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卑弥呼のお墓を探す為に金属探知機を研究していて、基礎的な事は少し分かってきたが、愛天堂やAMAZONの金属探知機(安い物)は回路が単純で性能が低く、いつかはちゃんとした実用的な金属探知機を買って、簡単な(基本原理的な)物と比較して、どうすれば感度が高い物ができるか研究したいと思っていたら、僕のお小遣いでも買える安いジャンクがヤフオクで売っていた。こんなの。送料込みで880円ならば安い。届いた金属探知機を試してみたら、LEDとブザーが反応しっぱなし。と言うことはある程度原因と修理方法が想像できるなと考えて分解してみた。LEDとブザーが反応しっぱなしだと言うことは、少なくとも電源系統は正常で、LEDとブザーを鳴らす低周波部分は動作しているので、悪いのは、高周波部分つまり発振回路、或いはインダクタンスや発生した電波の検出回路に限定されるからである。中はこんな感じ。分解して故障の原因が想像できた。あちこちに白い粉が吹いている。これって海水に水没していない?そう、金属探知機って砂浜でコインを探したりするのに使うので、子供が使っているうちに海の中に落としてしまい、ショートして壊れたのではなかろうか?あるいは、白い粉は基板を見ると半田付けが下手なので、ペーストが変質した物かもしれない。ルーペであちこち見ていてそう思った。そしてふと気がついたのが上の写真で「屈曲部分」と書いたところ。プリント基板は曲げられないので、2枚の基板をここでつないでいる。そこが半田付けが下手なので、切れているような気がする。ここは両方の基板に穴が開いており、本来はリード線や金属棒でつなぐはずなのだが、何故かハンダブリッジで直結しているだけ。これじゃぁ力が加わっただけではずれるだろうと思った。しかも海に落としている。どうやって落としたかは不明だが、力が加わった可能性はある。僕はこういう時の為に抵抗やコンデンサーを半田付けした後に切った足部分をとっている。この抵抗の足を使って両方の基板をつないだ。するとなんとLEDは消え、ブザーは鳴らなくなった。右側の基板に乗っている青いボリュームは感度調整用のボリュームで、この部分の接続が切れたせいで、本来は0~5kΩの抵抗が(無限大)になってしまい、LEDとブザーが反応しっぱなしになっていたんだろうと思う。その状態でテストしてみたら、動く!しかも結構感度が良い。小さな10円玉でも5cm位で反応するし、ペンチだと10~15cmでも反応する。使えるじゃん。しかも、ここで分かったんだけれども、愛天堂やAMAZONの簡易型金属探知機は金属に近づけると鳴りっぱなしだったのに、これは1秒くらい反応したら、すぐに消える。鳴りっぱなしではない。なので上の写真は撮影に苦労した。5cmまで近づくと反応すると書いたけれども、実は10cm位でも反応する。ただ1秒位で消えるので再度反応したのが5cm位だっただけ。だからちょっと使い方が難しいかも。でも、やり方に慣れると大丈夫。むしろ鳴りっぱなしじゃないのでストレスにならない。愛天堂とAMAZON簡易型金属探知機は鳴りっぱなしなので、奥さんに何回も怒られた。奥さんは耳が良いので、別の部屋に居てもうるさく感じるのだそうだ。僕は耳が悪いのでやっと聞こえる程度なのに。<後日追記>本当は鳴りっぱなしが正解で、塩水に浸かったどれかの部品がおかしくなっているのかもしれない。YOUTUBEを見ていたら、5台の金属探知機を試しておられる方がいらっしゃって、その方がやっておられるのを見ると鳴りっぱなしだった。もう一回分解して部品の検査をしてみよう。その方の比較実験を見ると、相当に高級な金属探知機も安物も大差なく、だいたい10~15cmが感度の限界みたい。僕が目標にしている50cmは難しそうだな。次は実用になるのかテストしてみた。トイレの中に格好のテスト環境が有る。僕の家はマンションで、外壁はコンクリートだが、屋内の間仕切り壁はボード壁。壁にくぎやビスを打って何かを取り付けるのはボードを支える金属下地部分で無いとダメ。金属下地部分以外の所にくぎやビスを打ってもすぐに抜けて落ちてしまう。トイレは将来的に高齢者になった場合には手すりなどを取り付ける必要があるが、手すり固定用のビスが抜けたら大変である。なのでトイレ壁には金属下地がここに有ると言う透明プラスティックの目印が張ってある。そこで試してみた。写真くらい離れていてもLEDは光りブザーが鳴る。試しに他の部分でもやってみると、金属下地が無い所では反応が無く、60cm位離れた金属下地がある部分では反応する。使えるじゃん!そうか。僕は卑弥呼の墓を探すのに使おうとしているけれど、本来は建築工事で見えない部分に隠れた金属下地や鉄筋を探す為に造られた金属探知機なんだ。そうだよな。せっかく付けた棚が落ちたらお客さんにメチャメチャ怒られるだろうし、鉄筋が有る場所に穴を開けたら、構造的に弱くなるので鉄筋はよけて穴を開けるよな。遊びじゃなくて実用に使われる物なんだ。鉄筋はかぶり(コンクリート表面から鉄筋までのコンクリートの厚さ)が3cmくらいはあるから、金属探知機は(コンクリートで電波が減衰するので)最低でも5cm以上の感度が必要だと思うし、平らな壁ばかりじゃないから、やっぱり15cm位は反応できる感度が必要。それに答えられる感度の金属探知機が最低必要なんだ。今度はこの金属探知機の回路を研究して、強力な金属探知機を作ってみよう。<後日追記>色々と実験してみて分かってきたが、この金属探知機は原理的(高周波=発振回路部分)にはAMAZONや愛天堂の物と同じで、ただ検出方式はELEKITと同じく検波してコンパレーターで差を検出しているみたい。コイルは写真で見る通り、1次コイルと2次コイルがあり、発振出力の波形はきれいな正弦波である。さすがプロの作った回路と言う感じで美しい波形。出力は20kHzで0.3Vp-pとさほど大きくはない。でもELEKITの物に比べると60倍の出力なので、やっぱり出力電波は大きい方が良いのだと思う。なので僕が作る自作金属探知機もせめて1Vp-pくらいは有った方が良いかな?愛天堂で売っているトランジスターを見るとその程度ならばありそうなので、チャレンジしてみるかな?
March 27, 2025
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3月4日にAMAZONでELEKIT金属探知機TK-737を買って作って実験してみましたのだけれども、その時に金属探知機の動作原理には、1.発振状態にある回路のコイルに金属を近づけるとコイルのインダクタンスが変化して、 発振周波数が変わるのでこれを検知する方式。 検知の仕方には元の周波数と比較する方式により色々と有る。 例えばうなりを発生させて検知する方式や、 元の周波数からのずれを電圧の変化に変えて検出する方式が有る。2.発振状態にある回路のコイルから発生した磁気により近くの金属には誘導電力が発生する。 その誘導電力は元の磁力を打ち消す方向に発生するので、 元の発振回路の電気の波は小さくなる。この変化を検知する。と言う2つが有るらしいと書いて、TK-737は2.の方だと説明書に書いて有ると書いた。AMAZONでELEKIT金属探知機TK-737を買って作って実験してみました。エレキットの金属探知機TK-737は発振回路がコルピッツ発振回路なので、コイルを自作しやすく、実験に最適なので前回はTK-737にしたのだが、動作原理1.もやってみたいなと思ってAMAZONで売っている動作原理1.タイプも買ってみた。ついでに愛天堂の金属探知機も買ってみたが、回路図を調べるとほぼ同じだった。ただ、愛天堂の方には「謎の増幅回路もどき」がついている。「謎」である。まずはAMAZONの1.タイプ。こんな感じ。いやなんというか値段が安い。この値段で2個入り。実験で使うので1個失敗しても、もう1個有るので大丈夫。ただ、実験するのは自作のコイルを取り付けられるように改造する必要がある。なので、回路図と実際の基板を調べた。コイルは基板の銅箔を利用してL1とL2の2つのコイルを作っている。回路図を載せる。簡単に考えれば、上の回路図で赤い丸の部分を切断して、ここにピンヘッダーを設け、既存のコイルを使う場合はピンヘッダーをショートピンでショートし、自作コイルを使う場合はショートピンを外して自作コイルをピンヘッダーに接続すれば良い。基板表はこんな感じ。こちら側はピンヘッダーを取り付けるだけ。ただ、ピンヘッダーの固定を接着剤だけに頼るわけにはいかないので、片方は既存部品の基板取付用の穴を利用して、もう片方だけドリルで穴を開けた。上の写真を見ると各ピンヘッダーは片方が既存部品半田付け用の穴で、他方が何もない所に穴を開けているのが分かると思う。配線と部品(コンデンサーC2とC3)は裏側に取り付ける。すみません。左側の名無しのコンデンサーがC2です。書き忘れちゃった。スペースが無いので、加工が難しいし、半田付けも大変。熱を加えすぎるとピンヘッダーのピンが抜ける。なお、コイルの上にコンデンサーが来るので影響が無いか心配したが、金属探知機は絶対値ではなく変化分で検知するので大丈夫。つまりコンデンサーが乗っかっている状態で金属探査中に調整して置けば、コンデンサーが乗っかった状態で金属が近づいた状態で反応するので「変化分」を見るだけ。なので大丈夫である。試してみた。金属探査中の発振回路の状態。微弱な電波を出している。これが金属を近づけると、コイルL1とL2のインダクタンスが変化してバランスが崩れて、発振が止まる。えー?なんかパルスが入ってない?そう、僕もそれに気がついて悩んだ。でも大丈夫。電源(電池)を抜いてみたら、そう、雑音だった。僕の部屋はマンションなので、目の前を電力や通信系の電線が通っているEPSが有る。なので、もう雑音だらけなのである。で、安心して回路の解析に戻って考えたら、エレキットの金属探知機TK-737が動作原理2.の説明と違って、金属探査中の電波が消えるとブロッキング発振に移行するのに対し、こちらは説明通り。L1がトランジスターS9018のベース側の直列共振回路、L2がトランジスターS9018のコレクター側の並列共振回路に入っていて、L1とL2が(同心円のコイルになっており)帰還回路を形成しているので、1つの周波数で発振しているところを、金属が近づいてインダクタンスが変化してバランスが崩れて発振が止まるのである。つまり説明通りインダクタンスの変化を利用している。それによりQ3のS9012がONになって電流が流れてブザーとLEDが動作する。分かりやすいと思う。で、この回路でも自作コイルで実験したのだけれども、こちらはTK-737とは違ってコイルが2つ必要で、それも帰還回路を考えなければいけないのでL1とL2の巻き数比も考えなくてはならない。もう僕の実力ではお手上げ。感度の変化が、コイルの自作(無理すればできるけれども)つまり線径や直径によるものなのか、コイルの組み合わせが変化したせいなのかが複雑すぎて、僕のレベルでは分からない。なので、実験するのだったら、コイルの自作が簡単なエレキットの金属探知機TK-737が良い。そう思った。ちなみに愛天堂の金属探知機なんだけれども、上のAMAZONの動作原理1.とほぼ同じ。「謎の増幅回路」があるだけ。こんな感じ。値段も安くて、しかもケース付き。ただ、このケース付きと言うのは仇になっている。なぜならケースが有るので、必然的に金属からの距離がケースの厚み分増えるから。金属である電池の影響も受けるし。何よりもLEDが無いので耳の聞こえない僕には使えない。(自分でLEDを追加しました。)そして何よりも???なのは謎の増幅回路。AMAZONの物と回路図を比べてみると分かるが、違いは上の回路図で僕が赤いXを付けた謎の増幅回路部分だけ。そもそもQ4のベースがどこにつながっているのか考えると???になる。発振回路からの入力はQ4のエミッターに入っているので、善意に解釈すると、ベース接地の増幅回路のように見えるが、実際はベースは(直流的には)1MΩで電源につながっているし、交流的には10kΩと104のコンデンサー経由では周波数が低いので接地したとは言い難い。つまり(Q4はPNPタイプなので)プラス側だって10kΩと104のコンデンサー経由なので、ベース接地にはみえない。と言うか、そもそも発振回路からの出力は、既にQ3の部分で微弱信号の増幅ではなくON/OFF(スイッチング出力)しか関係なくなっている。Q3以降を増幅するのに意味が有るのだろうか?なので、僕は上の回路図の赤いX部分はやめた。(AMAZONと同じ回路にした。)両者を並べてみたので御参考に。ピンヘッダーの取り付けは難しくて大変だったけれども、コイルの自作の難しさも考えると、実験にはエレキットの金属探知機TK-737の方が向いてるな。
March 20, 2025
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僕らが小学校や中学校の時には、弥生時代や縄文時代を習う時には、必ず「登呂遺跡」が教科書に載っていた。登呂遺跡は1943年つまり第二次世界大戦末期に、飛行機工場をここにつくろうとして、工事中に発見された。遺跡からは住居跡や土器等の出土品以外に水田の遺構が見つかり、弥生時代=稲作の始まりと言う理論の火付け役になり、以後の考古学ブームのきっかけになった。但し、福岡県の板付遺跡などから縄文時代の遺跡でも水田の遺構が見つかるようになり、今では弥生時代=稲作の始まりと言う図式は必ずしも正しいとは言えなくなってしまったが、それでも、現代の考古学がこの遺跡の発見により大きく進歩したのは言えると思う。僕の家から登呂遺跡までは新幹線を使えば速いのだけれども、やっぱり特急券は高いので、鈍行(普通列車)で行く。4時間以上かかる。と言うか運が良ければ3時間半で行ける。直通電車が無いので、何回も乗り換えるからである。一番速いのは、熱海までの電車+静岡までの電車なんだけれども、運が悪いと、途中の小田原や沼津で乗り換えなければならない。1ヵ所15分として30分違う。なので、事前の計画がとても重要。僕は朝7時過ぎに家を出て11時くらいに静岡に着き、見学後午後3時くらいに静岡を出て6時半に家に帰りついた。疲れたけれども時間的にはちょうど良かったのでお勧め。静岡駅からは南口からバスが頻繁に出ている。13分前後で着く。登呂遺跡バス停で降りると、もう前が遺跡公園。子供達が遊んでいる。バス停の左にはガイドハウスが有り、公園内の様子や発見時の記録が紹介されている。まずは公園内の案内。発見時が戦時中で、飛行機の工場の建設工事中に発見されたと言う事情から、その当時の状況なんかも紹介されている。さっそく見学開始。案内図を載せる。もうすぐ真ん前に復元された住居が並ぶ。さっそく見学開始。まずはぐるーっと回って1号住居から。典型的なと言うか、恐らく全国の竪穴式住居は最初に復元されたここの物を参考に、それぞれの地域の特色を取り入れて造られ始めたんだと思うんだけれども、教科書などでよく知られた竪穴式住居である。ただここの特徴として、住居は盛土された土の上に作られている。これは、ここが川の傍で地下水位が高く、単純に穴を掘ったのでは水がにじみ出てしまうので、1段高く盛土して水対策をしているためである。また周囲には掘り下げた溝があり、雨の際の水の流れも処理されている。昔の人は工夫していたんだなと思う。入口は雨が振り込まないように出っ張っており、屋根付き。内部には囲炉裏的な場所が有り、上から土器等を吊るせる構造になっている。堅穴周囲には矢板的な板がぐるりと周囲に設けられており、水の侵入を防いでいる。茅葺の屋根には換気用の窓が設けられており、屋根は棟柱4本で支えられている。床は土間なので冷たいから、恐らくは獣の毛皮などを敷いてその上に座っていたのだろうか。隣には廃絶後の状況を示す住居跡が有る。この辺が他の場所(遺跡)との違いで、よく研究されていると思う。住居とは生活の場なので、必ず新しく作ったり廃棄されるものである。例えば新田を開発した場合、より便利な場所に移るだろうし、家族が増えれば大きな家を作って移り住むのが当然である。そこまで研究しているのが良いと思う。倉庫も工夫されている。柱にはよく教科書に載っているように「ねずみ返し」の板がついており、壁は木組み構造になっている。正倉院などの建築もそうだけれども、組み合わせて造った木造壁は湿気に強い。湿気が多いと木はふくらみ、密着して外部からの湿気の侵入を防ぎ、乾燥した時期には木が縮み、隙間ができて外部から風が入るようになり換気が行われる。昔の人は賢かったのだと思う。一番奥には祭殿が有る。祭殿は発掘調査の際に棟持柱と占骨が出土して祭殿だったことが分かったのだそうだ。吉野ヶ里遺跡の祭殿にはこの棟持柱は無かったなぁ。脇の小川も再現されたもので、雨の排水や生活用水として使われたらしい。そりゃそうだよな。水を運ぶのだって重労働だもの。一通り住居跡を廻ると南側に登呂博物館が見える。幼稚園児たちが遊んでいる。こういうのが良いと思う。都会の子供達は交通事故が怖いから外で遊ぶのが難しいが、こんなに広い原っぱがあれば、思う存分走り回れる。子供は走るのが好きだから。遺跡の保存とは別に、こういう広い土地を置けるのが良いと思う。幼稚園児と言えばこんなのも。ここは住居跡だけではなく水田の遺構が発見されたのでも有名で、あぜなどが残っていた。今は冬なので何もないけれど、立札が有るように田植えや稲刈りの時期には子供達も稲作りに参加するのだろう。こういうのが好きだな。さて寒いので博物館に入る。内部には土器や農具がたくさん展示されている。また外の復元住居と被るが、竪穴式住居も有る。右側ではお姉さんが機織りをしている。そう言えば古事記には天照大御神の周囲には機織り女がいたと書いてあるなぁ。こんな感じ?外部には住居跡の詳しい説明は無かったが、ここに詳しい説明が有った。博物館内には祭殿の再現模型も有る。右手には丸木舟も有る。ここは川に近いので必需品だろう。これに載って各地と交易していたのだろうか?各地の縄文遺跡からは北海道の黒曜石や糸魚川のヒスイが見つかっている。弥生時代ならばもっと交流が盛んだっただろう。人や物は自由に行き来していたのだろう。外部の祭殿には入れなかったが、この祭殿は内部に入れる。右手には一枚板の琴があり、恐らくは祭祀に使われたのだろう。この施設を作った方が古事記や日本書紀をよくよんでいるのが分かる。日本書紀では神功皇后の旦那さんの仲哀天皇は神様に逆らって死ぬのだが、その際に仲哀天皇は琴を弾いて占いをし、琴を弾きながらそのまま崩御されている。つまり琴は神よせの道具だったんだな。左手には高坏のついた木器が有る。神様への捧げものを置いたんだろう。祭祀と言えば重要なのは占骨。古代には骨を焼いて、その際の割れ方などを見て占った。ここでもその占骨が出土しており、それ故に祭殿だと分かったのだそうだ。博物館の屋上からは静岡市内や富士山及び南アルプスが見える。ちょっと曇って富士山が見えなかったのが残念。当日博物館では大分の安国寺遺跡の紹介と登呂遺跡との対比を行っていた。勉強にはなるけれど、僕には土器の基礎知識が無いのでチンプンカンプン。でも他にも弥生時代の色々な展示がなされていた。うん?漢委奴国王の金印が有る。いろいろと考えているなぁ。確か関東では銅鐸の出土は無かったと思うけれど。(実は三島の青木ヶ原遺跡から小さい銅鐸が出ています。)まぁ弥生時代を象徴する物だな。その中でちょっと気になったのが下の土器。両側の2対の小さな穴の用途が不明と書いてあったけれども、明らかに吊るし紐の穴じゃん。この土器は装飾類が何も無い土器なので、明らかに実用品。だったら火にかける際に手で持たないで紐をかけるのが普通。それ以外に穴の使い道があるの?と思った。登呂遺跡の周辺にはあちこちにたくさんの遺跡が見つかっている。それらの集落はやがて村になり、その村は争いあるいは融合して国になって行ったのだと思う。その国には当然リーダーがおり、彼は王となって死後は古墳に祀られただろう。登呂遺跡の後は、恐らくはこの辺の国の王だったであろう人物の古墳に行くことにした。賤機山古墳である。賤機山古墳は登呂遺跡が静岡駅の南に在るのに対し、駅の北側に在る。駿府城近くである。もう古墳の主の子孫がこの辺を切り開いたと容易に想像できる。場所は静岡浅間神社の中。但し僕はバスの事情から南側の太歳御祖神社側から入った。赤鳥居前バス停が便利だから。立派な鳥居だけれども、実はこれは浅間神社の鳥居(門)ではなく脇の入口。入口に案内図が有る。案内図を見ると分かるように、本当の中心は右下の神部・浅間神社。脇でもこの大きさ!案内図を見ると境内に有る7つの神社を全部回ると願いが叶うらしい。よし、全部まわるぞ!ただ今回の目的は古墳の見学なので、神社の写真は一部しか載せてませんので悪しからず。ただせっかく来たので正面の門と神部・浅間神社は写真を載せる。まずは正面の門。立派。次は神部・浅間神社。残念ながら工事中だったけど一応。手前の建物が舞台のような気がして仕方ない。もしかして本当に舞台?厳島神社もそうだったなぁ。拝殿の手前に大きな舞台が有った。古い神社では神前で舞う舞が大事だからなぁ。さて最終目的地の賤機山古墳に行くか。古墳は上の写真浅間神社の左を登った山の上。なんと運が悪くて、古墳は災害?の影響で水が浸入した為にシートで覆い見学できないらしい。でも、大きな古墳である。静岡県のホームページには上空から写した写真が有るのでお借りして載せる。大きい。左側の片側2車線の道路と比べるとその大きさがよく分かる。以下にそのホームページから概要を引用します。賤機山古墳は、古くからその存在が知られ、江戸時代の文献にも発見の経緯等が記されています。『駿河国志』(天明三年)、『駿河記』(文政元年)などがその主なもので、「明和年間に古墳の上の大木が大風により倒れ、根の下に穴が開いたため中に下りたところ石積みの部屋(=石室)があり、中に石櫃(=石棺)が置かれている」ことが記載されています。昭和24年に、後藤守一・斎藤忠両博士により初めて考古学的調査が行われました。その結果、古墳の形は直径約32m、高さ約7mと推定される円墳で、内部には巨石を積み上げて造られた巨大な横穴式石室(よこあなしきせきしつ)があり、石室内には大型の刳抜式家形石棺(くりぬきしきいえがたせっかん)が置かれていることが明らかになりました。石棺内は既に盗掘により荒らされ、人骨や副葬品(ふくそうひん)はほとんど残っていませんでしたが、石棺のまわりからは土器や武器、武具、馬具など質・量ともに豊富な副葬品が出土しました。遺物の検討などから、古墳は6世紀代の当地方の最有力豪族の墓であると考えられています。この調査成果をもとに、賤機山古墳の重要性が評価され、昭和28年には国の史跡に指定されました。と言うか、もっと有名になっても良い古墳だと思う。大きいし駅から近くて便利だし。入口は閉じられているけれど、中が覗けたので写真に撮ってみた。おぉー!久しぶりに感動した。石室、そして石棺が見える。古墳前には説明板が有る。大きいので2つに分ける。まずは左側。次に右側。例によって、写真上で右クリックして出るメニューで「新しいタブで画像を開く」を選ぶと、別のタブで拡大可能なので参考に。そして古墳手前の左側には古墳の模型が有る。こんな感じになっているのか。お天気も(富士山が見えなかったのは残念だけど)適度に晴れたし、良い古墳日和だったなぁ。
March 11, 2025
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邪馬台国論争の中で、帯方郡から不彌國までの行程の書き方と、投馬國及び邪馬台国への行程の書き方が全く違い、不彌國までは連続的に書かれており、しかも距離が「里」で書かれており詳しいのに、投馬國と邪馬台国への行程は(起点は明記されておらず)方向と距離がざっくりと書かれており、かつ距離は「日数」で書かれていることから、これが邪馬台国の比定地論争の大きな争点になっている。邪馬台国近畿説の人達は魏志倭人伝の記載が、「方角」と言う面で全く合っておらず、邪馬台国北部九州説の人達は、「距離」と言う面で全く合っていないので、近畿説の人達が北部九州説の人達を攻撃するのに最も適した部分なので、近畿説の人達はここを争点にしようとたくらむのである。確かに魏志倭人伝の書き方は帯方郡から不彌國までと、それ以降で全く違う。例えば松浦国から伊都国への経路は以下のように書かれている。東南陸行 五百里 到伊都國(意訳)(ここまで松浦国の事について書かれているので松浦国から)東南(方向)+陸行(動詞)+五百里(距離)+伊都国(目的地)これは、人が実際に行動した結果を書いているので、(主語は自分に決まっているので略して)東南の方向へ歩きだすと五百里で伊都国へ着くと言うことになる。それに対して投馬國や邪馬台国への行程は、例えば投馬國への行程は、南至投馬國 水行二十日(意訳)(ここまで不弥国について書かれているので、不彌国に対し)南に投馬國はある(方角)。水行(動詞)+二十日(距離)と言う順番になっている。全く文法が違う。これは人に尋ねて、相手が答えたのを記録した場合の書き方である。もし行動の記録ならば不彌國までと同じ書き方で書くはずなのに違っている。偶然ではなく、ちゃんと理由が有って書き方が変わっているのだと思う。そこで学者達は、この違いを議論するのに「連続説」と「放射説」と言うのを考え出した。僕は「実際に行動した部分」と「人に聞いた部分」と解釈するが、学者達は「不彌國までと投馬國・邪馬台国までの記載は連続している」=連続説「不彌國までで話は一旦区切れ、投馬國・邪馬台国への行程は不彌國から放射的に書かれている」=「放射説」としたのである。挙句の果てには、北部九州説の古田氏などは不彌国から放射的に書かれているのではなく、帯方郡から放射的に書かれていると主張する始末である。これは北部九州説の皆さんは近畿説の人達に一本取られている。狡猾な近畿説論者の口車に乗ってしまい、考えなくても良い失敗を犯していいると思う。近畿説は「方角」が弱点なので、「距離」が弱点奴北部九州説の弱い部分に話をそらしているそれだけのことなので、相手の戦略に乗らなければいいのに、お付き合いをしてしまっている。九州人は正直なのが欠点だと思う。自分の弱点はごまかして、相手の弱点を攻めればいいのに。僕は「連続説」とか「放射説」などと考えずに、素直に魏志倭人伝を読めば良いと思う。陳寿(魏志倭人伝、つまり三国志の編者)のWikiを読めば答えが書いてある。Wiki(陳寿)から引用する。「三国志」の項『三国志』は、編纂された当時から優れた歴史書として名高かった。夏侯湛は『三国志』を見て、自らが執筆中だった『魏書』を破り捨ててしまったという。南斉の劉勰は、孫盛『晋陽秋』や『魏略』、『呉録』、『江表伝』などといった著作群を、勿体ぶっていて検証しがたい内容であるか、あるいは内容が空疎で肝心なことについての記述は少ないかであると非難する一方、「陳寿の『三国志』のみは文章に洞察と知識とが行き渡っていて、荀勗と張華が司馬遷と班固に比したのも、妄りに称誉したものではない」と称賛している。つまり、三国志演義と違い、三国志は編纂当時から評価が高かったのである。ただ、陳寿は敵が多かったらしい。三国志自体は評価が高いが、彼自身は「親不孝者」と呼ばれたり、元が魏ではなく蜀漢の出なので、魏に都合の悪いことを書くのではないかと疑われたりしている。また、Wiki(三国志)の「裴松之の注」の項には面白いことが書かれているので引用する。「裴松之の注」の項陳寿は『三国志』を記述するにあたって信憑性の薄い史料を排除したために、『三国志』は非常に簡潔な内容になっていた。そこで、南朝宋の文帝は裴松之に注を作ることを命じ、裴松之は作成した注を、元嘉6年(429年)に上表とともに提出した。注の量はかなり多く、古くは、陳寿の本文に数倍すると見られていた。しかし、近年の研究で陳寿の本文とほぼ同じ字数であることが判明した。僕はここに書かれている「陳寿は『三国志』を記述するにあたって信憑性の薄い史料を排除した」のが、帯方郡から不彌國までの記載方法と、投馬國・邪馬台国までの記載方法の違いの原因だと思う。恐らく陳寿が書いた最初の「三国志案」には投馬國と邪馬台国への行程は書かれていなかった?そう思っている。不彌國までは中国の使者が実際に使者の職務として残した復命書・旅費計算書を利用して、正確に書けたので最初の「三国志案」にも書かれていた。それは前に僕のブログでも書いた。邪馬台国はどこにあったのか(その66)陳寿は帯方郡から邪馬台国まではどのようにして書いたかこのブログでは書かなかったが、最初の「三国志案」には不彌國までしか書かれていなかった?おそらくはそうではなかろうか?陳寿は最初は信憑性の高い資料(復命書・旅費計算書)から得られた情報しか書かなかったのだ。ところが三国志は「正史」なので、皇帝も見る。皇帝も見るような物は、皇帝の元に届く前に役人たちがチェックする。「三国志案」はこのチェックでダメ出しを食らったのだと思う。役人たちは、魏の時代に倭国の女王卑弥呼に授けた印綬「親魏倭王」は書くべきことで、それなら卑弥呼が居た邪馬台国についても書くべきだと思い、陳寿に要請したのである。陳寿は困った。資料が無い。仕方ないので、不正確ではあるが知りうる範囲で伝わっていた両国の位置だけ書いた。これが投馬國と邪馬台国への行程の部分である。その為に、中国の使者の行動の記録である不彌國までの行程は正確で、距離も「里」で書かれているのに対して、投馬國と邪馬台国までは(使者は実際には行っていないので)伝聞形式になっており、両者は文法的に書き方が違うのである。多分そうなんだと思うし、そう考えればつじつまが合う。ところが魏志倭人伝には、その後に女王国の北側の詳しくは分からない国々と狗奴国も書かれている。これは何か?恐らく役人たちは、投馬國と邪馬台国への行程がたった2行であることに不満が有り、かつ「親魏倭王」の印綬を与える原因となった狗奴国についても書くべきだと思ったのである。陳寿はまた困った。その時に、お友達か敵かは議論があるけれど、同時期に魚豢(ぎょかん)が書いた「魏略」の元になった古い資料を使うことにした。恐らくこれは後に後漢書(何故か後漢書なのに三国志よりも後に完成)の元になった、後漢時代の倭国の使者との交流時の記録なんだと思う。それには倭国の色々な情報が書かれており、陳寿は詳しいことは分からず国名だけなんだけどと断りながら女王国の北側の国について書いた。その際に役人たちは国の名前だけじゃ満足できず、おおまかでも良いから女王国の位置が分かるようにして欲しいと要求したので、陳寿は知恵をしぼって、女王国の北側に在る国の中に「奴國」が有るのを利用して、既に書いている不彌國までの行程の中にある「奴國」と結びつけることにより、伊都国の南側に有る奴国と女王国の間に、その国名しか分からない国々が有る事を示したのである。(そのせいでちゃんと漢文が読めない人達は「奴國」が二つあるなんて変なことを言うが、 同じ倭國の中に同名の奴国が2つ有ると言うのは政治的に無理があり、 例えば卑弥呼や一大率が奴国の人を呼ぶ場合を考えると、 奴国が2つあれば大混乱に陥るので、倭国の中に奴国が2つ有るとは常識的に考えられない。 邪馬台国はどこにあったのか(その62)2つの奴国と言う先生? 例えば国連の中で、韓国と北朝鮮が同じ名前を主張したら大変だと思うのだけれども?)そう考えると、帯方郡から不彌國までの記載方法と投馬國・邪馬台国までの記載方法がまったく違う意味が分かるのではないかと思う。違うかなぁ?
March 11, 2025
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3月6日はわの会で湘南江の島駅から藤沢駅までを歩きました。このルートは昔、大山詣での帰りに江の島弁財天に参詣する道で、ルート上には管を用いて鍼を刺す「管鍼術」を考案した杉山検校の寄進した江の島弁財天道標が、現在でも11基残っている。(当初は48基有ったらしい)湘南モノレールの湘南江の島駅に集合し、スタート。ルートは下の通り。まずは江の島弁財天道標を見る。最初に描いた杉山検校寄進の道標の一つである。元は48あったらしいが、今は11しか残っておらず、そのうちの一つである。次は常立寺。常立寺の創建は永正年間(1504~21)で開山は日豪上人。開基は片瀬の地頭の鈴木隼人正。ここは鎌倉時代には「龍ノ口刑場」と呼ばれ、処刑された人々を葬った墓域・誰姿森で、ここに面影塚(墓)をたてて霊を弔った場所であった。その処刑された人の中で有名なのは、元寇の際に日本に使者として来た元の国使:杜世忠以下5人である。彼等はまさか打ち首になるとは思っていなかったようだが、北条時宗の命により斬首された。常立寺には彼らを弔う為に「元使塚」が1925年に建てられており、モンゴル出身の力士などが参拝に詣でているそうである。五輪塔に巻かれている青い絹布は「ハダク」と言い、モンゴルでは敬意の象徴である。境内には8歳で亡くなった七代将軍の徳川家継(有章院)の為に建立された石燈籠が有る。このお寺は梅の木が見事なことで有名で紅白の梅が咲き、花びらが散っている。今の時期にここの見学を計画された幹事さんとガイドさんに感謝。日本の木と言えば桜なんだけれども、梅もいいな。本堂の脇には六地蔵もおられる。ここで面白いと言うか趣が有る水栓を見つけた。注ぎ口は龍の頭である。また本堂脇の水鉢に花を浮かべており、とても雰囲気が良い。住職さんの品性がうかがわれる。本堂はこんな感じ。「一塔両尊四士」の説明はガイドさんによる。僕は仏教のことは全く分からないが、「一塔両尊四士」と言うのは日蓮上人の唱えた形態らしい。中央のお題目には「南無阿弥陀仏」と書かれており、両尊は左側に「釈迦如来」様を、右側に「多宝如来(たほうにょらい)」様を配置している。「一塔両尊四士(しし)」は、その一塔両尊に四菩薩を加えた形式。ネットで調べると、ものすごく難しい理論説明があふれているが、他国から来た仏教を信じていない(日本人なので神様を信じている)僕にはよく分からない。そもそも同じ仏教の道を歩む仏様に「位」があるのはおかしいと思う。まるで階級社会のようだから。尊敬されるか、尊敬するかは大事だけれども、階級をつけるのはおかしいと思う。仏教は偉い人が地位の低い人を押さえつける為の宗教のような気がする。常立寺を出ると寛文庚申供養塔がある。南関東の庚申塔にはみんな三猿が彫られている。上の説明に書かれているように三尸に告げられないように三猿を彫っているのだろう。次は西行もどり松。文治2年(1186年)に焼かれた東大寺再興の為の勧進の為に奥州に向かった西行は、途中で千載和歌集を見たくなって引き返して京に向かおうとするのだが、自分の歌が選ばれなかったことを知って、ここで引き返すのだが、それがこの辺りだったらしい。そして、この付近に居た背負い籠を持った子供に「どこへ行くのか?」と尋ねたところ、「夏枯れて 冬ほき草を 刈りに行く」と麦刈りのことを五七五で巧みに答えたので、この先にどんな名人がいるのか分からないと驚き、松の枝を京の方へ捻じ曲げて帰ったので、この松(今の松は後世に植え替えた物)を西行戻り松と言うそうである。なお、上の説明板にも書いてある通り、「ほき」とは植物が生長し繁茂する意味の「ほきる」が転じた言葉で、夏枯れて冬に成長する草とは「麦」のことで、子供は麦を刈に行くと言うことを洒落て答えたわけですが、和歌と故実に通じていた西行もすぐには意味が分からず、村の子供に一本取られたのを恥じて、(多分だから千載和歌集に漏れたのだな。修業が足らなかった。)と反省し、悔しさから松を曲げて東北に帰って行ったと言うことかなと思います。次は本漣寺。創建は推古3年(595年)なのだそうだ。えー!古事記や日本書紀の成立よりも古い?確かに仏教は伝来しているが、ここは関東。中国や韓国に近い九州や近畿ならば分かるけれども、本当にここに伝わったのだろうか?でも開山が高句麗の慧慈(えじ)の弟子の義玄上人だと聞くと、本当かもと思う。埼玉県の高麗郡のことを考えると有りうるかなとも思うからだ。さすがに595年は無理だとしても、その70年後の665年頃なら現実的に有りうると思う。埼玉県の高麗郡は716年に駿河などに居住していた高句麗人達を一か所に集めてできたと、日本書紀に書かれており、彼等は日本書紀によれば、天智6年(666年)に百済から逃れて来た人達だそうだからである。実は百済と高句麗は同じ民族の出で、彼らは扶余と呼ばれている。白村江の戦いで百済が滅び、その後に高句麗も唐・新羅連合軍に敗れ、両国の人達はたくさん日本に逃れて来た。595年はどうかは分からないが、当時は西暦ではなく「十干十二支」を使っていたので、60年が1周期になっていることから、595+60=655年なので、推古3年(595年)は無理としても、その70年後の、白村江の敗戦(663年)の後の665年頃なら、時期的にその時代で、日本に逃れて来た彼らがここに住み、故郷の寺と似た寺を建て、その後716年に朝廷の政策で埼玉に移された時に、寺と弟子達はここに残ったのならば、書かれた創建の時期も665年以降ならば有りうるのである。百済や高句麗の人達はここまで逃げて来ていたのか。と言うか朝廷も京の傍には置けなかったんだな。まぁそれはそれとして、入口には頼朝駒繋ぎの松がある。文治元年(1185年)頼朝が後白河法皇から送られてきた父義朝の遺骨を受け取った場所である。遺骨は後に鎌倉の御所近くの南御堂に埋葬されたらしい。ここを過ぎて、一遍上人地蔵堂跡に行きます。一遍上人は時宗の開祖ですが、奥州からの帰路鎌倉での布教を信仰の試練と考え立ち寄りました。巨福呂坂から鎌倉に入ろうとして幕府の武士達に阻まれたが、鎌倉の外なら良いよと言われ、ここで踊り屋を造って踊り念仏を行ったのがここ。簡単に言えば反政府デモなんだけれども、いつの時代も同じで政権から弾圧されると歌や踊りで抵抗するんだなと思う。つまり、鎌倉時代の「反戦フォーク」だな。次は本日2つ目の弁財天道標。11も有るのでもう見飽きたけれど一応。そして次は密蔵寺。創建は鎌倉時代末期。開山は有弁僧正で、本尊は愛染明王。昔は薬師如来だったらしい。本尊が愛染明王と言うことで、境内には木暮実千代さんが植えたと言う桂の木が有る。ドラマの愛染桂は長野県の別所温泉なんだけれども、昭和12年(1937)から4年間、片瀬町青年団(団長は同寺先々代住職)主催の「江の島縁起ページェント」で、当時学生だった小暮さんが弁財天役を務めたのだそうだ。この稽古のために小暮さんや三木のり平さんが密蔵寺に合宿しており、この関係で昭和30年(1955)4月20日に小暮さんが境内に「愛染かつら」の木を植樹したらしい。この写真、右手奥のお堂は富士見大師。でも興味が無いので写真は無い。また本堂の写真左手の御大師様の像は、1周すれば四国八十八ヵ所に参詣したのと同じ利益になると言うので、僕もぐるーと回ってみた。境内には面白い木が有る。「ナンジャモンジャの木」と言う。名前が分からなかったので、「なんの木じゃ」と呼ばれているうちにこの名前がついたらしい。密蔵寺を出て次は馬喰橋。ちなみに東京日本橋の馬喰町も「馬喰らう」と書くが、こちらは元は「博労町」。正保年間(1645~1648年)に、馬喰町に改められたらしい。博労とは伯楽つまり元は牛や馬のお医者さんで、東京の馬喰町には博労司がいたので、その名前がついたのだそうだ。なので両者には関連は無い。次は大源太の辻の庚申塔庚申塔なんだけれども書いてある字を読むと道標と兼用だな。少し道を戻って先に進むと新林公園が有る。子供達が遊んでいるし、今の時期は梅が綺麗。良い時期に来た。幹事さん、ガイドさんありがとう。奥には旧小池邸が有る。豪農の家だな。長崎の祖母ちゃんの家もこんな感じだった。豪農じゃないけれど。中には昔の田舎の家の雰囲気が残っている。脱穀機じゃん。TOKIOの城嶋君が使っていたのと同じ。昔はどこの家にも有ったんだよな。旧小池邸を出ると、福原家長屋門が有る。立派な門。福原氏は三浦一族の出身で、足利公方・上杉管領・小田原北条・徳川幕府の豪農として権勢をふるった。新林公園をあとにして、最後は石上公園。中にこの周辺に散在していた庚申塚や道祖神などが集められている。説明板にも書かれているように、今は「石上」だが元は「砥上」だったらしい。もっと昔の奈良・平安時代の記録には「土甘(とかみ)郷」とあり、元の古い音の「とかみ」に色々な漢字をあてた結果みたいである。つまり全て宛て字で、元の音は漢字の無かった時代から伝わっている地名なんだな。この後、藤沢駅で解散した。
March 10, 2025
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僕は古墳が好きなので、まだ見つかっていない古墳を探す為に、強力な金属探知機を作って古墳の中に埋もれている鏡や刀を探そうと思っているが、AMAZONなんかを探しても深さ16cmくらいが限界で良い金属探知機が見つからない。なので、金属探知機の原理や改造の「きも」を探ろうと思うのだが、市販のキットに良い物が無かった。でも、AMAZONの金属探知機を探していて良い物を見つけた。ELEKIT金属探知機TK-737である。元々子供の組立用のおもちゃなので実用性は少ないのだが、評判が良い。つまり確実に動作する、しかも僕が注目したのは改造をする為にする実験に適していることである。AMAZONよりTK-737を引用する。画像を右クリックして出るメニューから「新しいタブで画像を開く」を選ぶと、別のタブで画像が開けるので拡大ができる。うーん日本「後」になってる。恥ずかしい。見ると分かるように電源(電池)が直結しておらす、差込端子が有るので電圧変更が可能。コイルも直結しておらず差込端子が有るので自作のコイルが使える。つまりコイルを変えたり電圧を変える(壊さない範囲で)ことが可能なので、色々な実験ができるのである。しかもELEKITの商品なので、安定的に動作するし説明書が豊富なのがうれしい。もっと言えば「半田付け練習用基板」が付いていて初めての人も半田付けの練習からできる。特に説明書は回路図やブロック図がついており、原理の説明まで書いている。親切。今まで作って来た金属探知機の動作原理はだいたい次の2原理が書かれていた。1.発振状態にある回路のコイルに金属を近づけるとコイルのインダクタンスが変化して、 発振周波数が変わるのでこれを検知する方式。 検知の仕方には元の周波数と比較する方式により色々と有る。 例えばうなりを発生させて検知する方式や、 元の周波数からのずれを電圧の変化に変えて検出する方式が有る。2.発振状態にある回路のコイルから発生した磁気により近くの金属には誘導電力が発生する。 その誘導電力は元の磁力を打ち消す方向に発生するので、 元の発振回路の電気の波は小さくなる。この変化を検知する。ELEKITのKT-737は2.の原理を利用している。説明書より引用してみる。ところが、組み立てて使ってみると理論と実際に起こっている現象が一致していない。オシロスコープの波形で後から説明するが、全然違う変化により検出している。そこで、実験を始める前に回路図を見てみた。回路図だけでは分からないのでブロック図も引用させていただく。回路図の中に描いた位置にオシロスコープを接続する。ブロック図に書かれた通りならばここは発振回路の出力で、ダイオードD1で検波する前である。つまり金属探査中の電気の波と金属発見中の電気の波はここで見られるはずである。組み立てた状態でやってみた。確かに発振状態にあり、回路的にはコルピッツ発振回路なので正弦波である。FFT(周波数を横軸に電圧を縦軸にしたグラフで電波の分布が分かる)でも見てみた。右上のグラフの1か所だけ高いのが発生している電波(電気の波)低いのは雑音。けっこうまともな発振回路だけど、出力が小さい。後から分かるのだが、恐らくは電波法により大きな電波出力は出せないのだ。そうなのか。金属探知機で強力な出力の物が無いのは、電波法のしばりが有るからなのか!こりゃ自作する場合でも、あまり強い電波は出せないな。<後日追記>電波(電気の波)が小さい理由は電波法だけではないかもしれないのに気がついた。もしかして電波が強すぎると感度が高くできないのかもしれない。つまり電波が弱くなるのを検出するのは難しいけれども、電波が無くなる(発振停止)するのを検出する方が簡単だと言うことである。絶対値の差だと数mVしかないので、この程度の(安定化処置を施していない)回路では、金属の接近による変動なのか回路の不安定さによる変動なのかが分からないと言うこと。かと言って負帰還をかけたりするのは、元々が変化を検出する方式なので本末転倒で、負帰還によって変動を抑えると感度が大幅に落ちてしまう。だからあえて電波の強さを押さえているのかも?そう思った。金属を近づけてみた。えー!金属を近づけると電波は弱くなるんじゃないの?電圧レンジを見ると5mV→20mVに大きくなっているし、波形の大きさは12倍じゃん!しかも周波数は3桁も低くなっているし、そもそも正弦波じゃないじゃん!もしかしてブロッキング発振してない?でも確かにこれだと、金属の無い状態でLEDが消えて、金属が近づくと点灯するのは分かるな。検波前に既に電圧が全然違うじゃん。それを増幅するのだからLED点灯するの当たり前じゃん。でも、説明書に書かれている原理とは何となく違うような気がするなぁ。まぁ、でも僕は低レベルアマチュアなので原理はどうでも動けば満足。さっそく色々と実験してみることにした。まずは比較の元になる現在の状態での感度を調べた。金属は手持ちのニッパー。感度比較の為の距離は1束厚さ3mmの付箋(緑)と1束厚さ2.5mmの付箋(白)を使う。最初は電源電圧UPP。色々と壊すとイヤなので元の電圧電池1.5V3本=4.5Vから、4本=6Vに上げてみた。おぉー!少し感度が上がっている。前にやってみたAMAZONの中国製金属探知機の場合には電圧を上げても変化が無かったが、あれは上の方に描いた原理1.のインダクタンスの変化を利用するタイプだったので、この誘導電力利用タイプとは動作が違うのかもしれない。AMAZONの金属探知機を机いました。2024年8月23日と言うことは、僕ら自作派にとっては難しい回路をいじくるよりも、簡単に変更できる電源電圧の変更で改造可能な、こちらの原理と回路の方が適しているな。ちなみに電源電圧を下げて3Vにすると感度は下がった。でもLEDが光らずブザーが鳴るのみ。LEDの有効動作電圧が3V弱なので光らないのだ。電源をあげるのが有効なのが分かったので、次はコイルの改造だ。近所の金物屋さんで0.55mmのエナメル線8mが151円で売っている。安い。便利。でもコイルを自作するにしても、また効果を調べるにしても動作しないと始まらない。発振回路なので恐らくはインダクタンスは変えない方が良いだろう。ちなみに元のコイルのインダクタンスはこのくらい。コイルが差し込み式なので計れる。うーん220µHか。このインダクタンス値を変えなければ回路自体は周波数は変わらないはず。金物屋さんで買った0.55mmエナメル線はなんとそのままで220µHだった。らっきー!しかも直径がほぼ同じ。違うのは線径。オリジナルは多分0.4mmくらい。なので、直流抵抗もオリジナル0.9Ωに対して0.55mmエナメル線は0.7Ω。必然的に巻き数が0.55mmエナメル線が2倍弱多い。これがどう響くのだろう?まぁ感度実験をやってみることにした。けっこう感度が上がっている。インダクタンスが同じで抵抗が小さいので、「Q」は上がっているはず。だからかな?直流抵抗が減っているので電流が増えているはず。つまり磁束が増えているはず。だからかな?まぁいずれにしても線径をUPすると感度は上がる。予想通り。次にコイルの直径を小さくして見る。ただここで僕は低レベルアマチュアなので我慢が足らず、失敗する。せっかくだからフェライトを使ってみよう。そう、フェライトを使うとμが上がり、同じ巻き数でもインダクタンスが増える。逆に言うと少ない巻き数で同じインダクタンスが得られるので、抵抗が少なくなり「Q]が上がる。やってみた。フェライトすごすぎ!左上の0.55mmエナメル線を巻いただけなのに7.5倍くらいになった。この状態で使ってみると回路定数が違い過ぎて動作しない。仕方ないので、どんどんほどいて220µHになるまでコイルを減らした。太さと言うか巻き数が全然違う。この状態で感度実験をしてみた。オリジナルコイルの場合と同じ条件ではできないので単純な比較はできないが感度は上がっている。ちなみにコイル側ではなくフェライト側でも金属の検出ができるのかやってみた。おー!検出可能じゃん。これが可能ならば長いフェライトでも使えるかも?その場合、色々な金属探知機の形状が作れるな。但し、ここで気がついた。でもフェライトを使う場合、もしコイルの直径を大きくした方が感度が上がるならば、フェライトがものすごくたくさんいるし、そもそも重たくなって使いにくいじゃん!そう考えて、今度はコイルの直径がどのくらい効くか実験してみることにした。フェライトに巻いたコイルのほどいたエナメル線が結構余っていたので、それを巻いてみた。オリジナルコイルの直径の半分くらいかな?インダクタンスも半分しかない。まぁ感度実験をやってみるか。うーん積んだ付箋の数をみてもらうと分かるけど、感度はDOWNしている。まぁでもインダクタンスは半分になっているけれども動作はしている。ちなみに半固定抵抗は若干調整が必要になる。やっぱりコイルの直径は効くみたいだな。151円だから、0.525mmエナメル線をまた買ってきて、直径の大きいコイルを作ってみた。これがなんと直径を1.5倍にしてもちょうど良い位のインダクタンスになった。らっきー!これの感度実験をしてみた。上の方に載せたオリジナルコイルや0.55mmエナメル線コイルと比べてみると分かるが、相当に感度がUPしている。ただ、これだとフェライトを入れるのは難しい(お金をかけると可能かも?)なぁ。まぁ今回分かったのは、やっぱり直径を大きくした方が感度は高いと言うことと、電源電圧は回路方式によっては違いは無いが、この方式ならば電源電圧をあげれば感度が上がる、そしてフェライトを入れるのは難しいが、フェライトを入れれば効果が有るらしいと言うこと。だからAMAZONで売っている金属探知機(商品バージョン:1万円くらいする)は、電源に9V電池を2本使ったり、コイルは直径が20cmくらいもあるんだなと思った。最後に金属の大きさが発見しやすさ(感度)に影響有るのか調べてみた。現在はニッパーなので、より金属部分が大きいラジオペンチに変えてみた。コイルはオリジナルコイル。おぉー!全然違うじゃん!そうか、だからAMAZONの金属探知機の売り文句には大きな金属の場合と、コインのような小さな金属の場合で探索深度が違うような説明をしているのだな。ちなみにこのTK-737の宣伝には「鉄骨の場合5cm」くらい感知できると書いている。鉄骨ならば、別に金属探知機が無くても構造的に場所が分かるので実用的な意味が無いじゃん!そう思ったけれども、ELEKITの人は建築的な知識が無く、軽量鉄骨や鉄筋のことが言いたかったのかもしれない。これを(鉄骨は付近に無いので)鉄製の本棚で試してみた。うーん。5cmと言うのは微妙なところだな。ちなみに大きなコイルなら5cmはほぼ確実にOK。固定していないので斜めだけれど。今度いつか、直径15cm位で線径1mm位のコイルを作って実験してみよう。
March 4, 2025
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