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辞任した前中山前国交大臣の言動が問題になっているが、マスコミ報道では「反省の色なし」といった論調ばかりだ。私が読んでいる日経オンラインでは、中山前国交相は「情報の自爆テロ」を決行していると解説していた。実際には過激発言を度重ねたおかげで、メディアをジャックすることには成功したわけだし、実際その効果はてきめんに上がっているのだ。日経オンラインの記事では、麻生支持層」が多いとされるネットワーク上では、圧倒的に中山前国交大臣支持の声も出ているそうだ。 昨日から国会も再開したのだが、早期解散を考えて行った9月22日の自民党総裁選という「メディアジャック」は、麻生幹事長の圧勝と言うことで、多くの国民にシラけムードで受け止められて、思ったほどの与党への追い風にならなかったのだ。そこで中山前国交大臣の言動をもって大変にホットな反応を呼び起こし、今度の選挙でも政治不信層の「潜在ネット右翼」数百万票を引っ張れたなら、この「情報の自爆テロ」の特攻は、たいした成果になってくるかもしれないのだ。 前回の郵政選挙でもそうだったのだが、多くのテレビ・新聞社が携帯電話やインターネットで世論調査を行う現在では、このようなネット右翼の増殖はゆゆしき事態となっているというのだ。何故なら戦争問題などをネットで議論知する場合に、戦争を知っている世代の方々の殆どは、ネットを使わないためこれら当事者の意見は必然的に排除されてしまうのだ。その点ネット右翼達は、世論調査が行われるたびに、彼らの巣窟であり牙城でもあるネット掲示板に集まって連絡を取り合い、組織的な投票を行い、ネット上の世論調査ではネット右翼の意見が多数派となってしまうのだ。 この中山前国交大臣の経歴というのは、ラサール高校―東京大学法学部―大蔵省東海財務局理財部長などを経て大蔵大臣官房企画官まで上ってから政界入りをしているのだ。さらに、大蔵省の同期で3つ年上の姉さん女房である中山恭子参議院議員と、夫婦そろって「超高級官僚→閣僚」となっており、子供も財務省の超高級官僚しているとのことだった。多くの報道は前中山国交大臣の過激発言を「失言」と言っているが、確信犯でロールプレイをしていると考えたほうが、必要とあれば政治家の前で土下座したという、腹の据わった官僚出身者である中山前国交大臣の面目躍如だろう。 TVの記者会見で開き直ったことでこれからの選挙戦では、「右派の論客でリーダー」という役回りを、確実に手にすることが出来た中山前国交大臣は、今後選挙になると「あの中山氏が…」と報道に取り上げられる頻度も確実に上がってくるし、選挙にさえ勝てば「ミソギ」が成立するから、勝てば官軍ということになるのだろう。当選さえしてしまえば少々の自民党内からの反発などは、どうにでもなると踏んでいるのだろう。そんな人物を「愚かだ」・「大臣どころか議員失格」などと一般受けしそうな文句でいくらマスコミ等が攻撃しても、本当の狙いが見えなくなるだけだろう。
2008年09月30日
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昨日の新聞の訃報欄に、ハリウッド男優のポール・ニューマンが亡くなった記事が載っていたのだが、その新聞記事によるとポール・ニューマン氏を「50年代にニューヨークから登場し、ハリウッドを征服した3人組の最後の生き残り」と紹介されていた。あとの2人というのは、同じ年に俳優デビューをしたマーロン・ブランドとジェームズ・ディーンのことだ。ニューヨークでその当時の最新の演劇理論学んで、映画界に新風を吹き込んだ3人だったそうだ。 ただし、「3人組」の中では、いつも一番後ろにいたそうで、私も高校生くらいから洋画をよく見ていたのだが、もっともその時にはジェームズ・ディーンは伝説化していたし、マーロン・ブランドは絶頂期だったのだ。ポール・ニューマンの最初の売り出し文句は「第2のマーロン・ブランド」だったそうだし、出世作のボクサーを演じた「傷だらけの栄光」の主演は、ジェームズ・ディーンの急死によって得たものだったのだ。 映画人としては三人の中では一番出世が遅く、人気なども二人に遅れを取っていたのだが、早世したジェームズ・ディーンや、晩年は奇行が目立ったマーロン・ブランドと違って、常識人・家庭人として穏やかな最期を迎えられたポール・ニューマンは、人生という点では二人に勝っていたのだろう。そのうえ特に慈善活動には力を入れていたそうで、俳優だった息子が麻薬中毒で死去したことから、麻薬反対活動に資金を相当金額を提供しており、日本の障害児のために毎日新聞社会事業団を通じて、多額の寄付をしたこともあるそうだ。 私の年代ではポール・ニューマンというと相棒のロバート・レッドフォードとのコンビがどうしても思い出されるのだが、特に私が好きな二人の共演作といえば「スティング」だ。何度もアカデミー賞候補になりながら、受賞には縁がなかったがやっと「ハスラー2」で主演男優賞を受賞した。(「スティング」ではたしか、作品賞を受賞していたはずだが・・・)年を取って満足な演技ができなくなったと、俳優を引退宣言してからあとに、再共演の話もあったそうだが実現はしなかったのだ。(残念ではあるが、よかったような気もする・・・) もっと面白いのは時計と車に「ポール・ニューマン」モデルがあることで、ロレックスのデイトナを愛用していたことがきっかけで、ロレックス・デイトナに「ポール・ニューマン・モデル」と名づけられたモデルが存在するし、日本では25年くらい前に「ニューマン・スカイライン」の名で広告展開されていた事で、6代目の日産スカイラインが、「ニューマン」の愛称で、現在でも自動車ファンからも広く親しまれているそうだ。
2008年09月29日
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今年のプロ野球のペナントレースは、一昨日に埼玉西武ライオンズがパ・リーグの優勝を決めたのだが、セ・リーグの優勝争いが混沌としている。少し前までは阪神タイガースがブッチギリの優勝だと思っていたのに、今は読売巨人軍とゲーム差ナシで優勝を争っているのだ。昨日の直接対決で巨人軍が勝ったので、再び同率首位に浮上したわけだが、残りは8試合という情況であり、リーグ連覇へ1戦も落とせない状況は続くのが、連勝が12で止まっても巨人の勢いは衰えておらず、打線はこの日も14安打を打っておりチームは乗っているようだ。 阪神タイガースも北京五輪以来怪我で休場していた、この日1軍登録されたばかりの新井選手が、六回に代打で登場して早速適時打を放ち、ファンに復活をアピールしたようだ。新井選手がペナントレースで打席に入るのは、7月28日のヤクルト戦以来なのだが、1死満塁の場面で、カウントを追い込まれながらファウルで粘って、7球目を打ってタイムリーヒットと相変わらずの勝負強さを見せたみたいだ。この後、一塁の守備も無難にこなした新井選手だが、巨人軍とのデッドヒートが続きそうな中で、阪神タイガースにとっては明るい材料だろう。 さて、私が応援する中日ドラゴンズは今日も勝ったのだが、これまたクライマックスシリーズの進出をかけて、広島東洋カープとの熾烈な争いをしているのだ。昨日の横浜ベイスターズ戦は、中日ドラゴンズが4点差を追いつき、最後は和田選手が押し出し四球を選らんで決着をつけ、今季6度目のサヨナラ勝ちで、11日ぶりに貯金を1としたのだ。それこそ厳しい3位争いの中で、残り8試合を勝ち続けていくしかないのだが、今日の読売巨人軍との試合が本拠地最後の試合であり、ロードゲームが多いのが少し心配の種なのだ。 しかも、中日ドラゴンズは優勝を争っている上位球団である、阪神タイガースと1試合と読売巨人軍と3試合残しているのだが(残り試合は8試合なのだが・・・)、広島東洋カープは阪神タイガース戦を1試合残しているだけなのだ。(やはり残り試合は8試合だが・・・)本拠地である広島市民球場での試合は、今日の東京ヤクルトスワローズ戦が最終戦なのだが、広島市民球場は今年で新しい球場に移転するので、本当に今日が最後の一戦になるのだ。(きっとファンである市民が盛り上がって、大変なフィーバーぶりとなるだろう・・・) どちらにしても、ゲーム差なしでのセ・リーグ首位攻防戦と、同じくゲーム差なしのプレイオフ進出戦で盛り上がっており、あと10日はプロ野球から目が放せない状態なのだ。
2008年09月28日
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今月から地方大学の公開事業が始まったのだが、これは「官・産・学」が一体となって行うもので、多くの市民に松山の良さを再認識してもらうとともに、松山を訪れる観光客を温かく迎えるための、ホスピタリティの向上を目的とする、大学生と一般市民を対象とした公開講座なのだ。 先日の第1回目の講義は『坂の上の雲』のまちづくりと称して、松山市長の講義があったのだが、その講義のあとの課題が「今日の市長の講義の感想」であった。この課題は我々と一緒に授業を受けている大学生だけのものだけだが、私もどうせ授業を受けるのならその課題に挑戦してみようと思っている。 今回の大学生への課題については市長の講義内容の感想を、1500字以内でA4サイズ用紙1枚にまとめることなのだが、その提出期限が9月30日までだというのだ。私も一応はその課題をクリヤーするために、この日記を使用しようと思っている。(講義は毎週水曜日なのだが...) 9月24日(水)の講義について 「ふるさとふれあい塾」の意義 我々が松山市民として、松山市のことを自信を持って人に紹介できるかと問われると、はなはだ自信がないものだ。今日の市長の話を聴いて松山市の歴史も、けっこう奥深いものだと感じた。 大学の責任教授も言っていたが、「歴史から学ぶ未来への展望」ということは、中村市長の言っていたなにか目的を持って進むことにも通じるものなのだろう。松山市の歴史をはじめ色々なことをことを知っていても、それをこれからのなにかに生かさなければ、本当の役には立たないだろう。 今回の全講義の目的が、ただの『ボランティア.ガイド』を作るだけではないはずなので、自分の住んでいる松山市を好きになることがまずは第一歩だと感じた。松山市の観光のシンボルが「松山城」と「道後温泉」だけでなく、伊予の守護であった河野家の亜流にも、多くの物語があることに驚かされた。 特に市長の言われた「まちづくりが先、ドラマが後...」ということは、私が観光客にアピールできる最大のことだと思った。市長の先見の明にも感服したが、それを市民がうまく生かさなくては、何にもならないこともよく理解できた。(明治時代のことばかりが、松山市の魅力ではないのだが...) 特に無駄だと思えることも、大事な観光資源になりえることを知ることができたが、効率的なことで言うと伊予鉄道が市内を走らせている「坊ちゃん列車」にしても、交通手段としての市内電車では、まったく効率と正反対のものだ。(遅くて.高くて・乗り心地が悪いときているのだから...) それでも、そんな列車を走らしている松山市と伊予鉄道には、なにかポリシーを感じられるものだ。我々もその精神を受け継いで、松山市のよさを全国に人に紹介したいものである。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年09月27日
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もうすぐ行われるであろう衆議院選挙での一番のサプライズは、「小泉純一郎元首相の議員引退表明」だが、親分であった森喜朗元首相は「小泉元総理の引退は特に驚かなかった。彼の行った改革にはたしかに功罪はある。改革の功の部分は、もう少し時間をかけないと分からないが、現在では罪の方が出ており、路線修正は必要だ」と、小泉改革が都市と地方の格差を広げたと批判していた。突然の小泉元総理の引退報道に対して政治家達のコメントは、この森元首相の様に惜しんだり労をねぎらう声よりも、小泉政治の功罪を指摘する反応が多かった。 私は小泉内閣で行われた郵政民営化については否定的で、そのことの中身などどうでもいいことで、単に「民営化」の旗印のもとで「権力闘争」に勝利したいだけの話だと思っていた。私は小泉内閣の行ったことのは、このままでは末期的な状態だった自民党を存続させるための「権力闘争」に過ぎないと思っていたのだが、そのとおりの結果になってしまっている。何も考えない国民がすっかり彼に騙されてしまい、自民党の立て直しのために「自民党をぶっ壊す」と政治に権力闘争を持ち込んだ選挙で自民党を大勝させてしまったではないか。 その結果が年金問題にしろ外務省の改革にしろ、そのほとんどが「民営化」等というごまかしにあって、ともすれば官僚の思い通りに進んでいるというのが今の現実だろう。しかも最後は小泉純一郎元首相の引退表明の席で、同席した彼の次男である進次郎を後継にすると説明したそうだ。引退表明の中で「自分は27歳で衆院選に初挑戦した。次男も27歳。しっかりやれるはずだと思う」と、選挙区である自民党横須賀市連の幹部達に支援を要請したそうだ。このように最後は一番自民党ぽい、世襲という後継者選びを行ったのだ。 こうなるとさすがに非難が多くなってくるもので、選挙区のある神奈川県知事は「小泉さんは派閥政治を否定して、日本政治を変えようとした。世襲政治にも一線を引く潔さがあれば、もっと株が上がったのではないか。やはり人の子だったのか」と言って、次男を応援しないとしているし、小泉元総理が総理時代には、党首討論でたびたび議論を戦わせた民主党の岡田克也副代表は「次男を後継にするというのが事実なら、小泉さんらしくない」と否定的なコメントしているし、これが国民の真の声だろう。 3年前の小泉元首相の「郵政解散」のキャッチフレーズに、騙された多くの有権者には良い面の皮である。今回の突然の小泉純一郎元首相の引退表明の原因は、今度の選挙では自民党が大敗するので、自分が行った小泉路線が国民に完全否定されるのを、自分の目で見るのが嫌になったのではないだろうか。これも一種の投げ出しではと言えなくもないので、安倍元首相や福田前首相と同じだと言ってよいだろう。
2008年09月26日
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昨日麻生新総理大臣が決まってさっそく組閣をしたのだが、私が新閣僚を見て内閣の名称を考えると「ボンボン・イトはん内閣」と名付けたい。これは新しい閣僚のうち両親のどちらかが国会議員だった「2世議員」は10人で、過去の内閣で最多であることを意味するのだ。そのうえ、祖父か父が首相経験者なのも4人を数え、毛並みの良さだけを重視した内閣みたいだ。しかも、与謝野経済財政大臣は与謝野鉄幹・晶子の孫だし、ついでに太宰治の孫である津島派の津島氏を入閣させたら、もっと面白い布陣になっていたと思っているのだ。 この「ボンボン」というのを辞書で調べてみると、「上流家庭の子弟やそのように見える人や金持ちの家の子供」という意味を持つ言葉なのだが、同時に「世間知らずな・・・」という暗示を含む場合もあり、一般的には一種の蔑称として用いられのだ。また、「イトはん」というのは、お嬢さんという意味で、「幼児。愛(いと)し、もしくは、幼(いとけ)なし」を語源として「いとけない」または「いとし児」の「いと」から出た言葉だそうだ。ハンはサン〔様〕の転訛だそうで、大阪あたりでは「トウサン」とも呼ぶらしい。 この2世議員が内閣のポストを10人も占めるのは以上で、いくら2性議員が多い自民党でも小泉内閣の5人や安倍内閣の4人と比べると異常さがわかるだろう。もっとも前の福田改造内閣は9人だったのでそれを引き継いでいるといってもいいだろう。祖父か父が首相経験者なのは4人なのだが、首相の祖父が吉田茂元首相で鳩山邦夫総務相の祖父は鳩山一郎元首相。中曽根弘文外相の父は中曽根康弘元首相。小渕氏の父は小渕恵三元首相だ。愛媛選出の塩崎元官房長官や総裁選を戦った石原議員が入閣していたら、もっと面白かったの残念である。 こんな「世間知らず」の大臣を任命するので、街頭インタビューなどでは有権者はしらけた答えしかいっていな買った。(マスコミがそのように編集したのかもしれないが・・・)しかも前から決まっていたこととはいえ、今日から新総理は国連総会出席のためニューヨークに出発するのだ。新首相が組閣後間をおかず問題山積の国会を放り出して、いくら予定だといっても外遊するのは異例のことだ。(国会審議もきっとストップするのだろう・・・)どうせ早期の衆院解散・総選挙が想定されるので、得意とする外交分野でアピールをするつもりなのだろう。 この米国行きは、国連総会での一般討論演説しか行わないみたいで、今年7月の行われた主要国首脳会議(サミット)の議長国として、地球温暖化防止などの成果を報告するだけで、米国には半日しか滞在しないそうだ。ブッシュ大統領との会談は、相手が「死に体」だからしなくても良いと思うが、せめてマケイン候補とオバマ候補くらいには合って、名刺交換くらいはしたらどうだろうか。(どうせ、我々の税金を使って特別機を仕立てるのだから・・・)
2008年09月25日
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昨日はゴロ合わせで「不動産の日」だったのだが、、「ふ(2)どう(十)さん(3)」の語呂合せなら9月にしなくてもと思っていたら、秋は季節が良くなった関係なのか、不動産取引が活発になる時期であることもあるみたいだ。私の事務所もあまり実績はないが建築業界にも関係しており、一応「宅建協会」のイベントに参加したのだが、昼から私もイベント会場でいってビラくばりなどを行った。(私の場合は八幡浜会場に行ったのだが・・・) 私が参加した八幡浜地区のイベント会場でも、けっこう多くの宅建業者が物件の資料を展示しており、土地や中古戸建・賃貸物件の資料を印刷して配っていた。私は仕事の関係で午後からだけのイベント参加だったのだが、朝から受付をしている女性職員に聞くと、午前中にも本当にたくさんのお客様が来場してくれたようで、私が担当した地盤判定のブースでも、午後からだけで30組以上の方が来場してくれた。世の中不況とは言っているが、まだまだ、土地を買いたいという方の意欲は衰えていないように感じたのだ。 八幡浜地区のイベントといってもその展示内容は、各建築会社が行う物件展示・不動産や税務の無料相談・労働金庫住宅ローン相談・来場者への粗品&飲物コーナーくらいだったのだが(あまり広い会場ではなかった関係で・・・)、利用者は真剣な表情で話を聴いていた。相談内容で一番多いのは、遺産相続のトラブルに関する質問らしいのだが、「宅建協会」の役員の話によると、無許可業者も多いみたいでそのトラブルも何件かはあったそうだ。結局は「安かろう、悪かろう」の業者が多いので、許可業者にお願いするのが一番なのだろう。 私も松山のマンションに住みだしてから、毎年10月に行われている「住宅フェア」のイベントには毎年参加しているのだが(マンション管理の講習会がある関係で・・・)、「不動産フェア」のイベントには初めて参加したのだ。私も「不動産フェア」ご来場者を対象に行われたアンケートに参加したのだが、このアンケートに答えを書いて出しておくと、どうやら抽選でJCBの商品券がもらえるのだ。抽選は11月の予定らしいのだが、アンケート用紙によると県下で、100名以上の人に商品券が当たるらしいのだ。 イベントは夕方まで行われたのだが、片付けを手伝って事務所に帰って来たのだが、その後は恒例の打ち上げの飲み会となっていた。今年は焼肉ということで楽しみにしていたのだが、事務所の職員が炭を起こして食う焼肉で少しがっかりはしたが、焼肉とビールは良く働いた関係で非常に美味かった。これなら来年もお手伝いに参加してみようか。
2008年09月24日
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昨日の自民党総裁選挙で朝生氏が自民党の総裁になったのだが、これで「郵政解散」後の4人目の総理になるのだろう。この「郵政解散」が行われたのが3年前の8月8日だから、3年で日本のトップが4人も変わるという異常なことである。(原因は自民党に内部で色々あるのだろうが・・・) この解散を行う臨時閣議では、その時の内閣の四閣僚が解散に反対する意見を述べたのだ。その反対した閣僚の一人が今回の麻生太郎総務大臣だったのだ。その時は小泉首相が最終的に解散に同意した大臣を除く三閣僚を別室に呼び、個別に説得をしたが、たしか何人かは罷免して解散を行ったはずだ。 この時の選挙結果は知ってのとおり、与党の自民党が296議席・公明党が31議席会わせて、3277議席と大勝利を収めた。一方野党は、民主党が113議席と選挙前の177議席から大幅に議席を減らす惨敗を喫し、党代表・岡田克也は責任を取って辞任したが、社民党や共産党は増減なしだったはずだ。 それから3年以上経って総理大臣も4人目になろとしているのに、国民の信を問う選挙をしていないのはどういう訳だろう。今度は自民党総裁選で麻生太郎新総裁が選出されたことを受け、野党各党は対決姿勢を鮮明にしているが、いつ総選挙が行われるのだろう。 (私は早いほうがいいのだが・・・) 民主党の小沢代表は麻生政権について、「どうっちゅうことはない。行けば行くほどダメになる」と述べて党首対決に自信を示したようだが、自信が過信になり過信が油断になっては、勝てる選挙も勝てなくなることのならないか、少し心配になってきている。(郵政選挙も与党分裂の言葉に騙されて・・・) 前回の郵政解散選挙でわかったことは、旨く選挙をやれば総得票数の約半分で、7割近い議席を確保できると言う事実なのだ。このためいよいよ選挙戦の駆け引きも始まったみたいで、民主・共産・社民・国民新の野党4党は与野党国対委員長会談で、予算委員会を開いて補正予算案の審議を行うよう与党側に要求したりしてい るのだ。 もっとも、私自身選挙結果などにはあまり期待はしておらず、この状態が好転するとは少しも思っていないのだが、ここまで生活をひどくした与党に、鉄槌を下してやろうとは内心思っている。ここで麻生新総裁にお願いなのだが、野党の言う補正予算審議などには応じず、国会冒頭解散をして貰いたい。 今回予定されている選挙で、格差社会を助長させた自民党とナンミョウ党に、「目にものを見せてやる」と意気込んでいるのは、きっと私だけではないはずである。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年09月23日
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今日のニュースを見ていると私が好きだった「星新一」のの盗作のことが載っていたが、それによるとどうやら「星新一」の作品は、次女の方が管理していることがわかった。さっそくHPを検索したのだが、やはり盗作のことについて次女の方のコメントが掲載されていた。それによると、「イキガミ」という漫画が星新一の初期の作品である「生活維持省」にとてもよく似ているという話で、購入して読んでみるとやはり似ているという印象を受け、問い合わせをしたとなっていたが、私はこの「生活維持省」という作品にはあまり覚えがない。 私は中学校時分に「星新一」のショートショートSF小説を初めて読んだのだが、すぐに夢中になって文庫本を買いあさったものだ。文庫本のイラストが愛媛県出身の「真鍋博」のものと「和田勉」のものと2種類あったのを記憶している。私が今でも特定できない人の名前を言うのに「X氏」といわずに、「N氏」や「F氏」と言うのは「星新一」のショートショートの影響が強く残っているからだ。(ヘンな癖だとよく言われるのだが・・・) 「星新一」のショートショートの主人公としてよく登場する「エヌ氏」・「エフ氏」の名は(今回は原文のとおり、カタカナで書いておくのだが・・・)作品を特徴づけるキーワードとなっているのだが、作品ごとに境遇・容姿・年齢・性格などは異なっているので、当然同一人物ではないのだが、これは地名・人物や特定することを非常に嫌ったからだと自分の本に書いてあったのを読んだことがある。たとえば、街を破壊するときに「ゴジラ」などというの固有名詞を使わずに、ただの「怪獣」として書いたそうだ。これは100年後くらい経つと、「ゴジラ」自体がわからなくなるのを防ぐためだと書いてあった。 ショートショートという短い小説の中でも、こんな通俗性を出来る限り排除して、地域・社会環境・時代に関係なく読めるよう工夫している作品は、その当時初めて読んだので強く印象に残っている。そのように創られた作品だから今回のような盗作騒動が起こるのだろう。この盗作騒動のことについて、HPのなかで次女の方が「『生活維持省』は、星新一の小説の中でも読者の評価が高い作品です」と書いていたが、私の記憶にはあまり残っていないのだ。(もっとも今回は無料で読めるので、再度読んでみたのだが・・・) 久しぶりにITで「星新一」のショートショートを読んでみると、けっこう懐かしい感じがしてきた。そこで実家の物置から中学校時分に買った文庫本を取り出して、明日から通勤の列車のなかで読み返してみようか。
2008年09月22日
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やっと仕事が終って家に帰ろうと思っているとどうやら雨が降り出したみたいで、仕方がないので事務所の仮眠室に泊まって明日の朝に帰ろうと思っている。さっそく風呂を沸かし始めて仮眠室の冷蔵庫からビールを取り出して飲み始めたところだ。今日は実家のお袋と墓参りの約束しているので、睡眠薬のビールは1本だけにしておくつもりだ。(もっとも同僚も一緒にいるので、松山市まで乗せて帰ってもらう手もあるのだが・・・) 昨日から秋の彼岸の入りのようだが、お彼岸は秋分の日の前3日と後3日の間の7日間で暦の上では雑節の中に入るそうだ。このお彼岸を少しITで調べてみると、秋分の3日前の日を「彼岸の入り」と言い、3日後を「彼岸の明け」と言いそうで、その秋分は中間に位置するので「彼岸の中日」と呼んでいると書いてあった。この日は墓参りをする関係で仏教行事だと思っていたら、神道を守る皇室にも「秋季皇霊祭」という行事があるそうだ。 こちらの「秋季皇霊祭」ほうは元々、秋分というのは農耕と言う観点から眺めると「秋分:収穫の時期」にあたり、作物を育てる太陽と自分たちを守る祖先神への感謝すると言う、土着の信仰が仏教伝来以前からあったみたいで、秋分には収穫に感謝して供え物をしたことが、原型のようだといわれている。どうやら皇室内の「もと仏式行事」が、神事化して皇室の祭日になったもので、それから庶民の祝日にもなったみたいなのだ。 このような様々な要因があって、江戸時代頃からお彼岸に墓参りをすると言った風習が起こったと言われているのだが、お彼岸の時期は気候的にもよい時期であるため、墓参りにかこつけて野外への遊山をすると言った娯楽としての側面もあったみたいだ。家のお袋に言わすと、「墓参りはお彼岸の入りまでには済ませていく」そうだ。そこで今日は前々からお袋と墓参りの約束をしており、先週の「敬老の日」の行事として予定していたお祝い会を、親父の墓参りのあとに家族と親戚を集めて、お袋の「米寿」のお祝い会をすることにしているのだ。 しかし、どうやら空模様はあまり良くないないみたいだ。この間の台風13号も期待はずれで、(松山地方は1.5ミリしか台風13号による降水量がなかったらしく、石手川ダムの貯水率も少しも回復しなかったみたいだ・・・))水不足に悩んでいる松山地方に雨が降ることはありがたいことのだが、雨の中の墓参りもあまりしたい行事とも思わない。もっとも、運動会の準備をしていた地域もあるのでそれが中止になることと比べたら、雨中の墓参りも仕方がないことだろう。まあ、今日の雨が恵みの雨ということで辛抱しようか。
2008年09月21日
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昨日10年以上前の工事のことでJVを組んでいた会社の人からと、その時の発注者であった官庁の方から相次いで電話がかかってきた。このころの行っていたトンネル工事というのは、一括下請負などの不適切な施行があったことから、普通は県外業者と県内業者のJV方式により行うこととしていたのだ。 私も世界に名高いスーパーゼネコンの職員と言うことで、この2000mクラスのトンネル工事に参加していたのだが、近頃は規模の小さいトンネルしかなかったので、県内業者による単体発注しか行われなかった。私も10年で4本のトンネル現場で仕事をすることになっていたのだ。 私の場合はちょうど今年の3月にトンネル工事が終わった関係で、今が事務所のオブザーバーみたいな立場で、他のセクションが掘っているトンネル工事現場へ、月に一度くらい技術指導のようなようなことをしているのだ。(管とコンサルを交えての岩盤判定資料作りが、今までは一番多いのだが・・・) 何処の事務所でもそのようなのだが、今の建設業者は大変苦しい状況であるみたいだ、規模がそこそこのトンネル工事についても、発注者側としては可能な限り県内業者に、施行させてはどうかと言うことになっているみたいだ。それらはいずれも大規模工事で昔ならJV方式としていたトンネル延長らしい。 本来なら大規模トンネル工事くらいのそこそこ大きな工事になると、価格と技術力で勝負する「総合評価落札方式」になるのだが、近頃は入札金額が失格ギリギリの「低入札調査基準価格」付近に集中して、価格の面では差が付きにくい状況になっているのだ。(ものすごい低価格競争になっているのだ・・・) そこで、官に提出する(もっと大規模の工事になったら、ヒヤリングもあるのだが・・・)技術提案の内容を高めないと受注できないので、トンネル工事の実務経験のある技術者の数を増やしたいみたいなのだ。そこで昔のトンネル工事に参加していた若手技術者を、実績登録しようとしているみたいだ。 この実績登録というのが面白くて、国交所の外部団体が管理しているのだが、10年くらい前までさかのぼって修正がかのなのだ。(もちろん有料で、けっこう登録料は高いみたいなのだが・・・)ただし本当にトン得る工事侍従辞していた証明がないと受け付けてくれないみたいなのだ。 そこで、その現場でいっしょに働いていた別会社の(JVは企業体なので、数社の別会社で組むことが多いのだが・・・)職員に工事に携わっていたことを証明してもらいたいというわけだ。(どうやら登録の証明は官の証明書で可能らしいが、その官庁の証明書の取得が難しいらしい・・・) そのような訳で、私のところにも電話攻勢がかかってきたのだが、10年くらい前のことなどあまり覚えてないのが正直なところで、古い台帳などを引きずり出して調べることになってしまったのだ。(本来なら今日はお休みだったのに・・・) wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年09月20日
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今日は正岡子規の命日で「糸瓜忌」と言うのだが、これは辞世の句が糸瓜に関する句であったのでこう呼ばれているのだ。もっとも、9月19日は当然秋であるのだが、俳句では単に植物の糸瓜は夏の季語になるのだが、「糸瓜忌」とすると秋の季語になるそうだ。(1902年没だから20世紀になってすぐだ・・・) もっとも俳句をたしなむ人は、雅号の一つから「獺祭(だっさい)忌」ともよんでいるいるそうだが、こちらの方は生まれ故郷の松山市でも、「獺祭忌」等言う人など聞いたことはないくらいだ。。「獺祭」という號はただのカワウソという意味ではないらしく、病臥の枕元に資料を多く置いて、獺のようだといったそうだ。 私たちに俳句を教えている人が、子規の本を出したようで新刊紹介欄に載っていた。子規の俳句のなかから1日1句を1年で365句を選び出して、作者の短いエッセイを添えたコラム集とのことだった。その本を私はまだ読んでいないのだが、来月にその先生に会うので本を書いた経緯などを聞いてみたいものだ。 その本によると「子規は34年の短い生涯で、多様な句をこしらえていたのかと改めて驚かされる」と書いてあったが(これは書籍紹介の作者の言葉で・・・)、この先生私も何度も話しているのだが、女の人の割には大物で、いい意味での大陸的な考え方が出来る人である。 子規は、擬態語・擬音語の天才的使い手でもあると書いてあるそうだが、これもその先生から直接聞いた話では、江戸時代の俳人である小林一茶もこの擬態語・擬音語を使って句を創るのが旨かったそうで、その小林一茶の手法を大変よく勉強して、自由に使いこなせるようになったらしいのだ。 子規自体は健康的には恵まれておらず、血を吐いた自身をホトトギスになぞらえて、「子規」と号したことに象徴されるように、子規の文学はその病と切っても切り離せないものであったのだ。子規が日中戦争中に発病したように言われているが、最初に喀血したのは明治21年の鎌倉旅行の最中だったらしい。 私は松山市のボランティア・ガイドをしているのだが、さすがに生まれ故郷の松山市には、子規ゆかりの場所は数々あるのだ。この書籍紹介を書いた人は、「ええとこじゃけん。いってお見」と奨めたいのは松山の「子規堂」としていたが、たしかに子規が17歳まで過ごした住居は一見の価値がある。 現在は子規の髪の毛を祭ったお墓のあるお寺の境内に、当時の状態で復元した文学資料館であるが、資料としては個人で所蔵しているものしかなく、それほど多いとは言えない。それでも、この部屋にはいると、それこそ等身大の子規がそこにいるような気になるものだ。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年09月19日
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政治空白が我々の生活にどう響くかはわからないが、今日のTVのニュースでは民主党の山岡賢次国対委員長が、自民党の大島理森国対委員長と国会内で会談し、米証券会社大手のリーマン・ブラザーズ経営破綻(私たちには直接関係はない話だが・・・)の日本経済への影響を防ぐため、損失を被った銀行などの危機対応策が必要との判断から、臨時国会で政府提案の補正予算案を審議・採決した上で、与野党合意の「話し合い解散」を提案したそうだ。 これに対して自民党の大島理森国対委員長は回答を保留したが、政府・与党内にも衆院解散前の補正予算案成立を求める意見があるみたいで、次期首相が決まった時点で判断をするみたいなことをニュースでは言っていた。少し前には与党内での大勢は、自民党総裁選の勢いを駆った臨時国会冒頭解散論が強かったはずだ。そうなれば、補正予算編成や国会への提出が大幅に後ズレすることは避けられないと懸念されていたではないか。 我々としては補正予算を組んでもらっても、直接生活に必要なお金を出してくれなくては、どうにもならない状態になっているのだ。私の所属している建設業では、補正予算でなにか高給事業を出してくれるのかと期待しているのだが、何でもいいから手早く対策を考えてもらいたい。民主党はどうやら衆参両院の予算委員会で新首相と論戦をし、金融危機対策のほか、汚染米事件や年金記録問題なども追及し、解散・総選挙を自民党総裁選の「延長モード」から、野党ペースに引き戻したい狙いがあるみたいだ。 少し前までは民主党の菅直人代表代行などは、「私たちが求めている緊急対策と政府がまとめた対策の中身は一致しないところがかなりある。白紙委任状を出すことはかなり難しい」と述べており、補正予算成立後の「話し合い解散」の可能性について「軽々にわかりましたと言えない」と早くもけん制していたのだが、与野党協議の構図が出来そうになってきたことで、補正予算案を成立させて話し合い解散に持ち込める保証があれば、与謝野担当相が言っていたとおり、解散は補正予算成立後に行うことになるだろう。 自民党総裁選候補たちからも昨日の街頭演説では、リーマン問題を受け「解散は補正予算案成立後にすべきだ」との意見が相次いだようだが、本来ならこんな時に総裁選などを行っている場合ではないのだ。(ここでも「福田のポンスケが・・・」である・・・)我々の切実なる願いは「選挙日程などどうでも良いので、とにかく早く何とかしてくれ・・・」なのだから、話し合いだろうが与野党対決だろうが、手早く・手広くでお願いしたいものだ。
2008年09月18日
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プロ野球もそろそろ大詰めになってきたが、私の応援する中日ドラゴンズはここのところ2カード連続で負け越し、勝率も5割になっている。眼下の敵である広島東洋カープも今日は負けたので、ゲーム差無しで同率3位なっているが、金曜日からはプレイオフ出場をかけて広島球場で3連戦が待っている。中日ドラゴンズは対広島戦は相性は良いのだが、今度の3連戦は敵地で試合があるため、情況は五分といっていいだろう。少し中日ドラゴンズが有利と言えそうなのは、横浜ベイスターズとの対戦を多く残しているくらいだ。 もっとも、投手力はボロボロだが、打撃はけっこう良い横浜相手に、今日の阪神タイガース戦のようにが12安打で11点を奪われたら勝てるはずがない。今年の中日ドラゴンズは得意の投手力に陰りが見えるのだが、元来得点力には難点があるので、もう少し失点を少なくしてもらいたいものだ。今日の試合でも初回に鳥谷の満塁弾で先制され、2回以降もつまらない失点を重ねてしまい、中盤に追い上げを見せて3点差までしたのだが、8回に金本の2ランで突き放さててしまった。こうなると反撃も出来ずに、今回も負け越しとなってしまった。 今日の試合は中日ドラゴンズの先発投手である、山本(昌)投手が7失点の乱調で、勝率5割に逆戻りをしてしまったのだが、広島も東京ヤクルトスワローズに打線がつながらず、1点しか奪えずに3連勝とはならなかった。ヤクルトは初回の畠山の適時打で先制したのち、4回には広島に追い付かれたのだが、5回に一死満塁から飯原の内野ゴロの間に勝ち越したのだ。そして、6・8回にもヤクルトは追加得点を挙げて逃げ切ったのだ。これからの残り試合10試合はそれこそ、「胸突き八丁」なのだが、両チームともおいそれとは負けないだろう。 今日の試合をホテルのロビーで見ていたのだが、阪神が四回まで毎回得点と打線がフル回転して、中日ドラゴンズの投手陣を打ち込んで乱打戦を制したわけだ。中日ドラゴンズは谷繁・小池の本塁打などで猛追したが及ばず、勝率5割に逆戻りとなってしまった。どうやら、今週の金曜日から予定されている広島戦は、台風の影響で中止になりそうだ。この最後の3連戦が雨に流れたら、最終週での町来るようになるので、面白いとにしなりそうが。
2008年09月17日
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今年も私が所属している史跡庭園を管理するNPO主催で、その史跡庭園で観月祭を日曜日に行ったのだが、今年のイベントは昨年と同様に篠笛の演奏会にした。(昨年行ってみて来園者に盛況だったので、今年も「二匹目のドジョウ」を狙ってなのだが・・・)天気予報では雨が降る確率が高かったのでが、薄曇りでは会ったが雨も降らず、こちらが予定していた来園者よりも多くの人に来てもらった。お月見ということでお団子や芋炊きなどもなども用意していたのだが、来園者が多くて篠笛のコンサートが始まる前に全て売り切れてしまった。 さて、篠笛のコンサートは約1時間を予定していたのだが、アンコールなどもあって20分くらいは余計に行ってくれただろう。中国の詩人である杜甫の漢詩ではないが、昔から篠笛と月とは相性が非常によいみたいで、月と笛の話などは全国的に非常に多く残っているそうだ。篠笛というのは元々、雅楽の横笛として中国大陸から伝わった「龍笛」が庶民の間にも広まって簡素化したものであろうと言われているが、辞書などで調べてみると、「篠竹に歌口と指孔を開け漆ないしは合成樹脂を管の内面に塗った簡素な構造の横笛」となっている。 中国から入ってきて、貴族や武家など上流階級が用いた「龍笛」・「能管」では、巻き・塗りなど手間のかかる装飾が施されているが、篠笛は現在でも竹の割れ止めに藤を巻いて漆を塗る以外ほとんど装飾することなく、竹そのものといった簡素な姿をしているそうで、これことが昔から「篠笛」が、庶民階級の間で愛好されてきたことが大きな理由だろうと、演奏してくれた先生が言っていた。私の好きな映画の「七人の侍」でも、ラストシーンで農民が生き生きと田植えを行うシーンで、篠笛の演奏を聴くことが出来るのだ。 観月祭が遅くまであったのでコンサートの音響設備などは、昨日の午前中に雨の中で撤収作業を行ったのだが、演奏してくれた先生も来ていたので、篠笛のことについて少し質問をしてみたのだ。先生が言うには篠笛の魅力はパンフレットに書かれているとおり、「自然に生えている篠竹の一節を切って中に漆を塗り、穴を開けただけの素朴な日本の楽器。その音(ね)は、遠い昔から聞こえて来て、遠い未来へと響き渡る」といっていた。(この言葉はITにも載っていたから、昔から多くに人が使っているみたいだ・・・) 古いといえば、演奏に使った篠笛で一番古い物は、二百年以上経っているらしい。篠笛は「漆と竹の調和」なくして笛の魅力は出ないそうで、乾いた漆がおちつくまでには相当の歳月がかかるため、古い笛ほどいい音が出るとのことだった。それと面白いと思ったのは、一般に湿気は楽器にとって敵であるといわれており、時に和製楽器ではその傾向が顕著なそうだが、ことに笛に関しては逆で漆を塗った管の中が息を入れることによって湿気をともなってこないと好い音がしないといっていた。また、来年の観月祭も楽しみになりそうだ。
2008年09月16日
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ある全国紙の記事のなかで、沖縄県のある先生の話が紹介されていたが、沖縄の青少年が置かれた社会状況について、記者が「なぜ沖縄の成人式では、参加者が酒を飲んで暴走することが多いのでしょう?」と、記者自身が気になっていた疑問をその先生にぶつけてみると、その先生の答えは「20代前半の社会人が他県に比べ少ないことが影響しています。沖縄では義務教育終了後に県外に進学し、就職する若者が多い。社会に出る前にしかってくれる先輩と接する機会が少ないのです。だから甘えが成人式の場で出てしまうのでしょう」であった。 そのことからか、記者が何処かの取材場所で失敗をしたときに、理路整然と雷を落とされたみたいで、近頃は「雷おやじ」と呼ばれる人種がいなくなったと嘆いていたのだ。たしかに私が知っている「雷おやじ」とは、親父だけでなく広く考えれば近所のオジサン等全体を指しており、悪い事をすれば父親の怒りに遭って殴られたり、近所で悪戯をすれば近所のオジサン達に叱られたりしていたのだ。昔はどの地域のも恐いオッチャンが何人かいて、悪いことをしたらものすごい剣幕で、「コラー!どこの家の子じゃぁ! 誰やそんな悪いことしてんのは!」と怒鳴られたものだった。(私もその経験は何度もあるのだが・・・) その新聞によると「雷おやじ復活論」ではないそうだが、思いっきり雷を落としたときは、そのあとのフォローが大切だと書いてあった。私も昨日、所属するNPO法人が管理している史跡庭園で、昨日が「中秋の名月」ということで、観月祭のイベントを行ったのだが、いくら注意しても草庵の中を走り回っている子供(女のだったのだが・・・)に、少し厳しく注意を行ったのだ。するとその子の父親が自らの力不足を私にわびてきたのだが、「これだけ真剣に他人の子供を、しかれる人に畏敬の念を覚えた」と言ったのには正直驚かされた。(その後はその女の子をおとなしくなったので、帰りにジュースをあげたのだが・・・) そこでこの「雷おやじ」ということをITで調べてみると、子供が悪いことをしたとき、それを大きな声でしかりつけるのが「雷おやじ」と言うことらしく、その雷おやじが怒ったときの様子を「雷が落ちる」と表現しりそうだ。(たしかにそういわれていたのだが・・・)ここでいう雷も、目上の人の怒りが爆発した様子を描き出しているのだが、これは昔は雷が神様の行動だと捉えられていて、それ自体が恐れられていたそうだ。神様の怒りだと捉らえられるようになった雷も、それが神様から離れて、人の怒りについても雷で例えるようになったようだ。 昨日の天気予報は雨で雷も予想されていたのだが、雨も一切降らずに多くの人に美しい満月(少し雲にかすんではいたが、それもまた一興で・・・)を見てもらえたのだが、何はともあれ楽しい観月祭のイベントであった。
2008年09月15日
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私は松山市のボランティアガイドをしているのだが、松山市に新しい名所が平成の大改修を終えて、昨日オープンしたので紹介しておく。その建物は正式名称を「愛媛県美術館分館郷土美術館」というのだが、普通は「萬翠荘」と呼ばれており、愛媛県の指定有形文化財にもなっているのだ。萬翠荘は大正11年に建てられているので、建設されてから85年くらいたっている建物なのだ。(今回は建築後、初めての大改修というのだ・・・) この建物は大正11年に、旧松山藩主の子孫に当たる久松定謨伯爵が、別邸として建設したものだが、久松定謨伯爵は陸軍駐在武官としてフランス生活が長く、陸軍きってのフランス通といわれていた。そのため設計者木子七郎に命じて、松山で住む邸宅として欧米外遊帰朝直後の建築家木子七郎に設計建築させた鉄筋コンクリート造の建物で、当時は最高の社交の場として各界の名士が集まり、また、皇族方がご来県の際は、必ずお立ち寄りになった所なのだ。 萬翠荘は松山藩の家老屋敷の跡地であり、明治28年に夏目漱石が松山中学の英語の教師として赴任した折に下宿した「愛松亭」のあったところで、漱石と子規が一つ屋根の下て暮らした「愚陀佛庵」も復元されて(戦災で焼失したものを移設して復元したので、建物も建設場所も歴史上はあまり価値がないのだが・・・)のだがこの敷地内にあるのだ。この建物の建築費というと大正11年当時、約30万円を要したといわれているのだ。 現在の愛媛県の県庁本館が昭和4年に約100万円で建設されておりのだが、(設計は萬翠荘同じ木子七郎なのだが・・・)その7~8年前にはるかに小規模の分館に約1/3の30万円を要したということは、いかに巨費であったかよくわかるだろう。今回の萬翠荘の改修は、屋根のふき替えや化粧天井のしっくいの塗り直し、カーテンやいす・テーブルなど家具類の修理など広範囲にわたったそうだが、外観は改修前とほとんど変わらないようにしながら、外壁はきれいな白色に化粧直しされ、屋根瓦は緑色から茶色にしたそうだ。 元は摂政宮裕仁親王(昭和天皇といったほうがよくわかるのだろうが・・・)を松山市に迎えるために、建築したといわれている萬翠荘だが、戦後は米軍将校宿舎や家庭裁判所・県立郷土芸術館と変遷して、昭和54年に美術館分館となり、現在に至っているのだ。今回の萬翠荘の新装開館を記念して美術館として、明治から現代にかけて活躍した愛媛ゆかりの作家を、時代を追って紹介する、特別展を行っているのだ。
2008年09月14日
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昨晩は地元大学がまちづくりの一環で行っている「まちなか大学」の授業を受けたのだが、昨晩の授業は江戸文学の教育学部の教授と、同じ教育学部の美術担当講師の対談という形式で行われたのだが、そのテーマが「伊予の文人画の最高峰加藤文麗を語りませんか 」というものだった。これはその大学が京都の古物商から、江戸時代の文人画の巨匠であった加藤文麗の「群鶴図」を購入したからだそうだ。(けっこう多額の税金を使ってだが・・・) もっとも昨晩行われた対談方式の授業というのは面白く、二人の大学の先生が大学が購入した掛軸について話している間に、加藤文麗の生まれ故郷である大洲市の研究者や、愛媛県美術館の学芸員が飛び入りしたりで、話がドンドン膨らんでいき予定の時間を大きく超過してしなったのだ。(会場の入口を閉められ講義が終ったら勝手口から参加者は帰ってくらいで・・・)最後は別の大学の江戸文学の教授が、収集して終わったというくらいだったのだ。 講義を受けている人達も非常に熱心に話を聴いており、私の横にいは御婦人などは、自分の家で加藤文麗の掛軸を所蔵しているということで熱心に質問していた。私も加藤文麗の出身地である大洲地区に仕事をしているので、自分で調べた加藤文麗のことについて、松山市の史談会の重鎮と一緒にいくつかの質問をしておいた。実は私は2年前に大洲市役所が主催して行われた、市の美術館の常設展内一部のスペースにおいて開催された、加藤文麗の生誕三百年を記念した特別展覧会を見ているのだ。(このときにも説明会があったのだ・・・) 江戸時代の高名な文人画家である加藤文麗は、大洲藩主加藤家の分家で旗本となった池ノ端家の養子となりますが、江戸において当時一番勢いのあった木挽町狩野家の狩野周信に学び、絵画を描いていたのだ。日本美術界で著名な谷文晁は幼児期に、同じお殿様という境遇であった加藤文麗の弟子となり、木挽町狩野家絵画を学びはじめたそうだ。文晁の「文」の一字は文麗の一字を与えられと伝えられているくらいなのだ。しかも、当時は相当の有名人だったらしく、文麗の絵画の多くに当代の名僧たちが賛を書いているのだ。 加藤文麗の絵画は大洲地方の社寺など数多く残されており、大洲藩と文麗との深い関わりについて知ることができるのだが、実物を鑑賞してみようとするとその機会も乏しいことも事実なのだ。昨晩は文麗の傑作である「群鶴図」を間近で鑑賞することとなったのだが、非常に楽しい時間を持つことが出来たのだ。(もっとも講義のあとで、講師を囲んでの一杯会も楽しみではあったのだが・・・)
2008年09月13日
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しばらく前の地元新聞に、匿名で投稿された川柳なのだが、「麦値上げ 貧乏人は 米を食え」というのがあったが、これは昔、池田元首相が「貧乏人は、麦を食え」と国会で発言して、問題となり、大混乱したことがあったのだが、それをもじって、このような過激な川柳を投稿したみたいだ。 このことは以前にも芋日記に書いたが、「所得の少ない人は麦を食う、所得の多い人は米を食うというような経済の原則に副ったほうへ持っていきたい、というのが私の念願であります」という答弁を、その当時の池田元首相がしたことを受けて、当時のマスコミが騒いだのかきっかけだったのだ。 ところが今回の「事故米騒動」では、安い米を求めている病院や老後施設で、農薬付の事故米が売られてしまい、その米を高齢者が食べてしまっているのだ。いくら何でもこれはひどいもので、それを統括している農水省の役人が、官は関係なく「会社のモラルの問題」と発言しているのだ。 昔、愛媛県の八幡浜で底引き網に小さなふぐが大量にかかった時に、ある水産加工会社が機械でそのふぐを細切りにして、ハギと称して安く売り出したところ、フグ毒の中毒で何人かが亡くなった事件があったのだが、今回の「事故米騒動」はそれに匹敵するひどさである。 私も食品で騙されるのがいやなので、椎茸は中国産・牛肉は豪州産・鶏肉はブラジル産などを買うことにしているのだが、これも食物の危険リスクが高いとはいえ、一応は農水省などの基準に、パスしていることを前提にしているのだ。(それ以外は食物ではないことになるではないのか・・・) 三笠フーズの幹部によると、偽装工作の手口は砕いた米を、工業用の商品名が記載された袋に詰め込んで検査を受け、その後その米を裏帳簿や偽造受領書を駆使して食料用に出荷して、農水省の検査官を欺き続けたみたいだ。しかも、農水省の検査官は、検査の10日くらい前に検査日を報告していたそうだ。 普通なら食料にならないものを、高い値段で売るなんて企業モラル以前の問題だし、これが個人で農薬の入った食物を人に食べさせたなら、「殺人罪」にも問われる事件なのだ。今日の昼休みに見たTVのニュースで、町村官房長官がいつものように、こんな大事件なのに人ごとのように話していた。 しかも、この毒入り米を食べたのが、高齢者や入院患者で生活弱者であると言うことを、あまりマスコミも書いたりしていないが、このようなところが安い食費でやりくりしなければならないことが、もっと根が深い問題なのだろう。(格差社会はここまで弱者の生活を、危ない方向にしているのだ・・・) wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年09月12日
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今日の台風が勢力を強めているというニュースで、現在台風13号が発生しているというのだが、今年も標準くらいの台風が、9月中旬には発生しているということに気がついた。昨年もそうだったが今年も本土直撃の台風の話題がない年である。本来ならこのことは喜ばしいことなのだが、水不足に悩む松山住民と仕事旱に悩む建設業界関係者としては、そこそこまとまった雨が台風の余波で欲しいくらいだ。(不謹慎なのは承知で・・・) その台風13号は、太平洋上にあって発達しながら北上していており、9月10日の夜遅くには、八重山諸島が強風域に入る恐れがあるそうだ。気象庁の観測によると、勢力が強い台風13号は10日午後3時には沖縄の南の海上にあって、北北西にゆっくりした速さで進んでいるそうだ。中心の気圧は945ヘクトパスカルと非常に強く、中心付近の最大風速は40メートルで、最大瞬間風速は60メートルくらいになっているみたいだ。 このあと台風13号はさらに発達して、どうやら非常に強い勢力となる見込みで、台風13号がこのまま予定どおりの進路で北上すると、石垣島地方と与那国島地方が10日夜遅くに、宮古島地方は11日未明に強風域に入る恐れがあろそうで、気象庁では今後の台風の動きに十分注意が必要だと、警戒をしている。もっとも9月13日以降の台風の進路についてはあまりくわしい記述がなく、本土への影響などはあまりよくわからない情況なのだ。 今のペースでは「中秋の名月」である9月14日には、私が住んでいる松山市には余り影響がなさそうでが、水不足を解消するために来週には150ミリくらいの雨を、松山市の水源である石手川ダムの上流で、降らせてもらいたいものだ。その上で人的被害などない程度の少し洪水でも起こしてもらって、河川や道路に被害が出るようにしてもらえれば、仕事が非常に少なくなっている建設業にとって、恵みの雨(台風)になるというものだ。 今年は全国的に大雨の被害がニュースになったが、実は今年はいまだに日本に上陸した台風はいまだにゼロなんだ。気象予報士等の話では、今年の台風の接近が少ないことと、ゲリラ的な豪雨の気象には、共通の理由があることらしい。それによると、この夏に相次いだ突然の強い雨と、その雨とともに目立ったのが雷だというのだ。九州のある都市では、雷が観測されたのが例年の2倍にも達したそうだ。(三日に一度の割合はさすがにすごいものだ・・・)その原因というのは例年とは違う気圧配置が、今年の夏は続いたことが原因だと話していた。 暑かった夏もやっと終って秋の気配がこの頃は感じるようになったが、この台風シーズンで雨が降らなかったら、ダムの水位がほとんど回復しないので、いくら市民が節水に努力しても今年の冬も水不足に悩まされそうだ。(雨乞いでもしましょうか・・・)
2008年09月11日
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プロ野球のペナントレースも大詰めになってきたが、私の応援している中日ドラゴンズは、今週が胸突き八丁というか、読売巨人軍と阪神タイガースとの連戦が組まれているのだ。昨年の日本一のチームなので試合日程が厳しいのは仕方がないが、本拠地での試合なので少しは有利だろう。 ここで勝ち越すとたぶんセ・リーグのAクラスは確保ができ、クライマックスシリーズへの出場が濃厚になってきそうだ。昨日も読売巨人軍を逆転で破っており、秋になってそろそろ、ドラゴンフライの季節到来と言ったところだろう。(これは「捕らぬ狸の皮算用」では決してないのだが・・・) 今日の日記のお題目はパ・リーグの「オリックス・ブルーウェイブ」のことである。昨日も9連戦の初戦であるロッテ戦に勝利したのだが、この試合から日本ハム・ソフトバンクと眼下の敵との3連戦が、3カード続くのだ。(ホームゲームが6試合と多いのが、少しは救いなのだが・・・) 今日のスポーツ新聞によるとオリックス球団は、残り18試合を現場のほうは正念場になっているのに、フロントのほうは現在の2位確保でひと儲けを目論んでいるというのだ。日本式プレイオフに当たるクライマックスシリーズの第1ステージは、ペナントレースの2位チームの主催で行うことが出来るのだ。 主催者ゲームとなると京セラドームにも観客が来るだろうから、興行収入がオリックス球団に転がり込むからだ。大石監督のノルマが、Aクラス入りから2位死守へとハードルが、今回の快進撃で一段上がりそうだというのだ。さすがケチで有名な宮内氏がオーナーを務める大阪の球団である。 選手の待遇や試合内容よりも(お客に対するサービスも二の次なのだが・・・)金儲けに繋がるコトには目ざとい球団だけに、フロント関係者も「チーム状況を考えて近々、入場券の発売時期を決めたい」と、儲け第一に考えているみたいだ。(清原選手の引退試合のチケットも先行発売したそうだ・・・) こうなると選手の方はやる気が今市無くなるもので、肝心のチーム状況だが先発5番手の近藤が体調不良で登録抹消されるし、さらにこの日、清原が試合前練習中に発熱の症状を訴えて病院行き(風邪の診断)のミニアクシデントが起こり始めている。(ドンドンと拡大すると面白いのに・・・) 現在のところはさほど大勢には影響はないものの、このようなことは選手同士の士気には影響することも考えられるので、大願成就の2位到達までには、まだまだ紆余曲折がありそうだ。そこで京の日記のテ-まである「捕らぬ狸の皮算用」と言うことが出てくるのだ。 見ている我々がわくわくする終盤の攻防があって、オリックス・ブルーウェーブが残念ながら僅差で、パ・リーグの4位になるのが私にとって理想の展開である。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年09月10日
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9月9日は「重陽の節句」なのだがこの節句の起源は、ほかの節句と同様古来中国にさかのぼることができ、歴史の古い中国では奇数は縁起のよい陽の数とされ、一番大きな陽の数である九が重なる9月9日を、「重陽」として、五節句の中でも一番よい日の節句としてきました。 中国ではこの日、茱萸(しゅゆ:日本で言うとぐみの実のことのようだが・・・)を袋に入れて、丘や山に登ったり、菊の香りを移した菊酒を飲んだりして、邪気を払い長命を願うという風習がありったそうだ。それが日本にも入ってきて、平安時代には「重陽の節会」として宮中の行事となったそうだ。 旧暦の9月9日というと現在では10月の中頃ににあたり、ちょうど田畑の収穫も行われる頃で、農山村では栗の節句とも呼ばれて、新米と栗ご飯などで節句を祝ったという記述が残っている。昔はさかんに行われていた重陽の節句が、現代に引き継がれていないのは残念なことだと思ってしまう。 これはしきたりや行事の本を読むと、明治時代初期に旧暦から新暦になってしまい、菊が盛んに咲く時期ではなくなってしまったことが大きいのかもしれないと書いてあった。それほどこの「重陽の節句」は菊の花と縁が深く、中国では菊の花には不老長寿の薬としての信仰があったみたいだ。 いまでも漢方薬として、薬効を認められている菊の花の種類は少なくないのだが、昔の中国では菊の花は、鑑賞用としてより先に薬用として栽培されていたようだ。菊の花の言えばその意匠が皇室の紋章ともされており、日本を代表する花といえるが、そのルーツは薬用として、中国から伝わったものなのだ。 さて、お楽しみの「菊花酒」であるが、重陽の節句の前夜にまだつぼみの菊の花に、綿をかぶせて菊の香りと夜露をしみこませたもので、宮中の女官たちが身体を撫でてたりもしたと言われている。平安時代の枕草子や紫式部日記の中でも、その風習のことを書いている箇所があるそうだ。 私も色々なお酒は飲んできたのだが、この「菊花酒」というのは飲んだことがにので、一度どこかで飲んでみたいものである。それも若くて美人の素肌をなで回った菊の花で仕込んで「菊花酒」なら最高だろう。もっとも、酒の方は飲んだかとはないが食用の菊の花は食べてことはあるのだ。 昔東北地方へよく出かけていた時に、青森県・秋田県・山形県などの菊の食花の生産地を中心に、さまざまな菊料理がつくられているので、けっこう食べさせて貰ったのだ。私は菊の花の酢物も好きだったのだが、 やはり少し苦みのある天ぷらを塩で食べるのが、一番旨かったと思い出しているのだ。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年09月09日
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昨日は我が家である祝い事があったので、久しぶりに家族で外食でもしようと、実家のお袋を誘って「焼肉」を食べに出かけた。80歳を越えているお袋は肉よりも和食のほうが良いのだが、昨日はどうしても肉が食いたかったので、お袋には少し我慢をしてもらったのだが、それでも焼肉屋(どちらかというと、朝鮮料理店・・・)では、メニューを見ながら少しは肉やテールスープを飲んだりして、思ったより喜んで食べていた。(夏の暑さで食が細って、あまり食事がおいしくないといっていたが、どう見てもそんな感じには見えなかった・・・) 焼肉と言ったら私の場合はビールが付き物で、昨日も3リットルはある生ビールのピッチャーを頼んだのだが、ほとんど一人で飲んでしまった。料理も焼肉だけではなくチジミをはじめいろいろな物をけっこう頼んだので、けっこう満足な食事になった。子供に言わすと前回焼肉を食ったのは、やはり家族のお祝いの日であった6月の初めであったそうだ。私の場合は職場の連中などと、けっこう焼肉を食いに行っているのでそうは感じなかったのだが、家族で焼肉を食いに行くのも、3ヶ月ぶりということになっていたのだろう。 それでも1時間くらいは焼肉店で肉にむしゃぶり付いていたのだが、その後はお袋と別れて(タクシーに乗り込ませて送っておいたのだが・・・)家族でカラオケに行くことにした。これはお袋が焼肉の食事代ということで、気前良く嫁さんに一万円くれたので、お袋のタクシー代を払っても支払いに余裕が出来たからなのだ。私は先月に事務所の職員の送別会で、約1年ぶりくらいにカラオケに行ったのだが、嫁さんや子供は友達やバイトの連中などと、月に数回はカラオケに行くそうで、最初のうちは私の番なんかほとんど回ってこなかった。 それでも歌い始めてから3時間くらい経つと、さすがに相手のペースもダウンしたので、やっと私の順番も少しは回ってくるようになった。(最初の3時間くらいは私の選曲は、1時間に1曲歌えるかどうか位のペースだったのだが・・・)よく自分が歌うカラオケの選曲は、「本人の心理状態を表す」といわれているそうだが、心理学的に言うと無意識のうちに今の気持ちの歌を歌っているそうだ。これは「同調の原理」と呼ばれるものだそうだ。 心理学の医師が書いた本に「カラオケで歌う曲は、その人のその時の心理状態・性格・周辺の雰囲気・自分の役柄など、全てを総合したものが、カラオケの選曲に反映されることはごくごく自然なことです」となっていたが、そういえば昨日はお祝い事だったので、明るい曲が多く歌われたような気がしている。私も最後は調子に乗って応援する中日ドラゴンズの応援歌である「燃えよドラゴンズ」を、昭和から平成へと年代別に歌ったりしていた。 そういえば私の応援する中日ドラゴンズの先週の成績は、東京ヤクルトスワローズに神宮球場で3連敗をしてしまったが、地元のナゴヤドームで横浜ベイスターズに3連勝して、やはり五割りラインをウロ色している状態なのだ。ペナントレースもあと少しで20試合くらいを残すところとなったが、せめてあと15勝はしてもらってAクラスを確保して、プレーオフには進出してもらいたいものである。
2008年09月08日
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昨日は我が家である祝い事があったので、久しぶりに家族で外食でもしようと、実家のお袋を誘って「焼肉」を食べに出かけた。80歳を越えているお袋は肉よりも和食のほうが良いのだが、昨日はどうしても肉が食いたかったので、お袋には少し我慢をしてもらったのだが、それでも焼肉屋(どちらかというと、朝鮮料理店・・・)では、メニューを見ながら少しは肉やテールスープを飲んだりして、思ったより喜んで食べていた。(夏の暑さで食が細って、あまり食事がおいしくないといっていたが、どう見てもそんな感じには見えなかった・・・) 焼肉と言ったら私の場合はビールが付き物で、昨日も3リットルはある生ビールのピッチャーを頼んだのだが、ほとんど一人で飲んでしまった。料理も焼肉だけではなくチジミをはじめいろいろな物をけっこう頼んだので、けっこう満足な食事になった。子供に言わすと前回焼肉を食ったのは、やはり家族のお祝いの日であった6月の初めであったそうだ。私の場合は職場の連中などと、けっこう焼肉を食いに行っているのでそうは感じなかったのだが、家族で焼肉を食いに行くのも、3ヶ月ぶりということになっていたのだろう。 それでも1時間くらいは焼肉店で肉にむしゃぶり付いていたのだが、その後はお袋と別れて(タクシーに乗り込ませて送っておいたのだが・・・)家族でカラオケに行くことにした。これはお袋が焼肉の食事代ということで、気前良く嫁さんに一万円くれたので、お袋のタクシー代を払っても支払いに余裕が出来たからなのだ。私は先月に事務所の職員の送別会で、約1年ぶりくらいにカラオケに行ったのだが、嫁さんや子供は友達やバイトの連中などと、月に数回はカラオケに行くそうで、最初のうちは私の番なんかほとんど回ってこなかった。 それでも歌い始めてから3時間くらい経つと、さすがに相手のペースもダウンしたので、やっと私の順番も少しは回ってくるようになった。(最初の3時間くらいは私の選曲は、1時間に1曲歌えるかどうか位のペースだったのだが・・・)よく自分が歌うカラオケの選曲は、「本人の心理状態を表す」といわれているそうだが、心理学的に言うと無意識のうちに今の気持ちの歌を歌っているそうだ。これは「同調の原理」と呼ばれるものだそうだ。 心理学の医師が書いた本に「カラオケで歌う曲は、その人のその時の心理状態・性格・周辺の雰囲気・自分の役柄など、全てを総合したものが、カラオケの選曲に反映されることはごくごく自然なことです」となっていたが、そういえば昨日はお祝い事だったので、明るい曲が多く歌われたような気がしている。私も最後は調子に乗って応援する中日ドラゴンズの応援歌である「燃えよドラゴンズ」を、昭和から平成へと年代別に歌ったりしていた。 そういえば私の応援する中日ドラゴンズの先週の成績は、東京ヤクルトスワローズに神宮球場で3連敗をしてしまったが、地元のナゴヤドームで横浜ベイスターズに3連勝して、やはり五割りラインをウロ色している状態なのだ。ペナントレースもあと少しで20試合くらいを残すところとなったが、せめてあと15勝はしてもらってAクラスを確保して、プレーオフには進出してもらいたいものである。
2008年09月07日
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本の1週間前に突然の辞任を発表した福田首相だが、在任中は支持率は低迷が続いていたが、辞任会見で最後に発したコメントがTVで流されて大人気となり、その「あなたとは違うんです」という言葉をプリントしたTシャツが、よく売れているというのだ。もっとも福田愁傷は内閣支持率と同じで、国会内のお土産売り場で売られているお菓子売り場での人気は、それほど高くなく相当売れ残っているともTVで言っていた。 先週の月曜に福田首相は、全国にテレビ中継された緊急記者会見で、なにか良くわからに理由で辞任を発表したのだが、そのときにある記者から会見が人ごとのようだと批判されると、「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」と怒りをあらわに切り返したのだ。これまであまり感情を表に出すことが目立たなかった福田首相だけに、この「いたちの最後ッペ」の発言は、みんなに驚きをもって迎えられたみたいだ。 この「あなたとは違うんです」というせりふは、すぐにインターネットの掲示板で話題になったのだが、そうなるとさすがに商魂たくましい人間がいて、それをプリントしたTシャツやマグカップ、ベビー服までが発売されたというのだ。そのうえ色々な使い方をされているらしく、本家「中国新聞」によると、今年の流行語大賞の候補にまでなりそうな勢いだそうだ。私もしらなかったのだが、IT(特に2チャンネルなどでよく見るのだが・・・)で線を使って書いた絵の事を「AA(アスキーアート)」と言うそうだが、それにも登場しているそうだ。 そのAAに合わせて、その時の会見の福田首相の言葉を再現しているのだが、あまりにも早口なので聞きときにくかった。それでも私なりに聞き取ったところ、どうやら次の言葉になるみたいだ。「『人ごとのように・・・』とあなた仰ったけどね、わたくしは自分を、客観的に見ることは出来るんです。あなたと違うんです。まぁ、そういうこともあわせ考えていただきたいと思います」と言ったそうだが、動くAAが面白くて何度も見てしまった。 きっとこの「あなたと違うんです・・・」と言った福田首相の言葉は、吉田元首相の国会で発した「バカヤロウ」とか、池田元首相が言った「貧乏人は麦を食え・・・」に匹敵する、首相の名(迷)文句として長く残るかもしれないだろう。
2008年09月07日
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今週の月曜日に福田首相が、突然の辞任を発表してからまだ1週間もたっていないのに、今回の自民党総裁戦は今のところ5名に人間が立候補するそうだ。その上まだ二人くらいは立候補を予定しているそうだから、うまく行けば7名の総裁候補ができることになる。自民党の規定では総裁選の立候補は20名以上の推薦人がいればよいことになっており、単純に国会議員の数を割ると、20名くらいは総裁選への立候補が出来るはずなのだ。 福田愁傷の突然の辞任は各新聞などで、「無責任」・「政策の継続性は?」といった非難の言葉が並んでいるが、福田元総理は本当に無責任さだけで政権を投げ出したのだろうかはなはだ疑問である。改めて考えてみれば、9月に突然首相辞任というのは、去年もあったことなので、自民党の年中行事にするつもりかもしれません。(地方議会の議長が申し送りで、毎年通常議会の終了後に変るみたいに、9月には毎年首相を変える・・・) そういえば私がよく読んでいる日経オンラインの記事に「日本の首相は、辞めてからが花」というのがあったが、まんざら可笑しいともいえないようになってきている。その記事の中で 「学級委員長職は、週交替で全員が歴任する方向で調整すべきだと思います」・ 「なるほど、その方が内申書の評点の上で不公平が出ないというわけだな」・「大人になってから、《昔は学級委員長をやってたんだぞ》とか、子供に話せるでしょ。」 というのがあったが、そんな気持ちで首相をやっていたのなら、たまったもんじゃあない。 今回の自民党総裁選の多数立候補も、結局は同じ発想ではないのかと思ってしまう。福田首相の辞任は新聞報道にもあるように、すぐ思い浮かぶのは総選挙対策だろう。その証拠に「選挙は福田さんで戦いたかった」と民主党議員も言っているし、支持率が落ちるところまで落ち込んで福田内閣では選挙は戦えないのはそのとおりで、わざわざ不利な情況で国民に信を問うのは、政権維持の観点からみても得策ではないだろう。それでも、マスコミの目を自民党総裁選の情報一色となって、野党は霞ませてしまう戦術はどうだろう。 なにはともあれ、ビジョンも戦略・戦術もやる気(就任当初は少しはあったのかもしれないが、少しも表面に見えなかった・・・)もなかった福田首相がやめたのだ、多数の元自民党総裁候補(立候補者)を作るであろう総裁選を行うと、やっと我々国民が参加できる総選挙が行われるのだろう。7人も立候補者がいたら大一回の投票では、きっと過半数を取るのは難しいだろうから、私としては決選投票のメンバーが楽しみである。麻生幹事長の決選投票への進出は固いとして、その相手は誰になるのだろうか今から予想しているのだ。
2008年09月06日
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昨日も書いたのだが、建設業に対する裁判所の判断がおかしくなってきているような気がしてくる。マンションを買う人は建設会社とは、契約上は一切関係のない人なのに訴訟の対象になるのは、どうしても納得のいかない。これはきっと国交省などの官僚の陰謀に違いない。 公共工事で河川の堤防でも作って、大雨で護岸が壊れたらその護岸を作った建設会社が訴えられるだろうか。まずは、河川護岸を管理している官庁が被告人になって、もし、工事に手抜きがあったのなら官庁の方から建設会社に処分なり、訴訟なりを考えれば済むことではないか。 消費者保護が大切であることは理解もするし、同じ業界のことの悪口を言うつもりもないが、手抜き工事をする同業者が全くいない言えないのも事実なのだ。それでも物を造ったら引き渡しの時は検査も受けるのだから、中間デベロッパーの責任が回避されるのはおかしなことだ。 消費者は全てが善人で、ありもしないクリームを付ける人など皆無とでも思っているのだろうか。私の経験で申し訳ないが(私の事務所は手抜き工事などしたことがないので、そうかもしれないが・・・)後からクリームを付ける人のほぼ100%が、契約書をよく読んでいないの場合が多いのだ。 何度も言うが我々建設業は、普通なら図面と仕様書に会わせて工事を実施するのであって、仕様書や発注者の図面がおかしかったのは、責任外だと言うことを裁判所もわかって貰いたいのだ。しkも、住民の総意が全て正しいなどと言うことは、無いこともしってもらいたいのだ。 住民の総意がおかしい一例を挙げると、金沢市内にかかる登録文化財になっている犀川大橋を今回塗り替えるそうだが、その塗り替える入りを一般の人からアンケートを行ったというのだ。その結果を基に青緑色のグラデーションとすることに決めたことだ。 今の塗り色である青を基調にしている色は、金沢名産である加賀友禅の「ぼかし技法」に似せて色を決めていたはずなのに、そのような歴史的な景観に対する考慮をした住民が何人いるというのだ。私のように他県のことであっても歴史を知っていればよいが、そのようなことを知らない人間がいかに多いことか。 そういってしまったら身も蓋もないのだが、せめて自分の土地にある文化財の歴史くらいは、金沢市民も知って貰いたい物である。とくに、犀川大橋のように大正期にわざわざ綱橋で造った橋の、歴史の重みなど少しも感じていないのだろう。(悪口をごめんなさい・・・) wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年09月05日
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私の所属している建設業で恐ろしいことが進められているのだが、その第一は最高裁が欠陥住宅にかかわった業者に、不法行為責任を負わせる道を開いた衝撃は大きいのだ。欠陥のある物の買い手が売り手に責任を追及できる瑕疵担保責任の時効は、欠陥があることを知ってから1年以内、目的物の引き渡しを受けてから10年とさ れている。 ところが不法行為責任の時効は、被害者が被害や加害者の存在を知ってから3年、または被害が生じてから20年と長いのだ。何処が欠陥かというと安全性が確保されているだけではなく、有る建築業者が一部支柱を通常よりも太くしてほしいと建築業者に注文したのに、業者が安全性に問題ないとして契約と異なる細い柱を使った ことに対して争われたのだ。 最高裁は、業者が勝手な判断で、依頼主の要望とは異なり安全性に問題がなくても、細い柱を使用したのは欠陥だと判断したのだ。それまで欠陥かどうかの判断は、客観的な安全基準を満たしているかだった。この判決では客観的には安全とされても、建築主と建築業者との契約で取り決めた安全性を満たしていないことは欠陥 だとしたのだ。 これをやられると建設業では、企業努力と言うことが出来なくなってしまうのだ。コストダウン競争で、現場は工期、人員圧縮で欠陥が生じているのに、いくら確認の手続きなどをを厳しくしても、建築は現場が命なのだ。変なところで時間を取られると、どうしても施工過程で手抜きとなるものなのだ。「安全・安心」は、い わば絶対善だkら、誰も文句はいえない。 私が聞いたところによると国交省の官僚たちも、阪神・淡路大震災で、新築の家屋が大量に倒壊する被害が続出して以来、「隣の古い建物は倒れずに残っているのになぜうちが倒れるのか」という訴訟が急増してkら、「こまったなぁ」と渋面をつくっているが、内心、ほくそ笑んでいるに違いないというのだ。それは建築物な どに保険をかける制度を作ることが出来たからだ。 「耐震偽装事件」から3年、福田首相が残してくれた「安全・安心」の御旗を掲げれば、なんでもできる状況が続いているのだが、ある建築雑誌の試算では 築戸建て住宅の年間着工数を50万戸と見積もると、その2割は大手ハウスメーカーが占めており、残り40万戸が保険利用となれば、一戸10万円の新しい保険料として、年間400億円の巨額の保険料が貯まるそうだ。 官僚たちは「安全・安心」の絶対善を掲げて、次代の利権確保に余念がない。大きな住宅保険市場を立ち上げ、特定の事業者を保険法人に指定して「天下る」。そんなシナリオがくっきりと透けて見え手来るというのだ。貯まった保険料は、当然、運用に回されるだろう。しかし市場の現状は厳しく、建築系の技術者集団に金融 のノウハウがあるとは思えない。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年09月04日
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福田首相が辞任して麻生幹事長が総理になって新しい内閣を作るのだが、景気対策重視という点では、私をはじめ多くの国民の希望に合致しているが、経済成長の手段では「旧来のバラマキ型政治への逆行」するのではと、財務省の官僚を始め財政当局などの懸念もされている。首尾よく麻生幹事長が次期首相に就任したとしても、こうしたイメージが成長と財政再建の二兎を求める国民に、どのように受け止められるかが、政権への支持率に影響するだろう。 今日の日経オンラインに「とにかく早く辞めなさいと言っていました。総理大臣といっても、様々な制約を受けて、何も決められないのですから」という言葉が載っていたが、これは細川護煕元首相の夫人、佳代子氏の言葉だそうだ。「殿、ご乱心」と電撃辞任の先駆者であった細川元首相もその辞任劇について、「無責任」という批判を受けたものだった。このときは真夜中に福祉税構想をぶち上げて、自爆テロみたいな辞め方をしてしまったのだ。 突然の辞任を決めた福田康夫首相だが、国会運営の行き詰まりや低迷する支持率が、首相の二代続いた突然の辞任の背中を押したみたいだ。一月前に内閣改造した時には少なくとも、重要な案件を何とかしたいという意欲を持っていたはずなのに、辞任のきっかけになったのは身内のはずの公明党の厳しい姿勢であるもたいだ。(昨日のTVの解説を聞いていると、味方と思っていた宗教団体(某政党に強い影響力を持っているそうで、福田首相はそちらのほうとうまくやって政党のほうはケアしなかったらしいが・・・)が強力してくれなかったみたいだ。 これも今日の日経オンラインに載っていたのだが、今回の福田首相の突然の辞任劇は結局のところ、辞め方にこだわり続けた福田首相が、最後の最後で自らの信念を通した、というのが真相に近いのではないかというものだった。つまり、覚悟の自殺のようなものだと言っているみたいだ。たしかに、このままでは検討している法案を国会で通すのは難しく、総選挙になっても苦戦を強いられ、政権交代の可能性も十分にありうるとなれば、まわりから引導を渡されず自らの決断で辞めるには、いまの時期ぐらいしかなかったのだろう。 何はともあれ福田首相が辞任したからには、新しい自民党総裁が選挙で選ばれて、新しい日本の総理大臣になるのだから、我々が希望するのは、上げ潮路線や財政規律の推進かなどという言葉の遊びではなく、経済成長と財政改革と“相対立する”政策なのだ。
2008年09月03日
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昨日の夜のニュースは「福田首相の辞任」一色だったが、全総理の安倍晋三氏の辞任会見と同じ首相の辞任で迎えた政権の結末は、総選挙に踏み切れない自民党政治の末路を再び国民に見せ付ける結果に終わったみたいだ。健康には問題がないとは言っていたが、精神的には相当疲れていた様子が、昨日のTVの辞任会見では見ることができた。 思えば1年前の9月12日(今年の臨時国会の開催予定日とは皮肉的だが・・・)に、衆議院・参議院の本会議で所信表明演説のわずか2日後に、突然の辞任会見を開いた安倍晋三前首相が「政治的な困難を最小限にする、という観点からなるべく早く判断すべきだという決断に至りました」と、ひと言ずつを間を置きながら語った光景とまったく同じみたいだ。 これで衆議院選挙が終ってから3年で4人目の首相が選択されるのだが、これで総選挙を先延ばしにすると任期が1年となってしまい、(再選される可能性はあるが・・・)自民党が圧勝した選挙後に、毎年日本の最高責任者が変るという、異常事態になってしまうのだ。それこそ1カ月前の大規模な内閣改造はなんだったのかと、怒りたい気分である。 それこそ就任1ヶ月で首になった大臣なら(しかも国会が閉会中なので一度も国会答弁をしないのだから・・・)どんな仕事をしたというのだ。TVの政治番組に出たくらいが今度の大臣の仕事だったのだろう。独自の政策を掲げて実現を狙うかと思えば、当事者意識の乏しさがつきまとった福田首相の態度は、当然国民の支持など受けるはずがないだろう。 しかも、経済対策の取りまとめの過程では、与党内で発言力を増してきている公明党や、なにかわからない古参政治家の注文が目立ってきており、無責任発言だけ繰り返して誰も政治の責任を取らない中で、政権運営に無理難題の注文ばかりを押し付けられたと、言わんばかりの表情で、ホトホト困り果てていたという表情で辞任会見を行っていた。 福田元首相が辞任会見で、民主党など野党の国会での非協力を理由に挙げたことについて、民主党の鳩山幹事長が「責任をなすりつけるのは完全な筋違いだ」と猛反発していたが、まったくそのとおりだと私は思っている。このことは参議院選挙が終った時点で(首相に就任した時点で・・・)わかっていることであり、それを理由にするのは片腹痛いのだ。 この福田首相の辞任で今の流れが少し変わって、私たち建設関係者に少し明かりでも見えてきたら、選挙のことは少し考えておきますから、次期首相にはそれを期待しているのです。
2008年09月02日
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今日から9月ということで少しは涼しくなりそうだが、昨日の8月31日は「野菜の日」ということだ。なぜこの日が「野菜の日」になったかというと、昭和58年に全国青果物商業協同組合連合会など野菜を扱っている9団体が、もっと野菜について認識してもらいたいと「や(8)さ(3)い(1)」の語呂合わせから、8月31日を「野菜の日」に制定したそうだ。よく「なんとかの日」と決めるのでは、語呂合わせは有効な手段なのだろう。 この8月末の時期は残暑も厳しく、夏バテで食欲がなくなっている方も多いし、夏休みが終って二学期が始まる時期になっている。こんなときこそしっかり野菜をとって、元気に秋を迎えて欲しいと願って決めたそうだが、科学的な分析のなかった時代から我々人間は、季節の変わり目などの体力維持のため、「野菜」を食べて栄養素を補給していたのだ。全国的にも野菜を使ったイベントがあったそうだが、私の事務所でも昨日がブドウ狩りを行った。 夏休み最後の休日には従業員の家族もまき込んで、夏のリクリェーションを毎年行っているのだが、今年は「野菜の日」のイベントを考えて、内子町でブドウ狩りを行ったのだ。内子町の温暖な気候は、さまざまな農産物を育むのに最適でそうで、ぶどう・なし・りんご・もも・かき・いちごなどの農産物を直接消費者に提供する観光農業も非常に盛んなようだ。その場で摘んで食べるフルーツの味は別格で、参加した子供達も喜んでいた。 昨日のブドウ狩りは従業員の家族を含めて、50名くらいの参加者があったのだが、心配していた天気も農園でブドウ狩りを行った午前中は、なんとか雨も降らずに(食事を始めたら降りだしたのだが・・・)楽しむことが出来た。ぶどう園の人に聞いたのだが、ぶどうを選ぶ際には、粒揃い軸が太く緑色で皮の色が濃いものを選ぶとよいそうだ。農園では、水と氷をもらって収穫したぶどうをしばらく冷やしてから食べたのだが、冷やしすぎると甘味が感じられなくなってしまうのでほどほどにするのが、おいしく食べるコツだそうだ。 午前中の3時間くらい大勢でブドウ狩りを楽しんだ後は、予約していた農園レストランで少し遅めの昼食をバイキングで食べたのだが、前に来たときよりもバイキング料金が値上げをされていた。それでも、特性のドレッシングで食べる農家の自慢の野菜はうまいもので、普段は野菜など食べそうにない子供達も、何回も生野菜のお変わりをしていた。我々男性人はバスで帰ることもあって、持ち込みの缶ビールを昼からたらふく飲んでいた。 私の場合は、午前中からぶどう園へ行くバスでも缶ビールを飲んでいた関係で、食事のときは慎ましく、缶ビールを4本くらいしか飲まなかったが、それでも良い気持ちになって帰りのバスの中ではよく寝ていたらしい。あとで聞くと帰りのバスは、それこそ「ゲリラ豪雨」の中を突き切るように走ったらしく(時間は10分くらいだったそうだが・・・)その時は雷と雨が凄かったようで、若い衆の小さい子供達もパニくっていたらしいのだ。
2008年09月01日
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