全5件 (5件中 1-5件目)
1
思い返せば、本当に波乱万丈の一年でした。 職場でも、大混乱でしたし、 私自身も、公私ともに・・・大変な。。。 それが、去年がもっと大変だったから、 それに比べれば、大したことじゃないと、 毎年毎年思うようになったら、危険ですね。 去年は、両親が3カ月も入院という、 とんでもない一年だったし、仕事もめちゃくちゃ忙しかった。 今年は、両親は一度も入院しなかったし、 一昨年のように、おばあちゃんの死去に続く お父ちゃんの心臓の悪化。。。全身むくんで緊急入院とか。。。 そう言うのもなかった。 姪は、進学先が決まったし、 妹も、順調に経済的にうまくいくようになっているようす。 こんな中では、私の怪我は大したことではないのだろうと。 地震も、大津波も、大嵐も、私たち家族の上には来なかった。 実家の両親の間の小さな感情的な行き違いは、 父の食べ物をめぐるワガママによるもので、 樺太で生まれ育った極貧の生い立ちの青森にルーツのある父と、 台湾で育ち、終戦後は兵庫県の自作農の家の子だった母と、 食に関しては、絶対に相容れないもので、 明らかに父は幼児化している。 60年近く抑えてきた自我が、赤子のように噴出している。 母は当惑しているし、 受け入れるのは、父のネットで注文し続ける商品が届く冷凍庫か冷蔵庫までだ。 その先は、母なりのやり方を変えない。 母だって明ければ数えの81歳で、 十分すぎるくらい高齢なのに・・・ いろんなことを考える。 考えると行き詰まり、行き止まり、 そうして面倒になって考えるのを止めてしまう。 そうやって、この数年を過ごしている。 大晦日の晩ご飯、 父の取り寄せた冷凍の半生の氷下魚(こまい)を焼いて、 (母が煮魚にするしか知らんというのを、ネットで食べ方を調べ) 同じく父の取り寄せたアトランティックサーモンのハラスをポン酢で、 (1袋が1キロ入りで、しかも2袋注文したらしい。) 父の高校の同級生が送ってくれた生のうどんを蕎麦の代りにと食べて (母が、何を思ったのか4人前も茹でて大変!) 母のうんざりを共有しつつ、父のはしゃぐのを喜びつつ、 父には茹で方が固すぎるブロッコリーを食べて、 母の相変わらずさを感じつつ・・・ もうあと少し、2時間半で、今年ともおさらばである。 父は、私が居ると、絶対に元気だ。 きつい言葉を私が母の代わりに口にしても、 行動でフォロー出来ているからだと思う。 少しでも長く、元気に、過ごしてほしいと、 心から思う。 良い一年になりますように・・・
2012年12月31日
コメント(4)
昨夜は、父の取り寄せたマトンのタレ漬けの冷凍を解いて、 妹の家族と、6人で2キロを食べました。 母は、朝、1キロって言って、 足りるはずがないと、もう1キロ追加して解凍しました。 野菜もたっぷり買ってきて。。。 でも、まあ、母の感覚はいつものこと。 父のいらだちも当然のこと。 毎晩、お風呂に入って、 介護浴の出来るような立派なお風呂で、 手と膝のリハビリもしています。 お湯の中では、動きも良くなるし。 そして、手術を選択するかどうかを悩みながら、 ネットで調べ物をして、 一日が終わります・・・ 一昨日は、睡眠導入剤を飲まずに、ハーブで寝てみたら、 まずは、お決まりの寝付けない。 やっと寝たら、3時間ほどで目覚める。 無理にもう一度寝たら、いつものド派手な夢を見る。。。 この時の夢はすごい極彩色の夢で、 ほとんど映画並みの物語性と鮮明な映像、 更には、現時点での気掛かりが総動員されるので、 めちゃくちゃ疲れます。。。 最後は、大声で避難誘導しているシーンで目覚めました。 心臓がバクバクしてて、疲れました。 出て来る映像が、映画の予告編のようです。 登場人物も、普段は身近な人が多いのに、 今回は、私と一緒に必死で巨大な商業施設で避難誘導している男性は、 何と、「バラク・オバマ大統領」でした。 如何に壮大な疲れる夢か、わかりますかね・・・ 「みなさん、これは訓練ではありません! 速やかに安全な場所に退避してください! 外は寒いので、温かい上着を着て出て下さい!」 そう叫びながら、自分も自分の防寒着を取りにいっていました。 北海道の出張が近いのがストレスになっているのかしら? 懲りて、昨日は睡眠導入剤を飲んで寝ました。 久し振りに7時間半寝ました。 しまった、寝過した・・・という時間になっていましたが、 日曜日?のせいか、起こされずに9時まで寝ていました。 運転手くらいしか役に立たない私ですが、 3食・風呂・パソコンありの、ぐうたらな帰省です。 なんと、主食は、1日1度の、ワタミの配食サービス! お節も、今年は、ワタミのお節になりました。 骨折した私が悪いんですけどね・・・ 父が、毎日少しずつ年賀状の宛先を書いていくので、 それをちょっとずつ出しに行くのが、日課です。 そう言えば、昨日午後に、父がヒステリー気味で、 古いシャープのザウルスに切れてました。 文字が小さくて見えないうえに 年に1度しか使わないので、操作を忘れるというわけです。 なんでも出たらすぐに買って使いこなしてきた人だけに、 高齢になって文字が見にくいなんて想定していなかったのね。 ザウルスM1C1という手書きも出来る、当時の最先端。 今は、ヒステリーの原因となっています。 母の手書きの住所録ではありえないことですが。。。 老いを考慮に入れるべきことを、父の姿が教えてくれます。
2012年12月30日
コメント(0)
junさんにも書いたとおり、 実は、骨折部位は思って居たところと違っていて。 尺骨ではなく、左手の橈骨遠位端骨折でした。。。 それすら、骨折当日は、膝の靭帯断裂に気を取られてて、気付かない。 説明聞いてても呆然としていて、聞き流していました。。。 ギブス、一旦、外して、ギブスシーネという立体的な添え木 (それまでつけていたギブスを半割りにしたもの) を包帯で巻きつけています。 急性期を脱し、入浴も出来ますので、 入浴のたびにじっくりリハビリしてます。 でも、実は、12月21日の時点では、 「まだ骨折部分はくっついていない」 「骨折自体は全く良くなっていない」と 三宅祐司?に声も顔も似たお医者さんからいわれています。 やれやれです。。。 ギブスは、取り敢えず左右から回転のこぎり?で切れ目を入れて切り外し、 素手でレントゲンを撮ったのですが、 詳しく聞き直す余裕もできていたのだけれど、 やっと、骨折の方に目が向いた状態で・・・ 橈骨遠位端骨折(コーレス骨折?)という高齢女性の転倒事例に多いと、 始めのころに読み飛ばしていた文字がもう一度ネットとかで目に入り。 情けないったらありゃしない。。。。 ギブスから解放され、心行くまで入浴し、 お風呂で指とかを動かしています。 尺骨が折れたと思いこんでいた時と違って、 負荷のかかる動作に慎重になっています。 思い込みって怖いですよ。 左手の指先に荷物引っかけて持ってましたから。 絶対悪影響があったはずで、怖くて正直に言えませんでした。 お医者さんは「ギブス固定6週間!」と、最初に言ってて、 でも、4週間で年末年始を前に一度ギブスシーネにしてくれました。 2週間で、快方に向かわなければ、またギブスと言われて、 帰省の間だけシーネかも・・・最悪は7日から再度ギブス。 それでも、帰省中のシーネは、ギブスよりはうんとましですが、 動きが良くなっているだけに、 「骨はくっついてない。最初の写真よりはっきり見えるやろ」と、 レントゲンの黒い筋を示して言われたのはショックでした。 1月10日と14日は「ジュリー~~~~!!!」のはずだし、 25日からは3泊で人生初・北海道出張予定なので、 ギブスとは、もうおさらばしたいです。。。 暗澹たる思いで(って、大げさですが)、24日に帰省して、 はや二日が過ぎました。今年は、超大型の冬休みをとってて、 12月24日から1月6日まで実家です。 自宅療養中ということですね。階段の昇降がありません。 昨日は、朝から、漏便処理でパニックでしたが、 今日はもう大丈夫でした。 しばらく体調が悪くて外出もできていなかった父が、 今日は「わしも一緒に買い物に行く」というので、 朝のうちに出かけて、父の欲しがっていたものを 一緒に買いました。 母も驚くほど、父は杖で力強く歩いていて、 私が居ることが、父にとってどれほど嬉しいのかが、 伝わってきます。・・・複雑な心境ですが・・・ 私は、昨日、父が何日か前に打ち間違えて、 150枚も印刷してしまっていた年賀状の「 辰 」の字を、 カッターナイフで、ひたすら、1枚ずつ、削っていました。 カッターナイフで字を削るのは、職人仕事のように上手ですが、 その上からさらに消しゴムで表面をならし、 そこに、母が美しく、父のこだわりの緑色で「 巳 」と書き込んで 漏便パニックと、徒労の昨日が終わったんです。。。 母が気付いたのは24日の夜で、でも言ったら父が眠れなくなるからと、 翌朝にそれをどう伝えるかを協議して、私が気がついた風にいうことに。 対応も考えてあったので、すんなりと訂正が出来ました。 それらを思えば、今日、乗せて出かけた銀行の窓口で、 母が私を呼んで「通帳が無いんや」って、 おろおろしながら言い出したことや、 (結局もう一度手提げを見たら、ちゃんと持って行っていて事無きを得た) その後の買い物で、 レジで、「お金が足りへん」って青くなって言いだしたことなど、 (私の持ち合わせが十分あったし、 車の中で、「あったわ」と千円札の中から五千円札を母が見つけ) 全然大したことじゃありません。。。 あわて者の私がしょっちゅうやってることですからね・・・ そうそう、今朝、父の排泄用の座薬が袋ごと見当たらないと、言うので、 私がどれどれと、探しに入ったら、 まさかの、「くすり」と張り紙のしてある戸棚に、ちゃんと袋ごと大量にあって、 おろおろして探すと見つからないものだということを実感しました・・・ 親子だなぁ・・・と思いつつ、 自分の老後を案じました・・・はぁ。 子供のころ、あんなに大きかった父が、 子供のように我儘になって、小さく小さくしぼんでいくのが、 一番、胸の痛むことです。。。
2012年12月26日
コメント(4)
さすがにあの転倒骨折の直後に比べたら、 左手の可動域も広がり、 不自由なのが骨折のせいなのか、ギブスのせいなのか、 判然としないようになってきた。 勿論、骨折の治りを早くするためのギブスだから 私とて、無理はしていない。 痛みを感じるヒネリの加わらないように、 すごく気をつけている。 しかし、直後には、右手一本で打っていたパソコンも、 今は左手もある程度の時間までは使えるようになったので、 かなり早く打てるようになってきた。 しかし、こうしてみると、人間の手首や足首の関節はすごいものなのだ。 右手で出来ることで、ギブスのついた左手では出来ないことの一つに、 「掌を返す」がある。 これは、出来ない。 固定の状態では、親指を上にして軽く手を握っているのが楽だ。 したがって、今でも茶碗はもてないし、 耳かきも使えない。 よく、ギブスの後のリハビリも長いと書いてあるけど、 どうなることやら。。。 左足は、大型の借り物の装具から、 自分用に買った軽量小型の直付けの装具に換わった後、 松葉杖とおばあちゃんの形見の杖を使っていたのを、 今週からは装具だけで歩くようにしている。 左足の痩せ方はすごくて、 装具に頼ると筋肉が落ちるとは聞いていたけど、 実際ここまで落ちると、危機感がある。 かと言って、装具が無くては、前十字靭帯の切れた膝は不安が大きい。 心の中にある恐怖との戦いなんだ。 「膝崩れ」と言われる現象は経験が無く、 わかっているのは、ロッキングの痛みと不自由さだけなので、 恐怖心は、むしろロッキングに対するものだ。 そうかといって、今、十字靭帯の再建手術をするとは思えないし、 半月板の損傷部位を除去する手術もごめんだ。 内視鏡下での簡単なものだったら、考慮するけどね。 入院は、この先少なくとも1年半はごめんだ。 御免だと思っても、まあ、そこは、自分の限界があるだろう。 どこかで折り合いをつけるなら、その時は、その時だが。。。 できれば、温存で、ぼちぼち生きたいと思っている。。。 ジュリーのコンサートが、自分の中の目標なので、 1月のコンサートには装具つけても行くし、 やがては、以前のように普通に立って、 コンサートを見られるように戻りたい。 そもそも、還暦ツアーのころの私は、初めは立っては見られなかった。 今の強化された足腰は、ジュリーのお陰でもある。 気持ちを立て直して、来年からのツアーに参加する気力を持とう。 昨日から、そのためのトレーニングを始めた。 じっくり、自分と向き合っていこうと思う。 室温は10度の室内だが、首に当てている磁石のせいか苦にならない。 正面突破! 全身全霊! 頑張れ私!
2012年12月19日
コメント(4)
今日は、朝から仕事だった。 日曜日は普通は休みの職場だが、 チームのメンバーがそろう本格的な休日出勤。 で、私の業務は受付担当。 座ってて、笑顔で居ればいいのだから、 予定者220人ほどの名簿と、照会しながら、 会場の入り口での業務をこなした。 予定通り昼頃に終り、チームのメンバーと食事。 これが大変。 急な階段を上がり、和式の店で座卓で食事。 コストパフォーマンスの高いことで有名な店で、 ランチ1000円で食べきるのが大層な量が出る。 私には「完食の誓い」があるので、絶対に残せない。 階段の昇降、座布団8枚重ねの座席、 使えない左手でのご飯茶碗。。。 そして、美味しくも大量の悩ましい昼食。 階段の昇降よりも、座るほうが大変だし、 左手の角度的には茶碗を持つのが本当に大変。 みんなに迷惑かけまくり・・・ だれもしなかったけど、本当はご飯のお代わりもできる。 野菜(南瓜・筍・里芋)と鯛の子の煮付け、上品。 ブリの煮物・とろけるような火の通り加減。 根菜と海藻の酢の物・美味しい。 豆腐の味噌汁、これも、まずまず。 お刺身の盛り合わせ、勿論美味しい。 ゲソのてんぷら、 焼き物は大き目の甘塩の鮭だった。 最後に黄色くないたくあんが2切れ、これも美味しかった。 お茶も、寿司屋のお茶だから美味しい。 ここのランチは、本当にすごい。 夜の宴会の時なんかは、折り詰めが必須アイテム。 絶対に食べきれない。。。 駅に近いこともあって、地元では有名な寿司屋で、 元は、仕出しとテイクアウト中心のお店を小さくやってた。 主人が、鮮魚の仕入れで頑張る人で、 どんな揃わない材料でも新鮮なら買う。 そうこうするうちに、感謝されて、買い得なものが出ると、 優先的に回ってくるようになった。 この話は、ここの店ではなくて、たたんだお好み焼き屋の女将さんに聞いた。 彼女も贔屓にしているようだった。 商売には、色んな要素があるだろうけど、 仕入れで頼られて良いネタを安く入れられるのは、 店主の人柄だろう。。。 仕入れの朝も、ランチの昼も、宴会続きの夜も、 黙々と働いている。 薄利多売で、誠心誠意のお店だ。 最初はビルの1階のカウンターと小さな座卓2卓ほどだったが、 私が通うようになって以降の15年間にも、 一階の他店舗の空きを借り増し、 二階全フロアも借り増して改装して大宴会場にして、 昼はランチを始めたわけだ。 それでも、テイクアウトのお店だったころの名残で、 古びた見本のショーケースが、通りに面して張り出している。 初心忘るべからず・・・ 久しぶりに奥さんを見かけて、骨折と杖を心配されてしまった。 へへへ。 大規模展開の初期の頃、奥さんが苦労してたのを見てるから、 安定して繁盛してるのが嬉しかった。。。 今度ランチに来る時は、お弁当箱を持ってこよう!
2012年12月02日
コメント(4)
全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()

