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タイトルは、 「太田道灌蓑を借りるの図に題す」の転句と結句です。 孤鞍雨を衝いて茅茨を叩く 少女為に贈る花一枝 少女謂はず花は語らず 英雄の心緒乱れて糸の如し こんな感じです。漢字もいい加減です。 ライサンヨウだったかなぁ・・・カンサザンだったか? なんせ、30年以上前の詩吟のお稽古で覚えたので、 ちゃんとまともに作者とか覚えていないんですよ。 唐詩は、ね、李白とか杜甫とかさ、覚えてるんだけど、 頼山陽とか、菅茶山とか、国語では習わないですもんね。 あと、廣瀬淡窓?だっけかもあったなぁ。 梅田雲浜? 岩田梅岩? 明治天皇もあったぞ・・・ そうそう、西郷南洲のもありましたわ。。。 と言うわけで、花のことは、写真に聞いてください。 元夫君がジルベルトと昨日からオートキャンプに行ったので、 私は声を出して笑ったり、詩吟の一節を吟じたりできるわけです。 まあ、詩吟の一節なんて、普段ありえませんからね。 アスペルガーな元夫君にとっては、詩吟とか民謡とかの声は、 耳元でガラスや黒板を引っかかれたような不快な騒音。 不快な騒音といえば、民主党の党首に野田君がなったみたいですね。 夕方、焚き火しながら思ったんですよ。 谷垣のアホが、「解散総選挙で信を問え」って、 今、政局やっとる時じゃないし、 震災と原発の被災地では、選挙権もヘチマもないんか??? 本当にアホですね。。。 そもそも、原発絶対安全!って、旗振ってきたのは、 自民党なんじゃないですかね???? あらゆることは、自民党の長期政権化でみんなが思考停止だったから、 札束で頬をなでたり張ったりした挙句に、 色んな法律で、どんどん補助金漬けにして、 一ヶ所にアホほど原発作ったんでしょうに。 一つ作ったら、永遠に作り続けないといけない補助金財政になる。 福井県のおっちゃんが、上関原発に反対して そう言うてはりましたわ。 そんなことにしたんは、自民党なんちゃうん??? 私の知る限りでは、そうですけどね。 そりゃ、民主だって、自民と変わらんくらい罪深い輩は多いやろうけど、 少なくとも、自民党がとやかく言うことじゃないね。 共産党や社民党が言うんならわかるけどさ。 田舎でも、反対すると、お前は何でも反対して共産党か?!って そう言われるんよ。 衆愚政治の山口県じゃあそうです。 岸も佐藤も安倍も山口ですけど・・・ 野坂参三も山口県ですけど。。。 野田よ、解散なんかするなよ。 今は、何を言われてもこらえよ。 そんなことをしとる場合とちゃうねんからな!!!
2011年08月29日
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三原九重玉紫陽花の蕾は、完全な玉ではない。 ちょとキューピーさんの頭になる。 だから、花を包んでいる総苞は尖っている。 そして、透明感がない。本当にカリフラワーのようだ。 でも、その後の圧倒的な展開はすごい。 瓔珞は、そろそろ緑も見えてきた。 次々に咲いている。 潅水も大忙しだ。 ちょっと気を抜くと、すぐに花が傷む。 蕾の時期の潅水不良が、開花後に私をしかることもある。 次々に蕾がつくのは、 玉紫陽花が当年度枝に咲くからだ。 その点では、アナベルと似ている。 花よりも花のような葉が、塀をクライムアップしている。 ハツユキカズラを常緑と言っていいのか? 少なくとも、緑のヘデラは常緑のフユヅタなんだけど。
2011年08月27日
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百人一首ってね、 今は、「ありあけ」君みたいに、 自動読み上げ機とか、 CDとか、 それ以前にはカセットとかLPとかあるんですけど、 全国統一の競技カルタを黒岩涙香が企画するまでは、 統一基準が無かったんですよね。 仮名遣いも好き勝手だし。。。 当然、アクセントやイントネーションも、 標準語が導入される以前の日本のように、 違ったことでしょうし、 あの独特の読み方も、その時だけ方言が是正されるはずも無い。 となると、 「資生堂の洗濯石鹸」を 「しっしぇいどうの しぇんたくしぇっけん」としか発音できない地域とか、 「後藤伍長」を「ごどごぢょ」としか発音できない地域、 「雑巾」を「どうきん」と言い 「アマゾン川」を「あまどんがわ」と言う地域、 「瀬を速み岩にせかるる滝川の割れても末に逢はんとぞ思ふ」 「あさぼらけ宇治の川霧絶え絶えに現れわたる世々の網代木」 どんな発音して詠んでたんだろう。 音声教材が無かった江戸や明治・・・ お手本を示せる人がいたんだろうか? 私の妹の小学校の時の担任の先生が、 優しくて、すごくいい先生だったんだけど、 「ええかね、おいいとか、といいとかゆうちゃあいけんよ。 ちゃんと、おおいい、とおいいっていわんにゃあいけんほよ。」 これは、昭和の40年代の地方の小学校の現実だ。 「多い・遠い」のような母音の連続する形容詞を、 きちんと発音できないことを注意する側も、 できていないのだから。。。 「アマドン川」と言ったのは、高校の地理の先生だが、 生徒がわざと「アマドン川」とテストに書くと、 ちゃんと × をつけていたらしい。 手元にある木の札の手書きのカルタ、 非常に愉快なくらい濁点が多いのだ。 京都あたりのと思われる古い木の札には無い特徴で、 おそらくは本州会津以北から、北海道に木の札のカルタが入った頃、 明治から大正くらいまでのものと思われる。 耳から聞くとおりにひらがなに濁点を打っていったら、 こうなったのかと、ふと、思った。。。 不思議がまた一つ解けた。 今を基準に考えることの危険さを、ちょっと知った気がした。
2011年08月25日
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同じ画像を3枚貼ったのではありません。 別のショットです。 巨大な、右側の持統天皇の右目が、 私のパソコンでは3枚違って見えるんです。 一枚目の写真では、彼女は、右目を大きく開けて、 写真に撮られて驚いて目を覚ましたところ。 二枚目の写真は、まだ、寝ていた時で、 両目ともほぼ閉じてるところ。 三枚目の写真は、普通の、起きてるときの彼女です。。。 なんてことは、あるはずもないんですけど、 なんでかなぁ。。。 私のモニター画像では、そう見えちゃうんですよ。 他にも色々な持統天皇を一堂に・・・ と言っても、まあ、全体の本の一部ですが、 新しいところで、個性的なものを選んでみました。 yumiさんに唐風の衣裳を披露しましょうと思って。。。 巨大 持統天皇は、色紙で、カルタじゃありませんが、 100枚の絵札と、100枚の字札とがあります。 絵は、日本画家の守屋多々志氏のものです。 本当なら光琳カルタが勿論古いけど、 これは複製ですからね。 意外と垂簾政治をしてたかもの絵も、 元版は古くて江戸時代のものです。 この写真のものは、大阪毎日新聞の正月号の付録ですけどね。 いわゆる販促品??? 結構古いものです。 ミニチュア版が昭和9年だし・・・ 非売品のカルタもあります。 大和絵のものです。 これは、中北製薬が、創業250年を記念して 製作配布したカルタです。 絵は、森村宜永、大和絵の大家で、東京美術学校の先生だった方、 書は、遠州流茶道宗家12代小堀宗慶氏のものです。 小堀宗慶氏は、茶道で使う掛け物の識眼があり、 わけても、藤原定家の書に精通されていたとか・・・ 左下の小さな光琳カルタもどきは、 現在市販されている、もっとも小さなカルタで、 「小町」といいます。 今度は、江戸と明治に分けて持統天皇尽くしをやろうっと・・・
2011年08月24日
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昭和9年のお正月号の付録ですからね、 その時すでに生まれていた人で、 このブログを見てくださる方は、 あまり居ないと思いますし、 まして、その当時に「少女の友」を 買ってもらっていた人は、もう90歳過ぎで、 かつ、結構なお嬢様??? このカルタは、取り札にも地模様があって、 それが、知らない人には汚れて見えたらしくて、 割と安く落札できたものです。 源氏香の模様と、季節の花のシルエットが印刷された札です。 さて、と言うわけで、 この昭和9年のカルタは、一枚当たりのサイズが、 切手ほどの大きさしかない、 極小版のミニチュアカルタだったんですよ。 読み札も採り札も20枚ずつ薄い紙で包んであって、 それが、10束並んで内箱に入り、 それを、美しいイラストの外箱で包む構造になっていました。 素敵な趣向でしたし、あまりの可愛さに、 きっと当時のお嬢様たちは大喜びだったでしょう。 で、今日の問題です。 一番最後の写真の、普通サイズのカルタ、 何か変です。 どこが変だか、わかりますか???? 答は、また今度・・・
2011年08月22日
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今日の実の初めはタカノツメ 今日の実の二番目は、へーゼルナッツ 今日の葉は、斑入り夾竹桃 今日の花は、これからの瓔珞玉紫陽花 今日のカルタは、ちょっとだけ古いよ。 今から大体80年前の少女の友の正月号の付録です。 このカルタの詳しいことは、また今度。
2011年08月19日
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手書き&手描きの古いカルタですが・・・ ご愛嬌つながりで、こんな百人一首の使われ方も。 ハワイからの輸入品とか・・・ほんまかいな??? 今日の最後は、ちょっとした比べ物を。 どれも江戸時代の廉価版のカルタですが、 上と中の二つは、版木が一緒です。 下と中の二つは、字が同じ人です。 そして、一番下のはちょっと小さくて、 作りが雑ですが、この時代のカルタの製造工程がよくわかります。 まず、この一番下の超廉価版は、一つあたりが小さいです。 と言うことは、紙を節約しているということです。 一枚の紙に何人分の上の句用の絵札を刷るか、 それによって、使う紙のトータルが変わります。 これだけ小さいと、一枚あたり一段分増やせたはずで、 私の持ってる大判の版画の札よりはるかに小さいです。 大判のは、4人ずつ6段です。 これは、6人ずつで8段か、もしかしたら9段いったかも・・・ しかも一番下のは、絵がシンプルで、扇とか持っていません。 色も簡略に紅絹裏を見せていません。 私の推定では、一色の版画に先に手で彩色し、 中に入れる泥入りの和紙に貼り付け、 その後カットして、一枚ずつ裏紙で包みます。 襖などに使われていたような泥入りの分厚い和紙は、 裏紙がはげてくると、悲惨です。 細かな泥の粒子がカルタ全体をザラザラさせます。 上と中と、同じ版木でも、新旧で線の綺麗さが違います。 どの絵に、誰を当てるかは、歌を書く人が決めたのか、 大体の約束はあるはずですが、中にはおきて破りもあって、 それを見つけるのがまた、面白いです。
2011年08月18日
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これは、お習字のお手本のような本でしたが、 本当に綺麗な字でした。 勿論、印刷です。 次のは、今のブームを作った漫画家のシリーズ、 「ちはやふる」です。 今、13巻まで出ていて、秋には、テレビ放送もあるとか。 競技カルタの魅力満載です。 続いて、今日の蟲です。 気の弱い方は、もう見ないでね。 さすがに今回は、私の掌ではありません。 何故って、同じ綺麗な幼虫でも、 今日のは、ちょっと・・・な感じなんです。 黄色や青や、こげ茶色や、綺麗なんですけどね。 それに、純粋な草食主義者で、平和的な蟲なんですけど、 この子の前では、私が凶悪な殺戮者になってしまいます。 では、行きますよ、 気の弱い人は、見ちゃダメよ。 イラガの幼虫ですね。 南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。。。 と思ったら、小さいのも居ました。 先の、大きい方のお顔です。 庭にチャドクガが発生する以前は、イラガ、 ヒロヘリアオイラガは、最凶最悪の蟲でしたが、 庭でも職場並みにチャドクガが発生したことがあり、 それ以来、ヒロヘリアオイラガ君は、 平和な草食主義者に格下げになりました。 だって、こいつが居るだけでかぶれるってことはないですから。 チャドクガは、発生したら、それだけで危険です。 この25年間で、一度だけ、庭の椿の木を消毒して、 それから切りました。 泣く泣く切りましたよ。 だって、お隣の玄関正面に当たる場所に、 チャドクガの脱皮がらのついた椿があったら、 申し訳ないじゃないですか・・・ あの大発生以来、二度と、初期を見逃さないので、 消毒はしていません。 良い子は、イラガの幼虫にも触らないようにしましょう!!!
2011年08月17日
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手始めは、シャグマアミガサタケ そして、ドクツルタケ&卵天狗茸 ヒカゲシビレタケ ポピュラーなところで、紅天狗茸 そして、「センセイの鞄」にも出てきたワライタケ 意外なところで、ヒトヨタケ&ホテイシメジ&スギタケ 妖しく光るツキヨタケ カキシメジ 外来新生物??オオシロカラカサタケ 地獄の苦しみ?ドクササコ 国内で50種類くらいが知られているそうなので、 量が多くて、影響を突き止められているものを中心に、 見て行こうと思いますが、 上に書き上げたのの中で、 余りにも有名なベニテングタケは、確かに毒々しいけど、 他のは決してそうでもないので、 心してかかろうと思います。 中でも、やっぱり、シャグマアミガサタケは、 茹でる湯気に当たっても命が危ない? とかで、 触るとか、食べるとか以前のレベルと教わったので、 非常に興味深いです。 去年から粘菌を始めたら、 裏庭で思い切りすごい粘菌の発現を見て、 寒気がするほどだったので、 今度は、キノコにも気をつけようと思います。 そう言えば、奄美大島に行ったときに、 車の中から、巨大なニオウシメジを観察しました。 降りて見に行きたかったけど、 時間的にも車道からの距離も無理があったので、断念。 残念だったなぁ・・・ 往復と翌日の行きとで3回観察したので、 間違いないと思っています。 ニオウシメジは世界最大級の可食キノコで、 直径1メートル、最大の重さは100キログラムとか。。。 これまで職場にいた、キノコ、菌類のエキスパートが転出してしまい、 全部自分で調べる羽目になったのですが、 いざとなったらドクターTにもお願いして、 年末目途に、頑張ります。。。 では、最後に今日の百人一首 元は、江戸時代の浮世絵による書籍で、 現物は、逆立ちしても手が出ないし、 そもそも今は流通していないだろう。 これは、アメリカでの2006年出版の美術研究書の逆輸入本。 小倉擬百人一首(おぐら ぎ ひゃくにんしゅ) 2 × 諭吉 + 送料 = という豪華本だが、 英語の解釈はまったく読めなくても、 純粋に美しい100枚(表紙を入れると101枚)のカラー写真が楽しめる。 一枚ごとに、上に、地味に小さく百人一首の歌と歌人が書かれていて、 下に極彩色の版画が刷られているのだが、 この版画は、歌から連想される歌舞伎の名場面を描いたもの。 約半数52枚を国芳が描いている。 残りの35枚は広重で、三代目豊国が14枚だそうだ。 表紙は大江千里の 月見れば千ゝにものこそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど この歌に合わせた絵は、なんと「白拍子祇王」である。 仏御前の出現で清盛に捨てられた時か? それとも清盛の命令で仏御前のために歌と舞を披露した後か・・・ 私は勝手に後者の嵯峨野に隠遁する時だと思っているが。 それなら、母と妹の祇女も一緒のはずだとか・・・ 平家物語つながりだと、 西行法師の歌には、静御前と弁慶が描かれている。。。 2日前に載せた絵葉書の静御前は、 断りきれずに、頼朝と政子の前で舞っているところだ。 吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき しずやしず しずの苧環 繰り返し 昔を今に 為すよしもがな 満座の静まり返る中、堂々と歌い舞う静。 彼女をかき抱いては耳元に「静よ静よ」と囁いた義経はもう居ない。 彼女の胎には、その義経の子が宿っていた。 この時六ヶ月目くらいだったろう。 あるいは、彼女は、子と共に殺されても良いと思っていたかもしれない。 しかし、北条政子の強いとりなしで、事なきを得る。 やがて月満ちて子を産む。 元気な男の子だった。 女の子ならば、手元で育てることを許されたろうが、 赤子は男児であったゆえ、そのまま奪われて、殺された。 義経の血を引く男児を生かすことはありえない。 頼朝の判断は、当時としては当然だったろう。 現に、頼朝を助命し、義経の三兄弟を生かしておいたから、 平家は滅亡したのである。 しかし、結局、頼朝は、早すぎた死を迎え、 彼の子である二代将軍も三代将軍も味方や身内に殺される。 そういう、世の中だったのである。 鎌倉時代に新興仏教が末世末法を説いて広がったのには、 養和の大飢饉以来の天変地変と、打ち続く争乱、 そういう下地があったのだろう。 その時代を生き切ったのが、藤原定家なのだ・・・
2011年08月16日
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ルドベッキア・タカオ 瓔珞玉紫陽花の蕾 橋本治 モモ尻語訳百人一首 上記書籍内の カルタ図版 貴重!
2011年08月15日
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楠木正行(まさつら)です。 小楠公ですね。 父は、楠木正成 = 大楠公です。 四条畷の戦いに赴く前の辞世が、 帰らじと かねて思へば 梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる 国威の発揚と、愛国精神の高揚。 第二次大戦下、百人一首は軟弱な遊びと見られていきました。 非常時に合った男性的なものとするため、 作り出されたのが、愛国百人一首です。 万葉の昔から、明治を迎える以前の、 広く知られた歌で、且つ、忠君愛国精神を感じられたり、 忠君愛国精神に結びつけた解釈を作り上げ易かったり、 そんな観点から、100人の歌が選ばれ、 大阪毎日新聞社を中心として百人一首が作られました。 「愛国百人一首」で検索してもらえば、 詳しいことや、別版のあることなどが説明されていますが、 なにせ、日本国内で、勤皇・忠君愛国と言うと、 万葉集と、南北朝時代と、幕末と、限られちゃうんですよ。 そんな中から、選ばれていますし、 選歌の基準の一つに、作者が明治に存命していてはいけないので、 限度がありますよね・・・ そんな中、知る人ぞ知る明治の国民的アイドルだったのが、 楠木正行(くすのき・まさつら)です。 今では、なに?だれ?それ?って感じですが、 明治時代、一大フィーバーを巻き起こした少年ヒーローだったんですね。 少なくとも、現在75歳以上くらいの年齢の人で、 知らない人はいないでしょうってくらい。 この右手に持ってる矢の鏃で、 彼が如意輪堂の扉に書き付けた辞世の歌が、 吉野の如意輪寺に伝えられているそうです。 閑話休題 その愛国百人一首から、慰問用の絵葉書も作られていて、 美少年・美少女・美青年・美婦人・・・ さて、以下の通りです・・・ 愛国百人一首は、敗戦と共に忘れ去られていきますが、 敗戦時の混乱で、国語をフランス語とか英語とかにしようとか、 ローマ字書きにしようとか、 めちゃくちゃな議論があったんですよね。 結局仮名遣いを現代仮名遣いにしたんですけどね。 一時期の混乱を伝えるように、 東京中心のカルタ界が現代仮名遣いのカルタを用いようとして、 京都中心の関西のカルタ界と対立し、結局京都の伝統派が押し返したのね。 う~む。。。 現代仮名遣いになっていたら、百人一首の暗記の宿題は無かったかも。
2011年08月13日
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このカルタは、明治になってから百貨店で売られていたもので、 版木は、江戸時代のものを用いているか、その模刻品 白黒の版画に手で彩色するのは、安価なカルタでは少なくない。 安価とは言っても、このカルタは豪華複製品だし、 文字も全て読み札も取り札も手書きである。 彩色は丁寧で、同じ版の江戸時代のものに比べて高級感が漂う。 ちなみに当時の売価は、拾伍圓 漆塗りの箱に入っていて、そこにシールで!値段が。。。 手書きや、手彩色のカルタでは、 主役は姫であり、中でも持統天皇は破格の扱いである。 長く宝冠などついていなかったが、 おそらくは、天皇家の神格化が進んで、 他の女性との差を際立たせるために、 へんてこりんな宝冠をあれこれ工夫したものだ。 孝謙天皇あたりの図を見つけてきて、まねたものだろう。 ちなみに、yumiさんの指摘どおり、 本来の持統天皇の時代は、中国風の衣裳を身につけていたはずだ。 後日、その絵を載せようと思う。 「段つき」と言う言葉をご存知だろうか? カルタの遊びの一つに坊主めくりがあるが、 他にも色々な遊びの中で、段つきと言うのは、 皇族の下の豪華な段のことを指している。 OO天皇とか、OO院(院は引退した天皇=上皇や、国母) OO親王(これは男子)、OO内親王(これは女子) 以上のような人につく特別な敷物のことだと考えてもらうと・・・ 天皇家の権威は、実は、無いに等しい時代が長かった。 摂関政治・院政の時代は、まだしも天皇家の権威を前提にしていた。 しかし、院政の末期、保元・平治の両乱から 源平の合戦を経て、鎌倉に武士の幕府が成立すると、 天皇家の権威を認めない時代が始まる。 源頼朝の死後、二代・三代で、あっけなく途切れようとした源氏の幕府。 その混乱に乗じて、天皇親政を再現しようとしたのが、 99番の後鳥羽院と、100番のその息子の順徳院である。 天皇家が反乱を起こすという前代未聞の承久の変は、 あっけなく敗れて、中心となった後鳥羽院は遠く隠岐の島に配流。 親孝行な順徳院も佐渡へと配流となった。 で、「段つき」に戻ると、江戸時代には、 天皇家に対する敬意は、少なくとも明治や第二次大戦前の昭和なんかとは 比較にならないくらい軽かったし、 明治天皇もすごい耐乏生活を明治になるまではしていた。 だから、段のつくかつかないかの判断が、いい加減な時代があった。 元良親王は、親王だが、任天堂のカルタでさえ、 昭和の中ごろの大改定まで段が無かった。 そして、祐子内親王家の紀伊と言う女房は、 その大改定までは、なんと、段つきだった。 大きな大間違いが定着していたのだ。 それが、上のようなとんでもないカルタもあったのだ。 誰にも、段がついていない、無礼千万な、四民平等カルタ。 実は他にも何種類か違うカルタでも、段の無いのを持っている。 次のカルタの天皇の顔は、あらゆる私のカルタの中で、特異である。 モンゴロイドの顔をしていない、コーカソイド系の美男子である。 持統天皇も可愛い。 とてもあんな権力闘争に明け暮れた血なまぐさい女性とは思えない。 戦時色が濃くなると、天皇家は、いきなり軍神みたいになる。 ちょっとアップにしてみよう。 これは、かなり地味な色目になった頃のカルタだ。 しかしまだ、宝冠がついている。 次ぎは上のカルタの色違いだが、宝冠はついていない。 これは、戦後か?それとも、宝冠が着く前のものか? 明治の終りから大正にかけての変わったカルタ。 一枚一枚に販促の証拠に商品名が印刷してある。 豪華な解説本もついていて、 明治の終りから大正にかけてのものと知れる。 「新都の花」と言う「おしろい」の販促品である。 製作は、松井號。
2011年08月07日
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前に撮って置いたカルタ関係の写真を さすがにアップしようとして、 300枚以上を縮小専用で処理していたら、 全然できない。 わけのわからない誤操作や意味不明の出来事が続き、 何度か打ち切ってやり直しているうちに、 「縮専」の設定が変わっていることに気付いた。 本当は400×400ピクセルに縮小のはずが、 最大値に拡大と言う状況になっていたのだ。 ものすごく重かったのはそのせいだったのね・・・ それに気づいて、誤操作の分を全部削除し、 他の変なショートカットやらコピーやらを全部削除し、 最後にもう一度300枚を処理して、 布団に転がり込んだのは、3時。。。 文字通り転がり込んだ。 3回、目が覚めたけど、都合7時間半寝て、 やっと起きた。。。 目が覚めるたびに大量発汗するので、 エアコンや扇風機を動員して寝た。 綺麗に縮小できた画像も、まだ、 回転が終わっていなかったりするので、 それをしてから載せなきゃである。 とりあえず、昨日の労作を・・・・ 光琳カルタが見つかってから、 日本の百人一首の廉価版は、一気に光琳カルタの模造品になった。 どこもかしこも、模造品を廉価版の絵に使ったので、 会社としての個性が無くなった。 任天堂は、まだ、出していないと思うんだけど、 ちょっとウンザリの感がある。 で、写真のものは、ほるぷ出版が手がけたものと、 京都の帯屋が、帯の販売促進用に作ったオマケと、 私の母の定年退職記念に母が私と妹と自分用とに 田村将軍堂に注文して作ったもの。 単なる写真複製のが、私ので、 デジタル処理した製作当時の色調を再現したものと、 デジタル処理したけど、現存のものに近いものと。 帯は、両面使い全通柄の金糸・銀糸(プラチナ箔) 全部の歌人の上の句下の句が載っている。 しかも、帯の販売促進用に作られたカルタは、 この時の帯のものではないようで、 説明書きと解説の小冊子の記述は、 まだ見ぬ光琳カルタ帯が別に存在することを示している。 ま、いつか会えることを楽しみに。 会場の片付けは終わっているが、 大量のカルタの搬出がまだなので、 今から、行ってきます。。。
2011年08月06日
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なかなか咲かないのに見切りをつけて、 先に咲いてたアリエス好みの槿のほうを・・・ ミナヅキも咲き続けているし・・・ 玉紫陽花の一番花も咲いた。 十二単も咲き続けていて、 十二単と言えば・・・ 百枚の上の句が全て文字まで描かれて金彩が施されています。 通産大臣賞を受賞した二代目樽本伊勢蔵さん(故人)の作品。 八掛にも数枚が描かれて居ます。 遠目には、縞模様ですが、近づくと歌仙絵なの。 下のこれは、散らしてあります。 「優れた意匠」としての百人一首にもこだわったので、 今回の展示では、着物2点・帯3点・帯の織り出し3点を展示し、 ハンカチや、アロハシャツまで、百人一首にこだわってみました。 帯は、欲しがる人が多くて、不思議でした。 着物を着る人は金銭感覚が違うのね。。。 私の買ってるのは、全部ネットオークションだから、中古価格だけど、 着物を着る大人は、ゼロの数が1つ2つ多い値段を平気で言うの。 その光琳柄の帯は、詳しくはまた今度。。。
2011年08月04日
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