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毎月コツコツと貯めた貯金が有る程度貯まったので、久しぶりに旅行に行くことにした。まだ若い頃にアメリカのシアトル、ワシントン、ニューヨークとカナダのナイアガラの滝、カリフォルニアに行ったのをきっかけに海外旅行に行くのが好きになったのだけれども、飛行機に10時間以上乗るのはさすがにもうきつくなったので、なるべく遠い所かを優先的に若いうちに行こうと思ったのだけれども、もう10時間を超える飛行機の旅は今回が最後だろうなと思った。以降はアジアの近い国と国内旅行になるんだろうなと思う。(実はアジアの近い国、例えば韓国は沖縄や北海道よりも近い。)酒もたばこもやらずに毎月の楽しみも「わの会」だけにして辛抱して1か月2万円づつ貯めて、おおよそ2年に1回の旅行なのでまぁいいよと奥さんも許してくれているし、(今回は前回の中国旅行から1年しかたっていないけれど)今行かないと年齢的に厳しくなるので、奥さんに認めてもらった。でも、同じツアーに参加した先輩たちはみんな70~87歳なんだよなぁ。で、行く先は一番行きたかったギリシャとトルコ。トルコは中近東と言うイメージが強いけれど、実はヨーロッパの扱い。ギリシャ神話やローマ神話そして中世のキリスト教の話は実はトルコが多い。例えばギリシャの古い神話=ホメーロスの神話の舞台はトルコが多く、有名な「トロイの木馬」のトロイはトルコに有る。だから本当はトロイにも行きたかったんだけれども、安いツアーでトロイに行くのは皆無に近い。なので泣く泣くあきらめた。ツアーは6月30日から7月10日までの11日間なんだけれどもうち2.5日は飛行機の中。しかもトルコ内及びエーゲ海はバスの中と船の中なので、2日くらいは移動時間。だから実質は6日間くらいしか見学の時間が無い。でも同じ内容を自分で宿や交通機関を準備すると12か月はかかるので、ツアーはありがたいと思う。費用もだいぶ安くなるし。まぁそんな感じで、ギリシャ・エーゲ海クルーズと爽やかトルコ 地中海大周遊11日間に行きました。ちなみに過去に行った他の旅行をいかに紹介する。まずは(会社で行ったアメリカを除いて)最初の海外旅行であるスペインとフランス。ブラド美術館翌日はトレド、そのまた翌日にはバルセロナの桜田ファミリアに行った。また6日目からはフランスに行き、ルーブル美術館で至福の時を過ごした。次はイタリア。てんこ盛りイタリア周遊9日間9日間の旅行の6日目なので前後にも記事が有る。上の方の「新しい記事」や「過去の記事」をクリックすると他の日も見られる。次はイギリス。イギリスに行って来ました。これも7日間の旅行のうちの2日魔なので、同様に前後にも他の場所の記事が有る。2日目は実は初めてツアーから離れて一人で廻ったのが自慢。リバプールのペニーレーンやジョンとポールの生家はツアーで行けるチャンスはほぼ無い。また5日目のオックスフォードのハリーポッター関連の場所や7日目のシャーロックホームズ関連のベーカー街はツアーでは絶対に行かないから、一人旅(ツアーから抜けて)の醍醐味。そしてペルーとメキシコにも行った。ペルー&メキシコ大周遊9日間に行って来ました。これは4日目のマチュピチュ。8日目のテオティワカン遺跡ではピラミッドにも登った。南半球のオーストラリアにも行った。オーストラリアに行って来ました。これは5日目で「うるる=昔はエアーズロックと言った」に行った時。前日には南十字星を見に行った。滅多に見られないのでうれしかった。そして圧巻はエジプト。エジプト旅行に行って来ました。6日目にはギザのクフ王のピラミッドの中に入って来ました。2日目にはツタンカーメンの墓にも行きました。そして最後に去年は中国に行って来ました。クラブツーリズムの中国旅行:北京-洛陽-西安に行って来ました。西安では秦の始皇帝の有名な兵馬俑を見て来ましたが、兵馬俑が掘り出された時には色が着いていたと言うのは知らなかったので衝撃でした。そして今回はギリシャとトルコに行って来たのです。今日は飛行機の中なので、見学の記録は明日から。
June 30, 2025
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愛天堂のFMラジオモジュールM5807LAを使ってみた。これはFMラジオICのRDA5807と小さなマイクロコントローラーをモジュール化して、それに周波数表示液晶まで載せた優れものである。いつか使ってみようと買っておいたのを、適当なケースがダイソーで見つかったので組み込んでみた。結論から言うと、とても良いと思う。ただ、ダイソーのケースがすごく硬くて加工が難しくて僕はちょっと失敗したんだけれども、FMラジオとしては立派なのができたと思う。まずは愛天堂のホームページ。税込みで759円は安いと思う。僕はダイソーで税込み770円の時計を「ケースとして」買ったので合計1429円。若干のスイッチとインダクター及び電解コンデンサーを加えても2000円はいかない。ダイソーの時計は1.5V(単4)X3=4.5Vの電池ケースとして使っているが、このラジオモジュールは3.0V用なので、電池ケースの2本分の所を使って3Vを得ている。まぁ最初はFMラジオ部分を実験した。左下に書いたように全体としては4.5Vなんだけれども、電池を直列につなぐ金物部分にFMラジオモジュールのVDDをつなげば3Vが得られる。この時点でFMラジオとしては完成しており、79.5MHzのNack5から93.0MHzまで15局くらいは受信できる。FM横浜はニッポン放送よりも近いせいもあってすごく電波が強い。なおかつ近所のローカルFM(ミニFM局:金沢区限定)まで聞こえる。ケースを加工してイヤホンジャックとスイッチ(ON/OFF、CH+、CH-、音量+、音量-)を付けてみる。ただここで失敗した。イヤホンジャックを横面に付けようとしたら時計の基板とぶつかって入らない。開けた穴はみっともないけれどそのままにして、裏面下部に変更した。ちょっと見苦しいけれど、なんとか取付終了。と言うことでフタをしめて元の形に戻したら、FMラジオと時計両方ともつかない。再度分解して調べたら、力まかせに閉めたのでUSB入力部分が折れていた。仕方ないのでUSB入力はあきらめて、再度フタを閉めたら時計はついたがFMラジオはダメ。また分解してあちこち調べたらGND配線がからまってはずれていた。再度フタを閉めたら、FMラジオはついたが時計の表示がおかしい。LEDが一部消えているし、コントロールが効かない。どうも基盤が壊れたようだ。そりゃそうだと思った。FMラジオの配線が時計の基板を圧迫してるし、USB入力部分が壊れるほど力まかせに押し込んだし、何回も分解復旧をするたびにあちこち「バキバキ」となっていたし。なので、FMラジオとしては完成したけれども、ダイソーの時計は単なる電池ケースと化してしまった。多分器用な人ならば時計もFMラジオも使えるようにできたんだろうけれど、僕は不器用なので、FMラジオは生き延びたけれども時計は死んじゃった。ちなみに時計の基板はこんな感じ。そう、この辺がよく工夫されていて上手いと思ったんだけれども、数字の表示は7セグメントのLEDはつかっていない。7個のLEDを点灯させて、ケースの半透明部分を透過して数字を表示しているのである。7セグメントのLEDは高いからなぁ。よく考えていると思う。時計が死んじゃって残念だったけれども、愛天堂のFMラジオモジュールM5807LAは良いFMラジオモジュールだと思う。ケースの工夫をすれば、周波数表示付きの自分用のオリジナルFMラジオが作れるなぁ。花びんに仕込んだり、本棚に組み込んだり、自由な発想でFMラジオが作れる良い商品だと思う。
June 27, 2025
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6月5日はわの会で横須賀市衣笠の大明寺をはじめとした社寺を見学した。4月9日にも京急大津駅から衣笠駅までの古東海道沿いの社寺を見学したので続きである。(但し今日通る道は旧浦賀道)ルートはこんな感じ。結構歩いた。ルートマップの中の赤い部分は、あまりに歩く距離が長くて時間内に収まらないので、ガイドさんが今日はやめましょうと省略した妙蔵寺部分である。僕はせっかく来たのにもったいないので、解散後に一人で行ってみた。但し疲れていたので、たまたま来た衣笠駅行きのバスで近くの「栄地谷公園」まで乗った。まずは衣笠駅に集合。ルートマップには書き忘れたが一番右端のJR衣笠駅である。うーん都会の駅じゃなく、九州の田舎の駅みたい。屋根が瓦ぶき。ガイドさんの説明によると衣笠駅は久里浜駅にそっくりなそうだ。当日久里浜駅の写真は撮らなかったのでネットからお借りして載せる。本当だ!。屋根の色は違うけれど、左に突き出しが有ってそっくり。横須賀線は明治22年に開通し、昭和19年に横須賀から久里浜まで延長された。そう、昭和19年と言えば太平洋戦争真っただ中。恐らく海軍の関係で延長されたものと思うけれど、当時は資材が不足しており、戦時中で利用の少ない御殿場線を単線にして、その資材を流用し、久里浜駅と横須賀駅は設計を共通化して工期を短縮したのだそうだ。そうそう面白いものを見つけたので写真を載せる。さすが三浦一族の地元だと思う。やっぱり地元の誇りなんだよな。衣笠駅を出発して大明寺に向かう。大明寺(日蓮宗金谷山)は第六世日栄上人が米ヶ浜に有った日蓮上人開山の三浦法華堂を、明徳3年(1392年)に当地に移し大妙寺と称したのが始まり。最盛期には1万4千坪の広大な敷地に諸堂16党が立ち並んだらしい。ここは三浦郡内32寺の本山として栄え、徳川家康から朱印一六石を賜り、十万石の格式を与えられたそうである。有る時に朱印の「妙」の字を「明」と誤り書かれたことから「大明寺」となったと伝わる。でも、書き誤ったのなら訂正すればすむ話で、それをずーっと繰り返すのはバカな話なので、なんとなく別の理由があったのではないか?だって文字や学問が得意なお坊さんが間違ったものをそのままにするはずがないから。1回は間違えても書き直すだろうと思う。もしかすると、「明王」が関係しているのではないだろうか?明王は最高仏尊である大日如来の命を受けて、いまだ仏教に帰依していない民衆を帰依させようとする役割をもった仏尊である。本来は日蓮宗ではなく空海の真言宗で有名な仏様だけれども、ここ三浦半島では日蓮宗が民衆に広まったところから、まさに日蓮宗の宗旨そのものであり、元々は大明寺が本来の名称で、何らかの理由、例えば三浦一族を滅ぼした北条氏への遠慮から鎌倉時代に大妙寺としたのを、(日蓮は「立正安国論」などで鎌倉幕府を厳しく攻撃し、一度は処刑されそうになる。)北条氏が(後北条氏も含めて)完全に滅びたのを受けて大明寺に戻したのではないだろうか?(大明寺の末寺の大光寺には水神明王を祀っている。 船が得意な三浦一族なら水神明王は関係ありそう。)だって「間違えたのを永久に続けるお坊さん」なんて変だから。まぁそれはそれとして、大明寺、山門が立派である。境内には正面に本殿、左に釈迦堂、右に七面堂が有る。まずは釈迦堂。何故か本殿よりも釈迦堂の方が立派な気がする。と言うか何故「本堂」ではなく「本殿」?次に本殿。葵の御紋を使うことが許されている。当時としてはすごいことだと思う。なんとなく、僕は徳川家康と三浦は関係が深いのではないかと昔から思っている。次に七面堂。これってお寺じゃなく、神社では?と思った。日蓮宗と大黒様の関係って?それよりも鏡や注連縄(紙垂付き)そして何で御札?確かに七福神の一柱として大黒様がおられるのは確かだが、ちょっと違和感が。そもそもこの大黒様はもしかして「大国主命」では?実は大きな袋をかついだ大黒様は民衆の間では大国主命と同一視された時代が有ったらしい。明治になって廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた際に、お寺の中では民衆を味方につけ生き延びようとする向きがあり、神社と融合するような形で嵐を避けた経緯があり、ここもそうなのかもしれない。廃仏毀釈の際には仏像やお寺は軒並み壊されたそうだから。境内の端っこに文化財として中の仏像などの説明が有った。えー!ここ大明寺は米ヶ浜から移って来たらしいけれど、元々は石渡則次と言う人の私邸だったのか。で1万4千坪の敷地。お金持ちだったんだなぁ。大明寺境内の端から登って行くと太田道灌の息子の資康の墓が有るらしい。時間の関係で行けなかったので写真はネットからお借りした。資康は三浦道寸の娘を妻としており、その関係で北条早雲と戦い、戦死してここに葬られた。ほらやっぱり大明寺は(鎌倉時代の北条ではなく後北条氏だけれども)北条と敵対してた?次は大光寺に行く。元亨元年(1321年)の創建。元は真言宗だったらしいのだが日蓮宗に改宗し、大明寺末寺主要五ヶ寺の一つ。本堂入口に住職が大明寺に行く時に使用した駕籠が吊るされており、そのせいで、「かご寺」と呼ばれている。本堂内部。格天井がすごい。一扇斎国濤書画の銘が有るらしい。ここでふと気がついた。左手の脇間に大黒様がいる。大明寺と同じだ。しかも他に鬼子母神や北辰妙見と水神明王もいる。ほら、明王もいるじゃん。えー?厄除石井不動尊まで。もうオンパレードじゃん。やっぱり民衆の宗教、日蓮宗なんだなと思う。民衆だから仏教の教義なんてどうでも良いのである。なんか有名で御利益の有りそうなものは何でもありなんだろうと思う。まぁ良いんじゃないかと思う。難しいことは言わず、信じることが大事なんだろうと思う。ただみんな三浦一族に関係があるのかもしれない。例えば大黒様を大国主命とすると、関東は出雲系の神様が多いので納得できる。関東では天照大御神は末社に祀られ、主祭神である神社は少なく(明治以降の新しい神社は有る)、主祭神はスサノオノミコト(牛頭天王)や大山祇神そして大国魂(=大国主命)神が多いのである。それが仏教に取り込まれた?また北辰信仰が強く、例えば日光東照宮の陽明門は真上に北辰(北斗七星)が配置されており、明らかに北辰信仰を意識している。さらに言えば江戸時代に有名な千葉道場の紋は北斗七星に月である。千葉氏の祖先の平良文の北辰(北極星)伝説が元になっているらしい。直接の関係は無いけれど千葉周作も「北辰一刀流」だもんな。(千葉周作は東北の出身らしいが先祖は千葉常胤だそうだ。)千葉氏は三浦氏とほぼ一つの家系で頼朝が石橋山の合戦で負けて逃げた際も千葉氏を頼っている。瀬戸神社の宮司も昔は千葉氏だったらしく、裏の浄行寺近くには千葉氏の墓が並んでいる。三浦氏は古くから舟を操る一族で水神明王はほとんど一族の神様と言えるかもしれない。つまりここに並んだ神様達は三浦一族ゆかりの神様で、仏教の寺と言うよりも三浦一族の子孫たち(が民衆化して)が大事にした祭司場が、形を変えて日蓮宗のお寺として残ったものなのかもしれない。次は大蔵寺。ここも日蓮宗で、大明寺の末寺主要五ヶ寺の一つ。日善が向かいの明登山麓に小庵を建てて道場にしたのが始まり。第三世日昌が永禄二年(1559年)現在地に堂宇を建立し、明登山とした。ここは大蔵寺自体よりも中に瘡守稲荷が有るので有名。第十世日性が宝暦四年(1754年)江戸で流行していた痘瘡が村に入ってこないようにと、「笠守稲荷」と称して「妙天王」を勧進し、厄除稲荷としたのが始まりで、痘瘡の瘡から守ると言うことで「瘡守稲荷」と称するようになった。大蔵寺を後にして次は平作神社。旧平作村に鎮座していた「皇大神社」、「白山社」、「御嶽社」、「正真子社」及び「諏訪社」この五社を合併してできた神社らしい。えー!敵味方、色々な神様を並べて良いの?神様同士でケンカしない?まぁ村の鎮守なので誰が祀られているかは関係ないのだと思う。大明社に七面堂が有るのと同じ。村の神社らしく、地域の活動の場になっているらしい。九州の田舎の神社と同じ。昔は若者はみんな神社を中心に地域の活動をしていたんだよな。田舎を思い出す。平作神社を出るとわの会はしょうぶ園で解散。幹事さんが気を使って、しょうぶがきれいに咲いている今の時期を選んだのだろうと思う。ありがとうございます。ここでみんなは解散したのだけれども、本来の予定では妙蔵寺に行くはずだった。だけど今回は相当に歩いて、妙蔵寺にまで行くと完全に時間がオーバーするので省略した。なので、解散後に一人だけで妙蔵寺に行く事にした。一人だけなので意地を張らずにバスに乗ることにした。大人数ではバスは利用できないのだが、一人だけなら大丈夫。ちょうどしょうぶ園から衣笠駅までバスが通常は1時間に二本出ているのだが、しょうぶの時期の今だけ臨時便が1時間に2本出ていて便利だった。栄地谷公園前で降りると10分もかからない。(若い人なら多分5分)三浦半島のお寺入口にはこの屋根の大鬼を模した飾りが置いてあるな。大塚山か。大塚山妙蔵寺は正宝法印がに開山したらしい。そして元は真言宗だったものを元亨元年(1321年)に日蓮宗に改宗。三浦半島のお寺は元が鎌倉時代は真言宗で、その後日蓮宗に改宗したお寺が多いな。日蓮てすごいな。と言う感じで衣笠のお寺巡りは終了した。
June 7, 2025
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