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平日はほぼ毎日夜に見ている英語番組があります。今日はその番組でお別れのシーンがありました。登場人物の1人がもう今回で永遠にお別れなのです。別れを告げられたある友人がその悲しさから涙を流します。しかし彼は弱虫で泣き虫なのです。その今生のお別れのときに、その場を去る登場人物が「よしなさい!いつまでも泣き虫ではダメ!」と叱ります。でも叱られた方は感謝の言葉を泣きながらも伝えるのです。それでも叱られた人物は泣き続けます。その場を去る人物は優しく彼の背中を撫でるのでした。最近見ない光景だと思つつも、少し感動してしまった私でした。これなんですよね!!今の我々に足りないのは、、、。
2010.09.30
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『本気で叱られたことがないからやりたい放題!』それを容認する気はありません!そんなものは『甘え』であり『言い訳』であり、話になりません!子供だろうが若者だろうが、【できるだけ周囲に迷惑をかけない】というのが社会の最低限のルールでありマナーです。それだけは譲るわけにはいきません。しかし、子供や若者を本気で叱る大人が少なくなった代償に、大人自身が社会のルールやマナーを守らなくなってきています。皆さん、そう感じませんか?『叱る』ということは『自分自身の生き方に責任を持つ覚悟をする』ことでもあるのです。自分がいい加減な生き方をしていては、だれかを叱ったところで、何の説得力も持たないからです。『子供や若者を叱れない大人』が多くなると、救われないのは大人の方でもあるのです。皆さん!大人である【覚悟】を持って生きませんか?大人に【覚悟】がないから、子供に、若者になめられるのです!!
2010.09.29
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日頃から子供達の目にあまる行動を目撃したときにしっかり注意される派の皆さんはどう感じられますか?見知らぬ子供を叱ったときの、その子供達の最近の反応についてです!まぁ子供に限らず20歳台の若者も同じように私は感じるのですが、一番多いパターンは『叱られたこと自体に驚いている』という場合が多いと思います。例えば、ショッピングセンターで走り回っている子供・明らかに未成年なのに喫煙している若者・公衆道徳を守らない若者、6~7割はキョトーンとしています。そしてその中の同じく6~7割は素直にこちらの言う事を聞きます。残りの2割前後はふて腐れた態度をしながらも、こちらのいうことを聞き入れます。後の1割前後は、こちらを無視して逃げようとしますね。勿論、キョトーンとしない子供や若者のほとんどは、食って掛かってきます。そのときの連中の理論(というか言い訳・逃げ口実)は、ずいぶん以前に紹介した【ルールを守らない人間】で紹介した通りです!ただ私が注意したときにキョトーンとする子供(または若者)を見たときに、「この子供(または若者)は、大人に真剣に叱られたことがないな!」と感じてしまい、それがとても悲しいことだと思います。中には「君は大人に真剣に叱られたことがないやろ!君のまわりの大人は君を諦めてるから真剣に叱ってこなかったんやで。でも俺は君を人間として諦めてないから叱るんや!」というと泣き出した子供や若者もいました。叱る方にもリスクはあります。かく言う私にしても、子供たちや若者を叱ったときに「気持ちよかった!」と感じたことはありません。心のどこかで「あんなこと言うんじゃなかったかな、、、」「言われたあの子供は、あの若者は傷ついてないかな、、、」と思う自分も存在するのです。しかしそれに負けてはいけないのです。なぜなら、私は大人だからです。子供達や若者達の範たる存在であるべき大人なのです。
2010.09.28
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では、なぜ子供に何も注意しないのでしょうか?他人の子供だから?その子供が言う事を聞くかどうか分からないから?その子供に言う事を聞かせる自身がないから?その子供が逆切れされるかも知れないから?その子供の親がどう出てくるか分からないから?もうそんなんどうでもよろしい!!正しいことを正しいと言う。それに何の躊躇が要るのでしょうか?だれの子供だろうが、他人に迷惑をかけていい理屈は存在しません!その子供がその時点であなたの言う事を聞くかどうかは重要ではかりません。重要なのは注意した大人が存在したかしないかなのです!逆切れされてもこちらはあくまで正論で戦います。このブログの最初の話題「ルールを守らない人間」の対処法を参考にしてください!相手の親が出てきてもなんら臆することはありません。その状況で自分の子供に注意するのではなく、自分の代わりに注意してくれた大人に文句を言うような大人は撲滅しなければなりません。これもやはり、このブログの最初の話題「ルールを守らない人間」の対処法を参考にしてください!もしあなたの代わりに、あるいはあなたより先に、その子供に注意している大人がいれば、その場にあなたも立ち止まって、「その通り!」と援護射撃を忘れないでください。そしてその子供が態度を改めるまで、その場にとどまってください。そんな当たり前の光景を、そんな当たり前の大人の存在を、我々1人1人が徐々に具現化していきましょう!!でないと、この国は大変なことになってしまいますよ!!
2010.09.27
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他人の子供だからといって、注意しない、、、、最近ではよく見かける光景です。しかし、私が子供のときの大人はそうではありませんでした。「時代が変わった」と言われればそれまでかも知れませんが、たとえ時代が変わっても人間の本質やあるべき姿の基本は変わらないはずです。いや、変わってはいけないはずです。今回申し上げた状況で、何も行動しない人は、いくらそれらしい、または耳障りのいい格好のいい理由を並べたとしても、それは「ことなかれ主義」「教育放棄」「単なる保身」に過ぎないのです。大人が本気でないので、子供や若者の中には大人をナメてかかる連中が出現するのです。
2010.09.26
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ここで重要視したいのは、この状況で行動をしない人間の心理です!いくら後で言い訳をしても、何も行動しなかった事実には変わりありません。実際に「何も行動しないだろう」と思った人!その理由は何ですか?またその理由は、人として、大人として、立派だといえるものですか?この「立派」というのは、他人から褒められるとか褒められないとかの次元ではなく、自分自身に対して胸を張れるかどうかの観点から考えてみてください。
2010.09.25
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行動するか、しないか!ここが問題です。おそらくほとんどの人が何も行動しないで、見てみぬふりをしますよね。もうそれは大人ではありません。しかし、そんな中身が大人でない、年齢だけの大人が多いですね。多すぎます。情けなさ過ぎます。このブログを始めた最初の話題は「ルールを守らない人間」でした。でも、同じように問題になるのは、そんな「ルールを守らない人間」と戦わない人間の存在でもあります。
2010.09.24
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あなたは今、あるショッピングセンターで買い物をしています。休日なので結構混雑しています。そんな中、売り場を奇声をあげながら走り回っている子供がいます。明らかに迷惑で危険です。あなたはどうしますか?
2010.09.23
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表向きだけでなく、一応でもなく、本気で叱るとはどういうことでしょうか?覚悟を持って叱るとはどういうことでしょうか?とかく最近は、本気で叱られたことのない子供達や若者達が多すぎます。原付講習をしていて痛感します。街中を歩いていても痛感します。皆さんは感じませんか?そんな子供や若者達は、本気で、覚悟を持って叱られたことがないから、大人は叱らないものと思い込んでいます。叱られても、大人が本気でなく覚悟もないことを知っているから、それなりにはぐらかしたり、ごまかすことだけは上手いのです。本当に卑怯者というか愚か者というか、、、、しかしそんな子供や若者を増長させている原因の一端は我々大人にあるのです。
2010.09.22
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『叱り方論』については、いろいろな保護者の方々、先生方、それぞれ独自の理論や実践があると思います。私が思いますに、『叱る』という行為にはある種の【覚悟】【本気さ】が不可欠だと思います。まだ子供が幼少時で、言葉を理解しきれていないときは、声のトーンや表情で『叱る』ということも必要かと思います。しかし、ある程度言葉を理解できる年齢になると、もう声のトーンや表情だけで『叱る』と、子供は「ああ、この大人はちょろいな!」「この大人の言う事は、聞かなくても本気で叱ってこない!」と判断し、言う事を聞かなくなります。私は幼児教育の専門ではありませんが、今まで見てきた経験から言わせてもらうと、子供が2歳にもなるともう大人がある程度本気で叱らないという事を聞きません!仮にそのとき一時的に大人のいう事を聞いたとしても、根本的な問題解決には至っていないので、また同じことを繰り返します。それでは『叱る』意味がないのです。もう同じ失敗を繰り返さないようにしなければいけないのです。【叱ること自体をしない】【本気で叱らない】…これがあまりにも多いので、昨今の若者の現状があるのは火を見るより明らかです!我々大人は、大人である責任を背負いながら、子供達と若者たちと対峙しなければならないのです。我々が子供だったときの大人達がそうしてくれたように!!「子供を叱るときは、本気で叱らないでもいいのです。」などという先生や教育評論家のいうことに耳を貸してはいけません。時間の無駄です!連中はその無責任な持論の垂れ流しが、昨今の若者の情け無い状態を作っているのです。
2010.09.21
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よく私は、大人は子供に対して「正しいことを言い続ける」「正論を言い続ける」ことの重要性を訴えています。今の世の中本当に大切なことだと思います。しかし、「ただ言えばいい」ってものではありません!まあ「言わないよりマシ」ではありますが、それでも「ただ言えばいい」ってものではありません!先日、あるテレビで「子供の叱り方」のような講座を放送していました。正直言いまして「叱り方って何やねん!」と私は思います。そのとき、その人、その状況によって、叱り方なんてものは千変万化なのです。その中で、より効果的な手段を瞬時に選んで実行する能力が我々大人に求められているのです。なのに専門家まがいの人間が出てきて、「これが叱り方です。」なんて『どや顔』で言われても「はぁ~…ほうでっか~…、、、アホらし。」としか思えないのです。でもまぁ、そのときは公共の待合所に設置されていたテレビだったので、私の独断でチャンネルを変える訳にもいかず、待ち時間も少しありそうだから見てみました。その講座に出てきた先生の持論はこうです!「子供を叱るときは、本気で叱らないでもいいのです。私は怒っているということを伝えればいいのです。だから声の低さが大事なのです。」そういうと、その講座の聞き役の役割の女性に「こら~」という叱るときの台詞の声の低さと伸ばし方の長さのレクチャーを始めました。それはまるで英単語の発音練習のような感じでした。皆さん! この先生の『叱り方論』をどう思われますか?
2010.09.20
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そのお母さんは教育の専門家に「幼児期から小学校低学年までの、親の育て方が悪い!」と言われて、「確かに思い当たります。この子の成績が上がらないのは私の責任です。」と思ったのです。前に述べたように、「私の子育ては完璧だった!」と自信を持って言い切れる親御さんは少ないのです。心のどこかで「もっと他の方法があったのでは…?」と心のどこかで思ってしまうのです。その心につけ込んでものを言う人間が、教育の専門家であるはずがないのです。この話題の最初に述べた、相手の心の中を読むという超能力者のトリックと同じなのです。「だいたい誰もがそう感じている」という部分につけ込んで、教育を語ろうとする人間の詭弁に耳を傾ける必要はありません!最近はそのような詐欺まがいの教育論を得意顔でひけらかす人間が多く、その無責任な発言に心を痛める親御さんやその無責任な倫理を実行に移そうとする親御さんの姿をよく目にして耳にします。子供のいない、子育ての経験の無い私だから言えます!親御さんたちのしてきた子育ては、それだけで計り知れないくらい偉大なことなのです。確かにいろいろな方法や考え方があり、自分のしてきた子育てと思わず比較していろいろと考えてしまうことも多いかと思います。しかし、あなた達がしてこられて子育ては、あのときあの時点では、あなた達ができうる最高のことだったのです。その1点だけは自信を持ってください。その1点だけは他人にああだこうだと言わせないでください。その1点に迷うことは、あのとき、あの時点でのあなた達の苦労を無駄にしてしまうことにもなります。またそれはお子さん達にとっても不幸なことなのです。しっかり子供を大きく育てて、「するべきとこは何か」「してはいけないことは何か」それを伝え続けていれば、あとはその子供の人間性が全てを決定するのです。「勉強しなさいよ」と親が言い続けてきたにも関わらず勉強をしないで成績が上がらない! これはもう100%子供のせいです。責任は子供に負わせ、ツケも子供に払わせるのです。教育とはきれいごとではなく現実との戦いです。「すべきことをしないでいれば、結局困るのは自分である」という事実を身をもって、人生をかけて思い知ればいいのです。
2010.09.18
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以前にも申し上げたように、親や先生は常に子供たちに正論で接しなければなりません。「学校のルールを守りなさい」「社会のルールを守りなさい」「勉強をしなさい」等々…するべきことをしていない場合は何度でも、正論を言い続けなければなりません。まだ子供が小さいときは、比較的親のいう事を聞きいれてくれます。ただ、子供がある程度の年齢になれば、それを聞き入れるかどうかはもうその子供の人間性が問題になります。子供の人間性は学年が上がるに従って、親の知らないところで影響を受けて確率されることも厳然としてあります。それをすべて「親のせいだ!」と言い切れるのでしょうか?私はそうでないと思います。例えばある親御さんの話です。お子さんが小学生のときから、「勉強しなさい。」「宿題しなさい。」と言い続けてこられました。ただ昨今の社会情勢の影響でその親御さんたちは共働き。夜まで帰宅できない日のほうが多かったのです。その子供はというと、学校から帰ったらすぐにカバンを放り投げて公園に遊びにいきました。それでもその親御さんは、「勉強した?」「宿題した?」と帰宅後に言い続けてきました。しかしそのお子さんは一行に勉強をせず、親が家にいないことをいいことに遊び続けたのです。中学校に進学するまでその生活を続けたそのお子さんは、もちろん成績はよくありません。なのにそのお子さんは中3になって「高校に行きたい」と言いだすのです。…高校は勉強しに行くところであって、遊びにいくところではないのです!…でもそのお子さんは高校進学を望んでいるのです。私に言わせれば、今まで遊びほうけて生きてきたツケを今精算すればいいのです。みんなが高校に進学したのに、自分だけ進学できないという厳しい現実を受け入れて精算すればいいのです。なのに子供は高校に進学したがる。勿論、親は子供の望みを叶えてやりたいと思う。相変わらず子供はノホホンと生活している。親だけが、何とかならないかと東奔西走し、悩み、苦しんでいるのです。ここまでは、今まで私も目にしてきたことなのですが、今回はちょっと違います。そのお母さんに、どこかの教育の専門家が、「幼児期から小学校低学年までの、親の育て方が悪い!」と言ったらしいのです。皆さん、どう思われます?
2010.09.18
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それほど全てを投げ打って子育てをしてきた親御さん…しかし「自分の子育ては完璧だった!」と言いきれる方はほとんどいないのも事実です。皆さん日々試行錯誤の連続、反省の連続で子育てをされてきているのです。ある程度お子さんが成長されたとき、あの戦争のような子育ての時期を振り返って「あのときもう少しこうしておけば良かった…」と心のどこかで思われることも少なくないのです。そこにつけ込む教育評論家まがいの人間がいるのです。例えば「あなたのお子さんの成績が向上しないのは、幼児期の育児に問題があったからです。」などと言う人間がいるのです。保護者の皆さん!あなたたちのあの必死だった子育てが間違っていたなんてことはありません。皆さんは子育てのプロだった訳ではなかったのです。初めて「親」になって、手探りで必死に育児に取り組んでこられたのです。でも必死で子育てをされたのです。自分が食べないでも子供に食べさせたのです。自分は寝なくても子供を寝かせたのです。その皆さんの育児が間違っていたなんて事は有り得ません。
2010.09.16
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私は結婚もしていなければ親でもありません。ですので、世間で言う「オヤジ」と呼ばれる資格がありません。オヤジとは漢字で「親父」と書きます。親でもなければ父でもない私は、オヤジと呼んでもらう資格がないのです。あるマンガで、そのようないい歳をした独身男はただ歳をとっただけの男で「歳男」というとの台詞がありましたが、私はまさにその「歳男」です。ただ勿論のように私の友達のほとんどが結婚し、親になっています。特に子供たちがまだ小さいときや赤ちゃんのときの、彼ら彼女らの親としての苦労は並大抵のものではありません。一度しかない自らの貴重な時間を惜しみなく費やし、子供を育てています。1つしかない自らの身体の健康も省みず、子供を育てています。子育てとは戦いであり戦争です。私のような「歳男」は、その戦いの壮絶さを目の当たりにし、ただ立ちすくむしかできないこともあります。彼ら彼女らは、なり振り構わず必死で子供を育てるのです。しかし、その必死な時期に後々つけ込で無責任な発言をする教育評論家がいるのです!!前回紹介した「それは親ならば、みんなだいたいそうやろ!」と思うところにつけ込むのです。本当に許せないと思うのですが…
2010.09.14
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あまり連続ドラマを見ない私ですが、何年かに一度『はまる』ドラマがあります。以前はまったドラマで、こんなシーンがありました。超能力者が殺人を犯し完全犯罪に持ち込んで罪から逃れようとします。しかし、頭脳派刑事が現れて、その超能力者のトリックを暴き、殺人を立証するのです。その過程で刑事はまず、その犯人の超能力自体が偽物であることを立証する必要がありました。彼の超能力の1つに、相手の心の中を読むという能力がありました。相手をじっと見つめて…「あなたには悩み事がありますね?」と聞きます。聞かれた人は「はい。」と答えます。更に質問は続きます。「その悩み事は人間関係ですね?」聞かれた人はまた「はい。」と答えます。それを見ていた人達と質問された人は、『悩み事があることとそれが対人関係であることを言い当てた。』『超能力だ!』と思うのです。しかしその刑事は、「それは超能力ではない!」と否定するのです。刑事曰く…「悩み事のない人間などいない。しかも人間の悩み事は、突き詰めれば人間関係であるので、聞かれた人間は『はい。』と答えるしかない。」もともと占いの類を信じない私は「そんなもんよね!」と妙に納得してしまうのですが、最近よく耳にするのは「それはほとんどの保護者の方がそう感じるやろ!」と思える心理部分につけ込んで、あたかも自分が言い当てたかのように教育論や子育て論をこれ見よがしに披露してお父さんやお母さんの心をを痛めつけて、我がもの顔をしている教育評論家や大先生がいます。ホントに無責任に親御さんの心の中を土足で踏み荒らす連中がいるのです。教育評論家・先生・元先生等の話を聞いて、本を読んで、「子供がこうなったのは私のせいだ。」と思ったことがある親御さんはおられませんか?以前はあまり感じなかったのですが、最近は「それは違うぞ!!」という場合があまりにも多いですよ。今回はその顕著な例を紹介します。
2010.09.13
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とうとう我が家も「ヒカリ」に変わりました!あ~でもない、こ~でもないと説明書とにらめっこしながら設定をしていたら、、、なんと!つながりました。は、速いっす、、、。まだまだメールの設定なんかが残っていますが、とにかくブログの書き込みができるようになりました。今回の件でもいろいろ学ぶことができました。人生、生涯勉強ですね。今回はこれまでにさせていただきます!
2010.09.11
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例えば私です。二輪の指導員をしています。バイクが好きというだけでは勤まりません。バイク自体も年々新しいシステムが開発されて性能が向上していきます。そのシステムは以前のもの、従来のものとどこが違うのか、またその性能を引き出すにはどのような乗り方が求められるのか等々…バイクに関する全般について勉強する必要があります。ときには暗記が求められることもあります。ときには頭の中で理論的に従来の知識と新しい知識の比較をして、自分なりの結論を出す必要が求められることもあります。ときには有名インストラクターのライディング理論の論文を読んで理解することを要求される場面で、読解力が試されることもあります。資格の必要な職業に就くには、資格試験をパスしなければなりません。資格が必要でなくても、全ての職業に『勉強する』という行動は絶対に必要です。例えば、『主婦』です。『お母さん』です。かなり勉強が必要ですよ!まず出産です。『お母さん』になる前にどれだけの勉強・学習が必要か!!子供が無事に生まれて『お母さん』になっても、赤ちゃんの育て方を学習しなければなりません。料理作り方、栄養のバランスも学習しなければ、家族の健康を維持できません。掃除にしても、いかに効率的に、いかに美しく家の中を清潔に保つか!洗濯にしても、いかい効率的に、いかに美しくを追求するには学習が必要です。また、この洗剤とあの洗剤は混ぜて使うと危険か安全かは、勉強しておかないと火事を起してしまったりと大変なことになります。家計のやりくりなんか、もう学習能力以上のものが要求されます!ともかく若いうちから勉強を続けて、脳を鍛えておくのです。その基礎力があれば、将来困ることはありません!将来のあなたが今のあなたに「あのとき勉強しておいて本当によかった、助かった、ありがとう」と心から感謝する日が必ずきます。そのときのために、今しっかり勉強をしておきましょう!逆に「もっと勉強しておけばよかった…」なんて思う日が来たとしたら、そのときはもう既に人生の何かが手遅れになってしまっていて、取り返しがつかない人生になってしまっています。そんなことにならないように、今しっかり勉強をしておきましょう!
2010.09.08
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試験が終わって大事にしたいことのまとめです。とにかく、やはり試験が終わろうが終わるまいが、試験があろうがなかろうが、成績が上がろうが下がろうが、全く関係なく『勉強を継続させる!』ということが肝心要なのです。昔から言い続けられていますが…【継続は力なり】です。また【学問に王道なし】です。また私に言わせれば、【勉強に無駄は無し】でもあります。勉強をして無駄たったということは絶対ありません。仮に今回成績に反映されなくとも、その努力はいつか必ず絶対に実を結びます。勉強に迷わず、勉強を疑わず、努力を続けてください。毎日コツコツまたコツコツと、繰り返しまた繰り返し勉強をすること、勉強し続けることがあなたの成績を向上させます。また、付け焼刃でなく長い時間や年月をかけて勉強を続けた結果で得た学力は『低下知らず!』なのです。その勉強方法が効率的か否か、その人に合っているか否かの差は多少あるにせよ、勉強をしなければ、続けなければ学力は身につきません!とにかく勉強・勉強・また勉強です。将来、どんな職業に就くにしても勉強はついてまわります。少しでも早く、勉強を友達になりましょう!
2010.09.08
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試験が終わって大事にしたいことの2点目です。それは【学習計画の見直しを行うこと】です。勿論改善点が見つかれば、それを次回の試験に向けて改善します。言い換えれば「失敗を繰り返さない対策をする。」とも言えるでしょう!勉強の仕方や、学習時間の改善等々、様々な改善方法があります。試験とは、成績を上げるための機会であると同時に、自らの勉強方法が自分に合っていたのかどうかを試す良い機会でもあります。ただただいつものことを繰り返すだけでは、もったいないですよ。特に毎回小テストを実施してくれる授業があれば、毎回自分の暗記方法を試験することができるので、点数に関係なく毎回前向きに取り組んでみてください。暗記力を向上させたり、自分なりの自分に合った暗記方法を確立したりすることは、将来あなたの人生を必ずプラス方向に向ける手助けをしてくれます。『暗記ができて損だった。』なんてことはありませんからね!たまに教育界の『偉い人』が、「暗記は教育に良くない」なんてことをこれ見よがしに断言する場合があります。あれは、一般的に良いとされているものを否定することで聞いている人を少し驚かせて自分を偉く見せようとする幼稚な話術に過ぎないのです。例えば、ただ意味も分からず暗記していたことの意味を、ある日突然理解できたときの喜びとは計り知れないものですよ!話を本題に戻します。試験が終わって大事にしたいことの2点目が【学習計画の見直しを行うこと】だと申し上げましたが、勿論逆も然りです。「これでいける!」「今回の勉強方法は自分に合っている!」と感じたら、次回の試験までその勉強の仕方を続けていくのです。またその勉強方法にいろいろアレンジを加えていくのもいいことです。ともかく試験をただ単に『右から左に受け流すもの』のではなく、『何かしらの収穫をえるもの』にしていってください。それを半年・1年・2年と続けていく人とそうでない人では、取り返しのつかないくらいの差が生まれてしまいますよ!
2010.09.06
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学校では試験があります。何やら「我が校は試験を実施しません。」などと宣言している学校もあると聞きますが、そんなグータラ学校は無視して話を進めます。試験が終わって大事にしたいことが2点あります。これも守っていって成績を上げ、志望校に合格した生徒さんを数多く見送ってきました。逆にこれを守らないで成績を下げ、入試に失敗した生徒さんもいました。その2点とはある意味いちいち人に言われないでも、おこなって当然だと思われがちですが、結構実行していない生徒さんが多いのです。まず最初の点は、【間違えた問題をしっかり分析すること】です。試験が終わって「何点だった。」だけで終わると、その試験で間違えた問題をまた間違えるのです。それでは成長がありません。【分析する】は3つの方法があります。まずは、『暗記すること』または『暗記し直すこと』です。間違えた問題を見たらだいたい「これは暗記すれば次は間違えない!」と分かると思います。またこの手の問題は基本問題であることが多いので、入試で正解できないのは致命傷になる場合があります。あきらめないで、面倒くさがらないで、1つずつ確実に暗記していきます。次は、『考え方の順番をもう一度最初から組み立て直すこと』です。例えば計算です。式から答えに至る経緯のどこで間違いがあったのか?それをしっかり分析します。それがケアレスミスであれば、二度と同じミスをしないように同じ計算を何回も解き直す。一番ベストなのは、自分が間違った計算問題の式ばかりを書いたノートを用意しておくことです。勿論途中式と答えも書いておいて、そのノートの式だけを別の紙やノートに書き出した計算してみる。そしてノートの途中式と答えを見直して正解かどうかを確かめる。不正解であれば、どの段階で間違っているのかをしっかり分析する。この作業を続けると、かなり実力がつきます。最後は『どの単元の正解率が低いのかを把握すること』です。それを分析したら、その不得意単元を1から基本から勉強し直すのです。試験が終わって皆が「やれやれ」と油断しているときに、しっかりこれらの作業を繰り返しおこなって、成績を飛躍させるよい機会として十分に活用して欲しいのです。
2010.09.05
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茶髪・金髪に限らず、なぜ校則違反の生徒が増殖しているのでしょう?前回の書き込み例の通り、先生たちが「見て見ぬふり」「校則違反の意味を考えない」等の『ええ仕事』をなされていることが大きな原因です。で、忘れられがちなもうひとつの原因はどこにあるのでしょう?…勿論、家庭にあります。まずは家庭で規則やルールを守ることを徹底しないといけないのです。それができない親は、もう親としての役割を果たせていません。校則を守らせられない先生が不必要な宣先生であるのと同じく、そのような親はもう不必要な親なのです。随分以前にも書きましたが、そのような先生や親は「子供個人の自由」だとか「個性」だとか「子供の自主性に任せています」とか、少しかっこいい言葉で教育から逃げているのです。昨日、新学期に金髪姿にもなっていたに関わらず、親にも先生にも真剣に相手にされなかった生徒は不幸そのものですね。彼女は思っていることでしょう。「ルールなんて守らないでもいいんだ!」「ルールを守ることは馬鹿げたことだ!」「真面目にルールなんか守っていると損だ!」「ルールを守る人間は根性のない人間だ!」「ルールを守らないのはかっこいいことだ!」例えばそのような考えを中学時代に持ってしまった生徒が、16歳になって二輪の免許を、18歳になって四輪の免許を取得したとして、道路交通法規を守るでしょうか?そんな生徒が将来成人して親になったとして、その子供にしっかりとした教育をすることができるのでしょうか?大人が今見逃した小さな違反が、その生徒の将来を不幸にするのです。なんでそれが分からない大人がこんなに多いのでしょうね。
2010.09.04
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二輪指導の通勤途中に数箇所の学校の前を通ります。どの学校の前もだいたい同じ時間に通過するので、登校する生徒さんたちにも顔なじみが出てきます。夏休み明けなので、真っ黒に日焼けしている生徒さん、スポーツや部活で鍛えたのか少したくましくなっている生徒さん、はたまたリラックスし切った生活を謳歌したのか太っている生徒さんもいます。今日ある中学校の前で信号待ちしていると、夏休み前は普通の中学生だった女の子がなんと茶髪を通り越して金髪で歩いていました。ヘルメットの中からその状況を見つつ「スーパーサ○ヤ人になっとる!」と思って見ていたのですが…校門前に立っている数人の先生が、そのスーパーサ○ヤ人を完全に目に留めて確認しました。「こりゃ新学期早々の生徒指導が始まるんやな」と期待していたら、その先生たちは「おはよう~」とか言いながらその生徒が校門をくぐるのを許していました。なんで生徒指導しないのですかね?生徒指導しない学校先生は、バイクを教えない二輪指導員みたいなものです。二輪指導員がバイクの乗り方を教えないと、仕事になっていないので収入も発生しません。でも学校の先生は生徒指導をしなくても、仕事になっていなくても収入が発生して賞与も出て年金も約束されているんですね。あのスーパーサ○ヤ人は、明日もスーパーサ○ヤ人で登校するのでしょうね。先生たち…ええ仕事してはりますなぁ~。
2010.09.02
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読む人の身になると、ある意味面倒くさいかも知れない内容が続きましたので、少し話題を変えます。しかし前回のテーマの重要性はもっと訴えたいのが本音ではあります…やっと9月にはいったかと思っても、この信じられない暑さ!毎日汗まみれになってバイクに乗っております。こう暑くなると水冷エンジンより空冷エンジンの方が冷却効率はいいのではないかと、ふと思ったりします。シリンダー周りやラジエーターに熱湯が入っているのかと思うとそれだけで暑い気になります。午前中の仕事を終えて、汗まみれのシャツを着替えて近くの大型ショッピングセンターのフードコートに向かいました。するとそこは…久々の平日ののどかな雰囲気が漂っていました。大声を出す子供や走り回る子供もいません。だらしなくズボンをはいて下着を見せながら歩く不快な若者もいません。そんな中で一組の老夫婦が仲良さそうに食事をされていました。そのご夫婦はそのフードコートでよく見かける方たちですが、夏休み・冬休み・春休み時期は全くお会いしません。おそらく混雑する日や時期は避けて来られているのでしょう。私もそういった日や時期は極力そのフードコートには行きません。元々人ごみが嫌いな性格もあるのですが、やはり公衆道徳を守れない子供たちや、子供に公衆道徳を守らせなれない大人達がいるのも大きな原因でもあるのです。もし全ての子供たちがしっかり公衆道徳を守ることで、あのご夫婦があのフードコートに来られる日が一日でも増えるとしたら…そう考えるとはやり教育や躾は大切なことなのだと痛感します。勿論公衆道徳を守っている子供たちもいますが、そうでない連中の比率や程度が本当にひどいです。
2010.09.01
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