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では、掛け持ち通塾する生徒さんはどのような『余裕』を求めているのでしょうか?例えばノートのとり方です。ある塾では「必ずこのように書きなさい」と厳しく指導をしていたみたいです。ある生徒は自分なりの『工夫』をしてノートを書いていたのですが、その塾の先生にそのノートの書き方が指示と違うと厳しく叱られたらしいのです。その生徒さんが我が教室の入塾面談に来てくれました。理由は「この塾では自分なりに工夫してノートを書いていいと友達から聞きましたから。」とのことでした。正直「それだけ?」と思ったのですが、その生徒さんにとっては大問題だったのです。その生徒さんは自由にノートを書くことができるという『余裕』から『工夫』を生み出して、見事に成績を上げて志望校に合格しました。例えば宿題です。学校でも塾でも宿題は付き物!そのほとんどは全員に同じ課題が出て、全員が同じ量・同じ問題を解きます。勿論、我が塾でもそのような宿題を出すときもあります。しかし我が塾の宿題の多くは[気が向いたらやる][プリントを全部見渡してしたい問題だけする][同じプリントでも各生徒にそれぞれ『やる問題』と『やらなくていい問題』を指定する]等々のバリエーションを用意します。これが家庭学習のときに様々なドラマを生むのです!具体的なドラマ例はまたの機会に紹介するとして、そのドラマが『工夫』を生む場合も少なくないのです。それはある意味『やらなくていい問題があるという余裕』が『工夫』につながると言うこともできるでしょう。この『工夫』をする楽しさというか効果の大きさを知っている生徒と知らない生徒では、想像力と創造力に差がうまれます。自分なりの『工夫』の経験がある生徒は、「勉強の仕方がわかりません」とは言わないのです。
2010.07.29
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またその『工夫』の機会を生徒達から奪っているのは、我々塾業界である場合が多いことも懸念されるべき事実なのです。生徒が創意工夫をするだけの若干の余裕を与える必要があるのです。とにかく最近はガチガチの塾が多いです。在籍生徒の成績や進学状況が収入に直結する世界なのである程度は仕方ないとは思いますが、それでも何かおかしい塾が多いです。勿論勉強とは厳しいものです。甘いものではありません。私も必要であれば厳しく接することもありますし、学習内容的に詰めるところは詰めます。しかし、「それは何かおかしいやろ?」と思ってしまう塾も多いのです。例えば中3生しか募集しない『なまけた塾』との呼び声の高い我が教室では、毎年半数ほどの生徒が他塾との掛け持ちで通ってきてくれます。入熟時の面談では、掛け持ち通塾はしんどいから今までの塾だけに通うことを勧めるのですが、そのアドバイスを聞き入れた生徒さんは今のところ存在しません。掛け持ち通塾に至る理由は数点あるのですが、その中のひとつに色々な意味での『余裕』を求めていることが挙げられます。
2010.07.28
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本来の話題に戻ります。一言で「勉強の仕方」といってもいろいろなレベルがあります。前回申し上げた通り、まずは机に向かって鉛筆を持つことから入るべき人もいます。今回はその次の段階の話で『工夫』について考えたいと思います。例えば勉強には「暗記」しなければならない事も多いです。「暗記」とはどうやるのでしょうか?「暗記」の仕方とはどうすることでしょうか?勿論、私は私なりの暗記方法があります。ただそれが万人に共通するかどうかは分かりません。ですから暗記の仕方の提案や実例の紹介は可能です。しかし、実際に暗記するのは生徒さん本人であって私か代わりに暗記をする訳にはいかないのです。そこで大切なのは、『まず実行してみること』そして『失敗や成功を繰り返して自分なりの暗記方法を模索し工夫する』ことなのです。それをしないで「暗記できません」「暗記の仕方が分かりません」というのは単なる[言い訳]であり[逃げ]でもあるのです。私が中学校の頃は、みんなそれぞれ独自の勉強方法を模索していました。そしてそれをいち早く確立した者が上位の成績をとることが普通の流れでした。例えば授業中のノートの書き方…先生が黒板に書いたこと以外に何かを書き込むスペースを作る者・先生の板書の通りに書かず[基本][応用][練習問題]のページに分けて書く者・先生が赤で書いた箇所以外にも自分が大切と思った箇所に赤線を入れる者・授業中や宿題で間違えた問題のみを書き出すノートを独自に作る者・授業中に書いたノートを更に自分に分かり易いようにまとめ直す者…皆それぞれ努力と工夫をしいました。今みたいにコピー機やパソコンが普及していない時代に、皆手書きでやっていました。最近はその『工夫』が欠如しているように感じます。それは言い換えれば「どうすれば暗記し易くなるか」という課題に対する創造力の欠如とも言えるでしょう。
2010.07.27
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本日の原付講習の受付に、どこかで見たような顔がありました。相手も私に気付いたらしく、小さくお辞儀をしてくれました。彼はA君。私が8年前に非常勤講師として勤務していた私立高校の生徒の一人でした。その学校には校則を守らない生徒がたくさんいました。彼もその一人で、たまに先生と大声で口論をしていたこともありました。私はその度に「なんで先生が注意するかは分かってるやろ?」と問いかけたものでした。ある先生は「あんなのろくな大人にならない。相手にするだけ時間の無駄だ」と私に言ったこともありました。そんな彼は現在26歳。果たして「ろくな大人」になっていないのでしょうか?今日の彼は当時の彼からは想像できないような爽やかな笑顔の青年でした。しかも免許を取りに来たのは、彼でなく彼の友人。その友人に書類の書き方を教えてあげていました。その友人も彼と同年代。その書類の文字は決して上手ではありませんでしたが、できるだけ丁寧に文字を書こうとした努力が見て取れました。「文字は下手でもいいから、できるだけ丁寧に書くんや!」と彼がその友人にかけていた声が私の耳に入っていました。聞けば現在は理容師として仕事をしているとのことでした。彼はなぜ手に職を持つ爽やかな青年になれたのでしょう?勿論、接客業に就いてその厳しさに触れたことも要因だと思います。しかし私は今日の彼を見て、その高校の数名の先生を思い出しました。たとえ大声で口論になっても彼に正しいことを言い続けた、担任のK先生。そんな彼に常におおらかな物腰で、正しい方向を示唆し続けた数学のI先生。ときには笑顔で、ときには鬼の形相で彼に対峙し、彼に人としての正論を投げかけ続けた家庭科のI先生。先生方の言葉が実を結んだ結果が今日の彼の姿であったと私は確信します。彼も含めてその高校のほとんどの生徒にあきらめを感じていた先生も多い中、彼も含めた全ての生徒の将来を想い続けたあなたたちの『先生としての正しい言葉』が今日の彼の爽やかな笑顔や態度に表れていたのです。担任のK先生、数学のI先生、家庭科のI先生。あなたたちの育てた生徒の一人が立派な社会人となり、手に職をつけて接客業に就き、友人を思いやる青年に成長しましたよ。彼はあなたたちのような先生に出会えて本当に幸せなのです。あなたたちのような先生を、『本当の先生』というのですね。私も改めて今日それをあなたたちから教わりました。鳥肌が立つほど感動しました。そして、私もあなたたちのような『先生』で出会えて心から感謝しております。
2010.07.26
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今回からまた話題を変えたいと思います。ここ数年、親御さんからよく聞く言葉があります。「勉強の仕方」という言葉です。「うちの子は、努力はしているのですが、勉強の仕方が分からないのです。」なんて言葉をよく聞きます。普通はあまり気にせず「そうですか。」なんて言いながら私も話を続けるのですが、あまりにそれを主張する親御さんに対しては「勉強の仕方がわからないなんて子供のことを、本当のおバカって言うんですよね!」とイヤミを入れる場合も少なくありません。乱暴に言わせてもらえれば、勉強の仕方とは『鉛筆をもって机に向かうこと』です。それが分からないということは、『鉛筆をもって机に向かうこと』をしていないことを意味しています。つまりそれは『勉強をしていない』ということを意味しているという結論に至ってしまうのです。という訳で「うちの子は、努力はしているのですが、勉強の仕方が分からないのです。」という台詞は私の耳には「うちの子は、努力はしているのですが、勉強をしていないのです。」と聞こえることもあるのです。「勉強していないで努力はしている?…一体何の努力やねん!」と突っ込まざるを得ないのです。親がそんな言葉を使うものですから、子供まで大手を振って「勉強の仕方が分からない」なんて言う始末です。ひどい場合は「暗記の仕方が分かりません」などと言う子供もいます。中学生でそんなことを言う生徒には「君はいままで生きてきて、何も暗記したことがないのか!」と厳しくたしなめることも多いです。そもそも「勉強の仕方が分からない」「暗記の仕方が分からない」などと言う生徒の多くは、たいして勉強も努力もしていないから成績が向上しないことに対して少しかっこいい言い訳をしたいパターンと、自分がどのように学習を進めれば成績が向上できるのかをイメージできない想像力に欠けるパターンに分かれているように私は感じます。どちらにせよ、何か致命的な要因があるのだと思います。しかしその反面、ある程度自分で努力していて[壁]に突き当たっている生徒も勿論いるのです。今回はその場合の「勉強の仕方」について考えていきたいと思います。
2010.07.25
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少し話が飛びましたが、ともかく一部の恥ずべき犯罪教師の存在や現場を知らない間抜けの提唱する「ゆとり教育」という名の教育放棄等々の悪影響で、先生たちの威厳や権限が失われてきています。それは非常に残念なことで、早急に改善していくべきことなのですが…それに乗じての、生徒の立場が優遇され過ぎることや生徒の立場の方が上になっているかのような勘違いは許してはいけません!先生を含めて大人に対して最低限の敬意も表さない子供たちが増えていることも憂慮すべき問題だと感じています。また、だめな事はだめだとしっかり教える大人が減少してきていることも問題です。先生は先生としての威厳を保ち、それにふさわしい言動をとる!生徒は生徒としての立場を認識し、それにふさわしい言動をとる!なぜ、いつから、そのような当たり前のことができない人間が増えてきたのでしょう?
2010.07.24
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せっかく私が「先生の人権」について語っているのに…やってくれました52歳中学校教諭!元教え子の女子高生に千通ものメールを送ったとの報道を聞きました。52歳にもなって何をやっているのでしょうね。そんな人間が[先生]だなんて、、、考えられない話です。こんな連中に逆に人権なんて必要なのでしょうか?こんなバカな先生がいるから、真面目に身を粉にして教育に取り組む先生達の立場を悪いものにして教育界全体を間違った方向に向かわせるのです。日頃先生面していても結局陰では何をしているのか分からないのが[先生]ってものだと思われるのです。だから威厳も信頼も無くなり、人権までなくなる自体に陥るのです。わいせつ行為や飲酒運転などで検挙されるような先生は名前を公開して、とことん社会的制裁を加えて晒しものにするべきなのです!そうでもしないと犯罪を起すような馬鹿な教師はもう撲滅できないと思います。そもそも[先生]とは何でしょうか?勉強を教えるだけではないのです。子供たち・生徒たちに人としてどう生きるべきかを身をもって教えることも重要なのです。つまり突き詰めれば、[先生]とは人間性の模範となる生き方を追求する立場でないといけないのです!それを理解できていない連中は[先生]であってはいけないのです。同じ犯罪でも「普通なら懲役5年ですが、あなたな[先生]という職業なので倍の10年になります。獄中で十分反省しなさい。」といった判決が下されるような法改正があってしかるべきだと思います。なぜなら、社会や教育界に与える悪影響は計り知れないからです。本当のところは怒り心頭状態なのでもっと書き込みたい気持ちもあるのですが、情けなくなるので今日はこれくらいにしておきますが最後に一言!犯罪教師は即刻教壇を去れ!!捕まってからの「ごめんなさい」は通用せんぞ!!
2010.07.23
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自宅のPC以外のPCより自分のブログを見ています。普通に検索しても見つからなかったのでURLを打ち込んでやっと発見できました。皆さんは、どうやってこのブログを発見しておられるのか不思議でなりません。しかも、、、、このPCは、速い!これがうわさの『ひかり』というヤツなのか!と驚愕しております。「通常の3倍の速さ」どころではありませんね。ではまた本題は、帰宅後&授業後に夜な夜な書き込みます。どうすれば、うちも『ひかり』になるのでしょうね、、、。
2010.07.23
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生徒がどんなに先生に乱暴で暴力的な言動をしてもそれは対して問題視されず、先生が少しでも乱暴で暴力的な言動をすれば大問題になる!絶対おかしいです。そこまで生徒の立場や人権を守るなら、先生の立場や人権も守られるべきです。それを徹底しないから、『若者は何をしても許される』という意識を生んでしまうのです。気に食わないからムカつくからといって、平気で他人を傷つけたりあるいは命を奪ったり!相手にだって守られる立場や人権があることを、身をもって教えなければならない時代に突入していると感じませんか?近年『だれでもいいから殺したかった』という異常な殺人者が増えています。心の中で『自分だけが特別』という意識があるから、そういった考えに至るのです。実際に生徒が登校拒否を起したら、『学校に何らかの原因がある』と言われることが多いです。それはある程度間違いではないと思います。しかし先生が職場放棄に至った場合は、全面的に先生個人の責任になりますよね!勿論、先生同士の人間関係の問題が原因であればそれは大人同士で何とかしなければなりません。ただそれが生徒の言動を発端として起きたことであれば話は別です!それも『学校に何らかの原因がある』のです。もっと正確にいうと『学校にいる生徒の言動に何らかの原因がある』のです。その場合は、生徒が親と共に先生に謝罪をして今後の言動に十分注意をし、今後一切同様の事を起さないと約束しなければならないのではないですか?現在は先生の権限というか威厳のようなものが守られない時代です。[先生の立場]と[生徒の立場]がイコールに近くなってきています。それが全く悪い事だとは言いません。私自身よく『生徒にどっぷり浸かるタイプ』だと先輩や同僚先生から言われます。それが私のスタイルであり、ベストな体制なのです。しかしそれにはリスクも伴うということを理解しておく必要があるのです。そのリスクを回避するには、最低でも[先生の言動]と[生徒の言動]に同じ比重の責任を負わせる必要があるのです。
2010.07.22
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長らく書き込みができませんでした。話を続けます!前回紹介したニュースの先生は、自らのいじめ体験をユーモアを交えて生徒に話すことで、いじめはいけないことだと生徒に伝える先生だったそうです。ではなぜ今回だけこんな問題が起きたのでしょう?生徒の机を蹴り、胸ぐらをつかみ、平手打ちをして、「公開処刑だ」と言う。確かに異常な行為かもしれません。ただ私が気になるのは、その前に『生徒に笑われた』というところです。どんな笑い方だったのか?本当に笑っただけなのか?日ごろからユーモアを交えて話をする大人が、笑われたからといってそこまで逆上するのでしょうか?何かがあったのかも知れません!何かを言われたのかも知れません!あるいはその笑い方が明らかに先生を侮辱したものだったのかも知れません!大人がそこまで怒りを感じる何かがあったと考えるのが自然ではないでしょうか?最近の子供の中には信じられない言葉を先生に吐く者がいます。『生徒は先生に何を言っても許される』といった風潮を感じるのは私だけでしょうか?【生徒の人権】は必要以上に守るのに、【先生の人権】は考慮されないのです。先生だって人間なのです。感情もあるのです。しかし最近はそれを無視する風潮がありますよ。そう思いませんか?先生方?あなたは今までどれほどの心の傷を負いながら教壇に立ってきましたか?子供の言うことだから、子供のすることだからと皆さん我慢されますよね。私はその考えにはある程度のラインを引くべきだと思います。先生も人間です。人間は怒りもすれば、悲しみもするのです。人はだれでも怒りを感じたら怒る、悲しく感じたら悲しむ…それを身をもって教えるのも教育なのではないでしょうか?悪意の感じられる生徒の言動は、人間として許さない態度も必要ではないでしょうか?本当に悪意があるかないかは問題ではないのです。以前にも述べたように『言動はそれを発した人間がどう思っていたかより、それを受け取った人がどう感じたか!が全て』なのです。なぜでしょうね?なぜ先生の人権だけは無視されるのでしょうね?なぜ先生の人権だけは守られなくていいのでしょうね?いつからそんな時代に入ったのでしょうね?生徒の皆さん!今一度『先生の人権』について考えてみませんか?それはあなたたちにとって想像以上に大切な事だと私は思いますよ。生徒は先生に対して乱暴な言動をとって構わないが、先生は生徒に対して乱暴な言動を少しもとってはいけない…そのような考えや風潮はあってはいけないことなのです。それは人間として公平ではないでしょう?保護者の皆さん!やはり今一度『先生の人権』について考えてみませんか?
2010.07.21
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今日のニュースで学校の先生が起した事件が報道されていました。内容は、自らいじめにあった経験を話したら生徒に笑われたある先生が、その生徒の机を蹴り、胸ぐらをつかみ、平手打ちをして、「公開処刑だ」と言った…ということでした。このような事件を耳にする度に私は心を痛めます。確かに先生には[変な奴]が多いです。一度社会人になってから大学に進み教職の道に入った私は、その含有率に唖然としたこともありました。理由は様々あると思います。例えば、つい数日前まで学生だった人間が急に[先生]と呼ばれて、何か勘違いをしてしまう。例えば、一度教諭になれば永久就職的な立場になってしまい、よっぽど大事件を起さない限り人間的におかしい所があっても自然淘汰されない世界だから。あるいは、よっぽどの大事件を起しても、それを巧妙に隔す術を知っている世界だから。いろいろ考えられます。しかし、まともな人が情熱をもって先生をしていることも勿論あります。そのような先生は心も身体も傷だらけになりながらも、何よりも生徒達の明日を将来のことを考えて日々教壇に立っているのです。私が心を痛めるのは、まともな先生ほど何かあったときに自分を責めて、生徒を守ろうとすることが往々にしてある事実なのです。
2010.07.14
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今回は定期試験ではなく実力テストや全国模試等の、【初見の文章での試験】についてです。基本は定期試験と同じなのですが、相違点は勿論初見の文章に対応する能力が必要だということです。それには、《文章をスピーディーに且つ正確に読み取る》ことが大切です。その能力はすぐに身につくものではありません。やはり日頃の鍛錬が必要となります。基本的にはどんな文章でも構いませんが、私が生徒たちに薦めているのは新聞のコラム欄です。まずは正確に筆者の言わんとする内容(結論)を読み取る練習をし、それがある程度できるようになれば次は時間を決めてその制限時間内に読み取る練習を繰り返すのです。または過去の入試問題をそのまま利用して、この練習をしながら実際に問題を解くのも効果的です。慣れていない場合は時間をたっぷりかけて読み、そして問題を解きます。まずこの[たっぷり時間をかける]という作業が重要なのです。国語が苦手な人ほどこれを実行するべきだと思います。そのうち自然と時間が短縮されていけばかなり良好に学習が進んでいると言えるでしょう。しかしなかなか時間短縮がされない場合は、そのうちはやり制限時間を決めて解くことが必要となります。バイクも勉強も、まずがゆっくり練習して確実に基礎を身につけて理解し、その後に徐々に速度を上げていくと安定した実力が身につきます。いきなり高い速度にチャレンジすると、基礎がない分だけすっ転んでしまう危険性があります。またそのときの心理的ショックで、二度とバイクに乗りたくない、まやはもう国語はあきらめるなんて悲惨なことになる場合もまりますから要注意ですよ!
2010.07.13
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ある知り合いの二児の母から個人的にメールが来ました。「気持ちは分かるけど、知りたいのはそこではない!国語の成績を上げる具体的な手段を教えて欲しい。」と的確なツッコミを頂きました。入試国語については企業秘密でもあります(ホンマかいな!)ので、詳しくは説明できない部分もありますが、まずは定期テスト対策について述べたいと思います。子供さんに「国語の試験勉強はどうやればいいのですか?」と国語の先生に質問してもらってください。おそらく返ってくる返事は「しっかり教科書を読みなさい。」といった内容だと思います。実はこの言葉に尽きるのです!そう言われてしっかり教科書を読み込まない生徒さんが多いのですよ。生徒さんの気持ちも分かりますが…「一度授業で読んでいるから内容は分かっている。他の科目の勉強もあるのに、そんなことに時間を使っていられない。」と感じるのです。実は私もそうでした!しかし、しかしです。「しっかり教科書を読む」という事が具体的にどういうことか、あるいはどうすることかを知っておく必要があるのです。そのヒントは[会話力]のテーマのときに述べているのですが…皆さん分かりますか?この場合の「しっかり教科書を読む」というのは、言い換えれば「しっかり作者・登場人物の気持ちや考え方を理解しておく」また「試験範囲の文章のどの辺りにどんな事が書かれているかを覚えておく」と言えるのです。国語の試験は[次の文章を読んで、後の問に答えなさい。]というのが定番です!定期試験ではその[次の文章]を一度教科書で読んでいるわけです。さらに試験勉強で読み込んでいれば、例えば「この文章は、あの物語文の最後のほうだ!」と分かれば、もう文章なんか読まずに問題に取り掛かればいいのです。そこで真面目に文章を全部読んでしまうから、時間が足りなくなってしまうのです。さらに「しっかり教科書を読む」作業をして、作者や登場人物の考えや気持ちをあらかじめ理解または推測をしておけば、試験本番で[このときの主人公の気持ちを書け]なんて問題が出題されても「う~ん…」と考える必要も無くなるのです!ですから「しっかり教科書を読む」とは、1 説明文であれば、段落毎に作者の言いたいことを読み取っておく。2 物語文であれば、ストーリーの流れと登場人物その場面その場面での気持ちを考えておく。3 詩であれば、作者の伝えたい事や気持ちを理解しておく。ということなのです。あとは、文法事項・漢字・表現技巧などを授業中のノートを見直して理解しておけば、徐々に成績にその結果が反映されてきます。まずは、お試しあれ!
2010.07.12
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ここ数回は少しが話しそれたようですが、実はリンクしている部分もあります。やはり言葉を軽んじる風潮が世間に・大人にあるから、子供達に悪影響を及ぼすのです。しかし何も日常生活上での全ての言葉に細心の注意を払うように求めているわけではありません。特に公の場での発言や、説明する・教える立場の人間が発し・記す文章のいい加減さ・無責任さに怒りを感じるのです。ですから、公の場での言動を正しく行えない若者の比率が年々上昇しているのです。私が平日の午前中に担当している原付実技講習で痛いほどそれを実感します。1 敬語を使えない。2 自分の聞きたい事を文章にして話せない(単語だけで会話を成り立たせようとする)。3 文字を知らない。4 黙っていれば、だれかが何とかしてくれるものだと信じ切っている。等々…言葉を大切にして生きてこなかったことが明白な若者の比率が何と多いことか!しかも更に私の不安をかきたてるのは、上記の1~4に該当する状況の若者本人が何の危機感も持っていない場合も非常に多いことです!親は今まで何をしていたのか?義務教育課程は当然修了しているのだから、先生達は今まで何をしていたのか?悔しいくらい残念に感じることが多いです。言葉を大切に思わない大人しか周りにいない子供達は、本当に不幸です。まず我々大人が言葉に敏感になる必要があります。特に先生とよばれる立場の私たちは常にその見本となれるように努めなければなりません。生徒たちに「そこまで細かいこと言うことない。」と思われても、その姿勢を見せなければなりません。ときには怒りをもって、いい加減な言葉を許す風潮に姿勢も見せなければなりません。もし今回の私のようにブログを作っている子供がいて、書き込みの訂正を行いたいと思い[詳しい日記の書き方]の欄をクリックしたとします。『メニューツールから…』という説明文を見て画面上で[メニューツール]を探します。画面上には左横に[Myメニュー]、上部に[ツール]というものしか存在しないことに気付きます。おそらくどちらかをクリックすれば訂正ができるのかも知れませんが、それで訂正できたとしても『説明と違う。まぁいいか、できたのだから!』と心の中で思うことがその子供の脳裏に『言葉なんていい加減でいいのだ!』という意識を植え付けてしまうのです。また、もしそれで私のように「メニューツールなんて無いぞ!」となった場合は、その子供の脳裏に「大人の言葉なんかいい加減だから、自分たちもいい加減でいい!」という意識を植え付けてしまうのです。これは本当に危険なことなのです!公の場で言葉を・文章を発する人間は、その言葉に・文章に責任を持つ覚悟が必要なのです。子供たちの将来のためにそれが必要なのです。国語の授業でそれを実践し、またその重要性をしっかり生徒達に伝えている先生はどれくらい存在するのでしょうか?
2010.07.11
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前回の内容に「何を文句ばかり書き込んでいるのか!」と不快に思われた方もおられるでしょう。大変申し訳ありません。しかしやはり大人が言葉を軽んじている風潮が子供達をも侵食している危機感を感じているからこそ、このような無責任な状況に怒りを感じるのです。前回書き込みに誤字を発見したので、何とか書き直しができないものかと試してみたのですが、全く解決策が見つからずに困っていると、書き込み方の[詳しい説明を見る]なるクリック可能な文字を見つけたのでそこから調べたのです。その説明文の最初に[メニューツールから…]とあるのですが、指定された画面をどう見ても[メニューツール]が無いのです。[Myメニュー]という文字はあるのですが、それはあくまでも[Myメニュー]であり[メニューツール]ではないのですよね。そうなればもうお手上げです。しかもそうこうしているとブログに画像を載せることができる事実も知りました。興味をもって見てみると、いきなり[登録画像を…]から説明が始まるのです!「登録画像って何や!」となり、その時点でお手上げになるのです。おそらく分かっている人には簡単なことで、私のこの書き込みすらも冷ややかな目で見ていることと思います。では聞きますが、二輪指導員をしている私が皆さんに「半クラとリーンアウトでハンドルフルロック状態の旋回をしてください。」と言わて、二輪で実行できる方はおられますか?私としては「それくらい知っていて当たり前!」ですよ。あなたが二輪の免許を取得するときに、私にそのように指導されただけで実際に二輪を私の指示通りに扱えますか?そんな指示だけで安心して「よし、やってみよう。」と思う方はいますか?それと同じことなのですよ!!それなのにパソコンの世界は「詳しい」とか「誰でもできる」とかいった言葉を安易に使っているにも関わらず、初心者には「分かり難い」ものになっているものが多すぎるのです。以前「猿でも分かる」という題名のパソコンの本を買いましたが、私には分かりませんでした。ということは、私は猿以下なんですよね!それにその本を見て、パソコンを使えるようになった猿がいるのですよね!パソコンが使える猿がいるならニュースにでも出ると思うのですが、そんなものを見た事はありませんよ!!とにかく最近…特にここ十数年で世の中にでてきたものは、言葉を軽んじ過ぎます。だから子供たちまでが言葉を軽んじてしまうのです。言葉は自分の思いを人に伝える大切な手段の一つなのです。大切なものであると同時に、時には言葉は人の命を奪ってしまうことすらある危険なものでもあるのです。また[分かる人]が[分からない人]または[初心者]の立場や目線を真剣に考慮しないから、[理解不足]や[勘違い]が生まれるのです。言い換えれば[先生]が[生徒]の目線を真剣に考慮しないから、[分かり難い授業]を生み[生徒の理解不足]を生むのです。でもだれも文句を言わないから、あるいは言えないから、そんな状況が蔓延してしまうのです。我々大人はそれらを鋭く見抜き、子供達に「あれは間違っていることだ!」と伝えていかなければなりません!
2010.07.10
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先ほどの書き込みの漢字が間違えていました。正しくは以下の通りです。↓ ↓ ↓皆さん今日のニュース聞きました?1年前に高校生2人がある河川で水死してしまった事件…水死してしまった生徒さんのお父さんの執念が新事実を引き出しました。なんと2人が水死した状況を映した動画が存在したのです。 ↑ ↑ ↑間違いの訂正の仕方を調べたのですが、【メニューツールから[削除・編集]をクリックして、、、】という説明を見つけましたが、そのメニューツールがどこにあるかがわかりません。パソコンの世界って一事が万事これですわ!説明が説明になっていない!!分かっている人間にしか分からない!!分からない人間には冷たい世界。分からない人間を見て、分かる人間がその姿を見下し、優越感に浸る世界。それがパソコンの世界です!!説明できへんのやったら、「日記の書き方」なんて偉そうな項目を作るなちゅうねん!!これもやはり国語力・文章力の欠如からくる、[相手の立場を考えられない][相手の気持ちを考えられない]あるいは[想像できない]人間の多さを物語る事実なのです。【人に何かを教える仕事】をしている私にとって、こういった状況は本当に腹立たしいです。
2010.07.09
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皆さん今日のニュース聞きました?1年前に高校生2人がある河川で水死してしまった事件…水死してしまった生徒さんのお父さんの執念が新事実を引き出しました。なんと2人が水死した状況を移した動画が存在したのです。当時現場にいた他の生徒達は「泳いでいて溺れた」と証言していて、警察もなぜかそれを鵜呑みにして事故死と断定していたのです。警察のこの公務員体質にも大いに問題はあるのですが、今回言いたい事はそこではありません。しかしそのお父さんは「自分の息子は泳げない」「その息子が自分から川に入ることは考えられない」と主張し続けて証拠や証言を探し続けた結果出てきたその動画には、亡くなった息子さんを後ろから押して川に落とした人間がいることを映し出していたのです。お父さんがその動画を警察に提出し、警察が再び動画に映っている生徒に事実確認をしたところ「こんなことになるとは思いませんでした。」と反省の弁を述べたということです。私が怒りを覚えるのは、その川に落とした人物が事実を隠して責任を逃れようとしていたことです!これも典型的な『バレたからごめんなさい』です。「まだ高校生だから仕方ない」とか「まさか死ぬとは思わなかっただろう」とか、この突き落とした人物を弁護するようなことを我々大人は間違えても子供達や生徒達の前で言うべきではありません。そんな偽善者発言をする甘い大人がいることも、今の日本をダメにしている大きな要因であることを一日も早く知るべきです。あれは明らかに『バレたからごめんなさい。』であり、その前には『バレなかったら何でもセーフ』と思うような卑怯な人間のとる行動であり、人間として許してはいけない行動であることをしっかり語っていくべきなのです。
2010.07.09
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特に記述問題を解いてもらえばある程度分かります!何がかというと、日頃きっちり会話をしているかどうかです。例えば「このときの作者の気持ちを答えなさい」という問題があったとします。何を答えればいいのか?もちろん「気持ち」を答えなければなりません。でも国語が不得意な多くの生徒達は、「気持ち」以外のことを答えます。そういう生徒さんは日頃の会話の受け答えが少しズレている場合が多いです。しかし日常生活上では多少の会話の受け答えのズレがあっても、その場の雰囲気やその人との人間関係なんかでニュアンスを理解することができてしまって会話が成り立つことがあります。まぁ友達同士の会話が国語的に正しいものになり過ぎると面白みに欠けることもあるからそれはそれで悪い事ではないとは思います。では会話の受け答えのズレとは、どのようなものでしょう?例えば国会の答弁です。あれは会話のズレの宝庫です。実例をひとつ紹介しましょう。「○○については、いつまでに実施可能ですか?」「その件につきましては、只今検討中であります。」これは実際に国会中継でおこなわれた会話です!会話のズレにお気付きでしょうか?質問は「いつまでか?」を聞いています。正しい答えの例としては「今月中です。」「○月までに実現可能です。」あるいは「○月○日より実施いたします。」または「現時点ではまだ実施可能時期の明言はできないのが現状です。」等々が考えられます。しかしこのときの答弁は「只今検討中であります。」です。質問者は「只今検討しているか、していないかを答えてください。」と質問をしたのではないのです。「いつまでか?」という問に対して「検討中です。」って…答えになってないでしょう!!このズレに気付くかどうかで、国語の成績が上がるかどうかが決まることもあります。私が聞く限りでは、政治家や公務員がこのズレた会話を平気でしている場合が多いので、テレビで聞く度に、実際にズレた返答をされる度に実際に、または心の中でしっかりズレを確認する(つっこむ)作業が必要です。このように日常のちょっとした会話に気をつけることから、国語力を向上させることもできるのです。
2010.07.08
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国語力を高める一見遠回りのようで実は近道になるのは[テーマを決めた会話]を多くすることです。話すには想像力が必要となりますから…どの順番で話をしたら相手に伝わりやすいか!聞いてくれている人によって説明が必要な事柄と不必要な事柄もでてくるので、それらを適切に選択して会話を瞬時に組み立てる!…それらには、相手のことを考えるという想像力が必要なのです。そして実は、話を聞くにも想像力が必要なのです。皆さんもよく考えてみてください。話を聞くあるいは文章を読むときに、その内容や状況を頭に思い浮かべているはずです。ですので、話すときも聞くときも[想像力]が必要となるのです!これを鍛えることは、まさに脳を鍛えることになるのです。最近よくテレビで見かける脳科学者が、「子供の頃に草野球で【透明ランナー】というのがありました。あれは脳科学的にいうとすごいことなのです。本当はいないランナーをいると考えてゲームを進めることは想像以上に脳を鍛えます。」とある番組で語っていました。まさに会話のときに必要になる想像力と共通していると私は思います。見ていない状況を頭の中に描くのですから!また、日本人は元来その逆に【存在する人を存在しないと思う】という想像力を働かせて芸術を楽しむ習慣のあるのです。例えば歌舞伎の黒子です。明らかに存在している人間ですが、いないものと考えて舞台を楽しむのです。これは舞台を楽しみながら脳を鍛えていると考えられます。想像力を鍛えることは国語力を鍛えることになります!想像力を鍛えることは相手の事を思いやる能力を鍛えることになり、それはそのまま道徳心を鍛えることにもなるのです!
2010.07.06
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以前にも述べたように国語力のない大人が国の中心となってゴマカシ政治をしているから、負債を900兆円にも至ろうとする国となってしまっているのがこの我々が住む日本です。よく生徒に言うのですが、「1兆円って想像できるか? もし毎日100万円ずつ使って1兆円を使いきろうとしたら、約2740年かかる! 今は西暦2010年、西暦はキリストが生まれた年から始まるから、キリストが生まれてから毎日100万円ずつ使ったとしても、まだ1兆円を使えて無い。それどころか、まだ730年かかる! 日本の借金は900兆円に届こうとしている。 どう思う?」と…中学生にこう問いかけると、将来の不安より政治家の無能を批判する者が多いです!そらそうです! 政治家達の国語ができていないのですから!国会の答弁を一度録音でもして文章にしてみてください。質問に対する答えのほとんどが国語的に答えになっていませんよ。国語ができないと心が通じません。心が通じないと信頼関係が崩れてしまいます。他人を信頼できなくなると言動が自己中心的になってしまいます。言動が自己中心的になると他人を思いやる気持ちがなくなり、無秩序な国になってしまいます。まさに今の日本がそうです。自分がこんなことを言ったら、相手はどう感じるだろう?自分がこんなことをしたら、相手はどう感じるだろう?他人の気持ちを思いやるには、想像力が必要となります。だから国語はとっても重要な科目なのです。だから言葉を通して、想像力を鍛えましょう!親御さんたちはどんどん子供たちに言葉をかけてあげてください。あるいは子供の言葉に耳を傾けてあげてください。ただ反抗期で言葉を交わせない状態のときは無理しないでください。先生達も生徒達に言葉をかけてあげてください。あるいは生徒達の言葉に耳を傾けてあげてください。もし反抗期であればそれぞれの場合があると思いますので臨機応変に言葉をかけてあげてください。国語力を上げるのはまずは多くを語ることから始まります。おしゃべりではありません!何かテーマを決めた会話が必要です。例えば今なら「角界の賭博問題どう思う?」「地球温暖化はどうしたら止められるかな?」等々何でも構いませんから!できれば子供さんや生徒さんが言葉を発している時間が多い方が望ましいです。
2010.07.05
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もうお気付きの方も多いとおもいますが、私の書き込みのテーマは[言葉]に関するものが多いのです。なぜなら最近は[言葉]を疎かにする大人が多いと感じているからです。[言葉]を疎かにするということは[心]を疎かにすることと同じ事なのです。では本題に入ります。最近驚かされることのひとつに「こんなこと知らないの?」って場面が多いことが挙げられます。例えば昔話、『浦島太郎』『かちかち山』『かぐや姫』『舌きり雀』等々…以前とは表現がソフトになっていたとしても、大まかなストーリーに変化はありません。しかしこれらの話を全く知らずに中学生になっている生徒さんが結構多いのです。昔話だけでなく、定番の物語もありますよね。例えば『忠臣蔵』です。これも知らない生徒さんがいかに多いことか!実はこれらを知らない生徒さんは国語力が低い場合がかなりの確率で多いのです。もっと厳密に言うと、国語に限らずどの科目でも文章問題が苦手なのです。おそらくではありますが、文章を読んでも頭の中でその内容を想像できないというか、頭の中で映像にできてないのだと思います。これはやはり幼少のころからの訓練が必要ではないかと思います。耳から入った情報を頭の中で想像する、または映像化するという訓練です。例えば親御さんに絵本を読んでもらってその内容を理解する…つまりその物語の内容を頭の中で想像するというか映像化する。こういった作業の繰り返しがあるかないかで、かなり文章力の開きがあると強く感じます。逆に昔話・お伽話・定番の物語などを多く知っていて、それを誰かに話ができる生徒さんは文章問題に強い場合が多いです。また文章問題が苦手だといって入塾してきた生徒さんも、これらの話を知っていて誰かに話せる人は少しの練習だけですぐに文章問題の苦手意識を克服できる場合が多いのです。もしかしたら、昔話・お伽話・定番の物語などは[会話力]を育成するための第一歩なのかも知れません。しかし最近はビデオやDVD等の映像メディアが普及しているので、昔話・お伽話・定番の物語などを古臭いからとお子さんが拒否することもあると聞きます。用意された画像を見るのは確かに楽しいことかも知れませんが、それは子供たちの想像力を鍛える機会を奪ってしまっている可能性も大いにあるわけです。数日前ある電化製品店にいったとき、メガネをかけて視聴する3Dテレビの体験コーナーがあったので私もトライしてみました。確かに画像の中を泳いでいる魚が立体的に見えて「すごいな」と思いました。しかし同時に「これが当たり前のように普及すれば、更に子供たちの想像力を鍛える機会が減少するかも」と不安を感じてしまいました。
2010.07.04
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話題をガラッと変えまして、、、最近特に「国語の成績が上がらない」「国語の勉強の仕方が分からない」「国語は運任せの教科」「国語は捨てる教科」等々… 国語についての悩みや酷評をよく耳にします!でもよく考えてみれば、結局はどの教科の授業も国語(日本語)でおこなわれているのです。国語力を上げると自然に他の教科の成績も上がる場合が多く見受けられます。私の専門科目は英語です。勿論学校勤務のときは英語を教えていたわけですが、塾業界に入ってからは社会・国語も教えるようになりました。最近では苦手中の苦手だった数学も教えていますし理科の授業もします。その中で私が一番生徒の成績を上げる自信のある教科が国語なのです。学習塾勤務時代は「国語クラス」や「国語コース」を担当(あるいは開設)し、バンバン成績が上がりガンガン生徒数も増えました!しかし私がその学習塾を辞めた後は、例外なく盛況ぶりを維持できない状態になります。なぜならそのノウハウを残さずに、経営陣に知られることなく去るからです。今では独立して教室経営をさせてもらっていますので、もう教え放題です!ではどうやって国語力を上げるのか?細かいことは論じませんが、その核となるポイントを紹介したいと思います。この私のある意味ハチャメチャな内容のブログに付き合っていただいている皆さんだけが知っておいてください。国語の成績を上げるポイントは何か?それは想像力を育てることです。とにかく想像力のない生徒さんが多いです。想像力の乏しいままで大人になると、これも最近多い困った大人になってしまいます。ある1つの物事に対して多方面から見つめ考えることができない大人って多いですよね。この『多方面から物事を見つめる』というのは別のテーマでゆっくり考えたいと思いますが…想像力の弱い生徒の特徴といえば、[何事に対しても変にさめている面がある][考え方が妙に現実的過ぎる][無感情・無感動の傾向がある]などが挙げられると思います。そのような生徒達と話をしていて、私はある共通点に気付きました。それに気付いたとき、正直「こんなことが実は大切なことだったのか!」と驚きました。先人の知恵というか、受け継いだ風習の大切さを実感しました。ではその共通点とは何か?それは次回まで引っ張らせていただきます。
2010.07.03
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最近のテレビの学園ドラマは、[ヤンキー]に属すると思われる格好をしている人間が主人公や中心者であることがやけに多いです!昔もそのようなドラマはありましたが、最近はドラマの宣伝を見る度に「またヤンキーや!」とうんざりするほどの確率です。一度見てみたことがありますが、ヤンキーだけど実は良い人間で…なんて安っぽい内容です。良い人間ならば、良い判断力のある人間なら、元々ヤンキーにはならないのです。【勇気】と【根性】をもってその方向に向かわないのです。以前に述べたように、例えどのような凶悪犯罪者であったとしてもほんの少しくらい人間として良いところはあるのです!私が言いたいのは、その人の言動の良い面と悪い面の比率なのです。勿論私もそうですが、100%良い面ばかりではありません。偽善心ではなく社会の一員として人間の一人として、如何に人間性豊かな言動ができるかを意識して生活することが肝要ではないかと問いかけたいのです。またそれには時として、勇気を持って自らに『反省』を促し『戒め』を与える必要を求められる場合もあれば、苦悩に耐えることも求められることもあるのです。しかしその悪い人間のほんの少しの良い面だけピックアップして、「実は良い人で優しい面がある」「それをだれも分かってくれないが友達だけは分かってくれる、あるいは主人公の先生だけは分かってくれる」だなんて、なんて安っぽい内容のドラマなのでしょう。本当の友達なら友達のことを思って、良いことは良いが悪い事は悪いとその非を正すべきなのです。それが親友というものです。本当の先生なら生徒のことを思って、良いことは良いが悪い事は悪いとその非を正すべきなのです。それが先生というものです。ただ反対に、先生が、生徒が、何かに立ち向かっていくようなドラマがあるのも事実ですが…とにかく校則を守らないような生徒が主人公のような学園ドラマは見る価値がありません。そんなドラマがもてはやされるから、子供は「あれでいいのか!」と思うのです。もう一度繰り返しますが、[悪]はあくまでも[悪]です。学校生活で言えば、校則を守らないことは[悪]です。一般生活で言えば、公衆マナーやルールや法律を守らないことは[悪]です。しかし、そのようなドラマを逆手に取って自らの子供の人間性を育てている親御さんもおられます。そのような親御さんは必ず番組の後で、子供さんと会話をしています。ドラマを見たら見ただけで終わらせないのです。ドラマの中の何が人間性のある言動だったのか?ドラマの中の何が人間性のない[悪]の言動だったのか?それらの言動に至った理由はなにだったのか?しかもそれを親が語るのではなく、子供に語らせるという高等技術を用いる親御さんもおられます。詳しい実例はまた別の機会に紹介したいと思います。まずはご本人の承諾ももらわないといけませんので…あ、あと何かがあるとすぐに教育委員会がでてきて偉そうにするようなドラマも滑稽極まりないですね!何より生徒の将来を考えて教壇に立っている先生方の気持ちを代表して語っておきます。教育委員会が怖くて教壇に立てるか!そんなもの怖がっているのは生徒の明日より自分の明日が大事な保身教師だけだ!そもそも教育委員会って必要なのか!!…こんなものでいかがでしょう?
2010.07.02
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今回も私がよく生徒たちに考えてもらう題材について書き込みをしたいと思います。「勇気」つながりってことで、『勇気無き人間』についてです。今回の題材は今までに散々私の周囲に物議をかもし出した内容です。賛否両論はあると思いますが、皆さんもよく考えてみてください。私が生徒に考えてもらいたいので、話題にすることはこれです。「学校を見渡して、一番勇気のない人ってどんな人だと思う?」この場合の【勇気】は言葉を変えれば【根性】とも言えます。私の問に対して、即答する生徒は今までいませんでした。みんな少し考え込みます。私の答えはこうです。「ヤンキーとかツッパリとか言われている人達!」それを聞くとほとんどの生徒達は「え?」って表情をします。その理由を簡単に説明すると、だれでも明日からなれるからです。何の努力もなくなれます!髪の毛を染めて校則違反の服装で登校し、[してはいけないこと]を次々としていけばいいだけです。それを【勇気】だとか【根性】だとか、間違えても言うことはできません。それはただ単に、人間としての正常な判断力を無くしただけのことです。もしくは簡単に目立ちたいだけなのです。もしくは何かから逃げたいだけなのです。では逆に「学校で勇気のある人」ってどんな人でしょう?例えば部活で自分の目標を目指して日々努力している人、例えば勉強で自分の目標に向かって日々努力している人、例えば本当はしたいことがあるのにそれをするのはマナー違反や校則違反になるから日々自分をコントロールして我慢している人、例えば本当は学校でイヤなことがあるのだけれどもそれに耐えて毎日元気に笑顔で登校する人、例えば悩み事や不安があるのにそれに耐えてあるいはそれに立ち向かって日々明るく生活する人…こういう人の行動それ自体が【勇気】のあることであり【根性】のいることなのです!こういう人の行動こそが、人間性を育て人間性を高め、出会った人達を幸せに導く道を作るのです。生徒諸君! 勇気ある日々を過ごしてください。大人達! 子供たちの手本となれるような勇気ある日々を過ごしていますか?
2010.07.01
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