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今日は、おばあちゃんの二七日(ふたなぬか)の法要だったけど、 帰れない日程だった。 おばあちゃんに、我が家の庭の白い花たちを。。。 今度帰るのは、月命日の16日にしよう。 それから、30日が四十九日の法要なので、 その時にも帰ろうと思っている。 3月の末から4月にかけて、 たくさんの別れと新しい出会いがあった。 ジュリーのおかげで、お友達とも会えたし、 若いお友達も増えた。 今まで平坦なだらだらと続く上り坂を生きてきて、 大きな落とし穴とか、まっさかさまの「真坂」とか いろんなことがあったけど、 これからは、ジュリーのコンサートや、トークショーや お芝居や・・・ 色んな気持ちの張り合いのもてる行事ができて、 生活にメリハリがついたような気がする。 残念ながら、落選したから、5月のジュリーは無いけど、 その分、おばあちゃんの法要に出かけられる。 私が、行っておばあちゃんが持ち直してくれたから、 ジュリーのお芝居も休まないで行くことができた。 そう言えば、3月になってから、 奄美大島に旅行した影響で、大島産の色々な食品やお酒、 中でも、大島紬の古着や仕立て上がり品をあれこれ買っていたら、 今回の帝国ホテルでのトークショーで、 「大島」さんと言う人と知り合いになった。 人生には、不思議がいっぱい詰っている。。。 私は大島産のあれこれに惹かれて居るうちに、 大島さんという知り合いを、ジュリーつながりで持ったのだ。 彼女は、多分、私よりも若く、そして、パワフルだ。 きっとまた、どこかで、リアルに会うんだろうと、 話していて思った。。。 友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする。 小学校の4年生の時、教室に下げてあった週替わりの格言集 こういうときの言葉??? 明日一日頑張ったら、また、ちょっと一息つけるなぁ
2010年04月29日
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明日に備えて、早く寝ることにしようかな・・・
2010年04月26日
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三つ葉だらけの庭なんだが・・・ 今日の本命です!もう、欣喜雀躍、狂喜乱舞! 雌伏三年、この蕾! 蕾で、この嬉しさですから、 花が咲いたら、もう、毎日写真載せると思います。 むふふ・・・ 最後にまともな花を何か・・・
2010年04月25日
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今日は、厄落としに、いきつけのうなぎ屋へ 前に行った時に、店主が、 「今度の休みにコゴミを採りに行く予定です。」と言っていたので、 ちょっと楽しみにしていた。 で、突き出しが、コゴミの練りゴマ和え それから、タラの芽の煮浸しが出て、 ちょっと上等なコシアブラの煮浸しも出て、 その後、店主の一番の好物と言うノビルの酢味噌和え。 美味しかったし、話も弾んだ。 で、前にドクターから教えてもらった天神坂の女将さんの「四季の田舎料理」 3月に女将さんが亡くなられたので、絶版にならないうちにと あわてて買ったと話したら、 是非、自分もほしいと言われた。 追加で注文ができるなら代わりに買ってあげましょうということで、 いつものうなぎを仕上げに食べて帰ってきた。 amazonでの注文ができたので、 夕方、裏庭の三つ葉を刈り取ったものを添えて、 もう一度、店に行って渡してきた。 農文協の本だから、すぐに無くなることは無いだろうと、 思っていたけど、注文できてほっとした。 三つ葉は、今年の初採りで、 雨の多かったせいで、瑞々しく軟らかい。 地際からポキポキと折って収穫する。 そこらで売っているのと違って、野生みたいな育ち方だし、 完全無農薬放任栽培だから、安全だ。 葉っぱは、3枚を広げると私の手の平くらいは軽くある。 茎は、30センチくらい。軟らかい。。。 なんたって、持って行ったあと、自分でも食べたから間違いない。 摘みたての一番太い部分を折って生で食べても大丈夫だった。 繊維が硬くないから、ポキポキ折れるし、 太くて軟らかく、香気がある。。。 三つ葉は、茹で減りしないので、太い茎だけをまず茹でた。 下ごしらえも何もない。 茎を7センチほどの長さに切りそろえて塩茹でするだけだ。 でも、自宅用の今日の分で、1時間ほどかかった。 量が多かったからだ。。。 今、葉の方は、茹でてから水に晒している。 茎を食べる野草だが、葉も食べられる。 私の三つ葉の認識はそんな感じだ。 葉は、普段は展開したばかりのものだけを摘むが、 今日の収穫場所は、特等席で、 そうじゃないのも美味しく食べられる。 一度収穫を始めると、もう青菜は三つ葉とニラばかりになる。。。 他の庭の雑草も食べられたら、もっと幸せなんだけどなぁ・・・ 明日葉もいっぱいあるけど、系統が同じだし。。。 ま、今日は、そんなこんなで贅沢をしたので、 気持ちよく、肋骨をさすっています。。。
2010年04月24日
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昨日は朝のうち、冷たい雨が降っていた。 焦ってはいなかったが、急いでいた。 手には書類を持っていた。 職場の土間と廊下の段差、20センチも無い。 その縁にいつものように右脚を掛けた次の瞬間、 思い切り滑った。 運悪く、履いていたのはアディダスのスリッパで、 足を包み込んで履くスニーカーではない。 段差の縁の滑り止め金具が濡れていて、スリッパも滑ったが、 その中で、私の足も滑った。 12年いるけど、あそこで滑ったのは、初めてだし、 51年間の人生で、あそこまで見事に滑ったことも、 初めてだ。。。 私は、書類を持った手をバンザイしたまま、 とっさの癖で左ひざをかばいながら、 右の胸部から接地した。。。 そこには、20センチ近い段差・・・ 滑り止め金具が角を覆っているものの、 右の肋骨の下の方、3本目か4本目あたりの中央よりを強打した。 まず、痛いより、恥ずかしいが先に立つような 見事なこけ方だったが、私は左膝の無事を確めて安堵していた。 それからはるか前方の人影を確め、 誰も居ないはずの周囲を見回した。 誰か居れば、声をかけてくれるようなこけ方だったから、 誰も居ないことは自明だった。。。 それから、何事も無かったように仕事に戻ったが、 暫くして、右のあばら骨にひびが入っていることに気付いた。 くしゃみも、咳も痛いけど、笑っても痛いのだ。。。 姿勢、角度によっても痛い。。。 まったく、ご難続きの春だ。。。 人に聞いても、ネットで見ても、 あばら骨の亀裂骨折は、湿布と安静。 痛みが強ければコルセットと書いてあった。 痛みは、何もしなければ感じないが、 結構笑うことが多い日常なので、愉快なことがあるたびに痛い! 早くて三週間だとか書いてあった。 とりあえず、運動をすることも無い中年だし、 くしゃみは止め方を知っているから大丈夫だ。 笑わないためには、人と一緒に居てはいけない・・・ 咳は、咽喉を潤せば大丈夫だろう。。。 おばあちゃんの圧迫骨折って、こんな感じだったのかなぁ。。。 じわっと、おばあちゃんのこと、考えていた。 今、患部には、56個のプチシルマが、 まとめ貼りしてあります。 無題 人生多波瀾 誰知段差高 欠伸咳団欒 激痛俄暗澹
2010年04月23日
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昨日のブログにも書いたんだけど、 まとめがいした古着の山の、 大島紬と思われる一群の着物には、 不思議な?不思議な?特徴があって、 単に地味なだけでなく、 袖が極端に短いし、且つ、袖も脇開きも無かった。。。 もし、私の身の回りに、着物を着る男性が居たら、 即座に「それは男物だから当たり前」と、 教えてくれたことだろうが、 あるいは、私も見て、知っていたことだろうが、 今日のついさっきまで、私はそれがわからなかった。 で、職場で同僚に尋ねたりもしたが、 誰も知らなかった・・・ 着物を着るような生活をしている男性や そんな男性を家族に持つ女性が、居ない職場だ・・・ ADHDの私には、ADHD的こだわりがあって、 わからないことをそのままにしておくことは 咽喉に刺さった小骨、 歯に挟まった貝柱、 指先に刺さった棘、 これらを除去しないのと同じくらいの不快度。 つまり、解決無しには何もできない。 そんな重大なことだったのが、あっさり解決。 なんだ、女性の着物にはつきものの「身八つ口」 男性の着物には無かったのだった。。。 解決の糸口は、「身八つ口」と言う言葉に行き着いたこと。 昨日書いてた手描き友禅の着物の変色の原因が、 裏地に使われている紅絹の色落ちだと気付いて、 そこから紅絹裏について調べているうちに、 「身八つ口」を見つけ、 それを調べて、男女の違いにたどり着いたのだった。 これで、今夜は、安らかに眠れそうな気がする。 明日、あさってと、大きな仕事が続くので、 ちょっとほっとした気分だ。 それにしても、恐るべし色落ち・・・ 大き目の地模様に描かれた花車。金彩、刺繍、 全てが台無しになっている。。。 今朝、庭をベッドから見たら、 山吹がいっぱい咲いていた。 鬱金桜も咲いていて・・・春は長けていっている。 小芋は、単語は知っていました。 「紅絹裏」「身八つ口」「花車」「おはしょり」 今日新たに知った言葉は「湯文字」・・・ ますます、着物が遠のいて行く感じです。。。
2010年04月21日
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もう1ヶ月以上になるのですが、 ヤフーのオークションで、 36枚の古着と帯のセットを買いました。 そのうちのほんの何枚かが、大島紬のような色だったから。 そして、届いた時、最初、先方のミスで? 21枚だけ入ったダンボールが届きました。 枚数と状態を確認して、日焼けでぼろぼろの色内掛けや、 絶対にシルクではない化繊の着物を入れても、 15枚足りない計算でした。 相当ルーズな出品者のようでしたが、 1枚や2枚ならともかく、15枚はすごすぎ・・・ それで、不足があることを伝えました。 すると、もう一箱、後日送られてきました。 つまり最初から2箱分の大量の端切れの山と、 思えば良かったのですが・・・ 明らかに大島紬の古い単衣物とかも1枚は入っていて、 ほかに、大島っぽい古着も3枚くらいありました。 私がほしかったのは、それらだけだったので、 他のものは、まあ、いわば邪魔です。 でも、一応、時間をかけて、チェックしています。 1枚は正絹の地模様を空色に染めて、 その上にところどころ手描きっぽく綺麗な木の葉が、 描き散らしてあります。 まともな普通の着物はそれくらいでしょうか・・・ すごい古い中振袖、大きな地模様に、 豪華な四季の花が手描き?で描いてあって、 金彩も施してありますが、 染めてある色が、両方の袖の色と、見頃の裾とでまるで違う。 色落ちなのか、変色なのか??? サーモンピンクとオレンジくらい違うんです。 あんな豪華な地模様が織り込んであるのに、 勿体ないです・・・ 金彩があるので、染め直しとかもできないはず。。。 もっとすごいものも、昨日、気付きました。 一見「泥藍大島紬」風の、実際には雑なプリント染め模様。 ちゃちな着物だと、汚れた襟や袖をはずしてよく見ると、 なんと、布の裏側に、古い模様と、ところどころに金彩が! 裏側は真っ黒に染めてあるけど、 元は、別の地色で別の模様の染めてある布だったのだ。 ほどいたものなのか、最初から反物が汚れて染め直したのか・・・ ともかくも、最低の染め大島紬風の着物と見えたのは、 実に複雑な歴史を持った布からできていたのだった。 ところどころにだけ金彩がさしてあるから、 それなりの意図で入れた元の文様もあっただろうし、 生地自体がしっかりした紬。絹だった。 裏地も八掛も全部、絹だったし、一部は紬だった。 こうやって現実逃避の日々が流れていくような気がするよ・・・
2010年04月20日
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父のいびきはすごくて、 なるほど、叔母ちゃんが悲鳴を上げただけのことは、 十二分にありました。。。 16日の通夜のあと、 17日の家族葬を終えて眠るまでの間、 色んなことを考えました。 お通夜の精進料理が美味しかったとか、 父が、アルコールが無いのを不満に思っていることに、 不安を感じたりとか・・・ だって、通夜の泊まりを叔母と、従兄弟夫婦にお願いして 帰宅した後で、父は、ビール飲んでましたもん。 これまでの父の親族の通夜の時は、 確かにアルコールがありました。 そして、父の親族はみんな酒飲みでした。 だから、男性で、生き残っているのは、 4月に79歳になった父が最高齢です。 酒を好み、タバコを吸い、辛いものを食べ、 熱い風呂に入り、熱心に仕事をし、 みんな早死にしました。。。 父は、18歳から、大学で関西に住み始め、 関西人の母と結婚したので、薄味に馴染みました。 40代で禁煙したので、肺も綺麗です。 40過ぎに今の家を建ててから、 一升酒は無くなって、そこそこになったので、 肝臓も大丈夫です。 仕事も、お気楽な国立大学教授で、63歳まで勤め、 今も自分のペースでラテン語の翻訳。 それでも、父は、胃も無いし、糖尿病だし、 脳梗塞はやってるし、心臓にはペースメーカーだし。。。 血圧は高いし、足元はふらつくし、 毎年、なにか新しい症状を追加しています。 去年は、右肩を痛めて、肩甲骨が変形したし、 今年は、ぎっくり腰のあと自宅でこけて、 教科書どおりに腰の骨を骨折しています。 でも、懲りないし、毎晩のアルコールを止めません。 本人は、アルコールを摂っているということを 気にかけていないけど、ジュースに入れます。 一日も休まずに、40度近いブラックニッカを たとえキャップ1杯でも、それは、缶ビールと同じくらいになる。 多い日は、そんなジュースを 午後と夜とで、2回くらい作って飲んでいます。 毎晩、夜中にトイレに起きた後、今度は睡眠薬を飲みます。 自宅で、卒倒しても、仕方ない日常ですね。。。 だから、葬儀の日の朝、とっても具合が悪かったです。 ふらふらで、集中力が無くて、足もとが危なくて、 9時からの食事のあと、横になって、11時からの葬儀、 その後、山奥の火葬場に霊柩車の後を運転して行って、 着いた頃、やっと、ちょっと父の状態が安定しました。 私は、予定通り、おばあちゃんの棺に、 おばあちゃんとお揃いになるように作ったスカーフを入れました。 だから、これから、私はずっとおそろいのスカーフを持ってる。 控え室で待つのがもったいないような良い天気だったので、 私は外に出て、ウグイスの鳴く声を聞いていました。 ふっと目を上げたとき、それまで何も無かった建物の上に、煙が見えました。 ああ、おばあちゃんが青い空の彼方に昇っていくところだと、 見ていてわかりました。 小さな骨壷におばあちゃんを納めて、 また葬祭場に戻りました。 今度は、初七日のお経を上げました。 そして、早くも精進明けのお膳を囲んで、 まだ食べている人もいる中、従兄弟夫婦を新幹線の駅まで送りました。 戻ってきたときは、もう撤収完了後でしたので、自宅です。 遅い夜食を囲んで、それから叔母にお風呂を使ってもらって、 寝たのは日付が変わってから。。。 父が作っていたおばあちゃんの死去を告知する文書で、 寝る前に一悶着ありましたが、まあ、母が入って決着。 人間は年をとると、頑なに頑なになることがわかります。 ご近所にも一切知らせないで、身内だけで豪華に葬儀を済ませたので、 それを老人会の会長として会員に告知するのも、文章が難しいのです。 一夜明けて、今朝は、また運転手。 叔母を新幹線の駅まで送りました。 遠い富山から、3週間の間に2度も足を運んでもらったのですが、 一人暮らしの叔母も、一人で守っている家があり、仏壇があるので、 そういつまでも居られません。 みんなそれぞれの老いを抱えて生きています。 母にも、父にも、健勝であってほしいと願うばかりです。 私の自宅にも、今年還暦を迎える元夫君が居ます。 人生は難しいです。 シンプルにいきたいです。。。
2010年04月18日
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今日は、朝早くに家を出て、実家に向いました。妹が迎えに来てくれたので、新幹線の駅から斎場に直行。そこで、一人で居た母と交代して、おばあちゃんの居る控え室に居ました。11時前から、4時過ぎまで、一人で居ました。その間に、斎場の方や係りの方が見えて、おばあちゃんの棺を控え室から祭壇に移したり、供花が盛られたりしました。控え室では、ちょうど食事時だったので、斎場の前のお店で、揚げたてのフライドポテトを買ってきて、あれこれ、おばあちゃんに話しかけながら、食べました。おばあちゃんは、ポテトチップスとカッパえびせんが好きだったの。だから、最後に一緒に食べるのは、フライドポテトにしました。お母さんとかが居たら、ありえない選択肢ですが、私一人だったので、大丈夫・・・それから、持っていった着物を広げて、おばあちゃんにあれこれ説明するように独り言言っていました。それから、おばあちゃんと祭壇のほうに移って、小さな声で、何度も般若心経を唱えたり、仏教聖歌を歌ったりしました。そのうちに、だんだん家族や親族がそろってきて、6時前にお寺さんがおいででした。ほんの十人足らずの家族だけの通夜、葬儀だけど、祭壇も供花も立派で、花の好きだったおばあちゃんにふさわしい美しい花が棺の周りに溢れています。100人規模の葬儀にも劣らない、立派なお通夜でした。お寺さんも、毎月月命日のお参りに来てくださるので、「何十年も一緒にあげて来た、同じお経を」と、言って下さって、先月はおうちでおばあちゃんも一緒にあげたお経を、あげてくださいました。般若心経と、修證義と、観音経と・・・お寺さんが、お父様がご健在のご実家の安養寺(重要文化財の仏像があります)を出て、修行を終えて永平寺から戻られ、廃寺となっていたは飯倉寺を再興されて以来、ずっと毎月来てくださっていて、本当に何十年なので、朝な夕なお経を欠かさないおばあちゃんは、お寺さんにとっても尊い存在だったと思います。お通夜のお経のあと、久しぶりに荒山徹氏やその細君、我が叔母たるご母堂、そして私の妹の家族とも会食をしました。といっても、精進の粗飯でしたが・・・父は、今夜も泊まると言いましたが、叔母が、「お兄ちゃんのいびきだけはいやだ!」と言ってくれたので、連れて帰りました。母も、ほとんど休めていないので、叔母の言葉に甘えて連れて帰りました。今夜は、叔母と、荒山徹氏とその細君と、三人が泊まっています。ちなみに、斎場、徒歩5分です!明日は野辺送りもあるので、暖かくなってくれると嬉しいけどなぁ。。。久しぶりに見る荒山徹氏は、COPDで亡くなられた彼の父君に、本当に似てきました。ま、確か父君と違って喫煙はしない人だったと記憶しているので、COPDは大丈夫でしょう。私の職場では、去年から着任した副支店長が、ずっと、COPDのより悪化した症状か?っていうような咳を絶えず響かせています。何を言っても絶対にマスクをしないところをみると、風邪やインフルエンザではないようで、ずっと仕事中に噛んでいるガムと共に、彼の悪名をさらに高めています・・・さて、明日は葬儀です。 今日よりさらに二人、仕方ない事情で少なくなることもあり、しんみりと、過ごすことになりそうです。笑顔のおばあちゃんを心に抱きしめて、明日を迎えよう!
2010年04月16日
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先ほど、死亡が確認されました。 安らかな最期でした。 そう書いてあった。 3月27日の、私の誕生日の朝ご飯のあと、 おばあちゃんは、突然動けなくなって、 母を大声で呼んだ。 動けなくなったおばあちゃんを見て、 母は、父を大声で・・・ そして、救急車で、病院に運ばれて・・・ いろんなことがあったけど、4月5日に 6人部屋を出て、プライバシーのない不快から解放されてからは、 おばあちゃんはすごくおばあちゃんらしくなった。 全身全霊で、自分の尊厳を守ろうとした。 その姿は、多分、人によっては理解できないものだったかもしれない。 でも、士族の家柄に生まれ、大切な末娘として育ち、 子供のときから股関節が不自由で、 色々なことを努力して乗り越えてきたおばあちゃんにとって、 努力しても努力しても乗り越えられない自力排泄の実現は、 生きる気力を削ぐものだったと思う。 ポータブルへの移乗ができるなら、 そうしてくれていただろうから、 移乗もできないほど、腰の骨折は重かったということか。 残念だけど、これは、受け止めなきゃいけない現実だ。 メールで確認したら、午前0時35分が、 正式な死亡時刻だと返事が着た。 私は、16日から忌引きだ。 夜が明けたらその連絡を忘れないようにしなければ。 無理にでも、ちょっと眠ろう。 しっかりしなきゃ。 祥月命日は4月16日、 これから月命日のお参りは、おじいちゃんの20日と、 おばあちゃんの16日のどちらかになる。。。
2010年04月16日
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丁度、富山の叔母ちゃんも着てくれているときだし、 こんな夜中だけど、病院から電話があって、 「血圧が出ない」って・・・ それで、妹の主人の車で病院に行くところだと。 昨日、今日と、おばあちゃんは、食べないのに、排泄があった。 意識でコントロールしていた排泄を、 もう、コントロールできない状態なんだと、 母から、その話を聞いて思っていた。 元々、明日は、仕事がキャンセルになっている日で、 いつでも休めると思っていた。 午後から休みを取って、実家に帰ろうと思っていた。 その打ち合わせを、毎晩の9時の電話の定期便でもしたし、 その時は、「夕方着くから」って言ったけど、 明日の、朝、一番で行こう。 おばあちゃんに会いに。 私の、おばあちゃんに、会いに。。。 おばあちゃん、待っててね。。。
2010年04月15日
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おばあちゃんは、水分を摂らなくなって、 衰弱が激しくなった。 でも、今日、ミスト入浴をしてもらえた。 日中、ほとんど目をつぶっているのに、 お寺さんが、お見舞いに病室に来てくださったとき、 お寺さんの声かけに反応して、 おばあちゃんは、目を開けて、 両手をあわせていたって、 お母さんが言ってた。 私がベッドサイドについてたときも、 おばあちゃんが痛がったとき、 「ああ、ありがとうございます」って良いながら、 私がさすってあげると、 おばあちゃんは、「ありがとうございます」って 一緒に言って、手を合わせてたよね。 元気だった頃にそうしていたように、 痛みを堪えていたよね。。。 朝は、手の指がうっ血していたようだった。 夕方は足の指がうっ血したいたようす。 気がかりだけど、もう、どうしてあげることもできない。 おばあちゃん自身が、望んでいないからだ。 必死でベッドを降りようとした、 床を這ってまで行こうとした、 何とか壁伝いに行きたがった、 自分の尊厳を守るための排泄。。。 一時的に入院手術などでオムツに排泄するのと違って、 今それを受け入れたら、最期の瞬間まで排泄の介助を必要とする。 おばあちゃんは、そうなってまで生きたいとは、 願っていないようすだった・・・ 96歳、数えでは98歳。。。 小さな紅白のお菓子を準備するような長寿だった。 おばあちゃんが生きたいと思えば、生きられる。 もう、これ以上はいやだと思ったら、 そっと人生を終えることができる。 お医者さんは、もし今亡くなられたら、 「老衰」です。 そう、おっしゃったそうだ。 30キロにも満たないおばあちゃんの小さな体で、 おばあちゃんは、一生懸命最期の時を生きている。 自分らしく在りたいと、精一杯の努力をしながら・・・ 飯倉寺さま、今日は、お見舞いいただき、 本当にありがとうございました。。。 祖母も、言葉では申せませんでしたが、 お心遣いにきっときっと感謝して居ります。
2010年04月13日
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夜中に立って壁を伝い歩きしていたと聞いて以来、 おばあちゃんは消耗が激しい。 ほとんど食べないし、また水分も意識しては摂らない。 一昨日までは、まだ言葉も出ていたようだけど、 昨日は口数少なく、 今日は、意識も低下していたようだ。 3月27・28・29・30・31 4月01・02・03・04・05 06・07・08・09・10 11・12・13・14・15・・・ おばあちゃんが苦しくないようにって、 それが今の願い。。。 yumiさんと、新センセイの鞄を見に行くこともできた。 谷崎潤一郎賞を受賞した原作も読んでいるけど、 意識として先にジュリーのお芝居を見ているから、 お芝居から入ってしまう。 DVDを買って観てた時よりも、 マキノさんの解釈が踏み込んでいるので、 それがじわっと、心に沁みた。 センセイが亡くなるのは75歳を前にしてのこと? 登場する摂津先生は、末期の大腸がんとされていたけど、 訃報を聞いた井上ひさしさんは75歳で肺ガンだった。 男性にとっては「リアリテー」のある年齢なのだろうか。 でも、本当はそんな簡単には人は亡くならないものだと思った。 今回のお芝居の中では、 ツキ子さんは、多分同居もしていないし、 葬儀にも参列しただけだ。 身内であるセンセイの一人息子から、 葬儀の後で手渡された、空っぽの「センセイの鞄」 でも、それは、もはや、センセイの一部でもあるものだ。 文学作品をどう読むかは、読者の自由だ。 作品としてのお芝居の解釈もまた、自由だ。 だから私は、空っぽのセンセイの鞄には、 これからのツキ子さんの人生を 淡々と、しっかりと、幸福に生きてほしいという願いが、 込められていたと思う。 たくさんの思い出を空っぽの鞄につめこんで、 時に、乾電池のように、時に汽車土瓶のように、 鞄から、その思い出を愛おしく取り出しながら、 一人でも、決して孤独ではない次の人生の時間を、 愛した人に生きて欲しいと、 二人の間に、本当の愛情があったならば、 先に旅立つ者は、思うだろう。 打算や、予定といったものの入り込む余地のない 純粋に、「好き」=傍に居たい と言う愛情は、 年齢の差や、境遇の違いを乗り越える。 同じ時間帯に同じ店で飲食し、 飲食の好みが一緒と言うことは、 価値観や、生活習慣が近いということで、 それだけですでに、 良い感じなんである・・・ 今度、行きつけのお好み焼き屋で、 スジネギ焼きをソースで食べてる中年を探そう!! ワインや、ローストビーフや鰻、では、 財布の心配をしなきゃいけないから、 近所のお好み焼き屋か、 おいしい十割蕎麦を打ち立てで出してくれる店、 そのあたりを中心に探してみよう・・・
2010年04月11日
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一昨日の晩は、とうとう、 壁を伝い歩きしていたそうだ。 病院が危険を察知して、ベッドの高さを下げた。 つまり、降りたがるのは仕方ないから、 降りたときに怪我をしないように、 病院としては処置したということだ。 でも、無理があったのか、痛かったのか、 昨夜は大人しかったらしい。 栄養補給が少ないせいで、 どんどん無理がきかなくなっているのかもしれない。 今日は入浴の介護を受けられる日だったので、 さっぱりして気持ちよかったと思うけど、 体力消耗もあったのか、 おばあちゃんはうとうとしてる時間が多かったようだ。 朝、少し卵焼きを食べたらしいが、 口に合わなくて、例の一口だけに終わったみたい。 それを、昼食の介助に行った母に、 「今朝は、ふわふわの卵焼きを作ったけど、 kunikoさんの作ったのと、味が違ったから、 台所の棚にしまってあるから。」 そんな風に話したという。 妹から朝のメニューを聞いて、母も納得していた。 幻覚・妄想と、現実とを結ぶ何かがあるのだ。 おばあちゃんの目には、見知らぬ男性や幼い子供の姿が、 次々に見えるらしいが、 それを見てるのはおばあちゃんだけだ。 なんだか、智恵子抄の一節を思い出してしまう。 明日で、おばあちゃんが倒れてから2週間。。。
2010年04月09日
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昨夜、私は母に電話で頼んだ。 おばあちゃんに、症状を説明するのは、家族や看護婦ではなくて、 おばあちゃんが権威を認める医師でなきゃダメだから、 お医者さんに症状をしっかり説明してもらって。ってね。 どうせ聞こえないとか、どうせわからないとか、 そんな判断を下してはいけないと母に訴えたのだ。 母は、今までも、婦長さんとかから言ってもらってる 自分達も散々説明したと、抵抗したけど、 それは本当に説明したことにならない。 インフォームドコンセントを、当事者以外がしっかり受けても、 当事者が蚊帳の外では、意味がない。 おばあちゃんは、補聴器をつけても耳も遠いけど、 確かに今は意識の混乱もあるけど、 おばあちゃんの骨折はおばあちゃんのものだし、 おばあちゃんの混乱はおばあちゃんのものだ。 母は、25年前の父の胃の手術の時に、 きちんと説明しなくて、その結果を今も引きずっている。 そのときも、私はきちんと言うように言ったけど、 母は聞き入れなかった。 母は、母としてはその時の最善を選んだと思うのだろうが、 どんな病気も、本人の病気だということを その直後から、何度も痛感してきたはずだ。 なのに、同じ事をまた繰り返そうとしていた。 闘病の主体は母ではない以上、情報はきちんと選別せずに伝えて、 当事者に判断させ、その判断が間違っていたら、 間違っていると指摘すれば良いのだ。 情報を伝えず、判断をする機会を与えずに 当事者の混乱を増幅しておいて、 それに振り回されて疲弊してはしょうがないというものだ。 今朝、朝食の介助に、いつもより少し早く、妹が行って、 そこで見たものは、ベッドの柵を持ち上げて外して、 今にもベッドから脱出しようとするおばあちゃんだったそうだ。 妹が看護婦さんを呼んで止めさせたのだが、 看護婦さんいわく、 「ゆうべは、床を這っとってでした」 おばあちゃんは、昨夜、脱出に成功したのだ!!! そして、自分が立てないという現実に直面し、 とりあえず、部屋の前の看護婦詰め所近くまで這って行った? のに、今朝も、また、ベッドの柵を外していたのだった。。。 今日の昼に、母が婦長さんからお医者さんに頼んで、 夕方、お医者さんの説明があったようだ。 昼間、昼食の介助に行った母に、 おばあちゃんは、言ったそうだ。 「お手洗いに自分で行ったんだけど、 思った以上に不潔で、虫がいっぱい居た。 だから、もう、行くのは止めておしめを使うことにした」 母は、おばあちゃんが、もう諦めたと思ったようだが、 私はそうは思わない。 これは、機制の一種だ。 そして、おばあちゃんは、自分で食べたいものを 昔買い物に行っていた店に買いに行ったそうだ。 勿論、それは、妄想に過ぎない。 で、この妄想の訴えるところは、 美味しいものを自分で選んで食べたいということだ。 現に、おばあちゃんは空腹でも病院の食事を受け付けない。 なんだって、おばあちゃんに流動食なんだか??? しかもご飯だけは普通のご飯。 おばあちゃんは、好き嫌いがはっきりあるし、 まずかったら、一口食べてやめる。 それは、昔からだ。。。ボケたからではない。 美味しい果物、上等な漬物、箱寿司、塩辛い魚、 熱いお茶、冷たい水、歯ごたえのある物! そんな誰でも好むものを、普通の人より強く希求するだけだ。
2010年04月07日
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昨日、書かなかったけど、 私は、昨日の昼間、おばあちゃんの入院してる病院で、 車に当てられて、 病院の車椅子に乗せられて、 看護婦さんに押されて移動するという、 すごい悲劇に見舞われていたんです。。。 本当なら、今朝も病院でおばあちゃんの介助をしてから 明日からの仕事に備えて自宅に戻るつもりでした。 ところが、車に当てられて、左ひざを痛めてしまったために、 役に立たない状態になってしまい、 おばあちゃんの杖を借りて、びっこを引き引き 新幹線で帰ってきたのです。 徹君にも会わず仕舞いでした・・・ 明日からの仕事への影響も懸念されて、 多めに薬は飲んで寝たものの、 今朝は痛みで目が覚めた位でした。 ただ、この左膝の半月板のロッキング症状、 今回は、かなり浅めの症状だったので、 寝る姿勢も楽にとれては居たのですが・・・ 人の世話になるのは、情けないものですよね。 私が、血縁も無いのに、祖母に可愛がってもらえるのは、 膝の故障という大きな共通点があるからかもしれません。 昨日の晩、無事に怪我をせずにいた祖母は、 ミスト入浴と言う文明的な方法で、 久しぶりの入浴をしてもらい、 その後に徹君も大阪から来てくれて、 個室の主としてすごく元気だったようです。 3月27日に倒れる前から、 圧迫骨折で、肋骨が折れていたようで、 痛みがあって、不調だったこともあり、 3月はたった1度しか入浴していなかったのだそうです。 祖母のような高齢者にとって、 入浴は楽しみである反面、体力の消耗が大きく、 判断は難しいところです。 清拭では取りきれない汚れと不快感があります。 ミスト浴でベッドのまま介助を受けられるのは、 本当にラッキーです。 週に2度、ミスト入浴ができるそうです。 綺麗好きな祖母にとっては、大きな楽しみでしょう。 倒れた直後の祖母の状態しか見ていないと、 お医者様の判断も正しかったと思うかもしれませんが、 今の祖母は、多分、もっともっと強い生命力を持っていそうです。 明日からの仕事に備えて、私は実家に戻りましたが、 当面は、新しい個室での生活に祖母がなじみ、 私の出番が無くなりそうだと、希望的観測を抱いています。 送ってもらった駅で、妹にも、4月はもう帰らないと伝えました。 yumiさんとは、10日に、新神戸で会えます。 いや、会います! ところで、病院で私に追突して 私の左膝の半月板にロッキングを起こさせたのは、 普通の車ではありません。 車は車でも、車椅子。 しかも、操作していたのは、若い看護婦さん。 乗っていたのは、体重の重い男性でした。 私は、右脚のくるぶしに車椅子のフットレスト周辺部があたり、 バランスを失って倒れた時に、左膝を捻ったのです。 私も妹もヘルパー2級を持っていますが、 あの車椅子の操作は、看護婦さんが悪いと思います。 猛スピードだったんですよ。 妹も怒っていましたが、私は、それ以前に気が動転していて・・・ 単に詰め所の前の廊下で別の看護婦さんに、 部屋を移る予定の時間を確認していただけだったの。 右後ろから、不意打ちだったので、 多分トイレから出てすぐだったのでしょうね。 今日、午後には、ロッキングは治ってくれました。 治るのも不意なので、それが困ったものです。 急に、杖が無駄になるんだもの・・・
2010年04月06日
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金鳳花が咲いて、蓮華草が咲いて 桃が咲いて、桜が咲いて、姫リンゴ、海棠、 どれも春を誇らかに咲いている。 毎日片道10分のドライブでおばあちゃんの入院する病院へ。 黄色いオキザリスが蛍光色に咲き誇る。 なぜか北浦地方に蘇鉄の植えてある一角があって、 「なしてかねぇ?」って父に聞いたら、 「昔、植物園があったとこやろう」とのこと。 なにも知らなかった。 その昔、母が定年間際まで勤めた最後の勤め先の中学は、 綺麗に更地になって、今は「売地・貸地も可」と書かれている。 あらゆるものが都会へ移っていって、 田舎は老人しか残らない。 私の実家は、それでも、地元の小学校と幼稚園と保育園と 養護施設とがくっついたところに程近いから、 子供の声を聞くことができる。 隣は独居老人。 向いも独居老人。 もう一方の隣の二軒は、高齢者夫婦。 そして我が家も両親と祖母の高齢家族だった。 祖母の病室は、6人部屋のほかの5人が皆さん施設からだったけど、 自宅に居た祖母が一番多分わがままだった。 大きな施設に入っていた人たちは、 骨折や大病をした時に施設からくるので、 戻りたいと言わない。 そもそも家族は同居していないから、 施設に暮らすようになったのだろう。 「帰りたいねぇ。。。」 「どけぇ帰るかねっちゃ」 「○○さんはどねーしちょるかねぇ」 「お父さんは7年前に死んだそやろ!」 「××さんはね?」 「××も死んだっちゃ。 はあ誰もおらんごとなったけぇ、 あんたぁ、△△園に入ったほよ」 「みんなおらんごとなった・・・」 「むすめがおるやろう。こねぇして来ちょらーね。」 こんな会話があるのは、見舞いがある人だけだ。 それにしても、私は、どうしても、 自分の親を「あんた」と呼ぶ習慣を受け入れられない。 ニュアンスが違うのだけれど、 自分が使うことは想像もできない。 おばあちゃんの向かいのベッドのおばあさんは、 おばあちゃんよりも5歳若いだけだが、 左隣の頭のはっきりしているおばあさんは、 我が家のおばあちゃんより10歳若い。 今日も、意気軒昂な時と、茫然自失な時と、 おばあちゃんはまだらな状態を繰り返したようだ。 で、2時過ぎに、とうとう念願かなって個室に移ったら、 一気に、意気軒昂度が跳ね上がり、 これまでの6人部屋でのプライバシーの無さ、 色々な不満から開放されて、 後は、自分で起きて排泄するという一点に 集中している。。。 今夜は、ベッドから転落しないことを祈るのみ。。。 病院の説明では、ベッドの柵は、飛び降りる人が居るので、 右の足元は外してあるのだそうだ。 今までは、4つあった柵が、3つに減ったことに、 母は戸惑ったけど、 ずり落ちる方が怪我は軽いからだと・・・ プロは、修羅場をいっぱい知っているんだなぁ。。。 今日の、個室になってからのおばあちゃんは、 意気軒昂どころか、意気衝天の状態です。 周りの人たちには、命令形で話します。 さすが、上級な士族のお嬢様だった96歳。 食物も水分も摂らなくなったと聞いて私が駆けつけたときとは、 別人のような気力です。。。 人は、気力と水分さえあれば、生きられるのですね。 おばあちゃん、明日は、大阪から、可愛い孫の徹君が来るよ!
2010年04月05日
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たとえば、自宅で倒れて意識を失い、 救急車で運ばれて緊急入院して急遽手術になったとします。 意識が戻ったとき、自分の知らない場所で、 知らない人に囲まれて、 あちこちに針が刺さったり管がついていたり、 気持ち悪くて振り払おうとしても、 顔に絆創膏でマスクが貼ってあって。。。 そんな時、年齢が高いと、譫妄に陥る率は高くなります。 交通事故などでもそうですが、 もちろん、了解して手術した後でも、 譫妄が出ることがあります。 そんな時、家族が譫妄を正しく理解していなかったら、 脳に障害が出た、もう駄目だ!と、誤解されてしまいます。 譫妄は、誤解の多い症状ですが、 術後などの譫妄は、治療法もあり、対処をちゃんとすれば、 軽快しもとの生活を取り戻せます。 しかし、それを知らないで、鎮静剤を打たれたり、 薬を飲まされたりすると、譫妄が悪化することがあります。 また、脳に栄養がいかない状態では、 譫妄が軽快しにくいものです。 痴呆状態と、譫妄とは違うものだということ、 二つの症状がどちらも出る場合もあるので、 高齢者は、対応が厄介ですが、 私達は、今のうちに知っておくことが、大事でしょうね。 今日のおばあちゃんは、お昼に私の手から少し食べた以外は、 飲むことも食べることもなかったようです。 私が休みを取れるのも、あと二日。 私のために持ち直してくれていたのでしょうか・・・
2010年04月04日
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今日、午後からおばあちゃんと居ると、 おばあちゃんが、なんだか寝台列車で旅行中みたい。 ベッドとカーテンと、周囲の患者さんと、職員の人と、 家族の私達・・・ 一緒にどこかに連れ立って出かけている? そんな夢の中に居たのかな? なんだかそんなことを口にしたなぁ。 それから、全力を振り絞って起きて、 ベッドから降りて自分でトイレに行こうとしていました。 その間、本当に大変でした。。。 とめても、なだめても、 自分では座れて、歩けて、自分でできると思っています。 反対に、本当はできるんじゃないかと、 私が思ってしまうほどです。 でも、今日のその努力の最中に、二人の看護婦さんが来て、 おしめを取り替えてくれたら、 その後は、それまでの気位がずたずたになったみたいに、 別人のようにおとなしくなってしまいました。 4時過ぎに妹と交代してもらったのですが、 その後、幻覚を話し始めて大変だったようです。 難しいなぁ・・・ 私は、困難を見ていないけど、 母や妹、そして叔母には困惑の連続、 また、病院の職員や同室の方には、 ひとしきりご迷惑をおかけしているようです。 生きてるって、難しいことなんですね。 幸福に長生きしていても・・・ つくづく、我が身の老い、両親の老いを考えさせられます。 父も、腰の骨折はそのまま、運転も再開し、 近所は歩けるようになっています。 大きな事故や怪我が無いように祈るばかり。。。 そう言えば、自宅に残してきたジルベルトは、 なにやら大きな故障を抱えているようです。 後ろ足の靭帯の断裂があるそうで、 このままだともう一方の靭帯も切れると、 そうなったら歩けないと、 大阪まで行って受診した病院で言われていました。 手術があるようです。 4月の17日かな? 大変なことばかり
2010年04月03日
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今朝、私が行ったときはほとんど朝食も食べずに うとうとしている状態でした。 午後から本格的に母とかわってベッドサイドに居ました。 お昼ご飯にも口をつけることも無く、 ただただうとうとしていました。 時々つらそうな顔になるので、 さすってあげたり、足をマッサージしてあげたり。 手を握ってあげたりしていました。 今日は、同室の皆さんの様子も何かと不穏でしたが。。。 向かいのベッドの方は、昨日は明るく朗らかだったのに、 今日は「死にたい」「長く生き過ぎた」と泣いて。 お見舞いの娘さんは昨日がお姉さんで今日は妹さん。 こんなことは聞いていなかったとがっかりしておいででした。 どうも、痛み止めが入っていないために、 骨折部分の痛みが激しくて、精神的に不調だったようです。 朝、母に、おばあちゃんが、「父さんが5時に迎えにくる」と 「楽しみだ」と言ったそうで、 その時間帯にベッドサイドに居る予定の私の妹は、 「一人では不安だから」と母に頼んで私と交代して、 母と妹とで居たのですが・・・ 私が帰宅した後、しばらくしておばあちゃんが起きて、 イライラをぶつけるように大きな声を出したそうです。 「叫んでやる。馬鹿野郎!馬鹿野郎!」って。 宣言してから、2回「馬鹿野郎!」って言ったって。 それから「あっはっはっはっは!」って、 黄門様みたいな声を出して笑ったそうです。 私の前ではないので、母の驚きを後で聞いただけなんですけど。 いらだっていて、思うようにならない自分の現実を どうしても受け入れられないのでしょうね。 私が居たときに「帰りたいねぇ」ってつぶやいてたのが、 大声になったのは、根底は同じ気持ちなんでしょうか。 おしゃれで、身奇麗で、気が強くて、 なんでも自分でしないでは気がすまなかったおばあちゃん。 髪が薄いことを気にして、若い頃から総カツラだったくらい。 ちょうど1週間前の今頃は、相撲を見て 甲子園を応援して、 着物を着て、自分で食事もして、トイレももちろん。。。 神様にも仏様にも朝夕お祈りしてたのに。。。 倒れたショック、入院のショック、 いろいろなことを受け入れられないまま、 40キロにも満たないおばあちゃんの小さな体に、 苛立ちと悲哀が募ります。 昨日と打って変わって、たった2口だけ。 それでも、塩鮭のふりかけで自分で食べたそうです。 水分を補給してくれてるかなぁ。。。 おじいちゃん、おばあちゃんを迎えに来るの???
2010年04月02日
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7時半に元夫君の車で加古川駅に向いました。。 快速電車で姫路まで行く前に、加古川で新幹線のチケットを買いました。 8時32分発のひかりレールスター博多行きに乗ります。 今日から新学期、新年度のスタートで、 移動も多く、結構混んでいます。 指定席はわずかにサイレンスカーの4号車のみ。 でも、姫路に停まり新下関にも停まるひかり号なんて そうそうありません。(姫路城の修復で減便!!) 新下関からも、ウルトラスーパー裏技の電車でした。 潮騒みすゞ号といいます。 山陽本線の新下関駅から、下関駅まで出て、 下関から仙崎駅に向う特別な電車。 2両だけです。1両は指定席。北浦海岸を見て走ります。 もう1両は普通の車両です。 乗り換えなしですから、楽ちんです! なんと黒井村駅に着いたとき、まだ11時18分でした。 速い!すごい!私のためみたいでしょう??? そして、出迎えの妹の車で病院に向いました。 昨日から、とうとう水分も取りたがらない状態のおばあちゃん。 食事は拒否してる。。。 そう聞いていました。 でも、私が母と引き継いで介護に入った後、 おばあちゃんは、ぐんぐん飲んで、食べ始めたんです。 びっくりですが、本当なんです。 お昼こそ、入れ歯も外して、ゼリーとミカンだけでした。 でも、ゼリーは、全部美味しそうに食べたし、 ミカンも袋の皮を剥いてあげたら、次々に食べて、 午前中は3袋分だけ食べたというミカンを、 お昼ごはんの時には、残る4分の3個分をほぼ一人で平らげ、 1切れ私が最後に食べただけです。 おばあちゃんは、排泄に不安と不満があって、 オムツに排泄したくなかったんだと思います。 排尿もいやなのに、排便はもっといやで、 だから、毎日、ベッドを自分で降りたがったのだと。 それを禁じるから、いらだって切れちゃうんだと思いました。 もちろん、認知はまだら状態で、 最初は私をそっくりの他人と思っていました。 私がわかったり分からなくなったりを繰り返し、 食事の介助を通して、おばあちゃんの抱える問題が見えてきました。 でも、現に股関節を骨折しているので、 自分で排泄に移動することは不可能です。 その辺の折り合いがつけば、 食事はしそうな気がして、おばあちゃんの好物を買ってきました。 人は高齢者になると五感が鈍磨します。 味覚は非常に衰えやすいので、 ついついはっきりした味を求めて味付けが濃くなります。 それを、病人食では絶対に許してくれないのですが、 治療をしない代わりに、 本人の食べたいものを食べてよいとしてもらっているので、 ほぐした塩鮭の瓶詰めとか、ふりかけとかデコポンとか、 買ってきました・・・ おばあちゃんは、自分で、ご飯に塩鮭のフレークを混ぜて、 自分で食べたんです。 入れ歯も、自分で装着して。。。 デコポンも大き目の4袋分くらい食べました。 ご飯にお汁が無いのが不満だったようです。。。 そんなわけで、妹を迎えに来て、唖然としている妹の主人に、 京都女子大にマーちゃんが行って寂しくなるねと、 優しい気遣いの言葉までかけて・・・ とは言っても、おばあちゃんの入院騒ぎで 妹家族の京都行きがキャンセルになったことは知らない。 そんな状況を、昨日は想像もしていませんでした。。。 実はホームヘルパー2級を持ってる私ですが、 向いていないとつくづく思いました。 仕事として割り切れないものね。
2010年04月01日
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