全21件 (21件中 1-21件目)
1
私が生徒たちによく言うことのひとつに「反省する勇気を持て」というのがあります。言葉を変えれば「勇気を持って自分を戒める」ことでもあります。誰かに見られているからではなく誰かに注意されるからではなく、また誰も見ていなくても誰も注意する人がいなくても、勇気を持って自らに反省を促し自らを戒めるのです。それは、今から自分がしようとする行動や発しようとする言葉は人として正しいことなのかどうかを常に考えることにつながります。今の日本はどうしてこんなに道徳心のない人が多くなってしまったのでしょう?今日ニュースを見ていたら、信じられない事件が報道されていました。最近は信じられない事件が多くなり私もある程度慣れっ子にはなっていますが、今日は悲しくなりました。ある特攻隊の資料館の展示物に何か鋭利なものでキズをつけて文字を書いた人間がいるのです。なぜそんなことができるのでしょうか?もはや人間としての感情が無いのでしょうか?常識的な判断力は無いのでしょうか?もうそんな人間は、人間の姿はしているが精神的にはもう人間ではないのです!戦争を賛美する訳ではありません。ただ、以前私もある場所で特攻隊資料館に入ったことがあります。資料館出口ではみんな泣いていました。私は館内で声を出して泣きました。当時特攻隊員として飛び立っていった人達の気持ちを考えると…しかし、その資料にキズをつけた人間がいるのです。画像の状況から考えると間違いなく複数の人間です。すこし考えると、それはして良いことか悪いことかは分かるはずです。なのに自らにストップをかけられない。悪い行動をしようと考える自分自身に勇気を持って反省しない!悪い行動をしようと考える自分自身に勇気を持って戒めの気持ちを持たない!どこでもポイポイとゴミを捨てるような連中も、車両を違法改造して道路交通法を守らずに四輪や二輪を運転する連中も、校則を守らずに髪の毛を染めてギャーギャー騒いで授業を妨害するような連中も全部同類です。人間の姿はしているが精神的にはもう人間ではありません。またここまで読んで「そこまで言うか」と思っている人…あなたのその甘えた考えも今の情けない日本人の手助けをしていることを知るべきです。我々は今一度『人としてどうあるべきか』を考え直す時期に来ています。そのために、まず勇気を持って自らに反省を!勇気をもって自らに戒めを!
2010.06.30
コメント(0)
我が教室に通ってくれる生徒達とよく話の題材に使う内容が何個かあります!「最近こんなことあったやろ? みんなどう思った?」と…今夜私が投げかけた話題は「角界の賭博問題での記者会見や当事者のインタビューを聞いてどう思った?」でした。この話を通して『してはいけないことはしない』という意識を持って欲しいのです。しかし最近特にみんなに考えて欲しいことは『反省って何か?』ということです。もっと厳密にいうと『心からの反省』なのか『仕方なくするポーズだけの反省』なのかという点です。記憶に新しい事件として、元アイドルの女性が麻薬所持と常習で捕まりました。捕まってから彼女はカメラの前で、反省の弁を述べながら頭を下げました。しかし、しかしです。あれは本当の反省なのでしょうか?私がひっかかるのは、もし警察に捕まっていないとしても彼女はあの時点で反省して麻薬をやめたのでしょうか?いや、間違えなく今だに麻薬を使用しているでしょう!という事は、あれは『仕方なくするポーズだけの反省』といえるのはないでしょうか?本当に反省するなら、それは自主的なものでなければなりません。ある日突然記者会見を開いて、「実は私はいままで麻薬を常習しておりました。しかし、これではいけない・ファンの皆さんに申し訳ないと強く感じた結果、警察に自首したいと思います。罪を償ってまた一から出直したいと思います。」というべきではないのでしょうか?あるいは、そんな記者会見を持たずに誰にも知られることなく密かに麻薬と縁を切るという選択肢も考えられます。それより何より、もともと麻薬になんか手を出さなければいいのですが…各界の賭博問題も同様です。今回発覚しなければ、彼らは今だに賭博をしているでしょう?では、あの当事者の反省の弁も『仕方なくするポーズだけの反省』なのです。ここまで話をすると中には「謝罪している人の心の中までは分からないです!もしかしたら『心からの反省』かもしれません。」と反論を受けることもあります。その意見は私もある意味もっともだと思います。問題が発覚して、周囲のみなさんに多大な迷惑をかけてしまい心から反省しているかも知れません。しかし私が生徒達に伝えたいのは『バレたからごめんなさい。』『捕まったからごめんなさい。』といった謝罪や反省は、裏を返せば『バレなければ大丈夫!』『捕まらなければ大丈夫、逃げ切れば大丈夫!』という考えが生んだ結果であることなのです。大人にそんな連中が多いのです。それが公の電波に乗って子供たちの耳に入るのです。だれかが『それは間違った大人の姿であり言葉である』ことを、明確に伝えなければならないのです。人が見ていようがいまいが、するべきことはする・してはいけないことはしない! これを事ある毎に子供たちの心に訴えていかなければなりません。
2010.06.29
コメント(0)
私の授業中に用いる『ネタ』の効果を感じたあるお母さんの話を紹介しましょう。そのお母さんは『ネタ』を用いるのではなく、とにかく子供が見聞きしたことを自分に伝えてもらおうとしました。そのお母さんは二児の母で、当時長女は中学2年生・次女は小5年生でした。母娘揃ってお笑い番組好きだったご家庭でしたが、そのお母さんは自分だけ番組の時間にわざと用事を作ってテレビを見られない状態を作りました。そして番組が終わってから、娘達にその日一番面白いと思った芸人さんの『ネタ』を話してもらったそうです。娘達は、自分の話した『ネタ』でお母さんが笑ってくれることに喜びを感じたみたいです。実はお姉ちゃんが中3になったとき、作文練習ので[私の喜び]という題を出しました。彼女は「私の話でお母さんが笑ってくれたときが本当に嬉しい」という内容を書いてくれたのです。彼女達の話術は回を追う毎に上達していったそうです。芸人さんの話を聞く・覚える・声のトーンや身振り手振りも工夫する・どう話をすればさらにお母さんが笑ってくれるかを考える、等々の作業が彼女たちの会話力・文章力・読解力を向上させ、それが成績に反映したことは言うまでもありません。そう言えば、私の母も幼い頃の私に「今日どんなテレビ見たん?」「どうなったん?」「どう思ったん?」と聞いてくれたものでした。幼い頃はかなりのテレビっ子だった私ですが、やはり男の子なので正義のヒーローものをよく見ていました。母の最期の質問の「どう思ったか?」に答える度に「正義の大切さ」や「正義の難しさ」を自らの口で言葉にすることによって、改めて実感したものでした。ともかく保護者の皆さんも先生達も、子供達に話をさせる機会を自然に作ることが重要です。また会話力を上げることで、完成が豊かになる副作用もあります。以前に「おしゃべりではなく会話です」と言いましたが、おしゃべりの中に『ネタ』を入れることで会話力を上げることもできます。
2010.06.28
コメント(0)
ある意味、この『ネタ』を有効活用して生徒達の学力の定着を図ることも可能です。私の場合その『ネタ』の『引き出し』をたくさん用意しておきます。例えば国語の[主語・述語]や英語の[主語・動詞]の説明をするときに、それらに関係する笑える『ネタ』を複数用意しておきます。[主語・述語] [主語・動詞]の関係や重要性を理解できていないと笑えない内容にしておきます。それらの『ネタ』はどのクラスの授業に『ほり込ん』でも、ほぼ全員が笑います。逆に笑うことによって[主語・述語] [主語・動詞]の関係を理解する場合もあります。しかも複数個用意しておいて、クラスによって違う『ネタ』を『ほり込み』ます。「うちのクラスはこんな『ネタ』だった。」「うちはこんなのだった」と生徒間で話をして笑いあうことで、さらにその学習内容を確認しまた会話力も向上していくのです。またこの『ネタ』を『ほり込む』ことで授業が単調なものでなくなり、生徒の集中力を持続させる効果もあります。この『ネタ』は何も必ず笑える話でなくてもいいのです。うんちく話でもいいし裏話でも感動話しでも何でも構いません。とにかく生徒達が興味を持ち、思わずだれかに話したくなるものであればオッケーです。同じ学習単元で用いる『ネタ』であっても、このクラスでは笑える話・このクラスでは感動話と異なった性質のものを『ほり込む』のも効果的です。では具体的に私がどんな『ネタ』をもっているか…それは企業秘密ですのであしからず。知るのは私の教え子とその親御さん達のみです!…あ、それと元同僚の先生方も生徒達から私の『ネタ』を伝授されて、知っている人はおられますね。
2010.06.26
コメント(0)
授業中に何気なく私が繰り出した『ネタ』!それに対してそのクラスの何人かの生徒は苦悩することがあります。授業中に聞いたときは自分も含めて大笑いしたのに、自分が誰かにその『ネタ』を話しても授業中のときのように笑いが起きない…。その場合、ある生徒はその『ネタ』を伝えるのを諦め、またある生徒は「ゴマちゃんに聞いて」というのですが、中には自分の話し方に問題があるのではないかと考えるのです。自分の話し方を磨こうとする生徒は、次の私の授業中の『ネタ』をしっかり聞こうとします。話の流し方、『オチ』の持って行き所、話す速度、身振り手振り等々、思わず研究してしまいます。そしてそのうち『ネタ』を話して相手に笑ってもらうには、[話す側の文章力]と[如何に聞く側の立場で文章を組み立てるか]が重要であることに気付くのです。そしてそれはそのまま学力の向上につながることが多いのです。もう生徒さんの保護者の方から「先生、この前の話を子供から聞きましたよ。爆笑しました。」なんて言われたら、その生徒さんはかなり文章力が上がっています。話せるようになれば書けるようにもなるので、記述問題や作文に強くなるのです。話せて書けるようになれば、読み取り力も向上するので読解力が身につき、国語や英語の長文問題や数学の文章問題に対応できるようもなるのです。ですので、私は授業中適度に『ネタ』をほりこむのです。この[適度]というのがポイントでもあるのですが…
2010.06.24
コメント(0)
さて、今までの私の文章から既に関西人であることはばれているかと思います。学生時代にバイト先で知り合った静岡出身の方に「なんでゴマちゃんは、漫才みたいな話し方をするのですか?」と聞かれたこともあります。全員がそうとは言いませんが、多くの割合の関西人は『笑い』に敏感です。昨年久しぶりに郷里に帰ったときに電車の中で、幼稚園くらいの男の子が2人おしゃべりをしていました。その途中「今俺がボケたのに何で突っ込んでくれへんねん。」「アホ言え!あれしきのボケには敢えて突っ込まん事が友達としての礼儀やんけ!」といったやり取りが普通に行われていました。それを聞いて、私も「よしよし、着実に後継者が育っとる!」と思わず安心してしまいました。元々『ボケ』『突っ込み』は漫才師や芸人さん達の専門用語ですが、関西圏(近畿圏)ではそれが一般人にも広まっているのです。あと、お決まりの話の1つの流れを『ネタ』・お決まりの話に入りやすくするための言動を『ネタ振り』・その話の中の一番面白い部分を『オチ』。その話の終わらせ方を『着地(または着地地点)』(この『着地』が『オチ』である場合もある)・会話の流れに自分の『ネタ』を持ってくることを『ほり込む』…等々、一般人に普及している専門用語は数々あります。やはり関西出身の私は授業にもある程度の『笑い』が欲しいので、自然に授業にネタをほり込んでいたのですが、それが予期せぬ形で生徒たちの会話力を育てる結果になっていたのです。
2010.06.22
コメント(0)
さて、『会話力』の話題に戻ります。前回までは聞いていて面白くない話の内容について考えたのですが…今回からは、逆に聞いていて面白い話について考えたいと思います。結論から言いますと『会話力』を身にけることは、『総合的な文章力と他人の立場になって何かを考える能力』を身につけることになります!私も最近は意識的に授業中に取り入れていますが、以前は全く気付かずにしていたことが実は『会話力』を鍛える結果になっていることを発見しました。それは何も難しいことではなく、我々が日頃何気なくしていることにヒントがありました。それを強制的に生徒にさせてもあまり効果がない場合が多いことも分かりましたし、親と子供・先生と生徒の間で行えばかなり効果があることも分かりました。『会話力』が上がれば『文章力』があがり、『文章力』が上がれば『読解力』が上がり、『読解力』が上がれば国語は勿論その他の科目の成績があがる、という循環か生まれます。どの科目も日本語で授業があるわけですから日本語を聞きとって理解する、どの科目の教科書も参考書も日本語で説明されているので日本語を読み取って理解するという循環であるとも言えます。では、私はどんな方法を用いているのか!それを次回紹介したいと思います。でも、企業秘密的な部分は黙秘させていただきますのであしからず。
2010.06.20
コメント(0)
天気予報がいい方向に外れてくれて、暑い一日となりました。競技会も無事に進行する事ができました。後は各クラス優勝者の強化練習でレベルを上げて、全国大会に挑むのみです。同時に後継者育成で、優勝者以外の選手の皆さんにも練習していただければと思っています。毎年思うのですが、何の根拠もなく「自分はうまい」なんて思っている人は入賞しません。自分なりに意識をもって、いつも上達を目指している人は上位に入ります。でも、これは何もバイクに限った事ではありません。日々意識をもって何かに対する向上心をもっている人は、何歳になっても謙虚です。そうでない人は…皆さんご存知の通りです!!では今回はこれまでで失礼します。たまには短く終わっておきます。いつも無駄に長い文章で申し訳ありません。
2010.06.19
コメント(0)
明日は全国二輪車安全運転競技会全国大会の県予選です。毎年この時期にどこの都道府県でも予選を実施しています。興味のある方は各都道府県の二輪車安全運転推進委員会か二輪車普及協会に問い合わせてみてください。ちなみに全国大会は8月初旬に鈴鹿サーキットで開催されます。競技内容は、大きく分ければ…1:低速バランス競技(ゆっくり確実にバイクを操作する)。2:タイムアタック競技(速さを競う)。3:規定コースの法規走行(免許取得時の実技試験と同内容)。…の3つで得点を競います。結構この3つ全てができる人がなかなか少ないのです。まぁ、だからこそ競技が成り立つのですが…。ここまで読んで『免許あるなら法規走行は完璧にしろよ!』と思う人も多いと思いますが、問題はそこです!!でも逆に法規走行を完璧にこなし、減点ゼロの方もおられます。では、何が違うのか!それは免許取得後も道路交通法規の勉強をしているかどうかと、それを遵守する気持ちを保ち続けているかの違いです。私、よく思うのです。運転免許証更新時に全員に原動機付自転車の学科試験を受けてもらって、90点以上取れない人は免許証を強制返納しなければならない!という制度を導入したらいいのに、と。そうすれば交通事故は激減すると思いませんか?そこまでしてでも交通事故を無くしたいと思うのは私だけでしょうか?思わない人は「自分は交通事故に遭わない」などと思っているのでしょうか?ともかく明日は、安全に楽しい競技会になることを願っております。せめて競技中だけでも雨が降らないで欲しいです。
2010.06.18
コメント(0)
いきなりですが、昨年度全国での交通事故により亡くなった人は残念なことに約5千名でした。この国はその人数にたいして『交通事故死亡者数減少』などと喜んでいますが、本来交通事故死亡者数はゼロでないといけないのです。またこの件に関してはゆっくり書きたいと思いますが、今回紹介したい情報は…昨年度は初めて交通事故で亡くなった人の中で、車両運転中の事故による死者数よりも歩行中に遭遇した事故で亡くなった人の数が上回ったのです!この傾向はこれから更に続いていくとの推測がなされています。特に車(四輪二輪問わず)を運転するときは、歩行者の動きに注意することが今後更に必要となってきます。◇歩道を横切るときは必ず一旦停止!◇横断歩道の前は必ず徐行!◇横断歩道上に歩行者がいるときは、歩行者優先を厳守!◇横断歩道の無い場所でも平気で横断する歩行者もいるので、常に周囲に気を配る!◇特に全国的に夜間での歩行者を巻き込む死亡事故が多発しているので、、、 ・夜間で車道が空いていても、昼間より速度を落として走行する! ・対向車等がいないときは、ライトをこまめに上向きにする! ・自分のライト光線と対向車のライト光線の間に物体が入り込めば、 それが見えなくなることがあるので十分注意する。 ・雨の夜間走行は危険度が更に増すので、自覚をもって運転する。…等に気をつけて、事故にあわない・起さないようにしましょう!!
2010.06.17
コメント(0)
前回、≪「自分は人前で話をすることに自信がある」と思っている『先生』に限って≫と書き込みましたが、『先生』に限らなくともその自信のある人で【会話力】のない人は以前に紹介した5つのパターンに陥っていることが多いです。やはり、聞いている・聞かされている人たちの我慢によって助けられていることに早く気付くべきなのです。では、各パターンの会話はどこが聞く人をうんざりさせるのか!検証していきます。自分が人に話をするときに、以下の思惑がある人は要注意です。以下の5つの思惑があるか無いかは、あなた自身がよく知っていることだと思います。【1:結局は自分がどれほど偉大な人間なのかをアピールしたい人の会話】まず間違っているのは、『アピールしなければ偉大と思われない時点で偉大な人ではない!』という事実を知るべきです。その人が偉大なのかどうかは、その人の行動・振る舞い・実績などで判断するものです。自分の行動・振る舞い・実績に実は自信がないから、それを何とかしようとする会話をいつもしてしまうのです。また中途半端な知識や、行動を伴わない道徳論は逆にあなたの評価をこの上なく下げます。このタイプの人は『言っていること』と『やっていること』の差が激しい場合が多く、私に言わせれば『口ほどにも無い』人が多いです。【2:とにかく自分がしゃべることが目的で、内容は考えず延々と話だけが続く人の会話】このタイプの人の会話の特徴は、『話に起承転結がない』・『話に結論がない』・『話にオチがない』・『話の本題が分かっていない』等々、挙げればキリがありませんが、とにかく自分が話し出すことだけが目的で会話を始めるから、思いついたことを延々と話してしまい、話が終わりません。そのときの会話の本題から外れていることにさえ気付かないで、延々と話を続けます。いくら良い内容の話をしても、相手が「長い」と思った時点でその話は『無駄話』になってしまうのです。私に言わせれば『無駄話』は『人生の限られた貴重な時間の浪費』なのです。 【3:以前にした話なのに、また得意顔で同じ話を聞かせる人の会話】このタイプの人は『この状況のときはこの話』、『この職業の人に会えばこの話』、『初対面の人にはこの話』、などと決めている。そう決めているだけなので、だれにどの話をしたかを覚えていない。実例を挙げましょう。私の知り合いで学校の先生を見ると、自らが小学生のとき担任の先生と口論になり最後にこの担任が家まで謝罪しにきた話をします。私はこの話を本当に何百回も聞かされています。でもその人は続けます。実は私、かなりうんざりしてきた時期にその人がその話を始めようとしたときに「その話は何回も聞いています」と言ったことがあるのです。その後はどうなったと思います?「ゴマちゃんにはこの話は何百回もしているけど、」と前置きをしてその話を始めるとうになりました。目上の人ですし、もう打つ手無しです。走り出したらもうだれも止められない状態です。このタイプの人は突き詰めれば【1:結局は自分がどれほど偉大な人間なのかをアピールしたい人の会話】と同じですね。困ったものです。【4:自分の昔の話しかしない人の会話】特に昔の自分がいかにすごかったかをアピールする。でも聞いている人が思うのは「昔のあなたがそんなにすごいのに、今はなんでそんなにすごくないの?」です。このタイプの人も突き詰めれば【1:結局は自分がどれほど偉大な人間なのかをアピールしたい人の会話】と同じです。違うのは【1:】のタイプの人は、『最近得た中途半端な知識や、行動を伴わない道徳論』を中心に話すのですが、【4:】のタイプの人は『自分の昔話を美化した内容』または『どう考えても嘘』を話します。もう一度言いますが、聞いている人は「昔のあなたがそんなにすごいのに、今はなんでそんなにすごくないの?」と確実に思っています。それに気付いていないのはあなただけです。【5:他人の話をそのままするだけの人の会話】これは一見害がないように思われます。勿論害がないときもあるのですが、「なんでここでその話?」というタイミングで「なんでここでその話?」という内容を話し出すパターン。会話的に『周りが見えていない人』といえるでしょう。また【2:とにかく自分がしゃべることが目的】のタイプに似ていますね!あなたの会話がこの5パターンに陥っていないかどうか…自分自身で厳しく吟味しみる勇気を持ってください。何回も言いますが、ポイントは《聞く人の立場になって会話内容を組み立てているか!》です。
2010.06.15
コメント(0)
今回は学校や塾の先生の会話力について考えます。学校と塾での授業の違いは何か!学校教育を離れて塾業界に入って数年間悩み続けた私のテーマでした。でも共通点ははっきりしています。「人に何かを教えるプロである」という点です。それにはやはり会話力が必要不可欠なのです。「会話力」と「おしゃべり力」は全く違うものです。また今回テーマにしているのは「会話力」であって「対話力」ではありません。先生の授業においての「会話力」は「説明力」の要素がかなりの部分を占めていると考えていただいてよいと思います。では、先生と呼ばれる職業の人達はどうやって自らの「会話力」や「説明力」のレベルを知ればいいのでしょうか?もうそれは『いかに厳しく自らの会話力を見つめるか』にかかっています。言い換えると『自分の話を聞いている人達の反応にどれだけ敏感か』にかかっているともいえるでしょう。例えば昨年、ある塾の先生たちのグループの会議に出席させてもいらいました。ほとんどの先生たちは「さすがだな」と思う会話力を発揮しておられました。私もかなり勉強させていただきました。しかし、ひとりだけ「えっ」と思う先生がいました。しかもその先生はそのグループの中心的存在だというので私は真剣に驚きました。その会話力の乏しさは群を抜いていました。その先生があるテーマについて発言しはじめたのですが、その内容は微妙にテーマからそれているのです。そのうちどんどんそれていきます。しかしご自身は自信たっぷりに話を進めるのです。しかも長い!その先生の話が終わったとき、教室全体が静まり返っていました。正直なところどのようにコメントしていいか分からないのです。でもその先生は『してやったり顔』、俗にいう『どや顔』をしているのです。その先生はそのグループの発起人らしく、それなりに業績も上げている人らしいので、おそらくグループの皆さんは「それはテーマとは離れた話で、単にあなたの自慢話に過ぎません。」とは言えないのでしょう。私は元々そのグループの人間ではありません。でも多くの先生方の我慢を無駄にもしたくなかったので、「テーマと違いますよ」とは言いませんでした。ただ私に発言の機会がきたときに、まずはその先生と同じように自らの自慢話をしてみました。やはり一番苦虫を噛み潰したような顔をしていたのは、その先生です。『自分話・自慢話』ばかりしたい人は、他人の『自分話・自慢話』を聞きたくないのです。自分が聞きたくない話を、自分は他人に聞かせても平気…このタイプの人間は【話を聞く人の気持ち】を考えることのできない人で、『自分の話を聞いている人達の反応にどれだけ敏感』ではない人だと言えます。しかし、『先生』と呼ばれる立場の人で【聞く人の気持ち】を考えることのできない人がなんとかやっていけるのは、その話を聞かされる人の《我慢》や《聞き取り能力の乏しさ》に助けられている場合が多いのです。なので、我々『先生』と呼ばれる立場の人間は、自らの発する言葉・自らの発した言葉がそれを聞いた人達にとってどういう内容であったのかを客観的に且つ厳しく見極める必要と能力が求められているのです。私の経験から「自分は人前で話をすることに自信がある」と思っている『先生』に限って、聞く側・聞かされる側はうんざりしている場合が多いですよ。『先生』以外では『公務員』『官僚』『親の七光り等でその職に就いた会社の重役や社長』に多いですね。どの世界でもそうですが「自分はこれで問題なし」と思った時点で、その人の成長は止まって(または終わって)しまうのです。「人に何かを教えるプロである」我々『先生』が、「自分の授業や講義はこれで問題なし」と思った時点で、その授業や講義を受けている生徒達はもう不幸なのです。先生達よ、『会話力』『説明力』を磨き続けよ!(、、、もちろん私もですが、、、、)
2010.06.13
コメント(0)
会話力の話題に戻ります。会話力のない大人の言葉ばかり聞いている子供たちに、会話力を身につけることは厳しくなると私は感じます。特に「先生」と呼ばれる立場や職業の人達には、優れた会話力が要求されています。に関わらず、会話力の乏しい「先生」が多いのも現実です。なぜか「先生」と呼ばれる政治家達…例えば何か問題がりました。その問題の当事者の政治家が公の場でコメントをしました。それに対してある政治家は『説明責任を果たしている』と言い、また別の政治家は『果たしていない』と言うことって多いですよね。この見解の相違はなぜ生まれるのでしょう?理由は簡単です。その政治家のコメントは突き詰めれば《保身》の為の言い訳なのです。ですから政治的身内は肯定し、そうでない政治家は否定するのです。そこで《保身》を目的としたコメントではなく国民に向けた誠意のあるコメントであれば、説明責任云々の話にならないでしょう。会話力の必要とされる政治家に会話力がないことを証明してしまう情けない例でした。ここで大切なのは、やはり会話というのは【誰に向けて話をするのか】と【その会話を聞いた人は、それをどう受け止めるか】を見失ってはいけないのです。政治家が何か問題を起した! その当事者の政治家のコメントは《国民》《支持者》に向けて、最低でも《事実説明》《どう対処するか》に触れていなければならないのです。数年前、あるテレビ通販会社が顧客の情報を流失してしまうという事件を起しました。その社長は即刻《事実説明》《原因説明》をして《半年間の営業自粛》を宣言し、その期間に二度と同じ事を起さない社内体制の構築を約束したのです。その社長は自らの会社の失態に対し《お客様》に向けて、《お詫びを態度で示す》ことを言葉で伝えたのです。半年後の通販再開時には、それまで以上の売り上げがあったと聞きます。やはり会話というのは【誰に向けて話をするのか】と【その会話を聞いた人は、それをどう受け止めるか】を見失ってはいけないのです。最近は、会話力の乏しい人が学校や塾の先生をしている場合を多く見受けます。それが塾であればやがて生徒数が減少して自然淘汰されていくこともあるのですが、そうでない場合もあります。しかし一番厄介なのは、会話力の乏しい学校の先生が多いことです。勿論そうでない先生もおられますが…
2010.06.12
コメント(0)
本日、昼食をとりにあるお店に入りました。そのお店に流れていたラジオから、ある主婦の方からのハガキ紹介の声が聞こえてきました。内容はおおよそ以下の通りです。【私、1人でドライブに行っていいでしょうか?私には高校生の息子と中学生の娘がいます。産まれたときから今まで「子供のために」と私なりに懸命に子育てをしてきました。私の子育ては朝から戦いです。2人の子供を起しながらお弁当を作ります。子供達はなかなか起きません。毎朝の事なので主人は「放っておいたらいい」と言うのですが、そういう訳にもいきません。朝はうるさく起す。夜はなかなか寝ない子供達に早く寝るように、学校から帰ったら早く食事をしなさい、早くお風呂に入りなさい、早く宿題をしなさい…と口うるさく言葉をかけ続けます。そんな子供たちにとって、私はただの『うるさいおばさん』になってしまっています。 毎日栄養のバランスや献立などを苦心して考えて、朝早く起きて作るお弁当も、『あって当たり前』になっているような感じで私が手渡すときにも私が空になったお弁当箱を受け取るときも無言です。 なんだか私は誰のために何のために子育てをしているのか分かりません。 だから私、1人でドライブにいってもいいでしょうか?】ラジオのパーソナリティーがそのハガキの内容に対してどんなコメントをしたのかを聞くことは時間が許してくれませんでしたが、私は複雑な思いで午後からの仕事に入りました。この話も様々な問題を抱えています。早寝早起きという基本的生活習慣ができていない子供は、日々の生活にどれだけ損をしているか?なぜ母親だけがこんなに悩んでいて、父親の話は「放っておいたらいい」と言ったときのことしか出ていないのか?挙げだしたらこれまたキリがないのですが、私はこのお母さんに言いたい!いや、このお母さんだけでなく世の全ての懸命に子育てに挑んでいるお母さん達に言いたい!!あなたのしていることは間違いないです。たとえ今は誰もそれに気付いていないように思えても、そんなことは絶対ありません。見た目や態度や言葉遣いや話す内容がいくら大人っぽく思えても、彼らはまだまだ子供なのです。今は分からなくても、いつかは分かります。そのとき彼らは涙を流しながら、あなたという偉大な母親の子供に産まれた幸せを実感し、また今まであなたがしてくれたことにどうしようもないくらい感謝することでしょう。どうかそれまで…全ての懸命に子育てに挑んでいるお母さん達は、ときには心と身体を休めながら長生きをしてください。この世で「自分の子供を育てる」こと以上に偉大なことは無いと私は思います。あなたの子供さんの母親はあなただけなのです。偉業には多少の苦労はつきものです。いつか必ずあのときに苦労した子育てが報われたと実感できる日が来ます。ですから長生きしてください。まだ若いからと安心しないで!まだまだ若いと無理しないで!世のすべてのお母さんたちにエールを送ります!!
2010.06.11
コメント(0)
「会話力」の4回目です。前回の5項目の楽しくない話に共通する特徴…それは、すべて話者の「自分が中心」「自分目線」の『自分話(じぶんばなし)』なのです。よく思い出してください。皆さんの周りにもいるでしょ?「あ~、また人の話に捕まった!」とか「あ~、またこの人の話が始まった!」って思わずテンションが下がってしまう瞬間…その話を始める人は、話を聞く立場の人のことなんか微塵も考えずに、自分の話したいことを話したいのです。そら、会う度にそんな話を聞かされるのですからテンションも下がります。また不思議なことに、『自分話』をする人同士はお互いを避ける傾向があります。話を本題に戻します。言葉を変えて言わせてもらえば、『自分話』ばかりする人は【話を聞く人の立場を考えられない人・察知できない人・想像できない人】と言えるでしょう。そして『自分話』ばかりする人は【会話力の乏しい人】の1つの例でもあります。以前紹介した【話の争点をかえる人間】の中にも、意図的に《話の争点を変えて》いるのではなく、単に会話力の乏しさから《話の争点》が最初から理解できていない人達も多いのです。会話力の乏しい大人に囲まれた子供たちは本当に不幸です。勿論私も含めて、まずは大人達が会話力を磨いて様々な意味で子供たちの手本にならなければなりません。「私の会話は大丈夫」と思った時点で会話力は乏しくなってしまいます。大袈裟に聞こえるかも知れませんが、会話力を上げることは自分を磨くことであり、人としての正しい生き方を子供たちに伝えていくことにつながります。では次回から、前回紹介した《楽しくない人の会話の特徴5項目》について検証していきたいと思います。
2010.06.09
コメント(0)
さて「会話力」の話題に戻ります。よく私は生徒達に、「会話力」の訓練として【人の話の内容を頭の中で段落ごとにまとめて、結論を考える】ことを日常生活で行ってもらいます。特に友達同士のおしゃべりではなく、先生の話を対象にします。そして、その先生が話したい要点は何かを考えてもらうのです。何回か繰り返していると、生徒たちはあることを発見します。まぁ詳しいことは企業秘密(ホンマかいな)なので割愛させていただきますが、この発見を契機に会話力を上げて文章力を上げる生徒さんは多いです。みなさんも挑戦してみてください。話していて楽しい人と、そうでない人の会話内容の段落ごとの意味とその結論を自分なりにまとめるのです。話していて楽しくない人の会話の特徴についての私なりのまとめは以下の通りです。1:結局は自分がどれほど偉大な人間なのかをアピールしたい。2:とにかく自分がしゃべることが目的で、内容は考えず延々と話だけが続く。3:以前にした話なのに、また得意顔で同じ話を聞かせる。4:自分の昔の話しかしない。5:他人の話をそのままするだけ。その他にも数種類あるのですが、主なものはこの5項目です。皆さん、この5項目に該当する楽しくない話に付き合わされた経験はありませんか?それと…この5項目の楽しくない話に共通する特徴がわかりますか?
2010.06.08
コメント(0)
本日は、私が指導させていただいたメンバーで結成されているクラブのメンバーでのツーリングでした。暑いくらいの好天に恵まれて楽しい旅となりました!見知らぬ街を気心の知れた仲間と走るのは日頃の慌しさをしばし忘れさせてくれるので、心身ともにすごくリフレッシュさせてくれます。また同時に、日頃の何気ない生活の繰り返しが実は本当に大切で有難いことであると気付かせてくれます。大人も子供も、年に何回かはこんな日があるべきだと思います。皆さんもリフレッシュしていますか?
2010.06.06
コメント(0)
K建築会社の社長は、そんな答弁が本気で通ると思ったのでしょうか?A一級建築士をフォローするわけではありませんが、その状況で『一級建築士はあなただけではないのだよ。』と言われたら100人中100人がA一級建築士と同じ意味にとらえるでしょう!こんなレベルの言い訳をする大人がいることを知った子供たちは「ああいう言い訳が通るのか」と知らず知らずのうちに心の中で思ってしまうのです。例えばいじめです。いじめを受けた生徒が登校拒否になった。その原因を先生がさぐったら、いじめがあったことが発覚した。いじめをした生徒に事実確認をしたら「確かに言われる通りのことをしたが、いじめるつもりは無かった。」と言った。では、いじめるつもりがなければ、相手に何をしても何を言ってもいいのでしょうか?そんな訳は有り得ません!ですから、もう一度繰り返します。言葉は、【それを発した人がどんな意図で言ったのか】よりも【その言葉を聞いた人がどう受け取ったか】が大事なのです。行動は、【その行動をした人がどんな意図で行ったのか】よりも【その行動をされた人がどう受け取ったか】が大事なのです。それに気付いている人は『会話力』を身につけている場合が多いです。それに気付かない人は、何を言ってもその言葉が相手に伝わらない。それどころか誤解を与える場合さえあります。『会話力』は『文章力』にもつながりますから、私は授業を通して生徒達に自然に『会話力』を身につけて国語の成績をあげてもらっていたりします。不思議なもので、国語力が上がれば他の科目の理解力も上がることが多いです。
2010.06.05
コメント(0)
会話力…ありますか?「言葉の重み」つながりで、今回は『会話力』について考えたいと思います。その中でも『話す力』を取り上げます。私より年上の方で、私に説教をしたがる人というか講釈を垂れたがる人が数人います。正直うんざりしています。しかも私にとってどうでもいい話なので、「はあ」「そうですか」「へぇ」を何万回も延々と連発します。私をうんざりさせる原因はたくさんあるのですが、一番厄介なのは本人達が自分の話の全てを完璧だと思っているところです。しかし、私も人前で話をするのが仕事でとも言えますので、彼らのようにならないように気をつけています。また、うんざりしているときに私自身がとる反応を、私の話を聞いている人達にはとらせないようにすることにも気をつけています。 学校でも塾でも先生が生徒に何か注意や指導をした後で、機会があればその生徒に聞いてみます。「あの先生に何言われたん?」または「何で怒られたん?」と。素直に先生のいう事を聞き入れる態度を見せた生徒たちの約半数が「何言われたか、今ひとつ分かりませんでした」「怒られた原因は分かるけど、先生が何を言いたかったのかは分かりません」といった返事を返してきます。本当にもったいないとうか残念なことです!では、どのような話の進め方だと相手に話が伝わり難いのでしょうか?突き詰めれば、話を聞く人の立場になって話をしていない、または話を組み立てていないのです。私はよく生徒たちに言います。『「私はそんなつもりで言ったのではありません。」などと言い訳をする大人の言う事は聞かなくてもいい。言葉は、【それを発した人がどんな意図で言ったのか】よりも【その言葉を聞いた人がどう受け取ったか】が大事だ。』と。皆さん覚えていますか?数年前、Aという一級建築士が耐震偽装マンションを設計したことが発覚して大問題になりました。取調べでA一級建築士は、K建設会社から耐震偽装マンションを設計するように言われたと証言したのです。K建築会社の社長が「鉄筋やコンクリートの量を減らして設計をし直すように」と言ったらしいのです。A一級建築士が「それでは耐震偽装になる」と言ったところ、K建築会社の社長の返事は『一級建築士はあなただけではないのだよ。』という内容だったらしいのです。A一級建築士は「仕事が無くなれば生活ができなくなる」と感じて、耐震偽装設計を引き受けざるを得なかったと証言したのです。それに対するK建築会社の社長の答弁が、「確かにそう言いましたが、一級建築士は彼以外にもたくさんいることを伝えたかっただけで、耐震偽装しなければ今後の仕事依頼は有り得ないという意味ではない」といった内容でした。この発言は公の電波に乗って伝えられたのです。
2010.06.04
コメント(0)
最近「言葉の重み」に対する感覚も、甘くなっているというか希薄になっているというか…。大人が「言葉の重み」を軽視するから、子供たちも同じことをするのです。昨日、H山首相が辞意を表明しました。それに関して詳しく語るとキリがないので、今回は首相の辞意表明に関する野党のコメントを取り上げたいと思います。今回の首相の辞任に関してのインタビューを受けたほとんどの野党議員はこう言いました。「このタイミングで辞職するのは選挙目当てだ!」と。皆さんはこのコメントをどのように受け取りましたか?その前日までその野党の人達は、米軍基地問題で「首相は今すぐ辞任するべきだ。」と言っていたのですよ。皆さん、どう思います?「今すぐ辞任しろ」と言っていて、その人が辞任したのですよ!自分たちの思い通りになったのだから、「万歳」ではないのですか?ではその野党の人達は、【今解散されたら、次の選挙で与党が有利になるとき】に「今すぐ解散しろ」と言っていたんですか?それはおかしいでしょう!!相手の言う事には、とりあえず何でも反対する。相手の行動には、とりあえず何でもその相手の不利になる発言をしておく。…そこには正義もポリシーも何もありません。自分の発言に対する責任感すらありません。政治家がその程度のレベルなんです。私はことある毎に生徒たちに政治の勉強も兼ねて、政治家の発言についてどう思うかについての意見を言ってもらいます。関西風にいうと、つっ込んでもらっています。どの政治家が自分の発言に責任を持たないのか!それを考えることによって、判断力や感受性を磨いてもらいます。それを考えることによって、人の言葉を聞いて理解して自らの意見を持つ練習をしてもらいます。…これが結構読解力を養う練習にもなったりします。またそれを考えることによって、自らの言葉に責任を持たない人間がいかに見苦しいものかを学んでもらいます。そして何より、子供達に言葉に責任を持つ重要性を語った大人は、自らの発言にも厳に責任をもつことが要求されます。児童・生徒・保護者・先生、そのみんなが言葉の重みを知り、発言に責任を持つという当たり前の空気を作っていきましょう!政治家達全員にそれを求めるのは、現状では厳しいです。言葉の重みもう一度勉強しなければならない政治家が多いですからね。…そんな連中が多いんですから、そら国の借金も900兆円に届きますわ…
2010.06.03
コメント(0)
新人教員や新人講師からよく受ける質問の1つに「いつ叱っていいのか分かりません」というのがあります。最近は保護者の皆さんに講演をさせていただくときにも、同じ質問が出ることもあります。私の答えはいつもこうです。「カチンときたら叱り時」「そらアカン(それはダメだ)と感じたら叱り時」…です。その場で必ず声に出して叱るのがベストですが、声がダメな状況では態度で、またその場では無理な状況であれば後で必ず叱ります。それが基本です。ここまで話をすると、これまたよく出てくる質問があります。「自分が叱ることによって、生徒・子供との関係が悪くなるのが嫌なんです。どうすればいいですか?」…です。私の答えはこうです。「それくらいで悪くなる人間関係なら、それはもうそれまでです。諦めてください。」…です。それで対立や反目があるなら、それもヨシ!・それでヨシ!です。いつでもどこからでもかかって来い!です。『正しいことを言っているのはどちらなのか!』これが勝敗を決します。どちらの考えが正しいのか!それが明確になるまでは、正々堂々と頑固に渡り合ってください。生徒と仲良しな先生・子供と仲良しな親、ある意味賛成です。しかし、その「仲良し」を保つために大人である先生や親が言うべきことを言わないなんてことはあってはなりません。そんなことで成り立っている「仲良し」なんて、本当に仲がいいのではなくお互いがお互いをいいように利用しているだけなのです。そんな馴れ合いの人間関係の中で、教育なんてできる訳がありません。話を元に戻します。厳しいことを敢えて言わせてもらうと、「いつ叱っていいのか分かりません」という大人は【感受性不足】【常識力不足】なんです。「カチンとこない」「そらアカン(それはダメだ)と思わない」…それでは話になりません。では、どのように感受性・常識力を養えばいいのでしょう?それは皆さんそれぞれに考えてみてください。
2010.06.01
コメント(0)
全21件 (21件中 1-21件目)
1