をくまなく回るツアーは、見所満載のお得感ある内容だった。 ツアー代金32000ペソ(5500円)+パイネ国立公園入場料21000ペソ(3600円)+ミロドン入場料5000ベソ(870円)トータル9970円 バスは24人乗りに16名で、席に余裕があるので竹ちゃんは2人分の席を一人で使えた。 バスが走り出してから20分もすると、車窓からのパイネ連山が目に飛び込んで来る。 ガイドは30歳半ばの女性、スペイン語と英語で案内しているが、正直言ってさっぱり分からない。何せ早口で一方的に喋りまくる。それでも必死に聞いていると2割程度くらい理解できた。 ガイドさんいわく、こんなにも晴れたパイネ国立公園は年にも何日もない事だと言っていた。 バスはビューポイントに何回も停車して、写真タイムになる。 ツアーの最後にグレイ氷河を見える所まで片道40分の歩きがあった。 氷河が見える所まで歩いたのは竹ちゃんとイタリアの40歳くらいの夫婦の3人だけだった。 風が強くて砂や小石が顔に当たり、休み休み前に進む。 グレイ氷河も年々後退しているそうだ。スイスアルプスの氷河もネパールも世界中どこの氷河も温暖化で縮小していく傾向だ。 今日は天気に恵まれて、憧れのパタゴニアのパイネの岩峰や氷河を堪能した。 【ウィキペディアから】 トーレス・デル・パイネ国立公園はチリの首都 サンティアゴから約3,000キロ南に位置する。1959年、2,400平方キロにわたって山・氷河・森林・湖などが広がる豊かな自然が評価され国立公園となった。公園内の最高峰は標高3050mのパイネ・グランデで、トーレス・デル・パイネ(パイネの塔)のアゴスティン峰が2850mで2位となる(ロンリー・プラネット誌より)。高低差があり、草原からツンドラ地帯、山岳といった様々な気象条件下に豊富な高山植物が茂る。こうした風景を楽しむためのトレッキングなどを目的とした観光客は年間13万人を超える。 国境線沿いにあり、アルゼンチンのロス・グラシアレス国立公園とは一部が接している。 2011年12月に山林火災が発生し、翌年1月までに1万ha以上が焼失した。
2018.02.24
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2/22 本当にこじんまりとした博物館だった クエバ・デ・ラス・マノス「手の洞窟」から切り出した物 9000年前に 動物の皮ふや人の指で描かれている 写真の撮り方も下手だが 人の手がかすかに残っている じっと見てやっと見つけられた 小さな博物館でプエルトナタレスの歴史を語る博物館。またミロドン洞窟を発見したヘルマン・エバーハードのゆかりの品などを展示している。1万2000年ほど前にベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸を南下し、長い旅の末にこの地に住み着いたモンゴロイドの末裔達の当時の様子を絵やパネルで分かりやすく紹介している。ここ数百年前のミシン、ラジオなどの古い生活道具を展示している。
2018.02.23
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2/22 パイネ国立公園 山並みを眺望する 左から右に山並みが連なる 風が強いので テントサイトごとに風避けの塀が建てられている それでも強風が吹くとテントは飛ばされんばっかりに強くて揺れる チリワイン専門店 高級ワインがズラリと並ぶ 1000円から数万円するものまで品数豊富 竹ちゃんにはワインの味が分からないので 参考のために入ってみた なんの肉ですかね 美味しそうに 背の部分はこんがりと焼けていた 町の憩いの場所 教会内部 短く散髪した 散髪屋のお父さん 喋り放しで愉快な人だった 今日は旅行会社に行き、パイネ国立公園に入るたの情報を仕入れた。 残念な事に4泊5日のトレッキングは満杯で叶わない。 それだけ多くのトレッカーが世界中から押し寄せているのだ。 キャンプ場は無料と有料があるが、何ヶ月も前からネットで申込があり、ここ数日は空きがない。 テント持参だが、すべて無料のテント場に泊まるためには1日10時間以上も歩かなければならない。何よりも無料のテント場も予約が必要なのだ。 4〜6時間歩いた所に丁度いい具合に有料のテント場とロッジがあるにはあるが、空きがないのなら仕方ない。 作戦変更、明日はパイネ国立公園の見所満載のツアーに参加する事にした。 朝の7時30分出発で帰りは19時過ぎると説明された。 その次の日は、1日かけて独自にトレッキングに出掛けるつもりだ。 その後は天気が良くない日が続く予報だ。
2018.02.23
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2/21 エルチャルンテからカラファテまでバスで移動した 到着時刻20時30分 明日の7時30分発プエルト・ナタレス出発までバスステーションで仮眠をする 日本人の方に撮ってもらった エルチャルンテのバスステーション 車窓からの眺め 荒涼とした大地がどこまでも続く アルゼンチン国境のイミグレーション 窓口は二箇所あるが なぜか一箇所だけ対応している 全然やる気を感じない チリ側のイミグレーション ここも似たようなものだ 全員重い荷物を持っているのだから テキパキしてほしいと思ったが まるでやる気なしだった プエルト・ナタレスの町の様子 今晩の夕飯 チーズ、サラミ、鶏肉の惣菜を買い 玉ねぎを足した ワイン2リットル(2日分) 昨日は、思い掛けなく綺麗な姿のフィッツ・ロイ山をじっくりと眺められて満足して、シャワーを浴びてビールで乾杯した。 何かある事に乾杯するのがが竹ちゃん流だ! 今日はエルチャルンテからカラファテまで行き、明日のバス便があればプエルト・ナタレスまで行く予定だ。 カラファテのバスステーションで仮眠していると、夜中の3時に突然起こされた。ここを発着する深夜便が無いので、全員室内から外気厳しい屋外に追出された。外の温度は一桁で、深々と寒さが身にしみる。 昨日でテント生活25日(薪小屋1泊にバスステーションでの1泊、チリの若者の友達の家でごろ寝も含まれる)連続になる。 ホテルのベットでの寝心地はすっかり忘れた。 夜中の寒い時でマイナス5度、今日は暖かいと思った日で8〜15度くらい。 雨が降ればテントの縫い目から雨がポタポタと落ちて、シュラフは濡れるはで最悪な状態になる。 夜中の寒い雨降る中、トイレに行くのは辛かった。 もし、腹を壊して下痢でもしたら最悪の状態になるのだが、水は買った事はないし、すべて水道水と川の水、沢の水をそのまま飲んでいる。竹ちゃんの腹は鉄の胃袋で出来ているのだ。 あとは風だ、人が立っていられないほどの強風が吹き荒れた日も3日ほどあった。強風のなかテントを張る時には苦労した。大きな石を重しにして飛ばされないように張るのだが、それでも風にあおられて思うように張れない事もあった。 世界中からバックパッカーが訪れるパタゴニアのキャンプ場は全体的に設備も整っているので快適に過ごす事が出来た。 パタゴニアの夏は12月から3月の約4ヶ月間なので、その期間に稼がなければならないので、テント場は安くない。安い所で300円ほど、高いところは1800円はする。南下するほどに高くなる傾向だ。 テント生活もあと5〜7日で終了する。
2018.02.22
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2/20 ほんの少し雲があるが スッキリとフィッツ・ロイ山が姿を現した この景色を見るために 世界中から観光客がたくさんエルチャルンテを訪れる 町からもフィッツ・ロイ山を手に取るよに眺められる エルチャルンテの玄関からも眺められる 高山植物 竹ちゃんは本当についている。 本日はエルカラファテに移動する。 昨日、バスチケットを手配に行き11時と19時30分発の便があるので、遅い便にしたお陰で、今日はフィッツ・ロイ山の全容を眺める事ができた。 8時に起きてフィッツ・ロイ山を見ると雲が切れて、綺麗な姿を現していた。 朝飯もソコソコに急いでハイキングに出かけた。 フィッツ・ロイ山に雲がかからないように祈る気持ちで、山道を飛ばした。 見晴台に到着すると、素晴らしく、堂々したフィッツ・ロイ山が姿を現した。しばらく息もつくのを忘れて眺めていた。 竹ちゃん、遠い日本からわざわざ来てくれたのだから、少しの間眺めなさい、と言っているような素晴らしい眺望をプレゼントしてくれたのだ。 フィッツ・ロイ山を間近に眺められて大満足だ。
2018.02.22
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