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洗礼名をマリアと言うその人は 満蒙開拓団の花嫁として、 見たこともない夫の元に嫁いだ。 それは今から70年近く前のことだった。 千葉県佐倉市の寺に生まれた美しい女性だった。 農業などしたことも無かったが、 夢と理想に燃え、国策に従って、満洲に渡った。 土も凍る満洲の冬を、どうして想像することができただろうか。。。 そして、苦労につぐ苦労、打ち続く不幸の中、 夫に死なれ、乳飲み子を連れて彷徨ううち、 黒龍江省のある農村で、一人の中国人の農夫と出会った。 心清らかなカトリック信者だったその農夫は、 苦労にやつれながらも美しい面差しの日本人女性を恋した。 連れていた男の子も我が子として育て、 周囲の反対や非難の声を押し切って結婚した。 何度も何度も何度も、 文化大革命の嵐以前もその時もその後も・・・ 苦労は続いたけれど、二人は夫婦として働き、たくさんの子を生し、育てた。 繰り返す飢饉や迫害の日々の中で、 マリアは、神に祈り続けた。。。 しかし、神は、彼女の最初の夫との間の息子を、 早くに召された。 息子たちが次々に成長して結婚し新しい所帯を持つ中、 彼女の五男も、思慮深く心優しい、何よりも信仰篤い妻を娶った。 この妻は、彼の地ではカトリックの司祭の役割を勤めていた。 息子たちの時代には、学校にやることも儘ならなかったけれど、 孫たちは次々に学校に行った。 どの子も、日本人の血が入っていることを理由に中傷を受けた。 しかし、みんな優しく、仲良く、マリアとその夫を中心に、 和やかに暮らしていた。 年老いて、マリアの夫は亡くなった。 その時、夫はマリアに告げた。 「あなたの国に帰りなさい。」 マリアは、共に暮らしてきた五男と、 その嫁と二人の孫たちと共に帰国した。 マリアが日本を出てから、半世紀以上、 余りにも長い時間が過ぎていたので、 アリアとその家族は、もう千葉県の佐倉市には戻れなかった。 そして、文字を持たなかった息子は、仕事が続かなかった。 心の平安を失いそうになる息子を、家族で一生懸命に支えながら、 5人は、兵庫県の加古川市の県営住宅で、 心と身を寄せ合って暮らしていた。。。 愛と信仰の支えがあって、15年の歳月が過ぎた。 結婚していない孫は一緒に帰国した二人だけだった。 後から帰国した彼女の孫たちは中国で結婚していて、 90歳の彼女には、ひ孫も何人もいた。 中国の農村部では、結婚も早い・・・ 29歳の孫の結婚式から5日間。 持ち直して、一緒にビデオを見ることもできたのだけれど、 容態が急変して、昨夜、2011年、4月28日23時過ぎに、 全ての子や孫、そしてひ孫にも最期を看取られて、 マリア・平井・フミ は、帰天した。 彼女の夫は、二度彼女を帰した。 一度目は、中国から日本に。 二度目は、孫の挙式直前の先週の危篤の時に、 三度目、今度は、神と共に彼女を迎えた。 だから、彼女の顔は喜びに満ちていて、 先週の苦しみは遠く去っていた。 秀でた眉、鼻筋の通った美しい、きりっとした口元、 フサフサと豊かな髪・・・ 彼女の孫娘に、その美貌は受け継がれていた。。。 泣きはらした目で、孫娘は、聖書を朗読した。 私たちは、23日の土曜日に挙式で歌ったばかりの賛美歌 「慈しみ深き」を今日も歌った。。。 加古川カトリック教会から、天国に聞こえるように。 今日も心をこめて歌った。 マリア・平井・フミ 安らかに。。。
2011年04月29日
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仙台市若林区は、 震災でとっても有名になってしまったけど、 そこに住むじゅり友さんが居て、 震災直後からメールも電話もつながらなくて、 とっても心配だった。 その後、やっとのことでヤフオクからのナビでつながって、 ナビで何度も何度もやり取りをして、 神戸の震災の時の経験をアドバイスしてきた。 幸運なことに、わずかの差で津波が到達していなかったので、 地震の被害とその後のライフラインの途絶、 また燃料をはじめとする生活必需品の圧倒的不足など、 つらいことを乗り越えて、仕事を続けてられていて、 本当に良かったと安堵している。 被災地と一言で言ってもその被害状況が余りにも違うのが、 今回の東日本大震災の現状だ。 福島県とその周辺のように、まだ被害の深刻さが深まって行くところもある。 大きなM8クラスの余震が起きないことを祈りつつ、 現地に住んでいる人の中から、 先に元気になる人が、全体を引っ張ることが大切だと思う。 遥か前方を見つめて一生懸命のぼりのカーブを走っていたら、 曲がり角を曲がったところで、大きな地割れがあった。。。 そんな感じの今回の震災だ。 ただでさえ大変な時期にさしかかっていた日本経済は、 短いスパンでは評価を出せないほどのダメージを受けたと言えるだろう。 こんな時、みんなが下を向いていてはいけない。 心の痛手にうつむく人も、冷え切った気持ちを抱える人も 周囲のみんなががんばって情と熱とを送り続けることで 何時しか前を向き、上を向いて歩き出せるのだと思う。 そんな時の支えになれるのは、 遠く離れ、無傷だった私たちからの物心両面の支援と、 同じ痛みを感じた身近な人の頑張っている姿だと思う。 いつか、自分も立ち直って、頑張ろうと思える指標が、 目の前にあることは大切だ。 ジュリーファンの名において、 私はじゅり友さんを応援している。 心から、ず~っと・・・ この間、ジュリーは、 かつての被災地「神戸」を応援するお芝居を続けてきた。 本当なら仙台公演も予定されてたけど、 残念ながら果たせなかった。 きっと、そのことはジュリー自身にとっても、 大きな心残りだと思う。 一日も早く、ジュリーが仙台の地で観衆に手を振る日が来ますように。 ジュリーのためにも、じゅり友さんのためにも、 祈り続けている・・・ 携帯に返信を打ちたいけど、 毎晩気がつけば10時を回っているような生活なので、 夜にメールを打つのが気がひけている。 でも、心からの応援をこの場で、表現しておこう。。。 ファイト!!!
2011年04月28日
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高校入学以来、物心両面で支えてきた満洲からの帰国邦人の結婚式。 中国の黒龍江省の中学を優秀な成績で卒業して、 稀少な高校進学を果たす直前に、 まったく言葉のわからない日本に、 敗戦後の混乱で残留婦人となったおばあちゃんの 帰国の願いを支えるために一緒にやってきた家族。 夫に死なれ、子連れで再婚した中国人との間に生まれた子ども、 彼女自身の五男にあたる息子と、 敬虔なカトリック教徒で中国人の嫁と、 15歳と14歳の男女の孫。 苦難の連続を更に辛くする言葉の壁。 日本人だった彼女は帰国後は言葉に困らないけど、 中国人として育った息子や、実際中国人の嫁は、 まったく日本語が話せないし、 文革の影響で、母親が日本人だった息子は学校にも行けなかった。 嫁は中国でも当時は珍しい高校を出た才女だったけど、 息子は中国語の読み書きもできない。 置き換える母国語の読み書きができないと、 日本語学習はすごく難しい。 ストレスで、胃潰瘍と潰瘍性の大腸炎を起こし、 息子はせっかく得られていた職場を続けられなかった。 75歳の高齢だった母親にはどうすることもできないまま、 時間が過ぎて行き、中国では学校一優秀だった孫も、 日本の中学に入りなおして高校を探し、 地元の農業高校に入学した。。。 そのわずかな入学金も制服代、教科書代なども、 払えないで困っていると相談を受けたのが、 初めての出会いだった。。。 彼は優秀だった。 日本語も短期間で習得していたし、 英語も中学時代に英語検定などを受けていたし、 家族のために空き時間はずっとアルバイトをし、 学業にも励み、地元の大学を卒業後は 大阪府の職業訓練校にも通って、 KDDIの子会社に晴れて就職した。 この間に、妹も同じ高校の後輩となり、 神戸の名門の介護福祉の専門学校に進学し、 一足先に関西電力の子会社の作る高齢者用のケア付きマンションに就職。 本当によく努力して、二人とも自分の人生を切り開いて来た。 私は経済的支援と、落ち込みがちな母親への心の支援をしてきた。 いつも言って来た。 「あとになったら、たいした金額じゃなかったことがわかる」 「たいした金額じゃなかったことがわかるような一生の仕事を持って」 お兄ちゃんが、KDDIの子会社に就職する時も、 した後も、ずっと励まし続けてきた。 そして、昨日、晴れて、お兄ちゃんはお嫁さんをもらった。 しかも、お父さんの居ないお嫁さんのお家に、 お祖父さんやお祖母さんに求められる形で、 同居することにした。。。 中国で続けてきた農業の技術も生きるし、 若くやる気のある働き手としてお祖父さんからも見込まれている。 90歳同士のお祖父さんとお祖母さんは、 お元気そうで、本当に幸福な結婚だと思う。 教えてもらうことを全部吸収して、 農業も継げるといいなぁと思っている。 互いに一目で恋に落ちてから4年半。 じっくり時間を掛けて、昨日を迎えた。 先週、彼のおばあちゃん、中国からの帰国婦人のおばあちゃんは、 急な体調悪化で、危篤状態にあった。 後から続いて日本に来た子の家族、孫たちも、みんな集まっていた。 でも、内孫の結婚と言う大きな行事の直前、 持ち直して、何とか、自力呼吸を回復してくれた。 枕元での必死の呼びかけがきっと聞こえたと思う。 中国人のご主人は、自分が亡くなる時、 お前は故郷の日本に帰れと言ってくれたそうだ。 多分、今回、その天国のおじいちゃんが、 可愛い孫の挙式のために、おばあちゃんを追い返したのだと思う。 もうちょっと天国に来るのを待ちなさいってね・・・ 一家は、みんな熱心なカソリック教徒なんだって。。。 天国には、いつでもいけるんだから、焦るなって・・・
2011年04月24日
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千葉のお友達を心配してネットをつないだら、 キャンディーズのスーちゃんの訃報が飛び込んできた。 蘭ちゃんのジュリーとの共演があって、 色々と昔の人気なんか思い出していたけど、 スーちゃんは復帰してからもコンスタントに活躍していたし、 急なことだと思ったら、そうではなくて、 1991年の結婚の翌年にはすでに乳癌の治療をしていたらしい。 1992年からだったら、あちこちにがん化した細胞があったのかな・・・ 普通再発とか言わないような年数だから、 温存で治療していたのかな? この間も20年近い歳月を、輝きを放ち続けながら、 割烹着の似合う奥さんになっていたのに・・・ 闘病を続けていたとは思いがけなかった。 あるいは、本当に去年の10月までは大丈夫だったのかな。 今日は生老病死苦について考えた夜でした。。。 職場ではてんてこ舞いの一日で、かなり消耗しました。 このペースは5月中旬まで続きそうです。 ・・・へろへろ・・・
2011年04月21日
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被災地の中の離島なんかで、 電気も水道も復旧しないのに、 ちゃんとご飯も炊けて、温かい食事ができるところもあるのだ。 そもそも、電気なくてもご飯は炊ける。 飯盒炊爨で経験があるとおりだし、 昔は、普通に電気もガスも無くてもご飯を炊いていた。 私が子供時代をすごした大学校の官舎は、 五右衛門風呂を薪で炊いていた。 倒木を薪として拾いに行き、鋸で適当な大きさに切って、 更にそれを薪割して、お風呂を焚いていた。 積み上げた薪の下にはよく大きなムカデが居たものだった。 そんなムカデも、火箸で挟んで、火に放り込んで退治していた。 震災が発生するまで、私はテレビを見ていなかった。 多分地デジに移行したら、しないまま見ないと思う。 私が子供の頃、冷蔵庫は電気ではなかった。 氷を入れる部分があって、氷から出る冷気で冷やしていた。 だから、町の氷屋さんは、重要な地位を占めていた。 今でこそ冷凍冷蔵庫の冷凍室はボトムにあるけど、 昔は、普通に上に冷凍庫があって、そこからの冷気で、 下の方の冷蔵庫を冷やしていた。 当然野菜室部分は冷気のたまり場であると同時に、 しょっちゅう開けている家では冷えにくい場所だった。 昔の家は、風通しを第一に考えて建てられていた。 「冬はいかにしても住まる」 だから、 「夏を旨とすべし」だったのだ。 今の高断熱の家は、冷暖房をしてそれを高効率で閉じ込める家だ。 でも、それは、周り中に冷房の排熱を出している家だ。 夜寝る時、寝苦しいのは勘弁して欲しい。 だけど、それ以外のときは、首筋を冷やす努力で乗り切りたい。 私は、現実に、28度では、寝られないんだ。 夏の夜の室温を27度にしたい。 これだと眠れる。 そのために空気の通りのある家にしたいんだけどなぁ。 280センチもある玄関ドアが、邪魔をしている。 大規模な工事をして付け替えない限り、 風の通る玄関は不可能なんだ。 実家では、父の体が弱ってきてから、 夏のエアコンが欠かせなくなっている。 欠かせなくなっているものをもう一度見直すことは、大変だ。 玄関周りを工夫して、何とかしたいものだと、 実家のことも思っているところだ。 強制換気のできる窓用のファンを取り付けてから、 結構エアコンを節約できている。 これも実家に提案してみようかなぁ。。 日除けとか、上手に使えばもっと節電できるように思う。 工夫の入り口になる提案を集めたサイトを探そう。。。 家の屋根や南側西側の壁を冷やす水冷システムとかある???
2011年04月17日
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電磁波は、発電してそれを配電してあれば 当然発生しますよ。 高圧電流の配線のしだたって、電磁波でてるもん。。。 電磁波には、過敏な人と鈍い人と有ります。 電磁波は、家電製品からは普通に出ています。 電磁波は、電子レンジや電磁調理器などを使っていれば、 普通に浴びています。 症状は人によりあったりなかったりだし、 後になって出てくることもあります。 ガンや白血病みたいに・・・ 私は、父がオール電化を進めたときに、 大反対しましたが、聞き入れてもらえなかった。 それにいくら言っても家庭内の強力な無線ランを止めません。 パソコンも液晶タイプじゃないし。 自律神経に悪いことをしまくりの父です。 閑話休題 ところで、今日、先週の大河ドラマの再放送のシーンで、 宮沢りえちゃんと大竹しのぶさんのシーン。 バックの襖絵が、シロバナタンポポでした。 超びっくり!!! あんなマイナーな花を取り上げて絵にしてあるのが不思議。 白い蒲公英は、関西のものだったのが、 どんどん東進しているようだ。 襖絵が時代考証に基づく再現ならその時代にそこにあったということだし、 今の時代の誰かが美術で入れたのなら、 もしかしたら生野の出身者かも??? 生野の基本的な蒲公英の色は、圧倒的に白いのだから・・・
2011年04月16日
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私の居室は、11畳ある。 ので、天井の蛍光灯は4本あった。 でも、普段から2灯しか点けていなかった。 最近、1本外した。 ので、今は夜に1本だけ。 手元は、LEDの明かりで照らしている。 日中、私は家に居ないから、電気はつけないが、 職場でも、一人の部屋では、窓辺に座るので、 電気を点けていない。 いつも、人が来ると、居ないのかと思ったと言われる。 窓辺は十分明るいんだけどね。 温冷両用の水筒を使うようになって、 冷蔵庫を開ける頻度が激減した。 以前はお茶を飲むたびに冷蔵庫を開けていたっけが、 今は、一度に500cc入るから・・・ しかも冷の時にぬるくならないから、 水滴もコップの時と違って気にしなくていいし、 すご~~~く便利。 電灯を間引くのは、結構いい感じで、 実は職場の廊下も、電灯が間引いてある。 次は、自家発電を目指さなきゃだね。。。 職場では耐震補強工事の後で、真新しい太陽光発電のパネルが設置された。 我が家もどうかな??? まずは、太陽熱の有効活用からかな??? 使用量を減らすだけじゃダメで、 自分ちの分くらいは、電力を作らなきゃな。 上関原発反対!!!断乎反対!!! 頑張れ祝島!!!
2011年04月14日
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出だしが違っていると、 さがすのも・・・ 美しい山 懐かしい川 でした・・・ 流亡の曲 美しい山 懐かしい川 追われ追われて果てしなき旅よ 道連れは涙 喜びは無い 国の中にも 国の外にも また、大きな余震があった。 職場で、今震度6弱の揺れがあったって言ったら、 長野県から来てる同僚が、 ちょっと前までは、 震度6って聞いたらすごいって思ってましたよね。 そう言った。 ほんと、そうだった。 今日は、かなり厳しい雨も降った。 神戸の時、 地震の後、雨が降るとすぐに大雨洪水警報が出た。 土砂災害が大きいからだよね・・・ 今日の夕方の大きな余震では、 やっぱり土砂崩れがあって、死傷者が出てたよ。 何度も何度も余震を経験すると、 どこか慣れてしまうかもしれないけど、 大事なことは、大地も建造物も、 すごく傷んでいくってこと・・・ 繰り返す余震で、地盤は緩んでいるし、 家屋の耐震性は設計当初のものを保ててはいない・・・ ちゃんと建っているように見えて、構造物は傷んでいる。 前と同じように見えても崖や土手は緩んでいる。 ボルトやナットも緩んでいくんだ・・・ あらゆるものの劣化のスピードが異常に速まる 力のかかり方が変わってしまって、歪み歪む(ゆがみひずむ) 皆さん、本当に気をつけてくださいね。 今日はこれまでの温かさが、激しい雨風のあとどこかへ行ってしまい、 また冷え込んできた。 明日の朝の被災地の予想最低気温は2度から、氷点下まで・・・ 四月も中旬だというのに・・・ 昨日、久しぶりに庭仕事をしたら、 木瓜と山吹と利休梅と木通の花が一緒に咲いていた。 桜も家の近所の公園では満開だったけど、 これからまた冷え込み・・・ 今日の雨の影響が少なければ、週末まで持つかもしれない。 庭のラッパ水仙が見頃を迎えている。 椿も、元気に咲いていた・・・ 不思議な4月だ。 東日本大震災から一ヶ月。。。 受け入れたくない現実を受け入れながら、 時間の流れに身を任せるしかない。 悔いなく生きて、人生を生ききろう。 誰かを失った事実、記憶を、 たくさんの不幸の起点にしてはいけない。 遺された人たちの幸福な人生、 やわらかな笑顔や、故人を懐かしむ語らいこそが、 最高の供養となるのだから。 丁寧に、一生懸命生きなきゃ・・・ 少しでも、幸せにならなきゃ・・・ 被災された皆さんがそうなれる日々のために、 被災しなかった私たちにできることが、 たくさん、きっと、あるはずだ・・・
2011年04月11日
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幼かった私に父が教えた歌には、哀しい歌が多い。 戦争で、生まれ故郷を失った父だから? 戦後、第二の故郷からも引き離され、 混乱の中で、転居を繰り返した極貧の日々。 共に過ごした母親とも死別し、 樺太、青森から、いきなりの熊本県八代市の暮らし。 言葉の壁は、父を苦しめたことだろう。 しかも祖父は、すぐに再婚している。 八代高等学校を卒業後は、京都での学生寮での暮らし。 この間に祖父が転勤で富山に転居したので、 父は第三の故郷となるはずだった高校時代の地の足がかりを失った。 大学院生でありながらの母との結婚でさらに兵庫県の田舎に移り住んだ。 大学院に通いながら、私学での教鞭のために阪神間で3度の転居。 やっと安定した職を得て移り住んだ山口県での暮らし。 今の実家のあるところは、 その後さらに、私が中学の時に、父と母が家を建てたところで、 父の職場にあった官舎から、転居した。 4月12日に、父は79歳になる。 今の家に住み始めて早38年。 ここ数年、父は非常に強く高校時代の人間関係を手繰り寄せている。 急がなければならないと自分の身体が教えるようだ。 次々の不調は、父だけでなく、同窓生も同じことだろう。 題名のわからない歌で、正しい歌詞はわからない。 ただ、記憶の中の言葉を歌い起こしてみた。 懐かしい山 懐かしい河 追われ追われて果てしなき旅を 道連れは涙 喜びは無い 国の中にも 国の外にも 「逃れ逃れて」と言い換えて歌えば、 原発のせいで苦しんでいる人の気持ちになるかもしれない。 日本中の原発を推進してきた人たちは、 謙虚に、そして虚心に、現実を見て欲しい。 原子力が、安全で地球に優しい次世代のエネルギーだと、 本気で思うなら、何故、東京湾に林立させないのか? イシハラはかつて、東京湾にだって建てられるほど安全だと言った。 遠い福島の原発事故に東京から支援を送るのではない。 遠く東京で使う電力のために、 はるかな福島で原発事故が起きたから、 事故を防げなかった東京電力の中心的な事業主体として、 責任上もなすべきことをしているのだ。 当然のことだが、補償は、最大限、最後まできっちりして欲しい。 仮に国民からの税の投入が避けられなかったとしても、 東京電力という会社の責任は、天災の名の下に 許されるべきものではない。 設計上のミス、施工上のミス、 そして初期の判断ミス。 人員は非難されるべきではないが、 会社の姿勢は、非難されて当然である。 広く国民全体から集めた税で、補償するのなら、 被災者からも税をとっていることを忘れてはならない。 「国が補償を」とはあらゆるところで聞く言葉だが、 国とは我々一人一人の税で成り立っているのだから。。。
2011年04月10日
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いよいよ放射能汚染の深刻な実態が明らかになってきた。 考えたらわかることじゃないか。 わかりきってたことじゃないか。 私は「通販生活」を通して、チェルノブイリの子どもたち、 甲状腺ガンに苦しむ子どもたちを支援する募金に協力してきた。 だから、福島県とその周辺で起きていることの将来を危惧する。 国内では隠していても、国際社会には隠せない。 放射性物質の飛散は、地形、気象条件によって、 刻々に変化する。 今、放射性物質のデータをとっていないところでも、 実は、大きな汚染が起きていることが考えられる。 汚染は同心円状には展開しないことが、 大きな大きな問題なのだ。 昨日、NHKの番組で、今も見つかっていない家族を案じる男性、 避難指示区域で津波に遭って生き別れた家族を捜せないでいる・・・ 思ったとおり、本当はもっとたくさんの犠牲者が、 原発事故発生直後から周辺では出ていたのだ。 救えたかもしれない生存者をさえ、放置させたのだ。 遺された避難民の心の傷は、どれほど深いだろう。。。 被災した地域によって、状況は様々、 一緒には語れないような差がある。 しかし、たった一度の大地震と津波で、 被災して海水をかぶった地域でも、 漁業は支援があれば復興できる。 関連産業を含めた支援が喫緊の課題だ。 農業は、冠水した臨海部の農地の塩害が深刻で、 復興には長い年数が必要だろう。 地盤の沈下があったところなどは 過去のデータなどでは数年をかけて隆起した例もあるようだが、 もはや水田耕作には適さないだろう。 元々の田地の上に、海砂が乗り、その上に海底の汚泥が乗っているそうだ。 耕作に適さなかった海岸沿いの低湿地を あるいは干拓し、あるいは埋め立てて、 米の作付け地を増やしてきた努力を、 今は諦めたほうが良いのかもしれない。 米は、塩分の多い土地では育ちにくい作目で、 少量とは言えない塩分があると青枯れする。 かつ、農業用水の性質から言って、 上流の冠水農地から順に水がくるから、 海に近いところの水田は、相当長い間塩害を覚悟する必要がある。 塩分に強い作目に切り替えて農業を再開するか、 海水を入れて、栽培漁業に切り替えるか?? しかし、これらのことは、全て放射能汚染の無い地域での話だ。 放射能に高度に汚染された地域では、なんの目に見える被害が無くても、 非常に長いスパンで、人が生活できなくなる。 大地が汚されるということは、大変なことなのだ。 人が戻って生活できるようになるまでに、 どれほどの年月が必要かわからない地域もあるだろう。 進行中の海洋の汚染も深刻だ。 周辺諸国の怒りは当然のことだ。 海洋資源は回遊するからである。 海の水がどのように流れるか、 海洋資源がどのような生息域を回遊するか 予断を許さない。 知らない人もいるかもしれないが、 クジラの体脂肪に蓄積されている化学物質は、 大変高濃度で、およそ口にすべきものではないと言うのは、 科学者の間では、反捕鯨とは無関係に、 良く知られた事実である。 私は、クジラに限らず、大型の魚のトロとか 食べないように気をつけている。 脂身は、肝臓と並ぶ高度汚染部位である。 牛乳の汚染を案じるなら、母乳の汚染だって理論は同じである。 乳脂肪分に汚染が集まるからである。 ちなみに世界中の普通の生活をしている人間の中で、 もっとも化学物質に高度に汚染されているのは、 日本の中年までの女性だそうで、 高度に食物連鎖の上位にある食物を摂取するからだけでなく、 若い頃から化学物質を経皮毒として直接皮下脂肪に蓄えるからだそうだ。 欧米人の女性はあんなに化学物質を肌に化粧品として塗らない。 洗顔料から始まって、あらゆる化粧品が化学物質である。 夫婦でタバコを吸い、ジャンクな食べ物を食べ続け、 経皮毒である化粧品や髪の脱色や染色を繰り返している人は、 軽微な放射能汚染よりよほど危険な状態に子どもを置いていると、 ほとぼりが冷めたら厚生労働省や文部科学省は啓発すべきだろう。 ・・・閑話休題・・・原発を許すまじ!
2011年04月10日
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可能性がどんどん少なくなってきていたのに、 震度6強とか震度6弱とか・・・ 広い範囲で地震の影響や最悪の場合津波の影響がある。 これは現実なんだ。 これが現実なんだ。 この国は、地震の国なのだ。 今夜、眠れない夜を過ごす被災地の皆さん、 胸が痛むけれど、どうしてさし上げることもできない。 地盤が緩んで居るし、家屋も見えない傷みがある。 これを最後にして欲しいものだ。 これから始まる季節の雨も、地震の後は被害を大きくする。 あの仙台市の巨大な光はなんだったのだろうか。。。 大地震には大きな余震もつきものだ。 復旧工事にも大きなマイナスだ。 仙台市若林区のじゅり友さんを案じている。 復旧のための意志をくじくような揺れだが、 想定内の揺れである。。。 一月近くたってやってきた。 muttiyさんが心配していた夜の地震だ。 普段なら、 あの大震災前なら、 もっともっと大騒動のところだろうが、 あの大震災の後では、大きな余震である。 11時32分以降も小さな揺れが続いているそうだ。 これは、東海・東南海などへの警告でもあると思う。 引き続いて富士山などの火山活動の活発化が危惧される。 そもそも大震災以前から、九州方面の火山活動は活発化していた。 これは日本の地下で起きている様々な変化を 私たちに知らせるものだったが、 折悪しく、口蹄疫と鳥インフルエンザとに注力していたために、 環太平洋造山帯の活発な動きへの監視体制が十分でなかったか、 体制は十分だったが、事前の準備が不十分だった。 一方で、エジプト、インドネシアその他アジア諸国では、 鳥インフルエンザの人への感染例が相次いで報告されていて、 今後の推移が危惧されている。 地震・噴火・流感・・・ 裏づけの無い自信と、危険性への鈍感とは、 今、電力会社から剥ぎ取って捨てるべきものだ。 明日はダブルヘッダーの日なので、 今日は早く寝よう。 中国電力のバカヤロウ! 山口県上関町に原発建てるな! 違憲はいけんよ!
2011年04月07日
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大地を汚し、大気を汚し、大洋を汚し・・・ 愚かな東電、愚かな御用学者、愚かな役人たち 愚かな当時の与党、愚かな受け入れを決めた当時の自治体のトップ。 神ならぬ人のすること、理論は絶対でも、 現実には「綻び」が必ずある。 綻びを前提にその時に備えるのが防災の基本だが、 「絶対安全」と言い続けると、万一に備えた準備ができない。 万一に備えないことに慣れると、 千一にも備えなくて平気になるし、 百一にも、平気になる。 十分の一の可能性に備えたりしないことも、 当然のように何時しか平気になって、 上手の手から水が漏る・・・ 天災から人災に替わる。 小さな綻びから、破綻し、破滅する。 故郷(ふるさと)つながりで、子供の頃に父がよく歌っていた歌。 「原爆を許すまじ」だったかなぁ・・・ でも、広島にも長崎にもちゃんと繁栄は戻っている。 福島県の皆さんも、いつか故郷を取り戻せますよ。 「原発(原爆)を許すまじ」にアレンジ 1)ふるさとの街追われ 着のみ着のまま見知らぬ地に 今は桜花咲く ああ許すまじ原発を 二度許すまじ原発を われらの街に 2)ふるさとの海荒れて 放射能 怯えぬ日はなく 今は舟に人もなし ああ許すまじ原発を 二度許すまじ原発を われらの海に 3)ふるさとの空重く 風評被害今日も大地覆い 今は先に光ささず ああ許すまじ原発を 二度許すまじ原発を われらの空に 4)同胞の絶え間なき 労働に築きあぐ富と幸 今はすべてついえ去らん ああ許すまじ原発を 二度許すまじ原発を 日本の上に 昨日書いた「故郷」の三番の歌詞の 「志を果たして何時の日にか帰らん」の 「志」は一体何かと考えて、50年近く、この歌を聞き、歌ってきた。 今たどり着いた自分への答え。 「何時の日にか帰らん」自体が、 深く、強い「志」だったのだ。 「ん」は意志の助動詞だ。 心の歌 (震災復興祈念にアレンジ) 故郷の山を見よ 緑 色映えて 故郷の川面は映す 清きその影 津波に荒れ果てたるも 緑また萌えん 親亡き子達もいつか 若者となる 思い届け 輝け 故郷の海よ 響け 故郷(こきょう)を愛す 心の歌 案じていた通り、たくさんの子どもたちが両親を失っている。 震災は、時間帯によってかくも異なる結果を生む。 1日ずれて、3月12日土曜日だったら、 もっとたくさんの子どもたちが落命していただろう。 学校が安全な場所足り得たことが、一つの小さな救いだった。 遺された子供たちがしっかりと成長して社会に歩みを踏み出すまでを 見届けなければ。。。
2011年04月04日
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兎追ひし彼の山 小鮒釣りし彼の川 夢は今もめぐりて 忘れ難き故郷 如何に居ます父母 恙無しや友がき 雨に風につけても 思ひ出づる故郷 志を果たして 何時の日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷 昨夜、実家で、父の従姉妹が 同級生だった女性を探しているとのことだった。 その方は、岩手県釜石市鵜住居町第13地割の人で、 日本中でも非常に珍しい姓だったので、 たまたまNHKのニュースで、 縁者と思われる女の子の話題が取り上げられたのを、 私の妹の一家が見ていて、手がかりがあるとわかり、 私がネットで生存者の避難情報から当人を捜し当てて、 画面を見ながら確認して喜んでもらった。 どうやら、もう、その避難所も引き払って、 お孫さんと転住されたのかもしれないのだが、 鵜住居地区は壊滅的な臨海部では、 避難訓練に使われる地域防災センターに、誤って逃げ込んだために、 建物ごと水没し、亡くなった人が多いと報じられたところだ。 「かまいししうのすまいちく」と、何度もネットのニュースでも見た。 そして、もう一人居たと言うお友達は、おそらく、 鵜住居駅のすぐ側にお住まいであったから、 そこで津波に巻き込まれたままだと推定された。 ネット上でも、そのお友達とご主人の安否情報を求める書き込みがあったが、 回答は無いままだったし、 いくらさがしても名前は見当たらなかった。 66歳、たとえ、77歳でも88歳でも、 天寿を全うしたのでなければ、悲哀は募るが、 66歳、苦労しただけの人生でなかったことを、 見も知らぬ私だけど、今は祈っている。 口をついて出てくる歌は「故郷」だ。 胸が痛むけれども、この歌が祈りのように口をついて出てくる。 日本中で、あちこちで、 如何に居ます父母、恙無しや友がき そう思って、たくさんの人たちが必死で情報を求めていた。 現場で九死に一生を得た人も、 命あるからこそ、そう思って必死で探しただろう。 今は、行方がわからないままの万を越える人のために、 せめて亡骸だけでもと・・・ 原発の事故さえ無かったら、もっと国力を挙げて生存者のために尽くせるのに、 一人でも多くの命を救えたろうに、 このざまである。 そして、恥ずかしげも無く、また、原発の必要性を説くのだ。 原発が欲しくば、そして安全だと言い張るのなら、 山は青き故郷や、水は清き故郷に作るな。 電力を浪費している都会にいくらでも作ればいい。 大量の冷却水が必要だからと言うのは、 田舎に作る口実にはならない。 日本の大都市は、みんな海の側だ。 今ある原発の中でも、閉鎖水域にある愛媛県の原発は、 瀬戸内海の全ての海域が汚染の対象になることを覚悟して建てられては居ない。 原子力発電所は、 地震列島、火山列島、温泉列島の日本には、 不経済で不向きなものなのだと、 今回のことで学ぶべきだ。 あらゆる原発関連の被害に対して、 「国」が補償するというとき、 それは、広く国民の税を投入すると言うことなのだ。 国債の格付けは下がり続け、国債への依存度は青天井だ。 大増税以外で、どう対応するのか? 同じ金額を、あるいは今投じられている対策費を上乗せした金額で、 次世代の高能率のエネルギーを考えるほうが、 正しい。。。 手っ取り早く原発って言うのは、最低の発想だ。 そうやって国力を挙げて開発した次世代のエネルギーをこそ、 海外にも売り込むべきだろう。 この日本の現状を見て、日本から原発関連の技術を買う国がある? 他国へのこれまでの売込みだって全部、チャラだろう? 事故直後、散々テレビで「大丈夫。大丈夫!」って言ってた 大学教授や、推進側の人たち、 もう一度出てきて、「安全です」って言ってみ! 他県では9日後に保護されたケースもあったのに、 福島第1原発の周辺地域では、 発災当初、生存していても捜索してもらえていないんじゃない? 救助を待ちながら死んだ人が、居ないと言える?? 山口県では、瀬戸内海に面した上関町に原発を建てる計画で、 阻止活動をしている漁民一人当たりに、 70万円だかの倍賞命令が出ている。 高等裁判所の裁判官も、馬鹿だろう・・・ 活断層の検証とか、閉鎖水域の原発の安全性とか、 再検討しろよって。 漁民は、ただのワガママか!? 「故郷」を守ることは、どれほど大事なことかわからんか? 一人一人が故郷を守ることは、母国を愛することなんじゃないのか? どうよ!
2011年04月03日
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