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今日は、朝から母と買い物で、父も一緒に行くと言うのを 人出があって、混み合うから、後にしてと言ったら、 案外素直に、そうすると言う。 母と朝から出かけて、混雑する店内を、父の欲しがっていたもの、 粉砕しやすい中国産のスライスされた安い乾し椎茸、 それを探したけど、最初の店には無かった。 母が、その店って言うのは、午後のお墓参りの花を買うため。 母的には、今日行った店のほうが花があると言うのだけど、 どう見ても売り切れ寸前の切られてから長い菊、 しかも最初に母が手にしたのは、黄色い蕾の首が折れていた。 母は気が付かないらしい。 私が、首が折れてるよって言ったら、 折れていないほうの包みを取り替えようとしている。 ちょっとあわてたわ・・・ 店内も、地元の高齢者が多い。 みんなもたもたしている。 みんながそうだと、みんな優しいんだけど。 若い人がトゲトゲするんだようなぁ・・・ 午後のお墓参りの時に、母の筋肉が落ちていることを痛感した。 家の中ではすり足で歩いているし、 退院後はまったくリハビリにも通っていないから、 家の中で動いていてもあの丈夫だった母の筋肉ではない。 母が買った小菊では足りないだろうと、 私が買い足した小菊も大輪に添えて、母が花を組んだ。 お正月価格って奴で、高いこと! よそのお墓の横の赤かった文字が、黒く塗られているところが目に付く。 お墓参りのあと、パソコンに向かっていた父に声をかけて、 運動不足を解消するのに、広い店舗のほうで買い物をしないかと。 父は嬉しかったようで、「すぐ行く。」と言う。 父の「すぐ」は、今、10分くらいかかる。 母だと、5分くらい。 で、父が出るときに、老人用の手押し車の畳み方を、父が忘れてて、 車に積み込むためになんとか5分くらいかかった挙句、 私がハンドレストを持ち上げたら、あっさりたためた。 積み込んで出かけようとしたら、 道路に出た途端に、父が、見送りの母に叫ぶ。 「入れ歯持ってきて!」 聞こえないよって言ったら、窓を開けてもう一度叫んだ。 こういうのが、恥も外聞も無いって感じだ。 下の入れ歯を入れると痛むから、外していたらしいが、 ご面相が変わるのがいやで、入れていきたいというわけだ。 母は、骨折前と違って敏速に動けないから、 道路からまた、庭に入れなおす・・・ こういうのって、多分、「大変」なんだろうなぁ。 父は、昔から買い物が好きだった。 だから、広い店内で、好きに見て回って欲しいものを探してもらった。 あるものは買い、無いものは、別の機会に別の店でと思った。 大店舗内の、書店に先に行ってもらって、 私がレジに並んだ。もちろん、長い列。 やっと終わって、急いで袋詰めしてたら、 携帯電話が鳴って、あわてて見たけど、切れた。 母からだったので、かけなおしたら、 朝、買い忘れてたから、サヤエンドウを1パックと言う。 またぁ?!とは言わないで、探しに走り、 小さなパック298円もするのを買いに、長いレジに並ぶ。。。 父は本屋で放し飼い状態だ。 やっと本屋に行った。 父にしたら、多分、7ヶ月か8ヶ月ぶり。もっとか??? 退院後に、妹とかと行くときは時間が急くし、 6月に倒れて入院する前は、這うのも無理みたいな腰痛だったし。 でもまあ、本の背表紙を眺めていたり、パソコンの本を見たりしてたようだ。 帰る前に、私が、店舗内の100円均一のお店に行きたいと言ったら、 「わしも行くんや」とのたまい、嬉しそうに広い店内を見て歩いていた。 5点も買い物をしていたし、私の姿を見つけたら、縫い針が欲しいと、 タッカーのときと同じくらい衝撃的なことを・・・ でも、ちょうど、私も見てたので、「そこやで」って、 真横をさしたけど、欲しいのが無かったらしい。 針の通し穴の上からすっと押し込むタイプのが欲しいらしい。 要求が細かいのだ・・・79歳のおじいさんが・・・ で、「糸通しもあるで」と言ったら、すぐに先が変形するからあかんのや。 レジでは、525円を自分で払うのだが、 5円を1円玉5枚で出そうとして、指が動かず、案の定落とす。 私が、5円を出した。 見れば小銭入れにしているのは、糖尿病のペン・ニードルの袋だ。 妹が見たら、血管切れるんじゃないだろうか。 店の駐車場で、今度はあっさり手押し車は畳めた。 そのまま帰るべく車線を選択していたら、 買えなかった鯖の水煮の缶詰やら縫い針やらを売っている店に行きたい模様。 仕方ないから、遠回りして、良くすいているドラッグストアに行った。 勝手知ったる父のお気に入りの店・・・どっちもあって、すぐに済んだ。 こうして、父の大満足の午後のお散歩は終わった。 今日も、父は、ヘルパー無しで、一人で入浴している。 浸かるだけだから一人でも大丈夫と父が言う。 見守りが必要と母が言う。でも、母は、見守りたくない。 だから、私が来るのを待っていたわけだ。 私が言う。「あほちゃうん。大丈夫やわ」(大丈夫やなくたって大丈夫やわ) 死なへん人は居らんねんから、お風呂で死んだら、極楽やん・・・ 母の祖父も、母の叔母も、入浴中に死んでいる。 だから、母は、気にするけど、自分もお風呂に入るとき、「極楽極楽」って そう言って入ってるんだから・・・ さて、雨が降り出したようだ。雪に変わりませんように。。。 父が居て、母が居て、紅白歌合戦がかかっていて、 これまでどおりののんびりした大晦日を過ごせている。 奇跡のように。。。ありがたいことだ。。。
2011年12月31日
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昨日書き上げた予定以外で、父のためにできたことがある。 荷造りである。 父は、国立の水産大学校に勤務していたので、 全国の水産関係者には知り合いも結構ある。 岩手県の水産高校の教員をしておいでの方から、 毎年、生徒が実習で作る新巻鮭をお歳暮にいただく。 国産の海産物の新巻鮭だから、多分すごい値打ちのものだ。 おかげで、何十年もお正月には1本丸ままの新巻鮭が当たり前。 暮れには、アラを使った粕汁とか普通だった。 今では、両親の状態に合わせて半身でかつアラを除いたものが届く。 そのお礼とお返しを父はしたいのだが、 母のようには簡単にいかないのが現実だ。 母は相変わらず綺麗なしっかりした字を書くことができるが、 父は、昔日の面影をしのぶことができるかどうか かなり文字を書くことにも筋肉が思うように行かず、 プライドが高いから、それが切なく、 礼状もなかなか書けないでいた。 しかし、新巻鮭の方は、先に私たちのお腹に収まってしまっているし、 このまま年を越せないだろうと思われるのだ。 一昨日、同じ日に、母に届いた物のお礼は、 昨日母が買い物に行ったときに、母は礼状も入れてもらって 地元のお菓子屋さんから発送した。 父にも、母から声をかけたようだが、 父はそう簡単にはできない性分なのだ。 で、今日、父のために年賀状を出しに行ったあと、 予定を聞いたら、これから歯医者さんが入れ歯の手直しに来てくれる。 その後、昼食後に買い物に行きたい言う。 当初、母と花苗を買いに行く予定だったが、 父が自分も用があるから一緒に行きたいと言い出すので、 別々に2度に分けて、母のを後回しにして、父と先に出かけた。 一緒に済まそうとすれば、どちらかが我慢する時間ができるからね。 最初に父と出かけたのはホームセンターで、 父は勝手知ったる店内を自分用のコロ付きバッグを杖代わりに歩く。 yumiさんに教えてもらった優れものだ。 で、欲しいものを買い込んで行って、探しているものがあるようだ。 荷造り用のガムテープと、簡易的なタッカーだという。 普通の人は80近い老人がタッカー探すとは思わないだろう。 多分、私も思わなかったけど、何食わぬ顔で、 さっきそこで見かけたからと案内した。 プロ仕様のタッカーは高い。 そこまででなくて良いと言うから、簡易品をしゃがんで取って渡した。 この、低い位置からしゃがんで物を取るのは、 今は父も母も苦手とする動作だ。 一応、何に使うのかを聞いたけど、 妹が後で怒ったり、母が困惑したりしてもいけないと思っただけで 父には父なりの考えがあってのようだったから、 バスポンプや給油ポンプと一緒にレジを済ませた。 次は、お礼の品、お菓子を買いに行くと言うので、 前日、母が行った店の入っている大型店に寄った。 父は母と違って決断が遅い。 暮れの忙しい時期に迷惑な客だろうが、 うろうろうろうろうろうろしている。 結局、3000円の洋菓子と、山口県の特産の外郎と、 地元産のボケ封じせんべい3袋とを買うことにした。 母の時の何倍も時間がかかっている。 しかも、自分で荷造りして家から送ると言うのだから・・・ 目が点になった。。。 昨日、ダンボールは全部処理して、捨てに行ったのに・・・ もっと驚いたことに、 次に日本酒売り場に行くと言う。 ???????????????!! こらこら、まだ懲りんと飲むのか? そう思ったら、違うのだ。 荷物の中に、地元産の日本酒を入れて、 学生だった彼らと飲んだときのことを思い出して、 自分の代わりに一緒のつもりで飲んでもらいたいからという。 今まで、毎年、そうやって来たのだろう。 はいはい・・・でも、地元のお酒が無かった。 それで、上善如水だったかの中ぐらいの箱入りを勧めて、 それにしてもらった。 ところがその帰り道、 父が、自分で荷造りして送り出すのがずっと先になると言い出す。 ・・・はぁ? 私は思わず、「K子がするから」といってしまった。 年を越してしまったら、お菓子もお酒も人の集まりの中で供されない。 お正月にあるからこそ、楽しいものではないか・・・ 「K子(私の名前)が箱を見繕って、詰め物もして、荷造りするから、 帰ったら、お父ちゃんは、礼状を書いてよ。 そしたら、同封して、明日には出しにいけるやろ。 明日出したら、年内には着くよ」 私も、今日は、父の礼状が間に合わないことを想定してそう言った。 しかし、母のためにパンジーや葉牡丹を買いに行くまでの間に、 私は、ちょうどのサイズの箱を見つけ出し、 中の物を別の箱に移して、荷造りをした。 母や妹が綺麗に捨ててしまったパッキング素材の代わりに 二つのリンゴ箱から詰め物を探し出し、 箱に収めて父に見せた。 父は、愁眉を開いた。 そして、いそいそと礼状を書き上げた。 私が、母を乗せてパンジーと葉牡丹を買いに行き、 母の求めに応じてそれらを植え付け、 母と潅水し、施肥を済ませて部屋に戻ると、 父が封筒をさがしに来ていて、私にそれを渡した。 ガムテープで、パッキングして大急ぎで出しに行った。 岩手県は、明後日の到着と言われた。 良かった、とりあえず、年内に届く。 帰宅して、父に、「明後日には届くって」って報告した。 荷造りして出しに行くのは父がしてたら、いつのことやらだ。 ちょっとほっとした。 父も上機嫌だった。 ガムテープは、多分見つからなかった時のために、買ったのだろう。 父の3つある書斎の私の使っている部屋の机の上に使いさしがあった。。。
2011年12月28日
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実家では、両親と同じ晩御飯、ワタミの配食サービスのお弁当。 退院後のホームヘルプサービスの中で、 台所には人を入れたくなかった母が、 提案されて受け入れたのが配食サービスで、 母の条件は晩御飯だけで、かつ、主食は自分でご飯を炊く。 こうして、おかずだけのお弁当が毎日やってくる。 老人給食ではないので、私の分も頼める。 おかずの種類も多くて、野菜が豊富。 案外低カロリーで、おいしい。 おかずが多ければ、残して翌日の朝や昼に食べることもできるようで、 母は買い物と調理の苦労から解放され、 かつ、自分の実家からのお米が食べられる。 さて、タイトルの、老いる&oil 台所でこの3月4月まであったはずのストーブが無くなっていた。 灯油を買ったり給油したりが無理だから諦めたのかと思っていた。 ところが、父が、灯油を2缶買ってこいと私に頼む。 聞けば父の使っている二間続きの部屋の板の間が冷えるので、 父はファンヒーターを使うらしい。 ところが、灯油は、置き場にまだ1つ半あった。 それに、ファンヒーターの灯油はすっからかんで、 長く給油した形跡も無い。 その上、見たことも無いものだった。 今まで私が給油したことの無いファンヒーターはこの家には無いはず。 そう思っていた。。。 父を散髪屋に乗せて行き、一度帰って灯油を給油し、 そのタンクの大きさに驚いた。 フルに入れたら、無茶苦茶重い。 これは、今の父には持てない。(9リットル入るらしい) 母は前から無理な重さだと感じた。 ところが、母は、以前おばあちゃんの部屋にあったファンヒーターなら、 自分も給油してあげたことがあるという。 私は、絶対違うと思った(実際父が離れから持ち込んだものだった)が、 まあ、ストーブでなくファンヒーターなら、 母も安全と我慢したようで、良かった。 後で夕方買い物に行ったときに母から聞くところでは、 いつものストーブを焚いているのに、 父がその上に何気なく燃えるものを置いたらしく、 そのために、母はストーブを止めさせたらしい。 高齢者の父の注意力の散漫さに、1歳しか違わない母も困惑。 実は、前に、父は火の不始末で居間に小火を出したことがある。 それはこんなになる何年も前で、 父の自己過信と火への注意力の低下によるものだった。 父は、ビニール紐を切るのに、火を使う癖があるのだ。 10代からずっとやってきたことを、 なかなか変えられない。 かつての自分ではないことを、あんなに苛立ちながら、 一番わかっていないのが実は父自身なのだろう。 「大丈夫や。うるさい。」 その言葉で、結果がボヤ騒ぎでちょっと深刻だったから、 懲りてほしいのだが、懲りる代わりに呆けて忘れている。。。 灯油を買いに行ったいつものガソリンスタンドのおじさんが、 私と車と灯油カンを覚えていて、 「20リットル入れますか?」と聞いた。 これまで父と一緒に行ったとき、父は当然のように「20リットルずつ」 そう言ったものだ。。。 今回、私は助手席の母を見て、「18リットルにして下さい」と言ったら、 「重いもんね」と言われた。 私が、左右に20リットル入りの灯油缶を持つとは、 普通の人は思わないのだろう。 私は持てるけど、他には、妹の主人しか持てない。 それでは困るだろうと思ったのだ。 そんなことのために猛烈サラリーマンの彼を頼めない。 18リットルでも大差ないかもしれないけど、 妹にも姪にも持てるようにと思った。 ストーブの灯油の巡回販売とか、電話での配達はあるけど、 本当に高齢になったら、毎回の給油が大変なのだ。 切なかった。 母に言った。 一度に40キロが持てた人が1キロしか持てないのは、 セルフイメージでマイナス39キロ分の痛み。 一度に10キロしか持てなかった人が、1キロしか持てなくなっても、 セルフイメージではマイナス9キロに過ぎない。 この30キロの差が、大きいんだよ。。。 結局、後に給油することを考えて、台所の外の灯油缶置き場でなく、 直接、父の使う板の間に置くことにした。 父に聞き、母に聞き、相談した結果そうすることにした。 去年の年越し、山陰は豪雪で、全国でも停電の被害が大きかった。 父の不注意でストーブは廃止された。 石油ファンヒーターは停電したら使えないことを、 母が知っているのかどうか、明日聞いてみよう。 こうなったら、イワタニの例のガスボンベストーブを買っておくしかないのか? 今日したこと、 父の散髪屋の送迎。 父のファンヒーターの給油と10個ある灯油缶の整理。 手すりの設置に伴うカレンダーの定位置の変更。 父のペンニードルを母と病院に受け取りに行く。 母と買い物に行く。 郵便局に頼まれた年賀状を出しに行く。 たまっていたダンボールをつぶして下関市の基準どおりに縛る。 ゴミ集積場に縛ったダンボール3セットを出しに行く。 脱衣場の天井の電球を付け替える。 生きている電球を探して救出。 母の部屋の掛け時計の電池を入れ替えて時計を合わせる。 18リットル入りの灯油缶2つを持って家の庭をうろうろする。 明日の予定。 給油用の電動ポンプを買い換える。 風呂の残り湯を洗濯機に移すポンプを買う。 父の年賀状を出しに行く(多分・・・) 母を連れて、母の友人宅に蓮根とリンゴを届ける。
2011年12月27日
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乗り継ぎも良くて、 在来線の遅延にもかかわらず、 間一髪遅れてた前の便に飛び乗って、 予定の便の新快速列車なら30分の延着のところ、 1本前のは5分だけの遅れですんだので、 新幹線には余裕で間に合って、 乗り継ぎの小倉駅では慣れたもので、 新幹線の中で、中央部分の車両に移動して下車して、 スムーズに駅の中を移動し、 1本、予定より早い下関行きに乗れました。 いったん九州の小倉まで行きすぎて、 そこからJR九州に乗って、2駅、本州に引き返して、 下関から山陰本線に乗ります。 海の見える場所に座って、若いカップルの邪魔をしながら。。。 下関・幡生・綾羅木・梶栗郷台地・安岡・福江・吉見・梅ヶ峠・黒井村 福江と吉見の間、夕日が雲間から射す冬の日本海の様子を見ていました。 前に座ったカップルも喜んで写真撮ってるくらいの、何時見ても素敵な景色です。 1本早くなって、そこで浮いた時間で、駅と家との間にある美容院に寄って、 2か月ぶりに白髪を染めて、若返った顔で帰着しました。 右側が本当に白くてね、左はそうでもないの。。。 私が高校生の頃から、毎日見ても飽きない、海辺の夕暮れ。。。 15歳だった私は、何時の間に52歳になったのでしょうね・・・ 妹の家族が、クリスマス用のケーキを持って一緒に食べにくるとかで、 去年は成績不振でどんよりしていた姪の雰囲気も、うんと良かったし、 ちょっとホッとしました。 父は、クリスマスソングを予定していた妹の思惑を外して、 いきなりケーキを食べ始め、 折角の雰囲気を壊しちゃったんですが、 妹はめげずにクリスマスプレゼントを渡していました。 私にも、くれました。。。 ユニクロの部屋着のセット。 それから、久し振りに(私は)一緒にフィギュアスケートを見ました。 テレビのない暮らしをしているので、すごく久し振りのスケートです。 1年ぶりですね。。。 こうやって、普通の暮らしをしてみると、テレビって、賑やかなものですね。。。 考えてみれば、私のテレビも、DVDは見られるのだから、 しばらくは帰宅後もDVD見よう。 勿論、例の、あの、豪華BOX入りの「夜ヒット」のですよ。 今日、加古川の駅で、電車に乗る前に、1月23日の帰りの切符をとりました。 着々と、1月の予定も進んでいます。 1月7日の切符はもう23日に買ってあるし・・・ 万全ですね。 あとは、健康管理と仕事の調整・・・しっかりしなきゃ。。。
2011年12月25日
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今日も黒豆を買いに行きつけの鰻屋へ。 もちろんクリスマス・イブにはやっぱり鰻でしょ! でもって・・・今年はキスが釣れていなくて、 そこが去年とは展開が違うところだ。 鰻屋のオヤジが言うには、 今年は黒豆の仕入先から、例年のような大粒の黒豆が手に入らなかったらしい。 いつもは2Lサイズの黒豆を炊いてあるので、 一瓶に55粒しか入らないけど、 今年はLとMの混じりで、65から70粒も入っている。 つまりそれだけ小さいということだ。 で、サイズが揃わないものを均一に仕上げるのも苦労だったようで、 今日はおまけとしてそれに振り柚子をして出してくれた。 気に入らない出来で、商品としては出せないものでって、 オヤジは言うんだけど、美味しい。 一鉢に1粒位、ちょっと仕上がりの硬さが違うのがあったけど、 例によって透き通った蜜まで美味しく飲んだ。 ウナギの値上がりが続いていて、オヤジも困っているようだった。 まあ、鰻昇りって言葉もあるくらいだから、 仕方ないかぁ??? ずっと前に貸してあげてた山野草の調理の本を、 3冊まとめて返してくれたのに、 店を出るときに持ってくるのを忘れた。 年明けになりそうだ。 年賀状は出さないから、直接「良いお年を」と言って回る。 行きつけの果物屋にも寄って、言葉を伝えた。 それにしてもなんて忘れっぽくなったことだろう。 認知症のためのサプリメントが話題に出てたことを、 割と自分のこととして感じている。 焦っていたのには訳があって、2時から人に会う約束だった。 次のこと次のことと気が急くので、 大切な物や事を忘れるのかもしれない。 万事焦ってやってもいけないし不注意に漫然とやってもいけない。 急遽会うことになったのは、今日の午後しか日程が合わないからで、 わざわざ私に会うために岐阜から来てくれるのに、 お土産の賞味期限があるからといって、 予定を三日早めて来てくれた。 会いたかったし、話も聞きたいことがあったので、 こちらも予定を繰り合せて時間を作った。 来年の海外旅行の費用の打ち合わせやら、 再来年の4月以降の身の振り方について、 考えて予算を組まなければならないからだ。 久しぶりに会うと、その変化が分かる。 3年前の初めて会った頃のおどおどした印象は消えて、 今は、朗らかな好青年になっている。 クライアントの変化は、励みになるし、 何年も継続してフォローすることで、自分も勉強になる。 一層の良い変化を期待して彼を見送った。 2週間後に迫ったカルタの展示会の準備をしながら、 話を聞いていた。。。 あれもしなきゃ、これもしなきゃの日々で、 忙しくしていると、お正月なんてあっという間に過ぎていく。 面会の途中で私の携帯電話に次の用事の電話が入って、 今度は5時に自宅で人に会うことになった。 再開を期して、パソコンのメールアドレスを交換して別れた。 それから帰宅して、乾燥が激しい植木鉢の潅水をしていたら、 後退しながらの動作で、何が起きたのかわからないまま 足がもつれてお尻から転倒した。 水圧のかかるホースを持っていたので、 体勢が立て直せないまま、一瞬で左のお尻を強く打った上に、 ホースがあばれまわって服はびしょ濡れだ。 履いていたスリッパも脱げて、靴下がびしょ濡れ。 仕方なく起き上がって、ずぶ濡れのままスリッパを履いたから、 スリッパもずぶ濡れ。 呆然としながらあばれまわるホースをなんとか持った。 5時の面会まで間があるから、 濡れた服のまま水やりを済ませることにして、 夕暮れの迫る庭で、残りの潅水を済ませた。 それにしても、足がもつれて後ろに尻餅を付くなんて、 母の骨折を思い出す・・・ 完全に尻餅を付いてからだから、 後ろに延びたけど、頭は打たなかった。 お尻の他に腰や背中でも衝撃を感じた。 これって、骨粗鬆症なら、大腿骨を骨折しているパターンだな。 そう思いながら、着替えて、 濡れた上着やオーバーパンツを乾燥機の上に吊るした。 スパッツの上にトレーニングウエア、その上にオーバーパンツ。 ジャンパーの上に更に防水のジャンパーと、着込んでいるので、 上に着ている服が濡れても染み込まない 着膨れて動きが悪いのもあるけど、 明らかに集中力が無かったなぁ・・・ 結局、着替えてからカクテキ漬けたりしてるところに、 電話で、渋滞に巻き込まれて遅れるという連絡。 6時前にやっと会えた。 それから3時間半以上経って、今度は別の友人からメール。 「山口へは、いつ帰るの?渡すものがあるけど・・・」 9時過ぎである・・・明日帰るのに・・・ 受け取りに行こうかと返事をしたら、来るという。 そんなわけで、9時半ごろにまた来客。 明日の帰省の前に、どこまでも忙しい私だ。 そろそろサンタクロースが空を飛ぶ時間だ。 さっき妹からメールがあって、明日最寄りの駅まで迎えに行くよって。 新幹線がまともに動くとは思えないけどね。。。 時間を、取り敢えず、知らせた。 駅と家とはゆっくり歩いて10分。 本当なら迎えの要らない距離だ。 しかし、雨の降ったときには欲しい。 近すぎてタクシーを頼めないからだ。 帰省の準備、大丈夫かなぁ・・・
2011年12月24日
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出不精の私は、仕事でどうしてもって時か、 ジュリーのお呼びが掛からなければ、 自宅からほんの40分ほどで着いてしまう神戸市の三宮にも 全く出かけません。 今日は、そのどちらでもなく、 神戸市の国際性・震災後の復興ぶり・戦後復興の現状など、 色々な観点から、 短い午後の時間でしたが、神戸市の北野異人館通りの周辺を見学。 前にyumiさんと行った時以来??? まず、ドイツ料理で腹ごしらえをし、 道案内を頼りに見てまわりました。 最初は、ユダヤ教のシナゴーグからです。 六芒星をしっかり見てきました。 まだ、神戸市に生田区があった頃の建築物で、 住所がそのように表示されていました。 次に見たのは、ジャイナ教の寺院でした。 色々な彫刻のある大理石の門を 通りからだけでなく建物側からも見ました。 通りからだと、上の象が印象的なのですが、 建物側からだと、なんと、カバ???みたいな動物が、 左右から大きな口をあけて居るレリーフが・・・ 次に北野天満宮に行って、道真公の遺徳を偲び、 牛さんを撫で撫でして、お賽銭をあげてきました。 神戸市の海を望む山腹に北野の天神さんをわざわざ勧請したのは、 松ケンの来年演じる平清盛ですって。 来年、大河ドラマ絡みで「福原遷都」の話題が出る予定で、 神戸市は一儲けを狙っているようです。 地名の「北野」は、もちろん京都の北野天満宮に由来するのだし。 次に大道芸人の芸を見ておきたい気持ちを抑えて、 神戸パブテスト教会に行きました。 これは、いわゆるプロテスタント系の教会ですね。 その次は、今度は、特徴ある十字架で知られる正教会に行きました。 色んな文字で書かれていました。 もちろんギリシャ語とかロシア語とかもあったはず。。。 見てもわからないんですけど・・・ 特徴ある十字架は、イエスの頭上に罪状を書かれた板と イエスの足元の板を表すそうです。 聖母マリアの位置づけとか、 古いキリスト教の考えに基づくのですって。 そのすぐ近くに一宮が在りました。 震災後に門とか建て直したようで、 真新しい石材に、寄進した女性の名前があちこち見えました。 多分、すれ違った二人の女性のどちらかだと思いました。 だって、一宮神社でありながら、 民家の庭に続いて建っているんですから。 それから、今度はカトリック教会に行くんでしたが、 途中、一休みしに、西村珈琲店に行きました。 喫茶店と言いながら、もとは会員制の由緒正しいお店で、 なんと、入るのに並んで待つくらいです。 私が行ったときも、何組も待ってました。 気を取り直して、カトリック教会に行きました。 ハンドベルのコンサート中でした。 昔はゴシック建築の建物でしたが、 震災で倒壊し、建て直されて、すごい斬新な建物に・・・ 神社・教会めぐりの締めくくりは、 イスラム教のモスクです。。。 金曜日は、大事な日なのですね。 で、モスクの建物の前に立ってる外国人たちは、 女性はちゃんとスカーフを巻いてました。 男性は、色んな人種の人がいるように思いました。 アジア系のムスリムもアジア系以外のムスリムも、 モスクは共通なんでしょうか。 シーア派とかスンニー派とか、聞いたけど、 きれいに忘れました。 聞いた事実だけは間違いないのですが。 どこでも多かったのが、中国語を話す人たち。 見るからに観光客風の人たちの集団です。 甲高い大きな声で、どの国でも同じなのかと思うほど、 賑やかに観光するので、目立ちます。 昔は台湾からの観光客の人が多かったと思うけど、 大陸の人の方が、今は多いのかもしれない。 かつて、エコノミック・アニマルと呼ばれた日本人が、 出っ歯でメガネで首からカメラで大挙して・・・ 欧米をキャンキャン言いながら観光していた頃、 きっと観光地で同じように嫌がられつつ、知らなかったのでしょうね。 最後に、イスラム教徒のための食材のお店と、 幅広い輸入食材のお店に入りました。 食文化の理解は非常に大切ですから。 後の方のお店で店員さんが立ち話をしていて、 耳に入ってきた言葉が、山口弁のことでした。 文末に「ほ」とか「そ」とかが、「の」の代わりに付く。 その例を上げて話していたのですが、 私もつい「ぶち」って言いますよねって話に加わりました。 すると、話していた若いお姉さんが、 自分は下関市の吉見の出身だからと言いました。 驚きです。 私はその吉見の小学校・中学校に行ってましたから。 広いようでも世間は狭いのですね。。。 こうして、見聞を広め、多様な文化に触れる半日見学は終わりました。
2011年12月23日
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思い返せば、ブログを始めたのも、 勢いだった。 あの頃は、まだ、私は混沌としていた。 混沌にEM菌群入れて、更にかき混ぜていくと、 いつか、澱のような悲しみや苦しみが沈殿して、 上澄みと分かれると思っていた。 そうすると、そのEM菌群は、ここでの出会いであり、 つまり、私は、yumiさんと出会った。 そして、yumiさんの強烈な意志の力で、 私は、ジュリーとも出会った。 引っ込み思案で、臆病で、面倒臭がりで、出不精だった そして、ジュリー以外は今も大して変わらない・・・ そんな私は、yumiさんとの出会いによってちょっと人生が変わった。 もちろん、他にも、ここで色んな人と出会った。 今もそれぞれ、ブログを続けておいでの方もあるし、 ご家族の介護や看護、ご自身の不調、転居など、 様々な理由で、ブログを閉じたり、移転したりした方もある。 生来、三日坊主の私である。 何より、日記を付けることができない理由が、 文字を書けないことにあったから、 小学校以来あらゆる宿題の中で最悪のモノは 毎日の日記・夏休みの絵日記だった。 私は、お天気の記録でさえつけられなかった。 そんな私にとって、この楽天のブログは、 大きな大きな大きな転機だった。 自分が、その時思ったこと、感じたこと、 何を見、何を聞き、何に感動したか、 誰に会い、何をし、何を話し合ったのか。 あらゆる記録がここにある。 日記を書いた習慣のない私にとっては、 それは、人生の後半に訪れた大きな転機だった。 私は、文章を書く事が嫌いであった。 今でも嫌いである。 それは、文章を思いつかないからではない。 文字が書けないからである。 私のADHDという生まれつきは、 そうでない人とは文字の認識が異なる。 だから、私は、文字が長い間苦手だった。 克服してもしきれない部分がある。 自分の中から溢れ出る言葉を文字という形にできない苦痛は、 日本語ワープロとの出会いで解消された。 そして、何十年もかけて蓄積されてきた言葉は、 自由にそれをとどめられるようになった。 しかし、それを時間軸上に留めて置けるようになったのは、 このブログとの出会いがあったからだ。 私は、時々、自分の過去ログを読む。 記憶をたぐって読んでいくときもあれば、 ある日の記録からずっと読み続けてしまうこともある。 驚くほど書いた内容を覚えていないのは、 深夜に睡眠導入剤と前後して打鍵しているからで、 例えば今などは、まだ服薬していないが、 これから30分後には、服薬して、 その前後のことは翌日にはもう覚えていない。 これからも、何年たっても、 私は日記を付けるようにはならないだろう。 そんなわけで、楽天の馬鹿野郎が、 私的機能を縮減し、広告機能ばかりを拡大させても、 それを理由にこのブログから撤退することはないだろう。 創業は易く守成は難し 始めたのは、勢いと偶然。 止める決断とか気力がないので、 ダラダラと続けているだろう。 写真を載せなくなったのは、 日中、写真を撮る気力が無いほど忙しかったからで、 載せるのが面倒だからではない。 もっと根本的なところで、日々多忙で怠惰。。。 こんな怠惰な私に、お正月明けの7日8日に 百人一首展をまたやれと、知人が言うので、 なんと、7日に午前中百人一首展を開き、 午後は知人に任せて新幹線で福岡にジュリーのコンサート。 深夜に新幹線で帰宅して、翌日も終日百人一首展。 こんなことを出来るのも、 福岡のyumiさんからエネルギーをもらってるからだね。
2011年12月21日
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大嫌いなパソコンでの仕事も済んだ。 おもちゃとしてならパソコンも楽しいけど、 仕事で分秒を争うようなときは、 自分のスキルの無さにうんざりするから嫌い。 ああ、東芝の日本語ワープロ専用機のRUPOが懐かしい・・・ せっかく使い慣れたらパソコンの時代だ。 私は、RUPOのブロック機能をよく使っていて、 縦書きの文章を作るときに、この機能は非常に楽だった。 自由に範囲の切り取りやコピーが出来て、 思いのままに使いこなせたのに・・・ ま、秘書を雇うほどの収入もない身の上だから、 自分でできる限界で辞めるか・・・ 65才までの再雇用の義務化が言われているが、 定年自体が65才まで延びたらウンザリである。 43年も働き続け。 その前は、16年間、学校通い。 中学では高校入試、 高校では大学入試、 大学では就職活動と資格取得・・・ 小学校はともかくとして、10年間は暗黒時代だった。 私は、大学出てから働き詰めだから、 31年近く働いている。 産休と育休で休んだ期間も1年だけ。 その間は、働いていないわけでなく、 育児に追われていた・・・ 主婦業には休みはなかったから、 この4月まではオヤジ並みに働き、 手抜きしつつ飯の仕度もしていた。 「めし・ふろ・ねる」の生活をしてる同僚と、 同じ仕事以上の仕事を求められて、こなしてきたと思う。 だけど、もう、新しいことを覚える気力が無い。。。 事務系の雑用もこなしたし、 30年間変わり続けた印刷機も覚えて使い続けた。 製版・製本、なんでも来い!だった・・・ でも、もう、うんざりしてきた。 同僚を見ていると、偉いなぁって、思う。。。 前に仕込んでおいた色々な若いモンたちは、 残り一人までこぎつけた。 「極限環境菌」なんて、4月から掛り切りの改造で、 表情筋も変わって、快活な笑顔の似合う好青年。 「阿蘇の魂」に匹敵する大改造だった。 「毒きのこ女」に続いて、 二人の女性が、環境系で成果を上げてくれて、 余力で宮城県にボランティアにまで行ったんだから。。。 こちらも大成功だった。。。 別件の、休日前に突然頼まれたりして 非常に戸惑った女性のクライアントも、 書類も上々の出来で間に合って、大成功だったので、 まあ、良しとしよう。 キメラ鶏は、玉砕だった。 数値的に想定の範囲内だから、本人ほどはショックじゃない。 問題は、「里地・里山」・・・ これは飛越困難な障害が横たわっている。 本人の抱える以外の問題がまた大きい。 私のやっつけ仕事は、今日で一山越えたけど、 明日、大きな蓋が3つ開く・・・ 一つは、6年越しの課題、 もう、そろそろ結果が欲しい。 クライアントも30才になってしまう。 これからしばらく、寝る間も削ってストラップやキーホルダー作り。 被災地で好評だったとかで、気をよくして、 次のボランティアにももって行ってもらおうと思って。 私の大好きな「ブタ」が中心だけど、 「招き猫」も好感度が高いかと思って、 パーツを取り寄せている。。。 お年寄りに配ったら、「孫の分もいいかい」って言われたとかで、 つかみは、オッケーだったようだし。 とんぼ玉と、チャームと、ブタさんと、招き猫。 一日が26時間くらいあったらいいのになぁ。。。
2011年12月15日
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最近、見た医療関係者のサイトで、 マスク嫌いで有名なアメリカ人の、 H1N1インフルエンザ いわゆる豚インフルエンザの時の、 医療従事者の間での感染に大きな差があったとの報告が、 紹介されていた。 日本人のマスクのマナーを異常視していたアメリカ人だけど、 マスクは、実際、有効なんであると、 今頃認めていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ H1N1(2009)流行のごく初期、 米国で最初の6例が入院していたときに、 そのケアをおこなった医療従事者のマスク着用と感染との関係を調査報告。 やはりマスク非着用群に感染者が集中していたと。 米CDC調査。南カルフォルニア。 米国で最初のH1N1(2009)感染例のケアにあたった63名の医療従事者調査。 (この時点で他にH1N1感染者はいなかったので、 感染者接触と自身の感染との因果関係がはっきりわかる) 63名中、1回でもマスク着用したのは20名。 1回もマスク着用しなかったのが43名。 H1N1(2009)に感染したのが9名。 この感染した9名はすべて非着用群の人々で、 着用した20名からは1名も感染者がでなかった。 感染者と接触するとき、必ずもれなくマスク着用した率は ガッカリするほどの低率であった (Overall, mask and respirator use was disappointingly low)。 接触のたびに必ずマスク着用していたのは19%にすぎなかった。 特に外来部門で低率であった。 まあ、納得できる数字ですね。 それにしても、あの国で、 マスクを完全に着用していた率ガッカリするほど低率 (dissapointngly low)だった ・・・、今ごろよく言うよって感じですね。 マスクに感染を予防するエビデンスはありませんと、 あの頃限られた知見で言っていたのはまあ許せるとして、 感染予防でマスク姿の日本人を 大きな写真入りで揶揄していたのはどこの国の新聞だっけ? NYタイムズってお国の新聞じゃなかったですかね? って言ってあげましょう。 マスクなんかしてたら強盗と間違えられるとか 言ってたのもこの国だったような。 そういう意識なら、医療従事者がマスクもせず、 (その時点ではまだ得体の知れていなかった) 新型インフルエンザに立ち向かっていくのも dissapointingly仕方ないことですね。 ソースは11月30日付medical press↓http://medicalxpress.com/news/2011-11-inadequate-mask-health-workers-early.html Study finds inadequate mask use among health care workers early in 2009 H1N1 outbreak ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、関西か中部地方かいつも迷ってしまう三重県で、 インフルエンザが流行域に入り、しかも、いきなり沖縄を抜き去りました。 私の職場、兵庫県の加古川市でもその近辺でも、 インフルエンザ様症状の人が増えてきました。 私も、二日前に不快な体調不良があったので、天津感冒片をかじり始め、 今朝までにほぼ違和感程度に持ってきました。 職場の同じ空間で、マスクマン&マスクウーマンも多く、 昨日から深刻化したお兄さんは、ストーブを焚いた室内で、 真冬の屋外みたいな格好でマスク2枚重ねてしてて、 ゲホゲホ言ってるので、私の手持ちの旧タイプの天津感冒片を12錠。 本来は3回分ですが、 6錠ずつ2度、4時間あけてかじるように言って渡しました。 漢方薬であることと、苦いことは伝えましたが、 よほど辛い状態と見えて、悲鳴を上げつつ苦いのをかじっていました。 ついでに、効いてきたら続けて飲むようにニューボトルを渡して、 今年最初の板藍のど飴もひと袋あげました。 あのチームは、どうも感染源が厳しくて、 豚や鶏と接している人がしょっちゅう体調を崩していて、 その周辺にこの2箇月波状攻撃・・・ しかし、今回が一番ひどい状態。 筋肉の痛みや、39度近い高熱など、 インフルエンザを示唆する症状があるのに、 咳き込みながら、職場に居てもらうより、 早く帰って休んでもらうほうが公共の福祉。 周辺の高等学校などは、これから期末試験に突入するので、 体調を崩してしまうと危険水域の免疫力になるのよね。。。 2009年のことを思い出しつつ、 余分目に自分用の天津感冒片 買っておかなきゃ。。。 三重県と兵庫県は直通ではないけど、 どうせ、インフルエンザは遠からずシーズン入りする。 今年はA香港を中心に、H1N1とB型もの混合タイプ。 まだ、予防接種には、行っていない私・・・
2011年12月07日
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例によって、休日の午後から職場でたまった仕事を整理。 昨日も行ったけど、昨日は若手も結構いて、 仕事がたまっている人も居るんだと思ったけど、 今日は流石にポツポツだったので、 広い部屋に一人が嫌で、狭い方の部屋に行って仕事をしていた。 ふと見ると、携帯電話の音声が消してあって・・・ ああ、休日で、目覚ましを使わないからだと、 思ったものだ。。。 なんと言っても、朝起きるのが苦手な私にとっては、 休日のまったりした朝の過ごし方は、これぞ休み!!!って感じだからね。 ところが、ふと気づくと、不在着信がある。 確認すると母からのもので、 その上、時間は朝の6時38分。 なんじゃこれ??? しかも、時間は00秒。 間違ってかけて慌てて切った・ぽかったけど、 昨夜の電話の内容が内容だったから、 一応かけてみた。 すると、母の携帯には、もちろん母が、出たけど、 抑えたような声「今、佐保会の食事中なんや」と言うから、 安心して「電話があったみたいやからかけただけやで」 そう言って切った。 思えば、父の入院に続いて、 健康な母がまさかの転倒をして骨折し、 人工骨を入れる大きな手術で、結局退院まで3ヶ月かかった。 退院後も、慎重な母の事、そろりそろりのおっかなびっくりだったが、 気が付けば、バスで下関まで出て、 奈良女子大学の同窓会の役員の仕事をこなせるまでに、母は回復した。 それと同時に、父も、置いて出てこれるくらいには安定している。 実は、退院以来、晩ご飯を配食サービスに切り替えたことで、 母の心身の負担が非常に軽くなっていて、 回復が早かったのではないかと思われる。 矢継ぎ早の自宅の改装工事も、 老いても、住み続けて行こうという意志の表れだと思うし、 2年連続でオロオロした夏場が過ぎて、 あちこち様変わりした自宅での、のんびりした正月が待っていそうだ。 実は昨夜の電話で、母から、 母の親友であり、私の中学の恩師の 母より2才年上の方の、脳出血のことを聞いたので、 そのことが気になって、念のために電話した。 中学の時の家庭科の先生で、非常にインパクトのある授業だった。 今でも、私は、栄養に非常に気を遣うし、 手芸も大好きだし、全ては、この先生のおかげだ。 御子息もよく知っていて、中学の後輩になる。 ご主人とは面識がないけれども、高校の社会科の先生だった。 私の高校2年生の時の担任が地理の教諭で、 仲良しだったから、良く社会の教師同士で海外旅行に行っていた。 その話を授業で聞いて知っていたのだ。 80才の恩師は、自宅で頭に不快感があり、 気分が悪いとご主人に訴えて、 ご主人がすぐに主治医宅に電話で相談されたそうだ。 その主治医の指示通りに状態を見て報告すると、 主治医が、 「脳内出血の疑いが非常に大きいので、 信頼できる大きな脳外科のある病院にいきなさい」と言われて、 救急車を呼んで行ったようだ。 手術になったが、出血の量が多くて、結構大変だったらしい。 左半身に症状があるが、急性期は脱したので、 リハビリ専門の病院に移ったということだ。 父の繰り返す入院の度にも思うが、 緊急事態の対応は、分かっていても、一人ではできないことも多い。 夫婦で居てこそのありがたさと言えるだろう。。。 母は、転倒して骨折したとき、妹に電話した。 これが、私に電話してくれても、なんの役にも立てない。 妹も傍に家があって、ありがたいことだ。 父は、焦りを抑えてずっとゆっくりの回復だが、 排泄に脳みそを支配されなくなってから、ずいぶんと良くなった。 訪問看護士の入浴の介護を受けているので、 それも父のためには安心だし、 母も自分の負担感が少なくて助かっている。 老いの坂は、長寿であれば、当然、長い。 長い上り坂を天国を目指して登っていくのなら、 連れがあったほうが快適なんだろうなぁ。 全くの健康体のまま老いていくことは難しいだろう。 互いに病や弱さを抱えて、背負って、 老いていくんだろうなぁ。。。 ま、自分のときはこうはいかないから、 今から、どうやって過ごすのかを考えておかなければならない。
2011年12月04日
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