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「ルールを守らない人間」の17回目です。《話の争点を変える ~あるテレビでの話2~》前回の続きです。最初にわざと書きませんでしたが、駐車違反車両の運転手に注意を促しているおじさんには理由がありました。実はその十年ほど前に、おじさんの息子さんがその駐車違反車両の多い通りで交通事故に遭い、不幸にも亡くなってしまっていたのです。その事故原因はあまりにも多い駐車違反車両で、おじさんの息子さんも事故を起こしてしまった車両の運転手も、お互いの存在を確認できなかったことが原因だったのです。駐車違反車両さえいなければ、息子は死なないですんだ…息子さんを亡くした悲しみで泣き暮らしたおじさんは「泣いていても仕方がない」「自分と同じ悲しい思いをする人を無くそう」と決心して、暇さえあればその通りに立って駐車違反車両が無くなるように注意を促し続けていたのです。雨の日も風の日も、夏の暑い日も冬の寒い日も、おじさんは時間の許す限り呼びかけていたのです。「すみません。ここは駐車禁止の場所なので、車を移動させてください。」と…そんなおじさんの願いも悲しみも知らずに、前回紹介した駐車違反の男はあの態度をとったのです。勿論、駐車違反の男はおじさんの事情なんて知る由はないでしょう。だからです。だからこそ見ず知らずの人が自分に注意をしてくれることに感謝して対応しなければならないのです。でも、その状況で感謝の気持ちを持つことはときには難しい場合もあるでしょう。しかし、自分に非があるのなら、素直に認めて改善をする!この勇気と潔さを持ちましょう。だれでもない、まずは自分から持ちましょう。あの駐車違反の男は、おじさんの子供さんの事実を知っても同じ態度をとったのでしょうか?同じ子供をもつ親として、おじさんの気持ちは理解できないのでしょうか?おじさんの行動は広い意味では駐車違反の男の子供の安全を守っていることに繋がることを理解できないのでしょうか?【ルール・マナーを守らない人間】は、【人の気持ちを理解できない人間】なのです。【ルール・マナーを守らない人間】は、【自分さえよければいい人間】なのです。そんな人間をゆるさない気持ちを持つ人々が、少しでも増えていく事を願います。大人である我々は子供たちに、その気持ちを持つ重要性を行動で示していかなければなりません。それが責務であり、それが教育でもあるのです。何も教科の学習を教えることだけが教育ではありません。『全ての大人達よ!教育者たれ!』と声を大にして叫びたいです。児童・生徒諸君も、この話や今までの話をよく思い出して…人としてどういう生き方が正しい生き方か!それをしっかり考えながら日々を過ごしてください!今あなたが考えていることや行っている行動が、将来のあなたがどんな大人になるのかを決めます。ですから今・今日の一日の1つ1つの言動を大切にしてください。皆さんの将来に・将来の皆さんに、大いに期待しております!!
2010.05.31
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「ルールを守らない人間」の16回目です。《話の争点を変える ~あるテレビでの話1~》ルールを守らない人間・守ろうとしない人間が何かの注意を受けたときに《話の争点を変える》ことで、注意自体をはぐらかす実例を挙げてきましたが、ひとまずあと数回で最後にしたいと思います。やはり書いていて、情けなくなりますので…では、ひとまずの最後に、数年前テレビで見た話を紹介します。皆さんはどう感じられるでしょうか?ある街に違法駐車をしている車両が多い通りがありました。その通りで1人のおじさんが違法駐車をするドライバーに「ここに駐車しないでください。」と毎日呼びかけていました。そのおじさんは警察官でも何でもありません。ただの近所のおじさんなのです。テレビ画面内ではそのおじさんに注意を受けて「すみません。」と言ってすぐに車を移動させる人もいましたが、そうでない人もいました。そうこうしていると、おじさんが立っている場所から少し離れたところに大型のワンボックスカーが停まりました。もちろんそこは駐車禁止の場所です。おじさんがその車に近づいていくと運転手の男性が降りてきました。おじさんが声をかけます。「すみません。ここは駐車禁止の場所なので、車を移動させてください。」その言葉を聞いて、運転手の男性がこたえます。「何じゃお前は?警察官か?違うやろ? 何の権限があって俺にそんな注意するんや!」おじさんに顔を近づけて、声高にそういいました。おじさんは答えます。「確かにわしは警察官と違うけど、車を違う場所に移動させてくれんかなぁ?」運転手が続けます。「ほな何か? お前は俺の子供にメシ食うな言うんか?」この話題の急変換・《話の争点を変える》流れに、おじさんが思わず「え?」といって少し困惑の表情をみせて怯(ひる)んでしまいます。《話の争点》は『車を停める場所について』であるはずなのに『子供に食事をさせるかさせないか』にスリ変えられたのです。運転手はさらに続けます。「子供があそこの中華料理屋で飯食いたい言うとるんや! うちの子供に飯食わすな言いよるんか?」おじさんが答えます。「いや、子供さんには食事をして欲しいけど…」ここで運転手がおじさんの言葉を遮って、「ほなここに車停めな食事できへんやんけ!ガタガタ言うな!」そういい残して運転手は背中をおじさんに向けて中華料理屋に歩いていきます。それでもおじさんは運転手に向かって言います。「次からここに駐車せんどいてもらえんかな?」運転手から反ってきた最後の言葉は「じゃかましいわ!」でした。…皆さん、この話をどう思われますか?
2010.05.30
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「ルールを守らない人間」の15回目です。《話の争点を変える 『だれにモノを言ってるの?』》今も昔もこの台詞を言う人間も多いです。最近はこれも低年齢化をしているので困ったものです。例えば以前あるファミリーレストランの禁煙席エリアで食事をしていたら、平気で携帯灰皿を用いて喫煙している人がいました。私が「ここは禁煙席ですよ。」と言ったら、返ってきた言葉が「はぁ?だれにモノ言うてんねん!」でした。間違えても、ここで本気で「どちらさんだったかな?」と考えたり、「この人だけはここで喫煙していいのかな」と考えたりしてはいけません。すでに相手の《話の争点を変える》作戦に陥ってしまっています。私が返した返事はこうです。「だれであっても禁煙席での喫煙は認められないから、今すぐ煙草の火を消すか席を移動するかしなさい!」【だれであってもダメなものはダメ】ということを忘れずに対応しなければなりません。同様なパターンで『俺がだれか知ってるのか?』という人もいます。対応は同じですよ。【だれであってもダメなものはダメ】です。またこのパターンの台詞を言う人間に限って、全く有名人でないのが不思議です。有名人気取りというか、自意識過剰というか…しかも、どこのだれならルール・マナー違反をしていいのでしょうかね?甚だ理解に苦しみます。また、『俺がだれか知ってるのか?』の後に『俺が一声かければ何人の兵隊が集まると思うてるねん!』と続ける人もいます。兵隊? その人は軍隊を動かせるのでしょうか? でも日本には軍隊はありません。では私設軍隊なのでしょうか?まぁ、兵隊が来ようが来るまいが【だれであってもダメなものはダメ】ですから、その台詞に惑わされないでください。ちなみに私はこれまでこの台詞をいう人に実際に兵隊を呼んでもらったことがありますが、兵隊はおろか、友達すら来なかったのが事実です。おそらく、そういう台詞を言えば、相手が引いてくれるとでも思っているのでしょう。我々はそういった人間の「だれに言っているのか」や「だれだと思っているのか」等の根拠のない脅しに近い台詞に惑わされてはいけないのです。我々大人がこういった台詞に屈してしまう姿を子供たちに見せてしまうと、ときには[ゴネた者勝ち]の意識を植え付けてしまう危険性もあります。だた、身の危険を冒してまでそんな人たちを関わることはありません。直接その場でその人に注意しなくとも、後であれはいけないことだとお子さんや生徒たちに教えてあげてください。あるいは、あの人を見てどう感じたかを問いかけてあげて下さい。よく思うのですが、学校の道徳の時間に実際に街中に出て「ルール・マナーを守らない大人を見つけよう」なんて授業をしてみてはいかがでしょう?で、学校に戻って「その人のルール・マナー違反が、どんな人たちにどんな迷惑をかけているか」を考えてもらうとか…またはそのルール・マナー違反をしている人に、実際に「なぜこんなとことをするのですか?」なんてインタビューをするっていうのもいいかも知れません。子供たちの道徳心を養ういい機会になるし、街の浄化にもなるし、一石二鳥だと思うのですが… やっぱりダメですよね…いろいろ問題点が多すぎますからね…。
2010.05.28
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「ルールを守らない人間」の14回目です。《話の争点を変える ~嘘をついたらセーフ論~》これも最近は多いです!!何かを注意されたら、その事実があったか無かったかに話を持っていくことで話の争点を変えるパターンです。中には先生や大人の責任問題にまで言及する子供や生徒や若者すらいます。例えば私の場合、二輪の指導をするときに未成年の煙草所持を発見する事があります。未成年であることは書類で確認済み。ジャケットの胸ポケットに開封済みの煙草を確認。そこで、未成年で煙草を所持していることを注意すると…以前であればほとんどの若者は「すみません」と謝ることが多かったのですが、最近は様子が違います。ほとんどの若者が「持っていない。」と嘘をつきます。そこで私が「では胸のポケットを調べさせてもらう。」と言うと、返ってくる言葉はだいたい決まっています。「煙草が無かったらどうするの?」です!皆さんなら、どう対応しますか?間違えても「本当に無かったらどうしよう。」とか「問題が大きくなったらどうしよう。」なんて考えて気持ちで引き下がってはいけません!『ルールを守らなくても、強気で出たらこちらが勝つ。』『嘘はついた者勝ち』なんて思われます。そんな経験をした若者がろくな大人になる訳がありません。そんなろくでもない大人が増えて、世の中がよくなる訳がありません。そんなろくでもない若者が親になり、モンスターペアレントになるのです。そんなろくでもない大人を親を持った子供は不幸です。話を戻します。若者は「胸のポケットを調べて煙草が出てこなかったらどうするの?」と言ってきたときの話です。私の返事はこうです。「あなたは未成年なので煙草が出てこなくて当然です。何も起こらないし、どうもしません。もしそれで傷ついたというのなら訴えてください。でももし煙草がでてきたら逆に私が訴えてもいいですね。私は先ほどあなたの胸のポケットの煙草を目撃していますよ!」といった感じです。このときに煙草の銘柄まで言えたら更に説得力があります。ここで我々が忘れてはいけないのが、『煙草を持っていなくて当然』『嘘つき得は許さない』という点です。もう1つ多いのは『未成年の喫煙はいけないことを知らなかった』と、とぼけるパターンです。これの攻略法は簡単です。【未成年の喫煙は法律で禁止されている】のです。「法律を知らないことは、それ自体が罪です。だから知りませんでしたでは許されません」と教えてやってください。というわけで、【嘘をついた者勝ち】【とぼけた者勝ち】の体験を子供たちにさせないことが、我々大人の責務であります。またこれを読んでいる生徒・若者諸君も【嘘をついた者勝ち】【とぼけた者勝ち】と考えるような、ろくでもない大人には絶対ならないように決意してください!
2010.05.27
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「ルールを守らない人間」の13回目です。《話の争点を変える ~言葉や行動の意味を知らずに変な方向から攻める~》今までは、こちらの言葉に対して《話の争点を変えること》で自らの非や責任の所在をあやふやにしてすまう人達の言動パターンとその対処法について考えてきました。しかし中には、その言葉や行動の意味を知らずに、いきなり変な方向からの話で攻めてくる人達・わけの分からない人達もいます。一瞬呆れて物が言えなくなります。また一瞬「どこから説明したらええねん」と気が遠くなり、好きにさせてそれで喜ぶならいいか!という考えが頭をよぎることも事実です。でもそこで少しでも引いてしまえば、様々な意味でその後はそのわけの分からない人達のやりたい放題・言いたい放題の時代が、その学校にその地域にやってきます。それは暗黒時代です。例えば以前このような事例がありました。ある日ある小学校に1人の保護者が来て、「校長に抗議したいことがある」と言ったのです。その保護者の抗議の内容はと言いますと…給食を食べる前に「いただきます」と言うのはおかしい!その「いただきます」はだれに言っているのか?給食費は保護者が払っているから、言うのであれば保護者に言うべき言葉である。その保護者がいない教室で「いただきます」というのはおかしい!…という内容だったらしいのです。みなさんはこの保護者の抗議をどう思いますか?この保護者は「いただきます」という言葉の意味を知らないのです。「いただきます」は誰に言う言葉なのか?1:我々は【命】を食べています。【命】をいただいているのです。動物は勿論、植物にも命があります。その【命】に感謝して「いただきます」と言うのです。2:我々が食べるものは、誰かのお世話になって我々の口に入るのです。例えば肉です。畜産農家の方から始まり、どれほどの人達の手を介しているでしょうか?その人達にはそれぞれの専門知識があり、食に携わる職に就いている誇りがあり、それを食べるであろう顔も知らない人たちへの気配りがあり… 挙げればきりがありませんが、それら全てに感謝して「いただきます」と言います。3:自分で働いて収入のない人たちは、誰かのお金でその食べ物を用意してもらっています。その人の気持ちに対して「いただきます」といいます。この保護者はこんなことを知らないのでしょうか?こんなことも知らないで、親になったのでしょうか?呆れるというか、情けないというか…上記の 3 のことだけをその保護者が言っているのなら、その人がいない所であっても感謝の気持ちを表すことがいけないなどという理屈が通るのでしょうか?しかしこの学校の対応も考えられないものでした!その保護者の抗議を聞き入れて、その小学校では「いただきます」を言わなくなったのです!なぜこの学校はその保護者と戦わなかったのでしょう?やはり問題を起したくないという保身でしょうか?もしくは、そんな保護者を相手にする時間と労力が惜しいので、思うような状態を作ることで回避しようとしたのでしょうか?学校側が打ち出した方針に対して、常識のある保護者達は、子供達はどう感じたのでしょうか?この出来事はその学校の子供たちの将来に、どのような影響を与えたのでしょうか?わけの分からないことを言ってくる連中には、常識豊かな知識で対応する!たとえどれだけ時間がかかっても、常識力で一歩も引かずに対応する!間違えても「常識から外れたことでも、強気で言えば相手が折れて自分の言い分が通るから、何でも言った者が勝ち」と子供に思わせてはならないのです。
2010.05.26
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今日は雨の日曜日でした。二輪指導も予定より早く終わったので、探していた本もあるからと古本屋に行きました。マンガのコーナーも回ってみたら「ホームレス中学生」のマンガ版がありました。だいたいの内容は知っていたので、今まで本を読んだことも映画やドラマ版も見たことはありませんでした。私はああいう話には弱いので、思い出しては何回も泣くであろうからわざとパスしていました。で、マンガ版を手にとってぱらぱらページをめくると、絵が本当に一昔前のギャグマンガっぽい感じで、「ギャグマンガっぽいノリやったら読めるかな」と思い立ち読みさせてもらいました。ところがどっこい内容はやはりハードなもので、そのうち涙をボロボロこぼしながら人目もはばからず読んでしまいました。あの作品は我々が考えるべき点が、考えさせられる点がたくさんありますね。また一度その内容について触れたいと思います。ホンマに久しぶりに泣きました。、、、本来ブログってこんな感じで進めるものなんですよね、、、
2010.05.23
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《話の争点を変える ~『~する権利がある』権利主張者論~その2》学習塾にしても学校にしても、忘れてはいけないのに実際忘れられがちな存在であるのが【保護者】の皆さんの存在です。【保護者】の皆さんは何を望んでお金を出して子供を学習塾に通わせてくれているのか?【保護者】の皆さんは何を望んで子供を学校に通わせているのか?…そこが明確になれば、前回の私の問に対する答えの方向が見えるはずなのです。ここまで読んで「そんなこと分かっている!」と思っている先生!「分かっている」のは当然ですよ。自慢にも何にもなりません。ここで問いたいのは『どこまで自分に厳しくそれを意識して日々教壇に立っていますか?』ということです。自分に甘い目を向けて、自分に都合のいい言い訳を後から用意して正当化して、いざとなると訳の分からないどこかの本で読んだ教育理論を持ち出して、…結局は現実を見ない先生には実行できていないのですよ。あるいは実行の重要性すら認識できないでしょうね!もう一度いいますが、ここまで読んで「そんなこと分かっている!」と思っている先生!あなたは厳しい目を持たず厳しい現実が見えていませんよ。さて、話を本題に戻します。学習塾で先生に注意を受けて、「お金を払っているのはこちらだ。こちらは客だ。客の方の要請に応じないのか!」という生徒には、1:お金を払っているのは生徒ではなくて生徒の親であること。2:その生徒の親は生徒が授業中に私語をすることを求めているのではなく、まじめに受けることのどちらを求めていること。の2点を言い聞かせる必要があります!学校の先生でも、「学校は生徒のためにある。なのになぜ生徒のしたいことをさせないのだ」と言う生徒には、1:学校は生徒を教育するためにある。2:教育とは勉強等を通して[人としての正しい生き方を学ぶこと]であるという事もできる。それに反する行為は許されない。の2点を言い聞かせる必要があります!
2010.05.23
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「ルールを守らない人間」の11回目です。《話の争点を変える ~『~する権利がある』権利主張者論~》何かを注意したとき[権利]を主張して、話の争点を権利論にするかえる人間も多いです。まぁその多くは「自由にする権利がある」という場合が多いので、前回の「私の自由」「私の勝手」と主張する場合と同じ事が言えますが…しかし皆さん、誰かに何かを注意したとき「~する権利がある」と主張された場合は冷静に考えてください。この言葉を吐く人間に限って[権利]の前に存在する[義務]を行使していませんから!以前、講師数確保が難しいとある学習塾に期間限定で授業をしにいったときことです。授業中にひどく私語をする男子生徒がいました。静かにするように注意すると返ってきた返事が、「自分にはしゃべる権利がある。先生だってしゃべっている。自分が静かにするなら先生も静かにするべきだ。」という内容でした。このパターンでは、私はいつも[権利]の前に存在する[義務]の話をします。先生としての私の[義務]は、生徒のみんなに授業をすることであり言葉を発して説明するのが一番効率のよい手段の一つであること。生徒としての君の[義務]は、先生の授業をちゃんと受けて学習内容を理解し成績をあげること。つまり、私はしゃべる立場であり君は静かにそれを聞く立場であるから[しゃべる権利]は君にはない…と言いました。だいたいはここで話は終わるのですが、この生徒は言葉を続けました。「お金を払っているのはこちらだ。こちらは客だ。客の方の要請に応じないのか!」さぁ、これを読んでいる先生方! あなたならどう答えますか?塾の先生だけではありません。学校の先生でも、「学校は生徒のためにある。なのになぜ生徒のしたいことをさせないのだ」と言われる場合と似ていますよ。
2010.05.22
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「ルールを守らない人間」の10回目です。では今回はいきなり始めます!」《話の争点を変える ~『私の勝手』『私の自由』~》前回にも少し触れましたが、「~しても自分の勝手」「~しても自分の自由」という台詞で《話の争点を変える》パターンについて!です。結論からいうと、全くの[自由]というのは有り得ないのです!私の言葉でいうと「決められた範囲内での自由」しか存在しないのです。例えば原動機付自転車です。特に最高時速の指定の無い道路では、時速30kmまでならスピードを出して構いません。それはある意味、時速1km~30kmの範囲内の速度であれば時速何kmで走行しても運転者の[自由]だと言い換えることができるでしょう。しかし時速31kmを超える速度になると、それはもう[自由]ではなくなり道路交通法違反になってしまいます。つまり「時速何キロで走っても勝手だ・自由だ」という言い訳は通用しないのです。…以前あるおまわりさんに、速度違反をしておいてこう言う人もいると聞きました。信じがたい話です。…例えば授業中の態度です。先生の授業の進行を妨害しない範囲、周りの友人が授業を受ける事に迷惑をかけない範囲、自分自身が授業に集中できる範囲、公共の場でのマナーを守る範囲での行動が求められていると言えるでしょう。つまり授業中の私語等を注意されて「俺の勝手」「私の自由」という理屈は通用しないのです。なのに近年、授業中の私語等を注意された生徒が「俺の自由」「私の自由」という言葉を吐く現実は一体何なんでしょう?完全に私見ですが、[ゆとり教育]が叫ばれてからこの言葉をよく耳にするようになりましたよね!「俺の自由」「私の自由」と言い続けてきた年代が、今では親になっています。もちろんその子供も親の姿を見て育っているので、ある年代になると同じく「俺の自由」「私の自由」と言いだす可能性は非常に高いのです。またその風潮にいい歳をした大人が乗っかり出して、「自由だ」「勝手だ」と言って好き放題の行動をしている事例まで多く見受けられます。世の中完全な「自由」や「勝手」は存在しません!!存在するとしたら、無人島で一人で暮らすしかありません!!!もしかしたら、無人島には無人島のルール(大自然のルール)があるからそれも望めないかも知れませんよ。ルール・マナー・規則・法律の中で許される範囲での自由しか許されません。周りの人に迷惑や不快感を与えない範囲での自由しか許されません。今一度それを肝に命じ直す時期がきているのではないでしょうか?
2010.05.19
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「ルールを守らない人間」の9回目です。今回もまだルールを守らない人間が注意を受けたときにどのように【話の争点を変えていく】のかを検証しましょう。早くこのシリーズを終えたいですが…前々回の結婚式に出席したときのような内容が本来のブログだと、ある知り合いが個人的にメールをくれました。確かにそのようですね。一日も早くそうなれるようにがんばりますね!《話の争点を変える ~『~してるだけです!』不審者論理編~》一見前回の『何が悪いの?』に似ているように思えますが、この言葉を発する人間は私の経験では【不審者】である場合が圧倒的に多いです。たとえば、以前勤めていた塾の教室付近に出た不審者です。ある小学生の授業が終わるころに必ずその教室の前を行ったり来たりとウロウロしているのです。女子児童たち曰く「あのおじさん、目が変!」「怖い!」。あまりに毎回出没し児童たちをジロジロ見るので、私は直接声をかけました。「いつもこの時間になると教室前をウロウロしているようですが、何をされているのですか?」返ってきた返事は、「散歩しているだけだ!」でした。私は、「女子生徒があなたのことを怖がっています。散歩ならコースか時間帯を変えてください。しかもこの建物も周りばかりを散歩するのはおかしい!女子生徒が怖がっているだけでも十分あなたは[不審者]ですし、営業妨害です。二度とこの時間にこの場所に現れないでください。次は警察に通報しますから」と言って丁重にお引取りいただきました。次はある塾の夏のキャンプの引率に同行したときのことです。海水浴場で泳いでいる生徒達を浜辺から監視(実際は荷物番)していると、明らかに女子生徒にカメラのファインダーを向けている人物がいました。ただ、たまに生徒が私に「先生も泳ごうよ!」なんて声をかけてくれるもので、その人物は私が引率者であることを意識し、たまにこれ見よがしに空や山にファインダーを向ける動作も見せました。そうこうしていると、一人の女子生徒がカバンの中に忘れた水中眼鏡を取りに私のところにきたので、彼女に手鏡を借りて砂浜に置き、本を読んでいるふりをしてはその鏡に不審者を捕らえて監視しました。案の定その人物は女子生徒達にカメラを向けています。しばらくして声をかけました。「さっきから何を撮ってるの?」返ってくる返事は、「風景を撮影しているだけだ!」でした。その人物のカメラの当時としてはまだ珍しい一眼レフのデジタルカメラだったので、「では画像をチェックさせてくれ」と言いました。返事は予想通り、「もし画像をチェックして生徒の画像が出てこなかったら訴える」でした。その時点では、まだ私は「何を撮っているの?」と聞いたのであって「女子生徒を撮っただろ?」とは言ってないのに…哀れな人間です…。私は「その場合は名誉毀損でも何でも訴えてくれ。ただ女子生徒の画像があったらそのときはこっちが訴えるけど覚悟あるか」と詰め寄って勝負がつきました。強制的にカメラの画像を全消去させて、二度と我々の視界に入らないように勧告して帰らせました。本人たちは「~しているだけ」かも知れませんが、その行為で他人を怖がらせたり不愉快な思いをさせていいことなんか有り得ません。「~しているだけ」という連中は、「~しても自分の勝手」「~しても自分の自由」だということをアピールしたいのです。児童や生徒に怖いと思わせておいて[自由]だなんて理屈が通るわけがありません。そんな理屈に言い負かされていてはいけないのです! 確かに憲法では様々な[自由]が規定されていますが、その全ては[公共の福祉に反しない限りの自由]なのです。中学校の社会科の先生は公民の授業でこの部分をしっかり教えてください。ただ通常公民は中学3年にならないと学習しないので、たとえ中学3年生になる以前であったとしても、『ことある毎』にこのことを教えていく必要性があります。ちなみに私はこの[公共の福祉に反しない限りの自由]のことを、【ルール・マナー・規則・法律の中で許される範囲での自由】または【周りの人に迷惑や不快感を与えない範囲での自由】だと説明しています。
2010.05.18
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「ルールを守らない人間」の8回目です。今回もまたまたルールを守らない人間が注意を受けたときにどのように【話の争点を変えていく】のかを検証しましょう。おそらく生涯忘れることがないであろう様々な意味で思い出深いあの結婚式の後で、この話題に触れるのは少々キツイですが…《話の争点を変える ~『何が悪いの?』居直り編~》これも最近多いですね。何かを注意したとき返ってくる言葉『何が悪いの?』。例えば私が高校生のときも喫煙していた同級生はいました。ただ学校で吸う者はほぼいませんでした。通学路途中の隠れ家的な場所や、トイレの中で吸うのが定番でした。なぜなら、悪い事であるという自覚もあるし、見つかったら大変なことになることも知っていたし、何より喫煙を見つかることがかなり[格好の悪いこと]であり[アホなヤツのすること]したから!ただ最近は高校生が制服のまま喫煙しているのを見かけることが多いです。中学生でも平気で喫煙しながら歩いている生徒を見かけたことまであります。我々の高校時代の感覚からすれば[格好の悪いヤツ][アホなヤツ]が多いのです。そういった連中に注意をしたときに様々な反応が返ってくるのですが、一番私が許せないことの1つがこの『何が悪いの?』と言う台詞です。多少時間はかかりますが、この場合私は「悪くないのなら、正しいということやな。だったら親・学校・警察にこの状況を報告しても構わないな」などと言って、とことんその行動が悪いことを認めさせます!とぼけた者勝ち、しらばっくれた者勝ちは認めない姿勢が大切です。特に自分の子供・自分の子供の友達・自分の生徒がこのような言動を少しでもとったときは、大人は見逃してはいけません。時間はかかりますが、いや時間をかけて真正面から話し合うことが大切です。大人でも最近はいるじゃないですか?『何が悪いの?』『法的に何か違反しているのか!』とか平気でいう連中!もうそういった大人はある意味人間として手遅れです。その台詞を言わなければならないこと事態がおかしいことが理解できないのです。だからそういった連中は周りの人たちから本気で親身に相手にされず、文句を言い出したら面倒くさいからと発せられる当たり障りのない言葉や、気分よくさせておけば楽だからと発せられる適当なお世辞だけが身の回りに存在する人生。それに気がつく事もなく、「自分はすごい」などと勘違いをしたまま過ぎていく人生しか送ることができません。自分の子供達やその友人達、また自分の生徒達にそんな人生を送らせてはならないのです。我々大人の使命は重大なのです。生徒諸君も『何が悪いの?』などと居直るような態度は、人間として卑怯であることをしっかり覚えておいてください!ただし本当に何か悪いのか分からないときは、質問として「何か悪いのか」を聞く事が大切です。そのときは説明を受けて納得ができれば、素直にその人のいうことを聞き入れるようにしてください。その態度や姿勢があなたの人生をより豊かにしてくれます。
2010.05.17
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結婚式。盛り上がりました。元生徒たちと、今回は当時の副担任の先生も出席してくれました。私は今年44歳。生徒たちは今年31歳になります。笑いをとる量ではまだまだ負けませんが、お酒の量とペースはかなり厳しいのが現状でした。…正直何人かはもう私では太刀打ちできない域に達しておりました。さて、勿論みんなで当時の話に花が咲きました。元生徒達が「あの中学校時代は、先生は何でも本音で話してくれた。」「人としてどうあるべきは話してくれた」「人生を熱く語ってくれた」等々、思い出を語ってくれました。嬉しい思いと感謝の気持ちで彼らの話を聞かせてもらいました。何も教壇に立ったばかりの当時の私の教育方針が正しかった訳ではありません。そもそも当時の私には教育方針なんて無かったと思います。単に毎日が必死だっただけです。しかしいつも「私は生徒達に何を残せるのだろう?」と自問自答していたのは確かです。ただ、ときには反発することもありながらもその私の言葉を聞き入れる姿勢を持っていてくれた生徒たち、そんな私のことを理解し応援してくださった保護者や地域の方々、また先輩教師でありまがら私を立て私を支えてくれた副担任先生の存在があったからこそできたことだと、今になってしみじみ思います。現在彼らはそれぞれの分野で、人として真っ直ぐな人生を歩んでくれています。もし私がその手伝いをあのとき少しでもできたのであれば、この上ない幸せです。これからも彼らとの付き合いは続いていきます。いつ会っても「やっぱり先生やな」と彼らにいってもらえる生き方を全うしていく覚悟です。彼らの存在がまた私の人生を、人として真っ直ぐな方向に進ませてくれるのです。彼らとの出会いは、私の人生の本当に大きな宝なのです!
2010.05.16
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明日は私が学校の先生になってはじめて担任をさせてもたったクラスの男子生徒の結婚式に行ってきます。彼は中学時代のある出来事をきっかけに、人として正しい道を進もうと決意!今は故郷を離れ、その地域住民の安全のため日夜働くおまわりさんをしています。また詳しいエピソードはいつか紹介しますね!
2010.05.14
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「ルールを守らない人間」の7回目です。今回もルールを守らない人間が注意を受けたときにどのように【話の争点を変えていく】のかを検証しましょう。情けなくてテンション下がりますが…《話の争点を変える ~『ウザい』編~》特に20歳台以下の年齢層にこの言葉をよく使う人がいます。『ウザい』という言葉の意味はよく分かりませんが、ニュアンスとしてその人の存在が『邪魔くさい』というか『面倒くさい』といって意味でしょうね。いずれにしても相手の人間性を否定しているような意味合いを感じる、私が非常に嫌いな言葉です。『ウザい』という理由だけでいじめにあう人までいることも事実ですから!私はこの言葉を使う人間には、この言葉を使う人間の方が『ウザい』存在であることを嫌というほど伝えます!でもそれをすることで、話が遠回りになることも多いのでお勧めはしませんが…勿論【話の争点】は『ウザい』か『ウザくない』かではないのです!まずはその1点を外さないで話を進めれば、こちらの主張を踏み外すことはありません。以前とある塾に助っ人授業をしにいっていたときです。ある女子生徒が建物入り口まで来たはいいのですが、何か気に入らないことがあったらしくグズり出して教室に入らないと言って座り込んでいました。すると担当講師の先生が彼女に「もう授業始めるから教室に入ってよ」と声をかけたところ、返ってきた返事は「うるさい!ウザいんじゃ!」でした。私は事がどう進展するのか見ていたら、その先生は「オレがウザいかウザくないかは問題と違うよ。問題は授業を受けるのかどうかや!もう1回しか言わないぞ。授業受けるなら教室に入りなさい。受けないのなら邪魔だから帰りなさい」と言ってさっさと教室に向かいました。しばらく放置されたその女子生徒は、3分ほどしてから教室に入りました。【話の争点】だけを端的に主張した成功例と言えるでしょう。…少し話はそれますが…この例は、この女子生徒に先生の言うことを受け入れるだけの分別があったことが功を奏したとも言えるでしょう。分別のない生徒であれば、帰宅して保護者に「先生に帰れっていわれた」と報告するでしょうね!それでクレームが出た場合は、慌てずに「授業受けるなら教室に入りなさい。受けないのなら邪魔だから帰りなさい」と選択肢を与えたら、生徒自身が帰る方を選んだことを保護者に伝えてください。何も「帰れ」とだけ言ったわけではありませんので!保護者の皆さんも、もしこれに類似することが起こったなら、必ずお子さんのいう事をしっかり聞いた上で学校・塾側に事実の確認をしてからどう対処するかを決めてください。
2010.05.13
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「ルールを守らない人間」の6回目です。今回もルールを守らない人間が注意を受けたときにどのように【話の争点を変えていく】のかを検証しましょう。《話の争点を変える ~『お前に言われる筋合いはない』編~》最近、本屋で自分が見た本を元の場所に戻さない連中が多いと思いませんか?私がよくいくバイク雑誌のコーナーや学参(学習参考書)のコーナーは特に多いような気がします。雑誌を見て全く別の場所にしかも乱雑に置いていく連中をみたら、元の位置に戻すように私は注意をします。そのときによく返ってくる返事の中に「お前に言われる筋合いはない」なのです。[筋合い]とは何でしょう?辞書で調べると[きちんとした訳や理由。道理]とあります。ということは、私が注意する訳・理由・道理は厳然と存在するわけです。しかもその[筋合い]を作ったのは、本を元に戻さない本人なのです!自分で[筋合い]を作っておいて「筋合いがない」とは…やはりこういう連中の理論は破綻しているのです。まぁ、行動もある意味破綻しているのですが…だから私はまずこのことを教えてやります。「筋合い? 筋合いの意味知っているか? きちんとした理由や道理のことやで! 読んだ本を元に戻すというきちんとした理由も道理もあるよ! だから、本を元に戻しなさい」といった感じですね!だいたいの場合はこのあと「うるさい」と言いだします。そうなったら前回の論理に持ち込んでやって下さい!「うるさい・うるさくないの問題ではなく、今は本を元に戻すか戻さないかの話やで!」といった感じですかね。まぁだいたいここまできたら相手の反応は、ふて腐れた態度で乱暴に本を元に戻すか、あるいは本を元に戻さずにその場を立ち去る事が多いですね。ということで、「お前に言われる筋合いはない」と[筋合い論]に【話の争点を変えて】注意した人を惑わせたり話をごま化そうとする連中には、《筋合い=理由・道理》であるから「筋合いはある」ということと、元々は『筋合いのあるなし』ではなく自分が注意した内容を聞き入れるのか入れないのかが問題であることを教えてやってください。『筋合い』はあるのです。その『筋合い』を作ったのは注意された本人なのです。保護者のみなさん!お子さんが「筋合いはない」なんて言い出したら絶対に聞き逃してはなりません。あなたはその子供の親であり、あなたの人生の貴重な時間・労力・資金を惜しみなく費やして育ててきたのです。そのあなたが子供のことを考えて発する言動が、子供に対して「筋合いがない」などということは有り得ないのです!絶対に、「筋合いはある」ということ。親に対して「筋合いはない」なんて絶対に言ってはならない言葉であること。そして「注意した内容に関して改善あるいは実行するのかしないのか」ということ。これらを懇々と説明してあげてください。先生方!「筋合いはない」なんて言葉を使い始めた生徒が、将来人として正しい方向に向かうことは実に稀です。「今回ぐらい」とか「この子はいい面もまるから」とか言いながら、教育を放棄することだけは絶対にないようにしてください。[教育]があなたの仕事なのですから、逃げないでください!生徒諸君!友達で「筋合いはない」なんて言いだす人がいれば、距離をおいて付き合ってください。どんな問題に巻き込まれるか、わかったものではありませんよ!私は個人的に、この《筋合い論》に持ち込む連中はかなりたちが悪いと感じます。ここでまた、私の小学校時代の習字の先生の言葉を繰り返します。「注意してもらえることに感謝しなさい。また注意された時点ですぐ言い訳を考えるような人間にだけはなるな!」「大きくなったら分かる。でも大きくなってから分かっても遅いから、今しっかり頭に入れておきなさい」…
2010.05.12
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「ルールを守らない人間」の5回目です。では、ルールを守らない人間が注意を受けたときにどのように【話の争点を変えていく】のかを検証しましょう。ちなみに、子供が悪い方向に向かおうとするときの特徴として、1 服装やファッションに表れる。2 交友関係に表れる。3 言葉遣いに表れる。といわれます。[言葉遣い]にはもちろん乱暴な単語や言い回し方も含まれるのですが、【話の争点を変えていく】というのも含まれますので、親御さんや先生方は十分注意してください。では始めます!《話の争点を変える ~『うるさい』編~》注意を受けたとき「うるさい」と言い返す!結構多いパターンです。「うるさい」ということは、声が大きいことに抗議をしているのでしょうか?例えば前回の私の友人の例で考えれば、彼女が「真っ直ぐ歩かないと危ないよ」と言った声の音量と、その子供の父親が「じゃかましいんじゃ、ボケ!」と言い返した声の音量はどちらが大きいのでしょうか?間違いなく、その父親の声の音量の方が大きいはずです。ですので、まず「じゃかましいのは、お前の方!」なんです。この時点ですでに「うるさい」などと言う連中の論理は破綻しているのです。しかし、問題はそこではありません。「真っ直ぐ歩かないと危ないよ」はその子供に注意を促した言葉でありますが、親がそばにいるなら「なぜ、親のあなたが注意できないのですか?」と言っていることにもなります。だったら言われた親はどうするべきなのでしょうか?もし自分の子供の蛇行歩行に気付いていなかったのなら、自分からも子供に注意する。そして注意してくれた人に「ありがとうございます」なり「すみません」なりいうべきです。あるいは子供に「ごめんなさい」と言わせるべきなのです。そうやって大人は日常生活の中で少しずつ人として正しい方向に向かうための【小さい種】を日々子供に与えていくべきなのです。それをしないで「じゃかましい(やかましい)」と音量論に話を転換する!!ルール・マナーを守らない(あるいは知らない)人間のよくある行動パターンの1つです。ここでは「やかましい」「やかましくない」の話ではなく、子供の安全を・周りの人達の安全を確保するかしないかの話なのです。皆さんも誰かに、特に子供に何かを注意して「うるさい」といわれたら、「うるさい」「うるさくない」の問題ではなく『自分が注意した内容について今または今後どうするのか!』という【話の争点】がブレることのないように気をつけて話を進めてください。言葉に出して言ってあげてください。「うるさいとかうるさくないとかの問題ではない」と。相手が大人のときは…とことんやり合うつもりで一歩も引かずに闘い抜くか、あるいは言うだけ言ったらもう相手にしないか、で対応するしかありませんね。そんな連中真剣に相手にしても時間と労力の無駄ですから。私も嫌というほど経験済みです。ここでもう一度私の小学校時代の習字の先生の言葉を繰り返します。「注意してもらえることに感謝しなさい。また注意された時点ですぐ言い訳を考えるような人間にだけはなるな!」「大きくなったら分かる。でも大きくなってから分かっても遅いから、今しっかり頭に入れておきなさい」…大きくなっても分からない連中には、何を言っても無駄です!しかし先生方は話が別になります!あなたの生徒の親がこのことを分かっていない親なら断固引かないで下さい。一歩も引かずにとことん話し合ってください。そこを見過ごしたり譲歩したりすれば、あなたの学校は『文句さえ言えばなんとでもなる学校』となり、ルール・マナーを守らない親たちの言いなりの学校になります。それでは子供たちが不幸ですよ!保護者の皆さん!万に一つ、生徒たちの真剣な言葉や質問に「うるさい」などといって話をはぐらかす先生が学校にいるなら、断固抗議してください。許される範囲での冗談や、わざと先生を困らせる質問でない限りは、許されることではありません。それもまた子供たちにとっても不幸です!生徒諸君!「注意してもらえることに感謝しなさい。また注意された時点ですぐ言い訳を考えるような人間にだけはなるな!」この言葉を忘れないでください。これは子供たちに[人としての正しい生き方]を、習字を通して教えようとした私の恩師が残してくれた言葉です。皆さんも私と同じように、この言葉の重要性を歳をとる毎に実感することでしょう。それともう一度…保護者の皆さん!数年前の夏休みにある場所で〈子供川柳〉なる催しがありました。その中にこのような作品がありました。《 夏休み、セミよりうるさい母の声 》これを読んだあるお母さんが「反省しないといけないなぁ~」と言われていましたが…それは違います。うるさく言う母が悪いのではなく、うるさく言われる原因を作っている子供が悪いのです。子供のことを思えばこそ、うるさく言うのですから!これも「うるさい」という言葉を用いた【話の争点を変えていく】作戦のひとつです。「悪い事は悪い」と自信を持って子供さん達に伝えて下さい。将来必ず、そのとき親に注意してもらったことに感謝の念を抱く日が来ますから!
2010.05.11
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「ルールを守らない人間」の4回目です。ルールやマナーを守らない人間は誰かから注意を受けたときに、とにかく反論するために【話の争点を変える】ことによって話の内容をはぐらかせる…。その具体例を考える!ということでしたが、前回より少し内容が寄り道しております。しかし大切な寄り道だと思いますので、今回もお付き合いください。 本年の4月4日の話です。つい最近の話です。私の郷里に幼稚園時代からの友人が住んでいます。私の郷里は今年、遷都1300年祭で盛り上がっている、あの県です。彼女は現在三児の母親です。その彼女が休日にショッピングモールに行ったときのことです。彼女の目の前を3~4歳くらいの男の子が左右に大きく蛇行しながら歩いていたそうです。休日のショッピングモールなので店内は人で混雑しています。他の人とぶつかって怪我でもしてはいけないと思い彼女はその男の子に「真っ直ぐ歩かないと危ないよ」と声をかけたそうです。…皆さん、この後の展開が創造できますか?…何と! すぐそばに父親がいて、注意した彼女に向かって大声で「じゃかましいんじゃ、ボケ!」と言い放ったそうです。…皆さん、どう思われます?この展開! 想像つきました?…で、彼女はどうしたかというと、その場で泣いてしまったそうです。その姿を見て、その父親はどう思ったのでしょう?間違っても「申し訳ないことをした」とは思っていません。そんな感覚のある人間であれば、最初から彼女にそんな対応はしません。そういう対応をする輩は絶対こう思っています。「やっつけてやった」「返り討ちにしてやった」「楽勝」くらいにしか思っていません。断言します!この光景を見て、その男の子はどう思ったでしょうか?間違っても「あの人の言う通りで、真っ直ぐ歩かないといけないな」とは思っていません。「大声を出せば相手は泣く」「こっちが強く出れば相手は何もできなくなる」「人に注意されても言う事なんか聞かなくていい」「悪いことをしても大声を出せばなんとかなる」等々…、挙げればキリがありませんが、人間として正しくない方向に向かう可能性を多大に植付けてしまったことは間違いないでしょう。では彼女はなぜ泣いたのでしょう?申し訳なくて泣いたのでも、自分の至らなさに泣いたのでもありません。悔しくて泣いたのです。情けなくて泣いたのです。同じ[子を持つ親]として、悔しくて情けなくて泣いたのです。彼女は現在身体に痛みを抱えながら子育てをしています。怪我をした痛みを抱えて生活をする苦しみを嫌というほど知っています。だからその男の子に怪我をしてほしくなかったのです。だから言ったのです、「真っ直ぐ歩かないと危ないよ」と。その彼女の思いに対してとったその男の子の父親の態度は、人として許されることでしょうか?彼女の行動とその父親の行動は、どちらがその男の子のためになることなのでしょうか?やはり振る舞いや行動にその[人間の本質]が[人間としての器の大きさ]が現れるのです!人間としての器の小さい親を持ってしまった子供は不幸なのです。
2010.05.10
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「ルールを守らない人間」の3回目です。前回の内容に間違いがありました。いや、言葉が不十分というか言葉の選択ミスがありました。〈私が思うに、真面目な方ほどこの【話の争点を変える】作戦にやられるのです。やられるというか、真面目にその【変わっていく争点】にあわせて話をしようとするので、会話自体の収拾がつかないようになり、逆に相手に言いくるめられるのです。〉の部分です。これを読めば、ルールを守らない人間たちが、[自分たちがいいくるめている]=[自分たちの方が勝っている]と勘違いするので、しっかり訂正させていただきます。私が【言いくるめられる】と表現したのは、『道徳的・論理的に負けている』と言いたいのではありません!負けている訳がない!!。注意や助言をした方が、言葉に詰まるというか二の句がつげない状態になることを表現したかったのです。ルールを守らない人間は、何でも言い訳ができればオッケー・相手を黙らせればオッケーと思っています。たとえそれが言い訳にもなっていない幼稚な内容でも、相手が呆れてものが言えなくなっていても彼らには関係ないのです。でも、どう考えても言い訳ができないときに(まぁほとんどの場合がそうなんですが)【話の争点を変える】ことで、話をはぐらかそうとするのです。…[卑怯]としか言いようがありません!!私の小学生時代の習字の先生の言葉を、もう一度繰り返しておきます。「注意してもらえることに感謝しなさい。また注意された時点ですぐ言い訳を考えるような人間にだけはなるな!」「大きくなったら分かる。でも大きくなってから分かっても遅いから、今しっかり頭に入れておきなさい」…人の注意に感謝し、それを聞き入れる…これができるかできないかは、ある意味その人の[人間としての器]の大きさがないとできないことだと思います。私も四十歳を過ぎて分かるようになりましたが、この[人間としての器]の小さい人ほど『いかに自分が人間として器が大きいのか』を言葉で語ろうとします。力説します。しかも長い。しかも同じ話を何回もする。初対面の人には必ずする。その人の[人間としての器]の大きさは、その人の普段の行動・立ち振る舞いで分かるのです。
2010.05.09
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「ルールを守らない人間」の2回目です。例えば、誰かの何か目にあまる行為を目撃したとき、あるいはその人のことを心配して何か助言や注意をしてあげたことがありますか?一度や二度は誰にでもあるのではないかと思いますが…そんなとき相手から返ってくる反応は、大きく分けて2パターンあると思います。1つは「ごめんなさい」または「ありがとうございます」といって、形はどうあれこちらの言葉を受け入れてくれるパターンです。人間こうありたいものです。元来左利きの私は、「右手でも字が書けるように」との母の提案で小学校の6年間毎週土曜日に習字教室に通いました。その習字の先生は日頃はニコニコとしている方でしたが、ここぞと言うときはしっかり子供を叱る人でした。特に注意を受けたときに口答えをすると問答無用で平手打ちが飛んできました。私も6年間で3回平手打ちをもらいました。今では本当に感謝をしています。先生曰く「注意してもらえることに感謝しなさい。また注意された時点ですぐ言い訳を考えるような人間にだけはなるな!」です。そして「大きくなったら分かる。でも大きくなってから分かっても遅いから、今しっかり頭に入れておきなさい」とも言ってくださいました。…やはり人間こうありたいものです。もう1つは、反論するパターンです。反論する人間・ルールやマナーを守らない人間は、【話の争点を変える】ことによって話の内容をはぐらかしたり、場合によっては注意を受けた自分の立場をある意味上位にもっていき逆に注意をした人間をやりこめようとすることが多いです。私が思うに、真面目な人ほどこの【話の争点を変える】作戦にやられるのです。やられるというか、真面目にその【変わっていく争点】にあわせて話をしようとするので、会話自体の収拾がつかないようになり、逆に相手に言いくるめられるのです。では、具体的にルール・マナーを守らない人間はどのように【話の争点を変える】のでしょうか!今回からはしばらく、その傾向と対策について考えていきたいと思います。…正直、個人的にはこの話題を続けるのはイヤなのです。情けなくなるというか、怒りがこみ上げるというか…でも根性はめて続けますので、皆さんもしばらくお付き合いくださいね。
2010.05.07
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「ルールを守ること」のテーマが長くなったので話題を変えよう…と思いましたが本当に大切なことなので、しばらくは目線を変えて話を進めたいと思います。今までは【ルールを守る重要性】について話を進めてきましたが、今度は【ルールを守らない人間】について話を進めたいと思います。「ルールを守らない人間」の言動・思考パターンを知ることで、そういう人間と接するときの対処法を考えましょう。皆さんの周りで「ルールを守らない人」っていますか?いたとしたら、どんな人ですか?「ルールを守らない人」を別の言葉で言い換えれば、あなたはどんな言葉で表現しますか?そして、あなた自身が「ルールを守れないとき」ってどんなときですか?
2010.05.06
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「ルールを守ること」 16回目です。保護者の皆さん!まずはあなたが社会のルールやマナーを守っていますか?自分は「これくらい構わない」と思っていても、まわりの人達は見ています。もちろんあなたの子供も見ていますよ。子供にルールを守らせられない親の中には『自分がルールを守らない親』というのがあります。一番身近な大人であるあなたが、まずは子供に見本を見せなければなりません。保護者の皆さん!あなたは《ことある毎》に、ちゃんと子供に注意をしていますか?「ご時勢だから」「オシャレだから」「これも子供の個性だから」「私が言ってもいうことを聞かないから」等々の言い訳をして、子供に正しい方向を指し示すことを怠っていませんか?あなたの子供にとって《先生》は複数名います。しかし、あなたの子供にとって《父親》《母親》はあなたしかいません。その親であるあなたがいつも子供に正しい方向を指し示してあげてください。子供の反応なんて、ある意味どうでもいいのです!親として、人生の先輩として、世の中で一番その子供の将来を心配し、幸福を願っている人間として、たとえ小さなことでも良い事は良い!悪い事は悪い!と教え続けてあげてください。保護者の皆さん!「うちの子はルール・マナーを守れる子」と安心していませんか?大切なのは『なぜルール・マナーを守る必要があるのか!』を、やはり事ある毎に語ってあげること・教えてあげることが重要です。中には『ルール・マナーを守る子』『校則を守る子』『まじめな子』である自分に嫌悪感を抱いている子供もいます。それが正しいこと、それが人間として重要であることを語ってあげて、教えてあげてください。ここ近年、親や祖父母に感謝する内容の歌謡曲が多いと思いませんか?その歌に出てくる親や祖父母の共通点は1つです。子供に孫に、人として正しい道を説き続けてきたという点です。「あのときは言葉の意味が分からず反発もしたけど、今は分かります。本当にありがとう。」という内容の歌が多いです。全ての子供たちの親が、そのような存在であることを切に願います。
2010.05.05
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「ルールを守ること」 15回目です。最初に私が提起させていただいた問に対する答えは、もう皆さんの中で見つかりましたか?「ルールを守ること」というテーマが15回目にもなってしまいましたが、その答えを見つける手がかりになればと思ってカーソルを叩き続けました。例えば生徒諸君!あなたの通っている学校に茶髪の生徒はいますか?いるとしたら、生徒手帳をめくって校則のページを読んでみてください。『染髪は禁止』と記載がある場合はその学校はすでに学校ではありません。だって《ルールは守る》という人として最低限の教育が実施されていないからです。勿論校則を守っていない生徒自身も悪いです。しかしそれを守らせられない先生や保護者にも責任はあります。校則は守るためにあるのです。学生時代にルールを守るということを体験しておくために校則があるのです。校則の意味なんて関係ないのです!とにかく守るために校則があるのです。日本は法治国家なので《法律》があります。校則というある意味小さな規則を守れない人が、法律というある意味大きな規則を守れるはずがありません。人が生きていく上で、ルールを守るという事は自分や他人の立場や命を守ることにもつながるのです。だから必要なのです。例えば交通ルールです。私が以前勤めていた学習塾に小5から中3まで通ってくれた男子生徒がいました。彼は高校卒業の数日後に亡くなりました。一旦停止を無視した四輪車にはね殺されたのです!!その運転者がちゃんと一旦停止して左右確認するという交通ルールを守っていれば彼は死ななくてすんだのです。『ルールを守らない』とはそういうことなのです。だから生徒諸君!ルールを守れる人になってください。そのためにまずは校則を守ってください。だれのためでもありません。まずはあなたのためにです。
2010.05.04
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「ルールを守ること」 14回目です。大学卒業直後に私が受けた中学校の先生としての初任者研修。その研修での定義から考えると「ろくな大人にならない発言事件」の女性教諭がとった行動は、間違いなく【体罰】にあたるのでしょう。授業中に注意された生徒の気持ちを考えると、精神的苦痛になるので【体罰】ですよね!ゲーム機を取り上げられそうになった生徒の気持ちを考えると、精神的苦痛になるので【体罰】ですよね!【体罰】にさえならなければ、その生徒がどのようになっても構わないのですよね!そんなものが《教育》であるはずがない。そんなものが《教育》であってはいけないのです。そもそも《教育》とは何ですか?勉強を教えるだけですか?勉強以外のものは教えないでいいのですか?その勉強すら十分に教えられていない学校も多いのではないですか?とにかく私が受けた初任者研修の1時間目の【体罰】に関する内容は、いまから教員になろうとする人間が聞くものではなかったのです。いかにトラブルを起さない先生になるか!いかに《教育》から逃げるか!いかに生徒の将来よりも教員自身の保身を図るか!そんなことを教員初任者研修の1時間目に教えているこの国の教育は、もうすでに成り立っていないです。保護者の皆さん!現在の教員はこのような研修を受けて教壇に立っている事実を忘れてはいけません。学校の教員は給料のために《教育》をしています。そのため彼らには保身が必要なのです。でも保護者の皆さんは、給料のためで子育てをしているわけではありません。保護者の皆さんは、保身を図らないでも「親」をやめることは一生できません。ですから少なくとも保護者の皆さんは、お子さん達にどんなときでも良いことは「良い」と褒める・悪い事は「悪い」と注意することをいつまでも続けて下さい。それは学校では期待できないことですから…難しい理屈はいりません!例えば私の中学校時代の先生みたいに、結論だけを繰り返せばいいのです。「規則は守れ」と!お子さんがそれを聞き入れるそうでないかは関係ありません。とにかく一番身近にいる大人であるあなたが正論を言い続けることが重要です。ただ、もう1つ忘れてはいけないことがあります。そのような教育現場でも生徒の将来を考えて行動をしている先生も存在します。生徒達に褒めるべきところは褒め、注意するべきことは注意する先生もいます。どうかその先生を見つけてください。その先生とともにお子さんを正しい方向に導いて下さい。先生方! このような今の日本の教育現場で、心を痛めながら、疲労困憊しながら、ときには自分を傷つけながら、孤軍奮闘でありながら、なおかつ生徒の将来を憂慮して言葉を発し行動をしている数少ない先生方!!あなた達は間違っていません。たとえその場であなたの真意を生徒達が理解してくれなくても5年後・10年後・20年後に「あの先生の言ってくれたことが正しかった」と思ってくれれば…、5年後・10年後・20年にその生徒が大人になったときに「あの先生の言ったことと同じことを、自分も子供たちに言っているなぁ」と実感してくれれば…、あなたの教育は成功なのです。その生徒は将来、人間として正しい方向に育ってくれるのです。間違いなくそうなります。それを信じて今日も勇気と自信をもって教壇に立ってください。生徒諸君!君たちが一番よく分かっているのではないですか?どのような考え方や言動が人として正しくて、どのような考え方や言動が人として間違っているのか!!あなたの将来を本気で考えてくれている大人は、ときには口うるさく・ときには面倒くさく感じるかも知れません。しかし誰があなたにとって一番正しい方向を示唆してくれているのかをいつも考えてください。
2010.05.01
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