全15件 (15件中 1-15件目)
1
もう一つN先生の国語の授業の印象に残っていることで私が現在国語の授業に取り入れていることがあります。それは当時の小学1年の国語の教科書に最後に掲載されていた『小さい白いにわとり』の授業でした。全員でその物語を全員音読し、それが終われば「あなたが小さい白いにわとりだったらどうしますか?」という問いに、先生が指名した数名の生徒が答えていきます。それを何度も繰り返すのです。そのうち2回目の氏名を受ける生徒が出てきます。もうその頃、我々はN先生がその授業でどの生徒を指名したかを覚えていないことなんて有り得ないと確信していました。しかし先生は各生徒に2回目の指名を続けたのでした。
2010.12.27
コメント(0)
話はまだ続きます。N先生は敏感にクラスの生徒の反応を察知されたのでしょう!その授業からしばらくして、先生は国語の時間にクラス全員を図書室に連れていき、どんな種類の本があるか、読みたい本をどのように探せばいいのか、そして具体的な本の借り方を教えてくれました。ほとんどの生徒がとにかく1冊の本を借りました。するとクラス全体に「読書ブーム」みたいな雰囲気が起こりました。『○○さんはもう10冊読んだ』とか『○○君は偉人シリーズを全部読んだ』とか、読書に関する話題が自然に出てきました。我々のそんな話を耳にした先生が、あるとき『江戸川乱歩のシリーズは面白いよ』と声をかけます。とたんに『《えどがわらんぽ》って何?』、、、みんなが先生に聞きます。『先生は子供の頃に全部読んだよ!』と一言!その日からクラスに江戸川乱歩ブームが来ました。このようにして、我々のクラスは読書をすることが普通であるクラスになりました。
2010.12.22
コメント(0)
N先生の国語の授業の特徴の1つは、子供達に「考えたい」と思わせることでした。例えば教科書に載っていた「空を飛ぶクジラの話(題名は忘れました)」の授業のときです。『クジラが空の上から町を見たとき、何が見えたと思う?』と聞くのです。『はい』と一番に手を挙げたのは、Mさんでした。彼女は幼稚園のときのクラスメイトでピアノが上手な女の子でした。Mさんが具体的にどう答えたかははっきり覚えていませんが、N先生は彼女の意見に『さすがMさん。なんだか町から音楽が聞こえてくるみたいですね!』といって褒めたのです。そんな調子で、手をあげて答えた意見に対して全て「N先生がどう感じたか!」「その意見がいかにその生徒の特技や長所から生れた発想か!」を言葉短く且つ的確に褒めてくれるのでした。そのうち「先生に褒められたい」といった雰囲気が教室を支配し、生徒皆が『はい、はい!』と手を挙げます。授業は一気に活気付きます。そこからはテンションが上がりまくってよく覚えていないのですが、しばらくして誰かの意見に対して『すごい!その意見はクジラの気持ちになってあげられる人にしか言えないですね。人の気持ちを考えられるということは、これからみんなが生きていく上ですごく大切なことですよ!本当に今の意見はすばらしいです!』といった感じで、ベタ褒めをしました。今度は子供達は「いかにクジラの気持ちになれるか!」の競争に入っていきます。そしてまたその1つ1つの意見の「すばらしいところ」を的確に指摘して褒めてくれるのでした。やがてチャイムが鳴って授業が終わるのですが、まだ生徒は先生の机の周りに集まって自分の意見を聞いてもらおうとしました。でもN先生は『みんなありがとう。先生もみんなの意見をすごく聞きたいけど、残念ながら国語の時間は終わりました。また明日の国語の時間にみんなの意見を教えてほしいから、家に帰ってしっかり教科書を読んでクジラの気持ちになってあげてね。』といって生徒を席に戻すのでした。その日は家に帰って何回も教科書を読んだことを今でも鮮明に覚えています。そして私はあのときから読書をするようになったのです。
2010.12.21
コメント(0)
まだまだN先生の話題が続きます!専門は英語でありながら、塾業界に入って他の科目の授業もするようになった私なのですが、「国語の成績をあげる塾講師」としてある程度名前が売れるようになってきました。私の国語の授業には色々な経験や発想が凝縮されているのですが、その基礎になっているものの1つはN先生の国語の授業です!子供ながらに、本を読む楽しさ、文字ばかりの文章から頭の中で広がる世界の不思議さ、そして同じ文章を読んで何をどこまで読み取れるかというある意味真剣勝負的な緊迫感も、N先生の国語の授業で教わりました。その中でも、私が授業に取り入れているN先生の国語の教え方を2つ紹介します。国語の授業を担当する先生方!参考にしてみてください!!ただ、そのN先生の国語の教え方を私が具体的にどのように自分の授業に取り入れているかは明かしませんよ。企業秘密ですから!
2010.12.20
コメント(1)
そのようにN先生は、下校時の一瞬の表情と1枚の絵から私が隠していたことを、隠していた気持ちを見抜いてしまったのでした。このことは当時の母にとってはかなりショックであっただろうと思います。おそらく母は気付いていたに違いありません。しかしそれを学校の先生に指摘されたことがショックであったと思います。当時の母がいっぱいいっぱいで奈良と大阪を往復していたことは、子供の私でもわかるほどでした。だからこそ、自分の気持ちに誰も気付くことのないように振舞ってきたのに、、、、N先生にはそれは通用しませんでした。この当時の母の苦労、しかしその中で子供達にそそいだ母としての優しさについてはまたの機会に紹介したいと思っています。そしてこの1枚の絵の話で、いろんな意味で「大人にはかなわない」という鮮明な意識が私の中に生れたことは確かでした。
2010.12.19
コメント(0)
当時の私の寂しい思い出は、また別の機会にご紹介します。何だかその思い出を文章にすることにある種の勇気が要りますので、、、N先生の話に戻ります。後から聞いた話では、N先生が私の異変に気付いたのは絵の内容の前にもう一つあったらしいのです。先生は1~2ヶ月に一回くらいのペースで、下校時に特別な生徒の送り出し方をしてくれていました。クラスの生徒を一列に並ばせて、教室の出口に立つ先生の前を一人ずつ通らせるのです。そのとき先生は、満面の笑みで歌を歌います。今だに覚えています。♪おみやげ三つ、タコ三つ♪です。生徒は歩みを止めずに歩いて先生の前を通ります。先生は ♪おみやげ三つ♪ のときに生徒の頭を両手で三回なでてくれます。次の生徒には ♪タコ三つ♪ のときに同じく頭を両手で三回なでてくれます。小学1年の子供達は嬉しいやら照れくさいやらで、ニコニコしながらも神妙な面持ちで先生に頭をなでてもらってから教室を出ます。廊下で生徒達は「今日は僕は ♪おみやげ♪ やった!」「今日は私は ♪タコ♪ やった!」と盛り上がりながら帰宅するのでした。しかし、そのとき既に帰宅時の私の元気の無さに気がついておられたらしいのです。いかにN先生が日頃の学校生活の中での生徒の様子を敏感に観察されていたのか!に今更ながら驚かされます。
2010.12.18
コメント(0)
「偉大な教師達」という題から話の内容がそれてしまっていますが、もう少し当時の私の話を続けさせていただきます。私が大人達に隠してきたことを、たった一枚の絵から見抜いてしまったN先生に敬意を表しつつ、語らせていただきます。我々大人も以前は子供だったのですが、いつしか子供の気持ちが分からなくなってしまうことがあります。私も自分の体験から、幼い子供にとって「親」とはどのような存在なのか!!を忘れないように、自分の体験を忘れないようにしています。当時の私を悲しませ「寂しさ」の記憶を鮮明に植えつけた体験は数多くなるのですが、その中で大きな2つを紹介します。当時の私にとって辛いのは、土日祝祭日です。ヘタをすれば、ほぼ一日家で一人で過ごさなければなりません。父は出張でほぼ家にいません。長男、次男は部活やクラブに行ってしまい家にいません。朝から私一人です。皆を元気に見送った後の、物音のしない家の中は本当に「寂しい」ものでした。そのように休日に私一人を家に残さなければならないとき、事前に母は私に必ず何かを買ってくれました。本だったりおもちゃだったり、、、私の好きなものを買ってくれました。母は自分も時間に追われる生活を強いられながらも、私と何かを買いに行く時間を作ってくれるのです。そして母は「兄ちゃんらが帰るまでその本読んで待っときや」「兄ちゃんらが帰るまでそのおもちゃで遊んどきや」と言って買ってくれるのです。休日でだれもいなくなった家の中で私は何もせず階段に座り込んでしまいます。子供ながらに、そのうち寂しさに負けて泣いてしまうことが分かっているからです。1階や2階で泣いてしまい、誰かに声を聞かれたらいけないと思い、階段で泣くのです。その方が声が外に漏れないように思っていたのです。しかも母に「その本読んどきや」「そのおもちゃで遊んどきや」と言って買ってもらったものを持って座り込むのです。読むわけでも遊ぶわけでもないのですが、それに母の気持ちというか優しさが残っているような気がしていたのです。しかしそのうち涙があふれてきます。何がそんなに悲しかったのでしょう?はっきりとは覚えていませんし、明確な理由なんて当時のわたしに必要はありません。とにかく子供心に寂しくて悲しいのです。四十四歳になっていまだに見る夢がこのときの光景です。母に買ってもらったお気に入りのおもちゃを箱から出すこともなく、、、その箱に自分の涙がぽたぽたと落ちるシーンです。「自分はなんでここで泣いてるんやろ?」「はやくこの一日が終わってくれへんかな?」「早くお母ちゃん帰ってきてくれへんかな?」、、、、ただただそう思って泣いているのです。子供にとって『家にだれかがいる』ということがいかに大切なことか!子供にとって『母親の存在』がいかに大きいことか!小さいお子さんをもつ親御さん。それをもう一度再確認してください!!
2010.12.14
コメント(0)
しかし当時の私にとって「寂しい」というのは言ってはならない言葉であるという強い思いがあったことも覚えています。まずは子供らしい理由、兄達に泣き虫だと言われてバカにされたくない!というもの。もう一つの理由は子供ながらの母への気遣いからくる理由、母に心配をかけたくない!というものでした。そんな理由から、家で一人でいるときに自分が何をしているのかは、誰にも知られたくなかったのです。ですので母の前で、兄たちの前で、また学校で、極力明るく振舞っていた記憶があります。「帰りの会」の時間がくるのが本当に怖かった記憶も鮮明に頭に残っています。またあのだれもいない家に帰るのが怖かった、というのが正確かもしれません。当時はバス通学たっだのですが、バスに乗らず一人で歩いて帰ったこともあります。その方が少しでも一人で家にいる時間が少なくてすむからです。学校の前のバス停から我が家の最寄のバス停まで、バスで10~15分の距離でした。歩いたって1時間もしないうちに家に着いてしまいます。また当時のことですから、私が通学路と違う場所をうろうろ遠回りをしたいたら、どこかの「おっちゃん」や「おばちゃん」に見つかって「こんなとこで何してるの?」なんて言われる可能性が高いことも分かっていました。だから必要以上に遠回りをして帰宅することはありませんでしたが、それでも少しでも帰宅を遅らせたかったのです。
2010.12.12
コメント(2)
私が小学校に上がると間もなく、大阪に住んでいた父方の祖母が長期入院をすることになったのです。当時私の一家は奈良県に住んでいたのですか、看護をする人がいないので、母が毎日奈良から大阪まで通うこととなったのです。母は毎日夜遅くに帰ってきて、朝に我々子供達を見送ったらすぐにバスと電車を乗り継いで大阪に向かう日が続きました。私は男三人兄弟の末っ子なのですが、長男は当時中学生で野球部に入っており帰宅は夜になってからでした。次男は当時小学3年生。我々が通っていた小学校は鼓笛クラブが県下1位の実力を持っており、3年生になると希望者はクラブに参加できました。毎日放課後に練習があったため、次男の帰宅も遅かったのです。兄たちが帰るまで、私は家で一人で過ごすことを余儀なくされていました。もう少し学年も上がれば、友達の家に遊びに行くこともできたと思いますが1年生ではそうもいきませんでした。また結構1年生は平日でも授業が午前中のみで、給食を食べたら帰宅することが多かった記憶があります。四十四歳になった今でも年に何回かあのときの夢をみて涙することさえあります。今ではどうでもないことなのですが、当時の、あの年代の子供だった私には、生涯忘れることのない『寂しさ』の強烈な経験を脳裏に鮮明に焼き付けるには十分過ぎる経験であったのだと、今更ながら実感させられます。あのだれもいない家で一人で過ごす時間は、当時の私にとって恐ろしく寂しいものでした。
2010.12.11
コメント(0)
数日後学校に行った母にN先生は私の絵を見せて、「家で寂しい思いをしているみたいですが、何か心当たりはありませんか?」と話を切り出されたそうです。その絵は、大きめの画用紙を横にして、下のほうに地面(体育館の床)の線があり、その線の下はN先生が敷いてくれたシートの色。その地面に立つように真ん中に自分の人形、その両側に友達のおもちゃが2、3個ずつ描かれていました。しかしその人形達が画用紙の大きさに対してあまりにも小さい。絵のほとんどを占める背景の色は、灰色に近いものでした。当時の私としては、大きな体育館の中にある小さなおもちゃを描こうとした記憶があり、背景の色もその日が曇りだったので灰色に近い色にした覚えもあります。しかも小さいとは言え、かなり細い線で精密に人形やおもちゃを描いたつもりでした。でもN先生はその絵を見て、私が家で寂しい思いしていると判断したのでした。母はその言葉にドキッとしたそうです。
2010.12.08
コメント(0)
私が一番N先生に驚かされた、というか『大人はごまかせない』と実感した事件がありました。ある日N先生が、「明日の図画の時間はおもちゃの絵を描きます。みんなのお気に入りのおもちゃを一つ学校に持ってきてください」と帰りの会で言われました。「学校におもちゃをもってきていいの?」とクラスの皆は盛り上がりました。私も大喜びで家に帰りさんざん考えた結果、一番お気に入りのマジンガーZのソフトビニール製の人形を持っていくことにしました。当日は朝からみんな教室で自分の持ってきたおもちゃの自慢大会になっていました。そして図画の時間は先生の指示通り体育館に集合して、先生が敷いてくれたシートの上におもちゃを並べて、書きたい物を画用紙に描くことになりました。私は私なりに楽しんで絵を描きました。自分の人形を中心に友達のおもちゃも入れて画用紙に描きました。みんなと楽しみながら絵を描き、絵の具で色もぬって先生に提出し、その時間が終わりました。しかしその日の夜N先生から我が家に電話があり、母が学校に呼び出されました。「あんた学校で何かあったん?」と母に聞かれましたが、私には何の心あたりもありませんでした。
2010.12.07
コメント(0)
N先生に驚かされたことは多々あります。例えばクラスの誰かが泣いたときです。必ず「誰が泣かせたか!」というのがまず当面の問題となります。勿論多くの場合は泣かせた者が叱られるのですが、ときとしてそうでないことがありました。それまでは「泣かせた者が悪い」という考えがいつの間にかわたしの頭の中に定着していたのですが、N先生はそれを覆すときがありました。『そんなことで泣いてはいけません!』と泣いている者を注意することもあれば、『それはあなたの方が悪いんでしょ!悪い事をしていて泣くってどういうことですか!!』とやはり泣いている者を注意することもありました。そんなことが何回かあった後は【泣いた者勝ちは許されない】という雰囲気がクラスに流れていたような気がします。少なくとも私はそう感じていました。
2010.12.06
コメント(0)
私の小学校1年2年の担任N先生は、何というか「優しさ」「厳しさ」と「統率力」がものすごくあった記憶が強烈に残っています。【これぞ大人】という存在感を当時の私に植え付けていたのは確かです。子供のわがままは許さない!子供が怠けることは許さない!子供の言い訳は許さない!何を言っても正論で返してくる。言葉短い正論で返してくる。ときにはたった一言の正論で返してくる。しかもその正論は子供達を十分納得させるだけの説得力がいつもある。子供が押しても引いても全く動じない【これぞ大人】という【大人像】で立ちはだかる。でも優しい!限りなく優しい!その優しさを知ってしまった子供は、更にN先生の存在感に圧倒され魅了される。日々そういった体験の繰り返しでした。
2010.12.05
コメント(0)
最近、脳科学者や子育てのカリスマ的な方が「子供の脳は7~8歳までに鍛えておくべきだ」と熱弁されている場面をテレビで見たり書籍で読んだりしますが、私もまったく同感です。7~8歳と言えばちょうど小学校1年生から2年生の学年です。私はそれまでの時期に出会った先生にとてつもなく恵まれていたと今更ながら実感します。中学生に長年授業で接してきた私も、やはり小学校低学年までに、何をして、何を見て、何を感じて、何を考えて、何に触れて、何を学習してきたかが、その人間にとって人生を左右するほど重要な要素であると痛感させられることが多いです。とくにここ数年は、驚くほど、イヤと言うほど思い知らされます。その重要な要素を子供達に与えるのは誰か?ときに子供同士で偶然それらの要素を与えたり与えられたりすることもありますが、目的を持って意図的にそれらを与える存在は、やはり周りの大人であるべきなのです。幼稚園や小学校の先生、そして保護者もそうであるべきなのです。「偉大な教師」は幼稚園や学校にいるだけではありません。各家庭では、保護者という「偉大な教師」も存在するのです。
2010.12.03
コメント(0)
N先生は、幼稚園時代の「ちっちゃい組」担任のM先生のように毅然とした面も持っておられましたが、それに加えて本当に『お母さん』的な寛大さも感じていました。褒めてもらうと最高に嬉しくて、叱られるととめども無く悲しい!そんな先生でもありました。クラスの皆もN先生のことが大好きで、先生のされることに注目し、先生の言葉によく耳を傾けたものでした。小学校での学級経営は『学級王国』との言葉が示すように、担任の「色」にクラスをしっかり染めて、担任中心に学級を運営することが可能だと聞きます。(私の専門は中学・高校教育ですので、「だと聞きます」だなんて、歯切れの悪い言葉で申し訳ありませんが、、、、)しかしその小学校教育のセオリーを差し引いても、N先生の作り出す学級の前向きな雰囲気というか先生を中心に回る心地よいクラスの空気は素晴らしいものだったとしみじみ思い出します。
2010.12.01
コメント(0)
全15件 (15件中 1-15件目)
1

![]()
![]()