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今日の雑誌にステーキの美味しい店が紹介されていたのだが、どの店も私が裕福だったころに行ったことがある店だった。この頃は月に100時間くらいは残業をしていたし、(それでも仕事が忙しくて金より休みが欲しかったくらいだったのだが・・・)現場にも相当自由に使える資金があった頃だった。(そこで、接待ということになったのだが・・・) 今日の雑誌の記事によると「ステーキとは、肉などを厚めに切って焼く料理で、狭義には、直火ではなく平らな鉄板の上にのせて焼くものを指す。」となっていた。ステーキの焼き方も紹介された店によって違っていたのだが、私は松山市の一番町にある「ニンニク焼き」のある店が一番好きなのだが、嫁さんは二番町にある一番の老舗の店を押している。 日本では、単にステーキと言った場合には牛肉を用いたものを指すのが普通だが、他にも豚肉や鶏肉の肉類(そういえば鯨のステーキもけっこう美味いのだが・・・)、サケ、マグロ、アワビなど魚介類も様々な素材が用いられる。(アワビのステーキなどは、焼くと柔らかくなって本当に美味いのだが・・・)変り種では豆腐や大根のステーキがけっこういけるのだ。 調理に関しては単純な料理のため、肉などの材料そのものの品質が味に大きく影響するのだが、本当に美味い店では通常では、数日間から数週間くらい冷蔵庫で組織中の酵素により熟成させた肉を使用するとのことだった。そういえば松阪牛などを使う高級焼肉店などの中には、肉にした日にちを記載している店で、美味いステーキをおごってもらったことがあるが、このような店ではじっくりと熟成させた肉を使用しているのだろう。 昔見た料理番組で言っていたのだが、肉そのものの品質が良ければ、スパイスやステーキ・ソースは不要で、塩のみで十分に旨いというのだ。その番組では本当に美味そうな肉を、イギリス産の岩塩だけの味付けで、鉄板のうえでじっくり焼いたステーキを、洋からしを付けてゲストが食べているのを見て、本当に美味そうだと思ったものだった。 ステーキの焼き方では、肉を焼く直前(10分から15分ぐらい前)に裏面になる方へ軽く味付けをする。そのコツは質の良い風味のある肉には、塩・コショウだけで味付けをするのが一番とのことだった。少し質の劣る風味のない肉には、好みに合わせてオニオンパウダーや、ガーリックパウダーなどの香辛料も付加して味付けするそうだ。 そうなると、私の押すステーキ店の「ニンニク焼き」は、少し肉の質が悪いのかと思ってしまうが、それでもやはり、ステーキハウスで食う高級ステーキといえば、卒業や入学・就職などお祝い事の多い春には、家族で一度入ってみたい気がしている。
2008年03月31日
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今年のプロ野球ペナントレースもやっとセ・リーグが開催されたが、今年のセ・リーグは大型補強をした読売巨人軍が爆発的な実力を見せつけるのか、それとも私の応援している昨年の日本シリーズ覇者の中日ドラゴンズが今年も最後に笑うのか、昨年、驚異的な追い上げを終盤に見せた阪神タイガースが、今年は前半から首位に絡むことができるのか・・・。 今年の中日ドラゴンズの戦力は、球団初の2年連続日本一に向け、今季も安定した戦いが期待できそうだ。投手陣では川上投手、朝倉投手、中田投手の先発3本柱は順調な仕上がりを見せ、3年目の吉見投手も成長している。ベテランの山本(昌)投手に中国籍のチェン投手らが激しいローテーション争いを繰り広げるなど先発陣はさらに厚みを増したみたいだ。 ただ、中継ぎ陣は西武ライオンズに人的保障で移籍した岡本投手の穴が埋まらず、絶対的なクルーザーである抑えの岩瀬投手へのつなぎ役が、競った試合では心細い平井投手1人では心もとない。鈴木投手や新人の山内投手など候補はいるが、調子を見極めた起用になるはずだ。私の期待する選手(中継ぎ投手は・・・)は、石井投手と高橋投手の両左腕投手だ。 攻撃陣は福留選手がFAでメジャーリーグに行ったため抜けたが、西武ライオンズから和田選手が加入し、大きなマイナス要因は見当たらないだろう。荒木選手と井端選手の1、2番コンビも健在で、来日2年目の李炳圭選手に中村(紀)選手も好調みたいだだ。新外国人のデラロサ選手もオープン戦を見た限るでは戦力としてめどが立ったみたいだ。森野選手が左手の負傷で開幕が微妙だったが、昨日の活躍でもう問題はないみたいだ。 昨年度のペナントレースの成績を元に野手のパワーランキングをみてみると、1番に高橋由選手を置き、谷選手、小笠原選手、ラミレス選手、李スンヨプ選手と、ネームバリューのある選手がずらっと並ぶ読売巨人軍がダントツの1位かと思いきや、中日ドラゴンズが野手力で巨人をわずかに交わして1位になっているのだ。これは主力選手だけではなくサブの選手を考えた選手層の厚さは、中日ドラゴンズの方がわずかに勝っているというということだ。 戦力分析など試合の結果にはあまり関係ないのは、読売巨人軍が東京ヤクルトスワローズに3連敗したのでもよくわかるだろう。(もっとも実力とおりに阪神タイガーズは、横浜ベイスターズに3連勝したが・・・)わが中日ドラゴンズも実力どおり広島東洋カープに、昨日は僅差で勝ち今季初勝利を得ることが出来た。(今日も勝ってるぞ・・・)
2008年03月30日
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私もまちづくりなどでWSに数多く参加しているのだが、WSの基本は「参加者の同意を得ることだ」と教えてもらっている。今日の朝TVを見ていたら、「万機公論に決すべし」という言葉が出てきた。これは、「天下の政治は世論の向かう所に従って決定せよ」という意味で、明治新政府が出した、「五箇条の御誓文」にある言葉なのだ。 五箇条の御誓文とは、明治元年3月14日(新暦に直すと4月6日になるらしい・・・)に明治天皇が公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針で、ちょうど今の時期に発表されており、正式名称は御誓文と表記されており。ただし、今はこの言葉はおかしいことに使われており、小泉元首相の「所信表明演説」の本が、「万機公論に決すべし」というらしい。 アマゾンの書評には、「21世紀の日本の進むべき道筋のすべてが説かれている。この所信表明を熟読し、改革が断行されるよう見守りつつ、日本再生に向けてがんばろう-。ということで、本の内容は演説の全文とその解説、資料で構成されている。」となっていた。もっと言うと、松沢神奈川県知事のブログの題も、「万機公論に決すべし」らしい。 この御誓文は、天皇が天神地祗を祀り神前で公卿・諸侯を率いている状態で、全ての国民と共に誓いかつ公卿・諸侯全員が、署名するという形式で採用されることだった。ただし、この草案を作った人物によると、「広く会議ということで、平民までも此議会に与らしめる御つもりであったか」と問われた時に、「それは後から考えればそうも解釈されるが、御恥ずかしい話ですが当時私はまだその考えはなかったです」と答えている。 それでも御誓文の第一条が「万機公論に決すべし」ということで、今よりずっと民主主義の本心を言っているような気がしている。この条文を第五条から第一条に持ってきたのは、坂本竜馬の船中八策に「万機宜しく公議に決すへし」とあり、ここから採られたものだといわれている。こういう事実を知るとやはり、坂本竜馬は先見性があったのだと感心してしまう。 それに引き換え3月の国会運営は、いったい何をしていたのかと嘆きたくなる実情だった。やっとなんとか正常に動き出しそうだが、一日2億円の税金を使っていったい何を決めているのかと文句の一つも言いたくなってしまう。私の関係する建設業でも新潟県では、早着工事の入札が財源が担保されないということで中止になったそうだが、これで不渡りを出して倒産する建設業者が、何社かは出そうだと業界紙には書いてあった。 福田首相の大胆な提案をマスコミはけっこう評価しているが、これくらいの案なら一ヶ月くらい前に提案して、それこそ「万機公論に決すべし」ということで、国会で与野党の議論を充分にしてもらいたかった。
2008年03月29日
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今年も最後になって仲間が一人犠牲になった。工期の厳しい時期にはどうしても出来ると思ってやった無理が、事故に繋がると職人達には分かっているのだが、元請けのゼネコンに言われると無理をしてしまうのだ。付近の海域のにごりがひどくて、警察や海上保安庁の現場検証が進んでいないので、事故の原因はまだわかってい ないとのことだったが、私に言わせると原因は無理をしたからだと思っている。 この案件は親方が被害にあったので労災にはならないと思うのだが、建設業における2007年の労働災害死亡者数が、昨年の死亡者数を約40人下回り、過去最少になる見込みであることが、建設業労働災害防止協会の速報値でわかった。建設業全体の死亡者数は今年2月の実数で456人になっているらしい。 昨年の同時点での498人を42人下回っており、今年の5月にまとまる予定の確定値においても、過去最少だった3年前の死亡者の497人を下回るものと、建設業労働災害防止協会では予想している。これにはからくりがあって工事量が3割以上減少しているのだから、事故にあう総数が少なくなるのは当然である。 しかもある親方の話では、かつては突貫工事といったら割り増しが出たものだが、ところが、今では突貫がかかっても、割り増しも何もないとのことだった。単価ばかりが下がっており、いくら技術の進歩はあるけど、工期は3~4割は短縮してしまったら、無理をするしかなくなっているのが現状とのことだった。事故が多くな ったのは無理して早う造るんだから当たり前の話であともいっていた。 しかも今は昔なら絶対と言っていいほど事故など起こさなかったが、 今は良い職人が事故を起こすそうだ。職人さんというのは、仕事をもらったからには、ええ仕事しようとするものなのだ。それはもう一生懸命によい物を造ろうとするのが本当によい職人さんなのだが、今は3割か5割は余計に働かないと金にならないから、良い職人でも疲れてしまっているので、だから事故を起こすというのだ。 それについては私もあるトビの人から聞いたのだが、阪神淡路の地震のあとに仕事に神戸周辺に行ったのだが、仕事がハードで疲労が溜まってしまい、3mくらいの所から転落したときに、とっさに手を突いてしまい骨折したというのだ。トビの人には転落したときに落ち方というのがあって、手を着くのはまずい落ち方だとい っていた。 そのとび職の人が言うには、体重を手のひらで支えるよりも、身体全体で落ちた方が大きな怪我をしないというのだ。それが分かっているのに疲労状態で本能的に手を突いてしまい骨折したというのだ。本当かどうかは知らないが私の通っていた居酒屋で、そんなことを教えてくれたのが、今回の被害者なのだ。 合掌・・・ wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月28日
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今日も資材屋が来ていうには、来月から鋼材がまた上がるとのことだった。うちに事務所は所長がケチでそのうえ先見の明があって、昨年に単価契約で1年間の鉄筋などの鋼材の値段を決めていたので、今年のような狂乱物価になっても、それほど大きな痛手を被らなかった。(もちろん昨年度末に決めた単価が、よかったのだが ・・・) 給与が増えない一方でガソリン・灯油をはじめ、食料品や石油加工品からさらに値上げが広がるようだと、我々の暮らしに大きな影響が出るのは必至なのだ。私もビール等の酒類が上がるのが一番影響が大きそうだ。それでも声を大にして言いたいのは、便乗値上げが紛れ込むようなことがあってはならないということだ。 この便乗値上げには、企業の社会的責任がまさに問われる。ことになるだろう。 昨秋以降、ビール、チーズ、カレー、しょうゆなどの値上げ予定が次々と発表されているが、これに小麦製品がさっそく4月に再値上げになるというのだ。食品に加えてガス・電気も値上げされるし、石油を原料とした日用品にも及んでおり、値 上げ時期は4月に集中している。我々消費者にとっては、なんとも気が重い春になりそうだ。 第一生命経済研究所の試算によると、今年は「1万3756円」の出費がかさむという結果が今日の新聞に載っていた。電気、ガスも4月から料金が上がるそうだし、総務省が行った1月の家計調査によると、1世帯あたりの消費支出は30万9826円になるそうで、(一体誰が一ヶ月にこんなに使っているのだろう・・・)対前年同月比で3 .6%上昇になるそうだ。やはり石油製品が16%以上高騰しているのだ。 しかも、勤労者世帯の1月の実収入は43万8998円となっており、前年同月比で実質1.4%のマイナスになるそうだ。この総務省の試算を見て驚いたのが、いったい実収入が40万円以上ある家庭の基準は、何処にあるのだろうということだった。そんなことより、昨年の家計は年1万2908円の負担増を強いらたのに、今年の負担は さらに増えて、1万3756円になると予想されているのが、ますます家計のピンチだ。 新聞では、「この1万3756円をどう削るか」を特集していたが、私が行っている項目もこの記事には含まれていた。それは、「坊主頭を見直せ!」というくだりで、ドライヤーの電気料金は、30分で約10円くらいかかるので、子供を丸刈りにして、自分も短髪にすれば、半分の時間で済むというのだ。 「家計を守るのに坊主頭で 、みっともないなんてことはない。」とその記事は締めくくってあった。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月27日
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今日の午前中にトンネル工事を含む検査が3件あって、一応工事の完成が承認された。これから大洲警察署の現地承認を受けて、今月末に通行が可能になる。この工事区間は昨年の1月に契約して、諸手続を終えて実際には、昨年の5月から着手したのだが、実質工期は10ヶ月で総額5億くらいの工事をやり上げたのだ。 この頃の日記には、どうしても仕事のことを書くことが多くなったのだが、この工事も現場監督をする担当者が一人と、現場責任者の私とあと二人の職員で実質はやり上げたのだ。もちろん作業員等は下請けばかりではないし、上司にも要所要所では現場で指導を仰いだのだが、実質は2人もしくは4人で行ったのだ。 しかも途中で大きなトラブルもなく、工程どおり(コンサルが考えた理想工程と大きく変わらずに・・・)工事をやり上げたのだ。当初の契約工程よりは1ヶ月半くらいは工期延期はしたが、これは官の監督員の方が地元調整にしくじり、着手が2ヶ月くらい遅れたせいであり、実質は工期短縮を行っているのだ。 もちろん工期短縮には運も関係しており、トンネル掘削の地質が想定よりもよかったことも原因なのだが、残念なのはそのせいで、請負金が少し減額になってしまったことだ。もっともこれは、仕事をしていないのだから仕方がないことではあるが、やはり昔を知っている上役からは、工事費減少の説明を求められた。 事務方から言わすと今回の工事は、今はやりの低入札ではないので、そこそこの利益率は確保できそうだといっていた。そんなこともあってかホクホク顔で、今日の検査の立会をしていた。我々工事担当でもタイムロスをなるべく作らない努力をして、実行予算より私の資産では、そうとう残すことが出来たのだ。 検査が終わったあと、上司を含めた4名で地元のお世話になった方と、地権者の代表者に挨拶に行ったにだが、地権者の代表者に方は所用で留守だったので、家族の方によろしくお願いして事務所に帰ってきた。午後からも数件(これは小さな工事だが・・・)の検査があるので、それが終わると今日の仕事は終了である。 今日の夜は慰労会ということになっているのだが、今日の検査結果では旨い酒が、タップリと呑めそうだある。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月26日
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今日も日中は天気もよかったので一日中現場を飛び回っていた。さすがに車で300キロ近く走ると、自分で全部運転するわけではないのだが、事務所に帰ってくるとぐったり疲れてしまう。特に今日のように暗くなってから事務所に帰ると、近頃は特にその傾向が強くなってしまいだした。うちの事務所でも退職者とは別にこの時期になると、少しは転勤する人が出てくるのだ。 関連の部署に異動する人もいれば、別の事務所から転勤する人もそう多くはないが、今日内示ということで発表があった。私たち建設業ではどうしても工事の完成時期に転勤(特に技術職はその傾向が強い・・・)になることが多いだが、工事が終わってその替わりの工事が無くなると、すぐに別の部署に飛ばされる場合があるのだ。今年の移動で私の事務所でも、別のセクションでは工事に目鼻が付いた関係で、技術職1名と技能職1名が減員になってしまった。 私のいるセクションでは所長の話によると、来年の工事予定量を確保することを条件に、どうやら減員は免れたみたいだ。もっとも今国会で問題になっている「道路特定財源」の、暫定税率部分が無くなってしまい、公共事業のうちの道路関係の工事量が大きく減ってしまうと、計画工事量の確保など夢のまた夢になってしまうだろう。(ガンバレ、自民党・公明党・・・) 仕事関係の話はここまでにして、明日は大きな工事の検査が2件も入って入り、(これもやっぱり仕事の話になっているのだが・・・)官の検査が済むと慰労会をやろうと計画している。これには普段はシブチンの所長もけっこう乗り気で、下請けの担当者にも案内をすることを認めてくれた。我々が頑張ったおかげで事務方に言わすと、なかなかの利益率が上がったみたいなのだ。 それなら全額事務所持ちで慰労会をと言ったのだが、それもあっさり認めてくれた。(もっともその費用の一部は、我々は毎月の給料から納めている、事務所の親交会費が使われるのだが・・・)それでもこのところにはない大判振る舞いであるのだが、そのうえ今日は工事関係者になんと「金一封」が渡されるそうだ。私にとって「総花」での金一封は15年前のダム工事以来である。 一体いくら入っているのかと事務方に確かめたところ、私の場合工事関係の責任者と言うこともあってか壱万円入っているそうだ。(嫁さんに内緒の小遣いが手に入るのだ・・・)そのうえ本社を含めた全事務所の中でも、このトンネル工事が優良工事として表彰されることになり、その副賞として工事関係者(この場合は技術職だけなのだが・・・)に、商品券をもらうことが出来そうなのだ。 今日はその前祝いと言うことで、この日記を書き終えたら事務所の休養室で、ささやかな飲み会をする予定なのだ。私もポケットマネーを少し出して、若い衆に寿司でも買いに行かせたのだが、彼等ももうすぐ帰ってきそうなので今日の日記はこれまで・・・。
2008年03月25日
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今年度もいよいよ押し迫ってきたのだが、今日も一日現場に行っており内業はどうしても夜になってしまう。昔読んだ「現場監督、七つ道具」の事務所編の中にも、「コーヒーとお菓子」というのがあって、これは残業の必需品だと言うことだった。このコーヒーとお菓子はお客様のためのものではなく、辛くて長い残業の道のりを乗り切るためのものらしい。 その他の事務所編の七つ道具というと、「パソコン、サンスケ(三角スケール)、標準仕様書類、FAX、コピー機、事務用品」となっており、おかしくも何でもないがやはり「コーヒーとおかし」は私も残業をするときには必需品だと思っている。私の事務所の冷蔵庫にもお菓子類が置いてあるが、若い衆はお菓子を頬張りながら図面を書いたり(実際には手書きはしないが・・・)している。 図面と言えば今は全て「CAD」で書いているが、私が本当に現場素を持っていたころは、図面と言えば手書きでテプラを使って丁寧に作るのが普通だった。私はこと図面を作るのは得意で学、生の時は学校のから全国の製図コンクールにおいて、土木製図部門が第3位入賞したことがあるのだ。この時は学校の先生が褒めてくれて、なにか食事を奢ってくれたのを覚えている。 そういえば「現場監督、七つ道具」の現場編のなかに、大工さんの7つ道具に数えられる墨壺が入っていなかったのを思い出した。墨壺と言えばいうまでもなく建物の基準線を出す(墨出をする)ための道具だが、世代交代も進んで、精密な基準線が必要な場合は、レーザーを使った墨出器が台頭しているのだ。それでも私の事務所では墨壺は、その取り扱いやすさと信頼性からまだまだ現役です。 この器具のことをさっそくITで調べてみると、古くはエジプトから使われていて墨壺は木でできており、工芸品である。装飾を施したものが多いと書いてあった。壺に彫られているのは、縁起物の鶴亀(亀はしっぽが長いやつ)と決まっているとなっていました。墨壺と糸と糸車のすべてを一体化したのは古代中国だと考えられているとも書いてあったのだが、さすがに墨と言えば中国である。 日本で最古の建築物である法隆寺に使われている最も古い木材にも、墨壺を使って引いたと思われる墨線の跡があり、この時代から使われていたみたいだ。日本に現存する最も古い墨壺は、なんと正倉院に保管されているものだといわれている。こう考えると我々が使っている道具も、あまり進化をしていないのかと思ってしまう。 もっとも私の場合「コーヒーとお菓子」よりも、仕事が終わった後に飲むビールの方が絶対に旨いと思っているので、出来るだけ「コーヒーとおかし」には手を出さないことにしている。
2008年03月24日
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今日は一日中雨であったのだが、史跡庭園を管理するNPOの、「ボランティア養成講座」に参加していた。昨年までなら講義を受ける立場だったのだが、今年は講師ということで参加者に2時間ほどの講義をしてきた。私が担当してのは、まち歩きを行って地元の歴史等を知ることなど、どちらかといえば「地元学」に属する講義である。 「地元学・地域学は何か?」 いろいろな答え方があるわけなのだが、どちらかといえばわかりにくい講義になりがちである。それでも、今日何人かの人と雨の中町を歩いてみて、人が興味を持つものが多様であること、そのこと自体に魅力があるのだということが、本当によく分かりました。(本などを読んでわかっているつもりだったのだが・・・) 単に、地元の人とヨソ者がまち歩きをして面白いものを見つけたり、住民にインタビューをして地図を作ることが「地元学」だと思われているフシもあるのだが、今日の経験で改めて思ったのは、地元学は「バラバラになった地域住民をつなぎ、行政に丸投げした自治を住民の手に取り戻すこと」と言い切った地元学提唱者の結城氏の言葉である。 今日のまち歩きで参加者が一番興味を持ったのは、城下町松山の交通の起点「札の辻」という所で、藩のお達しを伝える高札場があったところである。その様子はさまさまな書物ににも描かれており、江戸でいえば日本橋といったところなのだ。現場には国交省が造った大きな石製の碑があり、説明文が刻んであるがそれ以外は往時を偲ぶものはあまりないのだ。 今日は雨がシトシト降っていたので、現場での説明はあまりしなかったのだが、参加者に地域を広くつなげることの意義を説いたつもりなのだ。地元をよく知ることがより深く持続可能な社会づくりに向かう、可能性・必然性を示したかったのだが、どれくらい参加者に伝わったのかはあまり自信がない。(あとで書いてもらったアンケートでも読んでみようか・・・) 広域の地元学に取り組む多くの人の報告書をけっこう読んでいるのだが、私のごとき未熟者には文章が難解に過ぎるものが多いのだが、なるほど、今日の参加者の意見というカタチも、地元学の問題提起にはありなのかなと思いました。
2008年03月23日
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数日前に今年退職する人の送別昼食会があったのだが、この人は現場一筋の作業員さん(重機などの機械運転をしてくれる、通称オペレーターさんだったのだが・・・)「定年退職をもうすぐ近くにまで迎えながらも、まだ心と生活費の整理があまりできていない」と言っていた。実は私の事務所も、平成16年の法律の改正によって、65歳までの定年(雇用)延長を段階的に進めることになっているのだが、本来なら今年がその運用に初年度なのだ。 この定年延長の法律の施行日は平成18年4月1日からだが、ただちに65歳までの定年(雇用)延長が義務付けられたわけではなく、段階的に引き上げていくことが認めらたというもので、私の事務所でも今年から技術者と技能者に限り、1年に限っての雇用延長ができるようになっているのだ。つまりこの人も申請さえすれば、来年は今までどおり働くことが出来るのだ。 今までは何処の会社でも定年年齢が60歳だったのが、65歳へと段階的に引き上げられる理由は「公的年金の受給開始年齢が65歳になるため」というのが大きくあるようなのだが、とりあえず今年は年金が支払われないということはないのだ。年金のほうも段階的に60歳支給から65歳支給になっていくのだが、完全に65歳支給になるのはまだまだ向こうである。 60歳で定年になっても、65歳にならないと年金がもらえないということは、5年間もの間収入がまったくないという状況になってしまいます。そこで、必然的に「定年の年齢」も引き上げようということになったわけだが、年金支払いの絡みもあって再雇用と言うことで、今までの給料分くらいを、年金と再雇用の給料である程度の期間払おうと言うのだ。 ちなみに、私の事務所では今年定年退職を迎える人(該当者は一人だけなのだが・・・)で、まだまだ働きたい…という人には、定年延長をする方法が制度上では、「継続雇用」と「再雇用」の2種類あるのだが、今いった年金支給の関係で現在は再雇用しかないのが現実なのだ。「再雇用」や「継続雇用」は労使協定を結べば、会社側は希望者全員を再雇用しないことも可能となっており、私に事務所でも事務方にはどちらの制度も利用できない。 今年定年退職する人は住んでいるところに、少しばかりの田畑を持っているし、お子さんの全員独立して特に多くの費用がいるわけでもないし、奥さんが現役の学校の先生(あと数年は奥さん自身の定年まであるとのことだった・・・)と言うこともあって、再雇用は申請しなかったようである。本来ならこのように余裕のある人が、申請してくれたらと思っている
2008年03月22日
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今日の新聞の四コマ漫画に載っていたのだが、主人公の会社の春闘会場は居酒屋で、労使ともどもグチを言い合って飲んでいるというのがあったが、全国的に今年の春闘も厳しそうである。「余力ある企業は働く人への分配を厚くすることも検討してよい」と、日本経団連の御手洗会長は賃上げを容認する姿勢を示していたが、米国の景気後退や急速な円高の進行、原材料高などから先行きに危機感を強めた企業は、賃上げに慎重な姿勢に転じてしまったのだ。 今年の春闘の(毎年このあたりが決めてくれるのだが・・・)相場形成のリード役であるトヨタ自動車は、ベースアップに相当する賃金改善分を10日ほど前に、昨年度と同額の月に1000円のアップで組合側に回答した。これは3年連続の賃上げとなったが、トヨタ自動車の昨年の業績は、最高益を更新する見込みであり組合側は、1500円を要求していたのだ。 賃上げ回答をして時に会見したトヨタの小澤哲専務は、昨年同様の月に1000円の賃上げにとどめた理由として、急激に進む円高や原油高、米経済の減速を指摘したのだ。そのインタビューでは「先行きに不透明感が強まっている」と述べたてはいたが、さすがに大もうけしているトヨタ自動車は、好業績を反映して年間一時金(ボーナスで対応するとの言葉どおりなのだが・・・)は、253万円の組合の要求に対し満額で回答したのだ。 昨日の日経オンラインでは、今年の3月期の連結経常利益は、5期連続で最高益を更新する見通しだから、労働組合も好調な企業業績を背景に賃上げを要求していたが、よく考えてみると、企業業績の伸びを支えているのは海外市場だから、生み出した付加価値に応じて報酬を考えてみると、国内従業員の労働分配率は上がらなくて当然という記事が紹介されていた。これはある経営者の言葉だそうだが、この経営者は言ったに何を考えているのだろう。 日経オンラインでは「海外市場が稼ぐ利益は、基本的に海外の人々が生み出した付加価値だから、それがなぜ、そのまま国内の従業員の賃上げにつながるのでしょうか」冒頭の社長は疑問を呈したそうだが、組合側や我々労働者は、海外で得た利益を全てを労働者の賃金に回せといっているのではないのだ。海外市場だろうが何処だろうが、会社が得た利益の一部(応分の額)だけは、労働者に還元するべきではないかといっているのだ。 一年度に儲けた利益は、ボーナスという一時金で対応しているというのなら、これからは一切自社株の配当金比率を、年度利益の割合として変えないでもらいたいものだ。今は企業防衛ということで株主配当金を上げる傾向になっているのだろうから、それは即刻中止して株主総会に掛けてもらいたい。株主が逃げたり変ったりてしまっても会社はなんとかなるが、技術やノウハウを持った従業員がいなくなってしまったら、会社はどうしようもなくなりますよ。
2008年03月21日
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昨日からの多忙な一日が続いている。昨日は事務所の机の前に座ったのが、全部でもほんの1時間くらいしかなかったのではないか。深夜に海の現場で作業員に強風時の注意をしてから、船長などと話し合って仕事の段取り換えの指示を行って、事務所に帰えろうとしたときには、もう白々夜が明けかけていた。 どうせ徹夜になったのだから仕方がないと、コンビニでカップラーメンを買って事務所に帰ったのだが、下請けの舗装会社の方から、今日行う予定の仕事の事でファックスが来ていた。仕方がないので下請けの担当者に電話してから、舗装会社のプラントに行って、今日の仕事に使う合材の手配をお願いしておいた。 ここまでで30時間くらいはぶっつづけで起きている(本人は働いていると思っている・・・)のだが、夜に酒は飲んでいるし腹は減っているしで、もうフラフラの状態になっていた。海辺で風に吹かれたうえに雨にも少し濡れたせいで、身体が冷え切ってしまっていたので事務所に帰ると、あわてて風呂に飛び込んだ。 湯船に浸かっているとすっかり気持ちが良くなってしまって、居眠りしていたみたいで朝出勤してきた部下に起こされてしまった。それでも寝ていたのはほんの10分くらいだったのだろう。昨晩のことを部下に報告して後のことを頼んで、買っていたカップラーメンを食って、1時間くらいに仮眠を取ることにした。 本当なら缶ビールの1本も飲みたいところだが、起きたらすぐに仕事が待っていると思うと、今回は我慢することにした。ほんの少し寝て9:00前には事務所に来ていたのだが、この約30分くらいの睡眠は本当に貴重だった。担当者からの現場パトロールの結果をきいたのだが、強風にもかかわらず特に問題はなかったみた いだ。 今日も風はけっこう強いし天気もはっきりしないが、工事の方はどうやら順調に動いているみたいだ。そして、やっとこの時間になって少し余裕が出来たので、二日分の日記を書くことが出来る時間が取れたのだ。工事部の次長も仕事に来ていたので、明日の代休をお願いしたところ、なんとあっさりと了解してくれたのだ。 今日は午後から少し現場を回って、溜まっている書類の整理などのデスクワークを行って、余裕を持って家に帰ろう。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月20日
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昨日は日記を書く隙もないくらい多忙な一日だった。朝から車で走り続けで、家から事務所まで久しぶりに(半年ぶりくらいか・・・)車で来たのだが、普段より1時間前には事務所に来て(朝暗いうちから仕事をするのは、海の仕事をしていた以来だ・・・)それこそ起重機船の段取りを、現地まで出かけて担当者にしておいた。 事務所に帰って朝食用のおにぎりを食って、就業時間に始まる事務所の朝礼に参加すると、現場パトロールに飛び出した。現場パトロールは今年度最後と言うことで、労働基準監督署の職員と合同で行ったのだが、午前中に5件の現場を見回った。最後の現場で基準局の職員と別れて、仲間と昼食を食うことにした 午後からは社内検査を2件行って(こちらは別セクションの完成検査を行うのだが・・・)、役場の検査を1件受けることになっていたので、やはり車で管内を走りとうしになった。その合間に昼食を現場近くの中華料理店で食ったのだが、時間がなかったので一番早くできるメニューを聞いて、その中華弁当で済ませたのだ。 昨日は一日中雨模様だったこともあり、最後の工程に支障がないかを担当者に、車での移動中に確認を取ったりしたので、オチオチ休むことにもならなかった。やはりこの時期に一日雨に降られると工事の進捗に影響が出てきてしまい、検査終了後は事務所で工程のチェックを、各担当者と2時間くらい休みなしで行った。 夜は仲間を乗せて市内の旅館である宴席に参加したのだが、(帰りは当然ジャンボタクシーと代行運転です・・・)宴席が始まった時間が遅かった関係で、お開きになったのが22:00近くになっていた。もっともこの時間は酒を飲んでいたので、厳密には仕事ではないが、関係者の会合での飲食も営業活動等には大切な事で あるのだ。しかも昨日は、関係役員の年度末の慰労という事で、100名近くの参加者があった。 宴会では名刺交換をそうとう数行っていたので、事務所の帰ってからPCで名刺帳をつくっていたら、春の嵐というのとか強風が吹き出したのだ。海の工事の段取りはしているのだが、風が強くなると工事に支障になるので、近くの職員を起こして事務所に来てもらい、運転そしてもらって海の現場に出かけ、作業員に指示をし ておいた。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月19日
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今日は書類提出の宛名書きや工事看板の変更など、県の組織変更による講習会があったのだが、行政が組織変更することによって生じる費用も、馬鹿にならないのにそれが全て業者持ちなどおかしなものだ。請負者の都合で組織変更等を行ったら、その費用も請負者持ちなのだから、行政が勝手に組織変更を行ったのだから、その 費用は行政の方が支払っても良いのではないだろうか。 きょうのあさ4:00過ぎのメールに、私のまちづくりの友人が仕事を辞めて、奥さんと人形劇の一座を立ち上げたと言うことの連絡があった。彼の奥さんは元々ミュージカル俳優の勉強をしており、子供劇場などに参加していたのだが、私に友人はそのような素地は全くなかったのだ。それでも今の仕事を辞めて新しいことに 挑戦するのは、無謀というか楽しみというか、これから少しでも力になれたらと思っている。 今日の昼食は私の事務所の退職者を送る会だったのだが、事務所主催のこのような会は夜に一杯飲みながら行っていたのだが、(今でも有志が行うやつは当然その様にやっている・・・)よる不景気の影響か昨年から担当部署のお食事会に変わってしまった。このことを見ても建設業が、厳しい状態におかれているかが分かるだ ろう。 今年も大童の年度末が近づいてきたが、今年は一昔前の忙しさが私達のセクションだけ起こっている。この3月に挙げる完工高は、1億円をくだらないのだから忙しいのも当たり前だ。明日も4件の検査が入っており、年度末には5千万円は明日の検査で入金が可能だろう。それでも事務方の方は少し少ないと文句を言っている のだ。 今月の25日にはトンネル工事の検査があり、これが終われば私のセクションも大物工事の検査は終了である。今日は新しい工事に必要な作業ヤードの確保に朝から飛び回っていたのだが、地元の協力者のおかげで地権者との話がやっと着いた。本来なら何処かでお祝い会でもするのだが、今回はその余裕もないのが実情である。 さすがに明日は検査が終わるので、現場等で頑張ってくれた作業員さん達と、慰労会を計画しているのだが、明日の夜は事務所に泊まり込んで、あさっての祝日は早朝から仕事になるだろう。どうも今日の深夜から雨になりそうなのだが、ここでの雨は本当に現場泣かせの雨である。(天を恨んでも仕方がないが・・・) wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月18日
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私は普段は休日の午後や夜にはTVを見ないのだが、先週と今週はTVに齧り付いて面白い番組を見ていた。その番組とは、落語家立川談志と漫画家赤塚不二夫の特番が、BSで行われたのだ。落語と漫画を数多く見てきて、私はこの二人は飛び抜けて鬼才だと思っている。この二人の共通点は仲間内から天才だと呼ばれてはいるが、人物的な評価が非常に低いことである。 談志は噺家としての実力はどの評論家も仲間内でも評価は高いが、激情的で直情径行な性格によって数々の過激な争いを起こしており、客に対して二でも敵を作ることも厭わない「暴れん坊」ぶりもあって、毀誉褒貶の激しい人物だといわれている。楽屋ネタや同業者をネタにする噺家は、現在では少なくないが、談志もまた敵味方・先輩後輩関係無く同業者にネタにされる事がある。特に弟子達が言っている談志像を聞くだけで、面白いエピソードがドンドン出てくるのだ。 赤塚不二夫は漫画家としては昔から活躍しているのだが、やはり赤塚不二夫と言ったら初期代表作『おそ松くん』の特にイヤミの「シェー」のポーズにつきるだろう。当時の日本ではこのポーズを知らない人はいないほどの爆発的な人気を巻き起こしたのだが、日本のギャグマンガと言えば赤塚不二夫の右に出る者が以内と言っていいだろう。(専門家もこれには依存はないだろう・・・) このイヤミの「シェー」のポーズは、来日中のビートトルズのジョン・レノンや皇族である皇太子徳仁親王、さらにはゴジラまでが「シェー」をしているのだ。赤塚を日本を代表する漫画家にしたのはちょうど私たちが漫画を見始めた頃からなのだが、子供の頃記念写真を撮るときはふざけて「シェー」のポーズを取る事が「お約束」になっていたくらいだ。 談志はハスキーな声でシニカルがってマイペースに振る舞い、時に有言不実行(六代目円生に「包丁」という落語を習いに行って、噺がうまくできないと円生に自分の変わりにやらせたこともあるのだ・・・)ぶりをはばからないなど、一筋縄ではいかないキャラクターの持ち主なのだが、今では一般的に使われている、「あわわ」や「やだねえ」という言葉を流行らせたりもしているのだ。 弟子達に談志を評価させると、「人格は最低だが芸は最高」というが、「泥棒しろ、ただし、俺の家は駄目だぞ」と弟子に発言したこともあるというのだ。自他共に認める無鉄砲なまでの冗談・悪戯好きであり、洒落か本気かわからぬ行動によるこの種の武勇伝は極めて多いのだ。 一方の赤塚も卓越した笑いのセンスを持つっており、無名だったタモリを見てたちまちタモリの芸を認め、大分県日田市のボウリング場の支配人であったタモリを上京させ芸能界入りに貢献した。そればかりか彼に色々な芸をさせて、それを肴に酒を飲んでいたというのだ。 この二人の特番はふだんはTVをあまり見ない私でも、本当に楽しむことが出来た番組だった。
2008年03月17日
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今日は嫁さんより早く起きて料理を作ることにしていた。今日は時間がかかるがけっこう美味い中華料理を作ることにしている。朝食は昨日の残りご飯を使って、焼飯ときのこ類を使って中華スープを作って家族に食べさせた。料理の材料は昨日のうちに私が、近くのスーパーでほとんど買ってきているのだ。(その買物も料理を作る楽しみでもあるのだが・・・) 昼は皿うどんを作ろうと思っているのだが、さすがに皿うどん独特の細い揚げ麺は市販のものを買ってきたのだが、麺の上にかける餡の材料は、たった今準備し終わったところだ。ここでもウズラの卵などは市販のものを少しは利用させてもらったが、にんじん、たまねぎをはじめ野菜類は私がきざんで下拵えを済ませたのだ。(けっこう手間はかかったが・・・) 夕食は煮豚と鶏肉のチリソース煮の肉の煮物二品を主催に、モヤシ炒めと卵の中華スープを作ろうと思っている。煮豚のほうは朝から作っていた関係で、昼飯には出せる状態になっているので、3割くらいは切ってみた。昨日の夜から、料理の基本になる鶏ガラのスープを準備しているのだが、このスープが余っているので、昼飯にはニンニクの中華スープでも作ろうか。 もっとも全ての行程を私だけが行ったわけではないのだが、午前中には私のマンションの管理組合の理事会があったのだが、私は「修繕委員会」の委員長として、管理組合の理事会に参加したのだが、30分くらい修繕委員会の説明をして家に帰ってきた。その間は嫁さんと子供がコンロの火を見ていたくれたのだが、それ以外は後片付けも私がしているのだ。 嫁さんは午前中は街のほうへ買い物に行ったらしく、私が管理組合の理事会から帰ってきたときは家にいなかった。昼飯時には嫁さんが帰って来るみたいなので、そろそろ昼飯の準備を始めようか。その前に夕食用にご飯を焚く準備をしておこうと思っているので、巨の日記はしこし短めでこれで終了・・・。
2008年03月16日
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古い地図を調べてみるとその生活は、電車や車で簡単に素早くどこにでも移動できる現代人の感覚で見ると、江戸時代では庶民の行動範囲は恐ろしく狭い。古い資料で調べたのだが、移動手段の限られた昔は、隣町に行くにも木戸を通らなければならないようなさまでは、生活圏といえばせめて5km四方が関の山ではなかったかと書いてあった。 江戸時代の書かれたガイドブックの「吉原細見」でも書かれているのだが、日本橋の大店の若旦那連中が江戸中に張り巡らされた堀や川の河岸を利用して、船で隅田川を上り山谷堀にあがって、一服してから大門(おおもん)目指して、日本堤を籠で乗りつけるというようなたいへんな一仕事であったことが、詳しく書かれているのだ。 今回のまち歩きでも実際に歩いてみると45分くらいしかかからなかったが、交通手段の乏しかった昔は移動の手段が基本的に「歩くか船に乗って」というしか方法がなく、ごくごく小さな町の範囲で人々は生活し、喜怒哀楽をともにしていたのだ。今ではご近所付き合いなどという言葉も死語になりつつあるが、江戸時代は本当に小さなコミュニケーションを大切にしていたのが、地図を見たり調べた調べたりすることでわかってくるのだ。 やはり古い地図や案内書のことをITで調べると、どうしても江戸のことが多くなってくるのだが、天下の大都市江戸は地方から参勤交代の折、諸大名と共に多くの人々が入り込んだみたいのなのだ。人夫も労働力として出稼ぎに江戸に入り、そのまま居ついてしまう。それだけ町づくりの働き口があった。さらに伊勢や近江をはじめとした上方商人が出店をつくる。これらの店では国から人を連れてきて、お国言葉を使う男だけの世界をつくっていったようだ。 松山からも品物でけでなく文化も江戸に持ち込まれ、諸国から多くの商人が出入りし「諸国にある草木、江戸になき品はなし」といわれるような刺激的で楽しい町へと、江戸は変貌を遂げていくことが調べてみるとよくわかる。反対に江戸の文化が地方へも流れてくるのだが、それはどうしてもお城を中心にした、武士の目の届くところに限られてしまっている。その位置に私たちが管理している史跡庭園もあるのだ。 江戸の町もそうだが火事や地震などの天災で昔の町は、破壊と再建を繰り返しながら造られていったのだが、古い地図を重ね合わせてみてみると、史跡提案のある町も活力を最大限に発揮しながら政治経済文化の中心として花開いたことがよくわかってくる。たとでば、藩主の菩提寺の前の長屋が、火除け地として取り壊されていたりするのが、年代の違う2枚の地図からわかってくるのだが、その間の時期に大火事があったりしているのだ。
2008年03月15日
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昨日から今度の勉強会の準備を始めたのだが、今回は私も「ボランティア養成講座」ということで、2時間ほどの講義をしなくてはいけなくなった。講義といってもそれほぼ難しいものではなく、まち歩きの基本と地図の読み方を喋るだけなのだが、それでも少しは準備しようとレジュメをA4用紙に3枚程度と古い地図と現在の地図とをつくったのだ。 私の参加している史跡庭園を管理するNPOは、昔の松山のことを勉強したりしているので、古い地図と現在の地図とのことを少し話そうと思っている。色々な地図や案内書を持ってまち並みをそぞろ歩きする行為は、現在の流行でもなんでもなんでもなく、昔からいつの時代でも行われてきた普遍的な営みである。(楽しみ方には違いはあるが・・・) 自分の生活圏は地形も地勢も頭に入っているので地図は必要ないが、いったん知らない町を歩こうとすると、地理不案内だから東西南北の方位や、歴史、町名、めぼしい地点などその町の様子を知る便は、どうしても地図やガイドブック(案内書)に頼らざるをえない。全国各地から人々が流れ込んだ江戸では、携帯可能な区分地図「江戸切絵図」が活用されたのだ。 今回の私に講義資料もその「江戸切絵図」の手法を元に作ってみたのだが、作家の永井荷風は「江戸切絵図」を懐に入れて明治期の東京をゆっくりと歩いたそうだし、江戸の人々の生活ぶりを舞台に多くの時代小説を書かれた山本周五郎や池波正太郎両氏も、「江戸切絵図」を下敷きにその創作の世界を広げているとのことだった。このように古い地図はたくさんの情報と湧き出る想像力の源になって、作家の創作意欲をかき立たせるものらしい。 私も一様は土木の技術屋なので、地図を造ることや図面を読むことなどは、それほど苦にはならない。苦にはならないどころかそれを商売の一部にしていることもあり、資料を作っていてもそれこそどんな講義をしようかと、ワクワクする気持ちのほうが強かった。自分としてはまあまあの講義資料が作れたと思っている。 交通手段の乏しかった昔は移動の手段が、基本的に「歩くか船に乗って」というしか方法がなく、ごくごく小さな町の範囲で人々は生活し、喜怒哀楽をともにしていたのだ。そんなところからまち歩きの面白さを、講義では話していこうと思っている。(乞、御期待・・・)
2008年03月14日
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道路工事などで古い祠や無縁仏などが、工事に支障になる場合があるのだが、私の事務所の道路工事で、拡幅などをしようと旧の道路敷地を掘削すると、「庚申」と刻まれた石が出てきた。これは庚申塚といい、庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことで、塚の上に石塔を建てることから庚申塚・庚申供養塔とも呼ばれている。 この庚申信仰は、中国より伝来した道教の教えにある三尸と呼ぶ霊物が、人間の早死を望んで人間の犯す悪事をその体内で監視して、庚申の日の夜に人間が寝ると、体内からぬけだして天に上り、その人間のやった悪事をすべて、人間の寿命を納める北斗の天帝に告げると言うのが一般的で、三尸が体内からぬけださないように 庚申の夜は寝ないで、ドンチャン騒ぎをみんなでやろうと言うのが庚申講である。 この庚申講を起こした記念にとか、3年18回続けた記念に建立されることが多いのが、庚申塚というわけだが、庚申塚は街道沿いに置かれる場合が多く、塚や塔に道標を彫り付けられたものも多い。これは道祖神など他の路傍の石仏にはあまりみられない機能であり、庚申塚の特色とされているとのことだった。 今、私のセクションで施工している工事箇所にも、庚申塚ではないが馬頭観音の石仏がある。これは観音菩薩の変身の姿だったのだが、日本では「馬頭」という名称からいつしか家畜を救う観音様になり、近世以降では家畜の無病息災の祈願や、馬などが死んだ道端に、馬頭観音を建てるようになったものらしい。 この馬頭観音の石仏もちょうど部落の端に建ってあったので、地権者のお年寄りにその由来を聞いてみると、昔はこの石仏のある位置で馬の乗り換えが行われており、その名残ではないこと言うことだった。供養に用いられている場合は像ではなく、単なる「馬頭観音」の文字を彫っただけの石碑であったりする事が多いそうだ が、道端にある石仏が、きちんと馬頭観音の像になっているのはそういうことなのだろう。 今回の庚申塚の石仏は、仏教式庚申信仰が一般に流布した江戸時代のものだったらしいのだが、この時期は庚申信仰史上、最も多彩かつ盛んな時期だったようだ。それが明治の廃仏稀釈の影響でその庚申信仰も衰えたわけだが、そんなことからこの石仏も、今まで道路の中へ埋もれてしまっていたのだろう。これからの対応だが 、祠でも造って地元の人にお祭りしてもらうことになるだろう。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月13日
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。。コ」ヌッ、ホスユ、ホマォサネク
2008年03月12日
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私のように建設業で飯を食っている者が本当に心配していた、2008年度予算案が2月末に衆議院を通過したことで、道路特定財源の暫定税率をめぐる与野党の攻防が一つの山を越えたことになった。衆議院予算委員会での議論の一つに、道路中期計画に対する「B/C」が焦点であったようだ。私も少しは設計コンサルの仕事 もしたことがあるので、費用対効果の出し方くらいは今でも出来るつもりだ。 もちろん、真に必要な道路は作るべきだが、真に造るべき作るべき道路とはいったいどんな道路だろう。先ほどから国交省などが言っている「B/C≧1」なのだが、これは、公共投資の最適解を示した基準のこと。ベネフィット(B)をコスト(C)で割った数値が1以上であれば作り、1を下回ればやめる。費用対効果を数式で表し たものだ。 ところで、「B/C」とは「費用・便益分析」のことなのだが、公共事業だけでなく色々なプロジェクト効果を評価する手法の一つである。当然のことながら投資効果の評価法には様々なのだが、専門的にはそれらをあげると「私経済的純益計算法、公共経済的純便益計算法、投資採算性計算法、社会指標法、費用・ 便益分析法、便益価分析法、費用・有効度分析法、費用・効果分析法」があるのだ。 道路建設などに使用用途を限定した道路特定財源の存在が、無駄な道路が建設される要因の1つだと言われているが、道路特定財源を一般財源化し社会保障などに回すべきと主張する識者は自民党の中にも少なくないのだが、道路財源をたっぷりと確保したい我々建設業の人間が聞いても、冬柴大臣の言葉には無理があることがど うして分からないのだろう。(少し対応や言葉がかたくなすぎるのでは・・・) この「B/C」には、「事前」と「事後」の考え方があるのだが、事前というのは需要やコストなど完成前の推計を用いた費用対効果で、事後とは文字通り、実際の需要やコストに基づいて計算した費用対効果である。私の知る限りでは事前のB/Cは甘めになりがちなのだ。私が知るところでは事後の「B/C」を1以上にするためには 、事前の「B/C」でいうと3以上で見ていないと騙されると言っていた人が多かった。 この頃は「費用対効果」という言葉がよく使われるが、これは本来的には事業の可否を探る評価法の一つなのだが、使われていることの多くが感覚的に使われてしまっているみたいで、本来の目的を達していないと思ってしまう。それは何故かと私が考えると、費用については貨幣で示されるが、効果に関しては貨幣だけでは示 されないからである。地方の経済を立ちゆかせることなど、本来なら道路を造る事業効果に入れるのか疑問が残るのだ。(行政は当然それも入れたいのだろうが・・・) こんな事を日記には書いてはいるが、どうでも良いから道路財源について早く結論を出して、工事を早く出してくれるのが我々にとっては一番うれしいのだ。今の政府案で一年の延長でよいから認めて、それからゆっくりと議論して貰いたいものだ。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月11日
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土曜日に文化財の保護について、松山城の改修にも行った大工の棟梁と少し話したのだが、私が管理に参加している史跡庭園の茶室も、その棟梁が修復に参加してくれていたのだ。その様なわけでブラッと来てくれたので、庭園のことや城普請のことなどお茶を飲みながら色々な話を聞かせてくれた。軽トラで来ていなかったらお 酒でも召し上がって貰って、もっと面白い話をして貰いたかった。 昔は頭領と言えば、組織や仕事を束ねる中心人物のことであったのだが、棟と梁という木造の建物において、重要な構造を譬えにもちいた言葉を使って一番大事な仕事をする人のことをさしていたらしい。職人世界で使われるようになる前の昔では、武士や僧侶の社会の筆頭格を指すことが多かったのだ。例を挙げるとしたら武 士の世界では、将軍職と言ったら源氏の棟梁の事をさすそうである。 現代社会ではどうしても職人の大工・石工の元締めや、現場監督や現場代理人などを指すことが多くなって、どうしても尊称としてとして扱われる事が多くなったが、単なる土木工事現場の現場監督などが、棟梁と言われることはない。今の建築物では現場の棟梁は、技術的な監督は要求されず労務マネージャー的な役割に過ぎ なくなっており、鉋や鋸・鑿が使えない新生代の現場代表者が増えているのだ。 今回改修された松山城は、加藤嘉明により1627年に25年の歳月をかけて完成されたそうなのですが、その後何度も落雷や火災によってにより消失しました。そして今から150年前の江戸末期に本格的に本丸が再建されたのだが、その150年前に再建されたお城を、二億七千万円の多額の費用をかけて今回、統領をはじ め多くの職人達のよって改修工事したわけだが、完了するまで二年かかったそうです。 その時にはTVでもニュースになった150年前再建されたときの、大工さんの落書きを発見した話は何時聞いても物を造る者にとって面白い話でした。大工さんだけにしか書けないところで、改修工事でもないと発見されないところだそうです。柱に当時の上司の似顔絵を書いていたそうで、大工の遊び心が伺えたと言ってい ました。 その遊び心は良い物を造るためには、絶対に必要なことだと自分が工事に携わっているので、私にはよく分かっているつもりです。最後にそ頭領が“改修するということは悪いところを直すのではなく、当時の大工やその他の人々のワザと想いを発見することなんです”と言っていた言葉が、印象的でした。今度も少し仕事をお 願いしたのだが、話を聞いていてこれなら良い仕事をしてくれそうだと思った。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月10日
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昨日は午前中に美術館へ行って芸術鑑賞を行ったのだが、午後からはスポーツ観戦と洒落込んだ。昨日が開幕だったサッカーのJ2は、私の応援する地元「愛媛FC」が新参者の「ロアッソ熊本」を予定どおり破って、一昨年に続きて地元開幕戦の勝利した。(昨期はアウェーの開幕戦に敗れて2連敗をしてしまったのだが・・・)私はスタジアムに応援に行ったのだが、勝ったとは言えほめられた試合内容ではなかった。選手の入れ替わりの激しい「愛媛FC」なので、最初のうちは調子が出ない試合が続くのは仕方がないのだ。 試合の前半では最初にペースをつかんだのは、今日がJリーグデビューとなった「ロアッソ熊本」だったが、前半の10分までに2本も惜しいシュートを放たれてしまったのだ。それに対して「愛媛FC」はミスが多く、なかなかチャンスを作れずに前半はスコアレスで終えた。後半は一転して「愛媛FC」が主導権を握り左サイドからチャンスを作って、後半9分にエースの田中選手が待望の先制点を奪うと、後半18分には青野選手が追加点を奪い、J2新参者の「ロアッソ熊本」を突き放したのだ。なんとか追いつきたい「ロアッソ熊本」は35分に高橋選手のゴールで1点返すが、試合はこのまま「愛媛FC」が逃げ切った。 スタジアムには友達に連れて行ってもらっていたので、行きしに買っておいたウィスキーのポケット瓶を飲みながら観戦したのだが、試合内容はどうあれ勝ったのは良かった。試合後、望月監督は「厳しい試合になると思っていたが、勝ててほっとしている。2点取った後は運動量が落ちたのがもったいなかった」と語っていたが、新参チームに苦戦するようでは目標の6位以内もあやしい限りだ。スタジアムには5122人の観客が応援していたそうだが、ボランティアのスタッフも慣れてきたのか、大きな混乱はなかったようだ。 家に帰って風呂に入ると、試合中に飲んだ酒も醒めてきたので、晩酌をしながらボクシングの世界タイトル戦をTV観戦した。前回の亀田(弟)選手に勝った内藤チャンピオンが、最強といわれる全チャンピオンと戦ったのだが、私の予想通り三者三様のドローで防衛した。今回が4度目の試合なので作戦は出来ているらしく、挑戦者が得意な接近戦を避けフットワークを使う戦略だったみたいだ。距離を取って巧く左右に身体を動かしながら、ロングフックなどをうつ作戦が中盤以降攻勢点を稼ぐのに役立った。挑戦者は変則タイプの内藤をとらえきることができず内藤が攻め込む場面が増えたのが大きかった。試合後、内藤選手は「作戦勝ちかな」と笑顔で振り返っていたが、実力ではやはり前チャンピオンの方があるみたいだった。 今回も試合が9回に荒れたのだが、内藤選手が挑戦者ポンサクレック選手にクリンチでのもみ合いから“左上手投げ”でリングにたたきつけられたのだ。今回は減点の対象にはならなかったが、あわや大事故になりかねない反則行為が、今回も起こってしまったのは、なかなか面白い試合をしていたのに残念であった。昨年10月の亀田大毅戦と同じような危険な行為に、会場の観客から大ブーイングが巻き起こったのは仕方がないだろう。次は亀田(兄)選手とのタイトルマッチが楽しみなのだが、亀田(兄)選手にはポンサクレック選手と戦ってから、内藤チャンピオンに挑戦してもらいたいものだ。(実力を見せてみろ、亀田興起・・・) 今日の午後は、女子マラソンの北京五輪の最終代表選考会を兼ねた名古屋国際女子マラソンがあったのだが、この大会は高橋選手の動向が気になった大会だった。名古屋市の瑞穂陸上競技場を発着点とする42.195キロで行われたのだが、マラソン初挑戦の中村友梨香選手が2時間25分51秒で優勝したのだ。注目の高橋尚子選手は序盤から大幅に遅れ出してしまい、2時間44分18秒で27位に終わったのだ。これで高橋選手が、北京五輪の女子マラソン代表になるのはまず無理だろう。
2008年03月09日
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今日は午前中に美術館に出かけ、午後からJ2のオープニングゲームを見る計画にしていたのだが、現在松山市の県立武術館では「プラハ国立美術館展」が行われているのだが、このプラハ国立美術館はチェコの首都にあり、特に16世紀から18世紀のルネサンスからバロック絵画を数多く所蔵していることで知られているのだ。今回は、この美術館が所蔵する作品の中から、フランドル美術の黄金期と呼ばれる時代の作品を中心に展示されているのだ。 午前中に美術館に行ったのだが、天気予良かったせいでけっこう多くの人が来ていた。今回の美術展は美術愛好家でもあった皇帝のルドルフ二世のコレクションが主であるということだったが、その彼のもとで花開いたのがフランドルの画家たちなのだ。因みにフランドル地方は、ベルギー北部にあたる地域のことで、この当時はオランダやベルギーではなく、スペイン系のハプスブルグ家の領地で、カトリックの影響が強い地域だったそうだ。 フランドル美術の黄金期と呼ばれる時代には、ルーベンスとブリューゲルという二大潮流があったわけだが、ルーベンスはバロック芸術を代表する画家の一人で、躍動感溢れるダイナミックな作風が特徴だそうだ。王の画家にして画家の王と呼ばれており、多くの王族・皇族にその名声を轟かせたバロック期を代表する画家です。「フランダースの犬」において主人公のネロが見たがっていた絵画の作者として有名な画家で、ネロが愛犬パトリシュと最後の祈りを捧げていた、アントワープ大聖堂のマリアの絵もルーベンスの作品なのだ。 今回の美術展でも「ルーベンスの世界」と称して、神話の世界やキリスト教(特にカトリック系)の題材を基にした作品が多く展示されていた。ルーベンスの絵画は、動きの多い劇的な構図で描かれてはいるが、人物の激しい身振りを丹念に華麗な色彩で書かれている。女神像などに見られる豊満な裸体表現など、バロック絵画の特色が、十二分に発揮されたものが多いのだが、大規模な工房を構え多くの弟子たちを動員して、大量の注文制作をこなして、精力的に作品を制作した関係で、模写とか複製が多くなっているのが残念であった。 一方、農民画で一世を風靡したピーテル・ブリューゲルの子孫が形作る「ブリューゲル・ファミリー」がいるわけだが、彼ら親子・兄弟は田園の情景と共に、細密な描写による静物画の秀作を数多く残しているのだ。私がお勧めなのは、ブリューゲル一派の冬景色の絵やバベルの塔の絵であるが、今回も雪景色の中の「東方三博士の礼拝」や「鳥罠のある風景」そして、「バベルの塔」があり、私的にはもう大満足の美術展だったのだ。(それだから前売りで1000円も出して、入場券を買ったのだが・・・) それにしても、オランダ・フランドル絵画は昔から好きで、(やはりフランダースの犬の影響があるのだろうが・・・)何度も見ているのだが、今回も会場にあった画家達の系図などを見ても、作品の画家の名前がさっぱり覚えられない。親子や孫のまで同じ名前を名乗るのだから余計に混乱してしまう。合同で描いた作品も数多くあるのだが、それでも彼らの描く田舎の光景、ヴァニタス絵画、神話や宗教画に対する興味は尽きない。今回の作品も全国の会場で展覧されたわけだが、松山が最後の美術展になるそうだ。 最後に、ゆっくり鑑賞していたらけっこう時間がかかってしまい、サッカー場に行く時間になってしまっていたので、昼飯を食う時間がなかった。
2008年03月08日
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私がよく見ているITのなかに「日経オンライン」があるのだが、今日読んだ記事の中でそ面白かったのは「プリンセス・オブ・ウェールズ」のことだった。真っ直ぐ訳せば、「ウェールズの王女様たち」となるのだが、真っ先に思い出されるのが現チャールス皇太子の妃だったダイアナ妃のことだろう。彼女は離婚後も、この英国王室の称号(本当は違うのだが・・・)を使い続けていたのだ。最初に驚かされることだが、英国の王室関係の書物には「プリンセス・オブウェールズ」という項目がどこにもないのだということだ。それでも、連綿とプリンセスたちは9人もいて英国王室の世代を継いできたというのだ。 つぎにITで「プリンセス・オブ・ウェールズ」を調べてみると、バラの苗のことが出てくるのだ。このバラは故ダイアナ元英国皇太子妃を記念した大輪四季咲種で、1999年にアメリカで発表された新種のバラだが、ダイアナ元妃の暖かい人柄、気品あふれる美貌が見事に表現された美しいバラだとかいてあった。ダイアナ元妃の生前の慈善事業への熱意を生かすために、英国のダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ記念基金との協力により、売上金の一部が基金の活動に活用されるとも書いてあった。 イングランドの王朝史は複雑怪奇で、簡単には要約できないが、ダイアナ元妃は文字どおり「プリンセス・オブ・ウェールズ」の職責を文字通り果たした女性だったようだ。英国ウェールズ州をを訪れたダイアナ元妃はウェールズ語で挨拶をしたのだ。そんなプリンスは、それまでに誰ひとりいなったのだが、それだけでウェールズ州でのダイアナ元妃の人気は、いきなり沸騰したという。 もう1つダイアナ妃の革新性をものとして、チャールズ皇太子と結婚するとき、カンタベリー大司教の言葉を繰り返して結婚に誓いを立てるそうだが、その中から「夫に従順に従い」という結婚の誓いの伝統的な文言の1節を、削除させたそうだ。 さて、ダイアナ元妃の夫であるチャールズ皇太子は、当然ながら「プリンス・オブ・ウェールズ」である訳だが、この名前だ私が一番に連想したのは「紅茶」のことである。私は事務所で内業をしているときは、コーヒーよりも紅茶を飲むことが多いのだ。紅茶の銘柄の由来は、20世紀初めにイギリス国王であるジョージ5世の長男エドワードが、皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)時代に、パーソナルブレンドとして、紅茶メーカーのトワイニング社にに作らせたからだといわれているのだが、ランの花を思わせる独特の香りを特徴としており、その香りと味から「紅茶のコニャック」とも呼ばれている。(私の好きな銘柄の一つだ・・・) 今度はITで調べてみると、英国の旗艦たる戦艦の名前であることがわかった。(第二次世界大戦時に日本軍がマレー沖で、轟沈させたことは知っていたのだが・・・)この戦艦は大英帝国のチャーチル首相のお気に入りであり、就役直後は「世界最強」と彼に言わせた戦艦であったが、まだ十分慣熟訓練が出来ていない中、第二次世界大戦に投入されることになったのだ。充分な装備を持ち万全の準備を行っていた「行動中」の戦艦が、航空機の攻撃だけで撃沈されたマレー沖海戦で、対空砲多数を装備した新式戦艦でも、航空機の攻撃には勝てない事が明らかになり、戦術的に大きな転機になったいわくつきの戦艦なのである。 このあとも新しい「プリンス・オブ・ウェールズ」として、2012年に英国の航空母艦として復活するという事など、ITを利用した連想ゲームはまだまだ続くのだが、今日のところはここまでにしておこうか。(これだからITは手放せませんな・・・)
2008年03月07日
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弁護士の資格がないのに建物の立ち退き等を斡旋していた業者が、警視庁組織犯罪対策4課に逮捕されたそうだが、新居浜市でも公共工事の補償物件に架空入居者を入れていた問題で、暴力団関係者と不動産業者が逮捕されている。私がこのような「地上げ屋」などのことを知ったのは、もう20年くらい前のことだ。 私はこの「地上げ屋」類のことをまちづくりのWSなどでは、まちつづくりの手法の反対のことを行うことが多いことから、「まちつぶし」とか「まちこわし」などと名付けていたのだが、彼等のやり方は弁護士資格がないにもかかわらず、テナントの立ち退き交渉を行ったりするじちなど、日常茶飯事のことだった。 新聞情報によるとこの容疑者は、地上げを巡る嫌がらせを行ったことで、大阪府警に逮捕されているらしい。その時は立ち退きに応じない入居者に、右翼の街宣車を回したり、ドーベルマンを放したりしたらしい。今回逮捕されたのビルの立ち退き交渉でも、入れ墨を入れた人間に、それが分かるような服を着せて近くを歩かせ るなど、そうとう威圧行為をしていたと、ITの情報システムに載っていた。 私が知る限りではバブル経済の崩壊とともに、地上げ屋は表舞台から姿を消したと思っていたのだが、(事実その時期から東京等の都会に行くことが無くなったので、その手の情報に疎くなったのが確かだが・・・)どうやら都会では10年くらい前から、その地上げ屋が再び息を吹き返していたらしいのだ。聞いたところによ ると2000年問題が出てきた時点くらいから、少しzずつ復活し始めていたようだ。 その要因の1つは不動産ファンドの急増で、バブル崩壊後に怒った地価下落で、割安になった不動産を購入する海外のファンドが増え始めたわけだが、その後、国内系ファンドも登場し、雨後の竹の子のように増えたファンドがオフィスビルやマンションを買いあさったらしい。その中で問題にある物件に「地上げ屋」が絡んで きたのだろう。 しかも小泉内閣の規制緩和で、動き出した東京の不動産市場に、大阪を地盤にしてきたこれらの地上げ屋が現れ始めたのは、大きな稼ぎになるビジネスチャンスを、上手に嗅ぎ取ったからだろう。 このところの不動産投資などの旺盛な需要を満たすため、不動産開発業者は競うように物件を建築したのだろう。 その結果、用地価格や物件価格は高騰したわけだが、不動産業者としては取得費用を抑えるため、入居者のいる物件を安価に購入し、専門業者を使って立ち退かせるデベロッパーが相次いで出たというわけだ。私が心配するのはバブルの時に都会規制が厳しくなったとたん、地方の土地にそれらの業者がたかってきたのだ。 こうなるとせっかく私たちが地方で、地道にまちづくりなどをやってきたことが、無駄になってきてしまうので、今から危惧しているのだ。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月06日
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昨日に桜の開花予想がでていたのだが、今年は2月の気温が低かったため、観測49地点のうち西日本を中心に12地点で平年より遅くなるとなっていた。昨年は3月23日に開花した松山は、平年より4日遅い31日を予想となっていた。今年最も早いのは、静岡、高知、大分の26日だそうだが、この時期になってくると桜の花よりスギ花粉である。 日本人の約2割くらいが花粉症だそうだが、私もあまり酷くはないのだがやはりこの時期になると花粉症の症状が出てくる。昨日は天気が良い上に風も強かったので、現場に行くとついに花粉の飛散が確認できた。もちろんマスクをしていたのだが、現場近くの杉山で杉の枝を軽く揺すると、蜘蛛の子を蹴散らすように黄色い微粒子が飛んでいくのが見えたのだ。 週間天気予報によると今週半ばまでは平年並みか寒いものの、その後は次第に気温が上昇し暖かくなってくるそうなので、気温の上昇に伴い、花粉の飛散量も増えてくるのだろう。工事の追い込みにかかってくるこの時期は、晴天が続いてもらわないと困るのだが、こと花粉症と松山市の石手川ダムの貯水量のことを考えると、春雨の少しは降ってもらいたい。 これからは天気が良い日は温度も上がるので花粉症のほうは、厳重なる花粉症対策を行った方がよいだろうが、ITの花粉情報は頻繁に見ることにしている。花粉情報といえば環境省が花粉症に関する調査研究の一環として、平成16年度から「NPO花粉情報協会」に委託し、花粉飛散予測に関する調査研究を行っているのだ。それによると平成20年春の花粉総飛散量等の予測は、昨年春に比較すると西日本はほぼ昨年並みと予測されていた。 今週の松山地方の花粉情報を見てみると、これからずっと「非常に多い」が一週間続いているのだが、これは天気が続くと思ってよいのだろう。今日も現場で一日過ごすと、うちに帰ってすぐに風呂に入り最初の頭を洗うことにしているのだが、これが4月の花のシーズンが終るまで続くのだろう。(毎年なのでもう慣れっこではあるが・・・) もっとも件sつ業は年度末のこの時期が一番といっていいほど忙しく(昔ほどではなく寝る時間が取れているので・・・)4月の花見時期になるとひと心地つくわけだが、今年もトンネルの完成検査を控え今日も事務所泊まりである。「あと、10日・・・」、「あと、10日・・・」と思って頑張るわけだが、このところの公共事業の減少は生半端なものではなく、来年はまじでこの状態が続いているのか不安である。(今まで何の間っては来ているのだが・・・)
2008年03月05日
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今日の昼休みのTVニュースで聞いたのだが、南極海を航行中の調査捕鯨船団の母船「日新丸」が、公海上で米環境保護団体「シー・シェパード」の抗議船から薬品入りの瓶などを投げつけられ3人がけがをしたそうだ。事態を重く見た海上保安庁は、威力業務妨害と傷害容疑で捜査に着手したそうだ。日本の調査捕鯨に対する妨 害活動で、海保が捜査を行うのはこれが初めてだが、遅すぎる対応だ。 私たちが子供の頃は小学校の給食で、鯨肉の「立田揚げ」がよく出てきて食べたものだが、日本人が鯨肉を食べるのは縄文時代以前を含む、旧石器時代の貝塚や、弥生時代の遺跡など古くから出土例があるのだ。狩猟して得た鯨肉かどうかは諸説があるのだが、骨を釣針に使用していることも遺跡から発見されている。 日本では仏教が盛んになってくる時代から宗教上の理由などで、陸の獣肉が忌避されたり、公式には禁止される時期が歴史上で度々あったが、鯨肉は欧米の場合と同じく「魚」として、日本各地で食用にされていたみたいだ。(もっともイノシシなどの獣肉も「薬食い」と称して、冬場には鍋にして食べられていたみたいだが・ ・・) 私も知らなかったのだが鯨の肉にも、野生生物を食用とする多くの場合と同じように旬があり、同じ種類でも季節によって味わいが異なる場合があるそうだ。今回調査捕鯨を行っている南極海のヒゲクジラ類については、採餌海域である南極海に回遊してきて間もない時期には痩せて脂肪の乗りが少なく、長期間滞在するうちに 脂肪が豊富になるらしいのだ。(今調査捕鯨をしている鯨は旬とのことだった・・・) TVのニュースによると調査捕鯨母船の日新丸は、米環境保護団体「シー・シェパード」の抗議船から約1時間にわたって異臭を発する酪酸入りの瓶や白い粉が入った袋計100個以上を投げ込まれる妨害を受けたそうだ。その際、薬物の飛沫が乗船していた海上保安庁の保安官2人と、乗組員1人の目に入るなどして軽いけが をしたらしく、海上での事件の捜査権を持つ海上保安官が妨害を現認しているうえに、保安官自身が負傷していることから、今回は本格的な捜査に乗り出すことにしたようだ。 こいつらのやっている行為は理由はどうあれ、道荒海賊行為に違いないので抗議するくらいでは生やさしすぎる。ここ事に詳しい横浜市長の中田氏が言っていたのだが、この問題の根本には黄色人種に対する、人種差別もあるそうだ。水産庁等が外務省を通じて、抗議船の船籍国であるオランダと、母港を提供している豪州の両政 府に強く抗議を申し入れたそうだが、一向に犯人を捕まえようともしてないのだ。 これが鯨の保護でなく海賊行為が目的で行っていたら、公法上なら撃ち殺されても文句の言えない行為なのだ。この講義団体などは国内のエセ同和団体と遜色の内のだから、警察関係(ここでは海上保安庁・・・)は、毅然とした態度を取って貰いたい。殴り込みをかけてきたなら、叩きつぶすくらいの気概が欲しいものだ。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月04日
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今日のニュースで会社の財務を調査する、新日本監査法人に所属していた30代の公認会計士が、会計監査を通じて知った顧客企業の情報を基に、その会社の2社の株式を売買して儲けたとして、証券取引等監視委員会が、インサイダー取引容疑で調査していることが放送されていた。公認会計士は財務情報など職務を通じて入手 した非公表情報を基に株取引を行なったとして違法性を認めめているらしい。 公認会計士を巡っての違法行為と言えば、担当会社の粉飾決算に加担して、有価証券報告書の虚偽記載に問われた例などがあるが、インサイダー取引容疑は私も初めて聞いたのだが、考えると監査したとたんに会社の財務内容が分かるので、インサイダー取引をしようと思うと、簡単に出来そうな気がする。知人女性の口座を使 って、株の売買したことも名義をごまかすとは、まったく言語道断の話である。 このところ株価が思わしくないのは、外人投資家が売り越しているからだそうだが、その分国内の投資家が株等を買ってくれないのは、こんな風に旨くやる人間が多いことを庶民が知っているからだろう。このことで新日本監査法人の理事長が、肩を落としながら会見したのだが、その会見の冒頭で「市場関係者に誠に申し訳な く、心からおわびしたい」と謝罪したが、責任を取って辞任する考えはないみたいだ。 少し前にも新規上場企業の株価下落を防ぐため、株価を操作したとして証券会社元トップらが逮捕されたのだが、公正さが命の投資の場で許されるべきではない“イカサマ”が、行われたに等しい行為だ。私の死んだ親父が持っていた株を引き継いではいるが、このようなことが横行するなら、投資のことを考え直さなくてはなら ない。 もっとも私の場合は、キャピタルゲインのことは少しも考えていなくて、インカムゲインだけで充分と思っているので、あまり株価の変動には興味がないのが事実なのだ。証券会社は投資家と株式市場の橋渡しをする役目なのだから、証券会社自らが株価操作をするのでは、投資家は恐ろしくて株式投資など行えなくなってしま う。今回の事件は業界全体への警告と受け止めるべきだろう。(政治家も含めて・・・) 低迷する現在の株式市場を活性化するための課題は、新興国の外資を呼び込むと同時に、預貯金などに回っている千四百兆円ともいわれる個人資産の一部を、株式などの投資部門に誘導することだといわれているが、株取引をやっていた私たち庶民は、バブル崩壊時に大口顧客には補填をしていた投資会社の、庶民をないがしろ にする汚い行いを、けっして忘れてはいないのだ。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2008年03月03日
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今日の新聞で「伊予時に鈴に音が響くシーズン到来」と載っていたが、今年はうるう年なので逆打ちが増えるとのことだった。これは山道・石段ありの霊場を、廻る事を打って廻ると言う事からきているのだ。今はお寺(札所)に訪れた証拠に奉加帳に署名・押印をしてもらうのが主だが、昔は木の札をお寺に打つつけて証拠にしていた名残なのだ。そんなことから四国八十八箇所を「お札所」と言ったり、「順打ち」とか「逆打ち」と言っているのだ。 一番から順番にに打って廻る事を「順打ち」(始まりはどうしても1番からでなくてもよいのだが・・・・)、88番から逆に打って廻る事を「逆打ち」(これも同様に88番から始める必要はないのだが・・・)と言うのだ。つまり、お寺の順番どうり回る方法と、順番を逆さにまわる方法があるということなのだ。逆打ちは4年に一回のうるう年に多く見られると言うのだ。 日本各地にある他の巡礼地と異なり、四国八十八カ所を巡ることを特に遍路と言い、地元の人々は巡礼者をお遍路さん(おへんどさんとも言うこちもある・・・)と呼んでいる。八十八ヵ所を通し打ちをすると、巡礼した全長は1200kmから1400km程だが、自動車を利用すると打戻りと呼ばれる来た道をそのまま戻るルートや、遠回りのルートが多いので徒歩より距離的には増える傾向にある。今日の新聞のニュースになったのは、バスを使っての巡礼が始まったのだ。 私が聞いたところによると、今一度に四国八十八箇所を参るとなると、観光バスや車を利用する場合は10日前後、徒歩で巡ると40日前後かかると言われている。この遍路は順番どおり打たなければならないわけではなく、各人の居住地や都合により、移動手段や日程行程などさまざまで廻って良いのだが、1度の旅で八十八ヵ所のすべてを回ることを「通し打ち」と言い、何回かに分けて巡るのを「区切り打ち」(近頃では「一国参り」などがあるらし・・・)というのだ。また、順番どおり回るのを「順打ち」、逆に回るのを「逆打ち」と呼ばれている。 うるう年には逆打ちをする遍路が平年に較べ多いとのだが、これは閏年に逆打ちを行うと倍の御利益があるともいわれ、また、お大師さん(弘法大師)とすれ違えるとも言い伝えがあるからなのだ。今年はバス会社でも、88番札所から「逆打ち」をするツアーも作られたとのことだった。(大体バスツアーだけで年間3万人くらいの参加者があるそうだ・・・) 私が参加しているウォーキンググループにも、お遍路をもてなすお接待をしている人もけっこう多くいるのだ。私の参加しているウォーキンググループでも、松山市の遍路道の全行程ではないが、いくつかの区間において、ハイキングも兼ねたウォークガイドも出ている。私も今日は「寒桜ウォーク」と言う事で、松山市にある遍路道の一部を歩いたのだが、少し寒かったが天気も良くて最高のウォーキング日和だった。(最後は石手寺まで歩いたのだが・・・) 今日のウォーキングは地元新聞で紹介されたり、JRが後援になってくれたりしてくれているので、参加者が50名以上いたそうで盛会であった。私もたタイムキーパーとして参加したのだが、さすがに50名以上の集団が町を歩くと、けっこう大変であった。
2008年03月02日
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私がITでよく読んでいる日経オンラインの昨日に記事に、霊柩車の輿を造る棟梁の話が載っていたのだが、霊柩車は大正11年の大隈重信の国民葬で、トラックの荷台に輿を載せたのがはじまりと言われている。この国民葬に端を発し、それまでは天秤棒の要領で早桶と呼ばれる棺を、肩に担いでいた方式から、車を使って運ぶ習慣が出来あがって、霊柩車が誕生したらしい。それがこんにちまで続く野辺送りの、新しいかたちになったというのだ。 私の好きな落語に出てくる昔の弔いのシーンといったら『らくだ』が一番有名だろう。特に私が好きなのは五代目の立川談志の「らくだ」は絶品だと思っている。噺の中でらくだの馬さんの棺は、ガタのきた菜づけの樽にあまった藁縄をくくりつけ、天秤棒を使ってくずやとばくち打ちが火屋まで運ぶのだが、高貴の御方の輿はそうではなかったらしく、天皇の葬儀を語るうえで忘れてはいけないのが、大葬で葱華輦を担いだとされている「八瀬童子」の存在だ。 京都から大原に向かう山間の小盆地にある八瀬郷の住民は「鬼の子孫」と言い伝えられ、室町時代以降歴代天皇の棺を担ぐ役割を担い、免税などの特権が与えられていたのだ。棺を担ぐため大勢で宮中に入ることから、穢れを知らない子供であるということで、「童子」と言われていたらしい。これは、延元元年に後醍醐天皇が、足利尊氏に追われて比叡山に逃れたとき、御輿に天皇を乗せて山頂まで担いだのが八瀬童子の先祖で、それ以来八瀬童子は天皇の駕輿丁(輿を担ぐ人)を務めてきたが、昭和天皇崩御のさいは棺の移動には自動車が使われたのだ。 私も興味が出てきてITで調べてみたのだが、民法上の規定では「人間」は死を境に「物」に変るので、遺体を輸送する霊柩運は、貨物自動車(トラック)の仲間と位置づけられているというのだ。法的(役人の考えそうなことだが・・・)にはそうかもしれないが、遺体を単なる「物」と考えるのには無理があるため、いかに人間としての尊厳を損なわず、遺体を搬送する役割を果たせるかに最大限の配慮を払っていると霊柩車協会のHPに載っていた。 霊柩車といえば今では、御輿を乗せたような宮型霊柩車がおなじみだが、そのルーツはそれこそ高貴のお方の乗物である「輿」というものがルーツだそうだ。唐揚破風の屋根を持つ輿に棺を納めて、御輿のように担いで運んだ事から始まっているのだが、明治時代になると、輿を大八車に乗せた「棺車」が出てきて、より移動しやすくなったみたいだ。さらに東京・大阪・名古屋・金沢などの大都市では、火葬場の集約や都市化などから、より長い距離を移動する必要が出てきたため、大正末期に輿を車に乗せたような宮型霊級車の原型が誕生したそうだ。 現在の霊柩車は、樹齢300年から400年を経た木曾檜が使われているとのことだったが、それも直径がおよそ二尺五寸(約80センチ)ほどの、大人でも抱えられないほどに育った檜が必要だということだっただ。その檜も仕入れてから丸々二年間は寝かせ、水分量を調整してから初めて部材として使用されるらしい。輿は檜の材質をそのまま見せた白木造りになっているのが特徴だが、霊柩車一台に使う檜だけで仕入値は800万円をくだらないというのだ。 この高価な木曾檜を使って、職人(棟梁)が一人で霊柩車を造るそうだが、そのための技術は大変なものらしい。宮大工に匹敵する技術が必要であるのに、あまり知られていないのはやはり絶対数が少ないからののだろう。私も技術屋(専門は土木なのだが・・・)なので、多くの技術を助けてくれているこのような技能のことを、守っていくことが大切だと思っている。
2008年03月01日
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