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2日前に取り上げた日航労働者解雇に抗しての裁判。結果から語れば清々しいまでに経営者側の思惑に乗った判決が出てしまいました。 「解雇しなくてもやっていけた」の稲盛発言に対しては「個人の感想」。解雇の必要性に対する疑問に関しては「稼働ベース」というワケわからんルール作られ、年齢と病歴を基準にした解雇も「合理的」有効(アメリカでさえ年齢を基準にした解雇は禁止)。営業利益が伸びた点に関しても「“要らん奴等”のクビ切ったから」。 さらに念が入っていることに、これだけ会社側の言い分ばかり聞いた判決の割に、たった一つ「原告2人の減額されていた給与の支払い」だけ認めた、と。 朝日新聞は、この項をもって「原告の請求をほぼ棄却」と書いたが、私に言わせればこれにしたって『多少の利益は与えるが、それをもって原告団の団結を壊そうとする仕掛け』にしか思えない(こんなんで簡単に壊れるモノでないのも知っていますが、この手の闘争に「分断工作」はつきもの)。そういう意味では、この裁判は「経営者側の圧勝」にされていました。 でもね、こんなん許したらどーなるんでしょうね。 「“うるさかった”り、“金食い虫”の労働者」のクビ切るのに「経営不振」を錦の御旗に立てりゃ、労働者簡単に追い出せる。経営の状態を悪く見せることは容易いと言いますからね。この裁判確定させてしまえば「大量解雇の武器」与えてしまうだけです。 その大量解雇が何生むか。まず第一次的にあげられるのが労働者の生活難です。収入が計算できなきゃ暮らし成り立ちませんわな。 次に「仕事の質」。事あるごとに経営者側の立場に立つ人は「労働者側も雇用の流動化を望んでいる」と言いますが正直意味不明。「職を離れた人が次の職に就きやすくして」なら意味が分かりますが、自分達でクビを切りやすくするための理由付けに使うのであれば、それは「おためごかし」といいます。 おっと、横道それた。元に戻しますね。 どんな仕事においても、その仕事に必要なスキルなり経験、さらに“コツ(※)”というのがあります。それは、多くの経験値を踏むことでも養われていくもの。「長年勤めさせると多くの金払わなきゃなんない」というのも、経営者側が「“取り替えの効く部分”は非正規雇用の形態に」の路線を進めるのも、要は「出す金もったいねぇ」から来ているものですが、同時にそれは仕事の質においては重大な空白を生むことになりました。 さらに話を広げれば、企業の利益収入にも関わる消費に関して。 簡単に話すりゃ「ない袖は振れない」ってやつで、職がなくなったりして減収になれば、買い物の幅縮小せざるを得ません。まさか「3食を2食にしてでもわが社の商品買え」てわけにもいきませんしね(皮肉)。 経営に困ったらクビを切れ、という思考は、一時的には利益をもたらすものでしょうが、その実今まで書いてきた部分のようにマイナスの影響も多くあります。まだ二審、三審と裁判が残っていますが、これ以上の労働者への侮蔑を許さないための行動を広げ大きくしなければわんないな、という事を強く思わされた裁判でした。 ※この言葉は、得てして「枝葉的なテクニック」という意味で使われがちですが、実際は「根幹的な~」という意味で使われる言葉です。
2012年03月31日
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今日はプロ野球開幕日ということもあり、記事を用意していましたが、昨日の赤旗を見て驚いたことがあったので変更します。1.今、起きていること。 佐賀県武雄市で、米軍海兵隊の事に関して質問していた日本共産党の議員に対して「議会の品位を汚す」と難癖をつけ、発言の削除強行、1日とはいえ出席停止の処分を突きつけました。 今年に入ってから、共産党関係者への言われなき中傷が多く起きています。・東京都議会 質問していた大山とも子議員に対して自民党の鈴木隆道議員が「放射能浴びた方がいい。正常になるんじゃないか」と不規則発言。・茨城県取手市議会 加増充子議員に、藤井信吾市長が「地獄に落ちるよ」「死ね(この部分後述)」と発言・京都市 共産党も参加する市長選挙の確認団体「京都市政を刷新する会」の宣伝活動中に運動員が襲撃される。 と。これだけ多くの攻撃が加えられているのも近年にないことです。2.反省なき弁解。 様々な報道で表に出たはいいのですが、揃いも揃って反応が振るっています。以下にそれを記しましたのでどうぞご覧あれ。・樋渡啓祐武雄市長(自己のブログで)「議員の資格ゼロどころかマイナス2万」「平野(邦夫)/江原(一雄)議員は議員の資格はない」※2人共に共産党議員→平野さんは1013票、江原さんは1133票、得票率6.67%。少なく見積もっても、これだけの人が「市政出るにふさわしい人」と第一に選択し、議論の場に立つ権利を託したわけです。その基本は誰もが押さえていただきたいものです。・鈴木隆道議員「ちょっと言い過ぎた」「弁解することは何もない」→どちらともとれる物言いなので、そこから先の話を控えますが、瞬間瞬間に言ってしまった事がその人の人間性を表す、というのはままある事です。・藤井信吾市長「『死ね』とは言っていない」「『怪文書を裏もとらずに何倍にもして取り上げていると地獄に落ちるよ』とは言った」「よい言葉でなかったのは申し訳ないと思う」 ただし、共産党の質問状は無視。→取手市のブロガーさんの話によると、この方も今の首長に多く見られる「頭脳明晰、弁舌爽やか」「ただし、敵に回った勢力に対しては容赦ない」「実力史上主義者」のようです。“外面”よく“謝り”はしましたが、当事者に対しての謝罪はしていません。・京都の事件加害者 逃走中。→どんなに気にくわないか知りませんが、何をどうしたってその行為は犯罪行為です。逃走中の加害者には自己という人間これ以上崩したくなければ、身の振り方を考えていただきたいものです。 共通して言えるのは『根本的に意見違う人を、議論の相手、あるいは自己の意見の“鏡”としてとらえず、その存在そのものの排除で自己の意見の実現を図る』人が多くなったな、と思わされています。これは、一部「瓦礫受け入れ賛成・反対派」にも感じている疑問です。3.「おかしい」と思うか、「当たり前」と思うか。 なぜ、こういう発言が大手を降って歩けているか。それはバカ単純な言い方で申しわけありませんが、その発言・行動を支持している人がいるからです。 以下にその代表的な部分を記しますか。・武雄市の件 (今のところ反応なし)・東京都の件「正論だ。キチガイに『浴びれば正常になる』と言っただけ」「共産党にはこのぐらい言っていい」・取手市の件「共産党に対してなら仕方ない」「いいから黙って死ね共産党員」「藤井市長よく言った」・京都市の件「共産党の党首は昔殺人罪などで無期懲役食らっている。片腹痛いわ」「選挙前に選挙活動している方が悪い」「同情買うための自作自演」 ある部分では“極論”含めて書いてみました。無論、違う立場からの意見もあり、「とるに足らない意見」と無視・放置をする人もいます。じゃあ、私はなぜムキになるほどこの手の議論に首を突っ込むか。 何回も言っている通り、言葉は発されたら力もってしまうんですよ。 最近は“悪口”“陰口”に対しての恐れを知らなくなりましたね。 “陰口”は、文字通り陰っこで語るもので、大っぴらに語るものではない、という自制が働くものでしたが、最近はその自制がサッパと効かなくなりました。その結果が、他人の存在を認めない社会の“醸成”という形で現れてしまっているわけなんですね。そして、その意見見た人が、それに「あ、こんな事語っていいんだ」と影響される人がいるわけで。 もっとはっきり言えば汚ねぇ言葉を投げつけて、世論を“汚している”という事を自覚していただきたいのです。 最後に。 橋下大阪市長や河村名古屋市長、竹原元阿久根市長といった『劇場型政治』実行形市長がよくとる手段として、「敵対勢力」を作り、そこを徹底的に叩いて己の人気につなげる、というやり方があげられますが、そのやり方がいつまでも続くわけでなし、続いたら続いたでそれは問題です。 そして、この手法最大の問題として「居丈高な態度が続かなくなった時に、それまで黙っていた“マイナスの感情”のマグマが一気に吹き出す」事が考えられます。ちと回りくどい言い方しましたが、具体的に言えば「社会がぶっ壊れる」。もうすでにここまで書いてきたような“影響”はすでに現れています。 こんな事がエスカレートしてしまえば、行き着く先は「憎悪が憎悪を呼び収拾のつかない社会」。ここに例示した事象から、教訓くみ取っていただければ、と願います。
2012年03月30日
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日航の労働者の解雇が行われて2回年を越した。当時の稲盛会長はじめとした経営陣は様々な理由をくっつけて多くの労働者の解雇を強行したが、後の裁判で稲森氏自ら「する必要はなかった」と語っている。 労働者関連でもう一つ。 昨日の国会で通された「改正労働者派遣法」。数年前の派遣村発生の教訓を酌まず、労働者の保護を取っ払った中身を『民自公』の枠組みで押し通してしまいました。「これでもなまぬるい」のみんなの党を除けば、反対したのは共産党、社民党しかありません。 日航の件に関しても、派遣法の件に関しても。最近の一部経営者は労働者をちり紙か何かと間違えてちゃいないかい? “必要”な時にこきつかい、それがなくなりゃポポイのポイってか。 あんなぁ、俺たちゃ労働者もなぁ、仕事場の都合だけで生きているわけじゃなくて、家族がいて養わなきゃなんないべし、地域社会の中にも生きているから、その関わりだって無下にできない。そんな中で飯食うために仕事場に雇われて、一日の内の少なくない時間を経営者の意の基に動くわけだ。 経営者ったって、一人じゃできることは限られているわけで、どーしても手となり足となり…て人は必要でしょう。そこ考えりゃ責任の重軽こそあれ本来は同じ目的にむかう仲間でもあるわけなんですが。 こういう構図を見ていると、思うのは経営者の視点が仕事と利益、どっちに重きをおいているか、考えさせられます。 「仕事するには人が必要だ」と、雇用の維持にも真摯に取り組む人もある一方で、へそくり(内部留保)ためこんでいてからに、単年度赤字が出ると株価に影響するからと、草を刈るようにクビを切る経営者も存在したりします。後者の方が覚えめでたく思う風潮もあり「経営“苦しい”」→「クビ切りゃいいや」→パトロン(株主)に「うむうむよくやったぞ」というコンボが成立させられています。 そうやって甘やかせてきた結果、労働者守るルールがシッチャかメッチャかにされてしまい、今や「より安上がりでないとやんた」とばかりに、労働者の雇われ方に対するダンピングが起きているわけです。それを象徴している一場面が文頭に紹介した記述です。 今朝(29日)の赤旗には、ソニー仙台期間社員の雇い止め撤回のニュースが一面大見出しに載っていました。このたたかいの勝利の原動力は労働組合に結集して団結してたたかい抜いた、それにつきます。裏返せば、利益を追求する側からみれば、邪魔なのは「たたかう労働組合」の存在。日航労働者の件でもその様相あります(JRがやったような労働組合の中心人物の排除)し、派遣労働者を多くしていたいという底には、組合の組織率が低く、条件面などで言うことを聞かせやすい目論みがあるものと思われます。 既に(“前衛”的な部分では)少数勢力化させられ、同じ労働者の立場なはずなのに、労働組合の活動に悪罵を投げつける人も多くいたりもしていますが(行動原理に関しては後述)労働者の生活、さらに広く見れば「もうけ第一主義が歪める社会」をこれ以上ひどくしないためにも、この“戦線”大きくしていかなあかんな、と思います。
2012年03月29日
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私はテレビとラジオどっちよく聞くか言えば、断然ラジオの人間で、IBC岩手放送、FM岩手、ニッポン放送と時間時間ごとに聞き分けています。4月から岩手など3県でもテレビの地デジ移行になり、大船渡の実家のテレビはつかなくなってしまいますが、そんなわけで私にとってはノープロブレムってわけで。 東日本大震災後、Radikoで全国に配信していた岩手、宮城、福島3県の放送も、今月で途切れてしまいます。元々が県単位限定での免許だったのでやむを得ない部分もありましたが、IBCの看板番組『朝からRADIO』『ワイドステーション』では、全国配信が止まる事を惜しむ声が沢山来ていました。 時々車で遠距離走らせる私にとってラジオは必需品ですが、番組の相性が合わないと…の部分もありまして。まず聞いててリラックスできる部分がなければな、というのを基準に番組を聞いています。だから、IBCやニッポン放送の番組であっても「リラックスできない」ものは聞けない(最近ではオードリーのオールナイトニッポン-若林さんの“毒舌”が障るようになってしまいまして)ものもあり、中々ね…という所もあったりします。 それでも昨日(27日)起きた震度5の地震のときにも、何がどうなっていたかを知るのに大きな役割を果たしていました。手軽に、身近に接することができるラジオというメディア。これからもいい付き合い方ができれば、と思っています。
2012年03月28日
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ただいま北上市・さくらホールにいたところでしたが、緊急地震速報が鳴ってすぐ地震がきました。 さくらホールは何もない様子でした皆様もお気をつけてください。
2012年03月27日
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まず最初に。様々精神ダークになっていたと言うか、根詰めていたというか。そんな状態だったもので最近の記事の書き方に影響が出てしまっていました。ちと説教調と言うか、詰問調というか。あまり気分よくは読めなかった事と思います。その部分最初にお詫びします。 ほんでも、やっていることが相手にされないってのがあんまり気分いいとも言えず、で。本当はそんなクサクサしていたんじゃわんないのでしょうが、どーでもいい事がさも大きなニュースとして扱われ、一方で「アタリマエ」に対する問題提起は無視される。たまにごまかしきれずニュースに取り上げれば「大したことはない」扱い。イラつく事も多いが、まだでたらめ理由つけられて取っ捕まったり、殺される事がないだけマシ、という事にしますか。 ただ、これは何回でもいい続けますが、言葉は声に出してしまったら“力”になってしまうもの。最近はブログ、ツイッター、フェイスブック、ミクシィ…個人で編集して発言する場も多くなっていますが、言葉の持つ意味と重さを軽く見て平気でくそ汚ない言葉吐くのも見受けられます。 「何そんなの気にするこたぁない」 そうだね。でもね、今や誰かをぶっ叩いてウサ晴らすことで人気集めている、て人増えているでしょ。それにあやかりたいと思う人もいたりする。それがつい出てしまって、気にくわない議員に対して「地獄に落ちろ」とか「放射能浴びた方がいい(※1)」なんて言う“お偉いさん”も増えてきているわけ。 という事踏まえて、今年の目標追加。 『生き残る』。 ま、これは俺自身もそうだし、共産党の活動もそうです。マスコミの持つ問題点は、先日志位委員長が話しましたが、それがすぐには解決に向かわない状況下では、その実態が世の中に分かり広がる時まで、その存在を潰されないことが肝心になってきます。 今は大阪維新の会がもてはやされていて『既成政党』と対立、みたいに書かれていますが、正直うちらと社民党除けば彼らと政策の親和性大有りでしょ。ま、そこら辺含めて、他人踏みつけにして恥じない勢力、そういうのに媚びへつらう輩に対しては、キッつーいお仕置き与えるために歩き続けるとしますか。 てなわけで、“祝勝”モードは一日で終了。北上市政に向き合いながら、故郷大船渡の政治戦のためにも頑張らせていただきます。 ※1 ラドン温泉に入ったり、医学治療上使用せざるを得ない場合、というわけではないようです。
2012年03月27日
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昨日の夜に速報を打ちましたが、北上市議選挙で日本共産党から立候補した2人は以下のような結果で当選を果たしました。◇岩手県北上市(26-28)鈴木健二郎 1612票 15位当選安徳すみ子 1425票 24位当選 いやはや、しんどい政治戦でした。 健二郎さんは、5期20年の実績が産み出す「大丈夫論」との、安徳さんは同じ地域から結果トップ当選果たした候補者との競合に苦しみましたが、定数減の中ともに当選にまで持っていきました。 選挙の中で訴えてきた『開発優先型の行政』に関しては、これからの北上市政で大きな課題となっていくはずです。市民と行政との考え方が解離し、宙に浮いている部分もありますが、様々ある問題点を、市民有権者の皆様と共に解決図っていけるように歩いていければ、と考えています。 昨日は熊本の知事選、徳島市長選もありましたが、共に投票率は半分も行かない-徳島に至っては「半分の半分」をやっと越えた-状態でともに過去最低に。 ま、勝ち負けの水準だけで言ったら「二大政党含むオール与党」対「共産党+α」で「先見えた」といいたくなるのかもしれませんが、そういう構図になった、即「ジジツジョウノシンニントウヒョウ」と書かれた日には…困るんですよ。そして、困る対象者は、その自治体で行われている事に対して“勝負は決まったから考えなくてもいいよ”と言われているも同然にされている多くの有権者じゃないでしょうか。(※1) 自分はこういう状態を指して「有権者を甘やかす行為」と言い、批判してきました。9割はそういう思考回路にいてても仕方がないと思わせる言動をとるマスコミに。1割はその“誘導”に乗って考えることをやめた人に対しての批判です。 本来、選挙ってのは有権者の思いを確かめ、1票1票の積み重ねを経て、最終的に結果として現れるものだと考えていましたが、最近ではあれこれの『事前の調査』なるものが進んでいて、その様子を見て『予想』をしてしまう傾向も見受けられます。つまり、有権者の思いや行動に影響が出てしまう事。この事にもう少し敏感に対処した方がいいと思うのは私だけでしょうか。 情報化が進む今の時代にそれを後退させるようなことも言えませんが、そうであるならフィルタをかけない形での情報提供というのが求められるのではないかと思いますがどうでしょうか。つまり端から「もう勝負は決まった」式の報道は勘弁してくれ、てことです。 そういうの抜きに有権者“甘やかして”選挙が終わったら共産党に対して『お前らが選挙に立候補する事で●●億円無駄にした』等と言われるのは、はっきり言って迷惑です。直接的には選挙の勝ち負けが目的だし、そこに視線が行くものですが、周辺的にモノ見れば政策実現に向けたたたかいの場でもあるんです。いい加減な気持ちでやれないですよ。最終的には選挙でかかった費用以上のお金の動向に関わるのですから、そこ踏まえた上でモノ語っていただければと思います。 とりあえず拙見はここまで。一旦ここで失礼します。※1 ここ数年、地方選挙の論評や特集を見てきましたが、多くが現職(あるいは『オール与党』)の政策をベースに話が進められ、共産党、あるいはその共同候補の政策・意見は良くて『聞き置く』悪ければ『無視』する態度をとっているのが多くなっています。
2012年03月26日
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鈴木健二郎さん、安徳すみ子さんともに当選となりました。詳細は明日お送りします。
2012年03月25日
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今晩行われる北上市議選挙の開票に関して、結果が出次第、速報の記事をお届けします。
2012年03月25日
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大阪維新の会の「維新塾」が開講した。論壇の中には『ただの資金集め』という声もあるが、これは(恐れはしないが)重大な動きと見る。 理由として、政治は議員・立候補者だけがするものではなく、実務取り仕切る人、有権者の中に入り意見を広める人…様々な役割を担う人が必要になる。その人材集めに本気になった表れ、と見る。 今回参加した約2000人がどこまで残るか分からないが、多くの運動員を作り出すことは間違いない。中国で起きた文化大革命における“紅衛兵”づくり。 橋下氏は次の政治戦を一大決戦と位置づけているらしく、鼻息が荒いが、彼らが訴えている制作や行動を見れば、どこに政治の方向を持っていこうとしているのか見えるのではないか。そして、見えた光景からは、維新の会とそれに連なる勢力が、決して“改革者”ではなく、ただの“収奪者”であることは明白ではないか、と思う。 橋下氏や維新の会が積極的に進めてきたのは何だったか。その大方は最低限の生活・存在を保証していたものを「既得権益」となじり、強権的圧力を持って奪った事ではないか。 そして、彼らが進めようとしている政策はなにか。要は“力のない奴は隷属化しろ”と。競争で人を煽り立て、ついていけない人は“オエライサマノイウコトニシタガッテドレイトシテイキロ”というもの。「上に上り詰めたい」行動力、「下に落ちたくない」行動力が世の中活発化させるのか知らんが、その様子がムチで奴隷をひっぱたいて遮二無二働かせているようにしか見えないのは気のせいか。 彼は自分の意見に従わないものに「なら選挙に勝てば」と言い放つが、盗人にさえ三分の理があるのだから、一般に過ごす人たちにはもっと多くの“理”があるはずだ。選挙で勝てば好き勝手していいわけじゃない。現実にある現象にどう向き合い、合意形成図っていくか、というのが政治の役割なはずだ。 ところが、この行為は実に面倒くさい。手間隙かかるし、それぞれの利害調整だって簡単ではない。だからスパッと竹割ったようにいかない様子に苛立つ人が多いのもわかんなくはない。 ほんでも、多くの人の利害付き合わせて物事ルール決めるというのが議会の場だ、というのをわかれば、それなりの見方というのがあるはず。 あんまし「昔に比べれば」的な言い方はしたくはないが、議会で合意形成を図る、という努力をしなくなってきたな(今の「民自公」だけというのでなく)というのを感じる。誰それに勝てばいい、というここ数年で政界に身に付いてしまった思考回路が、異なる意見に対しての許容力を失わせ、意見の先鋭化を生んでいる、といったら言い過ぎか(※1)。 橋下・維新の会だけでなく、最近“力”を持っている人が、その力を発揮する方法・手段として「構成員に対して居丈高に出、ビシバシとムチで叩くように言うことをきかせる」…ま、様々な恐怖感を利用して物事進めようとする様子は、多少賢いのかしれないけれど、人の持つ力を信頼できず、かつ力の引き出し方を知らないという意味において“無知”と言わざるを得ない。 そう言っているそばから、今度は『メタボ検診受診率の悪い所にはペナルティ』というニュースが流れてきた。ああ、あほくさ。悪循環じゃないか。ここでも内情見ない“ムチ”が、現実を殺していく…。 ※1 茨城県取手市長による共産党議員に対しての「地獄に落ちろ」発言もありましたねぇ(怒)。
2012年03月25日
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気がつけば、明日には一つの“結果”が突きつけられる。ここ数日で問題提起し、盛り上げはしたけれどそれが結果に結びつくかは未知数。いい結果出してぇと思う人ばかりの中を出し抜くのも簡単じゃない。 思えば、自分の願い叶えるためには勝ち抜かねばわんない、という世界に身をおいて10と8年経ちますか。あんまりギチギチに物事突き詰めることが苦手な私にとって、それでもこの道だけはずっと歩き続けてきたのはなぜか。理由探せば『貧困』と『踏みつけ』が嫌だったから。貧困の辛さは幼少期から味わってきたし、踏みつけにされる辛さも味わってきた。だから能力様々及ばなくても、貧困や抑圧に対しては厳しい態度をとってきた。 とは言っても、人間は成功に憧れる生物でもある。強くあることを望む生物でもある。それが形に表れるのは欲だったり夢だったりするが、それらの行動の反作用として人傷つけることは往々にしてある。全ての不条理は消し去ることはできないかもしれないが、その不条理をカバーすることぐらいはできるはずだ。 それを今自分がたたかっている舞台で例示すれば『大金持ちにはなれなくても貧困には陥らない』って事じゃないかと思う。しかしそれが『“力”のある者』あるいは『“力”を持ちたいと願う者』は、より自分に“富”を持ってきたいから、他人が持つ富を収奪したがる習性をもってしまう。だからそれを『違うじゃ、それは』と正す人が必要になるわけだ。 『わっせでわんない(忘れていけない)』貧困と抑圧に対する怒り。そして、わずかながらも『積み上げてきた』経験値。これを元に歩いてがねばな、と思いながらあと一日歩くことにします。
2012年03月24日
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どの発表者にもそれぞれ個性があり、特徴があり、それを元に物事を発表する。同じ曲演奏するにしたって、解釈が違えばそこに個性が出るわけで音符通りにやるばかりでもないのは実状、と思います。 私にしてもカッコいいとかイケメンとか特徴が…(物飛んでくる)ぐはぁっ!びー:なーにが「カッコいい」「イケメン」だ?バカじゃねぇ、って今頃読んでいる人みんな思ってらぁ!伊東:あーりー?僕間違った事言ったかしらん?びー:「かしらん」じゃねえよ(怒)。開き直りも大概にせぇよ。伊東:だーかーらー、ネックハンキングブリーカーはやめろっつうの!びー:たまにこうしてネジまきなおさねぇと暴走すんだろ、お前はよ!伊東:じゃあ、その暴走とやらを見せてやろうか…『ビーストモード・オン!』びー:『ビーストモード』?お前はエヴァンゲリオンのマリちゃん(※1)か!あ、そういや(花粉症の)眼鏡もかけている!伊東:さすがに三つ編みとはいかなかったが、それはしゃあないな。やったら俺の命がないわ。さぁ、びーよ。「お前の罪を数えろ!」(※2)びー:くくくっ…「もてすぎちゃってごめんちゃーい」!伊東:お前も同じレベルだろうが!一撃食らって頭冷やせ!びー:その言葉まんまノシつけて返してやるよ!どこからともなくナレーション「ついに伊東とびーの『ブログの主人公争奪戦』にケリがつく!第5681話『“最期の時”はどっちだ!!!!』お楽しみにぃ!」伊東、びー:(クロスカウンタ見事に決まる)ぐぶっ!(ベン、びー子夫妻登場)びー子:あーあ。止めようと思って聖戦士星矢のナレーション風にしゃべったらクロスカウンター決まっちゃった。ベン:それも、気持ちいいくらいに、ね。びー子:今までだったらのんきにツッコんでいればよかったけど、この子の事あるから素直にツッコめないのよね。(言葉と裏腹に笑っている)B太郎:あー。ベン:ああ、争いのない社会を作るというのは何と大変なことなんだろう!びー子:ベンさんったら、大げさなんだから。伊東、びー:それより、俺たち助けてくんない…。♪場面はがらりと変わりまして~。伊東:意外と任務も任せられていて、正直ケータイがなければ記事は作れていなかったよ。びー:その度矢吹丈や宮田一郎(※3)まっつぁおのカウンター食らったらたまったもんじゃねえがな。ベン:まぁ、そんなにカウンターばっかり食らわすわけじゃないと思いますよ。びー子:そうそう。次はギャラクティカ・ファントム(※4)ぐらいだと思うよ。伊東:もっと質悪いわ!俺にバックスクリーンにぶっ飛べとでも?びー:いやぁ、俺はレフトスタンドの方がいいなぁ。伊東:ったく、この対論記事では俺がボコボコにされんのが“当たり前”かよ。B太郎:うー。伊東:こんにゃろ、お前まで俺裏切んのか。こちょこちょこちょこちょ~。(顔にやつく)びー子:さてと。伊東君がキレそうな時はB太郎見せれば場が収まるからいいとして…びー:ひでぇ親。びー子:あら、伊東君信頼しているからそうすんのよ。 じゃなくて、気になっているキーワードがあるのよ。ベン:『当たり前』の一言かい。びー子:さすが相棒ね。その通り。びー:ああさいですか。いいねぇ、仲のいい人は。びー子:いや、ね、本来ならメカレンジャーよろしくもう一人、木下あゆみさん(デカイエロー)タイプの女子キャラ入れて、2組のカップル作って伊東君がっかりさせてやろうと思ったけど、書き分けできないっていうからこのままにしてるらしいの。びー:やっぱ悪いのこいつか(怒)。ベン:いつまでも話進まないよ、こんなんじゃ。もうグダグダになってしまったから、この後の進展はナシね。ついでにそのテーマは先日伊東君がやっちゃったよ。びー:なにー、やっちゃったぁ!?ベン:はいそこまで! 読者の皆様すみません。記事製作に時間かけすぎて、間延びしてしまいました。収集つかなくなったので今回はコントだけで記事終わりますが、また何かありましたら私達5人で物事伝えられれば、と思っています。びー子:じゃあB太郎、おうちに帰ろうね。おじちゃんとはここでお別れ。バイバイね。伊東:人の腹の上で寝てらぁ。B太郎:すー。ベン:いつまでもな、こうやって寝るときは安心して寝てられるって社会が続けばいいな。びー:その点、異議なし。伊東:それをぶっ壊すのは、いつも『暴走した収奪行為』なんだよな。 それだけは俺の生涯かけても止めるぞ。びー、ベン、びー子:ああ。B太郎:あー。4人:(顔を見合わせ)ん?伊東:タイミングいいじゃな(笑)。※1 エヴァンゲリオンに登場するキャラクター。人形兵器のパイロット。ちなみに実際にビーストモードになるのはエヴァンゲリオン2号機です。※2 仮面ライダーダブルの決め台詞。※3 ボクシング漫画を代表するカウンターパンチャー。矢吹は『あしたのジョー』の主人公。宮田は『はじめの一歩』のライバルキャラ。※4 『リングにかけろ』の裏主人公・剣崎順の必殺技。そのパンチ力は対戦相手を野球場のスコアボードに叩きつけるほどの威力。こんなの食らいたかないや。
2012年03月22日
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こんにちは。すっかり 社会人野球の記事がお留守になっていましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。 社会人野球の春一番を告げる大会『東京スポニチ大会』もいつの間にか終わっていまして、JFE東日本が優勝していました。東北からはJR東日本東北が出場していましたが、残念ながら予選リーグ敗退に終わっています。 2005年に茨城ゴールデンゴールズからはじまったチーム創設ラッシュも一段落しはしましたが、それでも毎年いくつかのチームが旗揚げされています。以下にそのチームを紹介。 ・新規結成チーム(マスコミ報道された結成予定含む) 弘前アレッズ(青森) 関東自動車工業(岩手※1) 東京法律専門学校仙台校(宮城) 福島維新男塾(福島) 永和商事ウイング(三重) 履正社ベースボールクラブ(大阪) KC西宮(兵庫) 県警桃太郎(兵庫) 西部ガス(福岡) 九州工科自動車専門学校(熊本) ※1 関東自動車工業は元々静岡で活動していたチーム。今回岩手工場のある岩手県で活動再開。会社そのものが新体制になるので活動開始時期は未定のようです。 興味深いのは企業・官公署が4チーム結成されたこと。ここ10数年企業チームの撤退がクローズアップされていましたが、今までの企業チームとは違った活動スタイル(※2)で取り組みを始めよう、というチームも、ここ数年増えているのも実態です。 ※2 今までの企業チームは「野球する事が仕事」という形も多かったが、熊本ゴールデンラークスの選手が鮮ど市場で実業に立ちながら全国大会進出を果たすなど、企業チームでも「仕事しながら野球も」という取り組みも模索しています。 一方で、活動休止、解散をするチームも。去年以降苦渋の選択を選ばざるを得なかったチームも以下に紹介します。 ・活動休止チーム(今年再開を表明したチームはここに書いていません) 大槌倶楽部(岩手) 石巻日和倶楽部、S・Aクラブ、登米クラブ(宮城) ・解散チーム ブルースヨシフォレスト(青森) 盛工クラブ、太平洋セメント、宮城建設(岩手) 岩手の仲間の大槌や、東北のクラブチームの草分け的存在の石巻日和、北上大会に幾度か出場していた登米、多くの大会に出場していたS・A…先の震災の影響を受けたチームが活動休止を余儀なくされています。一日も早い復帰を、と願うところです。 そして、解散チームには岩手のチームが3つ並びました。2003年に活動を休止していた太平洋セメント、宮城建設両チームが解散に。宮城建設からは元近鉄バファローズの栗田、独立リーグで投げていた小山内大和両投手と職業野球選手を2人出していましたが、とうとう「全久慈」から続いた久慈の野球を支えたチーム(※3)の足跡が途絶えました。 太平洋セメントも、野球どころと言われる大船渡地域の野球を支えてきました。長年「盛鉄」「釜鉄」など県内強豪の前に涙をのみ、これらのチームが活動を休止した後は岩手の屋台骨を支えてきましたが、こちらも歩みを止める事に。 盛工クラブは2006年に盛岡工業高校出身者で結成。登録選手の平均年齢が20歳越えるか越えないかというぐらい若いチームでしたが、試合をした3つ全てに大敗。仕事との兼ね合いにも苦しんだようで、2008年からは休部状態に。この度解散を決めたようです。私が社会人に関わって以来岩手県連盟に所属した36チーム中、ただ一つこの目で見ることができなかったチームとなりました。 青森のブルースヨシフォレストは吉幾三さんの呼びかけで結成。2009年には全国大会で1勝をあげましたが、震災で活動の拠点を失い、選手の結集が難しくなった事が各種媒体で伝えられていました。そこから程なくの解散は残念な話です。 私が応援する赤崎野球クラブはじめ、震災の影響を受けて休部していた岩手の5チームが復帰。先にも書いた関東自工の動向もあり、楽しみな1年になります。日程変更の影響で都市対抗予選が5月スタートになりますが、この時期にベストでグラウンドで会えるように頑張りましょう。無論、私も頑張らせていただきます。
2012年03月21日
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追悼記事も6、7人目。前回に引き続きまして「謝りたいことがあったがそれが果たせなかった人」をテーマに話をしてまいります。 清水昌広さん、清水美香さんの兄妹2人はローソン気仙町店のオーナーと店長。私が一時期高田の集金も請け負っていたときに、途中休憩の場として寄らせていただいたお店でした。 この時は、週5日はローソンで夜勤を勤め、休みの2日間で共産党の任務をする、という日程で一週間を過ごしていました。本当ならベラベラと「私は別の店のローソン店員です」なんて言わないものですが、バカは治らないという奴で、気仙町店の方にも名乗っていました。 住宅街の地域を主な客層にしているせいか店はいつ行っても人が多くいる状態で、更に言えば、コンビニの地域商店化(“コンビニ=若者利用”ではなく、身近な地域の多様な買い物できる場所を保証する…という意味の私の造語)に積極的に取り組んでいた店であり、何ヵ月かに一回は「おっ、新しい取り組みやってますな」と思うものがありました。 いやはや、俺と歳が変わらないか下の人も多いんに、たいした店舗(チーム)だな…と思ったものでした。 で、自分が大船渡を離れた後しばらく経って。 関係者と話する機会があり、その際に気仙地方のローソン店舗の話になりまして。 「え、あの兄妹、伊東さんよりも歳上ですよ」 ! 昌広さんは同年代…美香さんに至っては30代半ばの自分よりかなり若い、と思っていました。 失礼なモノの話し方はした覚えはありませんが、もしも言葉、態度の端にでも失礼があったとしたら…。次、気仙店に行ったときはこの事一言詫びなきゃならないかな、と思いながらも、時々の帰郷時に高田行きにまで気が及ばず、時だけが過ぎていきました。 気仙地域をエリアに発行している東海新報が、胆江日日新聞の協力のもとインターネットで見ることが出きるようになり、それを見ていたある日。掲示板コーナーに2人の行方をたずねる記事が載っていました。 「二人とも…」 それから程なく、昌広さんが見つかり、美香さんも7月になくなられていることが分かりました。 正直、ただの店員と客の間、というだけでこういう記事書くのもいかがかとも思いましたが、やはり正面からむきあってくれた方の存在というのはありがたく思う自分がいまして。 リンとしたたたずまいを見せていた昌広さん、愛嬌あふれる店長さんだった美香さん。自分の“失態”を謝ることも、何よりも二度と会うことができなくなった…事が残念です。 人が集まり、“居場所”を作るひとつの場所を作ってくれた2人に感謝しつつ、復興とともにそういう場を取り戻すために歩み続ける事を誓い、歩き続けます。
2012年03月21日
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最近になって、存在がなくなった事の寂しさを感じた方がいる。 熊谷永一さん。 私が大船渡農高で一緒にいた期間はわずか1年だったけど、色々なポジションで重なる事が多かった人です。 最初は部室がとなり、という縁。 永一さんがソフトテニス部、私は野球部で、最初の会話は、応援歌練習で、私が最初に練習から外された理由(声が大きいがとんでもない音痴で“悪影響”及ぼすため)を教えてもらった事だった記憶があります。 野球部主将の友人でもあったことから近くにいる機会も多く“構われる”機会も多くありました。 次にあった接点は学校農業クラブ(以下“農ク”)。そこの議長職を直接引き継いだわけでして。大農には野球しに行っていた部分もあり、農業学科のある高校の人と技術の交流を図る農クの活動は興味がなかったのですが、社交性を買われ農ク役員に。役員選挙の推薦人には入れ替わる人(基本3年生)がなる、という事で、私の推薦人には永一さんになっていただきました。後に農ク会長を務め、多様な交流を経験した私の農ク活動の起点に力を貸していただきました。 卒業後、永一さんは地元ガソリンスタンドに就職。学校帰りに会うこともありましたが、私自身もガソリンスタンドに就職した事もあり、話の共通点も増えた記憶があります。村上敦史君の項でも触れましたが、転職を何回か繰り返していた私にとっては、同じ職場で長く勤めていた人はみなすげえ、と思う部分ありまして、それは約20年、ガソリンスタンドに勤め続けた永一さんも例外じゃありませんでした。 一昨年でしたか。大船渡に帰郷し、ガソリン入れたときにたまたまその店によっていた永一さんと話をしました。大船渡を離れた事情を話した所、「気をつけろよ」と。そして「どこ行っても頑張れよ」と励ましていただきました。 いつでも行けば会えると思っていた永一さんが、津波の犠牲になったのを知ったのは、震災から早い時期の頃でした。社内の異動で職場が海際の支店になったとはいえ、すぐ近くに高台があったので大丈夫だろうと思っていましたが、最近聞いた話では移動中に被災した、という話を聞きました。 岩手日報特集『忘れない』でも写真を見ましたが、会った時からその穏和な表情は変わりありませんでした。守る家族もあり、人生ここからという時なだけに、ご家族の方の無念は如何ばかりか…。 私にとっても、ここまで書いてきた様ないい先輩をなくした事に、何か大きい穴が空いたような思いをしています。 永一さん、至らぬ後輩でしたがいい付き合いしていただきましてありがとうございました。これからもご家族の皆様はじめ多くの人を見守っていてください。
2012年03月21日
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一週間経過。 IBCラジオが通常体制に。その最初の番組『ワイドステーション』のオープニングテーマが流れた時に“ほっ”とため息がでたが、ゆるくない状況は、まだまだ続いていた。こんな時に精神的に自爆して、体調悪化させて強制休養とらされたバカが北上市に実在していたわけで。申し訳ない思いをしながら日々を過ごしていた。 日曜日。 昼間頃に一本の電話が。ディスプレイを見たら野球仲間の名前が。 ここで感動の…といけば“ドラマチック”のだろうが、実際はそんなのとは無縁の実務的な話。しかし、これで大船渡方面にも電話をかけられる事が分かり、この後何人か、つながった友人と話をすることができた。(この部分は後に書こうと思っている記事と重複するのでここでは割愛します) この間、自身の車のガソリンはとっくに尽きていて、兄の車で家事をこなし、党事務所への移動は徒歩か自転車で。時には兄の会社で使う灯油・軽油を確保するためにガソリンスタンドに並んだり。母の透析も今まで週3回だったのが2回になり、その分体調維持が大変だった。ま、それは自分も同じだったが。 北上はじめ岩手県内陸部でも津浪被害者に対する救援活動を、と行動をし始めた人もいた。『自分達も“災害被害者”だが、同じ岩手県人として放っとけない』と。しかし一方では『自分達も岩手県人だが災害被害者でもある』というのも一つの事実。その狭間に立ち、行動するにも葛藤や躊躇が先立ち、その部分で大変だったのを思い出す。 震災から2週間経った頃、兄からガソリンの整理券をもらい、ようやく自分の車にガソリンを入れることができた。この頃になると、各ガソリンスタンドとも対応策が成されていて、トラブルが起こることは少なくなってきた。大体3時間も並べばガソリンは入れられる状況に。 党活動でもガソリン確保が効を奏し、ようやく活動の基礎になる会議を開催。この間あったことを話し合った。しばらく会っていなかったメンバーから、職場での燃料や食料の確保に腐心した様子が。ここでも思ったことは『人が集まる機会の大事さ』を改めて感じることができた。 何とか、自分の生活は保てるようにはなってきたが、故郷に対する思いは大きくなっていった。時間が空けば、Googleのパーソンファインダーを使い、安否の確認をしていた。中学、高校の同級生から社会人野球の関係者、共産党の仲間…。そこまでで新聞で安否をつかんでいた方以外に、多くの友人・知人の行方をここでつかむ事ができた。それぞれにコメントを置いてきたが、なくなられている方にコメントを置くことは辛かった…。 花粉症に対する対応こそ“例年”どおり難儀したものの、一度大きく崩した体調も戻り、3月後半になるとガソリンなど燃料もまわるようになり、沿岸部への通行規制も解除するなど状況の進展が見られるように。 4月になり、給与などが入るようになった時に長く暖めていた思いを実行に移す時がきた。 一日も早く行きたかった故郷・ 大船渡、高田。一日千秋の思いでこの日を待ちました。 バカ呼ばわりされるのを承知で言わせていただければ 『できる事は多くないが、心だけは救いに行ってくる!』 と。まぁ、この考えがいかに間違っていたか-私独自の理由で-はおいおい書いていく事にして…次回は“北上かわら版”に寄稿した記事を基に4月の大船渡行きの様子を書かせていただきます。
2012年03月21日
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さて、拙稿読者の皆様には度々言ってきてもう飽きた状態と思いますが、私はパソコン持っていません。ネットカフェとか、パソコンオープンスペースとか、念力とか伝書鳩を使って記事を作っていますが(あとの2つどう考えても違う)、ここに自分のケータイが復活し、メールができるようになってから機動的な記事更新ができるようになっています。 それは基本的にケータイ端末からブログ更新、というのが一般的と思いますが、逆に記事製作に必要なデータをケータイに放り込んで、そこから記事を書き加える、というのもあります。うーむ、ヴァンタム(←意味ないわバカ)。都市対抗のリポート製作時も楽になるかな?パソコンも今色々覚える事多く、その度にできる事が多くなっているのは間違いないところで。 新しいの覚えるってのは、本来楽しいものなんですけどね。それが苦しいことにさせられているのは何なんだべな、と考えるようになっています。 今朝のツイートの記事を読んで、新入社員、あるいは新しい仕事場に入った人への研修の仕方に関して考えさせられた。私が一番長く働いた職場は14年働いたコンビニ、その次は2年働いたガソリンスタンドです(“共産党庶務係”は一生の仕事なので除外)が、その両方とも事前の研修はみっちり時間をかけて行っていた(共に3週間程度)。でなければ車のくの字も知らん奴がある程度の知識身につけられるわけでもなし、実際は仕事の中身が多岐にわたるコンビニの仕事も長くはできないわけで。 それが様々な要因で余裕がなくなると「じっくり人を育てる」部分がなくなるわけで。最近よく見かける「一回だけ教える、これで覚えろ」で身に付くわけでもなし。まず頭で、そしていくつかの実践経なければ物事なんて覚えやしない。それを「物覚え悪いな」で片付けると伸びやしない。で、結局は『ついていけない』とやめてしまうことにつながる悪循環。一度知人の職場がそんな状態になって、仕事に必要な人数の4~5倍、3ヶ月の間に入れ代わった様子を見た時に、事情聞いてみたら研修を一日そこらで切り上げて実践投入し、失敗してはその仲間同士で不信感増幅して…を繰り返していたようだ。一度きっちりメンバーの再教育を施したら、崩れた職場が元に戻ったのだから、やっぱり事前の研修は重要なんだな、ここを変なコスト振りかざして軽く見ないことが必要なんだな、と思ったのでした。 ちと回り道しましたが、教えることを軽く見ると、教えられる人の“芽”を摘むし、結果として教える人のためにもならない。楽しいってのを“楽”と読む人もいますが実際新しいこと覚えれば「“実”が“充”たされる」=充実するでしょ?自分はその心忘れずにいようと思いますし、世の中には物事覚える、という行為に対して度量を見せてほしいと考えます。 ホームブログのダイレクト投稿記事第一弾は、こんな所で閉じさせていただきます。
2012年03月20日
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てすと。届けば、以降はケータイからダイレクトに記事を更新します。
2012年03月20日
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様々立場ある私ですが体が一つしかなく、しかも今一番力を傾入しなければならないポジションからも「倒れた方が迷惑だからそこ考えて行動を」という事で、調子整えつつの行動が続きます。 で、ブログ投稿も一休み…というか、特集記事2つですが「2011年の記録」は、その基となる記事(北上かわら版)を引き出せず、「追悼」記事も落ち着かない環境では身を入れて書く状態になれず(その状態で書いたら対象者に失礼)、他の「追っかけ」記事も以下同文…で、少なくともここ一週間は、じっくりモノ考えて書くタイプの記事は書けそうにないです。 北上、大船渡と4月後半までどぎつい日程が続きます。何とか、無事生きて、目標達して、次のステージに行ければ、と考えています。 今日の投稿はこんな所で失礼します。
2012年03月19日
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しばらく無茶していたら『体の循環』がうまくいかず、顔がむくれて仕方がない、という状況に陥りまして。さらに性質悪い事に低血圧か低体温のせいか、起きて2時間は動く事ができず、土曜日は一日ダウンしていました。ああ情けね。日曜日の方が『欠けたら困る』状態なので、こんでよしとしますか。 しかし17日の赤旗見てたまげましたねぇ。イスラム圏から来た留学生の情報を大学に出させていた、というニュース聞きましてね。感想?『んじゃそりゃ!』ですよ。 ここでも『国家守るためにはそういうことも仕方ない』というのが幅を効かせていますが、そんなに誰も彼もを『不審者予備軍』に見なければ平和ってのを保てませんか、ね。もっと言や『その思考回路疲れねぇか』。何か、一つの路線に入れない人に厳しい時代になりつつあるなぁ。 近隣2話『社会保障』『死刑制度』を題材に拙見をのべてきました。正直『アタリマエ』をゴリゴリに押してくる、という構図に耐えられない私にとっては…『当たり前』という言葉の“魔力”という奴で、実際物事道理鑑みての『当たり前』なら、あんまりおかしい方には行かないものですが、無思慮にこの言葉を使うとただの暴力にもつながるんですね。どうにもならない事をどうにかしろ言われても、困る事しかできないわけです。もっといや、そういう行為の一つ一つが『過剰な窮屈さ』を生むのかな、と考え、ここ数日の記事を書いてきました。 この記事を書いている最中に『自由にモノを考えたり、言えたりする社会の“煩わしさ”』に関して触れた記事を見かけました。そういやタジキスタンでしたか。『反対派にさえ立たなければ豊かに生きていける』というやり方ありましたね。ああ、なるほどな、疲弊しきっている人が『強牽主義者』にひかれるか。熟読はできなかった(していたらタイムオーバーで“無銭飲食”)のですが、様々考えさせられます。ホンに。 ニヒリスト的にもの考える人は『一旦ぶっ壊れてしまわなきゃわかんない』から、行き着く所まで行き着けば、なんて声もあるのでしょうが、そんな事させたらどんだけの犠牲出るか。少なくとも政治に関わる人間は使ってはわんない言葉。言論や思考の自由を煩わしいと思う勢力のペースにはまらないで歩みを続けねばな、と思った今日この頃でした。
2012年03月18日
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実務わたわたで、問題提起などの記事がサッパと書けないでいました。書けるのがあと2時間という事になりましたので、要点ばかりまとめて書かせていただきます。 私が北上市の政治見ていて、一番に疑問に思うことは『行きすぎた開発行政優先』。後に事例を書きますが、この事が市民に必要な政治を妨げている構図が、100億円かけての市役所移転を推進しようとしていた10ウン年前もいまも変わらないな、と思っています。 代表例あげれば企業誘致とその土地の造成に関して。北上は鉄道網的にも交通網的にも色んな地方とのつながりがあり、企業立地に向いたところとも言えますが、工業団地の土地造成を過剰に行い、そのツケが市民に回ってしまう事態が起きています。工業団地の土地が売れず、開発公社が立ち行かなくなり、利息含めて約120億円の負担を北上市が…正確には北上市民が被ることになってしまいました。 にもかかわらず、北上市は別の地域(和賀町後藤野)に6億円で土地を買い、造成費含めて約30億円の費用をかけて新たな団地を造成しようとしています。 その負担はどこに来るか言えば、市民に来るわけです。固定資産税の値上げ、市民使用施設の有償化・値上げにつながっているわけです。増税もさることながら、これだけ『人のつながり』が必要と言われる社会でその機会を失わす様なことしていいんだか、という思いをしています。雇用を作るための企業を置く場所作る、というのなら現在使われていない所を使うという事からやるべき。所得が減る中負担増が続いている状況で、自治体がそれを助長する行動をとるべきではないと考えます。もっと大きい所からの言い方すれば『真に市民の力を活かした街づくり』に踏み出すべきではないか、と考えますがいかがでしょうか。 じゃ、自分のいる日本共産党は文句いうばんか、といえば、それは違うと言わせていただきます。大きい所では先に書いた“開発優先型行政”の阻止をはかる一方で、仕事を産み出す効果を果たす『住宅リフォーム助成制度』の制定や、所得が多くはない小学生の親世代も応援する『小学3年生までの医療費補助』制度の実現など、身近な生活を応援する制度を自治体に作らせる先頭に立ってきました。 岩手県内はじめ、全国の仲間と通じ、国政でも地方政治でも『住民の生活が主人公』の実現にむけてたたかい、ともに歩める日本共産党。今回の北上での政治戦では鈴木健二郎、安徳すみ子両氏を先頭にたたかいます。 学校の先生を経験し、市議に転じて20年。自治体合併後、先に書いた『開発優先行政』とたたかい続けてきた健二郎さん。 家族の転勤で北上に住み、市議(候補)として活動をはじめて9年。母親的な存在感で頼りにされてきた安徳さん。 何とかこの2人を先頭に『住民の生活が主人公の政治』を実現させるための力をつけるために頑張りますし、多くの皆様にこのたたかいの輪に加わっていただきたいと思います。 この一文が参考になることを願いまして、この記事を閉じせていただきます。 参考資料 共産党岩手県委員会・北上市のページ目次。
2012年03月17日
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先日のある事件の裁判を経て、確信に変わったことが一つある。 今の日本に、死刑制度はとる資格はない、と。 とーとつに何言い出すかと思えばこれかよ、とあきれる方も多いとは思いますが、話は最後まで聞いてください。 山口の母子殺害事件の裁判報道時に、マスコミは一つの“境界線”踏み越えたのを覚えていますね。ええ、実名報道です。 では、その実名報道に踏み切った理由をどう書いたか。 『刑を受ける人間の人物像に対しての興味』 『更生の可能性がなくなった』 と。 ああ、そうか。 片方では野次馬根性につけこんで興味本意に取り上げ、もう片方では“終わった人”としてゴミ屑のように扱い、両方ともに言えるのは『加害者に都合悪いの押し付けて始末する』構図。 もっと言えば『人間粗末に扱う』図式に吐き気催した事が、最初に書いた“確信”に結び付いたわけで。 確かに、母子を殺した事に関して『その行為を肯定』する要素は1%もない。人生こっからだ、という時にそれを絶たれたことには『なんて事を』という怒りをも覚える。 だが、加害者のそれまでの人生で、そういう行動を起こす要素を作った原因を見もしない、言葉キツく言ってしまえば『彼の周辺にあった“社会”が無視し、放っといた』。この部分も見ないで、ただただぶっ叩く様子を見ていると『こんなんでは新たな犯罪の芽は潰せない。むしろ憎悪をかき立てて“芽”を醸成させてしまっている』としか認識できない。 被害者のご遺族の方が『事件が起きた時点で誰もが救われない』と語っていた。私も僭越ながら記事の中で『犯罪に対して怒り覚えるなら、起こさせない行動に力を入れていただきたい』と書いた。加害者の行為は重大だが、それだけ責めたって新たな犯罪は防げない。自分が何をできるか、それを無視して叩きに走り、ひどい者になると家族や弁護士に対してすら『死ね』という。こういう構図にはもううんざりだ。 今日もとりとめのない話だったけど、世の中は『きれいなもの』ばかりでない事、しかしその克服は『きれいではないもの』と向き合った上でなされるべきもので、それさえ除けば自分は助かる的な考えで糞味噌に言い、結果憎悪を撒き散らす事はやめていただきたい。 この考えを基に『死刑にしさえすれば全て片つく』という思考が嫌で、一般的に言われる死刑制度反対とは違う理由ですが、はっきりと死刑制度には反対だ、と語らせていただきまして、今回の一文を閉じさせていただきます。
2012年03月17日
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京都府を・宇治市で『異性との交際禁止』『妊娠禁止』『(外国籍で)言葉の不自由を理由にした就職忌避禁止』を誓約書に書かせた輩がいたそうだ。これに関してもっと怖いのは、社会保障受給者に対して厳しい視線を送り、この行動に賛同する人がかなりいる、という現実だ。 生活保護をはじめ、社会保障の受給は公の支出からなされる。これは誰もが否定しようのない現実ですね。そして、いま喧伝されているのが『財政赤字』。赤字がいい事ではない、『ツケを未来に残すな』という言い方も多くの支持を集めている。 この2つに、そういう受給を受けざるを得ない人たちに対する“蔑視”が重なって『働きもしないで俺たちの金使って楽しやがって。こういうのがいるから赤字増えるんだ』と、螺旋状に大きく非難がされるようになってきた。 ま、仕事もって収入入ってそれで暮らせればいいのでしょうが、様々な事情でそれが果たせない人もいるわけで。そういう人に対して、時に起きてしまう、パーセンテージにすればわずか0.00なんぼの割合の事件引っ張ってきて『社会保障受給者はみんなクズだ』と大声でわめく奴こそ、俺はクズだと考える。 病気もっていたり、障害持っていたりして、普通の労働者みたいに一日何時間か働いて、それを一週間5日か6日仕事できないって人も現実にいる。じゃあ、その人のできる範囲内で仕事させられるって職場、いくつありますか?あったとしても他のフルタイム労働者と反目させないような配慮できますか?そういう状態での仕事量では収入もそれなりにしかならない、という事を考えたときはありますか? 高飛車な人ならここに至っても『そういう状態になったのが悪い、自己責任だ、いまの社会に対応できるようにしろ』というのでしょうが、昔はあった、何カン言いながら幅広い人を社会にいれておく度量なくしている(『なくさせている』含む)でしょう。 本来は“最終手段”なのでしょうが、そういうので対応する術がない、というのなら、もっと大きい所-国・自治体-がそれをカバーできる体制で、そういう“こぼれ落ちた人たち”をすくいとる、という事が“これ以上の最悪”を防ぐのではないかと思いますがいかがでしょうか。 何にしても…俺が嫌いな物事って『弱きをくじき 強きに媚びへつらう』行為なんですね。今回の生保誓約書問題なんてその最たるものじゃないですか。私はブログで、あるいは自分の関わる媒体で、今までも『“反撃できない人”に対するバッシング』には徹底的に歯向かわせていただきました。この態度はおそらく、最期を迎えるときまでとらせていただきます。何の彼のの話はその後でしょう。 これ以上は同じことの繰り返しになるので、ここで拙文書くのを終わらせていただきます。
2012年03月15日
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シリアのアサド政権による反体制派に対する弾圧が苛烈さを増している。先日はホムスという地域で45人の虐殺遺体が見つかった事がニュースになっていて、政権側は『テロリストの仕業』、反体制活動家は『現政権の民兵組織による』と語っているが、真相解明はこれからなされるとして、一つだけはっきりとした事実は『ホムスに住む45人が非業の死にあった』事。これがどれだけ酷く、辛く、悲しいことか。“45人”という人数でくくらず、それぞれに生きざまがあり、人生があった、という視線で見たら、この殺害を行った勢力に対し激しい怒りを覚える。真相解明を望む。 それにしても、アサド氏の姿を時々テレビで見かけるが、正直寒気を覚えた。目が“冷たい”。日本にもしばらく前の首相にそんな目をした人がいたが、冷たさというか…別な言い方すれば『考えることをやめた人』の目だ。自分は安全地帯にいて、他人を残虐な目に合わせても平気でいられる人の目。 反体制派の拠点陥落、というニュース聞いた時に『これは絶対やばい』と感じた。ただでさえ力関係がある状態なのに、それの拠点が崩されたとなれば、後は余程の手を打たなければ、若い人の使う言葉で言う“ブッコロ”“フルボッコ”状態になってしまう。そして、その不安が現実のものになってしまった。少なくとも『兵力引き離し』はしなければ、この手の惨殺は止まらない。繰り返しになるが真相解明と併せた2つは早く実行に移していただきたい。 翻って日本の今を見てみたら他人事ではいられない。今朝もラジオで議員定数削減が大分言われていたが、この議員定数削減も、その多くは民意を拾いやすい比例区を対象に行う気でいるようだ。こんなんでは“少数の意見を抹殺する”という意味ではアサド政権とやることが変わらない。 何でこう言うかって?少なくとも、ルール決める場において、その反映をさせない、というのは『存在を認めない』って事に変わりないわけでしょ。もちろん、議会に出られなくても、問題点が現実にある限りはその可視化及び解決に全力あげるが、現実に議会に勢力を持たないとどんな目に合うか。 拙稿では度々紹介してきた愛知県議会。誓願出しても『私たちの考えと違う』で一発で弾かれ、反映された誓願の数は約18分の1に。つまり、議会の中では“そんな問題何ざねえよ”状態にされてしまう。 そういう程度の問題認識で決められる“ルール”は、議論にひとつの実態が反映されない分だけ、その立場に置かれた側にとってはより辛い状況に追いやられる。 “比例区でしか反映されない意見なんか捨ててしまえ”的な意見も少なくないのが現状だが、そういう思考回路がどんな悲劇を産むか。 “コーゾーカイカク”で会社の利益が上がっても、それを社会に還元させる事を知らない結果、労働者、生活者の生活レベルが下がったり、多数派をとったからと“今まで『虐げてきた』勢力”に対しての復讐をしたりするわけで。そういう意味で『反対意見』も活かすことも重要なわけ。 ワタワタしている中で、とりあえず思ったこと書かせていただきました。 ちなみに昨日とれた差し歯は何とかくっつけましたが、上の歯の虫歯レベルは良くてC3、C4が多いので、対処急がねばな、というのを強く思わされた事ばかり報告して文を閉じさせていただきます。
2012年03月14日
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こんばんは、伊東です。 “3・11”は大船渡にいました。様々なところによった後、14時46分は今出山頂上から黙祷。その後麓に降りて大船渡屋台村&夢商店街に回りました。その辺りのお話はある程度の時間とれたら行います。 参った事が一つ。 差し歯がとれてしまいまして。 歯のバランス狂ってしまってまともに飯食えません。やはり13年も経つとへたるか…。10年ぐらい前にもとれたことはありますが、そん時とはわけ違いますね。つれーよー。 岩手日報連載の『忘れない』。今日13日付けの特集では『なぜ犠牲になってしまったか』が記載されています。『災害の向き合い方の順番』考えさせられます。 という事で、端的な記事でしたが、今日もお読みいただきありがとうございました。
2012年03月13日
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あの日に似た天候が続き、色々思うことが多かったここ数日。そして、再び3月11日がやって来ました。 何回か大船渡・高田に行き、復活への道を刻んでいく様子を目の当たりにしてきました。その一方で自分の心身の調子もあり、想いの何分の一も実行動に至らなかった事に、申し訳なさと自分へのイラ立ちを感じた数ヶ月でも。 ある程度の“復活”もなっている部分はありますが、実態見てみれば、今までなんとか維持してきたコミュニティーがぶっ壊される危険性も内包しているわけでして。その地域に生きていこうって人みんなが復活目指して歩いていける体制づくりを、復興計画の基本に据えるべきではないでしょうか。一部の人だけが立ち上がれる、という状態では、やがて全体が息切れするのが目に見えます。こんな所にまで“選別”持ち込んでいる場合じゃないでしょ。(復興計画はともかくとして、一般的な施策が…) 自然災害には2つの被害があるといいます。一つは、自然の“脅威”そのものによる被害。もう一つはその後襲ってくる貧困という脅威です。 今回の東日本大震災では、すでに2万人近くの人が津波で命を落としたり、行方がわからない状態になっています。せっかく生き延びた人に対して、これ以上の被害を出さないためには、いい加減政治が「“もうけ”のためには血眼をあげ」「“もうけ”に関係ない所は放っておく」てな方向から抜け出すことが必要ではないでしょうか。 “ショック・ドクトリン”とやらをぶちかまして、好き勝手かまし、自分達だけいい思いしよう、という連中が多くいます。そいつらの思い通りにはさせない。誰も置いてけぼりにさせない。不条理な事態を引き起こさせない。 災害が引き起こす“貧困”を絶対許さない。 津波でなくなった、震災以降なくなった多くの知人に報いる“敵討ち”。一生をかけてでも果たしていきます。
2012年03月11日
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こんにちは、伊東です。 最近はこういう書き出しをしなくなって久しくなっていますが、まぁそれは…コンゴの検討課題にしまして…間違えた、今後の検討課題にしまして。 びー:久し振りに登場!対論記事専用キャラクター、びーいとう参上! やい伊東、コンゴ民主共和国にとって、お前のボケなんかどーでもいいんだよ! 伊東:あのな、その時点ですでに別の国だわ。はい、久し振りに登場して気分よかっただろ。次は五代進が宇宙戦艦ヤマトの船長になったら登場させてやるからな。 びー:ざけんなアホウ!それじゃ2220年でこのブログの読者みんないなくなっているわ!大体2020年まで持たないだろお前は!あ、ちょっと待って、久し振りの出番なのに…わー(強制退場) 伊東:(手をはたきながら)ったく、10か月ぶりに出してやったんに、全然性格変わってねぇな。 ベンジャミン・コルドマン(以下ベン):それはあなたもですよ、伊東君。 伊藤びー子(以下びー子):おっすー、おひさー。しばらく私たちの出番なかったね。ま、この間私たち出せったって無理なのは分かっていたけど忘れられるかと思って冷や冷やしたよう。 ???:あー。 伊東:で、腕の中にいる人形みたいなのは何ですか? びー子:あ、できたの。 伊東:できたのって…まさか? ベン:ええ、出来てしまったんですよ。子供が。 赤ちゃん:うー。 伊東:≠<>≦≧∞∴♂♀&#%£¢$!?(←混乱のあまり言葉がマトモに出ない) -♪しばらく時間が経ちまして(;^_^A)- 伊東:ふんふん、しばらく出番がなくて、2人でいじけあっていたら、そのまま意気投合してしまって、気がついてみれば赤ちゃんができてしまった、と。 ベン:そう、決して現実の伊東君が中々結婚できずに、まわりの人に赤ちゃんができて、その赤ちゃんがめんこくてめんこくて、10歳以下の子供にもかわいがられて(←相撲用語的に)モノの弾みで『そうだ、記事のアクセント的に赤ちゃんキャラがいればいーぞ』などという展開で作ったキャラではないんですよ(冷や汗)。 びー子:それってさりげなく裏事情語っていません?ま、確かに記事ではベンさんとのからみが多かったからね。赤ちゃん(キャラ)出すにはこうするしかないと。 伊東:(赤ちゃんに向かって)ほーらいにゃいいにゃいばぁ。 赤ちゃん:(手足バタバタさせている) びー:(いつの間にか復帰)話聞いてねぇし。で、どうだ、新しい環境(キャラ設定)は。 びー子:そうねぇ、どうせこの記事での役割は変わらないし。ベンさんとの掛け合いだって変わんないよね。 ベン:そうだね。これ以降でもクールに対応していくだけさ。 伊東:(赤ちゃんあやしながら)ほれほれほれほれクールクールぱぁー。 赤ちゃん:きゃー。 びー:クルクルパーはお前だっつうに。で、名前は何にしたんだ? びー子:幸せを産み出すように、という意味で“バース”という言葉入れるの。 びー:なんか、昔ヒューストン・アストロズにいたスイッチヒッターの外野手(ケビン・バース)の名前みたいだな。 ベン:普通そこは阪神タイガースの英雄(ランディ・バース)じゃないの。 びー子:まだ続きあるの。その“Barth”の頭文字とって『B太郎』にしたの。 びー:(ド派手にずっこける) B太郎:いー。 ベン:僕は止めたんだけど『日本風にすればこれでいいでしょ』って…。 びー:しかし…今はローマ字での名前登録ってダメじゃなかったっけ? ベン:だから正確には『伊藤・味太郎(びたろう)・ベンジャミン』で本名。 びー:漢字だけ見ると何かのグルメ漫画に出てきそうな名前だな。 ベン:一応『味方』の漢字からとっているんですけどね。 伊東:(B太郎に小指握らせながら)これからの日本背負うのお前さんたちだからなー。大きく育てよー。ただし、体格は適度にな。 びー:何言ってんだか。そんな話して多くの親を失笑させてんの誰よ。 びー子:まあいいじゃないの。笑われるというのも立派な才能よ。 ベン:それはほめてんですか、けなしてんですか。 びー子:そりゃ誉めてるに決まってるでしょ。 B太郎:むー。 (“ポキッ”という音) 伊東:あ″ー! びー:ほう、これが本当の『赤子の腕を捻る』か。実物はじめて見たわ。 ベン:あれは『赤子が腕を捻る』ですよ!しかし伊東君も伊東君ですよ。赤ちゃんに指捻られたなんて…。 びー子:あら、赤ちゃんと言えど指先捻る力は侮れないって話聞いたことない? ベン:脳噛ネワロの最終巻に載っていた話ね。 びー:ま、そろそろ議題次に持っていけ、という合図?だろうからそうしてみましょう。 伊東:さ、て。新キャラも入ってますます賑やかになるこのブログですが、ここしばらくの記事制作のご案内をさせていただきます。 まずは“3・11”関連から。この関連では2種類の特集記事を用意させていただきます。 一つは『2011年の記録』。ブログ制作環境の悪化で、記事制作本数が100を割った去年でしたが“3・11”をはじめ、いろんな事があった2011年を記録する、という趣旨で書かせていただきます。 もう一つは『追悼』記事。去年は大震災で多くの知人をなくしてしまいました。今までも知人なくしたときは追悼の記事を書いてきましたが、何分50人を越えたもので、対応ができないままでいました。 そこで付き合いの深かった方をはじめとして10数人の方の追悼の一文を書いていこうと考えています。すでに一人は去年の内に書いている(高校野球部後輩の上舘洋文君)ので、その記事を1番目として再録し、引き続いて記事を書いていこうと考えています。 ベン:例年書いている「社会人野球ランキング」「地域サッカー結果紹介」、2010年都市対抗東北大会以降満足に記事の書けていない社会人野球そのものに関しても追いかけて記載していく事にします。今年から活動を再開する予定の赤崎野球クラブはじめとして岩手の社会人野球を記録する一つの媒体として頑張らせていただきます。 びー子:日本共産党員の伊東君が目を向けるものの一つとして「自分の利益のために他人を食い物にする行動」に対しての厳しい視線があります。最近は何でも“平均的に”ものを見る事がいい事と思われていますが、貧困の怖さを知る伊東君はあえてその立場からは外れて、かつ多くの人に「資本主義が持つ“過剰な貪欲”からの脱却」を促す記事を作ってまいります。 びー:だけど、こいつは緊張感にずっとは耐えられず、それを道化師的な行動で解消しようという困ったクセも持っているんだよな。時々俺たち『対論記事4人組』… B太郎:う″ー。 びー:あ、ごめん。今日からは『対論記事5人組』か。このメンバーでボケあり、ツッコミあり、笑いありでお送りするぜ。 伊東:特集記事は今晩、大船渡にできたネットカフェから発信します。 『記録』3編、『追悼』再録含め5編をお送りする予定です。 これからも『生きる』事に対しては真摯に向き合っていきます。 言葉をしゃべれる4人:それが、俺の生きている意味だから。 歩いていきましょう。 これからも。
2012年03月11日
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生きることをあきらめない。 今、この世に生かされている限りは。 それが一年前に生きることを絶たれた人に報いる道だからだ。 改めて、黙祷。 更新日時 2012年3月11日 14時46分。
2012年03月11日
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※この記事は去年4月16日に書いた記事の再録です。 今日はヒロ…上舘洋文君の火葬に立ち会ってきました。 上舘君は大船渡農業高校の後輩にあたります。 私が高校を卒業したのと入れ替わりに入学。最初は個性の強い他のメンバーの影に隠れていましたが、やがて安定した実力とリーダーシップを買われ、主将に就任。 この学年の部員は、野球部未経験者も多く、この後入ってきた資質ある後輩と、監督交代によるチーム方針の変更から方向性間違えればチームが分解する危険性もありましたが、彼のリードにより新方針の『実力主義の徹底』と『チームに在籍するメンバーの居場所作り』を両立。この後2年間の『大農野球部最強期』の礎を作りました。 プレイヤーとしても最初は小柄な体躯でしたが、体強くしようとパワーアンクル(わかりやすく言えば“重り”)を常備し、3年次にはホームランを放つまでに体力を強化。主にサード、ショートを守っていましたが、どのポジションにいても自分の役割を果たした選手でした。 高校卒業した後は北上に引越ししていた私ですが、時折大農の練習の手伝いに来ていまして…何とか大農野球部強くするべ、と熱く取り組む様子を目の当たりにし、自身が引退しても後を受け継いだキャプテンのフォローをしていました。 高校野球の最後の試合を終えて数日。 放課後の教室で色々な事を語り合ったのを思い出しますね。 あの時何を話していたのか、中身は忘れましたが、本気の話をしていたのだけは覚えています。 そういう人間関係を作るまでにいたった上舘君が社会に出て…常時会う、というわけにも行きませんでしたが、時折見る姿は高校時代に見た『居場所を作る』姿そのままでした。やがて、職場でも活躍の場ができ、結婚もし、子供も生まれ。これからだ、というのに、わずか32年で…。 悔しくてなりません。 今日、多くの人が洋文君を見送りに来ました。 その様子が、そのまま洋文君の足跡だった、と思います。 この場に来た人も、来られなかった方も どんなに別れがつらかったか。計り知れません。 それでも、一つだけ言わせてください。 洋文君。 あなたと出会えてよかった、と。 『人の居場所を作る』という行為を実行してきたその思い 見習って、引き継いで生きていきます。 だから、あとはゆっくり休んでください。
2012年03月11日
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「あーひでえな、これは。」 今から14年前。全国的に学校校舎の老朽化が問題に。冒頭の言葉は当時市議予定候補として活動を始めたばかりの及川一郎さんと私で市内の小中学校を見て回っていた時に、2人揃って飛び出したもの。校舎の古さを通り越して、一部は壊れ、その欠片が落ちていて危ない状態に。 「これは危ない、何とかしねぇば」 思えば「住む人に身近な存在」の共産党員として意を新たにした一場面だったのかもしれません。 当時は躍進の波に乗っていた共産党。陸前高田市議選でも3期維持していた2議席から1人増やす目標を立てていた。共産党への期待もあったけど、個人への期待もなければ当選には届かない。一郎さんは740票を得て9位で当選を果たし、議案提案権を持つ3議席目を獲得。 元々そうとも言えるけど、私の身近な議員さんは、議員になったからと威張るような人はいない。一郎さんはその最たる人で、議員になってからも「一郎さん」「一郎さん」と親しまれている様子を何度となく目にした。それは即席には身につかないものー長年、地元の酒造会社に勤め、地域の中で活動している積み重ねが気軽に「一郎さん」と呼ばせるものがあったと思います。 高田保育所の増築から始まり学校校舎、施設の改善、高齢者、子供の施策改善…と奮闘し、住民のための施策を、という部分で一致の幅が広がって、中里長門さんを市長に押し上げる流れの一端を担いましたが、2回目の選挙は苦しみました。当選はしたものの629票、18位に。“身内”しかいないときに顔に「俺のどこ悪かったべな」と苦悶の表情浮かべていたのを思い出します。 それでも当選したあとは新たに共産党陸前高田市議団長の役割を担い「市民に優しいまちづくり」実現に向けて頑張り、任期中には老朽化していた校舎の改築の目処もつけました。そして3回目の選挙戦。直前に中里さんの市長再選を果たし、一郎さん自身も1058票、2位(陸前高田市史上3位)の得票で3選しました。 私と一郎さんのつきあいは、97年に私が大船渡に帰ってきた時から始まっています。当時は一郎さんが酒造会社に勤めながら赤旗出張所長など党の任務も担ってまして、98年から3年間地区党勤務員をしていた私と会うことも多く、その後も一郎さんが気仙地区副委員長、私も准地区委員になり、様々な場で一緒に行動する場面は多かったです。 何かと構っていただき、実の父親が行方不明(2010年逝去)の私にとっては父親というのを感じさせてくれた方でありました。 2010年秋の事でした。田中英二さんが立候補した大船渡市議補欠選挙の応援に行った私は、一郎さんと明神前地区をチラシ配布に回りました。この明神前地区は私の生まれ故郷。ここを2人でテクテクと…いけばよかったのでしょうが、私は心臓、一郎さんも足の状態が良くなく、2人で約3時間かけてテコテコと歩いてきました。 途中、休憩した時にこの間あった事を様々話もしまして。気がついてみりゃ一郎さんも60歳を越え、長年一労働者として、共産党員として頑張り続けた“跡”が見えてとれました。 それでも、一方ではまだ60何歳。この後の人生をじっくり歩んでいこうという話もされていました。ただ「俺やせたから背広やるよ」という話になったとき「でも今の勉君じゃまだ入らないな。もう少しやせてからな」という話になったのばかりは参りましたが。 この選挙では田中さんの無投票当選が決まり、お疲れさん会では司会を務めた一郎さんから最後に指名を受けて発言しました。会は進む中、私は田中さんを送りに事務所を辞しました。これが最後になってしまうとは…。 11年5月。一郎さんと“再会”しました。あの日、地元高田町で避難誘導にあたっていた、との事です。一郎さんに手を会わせたあと、ご夫人とご子息とお話をしてきました。 職場で、組合で、共産党員として、そして家族の中で。 年下の私がいうのも難ですが、人懐こく、かつ人から頼りにされてきた一郎さんがいなくなった事が、いまでも残念でなりません。 “人にやさしい街づくり”をすすめた柱の一人、最期の時まで見せた献身性…。それはなにも小難しいことではなく、人が好きで、そのために一生懸命頑張った一つの姿。そうして歩き続けた“父親(の面影を持つ)”一郎さんを見てきた自分は、その道を追い続ける事が報いる事だと思います。 一郎さんにはまだまだ見てもらいたかった事がありましたが…いずれ“そちら”に行ったときの土産話はたくさんもっていきます。 それまでは忙しく駆け回った60年の人生の分、ゆっくりと休んでください。 ps 震災直後から陸前高田市の象徴として高田第一中学校が映し出されることが多くありました。これを見る度に思います。一郎さんをはじめとした地域の方が、生徒にいい環境で勉強してもらいたい。そういう思いが機械的ではない、地域の素材も使った校舎となって結実し、震災直後の避難して来た人を守ってきました。 ずっと、見守っていたい校舎です。
2012年03月11日
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私の高校時代のクラスメートの中で、一番目立たないのは彼だった。しかし、自分が選んだ道を地道に、かつしっかり歩き続けたのも彼だった。 性格はどちらか言えば内気。昼休みの“使いっぱ”には、いつも彼と俺の姿があった。時々トラブルに巻き込まれ、騒ぎになった事もある。 ただ、彼は“自分が選んだ道”の中で折れる事はなかった。弓道部も3年間完遂し、農業学科の専門分会でも自分のペースで3年間やりきった。そして高校も3年間やりきったー端から見ていて不安視したことも正直ありましたーその事が、高校卒業後に彼が見せた“強さ”に結びついたのだ、と思う。 高校卒業して数年。私は新聞の集金の担当が高田にまで広がり、その内の一件によった時に久しぶりに彼の姿を見ることができた。彼は塗装工になり、立派に一端の役割をになって頑張って仕事をしていた。その様子は、その後何年間かずっと見ることとなったもの。転職を何回か経験している私にしてみれば、自分の持ち場しっかりと任され、その任を果たしている様子がまぶしく見えたものだった。 あの日から1ヶ月。ようやく大船渡、高田に向かうことができた私は、多くの知人の行方を追っていた。その大多数は無事が確認できたが、それぞれの市役所には『行方不明者名簿』が貼られていて、その中に…彼の名前を見つけてしまった。 聞けば、ご家族の方ともども行方不明状態に。別な所からは「橋梁の塗装仕事をしていた」と、その時の様子が聞こえてきた。 「なんてこった…。」 彼の行方不明の話を聞いた後、すぐに別の同級生の行方不明を聞き、階段に座り込んでしまった。そこからしばらく行方不明の状態が続いていましたが、8月に死亡が確認されました。 彼の名は村上敦史。 私のいた大船渡農業高校93年3年B組で、最初の物故者になってしまいました。 敦史君の死亡が確認されてから4ヶ月。同じクラスの友人が第二子を授かることとなりました。その話を聞いた帰り、普段はクールな友人がこんな言葉を言いました。 「俺たちは、敦史の分まで生きるぞ」と。 最初にも書いたような「目立たない」存在であり、高校卒業後、同級生が集まる機会に中々姿を見せることはありませんでしたが、それでも確かな足跡は残してくれました。 「地道に歩み続けることの大事さ」 を教えてくれた敦史君、ありがとう。そして、俺たちを見守ってくれな。
2012年03月11日
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直前の試合で所属チームが大敗をきっした直後、元所属チームが試合に臨もうとしていた時、対戦相手に1人、すぐ新人とわかる選手を見つけた。ユニフォームが間に合わなかったのか、背番号が白い布地に「37」と書かれて背中に貼られていた。その選手が、スタメンで出場し、詳しい成績は忘れたが、その試合は10ー0で元所属チームが大敗を…言い換えれば“対戦相手”が勝った。 選手名簿をひいてみたら高田クラブのその選手の名前は「金野潤也」と。以降、その選手の存在を気にかける事が多くなった。 潤也君とはじめて直接話をしたのは、予想外の場所だった。詳しい中身を忘れたが、中里長門市長を生んだ母体の「市民の声」の集会だっただろうか。そこの会場に彼の姿もあった。何々党とくくらず、幅広い人が参加する「市民の声」ではありましたが、それにしても…。それまでは「やんちゃな存在感」で彼を見ていた部分はありましたが、その時の話かたりを聞いて「しっかり物事見て、行動してるな」と一目置きはじめた瞬間でした。(その後に「あんた共産党なんだから、より頑張んなきゃダメなんだよ!」と肩たたかれましたが) その後は高田クラブのムードメーカー、そして年を経る毎にその役割は若手のまとめ役となり、新人が多く入ってくるようになってからは更に役割が重くなっている様子を見てきた。 その様子を言葉で語るとすれば「チームを護る」。これにつきた。必要なときは一言でチームを締める彼の姿勢も効き、2010年には、それまで2度跳ね返されてきたクラブ選手権全国大会に出場。この大会優勝した所沢グリーンベースボールクラブに惜敗したものの、善戦を見せた。 その年の10月末。岩手アマ王座決定戦の3位決定戦をたたかう高田クラブを見に花巻球場に足を運んだ。全国大会を見に行きたかったが、祖母と父をほぼ同時になくしたショックでそれがかなわず、その代わりといって何だがこの試合を見に行ったわけだ。 試合は盛岡大学に勝ち、大幅に躍進を見せた高田クラブの一年は終わった。すぐ後にサッカーの“取材”もあったのでそそくさと知り合いのメンバーと話をして…最後に潤也君と話をしていました。 伊東「試合中、腕ぶつけたけど大丈夫だった?」潤也「ああ、大丈夫ですよ、このぐらい」伊東「ほんでまた来年だな。球場であおうぜ」潤也「ベンさんもやせててくださいよ」 …3月半ば過ぎだったろうか。新聞に片仮名表記で「コンノジュンヤ」という表記が載っていた。別人だろ、とは口に出して言っていたが、内心は覚悟を決めていた。Googleのパーソンファインダーでそれが事実と分かったのは間もなくの事。同年代では一番最初になくなった事が分かった人となってしまった。 結果、最後の試合になってしまった盛岡大学戦。彼は試合中盤に打球を二の腕で止めていた。この日登板していたのは期待のルーキー投手。この大一番での勝利が彼を伸ばす…という思いが必死のディフェンスにつながったのだと。 パーソンファインダーには、あの日も避難誘導に動いていた姿が書かれていました。その時まで誰かを守ろうとしていたんだな。 潤也君。あなたの事は忘れない。 そっちから高田の復興と、高田クラブの復活と、ほんの少しでいいから、君の社会人野球の最初と“最後”見届けた俺の事も見守ってけでな。
2012年03月11日
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私も36年という人生歩いてきて「ああしときゃよかった」と思うことは山ほどあります。それが取り返しのつくことだったらいいのですが、そうならないことも多々。ここから紹介する3人に共通するテーマは「謝りたいことがあったがそれが果たせなかった」です。 古澤輝子さん。 大船渡農高の同級生ではありましたが、学科が別で、学科毎に「学校農業クラブ」「学校家庭クラブ」があり、その役員はしていて、校内のリーダーの集まりで顔を会わせることはありましたが、接点は多くありませんでした。 さらに申し訳ない話一つ言えば、クラスに古澤さんと感じ似ている方が1人いまして、私はよく名前を間違えて呼んでいたもので、その都度2人からは抗議の眼差しを受けたものでした。やっと間違わずに呼べたのは、卒業式の日の汽車の中でした(もう1人は別方向からの通学で間違い様なし)。 卒業して10年後の話になりますか。もう1人の方と一緒になる機会がありまして。在学中の非礼を詫びながら、様々な話をしました。その中で古澤さんの話にもなり「今度は古澤さんともこんな話ができたらいいね」という結論になりました。ただ、その機会は作れず、時はただ、過ぎていきました。 “3・11”後、二度目の大船渡・高田行き。高田市役所で村上敦史君の行方不明を知った直後に、もう1人の行方不明を知る事となりました。掲示板に貼られていた一枚の紙でした。 「高田に勤めていたったのか…」 敦史君、古澤さんと続いた同級生の行方不明確認に、何でよ、と階段に座り込んでしまいました。 そして、8月に敦史君の死亡が確認されて程なく、古澤さんの死亡も確認されました。敦史君の記事でも書きましたが、古澤さんと2人、この学年で最初の物故者となってしまいました。 ここまで書いてきて、今になって思い出したことがありまして…実は、(私の職場だった)ローソンで常連さんとして顔を会わしていたいたかもしれない、という事に。 でも、その時は“また間違えたらな…”と思うと声かける事がはばかられ、09年に退職するまでそのままにしていました。今となっては一つの悔いです。 古澤さん、高校時代の非礼のお詫びはそちらに行ったときにするので…それまではこっちであなたの分まで一所懸命生きていきます。 こういう形での急逝、本当に無念とは思いますが、これまで関わった多くの皆さんを見守ってください。無礼者1人は除いて。 ※当初は一つの記事で紹介する予定だった清水さん兄妹ですが、項を分けて、後日紹介する事にします。
2012年03月11日
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この週は、いっせい地方選挙も間もなく、という事で、北上地域のチラシ制作に連日事務所に通いづめだった。もちろん日常業務にプラスしての事。そんなこんなしている内にタイヤがパンクしてしまい、予備タイヤと交換しようとしたが、体力がつきてしまい、通りすがりの親切な人に助けられて何とかしたはよかったが、そこらへんしばらくの無茶が効いてしまい、09年の退院以降では最悪の身体状態になってしまった。 「やっとこ大船渡行けるっちゅうに…。この時期逃したら行けへんて」 とかブツクサ言って寝たのは、日付が「3・11」になってからの事。 朝、母に叩き起こされた。 「勉、今日は病院に迎えに来てくれな」 「は?今日は送迎バス休みなわけでもないだろ?」 「いいから。とにかく買い物したいんだ。頼むぞ」 これで大船渡行きは完全にパーだ。調子見てから午後に出はる気にしていたが、こんなんでは帰ったらバテバテになってしまう。仕方ない明日出直すか、と思い母の買い物に付き合った。 13:35 帰宅。自分の部屋を片付ける。帰り、やけに空気が澄んでた気がしたが、ま、これも「春の訪れ」なのか。 14:35 部屋の掃除、とりあえず終了。居間に行き、日課の母のマッサージを行う。 14:46。 テレビに「緊急地震速報」のチャイムが。地鳴り…そして激しい揺れ。ここ数年、岩手地域は何度も大きい地震に遭遇していたが、そのどれよりも激しく、長く続いた!電気が切れ、テレビが消える。家屋も嫌な音をならしてきしむ。このまま地震が止まらなかったら俺達はどうなるのか…。。3年前とは違う意味で“死”が頭をよぎった。 3分ぐらいは揺れ続けただろうか。ようやく揺れが止まった。この間、母は動けず、私もテレビを押さえた状態で硬直していたらしい。何とか自分と母の無事は確認できた。そうなると次は兄だ。前年に作業中落下して腰を強打する事故も起こしていたので、その仕事の危険性も含め、不安がよぎった。目の前では不安を持つ近所の皆さんが外に出てきていた。 4時過ぎたあたりに兄は帰ってきた。無事ではいたが仕事にならず解散したとの事。地震で乱れた部屋を掃除し、電気ガス全部止まっていたのでその状態で作れる調理で腹を満たし、7時頃には休む事に。 地震が起きた後、ラジオはずっとつけっぱなしにしていた。IBC岩手放送のメンバーが必死に状況を伝えていたが、全体つかんで放送できたわけではなく、細かいネットワークをつないで、とにかく安心と希望をつなごうという姿勢が伝わってきていた。これがなければ…という人は多かったことと思います。 しかし…あれだけの大きな地震、そして、ラジオをつけた直後に鳴った「シグナル」-月曜日に新聞配達するときいつも聞く、ラジオの放送開始時に行われる『緊急警報』試験放送-が、この後の重大な事態を暗示していた。 「津波予想は3メートル」「6メートル」…ラジオでは江幡平三郎IBCスタッフによる宮古からのリポートもあったが、それ以上の詳しいことは聞こえず、聞こえてきたのは「沿岸部壊滅」「陸前高田は水没」「大槌、山田、気仙沼は火災も」…それでも、ラジオを消したくなかった。 現地で困難に向き合っている多くの知人・友人に想いを馳せながら、余震にゆられ、とにかく体を休ませた。
2012年03月11日
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3月12日朝…というか未明。 私は新聞が届いているか気になり、新聞の集配所に向かったが、やはりというか、残念ながらというか…新聞は届いていなかった。それは陽が明けてからも変わらなかった。 「やっぱ、ただ事じゃない…」 朝7時になっても閑散とした道路の中、家に帰りつく…前に、駐車場で眠りに落ちた。 窓をゴンゴン叩く音がする。誰かと思ったら北上市議の鈴木健二郎さんと青年支部長だった。 お互いの無事を確認した後で、2人は様々な場所に影響がないか回る、という事ですぐ別れた。目を覚ました自分は自宅に戻り、そこで兄から言われたのは「水と食料の確保」だった。まずは相去地域センターに行き、飲用水を確保。ラジオでは触れられていましたが職員の方に『認知度がないのか来る人が少ない。ここでも給水している事を知らせてほしい』と言われました。 相去地域センターから北に少し来たに小売店が。今では酒を専門に、あとは食べ物はつまみ程度を置いているぐらい。自家発電をしていて、テレビがついていましたが見る気にはなりませんでした。ここでは食事にも使えそうなつまみを買って帰りました。 その後は知己の方を訪ね、一旦自宅に戻って水を置いた後、地元スーパーへ。 やはり中は地震で崩れていたのか、玄関に商品を置いての店頭販売。そこに体悪いんだから黙って家にいればいいものを母が並んでいたのだからたまらない。母を家に返して自分が長い列に並んだ。 こんなときでも子供は元気なもので、しょっちゅうなんだかんだ声かけられていた。ま、精神年齢近いからそれもありか、と真面目に対応していたが。 この後、裏手の酒屋で「食事に使えそうなつまみ」を買い、一旦自宅に。そして午後から街中の状況確認の意もこめて食料確保に出た。 大方どこの店舗も店頭販売、数量制限は当たり前だった。一部食堂では軽食を作り、持ち帰りできるようにしたところも。私は各店舗を回りながら、気がついてみれば村崎野地域まで歩いてきていた。買い物した食品はカートで運んでいたのでその部分は多少楽させてもらったが、単純に歩くのが大変だった。何分2日前まではひどい体調だったから。天候も午前中の青空も見えていた状態から、曇天模様に。夕方には雪もちらほら降ってきていた。 そうやって歩いている中、考えていたのは故郷の事だった。大船渡、陸前高田…。そこにいる友人、知人の事を。思いながら、カートを引きずりながら、ただ、ただ歩き続けていた。 ようやく自宅に戻り着こうかという時、小高い丘から街を見た。 停電はまだ続いていて、街は真っ暗。時々自家発電で灯を点している家もあったが、これだけの真っ暗な街を見たことはない。 国道4号線でさえ、車はほとんど走っていなかった。東の空をずっと見上げて「無事でいてくれ」と。そう思うことしかできない非力な自分を恨めしく思いつつ、自宅のドアに入っていった。
2012年03月11日
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震災から3日目。 兄は会社に、母も「家にいてもなにもする事ない」という事で兄について会社の掃除を手伝いに。私も前日の疲労がとれ、調子が戻った昼前に会社に向かった。とはいえ、やることがなくなって、パソコンを借りて、知己の方のホームページにコメントを入れ、震災後初の記事を作りました。 11枚目 夕方までには北上市南部も電気が復旧。電気が戻った事には安堵しましたが、同時に、テレビに映った映像にはショックを受けました。 壊滅だ何だと話は聞いていましたが、正直これまでとは…。大船渡は盛町まで波に浸かった様子が映り、陸前高田の状況に至っては…言葉がありません。 翌日のラジオでIBC岩手放送の神山浩樹アナウンサーのリポートは-具体的に何か、というのは忘れたが、絶句を乗り越えてのリポート-忘れられません。 情報が錯綜し、あるいは絶対的に足りず、電話は携帯、在宅問わずつながらない状態。とにかく自分にできるのは信じることだけ、と思いながら、床につきました。 共産党の事務所に行ったのは少し日が経ってからでしょうか。震災被害の対応から仲間の安否、さらには印刷所の機械故障による機関誌業務の乱れへの対応…内陸部にいたとはいえ、被害が何もなかったわけでないので、やる事は山程ありまして。とりあえずは私の関わる範囲内での任務の受け渡し・打合せをしていました。 特に重大な状態になっていたのは機関誌。先にも語った通り印刷所が故障し、配送体制も壊れ、後述するように燃料不足の中で、どう基幹的な赤旗出張所まで新聞を回すか、が課題になっていました。ただでさえ東京からの空輸→青森に降ろして…それ以降のルートの再構築に頭を悩ませていた様子を目の当たりにしました。 その一方で内陸部の4地区委員会で沿岸部をどう支援していくか、も話し合われ、北部地区(二戸)が久慈地区を、盛岡地区が宮古地区を、中部地区花巻、北上地域が東部地区(釜石、大槌)を、中部地区奥州市地域が大船渡を、両盤地区が陸前高田と気仙沼を支援していく事になりました。 文中に書いた燃料不足は大変なものでした。宮城の石油貯蔵拠点をはじめ、各地で燃料の拠点、あるいは輸送ルートが断絶。多くのガソリンスタンドは休業を余儀なくされ、あるいは何日かに一度の営業、という状況になりました。 その中で独自のルートで燃料を確保していたガソリンスタンドもありましたが、ここ一つで北上…ひいては地域全体のカバーができるわけありません。大型タンクローリー一台できても何時間も持ちません。さらにガソリンあるのをアテに来てみたらそれがなくなっていて帰るに帰られない人が出たり、寒い中待っていて体調崩したり、練炭持ち込んで暖をとっていた人が一酸化炭素中毒でなくなったり(水沢で)…という事態が起こりました。 震災によるイラ立ちも重なり、ちょこっとした事でのトラブルは当たり前、店員の方もストレス抱えながらの接客で時々爆発する場面もあり、そういう雰囲気についていけない自分にとっては針のムシロに座らされている様な毎日でした。 そして、私も爆発するときがきました。ある日の新聞にこんな記述が載っていました。 「共産党議員は自己の党の宣伝」 …私たち党員は共産党員ということに強いプライドを持っています。で、そのプライドはどこから来るのか言えば「俺達はエライ」という所から来るのではなくて、こういう困難に真正面から向き合い、難儀さの解消に向けて共に歩いていく、という意味でのプライドなのです。そういう意味でつい日常的に「日本共産党~」という言葉を使ってしまいますが、この記者はその文脈をくまず、言葉だけを切り取って「宣伝」と悪印象を投げつけてくれました。 さらには議会での知事との議論を「非協力」と論じました。非常時とはいえ、疑問点があればそれと向き合うことが、大きな失敗をしない“基”になるのではないでしょうか。 「こんな時にくだらねぇ記事書くんじゃねえよ!」 …人のいる前でこれだけぶちギレたのも何年ぶりですか、ね。 あんまりのぶちギレ具合に、とうとう休養“命令”が出てしまいました。 未曾有の災害に、今まで当たり前と思っていた物事が、実は重要なものだったというのを痛烈に感じさせられました。電気は通っていて当たり前、物は来ていて当たり前、てな感じで。全県停電という異常事態の中、送電手段が残っていた所では早期の電気の復旧を果たしてくれた電力関係の労働者の皆様には感謝ですし、物流業も、その機能を失い、物が来なくなって改めてその重要性を感じることができました。 何よりも『普段は当たり前にあると思っている』物事のそれぞれが、実は重要なものだった、という事を思い知らされました。『実業を大事にしてくれ』とは、ずっと思っていたことで震災からの復興を考えた場合のキーワードとも考えています。 そんな、こんながあって、一週間が経ちました。そこから起きたことは、また項を改めてお送りさせていただきます。
2012年03月11日
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たたかわねばわんない相手。 共産党員の私にとって、それは『自分のもうけのために他人を踏みつけにして恥じない者』。 その代表格として強欲な資本家をあげますが、もう一つその対象をあげれば…「ウンコを投げつける」類の輩。具体的に言えば「汚ねえ言葉投げつけて、その文を受け取った人の精神汚す」者。 「いきなり『ウンコ』なんて、不適当な言葉だぜな」 と、お叱り受けても仕方ない一言ですが、2日連続でその事を考えさせる話聞いたもので。 月曜日。政治家の質を問う内容で話が進んでいましたが、その際に、あれこれの“迷走”を嘲笑ったあとで「見ている分には面白い」と言い放ったこと。 この人はたしか、新聞社の編集長なはずだ。私にとっては10に一つ意見も合うけど、残りの9は徹底的に相反。それは意見の中身もさることながら、その皮肉屋的な考え方、言い方で感に障るものかあり、今回のこの言葉も「自分の立場棚にあげて何言ってんの」と反発を覚えたわけで。 次の日はもっとひどかった。サッカーの女子代表戦で日本がアメリカにはじめて勝ちました(去年W杯は記録上引き分け)が、それを伝えたパーソナリティーが言った一言に唖然とした。 「ざまぁ」 ざまぁ…って。 それ、放送で語っていいことか。 それ以上の言葉が見つからない。 この方、自分の考えか、それ以外の圧力か知らないが、考え違う物事に対して慇懃無礼な態度をとることが多い。 今のゆるくない状況を生み出した「既存勢力」に対する不満が怒りを生み、その怒りを“処理”するのに“対象者に対する暴力的な言葉”が使われている。そんな構図が見えるが、正直その解決方法はいつまでも続けることはできないと考える。根治もせず対処療法しかできないよ、ということで。 何よりもそうやって“汚ねえ言葉”投げることに、世の中が少し寛容になりすぎてやしないだろうか、という疑問を抱いている。ああいう言葉を使うことで“物事身近に感じる”部分あるのだろうが、それは勘違いだという事にそろそろ気付いていただきたい。“陰口は人間の性”とは言うものの、そこには“陰口はおおっぴらに言うものではない”という抑止力があればこそ成り立つもので、それがなければ言葉の暴力を拡散するだけ、としか言えない。 さらにいや、こういう態度をとる人は、一方で“強者”に対しては卑屈な態度をとることが多い。「普段の“舌鋒の鋭さ”はどこ言ったの」という皮肉語りたくなるほどに。 こういう構図の一つ一つが、世の中腐らしていっている、といったら言い過ぎだろうか。別に聖人君子になれなんて思っちゃいないけど、少し言葉に対する態度なめてかかると、それは回り回って自分の首閉めますよ、という事ばかり語らせていただきまして、この一文終わらせていただきます。
2012年03月06日
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いつの間にやらガソリンの価格がリッター150円近くに上がっていた。一週間前と比べると15円は上がっただろうか。シリアの問題、イランの問題…と考えると仕方ない部分もあるが、それにしても変動が急だ。4年前には180円近くまで上がった時もあったが、家計簿から見れば覚悟が必要だし、違う方から見れば、警戒が必要かもしれない。 一方で政治。ここ数回の記事でも書いてきたが最近のニュースを見ても社会主義的政策が議題の遡上にあがったり、議論の対象になったのを聞いたことがない。せいぜい“ミン・ジ・コウ”内の争いを書くか、みんなの党や大阪維新といった“新自由主義者”をとりあげるかのどっちかでしかない。 先日、共産党が財政再建と社会保障の両立を図った提言を出したが、大手マスコミからは見事に無視されてしまっていた。ここまで来るとあきれるの通り越して笑いたくなる。今の熱狂的な“社会保障削減+消費税増税”の大合唱とは別な意見は取り上げる気はないらしい。この大きい壁を相手にすんのも楽じゃねぇ。 何か特効薬でもないのかよ、と何度ぼやきたくなっただろうか。でも、そんなものに頼ったところで、その“魔力”…言い換えれば“刺激”が切れてしまえばそれまで。天候も“三寒四温”繰り返しながら春に向かっていくように、つまんね言われようが学習と対話で多数者を獲得していくという基本押さえないと。多数獲得するのは選挙の票だけじゃない、というのはいつも意識して歩いていきたい。
2012年03月05日
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現在、私の所属している日本共産党は、国会議員が15人。全定数に占めるパーセンテージはわずかに2%に過ぎない。自分達の意見がこの程度のものとは思っていないけど、現実に“力”として表れているのはこの通り、というわけで。3日に日テレの番組で橋下氏、自民公3党に加え穀田恵二さんが出ていたが、ツイッターで見た限りではその感想はまたもや“フルボッコ”の様相を見せていた。 正直「またかよ」という思いもないではなかったが、批判も反応と考えれば悪いとばかりも言えず、政治に関わる以上批判に向き合うのは必須。だども、橋下氏の支持者にも、自分達と考えの違う勢力が存在し、行動している“基”がある、というのぐらいは認識していただきたい。たとえそれがあなた方の嫌う“既得権益”であろうが、だ。 自分達の様な共産主義者(というより、現状では脱資本主義者)の力が弱くなりすぎてしまった結果何が起きたか言えば、資本家側の専横がひどくなってしまった事。今はまだ労基法が機能しているから労働者もそれなりに守られていますが、それがジャマとなれば『そんな法律なんぞ棄ててしまえ』と考えてしまうのが資本家側の性。 今ある法律に守られている人達を“既得権益”とぶっ叩くのが政治のトレンドとされていますが、中身見ないで叩きに走ると、結果ロクでもないことになってしまう不安を感じています。目隠ししてスイカ殴ったら人殴っていた、みたいな。 誰それがそうだ、とは言いませんが、施政者と有権者の健全な交歓、あるいはチェックがなければ、施政者は独裁者へと変貌します。今多くの人にとっては『キトクケンエキのせいで苦しめられている俺たちを救うヒーロー』として橋下氏を見ている事と思いますが、時折露にしている『強者と“利用価値のあるもの”に媚び、そうでないものに辛辣』な態度をそのままにしたら、いずれ多くの庶民の“利益”なんぞ投げ捨てる危険性を十二分にもっています。 弁舌さわやかでズバズバ物言って…しかしその影で切り捨てられている“物事”も多くあります。そして、それは実は多くの人を痛め付ける基にもなっている(一例あげれば公務員給与。早速民間労働者の給与削減に“貢献”)わけで。 そういう意味で、現在は“少数勢力”とされている私たちですが、殊存在する、という一点においては多数決の論理何ざくそくらえ、実際資本至上主義のひずみでゆるくない思いをしている人がいる限りは、その防波堤+案内標識として歩かせていただきます。 今回も拙稿お読みいただきましてありがとうございます。
2012年03月04日
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3月といえば卒業の季節。各地から卒業式のニュースが届くようになりますが、今年は“3・11”もあり、特別な思いをもってこの式に臨む方も多くいます。 “3・11”で校舎が全壊し、今はなくなった大船渡農業高校(以下大農)の校舎を使っている高田高校も卒業式が行われました。俺ごときがどうこう言うのも…の部分はありますが、18年前、同じ校舎で卒業した人間の駄弁りに少し付き合ってください。 自分のいた大農というのも生徒も教師も“活発”な人も多く、騒ぎ・悩みごと・事件は日常茶飯事。そんなこんな重ねながら3年間いたなりの成長は遂げますが、一方でその軌道に着いていけず、中退の道を選んだ人も少なくありませんでした。 それまで一緒に机並べて語り合っていた人間がいなくなる事に、今もですが簡単に『はいそうですか』と割り切ることはできません。自分自身、小学校1年時に転校という形で人生初の居場所を変わった(※)経験から、人との別れに敏感な部分はありまして。 ※保育園、幼稚園には対応できず、小学校も対応する特殊教室が市内に一校(盛小学校)しかなかったため、学区外入学に。進展が認められたので本来通う学校(大船渡小)に転校という形となりました。 高校生活最後のイベント、卒業式。卒業生答辞を任された私は、ない脳みそ振り絞り、何回となく担任の先生と校正をする中で、あることは絶対入れようと思い至りました。最初は『それは入れる必要ないのでは』という意見を付されましたが、何とか説きおとしてその文面を入れる事ができました。前日の予行ではわざとその部分を抜いて練習。そして、当日の本番に臨みました。 卒業生答辞。 そして、この言葉を語る段になりました。 『この卒業の日にあたり残念なことがひとつあります。 それは今日この日を迎えることができなかった仲間が多くいたことです。 様々な理由があったとは思いますが、全員でこの日を迎えたかったです。』 …と言いたかったのですが見事につまってしまいました。言葉が出なくなってしまいまして。この後、この文章は一気に読みましたよ。何にしても思いがすぐ態度に出てしまいましたね。ま、懐かしい昔話です。 あれから18年、あの校舎としても4年ぶりに卒業式が行われました。しかしそれは、多くの人の“キズ”を抱えながら行われたものです。多くの級友が犠牲になり、または学校を離れ、言い知れない思い抱きながら今日まで歩き、これからも歩き続けていくことと思います。 先に書いたような事をはじめとした思い出多き大農の校舎が、今再び若い人の居場所になった事に感慨を覚えますし、その“居場所”で育った多くの若い人たちが、今度は別な形で“居場所”をつくる人になってくれれば、と思っています。 歩っていこうぜ。 生きてく限りはどこまでも、な。
2012年03月02日
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朝は突き刺すような寒さ、昼も暖かくはならず1日ストーブの世話になっていた2月。例年より1日長い2月も終わり、3月に入った途端天候がゆるんでまいりました。ま、春近しってところですか。 その一方でお寒くなっているのが、我が日本の政治です。具体的な事あげりゃキリありませんが、ひとっつ言えるのは、今の“二大政党”や、彼らに影響を及ぼしている勢力全般の行動見ていると『富のある人のために奉仕する行動』に血眼をあげ、そこからの転換を図ろうという勢力を潰し、あわよくばなくしてしまおうという動きが激しく目立つのです。 元々は日本でも保革(資本主義vs共産主義-広く捉えれば“脱資本主義”-)が拮抗していた状態が続いていましたが、社会党がその道から外れ、さらに臨調路線での脱資本主義的政策の否定化、意見反映が片寄った形でなされる小選挙区制度での保守勢力の議席占有率の大幅増、反撃力が弱まった所への“小泉構造改革”での労働者、生活者の生活の破壊…。 この流れで労働者・生活者の反撃が始まって、自民党・公明党の政権を引きずりおろしたはずでしたが、元々不安視されていた“基本的には自民党と政策は同じ”というのが、様々な面で露呈してしまい、また有権者が下した“反撃”に恐怖感を抱いた勢力が、手段も選ばなければ、態度も高圧的に労働者・生活者に対して『もうけに奉仕する立場への服従』を迫っています。それは赤旗の連載「経労委を読む」でも触れられていますが、とにかく財界側の要求が図々しく、厚かましいものになってきている事からでも明らか。 自分が「弱い立場」にいたくない、と思うあまり「強者との同一化」を図る動きも見え、正直脱資本主義をはかる…いや、資本主義の悪い所なんとかすんべという勢力が強くない事が、ますます“収奪者”をのさばらせている状況を生んでいます。 …悲観的な事を多々書いてきましたが、ほんでも一方ではそれを跳ね返す力もあると信じている自分がいます。根っこ見てみれば「自分達に課されている不当な負担は、実は代替手段がある」わけだから、それに気づけばオセロのごとくパタンパタンとひっくり返す事はできるのです。 それを実行に移すには、丹念な準備、必要な学習、積極的な行動、そして不動・不屈の精神が求められます(民主党政権には“脱収奪主義”すらその立場に立てなかった)が、そこさえしっかりすれば、今は“怪獣”のように見える相手も、少なくとも対等には見えるはずじゃないでしょうか。危機感と期待感に気付いていただきたく、今日も生意気書かせていただきました。拙稿お読みいただきましてありがとうございました。
2012年03月01日
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