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今日で、元夫君はサラリーマン稼業に別れを告げて、 加古川市在住の60歳・無職・男性となる。 実際のところは、23日に白内障の手術をしてから、 まったくと言っていいほど出勤していないので、 毎日が日曜日な状態は1週間前からスタートしている。 職場から持ち帰った私物を整理したり、 気ままに暮らしている。 そして、今夜で、私の「食事のしたく」とそれらを含む家事も、 完了した。 これからは、頼まれなくてもするのは、 大潟村への胚芽米の注文だけ。。。 仕事を中断して帰宅して食事の支度とか、 冷蔵庫のストックを考えながらの買い物とか、 一切無くなる。 退職金から光熱費の支払いとかはするものの、 年金は全額彼の懐に入り、家計には一切入れない。 ビタ一文もらわない代わりに、一切面倒見ない。 この日が来るのを待っていた。。。 今までだって、一度たりとも養ってもらったことは無かった。 自分の働いたお金で生活している。 これからも、自分の老後のために働くし、 退職時から3年間の無年金期間に対応できるよう、 退職金だけでは生きられないから、せっせと貯金する。 私の家や庭だから、税金も私が払っているし、これからもそう。 無断で厚かましく住み続けている元夫君には、 なんの心遣いも無いどころか、 私に3度も送り迎えしてもらって、 目の検査や手術、手当てを受けたくせに、 あろうことか、植えて25年目の、こんもりと茂った金木犀を、 犬小屋の修理に邪魔だからとばっさり切られて、通路に放置され、 私の誕生日の翌日、3月28日には、 後頭部の血管が切れそうなくらい激怒したが、 敢えて、なんの言及もせず、放置した。 「心無い」のは彼の生まれつきの障碍のせいだ。 「臆面も無い」「恥ずかしげも無い」「大人げ無い」 「自覚が無い」「逆なでする」全部アスペルガー障碍。 60年余の人生で、彼に傷つけられ、 彼に不快にされ、彼に立腹した全ての人たちに、 彼は、なんの反省も無い。。。 それが、彼の生まれついての障碍の特徴である。 普通なら、もう少し働きたいとか思うんだろうか? 勿論、彼は普通じゃないから、思わない。 昨日、面白いことを言った。 「引き籠もって誰ともしゃべらんかったら、 声が出えへんようになるんとちがうかと心配する。」 唖然としたわ。 元夫君は、毎月、高脂血症友の会と称して、 似たような体型の友達と会食に出かけ、飲食している。 毎日朝晩、大声で犬をしかって、 ご機嫌で犬に話し掛けていることを、 周囲はうるさいと思うほどなのに、 本人は自分が声を発しまくっていることを 認識していないのだとしたら、恐いわ。 それも障碍なんだろうか・・・ 加害への反省は限りなく 0 に近く、 被害感情は実情の数倍に強く感じる障碍。 本当に教科書どおり・・・ これまで、彼のせいで、色々な被害を受けた皆さん。 彼は反省もしてないし、言われても逆切れするだけです。 忘れることがあなたにとって一番ですから、忘れてください。
2011年03月31日
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心は、被災している人たちに寄り添いたいけど、 仕事でこの地を離れられない。 今、自分にできることは、 こつこつ働いて、せっせと納税して、 折りを見ては募金して、 「できること できるときだけ できるだけ」 それを、心の中で繰り返して言ってみる。 日本の人口の半分が被災したわけではない。 温かい家があって、安定した職場があって、 テレビの中の被災者に胸を痛めている国民の方がはるかに多いのだ。 10人の日本人が1人の日本人を支えよう。 ちょっと、今だけ、親戚付き合いしてもいいじゃん。 私が長く続けているボランティアに、フォスターペアレントがある。 まだ私が健康で活力があったころ (いつも、それを信じてもらえないけど、私はもっと元気だった) フィリピンと中国とベトナムとに一人ずつのチャイルドが居て、 3口の支援をしていた。 中国の支援が、まず、少年の成長で終わった。 その頃には私は、健康を失っていたので、ほっとした。 なんとか頑張ってベトナムとフィリピンへの支援を続けた。 ちょっとたってから、ベトナムの少年も、成長して ベトナムへの支援を終了した。 今は、フィリピンの少女だけ。。。 元夫君の定年を考えると、まぁ、そんなものかなぁと思う。 でも、もし、これから、震災で孤児になった少年少女が居たら、 支援を必要としていたら、 できる限りのことをしてあげたいと思う。 しがないサラリーマンの私ができることなんて、 たかが知れているが、 「情けは人の為ならず」 今、国民の一人一人が、できることをしておかなければ、 私たちの日本の経済は、長い低迷の末に破綻してしまうだろう。 その時になって、後悔したくないのだ。 今の小さな1滴は、将来の大海となるだろう。 小さな1滴を、乾いた雑巾を絞ってでも、 何とか出し合おうよね!! 高校入学時点から私が小さな支援を続けてきた中国帰国婦人のお孫さん、 お兄ちゃんは、高校から大学に進み、苦学して卒業した。 不況の只中で就職も大変だったけど、 さらに職業訓練校にも通って、 努力が認められ大卒の正規雇用として働いている。 1年遅れの入学だった妹さんのほうは、 日本語が不自由で、高校の支援も少なく、 本当に苦労していたけど、介護福祉の専門学校に進み、 今は大手の高齢者向けマンションに勤務している。 4月には、自宅近くに転勤と決まった。 お兄ちゃんのほうは、4月の末に結婚も決まっている。 もし、支援の手が無くて、 日本語も不自由なまま中卒で働いていたら、 今のような給与はもらえなくて、 当然雇用も不安定で、きっと納税も難しく、 一家には大変な状況が続いているだけだったと思う。 あの時、日本語のわからないお父さんは解雇されて、 明らかにノイローゼっぽかったし、イライラしていて、 お母さんは、信仰だけを支えにオロオロしていた。 であった日から10年経った。 これから長い人生を、あの兄弟は、 良き勤労者・納税者として、働いてくれるだろう。 お父さんもお母さんも表情が明るくなった。 本当に困っている人が居た時、 手を差し伸べることで助けられるなら、 それは、自分自身を助けていることなんだ。 農業を通して世界の環境問題を考えるのと、 それは、まったく変わらない。 自分自身のために、今、その手を差し伸べる勇気を持とう!!!
2011年03月28日
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弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として 月は有明にて、光おさまれるものから 富士の嶺かすかに見えて、 上野谷中の花の梢、またいつかはと心細し。 奥の細道を初めて読んだ時、 自分の誕生日が旅立ちの日だったことがわかり、 勿論、旧暦と新暦との違いはあるものの、 嬉しかった・・・ それ以来、私は、奥の細道を通読して、 色んなことを学んだ。。。 芭蕉が東北を旅した時、 たくさんの歌枕を訪ねているのだが、 その場所場所での彼の記録を読むと、 今回の地震と津波とが、 結局は、繰り返されてきた天災だったとわかる。 昨日になって、東京電力が、 近年巨大地震の可能性を指摘されながら、 備えを怠ってきたことが、毎日新聞からも報じられて、 天災と人災とが、今の状況を作り出していることがわかる・・・ 日本は、地震大国だ。 あちこちに良い温泉があり、名の知れた火山がある。 周囲を海に囲まれた島国で、 目の前には、広大な太平洋がある。 江戸時代ならいざ知らず、 活断層の位置も、環太平洋造山帯の存在も、 日本が上に乗っかってるプレートのことも、 全部わかっている。 わかっているけど、備えてはいない。 私の住む町には、加古川と言う川が流れている。 この川は、有史以来、大氾濫を繰り返してきた川で、 現に今私が家を建てて住んでいるところは、 古地図を見ると、川の氾濫原であり、 江戸時代の強引な治水工事で、今の流れになるまで、 まったく違う姿をしていた。 盛り土して、家を建て、移り住んで25年、 床下浸水こそしないが、 庭が完全に冠水したことが1度、 あと1~2センチほどで庭が冠水しそうだったことが1度。 両回とも、普段は加古川に揚水しているポンプの機能を超えた時、 家の裏を流れる用水路から冠水した。 その用水路上端から 1、5メートル以上高くして家を建ててあるが、ダメ。 堤防が切れたら、そんなものではすまない。 加古川市のハザードマップでは、 我が家は、水没3メートル地帯なんだから。 この川は、近年、上流にある西脇市を水浸しにした。 その時にも、大変な被害があったようだが、 今回の津波のような破壊力は無いので、 水没の被害だった。 100年に一度に備える? 多分 YES! 500年に一度に備える? 多分 NO 1000年に一度に備える? 即 NO! しかしだ、1000年間発生していなかったら、 そろそろ1000年に一度が起きる頃だと思える人はいないだろう。 1000年前には、人が住まなかったところにも、 今は人が住んでいる。 東京なんてその典型だ。 昔、人が住んでいなかったところは、 自然災害が頻発して、住むに適さなかったところと相場は決まっている。 埋立地や干拓地は言うまでもないことだ。 そこに住むには、そこに住むなりの備えが必要で、 活断層の上や、津波被害の想定される場所に、 「絶対安全」と原発を建てることは、 「現在」は大丈夫でも、「過去」と「未来」とを 悪魔に売り渡すようなものだ。 我が家が高い盛り土の上に建っているのは、 元夫君の脳裏に、幼少の頃の冠水の記憶があるからだ。 彼の祖父母も、繰り返しそのことを言ってきたそうだ。 彼の実家も周囲より盛り土が高い。 しかし、目の前にある加古川の堤防は、 我が家の2階よりも高い場所にある。。。 そんなわけで、我が家の500年に1度の備えは、 いざと言う時の避難場所を決めてあるだけ。 ちなみに自治体の指定避難場所は、我が家と同様に沈む場所にある。 役に立たないだけでなく、 そこにたどり着くことができないくらい、 周囲は、用水路だらけなのである・・・ だから、使えない避難所を当てにしてはいけないのだ。 教訓・・・ 避難所に着いたら、体育館ではなく、 鉄筋コンクリート校舎の建物の、最上階に逃げよう・・・ 水は、海からも、山からも、川からも、ため池からもくる。 出先からの避難経路も、確認しよう!
2011年03月26日
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阪神淡路大震災の年、おじいちゃんが亡くなった。 今年の4月に、去年亡くなったおばあちゃんの一周忌の法要とあわせて、 おじいちゃんの十七回忌の法要をする予定だ。 親戚にもそのように連絡してある。 そしたら、今度は、東北関東大震災が起きた。 十六年ぶりに大きな地震被害があったのかと言うと、 そうではなくて、 この間にも、中国地方や新潟や、 実はあちこちで、津波こそ無いけど、地震が起きてる。 火山の噴火とか、現に起きている。 日本はそういう国なのだ。 発生地域は限定的なものであっても、 その被害は絶えることがない。 地震は、休まないのだ。 私が京都の大学を出て、兵庫県に就職したのは、30年前だった。 この30年の間に、私は現に兵庫県下で大きな地震を二度経験した。 最初に山崎断層地震という真昼間の地震があって、 この時に生まれて初めて、 大きな揺れや、すごい地鳴りや、屋内からの避難を経験した。 震源地に近いところに居たから、 コンクリート製の建物にも大きな亀裂が入ったし、 避難中の余震で、若い女の子が腰を抜かして動けなくなったのを 目の当たりにした・・・ 阪神淡路大震災では、下から突き上げる揺れを初めて経験した。 あの時は明石市を流れる1本の川で、地震の揺れが大きく異なり、 川より西は、被害が小さかった。 私の住む加古川市では、埋立地で新日鉄の社員が亡くなったのと、 神戸市の病院に勤めていた看護婦が亡くなったのとを、 強く記憶している。 津波が無かったから、 あの時真っ先に売れたのは、 ブルーシートだった。 半壊した家の屋根の補修に用いられた。 あの時以来、近隣の活断層について、兵庫県民は敏感になった。 山崎断層は、まだ危険だと、我々は認識している。 あの被害、倒れた高速道路・・・屋根の重さで潰れた家、 大震災のあとの火災とかも含めて、 そして、今の広域的な、 且つ、津波や、 臨海部のプラント火災や、 流出した燃料による火災を伴う震災被害を見て、 それでも、「自分のところの原発は大丈夫だ!」と言う奴は、 AHOUである。 ペテン師である。 恥知らずである。 大地も水も汚染された。 大気は汚染された。 海洋も汚染された。 「そんなことまで想定していたら、原発は設計できない」んだって。 千葉県の浦安市は、埋立地の液状化による被害に備えて、 断水対策に地下貯水タンクを作っていたそうだ。 いざとなったら、貯水タンクそのものの機能が損なわれるとは、 思わないのが、本当の意味での恐さを知らないところだ。 素人は、未知のことは無知である。 それを想定するのが、プロである。 震災からの復旧、復興を全力をあげて支援しなければならない。 そうやってこの国を挙げて怪我の手当てをしなければ、 他人事と思っていたら、次は自分のところに来る。 その時、復興成っていれば、相身互いである。 もし、復興成って居なければ、次の被災地に救援物資を送ったりできないだろう。 今、兵庫県から、神戸市から、たくさんの支援ができるのは、 同じ痛みを共有できるからであり、 避難所暮らしの大変さを知っているからであり、 あの「未曾有の」と当時は思っていた災害から、 神戸市は復興できたからである。 震災からの復旧は短距離の全力疾走であり、 震災からの復興は同時に始まる箱根駅伝のようなものだ。 ペース配分、給水所の配置、補給、指示、交通整理、 様々が必要であり、しかも、大至急、必要だ。 乳幼児や後期高齢者、重病人は、健常者が思うよりも簡単に死ぬ。 水分補給と栄養補給と温度管理のどれもが、非常に重要だ。 後になって報道されるであろう震災後の衰弱死者の数、 そこにインフルエンザなどの感染症が加わらないように祈る。
2011年03月22日
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私は、職場でも暖房の無い部屋にいるし、 自宅でも10度を切らないと、ほとんど暖房を入れないから、 いつも、すごい厚着している・・・ 「何枚着てるの?」って聞かれる。 実は、更年期障害もあるから、着脱簡単なジャンパーばかり。 ばばシャツの上に、薄いセーター、 すごい寒い時には、この間、人にもらったカーディガン (もったいないから普段は着ないんだけど。) その上に、薄手の黒いジャンパー1 その上に、薄手の黒いジャンパー2 その上に、ちょっと厚い黒いジャンパー3 その上に、ちょっと厚い黒いジャンパー4 このジャンパーは、たいていは、ファスナーを開けて着ています。 しかも、脱ぐ時は、2・3・4を一度に脱げるのだ!!! で、まあ、すごく着膨れてて・・・ 黒いズボンのほうも、2枚穿いています。 オーバーニーのソックスを履いています。 このくらいだと、室温が10度あれば、 後は足元だけ暖かければなんとかなります。 それこそ湯たんぽでも大丈夫な厚着・・・ それが、今日、割と温かい日だったのに、 夕方行った買い物で、いつもより厚着な人が多かった。 普段だと、私、目立つくらい厚着なのに、 今日見た人たちは、けっこう厚着で出てきてたんだよ。 それは、きっと、みんな家の中でも暖房を減らしてるからだと思う。 自宅が暖かいと、ちょっとした買い物の間くらいでは あれほどの厚着はしないだろう。 ここには、地震の影響も津波の影響も無かった、 そう、 電池の棚、単1の電池がどこにも見当たらないくらい??? でも、amazonの中では、何にもなくなってるから、 本当にみんな一生懸命備えをしているんだなぁ・・・って、 感心しちゃうよ。 急に不安になっているんだよね。 私、ちょっと呆気にとられてるよ。 みんな普段、備蓄しないんだね。。。 私的には、1週間分は常にあるなぁ。 だってほら、仕事が忙しかったら、 まともに買い物にもいけないことがよくあるし、 使用中1 備蓄1で、居るようにしている。 使用中1を使い切ったら備蓄1を使用中に回して、 備蓄1を補給する。。。 ま、それももう少しの間だけ。 3月いっぱいは元夫君の食事の世話があったけど、 4月からはそれがなくなり、買い物から解放される予定。。。 4月、新学期スタートしたら、関東地方、 電力の使用が増えるだろうなぁ。 だって今、大学とか高校とかって結構休みの時期なんだもんね。 通学電車とかもさ、絶対に混むよね。 だからさ、それを見越して、計画停電に備えてね! これからは、風力や太陽光などの自家発電、 結構重要かもね。 次はそんなものが品薄になるのかな?
2011年03月20日
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計画停電に備えることは、ある意味たやすい。 たとえば、3時間と限られた計画停電なら、 3時間分の万全の備えをして待てば、済む。 しかし、本当の被災の時の停電は、いつ果てるともわからないし、 電気だけでなく水もガスもみんな止まっている。 何よりも、情報が止まっている。 だから、被災用の準備は、それら全てを想定して、 余分目にしておかなければならない。 国の想定をはるかに越える地震と津波だったけど、 それにしても、今までの想定では、 1週間自力でもてたら、それまでに支援の手が準備されるはずだった。 準備の買い置きも1週間分。。。 ところが、違った。 被災地そっちのけで、政府は、 「何があっても安全」なはずの原発の異常事態に、 注力している。 日本中で物資が一時的に商店からなくなるのは、 当然だと言える。 だって、何も信じられないんだから。 とりあえず、5日分、あるいは、7日分、 できたら、10日分・・・ そうやって、次第に余分に?みんな備蓄している。 今まで備蓄が無かったのが、問題だっただけだ。 一昨年の「マスク」の枯渇と一緒だ。 普段から備えている人は、あわてて買いに走ることはない。 より高度のものを準備するだけだ。 マスクだって、すぐには増産できない。 しかし、今、マスクを求めて走り回る人はいないように、 ある程度時間が経てば、準備品は行き渡り、 買いこみに見えた行動が、正しい備蓄だったのか、 それとも馬鹿げたわがままな行為だったのかわかるだろう。 しかし、それが馬鹿げたわがままな行為だったとしても、 今の政府、地方自治体の様子を見れば、 仕方ないと思えることだろう・・・ 私の父の親族は、青森から樺太に展開していて、 敗戦後の混乱でも、非常に温かい親密な関係が続いていた。 甥や姪を引き取って育てたり、 いとこ同士ですまいを融通したり、 私が大阪に住んでいた5歳の頃には、 父の従姉妹が青森から出てきて、 私と妹とを昼間は見てくれていた。 そして、大阪の短大の2部を卒業して、 青森の地元の自治体で公務員になった。 その人の3人の息子のうち、 一人が、通訳をしていた中国人女性と結婚していて、子供もいる。 埼玉に出て暮らしていたけど、 妻と子どもの安全の確保のために、 原発の事態が終息するまで山口県の私の実家に来ることになった。 疎開ですね。。。 青森では、地震や津波が心配だし? 家族や、親族を頼れる人は、女・子ども・年寄りだけでも 一日も早く疎開させたほうが良い。 勿論、自宅のライフラインが確保されている人はその限りじゃないけど、 自宅もなく、ライフラインの復旧も目途が立たないなら、 せめて、安心で安全な場所に、災害弱者を移動させることが大事だ。 今はまだわからないだろうけど、 神戸の時でも長期間にわたってトイレの問題が続いた。 女性は、トイレ一つとっても、 男性とは比べ物に成らないストレスを抱える。 グラウンドに長い溝を掘って、 両横に板を置いて足場にし、 掘った土を使用後の排泄物にかぶせて隠す。 形式的な目隠しがあっても、 これは、なかなか辛い事態だが、 多分、時間が経てばそうするほかない。 下水道の整備無しには、上水道を使えないのが、 都会の水事情なのだ。 日本には、たくさんの受け入れ能力のある家があるだろう。 コーディネートする組織が大事だろうけど、 たとえば、大手企業なら会社ぐるみで、 あるいは漁協単位、あるいは農協単位で、 受け入れられるのではないだろうか。 中国地方の裏日本側には、受け入れられる自治体が多いと思う。 なんたって、過疎地だから・・・ 余裕のある空間があります!!
2011年03月18日
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私が子供の頃、今から40年位前、 私の家では、行火や湯たんぽを使うために、 父が、小さな木箱を作ってくれていた。 そんな話を昨日の昼間に職場でしていたら、 若い子は、行火を知らなかった。 「附箋」は、カタカナで認識されることが多いけど、 こんな漢字を書くんだよねって言っていて、 カイロも実は漢字があるんだよって言ったら、 そんなに若くない人まで、漢字を知らなくて、 「懐炉」だよって、教えてて、 「行火」も漢字だよって、言ったら、 「アンカって何ですか?」って、20代後半の二人に聞かれた。 「豆炭」に火をつけて・・・って言ったら、 「マメタンってなんですか?」・・・とまあ・・・・・閑話休題 湯たんぽを、浅い木の箱に使い古しの毛布を敷いた上に入れて、 上にバスタオルを掛けて、 防寒用のロングスカートをはいて。。。 それと、袋入りのコンニャクを、袋のまま湯煎して、 それをタオルで巻いたものをハンドウォーマーにしてた。 学校に行く時は、白金懐炉を使っていた。 父がベンジンを入れて火をつけてくれて・・・ junさんもしてるけど、生姜は中から身体を温める。 同じ紅茶でも、生姜の絞り汁が入ると、 身体を温める効果がでるし、 冷めてぬるくなったりした後でも、温まる。 味噌汁の具材にネギと薄揚げを千切りしたものを使い、 1回量のダシ入り味噌の玉に 最初からたっぷりの刻みネギとあぶって刻んだ薄揚げとを乗せて ラップに包み、それを平べったく潰して冷凍しておき、 必要に応じて前もって常温に戻しておくと、 熱湯を注ぐだけで、栄養バランスの取れた味噌汁になります。 そこに、一味、または七味唐辛子を入れると、 少量でも温まりが早いです。 冬場の寒さは、外部的に温めるだけでは、 そう簡単に取れません。 内部的に摂る事、生姜、唐辛子、ニンニクなどのネギの仲間、 一時的にでも経口的に糖質を補給するために、 塊の黒砂糖が便利です。 私のお気に入りは、奄美大島の黒砂糖。 足の冷たい状態のままではなかなか寝付けないものですよね。 寝たままでもできるのは、 足首を回してから、爪先を伸ばすのと爪先を普通の状態に戻すのを 意識的に繰り返すことです。 1・2・3・4、2・2・3・4、3・2・3・4、4・2・3・4と 一方向を4秒くらい、筋肉にも力を入れて実施します。 また、なれない人が、この爪先を伸ばす動作をすると、 以外に筋肉を使うので筋肉痛を起こすかも知れません。 注意してね。 また、座って膝頭に手の平を広げて乗せ、 先端部をそろえて、親指と小指の当たる箇所を 集中的に刺激します。 親指のところは特に刺激への反応がわかりやすいと思います。 私は普段から手の平が温かいので滅多に使いませんが、 凍えた指を簡単に温める方法は、次の三つです。 腋下や、内股で温める。 手の平同士を強く力を入れてこすり合わせ、 発生した摩擦熱で手の甲を温めることを繰り返す。 左右の手の指と指とを深く組み合わせて、 力いっぱい握り締め、血管を圧迫し、 次に力を緩めた時に大量に血液が流れるようにする。 これも繰り返し行います。 高校時代、保健の授業中に習った全身の発熱方法は、 ・・・椅子に座って両手を体側に下げ、 次にゆっくりと肩を引き上げて 持ち上げられるだけ持ちこたえて、 一瞬に脱力します・・・ これも繰り返し行うことで、筋肉が発熱します。 今も室温は10~11度ですが、いつものように着こんでいるし、 足元だけ、暖かくしているので、大丈夫です。 湯たんぽのお湯が準備できない場合は、 段ボール箱の底に古新聞や古着などを敷いて、床からの断熱材とし、 その上にタオルを敷いて、使い捨てカイロを置きます。 低温火傷を防ぎ、長時間使用するには、 空気に触れる量をコントロールしたいので、 必ず、上にも厚めにタオルを掛けて、その上に足を乗せて 巻スカートなどで箱ごと下半身をすっぽり覆います。 巻スカートがない場合は、古いジャンパーのファスナーを少し揚げて、 首のほうから履くようにして、 両袖をジャンパーの背中にまわして膝の上で重ねます。 保温度の高い一人用のコタツになります。 湯たんぽもないのに、使い捨てカイロなんか無いわと言う場合は、 キャップつきのアルミ缶のコーヒー飲料や緑茶の空き缶をお薦め。 ペットボトルと違って熱湯が入ります。 ボトル触ると、火傷するほど、熱いお湯が入ります。 ポイントは、火傷に注意と、もう一つ、 口まできっちりお湯を入れること、 お湯は膨張してるので、冷めると、へこみますが、繰り返し使えます。 キャップを閉める時に火傷しそうに熱いので、 取り落として火傷しないように・・・
2011年03月17日
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名取市の宮城県農業高校は、校舎2階まで水没。 3階に生徒128人、保護者1人、教職員70人が避難しており、 数人が体調不良を訴えている。 13日午前1時前ごろの情報でした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 宮城県農業高校は、宮城農学校を前身とし、 日本でもっとも古い農業高等学校です。 2階建ての女子寮と3階建ての男子寮とがあったそうです。 発生時期、発生時間からみて、 校内に残っていたのは寮生と一部の運動部の生徒かと思われます。 職員は全て残っているはずの時間でしょうね。 むしろ、残っていたほうが命が助かったといえるでしょう。 あそこにいて、命が助かったのは、奇跡のような気がします。 そのくらい海にも川にも近い場所でした。 学校は、多くの場合、避難施設の役割を果たすように期待されています。 立地条件によって、本来の教育機関としての役割を 当面果たせない学校もあるでしょう。 阪神大震災のときもそうでした。 公務員である学校の教員は、その施設の運営上の役割をも 担わなければなりません。 私は、自分の母親が公立の中学の教員でしたので、 その心構えは、家族として、いやと言うほど聞かされてきました。 殉職された警察官、消防官、教員、医療関係者の方の、 ご冥福を心から祈ります。 また、ご家族を失い、ご自身のお住まいも失った状況下でも、 その持ち場を離れることなく、職責を果たしておられる全ての方に、 衷心よりの感謝と敬意を表したいと思います。 日本中から被災地に配備されている全ての方の、 安全な職務の遂行を心からお祈りします。 被災地の皆さん、「神戸」は復興しています。 みんな心の中に小さな涙壺を抱えて、復興に向けて努力しました。 しばらくは、防御反応で、涙も出ないこともあるでしょうが、 いつか思い切り泣いて、凍った心を溶かすことができる日が来ます。 その時まで、心の涙壺を大切に抱えてください。 日本なんだから、絶対に大丈夫です。 関東大震災も、東京大空襲も、原爆からも、 私たちは復興して来ました!!!
2011年03月14日
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原子力発電所でさ、真水だろうが、海水だろうが、 入れても入れても入れても、冷却できないってことはさ、 水がだあだあ漏れているってことだろう? どこに漏れてるの? 地下? それとも高温で水蒸気になってるから、 調圧弁をパーにして、大気中に放出・・・ 水蒸気だけが漏れるわけじゃないやん。 女川原発の方でさ、 「うちの方が漏れているわけじゃない!」 って、言ってるよね。 まあ、女川まで漏れてたら、避難が大変だから、 女川が漏れていないことが大事だってことは当たり前。 でも、福島第一原発の大気中に排出した放射性物質が、 あれほど離れた女川で検出されているとしたら、それが重大だろう。 もう一つ、阪神大震災のときのたくさんのトラウマ、 みんな引っかかれていることを気にしている。 たくさんの人が、忘れることで乗り越えてきたすごい辛さを、 心の蓋をすっかり壊されてしまった状態で この三晩を過ごしているんじゃないかと心配だ。 火災の映像は特にそうだった。 阪神大震災は、津波が無かったけど、 火災はひどかった。 都市機能のマヒも、地震そのもので、交通の大動脈を断たれて大変だった。 阪神大震災の火災は、倒壊した建物の下で生きていた人を飲み込んだ。 今回津波が町を飲み込んだのもショックだったけど、 あの時、火災は後から後から次々起こったものだった。 そして、水が無かった・・・ 見ているしかなかった。 今回の津波は、時間が学校のあるときで、 学校に居れば多くの場合屋上に逃れられただろう。 家族と離れ離れでも、子どもたちは生き残った可能性が高い。 阪神大震災のときは、たいていの家族は一緒に居て被災した。 もっとも生死は分かれたものだったけど。 あの、仙台空港の状況を見ていて、 さらに海沿いにある宮城県立農業高等学校のことを思った。 誰か、宮城県農業高等学校「宮農」の情報を教えてください。 跡形も無く流されたのでしょうか? HPにもアクセスできない状況が続いています。
2011年03月13日
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junさんへ 1、湯たんぽがありますか? ご存知の通り、湯たんぽのお湯は、まったく無駄なく使えます。 2、蓋のついたアルミタイプの缶コーヒーがあります。 これは何本か買っておくと便利です。 熱湯を注ぐことができます。 熱くてもてないくらいの熱湯を入れられて、 それをバスタオルで包んでおくと、しばらくもちます。 熱いうちは、湯たんぽ代わりに使えます。 10本くらいあれば、湯たんぽが無くても大丈夫なくらいです。 私は毎朝、このアルミでできた缶飲料の入れ物に熱湯を注いで、 保温効果のある飲料カバーに入れ、通勤時の手の冷たさをカバーしています。 3、みかん箱程度の段ボール箱に毛布等を敷きこんで その中に湯たんぽを入れ、更に上から毛布やバスタオルでカバーすると 即席の足暖器ができます。 膝の上から巻スカートのようにすっぽりと包めるもので、 腰から足を全て覆って、その箱の中に足を入れておくと、 しばらくもちます。 夜間は、そもそもすべりの良い表面のつるつるしたジャンパーなどを 着て寝ると肩口が冷えないで済みます。 着たまま寝るのが慣れなくて大変な時は、 着込まないで、服の背の部分を前にもってきて 袖に両手を通して、逆に羽織るように着て寝ると 肩が凝りません。 4、冷凍庫内にアイスノンなどの蓄冷材がありますか? 蓄冷材が無くても、たくさん氷を作ってありますか? これらは、輪番停電などで冷蔵庫内の温度が上がる時に、 冷蔵庫の最上段に移すことで、庫内の温度を低く維持できます。 また、もしまだ使っていないようでしたら、 冷蔵庫内の天井部の手前側に、 15センチほどの幅の切込みを入れた透明なゴミ袋などを垂らすと、 不自由なく、庫内の冷気が開閉のたびに外に出るのを防げます。 5、カセットコンロのガスは、非常に早く無くなります。 大切に使って、最低限だけにしましょう。 6、miyakoさん、断水が続くようなら、お風呂を貸してあげてね。 7、災害への最大の備えは、人的なつながりを強固にしておくことです。 8、欲しいもので、購入が困難なものがあったら、 遠慮なく言ってください。 9、貼るカイロは、仙骨の上に貼るのが一番有効です。 椅子に座った時に座面の真上に当たる広い部分。 おなかが冷える時は、小さめの物を子宮底部のあたりに貼っておくと良いでしょう。 上半身の緊張感が強く肩が凝るときは、 貼るカイロなら、 首の後ろのうつむいた時に骨が突出する部分を含む面。 普通のカイロなら、スカーフに包んで、同じ骨の部分をカバーするように、 当てておくと、全身の血行をよくすることができます。 カイロが不足なら言ってください。 3日以内にM7以上の大きな余震が来る確立は70%以上 準備は早いほうがいいです。 今は太平洋プレートの境界部ですが、 影響がほかの活断層にも及んでくる可能性もあります。 明日は、常備薬の買い置きのほか、 かかりつけ医にもお薬を余分目に出してもらってください。
2011年03月13日
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阪神大震災のとき、 前後してオーム真理教のテロ、 あれこれあって、 その時の危機管理のできない内閣と、 比肩すべきすごいレベルと案じていたら、 更に悲惨なことが起きた。 地震・津波・火災までは従来の想定の範囲を大きく越えた。 地震による津波で、海が燃えるという事態を 従来は想定していなかった。 しかし、気仙沼の燃え方は、 海も燃えていた・・・ 津波が燃えるものを燃えたまま運ぶ恐怖。 重油と言うものがある現代の臨海部の津波被害の恐さ。 そして、昨日、最初に同僚と話したこと、 原発の被害だった。 「想定外の地震と津波とで」と言う言葉は、 原発関係者は口にすべきではない。 「限りなく安全」とか、全てはウソである。 昨日の時点で、日本中の原子力発電所の関係者は、 そして関係自治体の住民は、 原子力発電所を持つということの意味が わかるべきだった。 まだ、稼動している全国の原発は、 この現実を限りなく重く受け止め、 一日も早く代替できる方法を考えて、 原発は停止し、速やかに、円滑に、 対応すべきだ。 瀬戸内海に原子力発電所を作るという山口県は、 アホと言うしかない・・・ どんな風向きでも、本州にも四国にも影響がある。 これから、当面、電力供給は不安定化するだろうが、 以前にも書いたとおり、オール電化の暮らしは、 その危険との隣り合わせである。 考えてみて欲しい。 放射線の影響は、火災や塩害とは、根本的に違う。 人が逃げても、そこに戻れるレベル状況になるまで、 どれほどかかるか。。。 一時的な避難とは違うのだ。 ペットを飼っていても、連れて行けないこともあるだろう。 チェルノブイリは、永久に封鎖されている。 去年、久しぶりに名前が出たのを見た。 ロシアの猛暑による自然火災で炎が迫っているというものだった。 封鎖都市チェルノブイリ。 そして、その周辺の地域の大地は大きな影響を受けて、 そこに生えている、生えてくる植物も全て汚染されている。 NHKの報道は、1979年の アメリカのスリーマイル島のメルトダウンを伝えていた。 30年以上前になるのだ。。。 現在の2つの原発で起きていることは、 今後も国内のどこの原発で起きても 不思議ではないのだ。 気仙沼のように津波で火が運ばれたとしたら、 原発もこんなくらいではすまなかっただろう。 生死は紙一重である。 生きて今後を過ごすことを却って辛いと思う人もあるだろう。 でも、生かされているのだと思って、 身内の死や、家財の喪失に耐えて欲しい。 これから医療現場や避難所でも混乱が続くだろうが、 できる限りの支援をみんなでしていかなきゃいけない。 長期的な疾患を抱えている人は、医療の確保が困難になるだろう。 避難生活が長引いたら、精神的にも辛いだろう。 メンタル面のケアは、プロの手が必要だ。 私にできることは、募金くらいしかないけど、 できるだけのことはしたいと思う。 日本中の被災しなかった全ての人に、 募金の呼びかけをしよう。。。
2011年03月12日
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http://www.yomiuri.co.jp/job/wlb/topics/20110309-OYT8T00704.htm「きわめて保存状態が良い」って、それって、体型のことですよね?でも、大病しての激痩せですから、健康には、注意して欲しいですね・・・
2011年03月09日
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たまたまなんだけど、 本当に何もしてないのに、 2月28日は、9時55分以降、 午前中、完全にフリーだった。 でもって、気分は、もう最強にガンガンで、 なんと言っても携帯電話3台を抱えて、 誰も居ない控え室に閉じこもって、 10時になるのを待っていた。 3台の携帯電話には、それぞれ同じ番号がセットされて、 順繰りにリダイヤルすれば良いだけ・・・ って、口で言うのは簡単だけど、 自分の使い慣れた携帯電話は1台だけで、 ほかのは、借りたのと、預かってるのと、 それぞれ使い勝手が違うんである・・・ エンターキーの右側を押すのと、左側を押すのとさえ、 機種が違えばリダイヤルは違うんだから、 しかも、その内の1台だけは、 本当に簡単に繰り返しリダイヤルが押せるけど、 あとの2台は、一々リセットされる。 繰り返しNTTの同じ録音テープを聞くこと1時間。 何回押したかわからないくらいキーを押すうちに、 まず職場のじゅり友さんから預かった携帯は、 充電不足で使えなくなって、 やがて自分の携帯もバッテリーが怪しくなって、 最後の一台が高齢者用の単純で一番使いやすい携帯。 丁度1時間経った11時、 それまでの聞きなれたNTTの録音テープと違う声が聞こえた。 ほとんど自棄になってた頃で、 あれれ・・・と、我が耳を疑いつつ、 机の上から耳元に当てると、 なんと、帝国ホテルの男性従業員の落ち着いた声だ・・・ 心臓がバクバクした。 つながった!!!瞬間だった。 あとは、聞かれたことを答え、 震える手でメモを取り、 先方の指示を復唱し、 「お振込みの際には、お名前の前に51とお書き下さい」と言われて、 自分が51番目と、60分間で51番目・・・ そう思った。 気持ちは高揚していた。 今までの横浜や大阪や東京や、 トークショーの申し込みで、 当日電話でつながったのは、 去年の大阪で、しかも補欠の補欠くらいで、 結局繰り上がらず、2年連続ヤフオクでチケット手に入れた。 今年、とうとう、自分で電話して、頼まれてた分も入れて3人分。 携帯の台数分の仕事ができた。 思えば、初めて横浜のトークショーに行ったときは、 まだ、ドームの前で、チケットはずっと後でも取れたのだった。 「お一人様でしたらございます。」と言われて、 横浜のときも男性の声だった。 一昨年の大阪は、当初小さな会場だったので、 チケット取れなかったけど、 後で、昔ジュリーが使っていたと言ってた大きな会場に移って、 チケットが大量に繰り上がり、ヤフオクでも定価で買えた。 そして去年。 一人で10枚買ったという大阪の強者が居て、 友達の分が余ったからと、3枚そのグループが売りに出して、 私は、3つ目のチケットを一番安く手に入れた。 定価で買ったグループの人たちと、同じテーブルで、 3人、しかもそれぞれ違う値段で買った新参者が居て。 おかしかった・・・ その時の経験から、みんな、余分に買うんだと知った。 なかなかつながらないから、つながったら、気持ちが高揚していて、 つながらないままかもしれないファン仲間の分まで買ってしまう。らしい。 だから、51番てことは、最悪510番目くらいかなぁと思っていた。 悪質な業者も居るし、最初から売る気の人も居るだろうし。 750人の会場として、それでも大丈夫だろうと、 思っていた。。。 すぐに振込みに行った。 郵便局で、ATMで振り込む時に51と書く方法がわからなくて、 教えてもらいながら振り込んだ。 たった5日しか待っていないとは、 思えないくらい長い時間だった。 昨日の夕方、郵便受けに封書が届いていて、 てっきり書留だと思っていたのに拍子抜けした。 私は3枚だけだけど、 去年聞いた10人分の人とかって 24万円分のチケットだよ・・・ それを普通郵便で送ってよこす鷹揚さが、 帝国ホテルなんだと思った・・・こわぁ~~~い。 ま、私のは3人分ですけどね、それでも 7万円以上のチケットですよ。。。 7千円のチケットでさえ、澤會のは書留だからね。 澤會の方が面倒くさいけど、当たり前の感覚なんだと、 中身の重大さから思いました。。。 5月の自分の予定は何にも立っていません。 ただ、トークショーの日だけは、 何があっても、休みます。。。 少なくとも、午後からだけでも、休みにします! チケットは500番台ではなくて、 5分の3くらい前のほうの数字でした。。。 どんな話になるのかな・・・
2011年03月06日
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う~む、私は、久しぶりに真剣に活字を読んだんですよ。 前に真剣に活字を読んだのは、 ジュリーの自伝「我が名はジュリー」を読んだ時かな? ピーの自伝も、「巻置く能はず」な面白さ。 だって、64年間分の、しかも二つの人生を生きてる人の自伝。 もう、めちゃくちゃ感動しましたよ。 Pって、英語では幼児語で、おしっこの意味ですよね。 なんでPなんや???って、英語の文化圏を想定したら有り得んやろって、 思っていましたが、 まさかそれとは違うでしょうけど、 自伝に赤裸々なお話が・・・ いや、赤っ恥なお話というか・・・ もう、なんでも隠さず、書いちゃえ! そんな感じでしたね。 昔、私が知らなかった頃のジュリーが、 2度ほど暴力事件をおこしてたんかな・・・ その時に、ジュリーが、とっさに頭突きを食らわしてるのが、 我が名はジュリーを読んだ時に納得できたんですよ。 華奢で小柄な子が、舐められないためには、 最初が肝心だって。。。 だから、ジュリーの暴力事件は、 どれほど実戦向きでやんちゃだったかっていう経験から、 インパクト有ったです。 その後、ジュリーが、「殴ったろうと思った」とか、 書いてたりするのを見て、 ピーとの間に大きな誤解が生じていたことを知り、 今回、それは、意図的におとなたちが仕組んだこと、 トッポは、ピーとすごく深くつながっていたこと、 そんな色々なことを次々に知ることができました。 ピーが動くことで、トッポも心が開けて オリジナルのメンバーでできるといいですね。 今度ジュリーが新神戸のオリエンタル劇場でも 探偵の公演をやるのですが、 ネットで、自分の座る座席の位置を探していて、 オリエンタル劇場の公演予定に行き着き、 そこで思いがけずふっくらした、そして白髪の トッポの写真を見つけました。 今、GSを懐かしむ人たちのために 別のグループのメンバーだった人たちと活動しているようですね。 トッポは、ピーを、ピーはトッポを、 互いに認めて友達になっていたんだから、 もう一度5人でやり直して欲しいです。 誰とのつながりにおいても、 ピーの存在は大きいなぁと思いましたよ。 そして、「豊」と書いて「みのる」と読むことを知って、 「ひとみみのる」っていう一つの名前で 二つの人生を生きていくのってすごいなって、 思いました・・・ もう病気なんかしないで、元気に過ごして欲しいです。 手元にあるタイガースのシングルレコード、 ジュリーとピーだったり、 ジュリーとトッポだったり、 人気の高さがわかって面白い・・・ LPも聞けるようにしたいと思っています。 楽しみ・・・声を聞き分けられるといいな。
2011年03月04日
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正月からこっち・・・ 思い切ってやめたことがある。 それは、声を出すのをこらえること。 年末年始の帰省で、すごく体調が悪いまま自宅に戻って、 その時から、声を出すのをこらえるのをやめた。 意識して、こらえていたのをやめて、 敢えて声や音を出すようにしている。 自分の中に溜め込んで、抱え込んで、 こらえるのを、できなくなったから、 もう、やめることにした。。。 と言っても、勿論、自分の部屋の中でのこと。 体調が悪い時に、ふっとそうやって、 体の中に溜め込んでいた声を、溜めるのをやめてみて、 すごく楽になった。。。 最近、昼間の安定剤はちょっとやめて、 その分、この心がけで解放している。 昔、私が元気だった頃、 こういうと、今の私しか知らない人は、 ?????な感じなんだけど、 まあ、私は今の3倍くらい元気だった。 その頃の知り合いから、今日、久しぶりに便りが届いて、 元気にしているようで、嬉しかった。 会って話して、食事をしてっていうことが 難しいような距離の離れ方で離れているけど、 心の距離はそれほど離れていないようで、 彼女から来た大きな封筒には、 百人一首の50円切手が5枚貼ってあった。 それが、実に愉快で、 こんなところが、出会ってから20年以上の歳月を 心がつながっている証しだと思ってしまう。 4歳年下の彼女は、今年48歳になるのだろうが、 送られてきた冊子の中の彼女は、 ま、今でも30代で十分通用するような 不思議な若さ。。。 子どもさんは、やっと小学校に入るか入らないかくらいのはず。 すごい高齢初産だったから。 丁度、今頃、台湾旅行中らしい。 無事帰れと、祈っている。 実は、今の職場の私の前任者が、彼女で、 彼女が私の今の職場に就職が決まる前に 迷って電話してきたとき、 私が迷わず後押ししたんだ。 3年我慢したら、私が換わってあげるからって、 心の中で思っていた通りになったよ。 その時からでももう16年・・・ 初めてまだバイトだった彼女と一緒に仕事したのは、 私が30歳そこそこのころだったのか・・・ 仕事への興味の方向性が違っていたけど、 どこか、根底に有るものが近いんだろうなぁ。 元気でいれば、また、いつか会うこともあるだろう。 母になって充実の笑顔を見せている彼女を見て、 元気で一緒に活き活き仕事してた頃の自分を、 ちょっと思い出してしまった。。。 日月逝きぬ歳吾と延びず 嗚呼老いたり是誰の愆りぞや
2011年03月03日
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