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ことろが、私を含めた多くのテレビっ子は「24時間テレビ、寝んと全部見るねん!」とか言葉でいうだけで、何の計画も練らずに行きあたりばったりで当日を迎えるので話にならない。もちろん途中で寝てしまうわ、親には怒られるわ、、、中にはなれないことをしたのが原因で体調を崩す者や、夜遅くまでテレビを見た罰としてその後の生活に大きなペナルティを親から課せられる者まで出るしまつだった。この緻密な計画に基づいた成功者たちと、私のような無計画による失敗者たちの間に存在する壁はかなり分厚い!!それは様々な側面で顕著に現れている。例えば最終的に親までもを見方につけた前者と、親を敵に回してしまった後者の差である。子どもにとってこれはとてつもなく大きな差なのだ。
2022.08.31
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彼らが得たこの上ない達成感の根源!それが【計画】だった。それはもう夏休み前からはじまっている。まずは親を説得するところから・・・多くの親は交換条件を出した。宿題は終わらせておく!家事の手伝いもする!親の言うことを聞く!等々だ。それを着実にこなしていく。着実どころか、親の予想を上回るペースと内容でこなしていく。そしてもう24時間テレビをみることを承諾せねばならない・・・という気持ちに親がなるようにこなしていく。そして親からゴーサインをもらう!さらに彼らは体調も整える。なにせ24時間戦うのだ。最大の敵である睡魔対策だ。番組がある前日の夜はいつもより長く睡眠をとる。そして当日はしっかり昼寝もしておく。食事もしっかりとって体力をつけておく。そこまですると、親も含めた家族全員が協力体制に入る。食事をテレビのある部屋に運んだり、CMの間にトイレにいけるように家族全員が番組中にトイレを使ったり、夜食を用意したり、本人が眠っていないかどうか30分おきに誰かが様子を見に行ったり、と様々な方策がとられた。
2022.08.29
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その差は【計画】です!レジャーなんかであれば計画をしてなくても思いがけずに楽しい時間を過ごせることもあります。しかし学習ともなるとそうはいきません。計画を立てずに行き当たりばったりの学習を続けても、どことなく虚空を掴むような感じで何も手ごたえが残らないのです。たとえば今年もあった24時間テレビ!学生諸君にとっては昔から普通にあるものって感じだと思いますが、あれがはじまったときはもう子供たちは大騒ぎでした。子供全員が全員ではないけれども、私のようなテレビっ子はもうテンション上がりまくりでした。でもそこは子供・・・あんまり遅くまでテレビを見ていたら親に叱られたり、睡魔に負けて途中で眠ってしまったりと24時間戦うことは困難でした。でも中には24時間全部見た!!という強者(つわもの)がいたのです。その数少ない猛者(もさ)たちの達成感といえば、もう半端なものではありませんでした。彼らの「一夜にして一気に大人になった感」はもう直視できないほどの強烈な御光がさしていたものでした。
2022.08.28
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もしくは部活やレジャーの面でも、充実した夏休みだった・・・とは言い切れない人もいることと思う。しかし中には学習面もそれ以外の生活面でも充実しきった夏休みだったと感じている人もいる。そう感じる人とそうでない人の差って何か!?皆さん!何だと思います?
2022.08.27
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全く悔いなく夏休みを過ごせた・・・なんて人は悪いけど皆無だと思います。考えれば考えるほど反省点が多いです・・・なんて人がほとんどだと思います。かくいう私は圧倒的に後者だった記憶が勝っています。そう!勉強という一点に絞れば、多くの人がそうなのです。理由は簡単。勉強には「ここまでやればオッケー」なんてラインが存在しないのですから。すればするほどいい意味でも悪い意味でも深みにはまります。逆に思い通りにできなかったらできないほど、日に日に自責の念が強くなるばかりですから。しかし皆さんどうでしょう?目線を変えて、たとえば部活だったり、たとえばレジャーだったり・・・といろいろ思い返していてください。まんざらではなかった・・・と思えることもあるんじゃないですか?
2022.08.26
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本日は8月25日の木曜日。来週の木曜日は9月1日だ。そう!あと一週間で、学校は新学期となる。しかし一部の学校や自治体では独自の判断で、今日から2学期なんて生徒さんもいる!さて、みなさん!夏休みはいかがでしたか?
2022.08.25
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今日、今年に入ってはじめて隣町の市街地を車でまわった。たった8ヶ月で街の様子はところどころ変わっていた。去年末には繁盛していた様子の飲食店が更地になっていたり・・・昔々前前前職のときに取引があったある会社がビルのテナントから撤退していたり・・・コロナの影響かどうかは定かではないが、さびしい限りだった。久しぶりついでにある家電量販店に足を運んだ。そこには大きめのプラモデルのコーナーがある。しかし・・・そのコーナーは全てゲームソフトのコーナーになっていた。最近の子供たちはプラモデルなんか作らないでゲームばかりしているってことなのか?あるいは安いから、ポイントが貯まるからと、ネットでプラモを買う大人たちが増えたのが原因なのか?私が好んでやまないプラモデルという文化は絶滅危惧種なのかとおおきな不安を感じずにはいられなかった。全国のモデラーたちよ!町のプラモ屋を絶滅させるか否かは、ひとえに我々の双肩にかかっているぞ!!
2022.08.24
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「その後、体調はどうですか?」と心配してくれている人たちがいてくれる。有難いことだとつくづく実感する。6月10日に発生した嘔吐は最近無くなってきた。とはいえ、食欲はそんなに戻っていない。「ほどよく痩せたぜ!」なんて台詞を言ってみたいところだが、ちょっと事情が異なる。確かに少しは痩せた。先日3年ぶりに会った人に「どうしたん?痩せたね~」と言われた。カッコよく痩せているならいいのだが、妙に手足が細くなってしまった。手足以上になんと・・・髪の毛が驚くほど細くなってきている。そう・・・ハゲてきております。ほんと、や~ね~。
2022.08.22
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戦後77年。よくよくまわりを見渡してみれば、反戦や平和を売り物にした金儲けもいやというほど横行している。でもしないよりした方がよっぽどましだと、それらにお金をつぎ込む人がいるのも理解はできる。それほど平和とういうものは得難いものなのだ。一度奪われた平和はもう二度と戻ってこない。戦(いくさ)や内戦、そして戦争に巻き込まれることなく77年も過ごせたこの国の平和は、あって当然のものでは日に日に無くなってきている。新しい時代の戦争抑止、新しい方法の戦争放棄、・・・これらの道を真剣に模索しないと手遅れになる。いや、もうすでに手遅れかも知れないが、それでも模索し続けることが肝要だ。
2022.08.21
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今年の夏も様々なメディアで戦争の悲惨さを伝える試みがなされた。戦争を知らない世代の私も知っておかねばならないと思い出来る限りそれらに触れた。毎年同じことを繰り返しているが、年々落ち込み度が増していく。それは私自身が年をとってきている証拠でもあるのだが、ここ数年は今まで知らされていなかった(あるいは私が知らなかっただけかもしれない)情報に触れるのもその原因だ。あれらの情報に触れた人間の多くは、戦争なんていやだ!と思うことだろう。しかし!戦争は起きてしまう。いやだといっても起きてしまう。日本は戦争を放棄したといっているが、戦争は日本を放棄していない。
2022.08.20
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彼はその著書の冒頭で、なぜ世界大戦が勃発するのかを考察した。我々人類は生き残るため、何かを守るため、あるいは何かを手に入れるために古来よりときとして戦った。それが個人単位から集団単位へ、そしてその集団が一番肥大化したものが国家である。国家単位の戦いは特に戦争と呼ばれた。国家単位なので、戦いにつぎ込める資源は無尽蔵化していく。物的資源も人的資源もだ。また国家単位で人が集まれば英知も磨かれるので文明が発達する。しかしまた新たな文明を開化させるには、古い文明を破壊しなければならない。古いものを破壊し、新たなものを構築すれば経済も公転する。その破壊のために戦争が利用される側面もある。彼はこう考えた。こう言われれば、「なるほど」とも思う。が、だからといって戦争が必要なのかと言われれば私は真っ向から否定する。
2022.08.17
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今日は終戦記念日だ。77回目の終戦記念日だ。「終戦」はいいが、なんで「記念日なんや!」と異論を唱える人もいることは分かっているが、とにかく77年前の今日、第二次世界大戦が終わった。ざっくりいうと、結果的にではあるが、日本1国が全世界を敵に回して戦っていた戦争が終わったのだ。そして日本はこの77年間戦争をしてこなかったし、他国から攻められたことも無かった。だからこの77年間は世界は平和だったか・・・というと、残念ながらそうではない。昨今の世界情勢を見ていると、今後の世界が本当に不安だ。思わずロジェ・カイヨワが書き残した『戦争論』の内容が頭を過ってしまう。
2022.08.15
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先日炎天下で熱中症アラートが発せられまくっている日にベトナム人男性に二輪指導をさせてもらった。彼は母国で自動二輪の免許を取得済みで、今回はその免許を日本の運転免許に切り替えるための実技試験を受けるための練習を希望した。日本語も堪能な彼の講習は途中までスムーズに進んだが、思わぬところで障壁が現れた。コーナリングに多大な苦手意識があったのだ。聞けば母国にいるときにカーブで大きな事故(自損転倒)をして、ケガはほとんど無かったのだがバイクを廃車にしてしまったとのこと・・・細かなフォームからしっかり伝授して、2時間後にはちゃんとカーブを曲がれるようになってくれた。そんな彼の名前は・・・マガルさんだった!
2022.08.14
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では【考える力】はどこから湧現してくるのか・・・例外もあるが、多くの場合、それは「不足」からはじまる。「不足」しているから何とか補うために知恵がうまれる。または「好奇心」だ。興味のあるものについては誰に何を言われるまでもなく自ら進んで知識を得る。得るための工夫をする。そして得た知識をどのように活かすのかを考えて行動する。これを教育の場に程よく取り入れる努力をするべきなのだ。もちろん教育環境はしっかり整える。そこに程良い「不足」と「好奇心」の種をまく。種の全てが実るとは思わない方がいい。それでもまき続けるのだ。人間が人間を自分の思った方向に寸分違わず育てようなんて思うのは思い上がりだ。環境を整えて、まくべき種をまいて、後はそれぞれがそれぞれの方向に育ってくれるのを待つことが肝要なのだ。
2022.08.13
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「自ら考える力」を育てる必要なんかない・・・という意見も一方では存在する。それは統治しやすい愚民を育てるためではない。元々、考え方は千差万別なので、だれかが「こう考えるべき」なんて決めることがおかしいという意見に由来している。確かに本当のひらめきというものは、多くの場合だれかに言われてひらめくものではない。それこそ自らが自発的にあれこれを思考を巡らせた結果であることが多いようにも思う。かつてパスカルは『人間は考える葦である。』と言った。『葦』は自然界で最も弱い存在の象徴として用いられている。しかし思考力を武器に自然界に生き残っているのが人間なのだ。その弱さを、その弱点を、思考することによって補い克服し超えていける存在なのだ。その力をたかが筆記試験で評価しようとする行為自体が的外れなのかのしれない。
2022.08.11
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無論これらのツールの発達を否定するわけではない。私的には大歓迎だ。しかし、これらのツールの多くは使い方によっては人間の思考力を低下させる危険性を含んでいるものが多く存在している。言葉をかえて言えば、サボろうと思えばどこまでもサボれるし、怠けようと思えばどこまでも怠けられるというわけだ。ことここに至っては、教える側も教わる側も、それらの危険性を認識しながら使いこなす必要性を求められている。たとえそれを認識できたとしても、使う者の人間性がそこに反映される。そしてその人間性がさらなる学力格差をうんでしまうのだ。
2022.08.10
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授業の質が向上することは喜ばしいこと・・・確かにそうだ。しかし考える力を養うという点では、必ずしもそうとは言えない現実がある。その大きな要因に、ツールの発達が挙げられる。昔はなかったものが今は普通に使えるのだ。たとえば近年の大学では教授の授業の板書をノートに書かない学生が多いという。なんと黒板、あるいはホワイトボードに書かれたことをスマホやタブレットで撮影するのだ。さらには電子黒板なるものも存在して、板書の内容を直接生徒や学生のタブレットに送信できるのだ。
2022.08.08
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学習塾は企業だから利潤を追求するのは当たり前!!そう考える人やそう言ってくる人が多かったのは事実でるし、その考え方もある意味正解かもしれない。ただ昨今の企業には社会性も求められている。しかも我々は国の未来に大きく影響する教育の一端を担っていることを忘れないでほしい。もう一度繰り返しておくが、我々学習塾が児童・生徒の考える力の成長を阻害していることがある!これを聞いた塾長が「そうだな・・・」と思う学習塾はまだ見込みがある。塾長が「何きれいごと言うてんねん」「アホか」と感じている塾は危険この上ない。そしてもう一点!児童・生徒の考える力を低下させている原因がある。これは誠に皮肉なことなのだが、授業の質の向上なのだ。
2022.08.07
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学習塾がなぜそんなことをするのかというと、理由は明解である。自分の教室のことだけを考えているのだ。自分の教室の生徒数さえ増えればいい。自分の教室の収益さえ上がれば生徒の考える力なんてどうでいい。つまりは教育が目的ではなく、収益が目的なのだ。ちなみに全国学力テストの結果は成績には反映されない。つまりは収益目的の学習塾にとってはどうでもいい試験なのだ。
2022.08.06
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このようなサイクルを生み出して、学習塾が授業崩壊や学級崩壊につながる原因を作ってしまうことは少なくない。同じく、家庭教師であったり、自宅で勉強を教えている保護者がそうしている場合もあるだろう。よい成績をとる児童・生徒が、授業の進みを日常的に妨害することがあれば、その子供たちがどのような方法で家庭学習をしているかを調べてみればいい。一目瞭然に分かることだ。
2022.08.05
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で、その学習塾では意図的かどうかは別にして、【先入観】を操作して学校の授業を見下した雰囲気を作る。それには先取り学習、先行学習が用いられる。学校の授業より先に学習させておくのだ。児童・生徒に限らず我々大人でも心理学的にも脳科学的にも、先に学んだことが正しいことと無意識に認識する。同じ学習用語でも、最初に受けた説明が正しいと思ってしまう。それを利用して学習塾が生徒の意識を操作する。たとえば塾の先生がbe動詞を、「算数の式の[=]と同じ役割だ」と教える。子供たちはそれを先に頭に入れる。その後で学校の先生がbe動詞を、「日本語でいう『~です。』にあたる部分だ」と教える。それを聞いた子供は塾の先生に伝える。塾の先生は「be動詞は『~です』以外にも『~にる』『~にある』『~になる』『~でいる』といった多くの意味があるから、[=]の役割だ。学校の先生ももっと上手く説明ができないものか・・・」と呆れて見せる。そのような状況をを繰り返し体験させることで、子供たちの意識の底に塾の授業が上で学校の授業が下と格付けがなされる。最終的に授業を聞かないでも試験で点数が取れるので、騒ぎ出す!それが授業崩壊、ひいては学級崩壊につながる!!!これはもう、あるある中のあるあるだ!
2022.08.04
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ここで問われるのは、学習塾の存在意義だ。一般的には成績を上げることだ。つまりは試験でいい点数を取らせることだ。成績が上がるから生徒が集まる・・・学習塾のあるべき姿であることは間違いない。しかしながら「いい点数さえとらせればそれでいいのか!?」という疑問が年々私の中で大きくなっていく。かなり以前にも紹介したが、最近も同じようなこんな例があった。ある中学校の1年のクラスが実質授業崩壊している。授業が授業にならない。授業を妨害する生徒がいるのだ。といっても、暴れるわけでも、先生にたてつくわけでもない。ある意味、授業を楽しく盛り上げるのだ。楽しくワーワーと騒いでゲラゲラと笑って・・・授業を進めさせない。先生はと言うと、授業が盛り上がっていることに満足して一緒に騒ぐ。騒がずとも、授業を本題に戻さない。楽しいクラスではあるが、授業が進まない。殆どの生徒の学習は進まないので、理解度が上がることも無く試験でもいい点数が取れない。で、授業をある意味盛り上げて脱線させる生徒達は、いざ試験となるといい点数を取る。なぜそんなことが可能ななのか?もちろん学習塾で習っているからなのだ。
2022.08.03
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ところがだ!その生徒たちの[考える機会]をいとも簡単に奪ってしまう人たちがいる。そう、我々学習塾業界だ。銅と酸素の化合割合とマグネシウムと酸素の化合割合から、こんな問題がよく試験にでるよ~~~。なんて教えちゃうのだ。「なるほどね!」と思った生徒がそれを覚えて試験に臨み、きっちり正解の解答を書いてくる。学校の先生は[思考力あり!][自ら考えて答えを出す能力あり!]として点数化する。しかし実際は生徒自身が思考力を駆使して導いた正解ではない。だれかに聞いて、それを覚えて書いた答えに過ぎないのだ。私は学習塾業界に身を置いて25年が経過するか、今も「これってどうなのよ!?」と今も感じている。
2022.08.02
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たとえばこんな事が実際にある。理科の単元で、銅と酸素が化合する質量比として銅:酸素=4:1 を学習する。続いて、マグネシウムと酸素が化合する質量比としてマグネシウム:酸素=3:2 も学習する。生徒たちは、ここは出題されそうだとしっかり覚えて試験に挑む。もちろん出題されるのだが、さらに応用問題として、『酸素と化合する銅とマグネシウムの質量比を答えよ。』という設問が用意される。いわゆる[思考力を問う問題]である。授業で学習した内容をベースに自分で考えて答えを導き出すことを要求してくるのだ。「覚える」だけでなく「思考力を駆使する」フェイズに生徒達をいざなって、[自ら考える力]を身につけさせようとする手段なのだ。銅:酸素=4:1マグネシウム:酸素=3:2 ここから マグネシウム:銅 の質量比を、試験の本番に、自らの力で導き出すのだ。理数系の科目が得意な生徒さんなら難なく正解にたどり着ける。しかしそうでない生徒さんが正解にたどり着いたとき、それは「喜び」や「驚き」を伴って「自信」へとつながっていくことも往々にしてある。
2022.08.01
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