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幼稚園時代のM先生は【毅然とした教師像】、O先生は【お姉さん的な飾らない教師像】だったとすると、私の小学校1年・2年の担任のN先生は【肝っ玉母さんのような包容力のある教師像】だったと思います。しかも専門科目が英語でありながら、国語の授業を得意とする私の国語力の基礎を鍛えてくだださったのは、今思えばN先生だったと思います。今更ながらつくづく思いますが、小学校低学年で受ける授業はその生徒の将来の学力を大きく左右しますよ!小学校低学年の担任をされている先生方は心して日々の授業に取り組まなければなりません。お子さんが小学校低学年の保護者の皆様も、心して勉強に取り組める状況と環境を整えなければなりません。
2010.11.30
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私が幼稚園時代に出会ったM先生とO先生のことを紹介させていただきました。勿論私が幼いときに感じた内容もありましたが、自分自身が教壇に立つようになってしみじみと思い出したこともあります。「先生」の言葉や態度は、その場で効く即効性のものもあれば、何年、何十年も経って効いてくるものもあります。先生方!あなたの言葉が【今】生徒達に伝わらなくたとしても、何年後、何十年後に伝わることもあるのです。それを信じて、自信を持って、今日も教壇に立ちませんか?保護者の皆さん!あなたの言葉が【今】子供達に伝わらなくたとしても、何年後、何十年後に伝わることもあるのです。だからそれを信じて、自信をもって、今日も子育てをしませんか?あなたの言葉を受け止められる土台がまだ子供さんに出来上がってなくて、伝わらないことがあります。しかしそんなのは気にしないでいいのです。気にする必要なんてないのです。♪親の小言と冷酒は、飲んだ後から効くものさ♪ ですから!ちなみに、この話題の最初に同じ都都逸を紹介したときには「言葉」でしたが、正しくは「小言」が正しいようです!それでは次回からは、私が出会った偉大な教師・小学校編です。
2010.11.29
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最近多くの先生が、「先生像」を具現化しようと日々奮闘されています。しかしその「先生像」がおかしい場合があります。「先生」とは完全無欠ではありません。聖人君子でもありません。もともと完璧な人間なんているのでしょうか?それを演じようとし過ぎて精神的に自分自身を追い込んでしまうのです。人として正しい存在であろうと苦悩し続ける!ときには、その生々しい姿を生徒に見せるのも立派な教育ではないでしょうか?私は喜怒哀楽を生徒の前で、言葉や態度で正直に表現します。それは様々な意味で、非常に大切なことなのです。それに効果が出るか出無いかは、私の日頃の人としての「生き方」がモノを言うのです。その「生き方」は、勿論完全無欠を意味するではなく聖人君子のそれでもありません。人として正しく生きようとしている姿なのです。ちょっとした言葉や態度から、生徒はそれらを敏感に察知しているものなのです。私はそれをO先生から教わったのだと思います。「いい先生」にめぐり合えた生徒は幸せなのです。私は幸せ者です。
2010.11.28
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私が驚いたのは、あのいつも明かるく優しいO先生があんなにメチャクチャに泣いているということでした。結論に至るまでは、かなり時間がかかったと思いますが、幼い私が考えついたのは次のような順番だったと思います。いつも明るい、優しい、怒らない先生があんなに泣いていた。怒らない? いや先生はときにすごく怒る!友達をいじめて泣かせたときにすごく怒る!「相手の気持ちを考えなさい」と言う。自分は相手の気持ちを考えない。自分さえ楽しければいいと思っている。でも、友達は泣く。自分は相手が泣くまで言いたいことを言う。自分は相手が泣くまでしたいことをする。自分だけにはそれが許されると思っている。でも、人には「気持ち」がある。その証拠にあの先生があんなに泣いていた。自分はいままで人の「気持ち」なんてどうでもいいと思っていた。O先生の泣き顔を目撃してから、そんな感じで私の中で何かが変わったような記憶があります。いつも泣かせていたH君やM君にもいつか謝らなければならないとも思うようになってきていましたが、実際に謝ることができたのは小学校に入学してからでした。勿論、葬儀の数日後にO先生が幼稚園に再びきてくれるようにりましたが、先生の変わらない明るさや優しさに触れる度に、嬉しいような、申し訳ないような気持ちでした。それが先生の意図的な行動だったのか、偶然の結果だったのかは分かりません。しかしO先生は、悲しいときに悲しがっている姿を見せる事で、私の中の何かを変えてくれたのでした。
2010.11.27
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O先生のお父さんのお通夜(だったと思う)で、私は衝撃的な体験をすることとなりました。先生のお宅の前はひっそり静まり返っていたのですが、中に入ればたくさんの人の泣き声が響いていました。母に教わりながらお焼香を済ませて、母のマネをして泣き崩れている大人達の集団に一礼しました。そのときです。よくみるとその大人達の中にO先生がおられました。見た事の無い全身黒い服を着て、目を真っ赤にはらして、顔を涙でくしゃくしゃにしながら、声を出して泣いておられました。いつも元気で明るいO先生と同一人物とは思えない姿でしたが、間違いなくO先生でした。びっくりした私は立ち止まってしまいました。その私に気がついた先生は、私の目をじっと見つめられました。
2010.11.26
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その日O先生が幼稚園に来なかった理由は、園児達にすぐに伝えられました。確か園長先生が「O先生には不幸事がありましたので、今日はおやすみです」と言われた記憶があります。当時の私には「不幸事」の意味が分かりませんでした。帰宅して母に聞いてみると、既に幼稚園側から連絡があったらしく、「O先生のお父さんが亡くなられた」とのことでした。そして母は「いつもお世話になっている先生やから、お悔やみにいくで!」といって私を連れ出しました。私の記憶では夜だったと思いますので、おそらくお通夜だったと思います。生れてはじめてのことでした。
2010.11.25
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またO先生は、ことある毎に母に私の日常生活の様子を伝えてくださっていたようです。今だに、母がよく思い出しては話をする当時の私のエピソードがあります。当時の私は、何かがあって泣いてきる女の子に涙を拭くようにとハンカチをもっていっていたらしいのです。そのときに泣いている子に私が何かをささやいているので、何を言っているのかO先生が聞いてみたところ、、、、「ハンカチかしてあげるから、おやつのバナナちょうだいね!」と言っていたとのことです。母は「家で何も食べさせてないみたいやから恥ずかしかったわ」と今でも言っています。まぁ、当時の私のエピソードはそれくらいにして、、、、そんなO先生がある日幼稚園に来ませんでした。
2010.11.24
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男三人兄弟の末っ子の私なので、お姉さん的存在のO先生にはかなりなついてしまい、かなりご迷惑もおかけしたことだと思います。この時期に私はある意味調子に乗り過ぎて「いじめ」をしてしまっていたことも思い出します。いつも鼻水を垂らしていたH君に泣き出すまで、「鼻水ザル」みたいなことを言い続けていた記憶があります。もう一人はM君です。体が大きい割にはゆっくりと動く彼にも「ゴリラ」と言い続けて、やはり毎日のように泣かせていた記憶もあります。いつも優しいO先生でしたが、そのときばかりは烈火のごとく私を叱ってくれたものでした。しかしそれすら、先生の注目を受けているような気になって、全く改善することのない毎日を過ごしていました。
2010.11.22
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私が次に「先生」と呼んだのは、同じ幼稚園の「おっきい組」になったときの「あやめ組」を担当してくださったO先生でした。その前のM先生はベテラン先生の風格がありましたが、O先生は大学を出たての若い先生でした。もちろんヤンチャ盛りの私も「お姉さん」的存在のO先生にかなりなついていた記憶があります。朝、幼稚園に着いてO先生を見るといきなりスカートをめくって朝の挨拶を毎日繰り返していたことも、今となっては懐かしい思い出です。しかしO先生はそのうち朝私を見かけると、自らスカートを上げて「今日のパンツは白!」と言って私に見せるという作戦に転じました。なぜかテンションが下がってしまって、そのうち先生のスカートめくりをやめてしまった私に、連日のように「今日はピンク!」などと毎日下着を披露しにこられたO先生に「やはり大人にはかなわない」と最後には降参してしまったことも覚えています。
2010.11.21
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もともと悪口等には免疫(?)のあった私なので、多少何を言われてもこたえることはありませんでしたが、生徒はときには予想外の言葉を浴びせてくることもありました。しかし本人たちにはそんなに悪気はなく、かつての私のようにコミュニケーションの一種なのです。そう私に気付かせてくれたのは、M先生のあの眼差しでした。私が初めて教壇に立ったときはもうM先生とお別れしてから、実に20年近くが経過していました。M先生が「先生」として私に接してくださったその姿勢が、眼差しが、約20年後の私を支えてくれたあのでした。歳を重ねるにつれ、「先生歴」を重ねるにつれ、M先生への感謝の気持ちが大きくなります。「先生」に恵めれた生徒は、幸せ者です。私は幸せ者なのです。
2010.11.20
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男三人兄弟の末っ子の私は、当時はかなりの甘えただったと思います。勿論M先生にも甘えていました。いつも白いストッキングをはいておられた先生に『大根足』といってよく気を引いていた記憶があります。しかしM先生は私に何を言われても全く動じることはありませんでした。それで私は「大人には何をいっても構わない」と思っていたような気がします。それでいて先生は、私が友達に同じようなことをいって気を引こうとしたとき、その言葉が相手を少しでもキズつけるものであれば、必ず叱ってくれました。25歳ではじめて教壇に立った初年度は私もいろいろありました。また、生徒にいろいろ言われました。その都度私の中にあのときのM先生の凛とした眼差しが蘇ります。「自分もM先生にいろいろ言ってきた」「しかし先生は動じることなく、私を正しい方向に導いてくださった」、、、「自分もM先生のようになれるだろうか?」
2010.11.19
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こんな都都逸があります。♪親の言葉と冷酒は、飲んだ後から効くのもさ♪私に様々なことを教えてくれた先生達の言葉、態度、行動、、、、それらが現在44歳になった私に効いています。20台、30台と年齢を重ねる度に効いてきています。本当に有難い先生達です。私が最初に先生と呼んだ人は、幼稚園の先生だったと思います。私の通っていた幼稚園は「ちっちゃい組」と「おっきい組」に分かれていました。入園した初年度は勿論「ちっちゃい組」に所属する訳です。「ちっちゃい組」の中でもいくつかのクラスに分かれていて、私は「すみれ組」でした。その「すみれ組」を担当してくださったM先生の凛とした何事にも動じない風格のある眼差しが、今も私の背中を押してくれています。
2010.11.18
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私の文章は長くなってどうもいけませんね、、、これからはできるだけ小出しにいきたいと思います。今日はランチの後に時間的余裕があったので、コーヒーを飲みながらよく考えてみました。私自身なぜ今まで紆余曲折がありながらもこうして『先生』でいられたのか?その大きな要因となっているのは、私を育ててくれた尊敬すべき先生達、私が今まで出会ってきた偉大な先生達の存在であることは間違いないな!というのが私の答えの一つでした。そこでしばらくは、その尊敬すべき偉大な先生達の話を続けたいと思います。私を育ててくれた先生達は今でも私の心の中にいてくれて、私をいつも正しい方向に導いてくれています。『先生』は生徒が幾つになっても、『先生』なんです。
2010.11.17
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といっても本当に「歌」ではありません。どちらかと言えば『詩』と表記したほうがいいかも知れませんね。私はいうまでもなく、教育現場で身体を張って精神をすり減らして子供のために、生徒のために、日々前進し続ける先生方もたくさんおられることは知っています。私の書き込みを読めば、先生たちを馬鹿にしているように思われるかもしれませんが、そうではないのです。私が責めたいのは、教育を単なる金儲けの手段にしている人間や、先生という名を借りた無能な保身公務員達なのです。まともな先生方なら、そんな連中との戦いも強いられているはずです。そんな連中が管理職だった日にゃ、教育現場は最悪です。その最悪の状況の中でも、なお子供や生徒のために日々戦っておられる先生方には渾身の思いを込めてエールを送りたいのです!そんな『まとも』で『戦う』、『本当の教育者たる先生』には、苦しい時代です。苦しい教育環境です。あなたの子供達や生徒達を思う行動を、理解できない管理職や同僚のいるでしょう。あなたのそんな気持ちまで、「うざい」「きもい」という言葉で受け止めようとしない子供や生徒達もいるでしょう!しかし!しかしです。あなたの言動が子供達や生徒達のためを思ったことならば、それが正義です!だれが理解しなくてもいいのです。そもそも「教育」とはその時点で誰かに理解してもらうためのものではないのです。その場、その時点では、理解されなくとも、何年後かにその子供達や生徒達が「あの先生が言っていたのはこのことか、、、」「あのときあの先生が言ってくれたことに、今さらですが感謝すてます」と感じてくれれば、それであなたの教師としての言動がはじめて生きてくるのです。勿論、あなたの言動が無駄になることもあるでしょう。あるいは多いでしょう!しかし、そのあなたの言動が1つでも子供達の生徒達の将来のためになれば、そのあなたの言動で子供達が生徒達が人として正しい生き方へ導くのなら、たくさんの無駄の中にある1つの可能性を信じませんか?その可能性を信じて、今日も明日も、子供達や生徒達のために『先生』をしませんか?そのために『先生』の道を、『教育者』の道を選んだのではなかったですか?あなたの、子供達や生徒達を思っての言動の真意は、誰も理解しなくて当然!、、そう考えましょう!でも、遠い将来になるかも知れませんが、絶対に子供達は生徒達は理解してくれます。絶対理解してくれます。何を信じなくとも、誰を信じなくとも、我々は子供達を生徒達を信じようではありませんか!それが、我々が『先生』たる『教育者』たる所以なのです!先生!あなたは決して一人ではありません。孤独でもありません。あなたを応援してくれている人がいることを感じてください!あなたを育てた親御さん。あなたを育てた先生達。たとえ近くにいなくとも、たとえ声は届かなくとも、あなたを応援してくれています。人間としてのあなたを、教育者としてのあなたを応援してくれています。そして今あたなが接している子供達や生徒達の十年後二十年後の彼ら彼女らが「その幼い私を、何もわかっていない私を、人間として正しい方向に導いてください!お願いです!」とあなたに必死に叫んでいる声を感じてください。たとえ今はだれも評価しなくとも、子供達や生徒達自身が評価しなくとも、十年後二十年後の子供達や生徒達が、今のあなたの言動を評価してくれます。だから孤独ではないのです!そしてそうなることが、我々「先生」となった人間の人生の醍醐味であり、使命なのです。子供達は、生徒達は、彼ら彼女らは、まだ人間として未熟です。「うざい」「きもい」という言葉を使います。中には「死ね」という言葉も使います。その言葉の本当の意味も重みも知らないのです。『先生』として『教師』として『教育者』として、正しい言動で接していれさえすれば、何と言われても全く問題ないのです。公務員の世界なので、あなたを援護する同僚がいなくてもそれが当たり前です!想像してみてください。今、あなたが接している子供達が生徒達が、十年後二十年後にあなたに心から感謝の念を抱く日がくるとしたら、、、、、今のあなたの苦労は無駄ではなかったと思えませんか?私は『教育』とは、そういうものではないかと思います。しかし、私はその醍醐味を知ってしまったので、もう『先生』を辞められません。一生涯『先生』でありたいとさえ願います。その思いが、今日も私を支えてくれています。みなさんにも、その日が必ずきます!そのときは、その思いがあなたを支えてくれます。「頑張れ、先生方!」とは言いません。だってあたなはもう十分過ぎるくらい頑張っていますから。今日から、今から、もう少し肩の力を抜いて教壇に立ちませんか?私は先生方を応援しています。あたたが、あなたの存在が、子供達の将来を、生徒達の将来に必ず影響を与えます!だから私は、あなたの存在それ自体を応援します。あなたが教壇に立っていることは、決して偶然ではありません。教壇に立つべくして立っているのです!あなたの存在が、子供達の生徒達の人生を人間味あふれた豊かなものにしていくのです。私は先生方を応援しています。
2010.11.16
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学校の教育環境の話はもうやめます。ここ数日、またしょ~もない犯罪で捕まっている『大先生方』がおられるみたいで、呆れてモノが言えないので、、、本当に生徒のためを思って、1日24時間、1年365日、常に『先生』でいる、本当の意味での『先生』達にどう顔向けする気でしょうかねぇ、、、なんか、この国の教育環境に目くじらたてて意見するのも無駄に感じてきてしまいます。次回から、もっと何か、前向きになるというか、今の教育界に触れないような話題を考えますね。ホンマ!やってられんですわ!!
2010.11.15
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『人間力』のない教師。教師を育成する環境のない教育現場。それら全てが『学級崩壊』の原因を作っています。「育成環境はある!」「研修はある!」という先生方!あんなものは全く意味がありません。あれはあなたたち得意の『何かあったときのため』に保身を図れるように用意する逃げ口実を作るためのもので『一応やってます』のレベルに過ぎません。公務員の目から見ればあれは精一杯のことをしていると思っているかも知れませんが、民間の目から見ればあれはただ単なる時間の無駄遣いです。以前にも書いたと思いますが、『民営化』という言葉は『公務員の無能』と同じ意味なんです。最近、我が県でも「職場体験」とかいって、いろんな場所で仕事を体験する中学生を見かけます。あれはあれでそれなりに意味があるだろうとは思いますが、「職場体験」や「一般社会経験」をしなければならないのは、むしろ教員の方ですよ!そして『学級崩壊』の原因を作っているもう一つの要素は『公務員』という立場です。これも言い出せばきりがありませんが、私が大学を卒業し教壇に立ってよく耳にした言葉の一つに『教職員は子供あいての仕事で、普通の仕事より心労がかかる!』という内容です。一般社会を、民間企業を経験してから大学生になった私には『はぁ~?』でした。確かに「公務員」という立場は民間にない気遣いが必要です。しかし、それだけです!民間にない苦労は!あとは、楽をしようと思えばいくらでもできる、甘い甘い世界です。その中でも自己を磨き生徒のためを思って全霊を込めて教壇に立つ、尊敬すべき、愛すべき、守りきるべき先生もいます。しかし、そうでない先生も存在しています。民間では後者は淘汰されてういくのですが、公務員の世界はそれでも生きていけます。何か問題が起こっても、全力で改善に尽力しないでも、給料はでるのです。だから、問題には目を向けない。自然によい方向に向いてくれるのを待つだけ!生徒の心に一生消えない傷を残しても、表面上問題化しなければ、平穏な公務員生活が送れる。だから、生徒がいじめにあっていても「いじめはなかった」で済ませようと平気で思える。学級崩壊が起きても、そのまんま何とか突き通そうと思える。学級崩壊を起した教師に、改善策を授けたり、責任をもって注意や指摘を含めた指導ができない、ことなかれ主義の無能な管理職!仕事をしない、あるいはできない教師はクビにする体制を早く作るべきです!これを言うと、『どんな基準でそれを決めるんだ!』という先生方もいますが、私の答えはこうです!『その先生の授業を受けている生徒の顔をみて判断すればいいのです!』まず、こう言って、意味が分からない先生は即刻クビに値しますね!
2010.11.14
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【学級崩壊】が起こる理由の1つは前回申し上げた通りです。先生になりたい、教師になりたい、これはいいです。しかし、厳しく自分を見つめて、先生に、教師に自分が向いているのかいないのかを判断する必要があります。向いていない、能力がない、、、その場合は潔く身を引くべきなのです。そうでない場合は、徹底的に自己改革に挑戦しなければならないのです。厳しいことを言っているようですが、教育とは、教師とは、他の職業とは異なった重要性があるのです。だからこそ!です。さて【学級崩壊】が起こるもう一つの理由は、教員の育成体勢が驚くほどいい加減である点です。例えば私は大学を卒業してすぐに公立中学校の教壇に立ちました。そしていきなり学級担任です!大学の授業でも、教育実習でも【担任】の訓練なんて受けていないのです。それがいきなりです。文字通り右も左も分からないまま、学級担任としての新学期が始まりました。その中学校は第1級へき地校!私はいきなり、学級担任・英語科主任・学年主任等々、様々な任につくこととなりました。普通どんな企業でも、新人にはそれなりの研修期間等があり、ある程度の訓練を経てから現場に入り、経験を積むのですが、私の教員生活はそうではありませんでした。で、なぜ、そんな新人を研修体勢もない第1級へき地校に赴任させて、いろんな仕事を与えたのでしょうか?いきなりそのような状況に放り出して、私の成長を促す目的だったのでしょうか?、、、理由は簡単!その地域の他の教諭は、「へき地校にいきなくない」という理由です。地域の教育のことよりも、自分の生活が大事なんですね!1日だけあった『初任者研修』では、【体罰はぜったいいけない】ことと【公務員は全体の奉仕者】だとこんこんと言われたのですが、【全体の奉仕者】なんて嘘っぱちであることが、そのとき分かりました。それでは学校がよくなっていく訳がありません。いじめも起こるし、命を絶つ生徒もでてきます!しかも担任・校長・教育委員会が『子供の命よりわが身がかわいい』のですから、どんな事件でも起き放題です。本当に今すぐに《学校改革》をしなければ、日本はとんでもない国になってしまいます。いや、、、もう手遅れかも知れません、、、、
2010.11.12
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最近、普通に耳にするようになった言葉、、、【学級崩壊】、、、。私が公立学校の教壇に立ったときによく耳にした言葉、、、【学級経営に失敗】、、、、。どんな仕事でも、どんな組織でも【崩壊】しては、【経営に失敗】してはもう終わりです。なのに【崩壊】しても【経営に失敗】しても、存続させるとこが可能なのが【学級】であり【授業】なのです!こんななぞなぞはどうですか?『【崩壊】しても【経営に失敗】しても、続けていけるものってな~んだ?』『学級!』『ピンポ~ン!』、、、、笑えないですね、、、、。もう学級や授業を崩壊させた先生は、クビにするべきです!そんなんプロではないです!!これを言うと先生という人種の多くは「プロではありません。」と逃げを打ちます。違うよ!お金をもらっている限りは『プロ』なんです。そんな意識もない人間がなんで『先生』なのか、もう意味が分かりません。そういう連中は、犯罪教師と同じく、自ら職を辞するべきです。では、【学級崩壊】はなぜ起こるのでしょう?それはズバリ《教師の人間力不足》です。生徒達や保護者の皆さんと『人間』として範を示せる!生き方で説得できる!そんな人間しか『先生』と呼ばれてはいけないのです。それまでの人生で、勉強やスポーツ等を通して『人間力』を鍛えてこなかった人間は『先生』であってはいけないのです。私も教員採用試験を受けた経験がありますが、あんなものでは『人間力』は計れません。そもそも試験する側にも『人間力』があるとも思えません!『人間力』の無い者が人間を育てられる訳がないことに、早く気付く勇気を持ちなさい。自分で見て見ぬふりをしていては、生徒達が不幸です!
2010.11.11
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本日も多くのニュースがありましたが、、、、やはり私が気になるのは、小学生女子児童の自殺問題です。皆さん見ました?あの件に関する学校長を教育委員会の対応を!学校長の対応の変化は1:いじめは無かったと発言2:いじめはあったと発言3:しかし今回の自殺といじめは直接関係があるとは言えないと発言教育委員会の教育委員長はいじめと自殺の因果関係はない!とカメラの前で言って、後の質問には答えず退席!毎回言いますが、勿論粉骨砕身で子供たちのために日々戦っている先生もいます。ただ、やはり今回の校長と教育委員会の対応が、今の学校教育の実情です。本当に情けない連中です。校長と教育長よ!では、何が原因であの女の子は母にプレゼントしようと編んでいたマフラーで首を吊ったのか明確にしろよ!!どちらも教育のプロだろ。いじめを受ける子供達の心の中の傷の深さより、もっと深い傷を負うような何かがあったんやな。それは何や!私には分からん!私も教育のプロやけで分からんぞ!どう考えてもいじめが原因の自殺としか思えんぞ!いじめた子供たちも責任取れよ!人をいじめるってことは、そういうことや!大人たちよ、そこも追及しろよ!勿論、いじめていた子供達の保護者も責任取れよ!更に、学級崩壊させていた担任も責任とれよ!「学級崩壊していたんです」って言われて「ほな、しゃーないわ」とはならへんゾ!「学級崩壊」っていうことは、最低限の仕事ができてないってことや。病院なら診察できない。ラーメン屋ならラーメンが作れない。俳優なら芝居ができない。小説家なら文章が書けない、、、そんな状態と何も変わらんぞ。そんな病院もラーメン屋も俳優も小説家も、仕事ができないなら収入がないので、自然淘汰されていくんや!なんで教員は仕事しなくても自然淘汰されないんや!されないシステムだったら(まあそうなんやけど)、人間なら潔く自分自身を淘汰せなアカンやろ!!なんでその正義心や良識が無いんや!正義心も良識もない人間が、なんで『先生』と呼ばれる職業に就くんや!せめて、せめて、あの女の子の死が無駄にならないように、人としての正常な判断力のない、校長・担任・いじめをしていたクラスの生徒・その保護者、そしてだれよりも私はあの憎むべき教育委員長を二度と大きな顔をして人前に出られないようにできないものでしょうか?今後の展開を見つめていきたいですが、、、納得のいくものは期待できないでしょうな!皆さん、学校や教育委員会というものは、もう必要ないと思いませんか?
2010.11.10
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本来の【ゆとり教育】とは、この『余裕をもつ』『遊び心をもつ』という要素を勉強に取り入れることではないのでしょうか?それをただ「週休2日制にする」「授業時間を減らす」「生徒に勉強を強要しない」「生徒にしたい放題させる」「教員の権限を奪う」「教員を育成しない」ということではないはずだったのではないのでしょうか?ここをはき違えなければ、今の日本はもっとましになっていたと思います。昨日も、今日も、あきれる若者に出会いました。完全にゆとり教育世代です。もう、人間として呆れてモノが言えませんでした、、、まぁ、それでもきっちりモノは言っておきましたが、、、、なんだか、寂しいというか虚しかったです。例えば昨日の小学生女子児童の自殺事件の顛末をしっていますか?学級ではいじめ放題、教師は「学級崩壊してました」といえば、なんでもアリ!児童が自殺をしても、いじめはあったが自殺の直接原因とは特定できないと言い切る校長!なんで【いじめをしてはいけない理由】をしっかり児童・生徒に徹底できないのでしょうね。そんなことをできない人間が教壇に立ってはいけないし、立たせてはいけないのです。その教員を採用した人間にも責任はあります。なんで【いじめをしてはいけない理由】をしっかり自分の子供に徹底できないのでしょうね。そのクラスのいじめをしていた児童の親にも責任があります。しかし、教師・校長もある程度の期間が過ぎれば、知らない顔をして生きていけます。いじめをした児童も保護者も、ある程度の期間が過ぎれば、知らない顔をして生きていけます。こんなことが【ゆとり教育】なんですね。呆れた国です!こんなことを言うのも何ですが、保護者の皆さん!もし、あなたのお子さんがいじめを受けていて学校側が何も行動をしてくれない場合は、転校させるか学校に通わせない道を選択してください。学校なんか通わなくても、勉強のできる児童・生徒はいっぱいいますよ。
2010.11.09
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勿論、必死で努力して成績をあげることが基本です!『勉学に王道なし!』です。近道や裏技なんかをアテにしているようでは、話になりません。また、言葉や要領でなんとかごまかしていけると思う人間も浅はかの極みです。しかしその過程に『遊び心』という要素が加われば、想像以上の効果が得られる場合があるのです。以前、ある学校のあるクラスで、英語に熱心な女子生徒が2人いました。学期末に成績をつけるのですが、そのクラスは人数の関係で「5」の成績をつけることが可能な人数は1名でした。よっぽどのことが無い限り2人に「5」をつけられる状況ではありませんでした。その2人はどちらも劣らず授業中は勿論、家でも勉強をしています。しかし成績表に「5」がつくのはいつも決まっていました。仮にAさんとします。Aさんは純粋に英語学習を楽しんでいました。彼女は『英語を楽しむこと』が目的だったのです。もう一人のBさんは、『いい成績を取ることが目的』でした。BさんはAさんの成績を上回ることはありませんでした。ほんの1例かもしれません。このケースは偶然かも知れません。しかし私の知る限り、このようなケースはとても多いのです。勉強だけでなく、バイクでもこのようなケースは決して少なくありません。「勉強はいやだ」「ごの教科は嫌いだ」と思わずに、1度「どうせ分からないから!」と開き直って、肩の力を抜いて、『遊び気分』で教科書を、参考書を、問題集を開いてみてはいかがでしょう?
2010.11.08
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今日は雨の中のライディング・スクールでした。バイクを教えながら、高校受験の中学生に授業をしている私ですが、この2つに共通したものがあります。それは、、、『向上心のある者が伸びる』ということ!『あれこれ試してみる好奇心(ある意味遊び心)がある』ということ!なんです。バイクで言えば『これが私の乗り方!』と決めてしまっている人は、それ以上伸びないことが多いです。特に一般公道を走ることを想定した安全運転競技では、臨機応変さが求められます。「この交差点はこの曲がり方!」なんて決めてしまえば、想定外の出来事に直面したときに回避できない可能性が高くなったりします。勉強もそうです。【いろいろ試してみる余裕】というか【遊び心】が理解力を高めることが多いのです。例えば、最近話題にしていた数学の計算問題です。ある式を解いて、正解までたどり着いたとします。「他に解き方がないかな」と模索してみるのです。他の解き方で正解までたどり着ければ、どちらの解き方が効率的かを考えるのです。他の解き方で正解までたどりつけなかったら、どこの部分が間違えているのかをとことん考えるのです。結構そこに、勘違いや弱点が隠れていたりします。「勉強」といえば、「成績」と思ってしまうのは仕方ないかもしれませんが、一度「勉強」に対する見方や考え方を変えてみて、【遊び心】やいい意味での【ゲーム感覚】で接してみてはいかがでしょうか?試してみる価値はありますよ!
2010.11.07
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数学が専門の先生に言わせれば『当たり前のことをいちいち言うな!』と叱られるかもしれませんが、数学が専門でない私が数学を教えていて、【数学を理解すること】=【論理的に物事を考えること】だと痛感するのです。これはかなり学習を進めていく上で、人間として生きていく上で、非常に大切な要素だとも痛感します。しかしつくづく不思議なのは、数学が専門なのにまったく論理的に物事を考えられない先生方がおられる事実でもあります。とにかく何から何まで「自分目線」でしか物事を考えられないというか、周りが見えていないというか、、、。「何のために数学を学んできたんやろ?」と思うことがあります。自己満足のためか、あるいは「自分はこれだけ知っている」という自慢のためとしか考えられません。話がそれてしまったので、本題に戻します。英語が専門の私ですが、ここ数年は国語の文章問題を解く授業が一番成績を向上させられるようになりました。でも、国語の読解と数学の能力ってどこか共通したものがあるような気がしています。数学の論理的に物事を考える能力と、文章から人の気持ちを読み取る能力が両方備われば、思わぬ成績向上が見られることが多いのです。
2010.11.06
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まだ【計算問題】克服の話が続きます。数学に限らず、どの教科でもどの単元でも、とにかく『苦手な人ほど答えを急ぐ』という傾向が目立ちます。『ゆっくり考える』『時間をかけることを惜しまない』『時間がかかることに焦らない』といったことが重要です。そして答え合わせをしても、○×をつけるだけでは意味がありません。間違えた問題はどの計算段階でミスがあったのかを徹底的に調べあげます。その作業を疎かにしないことも重要となります。私がよく生徒に伝えることに『間違えた問題が成績を上げてくれる』というのがあります。間違えた問題を徹底分析して、次に間違えないようにする!これの繰り返しが実力をつけてくれます。そして更に『検算』をしてみる!というのも効果的ですよ。以前にも申し上げましたが、今日勉強を始めたからといって明日成績があがるということは有り得ません。真剣にじっくり勉強を始めたら、成績が上がってくるのは早くて3ヶ月後だと覚悟を決めて、気長にじっくり、腰を据えて、取り組んでください!!
2010.11.05
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中3生しか募集しない我が教室では、数学はまず4月に徹底的に計算問題を鍛えます。小学校、中1~2年までの内容です。でも中3数学の最初は、新単元の計算問題が学校で始まります。ですから、復習は塾で!新単元は学校で学習させます。私も学校の教壇に立っていた経験があるのですが、塾での学習が学校での授業の様々な効果を打ち消してしまうことがあるのです。詳しくはまた別のテーマで紹介しますが、これは厳然としてあります。私の方針は【学校の授業を真面目に受けない者は塾にくる資格が無い】です。話を戻します。学校で新単元、塾で復習単元の計算問題を同時進行でおこなうことが、意外と効果を生みます。一番の効果は、生徒の頭の中でお互いの授業がリンクして、新単元の基礎を学んだだけでいきなり応用問題が解けたり、復習単元で克服した苦手な計算パートをいきなり新単元の新しい計算問題の中に出てきても解けたりするのです。特にこの現象は分数や小数で顕著に現れます。中3の夏休みまでに、この過程を経ておくのとないのでは、その後の中3数学の次々に出現する新単元に対応できるかできないないかを大きく左右するのです。という訳で、数学が苦手な人は【とにかく計算!】です。
2010.11.04
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この【等式の変形】をマスターするのとしないのでは、数学全体の成績にかなり影響します。例えば、関数です。比例・反比例・1次関数・2次関数、すべての基本式に問題で明らかになっている数値も当てはめて、残りの数値を求める!これには【等式の変形】が必要不可欠です。例えば、時間・距離・速度の問題です。《時間×速さ=距離》の基本式を覚えていれば、あとは《速度》を求めたかったら、【等式の変形】を用いて式を立てることもできます。まぁ、「それくらい暗記しとけや!」とツッコまれそうですが、ふと忘れたときなんかに役立ったりします。これは理科の《オームの法則》なんかでも使えます。なにより【等式の変形】をマスターすれば、数学の基本的な計算技術がマスターできるといっても過言でないのです。計算問題単元では、忘れられがちだったり、地味な印象のある【等式の変形】ですが、私が数学の授業をし出してから結構重要なポイントとなっています。
2010.11.03
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では、数学が苦手な人の計算パートの盲点、中学範囲編です。まずは《正負の数の概念と正確な計算》です。その次は、《文字式と方程式の違い》を理解する事。で、はやりここでも重要なのは、文字式や方程式になっても、分数・小数の計算を確実に正解にすることが求められるということです。文字式や方程式に分数や小数が含まれていたら、もう戦意を喪失してしまう生徒さんの多い事多い事!!ここでしっかり『分数とは何か!』『小数とは何か!』を理解しておく必要がありますね。そして最後は【等式の変形】が確実にできること!!です。この【等式の変形】ができるかできないかは、かなり実力テストの成績を左右する要素だったちします。しかも、【等式の変形】を確実にマスターするには、今までの計算問題の全知識が必要なのです。逃げないで、目を背けないで、焦らないで、しっかり取り組んでもらいたい単元です。
2010.11.02
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あと、小学校算数の単元でいえば、【割合や百分率を小数にかえる】【「45分」は何時間かを分数で表せる】技術が必要ですね。なかには正直、九九が怪しい中学生もいますよ!心当たりのある人は、勇気を持って《今》できるように、しっかり暗記しましょう!!しかし、中学生になって小学校の算数を復習するなんて、、、と悲観的になってはいけません。《振り返る勇気》があたなの成績を上げてくれます。「中学生なのに」「高校生なのに」なんていう、無駄なプライドはさっさと捨てましょう。『自分に厳しくあること!』が求められます。これは勉強だけに関わらず、人生全般に必要な要素です。《自分の苦手》をしっかり見つめる。《自分の苦手》に言い訳をしない。そして《自分の苦手》と前向きに向き合い、楽天的につきあい、「今日」ではなく「いつか」克服するのです、、、、、もしかしたら「今日」かもしれませんけど!それと、保護者の皆さん!「そんなことも分からないとは、情けない」なんて思わないで下さい。学校週休2日制が導入されてから、信じられないくらい1年間の授業時間が減っています。まずはそれが大きな原因です。しっかり復習と努力をして、なおかつ「できない」とか「勉強の仕方が分からない」とか言い訳をしだしたら、バシッと叱ってやってください。
2010.11.01
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