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生活の発見誌9月号の中で、高良武久先生が次のように話されています。(神経症が)治るにしたがって、要求水準と実際の能力とのギャップがだんだん小さくなっていきます。これは神経症を克服してくると、理想と現実のギャップがどんどん縮小してくる。また上から下目線で現実を否定しなくなる。反対に下から上目線で目標をとらえることができるようになる。現実に即して、身近で手の届く小さな目標を設定することができるようになる。これは別の言葉でいうと、「・・・しなければならない」「…してはならない」といった「かくあるべし」を自分に押し付けることが、影をひそめてくるということだと思います。事実本位は、現実の課題がどんどん片付いて、小さな成功体験を蓄積することができます。自信をつけて、さらに次の課題や目標に向かっての足がかりができてきます。この路線を目指しているのが森田理論学習です。この流れに乗るためには、2つの視点が必要になります。一つは、観念優先の考え方や態度を、現実や事実に即した態度に変更することです。これは森田理論学習に取り組んでいる人にとっては永遠の課題と言えます。それは、生まれてこの方、観念優先の教育を受けてきて、しっかりと身についてしまっているからです。森田理論を学習していないと、事実優先の思考に切り替えられない状態になっているのです。「かくあるべし」の弊害を学び、事実本位の生活態度を養成するために様々な手法を学習していく必要があります。その手がかりとして、本ブログの7月11日より、9つの方法として提案していますので、興味のある方はご覧ください。もう一つは、大きな課題や目標を設定することは、結構なことですが、それが大きければ大きいほど、小さな手の届く課題や目標に分けてハードルを下げていくということです。たとえば、ジャンプ力の測定の時、「思い切り飛び上がってみてください」と言って挑戦させても、たいして記録を伸ばす効果は望めないそうです。ところが、最初にジャンプしてもらった地点に印をつけて、そこから少し高いところにチョークで線を引き、「ではあなたは、ここまでジャンプしてみましょう」と言って挑戦させると、ほとんどの挑戦者が自己記録を更新するそうです。これは、手の届く目標が明確になったことが大きいのです。そうすれば、自分の注意や意識はどうすれば、その課題をクリアできるか、大脳をフル回転させて考えるようになります。最終目標はいくら大きくても構いませんが、実際に実践に取り組む時は、達成可能な小さな目標であることが肝心となります。
2021.10.31
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フランクルの考え方をもとにして、生きがい検査が開発されている。これをIPL検査という。次の10項目について、それぞれ点数を出して合計する。点数は目安です。1点から7点のあいだのどの点数でもよい。1、私はふだん、退屈しきっている(1点)・・・どちらでもない(4点)・・・非常に元気いっぱいで張り切っている(7点)2、私にとって生きることは、全くつまらない(1点)・・・どちらでもない(4点)・・・いつも面白くてワクワクする(7点)3、生きていく上で私には、何の目標も計画もない(1点)・・・どちらでもない(4点)・・・非常にはっきりとした目標や計画がある(7点)4、私という人間は、目的のない全く無意味な存在だ(1点)・・・どちらでもない(4点)・・・目的を持った非常に意味のある存在だ(7点)5、毎日が、全く変わりばえがしない(1点)・・・どちらでもない(4点)・・・いつも新鮮で変化に富んでわくわくする(7点)6、もしできることなら、生まれてこないほうがよかった(1点)・・・どちらでもない(4点)・・・非常に元気いっぱいで張り切っている(7点)7、定年退職後(老後)、私は、毎日を何となく過ごすだろう(1点)・・・どちらでもない(4点)・・・前からやりたいと思っていたことをしたい(7点)8、私は人生の実現に向かって、全く何もやっていない(1点)・・・どちらでもない(4点)・・・着々と進んできている(7点)9、私の人生には、虚しさと絶望しかない(1点)・・・どちらでもない(4点)・・・わくわくするようなことがいっぱいある(7点)10、もし今日死ぬとしたら、私の人生は、全く価値のないものだったと思う(1点)・・・どちらでもない(4点)・・・非常に価値のある人生だったと思う(7点)採点と判定合計点数があなたの生きがい度スコアです。55点以上・・・高適応のレベル40点以上~55点未満・・・中度適応レベル40点未満・・・不適応が疑われるレベル私は高適応のレベルでした。これは森田理論の学習を続けて、それを応用してきたおかげです。規則正しい生活、凡事徹底、仕事の継続、一人一芸への取り組み、家庭菜園や花や庭の手入れ、興味や関心、好奇心の発揮、このブログの継続、読書、集談会への継続参加、健康維持、不即不離の人間関係作りなどのおかげです。神経症に苦しんだことは無駄ではありませんでした。そのおかげで森田理論と集談会の仲間と交流することができました。今は感謝の言葉で一杯です。
2021.10.30
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森田先生は、幼い頃より好奇心旺盛な人であったという。奇術・奇跡・迷信などにも興味を持ち、呪咀・卜占・骨相・人相などの本も読み漁った。自ら筮竹をひねり。易者になるのではないかと父を心配させたこともあった。ある日、飼っていたニワトリが逃げた。森田先生はニワトリを追うことよりも、「なぜ逃げのか」に興味を抱き、しきりにオリをチェックしていぶかっていたそうである。これは父親の影響も大きい。父親も、飼っていた蚕が病気になると、他の蚕に桑を与えることを忘れて、病気の解明に熱中していたという。森田先生は患者をつれて、夜店をひやかして回ったそうである。手品師が手品をしてみせて、「種を明かすことができる人がいれば、道具をすっかり進呈する」というのを聞き、何日もその男のしぐさを観察し、種明かしをしてみせ、道具をもらってくることもしばしばあった。両手を切断した不具の芸人が、足で字を書いたり、口で竹を割ったり、色々な芸をするのを不思議がり、病院にまでわざわざ招いて芸をやらせ、患者とともに練習することがあった。その他、熱湯に手を突っ込むという芸をみて自分でも実験されている。55度の温度では2秒しか耐えられない。23度の水に1分間手を浸して、その後挑戦すると4秒になった。0度の冷水に30秒手を浸した後では、熱さを感じず、6秒耐えた。手を変え品を変えて様様な実験を繰り返した。熊本の五高時代に、新聞で幽霊屋敷の話を読んで、幽霊屋敷の探検を思いつく。昼間下見をし、情報を確認して、夜中に一人で探検している。その詳細は文章として残されている。関心や興味、好奇心のあることに対しては、バカげたことと排斥するよりも、自分の目で確かめる、行動や実験によって真偽のほどを見極めるという姿勢が貫かれているのである。森田療法を生みだす前に、あらゆる療法を試している。腹式呼吸、内観法、催眠術、暗示療法、生活正規法、説得療法、臥褥療法などを確かめられている。自分でこれはよいと確認したものでないと、治療の選択肢から外している。これは森田療法の治療方針にもなっている。神経症と格闘している人に対して、日常生活の中で、ほんの小さな興味や関心、好奇心に従って行動してみる。そうすると、感情が流れていく。行動に弾みがついてくる。生活が充実してくるにつれて、頭の中の大半を占めていた神経症の葛藤や苦悩の比率がどんどん小さくなっていく。症状は気になるが、それに振り回されるということが少なくなる。その時点に達すれば、主観的には納得できないかもしれないが、第三者から見ると、神経症を克服してきたと言える。そうなれば、森田理論学習によって、神経症の成り立ちやからくりを勉強していく。さらに森田理論を深耕していく。自覚が深まれば、残された人生を楽しむことができるようになる。森田理論によって人生観を確立した人は、再発することはない。考えてみれば、神経質性格者はとても好奇心が旺盛である。それは心配性であるという性格が関係している。つまり普通の人よりは、感じる力、別の言葉でいえば、感性が鋭いということだと思われる。それを自分の強みとしてとらえて、実際に活用して行けば、森田先生のようになるということだと思います。
2021.10.29
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昨日の続きです。新生「生活の発見会」が、神経症治療に医療行為を行わないとしたのは、今考えると当たり前のことですが、それまでの経過を考えると画期的なことです。森田先生も水谷先生も、神経症でのたうち回っている人に対して、医師の存在がありました。それまでは、神経症からの解放は医療分野の介入が不可欠という暗黙の了解がありました。そのような状況で、新生「生活の発見会」が集談会活動の中で、精神科医の主導のもとで神経症を治すという活動は行わないと高らかに宣言したということなのです。ここが画期的なのです。この選択には様々な確執がありましたが、何とか乗り越えてきました。つまりこの会は、学習運動に徹した活動を行う団体であると明記したのです。神経症を克服した人は、自分が神経症を克服したという成功体験を持っているために、精神科医に成り代わってそのコツを教えたくなるものなのです。それは会の性質上やむをえないことですが、それが唯一最大の目的ではないということです。神経症を治すということは医療行為なので、安易にその分野に手は出さないと決めたのです。それでは、新生「生活の発見会」は何を目的としていたのか。その前に、森田先生は、神経症は器質的な病気ではないと言われています。うつ病、統合失調症、双極性障害などの精神疾患とは違うという考えです。しかし、神経症は器質的な病気以上に、重篤な精神疾患のように見えます。そのからくりと治し方をよく分かっている医師が、森田の入院療法によって、40日間という短期間で完治させるという治療だったのです。新生「生活の発見会」では、重篤な神経症の方は協力医を紹介する方法を選択しました。精神科医は、薬物療法や森田療法を組み合わせて、社会復帰させるまでは責任を持つ。その段階で神経症の治療は終了となります。しかし、仮に退院できても、再発の心配があります。また神経質特有の生きづらさが解消できたわけではありません。依然としていばらの道が待ち構えているわけです。「生活の発見会」は、最悪期を脱した人たちの自助組織です。神経症を抱えながら、なんとか仕事や勉強をしている。苦しみながらも家事・育児・介護をしている人を対象にしていました。神経症的な葛藤や苦悩を抱えながら、日常生活を何とか維持している人を受けいれていたのです。そういう人たちが「生活の発見会」という自助組織を作り、情報交換をして助け合い、森田理論学習によって、神経質性格者としての生き方を身に着け、二度と神経症で苦しまないようにする。つまり再発防止と森田的人生観の獲得を目指していたのです。「生活の発見会」は、このような方向性、目的を持って活動している団体です。神経症を治すということを最大の目的として設立したものではないのです。それをすると医療と競合しますし、医療と同じ土俵で勝負してみようと思った時点で負けが決まったようなものです。精神科医のご努力を軽視することになります。精神科医とは役割の棲み分けを明確にして、協力し合う関係が望ましい。森田理論学習の場を、神経症を克服するという目的にすり替えてしまうことは大きな問題です。自分の成功体験を後輩たちに語り部となって教えてあげることは構いません。そういう活動は必要です。問題は、森田理論学習を、神経症の治療のための最大で唯一の目的にしてしまうことです。森田理論学習は、再発防止と神経質性格者の人生観確立が最大の目的となります。そういう視点で森田理論を見渡すと視界が大きく広がります。人間の生き方、性格や感情についての考え方、人間の幸福とは何か、生の欲望についての考え方、観念と事実の関係、事実本位の考え方、人間関係の持ち方、不安、恐怖、不快の持つ役割、不安と欲望の関係、変化に対応する考え方、物の性を尽くすという考え方、調和やバランスの考え方、主体的な生き方、社会の中で人間の果たすべき役割、教育や子育て、欲望の暴走社会の修正、歴史の検証、自然との共生、政治・経済・金融へのかかわり方などすべての分野にわたり問題解決のヒントを与えてくれています。神経症治療としての森田理論の学習は、これらの課題の一分野と考えるべき時です。そこに限定して森田理論を扱うということは、大きな問題だと思います。自助組織による森田理論学習は、神経症の治療から始まりましたが、そこに留まってしまうと自ら自滅してしまうかもしれません。森田理論は優れた内容を内在しているにも関わらず、それを放置することはとても残念なことです。森田理論の秘めた素晴らしい内容に沿って、成長発展させることが大事です。この方向は森田先生、水谷先生、長谷川先生方が望まれている道だと思います。この方面は、人類史の今後を大きく左右するものだと考えています。人類が真剣に森田理論を学ぶ時代がやってきているということです。森田理論学習の役割と使命を再確認したとき、今後の森田理論学習の活躍の場は大きく広がってくるように考えています。
2021.10.28
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今日は森田療法、森田理論学習の歩みを振り返ってみたい。森田療法は、森田先生がさまざまな療法を検証した結果生まれたものとされている。決して突然思いついて確立したものではない。少なくとも20年くらいの試行錯誤の期間を経ている。確立したのは1919年(大正8年)と言われている。森田先生45歳の時である。その理論は「神経質の本態と療法」にまとめ上げられている。1929年(昭和4年)12月1日から形外会を開催されている。その後、1937年(昭和12)4月25日まで、8年間66回開催されている。森田先生のところに入院していた人たちが、直接森田先生から森田人間学をより深く学ぶ勉強会であった。その様子は1930年(昭和5年)から「神経質」という雑誌に掲載された。現在は、森田正馬全集第5巻で学習することができる。森田療法が広く知られるきっかけとしては、倉田百三氏の「絶対的生活」と「神経質者の天国」という書籍が大きな役割を果たしている。森田先生は1938年(昭和13年)4月に64歳で亡くなられた。森田療法は、高良武久、古閑義之、野村章恒、竹山恒寿、鈴木知準、宇佐玄雄氏などの優れた後継者を輩出している。森田療法が確立して、森田先生が主導的な役割を果たされた期間は、約19年ということになる。戦後、森田療法の普及に尽力された人は、水谷啓二先生である。1957年(昭和32年)10月に「生活の発見」誌の発行を始められた。森田先生が亡くなられてから19年後のことである。1960年(昭和35年)から、啓心会を開催されている。これは森田先生の、形外会に該当する。1961年(昭和36年)には、医師を招いて啓心会診療所を開設された。「生活の発見誌」は、1968年(昭和43年)100号の節目を迎えた。しかし、これからというときに、水谷先生は突然亡くなられた。1970年(昭和45年)3月のことである。58歳の若さであった。水谷先生としてはやり残したことがたくさんあり、さぞかし無念であったことだろう。水谷先生が、主導的役割を果たされた期間は、約13年であった。主を失って途方に暮れたが、長谷川洋三氏と斎藤光人氏が再建に乗り出した。1970年(昭和45年)5月には新生「生活の発見会」が発足した。方針としては、理事会方式による運営を行う。「生活の発見誌」発行する。医療行為は協力医にお願いする。神経症で悩んでいる人が各地の集談会に集まり、森田理論の相互学習と情報交換を行うことにした。集談会の全国展開はお二人の尽力により予想以上に早く完成した。そのほか合宿学習会にも取り組んだ。現在の基準型学習会、オンライン学習会の源流となるものである。時あたかも高度経済成長期で、時流に乗り会員は7000名近くまでに急拡大した。拡大に寄与したのは、1972年(昭和47年)1月の朝日新聞の日曜版に生活の発見会の紹介記事が掲載されたことである。そのほか特質すべき点を挙げておく。1974年(昭和49年) 白揚社から、「森田正馬全集」が発刊された。1983年(昭和58年) 森田療法学会が発足している。1988年(昭和63年) メンタルヘルス岡本記念財団が発足している。1998年(平成10年) 生活の発見会は、第50回保健文化賞を受賞している。生活の発見会の会員は、1993年をピークにして、それ以降減少に転じている。新生「生活の発見会」が、活気があった期間は約30年間といえるのではなかろうか。会員が減少に転じてから、すでに28年が経過している。現在の会員数は2000人を割り込んでいる。この原因はさまざまな点から分析しているが、ここでは一つだけ取り上げてみたい。日本経済は、バブルがはじけて、デフレ経済に陥り、いまだ回復のめどが立っていない事である。つまり、国民の生活がどんどん苦しくなっているという現実である。森田理論が活況を呈していた時代は、これからの新しい時代を模索して、高度経済成長期であったということです。1億総中流家庭と言われていたころに、集談会が活況を呈していた。今は生活が苦しい。雇用が安定しない。子どもが作れない。生きることで精一杯という時代になった。これは、国民の生活をないがしろにしている政治の責任である。それなら、政治家に猛省を促す活動をしているかというと、政治には無関心という人が多い。無気力、無関心、無感動の生活の中で、毎日汲々として生きている人が多くなるにつれて、森田に関わる人は激減しているのである。しかし、森田理論を人生哲学としてとらえ、生きる支えにしている人が少なからず存在している。この人たちは、過去に森田療法やその理論に恩恵を受けた経験のある人たちです。50代前までの若い人たちにとっては、森田理論は無用の長物となっている。ですから、このまま世代交代を迎えると、森田療法はその役割を終えてしまうという可能性が高くなります。また一方で、神経症治療としての入院療法はほぼその姿を消した。現在は外来森田療法が中心である。というよりも、現在の神経症治療は、薬物療法、認知行動療法をはじめとした他の精神療法、カウンセリングに軸足を移している。この歴史を否定的に捉えるのではなく、事実をありのままに捉えることで、次の課題が見えてくると思っている。森田理論には人類の普遍的な人生哲学がちりばめられており、これを人類が活用しない手はないと考えています。むしろ森田理論を学び、活用していかないと人類そのものが滅んでしまうというリスクを抱えている。これについては、明日の投稿としたい。
2021.10.27
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公益財団法人 メンタルヘルス岡本記念財団の「心の健康ビデオセミナー」が始まっております。下記をクリックしてご確認ください。心の健康ビデオセミナーのご案内
2021.10.26
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生活の発見会の山中和己氏のところに、次のような相談が後を絶たないと言われる。「実践はしているが、いつまで経っても治らない」「森田療法の本を読んで、自分なりには実践はやっているつもりです。でも不安や恐怖は、強いままです。さっぱり減りません。なぜでしょうか・・・」これに対して、山中氏は次のようにアドバイスされている。「実践」と「なおる」ということはべつもの・・・。そう、とらえたほうが妥当ではないでしょうか。ただし、これからも、毎日の「仕方なしの生活」はつづけてくださいね。(そのままのあなたですべてよし 山中和己 生活の発見会 217、218ページ)これをもとにしてさらに深めてみましょう。生活の発見会の集談会では、神経症の克服のためには、実践課題を掲げて、目的本位の生活を続けることですと学びました。誰でも神経症は、苦しみ以外のなにものでもありませんので、藁にもしがみつく思いで、取り組むことになります。布団上げ、靴磨き、風呂の掃除、部屋の掃除、整理整頓、料理、車の洗車など。頭で考えることを中断して、行動に主軸を移していくと、症状に関わる時間が少なくなりますので、少し楽になったような錯覚を起こします。神経症を早く治したいという気持ちが強いと、それが加速して馬車馬のような行動になります。このような行動・実践を続けていると、精神的にも肉体的にも疲れ果てて、こんなに努力しているのに、症状はよくならないと嘆くようになります。そして、突然実践課題を放り投げてしまうことにもなります。すると神経症は益々悪化しているということになります。この心理は、けがをしてかさぶたができたときに、けがの治り具合を確かめるために、かさぶたを取り除いて傷口を観察するようなものです。これをすると傷口の修復が遅れて、いつまで経ってもけがが治らないということになります。別の例でいうと、野菜の苗を植えて、2~3日経った頃、根付いているかどうか心配になって、引っこ抜いて確かめようとするようなものです。伸びてきた根が切れて、最悪の場合、枯れてしまいます。ここで言いたいことは、症状を治すことを目的としている行動・実践は、一時的によくなったかのように見えても、長い目で見ると、症状に注意や意識を集中してしまうので、症状の改善には結びつかない。むしろ逆に悪化の一途をたどってしまうということです。ただし、まったく行動・実践が滞っている人は、それで構いません。むしろそうすることが大事になってきます。ところがある程度行動・実践できるようになった人は、症状を治すという目的を意識してはいけないということです。ではどうすればよいのか。自分の生活を維持し、豊かにするために、必要なことを必要なだけするということです。こうなると無理はしなくなります。疲れません。お使い根性の仕事ではなくなります。奥さんの家事を取り上げて、自分の実践課題にしてしまうことはなくなります。このような心掛けを持っていると、次々と日常生活の中で課題が見えてきます。行動・実践の中に、気づきや発見、興味や関心が生まれてきます。新たな問題点や課題も見つかってきます。それらを解決しようとやる気や意欲が高まります。ここで大切なことは、症状を何とかしようと思って凝り固まっていた感情が、いつの間にかすっと動き出しているということです。森田理論は、感情を、谷あいを流れる小川のようにさらさらと流すという理論になっています。決してお堀の水のように、ずっととどめておくという理論にはなっていません。そうなれば、水が汚く濁り、雑菌や藻や蚊などが発生して、不衛生極まりないということになります。行動・実践によって、神経症を治そうとしていると、感情がさらさらと流れるのではなく、いつまでも症状にこだわるという結果を招いてしまうのです。少しの違いですが、後々大きな差となって取り返しのつかないことになります。
2021.10.26
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広島のプロ野球ファンの間では、主砲鈴木誠也選手の去就の話でもちきりである。今年ポスティングシステム(入札制度)を利用して、大リーグを目指すというのだ。すでに球団の了解を取り付け、代理人の選定を終えている。シーズン終了後に、必要な手続きであるMRI検査を受けることになっているという。本来なら2022年オフが国内FA権取得、2023年オフが海外FA権取得となるが、前倒しするらしい。マツダスタジアムでも、今年で見納めかというため息が聞こえてくる。これについてのファンの反応。・誰が来年4番を打つのか。外人の助人を含めて彼の代わりはいない。・これで来年も最下位争い間違いなし。・鈴木選手の個人の気持ちを汲み取って暖かく送り出してあげよう。大リーグで活躍してくれれば、それが我々への恩返しなのだから。・いつものように巨人に移籍するのを回避できたのはよかった。・でもいつか日本球界に復帰するときに他球団に獲られてしまうのではないか。東京の荒川の出身だから仕方ないのではないか。・それにしても金に物を言わせて有望選手を次々と獲得していく金満球団のやり方はどうか。・広島カープは、今までFAで脂がのった有望選手を獲得したことがない。・反対に自前で育成したこれはという有望選手をどんどんFA権行使で流出させた。例えば、江藤智(巨人)、金本知憲(阪神)、新井貴浩(阪神)、丸佳浩(巨人)、川口和久(巨人)、大竹寛(巨人)、黒田博樹(大リーグ)、前田健太(大リーグ)など。いずれもリーグを代表するプロ野球選手である。球団に金がないので仕方ないのか。日本球界に留まった選手は、同一リーグのカープ戦で大活躍をする。戦力をダウンさせられたうえに、古巣との試合で大活躍されては、憤懣やるかたない。しかしよく考えてみると、プロ野球の選手は一人親方の個人営業主である。身分はとても不安定である。実力があっても他に自分より力のある選手がいると、活躍の場はない。また実力が伴わないと、容赦なく解雇される。20代で解雇されるのは忍びない。熾烈な競争に勝ち残っても、けがをすると長期離脱を余儀なくされる。その隙間を鵜の目鷹の目で狙っている選手が無数にいる。だから、プロ野球の選手は、自分と家族の生活のために、より良い条件を求めて、どんどん職場を変えていくのは当たり前のことである。稼げるときに稼がないとすぐに賞味期限が切れる。選手の方は変化流動の中で必死に生きているのに、ファンの方はレギュラーである有望選手に残ってほしいと切に願っている。移籍することが心情的に受け入れられないのである。移籍すれば、可愛さ余って憎さ100倍となるのだ。その証拠に、巨人に移籍した丸選手は、転居前に、子供と近くの公園で遊べなくなったと言っていた。ファンは移籍した選手の個人攻撃を始める。球団のやり方も批判する。この心境を森田理論で分析してみると、不快感、イライラ、やるせない憤懣を、なんとか払拭しようとしている。そんな不快感は絶対に受け入れられないという態度である。事実を受けいれられず、非難、否定ばかりしている。これは強力な「かくあるべし」を押し付けて、喧嘩を売っているようなものです。ここで最悪の場面を受けいれて、ホームランを打てる可能性のある選手に照準を合わせて戦力分析をすることにしてはどうだろう。すると、今は実績がないが、代わりになるかもしれないという選手はいます。打つ方も守るほうも楽しみな候補が確かにいます。またチャンスを与えれば、花開いてくる選手も出てくるだろう。さらにホームランの打てる外人の助人を獲得できれば、勢力図はがらりと変わります。出て行く選手に未練たらたらでストレスをため込むよりも、今いる選手やこれから獲得する選手をいかに育てていくかに精力を傾けた方がよほど意味があるのではないか。該当の選手たちは、レギュラーポジションが空くので、俄然やる気が出てくるはずだ。一時的には戦力ダウンになるが、時間の経過とともに、いずれ必ず修正されていく。それが今までの歴史の流れであった。ないものねだりをして不平不満をぶちまけるよりも、今持っているもの、磨けば光るものを大事にして、未来に希望を持つことが自他ともに活きることにつながるのではなかろうか。これは森田理論でいえば、物の性を尽くす、己の性を尽くす、他人の性を尽くす、時間の性を尽くす、お金の性を尽くすことにつながります。事実を謙虚に受け入れて、未来志向で前向きに歩んでいきたいものです。
2021.10.25
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サツマイモ、サトイモの収穫をしました。今はジャガイモ、ニンジン、白菜、ダイコン、キャベツ、ラディッシュ、タマネギなどが育っています。庭木も剪定を終えて、見応えがよくなりました。今の時期は菊が大きなつぼみをつけ始めています。
2021.10.24
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三重野悌次郎氏の言葉です。森田博士はいろんな造語を作っています。「気分本位」もその一つです。我々は意識するかしないに関わらず、常に安楽を求めています。そしてこの安楽を求める気分を、行動の基準とします。それを森田博士は「気分本位」と言って排斥しました。人としてよりよく生きるためには、時には危険や苦痛にも、挺身しなければなりません。いつも安楽とはいきません。「気分本位」や観念的な「理想本位」でなく、事実に応じてなすべきことをする。これを「事実本位」と言い、森田博士が最も重視した生活態度です。神経質の苦しみは、この「事実本位」でなく、「気分本位」や観念的な「理想本位」によって起こるとも言えます。この安楽を求める気分から、観念的理想を押したて、それに自分や周囲をあてはめようとする態度を、「理知本位」または「理想本位」と呼び、「気分本位」と同様に排斥しました。「気分本位」も「理知本位」も、ともに事実に従わない「自己本位」の態度です。(森田理論という人間学 三重野悌次郎 春萌社 96ページ)これは、森田理論を理解した人が、これから進むべき道を説明してくれています。第一は気分がいくら行動することを拒んでも、イヤイヤ仕方なしに行動する方向で、舵をきっていくことです。特に雑事の連続と言われる日常茶飯事から手を抜くことは、注意する必要があります。仕事場へ行くことが辛いと思っても、身支度を整えて、足を引きずりながら家を出ることです。私たちは動きだす前が厄介です。大きなエネルギーを使うからです。しかし一旦動き出してしまうと、慣性力が働き、そんなに力は必要としません。最初に行動するときは、注射針を刺されるような痛みがありますが、その後の効果を考えて、我慢する。耐えて行動することが大切です。弾みがついてくるまでの辛抱です。「気分本位」に流されてしまうと、後悔することが多くなります。「理知本位」「理想本位」は観念の世界を最優先する態度のことです。強力な「かくあるべし」を自分や他人や自然に押し付ける態度のことです。これは人間だけにあります。動物はできるだけの努力をして、どうにもならなければ素直に事実に従います。言葉を使い、大脳が高度に発達した人間は、事実の世界を観念の世界でコントロールしようとしているのです。これが葛藤や苦悩の原因を作り出しているのです。森田先生の言われている「事実唯真」の世界は、事実、現実、現状を最優先させる考え方です。理知の力は事実をカバーしているのだと考えるようにするのです。事実の世界を尊重して、理知の力は補助的に活用するという考え方です。森田に「感じを優先させて、理知の力で調整する」という言葉があります。たとえば、懇親会で腹いっぱいおいしいものを食べたい。浴びるほど酒を飲みたい。こういう欲望があれば、大いに飲んで食べて、楽しい会話で盛り上がればよいのです。ただし、二日酔いになるまで深酒をすると、明日1日苦しみでのたうち回ることになる。過去にそんな失敗を何回も経験している。これが過去の事実です。こういう苦い経験・事実を活かして、酒の量をある程度セーブするようにする。過去の経験を活かして、調整をしていくということになります。ここで観念を優先させると、「明日は休みだから問題はない。心いくまで飲むぞ」ということになります。そして欲望が暴走します。次の日、二日酔いで後悔することになるのです。
2021.10.24
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森田理論では、不安を取り去ろうと格闘するよりも、その不安を横において、実践・行動することが大切ですと教えてくれています。最初のうちは、実践や行動はできるだけ日常生活と密着したものがよいと思います。料理、買い出し、野菜つくり、整理整頓、身支度、洗濯、子育てなど次から次へといくらでもあります。これらに丁寧に取り組むことです。「凡事徹底」という標語通りです。この方法は実際に神経症で苦しんでいる人は、にわかに納得できないかもしれません。私も最初に集談会に参加したころ、なんというアドバイスだろうと思いました。それよりも、不安を軽減する方法を教えてもらいたかったのです。今になって思えば、「急がば回れ」という格言通りだと思います。それ以外には治しようがない。仮に不安を取り除くための格闘を始めると、精神交互作用で神経症は泥沼化して、最後には固着してしまう。しかし、この方向に意識を切り替えるということは、大変困難です。どん底に陥って、もう後がないという状況に至れば、救いを断念してこの道に入ることになるかもしれません。神経質性格の人は逃避することで、最悪の状況を常に回避しているので、いつまでも背水の陣を敷くことが難しいのです。ずるずると歳を重ねて、晩年を迎えるということになりやすいのです。切り替えるためには、認識の誤りに気付くことが欠かせません。その強力な助っ人が森田理論学習です。森田理論を一通り学習すると、神経症の特徴や治し方は理解できます。しかし、理解しただけでは、神経症は克服できません。それを自分の実践や行動で検証する作業が必要になります。行動することの意味を自分で確かめることが大切になるのです。行動の原則とその特徴は、生活の発見会が出している「森田理論学習の要点」の中で説明されています。その中に、行動を始めると「はずみがつく」というのがあります。最初は嫌だな、億劫だなと思っていても構わないのです。その状態でも、無理やり行動を開始すると、精神が弛緩状態から緊張状態に変化してくるのです。つまり感情が変化してくるということです。これを忘れないようにしたと思います。形から入るのが先で、心はあとから自然についてくるということです。「外相ととのえば、内相自ずから熟す」ということです。つぎに、生活に密着した行動を開始すれば、快の感情が生まれます。「やってよかった。すっきりした」というプラスの感情です。不快な感情に追いまくられている人にとっては、かすかな光明です。この数を増やすことが肝心です。すると、小さな達成感や小さな自信を得ることができます。小さな能力の獲得は、次の生産的、建設的、創造的な行動への呼び水になるのです。それは森田が最終ゴールとしている「生の欲望の発揮」という路線に乗る足がかりとなるのです。課題や目標、夢や希望に向かって努力精進している人は、たとえ神経質性格を持っていても神経症で葛藤し苦悩している人ではありません。人間本来の生き方を目指している人になれるのです。
2021.10.23
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生活の発見会の出している「生涯森田のすすめ」という冊子の中に、夫婦の人間関係のことが紹介されている。・夫婦の力関係について夫の力=100マイナス夫の年齢(70歳であれば、100-70=30)妻の力=100マイナス夫の力(100-30=70)若い頃夫の考え方や行動に合わせていた夫婦も、年齢を重ねるにしたがって、その力関係は逆転する。対等な人間関係を維持している夫婦は少ない。どう見ても妻の方が上司に見えてくる。自分だけならよいが、子供も暗黙の了解で、妻のほうに照準を合わせている。経済的にも精神的にも、妻の尻に敷かれている夫が増えてくるというのである。それは夫が妻に依存しているからかもしれない。食事、洗濯、掃除、整理整頓、生活費の管理、財産管理、近所の付き合い、身の回りの調度品の管理維持まで妻に頼り切りである。日常茶飯事はすべて妻が取り仕切っている。夫は毎月約1万円の小遣いを与えられて、細々と暮らしている。それで好きなものを買いなさいと言われても限度がある。隠し財産を持っていないと、身動きが取れない。特に、定年退職して一日中家にいるようになった夫は、手持ち無沙汰で覇気がなくなる。魂が抜き取られて、生命維持装置を取り付けられて、ただ延命を図っているに過ぎない。妻は、テレビを見て、ネットゲームばかりしている夫を見てはため息ばかり。疲れたといっては横になり、犬のようにゴロゴロされては、掃除機をかけるにも支障が出る。「亭主留守で元気がいちばん」と言われて、厄介者扱いされている人もいる。運動不足になり、ボケてはいけないので、近くを散歩する。本屋や図書館、大型スーパーにいき商品を見て回る。妻の買い物にはほとんどついていく。近くにスーパーがあるのに、車で少し遠くのショッピングモールに出かける。そのうち認知症への不安、足腰の衰えが気になり、老眼が進み、膝の痛み、ガンなど身体的な病気が心配になりサプリメントに頼るようになる。これは他人事ではありません。定年を迎え、仕事がなくなり、趣味や夢や目標がなくなると、多かれ少なかれこの路線に入ってきます。そのうち、その生活にすっかり安住してしまうと、抜けることができなくなってしまう。現役時代に社会的に相当の役職者に登りつめた人ほど、その傾向が高くなります。・生まれ変わっても今の妻と夫婦になりたいと答えた夫は76%生まれ変わった時は今の夫と夫婦になりたいと答えた妻は16%・子供のことはいつも気になるが、配偶者のことはほとんど気にならない。そのような夫の姿を見せつけられると、妻はつい生まれ変わったら別の人とやり直したいと思ってしまうのでしょう。それに引き換え夫の体たらくはどう表現すればよいのでしょう。・夫婦喧嘩をしないコツは、妻の話に対しては、「①助言しない ②評価しない ③詮索しない ④時々相槌を打つ」だそうです。そのうち、夫の方から妻に話しかけることは少なくなっていく。妻が一方的に話していることが多い。夫がほかのことをしながら、「うっとうしいな」と上の空で聞いていると、益々疎遠になる。ましてや、助言、評価、詮索すると、夫婦関係が途端に険悪な雰囲気になる。別の本には次のように書いてあった。・結婚したとき、妻は夫に対して「今はこうだけど、将来はこう変化して欲しい」という希望を持っているが、実際は変化しない夫がほとんどである。反対に、夫は妻に「将来も変わらないで、今のままでいてほしい」と思っているが、妻は必ず変化する。妻は夫により人間として大きく成長して欲しいと願っているが、現状維持が精いっぱい。歳をとるにしたがって、体力も精神面も退化してくる夫が多い。それに対して、妻は嫁にきて足場を固めて、祖父母が亡くなると、そのうち一家を取り仕切り、自立心旺盛になる。興味や関心のあることには貪欲に取り組んでいる。生を謳歌している。夫と妻の勢いはどんどん差がつくばかりである。その結果として、・夫を亡くした妻の平均余命は、その後約17年。妻を亡くした夫の平均余命は、その後約2年。あなたは、この事実をどうお考えでしょうか。今は若いから私たちには関係のない話だと思っていても、「光陰矢の如し」ですぐに老後はやってきます。その時に慌てふためいては遅いのです。
2021.10.22
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自分の感情、気持ち、意志、欲求を抑圧して、我慢しているとどうなるか。石原加受子さんが分かりやすく説明されています。自動車の運転に例えてみましょう。運転席に座っているのはあなたなのに、自動車は、別の誰かによって、あなたの意図しない方向へと進んでいるのと同じことです。いつ曲がるのかも、どんなスピードで進むのかもわかりません。急に停車することもあります。何よりも恐ろしいのは、何のために、いったいどこに行こうとしているのか、わからないことです。こんな状態で、運転を楽しめるわけがありません。そんな状態であるにもかかわらず、「我慢が大事」だと考えて、運転席に座り続けたら・・・。心も体も、不安と緊張でクタクタになってしまうでしょう。ところが、人の心理とは不思議なもので、その状態が長く続くと「この状況を自分で変えるのは無理だ」「この状況に身を委ねるほうがいいのだ」と思ってしまうのです。そして、いつしか「誰かの運転する自動車」に慣れてしまうのです。ところが、その慣れは、残念ながら、「あなたをイキイキと輝かせてくれる慣れ」ではありません。また「あなたを心地よい生活に導いてくれる慣れ」でもありません。知らず知らずのうちに、あなたから、一番大事にしたい「ワクワクとした感情」を奪ってしまう慣れなのです。(もうイヤだ、疲れた、全部投げ出したい 心のSOSが聞こえたら読む本 石原加受子 永岡書店 70ページより引用)自分に湧き上がってくる感情、気持ち、欲求、意志、自分の立ち位置、夢や希望を宝物のように取り扱うことが大事ですよと説明されています。これらを適当に取り扱っていると大変なことが起きます。他人が許可もなしに自分の心の中に土足で入りこみ、我が物顔で歩き回るようになる。自分は戦いに敗れて、主権を奪われて、相手の言いなりに取り扱われている。そういう生活に慣れてしまうと、その状態が当たり前だと思うようになる。他人の思惑に振り回されて、生きていくことは苦痛であるのに、なんとかしようという意欲がなくなってしまう。生きづらさを抱え、身体的な病気を抱えたまま生きていくことになります。特に、社会不安障害の人は、他人の意向を忖度して、これらを二の次に回してしまうことがほとんどです。それは本音を無視して、建前を優先している状態です。それでうまくいけばよいのですが、本音の部分(無意志の部分)はいつまでも抵抗しているのです。いつもモヤモヤ、イライラして、すっきりしない。いつも曇天の中でうつうつと暮らしていくことになる。日本晴れのすっきりした空模様の日が来ることをイメージできなくなってしまうのです。この悪循環を断ち切らないと、いつまで経っても、生きづらさは解消できません。そのためには自分の感情、気持ち、欲求、意志、自分の立ち位置、夢や希望を宝物のように取り扱うことです。森田理論では生の欲望に目覚めるということです。ここで障害になるのは、不安に振り回されることです。不安の裏には欲望があるということをしっかりと理解することが必要になります。また「かくあるべし」という観念主導の世界に身を置いていると、自分の感情や気持ちを最初から否定してしまいます。「かくあるべし」を減らして、事実本位の態度に転換していくことが大事になります。この2つは森田理論の核となる考え方ですから、森田理論学習を続けることで、その出発点に立つことが可能になります。味わい深い人生にして、感謝の気持ちで人生を終えたいと思っている人は、ぜひ挑戦してみましょう。
2021.10.21
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「スピードはマイナスエネルギーを遠ざけるパワーがある」という人がいます。前に向かって進んでいるときは、マイナス思考が前面に出てこない。変化流転しているときは、前向きな気持ちになるということだと思います。これは森田理論の「運動観」につながる考え方だと思います。そんな理論があったのかと思われる方がおられるかもしれません。私の手元にある「森田の6原則」の中に、この「運動観」が入っています。1、健康な生活をする2、他の為に尽くす3、事実唯真の立場4、実践の立場5、運動観6、両面観神経症で悩んでいる人は、同じ場所に留まる傾向があります。誰にもある不安にとらわれて、それらをその都度取り除いてしまわないと、次のことには手が出せないと思っています。几帳面で、一見合理的な考え方のように見えます。しかし現実は、精神交互作用で神経症という蟻地獄の底に落ちていくのです。神経症として固着してしまうと、仕事や日常生活が悪循環を始め、どうすることもできなくなります。普通の人は、心に引っ掛かる不安があっても、しっかりと目標や目的に照準を合わせています。不安があっても、目の前の目標や目的の達成に向かって行動しているのです。常にスピード感を持って仕事や日常生活を処理しているのです。これは自然界の摂理です。地球は太陽の周りを猛烈なスピードで1年かけて一周しています。その太陽系は銀河系の中心の周りを2億年かけて1周しています。銀河系の隣にはアンドロメダ星雲があって、両者はお互いの引力で急接近しているそうです。この二つの銀河は、いずれ将来は合体する運命にあるそうです。2つの銀河の中心にあるブラックホールが一つになるということです。動きを中止してしまうと、宇宙そのものが成り立たないということだと思います。城の堀の水は入れ替えないと藻が生えて汚く淀んできます。雑菌が繁殖してきます。蚊などが増えてきます。川から水を引き入れて、どんどん入れ替えている場合はそのようなことは起きません。谷間の小川は常に流れていますので、雑菌が近寄ろうと企てても、どうにもなりません。自転車やバイクでも、前進することを中止した途端に、自前では立つことはできなくなります。前に向かって動くエネルギーがバランスの維持に役立っているということです。キャッチセールスでも足早にさっそうと歩いている人には、声をかけにくいそうです。ぶらぶらと退屈そうに歩いている人に狙いを定めて声をかけているのです。変なキャッチセールスにつかまりたくなかったら、スピード感を持って歩くことです。自然の摂理に従って、常に運動観を意識した行動をとっていれば、問題は発生しないようになっています。ですから、この運動観の学習が大事になってくるのです。特に神経質者の場合は、気分本位になり、面倒なことにはかかわりたくない。しんどいことはパスしたい。予期不安が発生すると、すぐに撤退を考える。エネルギーの無駄遣いは極力抑えたい。うっかりして動くことを控えるようになるのです。一見合理的な考え方のようですが、観念優勢の世界にどっぶりと漬かり、手持ち無沙汰になる。その時注意や意識は自己内省的に働く。自己嫌悪、自己否定感でやりきれない気持ちになる。こういう悪循環体質が習慣になると、生きていくこと自体がむなしくなります。自然の摂理である「運動観」を基本的な方針として、その行動が暴走しないように、理智で調整して、バランスの維持を図りながら生活していくというのが、森田理論の目指している方向となります。
2021.10.20
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次のエピソードから、人間関係のあり方を考えてみたいと思います。会社で上司が部下に、「これをやっておいてくれ」と仕事の依頼をしました。部下は「はい分かりました」と返答しました。その時部下は、今やりかけ中の仕事があるので、それが終わってから取りかかろうと思いました。するとしばらくして、上司がやって来て、「あれ、できているか」と尋ねました。部下は、「はい、すぐにやります」と答えましたが、もう少しで自分の仕事が終わると思った彼は、上司から依頼された仕事を後回しにしました。三度目に上司がやってきたとき、堪忍袋の緒が切れました。「上司の指示を何だと思っているのだ。もうやらなくてもいい。だからお前はダメ社員なんだよ」とものすごい剣幕で怒鳴りました。部下は突然のことで大変驚きました。断ったわけではないのにどうして叱責されなければいけないのか。いきなり上司が切れて、暴言を吐いたので、心が傷ついたというのです。部下は上司が切れるとは想定外の出来事だったというのです。一方、上司は我慢に我慢を重ねていたのですが、ついにダムの水がいっぱいになり、一挙に決壊したのです。このことが部下には全く理解できなかったのです。確かにこうしたすれ違いがあると、上司と部下の人間関係は一瞬で険悪になります。お互いに周りの人を巻き込んで相手の悪口を言うことになると、組織は滅茶苦茶になります。この場合は上司と部下という立場の違いはありますが、力関係は拮抗していると思います。上司が有無を言わさないで、相手を自由にコントロールすることは不可能です。力が拮抗していると、お互いが自分の考えや気持ちを前面に押し出していくようになります。森田でいうと、お互いが自分の「かくあるべし」を相手に押し付けるようになるのです。すると相手の「かくあるべし」と自分の考えや気持ちが対立するようになります。「かくあるべし」を押し付ければつけるほど相手との人間関係は悪化してしまいます。お互いの力関係が拮抗している場合は、対立関係、犬猿の仲になりやすいと思います。夫婦の人間関係、親子の人間関係でもそうです。友達関係もそうです。同僚もそうです。この場合は、お互いが「かくあるべし」を持ち出して応酬をしてしまうので、勝つか負けるかの戦いに発展してしまうのです。そして喧嘩をしてお互いに傷ついて、犬猿の仲になるのです。これを防ぐことはできないのか。森田理論では「かくあるべし」の応酬をするのではなく、まず相手の立場、言い分、気持ち、事情を考えてみることを提案しています。つまり事実本位に徹することです。先の例では、上司がこの仕事は、午後の会議で使う急ぎの仕事であること。自分は別の準備があるので時間が取れないことを部下に伝えて、なんとか協力してもらえないかとお願いする。交渉したからと言って、部下が引き受けてくれるかどうかは分かりません。そのときは不本意ながらも上司は引き下がらなければいけません。他に適当な人を見つけるか、自分で準備するしか方法がありません。部下には部下の言い分があります。いきなり指示命令で、自分をこき使おうとする上司の態度に不満を感じる。自分の仕事は自分なりに段取りがあって、それを中断されるのは困ります。まして、自分もノルマや時間との戦いの中で仕事をしているのだ。そのことを配慮してほしい。その日の仕事が遅れて残業や明日に廻すことはしたくない。あとで、遅れた分を助けてもらえるという条件なら快く引き受けてもよい。など。上司はいきなり自分の仕事を押し付けるのではなく、相手の気持ちを斟酌しながら交渉をする。うまくいかないときのことを考慮して、第2案、第3案を考えておくという姿勢が大切になります。相手にお願い事をするとき、当然相手は引き受けるべきだと考えているとすれば、見込み違いになった時のショックは計り知れない。実際はその方が多いように思います。たとえば集談会で「世話役を引き受けてもらえませんか」と交渉することがあります。断られるケースも多々あります。いちいちショックを受けていたら消耗します。引き受けるべきだという考えに固執していては、必ず後に尾を引きます。そのうち、依頼することが恐怖になります。そして世話役の補充ができなくなり組織が低迷してくるのです。このような硬直した考えでは、人間関係はうまくいきません。そのうち、相手を非難する。否定する。冷たくする。無視する。つまり、たえず仕返しを考えるようになる。これは相手は自分の依頼を断るべきではない。素直に従っていればよい。相手を服従させて、意のままにコントロールしようとしているのです。森田理論でいくら「かくあるべし」を少なくして事実本位の態度にならないと、神経症から立ち直り、生きづらさはなくならないと分かっていても、強力な観念優先の態度がコールタールのようにまとわりついているといった感じです。自分には自分なりにこうしたいという欲望・気持ちがあります。それは裏を返すと、相手にも相手の立場、気持ち、事情があるということです。この考えがすっぽりと抜け落ちて、自己中心が独り歩きしてしまうとまずいのです。自分の気持ちを私メッセージで伝えて、相手の都合や事情をきく。難しければ、「じゃまた機会があったら、お願いします」と身を引く。行動の決定権はあくまでも相手に委ねるという態度を維持する。その匙加減は、数多くの失敗の経験の中ではぐくまれてきます。双方の言い分を明らかにさせて、つぎにその溝を埋めていくのが、人間関係を良好に保つ秘訣になります。しんどい交渉ですが、この態度を維持していると、人間関係はよくなります。森田理論はその方向を目指している人を応援しているのです。
2021.10.19
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それでは、「条件反射制御法」の実際についてみてゆきましょう。たとえば、人を見ればつい悪口を言ってしまうという「癖」を治したければ、「私は今、人の悪口を、言わない、大丈夫」と言いながら、最初に胸に手を当て、つぎに離して拳を作り、その後、親指を拳に握りこむ等の、簡単で特殊な動きをします。これをすることで、「ハマり」行動を意識、その精神活動の一部が作動し、大脳が刺激を受けます。この言葉付きの動作を「制御刺激」と呼びます。初めのうち、「制御刺激」をすると大脳は刺激を受け、「ハマり」の行動に向かって「第一信号系」の反射連鎖が作動します。しかし、「制御刺激」は意識的に行っているので、その「ハマり」行動を成功させません。失敗させるのです。定着していたある行動を司る「反射連鎖」を作動させ、しかし、失敗させることを反復するのです。そうすると、失敗する行動は進化を支えないので、徐々に弱まっていきます。そのうち、「制御刺激」をすると「ハマり」行動が止まる合図となります。つまり「ハマらない」条件付けができます。以後は、「ハマり」行動への「欲求」が生じても、条件付けされた「制御刺激」をすることで「欲求」が数秒で消え去るようになるのです。信じられないかもしれませんが、1日に20回以上、この作業をすれば、ほとんどの人は2週間ほどで、「制御刺激」とその後の「反応」が脳に条件付けられます。1日20回、「制御刺激」を行うわけですが、「制御刺激」と次の「制御刺激」まで、20分以上の間隔をあける、というルールがあります。つぎに注意点について説明します。1、「ハマり」行動をやめたいという希望や誓い、念じるものにはしません。「私は今、飲みに行きたくない、大丈夫」とか、「私は今、確認行為をしないようにしよう」とか、「私は今、キレませんように」はダメです。2、「制御刺激」の言葉は、自分が「ハマり」行動ができない環境にいることの確認、少なくともそれをしていない事実を確認するものにします。たとえば、「私は今、ガスの元栓の確認行為をしない、大丈夫」「私は今、アルコールは飲まない、大丈夫」「私は今、キレない、大丈夫」などです。3、もっともドキッとする「言葉」を探し、キーワードに選びます。「私は今、暴言をはかない、大丈夫」よりも、「私は今、上司であるAさんに暴言をはかない、大丈夫」の方がベターです。4、不安や心配ごとにとらわれている時よりも、比較的ほっとしている時間に「制御刺激」をすることです。ご飯を食べた後やきれいな景色を見ている時、友達から優しい言葉を言われたとき、犬と散歩している時、などです。5、「制御刺激」の言葉には、「私は」「今」「大丈夫」を必ず入れるようにしてください。6、「制限刺激」を行うときは、必ず目を開いて行ってください。第一ステージは以上です。ここでは要点のみを紹介しました。病院で治療として行う場合は、疑似と呼ばれる第二ステージ、想像といわれる第三ステージ、維持といわれる第四ステージがあります。ここでは詳細の説明は割愛します。くわしくお知りになりたい方は、下記の書籍をお読みください。(「やめたいのにやめられない 悪い習慣 をやめる技術」 小早川明子著 平井愼二監修 フォレスト出版)神経症で苦しむような人は、不安にとりつかれて生の欲望の追及は抑圧されるといわれます。しかし、その反動なのかどうかわかりませんが、ギャンブル、アルコール、ネットゲーム、過食、罵詈雑言、風俗などにはまる人も多いように思います、本能的な衝動的な行為に振り回されることがあるという自覚のある人は、その対策をしっかりと立てておかないと、森田以前のところで足もとを掬われてしまうということになりかねません。
2021.10.18
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本文の右側の下の方にある「category」の最後尾に、親しみやすく、分かりやすくリニューアルされた「NPO法人 生活の発見会」のホームページにすぐにアクセスできるタグをつけました。同様に、私が管理している「森田理論学習のすすめ方」のホームページにすぐにアクセスできるタグも取り付けました。必要に応じて、ご利用ください。
2021.10.17
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自分の健康や生活を損なうことが分かっているのに、やめるにやめられない。あるいは、反社会的行為で警察沙汰になるかもしれないのに、つい手が出てしまう。たとえば、飲酒、喫煙、ギャンプル、ネットゲーム、過食、薬物、盗撮、痴漢、ストーカー、盗み、暴力、暴言、虚言、詐欺、遅刻癖などがあります。これらは、ブレーキが故障した車を運転しているようなものでとても危険です。我慢することができなくて、本能のままに行動すると、後で取り返しのつかない事態に追い込まれます。自分の健康や生活が破壊され、社会的には抹殺されるような事態に陥らないとも限りません。本能むき出しで衝動的な暴走行動はどう取り扱ったらよいのでしょうか。これらに対して、「条件反射制御法」という治療法があります。2006年平井愼二医師(千葉県の下総精神医療センター・精神科医)によって確立されて、臨床面で大きな成果を上げています。比較的新しい治療法です。今では学会まであります。全国各地で問題行動を起こす人たちの立ち直りの手段として活用されています。やめたいのにやめられない行動で苦しんでいる方は、ぜひ参考にされるとよいと思います。これはパヴロフの条件反射が基礎となっています。犬に対してベルを鳴らした後にエサを与えるということを繰り返していると、ベルを鳴らすだけでよだれを出すようになる。本来ベルが鳴ることとよだれを出すことはまったく別のことです。しかしベルを鳴らして餌を与えるということを繰り返していると、犬の脳は餌が出てくるというとを前もって察知してしまうということです。ある刺激を繰り返して与えていると、無意識的に、いつもと同じ行動をとってしまうということです。これが問題になるのはマイナス行動を自動的に選択してしまう場合です。冷静な時に考えると、こんなことは人間としてやってはいけないと分かっていることを、無意識のうちに当然のように選択してしまうのです。後で冷静になって考えると、健康を害し、自分や家族の生活を破壊し、社会的な制裁を受けるようなことでも、自ら歯止めをかけることはできなくなるのです。普段は人格者と思われているような人でも、二重人格者のような一面を見せるのです。なぜこんな悲惨なことが起きてしまうのでしょうか。人間は不安やストレスを抱えた場合、なんとか解決して苦しい状況を打開しようとします。太古の昔は、肉食獣におそわれる危険性が絶えず付きまといました。絶えず周囲にアンテナを拡げて危険を察知しなければ生き延びることはできませんでした。もし危険があれば、仲間に知らせて、一緒になって一目散に逃げるしかありません。木の上に登るか、洞穴の中に逃げるか、弱いものをいけにえにして他のものが助かる道を選択するか、とにかく命がけなわけです。そのうち逃げているだけでは、人類は絶滅してしまう。そうだ、武器を持って敵を倒せば、我々は生き延びられるかもしれない。最初は他のものと協力して、槍のようなもので闘っていました。今では銃のようなものがあります。頑丈な四輪駆動の自動車に乗り、銃を装備していると、アフリカのサバンナでも肉食獣の餌食になることはありません。そういうことが分かっていますから、無防備で肉食獣がたむろしているところに行くことはありません。これは人類がそういう成功体験を持っており、その経験に基ずいて必然的に正しい行動を選択しているのです。人類が自然の脅威に対して、今まで生き延びてきたということは、対応方法を身に着けてそれが機能してきたということです。それらは成功体験として脳の中にしっかりと刻み込まれています。成功体験を持っていると、同じような危険なことが起きた場合、迷わずその成功体験に基づて、即座に行動を開始できるのです。やってはいけないということをつい衝動的にやってしまうということは、以前にどうしたらよいか分からないで右往左往したことがあるのです。そしていろいろ考えて、その苦しくてつらい状態を曲がりなりにも脱するストレス解消法を身につけたのです。それを平井医師は、「生理的報酬を得た」と表現されています。それが大脳にしっかりと記憶されているのです。それが自分の健康や家族の生活、人様に迷惑をかけないものなら何ら問題はありません。ところが最初あげた問題行動によってストレスを回避しようということになると、これは大いに問題になります。こういう出来事に対する自動的な行動は、自分の健康や生活を破壊し、社会的制裁を科せられることになることであっても、そのとき是非善悪の判断が正常に機能していないのです。残念なことですが、問題行動に理性を失い猪突猛進してしまうのです。これは意志が弱いから起きているのではないのです。脳がそれを選択して生き延びるような仕組みができているのです。例えば、過去に今まで一流の経済学者としてテレビに出ていた人が、エスカレーターで盗撮して警察に検挙される事件がありました。今までの信用は一挙に失われてしまいました。さらに人間的に野放しできないダメな人と評価されてしまいました。それ以外の面では、飛び抜けて優秀な面を持っているのに、人格全体を否定されて、ダメ人間として取り扱われることになりました。これは、本人にとっても社会にとっても大きな損失となります。こういう人は、時と場合によっては、自分は本能むき出しの衝動的な行動をする人間であると自覚することが肝心です。時と場合によっては、自己統制能力は働かなくなると自覚できればよいのです。自分一人では無理ならば、他人の監視のもとに行動することが必要になります。こういう人は「条件反射制御法」を取り入れて予防することが役に立つと思います。興味や関心のある方は、ネットで検索してみてください。千葉県にある下総精神医療センター(独立行政法人 国立病院機構)をはじめ、全国各地に専門病院があります。また書籍もあり、分かりやすく解説されています。「やめたいのにやめられない 悪い習慣 をやめる技術」 小早川明子 フォレスト出版など。この衝動的で短絡的、後で取り返しのつかない自己破壊的、反社会的な行動に自覚のある方は、何としても阻止する術を持たないと、一瞬で自分の将来は暗澹たるものになります。具体的な「条件反射制御法」については明日紹介いたします。
2021.10.17
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私は神経質者が悔いのない人生を送るためには、次の2つのことを心掛ければよいのではないかと思っています。一つは常に課題や目的、目標を持った生活を続けることです。もう一つは、良好な人間関係を築くことです。一番目ですが、これは1日、1週間、1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、1年、3年、5年、10年というように、時間軸に分けて目標を設定しておくように心がけたいものです。長期目標を設定していると、生きがいが持てます。また「継続こそ力なり」という言葉がありますが、小さな成功体験を積み重ねていると自信がつきます。自信がつくと自己嫌悪や自己否定感が後退して自己肯定感がでてきます。さらに、次への目標にチャレンジする足掛かりができます。趣味でも仕事でも資格取得でも何でもよいので、夢や希望を持って挑戦したいものです。この中で、森田で重視しているのは、日々の課題や実践目標です。これは規則正しい生活の中で行うことが肝心です。生活は緊張と弛緩というリズムの中で進行しています。その波に上手に乗るということが大切です。日々の課題や目標ですが、自分でできることはなるべく自分で行うことが望ましい。特に食材の調達、食事作り、後かたづけは必須です。できれば、自家用野菜、加工食品、料理の工夫などまで踏み込めれば申し分ありません。つぎに掃除、洗濯、ゴミ出しがあります。掃除機をかけて、拭き掃除を丁寧に行うことです。たとえば、マンションですと解放廊下側の面台が汚れている家が多い。森田では外相を整えると言いますが、ここをきれいに拭き掃除をされている人は、家の中まできれいに掃除されていると思います。それから身支度を整え、家の不具合箇所を直すことも必要です。こうした課題を1日のルーティンとしてきちんと繰り返すことが大切です。同じ時間に同じことを手掛けている状態にすることです。ものそのものになって、気づきや発見、興味や関心が生まれてくるようになればよいと思います。日常茶飯事を丁寧にこなすことを心掛けて、症状のことは、その後で考えようというふうにすればよいと思います。つぎに人間関係ですが、森田理論の「不即不離」を心掛けることです。広く浅く交際範囲を広げることです。親密でベッタリの人間関係はリスクが大きい。必要に応じて、必要な人間関係を維持することを心掛けた方がうまくいきます。それと人間が2人集まれば考え方や気持ちの相違があるわけですから、他人を自分の思い通りにコントロールすることはできません。人間関係は常に相手との交渉事だと心得ることです。交渉というのはうまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。どちらかというとうまくいかないときの方が多いと心得ておくことです。それを頭に入れながら、譲ったり譲られたりするのが普通です。そのためにはまず自分の考えや気持ち、欲求や希望をはっきりさせることです。それをもとにして、相手の考えや気持ちとどう交渉するかということになります。自分の考えや気持ちがしっかりしていないと、相手の思惑に振り回されてしまいます。ここで活躍するのが森田理論の「純な心」と「私メッセージ」の活用です。「純な心」は自分の素直な心のことです。「かくあるべし」という観念から出発した感情ではありません。自分の本心を大事にして相手と向き合うことが大切です。「私メッセージ」ですが、相手と応対するときは、私を主語にして、自分の気持ちを伝えることに専念するということです。一方的に指示や命令をする事ではないはずです。つぎに相手と話しするときどういうふうに声掛けをしたらよいのかというコツのようなものがあります。挨拶を欠かさないというのもその一つです。このブログでもいくつか紹介しています。カーネギーの「人を動かす」という本も参考になります。不即不離を基本にして、これらを加味して人間関係を育てていけば、類は友を呼んで、楽しく人と付き合うことができるようになります。人とうまく付き合うことで、人生は深みを増してきます。
2021.10.16
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以前に体操日本代表に選出された白井健三選手のお話です。白井選手は床が得意です。床には150の技があるそうですが、その中で「後方伸身2回宙返り3回ひねり」という技はH難度で一番難しい技とされています。「シライ3」と呼ばれて彼しかできないと言われていました。金メダルを獲得して当たり前という状況の中で、2014年の世界選手権の「ゆか」は2位でした。白井選手は、その敗因について「同じことをやっていたから負けたんだ」と考えたそうです。この大会で彼が披露した技は、すべて前年の世界選手権で優勝したときと同じものでした。「知らないうちに満足していて、「同じ内容でも勝てるだろう」と思ってしまったのです。失敗しないのが当たり前で、演技の内容自体に目標を見失っていました」この反省は次に活かされました。気分を切り替えて2015年の世界選手権では、当時の最高のG難度の大技「リ・ジョンソン」を成功させました。そのほかの大技も次々と成功させて再び世界王者に返り咲きました。白井さんは、過去の成功体験に浮かれて、以前と同じ演技構成で臨めば勝てると考えたときはよい成績が出せなかった。新しい技に挑戦するのだという目標が持てたときは、よい成果が出せるようになったと言われています。(弱さをさらけだす勇気 松岡修造 講談社)どうしてそんな現象が起きるのか。脳の仕組みを知っていると容易に察しがつきます。成績が振るわなかったときは、本番になって、自分でも気がつかないうちに、緊張感が薄れ、弛緩状態(根拠のない安心感や安堵感)が入り込んできたのです。すると、神経伝達物質のドパミンの出が悪くなります。その影響はやる気の脳と言われる側坐核や前頭前野に及びます。側坐核の活動が抑えられてしまうので、思いのほか勝負に徹しきれない。前頭前野は精神拮抗作用で、「まさか、失敗するようなことはないだろうな」と自分自身を疑心暗鬼に追い込みます。自分でも何とかしなければと思っても、どうも士気が上がってこない。さらに予期不安でいたたまれなくなるという状況に追い込まれているのです。これでは、勝てる試合も負けてしまう。こんなことは受け入れられないと思っても、どうすることもできないのです。白井さんは本番では緊張しないタイプだそうです。そのために練習ではできなかったことが、本番で、初めてできたという経験を何度もされているそうです。「シライ3」もそうでした。その原因は、練習段階から、現状維持にとどまらず、高い目標を持って挑戦するという建設的な意識が、結果として本番での過度の緊張状態を遠ざけていたからだとみておられるようです。この考え方は私たちも大いに活用させてもらいたいものです。スポーツ、楽器の演奏、発表会、講演、試験などでも、緊張感で金縛りの状態になると、本番では十分な成果が出せません。失敗して恥をかいてしまいます。実に残念なことです。練習ではできたという根拠のない安心感だけではとても太刀打ちできないと思います。普通そのような時は、深呼吸をし、反復練習をして気を紛らわせることをします。この手の行動は、緊張感なくするという面では、逆効果になる事があります。イチロー選手や羽生結弦選手はルーティンを重視しています。今やるべきことをルーティン化して、今に意識を集中させることで金縛りに陥ることを防止しているのです。これも一つの手だと思います。もう一つは、白井さんの考え方を応用していくことです。練習段階から、一段階高い目標を設定して、それを追いかけるという意識を持つことです。そういう気持ちになると、感情が内向きになる事がありません。精神拮抗作用が出しゃばるという隙を与えません。気持ちが外向きになり、大脳の協力を得て、目標の達成に向かいますので、結果がついてきやすいのです。
2021.10.15
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落合博満さんはプロ野球の世界で、3冠王を3度獲得し、引退後は中日の監督として8年間で4度のリーグ優勝を果たしました。選手としても監督としても、成果を出し続けてきた人です。それなりの信念と哲学がないとできる事ではないと思います。落合さんのバッティング理論と組織掌握術から学ぶことは多いように思います。私が感銘を受けた点をご紹介します。まずはバッティング理論です。右バッターの場合右肩は固定しなければいけないそうだ。力をためるために右肩を中に入れると球筋がきちんと見えなくなる。つぎにバットを出す時は手から先に出ないといけない。その次に胴体や腰が出てくるというイメージです。胴体や腰が先に出てきて手が後から出ると、身体が開いてタイミングが合わなくなる。つぎにバットはアッパースィングよりは、ダウンスィングが理にかなっている。重力に逆らうよりも、重力を利用する方が自然である。ヒッチとロックという予備動作をしてタイミングを計ることが大切だ。ヒッチというのは、グリップを上下に動かす動作のことです。ロックというのは、手首を返す動作のことです。バリーボンズにしろ、川上哲治氏にしろ、この予備動作を重視している。前ひざは固定しないといけないと言われるが、これをすると膝を壊します。前ひざは、軸足や肩の固定、予備動作、手、胴体、腰の順番に動かすと最後の動きになります。そのままとめないで素直に回転させることが理にかなっている。監督としては、ベンチで一喜一憂しない。ミーティングは一切行わない。選手をことさら鼓舞しない。それには理由があるのですが、とくかく型破りです。その点では、星野監督や野村監督とは、ほとんど話がかみ合わない。それで「オレ流」と言われました。選手に対しては、誰もできないことを目指す必要はないとはっきりと言われています。それよりも、誰でもできることをきちんとこなしてくれる選手を評価している。これをやらせれば100%に近い成果を出してくれる選手が好ましい。だから選手としては、成果を出せるものを1つか2つは身に着けてほしい。監督としては、この人間に任せておけば成功間違いなしという方が計算が立つからだ。成功の確率が50%というものを5個も10個も持っているよりも、100%これだけはできるというものを⒈個か2個持っている人の方が、よほど信頼ができる。たとえばバッティングは心もとないが、守備ではまずエラーをしない。外野から遠投ができる。ここはと思うところで、盗塁を決められる。ヒットを打つのはもう一つだが、バントだけは確実に成功できる。バットの芯に当てるのがうまい。野球センスは心もとないが、大声を出して味方を鼓舞してくれる。走攻守すべての分野で一流というのは求めていない。プロ野球の世界でも、そんな人はほとんどいない。求めてもなれるものではない。それよりも一芸に秀でた選手を評価する。それに向けて努力している選手に魅力を感じる。ドラフトに掛かるような選手はどこかに取り柄があった選手である。その選手が、すべての面で平均的なレベルに達するための努力をするよりは、これは差別化できると思った一点にフォーカスして努力精進していくことが、長らくプロ野球の世界で飯を食っていけることにつながる。私はこの話を聞いて、森田理論を正しく学んで、実際の生活面に活用して、ほぼ自分のものにしていくことが大切だと思いました。習慣化するまで気を抜かないことです。またあれもこれも手をつけることが多いのですが、すぐに飽きて放棄してしまうのはもったいないと思いました。中日の元ピッチャーの山本昌さんも指摘されていましたが、自分で決めたことを粘り強く継続することが肝心です。「継続こそ力なり」という言葉がありますが、せめて一つだけは、その道を極め尽くすのだという態度を持ち続けることが大切だと思いました。
2021.10.14
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今日はイヤな気分に振り回されない方法を考えてみたいと思います。本などを読んでいて、眠いなと感じると、すぐに横になって寝てしまう人がいます。私も昼食後、横にはなりませんが、机の上に頭をのせて20分から30分くらい仮眠をとります。また車の運転中に眠くなると、すぐにサービスステーションや空き地に車を止めて、仮眠をとります。仮眠をとると、眠気が取れて新たな気持ちで運転できます。時間的には20分以内です。それとは別に、会社が休みの日に、家の中にいると、昼間、急に眠くなることがあります。その気持ちのまま横になって1時間くらい寝てしまうことがあります。夜は6時間から7時間くらい、十分すぎるほど寝ているのに、どうして昼間睡魔が襲ってくるのでしょうか。睡魔が襲ってくるときは、精神が弛緩状態にあるときだと思います。休みの日にやるべきことに取り組んでいると、あっという間に時間が経ちます。これは精神が緊張状態にあるときです。精神が弛緩状態に入るとそういうわけにはいきません。特に急いでやるべきことは何もない。なんとなくテレビをつけてみている。本を読んでいても難しい本や興味のない本の場合は、緊張感がなくなり、その隙間を埋めるようにして、睡魔が忍び込んでくる。やけに体がだるいな、眠くて仕方がない。このままでは何も手につかなくなる。仮に手を出しても集中できない。その気持ちを大事にして、少し眠って、睡魔を取り除いて、すっきりして次のことに取り組むことにしたい。そういう気分に促されて横になってしまうのです。このように思うことは、もっともな考え方のようにみえます。森田理論では、こういう考えは気分を中心とした考えであり、気分に振り回されている態度あるといいます。森田先生は気分本位の態度はよくないといわれています。気分というのは「よい気分」と「悪い気分」があります。よい気分の時は、好奇心が強まり、興味や関心が高まり、ドパミンが出続けている状態です。ギャンブル、薬物、アルコール、ネットゲーム、睡眠、グルメ、買い物などに取り組んでいるような時です。気分本位の人は、良い気分についのめりこんでしまう傾向が強いようです。気が付いたときは完全に依存症に陥り、自分一人では抜け出すことができないことになります。悪い気分が湧き上がってくると、対処しなければならない問題点や課題があっても、回避してしまいます。予期不安が湧き上がってくると、右往左往するばかりで何ら対応しない。昼間睡魔が襲ってくると、その気分のままに横になって目が覚めるまでいつまでも寝ている。気分というのは感情ですから、人間の意思の自由はありません。しかしよい気分、悪い気分が湧きあがってきたときにどう対応するかという自由はあります。よい気分の時は、その感情が暴走しないように制御する必要があります。自分一人では制御できない場合は、他人頼んで制御してもらうことが有効です。いつまでものめりこむというのは、ハツカネズミがいつまでも糸車を回し続けているようなものです。本能的に行動しているだけで、行動自体にはほとんど意味はありません。悪い気分の場合はどうするか。森田理論に「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にあり」という言葉があります。昼間横になって寝てしまいたいと思った時、そのまま寝てしまうのは芸がありません。そんなときは心機一転、身体を動かすような別のことに取り組むようにするのです。同じことを続けていると、疲れがたまると同時に飽きがきます。つまり精神が弛緩状態に切り替わってくるのです。それを意識して切り替えてやればよいのです。別の課題に切り替えると、精神が緊張状態に切り替わり、気持ちの張りが生まれてくるのです。人間の生活は常に緊張状態と弛緩状態をくり返しています。その波に上手に乗って生活を維持することが大切になります。
2021.10.13
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森田先生は、神経症で苦しくて休職や辞職することを禁止しておられます。失業する前に僕の診察を受けると、僕は決して職業を辞めさせないと言われています。水谷君は大学受験を1年延ばすというのを撤回させた。山野井・行方・谷口君も、みんなわずかの違いで、職を離れるところだったのである。倉田百三さんは、強迫観念を治してから、しかる後に原稿を書こうと考えておられたのを、僕が勧めて、苦しいながら原稿を書くようにした。後になって見れば、その時の創作がかえって出来がよかったとの事です。神経症に陥るとイライラして仕事が手につかなくなります。精神的にも肉体的にも苦しい。人間関係も悪化しています。一刻も早く休職して神経症の治療を受けたいと思うのが普通だと思います。休職や退職は一時的には確かに楽になります。しかしその反動を忘れてはなりません。今までは症状を抱えていても、その事ばかりに関わってはいられない状況に置かれていたわけです。いくら仕事が遅くて他人に迷惑をかけていたとしても、どっぷりと症状に向き合っていることはできなかったのです。しかし一旦休職や退職した場合、四六時中症状の治癒のことばかりに専念できます。将来に明るい展望が見えてくるような錯覚に陥ります。これは認識の誤りです。かえってというか、当然というか症状は悪くなります。神経質性格は自己内省性が強いという特徴があります。これが大きくマイナスに働いてくるのです。常に自己嫌悪、自己否定的に働き、精神交互作用によって、悪化の一途をたどることになります。神経症の葛藤や苦しみは、自分の頭の中で苦の種を作り出して、一人で相撲を取っているようなものです。周りから見るとどうしてそんなことに苦しんでいるのか。精神異常を起こしているとしか見えない状態です。神経症に陥ってしまう人は、必ず何らかの強い欲望を持っています。対人恐怖症の人でしたら、人から高く評されたい、一目置かれるような人間になりたいなどです。その反動として、非難、否定されるようなことは絶対にあってはならない。悪口を言われ、からかわれ、無視されるようなことは絶対に許すことはできないわけです。強力な「かくあるべし」を持って自分を監視しているわけです。そのうち本来の自分の目的を忘れて、不安を取り去ることが唯一最大の問題にすり替わってしまったのです。本来の目的を見失って、とんでもないことを目標に再設定してしまったのです。それからの努力はすべて成果の上がらないむなしいものになってしまいます。そこに発生している不安は、欲望が暴走しないような役割を果たすために発生しているのです。これを精神拮抗作用といいますが、太古の昔から人間に標準装備されているものなのです。神経症になるというのは、その不安の取り扱い方を間違っているのです。誰でも新しい車や電化製品を買った時は、取扱説明書で研究し正しい使い方を学びます。それと同じように、不安の特徴や役割、欲望と不安の関係を学ぶことが大切になります。休職や退職を選ぶということは、ただ単に今の当面の苦しみから急いで逃げ出すことです。その道は、経済的な損失のみならず、精神衛生の面から見ても、明らかな間違いと言わざるを得ません。神経症で苦しいでしょうが、衝動的に安易な道を選択しないことです。以上はうつ病などの器質的な精神疾患で苦しんでいる人には適応されません。精神科医の診断を仰ぎ、絶対安静、休職などが必要になります。薬物療法に取り組むことで、問題解決に至ります。
2021.10.12
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ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に一人の患者の残した詩があるそうです。これを日本語に訳すと次のようになります。大きなことを成しとげるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。より偉大なことができるようにと健康を求めたのに、より良きことができるようにと病弱を与えられた。幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと命を授かった。求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。神の意にそわぬものであるにもかかわらず、心の中の言い表わせないものは、すべて叶えられた。私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。この話は森田理論に当てはめて考えると分かりやすい。「・・・であってはいけない」「・・・であるべきである」「・・・であってほしい」と頭の中で熱望していたことは、ほとんど達成できなかった。現実は、理想として頭に描いていたことと真反対のことばかりが起きた。自分思い通りにならない現実を真の前にして、絶望し、途方に暮れて神様を恨んだ。神様には血も涙もないのか。神様だけではなく、自分も他人も、運命や境遇もすべてが自分に冷たい。もうどうなっても構わない。破れかぶれな人生が口を拡げて待っている状態です。ここでの問題点は、森田理論を学習した人はよくお分かりだろうと思います。自分の立ち位置が問題です。雲の上に自分の立ち位置を決めて、地上いる自分を眺めているとこのような状態になります。どうにも我慢できなくなって、事実とけんかを始めてしまうのです。これはせっかく人間という知的生命体として生を受けたのに、絶望感でのたうち回るようになります。自分の立ち位置を地上に置いている人は違います。現実、事実、現状にしっかりと足場を築いて、目標や夢や希望を下から見上げている人です。そしてその目標の達成に向かって、数多くの達成可能な小目標を作り、少しずつ階段を上っている人です。現実、事実、現状を否定していない。そこに強固な土台を作り上げている人です。世の中を見渡してみるとそういう人は案外少ないように思います。神経質性格の人は頭の良い人です。記憶力の良い人です。学業優秀な人です。観念優先で、世の中の問題点や課題は、脳をフル回転させればなんでも解決できると考えてしまう傾向があるのです。つい現実、事実、現状を軽視、無視することになりがちなのです。分析力がある。思考力がある。創造性がある。などという優れた特徴を最大限に活かすためには、現実、事実、現状を宝物として大切に扱うようにすることが大切です。事実から出発して理知で調整するという順序を逆にしてはいけません。それが葛藤や苦悩の原因を作り出していることに気づいた人は生き方が変わります。
2021.10.11
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松岡修造さんのお話です。僕が選手時代、ひざを痛めて手術をしなければならなくなったときや病気で苦しんだとき、ものすごく落ち込んで、頭のなかが「なぜ?」ばかりになりました。「なぜ、オレがけがしなきゃいけないんだ。なぜ、いつまでたってもひざが痛いんだ。なぜこのタイミングで病気なんだよ。なぜ、なぜ、なぜ・・・」でも、あるとき気づいたんです。「why(なぜ)」ばかり考えていたって、何もよくならない。ここから抜け出すための「how(どうやって)」を考えなければいけないんだ、と。ひざのけがは、もう完全には治らないことが分かっていました。ならば、そのけがとどうやって付き合っていくか、ひざをカバーするために、どこをどうやって鍛えればいいか・・・。そう考えるようにしたことで、少しずつ落ち込みから抜け出すことができました。それでも立ち直るのに1年かかりましたが、「どうすればいいか」がわかれば、失いかけた自信を取り戻すことができます。また、ピンチだからこそ学べることもあります。僕の場合は、2度の大きなけがをしたピンチの時期に、メンタルトレーニングやイメージトレーニング、食生活の管理などを本格的に勉強し始めました。けがをしていなかったら、そういう時間は作れなかったかもしれません。この時期は、僕がいちばん成長し、心が以前よりもグンと強くなった時だと思っています。あなたにも、「なぜ、思うような結果が出ないんだ。なぜ、自分ばっかり苦しい思いをしなければいけないんだよ・・・」と、「whyの嵐」におそわれる時期があると思います。でも、「why?」と思うのは、自分自身に意識が向いている証拠。自分の置かれた状況から目をそむけるより、ずっといい!「よっしゃ、いいぞ」と自分に声をかけ、そこからさらに「how?」へと意識を向けていこう!(弱さをさらけだす勇気 松岡修造 講談社 139ページ)この話は、観念の世界に身を置いて、現実のさまざまな問題を恨み、否定、攻撃する態度はやめた方がよい。その方向を選ぶとますます落ち込んでいく。やるべきことは、まずその問題だらけの事実を正しく把握するようにする。そして不本意ではあろうが、その事実を素直に認める。そして受け入れていく。次にどうすれば問題解決につながるかを様々な角度から考える。いくつかの選択肢からこれはと思ったものを選択して行動に移す。森田理論では、自分の立ち位置を雲の上のようなところにおいて、問題だらけの現実を非難、否定していると、葛藤や苦悩が生まれてくるという。神経症の発生原因となっている。雲の上からすっと地上に降りてきて、問題に寄り添ってみる。そしてともにどうすれば問題解決につながるかを考えて実行することが肝心ですよと教えてくれています。観念中心の「かくあるべし」を押し付けていく態度を弱めて、できるだけ事実に服従する態度に切り替えていくと、それが即、逆転人生へと切り替わっていく分岐点になるのです。事実本位の生活態度を身につけることは、生きづらさを解消するために大変重要な部分となっています。
2021.10.10
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昔から食べてきた和食の材料は8種類しかありません。1番目は、いもやごぼうなど、土の中にできる「根菜」2番目は、白菜やほうれん草などの「菜っ葉」です。3番目は、「青果」。果物のほか、トマトやきゅうりなどのみずみずしい野菜のことです。4番目は、自生する「山菜」の仲間。キノコもここに入ります。5番目は、「豆」、6番目は「海藻」です。7番目は、米や麦などの「穀物」、そして8番目が「魚」が中心の動物性タンパク質です。「魚」以外の7種類は、すべて植物です。いってみれば、日本民族は、「究極のベジタリアン」でもあったわけです。こうした菜食中心の食事をカロリーで計算すれば、当然のように低カロリーになります。しかし、この低カロリーの食事で健康に生きてきたのが日本人なのです。(いのちと心のごはん学 小泉武夫 NHK出版 26ページより引用)ここで大事なことは、昔から日本人はその土地でできたものを食べて生きてきたということです。今でいう「地産地消」という考え方です。ほとんどの日本人は、自分の食べ物は自分で作り、保存方法を工夫し、さまざまな加工食品を作り出してきたのです。それが結果として世界一の長寿国へとつながっていったのです。「医食同源」「身土不二」「薬食同源」という言葉がありますが、健康はその土地でとれるものを大切にして、自給自足の食生活を基本とすべきであるという考え方だと思います。現在はこの考え方は、軽視されています。経済力に頼って、世界中から食料を調達すればよいという考えです。好きなものを好きな時に腹いっぱい食べるのが当たり前の時代になりました。旬の食材は何があり、それをどう料理するかというよりも、今食べたいものを一流のシェフに上手に味付けされたものを腹いっぱいに食べるという考え方が優先されています。政府も食料の自給という考え方をとってはいません。ほぼ放棄しています。これが日本人の自立と日本の食料安全保障から見てどんなに危険なことであるか、考えただけでもぞっとします。また現在、食事はどちらかというと肉食中心となりました。それもほとんど輸入ものです。さらに問題なのは、外食、宅配、ファーストフード、ハンバーガー、ステーキ、ホットドッグ、清涼飲料水などが欠かせなくなりました。自分の食べ物は自分で作る。3度の食事は自分で作るという人間としてあたりまえの食習慣が崩れてしまいました。欧米の食生活がまぶしく見えて、肉食文化に変えていったのです。この短絡的、依存的な考え方は、肉体的、精神面への悪影響は計り知れないと考えます。その結果、身体面では生活習慣病が増加しました。沖縄県は日本一長寿県と言われていましたが、食事の欧米化により、2005年の男性の平均寿命は25位まで低下したそうです。原因は、肉食文化による若い人たちの死亡率の高さです。今の長寿地域は、お隣の奄美大島、徳之島だそうです。その地域は、いまなお日本の伝統的な食生活が維持されているところです。森田では、ないものねだりをする前に、もともと自分が持っているものを活用することが大切であるといいます。物の性を尽くす。己の性を尽くす。他人の性を尽くす。時間の性を尽くす。お金の性をつくす。これは生き方の問題です。今一度かみしめてみたい言葉です。ここを基点とした、人間本来の生活に立ち戻らないと、身体と心の健康面で取り返しのつかない悪影響が及ぶのではないでしょうか。
2021.10.09
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自動車であおり運転をする人が増えています。気に入らないことがあると、すぐに切れて仕返しをするのです。怒りや恨みが暴走して自分一人では制御できなくなるのだと思います。問題行動は、あとでいくら後悔しても、元に戻すことはできません。傷害事件に発展すると、テレビ放映され、家族や親戚にも迷惑が掛かります。腹が立っても、しばらく我慢することが身を守ります。でもなかなか難しいのが現状です。この感情の暴走の原因は、食べ物にあると指摘している人がいます。ひと言でいうとミネラル不足が問題だといわれているのです。現代人はミネラルの摂取量が4分の1にまで減少しているそうです。ミネラルというのは、マンガン、マグネシウム、アルミニウム、ニッケル、鉄、カルシウム、銅、ナトリウム、亜鉛、塩素、コバルト、ヨウ素、硫黄、スズなどのことです。コンビニや薬局で、これらミネラルが、そのものズバリの名前で、販売されているのを見たことがあるかもしれません。私たちが怒ったり、興奮したりすると、左右の腎臓の近くにある副腎髄質からアドレナリンというホルモンが分泌されます。相手を攻撃したり、物を壊したりといった凶暴な行動に出るときは、大量のアドレナリンが血中に放出されているのです。そのアドレナリンの分泌を抑えてくれる働きが、ミネラルにあるのだそうです。これはネズミの実験によって証明されています。餌の中にミネラル成分を抜いたネズミの方は、凶暴になり、仲間同士で齧り合って、耳が取れたり、尻尾が切れたりしました。感情の調整が制御不能に陥ってしまうのです。飼育ケースの中を掃除するために人が手を入れると、一斉に群がって噛みついてくる。一方、ミネラル成分を与えられていたネズミの方に異常は見られず、ずっと穏やかで安定していたそうです。こうした現象が、人間にもみられるようになってきたのではないでしょうか。伝統的な日本食をしている人は、豊富な旬の野菜、小魚、青魚などからミネラルを摂取してきたのです。ところが最近は、外食、肉を中心とした洋食、スナック菓子、ファーストフード、清涼飲料水が多くなりました。どうしてもミネラル不足に陥ってしまいます。さらにふんだんに野菜を取っていても、今の野菜は窒素、リン、カリウムという三大栄養素だけの化学肥料で作られているのです。単一作物の大規模産地化された農地で作られているので、ミネラルの少ない野菜がほとんどです。その証拠に昔のトマトはミネラルを豊富に含んでいたため、水の中に入れると沈んでいました。ところが、今のトマトはぷかぷかと浮いているのです。現代はこの問題を解消するためには、サプリメントに頼るしかないのでしょうか。とても情けない話です。私はささやかながら自給菜園で様々な野菜を育てています。刈り取った草を集めて、米ぬか、牛糞、鶏糞、発酵材を混ぜ合わせたい肥を作っています。これを畑にまいて畝をたてるようにしています。畑がどんどん肥沃になっていくのを見ることはうれしいです。こうするとミミズが沢山増えます。多分微生物が豊富なのだと思います。こうして少しでもミネラル豊富な野菜を作りたいためです。自家用野菜つくりは、趣味と実益を兼ねた素晴らしい森田実践だと感じています。そういうYou tubeチャンネルがありますので、ぜひ参考にしてください。(いのちと心のごはん学 小泉武夫 NHK出版 96ページ参照)
2021.10.08
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昨日の続きです。原晋さんは、東広島営業所で3年ほど過ごしたのち、広島北営業所の可部サービスセンターへの移動となった。入社から8年間で頂点の本店から、支店、営業所に順繰りに格下げされて、どん底のサービスセンターへと突き落とされたのである。この時点で、よくぞ退職しなかったものだと思う。逆にこのサービスセンター勤務こそが逆転人生の幕開けとなっていったのです。ここでの勤務が、下降人生が向きを変えて上昇人生へのターニングポイントとなっている。普通はどん底に陥ると運命を呪い、意気消沈するものだが、ここから這い上がるのだという決意を固めたということに驚きを隠せない。森田でいえば、自分の運命を否定することを止めて、最悪の状態をスタート地点に定めたということです。以後の人生は怒涛の快進撃を見せている。どんなことに取り組まれたのか興味が尽きない。時あたかも、電力自由化により、消費者は安い電力会社と自由に契約できるようになった。店、学校、病院、工場などはメリットが大きくなる。中電としては、お客様を他の電力会社に奪われてはじり貧になる。そこで、ピーク時の電力消費を極力抑えてもらい、その分お得な料金プランを提案するという仕事が生まれたのです。これは「夏季操業調整契約」というそうだ。副長の塩屋さんから、「これがうまくいったら君の人生も開ける。とにかく思い切ってやってみろ」と言われた。原さんは提案営業の中身について勉強し、あちこちの店、学校、工場を回った。コネもない、紹介者もいない。最初はすべて飛び込みだったという。可部には1年半いたが、そのうち契約本数が、どんどん増えていったという。原さんも営業の仕事が面白いと感じるようになっていった。そのうち、原さんたちの働きぶりは、社内的にも広く知れ渡るようになったという。上部組織の広島北営業所からは、営業所の実績を大きく引き離す仕事ぶりに対して「やりすぎだ」と嫌味を言われる有様だった。そんな折、エコアイス事業が始まった。エコアイスというのは、割安な夜間電力を使った空調システムのことだ。中電は専門の営業部員を社内公募した。原さんは真っ先に応募した。社内試験になんとか合格して、山口県徳山市に配属された。ここで営業力がいかんなく発揮された。特に、チームリーダーとして、組織をまとめ上げて、成果を上げるという自分でも忘れかけていた資質がよみがえってきたと言われている。世羅高校や中京大学で主将としての経験が活きたと言われている。小さい頃からガキ大将として、近所の友達を取りまとめていた能力がよみがえってきたのだろう。ここでの成果は、本店営業部で認められて、表彰されている。2000年には、10年ぶりについに本店営業部に復帰した。そして新会社のハウスプラス中国住宅保証の立ち上げに取り組んだ。住宅性能表示制度を普及するための会社である。最初は5人から始まった。最初は雲をつかむような苦しい経営が続いたが、新事業は徐々に軌道に乗っていった。2年後の2003年には、中国地方で単独トップの営業利益を上げた。順風満帆の頃、世羅高校の2年後輩で青山学院陸上部OBの瀬戸昇さんから、「原さん、青学で監督をやってみませんか。陸上部が、箱根駅伝で勝てる人を探しているのです」と誘いかけられたのだそうです。瀬戸さんは、これまでの原さんの営業力を高く評価している人だった。これが青学陸上部の再生に役立つはずだと太鼓判を押されていたのである。原さんは、新築の家を買ったばかりであったが、また新たな道を求めて挑戦することになった。青学陸上部でも困難の連続であったが、2015年の箱根駅伝で青学史上初となる総合優勝を果たした。2004年に監督に就任してから実に11年目の快挙であった。原さんの逆転人生は、一つの成果を上げるたびに新たな目標を設定して、新たなステージに進まれている。それぞれに難しい課題が待ち構えていたが、しり込みしないで前に進まれている。これが人間本来の生き方ではありませんかと問題提起されているように思う。一般的には、ある分野で使い物にならない場合、その人の人間性まで否定して、全てダメ人間として取り扱うことが多い。原さんは陸上ではほとんど成果を出していないダメ選手でした。でも営業をやらせてみたら、今まででは考えられないような光り輝く人間に変身したではありませんか。さらにリーダー、マネージメント、監督をやらせてみたら、これまた前人未到の成果を出して期待に答えたではありませんか。一見ダメ人間に見えても、適材適所の働き場所を与えると、人間は底力を発揮するということだと思います自分は何をやってもダメだと思っている人。あいつは何をやらせても箸にも棒にもかからない奴だと非難・否定して、リストラさせようとしている人。そんな風に簡単に見限ってしまうことは、ちょっと待ってください。あなたがイライラする前に、今は自分の能力や可能性が見いだせないで、本人も苦しんでいるのですよ。そんな人をダメ人間扱いして見捨ててもいいのでしょうか。そのやり方は、本人にとっても社会にとっても不幸なことではありませんか。そんなことをしていると、天に唾するようなもので、いずれ自分に降りかかってくるのではありませんか。その人の活躍の場所は必ずあるはずだ。そんな見方はできないものでしょうか。かすかな希望を持って、寄り添い見守ってあげることはできないものでしょうか。これは森田理論でいえば、「己れの性を尽くし、他人の性を尽くす」ということにつながる考えだと思います。原さんの逆転人生を見ていると、どんな人間でもその人に合う居場所を与えると、水を得た魚のように元気になるということだと思います。
2021.10.07
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青山学院大学陸上部監督の原晋さんは選手としてはそんなに華やかな実績を上げていたわけではないようです。実績としては、世羅高校時代キャプテンとして全国高校駅伝で準優勝したこと。中京大学3年の時、日本インカレで5000mで3位に入ったことくらいである。それ以上の成績は残っていない。箱根駅伝も走ったことはない。中京大学時代は、高校時代に厳しい寮生活を強いられた反動から、練習には身は入らなかったそうだ。コンパ、酒、パチンコで羽を伸ばしていた。遊びに夢中だった。特にパチンコにはまり、店から出入り禁止になるほどの腕前になっていたという。大学を卒業後、実業団からは見向きもされず、体育の教員を目指していたそうだ。そんな時、その年に発足することになっていた中国電力陸上競技部から誘いがあったそうだ。世羅高校の3年生の時、キャプテンとして全国高校駅伝で準優勝した実績を評価されたからである。中国電力は地元広島では優良企業なので、食いはぐれはないだろうと入社を決めた。中電には「中国駅伝」に出場してくれればよいからと言われ気楽な気持ちでの入社だった。ところが入社1年目で右足首を捻挫して思うような成績を出せなくなった。また、入社2年目に、後に監督となり、中国電力を全日本実業団駅伝の優勝に導いた坂口泰さんがやってきた。坂口さんは、世羅高校から早稲田大学、SB食品で瀬古選手とともに数々の実績を積み上げてきた陸上界のエリートであった。原さんは、主将とはいえ、向上心に乏しく、練習態度もいい加減で、これではチームの士気が上がってこない。伝統と歴史を築こうとやってきた坂口さんには、原さんは厄介者としか思われていなかったらしい。原さんは坂口さんに「おまえは何をしに中電にはいってきたんや。覚悟が足りんのじゃ、覚悟が」と絶えず非難されていたという。原さんは、私はそもそもそのような覚悟を求められて入ってきたのではないと反発していた。原さんはことあるごとに坂口監督と衝突し、感情的な対立は行く着くところまで行って、もはや修復不可能となった。5年目の1994年についに退部するしかなかつた。その後1999年中電陸上競技部の創立記念式典には招待状も来なかったという。第1期生とはいえ、中電陸上競技部の歴史から抹殺したい人物とみなされていたのである。原さんは、そこまでするかと憤慨していたという。原さんは、間違いなく27歳で人生のどん底に突き落とされたのだ。その気持ちは察するに余りあるものがあります。本来は陸上選手として入社したので、中国電力もお払い箱になっても仕方がないところだ。原さんは、何とか生き延びて、東広島の営業所に配置換えさせられ、高卒の社員と一緒になって、電気メーターの検針、電気料金の計算、顧客からの集金の仕事を与えられたという。原さんの場合、陸上競技部の1期生として華々しく入社しただけに、普通の社員として一からやり直すことは想像する以上に厳しいものがあった。こんな役立たずの穀潰し、さっさとクビにしてしまえばいいのにという視線を一身に感じていたという。夜はストレス発散のために、毎日のように飲み歩き、体重は60キロから93キロにまで増加した。普通こんな状態に追い込まれると、生きる意欲をなくし、投げやりになって、自暴自棄に陥ってもおかしくないと思う。そこから失意の人生が幕を開けるのである。しかし、原さんはそこから逆転人生が始まっている。ここが普通と違う。山あり谷折りの波乱万丈の人生であったが、あきらめないで前進している。まず営業で目覚ましい実績をたたき出している。伝説の営業マンとして復活している。その復活劇の過程は多くの人に勇気を与える。その活躍を見ていた青山学院大学陸上部のOBが監督候補として推薦してくれたのである。その時点では、今のような華やかな活躍は到底想像できない。何が支えなったのか、興味は尽きない。原さんの人間としての復活劇は明日の投稿課題としたい。(魔法をかける 原晋 講談社参照)
2021.10.06
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生活の発見誌の10月号に神経症が治るということについて、明確に説明されていました。これは自分の神経症がなくなることではなく、神経症は相変わらず存在する。以前と違うのは神経症の占める割合が変わってくるのである。今までは神経症が自分の意識の全てだった人が、今は自分の神経症を治すことよりもっと大事なことに気づき、そして、その方向に意識が向き、努力して人間的に大きく成長しているのである。その結果、神経症が次第に気にならなくなり、人間が本来持っている自然治癒力が働き、消滅するのではないかと思っている。私はこの考えに全面的に賛同します。神経症は自分が気になることに注意や意識を集中することによって起こります。自分の気になることを、跡形もなく無くするということはできません。仮に無くしても、不安にとらわれやすいという神経質性格を持っているわけですから、別のことが気になり、今度は別なことにとらわれるようになるでしょう。イタチごっこが続くということです。神経症が治るというのは、今症状のことで100%頭の中が一杯だった状態が、どんどんその比重が下がってくるということなのです。10%下がっただけでも気持ちが楽になります。30%も下がった人は、周りから見るとほぼ克服したように見えます。本人はとらわれが強くて苦しいと思っていても、注意や意識の30%は症状以外のことを考えているわけです。その瞬間は全面的に症状とかかわってはいません。不十分ながらも、仕事、衣食住、子育てや教育、趣味、友達、親戚、近所付き合いの問題や課題に取り組んでいるのです。方向性とすれば、さらに比重を下げるべく努力すればよいのです。凡事徹底のことです。ある程度軌道に乗ってくれば、ものそのものになって取り組むようにすれば、鬼に金棒です。この時点で森田から離れても構わないのですが、一度立ち止まり、神経症の成り立ちを学習しておくと再発防止に役立つと思います。森田理論の学習をしておくとよいのです。とらわれることによる生きづらさを抱えている人は、さらに森田理論を深耕することが有効です。生きづらさを抱えて苦しんでいる人は、頭でっかちの人です。分析力に優れて、論理的、建設的、創造的に考えることができる人です。つまり頭の良い人なのです。それを過信して、観念優先で物事を理解して、理想や完全の立場から現実問題を解決しようとしている人です。それが可能であると信じて疑わない人です。そうなると、現実を非難・否定するようになります。現実を正しく把握しようともしなくなるのです。変化に臨機応変に対応できなくなります。現実と理想のギャップに押しつぶされて、身動きできなくなってしまうのです。こういう傾向が強い人は、森田理論の学習をして観念優先の態度を事実優先の態度に変更する必要があります。「かくあるべし」を自分や他人や自然に押し付けることを止めて、問題のある理不尽な事実、現実、現状にいつも優しく寄り添う態度を養成すればよいのです。森田では「事実唯真」「事実本位」の生活態度を身につけると言います。これを身につけた人は、グチ、非難、否定の言動はぐっと少なくなります。それにとって代わって、肯定、感謝、承認の言動がどんどん増えてきます。ここまでくれば、神経症とは無縁になります。人間に生まれてきて本当によかった。その喜びを胸に持って、益々人生を謳歌できるようになります。
2021.10.05
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青山学院大学陸上部監督の原晋さんのお話です。テレビを見ていると、オリンピックで金メダルを取った直後のインタビューで「次なる目標はなんですか」と聞いているのを見かけるが、つくづく邪道だと思う。「試合が終わったばかりなのに、そんなことを聞くなよ」と嫌な気持ちになるのだ。人間はそもそも、1年365日1日24時間ずっと気を張ったままで過ごすことは不可能だ。人間はサボるもので、緊張感はそれほど続かないという人間観が前提にある。だから当然のように失敗をする。失敗したときにどう起き上がるかというところを見てあげるのが指導者の役割になるわけだ。そこで、青学の場合、箱根駅伝を走った選手たちについては「走りたくなったら言ってこいな」と告げて、1月いっぱいは「放牧」と称して集団練習からは外し、自由にさせている。選手の調子にも波があって、いい状態をずっとキープするのは無理である。だから、その波の幅をできるだけ小さくし、上り調子の波をどれだけ高く大きくするかがポイントになってくる。調子の波がぐっと下がった時期には、休んでも構わない。むしろきちっと休んで気力を回復して復帰した方が、いい結果を残せるだろう。(勝ち続ける理由 原晋 祥伝社新書 108ページ)人間は緊張状態と弛緩状態が波のように繰り返されていると言われている。その波にうまく乗ることを考えて行動した方がよい。森田先生は、冬の寒いときに外出しているときは緊張状態にある。その状態で家に帰り、炬燵に潜り込んで、身体が温まり、転寝などをしてはいけないと言われています。緊張状態から急に弛緩状態に方向転換しても、身体の方がその変化に対応できないので、その結果風邪をひくのだと言われているのです。緊張状態から弛緩状態に移るとき、徐々に移行することが肝心だと言われているのです。弛緩状態から緊張状態に高めていくにはどうすればよいのか。たとえば箱根駅伝である。正月の2日と3日に開催される。その日に緊張の波をピーク持って行くようにしないと優勝はおぼつかない。選手一人当たり20キロくらい走ります。ハーフマラソンの距離です。往路と復路を合わせて10名の選手でチームを組みます。その中の一人でも脱水症状を起こせば棄権となります。そのためにはまず出場権を獲得する必要があります。出場権を得たら、1年をかけて選手を鍛えて、選手の適性を判断します。目標管理を徹底して、スタミナ、走力、精神力を鍛えていきます。規則正しい生活を習慣づけて、精神状態の安定、食事と体調管理を身に着けていきます。徹底して鍛えたら、レース直前になると緊張状態を少し緩めます。エネルギーを溜めて、レース本番で爆発できるように持って行くのです。私たちもこの考え方は頭の中に入れて、行動するようにしたいものです。緊張状態と弛緩状態は1日の中でも繰り返されています。昼間は緊張状態にあり、交感神経が優位に働いています。逆に夜間は、副交感神経が旺盛です。それに応じてホルモンの出が変わってきます。だから、その時々の波に乗って規則正しい生活を続けることが肝心になるのです。昼間は仕事や日常茶飯事に精魂傾けることです。仕事や日常茶飯事から手を抜いて楽をする事ばかり考えていると、精神が弛緩状態になります。逆に、夜間ネットゲームなどにはまり、夜間を緊張状態に持って行くと、生活のリズムが崩れて、体調が悪化し、うつ状態に陥ることになるでしょう。緊張と弛緩の波は、1週間のうちにも発生します。1ヶ月の間にも発生します。1年のうちにも発生します。さらに言うと自分の一生の間にも発生しています。この点については、次の本が参考になりますので興味のある方は読んでみてください。「意識の法則と6年周期リズム 石原加受子 長崎出版」私たちは、その波をうまくとらえて、すんなりとその波に乗ってどこまでも疾走していくというイメージを持つことが肝心です。波乗り名人を目指すことです。
2021.10.04
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世羅高原農場のダリア祭りに行きました。西日本一の規模だそうです。秋晴れの下、ダリアの美しさに感動しました。
2021.10.03
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不安に対しては次の2つのことをよく理解して、行動することが大切です。1、欲求、欲望、挑戦、行動、目標達成に伴って発生してくる不安に対しては、ありがたく受け止めるくらいにして、かかわりを持ちすぎないようにすることです。引っ付きすぎず、離れすぎずの「不即不離」の関係を維持する。注意や意識はつねに対象物に向けて、いかにして成果を上げるか、結果を残せるかに注力する。欲求、欲望、挑戦、行動、目標達成を第一優先順位として、取り越し苦労し過ぎないようにする。一番悪いパターンは、本来の目的をすっかり忘れてしまい、いつまでも不安と格闘を始めることです。ここで出てくる不安は、人間は誰でも「精神拮抗作用」が標準装備されているのだと理解しておけばよいのです。「精神拮抗作用」とは、欲求や欲望などを意識すると、かならずその反動として、それに向かう気持ちを抑制する感情も同時に湧き起こるようになっているということです。もしこの機能が壊れていると、行動は双極性障害の「躁」状態のようになります。調和が崩れて、問題発言や問題行動だらけになります。困ったことになります。バランスのとれた人間ではなくなります。この関係は自動車のアクセルとブレーキの関係として理解しておくと分かりやすいと思います。アクセルを踏み込んで車が動き始めないと、決して目的地に到着することはできません。その時、坂道やカーブや交差点に差し掛かったら、ブレーキを臨機応変に活用してスピードを加減しなければ事故になってしまいます。アクセルを踏み込むことが第一優先順位です。ブレーキはスピードを、臨機応変に調整するために活用していくようにすればよいということです。2、不安に対して次のような理解も重要です。不安に対応していないと、近い将来不都合なことが起きる。自然災害や経済破綻が起きる。生活難に陥り、生き延びることができなくなる。あるいは現在表面化している問題が、ますます拡大してくる。自然や他者や他国からの侵略に対して、手をこまねいていては、自分や家族、国民の生活や国土が奪われてしまうかもしれないという不安です。ここで説明している不安は、欲求や欲望に伴って発生する不安とは種類が違います。すぐに手を打たなければ、大惨事に巻き込まれてしまう可能性がある不安です。不安はアラームを鳴らして、すぐに逃げるか戦うか決断しなさいと催促しています。この手の不安は、力を振りしほって、即座に対応していくことが大切です。自分一人では無理ならば、仲間と力を合わせてでも対応しなければなりません。以上をまとめてみると、神経症的な不安に対しては、不安との関係は「不即不離」を心掛ける。そうすれば、一方的に不安と格闘して、精神交互作用で、症状として固着することはないと思います。不安は私の友達である。行き過ぎないようにいつも私を見守ってくれてありがとうという気持ちになります。現実的に問題を起こしている不安に対しては、力の限り解決に向かって努力することが肝心です。ここで恐れおののいて、静観することは、事態は悪化の一途をたどります。気が付いたら取り返しのつかないことになっていたでは遅いのです。場合によっては、自分の生命を賭けてでも対応しなければなりません。その努力を怠れば、一時的には楽ができますが、いずれ後悔で苦しむことになります。暇を持て余し、生きる意義も見失ってしまいます。生きづらさを抱えたまま一生を送ることほどつらいことはないと思います。森田理論学習では、不安を抱えたまま、「なすべきをなす」ということを学びます。それは不安に対する一面的な見方のように思えます。不安を大局的に捉えると、このように2つの視点でとらえることができます。さらに、このことが理解できたら。実際の生活の中で、臨機応変に活用していくことが肝心です。
2021.10.03
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以前プロジェクトXという番組がありました。高度経済成長期の時代に会社の命運をかけて新商品を開発した人たちが多数出ていました。また困難な事業に果敢に取り組んで完成させた人たちも数多く紹介されていました。今日はこの番組のテーマ曲について投稿してみます。オーブニング曲は「地上の星」で、エンディング曲は「ヘッドライト・テールライト」でした。2曲とも中島みゆきさんの作詞作曲です。そして伸びやかな歌声も中島みゆきさんです。ここではその一部を紹介します。「地上の星」名立たるものを追って 輝くものを追って人は氷ばかり掴む風の中のすばる砂の中の銀河みんな何処へ行った 見送られることもなくつばめよ高い空から教えてよ 地上の星をつばめよ地上の星は今 どこにあるのだろう「ヘッドライト・テールライト」行く先を照らすのはまだ咲かぬ見果てぬ夢遥か後ろを照らすのはあどけない夢ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらないヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらないこの二つの曲の歌詞は、目標や課題を持って生きることの大切さを訴えていると思います。人間の幸せ(地上の星)は、山の彼方の空遠くにあるのではない。日々の日常の生活や仕事に一生懸命に取り組むことの中にある。小さな成功体験を積み重ねて、小さな自信をつけていく。その数を増やしていく。目標が達成できたら、もう少し大きな目標に付け替えてまた努力していく。努力する過程そのものが、すなわち幸福な人生を送ることにつながる。森田でいうと「努力即幸福」ということだと思います。人間は誰でも過去を振り返って、「あのときあんなことをしなければよかった」と後悔と懺悔の気持ちで押しつぶされそうになります。自己嫌悪や自己否定でやり切れない気持ちになります。もう一回やり直しができるならば、今度はきっとうまくできるのにと思ってしまいます。でも悲しいかな1回きりの人生です。やり直しはききません。今後できることは、後悔や懺悔の気持ちを抱えたまま、これから先の人生を精いっぱい生き切ることだけです。「ヘッドライト・テールライト」という言葉は、そのことを表現しているのではないでしょうか。もし神様がいるとすれば、過去は問わないと言われるかもしれません。これは森田先生もそういわれています。一度きりの人生で、100%間違いのない選択をし続ける人間はいません。人間には、間違いや失敗、後悔はつきものと考えた方が自然です。ですから、数多くの失敗や間違いで、傷だらけ、後悔だらけの人生でもなんら問題はありません。でもそれに振り回されて、これからの人生を投げやりに過ごすことは問題です。後悔だらけの人生をこれからの人生で穴埋めをしていくという姿勢が求められているのではないでしょうか。「終わりよければすべてよし」という言葉があります。人生の最後に何とか帳尻を合わせることができたという人は、それだけで立派な人生を送ったということだと思います。神様はきっとそういう人を大きく評価されると思います。中島みゆきさんの歌はそういう人生の応援歌として聞いてみたいものです。もしこの歌詞がぴんと来ないという人は、「時代」という曲もあります。分かりやすい曲です。これも人生の応援歌です。一度聞いてみてください。人間は先の見えないつらい状況の中で、人生を投げ出してしまいたいと思うことが何度も訪れます。こんな時に自分に寄り添ってくれる人や癒してくれる音楽や趣味やペットを持っている人は何とか乗り越えていけるように思います。
2021.10.02
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今日は本を読む時の心構えについての投稿です。このブログを読まれている方は、本を読むことが趣味という方もいらっしゃると思います。本を読むと家にいながら古今東西の人と対話ができます。思考が深まり、知識欲が満たされます。人生の楽しみそのものだと思います。私もその恩恵を受けている一人です。ではどのように読書と向き合えばよいのか。私は、TSUTAYAやAmazonの古本を頻繁に買います。その他近くに市の図書館が5か所と町の図書館が1か所あります。それぞれ10冊ずつ借りられます。貸出期間は2週間です。2週間過ぎてもまだ読んでいない本があると、引き続いて2週間延長して貸し出してくれます。これは大変重宝しています。ありがたいことです。私に関心があるのは、森田関連、教育、子育て、伝記、哲学、思想、人生論、自然観、医療、スポーツ、政治経済、農業、趣味などです。小説はあまり読みません。月刊紙としては生活の発見誌を35年間愛読しています。発見誌は届くと2日くらいで全部を読んでいます。あまり難しくない本は1日1冊くらいのペースで読みます。中には興味が持てない本もたくさんあります。難解な本もあります。そういう本は斜め読みします。そして早めに次の本に移ります。読む時間ですが、月曜日から金曜日の昼間です。2時間くらいです。晩酌をするので、夜は全く読みません。土曜日、日曜日、祝日は野外活動が多くて全く読みません。気に入った本は何回も繰り返して読むことにしています。三重野悌次郎さんは、「森田正馬全集第5巻」「神経質の本態と療法」「神経衰弱と強迫観念の根治法」は、それぞれ300回以上読まれたそうです。すごいことです。読むたびに、新しい発見があると本に書かれています。三重野悌次郎さんは「森田理論という人間学」(白揚社)という優れた本を出されていますが、確かな裏付けがあったのだと思われます。私は5巻を10回以上は読みましたが、三重野さんの足元にも及びません。少しでも近づきたいと思っています。私は発見誌や古本の場合は、琴線に触れたところにはマーカーで印をつけます。そして100均で買った付箋をつけておきます。図書館で借りた本は付箋をつけるだけです。こうしておいて、その部分を後から必ず読み返すことにしています。琴線に触れたところは、書き出しています。そして森田理論と自分の考えを照らし合わせています。読んだ本と対談しているようなものです。これが肝心だと思っています。内容がある程度まとまると、このブログで取り上げることにしています。以前は、本は最後まで読むとそれだけで満足していました。しかしそれだと後には何も残っていないという体験をしました。実にもったいないことを繰り返していたものです。今のやり方に変えてから、洞察力がついてきて、とても良かったと思っています。これは森田でいう「物の性を尽くす」ということになるのではないか。「本の性を尽くす」を実践していることになるのではないか。自分にとっても本にとっても幸せなことだったと感じています。
2021.10.01
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